2018年01月19日

黄檗宗大本山萬福寺

今回の京都旅行でもう一つ印象深かったのは、三大禅宗の一つ黄檗宗の大本山である宇治の萬福寺。カンフー映画に出てきそうな、いかにも中国風のお寺。聞くところでは、寺僧の話し方から作法まで明朝期のスタイルが継承されているというから、意識的に中国流を貫いているのだろう。

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徳川家綱の時代に明の隠元僧正を招聘して創建された。本来は要請を受けて弟子が渡航するはずだったが、船が難破し不明になり、弟子の遺志を遂げるために本人が来日、三年で帰る予定が将軍家からも懇請され、寺を建て日本に骨を埋める覚悟をされたという。この点からも、いわゆる「鎖国」という歴史用語の適切性が問われよう。
寺名は中国の本坊をそのまま継承しており、中国福建省にも同名の寺がある。

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庭や建物が中国風なので、ちょっとしたテーマパークな感じもするが、それ以上に驚かされるのは山門の正面にある本堂(天王殿)に安置されている本尊。キンキラキンの布袋様が恐ろしくニッコリして鎮座ましているのだが、何でも弥勒菩薩の現世における姿形だという。いかにも「良く来たな、まぁ座れや」という感じで「オレ、ホントはミロクなんだけど」と言われても、どうにも違和感しか覚えない。しかも、その背後を守っているのは韋駄天様で、陸上関係者が続々と祈願に来るらしい。禅宗なのに、妙に生々しい気がするのだが、そこも中国流なのかもしれない。

なお、隠元和尚は、インゲン豆、スイカ、レンコン、孟宗竹、巻繊汁などを日本にもたらし、江戸期の食革命の起源にもなった。
posted by ケン at 11:44| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

大山崎天王山に登る

昨夏から秋にかけては大忙しだったこともあり、この年末はゆっくり休ませてもらった。その最後に母妹と京都旅行に出た。「西山方面を回りたい」という、ややマニアックなコンセプトだったので、ケン先生からは「自分は天王山に登りたいであります!」との要望を出して実現させた。
幸いにして、妹が山崎にあるアサヒビール美術館に行きたがっていて、そこは天王山の登山口でもあったので、願ったり叶ったりとなった。自分はレンタカーを借りて運転するが、京都市内からは30分強で着いた。

同美術館は元々、関西の実業家であった加賀正太郎の別荘で、死後荒れていたものをアサヒビール社が買い取って美術館として再建している。英国様式大正モダン建築の典型で、天王山の登山口にあり、京都盆地や桂川・宇治川を一望する絶景を楽しめる。この建物と景色だけでも訪問する価値がある。
天王山自体は標高270メートルほどしかないのだが、麓の標高が低く、凄い急勾配になっている。駅から美術館・登山口に行くまでも、非常に急な坂を15分ほど上る必要がある。

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山崎合戦に際して羽柴秀吉が天王山に本陣を置き、明智勢を敗走、光秀を敗死させたことで「天下分け目の天王山」として知られるようになったが、現実の天王山は関ヶ原ほどの知名度はなく、訪れる人もまばらなようだ。
秀吉の陣は、美術館のある登山口から30分ほどだが、なかなかの急勾配でちょっとした山登りになる。ゆっくり登れば問題ないが、山頂まで行くとなれば、相応の準備と覚悟が必要かもしれない。その途中には、大阪平野を一望できる展望台もあり、京都盆地と大阪平野の両方を見下ろせる国境の重要高地であることが分かる。
秀吉が千成瓢箪を掲げた展望台からは、京都盆地を一望すると同時に、山崎や桂川・淀川を見下ろせる。ここまで登るのに30分以上かかるのだから、現代軍事学で言うところの高地効果を得るほどではなかったかもしれないが、明智勢の布陣を確認できたのは間違いない。実際、現代の軍事研究は「天王山を奪取したことが戦局を決したわけではない」と結論づけているようだ。

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なお、案内板には「明智方は開戦直後に敗走」旨が書かれていたが、最新の研究では明智方は日没近くまで奮戦するも、羽柴勢が淀川を迂回して明智の背後に廻る姿勢を見せたため、裏崩れを起こした、ということになっている。秀吉は間接アプローチ好きなので、恐らくそれが正しいのだろう。
余談になるが、同じく最新の研究では、開戦直後に一方が敗走して終了したのは、むしろ関ヶ原だったとされており、非常に興味深い。やはり勝者は歴史を改ざんする、ないしは歴史家は勝者に阿る傾向があるのだ。

天王山に登って山崎の古戦場を眺めてみると、数万の兵を率いて岡山から三日で戻った秀吉は「最初から分かっていたのでは」という気がするし、逆に明智光秀は全く予想していなかった羽柴勢の急着に対して、細川勢なしで1万6千人を動員して山崎に布陣できたこと自体、大したものだと思った次第。
そして、羽柴勢の京侵入を防ぐには、西山と桂川が扼して狭まっている山崎に陣取るほかなかったことがよく分かる。やはり参謀旅行は重要だ。

なお、光秀は敗走中に小栗栖の竹藪で土一揆勢に殺害されたというが、実際あの辺りは現在ですら竹林が多く、追及を避けるために竹藪に入ってしまい、動きが取りづらくなって槍で突かれてしまったことが容易に想像できる。これも現地を見て回った成果だろう。
posted by ケン at 12:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

2018年を迎えて

明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。

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例年は一年の課題的なものを長々と書いていますが、今年は簡素にいきます。
昨年秋に行われた総選挙で野党第一党が分裂して大敗、その影響は今後もしばらく続くと思います。
得票を単純に比較すると、与野党は殆ど対等だったわけですが、選挙制度ゆえに議席数は与党、特に自民党が他を圧倒しました。自民党は、2012年、14年に続いて三度連続の圧勝となったわけですが、その結果、政官業報の癒着・腐敗がますます進行しています。
他方、野党を見ても、2年半おきの総選挙、参院選を含めると毎年のように選挙がある上、大衆的基盤の無い野党第一党が離合集散を繰り返しています。結果、政治家をめざすのは、金と暇が有り余っている人か、人生を「一発逆転」に賭けようとする者ばかりで、与野党を問わず、凄まじい勢いで政治家の劣化が進んでいます。

自分が永田町で見ていて実感を強めているのは、「この国は、あらゆる面でポイント・オブ・ノーリターンを越えてしまった」ということです。
私などが言うまでもないことですが、民主的議会制度の最大の利点は、民意に基づく政権交代を通じて、行政を監督しつつ、立法面から社会の改良を繰り返してゆくことにあります。ところが現実には、与野党ともに劣化が著しく、行政監督能力が低下、政官業報の癒着・腐敗が抑えられなくなると同時に、立法を通じての社会改良も社会変化に追いつかなくなっています。
しかし、社会改良が進まず、劣化が進むばかりなのに、投票率の低さも相まって政権交代が起こらず、ただ不満をため込むばかりの構造になっています。その不満の向かう先は、近隣諸国であったり、国内の外国人であったり、社会的弱者であったりしています。

若干の間をおきながらも、この15年間、自分なりに問題提起しつつ、悪戦苦闘してきましたが、「いよいよどうにもならん」という思いを強くすると同時に、自分の身を守ることを優先すべき時が来ていると感じています。
年齢的にも転身可能な最後の年代でしょうし、逆にあと15年、20年とこの仕事を続ける自分というのもイメージが付かないということもあります。自分が言うべきこと、やるべきことはやったので、新たな世界に目を向けたいというのが本音です。
詳細は、話が具体化したら、改めて報告しますが、どうやら本ブログの「激闘永田町編」も本年でひとまず終了しそうです。

もちろん、ブログ自体は続けますので、どうか今後もお付き合いいただけたら幸甚です。
posted by ケン at 18:43| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

曾祖父の肖像2

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1906年、満服のコスプレで撮影された曾祖父。東京帝国大学史学科で東洋史を専攻、中国哲学とインド哲学の研究をしていた。銀時計を下賜されて卒業の後、北京の京師大学堂に招聘され、近代歴史学と(王朝史ではない)東洋史を教授、近代史学に基づいた中国史、東洋史の再編の礎を築いたという。

7年の滞在を経て、日本に帰国した後もこうした格好に長い付け爪を蓄えて街を闊歩し、奇異の目で見られたらしい。大正文人の間ではなかなかの人気者だったようだ。写真はニューラルネットワークによる自動色づけ。

これを撮影した山本讃七郎は、安政生まれの写真家で、日清戦争後に中国に渡って北京で写真館を開業。1904年5月3日には清朝宮廷から頤和園に招かれ、西太后を撮影している。Wikipediaで同氏の写真が公開されており、非常に興味深い。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

菊花壇展 新宿御苑 2017

新宿御苑で開催中の菊花壇展に行く。15日までの開催。
今年は天候のせいか、いささか地味な印象。写真では分からないと思うけど。

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posted by ケン at 23:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

衆愚政治のモデル

「こんなに笑えるものなら、東京五輪なんかやめて総選挙を10回やれば、10回楽しめて費用は3分の1だ」

大衆が政治にあり得ない高潔を求めた結果、政治家の知的水準が劣化、見せかけの大義と縁故政治が跋扈し、衆愚が進行、独裁を求める声が大きくなるという、"Mobocracy"の典型例だな。自分もいい年だし、後のことは優秀な若者に委ねようかと思わなくも無い。

【追記】
RM党への過剰な期待は禁物。「排除に抗する」という結党理念上、選挙後、希望などからの脱落者を大量に受け入れざるを得ず、ふたたび「民主党」化してしまう流れは避けられないためだ。代表が言うように「ボトムアップ型」の組織がつくれれば多少は異なるだろうが、大衆政党の経験を持たない人たちにそれができるかどうか。
posted by ケン at 08:07| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

自民党の駅立ちはプロ棋士の穴熊

昨晩、自民党候補が某駅で秘書と夜立ちしているとの報告を受ける。報告的には「自民党も夜までがんばってる」的ニュアンスを含んでいるが、「まぁ落ち着け」となだめる。原則的に自民党の選挙は、夜はいくつもの宴席を分刻みではしごするというもので、それが駅頭に立っているということは、「誰からもお声がかからない可哀想な人」であることを示している。まして金曜の夜ならなおさらだ。そもそも自民党候補の駅頭立ちなど、プロ棋士がアマチュアに対して穴熊を組むような話で「みっともない」行為であるという尊い伝統は失われているようだ。
posted by ケン at 08:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする