2018年09月01日

入試差別問題の論点

【「誰にも言うな」前理事長が口止め…減点操作】
 東京医科大(東京)が医学部医学科の一般入試で、女子と3浪以上の男子受験者の合格者数を抑制していた問題で、臼井正彦前理事長(77)が担当課長に女子や浪人生の得点を減点する操作を指示した上で、「誰にも言うな」と口止めしていたことが、関係者の話でわかった。大学を運営する学校法人のトップ自らが、秘密裏に不公正な入試を進めていた構図が浮かび上がった。
 同大は、一般入試をマークシート方式の1次試験(400点満点)と、小論文(100点満点)と面接による2次試験の2段階で実施。関係者によると、今年の小論文では、すべての受験者の得点に「0・8」を掛けて減点した後、現役と1、2浪の男子には20点を加点。3浪の男子にも10点を加点する一方、女子と4浪以上の男子については減点したままにする操作を行っていた。
(8月6日、読売新聞)


東京医大で一般入試に不正な得点操作がなされていたことが発覚した。
これ自体は珍しいことではなく、医学部が露骨なだけで、現実にはかなり広範囲で行われていると見て良い。そうしなければ、入試の得点だけで見た場合、女子の割合が圧倒的に増えてしまうケースが多いためだ。医者的には、「何を今更」の話である。

東京医大が問題になったのは、恐らくは内部告発があり、文科省との癒着が露呈したこともあって、芋づる式に発覚したためだと考えられる。同時に、面接で優先するのではなく、露骨に入学試験の得点を操作したことが、より悪質と判断されたのだろう。

医師の育成に特化した医学部、それも単科大学の場合、ジェンダーの割合に大きな偏りがあると、後継育成や医療行政に影響が出てくる。例えば、体力勝負の要素が大きい外科医の場合、女子の志望者が極端に少ないため、求められる人材が供給できなくなる恐れが生じる。逆に、小児科、眼科、皮膚科などが供給過剰になる可能性もある。

日本の場合、医師が聖職扱いされ、実質的に労働法制の埒外に置かれているため、病院勤務者などは超長時間労働が放置されている。結果、体力に劣る女性医師の離職率が高く、医療現場からは「男子をよこせ」との要求が非常に強い現実がある。この点を解決しない限り、女性医師を増やしても悪循環にしかならない。

旧ソ連、東欧では医師と教員は女性がもっとも進出した分野であったし、現在でもOECD諸国における女性医師の割合は50%近くに達しているが、日本だけが2割強でしかないのは、それだけ女性が働く環境として整備されておらず、劣悪な労働環境下で体力勝負を強いられていることを意味する。
長時間労働の他にも、日本は女性が働く環境が整備されておらず、医師に限らずどの分野でも女性の離職率が高い。これを放置して、「女性活躍」などのスローガンを並べ立てる一方で、「子どもを産まない」と自国女性を侮蔑する政党・政治家が日本を支配しているのだから、子どもが減るのは自然なサボタージュとして当然の流れだった。

東京医大の問題は、入学者選別の基準を入試の得点のみにしている点であり、面接や書類審査、あるいは「医師としての適性」といった数値化できない要素に重点を置いていれば、問題化は回避できたかもしれなかった。入試改革をせずに、露骨に点数操作のような不正を働いたのは、いかにも稚拙だったが、その辺が今の大学幹部の限界なのだろう。
一般的には、「数値化できない要素を入れると不正の温床になる」と言われるのだが、点数至上主義は一方で倫理や人格を考慮しない官僚や医師を育成してきた問題があることを忘れてはならない。

【追記】
叔母上から貴重な証言をゲット。三鷹にK林大学ができるおり、わが実家を含めて近所にある開業医を営業マンが廻って、「お宅のお子さんは(近所のよしみで)400万円で入学できます」と開店セールしていったという。国立大学医学部の学費が年1万円、慶応で30万円という時代である。父は既に東京医大に入学していたが、入学試験の面接とは別に、父兄面接なるものがあり、祖母(C市で最初の女性開業医)は破れそうなくらい分厚い白封筒を「手土産」に持って行った、とのことである。
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2018年08月27日

加速する大学生の読書離れ

【大学生の読書離れが浮き彫りに 「1日の読書時間0分」過半数に出版社も危機感】
 全国大学生活協同組合連合会は2月26日、全国の大学生の生活実態調査を発表した。53.1%が1日の読書時間を「0分」と回答し、大学生の読書離れの加速が浮き彫りとなった。過半数が「0分」と回答するのは読書時間を問うようになった2004年以降初めて。
  1日の読書時間の平均は23.6分(前年から0.8分減)と3年連続の減少。一方で、1日に120分以上と長時間読書する層は引き続き存在しており、読む人の平均は51.1分と、前年から2.5分長くなっている。「読む人」と「読まない人」の二極化が進んでいるともいえそうだ。
 読書時間減少の原因として、スマートフォンの影響を挙げる声もあるが、同会によると「調査年ごとの読書・スマホ・勉強時間の推移を算出し、読書との関係の有無をみたところ、読書時間減少にはスマホ時間による直接的な強い効果はみられない(効果があるといっても極めて弱い)」という。
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 では何が大きな要因となっているのか。同会は「14年を頂点として読書習慣のある学生は年々減ってきており、1年ごとに読まなくなってきていることが確認された」と分析し、大学生の高校までの読書習慣が全体的に下がっていることが影響を与えているとしている。
 アルバイトによる収入は自宅生・下宿生ともに増加。月の教養娯楽費や貯金額も増えている。その一方で月の書籍費は自宅生1340円(支出に占める構成比2.1%)、下宿生1510円(同1.3%)と、金額・構成比ともに1970年以降最低となった。
 出版関係者は「本は本来安価なメディアであったはずが、映像やゲームなどのより安価なエンタメが増えていることで、相対的に『コスパが悪い』と思われるようになっているのでは。横断的な雑誌読み放題サービス『dマガジン』や『コミックDAYS』のようなサブスクリプション(月額定額制)モデルが1つのカギになってくるだろう」と語る。
 また「これまでは読書好きに対しての施策を多く打ってきていたが、本気で新規開拓に向き合う施策を打っていかなくてはならない」と危機感をあらわにした。
(2018年2月27日、ITmedia ビジネスオンライン)

2017年全国大学生活協同組合連合会「全国大学生の生活実態調査」、大学生の53.1%が1日の読書時間0分。確かにニッポンはスゴいデス。
スマホが原因とは認められず、そもそも高校時代から読書習慣が無いと。
まぁ永田町でもロクに本読んでない人が多かったけどね。日本の失墜は単純に「知性と教養の喪失」と言い換えることも可能かもしれない。

近代化とは、技術革新に伴う工業化によって全人類が幸福に至るという考え方である。そのためには全人類の知的向上が不可欠であるため、義務教育が誕生した。これに対して、「単に工業化しただけでは、経済格差が広がるばかりで、むしろ人類は不幸になる」と考えたのが、初期社会主義者たちだった。

世界の多くの国で工業化が実現し、少なくない国で社会主義思想に基づく社会保障制度の整備が進んだことで、いわゆる先進国では前近代的な「不幸=不条理」は激減したものの、「幸福」が十分に実現したとは言えない。
工業化が実現したところで、反知性主義が蔓延し、若年層において知性の放棄が進んでいることは、果たしてどのような意味があり、今後どのような影響をもたらすのか、今後も注視してゆきたい。

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2018年08月23日

日本型組織の終焉

今年の6月に起きた大阪北部地震に際して、交通機関が麻痺、出勤が困難になる中、ある会社の上司が「何がなんでも出てこい」と部下に指示。それに対し「非常時に社員を守ろうとしない会社は嫌だ」と新入社員7人が連名で退職届を出した、という話がある。都市伝説の類いだが、似たような話はあってもおかしくない。

この手の上司しか出世できず、自分の生命や家族を顧みずに出社する社員が評価され、実際のビジネス能力は殆ど問われない組織文化、評価制度の問題。本来この手の上司や会社は競争の中で淘汰されてしかるべきだが、上司や会社の99%がこれなのだから、淘汰されない。

高校野球を見れば分かるとおり、初中等教育期から洗脳されるため、誰も疑問に思わないが、あくまでも日本国内でしか通用しない。結果、疑問を覚える感覚の持ち主から外資系に移るか、日本そのものを見限ることになる。

私のよく知る者の話だが、日本企業にいた時、ボーナス支給時に会社幹部が居並ぶ場に呼び出され、延々と「これだけボーナス出すのだから、一層忠誠を尽くせ」と訓示をたられたことに憤慨、「結果を出しただけなのに、何故説教されなきゃならんのか!」と辞表をたたきつけている。

また、サントリー系ジャバンビバレッジのある支店長が「クイズに全問正解したら有給(休暇)チャンス」なるメールを部下に送りつけ、そもそも回答困難な質問だった上に、「不正回答は永久追放します。まずは降格」なる文言も添付されていたという。言うまでも無いことだが、労基法第39条の「有給休暇を労働者の請求する時季に与えなければならない」に反している時点でコンプライアンスの問題であって、人事制度以前の話。
しかし、このケースでは当該支店長は「厳重注意」で済まされている。本来、職権乱用で懲戒解雇してしかるべきだが、日本型組織はどこまでも身内に甘い。

能力主義ではなく、組織に対する忠誠心が人事評価の基準であるため、上に行けば行くほど無能ばかりとなる。そして、降格制度がないため、無能な人間が延々と指揮を執り続ける。戦後日本が高度成長を実現できたのは、公職追放と財閥解体によって既得権益層と無能なトップを一時的に追放できたからだが、それは占領軍によって初めて実現できた。
日本の悲劇は、外圧無しでは改革できないところにあるが、自由に海外に行ける時代なのだから、日本に留まる理由は無いだろう。
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2018年08月10日

一祭典のために全国の時間をずらす

【五輪=森組織委員長、安倍首相にサマータイム検討要望】
 2020年東京五輪の組織委員会会長を務める森喜朗氏は7日、安倍晋三首相と面会し、猛暑が選手の健康面に与える影響を考慮して、時計の針を早めるサマータイム(夏時間)導入を要望したことを明らかにした。日本では今夏、少なくとも120人が猛暑による熱中症などで死亡しており、東京五輪が行われる7月下旬から8月上旬は気温と湿気が1年で最も高い時期のため、特に午前中に競技を行う選手の健康面が危惧されている。NHKが行った世論調査によると、サマータイムの導入に51パーセントが賛成し、反対は12パーセントにとどまった。森氏の要望はその流れも汲んだものと思われる。日本のメディアは、安倍首相がこの提案を検討することに同意したと報じている。
(8月8日、ロイター)


一都市の祭典に過ぎないオリンピックのために、全国民の生活時間をずらすという。スターリンがソ連全土の時間をモスクワ時間に合わせたのと同レベルの暴挙であろう。あるいはローマ皇帝か。
言うまでも無いことだが、サマータイムにしたところで気温が下がるわけではなく、夕刻に予定している競技がより暑い時間になるだけの話でしか無い。マラソンは全てに優先するのだろうか。
技術的にも膨大なコストがかかる上、国際取引を行っている部門への影響も大きい。根本的に導入するならともかく、五輪のためというのは無理すぎる。
欧州では、すでにサマータイムの見直しが進められているのに、日本だけが五輪のためのみに導入するという。中世への逆行であろう。

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80年以上前と全く同じ議論がなされていることを、5年前に指摘していた宮崎駿氏の偉大さを示す一コマ。

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2018年08月08日

デモクラシーを否定し始めた自民党

【<杉田氏寄稿>「自民は右から左まで…」二階氏は問題視せず】
 自民党の二階俊博幹事長は24日の記者会見で、同党の杉田水脈(みお)衆院議員が性的少数者(LGBTなど)を月刊誌への寄稿で「生産性がない」と評したことについて「右から左まで各方面の人が集まって自民党は成り立っている。別に大きな驚きを持っているわけではない」と述べ、党として問題視しない姿勢を示した。
 二階氏は、「杉田氏から直接、話を聞く機会を設けるか」との質問に「今のところ特別そういう考えは持っていない」と答えた。杉田氏の発言に関しては「そういう発言だと理解をしていく」と述べた。一方で「多様性を受け入れていく社会の実現を図ることが大事だ」とも語った。
(7月24日、毎日新聞)

デモクラシーは様々な効率性よりも合意と共同体の形成を重視する政治体制であり、「オレら色々な考え方の人がいるけど、同じ市民だよね!」という共同体幻想が前提となっている。そこで、「こいつは市民じゃ無いから排除しようぜ!」という話になると、途端に政治体制の強度が下がってゆくことになる。

かつてナチスがヴァイマール体制を破壊したのは、経済や分配の効率化をうたって、ユダヤ人や障がい者などの差別を煽動したことにも起因している。
戦後の西ドイツが「戦う民主主義」を標榜したのは、政治的多様性を重視するあまり、共産党やナチスなどの全体主義政党の存在を容認した結果、人種、民族、階級、性別などをめぐる対立を先鋭化させてしまい、デモクラシーの維持に失敗、独裁と全体主義を成立させてしまった悔恨に由来している。

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「遺伝性疾患のこの患者はその生涯にわたって国に6万ライヒスマルクの負担をかけることになる。 ドイツ市民よ、これは皆さんが払う金なのだ」

戦後日本は、あらゆる差別や権利侵害に対して寛容だった。それでも曲がりなりにもデモクラシーが成立していたのは、アメリカの管理下にあったことと、経済的な豊かさが社会的対立の先鋭化を防いでいたためだったと考えられる。ところが、アメリカがアジアからの撤退を画策すると同時に、国内では急速に窮乏化が進む中、あらゆる差別や対立が先鋭化しつつある。

その対立を抑止、是正する意思を持たない自民党を、国民が支持する以上、デモクラシーが瓦解する日は遠からず訪れることになるだろう。
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2018年07月30日

衆愚化の果てに永田町を去る

先週末をもって秘書を辞め、累計で15年ほど奉職した永田町を去る。
特段の郷愁、感慨はない。そもそも現在の政界自体がオワコンと判断したことを考えれば、むしろ「清々した」くらいの気持ちかもしれない。
まずは、その辺の事情を記しておこう。
民族・国民国家とデモクラシーが終焉を迎えることの理論的説明は、すでに記事にしているので、そちらを参照して欲しい。

・民族国家とデモクラシーの終焉

なので、今日は職務上の卑近な例を挙げて、議会制民主主義の末路を語りたい。
党職員として4年、秘書として11年勤めたことから感じる最大の問題は、通信手段の変容である。自分が秘書を始めたのは2007年のことだが、その頃すでに携帯電話とメールは普及していたものの、例えば議員が海外に出張したり、飛行機に乗ったりすれば、秘書は上司から「解放」されたものだが、今日では海外からも、しかも時差が考慮されること無く、次々と議員から職務上の指示が降りてきて、下らない話(多くは愚痴)につきあわされる。
これは、民間企業の営業などにも言えることだが、かつては社を出て外回りするついでに、多少の遊びや休憩が可能であったわけだが、今ではスマートフォンで所在を確認され、恒常的に連絡や報告が求められ、実質的に常時監視下に置かれている。議員秘書も、地元勤務者は会社の営業と全く同じことが言える。
かつてなら秘書が外回りしている時は、逆に議員からは「解放」されていたものが、今日では外回りしていても、ひっきりなしに議員から指示や連絡が入る上、事務所や支援者からも連絡が入るため、外回りに専念することもできなくなっている。
また、今日ではラインやSNSで「グループ」が形成されるため、直接自分に関係ない連絡や報告が勝手に「共有」され、「自分は知りませんでした」と言うことすら許されない上、ひっきりなしにスマホが鳴り続ける始末になっている。このストレスは尋常では無い。

だが、より深刻な問題は秘書よりも議員の方にある。携帯電話が無かった時代、つまり1990年代前半くらいまでは、議員は有権者と直接顔を合わせるか、事務所で電話を取る以外に、有権者とのコミュニケーションに費やす機会は無かった。議員が不在の時に事務所に掛かってきた電話は、秘書が「議員に申し伝えます」と言って、報告を受けた議員が必要と判断すれば、かけ直しただけの話だった。
ところが、それから20年もしないうちに、議員は常に携帯電話を持ち歩くようになり、他の議員、支持者、官僚、メディア関係者などから直接電話やメールなどが来るようになり、それに伴って議員から秘書に指示が行くため、その作業量たるや恐ろしく膨大になってしまっている。

携帯でのコミュニケーションが常態化した結果、投票率の低下も相まって、議員はますます厚い支援者との癒着関係を強め、陳情や相談(つまり利益誘導=腐敗)が増えている。「直接連絡できる」ハードルの低さが、ますます陳情のハードルを下げると同時に、秘書や官僚にも携帯で連絡がつけられるため、陳情処理の速度が速まっていることから、ますます陳情が増えるという悪循環に陥っている。一部の陳情が増える一方で、幅広い有権者と接触する機会が減る問題もある。結果、議員と直接的なコネを有するものが、その地域で有利な立場(利権と情報)を得られるため、地縁血縁に基づく縁故政治が跋扈するところとなる。加計・森友問題の背景でもある。

また、ツイッターやフェイスブックなどのSNSの登場によって、ライバル候補との競争が激化、議員本人が情報を発信して自己アピールする必要が生じた。しかも、その発信内容は「専門家」によって「短ければ短いほど良い」と指導されるため、恐ろしく無内容なものか、恐ろしく煽動的なもので溢れるところとなる。政界では古くから「悪名は無名に勝る」と言われており、「炎上歓迎」は当然の流れだった。ケン先生がツイッターをやらないのは、そのためだ。
結果、議員は一日のうちの相当な時間を、スマホでの連絡と無内容な情報発信に費やしている。かつてなら、車や汽車での移動時間は、本や資料を読み、あるいは沈思黙考することで、政治家としての知識と思考を深めた機会が、今日では全て失われ、自ら「哲人」たらんことを放棄して衆愚の穴に身を投じてしまっている。そうしなければ、選挙に当選できないためだ。
同時に、SNSでは支援者ではない者、何の関係もない者、匿名の敵対者からの攻撃や嫌がらせ、無意味な問い合わせなどが膨大に送られてくるため、精神の損耗が激しくなる。
さらに、議員はSNSによって「大衆と繋がっている」幻想を得るため、その歓心を買い続けるべく、一層大衆受けのする発信を行うところとなる。
それらの様は、さながら議員が通信ツールの奴隷と化しているかの如くである。

デモクラシーは、人格高潔で高い知性を有する市民が全員参加の議論を行うことによって、私心を排した最も合理的な合意形成をなすことができる(はずだ)という前提の上に成り立っている。しかし、現実には全員参加の議論が不可能であるため、知性と教養を有する大衆が人格高潔で高い知性を有する代議員を選出、主権者を代表して代議員間で合意形成を行うのが、近代の代議制民主主義の根幹だった。
ところが、通信手段とコミュニケーションの変容によって、プラトンやアリストテレスが指摘した衆愚化が、大衆レベルでも代議員レベルでも加速、互いに衆愚をあおり立てるため、合意形成が困難を増し、強行採決=多数派による意思の強要が横行、少数派の不満は高まる一方になっている。他方、与野党を問わず、投票率の低下から、一部の手厚い支援者を優遇せざるを得ないため、不公正な縁故政治が跋扈するところとなっている。
君主政において、使用人の徳とは愚かさに他ならない。しかし公共の徳は犯罪とされており、唯一の徳は君主による犯罪の従順な道具であるということであり、唯一の名誉は君主と同じくらい悪であるということである。
(マクシミリアン・ロベスピエール)

戦後教育は、愚かで従順な帝国臣民を育成することに成功した一方、デモクラシーの前提となる人格高潔で高い知性を有する市民の涵養には失敗した。文部省が70年かけてばらまいたウィルスが、スマホの普及によって全国的に発症、デモクラシーの内部崩壊を促進しているのである。
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2018年07月24日

ますますちぐはぐになる霞ヶ関

【介護離職者9.9万人=女性が8割―17年総務省調査】
 2017年9月までの1年間に介護や看護のために離職した人が9万9100人に上ったことが、総務省が14日までに公表した17年の就業構造基本調査で分かった。前回12年調査の10万1100人からほぼ横ばいで、介護離職の実態に大きな改善がみられない状況がうかがえる。介護離職者のうち女性は7万5100人と全体の8割近くを占めた。調査は5年おきに実施。全国約52万世帯の15歳以上約108万人を対象に、17年10月1日現在の就業の状況を尋ね、全体を推計した。 
(7月14日、時事通信)

【「カエルボード」に退校時刻、残業教員に声かけ】
 林文部科学相は13日の閣議で2017年度版の文部科学白書を報告した。「学校での働き方改革」を特集し、「教員の負担軽減は喫緊の課題」と指摘している。
 白書はA4判441ページ。このうち23ページを働き方改革の特集に充てた。16年度の教員の勤務時間は10年前より増えており、長時間勤務は「看過できない深刻な状況」との認識を示した。さらに、外国人児童生徒の増加などで学校現場の役割は多様化・複雑化していると指摘。岡山県の小学校では職員室に退校予定時刻を記した「カエルボード」を設置し、それを過ぎても残っている教員には同僚が声をかけるなど、各地の取り組み事例も紹介しながら、改革の必要性を訴えた。
 一方、今春52年ぶりに新設された獣医学部については数行の紹介にとどめ、加計学園の名前も記述しなかった。文科省の担当者は「白書は文科省の施策を簡潔に紹介するものだから」と説明している。
(7月13日、読売新聞)

介護施設の新設を抑制し、在宅介護を推進しておいて、「介護離職者が減らない」とか一体何がしたいのかサッパリ分からない。
学校は学校で、部活動・各種行事やら事務員の削減やら給食費の徴収やら教員に授業以外の業務を山ほど押しつけておいて、しかも残業代を出すわけでもないのに、「学校で残業するな(自宅でやれ)」とか「Sねばいいのに!」というレベル。

介護離職を減らすなら施設介護を進めるほか無いし、教員の残業を減らすなら業務そのものを減らす他ない。中学校教員の労働時間は、部活動の廃止で約15〜20%、学校行事の廃止で約10%減らせる計算であり、これは文科省の決定で廃止できる。そのための中央統制ではないのか。
また、部活動や行事が肝心の学習時間を削り、学習効果をも減じさせている。その結果、中等教育では社会で必要な基礎知識が身につかず、大学で中等教育レベルを補習する始末になっている。

社会のあらゆる箇所が疲弊し、それを修復する意思も能力も無いことが見て取れる。

【参考】
日本の教育はなぜ空洞化したか
posted by ケン at 12:30| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする