2017年06月05日

加計疑獄に見る規制緩和問題など

共謀罪や加計疑獄につけて、「野党は審議拒否して欲しい」とのファクスやメールが続々と届いている。これも一種のポピュリズムの表れであろうが、旧式左翼どもの後先考えない浅はかさである。「民主主義の危機」とか言うのはマジで勘弁して欲しい。そのデモクラシーの定義は何よ。

審議拒否は議会戦術の一つだが、「伝家の宝刀」であり、一度鞘から抜いてしまったら戦を終えるまで収められない。にもかかわらず、敵にダメージを与えられる保証はどこにもない。
具体的に想定してみよう。仮に現状で「安倍内閣ケシカラン、審議拒否する」と言った場合、与党側の選択肢は2つある。1つは、「すみませんでした。こちらが悪かったです。できるだけ野党の言うとおりにしますから許してください」と条件付き、または無条件降伏する。2つは、「内閣は誠実に応じているのに、野党は議会での議論を拒否した。これでは国政が全面ストップしてしまう。仕方ないので、与党だけでやらせてもらいます」と完全無視するパターン。

審議拒否や議員総辞職は1つ目のパターンが成立することが前提となり、有り体に言えば、与野党の国対が最初から「話がついている」状態で無いと成立しない。
つまり、現状ではほぼほぼ後者のパターンになる。結果、政権に従属するマスゴミは官邸の意向に従って「野党の横暴」を全面的に報じ、「審議拒否する野党は自らの責任を放棄して国政を停滞させようとしている」なる「印象操作」がなされるだろう(しかも、あながち間違っていない)。そこで、与党は審議を全部スルーして、共謀罪などの悪法の数々を予定を繰り上げて成立させることが可能になる。もちろん森友・加計疑獄の追及も不可能になり、内閣にとっては「ラッキー」くらいの話だ。政府・与党の圧勝に終わり、野党にとってはマイナスしかない。
「国民政府を対手とせず」との声明を出した近衛内閣がどうなったか、日華事変・日中戦争の故事を学ぶべきだ。

さて、加計疑獄を見る視点として「規制緩和」は欠かせない。今回の場合は獣医学部の新設だが、例えば私の家の周りには、徒歩数分のところに少なくとも5軒の動物医院があり、競合している。ところが、全体的にはペット数は微減傾向にあり、特に犬の減り方は顕著だ。酪農家の廃業も急速に進んでいる。
にもかかわらず、地方では獣医師が不足しているという。これは人間の医者も同じ構造にある。地方での開業は様々なリスクがあり、閉鎖的な地域社会に溶け込める保証はどこにもない。ビジネスとしても、地方ではペットを獣医師に診せないケースが非常に多く、酪農・畜産業の衰退もあって、長期的な経営計画が成り立たない。また、個人的にも、獣医師や医師が自分の子を自分と同レベルの大学に入れようとしても、低レベルの学校しか無く、とうてい高度な教育を受けさせられる環境に無い。その結果、たとえ競合が激しくても都市部で開業した方が「まだマシ」であり、「都市か地方か」というのは選択肢として成立していない。

その結果、獣医師会は「医師数は適切」と主張するのに対し、酪農・畜産業者を始めとする地方財界は獣医師増を要望するというギャップが生じている。安倍内閣は自分で規制を掛けながら「岩盤規制の打破」などと言っているが、不必要な規制緩和を行った結果、弁護士、歯医者、タクシーなどがどのような末路を迎えたか、考え直すべきだ。
そして、日本の選挙制度は小選挙区制であるため、地方財界から献金付きで陳情を受ければ、与党だろうが野党だろうが、これを拒否できない。そのため、民進党でもE田前参議やT井議員などを筆頭に複数の議員が、加計学園等から献金(パーティー券の購入を含む)を受けて政府に働きかけ(圧力)を行っていた。
要は、加計学園は「ロビー活動が上手い」というだけなのだが、財界から献金を受けた政治家が、法や行政の逸脱を強いているという腐敗こそが問題なのであり、それは自民党が「より酷い」というだけで、民進党も汚染されているのは間違いない。
魚は頭から腐る。(ロシアのことわざ)

国家というものは、下から上へ向かって腐敗が進むということは絶対にないのです。まず頂上から腐りはじめる。ひとつの例外もありません。(銀英伝・ルビンスキー)

獣医学部の新設は、医師の偏在という問題を解決することなく、闇雲に地方に学部を新設したところで、都市部の医師数が増えて競合が激しくなるだけの話であり、地方での開業が増える保証はどこにもない。

かつては医学部には医局制度があり、医局の教授が圧倒的な権力をもって若い医師を地方に送り込み、地方で任務を無事遂行した医師は出世や開業が保証されるという仕組みだった。ところが、これが様々な理由から「権威主義的」として実質的に廃止され、「個人の自由」に委ねられた結果、誰も地方に行かなくなってしまった。医局制度は確かに権威主義的ではあったが、少なくとも一定の需給調整機能を果たしていた。それを代替させるものを容易せずに廃止してしまった結果が、地方の惨状を招いている側面は否めない。

また、「規制緩和」は緩和する側が圧倒的な権力を有するため、そこに腐敗が集中する。それだけに、意志決定過程を全て明らかにしなければ、腐敗を加速させることになるが、日本の場合、先進国最低水準の情報公開がこれを妨害、自民党の超長期政権が腐敗を加速させるというスパイラルに陥っている。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

加計疑獄と前川前文科次官をめぐるあれこれ

加計疑獄については、行政の裁量権がどこまで許されるのか、同時に「総理の要請」に象徴される「政治的配慮」がどこまで正当なものとして考えられるか、という話であり、金銭の授受や政治的取引(例えば、選挙の応援や名簿提出)が確認できない限り、告発は難しく、政治的批判を超えるものにはなりにくいだろう。

自民党政権が超長期にわたって続いているため、保守的あるいは右翼的傾向を持つ法人が政権に強いパイプをもって働きかけできているだけの話であり、仮に社会党政権が成立して続いていれば、リベラルあるいは社会主義的傾向を持つ法人が優遇されていただろう。つまり、非常にアジア的な「御上に嘆願する」陳情政治(構図としては中国皇帝やロシア・ツァーリに請願するようなもの)が根幹にあり、それを是とするかどうかなのだ。
仮に欧米型の政党政治が存在していれば、定期的に政権交代が起こるので、特定の勢力を支持するグループが圧倒的な影響力や人的パイプを持つことにはならないが、日本の場合、戦後70年のうち55年以上を自民党が支配している上、いまや衆参両院で自民党が大多数を有しているだけに、現代ロシアのような「絶対与党と衛星党と超少数の野党」みたいな構図になっている。
結果、アクトンの「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」が具現化している。長期政権により権力が腐敗して自浄能力を失っている以上、検察(行政)もまた機能せず、いかなる不法行為も隠蔽され、摘発されることはない。
また、欧米のように情報公開制度が整備されているなら、政官業報の不適切な接触についても情報公開を請求し、不正を告発することも可能だが、日本では公文書管理も情報公開も「中世よりはマシ」程度であるため、自浄能力を持たない。この点でも、日本は欧米の先進国型民主主義ではなく、アジアの開発独裁国型に近い。

それはさておき、前川前文科事務次官は興味深い人物のようだ。
全部又聞きになってしまうが、省内では「気骨ある革新官僚」という評価で、その評価は日教組に至るまで高かった。曰く、教員の減員に強く反対して、逆に増員を主張、2009年の政権交代前に民主党が打ち出した「高校無償化」にはいち早く賛成の意を明確にして省内で孤立、安倍政権後には「無償化廃止あるいは所得制限導入」に局長として最後まで抵抗して更迭されたという。古くは、小泉政権期にも三位一体改革(教育費の国庫負担削減)に激しく反対したことで、省内で話題になったとされる。このような経歴を持ちながら、なおあの霞ヶ関で局長を経て事務次官になったというのは尋常では無い。殆ど、海軍にあって、軍令部条例改定案、日独伊三国同盟、マル五計画などに反対し続け、常に反主流派を歩きながら次官、大将にまでなった伯父上を見る思いだ。

もっとも、今回の事件については、確かに「官邸の都合で行政のルールを歪め、省の信頼を貶めるな」という正義感が動機になってはいるのだろうが、より根源的には「天下り問題は他省でもいくらでもやっているのに、文科省をスケープゴートにした。森友、加計疑獄でもか!」というルサンチマンが文科省を覆っているため実行可能だったと見られる。つまり、前川氏の単独犯ではないだろう。

官邸は、「怪文書」の出所が前川氏であることを突き止め(少なくとも裏で糸を引いている)、スキャンダル情報(怪情報)を流す。カウンターインテリジェンスの類いだが、それには前川氏の行動を事前に調査収集していなければできないことだった。
ところが、官僚の身辺調査は現在では法的根拠があり、完全に合法化されている。「特定秘密保護法」がそれだ。
特定秘密保護法は、特定秘密を取り扱う可能性のある官僚の身辺調査を行うことを義務づけている。特定秘密は、原則的には軍事、外交、テロ関係などに限定されているものの、例えば文科省は原子力を始めとする科学技術全般を所管しており、「特定秘密を取り扱う可能性」に該当する官僚は少なくない。つまり、この点で調査する側の裁量が非常に大きく設定されているため、適当な理由を付ければ、「全ての官僚」は言い過ぎにしても、相当に広い範囲で身辺調査することが許されている(義務)。
先に補足しておくと、これは当然ながら総理大臣を始めとする閣僚や政務三役、政権党の幹部なども含まれるが、その意味するところは当局が、政権党幹部の身辺調査を行って、スキャンダル情報をプールしておくことが合法化されているということだ。理論上は、政権党の議員は政務三役になる可能性があるため、たとえ一年生議員でも当局による身辺調査が可能になっている。ただし、野党議員は特定秘密を扱う可能性が無いため、少なくとも合法的には身辺調査できない(秘密会所属議員は例外)。

つまり、今回の「前次官スキャンダル」は、特定秘密保護法がかなり広範囲の公務員のセンシティブ情報の収集を許し、官邸がその情報を駆使して敵対的あるいは批判的な政敵や官僚の追い落としにかかることを可能にしていることを示している。さらに言えば、秘密保護法と改正通信傍受法(盗聴の無限拡大)と共謀罪のコンボがどのような社会をなすのか、強く暗示している。
すでに日本は暗黒時代に突入している。そして、それを覆い隠すために、東京五輪がセットされているのだ。
posted by ケン at 12:55| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

日本のエリートとは誰か・補〜東大の権力源泉

先の稿で「日本のエリートとは誰を指すのか」を論じた。今回は、その補足として「東大出がなぜ権力を有し、エスタブリッシュメント層を形成しているのか」について考えたい。
とはいえ、本稿も伯父の経験や母の回想を中心に、ケン先生の周辺にいる東大出身者の話を総合したものであり、あくまで参考程度に止めて欲しい。

第一に東大出は、官界のトップを形成するキャリア官僚のうち約半数を占める。この割合は、時代を下るごとに低下しており、かつては平均で6〜7割程度だったと見られる。昨年の国家公務員総合職試験を見ると、約2千人の合格者のうち、東大出は433人で、2位京大の183人を大きく引き離している。とはいえ、これは入口の話であって、昇進レースでは東大出が常に優位に立つ。省庁の事務官僚トップである次官は、かつては大半が東大、現代でも半数が東大だ。
つまり、キャリア官僚の中で相対多数を占める「数的優位」が東大閥の大きな影響力を支えている。

第二に俗に「東大閥」「東大マフィア」などと呼ばれる人的紐帯がある。これは、必ずしも具体的な派閥として存在するわけではない。
例えば、私の大伯父は一高時代に福田赳夫と寮の部屋が隣同士だった関係もあって、東大法学部を経て、官界入りして大蔵と内務に分かれてもずっと同志的紐帯を持ち続けた。そのため、福田が大蔵大臣や総理大臣になっても、電話は直通、面会はアポ無しで優先的に取り次いでもらえた。もちろん逆も同じである。

通常であれば、何らかの案件で内務省の部長が大蔵省の部長に問い合わせを行おうとすれば、何重もの「壁」(手続きや人的仲介)を経てアポイントを取らざるを得ないが、「東大出」であればこうした壁を全て無視して、直接確認したり、協議・調整できたりするのだ。これは、組織内の交渉コストが、通常よりもはるかに低いことを示しており、他大出身者に比して作業効率が著しく高いことを意味する。極論すれば、私大出身のキャリア官僚が調整に何週間も掛けるような案件が、東大出同士が話すと一瞬で終わってしまうのだ。

前ボスが地方自治の関係で陳情を受けた際、「どの部署の誰に相談するか」と悩んで、懇意にしている自治官僚出身のベテラン議員に相談したところ、その先生はその場で総務大臣(自治相の後輩、東大)の携帯に電話、大臣もすぐに電話に出るのだが、「ちょっと相談したいことがあるんだけど、今(議員)会館まで来られるかな?」とまるでサークルの後輩を呼び出すような感覚だった。ここで重要なのは、その陳情が上首尾に処理されたかどうかではなく、下手するとたらい回しにされて有耶無耶にされがちな高コスト案件が、東大や省庁の先輩後輩の関係によって一瞬にして処理されてしまうことにある。

また私の母(東大医学部)は、巨大政令市の局長級だったが、市長は同年代の東大出(法学部、自治官僚)だった。二人はすぐに意気投合し、電話は携帯で直通、面会はアポイント不要で優先的に通されたという。通常であれば、たとえ局長でも、市長への電話は秘書課を介し、面会も秘書課を通じてアポイントを取るものであり、この「近さ」が組織内のあらゆる交渉コストを下げることになる。例えば、局をまたぐ案件で部門の異なる他局がサボタージュを行っている場合、局長同士で調整すると長い時間が必要となるものが、母が市長に電話一本入れるだけで、市長から指令が降りて解決してしまったという。
もっとも、母はこの手を使いすぎて警戒され、副市長になり損ねたわけだが、処理した案件の数は圧倒的だったという。エリートは「最も合理的かつ効率的」に組織内の交渉と作業を進めているだけのつもりなのだが、閥外の人間から見ると「癒着」「談合」にしか見えない典型だろう。

そして、第三に「地頭の良さ」がある。正直なところ、私が見てきた範囲でも東大出身者の中には「同じ人間か」と思うほど頭の良いものが何人かいる。例えば、伯父は凄まじい記憶力の持ち主で、子どもの頃から「いつ誰がどこで何を話したか」正確に言うことができ、自分が目を通した法律は殆ど全て諳んじることができたという。佐藤内閣時に農相のピンチヒッターに指名された時も、「明日からでも官僚の手助けもペーパーも無しで委員会の答弁に立てる」という理由からだった。
現代でも民進党のある若手議員の事務所は、毎日山のように配布される法案資料を全て廃棄しているが、その理由は「議員が一度目を通した資料は全て記憶されるから不要」というものだった。

つまり、こうした超エリート同士は、平均的な官僚や政治家が10説明しないと理解できないことでも、2〜3程度説明すれば全て理解して、下手すると100くらいまでイメージを広げることができる。そのため、超エリート同士の協議や調整は、常人同士のそれよりもはるかに少ないコストで済むことになり、元来の地頭の良さもあって、その事務処理能力は常人の何倍、何十倍にも匹敵するところとなる。同時に、東大出は互いの地頭の良さを知っているため、暗黙の信頼関係があり、「あいつがやるというなら間違いないだろう」と安心して仕事を進めることができる。この信頼関係が、仕事や交渉の効率を上げることは言うまでも無い。ところが、他大学出身者だと、能力に不安があるため、仕事を任せられず、一々チェックしながら仕事を進めることになり、効率が落ちてゆく。

上記をまとめると、「キャリアの半数という数的優位」「人的紐帯による交渉コストの大幅減と事務効率化」「地頭の良さと信頼関係に基づく交渉・事務コストの削減」こそが、「東大閥」の権力源泉なのだと考えられる。
だが、現実には「エリート支配」は大きく陰りを見せている。官界における東大卒の割合は低下の一途を辿り、東大エリートが支配する日本は20年間ほぼ経済成長せず、相対的貧困率は15%を超えて上昇し続け、外交的にはアジアで孤立し、政権は腐敗が蔓延、もはや暴力装置を強化することでしか統治できなくなりつつある。だが、これに替わる統治者層も統治手段も見いだせないのもまた事実なのだろう。

【参考】平等の価値について〜または社会主義者である理由
posted by ケン at 12:14| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

日本のエリートとは誰か

「日本でエリートって具体的には誰を指すのか」という話になった。
世界的に政治対立が「エリートvs. 反エリート」という図式になっている。アメリカでは、エリートのクリントン氏が反エリートを代表するトランプ氏に敗れ、逆にフランスでは、エリートのマクロン氏が反エリートを代表するルペン氏に勝利した。
日本の場合、非エリートの安倍氏が長期政権を担っているが、21世紀に入って東大出の総理大臣は鳩山由紀夫氏だけで、少なくとも表だっては「エリートvs. 反エリート」という図式が見えにくい。

この問いは簡単だ。日本のエスタブリッシュメントは「東大出の官僚」に象徴される。これは、「東大出」だけでも「官僚」だけでも成り立たず、不可分の関係にある。
例えば、先日復興大臣を辞任した今村氏は東大法学部出身だが、国鉄に入社しており、一部では「国鉄官僚」と揶揄されるものの、官僚からは見下される身分にあり、これが大きなコンプレックスとなって、今村氏の肥大化した自我に影響しているものと見られる。
逆に、厚生労働次官だった村木氏は、女性ということもあるが、それ以上に高知大学出身であったため、「凛の会事件」でスケープゴートにされてしまった。彼女が東大、それも法学部出身だったら、まず起きなかっただろう。

この東大の中にも階層があり、その頂点に立つのは法学部で、むしろ法学部以外は「雑魚」「みそっかす」の扱いをされることが多い。例えば、故宮澤喜一は、レクチャーに来た官僚や取材に来た新聞記者に対し、まず「大学は?」と聞き、東大以外と知るとまともに応対せず、東大と答えると今度は「学部は?」と尋ね、法学部以外と知ると、「用を済ませてさっさと帰れ」という空気を丸出しにしていたという。まぁ東大出の新聞記者などまずいないとは思うのだが・・・・・・
ただ、東大出身者の話を聞く限り、医学部はやや例外で、法学部出身者でも一目置いていたようで、「準エリート」と言えるだろう。もっとも、その準エリートの母に聞くと、医学部の中でも「理科三類」で入学したものは(母の世代が最初の理3合格者)、医学部試験合格者から下に見られていたという。ただ、いまや現役世代の全員が理3になっているので、ここは無視して良いだろう。

また、ここで官僚・官界と言う場合、狭義の霞ヶ関・行政官僚を指すのではなく、検察や裁判所、広義では日本銀行まで含まれる。
恐ろしいことに、日本銀行の総裁を見た場合、現職の黒田氏、先々代の福井氏は東大法学部出身であり、経済学部では無い。松下氏以前は、ほぼほぼ東大法学部出身者で占められている。一橋(東京商科大学)出身かつキリスト教徒である速水氏が総裁に就任したのは、一連の大蔵スキャンダルに依るもので、それが無ければ「あり得ない人事」だったとされる。

司法の世界においても、弁護士は検察官や裁判官に比して「一段下」に見られており、実際、帝政期の法廷では裁判官と検察官がひな壇に並んで座り、被告と弁護士は「御白砂」に立たされたままだった。この感覚は現代においても変わりなく、「判検交流」という形で「司法の東大支配」が続いている。
もっとも、たとえ弁護士であっても、「東大出の弁護士」は一目置かれる存在だという。全く証拠が無いので、「噂」になってしまうが、同じ女性議員でも、民進党のT元氏やレンホー氏らが強いバッシングにさらされる一方で、同党のY尾氏やSM党のF島氏などはいくら政府攻撃しても、スキャンダルを抱えていても批判されていない。これは後者二人が「東大法学部出の弁護士」であるため、東大閥の手厚い保護があるというのが、永田町における「常識」だ。
これは、日本の司法研修制度が、官民一体となって検察志望者も弁護士志望者も一緒に裁判所で研修を行い、「研修同期」が一種のマフィア的社会を形成していることにも起因していると考えられる。

付言すると、民主党政権時に検事総長に就任した笠間治雄氏は、明治帝政以来二度目の私大出身者(中央)だった。当時起きた大阪地検証拠改ざん事件を受けての大抜擢だったが、「(東大出でない)私に総長が務まるわけが無い」と何度も全力で固持したとされる。これは、私大出身の総長では、東大出のエリート官僚が統制に服さない恐れが強かったためと推察される。
他方、笠間を推薦した大林前総長の意図は、「法務官僚(赤煉瓦)ではこの難局は乗り切れない」というものであったというのが一般的な見方だが、私が耳にした噂には「民主党政権ごときにエスタブリッシュメントの検事総長などくれてやれるか!」というというものもあった。

なお、このF島氏は、自民党麻生政権時に中川蔵相がローマで「酩酊会見」を行ってバッシングされた際、野党議員(しかもSM)であったにもかかわらず全力で庇い続けており、東大法学部の同期であったことから「やっぱり東大マフィア」と批判されている。この後に憤死した中川氏は東大法学部を卒業後、官界に入らず、日本興業銀行(現みずほ)に入行しているため、「エリートグループの一員」(ロシア語に言うНаш человек)とは見なされず、庇われなかった側面があることは否めない。

もっとも、細かいところで言うと、「エリート」の中にも序列があるとされる。1つは言うまでも無く、官界の中の序列で、旧内務省と大蔵省を頂点とする明確な上下関係が存在する。現代においても、総務省や財務省の次官が官界の最頂点であり、「下級官庁」になると、総務省や大蔵省からの出向者が次官になるという関係にある(常では無いが)。
東大在学中に司法試験に合格して大蔵省に入省し、「若手ホープ」としてエスタブリッシュメントに期待されながら、政界に転身したある議員は、出馬する際に上司から「せっかく政治家を使う立場にあるのに、何をトチ狂って我々に使われる立場になろうとするんだ!」と説教されたという。

日本政治が統治不全に陥りつつある1つの理由は、かつては東大出エリートが省庁で位階を極めた後、政界に転じて党人派とバランスを取りながら「シヴィリアン・コントロール」を行うという機能があり、政界の超エリートが官僚を制御していた側面を有していたものの、これが小選挙区制の導入などで失われ、霞ヶ関の一元支配になってしまったことにある。
例えば、私の大伯父は内務省の超エリートで、終戦時の鈴木内閣の総理秘書官や調査局長を担い、戦後政界に転じているが、東大と内務省の人脈で官界に睨みをきかせることができた。佐藤内閣期に農相がスキャンダルで辞任した際、全く専門外の伯父が指名されたが、その理由は「明日からでも官僚の手助け無しで答弁に立てる」というもので、「頭脳エリート」としても圧倒的な存在感を示していた。現代でも、民主党政権期に前ボスが懇意にしていたT先生は、自治省の局長上がりだったが、後輩が先に大臣になっても携帯に直接電話して、「ちょっと説明に来てくれ」と言える関係にあった。良くも悪くも「そういうもの」だったのだ。
ところが、昨今の官界出身者は、課長補佐程度で出馬するため、当選しても、むしろかつての上司にアゴで使われるような有様になっている。そうでないと、逆に「上司憎し」のルサンチマンに終始してしまう。民進党の官僚出身議員の多くがこれだ。

・大伯父の肖像:スーパーエリートの系譜

もう一つ「エリート中の序列」に出身高校の序列というものがあるが、すでに長くなっているので、別の機会に気が向いたら稿を起こしたい。また、「東大出がなぜエスタブリッシュメントを形成できるのか」については補稿を上げたい。
posted by ケン at 12:27| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

雪崩事故は慢心故か

【<那須雪崩>「経験則」から慢心…歩行訓練、3教諭で決断】
「絶対安全だと思っていた」−−。栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場付近で起きた雪崩で県立高校生ら8人が死亡した事故で、現場責任者だった教諭が29日、公の場で初めて当時の状況を語った。安全と判断した根拠については自らの「経験則」という言葉を繰り返す一方、教え子を失った事実に声を震わせ、頭を下げて記者会見場を後にした。
 悪天候のために登山の実技講習を中止しながら、なぜ歩行訓練を実施したのか−−。「春山登山」講習会を主催した栃木県高校体育連盟で登山専門部委員長を務める県立大田原高の猪瀬修一教諭(50)が県庁で記者会見し、登山専門部の副委員長、参加校の山岳部の顧問教諭の計3人で話し合って決めたことを明かした。
 27日午前6時ごろ、現地本部となっていた町内の旅館にいた猪瀬教諭は、スキー場近くに設営したテントにいた副委員長の携帯電話を鳴らした。副委員長が、一緒にいた登山のキャリアが豊富な顧問教諭に相談したところ、顧問は「雪が降っているので登山は無理。ラッセル訓練はできるだろう」と語り、3人でゲレンデに出ることを決めたという。
 午前7時半ごろにスキー場の管理事務所に生徒らを集合させ、訓練について説明。同8時ごろ、生徒46人、副委員長と顧問教諭を含む教員9人の計55人が第2ゲレンデの方向に歩き出した。猪瀬教諭は送り出した後、本部に戻り待機した。
 講習会は毎年このスキー場で行われており、教諭らの「経験」で「雪崩が起きやすい地点に近付かないように」して山の斜面で訓練を開始。生徒らは10人前後の5班に分かれ、亡くなった大田原高校の生徒7人と教諭1人を含む「1班」計14人が先頭になり登っていた際、同8時半ごろに雪崩に見舞われた。副委員長を含む生徒ら40人が負傷した。
 猪瀬教諭が事故を知ったのは午前9時15分ごろ。参加者は無線機などを持参していたはずだが雪崩でなくしたのか、無事だった教諭の1人が本部に駆け付け猪瀬教諭に報告。同20分ごろ110番した。
 また、雪の中で位置情報を知らせる電波発信機(ビーコン)を装備していなかった点については「雪崩の危険性のある登山には必要だが高校生は(危険な山には)行かない。全国的にもそうだと認識している」と語った。
 「安全」の判断は「経験則」によるとの説明を繰り返す一方、結果的に慢心があったことを認め「正直あの時行かないという判断をできればこんなことにならなかった」と後悔の言葉も。本部で連絡係として待機していたが、午前9時ごろから約10分間は無線機から離れていたといい「その間に通報があった可能性はあり、今では不用意だったと思っている」と釈明した。
 反省の言葉も口にし、会見終盤には「取り返しがつかないこと」と涙ぐんで声を震わせ、28日の保護者説明会で「『こういうことになっていたたまれない。申し訳ない』と話した」と明かした。
 「私ができることは、知っていること、こういうことになってしまったことをうそをつかずに誠実に答えること。謝罪しても、すみませんと言っても……」。体調への配慮から県教委の幹部らを残し2時間余りで途中退席する際、深く頭を下げた。
(3月29日、毎日新聞)

不慣れな官僚答弁でボロを出しまくってしまった格好だが、要は「いつもやっていたことを、いつも通りやったら事故が起きてしまった。我々はいつも通り絶対安全と判断しただけ」ということらしい。福島原発事故に際しての東電側の無責任な答弁と被るところが多いと同時に、旧軍に共通する日本社会の伝統的なブラック体質をも露呈している。

まず現場で高校生を引率し、事故で死亡した教員は就任一年目の新人であるにもかかわらず、登山部の顧問をさせられていた上、冬山登山の経験はゼロだったという。少し前までなら、新人教員が担任や部活顧問を任せられることは無かったはずだが、人員不足が恒常化する中、新人かどうか関係なく強制させられている。担任はともかく、部活動は任意の活動である上、教員の本来業務でも無いが、地方に行くほど参加強制がまかり通り、教員も顧問就任を強制されるケースが殆どだとされる。特に若い教員ほど、「若い」というだけの理由でハードな運動部顧問を任せられる傾向が強く、離職率や疾病率を高めている。
経験豊かな「専門家」が後方のテントや旅館で待機していたのに対し、経験ゼロの最若年教員が最先頭に立っていたこと自体、ブラック体質を示している。
現地の救助隊にいる老人は、数十年前にも同じ場所で雪崩が起きていたことを証言しているが、「不都合な事実」は無視されたようだ。

また、事故に遭った高校生も引率教員もビーコンを持っておらず、教員が持っていたとされる無線機は機能しなかった。このことは、安全装備の多重性を無視して、「全電源喪失などという事態は起こりえない」と強弁し、世界最大級の核事故を引き起こした日本政府や東京電力に共通する。同時に、安全装備を全廃した零戦を主軸戦闘機にしてしまった旧軍の体質にも共通する。日本人は、どこまでも安全をケチる傾向にあるが、これは過剰な人口が生命の価値を下げているためかもしれない。この傾向は、日本の人口が3千万人くらいになれば、少しは見直されるかもしれない。

ちなみに日露戦争前の雪中行軍に際し、八甲田山で遭難した青森第五連隊第二大隊を率いた神成大尉は秋田生まれ特務上がりの大ベテランだった。にもかかわらず、状況把握も登山装備も不備のまま出発している。休息する予定すらなく、一気に歩き抜くという無謀すぎる「計画」だった。
これに対し、同じ訓練を行って遭難せずに完遂した弘前第三十一連隊第一大隊の福島大尉は、士官学校上がりのベテランだったが、こちらは群馬県の平野部の出身だったにもかかわらず、事前調査を十分に行い、装備も万全を期して慎重に進め、ビバークの準備も十分にしていた。
八甲田山の経験は、必ずしも冬山や登山の経験がなくとも、リーダーの慎重な行動や判断があれば、悲劇を回避できる可能性を示している。

八甲田山の事件も「悲劇」ばかりが強調されるが、「なぜ事故が避けられなかったのか」という経験は100年以上経ても全く活かされていないようだ。
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2017年04月06日

拡散する外国人差別

【スポーツ報知が「おわび」を掲載 照ノ富士へのヤジ「モンゴル帰れ」の見出しで】
 モンゴル出身の大関・照ノ富士が大相撲春場所14日目(3月25日)に関脇・琴奨菊に勝利したが、この取り組みについて観客のヤジ「モンゴル帰れ」という言葉を見出しにしたニュース記事に対し、外国人に対する差別的な「ヘイトスピーチだ」といった批判が相次いでいる。問題となっているのは、「スポーツ報知」が3月26日に配信した記事。見出しは「照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!『モンゴル帰れ』」となっている。
(3月27日、The Huffington Postから抜粋)

【差別発言、3割が経験=外国人居住者に初調査―法務省】
 法務省は31日、日本に住む外国人を対象とした差別被害に関する初の実態調査の結果を公表した。過去5年間に外国人であることを理由に差別的なことを言われた経験が「よくある」「たまにある」と答えた人は合わせて29.8%だった。誰に言われたかを複数回答で尋ねたところ、「見知らぬ人」が53.3%と最も多く、「職場の上司や同僚・部下、取引先」が38.0%、「近隣の住民」が19.3%と続いた。金田勝年法相は記者会見で「外国人に対する不当な差別的言動、扱いがあってはならない」と強調。「相談窓口の周知や人権啓発活動に適切に取り組む」と述べた。
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)を伴うデモや街宣活動を見聞きした人の受け止め(複数回答)は、「不快に感じた」が39.2%、「なぜそのようなことをするのか不思議に感じた」が28.4%、「日本人や日本社会に対する見方が悪くなった」が15.9%の順となった。このほか、外国人であることを理由として、住宅への入居を断られた(39.3%)、就職を断られた(25.0%)、同じ仕事をしている日本人より賃金が低かった(19.6%)といった実態が明らかになった。
 調査は外国人居住者の多い群馬県太田市、東京都港区、川崎市など16都道府県の37市区に住む18歳以上の1万8500人を対象に、昨年11月14日から12月5日まで、郵送で実施。有効回収率は23.0%だった。 
(3月31日、時事通信)

大阪府立体育会館では「モンゴル帰れ」が木魂したらしいが、市中でも外国人差別が顕在化、拡散する傾向を見せている。東京新聞の記事によれば、一橋大学の学生らが行ったアンケートでは、相当数の留学生が差別や暴力を受けたと回答している。公共の体育館でヘイトスピーチが乱舞し、スポーツ新聞の見出しにもなるくらいなのだから、市中に差別が溢れるのは当然かもしれない。外国人技能実習生に限れば、もっと悲惨な結果が出るかもしれない。

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差別感情は、本質的には程度の差はあれども、誰しもが抱えうるものであり、存在そのものを否定するのは無意味だ。だが、それだけにひとたび表出を許し、顕在化が始まると止めるのが難しくなってしまう性質がある。関東大震災に際しての虐殺事件や、大きなところではドイツにおけるホロコースト、ロシアにおけるポグロムなどが挙げられる。
比較的豊かで安定した社会では、差別は表出しにくいが、豊かさが失われ不安定化する中にあって、差別感情もまた表面化しやすい環境が醸成されつつある。同時に、権力者は社会的不満を逸らすために差別を助長する傾向があり、これはほぼ例外なく行われる。
民族の平和的共存を国家原理としたユーゴスラヴィア連邦が、凄惨な民族紛争と内戦の末に分裂、瓦解したのは四半世紀前のことに過ぎない。

とはいえ、特効薬のようなものが存在しないことも確かで、対処策としては、法律によって差別を禁じて、可能な限り表面化を抑止すると同時に、教育や社会的感化を通じて民族共生の普遍性を啓蒙していく他ない。
だが、帝国時代には同化政策を推進し、戦後は多民族共生を拒否あるいは無視してきた日本では、あらゆる外国人施策が遅れており、包括的な差別禁止法すら無く、多文化共生教育は自治体(教育委員会)の裁量に委ねられているため、差別が蔓延する環境はすでにできあがっていると見て良い。
今後、さらに留学生や技能実習生の増加が計画されているだけに、非常に危険な状況と言えよう。
posted by ケン at 12:22| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

スマホとかあり得ないよね

【ロ外相、スマホ不携帯を告白 CIAによるハッキング疑惑受け】
 米中央情報局(CIA)によるハッキング疑惑を内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露したことを受けて、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は9日、ハッキング被害を回避するため、「デリケートな問題」が絡む協議にはスマートフォンを持ち込まないようにしていると明かした。ドイツのジグマル・ガブリエル外相とモスクワで臨んだ共同記者会見の場でラブロフ氏は、「私自身は、デリケートな問題が関わる協議には電話を持ち込まないようにしている」と話し、「少なくとも私は今のところ、不都合な状況には陥らなくて済んでいるようだ」と述べた。ラブロフ氏はさらに、CIAはスマートフォンだけでなく「冷蔵庫にも」侵入できると聞いたと、冗談めかした口調で付け足した。
(3月10日、AFP)

私の周囲にいる政界人もまず9割以上の人がスマホを装備しているが、情報や諜報に対する意識の低さ、あるいは国政に対する責任の自覚が疑われる。
日本の警察・公安あるいは自衛隊も、遅れてはいるものの、通信傍受部門を拡大させつつあり、アメリカの諜報機関との連携を考えれば、どのような情報が「筒抜け」になっているか分かったものではない。「ガラケーなら大丈夫」ということはないが、スマホは便利であるが故に、全ての情報が集約されてしまい、盗聴する側にとっても「カモネギ」だからだ。

開示された情報に寄れば、CIAはスマホはおろか、自宅などのインターネットに接続していないPCへのアクセスを可能にしているということであり、死角自体が無くなりつつあると見て良い。それどころか、自動車の制御系にウイルスを展開させて、事故を擬装しての暗殺をも試みているというのだから、もはや大手メディアによる「事故死」報道すら、実は「フェイク・ニュース」である可能性があることを示している。つまり、現代において「トゥルー」と「フェイク」の境界線はますます曖昧になっており、「フェイク・ニュース」と騒いでいる連中こそが「フェイク」の発信源だったということも常態化しつつある。
そして、日常生活に必要なあらゆる機器がIT化、AI化されつつあるだけに、外部からの不正操作に対してますます脆弱になっている。ラブロフ氏ではないが、冷蔵庫すら、「アナログ」でないと不安な時代になっているのだ。

不正アクセスや偽情報の発信は、ロシアの専売特許ではなく、当然アメリカも力を入れている。西側社会でテロ戦争や難民問題の実像、あるいは金融不正などが報道されないのは情報操作の成果だろう。
少なくとも我々は「そういう」時代に生きていることを自覚する必要がある。
posted by ケン at 12:12| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする