2016年01月13日

【追悼】D・ボウイさん逝去

【時代動かしたロック歌手=東西ドイツ統一にも影響−ボウイさん死去】
 音楽だけでなく映画やファッションにまで多大な影響を与えた英国歌手デビッド・ボウイさん。その活動は東西冷戦を象徴した「ベルリンの壁」崩壊にさえ及んだとされる。AFP通信によると、ボウイさんはこれまでにレコードなど約1億4000万枚(推定)を売り上げた。1970年代には「世界を売った男」(70年)や「ジギー・スターダスト」(72年)で独特の世界観を打ち出し、そのスタイルは中性的なファッションやルックスが特徴の「グラム・ロック」と呼ばれる。ボウイさんは76年、麻薬などに依存していた米国での生活に別れを告げ、東西冷戦下の西ベルリンに移住、3年間暮らした。西ベルリンではアルバム「英雄夢語り(ヒーローズ)」(77年)に代表される作品を制作した。「その特別な体制や緊張感、壁がもたらす影響など、ベルリンにいなければあの時の音楽は作れなかった」と後のインタビューでボウイさんは語った。壁が崩壊する2年前の87年には、壁に近い現連邦議会議事堂前でコンサートを行った。壁越しで聴いていた多くの東独民衆を西側へ引き寄せながら、ヒーローズを歌った。独外務省は11日、「さようなら。今やあなたはヒーローだ。壁崩壊を助けてくれてありがとう」とツイッターに投稿した。
(1月12日、時事通信)

デビッド・ボウイさんの訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
デビッド・ボウイは、中学生の時のヒーローでした。当時は、まだアナログ・レコードの時代で、中学生の小遣いで買えるはずもなく、ちょうど普及し始めたレンタル・レコード屋さんで借りて聞いたり、カセットテープに落として聞いたものだった。ちょうど「レッツ・ダンス」が一世を風靡した時代だったが、私は過去作品も聞いて、結局「ジギー・スターダスト」と「ハンキー・ドリー」の二作がいちばんのお気に入りで、これだけはCDも買い直した。やっぱ少し陰鬱なイメージの残る、グラム・ロック時代の曲が印象に残っている。CD版のボーナストラックにある、ジギー・スターダストのギター弾き語りと、レディ・スターダストのピアノ弾き語りは鳥肌物だった。

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部屋で発掘されたCD。ハンキー・ドリーは何故か見当たらなかった。

そして、『戦場のメリークリスマス』。私が初めて見た、旧軍の負の側面を正面から描いた映画だったが、それ以上に「デビッド・ボウイと坂本龍一」という組み合わせに惹かれて見に行き、「この2人が出れば、どんな映画でも売れるよな〜〜その上、この配役というのは、大島監督は凄い人だ」と素直に感心したものだった。もっとも後に、色々断られて、結局この配役になったことを知ったのだが、それでもこの配役と(柔らかい)同性愛表現が衝撃的だったことは間違いない。
それにしても、この作品が昨今ロードショーされていたら、映画館が右翼に焼き討ちにされていた恐れがある。まったく隔世の感がある。

結局コンサートには一度も行かなかったのだが、これは「ZIGGY STARDUST THE MOTION PICTURES」のビデオを見て、イメチェン後のコンサートを見て幻滅することを恐れたためだったが、今となっては惜しい気もする。
久しく聞いていないので、供養を兼ねてCDを回してみようかと。
posted by ケン at 12:42| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

新年の挨拶:2016年を迎えて

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明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。
本ブログも無事11年目を迎えることができました。永田町で日々感じ、考えていることを備忘録的に書くことから始まりましたが、マスメディアが本来の機能を発揮しない現在となっては、現場で直接見聞きしたことや、周辺情報から類推される政府・政権党の内部事情を伝えるツールにもなっていると自覚しております。

この間、様々な歴史書を読んで感じるのは、一般的に「歴史」として流布されていることの多くが時の権力者によって改ざんされたり、あるいは権力者の意向に沿って書かれており、往々にして事実と異なっているということです。また、事実とは違わないまでも、見る立場によって視点や考え方が大きく異なっており、一方的な視点からのみ見ていると、大きな見落としをしてしまいます。
メディアの本来の役割は、政府や権力者が隠そうとしている情報を伝えることで、主権者が客観的な評価を下せるようにすることにあったはずですが、今日ではメディアの存在が自己目的化してしまい、政府・政権党から下賜された特権を保持するために、権力に奉仕するものとなっています。自民党と安倍政権の権威主義は、彼らのみによって成立しているのでは無く、財界やメディアと、権威主義を支持する国民に基盤があるわけで、この構図はナチス・ドイツや戦前の日本にも共通しています。
その意味で、野党の第一線にあるものが、何を見て、どう考えているのか、記録しておくことは、読者の皆さんに判断材料を提供しつつ、歴史資料にもなる、というのが私の考えです。

さて、今年は同日選になるかはともかく、衆議院と参議院の両方で選挙となる可能性が高く、結果次第では一気に憲法改正、権威主義体制の確立へと動いて行く第一歩になります。
現状では、自民党は必ずしも強い支持を受けているわけではありませんが、無関心層が多いことと、野党に対する不信が非常に強いことによって、相対的に自公体制が安定している構図です。2007年の参院選と09年の衆院選において民主党が自民党に勝てたのは、自民党の支持母体の一部を切り崩しつつ、無関心層の動員に成功したためで、その功績の大半は小沢一郎氏にあると思います。同時に、民主党が2012年の選挙以降、全く票を集められなくなった(旧社会党よりもはるかに少ない)のは、その政策と主張が自民党とほぼ同じになってしまったことにあります。つまり、たとえ維新残党と合流したところで、従来の主張をしている限り、決して票は集まらない、ということです。党員としては残念ながら、今の民主党には「支持される理由」「アベよりマシな理由」について挙げられるだけの根拠がありません。
他方、自民党はTPPによって財界を、軽減税率によってKM党とマスメディアを統制下に置くことができたので、「他に選択肢が無い」という理由も相まって、「相対的に自民が野党を圧倒する」図式になっています。

こうした不利な戦況を覆すのは全く容易ではありません。が、日本政府と自民党は無理に無理を重ねて財政と経済の現状を支えている格好であり、いつ崩壊が始まってもおかしくないところに来ていることも確かです。不利なら不利で「これ以上、悪化させない」というのも立派な戦い方であり、今夏の参院選は「自公に改憲に必要な3分の2をとらせない」という辺りが関の山でしょう。「それでは社会党と同じでは無いか」と言われそうですが、現状の民主党は社会党ほども票を得ていないのですから、そもそも戦いになっていないのです。問題は、時間を稼ぐ間に「自民党とは異なる」野党をつくることにありますが、それこそが最大の難問だというのが私の認識です。

新年早々暗い話で申し訳ありませんが、どうか本ブログを通じてわが闘いを見守って頂ければ幸いに存じます。
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2015年11月14日

シュミット元西独首相の逝去を悼む

【旧西ドイツのシュミット元首相が死去、96歳】
 冷戦時代に西ドイツの首相を務め、その後も積極的に政治にかかわり続けたヘルムート・シュミット氏が10日、出身地の独ハンブルクで死去した。96歳だった。独議会と私設の事務所スタッフが同日、CNNに語った。シュミット氏は1974年、社会民主党(SPD)から2人目となる首相に就任。82年に連立政権の崩壊とともに退陣し、ヘルムート・コール氏が後任に就いた。首相時代の前後には国防相、財務相、臨時の外相も務めた。その後も90年の東西ドイツ統一を経て、2002年に83歳で心臓発作を起こしバイパス手術を受けた後も、政治に関する発言を続けていた。
  訃報を受けて、国内外から追悼の声が寄せられた。シュタインマイヤー独外相はツイッターで「深い悲しみ」を表明した。北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、シュミット氏を「欧州統合への信念を持った立派な政治家」「強固な防衛と対話は共存可能だと熟知していた、見識ある指導者」とたたえた。欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁も「欧州は偉大な指導者を1人失った」と述べ、「シュミット氏の知識と温かい人格を尊敬していた」と振り返った。
(11月11日、CNN)

ヘルムート・シュミット元西ドイツ首相が逝去されたと聞き、心からお悔やみ申し上げます。

シュミット氏は「政権を取る社会民主主義政党」のシンボル的存在であり、右派社会党の系譜を自認する私にとって目標の一つだった。ドイツ社会民主党(SPD)は、1969年から1982年までの13年間にわたって自由民主党と連立政権を組んでいたが、当初首相を担っていたヴィリー・ブラントがスキャンダル事件(秘書が東独シュタージの協力者だった)で辞任したのを受けて、国防大臣だったシュミット氏が首相の座を引き継ぎ、82年に自民党が連立を離脱するまで続いた。ただ、党首の座は左派寄りのブラントが担い続け、シュミット氏は首相ながら副党首だった。これもドイツらしい現実主義の表れであり、日本では想像しがたい。

シュミット氏は、1939年から45年まで国防軍にて兵役を担い、独ソ戦に参加、後に士官になり砲兵中尉。戦後すぐにSPDに入党し、ハンブルク市の職員となったが、再軍備後は連邦軍予備士官も担い、予備役少佐になっている。再軍備に反対した社民党にあって、国防大臣時代には、徴兵期間の短縮、国防大学の設置、長髪の容認、女性軍人の限定的導入などを実現、首相としてはパーシング2を導入、国防力増強と併行して対ソ軍縮交渉を進め、ドイツ赤軍に対して警察力の行使を厭わないという、一筋縄ではいかないリアリストぶりを見せている。
同時期の日本社会党では、左派出身の委員長が続き、自衛隊廃止論や非武装中立論が唱えられていたことを思えば、政権担当能力の点であまりにもかけ離れていたことが分かる。逆に民社党は急速に右傾化し、有事法制の制定や原発推進を訴え、韓国やチリの反共軍事独裁政権を称賛するという状況にあった。
ドイツ社会民主党は、安保・外交分野で現実主義を貫きつつ、社会保険や年金制度の整備を続け、最低賃金や労働時間短縮も進めたのである。

もっとも、シュミット氏は2000年代に入ってからも原発政策を支持しており、国防軍潔白信者であり続け、国防軍の評価見直しに対して激しく反発したというので、この点でも単純な評価は難しい。
私は一度だけ(たぶん)SM党旧本部でお見かけしたことがあるが、特別大きいわけではないものの、老齢ながら体格が良く、とにかく風格を醸し出していた記憶がある。さすが独ソ戦の生き残りというべきか、目力が凄かったことが思い出される。恐ろしくヘビースモーカーで、90過ぎても行く先々で「禁煙」が一時的に解禁されるという話だったが、どうやらどこでもタバコに火を付けてしまうのだが、誰も「禁煙です」とは言えない雰囲気だったようだ。確かNHKのインタビューでも、SM党本部での講演会でも、タバコを吸い続けていた。

日本において、自民党の永年一党優位体制と際限なき右傾化を許してしまった一因が、一人のシュミットも輩出できなかった社会党にあることを思えば、改めて「どこで道を踏み外してしまったのか」と考え込んでしまう。
ちなみに戦後卒業したハンブルク大学の卒論は、「ドイツの通貨改革と比較した日本の通貨改革」だったという。
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2015年11月07日

連続殺鯉事件

この間わが家を震撼させてきた「連続殺鯉事件」。
庭池の鯉の数が合わず、かといって死体も確認されず、池の端が水びたしになっていることから、当初、犯人像は「ネコかカラス」と思われてきた。だが、先日未明、家人が未遂現場を目撃、真犯人は「アオサギ」であることが判明した。
まさか東京の、しょぼい庭池に飛来していたとは想定外もいいところ。確かに野川ではよく見かけるようになったが……
急遽対策会議がもたれ、「(セッターのような)鳥撃ち犬の導入」と「フェンスの設置」で意見が分かれ、財政上の理由から後者に決定されたものの、わが家の防衛力増強という点では一致を見た。
冤罪容疑を掛けたネコ殿とカラス殿には心からお詫び申し上げる。
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2015年09月23日

小県へ行く

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小県に行きましたが、カメラを忘れたのでパンフだけ。
上田城は何十年かぶりで、歴史知識を身につけて改めて見ると、小県を部分支配している程度の小大名の城としては相当に大きいことが分かります。第一次上田合戦で真田方に2千人強もいたことは、徳川方にすれば全く想定外の動員力だったに違いない。上田盆地だけで2千人動員とか無理ですから!沼田領もあるとはいえ、100km以上離れているから動員は非現実的。
たぶん徳川方としては7対1を想定していたものが、蓋を開けてみれば3対1、城の防御効果で1対1になってA2Rみたいな結果。昌幸としては、2千人いるのを5百人くらいに見せて、挑発したのだろう。
いや、百聞は一見にしかず。大河ドラマが始まる前に見ておくことをお勧めします。

別所温泉では『真田太平記』で幸村が密偵と落ち合っていた温泉へ。
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2015年08月29日

警察によるデモ隊撮影から考える権威主義と民主主義

明日8月30日には安保法制・集団的自衛権行使に反対する全国的なデモが行われるが、同時にその裏では公安警察が総動員されて、参加者の肖像撮影、リスト化が準備されている。それに対して、一部の弁護士らが「肖像権の侵害」「憲法違反(表現の自由、集会の自由、幸福追求権に対する侵害)」を訴えているものの、当局は全く取り合うつもりがなさそうだ。

この問題については1960年代の学生運動において一つの判例が出ており、基本的に当局はこれに準じていると主張している。京都市公安条例違反デモ事件(1969年)がそれだ。デモに参加した学生が、京都府警によるデモ隊の撮影を妨害したとして、公務執行妨害罪で起訴された。被告の学生はプライバシーの侵害を訴えるも有罪となり、上告したものの、棄却されて有罪が確定した。判決の要旨的には、
「警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」

「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であって、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行なわれるときである。このような場合に第三者である個人の容ぼう等を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しない」

「本件写真撮影は、現に犯罪が行なわれていると認められる場合になされたものであって、しかも多数の者が参加し刻々と状況が変化する集団行動の性質からいって、証拠保全の必要性及び緊急性が認められ、その方法も一般的に許容される限度をこえない相当なものであった」

というものだった。その後、この判例が継承され、今日に至るまで、デモ隊参加者の肖像撮影が合法化される根拠となっている。
この判例に則っては、公安警察などがデモや集会参加者を撮影しているということは、日本の警察は、

「デモや集会参加者は犯罪予備軍である」

「デモや集会は現在進行形の犯罪である」


のどちらかの認識の上に立って、「集団行動だから証拠保全の必要性及び緊急性が認められる」と判断、「一般的に許容される限度内で撮影」していることを意味している。要は、日本の警察的には、デモや集会に参加することは、犯罪行為であるか、犯罪準備をしている、という認識なのだ。これを権威主義と言わずして何と言うべきだろうか。それこそ、明日の全国行動について主催者側は、全国で100万人の動員を豪語しているが、警察がデモ参加者を撮影すれば、参加者全員が「犯罪者」ないし「犯罪予備軍」であるという認識を示すことになるが、とうてい現実的あるいは合憲的とは思えない。

デモクラシーの原理は、主権者全員が国家の意思決定に参加する前提の上に成り立っている。議会制民主主義は便宜的に主権代行者を選挙で選出して議会を構成しているわけだが、議会に代議員を送り出したからといって、市民が有する主権が失われるわけではない。大多数の市民は日常生活を送る中で、常に意思決定に参画することは現実的に不可能であるため、便宜的に代議員を議会に送っているだけだからだ。この代議員、あるいは議会が十分に機能せず、主権(市民の意思)が十分に国政に反映されていないと考えられる時、市民は積極的に街頭に出て自らの主権を提示、政治的意思を直接訴えることが許されている(集会、結社の自由)。少なくとも、デモクラシーの原理上、デモや集会などの直接民主主義は、「許されている」というレベルでは無く、「積極的に行うべきもの」という義務に近いものと考えるのが筋なのだ。その意味において、「投票は権利」「デモや集会は権力者の許可を得てやるもの」と考えている日本人は、全くデモクラシーの原理が普及していないと言える。

つまり、デモや集会などのデモクラシーの要を「犯罪」と見なす日本政府(霞ヶ関、桜田門)の国家観は、甚だ反民主主義的であり、この時点で戦後憲法を否定してしまっている。そして、民主主義を肯定する国会議員は、法務委員会や内閣委員会で、デモ隊撮影の合法性と法的根拠を徹底的に追及すべきである。これは安倍政権の問題では無く、帝国の本質部分を憲法改正によって継承してしまった戦後国家のあり方が問われているのだ。
posted by ケン at 10:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月25日

富士総合火力演習2015

ケン先生後援会(偽)の皆さんとともに参観。
前夜まで仕事をされていた方ばかりなので、今回は始発電車で現地入り。埼玉に住む人は4時台の電車だった。それでも御殿場駅に着くのは7時23分で、すでにシャトルバスが出ている。バスに乗って会場に着いた時は8時を回っており、中央のシート(地べた)席はすでに満席、端の方から入ってそれでも前から6〜7列目程度という有様。
やはり良い位置を確保するためには超早朝に車で来ておく必要があるようだ。前回の記事を読む限り、6時に着いていれば十分そうだ。
だが、前回とは異なり、事前の「練習」のようなものがなく、10時過ぎの開始までひたすら待つことに。経費削減なのだろうか。本番も以前見たときよりも微妙に炸薬量が減らされている気がする。着弾時の爆発や煙の量が少ない。
それにしても、前回も思ったが、砲の発射音が聞こえて着弾までの時間、着弾の爆発が見えてから爆発音が聞こえるまでのタイムラグが、わずか数秒の世界なのに非常にリアルに聞こえる。映画では体験できないものの一つだろう。

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内容的には、時勢を反映してか、「某国の離島侵攻に対する奪還作戦」という想定が非常に強調されている。だが、尖閣に中国軍が上陸し、自衛隊が奪還作戦を行うという想定が本当に「リアル」なのか、そもそも米軍が介入を拒否した場合、自衛隊単独で行う(行える)のか。より正確を期せば、安保条約の内容的に一度占領されてしまった島嶼に対して米国が日米安保を発動する可能性は極めて低い……などということを考えてしまう。

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会場には、現役の自衛官や海外の軍人も見られたが、女性自衛官が増えているように見える。女性自衛官は、いくら短髪にしていても、ロシア軍の女性兵士や士官に比べるとどうしても可愛らしく見えてしまう。

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今回初めて10式戦車を見た。確かにコンパクトで非常に俊敏なのだが、やはり老いた戦史好きの目からすると「頼りなさ」が気になる。年寄りとしてはやはり74式が一番戦車のイメージに合いますな。いつまでも現役というわけにはいかないのだろうけど。もっとも、グルジア紛争やウクライナ内戦ではT72が現役バリバリなんだけど。
posted by ケン at 12:29| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする