2017年02月14日

自衛隊日報廃棄と公文書管理法について

【<南スーダン日報>1カ月、防衛相に連絡なし】
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊施設隊が、首都ジュバで大規模な戦闘が起きた昨年7月7〜12日にまとめた日報を3カ月足らずで廃棄していた問題で、これらの日報が存在していたことが6日、分かった。防衛省統合幕僚監部が同日、明らかにした。
 日報は、ジャーナリストの布施祐仁さんが2016年9月30日に情報公開請求したところ、防衛省が同12月2日付で「既に廃棄」と回答していた。神奈川新聞社の取材に対し、統合幕僚監部は「(廃棄を理由に不開示決定したが)その後再度、日報存否の範囲を広げて探索したところ、当初の探索範囲の外である統合幕僚監部(東京都新宿区)において日報が見つかった」と説明した。情報公開請求があれば応じる、としている。統合幕僚監部は当初、「報告を終えた時点で使用目的を達することになり、報告の終了をもって廃棄とした」と説明していた。
 これを問題視した自民党行政改革推進本部長の河野太郎衆院議員(15区)が防衛省に文書管理の改善と、日報を再度探すよう求めていた。統合幕僚監部は河野議員に対し「電子データとして日報が残っていた」と説明。廃棄した、としていた日報全てが「残っている」と答えたという。南スーダンでは16年7月7〜12日かけて政府軍や反政府組織による大規模な戦闘があり270人以上が死亡、非政府組織(NGO)の施設が襲われ女性職員がレイプされたり、略奪されたりした。日報にはこのときの自衛隊の対応についても記載があるという。
(2月6日、神奈川新聞)

公文書管理法ができた理由(立法根拠)の1つは、対テロ戦争支援でインド洋に派遣された海上自衛隊の補給艦「とわだ」が「誤って」航海日誌を裁断機に掛けて処分していた事件にあった。その後、防衛省でもIT化が進んで、南スーダンの日誌も電子データで「発見」されたわけだが、電子化されている以上、物理的理由から廃棄処分する理由は存在しないはず。そして、防衛省側の説明は、「随時発生し、短期に目的を終えるものは1年未満に廃棄可能」という同省の「文書管理規則」に依拠していた。法律がザルなのか、運用者に法治主義が徹底されていないのか、追及すべき点は色々ある。
とわだ事件の報告書には以下のようにある。
【再発防止策】
このような問題点を踏まえ、今後、かかる誤りを二度と繰り返すことがないように、防衛省における文書管理が関係規則類に従い適切に実施されているかを確認するため、平成19年10月10日付けで、防衛省・自衛隊の全組織を対象に、行政文書(行政文書ファイルとして約220万件)の管理状況の調査を実施しているところ[資料6]であり、この調査結果を踏まえ、チェック体制の強化、文書管理に関する教育の徹底、規則類の見直し等の改善措置を今年度末を目途に講じる。

今回の事件は、10年前に「講じられた」はずの文書管理システムの改善が全く機能しておらず、かつ法律では無く省庁規則の例外規定を恒常的かつ広範に適用することで、自衛隊・防衛省が「不都合な事実」を大規模に隠蔽することを可能にしていることを示している。確かに公文書管理法は第5条で、
行政機関の職員が行政文書を作成し、又は取得したときは、当該行政機関の長は、政令で定めるところにより、当該行政文書について分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

とあるように、保存期間を「一年未満」にしてはならないとはしていない。だが、同時に第8条で、
行政機関(会計検査院を除く。以下この項、第四項、次条第三項、第十条第三項、第三十条及び第三十一条において同じ。)の長は、前項の規定により、保存期間が満了した行政文書ファイル等を廃棄しようとするときは、あらかじめ、内閣総理大臣に協議し、その同意を得なければならない。この場合において、内閣総理大臣の同意が得られないときは、当該行政機関の長は、当該行政文書ファイル等について、新たに保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。

と定めているように、行政文書を廃棄するためには、防衛大臣の了承と総理大臣の同意が必要であり、同時に同法は、施行令、規則、ガイドラインいずれの段階でも、行政文書の廃棄について例外的な取扱いを一切認めていない。つまり、当該日誌の廃棄には稲田大臣の了承と安倍総理の同意が法律上不可欠なわけで、これを議会で確認、追及しなければ、問題の本質を突くことにはならないだろう。
なお、行政文書の定義は、防衛省が自ら以下のように述べている。
行政文書とは、防衛省の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録を含む)であって、職員が組織的に用いるものとして、防衛省が保有しているものをいいます。また、「組織的に用いる」とは、作成又は取得に関与した職員個人の段階のものではなく、組織としての共用文書の実質を備えた状態、すなわち、当該行政機関の組織において、業務上必要なものとして、利用又は保存されているものを意味します。
防衛監察本部「コンプライアンス・ガイダンス」
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2017年02月10日

増える難民申請

【難民申請1万人超…就労目的の「偽装」が大半か】
 昨年1年間の難民認定申請数が、1982年に統計を取り始めて以降、初めて1万人を超えるのが確実となったことが、関係者の話でわかった。大半は就労目的の「偽装申請」とみられ、法務省が2015年9月に始めた偽装申請対策の効果が十分でない実態が、改めて浮き彫りになった。日本の難民認定制度は10年3月の運用改正で、申請6か月後から一律に就労できるようになった。このため、就労目的の偽装申請が急増。10年に1202人だった申請数は11年以降、過去最多を更新し続け、15年は7586人に上った。昨年は9月末時点で既に7926人。関係者によると、申請はその後も増え続け、年間で1万人を突破するのは確実だという。一方、昨年9月末時点で6人(15年は27人)だった認定数は大幅には増えない見通しで、申請数の増加が真の難民の審査に遅れを生じさせている可能性がある。
(1月26日、読売新聞)

申請者の就労が許されたのは、申請者に対する生活支援に限界があり、長期間に及ぶ審査の間は「自分で稼いでください」という目的だったが、これが悪用される形になっている。

この傾向は欧州でも同じで、欧州の場合は「シェンゲン」も相まってシェンゲン圏内で難民申請してしまえば、圏内のどこにでも行けて一定の就労も可能になるため、難民希望者は圏外での難民申請を拒み、「いかに圏内に入るか」ばかり考える。結果、ハンガリーのように「難民防止フェンス」を設置するという話になっている。現実には、「圧倒的多数の経済難民の中に少数の政治難民がいる」状況なのだが、欧州はリベラリズムの建前上、これを否定できない。だが、東欧諸国からは「リベラリズムなんぞクソ食らえだ!」と言われている。

日本の場合、欧州とは事情が異なるが、就労目的者が増えているという点は変わらない。大きく異なるのは、難民として入国するのではなく、一般的なビザで入国して難民申請する点にある。
難民申請が急増したのは、就労に関する運用変更が直接の原因ではあるものの、急増した申請者の大半は留学生と外国人技能実習生と見られており、もともと就労目的で入国したものの、待遇や労働条件が劣悪であるため、「難民就労」に切り替えているものと推察される。例えば、留学生の実態を無視して「30万人計画」を強行した結果、就学目的外の者が流入している。技能実習生の場合、劣悪な実習環境から5年間で1万人以上が失踪しているにもかかわらず、実習対象を増やし制度拡大が図られている。

要は、留学生の数を絞って、技能実習制度を廃止すれば、少なくとも急増した分の偽装申請は抑止できるはずだ。何のことは無い、自業自得の話なのだが、究極的には「移民を認めるのか、認めないのか」というところに繋がってゆくだろう。

【参考】
問題は奴隷制度そのものに 
無理目の外国人看護師・介護士 
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2017年02月03日

予備罪は立件が難しい

【<公明>「共謀罪」提出容認 党内調整「テロ対策なら理解」】
 公明党は、「共謀罪」の構成要件を絞り込み「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の国会提出を認める調整に入った。改正案の対象になる犯罪を政府が現在想定している676から300前後に減らせば、テロ対策として世論の理解が得られると判断した。改正案は今国会で成立する可能性が出てきた。井上義久幹事長は27日の記者会見で「(法案の)必要性は認識している。国民の懸念をどこまで解消できるかだ」と指摘。「出せば成立を見込むのが基本だ」とも述べた。「共謀罪」は、捜査当局の拡大解釈で人権侵害を生む恐れがあると批判され、過去に3回廃案になった。一方、安倍晋三首相は改正案について今国会で「かつての共謀罪とは違う」と繰り返し答弁しており、公明党が提出に慎重姿勢を取り続けるのは難しくなっていた。
(1月28日、毎日新聞)

政府は、共謀罪と全く同じ内容ながら、「テロ等準備罪」と改称した。この辺の小手先技も、いかにも小者臭がする。政府の真の目的が「反体制派の一掃」である以上、堂々と治安立法の必要性を掲げて国民に訴えるべきだった。

例えば、ソ連の大粛清(Большой террор=大テロル)の場合、キーロフ暗殺を受けて、共産党執行部は「トロツキー一派による犯行」として「反革命が迫っている」との見解を示した。スターリンは中央委員会において、「階級闘争が進めば進むほど、反革命派は抵抗を過激化させており、この連中を完全に排除させない限り、階級闘争の勝利は無い」と演説し、大粛清を宣言した。
ソ連の場合、政治局員が白昼堂々とオフィスで党員に殺害されるという不始末(痴情のもつれという解釈もある)を「体制に対する反逆」と読み替えて、テロルを定式化させたわけだが、実際に農業集団化による農民の怨嗟は「現実的な危機」として共産党内で共有されていた。

ところが日本の場合、原発事故や集団的自衛権の解禁などで一時的に反政府運動が盛り上がったとは言えるものの、それも広範な国民的支持を得るには至らず、選挙では自民党の圧勝が続いている。ジハーディストによるテロは一件も起きていないし、計画がなされたという話も聞かない。つまり、強硬な治安立法を行うだけの立法根拠が何一つ無いため、苦しい説明をせざるを得ないのだろう。
同時に、外形的な立法根拠が何も無いのに、こうした治安立法を強行するのは、政府が自らの統治能力に自信を失っているためだと考えられる。興味深いことに、現場の警察官等からは「共謀罪が無いと治安が維持できない」などという声を聞いたこともない(本音ベースで「何故強行するのか分からない」と言う関係者もいた)。こうした状況は、1925年の治安維持法の時と酷似しているが、当時の方が「コミンテルン」や「共産党」の脅威は今日よりはるかに「現実的」だった。

そして何よりも予備罪や準備罪の立件は難しい。
政府はテロ等準備罪の構成要件を「テロ団体等、綿密な計画、犯行合意、準備行為」と説明している。だが、私が元ブントの人からヒアリングしたところでは大いに疑問符がつけられる。曰く、
「たまたま赤軍派(関西ブント)連中の溜まりのすぐ近くでビラづくり作業してたんだけど、あの連中は扉も閉めずに大声でハイジャックする話をしていて、それも銀行強盗でももっと真面目に計画するだろうというくらい、杜撰とすら言えない妄想の類いにしか聞こえなかった。それから10日後くらいに実行されて、あんなんで本当にハイジャックできるのか、とどうしても信じられなかった」

とのこと。現代でもジハーディストの自爆テロは、志願者に自爆用ベストを渡して行き先を指示するだけであり、果たして誰を対象にどこまで要件を成立させられるのか、疑問は尽きない。
この話の難しいところは、ブントを「テロ団体」としてしまうと、学生運動参加者を全員テロリスト認定することになるし、赤軍派に限定しようとすると別に党員登録されているわけではなく、みな自称しているだけなので(少なくとも当初は)、誰がメンバーなのか特定するのが難しいという問題が生じる点にある。つまり、「学生運動家」と「テロリスト」の線引きなど現実的には非常に難しく、ムリにやろうとすると冤罪の原因にしかならない。

2001年の米同時多発テロや、2015年の仏同時多発テロならば上記の要件も当てはまるだろうが、現実には限りなく個人レベルのテロや、計画性の無いテロ、模倣犯など、政府が挙げている要件を満たせないテロの方がむしろ多数と考えられる。
例えば、2013年の米ボストンマラソン・テロの場合、いまだに被疑者とテロ組織との関係は確認されず、計画と呼べるような計画書の類いも発見されていない。にもかかわらず、殺人などの罪状で死刑が宣告されている。この容疑者を、「テロ等準備罪」で取り締まれたかと言えば、まずムリだっただろう。

実際、治安維持法は「実際の適用が難しい」として適用緩和と対象拡大が進められ、戦前期の最大の悪夢となり、国民弾圧をほしいままに反戦・自由主義グループを一掃して、軍国と戦争に邁進する推進力になってしまったのである。
すでに先の刑事訴訟法改正で、通信傍受が大幅に緩和されたことを考えても、共謀罪と盗聴のコンボで「電話で冗談言っただけで逮捕」の環境が成立することだけは、覚悟しておいた方が良いだろう。
posted by ケン at 12:43| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

今さらながら文科汚染

【文科次官、辞任へ=天下りあっせん問題で引責】
 文部科学省が幹部の再就職を組織的にあっせんしていた疑いがあるとして、政府の再就職等監視委員会が調査している問題で、同省の事務方トップである前川喜平事務次官(62)が引責辞任の意向を固めたことが19日、分かった。監視委の調査結果を受け、文科省が正式発表する見通し。関係者によると、文科省が再就職をあっせんした疑いがあるのは、2015年8月に退職し、同年10月に早稲田大学教授に就任した同省の元高等教育局長。
(1月19日、時事通信)

我々的には「今ごろかよ!」というくらい自明の話。それくらい身内による捜査は効をなさない。逆を言えば、身内の捜査でも「膿を出さないと後々大変なことになる」と判断されたくらい、文科省内で腐敗が蔓延していたことを意味する。

実際のところ、大学関係者なら誰でも知るところだが、今日では国公立であれ私立であれ「文科省の天下りがいない大学は無い」と言われるくらいに天下り官僚が増えている上に、経営に参画して運営を悪化させるケースが大半を占めているとされる。大学に文科官僚を天下りさせることで、高等教育の中央統制が強化され、「学問の自由」が失われつつある。
各大学にすべからく天下りさせている時点で、事前に相当の計画と謀議が行われていることは間違いなく、それは文科省が省庁として計画的に行ってきた犯行であると見て良い。

天下りについては民主党政権時に大幅に規制したものの、2012年に自民党が政権を取り戻した後に骨抜きにされ、殆ど「元の木阿弥」と化している。言うまでも無いことだが、高級官僚の天下りは、政官業の癒着と補助金による腐敗を助長させるだけの「悪」そのものであり、禁止する以外に腐敗を防止する方策は無い。

発覚が遅れた1つの理由は、文科省側がずっと虚偽説明を行ってきたためとされる。文科省と外務省は特に虚偽説明の常習犯であり、文科省で言えば、民主党政権が成立する直前、当時のボスが「高校無償化の実現性について」レクを求めた際に、「実現可能性は全く無い」と答弁したにもかかわらず、政権交代が起きるとすぐさま草案を出してきたことが思い出される。
文科官僚は存在そのものが悪であり、全員公職追放して廃省すべきだ。同時に、天下り官僚を受け入れた大学については、元文科役人が全員追放されるまで助成金を見合わせるのが良かろう。腐敗は一方のみで成立するわけでは無く、両者を罰する必要がある。
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2017年01月27日

150万円恐喝されてもイジメ認定されない社会

【同級生に150万円 「いじめ認定難しい」発言撤回を】
 東京電力福島第一原子力発電所の事故で横浜市に自主避難してきた生徒がいじめを受けていた問題で、生徒が同級生におよそ150万円を払わされていた行為について、市の教育長がいじめと認定するのは難しいという考えを示したことに対し、生徒側の弁護士が発言を撤回するよう申し入れました。この問題は、原発事故で横浜市に自主避難してきた現在、中学1年の男子生徒が、転校してきた小学校でいじめを受けていたもので、生徒側は同級生におよそ150万円を払わされていた行為については、いじめと認定されなかったことから市側に改めるよう求めています。これについて、横浜市教育委員会の岡田優子教育長が今月20日の市議会で、「同級生らが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは難しい」と述べたことに対し、23日、生徒側の弁護士が発言の撤回などを求める申し入れを行いました。申し入れでは「教育長の発言は、いじめ防止対策推進法の趣旨に反し、被害生徒を苦しめるものだ」などと非難しています。横浜市教育委員会の伊東裕子担当部長は「保護者や生徒の気持ちを確認しながら、こちらの発言の趣旨を伝えて今後の対応を決めたい」と述べました。
(1月23日、NHK)

先年から報道されていることだが、福島原発事故によって、福島県から横浜市に自主避難した中学生が同級生から総計150万円を恐喝されていたことについて、市教育委員会が「いじめ」との認定を避けた事例。
生徒の親は「150万円」と訴えたのに対し、学校側の調査では「8万円」の事実認定に終わり、市教育委員会下に設置された第三者委員会の報告書(2016.11)も、「金銭授受はいじめから逃れるためだった」としつつ、「おごりおごられる関係」として「いじめ」との判断を避けた。両親らが引き続き市に善処を求めていたところ、20日の市議会で教育長が、「同級生らが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは難しい」と答弁したため、ブチ切れた形になっている。

話の前提として、いじめ認定は、そもそも大きな困難が伴う。行為自体がインナーサークルで行われているため、物証が困難であることも相まって、事実確認が難しい。そして、事実確認を行う学校も、教育委員会も捜査機関ではないため、いかなる専門性も調査能力を有しておらず、よほど明確な事例が発見されない限り、逆を言えば当時者が口裏を合わせ、物証を隠滅してしまえば、まず立証できない。当然ながら、公的機関であるため、一定の中立性が求められるので、明確な証拠も無いのに犯行を認定することはできず、どうしても玉虫色の結論に偏ってしまう。

ただし、イジメ自体は実は法律で定義付けされている。2013年に成立した「いじめ防止対策推進法」がそれで、以下のようにある。
児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校)に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの

さらに、認定基準について、
他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為」により「対象生徒が心身の苦痛を感じているもの

と規定している。この規定に従うならば、たとえ恐喝金額が「8万円」(中学生なら十分すぎる高額だろう)で、「金銭授受はいじめから逃れるため」と判断されたとしても、「いじめとは断定はできない」などという結論を出すのは難しかったはずだ。両親が怒るのも当然だろう。
そもそも「金銭授受はいじめから逃れるため」としながら「いじめと認めるのは難しい」という報告自体、官僚以外の人間には理解不可能だ。
このことは、たとえ法律で定義されたとしても、現場で厳密に適用するのは、様々な理由から難しいことを示している。だが、これでは行政への信頼が失われ、法治国家としての実態が霞んでいく一方だ。

とはいえ、イジメ認定を学校や教育委員会等の利害関係者に委ねるのも、そもそも公正性や中立性に疑義がある。彼らは、常に「イジメは存在しない方が良い」というインセンティブが働くため、どうしても認定に消極的にならざるを得ないからだ。
本質的には、イジメの疑いがある場合は、即座に証拠(写真や録画録音)を確保して、学校を通さずに問答無用で直に警察に被害届を出すよう教育してゆくのが、唯一の解決法なのだろう。
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2016年12月28日

知的でナチス的な民進党?

ドイツの哲学者カール・ヤスパースの言葉とされるものがある。
「ドイツ人は知的で誠実でナチス的だが、この3つが鼎立することはなく、知的で誠実だとナチス的でなく、知的でナチス的だと誠実でなく、誠実でナチス的だと、知的ではない」

ここに言う「ナチス的」が何を指すのかは議論の余地があるものの、要素としては全体主義的、大衆迎合的といった感じなのだろうと思われる。仮にナチスを共産党に替えても何の違和感も無いし、アベやハシモトに置き換えても同様だからだ。
日本の政治情勢が絶望的なのは、

霞ヶ関:知的でナチス(権威主義)的
自民党:単にナチス(国粋主義)的
民進党:知的でナチス(大衆迎合)的


といった具合にどこにも誠実要素が不在であることに起因すると考えられる。
だが難しいのは、デモクラシーは往々にして誠実を拒む傾向がある点にある。
例えば、本ブログでも度々取り上げているが、

・増税なくして社会保障の水準維持は難しい
・解雇規制を緩和した方が労働生産性が高まる
・領土問題に固執したら日露交渉は成功しない

などのテーマを取り上げた途端に、日本では選挙に勝てなくなり、代議員に選ばれることはないだろう。つまり、現行システムでは、誠実であるものはそもそも(狭義の)政治家になれないのだ。
私が決して議員を目指さず、スタッフに徹しているのは「誠実たり得ない」ことが大きい。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

己を律する権力者

T先生は自治官僚出身の大ベテランで、後輩である総務大臣の携帯に電話して「ちょっと来てくれないか」と言ってしまう方だったが、副大臣時代は省庁に行くときは公用車を使い、議員会館に戻る時は歩きだった。「省庁に行くのは公務だが、自分の事務所に戻るのは私事だから」という理由からだ。さすがに大臣になると警視庁から懇願されて常に公用車で移動するようになったが、それくらい公私の別に厳しかった。「(国会議員なんだから)これくらいは許されるだろうという甘えが、モラルハザードを引き起こす」というのは正にその通りだ。

伯父は戦時中、自分が校長を務める学校に、高松宮を迎えることになったが、教頭が張り切って全校生徒を動員して出迎えようと企画するのを耳にし、これを止めた。「宮様は皇族として視察に来るのでは無く、一軍人として折衝に来るのだろう。馬鹿なことをするな、(日本は立憲君主制なのだから)教育に悪い」ということだった。伯父は、宮殿下が応接室に入ったのを見計らって自ら挨拶に赴き、相応の礼儀を尽くしたとされる。

前ボスも己を厳しく律する人だったが、こういう政治家は100人のうち10人もいるかいないか、というのが永田町に身を置く私の実感である。
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする