2018年02月02日

イズベスチヤ化するNHK

【「ことしはウナギの供給不足に陥ることない」農相】
 ウナギの稚魚の「シラスウナギ」の漁獲量が極端に減少していることについて、齋藤農林水産大臣は、23日の閣議のあとの記者会見で、ことしの夏の「土用のうしの日」にウナギが極端な供給不足に陥ることはないという見方を示しました。
 養殖ウナギの稚魚の「シラスウナギ」は今シーズンは漁獲量が減少していて、水産庁のまとめによりますと、国内の養殖池に先月入れられたシラスウナギは0.2トンと、前の年の同じ時期のわずか3%にとどまっています。
これについて、齋藤農林水産大臣は、閣議のあとの記者会見で「シラスウナギの漁獲量は年によって変動が大きいものだが、これまでのところ不調だ。海流など海洋の環境が影響していることが考えられるが、今後、回復するかどうか状況を注視したい」と述べました。
 そのうえで、今後のウナギの供給については、「ことし出荷されるウナギは、前のシーズンに漁獲されたシラスウナギが育てられたものが多い。前のシーズンの漁獲量は平年並みだったので、極端な供給不足に陥ることはないのではないか」と述べ、ことし夏の「土用のうしの日」への影響は限定的だという考えを示しました。
(1月23日、NHK)

「ことしはウナギの供給不足に陥ることない」

この辺の言い回し、ソ連帰り、全体主義学徒的にはピピッとくるものがありますな(微笑)
ウナギを食肉とか石鹸とかに置き換えれば、もう1980年代のソ連・東欧。

ウナギは完全に食べ尽くしたものと見て良いだろう。他にも今期はサケ、サンマ、マグロ、カツオなどが不漁で、特にサンマは歴史的不漁だという。また、マグロは世界的な需要高から天然物の絶滅が危惧されている。

世界的影響の大きい絶滅の可能性には言及することなく、ただ単に「国民をいたずらに混乱させないため」に事実を最大限に歪めて報じる姿勢は、もはや全体主義国のそれと同様だ。
その意味でもNHKは戦後民主主義における公共放送の役割を負え、権威主義政府に奉仕する機関へと変貌を遂げつつあることを示している。
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2018年02月01日

パリ市が万博断念

【パリ万博、仏政府が断念 財政上の懸念理由に】
 大阪が誘致を目指す2025年の国際博覧会(万博)について、パリ郊外サクレー地区を候補地として挙げてきたフランスの誘致委員会のジャンクリストフ・フロマンタン会長は22日、記者会見し、「ゴール直前で誘致をあきらめるのは遺憾だ」と述べ、仏政府による誘致断念を公式に認めた。
 仏メディアによると、フィリップ仏首相は万博の誘致関係者らに送った書簡や電話で、民間からの投資不足や入場者数予測の見通しの甘さによる財政上の懸念を表明し、国として立候補の取り下げを決めたと告げた。
 会見でフロマンタン氏は「万博計画は公的資金の投資がない前提で立てられ、国も認可していた」と説明。万博に予測されたほどの経済効果が期待できないとの政府側の主張を「ウソで公平でない」と批判した。
 候補地を含む自治体であるイルドフランス地域圏のペクレス議長も21日、「採算が合わないと一方的に決めつけている」と仏ラジオでフィリップ氏の判断を批判するなど反発が広がっている。
 万博誘致を巡っては、パリ郊外サクレー地区が大阪の最大のライバルとみられてきた。ほかに、ロシア中部のエカテリンブルク、アゼルバイジャンの首都バクーが立候補している。開催国は、11月の博覧会国際事務局(BIE)総会で行われる投票で決まる。
(1月22日、時事通信)

【万博誘致「気緩めず拍車」=仏断念で世耕経産相】
 世耕弘成経済産業相は23日の閣議後の記者会見で、大阪が誘致を目指す2025年の国際博覧会(万博)をめぐり、フランス政府が立候補を取り下げる方針を固めたことに関し、「正式に発表されていないので、日本政府としてのコメントは控えたい」と断った上で、「気を緩めず、オールジャパンの体制で誘致に向けた取り組みに一層拍車を掛けたい」と述べた。25年万博は日本のほか、ロシア、アゼルバイジャンも立候補している。
(1月23日、時事通信)

五輪誘致を取り下げたローマ、ハンブルク、ブダペスト、ボストンらと、五輪、賭博、万博とハコモノつくって集客、収奪することでしか成り立たなくなっている日本は、一体どこが違うのだろうか。
民意に基づいて選出された行政の長が五輪返上を申し出るのだから、そこには「巨額の税金を投じて祭りを開催することの不健全性」が民意として自覚されていると解釈すべきなのだろう。これに対して、日本の場合、民意が「御上が主導して祭りを開く」ことを求める傾向が強い。ミニマムな話だと、自治体が成人式を開催するのも同じ理由からだ。

財政難で民生を優先するためにイベントを断念する欧米諸国と、財政難で民生が犠牲にされる中でイベントを「オールジャパンで進める」と言ってしまう日本、その民度の差(鼎の軽重が理解できない)は今後ますます日本をどん底に突き落としてゆきそうだ。
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2018年01月24日

保身しか考えないヤクニンども

【公用メール、1年で自動廃棄 政策検証が困難に】
 省庁で利用が急増している公用電子メールについて、国土交通省は2月から、送受信後1年が経過したものをサーバーから自動的に廃棄することを決めた。保存が必要な公文書に該当するメールは職場で保存するよう指示したが、廃棄可能なメールとして、国会議員からの説明要求の連絡文書などを挙げている。専門家は「政策の検証に必要なメールが消去される」と懸念している。
 毎日新聞が入手したメール管理指針案や国交省の説明によると、同省は昨年、自動廃棄の方針を職員に伝えたうえで、今年1月末までに保存期間が1年以上の公文書に該当するメールをデータファイル化し、共有フォルダーなどに保存・登録するよう指示した。登録手続きをしないメールは、サーバーから自動廃棄された時点で見られなくなる。
 公文書に該当する場合でも、官僚の裁量で重要性が低いと分類されれば保存期間は1年未満となる。指針案は保存期間1年未満のメールについて、職員間で共有する必要性が高いものを除いて廃棄するよう求めた。廃棄可能な例として、国会議員からのレクチャー要求の内容を記載した連絡文書、会議や国会議員への説明の日程調整のためのメールなどを挙げている。
 指針案には、廃棄可能なメールが「(情報公開の)対象になり得ることに留意する必要がある」と記されていたが、同省関係者は「職員にまずいメールは捨てろというふうに受け止められかねない」と話した。
 森友学園問題や南スーダンPKO日報問題では、政府が「保存期間1年未満」との理由で文書を廃棄したと説明。1年未満の文書の定義があいまいだと批判が出ていた。国交省は森友学園への国有地売却の事務手続きを担当していた。
 国交省はメールを自動廃棄する理由について、政府の公文書管理のガイドラインが改正され適正な管理が求められたことや、サーバーの容量確保の必要があるためなどと説明。廃棄可能なメールは、紙であっても保存期間1年未満のものだとした。
(1月16日、毎日新聞)

今どき受信したメールを全て保存しておくくらいのことは簡単にできるだろう。メールは添付さえなければ一通あたり10から50kb程度で、仮に1億通あったとしても、50億kbで約5テラバイト、ちょっと大きめのハードディスクに収まってしまう。全て保存するという選択を採ったとしても、技術的にも資金的にも全く問題ないはずだ。
この意味するところは、メールを保存して将来的に問題追及された際に証拠となってしまうことを避けるメリットの方が、将来的に政策検証を行う資料とするメリットよりも大きいと官僚が判断したということだろう。

また、常識的に考えて一年以上前のメールが自動消去されて検索できなくなったら、通常の業務にも支障が生じると思うのだが、これも2年毎に異動のあるヤクニンにとっては何の不都合も無く、むしろ一年以上放置された案件は無視して良いという解釈もできるだけに大喜びなのかもしれない。
電子媒体でのコミュニケーションが常態化する中で「文書」の定義を逆手に取った、「ルールの悪用」の典型例と言える。

リベラリズムが権力分立を求めるのは、権力が一箇所に集中し暴走することを防ぐためで、その予防策として権力を分散して相互監視、競争・競合させる構造にしてある。公文書管理と情報公開の制度は、最大権力を有する行政が、適切に権力行使しているかどうかを、主権者が直接チェックするためにある。
森友・加計疑惑の検証が進まないのは、省庁側が情報公開を拒み、当該文書の廃棄を進めたことが大きいが、霞ヶ関はそれをシステム化・合法化しようとしているのだろう。

霞ヶ関が主権者に情報公開を拒み、「不都合な真実」を隠蔽することは、行政の腐敗を加速度的に進めると同時に、デモクラシーとリベラリズムの実態を薄め、権威主義化を促進させるところとなる。その意味で、日本は立法府も行政府も戦後民主主義とリベラリズムを否定していると言えよう。
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2017年12月23日

ヨメが怖いあまり亡命しマス?

北朝鮮から木造漁船で日本海に出て、日本に漂着した北朝鮮人が警察に拘留、尋問され、「嫌々結婚させられた妻から逃げたかった」と答えたため、「そんな訳あるか!」と延々と同じ尋問が続けられているという話を聞いた。お気の毒なことである。

ソヴィエト学徒的には、1976年にミグ25で函館空港に亡命した「ベレンコ中尉事件」を思い出すが、あれも「妻から逃げたい一心で、気づいたら日本上空まで来ていた」と後に回想している。彼の回顧によれば、妻は相当に金遣いが荒い上に酒好きで悪い酔い方をするらしく、「当時は、いかにして妻を顔を合わせないようにするかばかり考えて鬱々としていた」ということ。
他にも軍内の腐敗やシベリアの生活難にも嫌気がさしていたらしいが、どうやら最大の悩みは妻との関係だったようだ。そこから、綿密な亡命プランを立てて、実行に移すところは、凡百の人間とは異なるところだろう。それでも、精神的にはかなり追い詰められていたようで、少なくとも気持ちの上では、「気づいたら日本を目指していた」ということだったらしい。

私の周囲には同様の「妻から逃げることばかり考えている」同志は多く、程度の差はあれど、むしろ多数派と言えるほど。違うのは、ほんのちょっとの勇気があるかどうか、なのだ。
どうか当局の皆さん、北朝鮮から来た「亡命者」に同情を賜らんことを。
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2017年12月08日

老朽化で陥没、崩落が相次ぐ?

【笹子トンネル事故5年 トンネルや橋の補修進まず】
 5年前の笹子トンネルの事故を受けて、国が橋やトンネルの定期点検を自治体に義務づけた結果、点検は進んだものの、安全確保に必要な補修は十分に進んでいないことがわかりました。義務化によって点検する箇所が増えた結果、補修の予算の確保が難しくなっていることが背景にあると見られ、専門家は「予算の確保に努める一方、統廃合も検討すべきだ」と指摘しています。
笹子トンネルの事故を受けて、国土交通省は、3年前、道路を管理する自治体などに、橋やトンネルを5年ごとに点検するよう義務づけました。
国土交通省によりますと、この義務化を受けて、ことし3月末までに点検が行われたのは、橋がおよそ40万、トンネルが5000余りといずれも対象のおよそ半数に達し、ほぼ計画どおりに進んでいるということです。
 この結果、去年3月末までに、およそ2万4000の橋とおよそ1400のトンネルが「早期の補修が必要」と判定されましたが、このうち実際に補修工事に着手できたのは、橋は3085と13%、トンネルは409と28%にとどまり、安全確保に必要な補修は十分に進んでいないことがわかりました。
 これについて、NHKが、補修が必要と判定された橋やトンネルを抱える自治体に取材したところ、その多くから予算の確保が難しいといった声が出ていて、中には義務化によって点検する箇所が増えた結果、補修に予算を回しにくいと答えた自治体もありました。
(12月2日、NHKより抜粋)

すでに何度も取り上げている話だが、既存インフラの老朽化が加速度的に進んでいる現状があるにもかかわらず、毎年年末になると、永田町の国会事務所には自治体のヤクニンや自治体議員が大挙してやってきて、新規インフラの予算要望を手渡してゆく。それは、大げさではなく、積み上げれば軽く天井まで届くほどだ。逆に「補修予算が足りないから地方交付金を増やしてくれ」などという陳情は受けたことが無い。自治体とか自治体議員とか「マジいらね」と言いたくなる。

こういう中で、東京五輪が開催されるわけだが、ソ連学徒としてはモスクワ五輪とかぶる。
ソ連が1986年に開始したペレストロイカは、軍需部門の供給が過大で、民生部門や食糧の供給や流通が極めて脆弱だったのに対し、家庭等には貨幣が溢れかえっていた不均衡を改革することが目的とされた。軍需を制限し、民営化や規制緩和を進めることで、民生部門の供給を増やして流通を改善、滞留した貨幣を回収して民生部門の投資に回すことで経済成長を目指した。にもかかわらず、ゴルバチョフは「ウスカレーニエ(改革加速)」と称して西側から得た借款を生産財につぎ込んで全てムダにしてしまった。

日本の場合、賃金が低く、民間需要が低迷しているところに、アベノミクスで供給を拡充して、需要を抑え、デフレを加速させるという愚にもつかない政策を続けている。東京五輪が巨大建造物を新築する一方で、運営は全て無償ボランティアというのは象徴的だ。五輪のチケットは7千円からというが、一体誰が買えるのだろうか。

こうしたことは、マルクス経済学を学んだもだからこそ説明できるわけだが、1990年代にソ連崩壊を経てマルクス経済学者がアカデミズムから放逐されたため、「労働者は安価で長時間働かせるのが吉」という認識が「常識」になってしまっている。
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2017年12月05日

ソヴィエト学徒から見た日本の行く末

いちソ連学徒として永田町を見て思うのは、日本は既にポイントオブノーリターンを越えてしまったようだということ。例えば、ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を改革の一丁目一番地として掲げたのは、政府・共産党内に不正、事故、不祥事、虚偽報告、粉飾会計などが蔓延しているのに悉く隠蔽されていたためだった。現代日本の原子力保安院、財務省、文科省、防衛省・自衛隊、あるいは大企業における一連の不祥事とその隠蔽体質は、1980年代のソ連のそれと酷似している。

ゴ氏は回顧録の中で、「書記長になって初めて機密文書に接することができ、国家の実情が一刻の猶予も無いところにあることに気づかされた」旨を述べているが、日本の総理大臣はその「実情」を知ることすらままならない状態に置かれている。
ゴルバチョフは、1978年に47歳で農業担当書記として大抜擢を受け、チェルネンコ政権ではイデオロギー担当書記という、党内ナンバー2の座にあったが、それでも担当部門以外の機密情報を閲覧することは殆どできなかったという。

こう言うと、「安倍や麻生のような連中がやってるからダメなのでは?」と言われそうだが、実は「誰が総理大臣か」はさほど重要ではない。
例を挙げよう。詳細は「イラク大量破壊兵器に見る政治決断の限界」を読んで欲しいが、2003年の対イラク戦争に際し、米国大統領の下には、諜報機関が選別してもなお山ほどの虚実取り混ぜた情報が寄せられ、その中でブッシュ氏は「WMDはあるかないか」の二者択一の政治判断をすぐに行うように迫られた。
大量破壊兵器の有無が確認できない中で、「何もしない」という選択をして後日大量の犠牲者が出るリスクと、「敢えて攻撃する」という選択をして「実は無かった」と判明してしまうリスクを天秤にかけた場合、一国を背負う最終責任者として「何もしない」という選択肢は採れない、ということなのではなかろうか。
仮にWMDの存在確率が限りなくゼロに近かろうと、ゼロでない限りは「ある」と考えるのが米国大統領として「正しい」判断だった(ということのようだ)。そして、実際にWMDがあるか無いかはフタを開けてみるほかに確認する術はなく、逆にフタを開けない限り、WMDは確率論として永遠に存在し続けることになる。殆ど「シュレーディンガーの猫」のような話である。

イラク開戦を決断したブッシュ大統領は、果たして単純に「ブッシュがバカだから」で済むのだろうか。オバマ氏だったら必ず戦争を回避できたと断言できるだろうか。どんなに権限が集中しようが、一人の人間ができることには限りがあるのだ。

話を戻そう。
霞ヶ関官僚は、いつ首が飛ぶか分からない国会議員に国家機密を漏らすことはない。私は民主党政権期に知り合いだった外務三役に「1955年に作成された日ソ平和条約案を公開しろとは言わないから、せめて資料要求して貴方の目で確認して欲しい」と求めたことがあるが、外務官僚は文書の存在すら認めなかった。
民主党政権期に、鳩山総理が外務官僚にいい様に翻弄された挙げ句、マスゴミからの総攻撃にさらされて、党内の誰からも見捨てられて失脚したことは、まだ記憶に新しいが、「改革潰し」の典型例であり、これも「鳩山氏がバカだったから」では済まされない重大な問題が隠されている。日本の総理大臣や閣僚は、国民が考えているほど情報も権限も持っていない、というのが私の見解である。

隠蔽体質が蔓延するのは、一つは日本社会が閉鎖的かつ権威主義的な傾向が強く、建前を重視し、権力の過ちを認めないことが原因と考えられる。そして、この傾向はさらに強まってきている。
最大の象徴としては、福島原発事故の原因が「自然災害」で片付けられ、人災による側面が否定され、誰も責任を問われなかったことが挙げられる。
卑近の例で考えた場合、各地の教育委員会が夜間中学やフリースクールが否定的な理由は「子どもがますます学校に行かなくなる」だし、自治体などが乳児院(育てられない乳幼児を預かる)の設置に否定的なのは「子を捨てる親が増えるし、里親に出すのが望ましい」という理由が強い。これらは、ある種のイデオロギーが優先され、現実的な対応を否定する傾向が強まっていることを示している。
皇位継承問題ですら、相変わらず女子の継承を認めない勢力が強く、座して死を待つ状態にある。現実対応能力の恐ろしいまでの劣化もまた、1980年代のソ連・東欧に共通する課題であろう。

ゴルバチョフ氏は「もはや一刻の猶予もない」と認識していたのに対し、日本の政治家の大半はそこまでの危機感を有しておらず、相変わらず次の選挙しか考えていない。
巷に溢れる「日本スゴイ」は、「凋落の現実を直視したくない」思いの裏返しで、これもソ連・東欧と酷似している。
低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。
我々が、ソ連と同じ轍を踏みたく無いのであれば、民主的議会政治の特質を活かし、現行システムの受益者以外の代表者を国会に送り込む必要がある。ところが、現行の選挙制度は「地域の利害代表者を相対多数で選出する」システムであるため、投票率の低さも相まって受益者しか投票せず、国会の圧倒的多数が受益者で占められ、必要な改革に反対する構造になっている。参議院の比例代表制も、既得権益の受益者が代表者を送り出しているだけの構造になっており、これも期待できない。何らかのブレイクスルーを経て代議員の選出方法を抜本的に改革、受益当時者以外の代議員を権力の座につける必要があるが、残念ながら現状では期待できる要素は何も無い。
同時に、日本の統治機構は権力の分立が未熟で、行政府の権力が圧倒的に強く、マスゴミと一体化しているだけに、仮に改革派の政権ができたとしても、民主党鳩山政権のように、あっという間に倒されて、菅政権のような傀儡政権にされてしまう可能性が高い。私の見立てでは、「日本型ペレストロイカ」が破断界を迎える前に実現して再浮上できる確率は「10〜15%」程度だろうと考えられる。
ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいるのだ。
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
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2017年11月21日

目上の暴力こそ日本の伝統では?

【菅義偉官房長官「力士は土俵外でも伝統の重みを受け止め行動を」と苦言 「迅速な事実解明が大事」】
 菅義偉官房長官は15日午前の記者会見で、大相撲の横綱日馬富士による暴行問題に関連し「力士は土俵の外においても、長い伝統の重みをしっかり受け止めながら、稽古に精進し、心技体を極め、行動することを多くの国民が求めている」と苦言を呈した。
 菅氏は「詳細は承知していないので政府の立場としてコメントは控えたい」としたものの、「大相撲はわが国の国技であり、国民の関心も極めて高いスポーツだ」と述べた。
 その上で「まずは相撲協会で、しっかり調査を行うという報告を受けている。迅速に事実関係を解明することが大事だ。その結果を踏まえて、文部科学省において適切に対応していく」と述べた。
(11月15日、産経新聞)

これも色々突っ込みどころ満載。
中小企業の社長や大会社の部長が、嫌がる部下を飲みに連れて行って、酔っ払って部下に対して説教を始め、「態度が悪い」などと難癖をつけてぶん殴るなどというケースは、日本企業では「伝統」の部類に入るだろう。日馬富士は、むしろ「日本型組織の伝統」に忠実だったとみるべきで、少なくともエリート層から非難されるいわれは無い。
自分の経験でも、中学校だかの部活動で、くだらないことで先輩から延々と説教された挙げ句、「態度が悪い」と小突かれた覚えがある。日本社会では、軍隊でも学校(部活動)でもごくありふれた日常風景であり、日馬富士の問題は程度の話に過ぎない。もちろん、そうした文化・伝統が野蛮で非人道的なものであるというのは別の話だ。

さらに言えば、これも個人的な体験に由来するが、モンゴル人の飲み会というのは相当に野蛮なものであるケースが多く、例えば私が学んだ大学の留学生寮では、たびたびモンゴルからの留学生がどんちゃん騒ぎをして、設備を破壊するなどの問題を起こしていた。ロシアの大学でも同様の話を聞いたことがある。

こうした「文化」はかつての日本でも見られた。例えば、明治初頭に薩摩人が大量に上京してきた際には、「薩摩人が宴会やるたびに料理屋が一軒潰れる」などと言わるほど薩摩人の酒乱ぶりは有名で、彼らは飲むと必ず大暴れして、大乱闘になった。また、宴がたけなわになると、天井から銃をつるして、クルクル回す「ロシアンルーレット」も本当にあったらしい。
それは、明治政府の大官となったようなものでも同様で、重要な案件で会議が煮詰まると、殴り合いの喧嘩で決めるといったようなことすらあったらしい(当然、薩摩人同士の時に限るが)。
鉄道敷設をめぐって、逓信大臣の黒田清隆と参謀次長の川上操六が対立した折も、双方主張を譲らず、最後には黒田が、「陸軍さえよければ、鉄道で国が滅びてもいいのか!」とテーブルを叩きながら怒号した挙げ句、「まだ文句を言うなら、表に出ろ!」と掴みかからんが勢いになったため、周囲のものが必死に止めたという。
この黒田は、首相すらも務めたが、凄まじい酒乱で、酔うと刀を抜いて、所構わず斬り、自分の妻すらも斬り殺してしまったという伝説が残っている。

初期の海軍兵学寮は、薩摩出身者が多かった。
日露戦争時の海軍大臣だった山本権兵衛などは、典型的な「薩摩っぽ」で、
「山本権兵衛首謀となりて、しばしば教官排斥の運動を起こし、教官室に乱入し、あるいは教官と乱闘し、あるいはテーブル、イスなどを破壊し、流血の暴挙を演ずるに至れり」
『伯爵山本権兵衛伝』

と書かれるような始末だった。明治7年(1874年)のことである。
それ以前に明治5年には、
「爾今海軍兵学寮園内にて立小便するを禁ずる」
なる布告が出されていた。当時、休憩時間や放課後になると、生徒たちがどっと出てきて、兵学寮の庭先でズボンをずりおろし、我先と立小便をするような有様だった。
日本人士官が生徒を追い立て、英国人教官が、生徒を便器の前に立たせて、ズボンのボタンをはずさせて、用を足させるよう指導することから、日本の海軍教育は始まった。

話を戻そう。モンゴル人社会では、「偉い人は何をしても許される」「目上には絶対服従」などの文化が色濃く残っているらしく、今回の事件は過剰な形で発覚しただけのことだった。そして、それは日本社会にも共通するものであることを、我々は重々承知しておく必要がある。

なお、角界の蛮性については、ちばてつや先生の名作『のたり松太郎』を参照されたい(最初の10巻程度で十分)。

【追記】
で、こうなるわけです。
【貴ノ岩も殴っていた!夏巡業中、同じモンゴル人力士を…日馬富士激怒の一因か】
大相撲の横綱・日馬富士=伊勢ケ浜=に暴行を受けた前頭8枚目・貴ノ岩=貴乃花=が、今年の夏巡業中に同じモンゴル人力士を殴打していたことが18日までに分かった。
(11/19、スポーツ報知より抜粋)
posted by ケン at 13:02| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする