2020年01月21日

南京総統府

日本人的には「総統」と聞くとヒトラーしか思い浮かばないのだが、中国国民政府の話である。
1927年に蒋介石が南京に国民政府を設置、日華事変が勃発して1937年12月に日本軍によって攻められると、国民政府は重慶に移転するも、後に汪兆銘政権が設置される。日本降伏後、国民政府は1946年5月に重慶から南京に首都を戻すが、国共内戦が勃発、49年4月には人民解放軍によって陥落してしまう。
つまり、実際に政府機能(大総統府)が置かれたのはわずか10年ちょっとの期間でしかなく、「総統府」の名称が冠されたのは1948年からの1年間に過ぎなかった。それだけ中国史の激動が感じられる場所でもある。

また、国民政府が置かれる前も、太平天国の乱において太平天国軍が南京を占領した後に「天王府」を置いた場所でもあり、その前後には江蘇省・安徽省・江西省を治める両江総督府が置かれている。中国史好きにはたまらない場所でもある。
とはいえ、太平天国の乱で建物は殆ど破壊されているため、清朝以前のものは全て再建されたもの。
国民政府時代のものは、基本的にそのまま残されている。孫文や蒋介石の執務室を見ることができる。

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総統府外観

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総統府からの眺め

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蒋介石の執務室

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中国だからもっとゴテゴテしているのかと思ったが、意外と実質本位で質実なものだった。
総統府の建物のすぐそばには簡易防空壕もあり、中は公開されていなかったが、当時の空気感を感じるには十分だった。
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2020年01月19日

現在帰国中につき〜2020冬

いやはや、やっぱ東京はいいですな〜〜

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ゴジラ、歌舞伎町に出現

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10年ぶりにアカシアでロールキャベツ、BGMは80年代の洋楽

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この世界の(さらにいくつもの)片隅に、感想は後日
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2020年01月03日

南京長江大橋

12月に南京に行った際に訪問。
何が面白いって、文化大革命の遺構の一つでもあることだ。

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南京長江大橋は1968年に完成したが、対外的には中ソ対立が深刻化し、国内的には文革が進行する中、「自力更生=独自路線」を象徴するものとして、当時は世界最長を誇った。そのデザインは、いかにも古典的社会主義のそれであり、デザインにはあまり独自性は見られないものの、文革風味は間違いなく残っている。

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橋の全長は6.7kmに及び、橋頭堡の高さは70メートルもある。二階建てで下を鉄道、上を車が走る。
下から見上げても、上から見下ろしても壮観だ。
見学料を払えば、記念館付きの橋堡を上って、橋を見物できるし、橋の上を歩くこともできる。

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長江両岸を見渡せば、多少なりとも中国史を知るものなら、感慨にふけるはずだ。

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橋堡から見た南京市街
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2020年01月01日

2020年を華東より

明けましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年に引き続き中国で正月を迎えました。
とはいえ、これも昨年同様ですが、明2日は朝8時半から期末試験で(バスは7時発)、30日も試験がありまして、まぁ平常運転なのです。
それでも、ゲーム仲間よりお誘いがあり、31日と1日(今日!)はゲーム三昧で楽しませていただいてます。
まぁせいぜい微信(中国版SNS)で新年のお祝いを交換するくらいが、正月っぽいところです。

中国の春節は旧暦なので毎年微妙にカレンダーが異なり、それに応じて大学のプログラムも変わるため、今期は始業も終業も1週間早く、来週には成績付けも終わって、週末には帰国する予定です。
それもあって、年末年始がもろに試験期間と被っているのですが。

さて、中国における教員業も(期数にして)一年半を終え、かなり慣れてきた感じです。
少しずつ人脈も広がり、少しずつ仕事の依頼も増えて、良い感じで来ているかなと自己評価しています。
とはいえ、そこは中国なので、何が突然起こるかわかりません。
同僚のご友人は前期を終えたところで、突然大学側から「来期は仕事無いから」と突然一方的に契約を打ち切られたそうです。幸いにして、さほど遠くない町の大学にすぐ再就職できたようですが、その辺はやはり中国、ロシアなのです。
私の場合は、強い後ろ盾があるのでその心配は無いのですが、逆を言えば、その後ろ盾がいなくなってしまったら、一緒に首を切られる恐れもあるということです。
ま、あまり考えても仕方の無いことですが(中国ではそのくらいの感覚が程よい)。

いずれにせよ、自分の仕事をきっちりこなし、周囲の信頼を獲得し、認められていくよう努力するのみです(努力値が低いのが難なのですが)。
何より毎週近くゲームできる環境が一番ストレス解消になっていることが大きいでしょう。

さて、日本に目を向けると、既存の秩序=戦後民主主義の空洞化・形骸化が進み、それを取り繕うために権威主義化(自民党と霞が関の一体化あるいは官邸による霞が関の従属化)が進んでいますが、いわば「聖戦貫徹のために大政翼賛を」と同様、実質的な効果は上がっていないように見えます。

今後日本は、「パイ」全体の縮小再生産に応じて国民に対する収奪が強化され、収奪を擬装するために「愛国心=国家主義」が称揚されてゆく流れとなるでしょう。しかし、その路線は必ず失敗します。
本来、国民国家は一国の工業化と近代化を実現するために、「国民」「国民国家」という共同幻想を設定、国民に対して一定の平等を保障することによって、「我々は同じ国民である」として階級対立を抑制、生産の効率化を図るものでした。
ところが、現状では世界の平準化が進むことで、20世紀には第三世界から資源と労働力を収奪することによって成立していた先進国の「繁栄」が頓挫してしまいました。その結果、国内で収奪することによってしか資本を維持できなくなってしまったのです。
そうなると、まず国民と国民国家の前提である平等が否定され、それによって収奪と疎外が加速してゆくことになります。それはすでに加速度的に進んでおり、欧米日では人種・民族差別が止まらなくなっています。これは、本来は階級対立であるはずのものが、より分かりやすい人種・民族差別に置き換えられているためです。それは資本の望むところでもあるため、放置されています。

1920年代にワイマール・ドイツで起きたのは、国家的危機を階級対立の超克によって乗り越えようとした共産党・社会民主党と人種差別と民族主義によって克服しようとしたナチス党との激烈な対立でしたが、最終的に後者が勝利しました。ナチスの勝利によって、ドイツにおける階級対立は暴力的に抑え込まれ、その暴力はユダヤ人や障害者に向けられ、さらには隣国へと向けられていったわけです。最新の研究では、ナチス経済はまずは没収したユダヤ人の資産、次いで占領地で収奪した資本によって、かろうじて成立していたことが分かっています。

現代日本の場合は、まず「階級対立の超克」を掲げる政党が存在せず(NKすら明言を避けている)、自民党が人種差別主義者と民族主義者の支持を集めることで、今のところ明示的な暴力を伴わずに「静かなる権威主義化=戦後帝政の再定義」が進んでいる感じです。
わざわざ「静かなる」と言うのは、権威主義とは本来ウザいくらいけたたましい宣伝(プロパガンダ)と思想強要が繰り返されるものですが、それを伴っていないためです。

話を戻せば、国民から収奪する他に道が無い日本経済は、どのような体制であっても、「自分の足を食う蛸」以上のものにはなりえず、それを擬装するためにオリンピックや天皇を持ち出す他に手段が無いという状態です。
2020年代の日本は、国際的予測よりも速いスピードで衰退していくだろうと見ています。
だからこそ、中国の片隅で小さな拠点作りを進めているわけです(以下、イメージ)。

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そんなわけで、改めて今年もよろしくお願いいたします。
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2019年12月28日

拳銃で熊は倒せない・補

【県議「クマ襲撃前に発砲できなかったか」、県警部長「拳銃では倒せない」】
 6日の秋田県議会教育公安委員会で、11月に鹿角市十和田大湯で猟友会員と警察官の男性計3人がクマに襲われ重軽傷を負った人身被害発生当時の警察の対応を巡り、委員から疑問が投げかけられた。
 県警側は、警察官が所持する拳銃の威力は、クマに効かないとの認識を示した。
 鹿角市鹿角郡区選出の児玉政明委員(自民党)は、地元住民の不安を代弁し、「襲われる前に発砲できなかったのか」とただした。泉浩毅・県警生活安全部長は「人身被害の危険性があり、安全が確保できれば、警察官の命令で猟友会員が発砲できる」とし、「拳銃でクマは倒せないと認識している」と付け加えた。
(12月7日、読売新聞)

「拳銃で熊は倒せない」を読んだ読者が「そうなのか?」と疑問を呈しておられたので、改めて検討してみたい。

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S&M M37

日本の一般的な警察官が携行しているのは、スミス&ウェッソンM37の改良型、S&W M360 SAKURAだ。
実際に見てみると非常に小さく、「手のひらサイズ」とまではいかなくても、それに近いサイズで、見た目だけでも頼りない。
使用されているのは、9mmの38スペシャル弾で、これは有名な9mmパラベラム弾が開発される以前のリボルバー用弾丸である(1900年頃)。リボルバー用の弾丸はその後もあまり開発されることがなかったため、いまだに現役となっているが、その威力はパラベラム弾の5〜7割程度とされている。
要は、防弾ジャケットなどが存在しなかった時代、それどころか黒色火薬時代の産品なのだ。

実際の使用では、数メートルの至近距離から、薄手の服しか着ていない人間を狙った場合、腹部などを貫通する程度と考えて良い。ソ連軍の分厚い冬用コート(超重い)なんか着てたら、それだけでもうダメかもしれないレベルだ。
つまり、日本のような銃火器による市街戦を想定していない環境で、威嚇用としての機能は発揮するとしても、「戦闘」には耐えられないものと見て良い。もちろん、今までの日本ではそれで十分すぎる話なのだが。

では、対熊戦闘が発生した場合はどうであろうか。
熊に有効打を与えるためには、まず5メートル前後まで近づく必要があり、そこから熊の骨に当たらない部位で、かつ効果的なダメージを与える場所を狙う必要がある。
実際、ヒグマ猟に関する文献を読んでいる限り、「頭に当たった矢が弾かれた」「弾丸が骨で止まって、熊大暴れ」のような話が散見される。
熊猟に慣れていない人間が、数メートル以内に近づいて、冷静に銃を撃つことは、まず不可能であり、それは妄想の世界でしか無い。熊が気づいていないなら、一発は撃てるかもしれないが、気づかれて自分が狙われたら、もはや冷静ではいられないだろう。
それを現場の一警官に求めるのは、酷すぎる話だ。警官は熊猟師ではないのだから。

仮に9mmパラベラム弾を使用する自動拳銃(警察でも一部の特殊部隊などに配備)を持っていたとしても、今度は貫通力が高いため、熊に対しては「貫通するだけ」に終わってしまう恐れがある。この場合も、確実に「頭蓋骨に当たらない顔面」などを狙う必要があり、「運が良ければ」というレベルに変わりは無さそうだ。

現実に熊に有効打を与えるためには、恐らく45口径スーパーACP弾などを使う必要があり、SIG SAUER P220やH&K HK45を携行する必要がある。実際、自衛隊などではP220が使われているが、弾丸は9mmパラベラム弾である。
それでも、本気になった熊に対して、10メートル以上離れたところから命中させるのは容易ではなく、装備よりも熊と向き合った人間の士気と訓練度の方が重要な気がする。

99.999%以上の日本人は、熊と戦うことなど全く想定しないのだから。
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2019年12月24日

中山陵を参拝

ようやく試験と最後の授業の準備が終わって余裕が出てきたので、十二月ながら週末南京に行ってきた。
上海から高速鉄道(高鉄)で100分という、東京と名古屋くらいの距離感だが、ケン先生的には、第二次上海事変から南京事件に至る進撃路であると思うと、色々感慨深いものがある。

南京は旧首都(明と国民政府)なだけに見るものも多く、二泊三日では限りがある。
今回は超有名どころに限った。
まずは、中山陵。孫文の墓である。
死の翌年から造成が始まり、完成まで三年かかっている。
孫文は「死んだからここに埋めて欲しい」と述べたことに端を発しているというが、明孝陵、つまり明の太祖朱元璋の墓の隣であり、自らをモンゴルを追い出した朱元璋になぞらえていたともとれる。
民主主義国の首長というより、皇帝の墓にしか見えず、やはり超大国の統治にあっては家父長的な要素が不可欠なのかと嘆息せざるを得ない。
なお、隣には三国志の呉の孫権の墓もある(こっちは行く時間が無かった)。

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国民政府を否定する共産党政権でも孫文は肯定しており、廟はよく整備され、観光地化している。
何でも予約しないと入れないらしく、予めネットで予約して行かねばならないわけだが、この辺、やはり中国は個人旅行が難しいと思わざるを得ない。幸い、自分は中国人の知人と一緒に行ったので、予約ですんなり入れたが、入口からはちょっとした登山モードだった。この日は、冬とは思えない暖かさで、汗をかくくらいだったが、やはり真冬は避けた方が良さそうだ。

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孫文は1915年から18年まで東京の原宿に住んでおり、その際、宋慶齢と結婚している。当時、陸軍にいた大伯父も原宿に住んでいた。祖母は孫文を見ていないが、伯父の妻から孫文が歩いているところを見た、という話を聞いている。孫文は宋慶齢と一緒に並んで歩いていたが、当時の日本には男性と女性が並んで歩く習慣はなく、非常に目立っていたらしい。革命家としては警戒心がなさ過ぎだった。

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中山陵から南京市の眺望

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日本軍の南京進攻に際しては、この中山陵でも戦闘が行われた。土台に見える弾痕はその際のものだという。

当時、袁世凱は孫文の首に懸賞金をかけつつ、日本政府に亡命を拒否して追放するよう圧力をかけていた。その要求を拒否して、孫文の身を守ったのは犬養毅たちだった。その犬養が統帥権干犯を盾に民政党内閣を批判、関東軍の暴走を認め、挙げ句の果てに515事件で軍人らに殺害されてしまうのは、歴史の皮肉としか言いようがない。
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2019年12月22日

ザギトワ引退の黒幕

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とある確実なネット筋(そんなものは無い)によれば、ザギトワ引退の黒幕はキュゥべぇらしい。
確かに言われてみれば、腑に落ちるばかりだ。。。
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする