2016年10月24日

大阪府警土人発言の背景にあるもの

【「土人」発言、沖縄県警が謝罪 「事実」「極めて遺憾」】
 県警は19日、米軍北部訓練場のヘリパッド建設を巡って警備に当たる大阪府警の機動隊員が抗議活動参加者に対し「土人」と発言していたことを「事実だ」と認めた。県警は一連の発言について「極めて遺憾だ」と述べ謝罪した。19日付で差別発言をした20代男性隊員は離県し、大阪府警へ戻ったという。処分については「大阪府警が判断する」としている。一方、菅義偉官房長官は19日午後の会見で機動隊員の発言について「許すまじきこと」と述べた。政府は事態の収束を急ぐが、県民への差別発言に対する反発が広がっている。
 県警は18日時点での本紙の取材に「確認されていない」と回答していた。県警によると、男性隊員は18日午前9時47分ごろ、米軍北部訓練場N1ゲート近くの斜面で提供施設内側からフェンスを挟み、施設内に入らないよう警告していた。市民らがフェンスを揺らしたりした際に「土人が」などと差別的な発言をした。
 県警は隊員に対する聞き取り調査や動画投稿サイトに投稿された動画を確認し、事実関係を確認。隊員は調査に対し「詳しくは覚えていない」などと話したが動画などを確認し「不適切な発言だった」と釈明したという。県警は「土人」という言葉について「差別用語で不適切な発言」とし「このようなことがないよう指導していく」と謝罪した。また県警本部には19日朝から午後6時ごろまでに機動隊の不適切発言に関する苦情が電話とメールで約30件寄せられた。
(10月20日、琉球新報)

この手の発言は、何も無いところから思いつきで発せられるものではなく、日常生活の中で繰り返し使用されている中で言語野に裏打ちされることで、日常語として根付いているからこそ、緊急時に発せられる。今回の場合、ヘイトスピーチを発した大阪府警機動隊員の個人的資質よりも、組織の有り様を疑うべきで、同機動隊の中で事前に「土人どもが暴れているから鎮圧しなければならない」「シナ人が後ろで画策している」などと話されている可能性が高い。

こうしたことは、軍隊や警察組織では良くあることで、例えば旧日本軍では中国人を「シナ人」と呼ぶことで憎悪を駆り立てていたし、日米が開戦すると「鬼畜米英」の標語で敵愾心を煽り立てた。また、警察では「共産党員は国際的陰謀組織であるコミンテルンの手先であり、国体転覆をめざす極悪人」としていかな残虐な拷問も推奨された。
これは日本に限らず、アメリカでも二次大戦中は日本人を「ジャップ、ニップ」と蔑称して憎悪を煽り立てたし、ベトナム戦争では「ベトコン」、イラク戦争では「ハジ」などの蔑称を通用させることで、「奴らは人間じゃ無いんだからどれだけ残虐なことをしても構わない」という指導を行っている。人間は本来同族殺しを忌避する習性を持っているため、同族性を完全に否定し、憎悪を煽り立てないと、銃の引き金が引けなくなってしまうことに起因している。
それだけに、アフガニスタンに介入・進駐したソ連軍が、全体の効果としては不十分だったとしても、「我々はアフガン人民を援助しに来たのであって、敵対しに来たのでは無い」という教育を徹底していたことは特筆するに値する。

話を戻すと、かつて日本の機動隊は学生運動やそこから派生した極左集団と戦うことで一定の熟練を得ていたが、今日ではそうした経験が得られないため、殆どの機動隊員はいきなり実戦に投入されるような形になっている。実戦経験の無い機動隊員が、いきなり反基地闘争で異様な盛り上がりを見せている現場に投入されるのだから、ストレスが急上昇するのは避けられなかっただろう。
逆に組織の側からすれば、未経験の機動隊員をいきなり第一線に投入することになり、何らかの方法で士気を高めなければ、現場が持たないという判断になったのだと思われる。
二次大戦の東部戦線やアジア・太平洋戦線では、徴兵経験が無い老人や若年者が動員されるに連れて軍紀が乱れ、残虐行為が増えていったことを考えても、沖縄に投入される本土の機動隊において沖縄市民に対する憎悪が駆り立てられたことは、容易に想像される。

だが、これは機動隊員の士気を上げるという点では合理的かもしれないが、権力にとっては致命傷になりかねない。本土から来た機動隊員が、沖縄県民を「土人」呼ばわりするということは、「お前らは日本国民じゃねぇ」「政府に逆らうヤツは国民じゃねぇ」と言うことと同義になる。これに対して、沖縄県民が「私たちは土人ではありません。同じ日本国民ですよ」と言えるだろうか、という話になる。まぁムリだろう。普通は「オレたちは琉球人であって、どうせ日本人なんかじゃねぇ」と反発するのではないか。
仮に激高した市民が暴発して、機動隊が武力鎮圧することになれば、それこそ沖縄独立論が沸騰する事態に発展しかねない。
もともと高江のヘリパッドは、SACO合意に基づく建設で、翁長知事を始め反基地運動団体の多数派も黙認していたもので、少数の急進派が抵抗を続けていたに過ぎなかった。だが、問題が大きくなるにつれて、県民世論が変化し、容認派も無視できなくなりつつあり、火に油を注ぐような格好になっている。
また、警察全体の立ち位置で考えても、「市民生活を守る警察」から「国家機関を守る警察」へと急速に変質しつつあることを示しており、リベラル・デモクラシーの瓦解が進んでいる。

沖縄の基地問題は、本土に置けない迷惑施設を沖縄に押しつけ、それを「中国の脅威」で正当化しているだけの話であり、本質的には明治以降の植民地意識の延長にあるのだ。

【参考】
沖縄独立論の現実味 
琉球帰属問題が表面化する日 
軍隊のあり方について続・日本軍の場合
posted by ケン at 12:16| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

ボランティアじゃなくて勤労奉仕

【条件厳しいのに…タダ働き? 東京五輪ボランティア像】
2020年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が求めるボランティア像を明らかにしたところ、「タダ働きでは」「ブラック過ぎる」と反発の声が上がった。組織委がタダで人材を集めては虫がよすぎるのだろうか?コミュニケーション能力がある▽日本語に加え、外国語が話せる▽1日8時間、10日間以上できる▽採用面接や3段階の研修を受けられる▽20年4月1日時点で18歳以上▽競技の知識があるか、観戦経験がある▽ボランティア経験がある――。以上の7点を備えた人材が、組織委が素案で大会運営ボランティアに望む要件だ。ユニホームは支給されるが、期間中は無償。交通費も出ない。宿泊や東京までの移動手段も自分で手配しないといけない。
 素案が明らかになると、ネット上では「条件が厳しすぎる」「語学経験込みだと、派遣なら時給1400円はもらえてもおかしくないな」などの意見が相次いだ。ただ、4年後の東京も4年前のロンドン五輪を参考にしていて、過去の大会に比べて特段厳しいわけではない。業務によっては語学力がそんなに必要のない分野もあり、「10日以上」という条件も、「保安上の問題もあるので半日だけの参加と言われても困る」(組織委)という事情もある。組織委は「あくまでも議論のたたき台」としており、18年夏の募集開始までに詳細を決めるという。そもそも、ボランティアとは、社会のために自ら進んで、無償で働くもの。それが「タダ働き」と受け止められる声が出てくるのはなぜなのか。
(7月22日、朝日新聞抜粋)

これは、記者の無知にこそ問題があるが、この誤認は世に流布しており、個々人の責任に帰するべきものでもなかろう。
記事は、ボランティアを「社会のために自ら進んで、無償で働くもの」と定義しているが、これがそもそも原義から大きくかけ離れている。一部過去ログの再掲になるが、許されたい。

ボランティアの語源は、ラテン語の「voluntas」(=自由意志)にあり、意味上の原義は徴集兵に対する志願兵を指す。歴史的には、十字軍に自発的に従軍する人を指し、王家の常備軍や貴族の傭兵、あるいは修道会の騎士団とは一線を画した。つまり、宗教的動機に基づく義勇兵を意味した。
キリスト教の大きな特徴の一つは「善への希求」にある。善行をなすことは、天に徳を積むことになり、それによって最後の審判の時に天国行きか地獄行きかの判定の基準となる。善行を積み重ねることは、絶対神に対する人間の義務とされていた。
つまり、キリスト教徒にとっての善行は、相手のためではなく、第一義的には自分のため神に対する義務を遂行することにある。善行の結果は、あくまで行為の結果であって、それ自体が目的ではない。
十字軍の悲劇は、「キリスト教(会)のために行う聖地奪還」という「聖戦の遂行」が目的であって、結果として略奪や侵略になってしまったことは従軍者(ボランティア参加者)にとっては「どうでもいいこと」だったことに起因する。
従って、「ボランティアは誰かのためにするもの」と一般的には思われがちだが、原義的にはむしろ「自己実現」が基本となる。この原理が分からないと、イスラム国に参加しようとする欧米人らジハーディストの精神を理解することは不可能で、「巧妙な宗教的勧誘に騙された可哀想な人たち」などという解釈になってしまう。こうした基本原理は十字軍に参戦するキリスト教徒も、聖戦に加わるムスリムも同じと考えて良い。

日本史上で言えば、戦国領主に対して立ち上がった一向門徒(浄土真宗徒)や、大坂の陣において大坂城にはせ参じた明石ジョアン・ジョストらキリシタンがこれに当たる。
歴史的に「一向一揆」と呼ばれるそれは、寺社の特権や治外法権に介入しようとした戦国領主に対して、自分たちの宗教コミュニティを守るために門徒が立ち上がったことに起因する。浄土真宗が特に有名になったのは、「講」や「無縁」と呼ばれる自治性の高いコミュニティを有して、それが一種の宗教的ユートピアとして機能していたからだった。
浄土真宗が民衆に圧倒的な浸透力を持ったのは、必ずしも僧侶に依拠しない信者組織「講」(〜講の語源)を創設し、信者が独自に信仰を広めていったところが大きく、この辺も聖職者不在のイスラム教に似ている。

戦場は石山に限られていたわけでは無く、休戦期間もあったこともあり、実際にどれほどの門徒が集まったのかは分からないが、ピーク時には2〜3万人に達したものと思われる。近畿圏だけでなく、九州や北陸・東北からも参集したようで、まさに全国規模だった。基本的には名のある武家では無く、農民や職人層であったが、皆一族で金を集めて自弁で武装と兵糧を用意し、一族を代表する屈強な若者に持たせて参戦させたのだ。当時の火縄銃は現在の自動車並みの値段だった。本願寺は装備、練度、戦術能力の全てにおいて織田軍に劣っていたが、それでも10年にわたって戦い続けたことは、まさに現代のジハーディスト民兵と被る。

大坂の陣や島原の乱には全国からキリシタンが参戦している。特に大坂の陣では、明石全登(ジョアン・ジョスト)が十字架の幟を立ててキリシタン部隊を率いて信教の自由を求めて戦った。明石は大坂に入城する際、その条件として「キリスト信仰の容認」を挙げたと言われる。

この二つの例から分かるのは、本来「ボランティア=義勇兵」というのは、「自らの価値観やコミュニティを守る」ことを本懐とし、それを通して自己実現を図ることを目的としている。
ただ、この原義に基づくと、現代でボランティアを名乗る資格があるのはジハーディストだけ、ということになりかねないので、今少し解釈を広げる必要がある。その場合でも、本来的には「価値観やコミュニティを共有する」ことが重視されるべきで、例えば展覧会や音楽会あるいは学会の手伝い、コミケの売り子や運営員、より原義に近いものではお祭りの運営員や宗教の勧誘員などが、これに相当する。

日本においてボランティアが「ただ働き」との批判が尽きないのは、行政・学校・企業などの巨大な権威と資金を有するものが、価値観を共有しないところで、無償労働を義務的に要求するからだと考えられる。
例えば、自治体が清掃ボランティアを、学校が通訳ボランティアを募集するのは、単に「報酬を払いたくない」だけの話であり、それは企業が社員にサービス残業を要求するのと似たような構図になっている。本来、対価を支払うべき労働を、「ボランティア」の美名で虚飾し、無償の労働力動員を正当化している点が、おぞましいのだ。

五輪組織委がボランティアを募集するのは、五輪の理念を守るためではなく、単に無償労働者が必要なためであり、組織委が何千万円の報酬をもらっていることが、その腐敗臭を強めてしまっている。
個人的にも、ゲームマーケットやコミケのボランティアは引き受けるが、五輪のそれは拒否感しか覚えないのは、そこに「理念の共有」が存在しないためだろう。

まずは、行政、学校、企業やそれに類する組織が「ボランティア」を使用することを止め、「勤労奉仕」に置き換えることから始めるべきだ。

【参考】
・異文化を理解するということ−ボランティア精神 
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2016年10月12日

通信の自由が失われる日

【ヤフーが全受信メールを監視、米情報機関の要請で=関係筋】
 米ヤフー<YHOO.O>が昨年、米情報機関からの要請を受けてヤフーメールのユーザーのすべての受信メールをスキャンしていたことが、関係筋の話から明らかになった。ヤフーの元社員2人と別の関係筋によると、ヤフーは米国家安全保障局(NSA)もしくは連邦捜査局(FBI)の要請に基づき、数億件のヤフーメールのアカウントをスキャンし、情報機関が求めていた特定の情報をサーチしていた。情報機関はヤフーに対し特定の文字をサーチするよう要請していたが、どのような情報を求めていたのかは明らかになっていない。関係筋によると、メールもしくは添付ファイルに記載されたフレーズを求めていた可能性がある。
 ロイターは、ヤフーが情報機関にデータを手渡したのであれば、それがどのような内容だったのか特定できていない。また、情報機関がヤフー以外の企業に同様の要請を行っていたのかも不明。監視活動の専門家は、すでにメールボックスにセーブされているメールのスキャンやリアルタイムで少数のアカウントを監視するのではなく、すべての受信メールをサーチする要請に応じ、明るみに出た米企業としては初のケースになると指摘する。
ヤフーの元社員によると、情報機関の要請に応じるマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)の決定をめぐり、一部幹部は反発。昨年6月の情報セキュリティ責任者アレックス・スタモス氏の辞任につながったという。ヤフーは情報機関からの要請をめぐるロイターの質問に対し、声明で「ヤフーは米国の法律を順守している」とし、それ以上のコメントを差し控えた。情報機関もコメントを差し控えている。
(10月5日、ロイター)

「通信の自由」なんて遠い昔の話になってしまった。外に出れば、監視カメラに記録され、メールや電話は全て傍受される−「自由」を体制の理念にしていたはずの西側陣営が、いまやソ連や中国と全く同じ支配体制を取りつつある。その違いは、せいぜい強制収容所の有無でしかなくなっているが、興味深いことに1980年代初め、ソ連において収監されている政治犯は、アムネスティですら「100人内外」「数十人」という数字を示していた。
米国の人権規定が適用されないグアンタナモ収容所(キューバ)には、2005年段階で500人以上が収容されていたことを鑑みても、現代のアメリカの人権状況は80年代のソ連よりも悪化している。
アメリカが「世界の警察官」たり得たのは、その自由と民主主義が普遍的原理と認められてきたためだが、自ら否定することでその正統性を失いつつある。

やはり水槽からピラニアを排除すべきでは無かったのだ。
これは、宮田義二・旧鉄鋼労連委員長の言葉、「熱帯魚を運ぶときに熱帯魚が緊張感を持つようにピラニアを入れる。左翼とは我々にとってのピラニアのようなものであり、必要である」に基づく。ソ連・中国というイデオロギー上の対立軸があったからこそ、西側諸国は自由と人権を称揚していたが、それが失われた途端に自由も人権も否定するようになったのである。
posted by ケン at 12:36| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

豊洲問題に見る統治システムの限界

豊洲問題は調査が進んでいるものの、明確な意思決定がなされないまま建設が進んでいたことが明らかにされただけで、「誰がいつ決めたのかよく分からないから責任の所在も分からない」という結論に誘導されつつある。
拙稿「新国立競技場の責任者は誰?」で、新国立競技場とインパール作戦の責任の所在をめぐる問題の共通点について解説したが、今回もまさにこれに相当する。責任の所在を明確にしない日本型システムの弊害がますます表面化している。

今回の問題は単純に「日本型統治システム」だけの話ではなく、より複合的な要因が存在する。まず、現代日本の国や自治体で多用されている「有識者会議」の問題がある。有識者会議は、もともと官僚組織の権威低下と腐敗に対応すべく導入されたわけだが、現在では官僚や政治家が恣意的な人選や議題設定を行うことで、自ら望む結論に誘導し権威付けを図るシステムになってしまっている。「専門家集団の提言(を採用しただけ)」ということで、官僚は責任回避を図り、首長は権威付けを図る構図だ。しかも、有識者会議は、取り扱うテーマが終わると解散する上、会議そのものには決定権が無い(提言するだけ)ので、責任回避のツールとして非常に優れている。

私の母はかつて某自治体の局長級を務めていたが、ある日市長に「有識者会議でこのような決定がなされました」と報告したところ、市長に「その認識は間違っている。決定を下すのはあくまで(市長たる)僕だよ。有識者会議は提言書を出すだけだ」と怒られたという。その市長は総務省キャリア上がりだったが、制度を理解している良識派だったから良かったようなもので、多くの場合はそのような認識が無いため、豊洲のような問題が頻発している。

特に東京の場合、あまりにも巨大すぎるため、有識者会議だけで山のようにあり、毎日のように提言や報告書が上がってくるが、知事はあくまでも1人しかおらず、副知事を含めてもその全てを完全にチェックすることなど人間業ではできない。
東京都は予算13兆円、職員16万人の超巨大官庁だが、行政部において民主的統制を行うのは都知事ただ1人であり、最大4人の副知事を含めても5人でしか無い。副知事は、知事の指名を受けて、都議会の承認を経て就任するが、都議会の承認が必要なため、多くの場合、都官僚や中央官僚となってしまい、民主的統制の点で問題がある。
民主的統制が効かないということは、外部のチェックが効きにくいことを意味し、官僚による組織的隠蔽を始めとする腐敗の温床となりやすい。日本型組織で「身内同士のかばい合い」が横行するのは、外部チェックが弱いためだ。
その象徴的な例が、学校のイジメである。本気で学校からイジメをなくしたいなら、単位制とオープン型教室を導入すれば済む話だが、それをしないのは学校組織や文科省が、閉鎖的空間の利益を手放したくないからだろう。警察の汚職が一向に減らないのも同じ理由から説明される。
日本の統治システムは、「公開原則」が弱すぎる点に、根源的脆弱性が認められる。

もう一つの問題は、東京都議会の機能不全である。築地市場の移転については、都議会の賛成(一票差)を得ているが、果たして十分に審議されたのか、成立後の経過チェックが不十分だったのではないかという疑惑がある。NK党はかねてより問題点を指摘していたが、勢力が弱いことと、ブル新(ブルジョワ新聞)が扱わなかったこともあって、影響力を発揮し得なかった。旧民主党は、基本的に移転反対だったが、内部分裂して賛同者を出し、賛成多数の原因を作り出した。その後、豊洲の建設・移転をチェックしていたかと言えば、疑問だろう。そして、大敗を経ていまや第四党なので、殆ど影響力が無い。
1980年代以降、日本の自治体の多くで「NK党を除くオール与党」化が進んでしまい、もともと立法機能が軽視されていたこともあって、自治体議会の多くが「予算を奪い合う場」となって、本来業務の一つである行政監視が機能しなくなっている。これは国政でもほぼ同じで、特に民主党、民進党の与党指向と機能不全(提案型のような野党性の否定)が、自公と官僚組織の暴走を許してしまっている。

第三の要因としては、有効なマスメディアの不在、あるいは脆弱性が指摘される。日本の大型メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって権力と一体化しており、実質的には旧ソ連の「イズベスチヤ」や中国の「新華社」に近い宣伝機関の機能しか果たしていない。
リベラリズムにおけるメディアの役割は、政治家が有権者に対して説明責任を果たしているか、官僚が民主的統制に服して腐敗無く公正な行政を担っているか、などについて監視し、虚偽や欺瞞があれば容赦なく暴露して、権力の健全性を保つことにある。
だが、日本のメディアでこの機能を果たしているのは、東京新聞や西日本新聞などごく限られており、この点でも政治家や官僚の腐敗を放置してしまっている。

【追記】
もともと築地移転問題は、東京五輪の開催に際し、銀座や五輪会場に近い築地から市場を移転して、一大整備計画で一儲けしようというゼネコン、政治家、官僚による巨大腐敗に端を発している。その意味でも、東京五輪を返上し、東京都を分割すれば、この手の問題がなくなることはないにしても、腐敗規模ははるかに小さくなると思われる。
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2016年10月06日

ヤクニンは「言い値の4倍」がキホン

【東京五輪開催費、3兆円超=競技施設大幅見直しを提案−都調査チーム報告】
 2020年東京五輪・パラリンピックの関連予算を検証している東京都の調査チームは29日の都政改革本部(本部長・小池百合子知事)の会合で、競技施設の整備費や警備コストなどが膨らみ、今のままでは大会開催費の総額が3兆円を超えるとの推計を明らかにした。調査チームは同日公表した報告書で、経費を縮減するため、都が整備するボート競技場など3施設について、都外の施設活用に変更するなどの大幅な見直しを求めた。これを踏まえ、都は具体的な検討に着手する。小池氏は席上、「大変重い提言だ。ベストのソリューション(解決策)を見つけていきたい」と表明。「レガシー(遺産)のある東京大会ができると確信しているし、成功させなければならない」と語った。
 開催費は招致段階で7340億円と見積もられていた。しかし、報告書によると、新国立競技場など競技施設や周辺インフラの整備だけで経費は7640億円。このうち、約800億円と見込んでいた仮設施設(大会後に撤去)の建設費が2800億円程度に膨らむ。
 さらに、大会中の警備や輸送などに1兆2000億〜1兆6000億円の費用が掛かると試算。割高な工事発注など、都の予算管理の甘さの影響でコストがさらに増え、全体では3兆円を超える可能性があるという。
 このため調査チームは、大会後も活用する恒久施設として、都が新たに建設する七つの競技会場のうち、3施設の大幅見直しを提案。(1)ボートやカヌーの会場となる「海の森水上競技場」(整備費491億円)は、「復興五輪」の観点からも宮城県登米市のボート場活用などに変更(2)競泳会場の「アクアティクスセンター」(同683億円)は、近くの東京辰巳国際水泳場の改修や規模縮小で対応(3)バレーボール会場の「有明アリーナ」(同404億円)は、既存の展示場改修や規模縮小で対応−の検討を求めた。いずれも、五輪後の利用者数などの見積もりが過剰で、費用対効果が不透明だと指摘。ただ、既に着工している施設もあり、計画を見直す場合は、国際オリンピック委員会(IOC)などとの協議が必要となる。また、組織委員会が受け持つとしている仮設施設の整備をめぐる役割分担見直しも提案。自転車競技会場の「有明BMXコース」など都内に建設する5施設は都が整備費を負担し、他県に立地する施設は地元自治体が国の財政支援を受け整備するよう求めた。
(時事通信、9月29日)

東京五輪運営費の見積もりが7300億円から3兆円超に。この業界では歴史的に「ヤクニンの見積もりの4倍」が相場である。
日清戦争の開戦に先だって、陸軍は「平時編制の一個旅団2千人」を朝鮮に派兵すると説明、伊藤博文首相は「多すぎる」と躊躇するもこれを説き伏せて、実際には戦時編制8千人を出して清国軍に襲いかかった。伊藤よりも慎重派だった明治帝はいい面の皮で、「朝鮮に派兵しても決して戦争にはなりません」と説明されていたにもかかわらず、いざ戦端が開かれるとすぐに宣戦詔書案が持参され、怒り狂っている。

日露戦争時に外債の募集に当たった高橋是清は、最初に戦費にいくら掛かるか聞いたところ、「4億5千万円」と説明され、税収が2億円に満たない当時、「集まるわけが無い」と悲痛な思いで渡航した。今日の金額に直せば、「戦費120兆円かかるから、よろしく頼むよ」と言われるような話で、絶望的になるのは当然だった。だが、実際に掛かった戦費は19億円に及び、外債だけで8億円となった。その負債は、借り換えに借り換えを重ね、完済したのは終戦から80年後の1986年のことだった。

シベリア出兵に際して、外交調査会で出兵兵力と展開先を尋ねた犬養毅は、外務省から「平時編制一個師団、ウラジオストク周辺に限る。ただ、チェコ軍救援の必要が生じれば、もう一個師団をシベリア方面に送るかもしれない」と説明を受けたが(平時2個師団は最大1万8千人)、現実には戦時編制4個師団、実兵力7万4千人が、シベリア全土、イルクーツクに至るまで展開するところとなった。
これも陸軍の計画では、沿海州に2個師団4万3千人、ザバイカル方面に5個師団10万8千人の、計7個師団15万人超を展開させ、さらに6個師団を内地に待機させることになっていた。
「米国と協調してチェコ軍団(3万4千人)を救援する」という名目は建前で、シベリアを支配、ないしは属国をつくることが真の狙いだった。

健全かつ一定の強度を持った野党が存在しないと、官僚の暴走に歯止めを掛けることは出来ないのだが、どうも日本史上、まともな野党が存在した試しがないのではないかと思われて仕方ない。
東京五輪の私物化と暴走は、一義的にはイシハラ知事と自民党と都官僚の共謀(凶暴?)によるものだが、本来それをチェックして歯止めを掛けるべき有力な野党が存在せず、その役を担うべき民主党が、五輪開催に同調してしまったことにこそ真の問題がある。代議制民主主義の不在である。

例えば、ヴィルジニア・ラッジ・ローマ市長は、「1960年のローマ五輪の負債すら完済していないのに、また大借金するのか!」と立候補を取り下げた。健全な民主主義が機能するというのは、こういうことである。
日本政治はすでに腐海の底に沈んでいる。
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2016年09月21日

被災者から利息取る国

【<熊本地震>災害利息免除、国が難色 援護資金特例】
災害によって損壊した住宅の再建費などを融資する公的制度「災害援護資金」を巡り、熊本地震の被災者に利息免除の特例措置を求める熊本県の要請に政府が難色を示している。2011年の東日本大震災では特例措置を取ったが、内閣府は「大震災とまでは言えず、議論が必要」と否定的だ。識者は「どんな災害でも大震災と同様の条件を設けるべきだ」と法改正を促している。
災害援護資金は「災害弔慰金の支給等に関する法律」に基づき運用されている。負傷したり住宅が全半壊したりした被災者に150万〜350万円を貸し付ける制度で、原資は国が3分の2、都道府県や政令市が3分の1を負担し、市町村が貸付窓口になる。返済期間は10年で、うち3年間の返済猶予期間(期間中は無利息)がある。利率は3%で連帯保証人が要る。
 東日本大震災では、▽利率は連帯保証人がいれば0%、いなければ1・5%▽返済猶予期間を3年間延長▽経済状況に応じた免除規定を設ける−−という特例措置がとられた。計2万9178件に約523億8544万円(今年7月末現在)が貸し付けられている。
 一方、1995年の阪神大震災では、兵庫県内で5万6422件に総額約1308億7263万円が貸し付けられた。特例は当時なく、昨年4月の通知で破産時などに限り返済が免除されたが、未返済額は6217件、88億8287万円(今年3月現在)に上り、21年が過ぎた今も利息が被災者に大きな負担となっている。
 熊本県は6月、「利息0%(連帯保証人が必要)」と「貸出枠の拡充」を内閣府に求めた。県健康福祉政策課は「3%の利率は一般金融機関に比べても高く、非常に利用しづらい。被災者からのニーズがあり、対応してほしい」と訴える。
 これに対し内閣府の被災者行政担当は取材に「熊本地震の被害規模は、特例を検討する大震災でないと考えている。法改正が必要で、3%が高いという認識はあるが、ただちに対応はできない」と回答した。
 被災者の生活再建に詳しい民間研究機関の「兵庫県震災復興研究センター」(神戸市)の出口俊一事務局長は「災害の全体規模は個々の被災者に関係ない。あらゆる災害で東日本並みの対応ができるよう、法改正すべきだ。これでは公平性は担保されない」と指摘している。
(9月12日、毎日新聞)

おいおい、マイナス金利やってるのに被災者からは3%も利息取るとか、どんだけブラック国家なんだよ、という話。金利の恩恵にあずかれる銀行や大企業だけがウハウハで、庶民は負債ばかり増えてゆく構図。放置すれば、国家そのものへの信頼が揺らぐだろう。
今どき住宅ローンも0.5%程度な上、税優遇があり、自動車ローンですら2〜3%というのに、自然災害の被災者に公共が貸し付けるものに金利3%というのは、全く妥当性というか、公共性に欠けるだろう。どこまでも「持てる者」が優遇されるとなれば、デモクラシーの基盤である階級融和構造を瓦解させる恐れがある。
だが、選挙で選ばれず、試験で選抜されるだけの官僚には、それが理解できないのだ。法改正が必要なら、政治家に法改正を促すのが、公共に奉仕する「公僕」の使命である。
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2016年09月15日

自らの役割を放棄する公共

【穴水町立図書館が寄贈図書廃棄】
 穴水町の町立図書館が、地元の研究者から寄贈された歴史や民俗学などに関する1800冊あまりの図書を、価値をよく理解しないまま誤って廃棄していたことが分かり、町は本の寄贈者に謝罪しました。穴水町立図書館では、11年前の平成17年に、漆器や民俗学の研究者で県輪島漆芸美術館の館長・四柳嘉章さんから2179冊の図書を寄贈されました。
しかし、9年前の能登半島地震で図書館の建物が大きな被害を受けたため、町は、すべての図書を役場の倉庫などにいったん移しました。
穴水町によりますとその後、新しく建てられた今の図書館に移設するまでに、当時の職員が寄贈された図書のうち1878冊を、利用頻度が低いなどという理由から廃棄したということです。この際、職員は本の価値を理解しておらず寄贈者の四柳さんにも廃棄の相談や連絡をしていませんでした。 四柳さんによりますと、廃棄された図書の中には日本民俗学会の会員しか購入できない会報や、亡くなった妻が所有していた「芥川龍之介全集」の初版本など今では入手が困難なものも含まれていたということです。
ことし7月になって四柳さんが自分の寄贈した図書が見当たらないことに気付き、廃棄が発覚したということで、穴水町教育委員会は四柳さんに直接謝罪したほか、町の広報誌におわびの文章を掲載しました。町では今後、パソコンによる図書の管理を徹底し、職員の教育を強化するなどして再発の防止に努めたいとしています。
穴水町教育委員会の布施東雄教育長は「貴重な本を寄贈してくれた四柳さんに大変申し訳ないことをした。2度とこのような過ちがないように管理を徹底したい」と話しています。
一方、寄贈した図書を廃棄された四柳嘉章さんは「歴史的に価値の高い本や大切な妻の遺品も寄贈したのに廃棄され憤りを覚えている」と話していました。
(9月5日、NHK)

問題の根源には、地方の財源不足に伴う「行政の効率化」がある。5年前の記事になってしまうが、再掲しておきたい。
1990年から2010年までの20年間で、公立図書館数は約1900から3170へと50%以上も増えている。にもかかわらず、図書館職員の正規雇用は1万3千人から1万2千人へと減り、このうち司書は6750人から6150人へと減少している。逆に、非常勤・臨時職員は2900人から15300人へと激増、さらにゼロだった派遣社員が7200人にもなっている。つまり、いまや図書館職員のうち正規(専任)職員は3割強しかいないということだ。
さらにショックなのは、司書が不在の図書館が全体の35%以上を占めていることである(07年4月)。図書館法も何もあったものではない。図書館一館あたりの正規職員数は、1990年の約7人が2010年には3.8人に減り、非常勤・臨時職員は1.5人から4.8人へと増えている。
(中略)
大学図書館の場合、1991年に9200人いた専従職員が2010年には5550人に、非常勤・臨時職員は3660人から4810人へとなっている。
専従職員の割合は、71.5%から53.5%にまで減少している。
この間、大学数自体が増えていることを考慮すれば、職員数全体が減っている上に、専従職員は大幅にカットされていることが分かる。

派遣社員を除いた割合で言っても、公立図書館における非常勤・臨時職員の割合は56%に及び、大学図書館でも46.5%になっている。
雇用全体における非正規雇用の割合が約33%であることを鑑みても、図書館における非正規雇用者の割合は相当際立っている。
(中略)
正規・専従職員の減少と非常勤・臨時職員の増加は、図書館業務における技術やノウハウ・知識の蓄積・継承を困難なものにする。
同時に、管理体制や責任の所在が疎かになることを意味する。
図書館職員の不安定な身分と劣悪な待遇は、優秀な人材を遠ざける結果しかもたらさず、結果的に図書館サービスを劣化させていくことになるだろう。

自治体によっては、図書館長が「体のいい天下り先」となっているケースも少なくなく、そういうところでは「ベストセラーを並べておけばいいんだろ」くらいの感覚で運営されてしまう例もあるという。
図書館の非正規職員問題、2011.8.11)

現状は、これよりも悪化していることはあっても、改善されている可能性は極めて低い。地方財政は悪化の一途にあるからだ。
地方財政が悪化している原因は、産業の空洞化と人口流出による税収減によるところが大きいが、もう一つは過剰なインフラ整備による固定維持費の高止まりがある。歳入減と固定費の高止まりは、人件費を抑制することでリスク回避が図られるが、世間的にはこれが「行政改革」と奨励される。地方の図書館は、所属が自治体そのものではなく、教育委員会に所属しているがために、こうした「ツケ」が最も大きく回されたケースとなっている。生活行政とは異なり、苦情が出にくいことも拍車をかけただろう。
同時に、「行政の効率化」は、「サービス」の側面を重視するあまり、「便利さ」や「利用頻度」などの表面的な指標ばかりが評価され、「民間ではできない、あるいは困難な事業」を行うという行政の本来の役割が軽視される傾向を強めている。今回のケースで言えば、「個人では保存、継承が難しい蔵書の保管と公開」がこれに当たる。民営化された図書館がレジャーランド化していることも、同様に説明可能だ。

記事の穴水町のケースでも、恐らく常駐の司書がおらず、職員も徹底して減らされ、そのくせ館長だけは天下りの名誉職で、専門知識も無いまま、「利用頻度が低い」として貴重な蔵書を大量に廃棄してしまったものと推察される。だが、これは特異な例ではなく、たまたま発覚しただけの話で、同様のケースは全国で山ほどあると考えられる。
上の記事で、教育委員会は対応策について、「パソコンによる図書の管理を徹底」などと説明しているが、蔵書の価値を判断するのはあくまでも人間であり、適正に評価できるのが司書であることを考えれば、全く的外れな対応をしていることが分かるし、連中が何も反省していないことを示している。
posted by ケン at 12:30| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする