2019年08月03日

行政サービス低下は自己責任でしょ!

【もう“当たり前”ではない?〜行政サービスの曲がり角〜】
「夏休みに子どもと遊びに行こうと思ったら、近所の市民プールがなくなっている」
「役所の窓口が午後3時に閉まるみたいだ」
いま、取材を進めるとこれまで私たちが当たり前のように受けてきた“行政サービス”が、曲がり角を迎えていることがわかってきました。「行政サービス縮小」の動きは、命に関わるようなものにもその影を落とし始めています。
(中略)
そこで長野市が打ち出したのが市営プールの大幅な削減でした。来年度から屋外プール6つを廃止し、これまでの半分の数のプールを集中して運営していくことを決めたのです。人手不足による監視員の確保に見通しが立たない中、苦渋の決断だといいます。
(中略)
大津市は来年度から、36か所ある支所のうち25の窓口で水道料金などの公共料金の支払い受け付け業務をなくす方針です。そして27の窓口では業務時間を午前9時から午後3時までとして、これまでより2時間45分短縮するというのです。
住民の反対の中、市が行政サービスを縮小しようというのはなぜなのか。取材を進めると、人口減少が進むことによる、将来的な税収の減少という大きな課題が浮かびあがってきました。
(中略)
その現状を西日本のある自治体で非正規公務員として働く40代の女性が勇気を出して語ってくれました。女性のことばからは、現状への不安がにじみ出ていました。
女性が働く部署は児童虐待などの通報をうけて安否確認などを担当。48時間以内に、子どもに危険が差し迫っていないかを確認します。
一歩間違えれば、子どもの命に関わるような重大な仕事。しかし、女性の職場では7人の職員のうち、5人が非正規だといいます。
そして非正規の労働環境について、ことばを詰まらせながら次のように話しました。
「責任は重いと思っていますが、業務量にあった報酬はないですし、責任の重さにギブアップになってしまう職員さんもいらっしゃいますし、心を病んでしまう方もいらっしゃいます。人員も足りず、今の状況でいくと自分の体も壊れそうです」
(後略)
(7月29日、NHK)

国民がこぞって「公務員(人件費)削減」を主張する政党(特に民主、みんな、維新)を支持してきた結果、自民党は「民意を反映する」とばかりに公務員と人件費の削減を抵抗なく実現することができた。行政サービスの切り下げは、自民党というよりは野党が「自民のやり方は手ぬるい」と攻撃し続けた結果、加速したという印象がある。
そして、記事に言う「行政サービスの低下」が起きている。
独裁制においては全ての政治的責任は独裁者に帰せられるが、民主制においては全ての政治的帰結は主権者の責任となる。つまり、行政サービスの低下は主権者の選択の結果、引き起こされていると考えるべきだ。
その点を追及しない政治家は、デモクラシーの何たるかを理解していない。

もっとも、これを報じるNHKも受信料徴収などを始め、非常に多くの事業を外部委託と非正規社員に委ねている。
にもかかわらず、インターネット放送や4Kなどの新規事業にも手を出して拡大し続けており、低賃金労働の上に繁栄を築いている。

これらに共通するのは、「最大多数の(人間らしさを保てる)最低生活」の基準が続々と切り下げられる一方で、ごく一部の者の富と繁栄ばかりが肥大化、そして大多数の没落と貧困化については殆ど触れられること無く、ソ連や北朝鮮における「モデル市民」の華やかな生活ばかりが強調される仕組みが形成されつつある、ということである。

人間の不幸や絶望は、絶対的な貧困よりも、相対的な貧困(経済格差の自覚)によって引き起こされるところが大きいという。
日本社会も遠からずその段階に突入するだろうが、貧困層を代弁する政党の不在こそが真の不幸なのかもしれない。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月25日

石崎議員暴行疑惑の背景を考える

【男性秘書「数百発殴られた」 自民・石崎議員を任意聴取へ】
 自民党の石崎徹衆院議員から暴行を受けたとして、秘書の男性が警察に被害届を提出している問題で、この男性秘書がFNNの取材に答えた。
秘書の男性「彼の暴力はひどいもので、今まで合計すると、数百発殴られている。多いときは1日に30発くらい、何十発も殴られる」
30代の秘書の男性は、FNNの取材に「会合へ移動する際の道の選択が気に入らないなどの理由で暴行を受けた」と主張していて、6月に被害届を提出した。
 警察は、任意で石崎議員から事情を聴く方針。
一方、石崎議員は、「業務上の注意の言葉が、徐々に感情的になってしまったことがあった。大変反省し、恥ずかしい気持ちでいっぱいです」などとコメントしている。
(7月24日、新潟総合テレビ)

トヨマユ事件が忘れられつつあったところに再びバクダンが。
被害届まで出しているのだから、相当部分は事実で、議員が言う「業務上の注意の言葉が、徐々に感情的になってしまった」程度のものではないことは、ほぼ確実だろう。同時に、どう見てもクロの事象に対して、「業務上の注意の言葉」で切り抜けようとする危機管理能力の低さや自己認識の甘さも強調すべき特徴(無能の証拠)だ。

トヨマユと共通するのは、地元の生え抜きではなく、霞が関官僚出身で官界に早々に見切りをつけて自民党から出馬して、あまり苦労せずに「代議士様」になっているところだろう。
かつては自民党に多かった「地元の生え抜き≒地方議員などから国会に転じるケース」の場合、地元の有力者や関係者の推薦で秘書を雇うケースが多く(大切な人を預かる)、暴言や暴行を繰り返すなどしたら、地元での評判が悪化し、支持者との関係も悪化するため、そうそう暴行などできないものだった。
言うなれば武家奉公人のようなもので、有力国人衆の子弟を「お預かり」して「教育」しているのだから、いくら主君といえど、暴行や暴言が繰り返された場合、国人衆のメンツが潰されてしまう。政治の世界でも、特に保守業界はそういう傾向が強かった。
例えば、ケン先生が地元の自民党議員の秘書を務めることになった場合、「大伯父が自民党の元重鎮」「祖母と父は地元医師会の顔」などの属性(価値)が自然付与されるわけで、保守業界的には「地場の准名士のお子さんを大切にお預かりして、社会勉強して頂く」というスタンスを取るのが伝統だった。そんな私を罵倒し暴行を加えるなどのことがあった場合、「あの議員は奉公に上がっている某家の子を傷物にした」ということになるが、それがどのような結果を生むかについては、読者の皆さん自身で想像してもらいたい。
逆に左翼業界では、大名と国人衆のような関係が無かったため、秘書を雇う場合でも誰かに気兼ねするケースは少なく、むしろ人権無視が多かったように思われる(自分も話を聞いただけで、幸いにも被害者にはならなかった)。

ところが、自民党においても候補者不足が深刻となり、一般公募が増え、ルサンチマン(劣等感)を抱えた未熟な若年層が応募し、学歴や経歴だけは「ご立派」な者が候補となって、小選挙区下で苦労せずに当選すると、問題が露呈するようになる。
これらの議員は地元に深い関係がないため、秘書も一般公募のようなもので雇われるケースが多く、しかも財政的後ろ盾が無いため、議員も金欠なら秘書給料も安く、さらに昔のように「陳情処理して謝礼たんまり」ということも減って、国会議員と地方議員、議員と秘書の関係も非常にギクシャクしたものになっている。
議員は候補選定の段階で人格が考慮されなくなり、秘書は「他に仕事が無い」「将来議員になって見返してやる」ような者が急増、議員も秘書を「使い捨ての手下」と考えるようになっている。秘書の数も、昔は地元に10人以上いるのが普通だったが、今では数人になってしまい、議員の要求が高まる一方、秘書の質は低下の一途を辿っている。

本来「なるべきでないもの」が「運良く」代議員になってしまい、万能感に支配され、希薄な人間関係の中で秘書を奴隷のように扱うケースが増えている。これは左右や政党に関係なく見られる傾向だろう。
こうした点も、私が永田町に見切りをつけた遠因の一つであるわけだが、仮に石崎氏を排除してみたところで、根っこはますます腐ってゆくだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月19日

参院選2019 東京情勢と国会議員の選び方

議会制民主主義をほぼほぼ見限った私だが、職務上の分析は続けなければならない。
全体的には政権党が安定的な強さを誇り、一人区の大半をキープ、野党を圧倒する流れにある。
立憲は比例区でこそ安定的な強さを見せているが、選挙区はどこも苦戦しており、複数区ですら当落線上にあったりする。風頼みの体質と党組織に対する嫌悪は民主党時代のままであり、今後も厳しそうだ。
一部で話題の「れいわ」はカルト的な人気を誇っているだけで、比例で1人通るかどうかというレベルらしい。
野党が混迷する中、NK党と維新がそれなりに安定した強さを見せている。

東京では、丸川、山口、吉良が当選圏内。
残る3枠を、音喜多、武見、塩村、山岸が争う形となっている。
ブンヤの分析では、音喜多と山岸が最終議席を争う形になっているようだが、丸川に票を奪われまくりの武見も厳しく、塩村は女性から嫌われて苦しく、誤差の範囲内としか言いようが無い。山岸は「東大」「朝日新聞」がパワーワードになってしまい、逆効果になっている気がする。
東京の場合、立憲から二人、国民から一人出ているため、苦しい展開になっているところもあるが、概ね健闘していると言えそうだ。

個人的には社民党の朝倉氏を推したい。
全国一般という中小企業や非正規の労働組合の支部書記長であり、経験的にも経歴的にもスタンス的にも申し分ないからだ。
しかし、社民という倒産寸前の政党から出馬しているため、完全に当選圏外にあるところが、いかんとも苦しい。
この点でも、代議制民主主義が本来期待される機能を発揮していないことが分かる。

例えば、丸川はまるっきり政策論争できない半分芸能人みたいなものであり、吉良は白井同志が挑んだ「マルクス論争」を「まだ勉強中なので」と避けてしまう程度の「なんちゃってコミュニスト」、山口は弁護士出身かもしれないがカルト教団の代弁者である。
このほか、音喜多は政党漂流の機会主義者、塩村も同じようなもの。山岸についてはよく分からない。
つまり、東京選挙区で当選圏内にあるもので、曲がりなりにも国会議員としての資質がありそうなのは、自民党の武見(政治学者)だけという悲惨な状況にある。

代議制民主主義は、本来「主権者が主権を委ねる代行者を適切に選ぶ(はずだ)」という前提の上に成り立っているが、現実にはただの人気投票になってしまっている。立候補するものの多くは「議員になりたい」だけであり、投票する方は「本当に国会議員として適切か」ということを考えない。
ケン先生が考える「代議員に必要な資質」は以下の三つ。

・法案を読み込み、(東大法学部出身の)官僚と議論できる(経験と能力)

・主権者の一定層の利害を代表できる(代表性)

・主張と行動の一貫性(信頼性)


東京で言えば、丸川と吉良は経験と能力に疑問符が、山口、音喜多、塩村には信頼性と代表性に疑問符が付けられる。
それだけに、「弱い労働者」の代表であり、労働運動の経験が豊富な朝倉氏こそ国政にふさわしいはずだが、残念ながら当選しそうに無い。この点、代議制民主主義の機能不全として強調しておきたい。
posted by ケン at 10:00| Comment(7) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月22日

共同がまたぞろフェイクニュース

【XG政府、廃案受け入れを表明】
XG政府は21日、「逃亡犯条例の改正作業は完全に停止した」とし、改正案が廃案となる事実を受け入れると表明した。
(6月21日、共同通信、対策上一部改変)

自治政府は「立法作業を凍結したので、来年7月で自動的に廃案になる」という従来の見解を繰り返しただけ。
なぜ共同は言ってもいないことを報道しているのか。

ロシアでも中国でも外信の水準が恐ろしく低下しているように見えるのだが、これは何に起因しているのだろうか。
現場記者がそのままネットに流すケースが増え、校閲の不在も影響しているとは思うが、それだけではないだろう。

共同には関係者がいるから聞いてみてもいいが、なんだかバカバカしい。

posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月12日

国連対日勧告の何故

【表現の自由「日本は勧告をほぼ履行せず」国連特別報告者】
 言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏が、日本のメディアは政府当局者の圧力にさらされ、独立性に懸念が残るとの報告書をまとめた。「政府はどんな場合もジャーナリストへの非難をやめるべきだ」とした。
 ケイ氏は2016年に日本を訪問し、翌年に報告書をまとめて勧告を行った。今回は続報として勧告の履行状況などを報告。政府に対する勧告11項目のうち、放送番組の「政治的公平」などを定めた放送法4条の撤廃、平和的な集会や抗議活動の保護など9項目が履行されていないとした。
 今回、ケイ氏からの問い合わせに日本政府は答えなかったとしている。報告書は国連人権理事会に提出され、審議されるが、勧告に法的拘束力はない。
(6月6日、朝日新聞)

右派を中心にまた「国連ガー」と騒ぎになっている。
こちらもまたぞろ説明するが、外務省が「国際連合」などと真実を隠蔽するための訳語をつくったことに起因している。
国連は英語では「United Nations」で、要は連合国である。中国語の「联合国」を見れば一目瞭然だろう。
せめて日本の国連センターくらいは「連合国」と掲げて、マスコミに対して「連合国」の訳語使用を求めれば、国民の認識も変わるだろうに。

さて連合国(国連)憲章には「旧敵国条項」というのがあり、第53条などで二次大戦期の枢軸国が再び侵略戦争に向けた準備や領土奪還などを求めることを禁止、必要に応じて武力行使を含む制裁を例外的に無条件で(安保理の裁定無しで)許可するというもの。
ネトウヨのミナサンはご存じないようだが、日本は枢軸国側で参戦し、米英中ソと戦争して敗北している。

つまり、日本が(北方領土含む)領土要求を行ったり、全体主義的あるいは(軍拡含む)好戦的な政策を採った場合、連合国旧戦勝国は安保理の裁定を待つこと無く、「侵略防止に向けた措置」を取ることが許されている。
そして、日本やドイツなどにおいて、ファッショ、ミリタリズム、集産主義などの兆候が見られるか監視するのも、連合国=国連の役割の一つになっている。
国連機関が日本に対して厳しい姿勢を貫いているのは、このためであり、日本は連合国側の疑念を払拭する義務があるはずだが、北方領土要求を含めて、果たしているとは言えない状況にある。

ロシアのラブロフ外相がたびたび厳しい要求を日本政府に突きつけてくるのも、根源はここにある。
だからこそケン先生は、ソ連=ロシアが旧敵国条項を持ち出さないようにするためにも、日露平和条約を結ぶ必要があると主張しているのだ。

旧敵国条項に照らし合わせてみて、日本はかなり危険な状況にある。
世界第七位の軍事大国である上に、政権党内では「軍事費倍増計画」が議論されており、国内では外国人差別や韓国、朝鮮、中国に対する排外的・侵略的言説が流布されている上に放置されている。
政権党内では、憲法の全体主義的、軍国主義的、権威主義的改正案が策定されている。
首相と内閣の権限は、明治期に内閣制度が発足して以降、最大となっており、かなり独裁的権限を持つに至っている。
表現の自由、女性や性的多様性に対する差別、権威主義的教育、警察権や裁判制度の非人道性など、どれを見ても、旧敵国条項に背反している。

要は日本人が「オレは大丈夫」と思っているだけで、現実あるいは周囲はそうは考えていない、ということなのだ。
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2019年06月11日

色々辛すぎるニッポン

まぁ金融庁の件は一応擁護したけど(ケン先生は比較的大蔵系に優しい)、全体的に見ると、日本で生きるのは辛すぎる感じ。以下眺めてみよう。

「長生きするなら1千万以上用意しろ」
「住む家は自分で買え」
「消費税は15%をめざすぞ」
「子どもは3人以上つくれ」
「学校では十分教えられないから塾へ行け」
「男も女も最低70歳まで働け」
「年収200万以下で文句言うな」
「副業、兼業はどんどんやれ」
「生活保護はどんどん削るぞ」
「残業規制は月100時間にしてやったから感謝しろ」
「ストやデモはもってのほか」
「女はハイヒール履け」
「表現の自由は時代錯誤」
「上級国民には人権適用」
「チューゴクが攻めてくるから軍拡だ」
「日米同盟が大切だから中東戦争に軍事介入するぞ」
「図書館や公民館は赤字だから廃止する」
「医者や教師が待遇について文句言うな」
「資産流出を防ぐために金持ちは優遇するぞ」
「ニッポンに生まれて幸せすぎる」

これはもう「合成の誤謬」では済まされないよな〜〜
ま、政治家のミナサンガンバッテクダサイな。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

身分に関係なく人間を不幸にする日本型システム

【川崎殺傷事件の影響、供述 長男殺害容疑の元農水次官「迷惑かけたくなかった」】
 東京都練馬区の自宅で無職の長男を刺したとして元農林水産事務次官が殺人未遂容疑で逮捕された事件で、熊沢容疑者が川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れて「長男も人に危害を加えるかもしれない。周囲に迷惑をかけたくなかった」との趣旨の供述をしていることが、捜査関係者への取材で判明した。事件の数時間前には、近所の小学校の音を巡って長男とトラブルになっており、警視庁練馬署は動機を慎重に調べている。
(6月3日、毎日新聞より抜粋、氏名削除)

リベラル派は「また上級国民か?!」と息巻いているようだが、さてどうだろうか。

「世間様にご迷惑を掛けるくらいならいっそ自分の手で・・・・・・」

というのは、ある種日本の伝統であり、それは身分を問わない。
かつて明治初めの薩摩では「薩摩には警察は要らない。罪を犯せば、捕まる前に腹を切るのが武士の習いである」と言われたというが、これも「お上の厄介になるのは家の恥である」という伝統に起因するものだった。

これに限らず、江戸期には「押し込め」というシステムがあり、問題を起こす可能性のある人物は当局に申請して、その家が一定の金額を納めれば、座敷牢に入れてもらえる(公儀が犯罪予備者を管理する)というものだった。
問題の元次官殿も江戸期であれば、後ろめたい思いはしても、自ら子を殺すようなマネはしないで済んだはずなのである。

ところが、明治期に入ってこうした伝統的システムは全て否定される。
見た目的には人道的措置かもしれないが、天皇制の下で全て自己責任になっていった。

例えば、日露戦争期には後半戦に入ると兵力に不足が生じ、予備役が続々と動員されるが、その中に小さな子が二人いる父子家庭の父親がいた。その父は村役場に残される子の扶養を頼みに訪れるが、「役場の関知するところにあらず」とけんもほろろに扱われて追い出され、手立てを失った父は子二人を殺害した上、連隊本部に出頭したという。平民新聞に掲載された記事だというが、残念ながら本文は確認できていない。しかし、いかにもありそうな話である。なお、この平民新聞は日露戦役から5年後に起きた大逆事件の煽りを受けて、廃刊している。
同様のことは、日中戦争以降にも起きているようだ。

最近では、未成年者ならば児童相談所などに相談する術もあろうが、息子とは言え、私と同年代の初老者ではどうにもならないだろう。
精神に不調のある者を拘束する従来の精神医療は否定される傾向にあるし、強制的に心療内科に連れて行く手段も無いとなれば、選択肢は限られてしまう。
まして国家官僚トップの次官ともなれば、なおのこと「家の名誉」も気にするだろう。
仮に元次官殿が不真面目であったなら、息子を置いて夜逃げしてしまえば良かったのであり、まだその方がマシだったかもしれない。
相談する術も無ければ、逃げることも考えられない、という日本社会の閉鎖性が悲劇を生んでいるのではないだろうか。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする