2018年08月17日

最後の旅行は妻籠宿

渡航前最後の旅は妻籠宿へ。
猛暑下ではあるが仕方あるまい。
京都などよりもよほど「日本」を感じさせる。

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2018年08月02日

中国就労ビザが下りるまで

あれこれあってようやく就労ビザが下りた。
恐らく普通に手続きしていれば、もう3週間くらい早く出たと思うのだが、大学側が手続きに手を抜こうとしたため、いささか話がこじれてしまった。出発の一カ月以上前に出たのだから、よしとすべきではあるのだが。
この際、教員として中国に就職する際の流れを記録しておきたい。

自分の場合、10年パスポートが来夏に期限切れとなるが、就労許可を得るためには一年以上期限を残している必要があり、パスポートの更新から始まった。しかし、パスポートの更新は期限切れから一年以内が原則であり、わずかにオーバーしていた。そこで、勤務予定の大学から英文の採用通知をもらって、それを提出することで、期限外の更新を認めてもらった。
すごいことに、この採用通知は、自分が事務方(国際交流課)に問い合わせたところ、その日の夕方には学部長の印が入った文書がPDFで送られてきた。日本だったら、早くて数日、下手すれば十日くらいかかりそうな話である。

パスポートを更新しつつ、大学院で修士課程の修了証明と学位証明を申請。自分が出た大学院は、日本でもトップ級の外国語大学で、「グローバリゼーション」を強く謳っていたはずだが、証明書の作成には和文で1週間、英文で2週間かかることが判明した。
今時、役所でも住民票も戸籍も申請したその場で受領できる。大学もオンライン化が進んで、書類自体はすぐさまプリントアウトできるはずだが、決済印を押すのにそれだけの時間が掛かるらしい。これでは、諸外国の作業スピードに太刀打ちできるはずもなく、いかに連中が謳っている「グローバル化」が大衆を煽るためだけの文句に過ぎないか、よく分かった。
考えてみれば、戦前も「総力戦」「総動員」などと謳いながら、ロクに実現しなかったわけだから、明治帝政の尻尾に過ぎない今の連中にできるわけもないのかもしれない。グローバリゼーションの特長の一つは、「より早く、より遠くに」「徒歩から鉄道、鉄道から飛行機、飛行機からインターネット」であるが、連中は何一つ理解していないのだ。

・総力戦体制とは何だったのか 

さらに、修了証明などの他に、犯罪履歴証明書(無犯罪証明)を警察(自分の場合は桜田門の警視庁)で申請。自分はそんな証明書があること自体知らなかっただけに興味深い。証明書自体は、簡単な申請書を書けば、無料でもらえるのだが、両手の指紋を全部採取されてしまうので、いわば日本国内におけるプライバシーや人権の喪失を引き替えだった。これは約1週間で出る。

修了・学位証明と無犯罪証明を持って、次は外務省に向かう。外務省では、それらが正規の文書であることを政府として証明する「公印認証」を受ける。これは二日ほどで出て(無料)、各証明書に認証印が押される。

次いで、中国大使館の出張所である東京ビザセンター(東京の場合)に赴き、大使館の認証(中国政府が日本の公文書であることを確認)を受ける。これは中三日ほどでもらえるのだが、証明書ごとに約8千円もかかり、お安くは無い。
これを大学に送って、大学が現地政府に就労許可の申請を行う。事務方は二週間くらいで出ると豪語していたが、三週間ほど掛かってしまう。
発行された就労許可証(中文と英文、PDF)を印刷して、ビザ申請書とともにビザセンターで就労ビザの申請を行う。これも中三日で出て(約8千円)、今に至っている。このビザが貼られたパスポートを画像にして、大学の事務方に送付すれば、一応手続きは終了だ。

ケン先生の場合、永田町に勤務しており、朝一番や昼休みに職場を抜けて手続きに行けるから、非常にスムーズだったが、大半の人は相当に時間が掛かってしまうだろう。大学の証明書も、郵送だったらさらに一週間近くかかっていたはずだ。
ロシアの就労ビザを取った時の方が、もう少し楽だった気もするのだが、あれはあれで、ものすごい時間が掛かった気もする。

いずれにせよ、手続き上は全て終了した。あとは授業準備と中国語である。
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2018年08月01日

半休のお知らせ

本ブログをご愛読いただき、ありがとうございます。
このたび円満に永田町から足抜けできましたこと、また無事国外退去が認められましたことを、ご報告申し上げます。

「戦闘教師ケン 激闘永田町編」は7月いっぱいをもって終了、8月は半休とし、9月半ばから始まる「華東大乱編」の準備にあてたいと思います。更新は常の半分以下になりますが、ご理解いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

ケン
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2018年06月17日

戦闘民族って何?

自民党の方が「武士道」だの「戦闘民族の再興」だの言っておられるのをニヤニヤしながら聞いてしまった。ソ連学徒的には、リアルな戦闘民族というのは、

「親戚のお婆ちゃん、魔女(女子夜間爆撃隊)だったのよ」
「曾じいさんは、一次大戦、革命内戦、スペイン内戦と二次大戦を戦った」
「これは自分が軍事教官としてキューバにいた時の写真だ」
「自分はアフガニスタンで輸送ヘリのパイロットをしていた」
「コムソモール(共産青年同盟)では、毎夏三週間ほど軍事教練に参加してたから、今でもライフルくらいは撃てるわよ」
「彼女なら一ヶ月ほど前に義勇兵としてセルビアに渡ったよ」
「そこに立ってる彼はチェチェン帰りなんだぜ」

という話が普段の生活に溢れている状態を指すのだけど、自民党の彼はどんなイメージを抱いているのか。確かに自分も理論上は、デモクラシーと国民皆兵は不可分の関係にあるという立場をとっているが、実現性という点ではあまりお勧めしないけどねぇ。
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2018年06月07日

もはや中国に太刀打ちできない日本

中国の就労ビザを申請する関係で、あちらの大学側に採用証明書をPDFで送るように求めたところ、その日の午後には英文かつ学部長印の入った書類が送られてきて、「中国やべぇ!」と思ったのが少し前のこと。

その後、手続きを進める上で、学位記の原本を提出してしまうと問題があることが分かり、母校で大学院の修了・学位取得証明書(英文)をとることになり、直接訪問して申請したところ、発行は営業日で7日、実質12日後ということが判明し、呆然となった。
母校では、さんざんグローバリゼーションがどうの、英語の国際化がどうのと言われたものだったが、実のところ母校が最もグローバリゼーションから取り残されていたことが分かったからだ。グローバリゼーションの特長の一つは、「より早く、より遠くに」「徒歩から鉄道、鉄道から飛行機、飛行機からインターネット」であり、それに合わせたスピードが求められる。戦前の軍人が総力戦と騒ぎ立てながら、総力戦の本質を殆ど理解していなかったことに近いだろう。
余りの恥辱に、半日で英文の採用証明を送ってきてくれた中国の大学の学事課長に報告する言葉が見つからなかった。

中国で半日で済ませられる作業が、日本では12日もかかるということは、単純計算で中国が日本の24倍の作業量をこなせることを意味している。母校でも、学生や卒業生の情報はとうに全てデジタル化しているはずであり、本来であれば、書類自体はその場で打ち出せるはずだ。仮に管理者の決済印が必要だとしても、翌日くらいには準備できるだろう。実際、戸籍や住民票などは、申請した場ですぐに受け取れるようになっている。大学の証明書が1週間も2週間もかかることに合理的な説明は付けられないだろう。

研究者の待遇や論文数でも、日本はすでに中韓に太刀打ちできなくなりつつあるが、事務作業に至っては1世紀分くらい後進国になってしまっていることが分かる。恐らくは、10年前でも20年前でも同じだけの時間が掛かったものと考えられるが、それは日本の組織がおよそ自己改革能力に欠けていることを意味している。

この一点だけ見ても、日本に期待できるものは何もないことを、改めて認識した次第。

【6月8日、追記】
中国で教えたことのある先生によれば、「貴君は単に学部長案件のVIP待遇で手続きが早くなっているだけでは?」とのこと。日本側の手続きの遅さは話にならないが、中国側の事情はそうかもしれないので、一旦保留します。ただ、自分が卒業した私立の学部を確認したところ、和文でも英文でも「木曜に申請して翌月曜発行」とのこと。中三日からせいぜい五日くらいまでなら自分も許容できたと思うのだが。これだから国立、公立はダメだという話になるのだが、当人たちには全く自覚無いようだ。
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2018年05月20日

武家のタブー

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古来、武家は牡丹、芍薬、椿の類いは「落首」を連想させるとして、庭に植えるのを忌避してきたが、武家の娘であるはずの母は全く知らずに植えてしまった模様。まぁ自分は武人じゃないからいいんだけど。伝統なんてそんなものです。buk
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2018年05月18日

黄浦江遊覧船で上海観光

今回の上海行きでは、最終日に観光することができた。
研究者の一人が案内と空港までの見送りを担当してくれた。

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まずは黄浦江遊覧船にて上海の新旧街並みを拝見。
旧市街にある「十六浦」が発着所になっているが、かつては十六種の貿易品によって船の発着場が指定されていたことから来ている。
船は長江に向かってのんびりと進み、20分強で反転、戻ってくるだけなのだが、左手に旧市街、右手に新興金融街が建ち並び、その対比が面白い。中国人的には「夜景の方がきれい」とのことだが、初心者としてはどこに何の建物があるかを確認する方が先だろう。
この辺りは戦場にもなっていなかったようで、戦前の建物が良く残っており、「上海租界」の雰囲気を色濃く残している。敢えて言えば、横浜に近いかもしれない。

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右手の赤い屋根はロシア領事館。やはり軍事的要所にある。

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上海獶太難民紀念館。二次大戦期に欧州から逃れてきたユダヤ人難民の多くは上海に来るも、日本側はゲットーをつくって一部地域に集住を強制した。日本人的には、河豚計画とあわせて考える必要がある。記念館自体は最近できたもので、展示物も多くは無いが、どうやらユダヤ系の人もたくさん来ている模様。

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記念館の前にある古い建物を利用したカフェは非常に洒落てる。
posted by ケン at 12:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする