2017年06月20日

ロシア人の安保観を代弁する・中

前回の続き)
そして、一次大戦の延長上に、日本では「シベリア出兵」として知られる「極東介入戦争」がある。1917年の二月革命と十月革命によってロマノフ朝は瓦解し、ボリシェヴィキ政権が樹立する。ロシアの大戦からの脱落と東部戦線の崩壊を恐れた連合国は、ボリシェヴィキ政権を打倒すべく、軍事介入を決断する。日本は日本で、朝鮮と満州の利権を確立しつつ、シベリアに影響力を拡大、さらにロシアとの緩衝地帯を設けるべく、シベリアに傀儡政権を打ち立てることを視野に、宣戦布告無しでシベリアに侵攻した。日露戦争で排除しきれなかったロシアの軍事的脅威を完全に排除する目途もあった。
日本では学校でまともに教わることも無く、しかも「出兵」などとされているが、ロシア人的には全く言われ無き侵略であり、その死傷者は民間人を含めて50万人以上に上った。
ロシア人エリート的には、日本の国家イメージは「話し合いの通じない、いつ襲いかかってくるか分からない、鋭利な刃物を持った狂人」でしかない。これを理解せずに、日本固有のイメージで「ロシア人は凶暴で何を考えているか分からない」などと考えていると、日露関係に関わる時に大きな誤解が生じることになる。
また、極東以外でも内戦、介入戦争は1922年まで続き、連合国は白衛軍(反ボリシェヴィキ)を支援し続けた。このことは、現在でも民主化勢力を支援し続ける米欧列強に通じる。

極めつけは第二次世界大戦である。一次大戦後、ドイツはヴェルサイユ条約で過重な賠償金と軍備制限を課されたが、外交的に孤立していたソ連とラパロ条約を締結、蜜月時代に入る。両国はともに苦しい状況下にあって、ソ連は天然資源やドイツ軍用の実験場と訓練地を提供、ドイツは各種技術を提供した。この関係は、反共を掲げるナチズムの台頭によって途絶するものの、欧州情勢の緊迫化に伴い、独ソ不可侵条約となって復活する。ソ連はドイツとの資源貿易を再開するが、これはドイツを英仏と戦わせて双方を疲弊させるためでもあった。
ところが、バトルオブブリテン(英本土航空戦)で敗退すると、ヒトラーは「ソ連に背後を突かれる前にやってしまえ」との判断に傾き、バルバロッサ作戦(対ソ戦)を発令する。スターリンの下には、ドイツの対ソ開戦を示唆する様々な情報が集まるが、全て欺瞞情報として退け、逆に前線の軍事行動を制限して挑発行為を戒める有様だった。その結果、それだけが理由では無いものの、赤軍は緒戦で大敗北を喫し、レニングラードは包囲され、モスクワの郊外まで攻め立てられ、南はクリミア、コーカサス山地まで攻め込まれた。ソ連側の死者数は少なくとも2千万人以上に達した。

戦後、あるいはソ連崩壊後に資料が公開されて、「ソ連による先制攻撃計画があった」という話も流布されたが、どれも裏付けは弱く、せいぜいのところ「構想はあった」程度のものだった。つまり、ロシア人的には、今回も意味不明な理由で侵略を受け、数千万人が家を失い、国家滅亡の危機にさらされたとのイメージを強くした。
ソ連にとって二次大戦後の東側のブロック化は、「ナチズムに替わる反革命勢力による再侵攻」に備えるために必要不可欠の「緩衝地帯」「前進防御」だったが、それは一次大戦で一度は破綻したはずのドイツによって、ソ連が崩壊寸前にまで追い込まれた反省に基づいていた。

ところが、東欧諸国を陣営化して西側連合国との防衛線にするという構想は、「ベルリンの壁」崩壊によって瓦解する。
歴史に言う「ベルリンの壁崩壊」は1989年11月9日に起きるが、ドイツ社会主義統一党(SED)の独裁政権が同時に倒壊したわけではなかった。まず89年10月にホーネッカー書記長が辞任、改革派のモドロウ政権が樹立して、民主化と憲法改定を行い、一党独裁規定を削除した後、1990年3月18日に東ドイツ国内における最初で最後の自由選挙が行われた。ここでキリスト教民主同盟を中心とする保守系三派連合が多数を確保してデメジエール政権を樹立、西ドイツとの統一の方針が確認された。最終的には90年10月3日、東ドイツが西ドイツに吸収される形で統一が果たされた。

その際に最大の問題となったのは東ドイツに駐留する34万人(38万という数字もあり、さらに他に家族や軍属が20万人)からのソ連軍の扱いと統一後のドイツのNATO加盟問題だった。何と言ってもソ連の駐兵権は第二次世界大戦の戦勝によって得られた正当な権利であり、東独を吸収することはソ連の駐兵権を引き継ぐことをも意味していただけに、西ドイツにとっては重大な問題だった。
この件について、当時のコール西独首相とゲンシャー外相は、ブッシュ米大統領とベーカー国務長官と調整、「統一ドイツはNATOに帰属する、しかし東ドイツ領域はNATO管轄領域としない」ことで合意された。しかし、ドイツ国内には中立化論が根強く存在しており、他方でアメリカや近隣諸国は「ドイツ再軍備」を危惧して「NATOの拡大」を支持する向きが強かった。他方、ソ連ではドイツ統一そのものに反対するものが多かったようだ。現状を見る限り、現在ロシアが置かれている苦境の大半はドイツ統一を許したことに起因していることを考えれば、ロシア・エリートが欧州をどう見ているか想像できよう。

そして、90年2月9日、ベーカーはゴルバチョフと会見して、「統一ドイツがNATOから離脱するのと、統一ドイツはNATOに残るが、NATO現状から1インチたりとも東に入らないのと、どちら良いか?」と尋ねたところ、ゴルバチョフは「NATOの領域拡大は受け入れられない」と回答したという。
これを受けて、2月10日、コールはゴルバチョフに、「NATOは領域を東独まで拡大しない」と確約、ゲンシャーはシュワルナゼ・ソ連外相に「統一ドイツのNATO加盟は複雑な問題を生むが、一つだけ確実なことは、NATOは東に拡大しないということだ」と述べ、東独だけでなく東欧全体に適用されることを前提に「NATOの不拡大は、全般に適用される」と付け加えた。この「保証」を受けてゴルバチョフはドイツ統一とソ連軍の撤収に同意するが、この時に合意文書がつくられなかったことが後の禍根となる。
さらに同年10月、ソ連邦の維持すらも困難をきたし始めたゴルバチョフは、駐独ソ連軍の撤退保証金をドイツ政府に要求、コールは150億マルクの借款と引き替えに「NATOの東ドイツ部分への適用拡大」を要求し、ゴルバチョフはこれを呑んでしまい、これがさらに問題を複雑にしてしまった。

最終的に「ゴルバチョフ・コール合意」は幻となり、完全に反故にされた。1991年12月にソ連が崩壊すると、99年にはチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟、続いて2004年にはスロバキア、スロベニア、バルト三国、ブルガリア、ルーマニアが、09年にはクロアチア、アルバニアが加盟した。いまやロシアにとって西側との緩衝地帯はベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァだけであり、NATO加盟国のエストニアとは直接国境を接している。あとは、セルビアなどの旧ユーゴ地域の一部が未加盟な程度だ。つい最近モンテネグロのNATO加盟が決まり、ロシア人の警戒心はますます強まっている。
(以下続く)
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2017年06月19日

ロシア人の安保観を代弁する・上

どうやら安倍政権は内々に「第五次日露協商」に向けて舵を切っているが、対米従属の外務省や防衛省が激しく抵抗しており、財界の支持も弱く、必ずしも上手く行っていない。そのアメリカでも、親露派のトランプ氏が大統領になったものの、日本の鳩山政権よろしく激しい攻撃にさらされている。その根底にあるのは「ロシア脅威論」であり、その背景には軍産複合体の利益がある。

実際、プーチン大統領下のロシアでクリミアが併合され、ウクライナ内戦が起こり、極めつけは「デンマークに対する核攻撃脅迫」が行われた(ロシア側は否定)。こうした動きに対し、アメリカではオバマ政権のカーター国防長官が「冷戦時代は終わったが、ロシアを牽制するために核兵器が必要だ」と述べ(2016.9.28)、英メイ政権のファロン国防相は「ロシアに核の先制使用も辞さず」と宣言(2017.4)した。事実、ルーマニアではNATOのミサイル防衛システムが稼働を開始し、ポーランドでもミサイル基地の建設が進められている。これに対し、ロシアは飛び地であるカリーニングラードに長距離ミサイルの配備を進めている。
日本ではあまり報道されていないが、米欧とロシアの緊張度は冷戦以後、最高度に高まっている。米国あるいはNATOの脅威度認定は、1ロシア、2イスラム国、3イランの順で、中国は5位以下でしかない。そうした中で、ドイツのメルケル首相が緊張緩和を志向、アメリカでも対露対話路線のトランプ氏が当選、日本でも安倍政権が協調路線に舵を切っている。

日本の一般的な報道や解説だけ見ていると、「ロシア悪玉論」に誘導される傾向が強い。これは、日本の海外情勢報道や分析が、99%米英の情報源に依拠しているからだ。ロシアに滞在する日本人記者ですら現地の英文報道に基礎を置いているのだから話にならない。
日本の外交官や情報屋は口を揃えて「ロシアの報道は信用に値しない」と言うが、対ソ諜報の基本は「プラウダの裏を読む」ことにあるのはソ連学徒にとって基本中の基本であり、これも話にならない。

いずれにせよ、日本で流布されている視点はあくまでも「軍事的脅威を受ける側」のものであり、「ロシアの脅威」を前提に全てが論じられている。だが、ロシア側の視点に立ってみると、全く異なる風景が見えてくる。これは本ブログの主旨の1つで、「相手側の視点から見て考える」というもの。この視点からロシア人の安保観を大きく見てみたい。
最も重要なのは、ロシア以外の国では圧倒的に「侵略者としてのロシア」としてのイメージが確立しているのに対し、ロシア人は「常に外国の侵略にさらされてきた。そして今もさらされている」という一種の被害者意識を抱えている。これは、ロシア史を学んだものにとっては「常識」だが、欧米視点で世界史を学んだ者からすると「ロシア人の被害妄想」としか考えられない。ここから見てみよう。

近代以降、ロシアは東進政策と南下政策を推し進めたが、同時に欧州等からの侵略にさらされ続けている。まず19世紀初頭、フランス革命以降、ロシアは数次にわたってフランスと戦争を行っていたが、1806年のイエナ会戦でナポレオン軍に敗れ、同07年にティルジット条約を締結して和睦する。その条文には大陸封鎖令への参加が含まれていたが、イギリスに農産物を輸出して工業製品を輸入していたロシア経済はあっという間に行き詰まり、1810年には条約を反故にして対英貿易を再開する。この「大陸封鎖令違反」を理由に開戦したのが、1812年の「ロシア戦役」だった。確かに条約反故の非はロシアにあるのだが、「欧州全国が参加する全面侵略」を受けることは、ロシア人にとって全く想定外のことだった。同戦役によるロシア側の死者は約21万人。

クリミア戦争と露土戦争は、ロシア帝国の拡張主義に依るところが大きかったが、それでも汎スラヴ主義と「イスラムからの解放」という大義名分があった。クリミア戦争は、本来ロシアとオスマントルコ間の紛争だったが、英仏が軍事介入したことで敗北を喫した。もともとロシアは、英仏の外交的仲介を期待していただけに、「トルコ側で参戦」に大きなショックを受けた。

日本人的に全く理解できないのは日露戦争かもしれない。詳細は当該記事を読んで欲しいが、日本では日露戦争開戦は、司馬史観の流布により、「ロシアの伝統的南下政策に対して他に手段無く立ち上がった」なるイメージが定着している。だが近年、特にロシア側の資料が大量に公開されたことで、全く異なる実像が明らかにされた。
もともと日露交渉は、朝鮮支配をめぐる影響力の認定が最大の問題で、最終的にロシアは完全に日本側に譲歩、日本による単独支配を認めた。にもかかわらず、日本側は日英同盟の成立を受けて、要求水準を上げ、当初は交渉対象に無かった南満州の利権やロシア軍の撤退を要求、ロシア側がこれを拒否すると宣戦布告して奇襲をかけた。
ロシア側は「朝鮮問題は解決済み」「満州問題は議題外」と考えていたため、日本が宣戦布告して全面戦争に踏み切るなど全く想定外のことだった。
つまり、日本側とは全く逆で、ロシア人的には「日本人に難癖付けられた挙げ句、いきなり奇襲されて侵略された」というのが日露戦争のイメージなのだ。

・日露開戦の代償−開戦経緯を再検証する

そして第一次世界大戦。ロシアは汎スラヴ主義に従ってバルカン問題に介入、セルビア民族主義を支援していた。これがそもそもの問題の発端ではあったのだが、オーストリア二重帝国とセルビアの緊張が高まり、サラエボ事件で頂点に達すると、オーストリアはセルビアに最後通牒を送付、セルビアは国交断絶で応じたため、宣戦布告した。ロシアは、1909年にオーストリアのボスニア併合を認める代わりにセルビアに独立保証をしていたことから、軍の総動員令を命じた。これに対し、今度はドイツが三国同盟(独墺伊)に基づいてロシアに対して宣戦布告を行い(次いでフランスにも)、第一次世界大戦が勃発した。確かに当時の感覚としては「総動員令=最後通牒」であり、先制を取るために宣戦布告するのはイレギュラーな話ではないのだが、バルカン問題で仲裁に立つべきドイツが真っ先に宣戦布告してきたのは、ロシア人的には「おいこら、ちょっと待てよ!」という気分だった。
確かに、オーストリアは「三国同盟があるからロシアは参戦しない」と楽観視して限定戦争に邁進、ドイツも同様に考えていたが、ロシアは「露仏同盟があるからドイツは参戦しない」と高をくくっていたので、全員の誤算が原因だった。とはいえ、ロシア人の主観的には、バルカン紛争にドイツが介入して一方的に宣戦布告されたという思いを拭いきれなかった。ロシア人の死者は200万人に上った。
以下続く
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2017年06月14日

メランション候補が訴えたもの・続

同志たちとの研究会でフランス大統領選の左派候補二人(社会党アモン氏と「不服従のフランス」のメランション氏)の政策について報告したので、その一端を紹介しておきたい。あくまでも中学、高校でフランス語を学んだだけの語学力なので、訳の精度については全く保証しない。まず今回は、メランション候補。

【メランション氏の経歴】
 Jean-Luc Mélenchon、ジャン=リュク=メランション。1951年、モロッコ生まれ。父は郵便局員、母は学校教員。フランシュ=コンテ大学(ブザンソン)で哲学を学ぶ。高校時代から学生運動に傾倒。卒業後は学校教員を始め、複数の職を転々とする。1977年に社会党に入党、83年にマッシー市議会議員(住民約4万)に当選、86年にはエソンヌ県から元老院(上院)に当選。2000年、ジョスパン内閣で職業教育大臣。党内左派を形成していたが、2008年にドレズらと共に社会党を離党、「左翼党」を結成して共同党首に就任、後に「緑の党」からの離党者も加わる。09年には、共産党などと「左翼戦線」を結成、同年の欧州議会議員選挙では6.48%の得票で5議席を獲得、メランションは南仏区から欧州議会に当選。2012年のフランス大統領選に出馬、第一回投票で約400万票を獲得するも4位に終わる。2017年の大統領選では、「左翼戦線」にエコロジストやLGBT運動を加えた「不服従のフランス」を結成、706万票(得票率19.58%)を獲得するも、同じく4位に終わった。第二回投票では、マクロン氏もルペン氏も支持しないと宣言した。
 余談だが、大統領選前のインタビューで「趣味は?」と問われて「全てを政治に捧げている」と答えていたが、2012年の「GALA」誌のインタビューで「日がな一日恋愛小説書いている時が至福」と述べていたことが「暴露」された(3月10日、パリ・マッチ誌)。どこまでもフランスである。

【メランション氏の政治的スタンス】
 社会党入党当初はミッテランを信奉、その死後はロカールらと党内左派を形成する。経済的にはマルクス主義者、政治的には民主主義者、社会的には自由主義者の側面が強い。欧州連合は新自由主義に冒されているとし、自由貿易とグローバル化は貧困と格差を助長して弱肉強食の社会をつくっていると主張している。政治的には、大統領権限を縮小する一方、国民議会の権限を強化、市民の投票義務を強化しつつ、ランダムで選ばれた市民を議員にする仕組みの創設を訴えている。同時に、富の再分配構造を強化し、労働基本権と福祉政策の拡大を主張している。だが、EU内では富や労働力の移動が容易であるため、金融や高所得層に対する課税強化が困難になっていることと同時に、税や社会保険を上げることも難しく、経済自由主義とグローバル化に引きずられて、一国で社会主義政策を行うことを困難にしているとして、国家主権の侵害と理解している。また、NATO軍が世界全体にとっての脅威になると同時に、フランスの平和外交を阻害するものとして、NATOからの離脱を主張している。

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大統領選挙パンフレット「人民の力」より
序文:私たちの集合知は、もし自分たちが公共善に力を注ぎ続ける限り、必ずやあらゆる困難を克服できるはずです。私たちの共和国のモットーである「自由、平等、博愛」は、私たちの進むべき道を示しています。私たちは、自分たちに対してのみならず、全人類に対し責任を負っています。だからこそ、私にはその覚悟があります。そして、皆さんにもその覚悟があると信じます。

[第六共和政]大統領権限の縮小、議会の強化、直接民主制の部分的導入

[労働者の権利強化]人員削減のための労使協議会に猶予拒否権を付与、経営危機時の配当金の支払いの禁止、様々な労働組合の権限強化

[治安対策]科学警察の強化、警察署の改修促進、対テロ戦争からの撤退、人身売買対策の強化

[経済]金融取引課税、経営陣や株主の法外な報酬の規制、脱税や不法投機対策としての資本移動の監視強化

[雇用]時短の実現による350万人の新規雇用、最低賃金の上昇、USやカナダとの自由貿易協定の拒否、輸入品に対する距離と炭素の課税。

[年金]40年間の年金拠出による60歳からの年金支給の確約、最低保障年金の増額

[ジェンダー]男女間の賃金や昇進差別を禁止する包括的社会契約、男女平等を尊重しない企業に対する罰金と刑事罰、公共調達のアクセス禁止

[住宅]代替地の提示なき立ち退き要求の禁止、ホームレス・ゼロ化、グリーン基準による百万戸の公共住宅の新築

[税金]高額所得者に対する課税強化、金融・不動産・相続課税の強化、居住住宅の非課税枠の拡大、脱税・資本逃避の対策強化

[エネルギー]2050年までに再生可能エネルギー100%を実現。化石燃料関連の補助金の停止。新規のシェールオイル、ガス調査の禁止。核融合炉計画の放棄。

[農業]遺伝子組み換え作物の禁止。有害殺虫剤の禁止。若年者の就農支援強化とCAP(欧州共通農業政策)の見直しにより30万人の新規雇用を実現。家畜を虐待する牧場の営業停止措置。

[欧州問題]EUが要求する公共サービスの民営化の停止。EU離脱のための国民投票の実施。財政赤字がGDPの3%を上回ってならないことを規定するEU協定への不服従。

[平和と独立]国連安保理決議無き軍事介入への不同意。NATOの軍事部門からの離脱。国連指導下における多国間交渉によるイラク、シリアの平和実現。パレスチナの国家承認による中東和平の推進。

[移民]難民を出さないための積極的な平和外交に注力。難民キャンプにおける人間の尊厳の尊重。保護者のいない未成年難民に対する支援強化、家庭生活の保証。

[健康]公立病院のサービス向上。予防医療の充実。農村部や地方における医療アクセスの保障。

[教育]3〜18歳までの義務教育化。給食、通学、文具などの無償化。5年間で6万人の教員雇用。幼稚園、保育園における少人数学級の実現。職業専門学校の充実。

[文化]GDPの1%を文化と創造(芸術)に。音楽、映画、文化コンテンツを合法的に提供するプラットフォームを有するオンライン公共図書館の設立。

[宇宙]火星に向けた惑星間ミッションの推進。月面の永久基地の設立を提案。

[自由権]検閲と監視の無い仮想空間の保証。(被疑者の)広範なフィリングの禁止と「誠実な人」のファイル削除(犯罪容疑者以外のプライバシー情報の収集蓄積の禁止)。個人データ保護と商業利用(ビッグ・データ)の規制。

【ケン先生の評価】
 メランション氏の政策は大統領選挙用のパンフレットを参照した。非常に読みやすく、その主張も分かりやすい一方、財源に大きな不安があり、ポピュリズム的要求の羅列になっている。ただ、「不服従のフランス」は大統領選や欧州議会選挙用の政党連合であり、社会党離党者を中心に緑の党、共産党から急進的農業運動、環境運動、LGBT運動など非常に幅広く連帯している。日本の場合、こうした政党連合は必ず「俺が俺が」となって全く機能せず、票も出ないが、メランション候補は700万票以上も獲得している。日本の市民運動や左翼は、むしろ運動論を学ぶべきかもしれない。同時に、多様な政党連合であるが故の強い独自性が政策にも反映されており、非常に独創的な政策も散見され、勉強になる。個人的には「宇宙」や「自由権」にグッとくるものがあった。また、序文の格調高い名文も「フランス」を感じさせるに十分だろう。
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2017年06月10日

張作霖 爆殺への軌跡 1875-1928

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『張作霖 爆殺への軌跡 1875-1928』 杉山祐之 白水社(2017)

名著『覇王と革命−中国軍閥史 1915-28』を著した杉山祐之氏の新作。
前著『覇王と革命』は、辛亥革命から蒋介石による北伐開始までの軍閥闘争を描いている。ケン先生も書評を書こうと思っていたのだが、つい書きそびれてしまったので、ここで軽く触れておく。現代中国史は、共産党や国民党あるいは帝国日本などの立場が強く作用するため、なかなか客観的な解説書が無い。だが、本作は可能な限り偏りを排しており、かと言って平板な解説になることもなく、非常にダイナミックな歴史を再現している。しかも、フィクションでは無く、相当に資料が読み込まれており、曖昧な点については複数の視点や理解が提示され、学術性と読み物のバランスが絶妙な作品に仕上がっている。軍閥による群雄割拠期は、共産党政府にとっても国民党政府にとっても鬼門であり、どちらの国でも客観的研究が難しい状況にあるだけに、非常に貴重な一冊だと言える。また、日本人的には、つい日本の視点から満州や上海を見てしまうだけに、中国側の視点から見た日本の侵略意図を再確認する意味でも大事だ。

今回の『張作霖』は、前作では「軍閥の一つ」だった張作霖を主人公とし、その誕生から死までを丹念に追いつつ、彼の視点から見た軍閥闘争と日帝の脅威を描いている。前作の特長である、学術性とエンターテイメント性のバランスや客観性は本作でも守られており、むしろ個人に焦点が当てられているだけ分かりやすくなっているし、相変わらず「読ませる」記述になっている。
著者が「上手い」のかもしれないが、張作霖のどこまでも「中華英雄」を追求する姿勢が心地よく、本人もそれを意識して史記や三国志などの故事を真似ようと努力しているところや、彼をめぐる周囲の人々との関係がどこまでも中国的(情義が優先される)であるところなど、非常に面白いと同時に、「あぁ、中国ってそうだよな」と思わせてくれる(家に飛び込んできた雛は決して殺さないとか)。

小さな雑貨屋に生まれ、各地を転々としながら少しずつ己の才覚でのし上がり、自警団長からいつしか軍閥の長になって、最後は東三省を支配してソ連と日本と関内軍閥群と渡り合うまでに至った。まさに「乱世の梟雄」であり、それだけの実力と魅力がある。そして、普通に日本史を習うだけではまず分からない、「なぜ関東軍に謀殺されたのか」を学ぶことができる。そこに、本土では「売国奴」と言われ、日本では「馬賊の一頭目」と見なされる張作霖の実像を見ることになるだろう。

馴染みの無いテーマではあるが、地図や写真もそれなりに配されて読みやすくなっている。アジアの近現代史に興味のある者なら、二冊とも抑えておくべきだろう。
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2017年06月07日

英労働党が保守党を猛追

<英総選挙>あと1週間、労働党支持が急伸>
 8日に投開票される英総選挙まであと1週間となった。当初は与党・保守党の圧勝と予想されたが、選挙終盤に最大野党・労働党が急伸。保守党にどこまで迫ることができるかが焦点となっている。
 世論調査会社「YouGov」が5月31日に公表した調査結果によると、労働党は4月21日時点の23ポイント差から3ポイント差まで保守党に肉薄。保守党のマニフェストが、中流以上の高齢者の介護費用負担を重くしたことが響いたとみられている。ただ、「YouGov」以外の調査では、依然として保守党の議席が増えるとの予測もあり、情勢は流動的だ。
 労働党が1974年以降、議席を維持する英中部ウルバーハンプトンの南東選挙区で、地元誌のサイモン編集長は「貧しい労働者には保守党のマニフェストに盛り込まれた高齢者の負担増は影響しない。むしろ、政治への不信感から棄権が多くなる」と話す。
 実際にこの選挙区を歩くと、労働党の苦戦ぶりが感じられる。労働党支持者だったパン工場で働くスーさん(52)は「党は福祉に頼る人や移民を保護することしか考えていない」と語った。今回は保守党に投票する。昨年の国民投票では欧州連合(EU)離脱に投票。離脱交渉では保守党を率いるメイ首相のような強い指導者が必要だと考えている。
 この地域は鉄鋼業で栄えたが、保守党のサッチャー政権が誕生した79年以降、多くの企業が倒産。当時の恨みから、労働党支持者が多いとされる。
 外国生まれの住民の割合は16%と、イングランドとウェールズ地方の平均13%を上回る。大学卒業者の割合は23%と全国平均の38%を下回り、失業率は英国平均の倍近い8.4%。貧困層が多く、国民投票では移民の制限を求めて62%が離脱を支持した。
 労働党は、国民投票では保守党と共に残留を支持。投票後は「民意を尊重する」として保守党と同様に離脱を進める。しかし、交渉を巡り、両党の姿勢は異なる。メイ氏は移民の制限を打ち出し、交渉に強い姿勢で臨むことを強調。労働党のコービン党首は移民の制限を明確に示さず、残留派に配慮してEUの単一市場と無関税貿易を続けるとしている。
 インドからの移民で、自動車部品工場で働くダーナムさん(56)の目にも、EUとの交渉はコービン氏では頼りなく見える。保守党支持に回った同僚もいる。大学生の長女は緑の党に変えた。それでも「移民に寛容な労働党の方が、まだまし」と言う。労働党の牙城で、両党のつばぜり合いが続いている。
(6月1日、毎日新聞)

当初英保守党の圧勝が伝えられたものの、ここに来て労働党が猛追しているという。保守党を「油断させない」ためのプロパガンダかと思わなくも無いが、世論調査結果に満足した保守党がいささか不用意な政策を打ち出してしまった面は否めない。
とはいえ、労働党は現在もなお古典的社会主義派とブレアに象徴される市場重視の「第三の道」派が激しく相克しており、コービン党首もかろうじて党首の座を維持しているに過ぎず、広い支持を集められるだけの状況には無い。つまり、保守党の敵失や二大政党制に助けられているだけで、展望が見えているわけではない。だが、その主張は確認しておこう。

【税制】8万ポンド(約1200万円)を超える高所得者に対する増税。法人税の引き上げ。民間の健康保険に課税してNHS(国営健保)の財源にする。

【積極財政】大学無償化。公営住宅の整備促進。民間住宅の賃料抑制策。郵便、鉄道などの再国営化。

【安全保障】対テロ戦争に消極的、外交対話重視。地域の治安、社会プログラムの強化。

【労働経済】最低賃金の引き上げ。最高賃金の設定。民間住宅の家賃規制。

【移民】移民規制に反対。公正なルールに基づく管理。不当な待遇をなす企業に対する監視強化。
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2017年05月18日

ドイツ連邦軍でも極右汚染

【ドイツ軍兵舎2カ所でナチス関連物 全施設を検査へ】
 ドイツの国防省は7日、同国軍の兵舎2カ所でナチスに関連した物品が見つかったことから、連邦軍の監察官が全兵舎の検査を命令したと発表した。フランス北東部のイルキルシュにある仏独合同旅団の駐屯地で、ナチス・ドイツ時代のドイツ国防軍に関連した物品が共有スペースに置かれていたのが見つかったほか、ドイツ南西部ドナウエッシンゲンのフュルステンベルクでは、ナチス時代のヘルメットが陳列キャビネットに置かれていたことが6日に判明した。独誌シュピーゲルによると、壁にはドイツ国防軍の兵士の写真が壁に掲げられており、ナチス時代の銃やヘルメット、軍の装飾品が置かれていたという。国防省広報官がロイター通信に語ったところによると、国内法が禁じるカギ十字などのナチスのシンボルがあしらわれた物品は見つかっていない。
 これに先立ち、28歳の陸軍将校がシリア難民を装った攻撃を計画していたとされており、ドイツ軍内の極右思想が問題になっている。フランクフルトの検察は、同将校には「外国人排斥思想の背景」があると指摘した。ドイツのウルズラ・フォン・デア・ライエン国防相は計画されていた訪米を取りやめ、急遽(きゅうきょ)、将校が生活していたイルキルシュの兵舎を訪問。その際にドイツ国防軍に関連した物品が見つかったという。フォン・デア・ライエン国防相は今月3日に、現代の連邦軍の中で、ドイツ国防軍を崇拝するような行為は許されないと語っていた。国防相は今回の問題は単独の事例ではないと指摘。「団結心が何であるかを誤解した」軍幹部らが、「見て見ぬふり」をしていたと批判した。しかし反対勢力から、軍全体の名誉を傷つける発言だと批判された国防相は、調子が強すぎた謝罪している。
(5月8日、BBC)

西側自由主義国の中でも最もリベラルで、「軍隊の民主化」の手本とされたドイツ連邦軍で、難民政策を推進する政府枢要に対するテロ計画が発覚、さらに軍内でナチス時代への郷愁を思わせる傾向が発見されている。特に先のテロ計画では、軍の内外に武器、弾薬、情報を提供した協力者の存在が確認されており、事態の深刻さをうかがわせる。
特に今回の場合は、退役軍人ではなく、現職の士官が主導していたことで、連邦軍の存在意義や士官教育に対する疑義が生じている。また、「上層部が知っていて見て見ぬふりをしていた」辺りは、日本の5・15事件や2・26事件を彷彿させる。

日本でも航空幕僚長が、航空自衛隊がイラクで行っていた空輸活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決について「そんなの関係ねぇ」と言ったり、同じく航空自衛隊内で皇国史観の学習会が開かれていたりしたことなどが発覚しているものの、自由民主主義体制に対して暴力行使する計画までは、少なくとも表向きは出ていない。

どのような体制であれ、暴力装置である以上は常に暴発するリスクがある、というだけの話であり、ドイツですら例外たり得ないということなのだが、やはりかつて最も民主的だったはずのワイマール体制がナチズムに支配された経験があるだけに、もともと帝政で軍部の発言が強かった日本とはショックの大きさが違うのだろう。

欧州の場合、国家主権の相当部分、特に経済と金融政策の自律性がEUに奪われているため、国内の貧困やEU内経済格差に対して民族国家としてできることが非常に限られており、国内の貧困解消を掲げて決起した2・26事件と似たような背景事情を抱えている。EUの中で最も裕福なはずのドイツで、これが起きたということは、政府や議会がリベラル過ぎると、逆に反乱の芽を育ててしまう可能性を示している。
今後の政権選択によるが、反露、反テロを掲げ続ける場合、軍拡は避けられないが、同時に軍の発言力と暴発リスクを増大させるという課題が生じる。

日本の場合、(欧米基準で言えば)最初から極右政権が成立して、対中・対北強硬策を打ち出しているだけに、自衛隊内部の不満は大きくないかもしれないが、強硬策に比して軍拡の度合いが小さいため、「言ってることとやってることが違うじゃねぇか」という不満は高まってゆくかもしれない。つまり、強硬策を採り続ける場合は、軍拡する必要があるわけだが、今度は暴力装置の肥大化を生み、それはそれで暴発リスクを大きくするという課題を抱えている。
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2017年05月11日

フランスは今日もグダグダ

【ルペン氏「国民は変わらない政治に投票した」】
 7日に行われたフランス大統領選の決選投票で、極右・国民戦線のルペン氏は約34%を得票した。ルペン氏への支持は自国を優先する内向き志向がフランスに広がっている状況を示している。「国民はこれまでと変わらない政治に投票した」ルペン氏は7日夜、パリでの集会でこう語り、悔しさをにじませた。選挙期間中、ルペン氏は反グローバル化や欧州連合(EU)離脱を掲げ、EU統合を推進するマクロン氏と真っ向から対立した。マクロン氏の地元にある、国外への移転が決まっていた工場に乗り込んで存続を訴えるなど、地域や住民を二分しかねないテーマを争点化した。国民戦線はもともと移民が多い南部が地盤だが、産業が衰退した北東部で保護主義的な政策を訴え、支持を伸ばしてきた。市場の国際化が進み、激しい価格競争を強いられている農民らへの浸透も進む。
(5月8日、読売新聞)

【「マクロン氏辞めろ」仏で大規模デモ 大統領選一夜明け】
 フランス大統領選の決選投票から一夜明けた8日、次期大統領に決まったエマニュエル・マクロン氏に反対する大規模なデモがパリ市内であった。就任は14日だが、デモでは辞退を求める声もあり、今後の政権運営の厳しさをうかがわせた。デモは左派系の市民団体などが呼びかけた。パリ中心部のレピュブリック広場からバスチーユ広場まで、約1・5キロメートルの大通りいっぱいに並んで行進した参加者は「1日で十分。マクロン氏は辞めろ」「7日は(敗れた右翼・国民戦線の)ルペン氏と戦った。今日はマクロン氏に抵抗する」などと訴えた。デモ隊と警官隊が衝突する場面もあった。今回の決選投票の投票率は歴史的な低さで、マクロン氏は国民から広範に支持を得ているわけではない。パリに住むIT技術者のアメリエ・ゴーティエさん(43)は「マクロン氏が掲げる労働規制の緩和で、労働者は守られなくなる。市民の本当の生活を分かっているとは思えない」と話した。
(5月9日、朝日新聞)

当選したマクロン氏は決選投票で65%を獲得したものの、これは有効投票中の得票率であり、実は投票率そのものは74%で、投票数の11%(約400万票!)が白票・無効票だったことを考えると、全有権者の43%からしか支持されておらず、ルペン氏は同22%であったことが分かる。
そもそもマ氏が勝利したのは、本来の保守派候補がスキャンダルで脱落し、相対的に支持が上回ったためであり、議会に支持基盤を持たないことを加えても、相当に厳しい政権運営を余儀なくされるだろう。

一方、ル氏は決選投票を意識しすぎて、「脱EU」を撤回してしまうなど自らの主張を徹底できなかったことが徒になってしまった感じがある。ル氏としては、「フランス・フランの復活で金融政策の自律性を取り戻し、保護貿易で国内産業を独自に再建、国内雇用を確保して景気を回復する」「露仏同盟でドイツ・中欧同盟を包囲する」と堂々と主張した方が、勝てないまでも票を伸ばしたはずであり、「次」へのチャンスも残したはずだった。一回目の投票で反EU票はメランションや他の左翼票を含めて43%以上に上ったのだから、「脱EU」は十分な対抗軸になり得た。
ゲーム的に表現するなら、目の前のわずかな得点に固執して大局を見失った形で惜しいところだ。

マ氏の政策は、オランド氏の新自由主義路線を加速させるだけの話で、基本路線は従来のものを踏襲している。その意味でル氏の敗戦の弁は正しい。新自由主義路線は、さらなる移民や外国人労働者を呼び込んで、国内の労働条件を悪化させ、経済格差や地方の疲弊を加速させる可能性が高く、同時にフランスのドイツ従属(欧州銀行への従属)を強める結果にしかならず、「反EU」「排外主義」「保護貿易」支持層を増やすのは間違いない。EUというのは、域内での経済的自由を保障する一方で、地域の経済的自立を保障せず、かといって日本の地方交付金のような域内の格差を是正するシステムも無いだけに、圧倒的に「強い者が勝つ」システムで、敗者を救済する術を持たない。
つまり、「親EU」のマクロン氏の政策は、「敗者」を増やすと同時にフランスが弱者を救済する術を持たない(経済自律性の放棄)ことを宣言するものであり、構造的に「反EU」の支持層が増える形になっているだけに、ルペン氏は勝負を急ぐべきでは無かった。

それにしても、毎度のことだが、世界あるいは欧州情勢が混沌としている時は、フランス政治が真っ先にグダグダになってしまうのは、もはや「お家芸」と言えるレベルだろう。

【追記】
先日、フランスの専門家の先生がマクロン大統領に期待する旨の話をされていたが、「お前のエリート主義とリベラリズムがポピュリズムの源泉になっているんじゃねぇか!」と叫んでやりたかった。
posted by ケン at 13:42| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする