2019年04月30日

伍相廟

政治思想教育の「ついで」に立ち寄った伍相廟。
春秋期の呉王闔閭と夫差に仕えた名軍師で、越王勾践に仕えた軍師范蠡との戦いで知られる。
呉越戦争に勝利した際、夫差に対して「滅ぼさねば禍根を残し、逆にこちらが潰される」と諫言するも聞き入れられず、その後も諫言を続けたため疎まれて自害を命じられ、「越によって滅ぼされるのを見るために、死後、我が目を城門の上に掲げよ」と言い残して自裁したと伝えられる。

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日本では漢文好きを除いて伍子胥の名はさほど知られていないが、「日暮れて道遠し」(吾日暮途遠)は聞いたことのある人も多いだろう。ただ、本来の意味はあまりに過酷な戦争のやり口を非難する同僚に対し、「老い先短いんだから、無理してでもやるんだ、手段を問うてる場合じゃ無い!」というキレた老人の戯言だった。しかし、現代では「年をとっても、まだまだやるべきことが沢山ある」みたいな良い話になってしまっている。
また、「死者に鞭を打つ」も楚王平王の死体を300回も鞭打ったことから来ている。
どう見ても優秀だが、人格に難がありすぎる人であり、上司にしたくないタイプである。
しかし、郷土の英雄かもしれないが、中国人は好きらしい。

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2019年04月28日

28年ぶりの思想政治教育?

嘉興市にて、ソ連留学以来28年ぶりとなる思想政治教育の実践。
とはいえ、そこは現代中国なので殆ど観光気分でユルユルだ。

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まずは南湖上の小島にある「紅船」。
1921年、毛沢東らが第一回共産党全国代表大会を開き、中国共産党の成立を宣言した「聖地」で、本来は上海にある李漢俊の自宅で開かれたのだが、早々に官憲に察知され、すぐさま全員脱出、汽車で移動した上、安全を確保するため船上で「大会」を続行した。その人数はわずか12人だったと言う。
この12人の内、日本の大学を出ているものは4人おり、時代を感じさせる。また、このうち生き延びて1949年の中華人民共和国成立に立ち会えたのは、毛沢東と董必武(日大)の二人だけだった。

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遊覧船に乗って南湖上にある小島に渡るのだが、老若男女とりどりで、仏僧のツアーも見られ、船の前でみな騒々しく記念撮影し、まぁ完全に観光地と化している。こういうところも、いかにも現代中国だ。
島自体は、清の時代につくられた別荘・庭園として存在しており、これも観光地になっている。

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船を下りて、10分ほど歩いて「英雄公園」に。
南昌蜂起から長征・抗日戦を経て国共内戦に至る殉死者を祀る記念碑だが、2006年に整備されたもの。
こちらは紅船とは打って変わって誰もいない。
今になって「英雄公園」を整備するというのは、やはり政治的思惑が見えすぎて、今ひとつピンとこない。

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さらに数分歩いて、南湖革命記念館へ。
こちらは2011年に建てられた、さらに新しい革命史の博物館。いかにも巨大で、見た目は人民大会堂にしか見えないし、金にものを言わせている感じ。そういえば、日本のバブル期に乱造された巨大公民館、美術館を思えば良いかもしれない。
こちらは学生の社会科見学を含め、けっこう人が入っている。
身分証の提示は必要だが無料で、この辺はさすが社会主義国である。

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(初心を忘れるな、のスローガンが何とも微妙)

中では、アヘン戦争から辛亥革命を経て、中国共産党の成立、内戦と戦争を経て、新中国の成立から現代に至る170年の歴史を延々と展示している。巨大な建物に3フロア分もあるので、見るだけで相当疲れる。
しかし、展示内容は意外と(思ったよりは)客観的で、陳独秀や周仏海のような「裏切り者」についても、罵倒するような記述では無く、淡々と解説している(全て中国語だから完全に理解できるわけでは無いが)。あまりプロパガンダ、プロパガンダしていないところは好印象で、普通に見ていられる。
さすがに新中国成立後になると、あれやこれや「すっ飛ばしすぎ」なところはあるものの、そこは現代にまで掛かってくることだから仕方ないかもしれない。それでも、文革前後のことなど可能な範囲で客観的に伝えようとしている努力の跡は見受けられ、ソ連学徒としては色々葛藤が想像されて面白い。

自分が中国学徒だったら、もっと楽しめたのかもしれなかったが、とにかく色々勉強になった。
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2019年04月03日

週末は周荘へ

先の週末は学生と周荘(簡体字では周庄)へ。
もともとは北宋期に仏教寺院が建てられたことに始まり、明代に水運の拠点となって商工業が発展、清代に至ったという。とはいえ、2,3千人規模の村(水郷)である。それでも一時期は、フィリピンやタイとの通商すら行ったというから、なかなかのものだ。
文革期に一部破壊されて建物は再建されたものが多いという。

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何故か村のそこここに豚足(調理済み)の専門店があるのだが、これは村の中興の祖である沈万三が、時の権力と対立してその憤懣を豚足を食べる事で鎮めた故事に由来するという。いかにも中国的な話だ。ただ、豚足の味自体は高い割にまぁまぁというところ。
秋に行った西塘はあまりにも整備されてテーマパークみたいだったが、こちらはもう少し歴史情緒を残している感じ。

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この日は中国人のバスツアーに参加する形で行ったが、ツアー代そのものは128元(約1900円)と恐ろしく安い。これに往復バス代と入園料が含まれているのだが、入園料自体が80元とかしているので、一体どういう価格体系になっているのか、考えると恐いものがある。
中国人のガイドが色々説明して、学生が少しだけ訳してくれるのだが、ガイドさんのけたたましさに比して、学生はおとなしすぎて声が聞こえないくらいだった。






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2019年03月25日

魯迅先生の墓参

日本語教師会のランチ交流会に出席するが、ちょうどすぐ脇に魯迅先生のお墓があり、墓参することにした。
どこかで行こうとは思っていたし、特に遠いわけでもなかったのだが、普段の行動範囲外だったため、つい失念していた。

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魯迅先生と言えば、やはり「同志小林の死を聞いて」(1933)の一文。
日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだまして其の血で界をゑがいた。又ゑがきつつある。
併し無産階級と其の先駆達は血でそれを洗って居る。
同志小林の死は其の実証の一だ。
我々は知って居る。我々は忘れない。
我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。

小林多喜二が特高によって撲殺された際に、魯迅が日本語で書いて中国から送った弔文である。
私は幸いにして公安によって撲殺されることはなかったが、今や同じことが起きてもおかしくない情勢にあり、日中関係も1933年ほどではないにせよ、衝突リスクは高まる一方にある。
それだけに、墓を前にして思うところも多かった。

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墓の周りは公園になっていて、魯迅記念館も併設されているのだが、いかんせん春の日曜日で凄まじい人出だったため、今回は墓参のみにして退散した。
改めて訪問したい。
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2019年03月14日

春天来了

中国にも春が来たようです。
今週になって急に気温が上がって20度近くになる日もあり、気温変化に弱い(特に暖かくなるとき)私などは軽い頭痛と倦怠感を覚えています。

最初の宿題と原稿を抱えてやや多忙にしているので、今日は中国の春を楽しんで下さい。

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どれもキャンパス内で撮ったもので、辛夷、木蓮、杏といったところでしょうか。
華東地区なので、ほぼほぼ東京と同じ植生で季節的には全く違和感が無いです。
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2019年02月27日

再び中国へ

事後報告ですが、中国に戻りました。
一ヶ月も日本にいて、確かに色々できたことも確かですが、気づいてみればあっという間でした。
休暇で帰国してまた戻るというのも、10年ぶりで懐かしい感覚。新学期の始まりは大変ではありますが、嫌いではありません。

ロシアで教えていた時よりも現地での活動に幅を持たせているだけに退屈しないことも大きいでしょう。
あとネット環境も規制があるとは言え、10年前とは比較にならないくらい整備されているので、外国にいる感覚も軽減されているような気がします。

後期は後期で科目も変わるので、また一から講義ノートを作る日が続きます。
一年目はこれだけでかなり大変なのですが、前期に比べれば授業にも生徒にも生活にも慣れているので、ストレスや負担はかなり軽減されるでしょう。

次の帰国は7月半ばになると思いますが、今後ともよろしくお願いします。

ケン
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2019年02月19日

ガンツ氏の冥福を祈る

【スイスの俳優ブルーノ・ガンツ氏死去『ヒトラー最期の12日間』で主役】
 スイスの俳優で、映画『ヒトラー〜最期の12日間〜(Downfall)』でアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)役を、『ベルリン・天使の詩(Wings of Desire)』で天使の役を演じたブルーノ・ガンツ(Bruno Ganz)氏が16日、77歳で死去した。同氏の代理人が明らかにした。同代理人によると、ガンツ氏はスイス・チューリヒの自宅で同日早朝に亡くなった。がんを患っていたという。
 映画、舞台の俳優として活躍したガンツ氏は、ドイツ語圏を代表する第2次世界大戦後の俳優で最も偉大な一人とされる。2004年には、ヒトラーが地下要塞で苦しみながら過ごした最期の日々を描いた『ヒトラー〜最期の12日間』に出演。ガンツ氏は危険かつ陰気なヒトラーを演じ、その繊細な演技は多くの評論家から比類なきものと評価された。ドイツ語圏の俳優は歴史的にヒトラー役を演じることをちゅうちょしてきたが、チューリヒ出身のガンツ氏は自身がスイス人であることが役を演じるのに必要な緩衝材になったと認めていた。ガンツ氏は1987年の『ベルリン・天使の詩』では、東西ドイツ統一前のベルリンで平凡だがもの悲しいひとときを見守る天使ダミエルを演じた。
(2月17日、AFP=時事)
ガンツ氏の逝去に際し、衷心よりお悔やみ申し上げます。

日本の報道ではスイス人であることへの言及が少なかったが、その辺はさすがAFPである。この辺の機微が分からないと、ヨーロッパを理解するのは難しい。
ガンツ氏と言えば、『ヒトラー〜最期の12日間』が最初に出てくるのは避けられず、私も彼の演じたヒトラーは最高傑作だと思う(今ではとある空耳の方が頭にこびりついているものの)。
しかし、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』で彼が演じた連邦刑事局長官役もすばらしかった。「反テロ」「自由民主主義の擁護者」として、「テロリストの人権」「自由主義者として暴力にどう立ち向かうか」を悩む姿を見事に演じた技術は全く賞賛するほか無い。DVDは持っているので、もう少し時間があれば見直したかったくらいだ。

結局まだ実写版「ハイジ」は見ていないのだが、どこかで彼の遺作も見ておきたい。
posted by ケン at 09:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする