2019年09月19日

兵を火に投げ込む陸自幹部

【陸自、部下をたき火に投げ込む 隊員4人処分、高知】
 陸上自衛隊高知駐屯地(高知県香南市)は6日、バーベキュー中に寝ていた部下の隊員をたき火に投げ込みやけどをさせたとして、第50普通科連隊の30代の男性3等陸尉を停職4カ月、男性3等陸曹(26)を停職60日の懲戒処分とした。2人は7日付で依願退職予定。
 また投げ込みを目撃しながら内部調査に虚偽の報告をしたとして男性3等陸曹(31)を戒告。当直中、やけどをした隊員が駐屯地に戻ったのに上司に報告しなかったとして、男性3等陸曹(29)を減給30分の1(1カ月)の処分とした。
(9月6日、共同通信)

だんだん帝国陸軍っぽくなってきたぞ。そんなところまでマネなくて良いのに。
30台の少尉ということは、下士官上がりなのだろうが、幹部候補生の志願者も漸減傾向にあるというから、質的劣化が進んでいるものと推測される。

陸自は定数を満たしていないとはいえ、まだマシらしく、海自などは保有艦艇を全て動かすことすらギリギリの状態で、当事者は「事故が起きないことが奇跡的」と言うくらいだ。

中露朝韓と対立したまま、宗主国からは自立を求められ、独自の軍事力に対する依存度が高まってゆく中、スタート段階がこれでは先が思いやられる。
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2019年09月12日

東京五輪は真夏に雪で暑さ対策?!

【暑さ対策に人工雪 東京五輪、テスト大会で降雪機導入へ】
 暑さ対策の切り札は、雪? 東京五輪・パラリンピックの大会組織員会は4日、カヌー(スプリント)のテスト大会で、暑さ対策として人工雪を降らせることを明らかにした。会場の「海の森水上競技場」(東京都)は、約2千席ある観客席のうち半分しか屋根で覆われておらず、人工雪で冷却効果をみるという。
 テスト大会は12〜15日に予定され、13日の競技の合間に「降雪機」を使う。組織委によると、この降雪機は、氷の柱を粉砕して雪を降らせる仕組みで、1分間に1立方メートルあたり、約30〜約270キロの降雪能力があるという。過去に音楽フェスティバルで使われた実績があるという。
 海の森水上競技場は全座席が屋根で覆われるはずだったが、2016年に整備費削減を理由に変更された。テストの日は屋根がないところに、1トン分の雪を降らせ、組織委の職員が観客役として座り、WBGT値(暑さ指数)の変化をみる。
 降雪機は暑さ対策の当初のメニューになかった。組織委は「少しでもいいものはテストし、有効であれば活用したい」と説明する。
(9月4日、朝日新聞)

運営側の設計(企画)ミスを、工事を見直すのでは無く、屋根は拡大せずに人工雪を降らせて対処しようということらしい。
まぁ人工雪なら、また利権が広がって、ぽっぽがさらに暖まる構図なのかもしれない。

いずれにしても、段々戦時期の風船爆弾や木製地雷みたいな話になってきたぞ。。。

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2019年08月28日

れいわの支持拡大で弱い野党乱立が固定する?

【れいわが倍増、政党支持率 共産に並ぶ4.3%】
 共同通信の世論調査で、れいわ新選組の政党支持率が4.3%となり、参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2.1ポイント増えた。野党では、第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で、共産党に並んだ。若者の支持が目立った。
 れいわの支持層を年代別で見ると、若年層(30代以下)が7.4%で、中年層(40〜50代)は4.6%、高年層(60代以上)は1.9%だった。男女別では、男性が4.1%、女性が4.6%となった。
 れいわと同様に参院選で政党要件を満たしたNHKから国民を守る党の支持率は0.3ポイント増の1.3%だった。
(8月18日、共同通信)

【参考】結局野合、そして「れいわ」へ?

予想通り過ぎる展開。
支持率において「れいわ」がNK党を上回り、立民に近づきつつある一方、N国が社民と同レベルか上回る流れにある。
これらは既存政党に対する不満と、よりセンセーショナルな主張をする政治家個人に関心が集まる傾向を示している。
特に過去の影響やしがらみの無い若年層でその傾向が強く、今後はさらに若年層を中心に社会の分断が激化することが予想されるだけに、こうした流れはさらに強まるものと見られる。

立民としては非常に苦しい展開で、議会での活動を考えれば国民との連携や合流は不可欠だが、これを進めれば進めるほど、支持層が「れいわ」とN国に流れる構図にある。
同時に2021年秋までに行われる衆院選を考えた場合、「れいわ」との連携が不可欠だが、そのためには国民との連携を諦める必要がある。
そして、立民が「現実的」政策を掲げれば掲げるほど、支持が「れいわ」に流れ、「れいわ」的なセンセーショナルな主張をすれば、連合を中心に数少ない支持層が離反する恐れがある。そもそも(傍流)エリート主体の立民にポピュリズムは無理だろう。

とはいえ、大衆を動員するシステムを持たない「れいわ」が広範な支持を得るということも考えがたく、自民党が大きな失敗をしない限り、弱い野党が乱立し、何回選挙をやっても自民党が勝って、ますます政治離れが進むと同時に、デモクラシーの形骸化とリベラリズムの劣化(権威主義化)が促進される事態になりそうだ。
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2019年08月19日

他人の前で本音が言えない日本

【JOCが理事会を非公開に 山下会長「本音で話すため」】
 日本オリンピック委員会(JOC)は8日、東京都内で臨時理事会を開き、1989年の発足以来、報道陣に原則公開していた理事会を、完全非公開にすることを決めた。山下泰裕会長は、公の場では話せないことが多く、理事会の議論が低調だったとして「表に出せない情報も共有して、本音で話し合い、スポーツ界の発展のために役割を果たす」と説明した。
 出席理事24人のうち、賛成19、反対4、保留1の賛成多数で決まった。JOCは89年に日本体育協会(現日本スポーツ協会)から独立後、人事案件などを除き理事会を原則公開していた。次回の9月10日から非公開となり、理事会後の説明や資料配布などで透明性を確保するという。
 東京運動記者クラブJOC記者会は7月下旬にJOCから方針を伝えられ、「時代の動きに逆行する。高い公共性を備えるJOCの理事会を公開しないのは、国民の理解も得られない」などとする抗議文を提出していた。
(8月8日、朝日新聞)

「透明性を確保するために会議を非公開にする」−禅問答かよ!

実際、旧民主党も部門会議などを完全公開にしたことがあったが、行政側が情報提供や説明を拒む、ないし遠回しにしか言わなくなり、国会議員は議員で目立つための主張が増え、収拾がつかなくなっている面はあった。
必ずしも機密情報でなくとも、不確定な情報や未公開・未整理の情報をマスコミが切り貼りして流布されて無用の混乱を生むことは、私にも想像できたので、個人的には部会などの公開には反対だった。

とはいえ、その一方で党の役員会や幹事会などの意思決定機関において、議事録も存在しないことは大問題だった。
誰がいつ、どのような経緯と根拠をもって、重要な意思決定をしていたのか、後日検証できないからだ。
この一点だけでも、民主党や立民に統治者としての資格はない。
ソ連共産党の政治局でも議事録をとっていたことを考えれば、日本の内閣が閣議の議事録をとっていないというのは、前近代の悪弊であり、明治帝政のなせる業である(むしろ天皇の方が側近がメモをとっていることが多い)。

確かに現時点での公開は必要ないかもしれない。
だが、JOCのような汚職や談合の疑惑、あるいは過大な予算やボランティアの扱いなど、不透明かつ不自然な意思決定が疑われている組織が、いまこの段階で「理事会を非公開にしないと本音で話せない」と宣言するのは、自ら疑惑の山を肯定するのに等しく、ほとんど自殺行為になっている。
しかも、議事録すら無いとなれば、「五輪が終わるまで耐えれば大丈夫(後はどうにでもなる)」と考えていることは明白であり、五輪そのものが「絶対悪」であることを示してしまっている。
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2019年08月17日

実名報道というメディア暴力

【新聞各紙は「実名報道」の意義をどう訴えたか 京アニ事件、犠牲者公表で主張の「必要性」】
 京都府警が2019年8月2日、京都アニメーション放火事件の犠牲者のうち10人の氏名を公表したことを受け、3日付の新聞紙面にも、一斉にその顔写真などが掲載された。
 35人が亡くなったこの事件では、京アニ側が警察・マスコミに実名の公表・報道を控えるよう要請し、京都府警も発生から約2週間、発表を行わなかった。こうした中での報道ということもあり、複数の新聞が実名報道に踏み切る「意義」を、3日付の紙面で強調した。
 たとえば、朝日新聞は1面に掲載された「京アニ犠牲者名10人公表」の末尾で、以下のように自らの立場を表明した。
 「朝日新聞は事件報道に際して実名で報じることを原則としています。犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要だと考えています。それが、社会のありようを考えるきっかけになると思っています」
 毎日は4面(総合面)で「検証」として、公表にいたる経緯を詳細に報じた記事とともに、「『実名』根強い抵抗感」の見出しで約1000文字の記事を掲載する。2016年の相模原障害者殺傷事件など、実名公表が行われなかった事件を解説した。その上で、
 「毎日新聞はこうした事件・事故の犠牲者について、事実を正確に報じて被害者の無念や遺族の悲しみを伝えるため、実名報道を原則としている」
と説明するが、直後には上智大学・音好宏教授のコメントとして、「プライバシー保護の市民感情は増してきている」との見解を伝えた。
 産経は24面(社会面)で、「おことわり」として独立した囲み記事の体裁で、この問題に言及した。
 これによれば公表後、府警を通じて10人のうち1人から「匿名に変更したい」との要望があったというが、「悲しみに暮れる遺族の方々が、取材や報道に接する度に苦しむ現実は重く受け止めます」としつつ、やはり「事実を正確に伝えるため」には実名報道が必要だ、との考えを主張し、こう続けている。
 「犠牲となった方々は、人々に愛される作品をつくってきました。産経新聞は犠牲者一人一人を、『35人』という数字ではなく実名で伝える必要があると判断しました。犠牲者のプライバシーや遺族感情に最大限配慮し、公共性や公益性を総合的に判断した上で、節度ある取材、報道に努めます」
 匿名変更の申し出があったことは、日経の35面(社会面)記事でも言及されているが、やはり、
 「日本経済新聞は事件報道に際して、その現実を社会全体で教訓にするため、原則実名で報じています。今回も事件の重大性などを考慮し、実名で報じる必要があると判断しました。被害者の方々のプライバシーには最大限配慮しながら、節度ある取材、記事化に努めます」
とした。また34面の記事では、立教大学の服部孝章名誉教授のコメントとして、「遺族らをよく悲しませるような報道やメディアスクラム」を慎むべき、としつつ、「事件の全体像に迫り社会に教訓を伝えるため」にも、実名報道や遺族、負傷者への取材が必要だとの立場を取った。産経、日経ともに10人全員の氏名が掲載されている。
 読売は少なくとも3日付紙面ではこうした意見表明は確認できず、また公表された10人に加え、「取材で死亡が判明した方」として1人の氏名を報じた。
(8月3日、JCASTニュースより抜粋)

ケン先生は基本的に実名報道に反対である。
例外を設けるべきと考えるのは、社会的影響力や権力を行使する者については社会全体の利益と情報共有の視点から必要だからだ。
かつて実名報道が必要とされたのは、通信や連絡手段が限られる中で、被害者などの関係者に連絡が届かない恐れがあったためだった。
だが、今日では例外的状況を除いて通信手段の発達により、被害者の家族などに連絡が行かないというケースは少なくなっている。

メディア側は実名報道の必要性をあれこれ主張するが、要は「匿名だと記事が売れない」という話を「匿名だと抽象的になってしまう」「社会的意義が果たせない」などと言い換えているだけで、何の意味も無い。
ごくごく少数の超コアなアニメファンを除けば誰も名を知らず、特別な社会的影響力を持つわけでも無いアニメーターの名を「テロの犠牲になった」と声高に「喧伝」するのが、連中の言う「社会的意義」「社会的教訓」なのだろうか。
逆から見た場合、名も知らないし、京アニを見たこともない人たちが、新聞に掲載された写真と実名を見ることが、「抽象から具象へ」と繋がるのだろうか。この場合、そもそも犠牲者のことを知らないのであれば具象化にはなり得ない。逆に悪い想像力をかき立てて、テロや犯罪に対する無用の憎悪をかき立てるだけだろう。そして、こうした憎悪は国家間の対立や戦争へと発展させる原因にしかならない。

もっとも、日中戦争から太平洋戦争に至る過程は、マスメディアが中国や欧米諸国に対する国民の憎悪をかき立てることで、歴史上最も新聞発行部数が増えた時期だった。つまり、テロと戦争はメディアにとって「最も甘い蜜」であり、死亡寸前のメディアにとって「吸わないではいられない」ものと言える。
実名報道はメディアにとって「生命線」であり、社会や個人に対する憎悪に象徴される負の感情をかきたてることは、メディアにとって「耐えがたい誘惑」になっている。その自覚を持たずに、ねじ曲げた「正義」をもって個人のプライバシーを暴露し、憎悪を助長させるのは、もはや社会そのものに対する犯罪でしか無い。

以上は被害者についての実名報道だが、加害者についても基本的には同様で、特に日本の場合、逮捕された時点で実名報道されているが、これは恐ろしく反社会的である。少なくとも司法第一審の判決でもって有罪認定されるまでは「被疑者」であって「犯罪者」ではないのだから、無罪になる可能性のあるものについて実名報道するのは一切避けねばならない。

結局のところ、日本のメディアは巨大すぎるあまり権威主義体質から脱却できず、自由も人権も概念として理解できないまま死を迎えつつあると言えよう。
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2019年08月10日

「令和維新」フェイズに突入?!

【ガソリン散布し着火…少女像、展示中止後も脅迫】
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像の展示が中止された問題について、実行委員会会長を務める大村秀章県知事は5日、定例記者会見で、中止以降も「ガソリンを散布して着火する」という脅迫メールなどが届いていることを明らかにした。県によると苦情や意見の電話やメールなどは4日現在で約3300件に上るという。
 県などによると、ガソリンを散布するとしたメールは5日朝、県庁や県内の自治体に届き、京都アニメーションで起きた放火殺人事件に触れながら、芸術祭会場や県内の学校など複数箇所を名指しし、放火するとしていた。少女像展示との関連を明らかに示す内容はないというが、県は県警に通報し、県教育委員会は学校に注意を呼びかけた。県警は威力業務妨害や脅迫の疑いを視野に、県からの相談に対応している。
 また、大村知事は会見で、「展示内容を事務局が知ったのが4月中旬で、私に報告があったのは6月半ばだった」と、経緯を改めて説明した。
 その際、「希望、要望は強く申し上げた」としたが、「作品の内容について許可、不許可を私がすることはできない」と主張。「税金や補助金が入っているから許されないとの論調があるが、行政が作品内容に踏み込めば検閲ととられかねない」と述べるなど、「行政こそが表現の自由を守るべきだ」と持論を展開した。
 展示中止となった「表現の不自由展・その後」の運営メンバーらは、「一方的に中止を決められた」と反発しており、6日に大村知事宛ての公開質問状を提出するほか、法的手段も辞さない姿勢を示している。さらに県によると、芸術祭に出展している韓国人の作家が作品を撤去したいと申し出ているといい、県で理由を確認したうえで、津田大介芸術監督らとも相談しながら対応する。
 トリエンナーレ実行委で会長代行を務める名古屋市の河村たかし市長は5日の定例記者会見で、事前に展示内容を知らなかったとした上で、「どういう過程で少女像を設置することになったのか、きちんと調査するよう担当部局に指示した」と述べた。
 河村市長は2日、自身で少女像を視察し、「国民の心を踏みにじる行為で、展示の中止を含めた適切な対応を求める」とする文書を大村知事宛てに提出していた。
 これに対し、大村知事は「河村市長の発言は憲法違反の疑いが極めて濃厚」と反論した。
(8月6日、読売新聞)

自治体が憲法擁護イベントへの会場提供を拒否し、慰安婦像の展示が暴力的脅迫と自治体首長からの圧力によって中止される時代になった。
直接的な暴力こそ伴っていないものの、滝川事件や美濃部事件(天皇機関説)を彷彿とさせられる。民主党系の首長が歴史修正と排外主義に積極的で、自民党系の首長が憲法と自由を擁護するという構図も非常に象徴的だ。
ガソリン云々の話は、京都アニメーションに対するテロリズムに感化されてのものと思われるが、テロリズムの本質が「恐怖の伝播」にあることを思えば、テロの狙いは達成されつつある。

今回の場合、テロを示唆した脅迫によって平和運動を封じつつ、日韓あるいは日中関係のさらなる悪化を促進することに成功した。
日韓関係については、徴用工問題に端を発する政府の経済制裁モードに対して、国民の7割近くがこれを支持、排外主義への熱狂が加速しつつある。仮に日韓戦争が勃発した場合、国民の大多数が熱狂的に支持して、「現行憲法なんて機能停止で良い」と言い出しそうな勢いにある。
少し過去ログを引用しながら、テロリズムの復習をしておこう。
1935年2月、貴族院で菊池武夫議員が美濃部達吉議員(東京帝大名誉教授)の天皇機関説を攻撃したことに始まり、「国体を否定するもの」「国賊」「学匪」などといった非難、攻撃が激化、美濃部家には続々と脅迫が届き、本人や家の周囲に不審者がつきまとうようになった。甚だしきは、文部省から「右翼テロに注意するよう」旨の警告に続いて「転向」を求める文書までが来たと言われる。
ところが、実際には美濃部説は当時の学界、官界における通説で、官僚採用のための高等試験も全てこれに基づいていた。しかも、当の貴族院では美濃部が自説を説明したところ、大きな拍手が起きて理解を得たはずだった。にもかかわらず、美濃部は不敬罪で告発され、マスゴミの攻撃にさらされ続け、ついには貴族院議員を辞任、その後右翼テロリストに銃撃されて重傷を負った。その間、政府は「国体明徴声明」を出して美濃部説を否定している。恐ろしいことに、美濃部を負傷させた銃撃犯はついに逮捕されず、同じく銃撃し命中しなかった犯人は懲役3年で済んでいる。
これら右翼人士の多くは、「天皇を機関車呼ばわりするとは何事だ」程度の理解だったと言われる。昭和帝が自ら「天皇機関説の何が問題なのか」と言い、取調べに当たった検事はみな美濃部の教科書を読んで受験していたのだから、今日から見ればナゾすぎる事件だったわけだが、当時はそういう世相だったのである。

一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

昭和のテロリズムは、個々の政治家や財界人や学者を死傷させたことではなく、明治憲法に明文化されていない多元支配の構造(明治末年から大正期にかけて理論化された)を否定し、天皇による一元支配と擬装された軍部支配を実現した点に真の効果がある。同じ意味で、大正期の国際協調主義を否定し、軍国主義を促進させた点も大きい。テロルの副次的効果として、マスコミが便乗して大衆を扇動、リベラル派の知識人が沈黙し、官僚が自らこぞって国家主義・軍国主義に転向していった。また、(左翼)テロに対する警戒を理由に治安維持法などが制定されて恐怖支配が正当化された。

ここで問題なのは、テロルが大衆の熱狂と暴力の容認を生み出す点である。1932年の血盟団事件では、茨城県の若者らが井上準之助前蔵相と団琢磨三井財閥総帥を暗殺したが、裁判に際しては30万通を超える減刑嘆願書が届き、犯人を英雄視する傾向が広まっていった。続く5・15事件では、首相官邸が襲撃されて総理大臣が暗殺されるが、犯人の裁判には100万通を超える減刑嘆願書が届き、嘆願のための自害まで起きた。その結果、反乱罪は適用されず、共同謀議による禁固刑に終わった。
アメリカにおける9・11事件に際しては、米国内でイスラムに対する憎悪がかき立てられ、アフガニスタン侵攻に対する支持は軽く9割を超え、市民権や人権を制限する愛国法の採決に際して上院で反対したのはわずか1名に止まった。
1930年代のソ連における大粛清も、その発端は大衆的人気のあったキーロフが暗殺されたことで、スターリンが犯人捜しを始めたことにある。

オルテガ・イ・ガセは『大衆の反逆』で大衆社会を、ある価値観が社会を構成して大衆を啓蒙するのではなく、「何となく多数」の価値観が基準として「何となく」共有されている社会であると規定している。そこでは「皆が言っていること」が常識で、「皆が信じていること」が真理で、「皆が望んでいること」が希望、ということになる。
テロリズムは、この「何となく」と「皆」を強制的に変容させる力を持っている。何となく共有されていた天皇機関説は暴力的に否定され、リベラル派の知識人が沈黙することで天皇主権説が「皆」となり、軍拡と侵略が「希望」へと変わっていった。
アメリカでは、国際協調主義と寛容の精神が否定され、対テロ戦争の貫徹が「真理」となり、そのために市民的権利が制限されるのは「常識」となった。
テロルの効用について、2014.10.2)

今回の展示を見た場合、ただの「少女像」が置かれているだけで、慰安婦を想起させることが目的とは言え、その展示が「表現の自由を上回る、排外主義や人種差別扇動あるいはそれに相当する公共の福祉に反する」という問題提起は相当に無理がある。
また、こうしたテロ攻撃の予告に対して警察が機能しなかったことも、「左翼の弾圧には熱心だが、右翼テロには寛容」と言われた戦前期を彷彿とさせる(史実的には微妙なところだが)。

こうなってくると、右翼は平和運動や左翼運動に対する攻撃が「認められた」「公権力の支持がある」としてさらに加速させてゆくだろうし、左翼・リベラルもまた「弾圧と暴力に対しては相応の対応が必要だ」ということになり、運動を過激化させてゆくかもしれない。
そうなると、政府としてはこれを口実に社会統制を強化することになるだろう。226事件が軍部独裁と戦時体制の確立に直結したことを思えば、十分現実的な話だ。

美濃部事件が起きた1935年に10年後の日本を想像できたものは誰もおらず、その美濃部は戦時中は吉祥寺に住んでいたが、近くに中島飛行機の工場があったため(現ICU)、頻繁に爆撃を受け、そのたびに家鳴り震動して窓ガラスが割れたが、頑として座敷から離れようとせず、決して防空壕には入らなかったという。

【参考】
山崎雅弘「天皇機関説」事件

【追記】
1950〜70年代の戦争映画を見ると、慰安婦なんてごく普通に描かれており、それに対して保守派や旧軍関係者が抗議したなどということは無かったように思える。むしろ戦争体験者が急減して、戦争や明治帝政に対する美化と民族差別が進んでしまっているのではなかろうか。
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2019年08月07日

2040年の日本はどうなる?

私に対する質問でけっこう多いのは「これから日本はどうなるのか?」というもの。
基本的にロクでも無いことしかないので答えたくないのだが、この際きちんと書いておこうと思う。

まず人口は現在の1億2800万人から1億500万人程度になり、一都三県と愛知、大阪への人口集中は5割前後に及ぶ。
総人口に占める65歳以上人口の割合を示す高齢化率は全国平均で35%を占め、辺境県では5割に及ぶだろう。
自治体単位でも高齢化率が5割を超える市町村が4割を軽く超えるとみられる。

これらの意味するところは、一都三県と自治体の半数近くが税収不足により運営不能になるということである。
それを避けるためには、収入の無い高齢者に課税を強化するか、地方交付税を増やすほか無い。地方交付税を増やすにしても、その財源は一都三県に集中する現役層に対する徴税強化ということでしか実現できない。
恐らくは行政サービスが恐ろしく低下してゆくことになるだろう。

地方行政のさらに厳しいところは、1980年代末の「地方創生」や1990年代に「バブル崩壊対策」として「整備」された巨大な公共インフラ群がこぞって老朽化し、更新期を迎える点にある。その象徴が3本あり、現状で5兆円とも言われる債務を抱える本四連絡橋だ。
既存のインフラを含めるとインフラの維持整備額だけで年間15〜20兆円になると見られるが、少子高齢化による税収不足によって、ほぼほぼ維持できない形となる。
ソ連帰りのケン先生的に想像されるのは、ソ連崩壊後に見た「ソ連の墓場」(廃棄放置された工場やインフラ群)である。
同時に、インフラが集中する大都市部においても更新が追いつかず、道路陥没や橋の崩落、水道管・ガス管の破損などの事故が続発する恐れがある。

家族的にも単身世帯が4割を超えると見られ(私もそうなるだろう)、孤独死や社会的孤立の弊害がさらに進むことは間違いない。
私などは年齢に比して政界、ゲーム、アカデミズムなど比較的人との繋がりが多い方であるため、よほど長生きしない限り、社会的孤独に悩まされることは無さそうだが、平均レベルにおいては「誰とも関係が無いのがデフォルト」的な社会になることが予測されるだけに、今の40代以下の人はその辺を考慮して人間関係を構築すべきだろう。
私の母などは、いまだに現役で働いており、社会的関係も広いが、「知り合いが死んでいくたびに、自分の中の社会そのものが失われていくようだ」との感慨を述べている。まぁそういうものなのだろう。

また、経済的には高齢化とともに貧困が悪化する。2040年にはいわゆる「就職氷河期」世代が65歳を迎えるわけだが、この世代は厚生年金がもらえない人が多く、「国民年金を納めていればまだマシ」というレベルだ。
現状、厚生年金の平均受給額は男性で月17万円、女性で11万円であるが、中央値になると2万円程度下がりそうだ。この給付額も物価スライドがあるとはいえ、高齢化率の上昇とともに給付水準の維持が難しくなり、恐らくは給付開始年齢も70歳まで上がるだろう。だが、70歳まで働ければまだ良いが、働けても超低賃金、働ける日数も体力的に少なくなることを考慮すれば、定年から年金受給開始年齢まで所得水準はかなり下がりそうだ。
「国民年金がもらえるかどうか」という就職氷河期世代のものがどの程度いるのかはまだ未知数なのだが、その後非正規職員の割合は4割まで上昇しており、3割以上の人間は「国民年金だけ、もしくはそれすら無い」ということになる。国民年金のみの場合、その給付額は月6万円である。人口1億人、高齢化率4割とした場合、少なくとも1200万人がが国民年金以下となるのだ。
これに若年貧困層や母子家庭層が加わった場合、人口1億の内、2千万人近い人が「食うのも難しい」社会となることが想像される。「食うや食わず」の絶対的貧困層が人口の2割近くに達し、相対的貧困(平均所得の半分以下)を含めると3割以上となると推測される。
現在のところ、自民党・霞が関政府は外国人労働者の導入に前向きだが、これはGDP水準を維持するためには必要かもしれないが、賃金の上昇を抑えると同時に、職場環境や待遇の改善を抑止する効果もあるため、若年貧困層や失業が蔓延することも覚悟すべきだろう。
貧困が高齢層に限られる場合、破滅的状況にはならないかもしれないが、若年層にも貧困が広がった場合、テロや暴動が頻発する恐れもある。

現政府は「現状を維持するのが精一杯」として将来を見据えた政策を採っておらず、以上のことはほぼほぼ回避不能な未来となっている。
あとは個人レベルで「いかに生き延びるか」を考えるほか無いだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする