2016年11月02日

イジメは内部では解決しません

【<いじめ>相撲クラブで前歯折る 指導の職員も口裏合わせ】
 新潟県糸魚川市能生の相撲クラブで起きたいじめ問題で、市立能生中の3年生が1年生を殴って前歯を折る大けがをさせた際、加害生徒らによる「練習中の事故」との口裏合わせに、指導する同校の男性職員も加担していたことが新たに分かった。市教育委員会によると、男性職員は県体育協会から競技力向上を目指して派遣された「育成指導者」。親元を離れて生活する相撲クラブの生徒をサポートするため同校に常駐し、生徒らのケアや周辺児童の指導に当たっていた。
 暴力事件が起きたのは9月7日朝。合宿所の清掃時に3年生が1年生1人の顔や腹などを殴り、前歯1本が根元から折れたという。このとき、加害生徒は周りにいた生徒に「練習中の事故にしよう」と口裏合わせを指示。男性職員は、登校してきた被害生徒と加害生徒に校内で会った際に異変に気付いたが、「練習中の事故」との説明をうのみにしたという。さらに同日夕方に被害生徒を歯科医に連れて行った際、生徒から暴行の事実を打ち明けられたが、学校に報告せず放置していた。翌8日になって、同校の教諭が別の生徒から暴行があったことを聞き、学校側が9日に加害生徒を問いただして発覚。男性職員にも確認したところ、当初は練習中の事故と説明していたが、加害生徒が認めたことを話すと認め、「発覚したら、被害者、加害者とも相撲ができなくなると思った」と釈明したという。
 また他の教諭が勧めたにもかかわらず、被害生徒をすぐに病院などに連れて行かなかったことについて「生徒が大丈夫と答えたから」と説明。被害生徒の保護者は「すぐ受診していれば、永久歯を失わずに済んだのではないか」と憤っている。男性職員は今月になって、市能生総合事務所に異動した。市教委は異動の理由について「処分ではない」とし、相撲大会の準備や小学生対象の相撲教室開催のため「動きやすいからだ」と説明している。
(10月24日、毎日新聞)

このテーマもたびたび取り上げているが、繰り返したい。
イジメは、閉鎖的空間に多数の人間を入れて長期間拘束した結果、過大なストレスが生じ、それを解消すると同時に一定の秩序を維持するために行われるもので、いかなる組織でも起こりうる問題である。戦時中、駆逐艦や潜水艦のような小艦艇ほどイジメが少なく、空母や戦艦のような大艦ほど多かったと言われる。

日本型組織でイジメが深刻な問題として生じるのは、他国の組織に比べて様々な拘束が多いためと考えられる。日本の学校は、課される義務が多く、同時に校則も厳しい上、やたらと拘束時間が長いため、どうしてもストレス負荷が過大になりがちだ。会社文化で見ても、欧米の会社は自分の仕事だけしていれば良いが、日本の会社では他人の仕事を手伝わなければならない暗黙の義務があり、社内ルールもやたらと多く、残業は無制限の上、飲み会やら社内イベントも多い。

イジメの原因となっているストレス要因は明らかであり、これを除去すれば、イジメは劇的に減少すると考えられる。具体的には、学校ならば、出席義務や校則を緩め、長時間拘束の原因である部活動を廃止すれば良い。学校の場合、学級と担任制が閉鎖空間を生じさせているので、大学のような単位制度を導入して、1つのクラスに何十人という生徒を閉鎖空間に押し込めるのを回避すると同時に、1人の教員が圧倒的権威を持つ担任もなくしてしまえば、イジメを発生させる空間的要因も除去できる。会社の場合は、残業を禁止し、個々の社員の業務を明確にして「共同の仕事」を極限まで減らすと同時に、飲み会を含む社内イベントを廃止すれば良い(この場合、解雇規制を緩和して、勤務時間内に仕事を終わらせられない従業員、あるいは処理不可能な作業量を要求する管理職を容易に解雇できる仕組みも必要になるが)。
日本型組織では、過大なストレスがイジメを発生させると同時に、学習効率や労働生産性を阻害しているが、これを問題視する主張は殆ど見られず、放置されている。

また、日本型組織は閉鎖性が強いため、第三者や他の部署からのチェックが入りづらく、問題を隠蔽する傾向が強い。学校のイジメの場合、教員にとって、教室内のイジメを解決するメリットは非常に少なく、むしろ手を突っ込んで問題が表面化することで、自分の厄介事が増えるリスクの方が大きい。担任の任期は一年であるため、回避可能な問題は「無かったこと」「見えなかったこと」にしてやり過ごす方が、はるかにコストが安い。
これは、ゲーマーの視点で考えると分かりやすい。勝利得点にならない高難度の課題に自ら手を出すものは、普通いない。むしろその課題が「義務」とならないように画策したいくらいだ。
それだけに、イジメ問題の解決を教員や学校に任せるのは、むしろ隠蔽や改竄のための時間を与えるような話でしかない。さらに、内部で解決させると、学校や教員側の責任を減らすために、事態を軽く扱い、加害者側への処罰も軽減させる方向に働く。これは、組織の自己防衛本能に基づくもので、これを回避するのは難しい。

イジメはそもそも発生を抑制させる他なく、発生してしまったイジメを解決するのは非常に難度が高い。それだけに、学校も会社も根本的に組織改編しない限り、イジメを減らすことすら難しいと思われる。
posted by ケン at 13:13| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月31日

ジェンダーギャップが世界111位

【日本の男女格差、111位に悪化 G7で最下位】
 ダボス会議で知られる世界経済フォーラム(WEF)は26日付で、各国の男女格差(ジェンダーギャップ)を比較した今年の報告書を発表した。日本は世界144カ国中111位となり、主要7カ国(G7)で最下位。前年の145カ国中101位から大きく順位を下げた。「経済活動への参加と機会」「政治への参加」「教育」「健康と生存率」の4分野の計14の項目で、男女平等の度合いを指数化して順位を決める。
 日本は教育や健康の分野では比較的格差が小さいが、経済と政治の両分野は厳しい評価を受けた。国会議員における女性比率で122位、官民の高位職における女性の比率で113位、女性の専門的・技術的労働者の比率で101位とされた。過去50年で女性の首相が出ていないことも、低評価の一因だった。安倍政権は2014年から「すべての女性が輝く社会づくり」を掲げるが、報告書は日本について「教育参加などで改善が見られたものの、専門的・技術的労働者の男女比率が著しく拡大している」と指摘した。1位アイスランド、2位フィンランド、3位ノルウェーと北欧諸国が上位を占めた。近隣国では中国が99位、韓国が116位だった。G7ではドイツ13位、フランス17位、英国20位、カナダ35位、米国45位、イタリア50位だった。
(10月26日、朝日新聞)

「女性活躍」を掲げる国でジェンダー格差が広がってしまう現実。111位というのは、つい最近まで女性が1人で外出することも許されなかった中東某国よりも劣っており、いわゆる先進国で日本と同水準にあるのは韓国だけで、ともに儒教国であることは何かを暗示している。

ちなみに、衆議院における女性議員の割合は9.5%、今年1月現在で、世界の下院を比較した場合、191カ国中156位。地方議会を見た場合、昨年末の段階で女性議員の総数は4127人、総定数の12.3%。さらに女性議員が1人もいない議会は、全国1788議会中、368議会と20%以上に上る。議会別に見ると、2014年版男女共同参画白書によれば、特別区議会は25.9%だが、都道府県議会では8.8%、町村議会では8.7%と圧倒的に少ない。

まぁ女性議員が少ないから格差が縮まらないのか、格差が大きいから議員が増えないのか、そこは「卵が先か、鶏が先か」なのだが。
クォーター制などで強制的に増やすことは可能だが、女性議員を水増しすることにしかならない。自民党の女性議員の面々を思えば、あまりお勧めできない。代議制議会の水準を下げてしまうと元も子もなくなってしまうからだ。
ゲッベルス夫人やチェウシェスク夫人みたいなのばかりになったら、目も当たられないからな〜〜
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2016年10月30日

馬鹿というヤツがバカな話

【2島返還「馬鹿も休み休み言え」 野田・民進幹事長】
 与党幹部が解散風をビュービュー吹かすような発言を繰り返しています。自民党は、当選1、2回の若手を対象に「選挙塾」を開きました。独自の選挙区情勢調査も行うようです。そして、通常は1月に開催する党大会を、3月に延期しました。早期に衆院の解散・総選挙を行う状況証拠は、十分過ぎるくらいそろっています。(中略)この時期の解散・総選挙は極めて疑問です。(中略)2月にプーチン・ロシア大統領が訪日しますが、日露首脳会談で北方四島の帰属問題が進展するのではないかと、期待が高まっています。そして、そのことをもって信を問うという人もいます。果たして、この外交課題が信を問うようなことでしょうか。  仮に、国後、択捉、歯舞、色丹の4島のうち、歯舞と色丹の2島が返還されるとしましょう。これは全体の半分を返すという話ではありません。この2島の面積は、4島全体の約7%にしかすぎないのです。すなわち、約70年前に100万円を奪った強盗が、今ごろになって7万円だけは返してやるよと言っているのと同じです。馬鹿も休み休み言えってところです。  この程度の政治決断なら、歴代政権はとっくにやっています。笑止千万です。それを国民は外交成果として認めるのでしょうか。(24日付の(野田佳彦)ブログで)
(10月24日、朝日新聞)

自分が任期を1年近く残して解散したことを棚に上げて、安倍総理が2年で解散することを非難している。民進党のブーメラン体質はいまも健在であり、治りそうに無い。いわゆる「7条解散」は、民主党政権も同じ憲法解釈を採用しており、その解釈に基づいて解散を実施した(そして自党を大崩壊に導いた)張本人が、他者による行使を非難している時点で「天ツバ」になってしまっている。

日露外交・北方領土の下りに至っては、自分がなしえなかったことを棚に上げて、安倍総理による交渉を非難しているのだから、もはや人として間違っているとしか言いようが無い。しかも、間違った外交解釈を延々と述べることで、ますます恥をさらしてしまっている。

現状で日露が接近するのは自然な流れにある。アジアの孤児と化しつつある日本が、欧州の孤児となったロシアと手を組もうというのは、「嫌われ者同士」なのだから当然過ぎる話だろう。また、中国に対して「封じ込め戦略」を採用する日本と、対中依存を少しでも減らしたいロシアの思惑は、一致する部分が多い。また、大規模金融緩和とデフレにより企業や銀行に貨幣が滞留してしまっている日本と、欧米からの資金が途絶えて原油安が続くロシアという点でも利害が一致している。二国間の利害が激しく一致している今以外に、いつ交渉するというのだろうか。このことは、野田氏に全く総理大臣の資質が無かったことを示している。

また、野田氏はロシア(ソ連)を強盗に喩えているが、これも恐ろしく事実を誤認している。1945年8月10日あるいは14日に日本政府が行ったのは「ポツダム宣言受諾表明」だが、これは軍の作戦行動を中止させる法的根拠にはならず、それは休戦条約の締結をもって保証される。せいぜいのところ、休戦協定の締結交渉中は作戦行動が自粛される程度の話だろう。その休戦条約の締結が、1945年9月2日に先送りされたため、それまでの間、ソ連軍の侵攻を止められなかっただけのことだった。ただ、歯舞と色丹は、休戦協定の成立後にソ連が占領しているだけに違法性が問われる。故にソ連は、1955年の日ソ共同宣言で二島の「引き渡し」を約束したのだ。
その日ソ共同宣言には、
【賠償・請求権の放棄】
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日(ソ連の対日参戦の日)以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。

とある。つまり、休戦条約が成立する前にソ連が占領した国後島と択捉島に対する請求権を、日本はすでに放棄しているわけで、北方四島を要求すること自体、本来は日ソ共同宣言(正規の条約)に違背しているのだ。

野田氏は、総理・代表として民進党を大敗に導き、今度は幹事長としてまたぞろ大敗させようとしている。日露交渉に大反対している点でも、一体誰のために政治家をやっているのか疑われる。敢えて野党に残ることで、「弱い野党」を演出しようとする政権・政府側のスパイなのではないかという陰謀論すら感じられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(5) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

大阪府警土人発言の背景にあるもの

【「土人」発言、沖縄県警が謝罪 「事実」「極めて遺憾」】
 県警は19日、米軍北部訓練場のヘリパッド建設を巡って警備に当たる大阪府警の機動隊員が抗議活動参加者に対し「土人」と発言していたことを「事実だ」と認めた。県警は一連の発言について「極めて遺憾だ」と述べ謝罪した。19日付で差別発言をした20代男性隊員は離県し、大阪府警へ戻ったという。処分については「大阪府警が判断する」としている。一方、菅義偉官房長官は19日午後の会見で機動隊員の発言について「許すまじきこと」と述べた。政府は事態の収束を急ぐが、県民への差別発言に対する反発が広がっている。
 県警は18日時点での本紙の取材に「確認されていない」と回答していた。県警によると、男性隊員は18日午前9時47分ごろ、米軍北部訓練場N1ゲート近くの斜面で提供施設内側からフェンスを挟み、施設内に入らないよう警告していた。市民らがフェンスを揺らしたりした際に「土人が」などと差別的な発言をした。
 県警は隊員に対する聞き取り調査や動画投稿サイトに投稿された動画を確認し、事実関係を確認。隊員は調査に対し「詳しくは覚えていない」などと話したが動画などを確認し「不適切な発言だった」と釈明したという。県警は「土人」という言葉について「差別用語で不適切な発言」とし「このようなことがないよう指導していく」と謝罪した。また県警本部には19日朝から午後6時ごろまでに機動隊の不適切発言に関する苦情が電話とメールで約30件寄せられた。
(10月20日、琉球新報)

この手の発言は、何も無いところから思いつきで発せられるものではなく、日常生活の中で繰り返し使用されている中で言語野に裏打ちされることで、日常語として根付いているからこそ、緊急時に発せられる。今回の場合、ヘイトスピーチを発した大阪府警機動隊員の個人的資質よりも、組織の有り様を疑うべきで、同機動隊の中で事前に「土人どもが暴れているから鎮圧しなければならない」「シナ人が後ろで画策している」などと話されている可能性が高い。

こうしたことは、軍隊や警察組織では良くあることで、例えば旧日本軍では中国人を「シナ人」と呼ぶことで憎悪を駆り立てていたし、日米が開戦すると「鬼畜米英」の標語で敵愾心を煽り立てた。また、警察では「共産党員は国際的陰謀組織であるコミンテルンの手先であり、国体転覆をめざす極悪人」としていかな残虐な拷問も推奨された。
これは日本に限らず、アメリカでも二次大戦中は日本人を「ジャップ、ニップ」と蔑称して憎悪を煽り立てたし、ベトナム戦争では「ベトコン」、イラク戦争では「ハジ」などの蔑称を通用させることで、「奴らは人間じゃ無いんだからどれだけ残虐なことをしても構わない」という指導を行っている。人間は本来同族殺しを忌避する習性を持っているため、同族性を完全に否定し、憎悪を煽り立てないと、銃の引き金が引けなくなってしまうことに起因している。
それだけに、アフガニスタンに介入・進駐したソ連軍が、全体の効果としては不十分だったとしても、「我々はアフガン人民を援助しに来たのであって、敵対しに来たのでは無い」という教育を徹底していたことは特筆するに値する。

話を戻すと、かつて日本の機動隊は学生運動やそこから派生した極左集団と戦うことで一定の熟練を得ていたが、今日ではそうした経験が得られないため、殆どの機動隊員はいきなり実戦に投入されるような形になっている。実戦経験の無い機動隊員が、いきなり反基地闘争で異様な盛り上がりを見せている現場に投入されるのだから、ストレスが急上昇するのは避けられなかっただろう。
逆に組織の側からすれば、未経験の機動隊員をいきなり第一線に投入することになり、何らかの方法で士気を高めなければ、現場が持たないという判断になったのだと思われる。
二次大戦の東部戦線やアジア・太平洋戦線では、徴兵経験が無い老人や若年者が動員されるに連れて軍紀が乱れ、残虐行為が増えていったことを考えても、沖縄に投入される本土の機動隊において沖縄市民に対する憎悪が駆り立てられたことは、容易に想像される。

だが、これは機動隊員の士気を上げるという点では合理的かもしれないが、権力にとっては致命傷になりかねない。本土から来た機動隊員が、沖縄県民を「土人」呼ばわりするということは、「お前らは日本国民じゃねぇ」「政府に逆らうヤツは国民じゃねぇ」と言うことと同義になる。これに対して、沖縄県民が「私たちは土人ではありません。同じ日本国民ですよ」と言えるだろうか、という話になる。まぁムリだろう。普通は「オレたちは琉球人であって、どうせ日本人なんかじゃねぇ」と反発するのではないか。
仮に激高した市民が暴発して、機動隊が武力鎮圧することになれば、それこそ沖縄独立論が沸騰する事態に発展しかねない。
もともと高江のヘリパッドは、SACO合意に基づく建設で、翁長知事を始め反基地運動団体の多数派も黙認していたもので、少数の急進派が抵抗を続けていたに過ぎなかった。だが、問題が大きくなるにつれて、県民世論が変化し、容認派も無視できなくなりつつあり、火に油を注ぐような格好になっている。
また、警察全体の立ち位置で考えても、「市民生活を守る警察」から「国家機関を守る警察」へと急速に変質しつつあることを示しており、リベラル・デモクラシーの瓦解が進んでいる。

沖縄の基地問題は、本土に置けない迷惑施設を沖縄に押しつけ、それを「中国の脅威」で正当化しているだけの話であり、本質的には明治以降の植民地意識の延長にあるのだ。

【参考】
沖縄独立論の現実味 
琉球帰属問題が表面化する日 
軍隊のあり方について続・日本軍の場合
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2016年10月13日

ボランティアじゃなくて勤労奉仕

【条件厳しいのに…タダ働き? 東京五輪ボランティア像】
2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が求めるボランティア像を明らかにしたところ、「タダ働きでは」「ブラック過ぎる」と反発の声が上がった。組織委がタダで人材を集めては虫がよすぎるのだろうか?コミュニケーション能力がある▽日本語に加え、外国語が話せる▽1日8時間、10日間以上できる▽採用面接や3段階の研修を受けられる▽20年4月1日時点で18歳以上▽競技の知識があるか、観戦経験がある▽ボランティア経験がある――。以上の7点を備えた人材が、組織委が素案で大会運営ボランティアに望む要件だ。ユニホームは支給されるが、期間中は無償。交通費も出ない。宿泊や東京までの移動手段も自分で手配しないといけない。
 素案が明らかになると、ネット上では「条件が厳しすぎる」「語学経験込みだと、派遣なら時給1400円はもらえてもおかしくないな」などの意見が相次いだ。ただ、4年後の東京も4年前のロンドン五輪を参考にしていて、過去の大会に比べて特段厳しいわけではない。業務によっては語学力がそんなに必要のない分野もあり、「10日以上」という条件も、「保安上の問題もあるので半日だけの参加と言われても困る」(組織委)という事情もある。組織委は「あくまでも議論のたたき台」としており、18年夏の募集開始までに詳細を決めるという。そもそも、ボランティアとは、社会のために自ら進んで、無償で働くもの。それが「タダ働き」と受け止められる声が出てくるのはなぜなのか。
(7月22日、朝日新聞抜粋)

これは、記者の無知にこそ問題があるが、この誤認は世に流布しており、個々人の責任に帰するべきものでもなかろう。
記事は、ボランティアを「社会のために自ら進んで、無償で働くもの」と定義しているが、これがそもそも原義から大きくかけ離れている。一部過去ログの再掲になるが、許されたい。

ボランティアの語源は、ラテン語の「voluntas」(=自由意志)にあり、意味上の原義は徴集兵に対する志願兵を指す。歴史的には、十字軍に自発的に従軍する人を指し、王家の常備軍や貴族の傭兵、あるいは修道会の騎士団とは一線を画した。つまり、宗教的動機に基づく義勇兵を意味した。
キリスト教の大きな特徴の一つは「善への希求」にある。善行をなすことは、天に徳を積むことになり、それによって最後の審判の時に天国行きか地獄行きかの判定の基準となる。善行を積み重ねることは、絶対神に対する人間の義務とされていた。
つまり、キリスト教徒にとっての善行は、相手のためではなく、第一義的には自分のため神に対する義務を遂行することにある。善行の結果は、あくまで行為の結果であって、それ自体が目的ではない。
十字軍の悲劇は、「キリスト教(会)のために行う聖地奪還」という「聖戦の遂行」が目的であって、結果として略奪や侵略になってしまったことは従軍者(ボランティア参加者)にとっては「どうでもいいこと」だったことに起因する。
従って、「ボランティアは誰かのためにするもの」と一般的には思われがちだが、原義的にはむしろ「自己実現」が基本となる。この原理が分からないと、イスラム国に参加しようとする欧米人らジハーディストの精神を理解することは不可能で、「巧妙な宗教的勧誘に騙された可哀想な人たち」などという解釈になってしまう。こうした基本原理は十字軍に参戦するキリスト教徒も、聖戦に加わるムスリムも同じと考えて良い。

日本史上で言えば、戦国領主に対して立ち上がった一向門徒(浄土真宗徒)や、大坂の陣において大坂城にはせ参じた明石ジョアン・ジョストらキリシタンがこれに当たる。
歴史的に「一向一揆」と呼ばれるそれは、寺社の特権や治外法権に介入しようとした戦国領主に対して、自分たちの宗教コミュニティを守るために門徒が立ち上がったことに起因する。浄土真宗が特に有名になったのは、「講」や「無縁」と呼ばれる自治性の高いコミュニティを有して、それが一種の宗教的ユートピアとして機能していたからだった。
浄土真宗が民衆に圧倒的な浸透力を持ったのは、必ずしも僧侶に依拠しない信者組織「講」(〜講の語源)を創設し、信者が独自に信仰を広めていったところが大きく、この辺も聖職者不在のイスラム教に似ている。

戦場は石山に限られていたわけでは無く、休戦期間もあったこともあり、実際にどれほどの門徒が集まったのかは分からないが、ピーク時には2〜3万人に達したものと思われる。近畿圏だけでなく、九州や北陸・東北からも参集したようで、まさに全国規模だった。基本的には名のある武家では無く、農民や職人層であったが、皆一族で金を集めて自弁で武装と兵糧を用意し、一族を代表する屈強な若者に持たせて参戦させたのだ。当時の火縄銃は現在の自動車並みの値段だった。本願寺は装備、練度、戦術能力の全てにおいて織田軍に劣っていたが、それでも10年にわたって戦い続けたことは、まさに現代のジハーディスト民兵と被る。

大坂の陣や島原の乱には全国からキリシタンが参戦している。特に大坂の陣では、明石全登(ジョアン・ジョスト)が十字架の幟を立ててキリシタン部隊を率いて信教の自由を求めて戦った。明石は大坂に入城する際、その条件として「キリスト信仰の容認」を挙げたと言われる。

この二つの例から分かるのは、本来「ボランティア=義勇兵」というのは、「自らの価値観やコミュニティを守る」ことを本懐とし、それを通して自己実現を図ることを目的としている。
ただ、この原義に基づくと、現代でボランティアを名乗る資格があるのはジハーディストだけ、ということになりかねないので、今少し解釈を広げる必要がある。その場合でも、本来的には「価値観やコミュニティを共有する」ことが重視されるべきで、例えば展覧会や音楽会あるいは学会の手伝い、コミケの売り子や運営員、より原義に近いものではお祭りの運営員や宗教の勧誘員などが、これに相当する。

日本においてボランティアが「ただ働き」との批判が尽きないのは、行政・学校・企業などの巨大な権威と資金を有するものが、価値観を共有しないところで、無償労働を義務的に要求するからだと考えられる。
例えば、自治体が清掃ボランティアを、学校が通訳ボランティアを募集するのは、単に「報酬を払いたくない」だけの話であり、それは企業が社員にサービス残業を要求するのと似たような構図になっている。本来、対価を支払うべき労働を、「ボランティア」の美名で虚飾し、無償の労働力動員を正当化している点が、おぞましいのだ。

五輪組織委がボランティアを募集するのは、五輪の理念を守るためではなく、単に無償労働者が必要なためであり、組織委が何千万円の報酬をもらっていることが、その腐敗臭を強めてしまっている。
個人的にも、ゲームマーケットやコミケのボランティアは引き受けるが、五輪のそれは拒否感しか覚えないのは、そこに「理念の共有」が存在しないためだろう。

まずは、行政、学校、企業やそれに類する組織が「ボランティア」を使用することを止め、「勤労奉仕」に置き換えることから始めるべきだ。

【参考】
・異文化を理解するということ−ボランティア精神 
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2016年10月12日

通信の自由が失われる日

【ヤフーが全受信メールを監視、米情報機関の要請で=関係筋】
 米ヤフー<YHOO.O>が昨年、米情報機関からの要請を受けてヤフーメールのユーザーのすべての受信メールをスキャンしていたことが、関係筋の話から明らかになった。ヤフーの元社員2人と別の関係筋によると、ヤフーは米国家安全保障局(NSA)もしくは連邦捜査局(FBI)の要請に基づき、数億件のヤフーメールのアカウントをスキャンし、情報機関が求めていた特定の情報をサーチしていた。情報機関はヤフーに対し特定の文字をサーチするよう要請していたが、どのような情報を求めていたのかは明らかになっていない。関係筋によると、メールもしくは添付ファイルに記載されたフレーズを求めていた可能性がある。
 ロイターは、ヤフーが情報機関にデータを手渡したのであれば、それがどのような内容だったのか特定できていない。また、情報機関がヤフー以外の企業に同様の要請を行っていたのかも不明。監視活動の専門家は、すでにメールボックスにセーブされているメールのスキャンやリアルタイムで少数のアカウントを監視するのではなく、すべての受信メールをサーチする要請に応じ、明るみに出た米企業としては初のケースになると指摘する。
ヤフーの元社員によると、情報機関の要請に応じるマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)の決定をめぐり、一部幹部は反発。昨年6月の情報セキュリティ責任者アレックス・スタモス氏の辞任につながったという。ヤフーは情報機関からの要請をめぐるロイターの質問に対し、声明で「ヤフーは米国の法律を順守している」とし、それ以上のコメントを差し控えた。情報機関もコメントを差し控えている。
(10月5日、ロイター)

「通信の自由」なんて遠い昔の話になってしまった。外に出れば、監視カメラに記録され、メールや電話は全て傍受される−「自由」を体制の理念にしていたはずの西側陣営が、いまやソ連や中国と全く同じ支配体制を取りつつある。その違いは、せいぜい強制収容所の有無でしかなくなっているが、興味深いことに1980年代初め、ソ連において収監されている政治犯は、アムネスティですら「100人内外」「数十人」という数字を示していた。
米国の人権規定が適用されないグアンタナモ収容所(キューバ)には、2005年段階で500人以上が収容されていたことを鑑みても、現代のアメリカの人権状況は80年代のソ連よりも悪化している。
アメリカが「世界の警察官」たり得たのは、その自由と民主主義が普遍的原理と認められてきたためだが、自ら否定することでその正統性を失いつつある。

やはり水槽からピラニアを排除すべきでは無かったのだ。
これは、宮田義二・旧鉄鋼労連委員長の言葉、「熱帯魚を運ぶときに熱帯魚が緊張感を持つようにピラニアを入れる。左翼とは我々にとってのピラニアのようなものであり、必要である」に基づく。ソ連・中国というイデオロギー上の対立軸があったからこそ、西側諸国は自由と人権を称揚していたが、それが失われた途端に自由も人権も否定するようになったのである。
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2016年10月07日

豊洲問題に見る統治システムの限界

豊洲問題は調査が進んでいるものの、明確な意思決定がなされないまま建設が進んでいたことが明らかにされただけで、「誰がいつ決めたのかよく分からないから責任の所在も分からない」という結論に誘導されつつある。
拙稿「新国立競技場の責任者は誰?」で、新国立競技場とインパール作戦の責任の所在をめぐる問題の共通点について解説したが、今回もまさにこれに相当する。責任の所在を明確にしない日本型システムの弊害がますます表面化している。

今回の問題は単純に「日本型統治システム」だけの話ではなく、より複合的な要因が存在する。まず、現代日本の国や自治体で多用されている「有識者会議」の問題がある。有識者会議は、もともと官僚組織の権威低下と腐敗に対応すべく導入されたわけだが、現在では官僚や政治家が恣意的な人選や議題設定を行うことで、自ら望む結論に誘導し権威付けを図るシステムになってしまっている。「専門家集団の提言(を採用しただけ)」ということで、官僚は責任回避を図り、首長は権威付けを図る構図だ。しかも、有識者会議は、取り扱うテーマが終わると解散する上、会議そのものには決定権が無い(提言するだけ)ので、責任回避のツールとして非常に優れている。

私の母はかつて某自治体の局長級を務めていたが、ある日市長に「有識者会議でこのような決定がなされました」と報告したところ、市長に「その認識は間違っている。決定を下すのはあくまで(市長たる)僕だよ。有識者会議は提言書を出すだけだ」と怒られたという。その市長は総務省キャリア上がりだったが、制度を理解している良識派だったから良かったようなもので、多くの場合はそのような認識が無いため、豊洲のような問題が頻発している。

特に東京の場合、あまりにも巨大すぎるため、有識者会議だけで山のようにあり、毎日のように提言や報告書が上がってくるが、知事はあくまでも1人しかおらず、副知事を含めてもその全てを完全にチェックすることなど人間業ではできない。
東京都は予算13兆円、職員16万人の超巨大官庁だが、行政部において民主的統制を行うのは都知事ただ1人であり、最大4人の副知事を含めても5人でしか無い。副知事は、知事の指名を受けて、都議会の承認を経て就任するが、都議会の承認が必要なため、多くの場合、都官僚や中央官僚となってしまい、民主的統制の点で問題がある。
民主的統制が効かないということは、外部のチェックが効きにくいことを意味し、官僚による組織的隠蔽を始めとする腐敗の温床となりやすい。日本型組織で「身内同士のかばい合い」が横行するのは、外部チェックが弱いためだ。
その象徴的な例が、学校のイジメである。本気で学校からイジメをなくしたいなら、単位制とオープン型教室を導入すれば済む話だが、それをしないのは学校組織や文科省が、閉鎖的空間の利益を手放したくないからだろう。警察の汚職が一向に減らないのも同じ理由から説明される。
日本の統治システムは、「公開原則」が弱すぎる点に、根源的脆弱性が認められる。

もう一つの問題は、東京都議会の機能不全である。築地市場の移転については、都議会の賛成(一票差)を得ているが、果たして十分に審議されたのか、成立後の経過チェックが不十分だったのではないかという疑惑がある。NK党はかねてより問題点を指摘していたが、勢力が弱いことと、ブル新(ブルジョワ新聞)が扱わなかったこともあって、影響力を発揮し得なかった。旧民主党は、基本的に移転反対だったが、内部分裂して賛同者を出し、賛成多数の原因を作り出した。その後、豊洲の建設・移転をチェックしていたかと言えば、疑問だろう。そして、大敗を経ていまや第四党なので、殆ど影響力が無い。
1980年代以降、日本の自治体の多くで「NK党を除くオール与党」化が進んでしまい、もともと立法機能が軽視されていたこともあって、自治体議会の多くが「予算を奪い合う場」となって、本来業務の一つである行政監視が機能しなくなっている。これは国政でもほぼ同じで、特に民主党、民進党の与党指向と機能不全(提案型のような野党性の否定)が、自公と官僚組織の暴走を許してしまっている。

第三の要因としては、有効なマスメディアの不在、あるいは脆弱性が指摘される。日本の大型メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって権力と一体化しており、実質的には旧ソ連の「イズベスチヤ」や中国の「新華社」に近い宣伝機関の機能しか果たしていない。
リベラリズムにおけるメディアの役割は、政治家が有権者に対して説明責任を果たしているか、官僚が民主的統制に服して腐敗無く公正な行政を担っているか、などについて監視し、虚偽や欺瞞があれば容赦なく暴露して、権力の健全性を保つことにある。
だが、日本のメディアでこの機能を果たしているのは、東京新聞や西日本新聞などごく限られており、この点でも政治家や官僚の腐敗を放置してしまっている。

【追記】
もともと築地移転問題は、東京五輪の開催に際し、銀座や五輪会場に近い築地から市場を移転して、一大整備計画で一儲けしようというゼネコン、政治家、官僚による巨大腐敗に端を発している。その意味でも、東京五輪を返上し、東京都を分割すれば、この手の問題がなくなることはないにしても、腐敗規模ははるかに小さくなると思われる。
posted by ケン at 12:38| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする