2017年10月11日

演劇人と全体主義

【安保法2年、無言の抗議 演劇人ら「時代のカナリア」】
 文学座の演出家西川信廣さん(67)や鵜山仁さん(64)ら俳優や演出家らで作る「安保法制と安倍政権の暴走を許さない演劇人・舞台表現者の会」は19日、無言でプラカードを持って安保法制や戦争反対を訴えるサイレント・スタンディングを行った。東京や名古屋、大阪、京都など全国各地で実施した。
 同会は2015年9月9日に発足。賛同者1434人、賛同団体65団体からなり、毎月19日、各劇団の最寄り駅などでサイレント・スタンディングを継続している。これまで安保法のほか、「共謀罪」法への反対も訴えてきた。
 この日の朝、東京では劇団俳優座や劇団東演の有志らが、通勤客が行き交う六本木駅や下北沢駅などの近くで行った。2年間、ほぼ毎月立ち続けてきた俳優座の俳優、阿部百合子さん(84)は六本木の街頭に立った。取材に対し、「子どもの頃、疎開先の群馬県で爆撃にあった。B29が去るまで畑の中を逃げ回ったり、川に潜って息を止めたりした。戦争はもうこりごり」と話した。
 夜はJR新宿駅南口で、文学座や青年劇場など、約50人が結集。大勢の通行人が行き交う中、「何がなんでも憲法改悪は許さない!」「戦争NO!」などのプラカードを持ち、無言でアピールした。
 西川さんは取材に「われわれ表現者は時代のカナリアで変化に敏感ではなくてはならない。政権のチェック機能を果たしたい。今後も運動は継続していく」と話した。
(9月19日、朝日新聞)

15年戦争期には、まず共産主義者が弾圧され、後に左翼運動家や平和運動家、さらには自由主義者や宗教人にまで粛清の手が伸びた。それは演劇人や芸術家も例外ではなかった。共産党やソ連との関係を疑われたためだった。特に演劇分野はロシアの影響が大きく、トルストイやゴーリキーの信奉者が多く、プロレタリア演劇運動が活性化、1928年には「東京左翼劇場」が結成され、特高からは「共産党シンパ」と見られる演劇人が多かった。佐野碩(戦時中はメキシコに亡命)や宇野重吉などはその筆頭と言える。
戦後、俳優座を設立した東野英治郎、千田是也、小沢栄太郎らはみな戦前に「新劇の舞台に立った」という理由によって治安維持法違反で検挙、投獄されている。東野英治郎の刑事役が堂に入っていたのは、特高に尋問、拷問された経験ゆえだったという。

ソ連・東欧ブロック諸国では、演劇人は常に監視対象だった。秘密警察シュタージを描いた名作『善き人のためのソナタ』で工作員の大尉を演じたウルリッヒ・ミューエは、東独時代、女優でもあった妻が当局に夫の行動を定期的に報告、所属していた劇団で親友と思っていた二人も実はシュタージの協力者(コラボ)だったことがベルリン崩壊後に判明している。

現在の日本政府はほんの80年前に「新劇の舞台に立った」という理由で演劇人を弾圧、粛清したものたちの末裔であり、しかもそれについていかなる反省も謝罪もしていない。つまり、治安維持法が組織犯罪防止法になっただけの話で、いつ再び弾圧の魔の手が舞台に伸びてくるかという演劇人たちの恐怖は至極当然のものなのである。
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2017年10月08日

武装難民は射殺?

【麻生副総理「警察か防衛出動か射殺か」 武装難民対策】
 麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った。
 麻生氏はシリアやイラクの難民の事例を挙げ、「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。動力のないボートだって潮流に乗って間違いなく漂着する。10万人単位をどこに収容するのか」と指摘。さらに「向こうは武装しているかもしれない」としたうえで「防衛出動」に言及した。
 防衛出動は、日本が直接攻撃を受けるか、その明白な危険が切迫している「武力攻撃事態」などの際に認められており、難民対応は想定していない。
 麻生氏は先月、「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と発言し、撤回していた。
(9月23日、朝日新聞)

「ドイツ国防軍のある報告書には、パルチザン1万431人を殺害したと書かれているが、押収したと記録されている銃の数はわずか90挺だった」

「ドイツ軍が対パルチザン戦全体で殺害した人の総数は約35万人で、その九割以上が武器を持っていなかった」
ティモシー・スナイダー『ブラッドランド』

「武装難民」も多分こんな感じかと。
桑島節郎『華北戦記 中国であったほんとうの戦争』も読んで、日中戦争における「治安戦」や「便衣兵」の実態についても把握してもらいたいものだ。
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2017年08月23日

7、8月の読書(2017)

国会と都議選が終わったと思ったら、この暑さと代表選(毎年恒例かよ!)。とても本を読む気になれない。って、今度は代表選で夏休み没収ないし延期。いろいろウンザリだけど、こうした倦怠感自体も「デモクラシー離れ」の一つの表れなのかもしれない。

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『昭和天皇の戦争―「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』 山田朗 岩波書店(2017)
「軍部の暴走に悩まされ、あるいは騙されて戦争突入を余儀なくされ、最後は聖断によって終戦に導いた平和主義者」とのイメージが流布されている昭和帝の実像に迫る。「昭和天皇実録」と軍人や政治家の回顧録やメモ等の一次資料を照らし合わせながら、「実録」に書かれた部分と削られた部分を比較、「穏健な帝国主義者」「機会主義者」としての昭和帝の実像をあぶり出し、宮内庁による印象操作(イメージ戦略)の意図を暴いている。これを読むと、「実録」から天皇が関わった侵略行為や戦争指導に関する部分が巧妙に削除されていることが分かる。昭和史に興味のあるものは一読しておくべきだろう。

『近代日本軍事力の研究』 山田朗 校倉書房(2015)
近代日本の軍事力は、どのような構想の下で整備されていったのか、ソフト(思想・価値観)・システム(制度・法体系)・ハード(兵器体系)の面から検証する研究書。

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『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』 加藤聖文 岩波現代全書(2017)
意外とあるようで無い、満蒙開拓団の歴史。昭和恐慌などによる農村の疲弊にはじまり、満州事変を経て開拓団の編成と派遣が国策化されるが、関東軍による屯田兵、現地召集兵確保の意向などによって歪められ、日中戦争の勃発によって景気が回復、若年労働力が不足し、いつしか官僚的な対応が強まって、強制移住に近いものになってゆく。私なども「満蒙開拓に慎重だった高橋是清が226事件で暗殺されたため、一気に話が進んだ」と信じていたクチではあるが、必ずしもそうとは言えなかった模様。

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『第二次世界大戦の起源』 A・J・P・テイラー 講談社学術文庫(2011)
いまや大戦研究の「古典」に数えられる一冊だが、「邪悪なヒトラーによる計画的な侵略戦争だった」とする今日に至る定説に対する反論は、現代でも有効だろう。さすがに今読むと、古いし、言い回しがくどいと思うところもあり、なかなか読み進めないのだが、非常に刺激的で興味深い。

『信長嫌い』 天野純希 新潮社(2017)
今川義元、六角承禎、三好義継、佐久間信栄など、織田信長によって没落させられた同時代人たちの目を通じて信長像を描いた小説。信長本人はほとんど出てこない。新説を取り込んで上手く話を膨らませており、あまりドラマティックにもなりすぎず、良い加減に仕上がっている。若い作者ゆえか、感覚が現代的なところが好き嫌いの分かれどころかもしれない。
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2017年07月27日

何でもタダでやらせる東京五輪

【木材公募「供出」「搾取だ」ネットで批判】
 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が選手村の交流施設「ビレッジプラザ」で使用する屋根や柱などの木材を全国の地方自治体から公募する方針を示したことが、インターネット上で批判されている。「五輪は搾取のための錦の御旗(みはた)ではない」などと無償で提供を受けることが否定的にとらえられたが、組織委は「全国各地の自治体から『無償でも』と申し出があった。双方に利益があるのだが」と思わぬ反応に困惑している。
 ビレッジプラザは各国・地域選手団が共用する選手用の飲食店や銀行などが並ぶ約6000平方メートルのスペースで、約2000立方メートルの木材が必要となる。国際オリンピック委員会(IOC)に提出した立候補ファイルでは「日本の文化を感じてもらうため、プラザの設計は日本の伝統的な建築様式を取り入れ、木材を使用する」とのコンセプトを掲げていた。このため、全国の自治体から提供の申し出があったという。
 そこで組織委は大会後に木材を各地に戻し、学校などで大会の遺産(レガシー)として活用してもらうことにした。組織委によると、カラマツ、スギなど各地の特産木材が集まれば、大会コンセプトの一つである「多様性と調和」を示すことにもなると判断した。
 大会後に会場の資材を再利用する取り組みは過去の五輪・パラリンピックでもあったが、今回のように設計段階で再利用先まで決めるのは史上初。事前に決めることで、各地での再利用がスムーズに運ぶメリットがある。
 組織委は24日の理事会でこの案を了承して、25日に公募要項を発表した。9月中旬に自治体からの応募を受け、10月上旬に決める予定。約45自治体の参加を想定しており、多数の応募があった場合は抽選で決める方針だ。
 組織委は今年4月から大会のメダルを製作するために「都市鉱山」と呼ばれる不要になった携帯電話や小型家電から回収した金属で大会メダルを作る事業を始めていた。5月までの2カ月で、NTTドコモの全国2400店舗を通じて約53万台の機器を回収したほか、全国の967自治体も(14日現在)が協力を表明しており、74自治体から約106トンが集まっている。
 このときはインターネット上で批判は目立たなかったが、今回は「金属の次は木材供出か」と反発が強い。いずれも盛り上がりを全国に広げることを目的とした事業とはいえ、今後は大会に向けた無償提供は慎重な対応が求められそうだ。
(7月25日、毎日新聞)

2020年8月に予定されている東京五輪の組織委員会は、すでに運営要員や観光案内要員を9万人の無償ボランティア(交通費、宿泊費も自腹)で賄うとしている。その応募条件として想定されているのは、「最低1日5時間以上かつ10日以上」「途中で辞めないことを宣誓する」「事前の研修に参加する」などであり、事前研修を有料化する方向でも検討が進んでいるとされる。敢えて強調するが、8月の東京は連日35度を上回るだろうし、実際の外気温やアスファルト上は40度前後にも達するだろう。

さらに通訳も無償ボランティアが3千人以上募集されるという。各地の大学が前向きに協力を検討しているというのは、狂気の沙汰である。英語の本を丸ごと一冊渡されて、「五輪だから無償で」と翻訳を求められるとすれば、少しは状況の異常性が理解されるだろうか。この他にもIT関係の多くもボランティアで賄われる予定だという。
こういうのは勤労動員と言うのであって、内的自発性に基づくボランタリーではない。

「強制じゃ無いからいいじゃん」というレスがありそうだが、問題はそれほど単純では無い。
例えば、東京マラソンの場合、約1万人のボランティアが運営を担っているが、そのうち自発的に応じたボランティアは半分程度で、残りの半分はスポンサー企業などからの勤労動員による「ボランティア」で賄われている。つまり、公募で足りない要員を、スポンサー企業が社員に強制的に有給休暇を取らせてボランティアに応じさせているのが実情なのだ。

東京マラソンが行われるのは2月下旬の東京で平均気温は6〜7度、もちろんプラスであり、北方の出身者や欧米に滞在した経験のあるものなら寒いうちに入らない。それを考えた場合、五輪のそれは9万人の募集に対して自発的市民は半数も集まらないと見込まれ、結果5〜6万人はスポンサー企業からの勤労動員となる可能性が高い。
つい先日、新国立競技場の現場監督を担っていた若者が月200時間を超える時間外労働を強要され、自決したとの報道があったが、五輪の関係企業はどこも過酷な労働環境にあり、勤労動員される社員も同様と思われるだけに、凄まじい屍の山が築かれることになるだろう。

話を本題に戻そう。木材の無償提供が、人的ボランティアと異なるのは労働力では無く、商品を無償提供するところにある。本来、市場価格のある、国際価格に比して高い国産木材が、大量に無償提供されるとなれば、木材価格の低下、デフレを加速させることになる。しかも、今年は大雨と洪水で被災地の復興が求められており、本来的には国産材は優先的に公共が調達して被災地に割り振られるべきであり、無償提供している場合ではない。
木材の他にも携帯やスマホなどの希少金属を目当てに無償提供を呼びかけている。

東京都は国内で圧倒的に裕福な、中規模国家並みの予算を持った自治体であり、これが大々的に金属も木材も労働力も高額で買い取ることこそが、デフレ脱却の最短ルートだった。ところが、現実には最も裕福な東京都が主催地でありながら、最もカネを出し渋り、最大規模の収奪を進めている。

そもそも2兆6千億円とも言われる予算を計上しながら、人件費や建設費はおろか、授与するメダルの製造費すら事欠くなど、恐ろしい額が中抜きされてパトロネージ(私腹)にされていることを物語っている。
東京五輪は国民と市場を殺すだけのイベントであり、今すぐに中止すべきである。
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2017年07月01日

公用車の使い方について

【公用車で保育所送迎、公私混同? 総務省「問題なし」】
 金子恵美総務政務官(自民・衆院新潟4区)は29日、自身のブログで、子どもの保育所への送り迎えに公用車を使ったことを明らかにした。週刊新潮に「公私混同」と報道されたことを受けたもので、「常に総務省の運用ルールにのっとってきた」と問題はないとの認識を示した。
 ブログによると、総務省や議員会館での公務のついでに会館内の保育所に立ち寄り、公用車に子どもを乗せたことが複数回あった。足が不自由な母親を同乗させたこともあったという。一方で育児と仕事の両立に悩む人に対し、「不快な思いをさせてしまったのではと、心より申し訳なく思う」とも記した。
 総務省は金子氏のケースについて、公用車のルールで認められた送迎などの際に、移動経路を大きくそれることなく家族が同乗していたと説明。「ルール上の問題があるとは考えていない」との見解を示した。
(6月29日、朝日新聞)

まず見出しに問題ありすぎ。公用車の運用規則はかなり厳密に定められていて、正確には道程を含めて公用以外の用途での使用を禁じているし、家族含めて公用に関係ない人物の同乗も認められていない。

例えば、政務官として招待された外国大使館のパーティーには公用車で行けても、議員仲間の飲み会には公用車使用は認められない。かつて法務大臣をされたT先生は、議員会館から霞ヶ関までは公用車を使い、議員会館に戻るときは歩いて戻ろうとされた。それが厳密な解釈だったからだが、警備上の理由から警視庁から懇願されて、行き帰りともに公用車を使うことになった。

金子女史の場合は、おそらく公用車運転手の好意と自主的判断によって使用されていたと思われ、総務省に聞けば「まさかそんなことに使われているとは思わなかった」と答えざるを得ないだろう。規則の厳密さと運用の柔軟性はバランスを考慮する必要があり、今回の場合は個人的には黙認して良いと思うものの(そうでもしないと子どものいる人が議員や閣僚になれない)、柔軟にしすぎると際限が無くなるのも確か。公私混同の酷いケースもいくらでも挙げられるからだ。
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2017年06月17日

ボリショイ2017 パリの炎 

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日本初演となる「パリの炎」を観に行く。本来はマリインスキー(キーロフ)の演目であるはずだが、ボリショイが日本で初演してしまって良いのか気になるところではある。まぁラトマンスキー版が制作された時点で「ボリショイのレパートリー」になったと解釈すべきなのだろう。それでも何故いま「パリの炎」なのか、ひょっとしたら当局の指示があったのかもしれない。背景事情を聞けたら面白そうだ。

「パリの炎」はフランス革命賛歌のバレエ劇で、初演は1932年11月7日、つまり「十月革命15周年」を記念して制作された。当時、農業集団化政策によってウクライナで数百万人が餓死する「ホロドモール」が進行していたことを思えば、まさに亀山先生の言う『熱狂とユーフォリア』の祝祭的側面を象徴する演目と言える。

スターリン時代というと、一般的には粛清の嵐が吹き荒れ、人々は絶対的な絶望の中でただひたすら暴風が過ぎ去るのを待つだけの暗黒の時代だったように思われている。だが、現実には粛清の暗黒と同時に、「共産主義社会の建設」に向けた全体主義的な一体感、熱狂、ユーフォリア感覚が同居していた。

『熱狂とユーフォリア―スターリン学のための序章』 亀山郁夫 平凡社(2003)

時期は異なるが、「スパルタク」(ハチャトリアン)もボリショイの演目で革命賛歌だが、音楽的にも舞踏的にもあまり好きでは無かったため、「パリの炎」も「例のソヴィエト・バレエだろ」と「食わず嫌い」状態にあった。だが、縁あってチケットを一枚融通してもらえる機会があり、観てみることにした。日本人には馴染みの無い演目であるが故に、これが最初で最後になってしまうかもしれないからだ。

さて、肝心の舞台。「スパルタクもどき」を想像していたが、あに図らんや全く別物で、確かに革命賛歌ではあるのだが、そこには突き抜けた祝祭感が溢れていて、主催者が言う「圧巻のステージ」は決して誇張では無かった。「まぁここまでやるなら文句の付けようが無い」というくらい徹頭徹尾高揚感に満たされており、その点がスターリン死後の不安定な時期に制作された「スパルタク」との違いなのだろう。
その代わり細かい感情表現などは無きに等しいわけだが、「そんなものはどうでもいい」と思わせるほど、パワーと勢いで2時間を押し切ってしまう。舞台上のダンサーの多さも圧巻で、特に男性ダンサーが広い舞台を所狭しと飛び回るところが、大きな魅力になっている。

今回の場合、革命指導者フィリップ役のラントラートフ氏が、「これでもか」というくらい少女漫画に出てきそうな理想の男性ダンサーを演じている。とにかく線が細く、背もあまり高そうではないのだが、力強い跳躍とリフトアップで完全に観客を魅了していた。逆に、惜しいことにヒロイン・ジャンヌ役のクリサノワ女史が地味に見えて舞台に沈んでいた観があったくらい。
私などは、フィリップ役はもっとマッチョな方が良いのではと思うわけだが(舞踏的には非常に良いのだが、見た目的に)、それでは完全に一人舞台になってしまうし、女性ファンの大半はラントラートフ氏に熱狂していたに違いない。

全般的には、振付の基本はクラシックであるにもかかわらず、舞台としてはダンス、パフォーマンス、パントマイムの要素が強く、クラシック・バレエの舞台としては伝統的でも現代的でも無いという点で非常に中途半端なものになってしまっている。玄人的には「評価するにも値しない」と言いそうなレベルなのだが、舞台パフォーマンスとしては観客を熱くさせるに十分で、非常に満足度の高い演目に仕上がっている。結果、舞踏のプロからすると、「ケッ、あんなの邪道」と陰口を叩きながら、興行的には認めざるを得ないものになっているものと推察される。
実際、私が観た舞台も、ボリショイとしてはあり得ないくらい空席があったものの、観客の熱狂具合と満足度は非常に高かったように見受けられた。

もう一つロシアっぽいところは、劇中劇と言えるヴェルサイユ宮殿における夜会と、そこで演じられるバレエ劇で、シュライネル女史の熱演もあって舞踏的には一つの見せ場になっているのだが、本筋とは本来関係ないにもかかわらず、かなり長い時間が割かれていた。こうした「このシーンは一体何の意味が?」みたいなものの多さは、ロシアの映画や舞台でも一つの特徴と言える。

「パリの炎」は熱い舞台デス。
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2017年06月13日

日本社会の腐敗構造について・補

「日本社会の腐敗構造について」の補足になる。腐敗を無くすことは不可能としても、その影響を最小限にするためにできることはある。
政官業報の「腐敗テトラゴン」構造を理解すれば、その癒着関係を一つずつ絶ってゆくことが近道であると推定することができる。

最大の問題は選挙制度だ。政治家個人がカネと票を集めなければならない選挙区制度では、政治家が有権者に利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)する代償としてカネと票をもらうシステムになっており、投票率の低さも相まって有効に機能している。
法律上は、公職選挙法、収賄罪、あっせん利得罪などがあるものの、殆ど機能していないことを鑑みても、これらの罰則を強化したところでまず効果は無いだろう。
政治家と有権者の個人的癒着を断ち切るためには、党員の事前投票によって党名簿の順位を決める単純比例代表制が望ましい。ただし、この場合でも、企業団体による政党への献金も禁止あるいは制限する必要はあろう。これにより政業の癒着を絶つ。

次に政官の癒着。これは、政権党が行政府の出す法律案を丸呑みする代償として、行政が利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)することで成り立っている。立法府に行政監督権がある以上、「どこまでが監視でどこからが利益誘導か」という判断は常に残る。だが、英国のように政治家と官僚の接触を厳しく制限し、その交渉内容を必ず記録して公文書に残すようにすれば、政治側からの要求は全て明白となろう。もちろん公文書管理法や情報公開法の改善は不可欠だ。
これによって政治側からの不当要求を減らせば、逆に政治側は行政側の立法提案を丸呑みする必要は無く、少なくとも「貸し借り」の関係を弱めることはできるだろう。

そして官業。財界は政治家を通じて行政から利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)を受ける代償として、官僚に天下りポストを用意する。民主党政権時に、天下り規制を強化したものの、自民党に政権が戻ってほぼ有耶無耶にされてしまったが、このこと自体が「癒着テトラゴン」の存在を示している。
これを抑止するためには、まず省庁に降格制度を設け、全員が定年まで勤め上げられるシステムを構築し、比較的早い段階から年金を受給できるようにする必要がある。この場合、「官優遇」の非難は起きようが、官僚の天下りによって生起される癒着構造が社会に与えているダメージを考えれば、やむを得ない措置だろう。

最後にマスゴミ。日本の大手メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって政府から得た独占的権利をもって市場を占有しており、これが他社の参入を拒んで権力との一体化をなしている。従って、この4つの特権を廃止し、市場競争を促せば大半の問題は解決されるだろう。民主党政権は、これにメスを入れようとしたため、徹底的に攻撃された。それを考えると、現行システムでの漸進的改革は難しいかもしれない。

【追記】
政党は資本家の走狗であり、その腐敢は極度に達し、外交もまた追従妥協、不甲斐なきこと恰も外交者流は国際女郎の観あり
(橋本欣五郎の手記、陸軍、桜会、昭和5年)
posted by ケン at 13:10| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする