2017年05月25日

日本のエリートとは誰か・補〜東大の権力源泉

先の稿で「日本のエリートとは誰を指すのか」を論じた。今回は、その補足として「東大出がなぜ権力を有し、エスタブリッシュメント層を形成しているのか」について考えたい。
とはいえ、本稿も伯父の経験や母の回想を中心に、ケン先生の周辺にいる東大出身者の話を総合したものであり、あくまで参考程度に止めて欲しい。

第一に東大出は、官界のトップを形成するキャリア官僚のうち約半数を占める。この割合は、時代を下るごとに低下しており、かつては平均で6〜7割程度だったと見られる。昨年の国家公務員総合職試験を見ると、約2千人の合格者のうち、東大出は433人で、2位京大の183人を大きく引き離している。とはいえ、これは入口の話であって、昇進レースでは東大出が常に優位に立つ。省庁の事務官僚トップである次官は、かつては大半が東大、現代でも半数が東大だ。
つまり、キャリア官僚の中で相対多数を占める「数的優位」が東大閥の大きな影響力を支えている。

第二に俗に「東大閥」「東大マフィア」などと呼ばれる人的紐帯がある。これは、必ずしも具体的な派閥として存在するわけではない。
例えば、私の大伯父は一高時代に福田赳夫と寮の部屋が隣同士だった関係もあって、東大法学部を経て、官界入りして大蔵と内務に分かれてもずっと同志的紐帯を持ち続けた。そのため、福田が大蔵大臣や総理大臣になっても、電話は直通、面会はアポ無しで優先的に取り次いでもらえた。もちろん逆も同じである。

通常であれば、何らかの案件で内務省の部長が大蔵省の部長に問い合わせを行おうとすれば、何重もの「壁」(手続きや人的仲介)を経てアポイントを取らざるを得ないが、「東大出」であればこうした壁を全て無視して、直接確認したり、協議・調整できたりするのだ。これは、組織内の交渉コストが、通常よりもはるかに低いことを示しており、他大出身者に比して作業効率が著しく高いことを意味する。極論すれば、私大出身のキャリア官僚が調整に何週間も掛けるような案件が、東大出同士が話すと一瞬で終わってしまうのだ。

前ボスが地方自治の関係で陳情を受けた際、「どの部署の誰に相談するか」と悩んで、懇意にしている自治官僚出身のベテラン議員に相談したところ、その先生はその場で総務大臣(自治相の後輩、東大)の携帯に電話、大臣もすぐに電話に出るのだが、「ちょっと相談したいことがあるんだけど、今(議員)会館まで来られるかな?」とまるでサークルの後輩を呼び出すような感覚だった。ここで重要なのは、その陳情が上首尾に処理されたかどうかではなく、下手するとたらい回しにされて有耶無耶にされがちな高コスト案件が、東大や省庁の先輩後輩の関係によって一瞬にして処理されてしまうことにある。

また私の母(東大医学部)は、巨大政令市の局長級だったが、市長は同年代の東大出(法学部、自治官僚)だった。二人はすぐに意気投合し、電話は携帯で直通、面会はアポイント不要で優先的に通されたという。通常であれば、たとえ局長でも、市長への電話は秘書課を介し、面会も秘書課を通じてアポイントを取るものであり、この「近さ」が組織内のあらゆる交渉コストを下げることになる。例えば、局をまたぐ案件で部門の異なる他局がサボタージュを行っている場合、局長同士で調整すると長い時間が必要となるものが、母が市長に電話一本入れるだけで、市長から指令が降りて解決してしまったという。
もっとも、母はこの手を使いすぎて警戒され、副市長になり損ねたわけだが、処理した案件の数は圧倒的だったという。エリートは「最も合理的かつ効率的」に組織内の交渉と作業を進めているだけのつもりなのだが、閥外の人間から見ると「癒着」「談合」にしか見えない典型だろう。

そして、第三に「地頭の良さ」がある。正直なところ、私が見てきた範囲でも東大出身者の中には「同じ人間か」と思うほど頭の良いものが何人かいる。例えば、伯父は凄まじい記憶力の持ち主で、子どもの頃から「いつ誰がどこで何を話したか」正確に言うことができ、自分が目を通した法律は殆ど全て諳んじることができたという。佐藤内閣時に農相のピンチヒッターに指名された時も、「明日からでも官僚の手助けもペーパーも無しで委員会の答弁に立てる」という理由からだった。
現代でも民進党のある若手議員の事務所は、毎日山のように配布される法案資料を全て廃棄しているが、その理由は「議員が一度目を通した資料は全て記憶されるから不要」というものだった。

つまり、こうした超エリート同士は、平均的な官僚や政治家が10説明しないと理解できないことでも、2〜3程度説明すれば全て理解して、下手すると100くらいまでイメージを広げることができる。そのため、超エリート同士の協議や調整は、常人同士のそれよりもはるかに少ないコストで済むことになり、元来の地頭の良さもあって、その事務処理能力は常人の何倍、何十倍にも匹敵するところとなる。同時に、東大出は互いの地頭の良さを知っているため、暗黙の信頼関係があり、「あいつがやるというなら間違いないだろう」と安心して仕事を進めることができる。この信頼関係が、仕事や交渉の効率を上げることは言うまでも無い。ところが、他大学出身者だと、能力に不安があるため、仕事を任せられず、一々チェックしながら仕事を進めることになり、効率が落ちてゆく。

上記をまとめると、「キャリアの半数という数的優位」「人的紐帯による交渉コストの大幅減と事務効率化」「地頭の良さと信頼関係に基づく交渉・事務コストの削減」こそが、「東大閥」の権力源泉なのだと考えられる。
だが、現実には「エリート支配」は大きく陰りを見せている。官界における東大卒の割合は低下の一途を辿り、東大エリートが支配する日本は20年間ほぼ経済成長せず、相対的貧困率は15%を超えて上昇し続け、外交的にはアジアで孤立し、政権は腐敗が蔓延、もはや暴力装置を強化することでしか統治できなくなりつつある。だが、これに替わる統治者層も統治手段も見いだせないのもまた事実なのだろう。

【参考】平等の価値について〜または社会主義者である理由
posted by ケン at 12:14| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

日本のエリートとは誰か

「日本でエリートって具体的には誰を指すのか」という話になった。
世界的に政治対立が「エリートvs. 反エリート」という図式になっている。アメリカでは、エリートのクリントン氏が反エリートを代表するトランプ氏に敗れ、逆にフランスでは、エリートのマクロン氏が反エリートを代表するルペン氏に勝利した。
日本の場合、非エリートの安倍氏が長期政権を担っているが、21世紀に入って東大出の総理大臣は鳩山由紀夫氏だけで、少なくとも表だっては「エリートvs. 反エリート」という図式が見えにくい。

この問いは簡単だ。日本のエスタブリッシュメントは「東大出の官僚」に象徴される。これは、「東大出」だけでも「官僚」だけでも成り立たず、不可分の関係にある。
例えば、先日復興大臣を辞任した今村氏は東大法学部出身だが、国鉄に入社しており、一部では「国鉄官僚」と揶揄されるものの、官僚からは見下される身分にあり、これが大きなコンプレックスとなって、今村氏の肥大化した自我に影響しているものと見られる。
逆に、厚生労働次官だった村木氏は、女性ということもあるが、それ以上に高知大学出身であったため、「凛の会事件」でスケープゴートにされてしまった。彼女が東大、それも法学部出身だったら、まず起きなかっただろう。

この東大の中にも階層があり、その頂点に立つのは法学部で、むしろ法学部以外は「雑魚」「みそっかす」の扱いをされることが多い。例えば、故宮澤喜一は、レクチャーに来た官僚や取材に来た新聞記者に対し、まず「大学は?」と聞き、東大以外と知るとまともに応対せず、東大と答えると今度は「学部は?」と尋ね、法学部以外と知ると、「用を済ませてさっさと帰れ」という空気を丸出しにしていたという。まぁ東大出の新聞記者などまずいないとは思うのだが・・・・・・
ただ、東大出身者の話を聞く限り、医学部はやや例外で、法学部出身者でも一目置いていたようで、「準エリート」と言えるだろう。もっとも、その準エリートの母に聞くと、医学部の中でも「理科三類」で入学したものは(母の世代が最初の理3合格者)、医学部試験合格者から下に見られていたという。ただ、いまや現役世代の全員が理3になっているので、ここは無視して良いだろう。

また、ここで官僚・官界と言う場合、狭義の霞ヶ関・行政官僚を指すのではなく、検察や裁判所、広義では日本銀行まで含まれる。
恐ろしいことに、日本銀行の総裁を見た場合、現職の黒田氏、先々代の福井氏は東大法学部出身であり、経済学部では無い。松下氏以前は、ほぼほぼ東大法学部出身者で占められている。一橋(東京商科大学)出身かつキリスト教徒である速水氏が総裁に就任したのは、一連の大蔵スキャンダルに依るもので、それが無ければ「あり得ない人事」だったとされる。

司法の世界においても、弁護士は検察官や裁判官に比して「一段下」に見られており、実際、帝政期の法廷では裁判官と検察官がひな壇に並んで座り、被告と弁護士は「御白砂」に立たされたままだった。この感覚は現代においても変わりなく、「判検交流」という形で「司法の東大支配」が続いている。
もっとも、たとえ弁護士であっても、「東大出の弁護士」は一目置かれる存在だという。全く証拠が無いので、「噂」になってしまうが、同じ女性議員でも、民進党のT元氏やレンホー氏らが強いバッシングにさらされる一方で、同党のY尾氏やSM党のF島氏などはいくら政府攻撃しても、スキャンダルを抱えていても批判されていない。これは後者二人が「東大法学部出の弁護士」であるため、東大閥の手厚い保護があるというのが、永田町における「常識」だ。
これは、日本の司法研修制度が、官民一体となって検察志望者も弁護士志望者も一緒に裁判所で研修を行い、「研修同期」が一種のマフィア的社会を形成していることにも起因していると考えられる。

付言すると、民主党政権時に検事総長に就任した笠間治雄氏は、明治帝政以来二度目の私大出身者(中央)だった。当時起きた大阪地検証拠改ざん事件を受けての大抜擢だったが、「(東大出でない)私に総長が務まるわけが無い」と何度も全力で固持したとされる。これは、私大出身の総長では、東大出のエリート官僚が統制に服さない恐れが強かったためと推察される。
他方、笠間を推薦した大林前総長の意図は、「法務官僚(赤煉瓦)ではこの難局は乗り切れない」というものであったというのが一般的な見方だが、私が耳にした噂には「民主党政権ごときにエスタブリッシュメントの検事総長などくれてやれるか!」というというものもあった。

なお、このF島氏は、自民党麻生政権時に中川蔵相がローマで「酩酊会見」を行ってバッシングされた際、野党議員(しかもSM)であったにもかかわらず全力で庇い続けており、東大法学部の同期であったことから「やっぱり東大マフィア」と批判されている。この後に憤死した中川氏は東大法学部を卒業後、官界に入らず、日本興業銀行(現みずほ)に入行しているため、「エリートグループの一員」(ロシア語に言うНаш человек)とは見なされず、庇われなかった側面があることは否めない。

もっとも、細かいところで言うと、「エリート」の中にも序列があるとされる。1つは言うまでも無く、官界の中の序列で、旧内務省と大蔵省を頂点とする明確な上下関係が存在する。現代においても、総務省や財務省の次官が官界の最頂点であり、「下級官庁」になると、総務省や大蔵省からの出向者が次官になるという関係にある(常では無いが)。
東大在学中に司法試験に合格して大蔵省に入省し、「若手ホープ」としてエスタブリッシュメントに期待されながら、政界に転身したある議員は、出馬する際に上司から「せっかく政治家を使う立場にあるのに、何をトチ狂って我々に使われる立場になろうとするんだ!」と説教されたという。

日本政治が統治不全に陥りつつある1つの理由は、かつては東大出エリートが省庁で位階を極めた後、政界に転じて党人派とバランスを取りながら「シヴィリアン・コントロール」を行うという機能があり、政界の超エリートが官僚を制御していた側面を有していたものの、これが小選挙区制の導入などで失われ、霞ヶ関の一元支配になってしまったことにある。
例えば、私の大伯父は内務省の超エリートで、終戦時の鈴木内閣の総理秘書官や調査局長を担い、戦後政界に転じているが、東大と内務省の人脈で官界に睨みをきかせることができた。佐藤内閣期に農相がスキャンダルで辞任した際、全く専門外の伯父が指名されたが、その理由は「明日からでも官僚の手助け無しで答弁に立てる」というもので、「頭脳エリート」としても圧倒的な存在感を示していた。現代でも、民主党政権期に前ボスが懇意にしていたT先生は、自治省の局長上がりだったが、後輩が先に大臣になっても携帯に直接電話して、「ちょっと説明に来てくれ」と言える関係にあった。良くも悪くも「そういうもの」だったのだ。
ところが、昨今の官界出身者は、課長補佐程度で出馬するため、当選しても、むしろかつての上司にアゴで使われるような有様になっている。そうでないと、逆に「上司憎し」のルサンチマンに終始してしまう。民進党の官僚出身議員の多くがこれだ。

・大伯父の肖像:スーパーエリートの系譜

もう一つ「エリート中の序列」に出身高校の序列というものがあるが、すでに長くなっているので、別の機会に気が向いたら稿を起こしたい。また、「東大出がなぜエスタブリッシュメントを形成できるのか」については補稿を上げたい。
posted by ケン at 12:27| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

雪崩事故は慢心故か

【<那須雪崩>「経験則」から慢心…歩行訓練、3教諭で決断】
「絶対安全だと思っていた」−−。栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場付近で起きた雪崩で県立高校生ら8人が死亡した事故で、現場責任者だった教諭が29日、公の場で初めて当時の状況を語った。安全と判断した根拠については自らの「経験則」という言葉を繰り返す一方、教え子を失った事実に声を震わせ、頭を下げて記者会見場を後にした。
 悪天候のために登山の実技講習を中止しながら、なぜ歩行訓練を実施したのか−−。「春山登山」講習会を主催した栃木県高校体育連盟で登山専門部委員長を務める県立大田原高の猪瀬修一教諭(50)が県庁で記者会見し、登山専門部の副委員長、参加校の山岳部の顧問教諭の計3人で話し合って決めたことを明かした。
 27日午前6時ごろ、現地本部となっていた町内の旅館にいた猪瀬教諭は、スキー場近くに設営したテントにいた副委員長の携帯電話を鳴らした。副委員長が、一緒にいた登山のキャリアが豊富な顧問教諭に相談したところ、顧問は「雪が降っているので登山は無理。ラッセル訓練はできるだろう」と語り、3人でゲレンデに出ることを決めたという。
 午前7時半ごろにスキー場の管理事務所に生徒らを集合させ、訓練について説明。同8時ごろ、生徒46人、副委員長と顧問教諭を含む教員9人の計55人が第2ゲレンデの方向に歩き出した。猪瀬教諭は送り出した後、本部に戻り待機した。
 講習会は毎年このスキー場で行われており、教諭らの「経験」で「雪崩が起きやすい地点に近付かないように」して山の斜面で訓練を開始。生徒らは10人前後の5班に分かれ、亡くなった大田原高校の生徒7人と教諭1人を含む「1班」計14人が先頭になり登っていた際、同8時半ごろに雪崩に見舞われた。副委員長を含む生徒ら40人が負傷した。
 猪瀬教諭が事故を知ったのは午前9時15分ごろ。参加者は無線機などを持参していたはずだが雪崩でなくしたのか、無事だった教諭の1人が本部に駆け付け猪瀬教諭に報告。同20分ごろ110番した。
 また、雪の中で位置情報を知らせる電波発信機(ビーコン)を装備していなかった点については「雪崩の危険性のある登山には必要だが高校生は(危険な山には)行かない。全国的にもそうだと認識している」と語った。
 「安全」の判断は「経験則」によるとの説明を繰り返す一方、結果的に慢心があったことを認め「正直あの時行かないという判断をできればこんなことにならなかった」と後悔の言葉も。本部で連絡係として待機していたが、午前9時ごろから約10分間は無線機から離れていたといい「その間に通報があった可能性はあり、今では不用意だったと思っている」と釈明した。
 反省の言葉も口にし、会見終盤には「取り返しがつかないこと」と涙ぐんで声を震わせ、28日の保護者説明会で「『こういうことになっていたたまれない。申し訳ない』と話した」と明かした。
 「私ができることは、知っていること、こういうことになってしまったことをうそをつかずに誠実に答えること。謝罪しても、すみませんと言っても……」。体調への配慮から県教委の幹部らを残し2時間余りで途中退席する際、深く頭を下げた。
(3月29日、毎日新聞)

不慣れな官僚答弁でボロを出しまくってしまった格好だが、要は「いつもやっていたことを、いつも通りやったら事故が起きてしまった。我々はいつも通り絶対安全と判断しただけ」ということらしい。福島原発事故に際しての東電側の無責任な答弁と被るところが多いと同時に、旧軍に共通する日本社会の伝統的なブラック体質をも露呈している。

まず現場で高校生を引率し、事故で死亡した教員は就任一年目の新人であるにもかかわらず、登山部の顧問をさせられていた上、冬山登山の経験はゼロだったという。少し前までなら、新人教員が担任や部活顧問を任せられることは無かったはずだが、人員不足が恒常化する中、新人かどうか関係なく強制させられている。担任はともかく、部活動は任意の活動である上、教員の本来業務でも無いが、地方に行くほど参加強制がまかり通り、教員も顧問就任を強制されるケースが殆どだとされる。特に若い教員ほど、「若い」というだけの理由でハードな運動部顧問を任せられる傾向が強く、離職率や疾病率を高めている。
経験豊かな「専門家」が後方のテントや旅館で待機していたのに対し、経験ゼロの最若年教員が最先頭に立っていたこと自体、ブラック体質を示している。
現地の救助隊にいる老人は、数十年前にも同じ場所で雪崩が起きていたことを証言しているが、「不都合な事実」は無視されたようだ。

また、事故に遭った高校生も引率教員もビーコンを持っておらず、教員が持っていたとされる無線機は機能しなかった。このことは、安全装備の多重性を無視して、「全電源喪失などという事態は起こりえない」と強弁し、世界最大級の核事故を引き起こした日本政府や東京電力に共通する。同時に、安全装備を全廃した零戦を主軸戦闘機にしてしまった旧軍の体質にも共通する。日本人は、どこまでも安全をケチる傾向にあるが、これは過剰な人口が生命の価値を下げているためかもしれない。この傾向は、日本の人口が3千万人くらいになれば、少しは見直されるかもしれない。

ちなみに日露戦争前の雪中行軍に際し、八甲田山で遭難した青森第五連隊第二大隊を率いた神成大尉は秋田生まれ特務上がりの大ベテランだった。にもかかわらず、状況把握も登山装備も不備のまま出発している。休息する予定すらなく、一気に歩き抜くという無謀すぎる「計画」だった。
これに対し、同じ訓練を行って遭難せずに完遂した弘前第三十一連隊第一大隊の福島大尉は、士官学校上がりのベテランだったが、こちらは群馬県の平野部の出身だったにもかかわらず、事前調査を十分に行い、装備も万全を期して慎重に進め、ビバークの準備も十分にしていた。
八甲田山の経験は、必ずしも冬山や登山の経験がなくとも、リーダーの慎重な行動や判断があれば、悲劇を回避できる可能性を示している。

八甲田山の事件も「悲劇」ばかりが強調されるが、「なぜ事故が避けられなかったのか」という経験は100年以上経ても全く活かされていないようだ。
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2017年04月06日

拡散する外国人差別

【スポーツ報知が「おわび」を掲載 照ノ富士へのヤジ「モンゴル帰れ」の見出しで】
 モンゴル出身の大関・照ノ富士が大相撲春場所14日目(3月25日)に関脇・琴奨菊に勝利したが、この取り組みについて観客のヤジ「モンゴル帰れ」という言葉を見出しにしたニュース記事に対し、外国人に対する差別的な「ヘイトスピーチだ」といった批判が相次いでいる。問題となっているのは、「スポーツ報知」が3月26日に配信した記事。見出しは「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!『モンゴル帰れ』」となっている。
(3月27日、The Huffington Postから抜粋)

【差別発言、3割が経験=外国人居住者に初調査―法務省】
 法務省は31日、日本に住む外国人を対象とした差別被害に関する初の実態調査の結果を公表した。過去5年間に外国人であることを理由に差別的なことを言われた経験が「よくある」「たまにある」と答えた人は合わせて29.8%だった。誰に言われたかを複数回答で尋ねたところ、「見知らぬ人」が53.3%と最も多く、「職場の上司や同僚・部下、取引先」が38.0%、「近隣の住民」が19.3%と続いた。金田勝年法相は記者会見で「外国人に対する不当な差別的言動、扱いがあってはならない」と強調。「相談窓口の周知や人権啓発活動に適切に取り組む」と述べた。
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)を伴うデモや街宣活動を見聞きした人の受け止め(複数回答)は、「不快に感じた」が39.2%、「なぜそのようなことをするのか不思議に感じた」が28.4%、「日本人や日本社会に対する見方が悪くなった」が15.9%の順となった。このほか、外国人であることを理由として、住宅への入居を断られた(39.3%)、就職を断られた(25.0%)、同じ仕事をしている日本人より賃金が低かった(19.6%)といった実態が明らかになった。
 調査は外国人居住者の多い群馬県太田市、東京都港区、川崎市など16都道府県の37市区に住む18歳以上の1万8500人を対象に、昨年11月14日から12月5日まで、郵送で実施。有効回収率は23.0%だった。 
(3月31日、時事通信)

大阪府立体育会館では「モンゴル帰れ」が木魂したらしいが、市中でも外国人差別が顕在化、拡散する傾向を見せている。東京新聞の記事によれば、一橋大学の学生らが行ったアンケートでは、相当数の留学生が差別や暴力を受けたと回答している。公共の体育館でヘイトスピーチが乱舞し、スポーツ新聞の見出しにもなるくらいなのだから、市中に差別が溢れるのは当然かもしれない。外国人技能実習生に限れば、もっと悲惨な結果が出るかもしれない。

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差別感情は、本質的には程度の差はあれども、誰しもが抱えうるものであり、存在そのものを否定するのは無意味だ。だが、それだけにひとたび表出を許し、顕在化が始まると止めるのが難しくなってしまう性質がある。関東大震災に際しての虐殺事件や、大きなところではドイツにおけるホロコースト、ロシアにおけるポグロムなどが挙げられる。
比較的豊かで安定した社会では、差別は表出しにくいが、豊かさが失われ不安定化する中にあって、差別感情もまた表面化しやすい環境が醸成されつつある。同時に、権力者は社会的不満を逸らすために差別を助長する傾向があり、これはほぼ例外なく行われる。
民族の平和的共存を国家原理としたユーゴスラヴィア連邦が、凄惨な民族紛争と内戦の末に分裂、瓦解したのは四半世紀前のことに過ぎない。

とはいえ、特効薬のようなものが存在しないことも確かで、対処策としては、法律によって差別を禁じて、可能な限り表面化を抑止すると同時に、教育や社会的感化を通じて民族共生の普遍性を啓蒙していく他ない。
だが、帝国時代には同化政策を推進し、戦後は多民族共生を拒否あるいは無視してきた日本では、あらゆる外国人施策が遅れており、包括的な差別禁止法すら無く、多文化共生教育は自治体(教育委員会)の裁量に委ねられているため、差別が蔓延する環境はすでにできあがっていると見て良い。
今後、さらに留学生や技能実習生の増加が計画されているだけに、非常に危険な状況と言えよう。
posted by ケン at 12:22| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

スマホとかあり得ないよね

【ロ外相、スマホ不携帯を告白 CIAによるハッキング疑惑受け】
 米中央情報局(CIA)によるハッキング疑惑を内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露したことを受けて、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は9日、ハッキング被害を回避するため、「デリケートな問題」が絡む協議にはスマートフォンを持ち込まないようにしていると明かした。ドイツのジグマル・ガブリエル外相とモスクワで臨んだ共同記者会見の場でラブロフ氏は、「私自身は、デリケートな問題が関わる協議には電話を持ち込まないようにしている」と話し、「少なくとも私は今のところ、不都合な状況には陥らなくて済んでいるようだ」と述べた。ラブロフ氏はさらに、CIAはスマートフォンだけでなく「冷蔵庫にも」侵入できると聞いたと、冗談めかした口調で付け足した。
(3月10日、AFP)

私の周囲にいる政界人もまず9割以上の人がスマホを装備しているが、情報や諜報に対する意識の低さ、あるいは国政に対する責任の自覚が疑われる。
日本の警察・公安あるいは自衛隊も、遅れてはいるものの、通信傍受部門を拡大させつつあり、アメリカの諜報機関との連携を考えれば、どのような情報が「筒抜け」になっているか分かったものではない。「ガラケーなら大丈夫」ということはないが、スマホは便利であるが故に、全ての情報が集約されてしまい、盗聴する側にとっても「カモネギ」だからだ。

開示された情報に寄れば、CIAはスマホはおろか、自宅などのインターネットに接続していないPCへのアクセスを可能にしているということであり、死角自体が無くなりつつあると見て良い。それどころか、自動車の制御系にウイルスを展開させて、事故を擬装しての暗殺をも試みているというのだから、もはや大手メディアによる「事故死」報道すら、実は「フェイク・ニュース」である可能性があることを示している。つまり、現代において「トゥルー」と「フェイク」の境界線はますます曖昧になっており、「フェイク・ニュース」と騒いでいる連中こそが「フェイク」の発信源だったということも常態化しつつある。
そして、日常生活に必要なあらゆる機器がIT化、AI化されつつあるだけに、外部からの不正操作に対してますます脆弱になっている。ラブロフ氏ではないが、冷蔵庫すら、「アナログ」でないと不安な時代になっているのだ。

不正アクセスや偽情報の発信は、ロシアの専売特許ではなく、当然アメリカも力を入れている。西側社会でテロ戦争や難民問題の実像、あるいは金融不正などが報道されないのは情報操作の成果だろう。
少なくとも我々は「そういう」時代に生きていることを自覚する必要がある。
posted by ケン at 12:12| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

いざ!1億総スポーツ社会

【「1億総スポーツ社会を実現」 基本計画を答申】
 スポーツ庁長官の諮問機関、スポーツ審議会は1日、2017年度から5カ年の施策の指針を示す「第2期スポーツ基本計画」の内容を鈴木大地長官に答申した。20年東京五輪・パラリンピック開催を契機に、スポーツ参画人口の拡大による「1億総スポーツ社会」の実現を掲げ、施策の数値目標を現行計画の8から20に増やした。新計画ではスポーツによって「人生が変わる」「社会を変える」「世界とつながる」「未来を創る」の4つを基本方針に、医療費抑制や地方創生など国の課題解決に取り組む姿勢を示した。施策の数値目標としては、▽障害者のスポーツ実施率(週1回以上)を現状の2倍の40%にする▽スポーツが「嫌い」「やや嫌い」の中学生を半減させ8%にする▽国内スポーツ市場の規模を20年までに10兆円、25年までに15兆円にする――などを追加した。五輪とパラリンピックでの過去最多の金メダル獲得に向け、支援も充実させる。今月下旬にも松野博一文部科学相が最終決定する。鈴木長官は「非常に重要な5年間になる。教育としてのスポーツだけでなく、楽しさを伝えることに注力したい」と語った。
(3月1日、日本経済新聞)

東京五輪と合わせて、巨大な「東京スポーツ宮殿」が建てば、ナチ化完成。まぁギガントマニアに成りきれないところが日本人の弱いところかもしれないが、奈良大仏や戦艦大和の前例もあるからなぁ。

ナチに限らず全体主義国家はほぼ例外なくスポーツが大好きで、五輪のメダルの数を競う傾向が強い。これは、スポーツが、国家と国民を結ぶ紐帯としての機能として高く評価されているためだ。ソ連でもナチス・ドイツでも、国が各種スポーツ団体を主宰し、国民を動員、統合の手段としてきた。
同時にスポーツは容易に軍事に転用することができる。ドイツのグライダー協会が新設空軍の人材供給源になったことは良く知られている。

五輪で獲得メダル数を競うのは、国家威信に固執する権威主義精神の発露であり、国を挙げてメダル数を騒ぎ立てる日本は、表面上は民主主義を奉じているが、潜在的には権威主義に親和的で、自民党一党優位体制の根幹をなしている。

政府・自民党がこうした政策を打ち出すのは、根源的には森氏に象徴されるように、自民党の利権がスポーツ団体に集中しているためだが、背景的には企業福祉国家の瓦解に伴って国民統合力が低下する中で、国民統合を下支えする装置が求められていることがある。また、国民の不満を逸らす「サーカス」として東京五輪が準備されているが、1936年のベルリン・オリンピック同様の国威発揚の機会としても考えられている。

だが、現実には五輪を開催するために限られた予算を投じるため、社会保障を切り下げるほかなくなっている。また、スポーツに国民を動員しようとしても、高齢者ばかりで1億人をスポーツに参画させようとすれば、60代まで動員する必要があり、とても現実的とは言えない。東京五輪も、もともと4割以下しか賛同者がいなかったところを、必死に情報操作して6割まで水増しして誘致を果たしているだけに、伯林五輪のような熱狂を期待するのは難しいだろう。まして、近隣諸国がボイコットでもすれば、「斜陽国での五輪開催」としてモスクワ五輪を彷彿させる事態になりかねない。
いずれにせよ、自民党員や官僚が期待するような結果にはならないとは思うものの、今後さらに権威主義、全体主義にシフトしてゆくのかと思うと、憂鬱にならざるを得ない。
posted by ケン at 12:02| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

どこまでも人に金を出さない国

【ボランティア数百万人…障害者支援で政府計画案】
2020年東京五輪・パラリンピックに向け、障害者が暮らしやすい社会の実現を図るため、政府が策定する行動計画案の概要が19日、分かった。障害者や高齢者を支援するボランティアを20年までに全国で数百万人育成することなどが柱だ。行動計画案は障害者への考え方を変える「心のバリアフリー」と、障害者や高齢者に配慮した「ユニバーサルデザイン」の街づくりの2本立て。20日に関係閣僚会議を開いて正式決定する。安倍首相は会議で、政策立案段階から障害者に参加してもらい、必要な法改正を行うよう指示する。
(2月20日、読売新聞)

もはやボランティアというよりも勤労動員色が濃くなっている。そもそも障害者を支援するボランティアを「オリンピックに向けて」育成するという説明からして意味不明だ。五輪が開催されなければ不要だったのだろうか。
すでに記事にしているが、東京五輪では外国語通訳もボランティアで賄おうとしており、どこまでも正当な報酬・対価を払わずに人に労働力を提供させようとする、政府・五輪委員会の醜悪なる姿勢、あるいは収奪の意志が見て取れる。

巨大な祭典は、祝祭によって市民の不満を逸らすことと、巨大な公共投資によって景気増大を狙うことを目途とする。東京五輪はもともと支持者が3〜4割程度しかいなかったものを、広告会社などを利用した情報操作によって6割程度に水増しすることで強行しているだけに、「市民の不満を逸らす」目的は十分には成立しがたい。自民党や霞ヶ関は後者の名目にかこつけて腐敗・汚職の機会を設けて自己利益の拡大に努めている。巨大な五輪施設の建設には、全く金に糸目を付けずにつぎ込む一方で、運営要員にはまったく利益配分するつもりがないところからも、連中の狙いがどこにあるか分かるだろう。

この結末はハッキリしている。五輪用に建設される巨大施設は、他に転用する術が無く、何の生産にも寄与しないまま、遊休施設となる。しかも、維持費や解体費ばかりが巨大な負債として残される。市民はただ無給のボランティアとして動員されるだけで、後日、巨大な財政赤字が増税あるいはインフレとなって、市民生活を直撃するだろう。まさに末期のローマである。

自民党員と官僚ばかりが肥太って、市民はひたすら収奪される。にもかかわらず、自民党が支持されるのだから、もはや破断界は免れないだろう。まぁ、民進党も五輪を支持している時点で選択肢すら無いわけだが。
posted by ケン at 12:50| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする