2020年04月02日

自粛要請中に花見狂いの帝国貴族

【安倍昭恵氏、花見自粛要請の中で私的「桜を見る会」していた】
 満開を迎えようという桜、そして笑顔の男女──その中心にいるのは、安倍首相の妻・昭恵夫人だ。森友学園問題をめぐり自殺した近畿財務局職員の手記が報じられ、疑惑が改めて注目される中、渦中の昭恵夫人は私的な“桜を見る会”を楽しんでいた。3月下旬の都内某所、ライトアップされた桜をバックに肩を寄せ合う13人。その中心に写っているのが昭恵夫人だ。写真を見た、参加者の知人はこう話す。
 「この日の参加者は、昭恵さんと以前から交流があった人が中心だそうです。写真で昭恵夫人の隣にいるのは人気モデルの藤井リナさん。藤井さんは2014年にYouTubeで昭恵さんと対談するなど、もともと交友があったようです。他にもアイドルグループ・NEWSの手越祐也さんや音楽プロデューサーなど芸能関係者の姿もありました」
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、小池百合子・東京都知事が花見の宴会などの自粛を要請する中、この写真を世論はどう受け止めるだろうか。週刊ポスト3月30日(月)発売号では、昭恵夫人および参加した芸能人らへの取材結果などを含めて詳報する。
(3月27日、NEWS ポストセブン)

さすが上級国民、帝国貴族。革命直前でも、歌手や俳優を集めてパーティーに明け暮れた貴族とうり二つ。

もっとも、パンデミック宣言がなされている中で学校を再開させる国だから、政策の整合性などそもそも存在しないわけではあるが。
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2020年03月28日

「呪われた五輪」で昭和帝政は?

【「呪われたオリンピック」麻生副総理が国会答弁 「40年ごとに問題起きている」】
 新型コロナウイルスの感染拡大に伴って開催可否が注目される東京オリンピック・パラリンピックについて、麻生太郎副総理兼財務相は18日の参院財政金融委員会で「呪われたオリンピック」と発言した。
 麻生氏は、戦争で日本が開催権を返上した1940年の札幌冬季五輪と、旧ソ連のアフガニスタン軍事侵攻に抗議した日本を含む西側諸国が参加をボイコットした80年のモスクワ五輪を例に挙げ、「(モスクワから)40年たつと今年。40年ごとに問題が起きている」と指摘。「呪われたオリンピック」と形容し、「マスコミが好きそうな言葉でしょう」と冗談めかした。
 安倍晋三首相が目指している五輪の「完全な形」の意図を問われると、定義は複数あると前置きした上で「少なくとも百九十何カ国の人が参加でき、(選手は)公平な予選を受けて試合ができ、日本だけでなく他の国の観客も入れた形での開催が望ましい。無観客試合は考えにくい」と述べた。いずれも古賀之士議員(国民民主党)の質問に答弁した。
(3月18日、毎日新聞)

さすがは「お前はすでに死んでいる」の毎日新聞、1940年の札幌冬季五輪も間違いではないが、東京夏季五輪を言わないとは。
五輪が夏季と冬季で2年おきになったのは1994年のリレハンメル以降の話で、それまでは同じ年に開催された。
まぁそれは良い。

「サービス、サービス」でつい本音を出してしまうところが麻生氏の面白いところ。

1940年 東京五輪 5年後敗戦、軍事占領、明治帝政終焉

1980年 モスクワ五輪 11年後ソ連崩壊


連中が躍起になって「通常通りの開催」を主張するのは、この呪いから逃れんとするあまりの断末魔らしい。
もっとも明治帝政とソ連が現在の日本と異なるのは、多民族国家型の帝政である点で(日本の帝政は形式的だが)、現代日本は一応民族国家であり、この点がどう影響するのかはわからない。
ソ連の場合、主に財政・経済的理由から体制崩壊した
これに対して、明治帝政の場合は敗戦に伴う外国軍による占領によって終焉を迎えるわけだが、間接的にはすでに財政崩壊していた。終戦時の日本政府は直接負債だけで2500億円以上あったが、1941年度の予算が臨時予算を含めても167億円であったことを考えれば、すでに返済不能になっていたことがわかる。このため、日本政府は国民の預金封鎖を行った上で、新円を発行、新円の引き出しを大幅に制限、旧円の価値は急低下して価値を失った。戦時中、全ての国民は貯金を強制されていたため、殆どの国民は資産を失った。わが一族の場合、その後の農地改革によって土地の大半を奪われ(強制買い上げ)、没落した。わが一族が明治帝政と、その後継たる昭和帝政を激しく憎悪するのは、幕臣の末裔であることだけではない。

現代日本の場合、今回の新型コロナウイルス騒動の影響も含めて急速に貧困化が進むだろう。現行政府と代議制民主主義は貧困化に対して無策であり続けるため、遠からず「暴力的解決」を望む声が高まってくるだろう。戦前の日本の場合、政府と軍部の誘導もあって、「アジア中国で収奪しよう!」ということで国民の支持を得て、十五年戦争に突入し、自壊した。
帝政ロシアの場合は一次大戦の勝利を以て解決しようとしたが、ロシア革命を誘発してしまった。ソ連の場合は無策のまま自壊した。
現代日本の場合、対外戦争に誘導するのは難しいため、ソ連・東欧型の自壊現象が起こる確率が高そうだが、何か理由を付けて韓国や中国と戦争する方向に行く可能性もある。

いずれにしても、外国に亡命先を確保するケン先生の方針の正しさが証明されそうだ。
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2020年03月22日

桜開花!

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わが家の山桜、例年より2,3週は早い。

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まさかもう一度日本で桜が見られるとは!

帝政が打倒されるまでは無理かと思っていたのに(涙、思い詰めすぎ)
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2020年03月03日

久しぶりに河津桜

一週間以上前の話になるが、静岡の河津に行った。
車に母を乗せての日帰りである。
実家からだと早くても休憩込みで3時間はかかるので、現地でも運転して廻るとなると、ほぼ丸一日運転しているに近い。
もともと中国に戻る前に親孝行がてらという感じだったのだが、河津桜自体は二月半ばに咲き始めてしまい、私の戻りは無期限延期という事態になり、全く世の中思うようにはいかないものである。
幸いにして平日だったため、行きも帰りも三時間で済み、体力的には助かった。

河津桜は新種の自然交配種で、発見は1955年の河津だという。
樹齢は5〜60年ほどで、濃いピンクの花が比較的長く咲くことが特徴。

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河津は桜のみではなく、川端康成『伊豆の踊子』にも出てくる河津七滝もあるし、隣の稲取港では金目鯛鮨を味わえるし、さらに隣には熱川バナナワニ園もあって、そこここに温泉もあるので、色々楽しめる。
二月でも十度以上あり、特に今年は暖かく十五度以上あって、暑いくらいだった。
ちなみに、東京から車で行く場合、海岸ルートを選択すれば、石橋山を通れるので、歴ヲタ的には嬉しい限り。

「吾妻鏡には源頼朝が300騎で挙兵とか書いてあるけど、実際には数十人程度だったらしい」

みたいな(笑)
旅は快調で、花もギリギリ満開状態で、天気も良く、最高だったのだが、昼に食べた鮨定食に付いていた生牡蠣にあたってしまったようで、母子ともども翌々日から二日間は安静を余儀なくされることになった。
いやはや、世の中思ったようにはいかないものである。
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2020年02月16日

渡航延期につき

予想通り、始業延期となった(事前通知は一週間前)。意外と早い対応だった。
一週間延期して、始業後も当面はオンライン授業で対応するが、オンライン授業の設備と方法については検討中で、間に合うか不明、とのこと。
すぐに「オンラインに切り替える」と決めてしまう辺りが、さすが中国で、日本には太刀打ちできそうに無い。
結局のところはさらに延期になりそうだが、「戻って待機しろ」と言われればやむを得まい。
基本的にはインフルエンザと同じなので、多人数との接触を避けるようにしていれば、大きな問題は無い。怖いのは飛行機の中くらいなものだが、そこはダイス運に賭けるようなもの。

収束するのは早くても初夏とのことで、仕事を失う覚悟でも決めない限り、どこかで決断する必要がある。
そもそも毒性は高くないのだから、遅らせるほど安全性が高まるし、あまり深刻に捉える必要も無いとも思う。
飛行機が欠航になる恐れもあるし、政府が渡航禁止措置をとる可能性もあるので、ギリギリまで様子見となろう。
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2020年01月21日

南京総統府

日本人的には「総統」と聞くとヒトラーしか思い浮かばないのだが、中国国民政府の話である。
1927年に蒋介石が南京に国民政府を設置、日華事変が勃発して1937年12月に日本軍によって攻められると、国民政府は重慶に移転するも、後に汪兆銘政権が設置される。日本降伏後、国民政府は1946年5月に重慶から南京に首都を戻すが、国共内戦が勃発、49年4月には人民解放軍によって陥落してしまう。
つまり、実際に政府機能(大総統府)が置かれたのはわずか10年ちょっとの期間でしかなく、「総統府」の名称が冠されたのは1948年からの1年間に過ぎなかった。それだけ中国史の激動が感じられる場所でもある。

また、国民政府が置かれる前も、太平天国の乱において太平天国軍が南京を占領した後に「天王府」を置いた場所でもあり、その前後には江蘇省・安徽省・江西省を治める両江総督府が置かれている。中国史好きにはたまらない場所でもある。
とはいえ、太平天国の乱で建物は殆ど破壊されているため、清朝以前のものは全て再建されたもの。
国民政府時代のものは、基本的にそのまま残されている。孫文や蒋介石の執務室を見ることができる。

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総統府外観

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総統府からの眺め

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蒋介石の執務室

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中国だからもっとゴテゴテしているのかと思ったが、意外と実質本位で質実なものだった。
総統府の建物のすぐそばには簡易防空壕もあり、中は公開されていなかったが、当時の空気感を感じるには十分だった。
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2020年01月19日

現在帰国中につき〜2020冬

いやはや、やっぱ東京はいいですな〜〜

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ゴジラ、歌舞伎町に出現

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10年ぶりにアカシアでロールキャベツ、BGMは80年代の洋楽

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この世界の(さらにいくつもの)片隅に、感想は後日
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする