2017年07月27日

何でもタダでやらせる東京五輪

【木材公募「供出」「搾取だ」ネットで批判】
 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が選手村の交流施設「ビレッジプラザ」で使用する屋根や柱などの木材を全国の地方自治体から公募する方針を示したことが、インターネット上で批判されている。「五輪は搾取のための錦の御旗(みはた)ではない」などと無償で提供を受けることが否定的にとらえられたが、組織委は「全国各地の自治体から『無償でも』と申し出があった。双方に利益があるのだが」と思わぬ反応に困惑している。
 ビレッジプラザは各国・地域選手団が共用する選手用の飲食店や銀行などが並ぶ約6000平方メートルのスペースで、約2000立方メートルの木材が必要となる。国際オリンピック委員会(IOC)に提出した立候補ファイルでは「日本の文化を感じてもらうため、プラザの設計は日本の伝統的な建築様式を取り入れ、木材を使用する」とのコンセプトを掲げていた。このため、全国の自治体から提供の申し出があったという。
 そこで組織委は大会後に木材を各地に戻し、学校などで大会の遺産(レガシー)として活用してもらうことにした。組織委によると、カラマツ、スギなど各地の特産木材が集まれば、大会コンセプトの一つである「多様性と調和」を示すことにもなると判断した。
 大会後に会場の資材を再利用する取り組みは過去の五輪・パラリンピックでもあったが、今回のように設計段階で再利用先まで決めるのは史上初。事前に決めることで、各地での再利用がスムーズに運ぶメリットがある。
 組織委は24日の理事会でこの案を了承して、25日に公募要項を発表した。9月中旬に自治体からの応募を受け、10月上旬に決める予定。約45自治体の参加を想定しており、多数の応募があった場合は抽選で決める方針だ。
 組織委は今年4月から大会のメダルを製作するために「都市鉱山」と呼ばれる不要になった携帯電話や小型家電から回収した金属で大会メダルを作る事業を始めていた。5月までの2カ月で、NTTドコモの全国2400店舗を通じて約53万台の機器を回収したほか、全国の967自治体も(14日現在)が協力を表明しており、74自治体から約106トンが集まっている。
 このときはインターネット上で批判は目立たなかったが、今回は「金属の次は木材供出か」と反発が強い。いずれも盛り上がりを全国に広げることを目的とした事業とはいえ、今後は大会に向けた無償提供は慎重な対応が求められそうだ。
(7月25日、毎日新聞)

2020年8月に予定されている東京五輪の組織委員会は、すでに運営要員や観光案内要員を9万人の無償ボランティア(交通費、宿泊費も自腹)で賄うとしている。その応募条件として想定されているのは、「最低1日5時間以上かつ10日以上」「途中で辞めないことを宣誓する」「事前の研修に参加する」などであり、事前研修を有料化する方向でも検討が進んでいるとされる。敢えて強調するが、8月の東京は連日35度を上回るだろうし、実際の外気温やアスファルト上は40度前後にも達するだろう。

さらに通訳も無償ボランティアが3千人以上募集されるという。各地の大学が前向きに協力を検討しているというのは、狂気の沙汰である。英語の本を丸ごと一冊渡されて、「五輪だから無償で」と翻訳を求められるとすれば、少しは状況の異常性が理解されるだろうか。この他にもIT関係の多くもボランティアで賄われる予定だという。
こういうのは勤労動員と言うのであって、内的自発性に基づくボランタリーではない。

「強制じゃ無いからいいじゃん」というレスがありそうだが、問題はそれほど単純では無い。
例えば、東京マラソンの場合、約1万人のボランティアが運営を担っているが、そのうち自発的に応じたボランティアは半分程度で、残りの半分はスポンサー企業などからの勤労動員による「ボランティア」で賄われている。つまり、公募で足りない要員を、スポンサー企業が社員に強制的に有給休暇を取らせてボランティアに応じさせているのが実情なのだ。

東京マラソンが行われるのは2月下旬の東京で平均気温は6〜7度、もちろんプラスであり、北方の出身者や欧米に滞在した経験のあるものなら寒いうちに入らない。それを考えた場合、五輪のそれは9万人の募集に対して自発的市民は半数も集まらないと見込まれ、結果5〜6万人はスポンサー企業からの勤労動員となる可能性が高い。
つい先日、新国立競技場の現場監督を担っていた若者が月200時間を超える時間外労働を強要され、自決したとの報道があったが、五輪の関係企業はどこも過酷な労働環境にあり、勤労動員される社員も同様と思われるだけに、凄まじい屍の山が築かれることになるだろう。

話を本題に戻そう。木材の無償提供が、人的ボランティアと異なるのは労働力では無く、商品を無償提供するところにある。本来、市場価格のある、国際価格に比して高い国産木材が、大量に無償提供されるとなれば、木材価格の低下、デフレを加速させることになる。しかも、今年は大雨と洪水で被災地の復興が求められており、本来的には国産材は優先的に公共が調達して被災地に割り振られるべきであり、無償提供している場合ではない。
木材の他にも携帯やスマホなどの希少金属を目当てに無償提供を呼びかけている。

東京都は国内で圧倒的に裕福な、中規模国家並みの予算を持った自治体であり、これが大々的に金属も木材も労働力も高額で買い取ることこそが、デフレ脱却の最短ルートだった。ところが、現実には最も裕福な東京都が主催地でありながら、最もカネを出し渋り、最大規模の収奪を進めている。

そもそも2兆6千億円とも言われる予算を計上しながら、人件費や建設費はおろか、授与するメダルの製造費すら事欠くなど、恐ろしい額が中抜きされてパトロネージ(私腹)にされていることを物語っている。
東京五輪は国民と市場を殺すだけのイベントであり、今すぐに中止すべきである。
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2017年07月01日

公用車の使い方について

【公用車で保育所送迎、公私混同? 総務省「問題なし」】
 金子恵美総務政務官(自民・衆院新潟4区)は29日、自身のブログで、子どもの保育所への送り迎えに公用車を使ったことを明らかにした。週刊新潮に「公私混同」と報道されたことを受けたもので、「常に総務省の運用ルールにのっとってきた」と問題はないとの認識を示した。
 ブログによると、総務省や議員会館での公務のついでに会館内の保育所に立ち寄り、公用車に子どもを乗せたことが複数回あった。足が不自由な母親を同乗させたこともあったという。一方で育児と仕事の両立に悩む人に対し、「不快な思いをさせてしまったのではと、心より申し訳なく思う」とも記した。
 総務省は金子氏のケースについて、公用車のルールで認められた送迎などの際に、移動経路を大きくそれることなく家族が同乗していたと説明。「ルール上の問題があるとは考えていない」との見解を示した。
(6月29日、朝日新聞)

まず見出しに問題ありすぎ。公用車の運用規則はかなり厳密に定められていて、正確には道程を含めて公用以外の用途での使用を禁じているし、家族含めて公用に関係ない人物の同乗も認められていない。

例えば、政務官として招待された外国大使館のパーティーには公用車で行けても、議員仲間の飲み会には公用車使用は認められない。かつて法務大臣をされたT先生は、議員会館から霞ヶ関までは公用車を使い、議員会館に戻るときは歩いて戻ろうとされた。それが厳密な解釈だったからだが、警備上の理由から警視庁から懇願されて、行き帰りともに公用車を使うことになった。

金子女史の場合は、おそらく公用車運転手の好意と自主的判断によって使用されていたと思われ、総務省に聞けば「まさかそんなことに使われているとは思わなかった」と答えざるを得ないだろう。規則の厳密さと運用の柔軟性はバランスを考慮する必要があり、今回の場合は個人的には黙認して良いと思うものの(そうでもしないと子どものいる人が議員や閣僚になれない)、柔軟にしすぎると際限が無くなるのも確か。公私混同の酷いケースもいくらでも挙げられるからだ。
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2017年06月17日

ボリショイ2017 パリの炎 

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日本初演となる「パリの炎」を観に行く。本来はマリインスキー(キーロフ)の演目であるはずだが、ボリショイが日本で初演してしまって良いのか気になるところではある。まぁラトマンスキー版が制作された時点で「ボリショイのレパートリー」になったと解釈すべきなのだろう。それでも何故いま「パリの炎」なのか、ひょっとしたら当局の指示があったのかもしれない。背景事情を聞けたら面白そうだ。

「パリの炎」はフランス革命賛歌のバレエ劇で、初演は1932年11月7日、つまり「十月革命15周年」を記念して制作された。当時、農業集団化政策によってウクライナで数百万人が餓死する「ホロドモール」が進行していたことを思えば、まさに亀山先生の言う『熱狂とユーフォリア』の祝祭的側面を象徴する演目と言える。

スターリン時代というと、一般的には粛清の嵐が吹き荒れ、人々は絶対的な絶望の中でただひたすら暴風が過ぎ去るのを待つだけの暗黒の時代だったように思われている。だが、現実には粛清の暗黒と同時に、「共産主義社会の建設」に向けた全体主義的な一体感、熱狂、ユーフォリア感覚が同居していた。

『熱狂とユーフォリア―スターリン学のための序章』 亀山郁夫 平凡社(2003)

時期は異なるが、「スパルタク」(ハチャトリアン)もボリショイの演目で革命賛歌だが、音楽的にも舞踏的にもあまり好きでは無かったため、「パリの炎」も「例のソヴィエト・バレエだろ」と「食わず嫌い」状態にあった。だが、縁あってチケットを一枚融通してもらえる機会があり、観てみることにした。日本人には馴染みの無い演目であるが故に、これが最初で最後になってしまうかもしれないからだ。

さて、肝心の舞台。「スパルタクもどき」を想像していたが、あに図らんや全く別物で、確かに革命賛歌ではあるのだが、そこには突き抜けた祝祭感が溢れていて、主催者が言う「圧巻のステージ」は決して誇張では無かった。「まぁここまでやるなら文句の付けようが無い」というくらい徹頭徹尾高揚感に満たされており、その点がスターリン死後の不安定な時期に制作された「スパルタク」との違いなのだろう。
その代わり細かい感情表現などは無きに等しいわけだが、「そんなものはどうでもいい」と思わせるほど、パワーと勢いで2時間を押し切ってしまう。舞台上のダンサーの多さも圧巻で、特に男性ダンサーが広い舞台を所狭しと飛び回るところが、大きな魅力になっている。

今回の場合、革命指導者フィリップ役のラントラートフ氏が、「これでもか」というくらい少女漫画に出てきそうな理想の男性ダンサーを演じている。とにかく線が細く、背もあまり高そうではないのだが、力強い跳躍とリフトアップで完全に観客を魅了していた。逆に、惜しいことにヒロイン・ジャンヌ役のクリサノワ女史が地味に見えて舞台に沈んでいた観があったくらい。
私などは、フィリップ役はもっとマッチョな方が良いのではと思うわけだが(舞踏的には非常に良いのだが、見た目的に)、それでは完全に一人舞台になってしまうし、女性ファンの大半はラントラートフ氏に熱狂していたに違いない。

全般的には、振付の基本はクラシックであるにもかかわらず、舞台としてはダンス、パフォーマンス、パントマイムの要素が強く、クラシック・バレエの舞台としては伝統的でも現代的でも無いという点で非常に中途半端なものになってしまっている。玄人的には「評価するにも値しない」と言いそうなレベルなのだが、舞台パフォーマンスとしては観客を熱くさせるに十分で、非常に満足度の高い演目に仕上がっている。結果、舞踏のプロからすると、「ケッ、あんなの邪道」と陰口を叩きながら、興行的には認めざるを得ないものになっているものと推察される。
実際、私が観た舞台も、ボリショイとしてはあり得ないくらい空席があったものの、観客の熱狂具合と満足度は非常に高かったように見受けられた。

もう一つロシアっぽいところは、劇中劇と言えるヴェルサイユ宮殿における夜会と、そこで演じられるバレエ劇で、シュライネル女史の熱演もあって舞踏的には一つの見せ場になっているのだが、本筋とは本来関係ないにもかかわらず、かなり長い時間が割かれていた。こうした「このシーンは一体何の意味が?」みたいなものの多さは、ロシアの映画や舞台でも一つの特徴と言える。

「パリの炎」は熱い舞台デス。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

日本社会の腐敗構造について・補

「日本社会の腐敗構造について」の補足になる。腐敗を無くすことは不可能としても、その影響を最小限にするためにできることはある。
政官業報の「腐敗テトラゴン」構造を理解すれば、その癒着関係を一つずつ絶ってゆくことが近道であると推定することができる。

最大の問題は選挙制度だ。政治家個人がカネと票を集めなければならない選挙区制度では、政治家が有権者に利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)する代償としてカネと票をもらうシステムになっており、投票率の低さも相まって有効に機能している。
法律上は、公職選挙法、収賄罪、あっせん利得罪などがあるものの、殆ど機能していないことを鑑みても、これらの罰則を強化したところでまず効果は無いだろう。
政治家と有権者の個人的癒着を断ち切るためには、党員の事前投票によって党名簿の順位を決める単純比例代表制が望ましい。ただし、この場合でも、企業団体による政党への献金も禁止あるいは制限する必要はあろう。これにより政業の癒着を絶つ。

次に政官の癒着。これは、政権党が行政府の出す法律案を丸呑みする代償として、行政が利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)することで成り立っている。立法府に行政監督権がある以上、「どこまでが監視でどこからが利益誘導か」という判断は常に残る。だが、英国のように政治家と官僚の接触を厳しく制限し、その交渉内容を必ず記録して公文書に残すようにすれば、政治側からの要求は全て明白となろう。もちろん公文書管理法や情報公開法の改善は不可欠だ。
これによって政治側からの不当要求を減らせば、逆に政治側は行政側の立法提案を丸呑みする必要は無く、少なくとも「貸し借り」の関係を弱めることはできるだろう。

そして官業。財界は政治家を通じて行政から利益誘導(公共調達、公共事業、公的融資、補助金等)を受ける代償として、官僚に天下りポストを用意する。民主党政権時に、天下り規制を強化したものの、自民党に政権が戻ってほぼ有耶無耶にされてしまったが、このこと自体が「癒着テトラゴン」の存在を示している。
これを抑止するためには、まず省庁に降格制度を設け、全員が定年まで勤め上げられるシステムを構築し、比較的早い段階から年金を受給できるようにする必要がある。この場合、「官優遇」の非難は起きようが、官僚の天下りによって生起される癒着構造が社会に与えているダメージを考えれば、やむを得ない措置だろう。

最後にマスゴミ。日本の大手メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって政府から得た独占的権利をもって市場を占有しており、これが他社の参入を拒んで権力との一体化をなしている。従って、この4つの特権を廃止し、市場競争を促せば大半の問題は解決されるだろう。民主党政権は、これにメスを入れようとしたため、徹底的に攻撃された。それを考えると、現行システムでの漸進的改革は難しいかもしれない。

【追記】
政党は資本家の走狗であり、その腐敢は極度に達し、外交もまた追従妥協、不甲斐なきこと恰も外交者流は国際女郎の観あり
(橋本欣五郎の手記、陸軍、桜会、昭和5年)
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2017年06月12日

日本社会の腐敗構造について

森友、加計疑獄をめぐって野党が政権を攻撃し続けているが、成果は殆ど上がっていない。それは当然で、森友疑獄では維新も共犯者、加計疑獄では民進党内に共犯者がいたことが判明しており、何をどう攻撃しても「ブーメラン」にしかならないためだ。

現状、日本の議会政党で腐敗を免れているのは、せいぜいのところNK党とSM党くらいしかない。だが、SM党は目端の利く者から率先して離党して「腐敗することすらできない」者だけが残っているだけの話であり、NK党は全く別の行動原理に基づいているため、単純に「腐敗してないから良い」ということにはならない。
では、この場合の「腐敗」とは何を指すのか、政治に関わりの無い人にはなかなか想像できない世界だと思われるので、分かりやすく解説してみたい。

戦後日本は長いこと中選挙区制(学術的には大選挙区制)を採用してきた。そこでは、1つの党から複数の候補が立候補してしのぎを削るため、より多くの資金と人員を動員できた陣営が勝利した。その結果、「五当四落」という言葉が生まれたが、それは「選挙に5億円投じれば当選するが、4億円では落選」という意味だった。あくまでも象徴的な言葉ではあるが、とにかく巨額の費用が掛かったことは間違いなく、多くの政治家は「井戸塀」と呼ばれるように、政治家を引退する頃には、かつては広大な敷地があった自宅も井戸と塀しか残らないものだった。

選挙用の資金をつくるために、政治家は集票マシーンとしての後援会とは別に、資金収集用の特殊後援会をつくった。通常の後援会は、年会費5千円とか1万円、あるいは無料だが、この特殊後援会は月会費が1万円から3万円という高額に設定され、企業家や地場の名士が加入した。
彼らは、年間12〜36万円の会費を納める代償として、政治家事務所に様々な陳情を行う権利を有した。その「陳情」は様々で、主なものを挙げれば、「税金の減免」「公共事業や公共調達の優先権」「公有地の優先的払い下げ」「公的銀行からの低利融資」「公的補助金の優先確保」などがある。陳情者は、政治家秘書を連れて行政や公共機関に赴いて陳情を行い、後に「しかるべきところ」に政治家本人が電話して、「○○の件、よろしく頼む」と言うのである。
「陳情=利益誘導」によって得られる利益は、当然会費を上回るが、上回った分については政治家側から謝礼金や集票が期待されるので、選挙に際しては社員や名簿を提供して支援することになり、ズブズブの関係に陥ってゆく。また、個別に陳情を処理した秘書は、「出来高払い」や「謝礼金」をもらえるので、必死に陳情処理に励むことになる。自民党の秘書の場合、基礎給ゼロで全て陳情者からの謝礼だけが「給与」というケースも珍しくなかった(最近では聞かないが)。
例えば、年間36万円の会費を納める会員が300人もいれば、年間収入は1億円以上になる。それに陳情受理(成功)による謝礼(献金)を含めれば、1億数千万円になる。

自民党の田中派、あるいは従来の小沢派などは、派閥として数十億円の資金をつくり、政府や地方自治体が必要としそうな土地を予め買い占めて、政策誘導してその土地に事業を誘致させることで、土地の価格を上げるという「土地転がし」による資産運用を行っていたとされる。規模の差はあれど、国家レベルであれ地方レベルであれ、こうした腐敗の手口は蔓延していると見て良い。
社会党系のベテラン議員でも年会費12万円の特別後援会員を100人以上抱えて、集金と集票に勤しんでいることを鑑みれば、自民党議員はその数倍、数十倍の規模で行っていると見て良い。事実、「中選挙区制は金がかかる」との批判から、小選挙区制に移行したとはいえ、現在でも「二当一落」(二億円なら当選、一億では落選)と言われていることから、数千万円規模の集金マシーンをつくらないと、日本の選挙は「風頼み」になってしまうことが分かる。
つまり、政治家個人を選ぶ選挙制度が腐敗を誘発しているのだ。同時に政治家を介する政策減税(企業減税)、公的融資、補助金等が、市場競争力の低いゾンビ企業を延命させ、企業の新規参入や労働市場の流動性を阻害、市場経済を停滞させている。

一方、行政は行政で立法府と癒着関係にある。前提として、立法府は「行政監督権」を持ち、「行政が適切に執行されているか」監督する義務を有している。少なくとも建前上は、上記の陳情行為は「行政の不適切な執行によって損失を被り、不満を有している市民の声を反映させるもの」として行われるため、行政府としては原則的に全面拒否することはできない仕組みになっている。
また、実務面では、日本型システムでは行政が予算や必要な法律案を作成し、内閣が提出する仕組みになっているため、与党・政権党の意向に反すると何もできなくなってしまう。そのため、行政は与党政治家の陳情を優先的に許容し、その対価として自分たちのつくった予算や法案を無修正で通してもらう、という癒着関係が成立している。

また、財界は政治家を通して政策減税(企業減税)、公的融資、補助金等の陳情を行い、官僚が行政の公平性を曲げて優先的に利益を供与、財界はその見返りに「天下りポスト」を提供することで、政官業の「腐敗トライアングル」が形成されている。
例えば、加計学園は1つの失敗例かもしれないが、原理的には、新興大学が政治家に金と票を融通して学部新設を陳情、与党政治家は文科省に圧力をかける。認可権を有する文科省は、学部新設を認める代わりに、与党に法案成立を要請する一方、新設大学に天下りポストを用意させる構図になっている。こうした構図は、日本全国であまねく成立している。

ところが、こうした腐敗構造や具体的な事例は殆ど報道されない。マスコミもまた腐敗構造の一角をなしているためだ。
日本の大型メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって権力と一体化しており、実質的には旧ソ連の「イズベスチヤ」や中国の「新華社」に近い宣伝機関の機能しか果たしていない。
再販制度と電波許可は、政府から独占禁止法の例外として認められた特権であり、他の新規参入を拒むものとなっている。クロスオーナーシップ制度は、新聞社と放送局の一体化を許すもので、これも「マスコミ集中原則排除」を拒んで報道の独占を許すシステムになっている。また、記者クラブは、公的情報ソースの独占権だけでなく、情報提供だけでなく、記者室の利用料や管理・運営費に至るまで、情報提供者(政府)が負担している。この記者クラブに加入していない、弱小マスコミやフリージャーナリストなどは、記者室に入ることも、情報提供を受けることも許されないため、独自に一からアポを取って取材しなければならない。こうした情報ソースと報道ルートの独占権が、政府によって認められ維持されているため、日本のマスゴミは権力に盲従しなければ、存続もおぼつかない仕組みになっている。

結果、「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」では、日本は先進国の中で最低水準にあり、今後も下がりそうな気配だ。しかし、これは安倍政権だけの問題ではなく、マスゴミを含めた政官業報の「腐敗テトラゴン」に起因している。
腐敗構造と一体化しているマスゴミが、自らを否定する報道をなすはずもなく、情報公開制度や公文書管理法の未熟も相まって、社会の隅々に至るまで腐敗と汚染が広がっている。

【追記】
上記の腐敗構造は、今に始まった話ではない。ただ、かつては高度成長下で広範な人が発展の恩恵にあずかることができたが、90年代に成長が止まり、「集中と選択」が行われ、繁栄を享受できる人が限られるようになり、そこから脱落した人たちが怨念を募らせ、告発するようになっていると考えられる。

【追記2】
腐敗が温存される原因の一つは、日本型組織における意思決定過程や責任所在の不明確さにある。詳細は「新国立競技場の責任者は誰?」で述べているが、組織における最終意思決定者も意思決定過程も恐ろしく不明確であるため、責任を追及することも失敗の原因を探すこともできず、同じ失敗を何度でも繰り返すことになるシステムなのだ。
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2017年06月09日

官邸・文科闘争の裏にあるもの

「ここに来て加計疑獄を裏付ける資料が出てきているのは何故でしょうか」との質問を受ける。本ブログでは、保身上の理由から、あまり生々しいネタは扱わないことにしているのだが、今回はちょっとだけ触れてみたい。とはいえ、あくまでもケン先生の妄想なので、内容の真偽については全く保証しない。
なお、同志諸兄には心配をおかけしているが、「禁忌の少し手前」で「死の舞踏」を舞うのが本ブログの本懐であり、今のところは何の問題もないので安心して欲しい。

まず、文科省の前川前次官が辞任に追い込まれたのは、文科省の天下り問題がクローズアップされたことに依る。だが、同様の天下りは他の省庁でも行われていることであり、文科官僚が傘下の国立大学等に天下るのは、教育を聖務と見る向きからすれば恥ずべき行為だが、本来は文科省に限った話ではなかった。
そして、この天下り問題をリークしたのは首相官邸で、官邸のプロパガンダ機関である読売新聞が大々的に取り上げ、同じく協力者である他のマスゴミも同調した。その狙いは、最初から前川次官の追放にあり、それは加計学園の獣医学部新設の手続きに難色を示す文科省に対する攻撃だった。「ザ・黒幕−日本支配」で言うところの「Pで攻撃」である。仮に抵抗者が前川氏一人であったなら、次官を更迭すれば済む話だったが、1つには更迭する正当な理由がなかったのと、2つは文科省の相当部分が前川氏に賛同して官邸に抵抗姿勢を示していたため、謀略によって文科省の権威を失墜させ、これを屈服させる戦術に出た。

この陰謀を主導したのは、S田内閣官房副長官だった。氏は、民主党野田政権から官邸に参画、共謀罪や秘密保護法を準備していたことから、自民党安倍政権に交替してからも格別の配慮で官邸に残り、官房副長官に抜擢されている。我々の間では「安倍政権のベリヤ」と呼ばれている。
そして、特定秘密保護法に基づき「特定秘密を扱う可能性のある者」の身辺調査を行い、前川氏の「ガールズ・バー通い」をも暴露した。前川氏は、次官在任中にこのS氏から同件について「警告」を受けたというから間違いない。
ちなみに、「特定秘密を扱う可能性のある者」はかなり広範囲に適用可能な上、国会議員も与党の一員である限りは政府の役職に就く可能性があるため、全員が調査対象になる。結果、官邸は全ての与党議員のセンシティブ情報またはスキャンダル・ネタを握ることができ、それが絶対権力の源泉になっている。まさにベリヤなのだ。

官邸は、前川次官が辞任した時点で勝利を確信していたが、その前川氏が「実名告白」という反撃に転じる。だが、前川氏一人では限界があり、様々な文書が出てくるところを見る限り、文科省内に少なくない支持者がいるものと見られる。
その根底にあるのは、官邸の主導でオリンピック利権を経産省に奪われ、大学開設の権限も官邸に奪われそうになり、挙げ句の果てに一人悪者にされて天下りを封じられた文科省のルサンチマンである。なるほど、前川氏個人は、理想に燃えた立派な官僚だったかもしれないが、平均的には「官邸一極集中」「省の存在意義に関わる」事態に対する不信と不満こそが元凶だろうと見られる。特に秘密保護法が、権力闘争の武器として早々に使用されたことは、良心を保っている官僚たちに「次は自分かもしれない」と思わせるに十分だった。結果、官邸一極集中や暗黒支配に不満を抱く官僚層にも支持を広げている。

とはいえ、全体的にはやはり局所的な反乱の域を出そうにない。議会は与党が絶対多数を占め、官邸は絶対権力を有し、マスゴミはプロパガンダ機関に堕し、野党も半分は共犯関係という有様では、一省庁の抵抗などパルチザン程度のものに終わるだろう。
ただし、ここに来て週刊誌を始め、安倍政権に対する攻撃が強まっているのも事実で、「アベノミクスを終わらせたい宗主国の意思が働いている」と見る向きもある。

いずれにせよ、問題の本質は、政治家が財界から金をもらって行政執行を恣意的に歪める陳情政治と、行政による予算や立法を成立させるために政治側の陳情を容認する霞ヶ関行政、御上から下賜された独占権を守るために政権に従属するマスゴミによる「腐敗テトラゴン」にこそある。要は、腐敗した統治構造内部での権力争いなのであり、その視点を忘れてはならない。
なお、この腐敗構造については、別途解説したい。
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2017年06月08日

日本型組織の終焉

『OECDスキル・アウトルック 2017年版 』より。日本の労働者は読解力でも数的思考力でも「低い」者が圧倒的に少なく、OECD平均が23%のところ、日本は10%しかいない。にもかかわらず、労働生産性ではOECD内で最低レベル。この意味するところは、「エリートが無能だから」「無能なエリートが排除されない」「硬直した会社組織、市場、行政制度」などが考えられる。

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まず日本型システムは組織内部の交渉コストが異様に高く、迅速な判断や対応ができない構造になっている。例えば、私の妹は外資系銀行のディーラーだが、上司はシンガポールにいて、指示を受けたり、仰いだりするのは週に1回あるかないかだと言う。彼女の前勤務先は、国内トップ水準の不動産会社だったが、会議の多さと「ホウレンソウ」の煩わしさ、様々な意味不明な拘束や不文律に飽き飽きさせられていた。
つまり、一定の権限が付与されていても、個々人の判断では容易に行使できず、かといって必ずしも上に決定権があるわけでもなく、「何時、誰が、どこで」決めるのか全く不明な組織、システムなのだ。
意思決定の遅さは権限と責任の所在が不明確なシステムや組織文化に起因する。会議の多さは1つの象徴だが、現代社会あるいはグローバル市場に適合できなくなっている(競争力を持たない)のは間違いない。

新国立競技場の新設、建設費肥大化問題で、誰が最終責任者なのかが議論になったのは、つい最近のことだったが、原発再稼働問題でも同じことが起きている。これに関連して「インパール作戦は誰が決めたのか」も検証したので、記事を読んで欲しい。
意志決定過程や責任の所在が非常に不明確なのは、昨今に始まったことでは無いのだが、全く改善されそうに無いし、問題意識すら持たれていない。

・新国立競技場の責任者は誰? 

これはトップレベルだけの話では無い。例えば、残業=時間外労働は、管理者の命令をもって所定の手続きがなされて初めて成立しうる。これは、労働法で決められていることなのだが、現実には命令も手続きもまともに行われず、「何となく」習慣的に残業がなされるため、記録すら無い「サービス残業(違法労働行為)」が横行している。
公式統計上、日本の平均労働時間は年間1800時間弱とされているが、実際には2300時間を超えるとも言われ、年間500時間以上が「命令と手続きの無い違法労働」と見て良い。これでは、労働生産性が上がるはずも無い。

この意味するところは、日本の管理職は、部下の労働時間を管理する必要が無く、労働者はおろか労働組合も「自発的に」違法労働時に従事するため、生産性の向上にコストを支払うよりも、「率先してただ働きに従事する」労働者を酷使する方が「楽」なのだ。つまり、管理能力が低くても務まることを意味する。

そもそも日本の労働者は「職能」ではなく「人格」で雇用され、職務が限定されないため、成果を測る術がなく、組織や上司に対する忠誠度で昇進が決められていることが大きく影響している。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

また、日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

日本では明治以降、「忠実で勤勉な臣民を涵養して偉大な帝国をつくる」ことをスローガンとし、大戦後は「帝国」が「西側自由陣営の一員」になったものの、基本方針に変化は無かった。だが、実際には「上司や組織の顔色をうかがいながら、不平不満を言わず、仕事するフリをするだけ」の社会組織になってしまった。評価基準が、具体的な成果では無く、「組織と上司に忠誠を貫いた」なのだから当然だ。これは、小中学校の内申点から仕込まれているのだから、もはや「洗脳」と呼べるレベルであろう。
日本型組織は、グローバル化に対応できず、沈んでゆくのみだ。
posted by ケン at 13:03| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする