2018年03月22日

五輪にかこつけてデモ禁止へ

【東京都迷惑防止条例改正に「懸念の声」】
 2年後に迫る東京五輪、パラリンピックの開催に向けて、東京都議会では迷惑防止条例の改正案が22日、委員会採決される。改正案の主なポイントは「盗撮」と「つきまとい行為」の規制強化だ。盗撮行為については、学校や会社のトイレ、住居などでの盗撮を取り締まりの対象に加えるとしている。つきまとい行為については、新たに「住居などの付近をみだりにうろつくこと」「名誉を害する事項を告げること」などが規制対象に加えられる。これらはストーカー規制法で禁じられている行為だが、条例の改正案では恋愛感情がなくても“悪意”があれば規制できる。ただ、つきまとい行為については、政治家への批判や市民運動、取材活動の規制につながるのではないかという懸念の声が上がっている。小池都知事は16日の定例会見で「基本的には乱用されない」と強調した。
(3月21日、テレビ朝日)

小池東京都知事が、五輪にかこつけてデモや集会の取り締まりを可能にする「迷惑防止条例」改正案を提出している。弁護士会や市民団体からは、本条例を悪用してデモや集会を取り締まることができるとして批判を強めている。

その意図するところは、「悪意の感情」により反復して、「名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状況に置くこと」を行ったものを、告訴なく処罰することを可能にするというもの。
結果、アベ総理やコイケ知事に対する「悪感情」を露わにした非難の声を「繰り返し」上げた場合、裁判を経ずに行政罰(1年以下の懲役又は100万円以下)を科すことができるようになる。労働組合が組合員を集めて、会社の前で社長を非難した場合も、同様のことが起きるだろう。SNSなどのネットで、ある商品を非難して不買運動を展開した場合も、「迷惑」と判断される可能性がある。

本条例の恐ろしいところは、警察(警視庁)の解釈、裁量の余地が大きすぎるため、「何をして悪意ととるか」は全て警察の判断に委ねられている点にある。
戦前期において、国民を恐怖のどん底に突き落とした治安維持法も、二回の改正を経て、当局の解釈、裁量の余地が拡大された結果、当初の目的だった共産党を超えて、労働組合、合法社会主義者、社会運動家、反戦運動家、宗教家など広範囲に適用されるところとなった。
小池知事の「基本的には乱用されない」という説明も、治安維持法と全く同じだ(「基本的に」という前提条件が付いている時点で、治安維持法よりタチが悪いかもしれない)。
思索の自由を許して置かぬければならぬと云ふ御議論に対しては、私も全然同感であります。而して現内閣は思想の研究に付て、圧迫的方針を採って居るや否や云ふ御問に対しては、決して左様な考えはありませぬ。言論文章の自由は何処までも害せないやうにせぬければならぬと云ふのは現内閣の心掛けておる所であります。唯々しかしこれには一定の制限があります。国体を破壊しても、経済組織の根本を破壊しても、言論文章は自由であるといふことでは国家の治安を保つことはできませぬ(拍手)。それであります故に言論文章の自由は何処までも尊重致しますけれども、その害毒最も甚だしきものは取り締まって置かなければならぬと云ふのが、今日この治安維持法を提出した所以であります。

俗の言葉で申し上げれば此法律は無政府主義、共産主義を取締る法律であると言っても宜しいのであります。

世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。労働者が自己の地位を向上せしめるが為に労働運動することは何等差支えないのみならず、、私共今日局に当たって殊に内務省はその所管の省でありますが、左様な事に向かっては何等拘束を加へると云ふ考えを持たぬのであります。
(1925年2月19日衆議院本会議における若槻内相の答弁)

この時同じく本田義成議員が警察による乱用の恐れを指摘したのに対して、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。

そもそも迷惑防止条例は、1964年に開催された東京五輪に際して、暴力団の介入や浸透を防ぐことを目的に制定されただけに、暴力団が衰退した今、権力の矛先が労働組合や市民運動に向けられるのは、彼ら的にはごく自然な流れなのかもしれない。オリンピックがその理由に挙げられる点も、恐ろしいほど酷似している。

日本はまた一歩、中国・ロシアに近づくようだ。さっさとリベラリズムやデモクラシーを僭称するのは止めれば良いのに。
posted by ケン at 11:18| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月16日

ニッポンスゴイ!天皇だけじゃ無い:どこまでも無答責の大日本

【<笹子トンネル事故>前社長ら過失問えず 全員不起訴へ】
 9人が死亡した山梨県大月市の中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故で、甲府地検は、業務上過失致死傷容疑で書類送検された管理会社「中日本高速道路」と保守点検を行っていた子会社の両社長(当時)ら8人全員を不起訴とする方向で東京高検などと調整に入った模様だ。ただ、不起訴後に検察審査会の議決で強制起訴される可能性も残っており、地検は遺族の処罰感情も踏まえ、最終的な結論を出すとみられる。
 送検されたのは、中日本高速の金子剛一前社長と「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」の岩田久志前社長ら当時の両社役員4人と点検担当者ら4人。中日本高速側が2012年9〜10月に実施した点検で、コンクリート製の天井板を固定していた、つり金具の最上部のアンカーボルトの緩みを見逃し、同年12月2日に発生した天井板崩落事故を招いたとされる。捜査関係者らによると、捜査で崩落はボルトの脱落が原因と判明した。
 一方で、施工段階ではボルトの強度が劣化する心配はないと考えられていた▽施工ミスでボルトの強度が当初から不足していた▽劣化を判断するのに有効とされていた、ハンマーで不具合を調べる打音検査は精度に限界があった−−ことも明らかになった。検察側は、事故約2カ月前の最後の点検に絞って過失が問えるかを検討。その結果、8人はボルトの劣化が進行しているとの認識が薄かったとみている模様だ。
(3月14日、毎日新聞)

【エレベーター事故無罪 「責任誰が…」遺族ら無念】
 エレベーター保守点検会社の3人を逆転無罪とした東京高裁判決。秋葉康弘裁判長が判決理由を読み上げる間、市川大輔さんの母、正子さん(66)はノートにメモをとりながらハンカチで目元を押さえた。閉廷後は東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開き、「息子に報告できない」と悔しさをにじませた。
 事故発生から11年余り。正子さんは行政や業界に原因究明を呼びかけてきた。国土交通省が再発防止策を打ち出すなど安全対策が前進する中で言い渡された無罪判決に、「これでいいのか。息子の命は誰が責任をとってくれるのか。問題は何一つ解決していない」と不満を口にした。
 会見に同席した前川雄司弁護士は判決が「点検時に異常が発生していた証拠がない」とした点に触れ、「いつ異常が発生したか、刑事裁判では分からずじまい。多くの問題を積み残したままの判決だ」と批判。中村雅人弁護士は「事故では点検時の記録がきちんと残されていなかった。記録があれば原因に迫れたはずで、万が一事故が起きたときの原因究明ができるよう、記録を詳細に残すことを業界全体に広げるべきだ」と語った。
(3月15日、産経新聞)

大日本帝国は、当時欧州で主流だった君主無答責原則を導入、同憲法第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が明記された。これによって、天皇は統治権、立法権、軍事権、外交権などありとあらゆる権力を一手に有していたにもかかわらず、一切の責任が問われることがない無答責を定められ、さらに不敬罪が設定されて、過酷な国民弾圧の手段とされた。この君主無答責原則は、戦争裁判にも適用され、日本の侵略戦争によって300万人以上の自国民と、アジア太平洋地域では少なくとも2千万人以上の戦没者を出したにもかかわらず、昭和帝は起訴すらされず、かつ天皇の地位を保持した。

この君主無答責原則は、日本では国家全体にまで拡大適用され、戦前は中央政府も地方自治体もいかなる賠償責任も刑事責任も問われることは無かった。まさに統治者にとって理想的な環境にあったと言える。

この原理は戦後一度は否定され、連合国占領下で「国家賠償法」が制定、国または地方自治体による公権力行使の責任が認められ、被害が生じた場合には賠償責任が問われるところとなった。
ところが、実際の法律の運用では、閣僚を含む公務員個人が責任を問われることはなく、国賠訴訟で国側が敗訴したいくつかの判例は補償金を出すのみに止まっている。
確かに戦前と比較すれば進歩しているものの、公権力を用いて悪逆非道の限りを尽くした公務員や政治家個人の責任はいまだに問われないままにある。

微量の放射能を含めれば、全世界70億人を被ばくさせ、国内で16万人以上の避難者を出し、一歩間違えれば国土の半分が居住不能になるところだった東電福島第一原発事故に際しては、国側も東電側も誰の責任も一切問われていない。政治家、高級官僚、企業幹部の無答責原則が貫かれた結果、日本の核政策は継続されるところとなっている。

こうした無答責原則は、原発推進に限らず、貧困が蔓延する中で3兆円を使ってのスポーツ大会やカジノ解禁、核の脅威を無視した北朝鮮に対する先制攻撃の検討、あらゆる腐敗の蔓延となって、日本を蝕んでいる。

なお、イギリスは1947年に国王訴追法を制定、君主無答責原則を放棄している。日本は新憲法で「国民主権」を規定したものの、権力者の無答責原則は実質的に維持されている。人民主権への道のりは果てしなく遠い。
posted by ケン at 12:46| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

勝ち馬は危険がいっぱい

【立民の地方議員急増…統一地方選へ駆け込み入党】
 立憲民主党の地方議員が急増している。6日の常任幹事会で67人の入党が承認され、計185人となった。来年春の統一地方選を見据え、駆け込みでの入党が相次いでいるためとみられる。
 67人の内訳は、北海道37人、神奈川県19人、東京都7人などとなっている。2月20日時点では118人だったが、2週間で1・5倍以上に増えた格好だ。福山幹事長は7日の記者会見で、「統一地方選を立憲民主党の公認、推薦で戦ってくれる方が、一人でも増えるよう広く全国的に呼びかけていきたい」と強調した。
 2月に投開票された東京都日野、町田両市議選では擁立した候補が上位当選しており、党関係者は「選挙に強いイメージが定着すれば、今後も他党からの移籍が増えるのではないか」と期待している。
(3月7日、読売新聞)

この期間に行われた自治体選挙で立憲民主党から候補者たちがことごとく上位、それも5位以内で当選したのを受けて、来年春に行われる統一自治体選挙に向けて雪崩現象が起きそうな勢いになっている。
これは2009年夏の総選挙で大勝した民主党が、翌10年の参院選に向けて候補者を公募したところ1000人以上も集まってしまい、選別が難しくなってしまったケースに似ている。維新の会が立ち上がったときにも、立候補希望者で溢れかえったことがある。

しかし、希望者が増えれば増えるほど、「勝ち馬に乗る」便乗型が増えるわけで、「議員になりたい」者ばかりになる傾向がある。結果、そのクオリティは著しく低下することになる。
ただでさえ、政治をめぐる様々な環境が悪化し、財政的にも厳しくなり、落選時の再就職も難しくなっている中で、冷静な判断を下せるものは議員に立候補したり、政治に関わろうとは思わなくなりつつある。それだけに、いま立候補しようというものは、「人生一発逆転」を狙う傾向が強まっている。

いささか内部告発的になってしまうが、(維新もそうだったが)立民の新人議員や候補者の質は、業界歴15年のケン先生の目から見ても恐ろしく低く、それらが上位当選してしまうことは、議会制民主主義が政治家の選別機能を果たしていないことを示している。但し、議員や候補の質が下がっているのは、自民党も同じで、自民党が候補者の公募が行うこと自体、政党として自前で候補者が出せなくなっていることを示している。そもそも一週間やそこらの選挙期間で、候補者の政治的素質を見極めろという、選抜システム自体に無理があるのだが。
いずれにせよ、「立民だから」「維新だから」というだけで投票するのは、自らの主権をドブに捨てて、後で議会政治に対して怨嗟を募らせるだけになりかねないので、重々戒めて欲しい次第。
posted by ケン at 12:24| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月14日

国家ぐるみで文書改ざん

【<森友文書改ざん>新たに1件 財務省、3年前にも削除】
 財務省は13日、公表済みの14件約300カ所の文書改ざんとは別に、新たに1件の決裁文書の改ざんを確認したと明らかにした。14日に国会に報告、職員の処分も検討する。森友学園への国有地貸し付けに関する文書に添付した資料を近畿財務局の職員が決裁後の2015年6月に抜き取り削除した。時期などが違うため、財務省は一連の改ざん問題と関連ないとみている。
 賃料設定方法に関する新たな改ざん文書は森友学園が15年6月に近畿財務局に情報公開請求。財務省の考え方を森友学園に知られることを恐れた職員が抜き取ったとみられる。情報公開請求に都合の悪い書類を公務員が隠したもので、ずさんな公文書管理が改めて問われる。
(3月14日、毎日新聞)

財務省は省を挙げて公文書を改ざんしていた疑いが強まっている。
今のところ判明している限りにおいて、森友文書は相当詳細に交渉経緯が記載されており、通常の公文書の域を逸脱している。このことは、森友関連の交渉が「異常」であるが故に、「通常の交渉とは異なる」ことを詳細に記載する必要があったためだと推測される。同時に、「これは現場の独断では無く、上層部の指示で行ったものである」ことを証拠として残しておくことで、「尻尾切り」を避けようとする下級官吏の深謀遠慮もあったと考えられる。実際、交渉経緯が詳細に記載されていたからこそ、トップが責任逃れを行うために、改ざんを指示したものと見て良い。結果、何重にも悪事を重ね、リベラル・デモクラシーの根幹を揺るがしている。

ところが、日本の官僚は明治体制からスライドしただけの組織であるため、採用に際し、主権者である国民・人民や憲法に対する忠誠を誓う必要はなく、リベラリズムやデモクラシーの理念を熟知している必要もないため、単に組織に対する忠誠心のみが問われることになっている。政府内で公文書改ざんが大々的に行われ、検察では検事調書の改ざんが日常化していることは、この国の官僚がリベラリズムやデモクラシーに何の理解も忠誠も無いことを示している。今回の件でも、ある財務官僚が「親分(と夫人)を守るためには仕方が無い」などと言っているそうだが、その目には主権者=国民が一切入っていないことが分かる。「大臣の利益が第一」なのだろう。
にもかかわらず、表面上だけリベラル・デモクラシーを標榜し、例えば高級官僚が国連の会議で「わが国は世界一の人権大国である」などと宣言してしまうのだから、非常にタチの悪いことになっている。いっそのこと開発独裁国を自認し、欧米諸国と一線を置いてくれた方が分かりやすい。

ところで、安倍総理はいつになったら「みっともない憲法」と「インチキ裁判」の破棄・撤回を宣言して、連合国に宣戦布告してくれるのだろうか?
posted by ケン at 12:22| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

日本型組織のトップがダメなわけ

戦争中、日本軍に対する評価として「兵卒と下士官は優秀だが、上に行けば行くほど能力が低下する」というものがあった。現在でも、福島原発事故に際しての東電幹部の記者会見や、数々の疑獄における大臣や高級官僚の国会答弁を見ていると、若者が絶望的な未来しかイメージできないのも肯ける。永田町に勤務するケン先生が見ても、国会など「知性も教養も無い連中がバカ騒ぎしてるだけ」にしか思えず、「終わってる観」がハンパ無い。
もっとも、現代の場合、憲法や原発問題で陳情や意見具申してくる者たちも、殆ど岡本版『日本のいちばん長い日』の軍人たちのような狂騒状態にあり、ネトウヨも含めて昭和初期のような精神状態に陥りつつある気がする。永田町はモンスターどもの対応だけで手一杯で、とても落ち着いて何らかの政治課題を考えながら仕事する環境にはなく、自分が離職を決意した一因になっている。

日本型組織が「上に行けば行くほど能力が低下する」理由については、雇用や人事の面から説明すると分かりやすい。

日本の雇用慣行において、従業員は「職掌(ジョブ)」で雇用されるのではなく、全人格ごと雇用されるため、「作業効率が悪い」程度では解雇されない。司法判例も、まず他部署に配置して他の作業で試すことを要求している。これに対し、欧米の企業はジョブの能力で雇用しているため、その能力が会社の要求水準に達しない場合は、それを「正当な理由」として解雇できる。この結果、日本社会では正社員は、よほどの不祥事を起こさない限り解雇されない一方、企業は無能あるいは不適合な社員を囲い続けなければならない。同時に、日本の社員は職掌範囲が定められていないため、仕事の成果や能力が定量化、計測できず、公正に評価される基盤が無い。結果、個々の社員は生産性を上げるインセンティブが存在せず、企業側は無能な社員にも仕事を与えて人海戦術で対応せざるを得ず、組織としても生産性を向上させる術が無い。

日本型組織においては、仕事が定量化されず、職掌範囲も無限定であるがために、昇進のための公正な基準を設定することが不可能になっている。その結果、昇進基準は「部局に貢献した」「課を盛り上げた」「○○に際して頑張った」などの印象や主観によってしか定めようがなく、究極的には直系上司に対する忠誠度で計られることになる。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

例えば、2009年に発覚した障害者郵便制度悪用事件に際して、大阪地検特捜部主任検事が検事調書を改ざんして冤罪を推進した件では、部長が「議員は無理でも、少なくとも高級官僚の一人も立件できなくてはメンツが立たん」と部下に(あいまいな)指示を行い、主任検事は忠誠を示すべく、調書の改ざんを行ったと言われている。なお、この部長は懲戒免職にこそなったものの、刑事裁判では執行猶予つきの判決が下されるに止まっている。
このように組織に対して無条件の「忠誠」を尽くし、なおかつ偶然悪事が発覚せず、「大過なく」組織生活を送ることができたもののみが、能力や成果に関係なく昇進してゆくのだから、トップが無能ばかりになるのは当然だろう。

また、日本の国会議員は、1990年代に小選挙区制に移行したことで急速に能力低下が進んでいる。これについては、過去ログから引用したい。
国会議員は、参議院の比例代表選出者や衆議院の比例単独選出者を除く大半が選挙区から選ばれている。日本の場合、有権者は候補者の政策や主張よりも、人柄や人物像を重視する傾向が強いため、候補者もそれを重視せざるを得ない。結果、実際の選挙時に掲げる政策や議会での活動実績よりも、日常活動で「顔を売る」ことが重要となる。具体的には、選挙区内の各種イベントや酒席にひたすら出席して、一人でも多くの有権者に「見知ってもらう」ことが活動の中心となる。とかく保守系の政治家が、軽薄な発言を繰り返すのは、少しでも有権者に自分を印象づけたいがために発せられる「サービス」の部分が大きい。そして、自分の当落が掛かっているだけに、議会活動よりも地元回りを優先することになる。実際、自民党であれ旧民主の小沢氏であれ、「1、2回生の仕事はひたすら地元を回ること」と教えている。

この「地回り」の中で、もう一つ重要となるのが「陳情受け」である。有権者から各種陳情を受け、処理することで支援者と献金を増やすことが目的となる。陳情と言えば聞こえが良いが、現実には行政に圧力を掛けて、特定の者に優先的にサービスを供与させる汚職でしかない。最近では甘利問題が有名だが、自民党では当たり前すぎて、何故それが問題にされるのかすら理解できないだろう。結果、当選回数の若い国会議員は、議会活動などせずにひたすら地元を回り、陳情を受けて処理し、御礼にカネや票をもらうことに専念する。これを当選回数で2回、当選前から数えれば10年近くもやるのだから、3回生になる頃には地元の有権者とズブズブの関係になり、腐敗システムが構築され、議員本人も秘書もそれが「当たり前」になって、正常な感覚を失ってしまうのだ。
要は、自民党や小沢氏の教えは、「腐敗体質が強いほど選挙に強い」ということであり、日本の政治制度はその前提の上に成り立っている。
地域代表制が政治と地域を腐敗させた?)

国会議員は「選挙に強い」と当選を繰り返し、当選を重ねると能力に関係なく、政権党にあれば閣僚になることができる。ところが、「選挙に強い」とは、政治調整能力や行政手腕とは無縁で、選挙区内の有権者とズブズブの関係になって集票マシーンを構築できるかどうかにかかっているため、行政手腕や統治力に関係なく腐敗臭の強い者しか当選を重ねられない構造にある。

日本はどこをどう切っても「お前はすでに死んでいる」のである。

【追記】
日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の大伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

【追記2】
新卒採用も同じ問題を抱えている。日本の雇用習慣は、職掌範囲を定めずに新卒者を一括採用するため、能力ではなく人格が採用基準となる。その人格も会社に対して従順で、どのような命令にも逆らうこと無く従い、無制限の残業や不合理な異動についても全く文句を言わないことが条件となる。結果、教養、理性、人道的精神、倫理観、社会道徳などの要素を持たない者が優先的に採用されることになる。
posted by ケン at 13:18| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月12日

リベラリズム原理を否定する公文書改ざん問題

【森友14文書書き換え 1つは開示請求後 財務省理財局職員が関与】
 学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却問題で、財務省近畿財務局が作成し、途中で書き換えた文書(決裁文書を含む書類の束)は14あり、このうち1つは、情報公開法に基づく開示請求後に書き換えていたことが11日、分かった。財務省は12日に調査結果を国会に報告する方針だが、これまで書き換えを否定してきただけに、野党は反発を強めており、事態収拾のめどはつかない。
 複数の政府高官が明らかにした。書き換えがあった14の文書の内訳は、貸し付けに関する決裁書が2つ、売買に関する決裁書が1つ、特例に関する稟議(りんぎ)書が2つ、これらに付随する文書が9つだった。1つの文書から交渉の経緯などを削除しようとしたところ、玉突きで次々に書き換えせねばならなくなったという。
 開示請求後に書き換えた文書は、近畿財務局と森友学園の籠池泰典理事長(当時)の交渉に関するメモ。籠池氏と価格交渉したと受け止められかねない部分について開示請求後に削除したとみられ、財務省理財局の職員が関与した疑いが強い。
 理財局が保管していたのは決裁後の文書だけ。近畿財務局も文書の大半を大阪地検に押収されていたため、財務省は森友学園との交渉に関与した近畿財務局職員27人からヒアリングを行い、自民党幹部らに「明確な書き換えの事実はみつからなかった」と説明していた。
 だが、自民党側は納得せず、さらなる調査を要請。佐川宣寿氏が国税庁長官を引責辞任した直後の10日未明、法務省が検察当局に資料の提供を求め、検察当局が、これに応じて押収文書の写しを提供した。財務省が提供文書を10、11両日に分析したところ、14文書で書き換えが確認されたという。書き換えの動機は、佐川氏が昨年の通常国会で理財局長として「交渉記録は残っていない」などと答弁したことだった。理財局の職員らは、答弁との整合性を取るために次々に書き換えを続けたとみられる。
 この問題に関し、麻生太郎副総理兼財務相、福田淳一財務事務次官、太田充理財局長らは一切関与していなかったという。一方、近畿財務局が、3年間貸し付ける計画だった問題の土地を、籠池氏の強い要請を受けて10年間に延長することの承諾を求める稟議書にも書き換えがあった。鴻池祥肇元防災担当相、平沼赳夫元経済産業相、鳩山邦夫元総務相(故人)、北川イッセイ元参院議員の各秘書らの働きかけがあったことの文面はすべて削除されていた。ただ、近畿財務局は政治家に関連する働きかけについては「ゼロ回答」だったという。
(3月12日、産経新聞)

森友・加計疑獄については、特別な情報を持っているわけではなく、スキャンダル追及は自分の趣味にもスタンスにも反するので本ブログでは避けるようにしている。従って、ここではもう少し大きな話をしたい。

アメリカの独立宣言前、イギリスとフランスが米大陸の覇権を争ったフレンチ・インディアン戦争によって財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地から輸入する砂糖に課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、米大陸では有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発する。その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートした。

政治制度におけるリベラリズムの本則は、「権力の分立による権限の分散と相互チェック」にある。リベラリズムが権力分立を求めるのは、権力が一箇所に集中し暴走することを防ぐためで、その予防策として権力を分散して相互監視、競争・競合させる構造にしてある。公文書管理と情報公開の制度は、最大権力を有する行政が、適切に権力行使しているかどうかを、主権者が直接チェックするためにある。

代議制民主主義は、国民(人民)が有する主権を代議員に委託、代議員が無数の主権者の主権を代行することで成立している。しかし、議会が有しているのは、あくまでも立法権であり、行政権は政府(官僚)が行使するため、議会で多数派を形成する政権党が内閣を組織して行政権を統括している。と同時に、憲法第二十五条に「公務員はすべて国民全体の奉仕者である」と規定することで、シヴィリアン・コントロールをなそうとしている。
ところが、官僚は公務員試験で採用されるだけで、試験は主権者やデモクラシーに対する忠誠心を問うわけではないので、どうしても「全体の奉仕者」は空文化してしまう傾向にある。

他方、主権者は原理上「国家の保有者」であるものの、現実には主権は代議員に委託、政府・官僚は全ての情報を開示するわけではない。また、納税者は税を納める代わりに、国は税の使途を明確にし、それが適切に運用されていることを説明することで、国家内の信頼関係とバランスが保たれる構造になっている。
アメリカ独立戦争もフランス革命も、「税は適切に徴収され、運用される」という原理原則が守られなかったことから勃発し、リベラリズムの原理が政治体制に組み込まれ、今日に至っている。

閣僚や政権党議員と官僚が共謀して霞ヶ関で公文書の改ざんが日常的に行われていることは、上記のリベラリズムを否定、加速度的に腐敗が進んでいることを示している。日本の場合、投票率が低く、政権交代が起きにくいことで権力の相互監視機能が働きにくい上、小選挙区制によって民意の反映度も低いため(比例得票率33%で議席の3分の2)、戦後型のリベラル・デモクラシーは本来の機能を果たさなくなりつつある。

リベラル・デモクラシーを(一応)謳う日本で腐敗が蔓延する一方、一党独裁を強化する中国で腐敗撲滅が進んでいる現状は、あまりにも皮肉であろう。

【追記】
公文書偽造は戦後の統治原理であるリベラル・デモクラシーを否定する行為であり、本質的には「国家反逆罪」(主権者である人民に対する反逆)に相当するため、有印公文書偽造罪の最大刑期である懲役十年を適用しない限り、日本の統治原理そのものが維持できなくなるかもしれない。
posted by ケン at 12:55| Comment(7) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

ルーリー、スリーパーセル論で炎上

国際政治学者を自称している三浦女史がテレビの発言で炎上しているらしい。2月11日に放送された『ワイドナショー』なる番組で、北朝鮮の暗殺部隊が、日本の大都市部、特に大阪に潜伏し、日朝開戦に備えているという話だ。
実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルといわれて、もう指導者が死んだ、っていうのが分かったら、一切外部との連絡を絶って、都市で動き始める、スリーパーセルというのが活動される、活動すると言われている。
(略)
テロリスト分子がいるわけです。それがソウルでも、東京でも、勿論大阪でも。いま結構大阪がヤバいって言われていて。
(略)
潜んでます。というのは、あの、いざというときにその最後のバックアップですよ。そうしたら首都を攻撃するよりかは、正直他の大都市が狙われる可能性もあるので。東京じゃないからという風に安心はできない。というのがあるので、正直我々としては核だろうがなんだろうが戦争して欲しくないですよ、アメリカと。

GMT「ラビリンス」のプレイヤーとしては、確かにセルを潜伏状態のままアメリカに送り込んで大量破壊兵器を起動させるのが、ジハーディスト側の勝利条件(の一つ)であるだけに100%否定することは難しいし、現実に911テロは、アルカイダの潜伏工作員によって行われたとされている(ただ裁判ではまともな証拠は上がっていない)。

もう一つ思い出す。慶応3年10月、討幕の密勅が薩長に下されると、西郷隆盛は江戸在住の薩摩隠密「スリーパーセル」に対して後方破壊活動を命じた。彼らは尊皇攘夷主義者を煽動しつつ、府内で放火、略奪、破壊活動を行い、これが幕府司直による薩摩藩邸焼き討ちに発展。戊辰戦争に直結した。今回のNHK大河ドラマは、「スリーパーセルの元締め」としての西郷を描いてくれるに違いない。

江戸から薩摩に送られる密偵「薩摩飛脚」は、「生還率一割以下」と言われたが、潜入できたものは在薩「スリーパーセル」として市民生活を続けた。その薩摩飛脚は、特段の裁判も経ずに問答無用で殺害されるのが常だったという。この辺もNHKにはリアルに再現してもらいたい。

工作員とは異なるが、ソ連学徒的に思い出されるネタもある。
1936年秋、パリの地元紙が日独防共協定をすっぱ抜いて記事にしたのを、佐藤尚武大使が目にして、わざわざ大使名で本省に問い合わせ、「そんな交渉はしてないし、あり得ない」旨の回答を得たので、記事を書いた女性記者に抗議したところ、「きちんとファクト・チェックされたらいかがですか?」と鼻で笑われたという。その記者は、ゾルゲ・クリヴィツキーのソ連ルートから日本陸軍の情報を得ていた。その日本側協力者だった「エコノミスト」は今日まで正体が判明していない。

なお、ベルリンの壁崩壊時に西ドイツに潜伏していた東独シュタージの工作員は200人ほどだったとされるので、韓国ならいざしらず、北朝鮮の工作員が日本にどれほどいるかというのは相当に疑問だろう。

ただ、ルーリーの言い様は劇薬である。かつてヒトラーとナチスは、「第一次世界大戦でドイツが負けたのは、後方でユダヤ人が破壊工作を行い、降伏を先導したためだ」という主張を掲げ、ユダヤ人差別を煽動した。
ソ連のスターリン期の大粛清は、「潜在的な反革命を排除する」として行われた。
アメリカですら、「潜在的な共産主義者を排除する」としてマッカーシズム「赤狩り」旋風が吹き荒れた。
日本では関東大震災で同じことが起きている。
その意味で、ルーリーは立派に煽動者としての役割を果たしているのである。こうした言動が公共空間で認められていることを鑑みても、日本でマンハントが始まる日はそう遠くないかもしれない。
まともな人間は、「まとも」であるが故に早く日本から離れるべきなのだろう。
posted by ケン at 12:42| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする