2019年04月03日

週末は周荘へ

先の週末は学生と周荘(簡体字では周庄)へ。
もともとは北宋期に仏教寺院が建てられたことに始まり、明代に水運の拠点となって商工業が発展、清代に至ったという。とはいえ、2,3千人規模の村(水郷)である。それでも一時期は、フィリピンやタイとの通商すら行ったというから、なかなかのものだ。
文革期に一部破壊されて建物は再建されたものが多いという。

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何故か村のそこここに豚足(調理済み)の専門店があるのだが、これは村の中興の祖である沈万三が、時の権力と対立してその憤懣を豚足を食べる事で鎮めた故事に由来するという。いかにも中国的な話だ。ただ、豚足の味自体は高い割にまぁまぁというところ。
秋に行った西塘はあまりにも整備されてテーマパークみたいだったが、こちらはもう少し歴史情緒を残している感じ。

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この日は中国人のバスツアーに参加する形で行ったが、ツアー代そのものは128元(約1900円)と恐ろしく安い。これに往復バス代と入園料が含まれているのだが、入園料自体が80元とかしているので、一体どういう価格体系になっているのか、考えると恐いものがある。
中国人のガイドが色々説明して、学生が少しだけ訳してくれるのだが、ガイドさんのけたたましさに比して、学生はおとなしすぎて声が聞こえないくらいだった。






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2019年03月25日

魯迅先生の墓参

日本語教師会のランチ交流会に出席するが、ちょうどすぐ脇に魯迅先生のお墓があり、墓参することにした。
どこかで行こうとは思っていたし、特に遠いわけでもなかったのだが、普段の行動範囲外だったため、つい失念していた。

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魯迅先生と言えば、やはり「同志小林の死を聞いて」(1933)の一文。
日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだまして其の血で界をゑがいた。又ゑがきつつある。
併し無産階級と其の先駆達は血でそれを洗って居る。
同志小林の死は其の実証の一だ。
我々は知って居る。我々は忘れない。
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。

小林多喜二が特高によって撲殺された際に、魯迅が日本語で書いて中国から送った弔文である。
私は幸いにして公安によって撲殺されることはなかったが、今や同じことが起きてもおかしくない情勢にあり、日中関係も1933年ほどではないにせよ、衝突リスクは高まる一方にある。
それだけに、墓を前にして思うところも多かった。

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墓の周りは公園になっていて、魯迅記念館も併設されているのだが、いかんせん春の日曜日で凄まじい人出だったため、今回は墓参のみにして退散した。
改めて訪問したい。
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2019年03月14日

春天来了

中国にも春が来たようです。
今週になって急に気温が上がって20度近くになる日もあり、気温変化に弱い(特に暖かくなるとき)私などは軽い頭痛と倦怠感を覚えています。

最初の宿題と原稿を抱えてやや多忙にしているので、今日は中国の春を楽しんで下さい。

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どれもキャンパス内で撮ったもので、辛夷、木蓮、杏といったところでしょうか。
華東地区なので、ほぼほぼ東京と同じ植生で季節的には全く違和感が無いです。
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2019年02月27日

再び中国へ

事後報告ですが、中国に戻りました。
一ヶ月も日本にいて、確かに色々できたことも確かですが、気づいてみればあっという間でした。
休暇で帰国してまた戻るというのも、10年ぶりで懐かしい感覚。新学期の始まりは大変ではありますが、嫌いではありません。

ロシアで教えていた時よりも現地での活動に幅を持たせているだけに退屈しないことも大きいでしょう。
あとネット環境も規制があるとは言え、10年前とは比較にならないくらい整備されているので、外国にいる感覚も軽減されているような気がします。

後期は後期で科目も変わるので、また一から講義ノートを作る日が続きます。
一年目はこれだけでかなり大変なのですが、前期に比べれば授業にも生徒にも生活にも慣れているので、ストレスや負担はかなり軽減されるでしょう。

次の帰国は7月半ばになると思いますが、今後ともよろしくお願いします。

ケン
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2019年02月19日

ガンツ氏の冥福を祈る

【スイスの俳優ブルーノ・ガンツ氏死去『ヒトラー最期の12日間』で主役】
 スイスの俳優で、映画『ヒトラー〜最期の12日間〜(Downfall)』でアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)役を、『ベルリン・天使の詩(Wings of Desire)』で天使の役を演じたブルーノ・ガンツ(Bruno Ganz)氏が16日、77歳で死去した。同氏の代理人が明らかにした。同代理人によると、ガンツ氏はスイス・チューリヒの自宅で同日早朝に亡くなった。がんを患っていたという。
 映画、舞台の俳優として活躍したガンツ氏は、ドイツ語圏を代表する第2次世界大戦後の俳優で最も偉大な一人とされる。2004年には、ヒトラーが地下要塞で苦しみながら過ごした最期の日々を描いた『ヒトラー〜最期の12日間』に出演。ガンツ氏は危険かつ陰気なヒトラーを演じ、その繊細な演技は多くの評論家から比類なきものと評価された。ドイツ語圏の俳優は歴史的にヒトラー役を演じることをちゅうちょしてきたが、チューリヒ出身のガンツ氏は自身がスイス人であることが役を演じるのに必要な緩衝材になったと認めていた。ガンツ氏は1987年の『ベルリン・天使の詩』では、東西ドイツ統一前のベルリンで平凡だがもの悲しいひとときを見守る天使ダミエルを演じた。
(2月17日、AFP=時事)
ガンツ氏の逝去に際し、衷心よりお悔やみ申し上げます。

日本の報道ではスイス人であることへの言及が少なかったが、その辺はさすがAFPである。この辺の機微が分からないと、ヨーロッパを理解するのは難しい。
ガンツ氏と言えば、『ヒトラー〜最期の12日間』が最初に出てくるのは避けられず、私も彼の演じたヒトラーは最高傑作だと思う(今ではとある空耳の方が頭にこびりついているものの)。
しかし、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』で彼が演じた連邦刑事局長官役もすばらしかった。「反テロ」「自由民主主義の擁護者」として、「テロリストの人権」「自由主義者として暴力にどう立ち向かうか」を悩む姿を見事に演じた技術は全く賞賛するほか無い。DVDは持っているので、もう少し時間があれば見直したかったくらいだ。

結局まだ実写版「ハイジ」は見ていないのだが、どこかで彼の遺作も見ておきたい。
posted by ケン at 09:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月12日

ちょっと関西へ

色々な用件が重なって、ちょっと箱根の向こうに行くことに。
まず元ボスの地元事務所に挨拶。夏は渡航準備で忙しく、挨拶に行けなかったためだ。

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路面バスで立ち寄った多賀SAにて信楽焼

次いで京都へ。
白井同志と情報・意見交換するためであるが、京都国立博物館で公開されている「天皇の即位図」が見たかったこともある。
京国は、私が大好きな三十三間堂に近く、京都駅から歩いて行けるという利点もある。

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京都国立博物館は何十年ぶりかだったが、旧館は閉館。新館での展示になっており、少し残念。
しかし、常設展を含め、展示の質は非常に高く、改めて弾丸ツアーながら、京都に来て良かったと思う。

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さらに錦市場で土産を買い、夜同志と合流、痛飲。バーでは、次々と「先生、先生」と人が寄ってきて、プチ芸能人状態だった。
私が多少心配していたのは、東京から京に移住した同志がいじめられていないかというもの。
先日逝去した梅原猛は、京都人を自負し、京都学派を代表して名誉市民号まで得たが、現実には死ぬまで京都の名士たちから「外人のくせに」といじめられ続けたという。だからこそ、梅原は一層自らが「京都人」であることを強調し続けなければならなかったと言われる。
幸いにして、同志は「最初から外人扱いされてるから大丈夫」とのことなので、変に同化しようと考えないから良いみたいで、安心した次第。
京都は旅行で行くには良いが、とても住めるところでは無いと思う。
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2019年01月29日

一時帰国中は銀聯カードで

無事帰国しました。まずはご報告まで。

中国との行き来が楽な点の一つに決済がある。
少し前までは外貨で給料をもらうと、基本的に現金で日本に持ち帰り、両替する必要があった。これが面倒な上にロスが多かった。

が、現代中国の凄いところは、中国の銀行で口座を開設すると、日本のキャッシュカードの代わりに、「銀聯カード」なるデヴビッドカードがもらえる。この銀聯カードが強力で、セブンイレブンなどのATMで一日10万円まで日本円で現金が引き出せるのだ。もちろん決済は中国の銀行口座(ケン先生は平安銀行)から人民元で引き落とされる。しかも手数料はわずか15元(200円強)で、交換レートも悪くない。非常にロスが少なく、リスクも殆ど無い。
マネロンの恐れがあるので、上限規制が厳しいのだろうが、普通に生活するには全く困らない。

中国人観光客の増加に伴い、場所によっては、ALI-Payや微信決済も可能になっており、中国で使ってるスマホでそのまま決済することもできる。この場合は、ネットに接続している必要があるが。
私の場合は、旅行者用の30日間使い捨てSimカードを入れて対応している。羽田行きの飛行機の中では、到着前に中国人旅行者が続々とSimカードを入れ替えており、時代を感じさせる。
posted by ケン at 00:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする