2017年09月18日

大物スパイの邂逅

先日、会館のロビーでI国のエージェントとC国のコラボレーターが超親しげに会話しているのを目の当たりにして、「事実は小説よりも奇なり」と思った次第。まぁ気づいている人はいなかったようだけど。
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2017年09月10日

極限状態で生き残るということ

古老が「戦場ではいいヤツから死んでゆく」というのは真実で、ソ連帰りとしても実感できる。ソ連史や昭和史を学んだものなら想像できるはずだ。

戦場では「勇敢な者」「義務感の強い者」「戦友を助ける者」から死んでゆく
勇敢な兵士は危険な任務を厭わず、自ら引き受けるため、砲火が最も苛烈なところに身をさらすだろう。義務感の強い兵士は、降伏したり、勝手に退却したりしないため、死ぬまで戦うだろう。そして、戦友を助ける兵士は自ら危地に赴くことになる。

飢餓に際しては「盗まない者」「身体を売らない者」「他人に食料を分け与える者」から死んでゆく。
他所から食料を盗み、食料を得るために自らの体を売ったり、自分の女房や子どもを売ったりし、飢える隣人に自らの少ない食料を分け与えたりするものは、結局のところ飢餓を乗り越えることができない。

虐殺時には「信念を曲げない者」「仲間を売らない者」「友人を助ける者」から死んでゆく。当局や殺戮者の言いなりにならないものは殺される。自分が生き残るために仲間を当局に差し出すのが合理的選択となる。友人を救おうとする者は当局に疑われるだろう。

後に苦難を生き延びた者が美徳を称揚するのは、彼らの生が死者の美徳の上に成立しているからに他ならない。同時に権力者が美徳を称揚するのは、極限状態におけるこうした美徳こそが最も権力に奉仕するためである。

日本で言えば、ガダルカナル、ニューギニア、フィリピン、インパール、沖縄、あるいは中国戦線や特攻作戦などがこれに値する。大震災もこれに含めて良いかもしれない。
そして、我々は次の世代にこれを教えるべき時が近づいている。
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2017年09月08日

予約締切迫る!ブログオフ会

今年2月、本ブログは開設から12年を迎え、13年目に突入しました。
来年は総選挙が予想されることから、3年ぶりにオフ会を開催したいと思います。
つきましては、会場確保の都合上、大体の参加人数を確認したいので、参加を希望される方は、都合の良い日をコメント欄かメール(kenuchka@ヤフー.co.jp、カナはアルファベット)にて匿名で結構ですので意思表示ください。
場所については後日個別にご連絡します。

日時:9月30日(土)17時〜20時
場所:東京の赤坂ないしは青山
会費:3500円程度
予約締切:9月15日(金)12時

どしどしご参加ください!連絡お待ちしてます。
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2017年09月07日

沖縄米軍基地視察

今回の沖縄研修は、米軍基地の視察。秘書が行くことはごく稀だが、良い機会となった。視察箇所は、辺野古キャンプ・シュワブの工事用ゲート前と嘉手納基地、そして個人的に嘉数高地から普天間基地を睥睨した。

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辺野古の工事用ゲート前は、この日座り込みをしていたのは20〜30人程度だったが、重点日は100人を超えるという。今はあまり緊迫していないようだ。
反対運動側も警察側も暗黙の了解があるようで、工事車両が到着する時間も大体決まっていて、直前になると日陰から人が出てきてゲート前に座り込み、同じ頃に機動隊も集まってきて、「ごぼう抜き」を行う。両者ともにヒートアップを避けるため、暴力的な排除は行われず、移動を拒否するものは警官に抱えられるように脇に連れて行かれる。
基本的に沖縄県警は「無理攻め」はせず、かなり抑制的に動いているように見えたが、本土の他県から派遣されてきた機動隊になると、対応はかなり暴力的で、差別的な暴言も普通に吐かれるという。また、運動員が多いときは、搬入を見合わせることも少なくないという。
それでも老婆が突然路上に出て、トラックを止めたりするので危険であることには変わらない。

これだけ見ると「馴れ合い」に見えなくも無いが、運動側としては反対をアピールして、一日でも作業を遅らせることが勝利条件であって、もし一斉検挙などされたら、後は「工事し放題」になってしまうから、これを避ける必要がある。
逆に警察、特に沖縄県警からすると、反対世論が強い沖縄で反対運動家を手荒に扱うことは、反対運動の激化に繋がるだけで何も良いことは無い。住民の半数以上を敵に回せば、沖縄の治安は守れなくなるだけに、避ける必要がある。だが、本土の機動隊は「そんなの関係ねぇ」の世界なので、政府の意向に従って武力弾圧も辞さない構図になっている。

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嘉手納飛行場は、3.8kmの滑走路を二本有している空軍基地としては極東最大の規模を誇る。但し敷地面積で言えば岩国の方が大きいが、こちらは米海兵隊と海上自衛隊の共用である。嘉手納は200機前後の航空機が常駐、平時から激しい訓練を行っており、基地としての稼働率も非常に高い。ベトナム戦争期には、ここから毎日150機からのB52が飛び立って北爆を実行した。その一つだけとっても、日本はベトナム戦争の加害者と言える。併設されている弾薬等貯蔵施設には、現在の劣化ウラン弾が置かれているという。
つい最近でも、2017年3月にうるま市の住民が夜間騒音の記録を取ったところ、同月の一カ月間の深夜帯に30回の爆音が確認され、うち21回は午前2時から4時までの間だったという。日本政府の見解では、1996年のSACO合意における「航空機騒音規制措置」で、午後10時から午前6時までの飛行、地上活動に規制がかけられているが、全く機能していないことが分かる。

道の駅「かでな」は、嘉手納基地の北隣にあり、展望台が付いているため、反基地運動家と航空機オタクのたまり場となっているが、確かに飛行場全体を見渡す絶好の場所と言える。私が訪れた際も、F15が頻繁に離着陸を行い、飛行場周辺を何度も旋回したり、アクロバティックな運動をしたりしており、居住地への隣接ぶりを見ても、その騒音被害と事故への恐怖は尋常のもので無いことは容易に想像できる。この辺もやはり現地を見て体感しなければ分からないことが多い。

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普天間基地は、辺野古への移設が予定されている米海兵隊の飛行場。こちらは時間の関係で嘉数高地から一望するだけとなったが、上から見下ろすだけに住宅地との近接具合が良く把握できた。那覇市の発展に伴い、宜野湾市も通勤圏となった関係で恐ろしく手狭になっている。確かに基地としての規模は小さい上に、住宅地が全周囲を囲んでおり、「世界で最も危険な基地」と言われるのもよく分かる。
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2017年09月06日

沖縄戦跡ツアー

研修で沖縄に行き、翌日はフリーだったので戦跡巡り。沖縄を一泊二日とはあまりにもったいないが、時期が時期なので、行かせてもらえただけで満足すべきだろう。映画『沖縄決戦』を見た者なら夢に出てきそうなところばかりで、私も近々復習用に見ることにしたい。

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【嘉手納】
1945年4月1日、米海兵師団と歩兵師団の計4個、6万人が嘉手納海岸に上陸、沖縄本島の戦闘が開始される。現在の嘉手納飛行場は当時「中飛行場」と呼ばれ、当時も最大の飛行場だった。32軍司令部は当初から長期持久を方針としていたため、沿岸での抵抗は行わなかった。そのため、米軍側は「エイプリールフールか?」といぶかしんだとされる。この方針は大本営も了承していたが、中飛行場が占領され、米軍機が離発着を始めると、32軍に反撃要請の作戦介入を行いはじめ、32軍司令部内でも積極派と慎重派の対立が生じた。

道の駅「かでな」は展望台があって、同飛行場を一望できる。飛行場の向こう側に見える高地にいわゆる「賀谷支隊」が配置され、名台詞「本島西海岸一帯は米艦艇のため海の色が見えない」「船が7分に海が3分」が吐かれた。残念なことに、道の駅の展望台からは建物が多く、海の色は殆ど見えない。米軍基地についての解説は次の機会に。

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反射面陣地跡

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嘉数高台北方、沖縄戦最大の戦車戦が繰り広げられた

【嘉数高台】
沖縄戦で最も激しい戦闘が繰り広げられた箇所の一つ。沖縄本島の「くびれ」部分に当たり、陸地が最も狭くなるのと、前後に高台が多いため、自然と「絶対防衛線」になる。特に嘉数は、背後が首里と那覇になるため、米軍にとっても「最短ルート」だった。また、沖縄は石灰岩が非常に多く、これを天然の要害とし、反対斜面に地下壕を掘って米軍の砲撃をやり過ごし、米兵が上ってきたり、回り込んできたりしたら反撃するという戦術を2週間にわたって繰り返した。この嘉数の南側に映画『ハクソーリッジ』の舞台となる前田高地があり、嘉数から退却してきた部隊を収容している。今回、前田高地は、那覇に戻るバイパス途上から眺めるだけに終わった。現在では嘉数高台は公園として整備され、展望台から普天間基地を見下ろす絶好地となっている。

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第32軍司令部壕入口

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【首里城】
第32軍司令部が置かれた場所で、市街地の那覇からは9kmほど内陸にあるが、那覇を見下ろす高台の絶好地にある。南部の中心点となるため、司令部を置くとなると確かに首里しかない感じ。実際の司令部は首里城の麓から掘られた地下壕になるが、現在では埋まってしまっていて、外から入口を眺めるだけになっている。その入口すら、首里城の観光案内地図には掲載されておらず、案内所で位置を確認した次第。外から眺めて、映画と八原参謀の回顧録で脳内補完しまくり。

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司令官室

【小禄】
那覇軍港と海軍飛行場を臨む丘に海軍根拠地隊司令部壕がつくられ、戦争で入口などが埋まってしまったものの、戦後復元して公開されている。映画『沖縄決戦』はそのままロケで使っているため、役者(大田中将役=池部良)の大熱演もあって臨場感がハンパ無い。中は意外と涼しかったが、所々地下水が湧いており、凄まじい湿気だった。玉砕前には負傷者や軍属を含めて数千人が立てこもり、立錐の余地も無く、立ったまま寝た者も少なくなかったという。実際に車で回ってみると、小半島なので首里防衛線が抜かれると容易に孤立してしまうことが分かる。

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平和祈念資料センターから摩文仁丘を眺む

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摩文仁丘から海岸線を眺む。崖から身投げした人も多かったという。

【摩文仁】
首里城を撤退した32軍司令部が最終防衛拠点に定め、天然洞窟を利用して司令部壕をつくるも、首里撤退後は指揮統制が大きく乱れ、避難民の流入も相まって、組織的な抵抗はかなり限定的なものになっていた。6月20日には摩文仁に米軍が到達するも、なおも抵抗を続け、各壕には爆雷が投げ込まれ、火炎放射器で攻撃され、海に繋がる崖から身投げするものは、女子生徒を始め、跡を絶たなかったという。6月23日に、牛島司令官を始め最高幹部が自決し、組織的抵抗は終了、この日が沖縄戦慰霊の日となっている。資料館の展示も、本土の戦争博物館とかなり色合いが異なり興味深かった。ただ、公園と丘はかなり広く、今回は時間が足りず、司令部壕入口までは間に合わなかった。
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2017年08月29日

水戸の春

8月27日、超帝国大日本のイバラキスタン自治州にて政変が発生、在位24年になるハシモトフ大統領が退任した模様。詳細は不明。

以下、写真は橋本昌茨城県知事、ナザルバエフ・カザフスタン大統領(在位23年)、アカエフ・キルギスタン大統領(同15年)。

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アパラチキ(党官僚)に共通する権威主義がなせる業なのかと。
以下、参考までにブレジネフとチェルネンコ。

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2017年07月28日

日時決定:ブログオフ会の開催について

今年2月、本ブログは開設から12年を迎え、13年目に突入しました。
来年は総選挙が予想されることから、3年ぶりにオフ会を開催したいと思います。
つきましては、会場確保の都合上、大体の参加人数を確認したいので、参加を希望される方は、都合の良い日をコメント欄かメール(kenuchka@ヤフー.co.jp、カナはアルファベット)にて匿名で結構ですので意思表示ください。
場所については後日個別にご連絡します。

日時:9月30日(土)17時〜20時
場所:東京の赤坂ないしは青山
会費:3500円程度

どしどしご参加ください!連絡お待ちしてます。
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