2016年06月25日

英国でもエリート不信

【英、EU離脱へ=欧州分裂、大きな岐路に―残留派に僅差で勝利・国民投票】
 英国の欧州連合(EU)残留か離脱かを問う国民投票は、23日午後10時(日本時間24日午前6時)から全国382カ所の開票所で開票作業が行われ、BBC放送によれば、離脱支持票が僅差で残留支持を上回り、過半数に達する見通しとなった。この直撃を受けた東京外国為替市場は大混乱に陥り、「安全資産」とされる円に投資家の資金が逃避。一時1ドル=100円を突破した。英ポンドは売りが売りを呼ぶ暴落状態となった。日経平均株価も一時1300円を超えて暴落した。
(6月24日、時事通信抜粋)


先にフランスにおけるエリート不信の問題について書いたが、英国でも同様の問題が噴出している。
今回の国民投票では、保守党も労働党も党内で議論が分かれ、残留派と離脱派に分かれて双方がののしり合いを展開、党員や市民の政党離れを加速してしまっている。
政党に関係なく、主にエリート層が残留を主張し、「EUを離脱すれば英国は経済破綻して、生活はドン底に」的な脅迫じみたプロパガンダを展開してはみたものの、十分に浸透せず、逆に「金持ちがあれだけ残留を主張しているということは、貧乏人にとっては離脱の一手だ」というエリート不信を加速、離脱派をむしろ後押ししてしまったように見受けられる。

実際、貧困層からすれば、EU加盟に伴って東欧出身の労働者が急増して賃金が低下、さらにアラブからの難民が増えて、低賃金雇用すら危機にさらされている。貧困層を直撃している危機に対し、エリート層は十分な対応策を打ち出せず、むしろ緊縮財政を進めることで、同層をますます追いつめてしまっている。
結果、貧困層からすれば、「EUから離脱したからといってすぐさま生活が良くなるわけではないかもしれないが、少なくともEUに残留し続けるよりはマシだ」ということになっている。これに対し、エリート層は、「離脱すれば、GDPが10%低下し、物価は10%上がる」などと呼びかけるが、貧困層からすれば、「困るのは金持ちであって、財産の無い俺らじゃない」と応じるだけの話で、コミュニケーションが成り立たなくなっている。

ところが、現実には英国はユーロを採用しておらず、独自通貨であるため、混乱はあるにせよ、政治要因であるため一過性に終わるものと考えられる。関税については、新たに条約を締結するコストは掛かるものの、EUが英国を排除する特段の理由もなく、現行に近い低関税になるだろう。エリートが忌避するのは、新たに発生する交渉コストであって、それは貧困層には無縁のものだ。
実は、デモクラシーの点で、EUが難しいのは、民族国家の主権をEUに移譲するも、EU議会の権限は限られていて、顔の見えないEU官僚が大権を握っているため、個々の市民の主権の影響力が著しく小さいものになってしまう点にある。実際、英国市民は、東欧などからの低賃金労働者や無尽蔵に来る難民に対し、いかなる主権も行使できない格好にある。離脱派が「市民に主権を取り戻せ」と主張するのはこのためだが、エリート層にはそれが理解できず、説得不能な状態に置かれている。結果、エリート層が騒げば騒ぐほど、貧困層が不信を強める構造になっている。

もう一つの問題は、国民投票自体の難しさである。「EUを離脱するか、残留するか」という重大な社会的選択を、「イエス、オア、ノー」二択で決めてしまい、しかも超僅差で決定しまったことは、今後の意思決定に重大な禍根を残す恐れがある。具体的には、スコットランドの独立が再燃したり、他のEU諸国でも離脱が加速したりする懸念がある。
国民投票は、デモクラシーを構成する重要な要素かもしれないが、その運用はごく慎重であるべきだと考える。

【参考】 原発国民投票に見る社会的選択のあり方について

【追記】
今回の参院選では野党を中心に「自公が3分の2をとったら大変なことになる」とプロパガンダを打っているが、有権者に十分浸透していないのも、基本的には同じ理由から説明される。平和な現行憲法下で、急速に貧困化が進んでいるのに対し、「平和を守れ」「改憲反対」と主張してみたところで、貧困層からすれば、「その憲法や平和が、オレらの生活を苦しめているのでは?」という反応にしかならず、むしろ「憲法を改正すれば、全て良くなる」式の安倍一派の支持を増やしてしまう可能性がある。ケン先生的には、「貧困解消」と「過剰労働の解消」をこそ争点にしなければ、支持が広がらないと進言しているのだが、全く聞き入れられないのが実情だ。

【追記】
イギリスのEU離脱について、エリート評論家たちがこぞって「ポピュリズム」だの「愚かな選択」だの述べているが、仮に日本がEUに加盟していたら、一方的に緊縮財政を求められ、消費税が即20%になるか、社会保障給付費が半分近くになってしまい、主権者たる国民は蚊帳の外に置かれたまま苦悶していたはずだ。おそらくは数カ月と持たずに怨嗟の声が上がり、「EU離脱」が過半数に及ぶだろう。あの連中は、EUの本質を指摘せずに、ある種の世論誘導を行っているに過ぎない。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

ねじれまくるフランス−エリートの退廃

フランスで、政府が議会での採決を経ずに強行成立させた労働法改正法案に抗議する大規模デモやストライキが激化し、3日連続で公共交通機関に支障が出ている。19日には首都パリで1万4000人がデモ行進し、一部が治安部隊と衝突した。抗議行動が2か月に及ぶ中、強硬姿勢を強めるエマニュエル・バルス首相は、港や製油所、空港などでのデモの強制排除に乗り出す可能性に言及。18日に暴徒化したデモ隊が警察車両を襲撃し放火した一件について、「厳しく処罰する」と言明した。労働法改正についてフランソワ・オランド政権は、硬直したフランスの労働市場の柔軟性を高め雇用を創出すると説明しているが、反対派は雇用の安定を脅かすだけだとして反発を強めている。
(5月20日、AFP)

20年ほど昔、私が住んでいた時もよくあったが、パリはストライキでゴミの収集が行われず、そこここにゴミの山ができているという。
社会党の大統領が解雇規制を緩和する労働法改正を大統領権限で強行成立させ、議会の保守派から不信任案を提出されてしまった上、デモ隊やスト参加者を「テロリスト」呼ばわりして強硬姿勢を示すという、ねじれ過ぎてナゾな事態に陥っている。鉄道員・パルチザン上がりのミッテランも草葉の陰で泣いていることだろう。

「フランス人は直接行動が好きだから」という声はあるものの、仮に私がフランス人だったとしても、「サルコジならともかく、なんで社会党のオランドが労働法を改悪するんだよ!」とブチ切れたに違いない。本来、ブルーカラーや公務労働者から支持を得ていたはずの社会党が、解雇規制を緩和する法案を強行してしまったのだから、民意の反映を重視するデモクラシーの原則から逸脱しているのだ。社会党支持層からすれば、「労働者保護」を党に委任したはずが、手のひらを返された上に、テロリスト呼ばわりされたのだから、これで怒らない方がおかしいだろう。
こうした現象が起きるのは、社会構造の変化に対して、既存政党が従来の主張(支持層)を守ることで十分に対応できなくなるためだ。フランスの場合、共和党(旧国民運動連合)が経営者層やホワイトカラー層を代表、かつては地方の商工業者もここに含まれたがFNに奪われている。そして、社会党などの左派は公務労働者とブルーカラー層を代表していたが、ブルーカラー層の票がFNに逃げている。また、地域的には移民の多い南部と鉱工業の衰退が著しい北部において、FNが激しく進出している。
ところが、これに対して既存政党は社会構造の変化を十分に認識せず(知っていながら認めていない可能性もある)、従来の政策を変更して失った支持層の回復に努めないため、国民戦線の伸張を許してしまっている。
フランスの場合、右派ならば移民を規制して地方の商工業の振興策を取り入れるべきだし、左派ならば公務労働重視を是正しつつ、国内企業・工場の保護に重点を置くべきだった。それをせずに、ただFNを「極右」とレッテルを貼って攻撃してみたところで、ワイマール・ドイツの二の舞に終わるだろう。

また、私的に特に問題を感じているのは、フランス社会党が余りにもエリート主義に偏ってしまっている点だ。オランド氏や元首相のロワイヤル女史、オランドと大統領候補の座を争ったオブリー女史など、左右にかかわらず皆ENA(国立行政学院)やパリ政治学院の出身で、官僚や弁護士を務めている。共和党と対抗しつつ、行政府の上に立つ政権担当能力の点では十分な人材が確保されているのだろうが、その反面、社会党の支持層や周辺の有権者のニーズを取り込んで党の政策に反映させる能力が低下しているように思われる。
フランスにおける既存政党の難しさについて

フランスと日本が似ているのは、左右やイデオロギーに関係なく、主要政党の幹部の座をエリートが占めた結果、似たような政策しか打ち出せなくなってしまい、支持層の要求と乖離しつつあるということだ。しかも、フランスのサルコジ氏、日本の小泉氏や安倍氏のように、むしろ右派の方がエリート臭を感じさせない者を前面に出し(実際のキャリアは別にして)、左派の方がオランド(行政学院、会計検査院)、ロワイヤル(行政学院、判事)、岡田(東大、通産官僚)、山尾(東大、検事)氏のようにエリート臭プンプンの者ばかり目立ってしまっている。米国大統領選でも、クリントン女史が蛇蝎のように嫌われているのは、そのエリート臭故だろうと思われる。

エリートの弱点は、有権者・支持者の期待に鈍感であることと、その鈍感さ故に、環境に影響されること無く全体最適を求めてしまう点にあるが、これは「短期的な視野狭窄に陥らず、大所高所から判断できる」強みの裏返しでもある。
民主党政権下で、鳩山・小沢路線を放棄した菅政権が、消費増税とTPPに邁進したのも同じ原理から説明できる。菅直人自身はエリート系ではないが、政権を実質的に支配していたのが霞ヶ関の財務省だったからだ。

今回の英国におけるEU離脱騒動もよく似た構図だが、エリートが「大所高所」から「国民のため」と勧める政策の多くが、大衆にとって、少なくとも現状や短期的将来においてマイナスでしか無いものばかりであるため、大きな齟齬が生じている。
フランスの解雇規制が厳しすぎることは何十年も前から指摘されており、わずかずつながら緩和されてきたが、それが「わずか」で終わっていたのは社会党などの左派が反対していたからだったためで、オランド氏としては「労働市場の循環による経済活性化をしなければ、国際競争に勝てない」を考えて、社会党こそが実行しなければなるまいと信じたのであろうが、国民、特に社会党支持者からすれば「余計なお世話」でしかなく、「お前にそんなことを委任した覚えは無い」と反応するのは避けられなかった。しかも結果として、社会党の支持層の多くが、国民戦線(FN)に流れてしまい、社会党は党勢の維持すら困難になりつつある。

こうしたエリートの発想は、市場原理と経済効率を優先するあまり、大衆の生活水準や階級対立・経済格差に対して鈍感になりすぎる傾向がある。水野和夫先生の説ではないが、利息が極限まで低下し、マイナス金利が常態化している先進国では、もはや中間層や下層から収奪することでしか利益を上げられなくなっており、その結果、経済効率を追求すればするほど、労働収奪が強められることになっている。だが、エリートの鈍感さは、それを「皆さんのためですから」と平気な顔で言わせてしまうため、みなブチ切れて「極右」などに走って行っているのであって、それを「極右」などと非難してみたところで、何も改善しないだろう。

我々、左派こそがエリート主義からの脱却を進めるべきであり、日本の民進党でいえば、岡田氏や山尾氏などに意思決定権を委ねて何度選挙してみたところで、勝利はおぼつかないであろう。
posted by ケン at 15:16| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

孤立回避でロシア頼みも?

【北方領土 菅官房長官「4島帰属問題解決する立場変わらない」 日露首脳会談の「新たな発想」で】
 菅義偉官房長官は9日午前の記者会見で、6日の日露首脳会談後で、安倍晋三首相が北方領土問題について「新たな発想」に基づく交渉を呼びかけたことについて「4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結する日本側の基本的立場に何ら変更はない」と述べ、従来通り日本固有の領土である4島の返還を求めていく考えを明らかにした。首脳会談について「非常に充実した会談となり、首脳間の個人的信頼関係もさらに深まったと考えている」と評価。その上で「今までの発想にとらわれない新しいアプローチで、日露2国間の視点だけでなく、グローバルな視点も考慮し、未来志向の考えに立って交渉を行うことで一致した」と述べた。
(5月9日、産経新聞)

トランプ氏が米国共和党の大統領候補となり、「日米同盟」の危機が現実のものとなり、頼みの綱としていた「日豪同盟」も袖にされ、安倍政権・霞ヶ関の対中強硬路線は破綻しつつある。それだけに、「対中包囲網」におけるロシアへの依存度が高まりつつある。
今回の訪ロは、日本側の懇願によって成立しているが、この間ロシア側は「実が無いのに何しに来るんだよ」とずっと言い続けてきた。「ロシアは国際的に孤立しているから、日本からの申し出は涙が出るほど嬉しいに違いない」というのは、日本人の高慢な思い込みに過ぎない。ロシア人にとって外交的孤立は「いつものこと」である上、中国やイラン、インドとの関係を考えれば、「ロシアは孤立している」という認識自体が、西側人の誤った認識に過ぎない。

日露交渉が成立し得ないのは、日本が日ソ共同宣言を実質的に反故にしているからであり、日本側が同条約を忠実に履行する(平和条約締結後に二島引き渡し)と宣言すれば、すぐにも解決する話だ。だが、安倍政権が「四島」と言い続ける限り、それはあり得ない。
とはいえ、例えばトランプ氏が大統領になって米軍がアジアから撤退することになれば、日本は外交自主権を取り戻し、「ダレスの呪縛」に囚われること無く、ロシア側と交渉できるようになり、その時こそ最終解決のタイミングとなるだろう。

岸田外相訪ロの意味 
北方領土問題についての基本的理解 

とはいえ、今日の本題はそこではない。
6日に行われた日露首脳会談。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチが「Вы(貴方)」と話しかけたところ、晋三氏は「ウラジーミル(呼び捨て)」「Ты(君、お前)」と返している。前回や前々回もそうだったが、いい加減気づけよと。ロシア語では、「名前+父称」が「親しい仲にも礼儀あり」の呼び方で、公式の場において他者を名前のみで呼ぶ文化はない。しかも、日本側が懇願して訪ロさせてもらっているのだから、礼を尽くすべきは日本側でなければならない。
例えば、ブレジネフの葬儀に際し、アンドロポフ葬儀委員長は「さらば、親愛なるレオニード・イリイッチ!あなたの記憶は決してわれわれの心から消えないだろう」と弔辞を読んでいるが、日本の首相はロシア大統領を呼び捨てにするのかという話である。

クレムリンの記録を見ると、プーチン氏が「尊敬する首相にして、親愛なる友よ!」と呼び掛けたのに対し、安倍氏は「ヴラジーミルとは2014年のソチ以来だな!」と返している。クレムリンが、わざわざ「修正」せずに、呼び捨てを残しているのは、日本側の「無礼」を公式記録に残す意図があった可能性がある。
これだけ見ても、日本の外務省の無能ぶりがよく分かるだろう。

あるいは、外務省は日米関係を保持するために、日露関係を敢えて破綻させるべく、総理に無礼な言葉遣いをさせている可能性も否めない。
以前、ボスが外務委員会で北方領土問題について質問しようとして、現地の新聞報道を根拠にしたところ、質問採りに来た下級ヤクニンが平然と「ロシアの新聞はウソばかりですから」と鼻で笑ったことがある。こういう連中が日本の外交を担っているのだから、何をやっても成功するはずが無いだろう。
posted by ケン at 12:30| Comment(4) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月10日

豪州次期潜水艦選定の背景を考える

オーストラリアの次期主力潜水艦の選定について、「楽勝」と考えていた日本が選ばれず、技術的に劣ると考えられていたフランスが選ばれた。日本側の、特に「軍事専門家」の皆さんは、「技術で他を圧倒している日本を選ばないとかバカじゃ無いの?」位の勢いで口汚く罵っているが、これは専門家が陥りやすい陥穽だ。

日清戦争、日露戦争、日米戦争のどのケースでも、軍事専門家の大半が「戦うなら今しか無い」という判断を下したが、その結果、日清戦争は日本の外交的孤立とロシアとの決定的対立を招き、日露戦争は日本の国家財政を決定的に悪化させた上に、ソ連という新たな大敵をつくってしまった。日米戦争については言うまでも無い。
専門家の視点というのは、非常に狭い分野に限られているため、異なる分野の要素を分析から排除し、長期的な予測を難しくしている。
例えば、日清戦争に際し、日本の軍人は「北洋軍閥には勝てる」との分析を行うが、日本が山海関を超えて中国本土に進撃した場合の対外的影響については全く考慮しておらず、戦勝にかまけて清に過剰な領土要求をしたところ、三国干渉を招いた。また、日清戦争の政治的目的は、朝鮮半島における清国の影響力を排除して日本の影響下に置くことだった。ところが、実際には清国の影響力こそ排除したものの、日本の影響圏に置くことには失敗し、朝鮮王室のロシア傾斜を強めてしまった。今日の歴史評価も、軍事的勝利にばかり焦点が当てられ、その後の政治的敗北については殆ど論じられることがない。それがまた、日本人の軍事傾斜を加速させている。

今回の豪州の兵器選定は、軍事より政治を優先させたものであることは明白で、それはむしろシヴィリアン・コントロールが効いていることを示している。確かに兵器性能という点では、日本の「そうりゅう」型が優れていたかもしれないが、日本を選ぶということは、政治的には「豪米日同盟」を選ぶことを意味し、長期的に同盟関係への依存を余儀なくされる。それは、同時に日本の対中強硬路線に引きずられることを意味する。日本政府は、日米同盟を維持するために、対中・対ロ強硬路線を採っており、アメリカが「アジアからの撤退」をほのめかすほど、対中脅威を声高に主張しなければならず、日中軍事衝突のリスクが高まってゆく。
だが、オーストラリアからすれば、中国との軍事衝突に巻き込まれて良いことなど何一つ無く、逆に最も有力な貿易相手国であり、可能な限り対立は避けたいはずだ。つまり、豪州人からすれば、日本の提案は「オレ様の優秀な潜水艦を売ってやるから、一緒に中国と戦おうや。ヤンキーもやるって言ってるしさ〜」という「悪魔の誘惑」でしかない。喩えるなら、ナチス・ドイツが「三号戦車とメッサーシュミットを提供するから、対ソ戦に加われや」と言っているようなものなのだ。だが、当時のハンガリーやルーマニアと違い、オーストラリアには中国と戦争しなければならない理由もなければ、日本の誘いを断ることで生じるデメリットも無い。

豪州が採ったフランスという選択肢は、「西側陣営には残るけど、豪米日同盟は遠慮します」「中国と戦争するつもりはありません」という方向性を示したものと言える。
軍事面からしか国際政治を語れない「専門家」は、日清・日露・日米戦争と同じ過ちを何度でも繰り返すことになるだろう。
posted by ケン at 12:43| Comment(4) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

【事前ノート】ペレストロイカを再検証する

狭い業界だから誰とは言わないが、歴としたロシア・ソ連研究者が「ゴルバチョフは、自らの改革のスピードについていけなくなって、行動不能に陥り、支持を失っていった」旨を述べているのを見て驚かされた。また、ゴルバチョフがインタビューで、ソ連崩壊の一因として「原油安」や「チェルノブイリ」を挙げているのにも、「おいこら、ちょっと待てや!」と声を上げてしまった。さらには、大御所の先生までもが、「1990年頃には、ソ連という国は事実上の社会主義離れを遂げつつあった」と書いているのを見るに至り、絶望的な気分にさせられた。一つには、歴史学や政治学の視点と、経済学の視点では、評価が異なりうることがあるのだろうが、現地で生活した者として、また今現在政治の現場にある者として、違和感を覚える見解ばかりだった。
「ソ連はなぜ崩壊したか」は、私にとって非常に重要なテーマの一つであり、ずっと細々と資料を読み込んできたが、定説化しつつある評価がどうにも納得がいかないので、一念発起して中間報告的な記事を書こうと準備している。

日本における一般的なペレストロイカの評価は、大きな危機意識を持ったゴルバチョフが共産党書記長の座について「上からの改革」を進めると同時に、「下からの運動」を推奨したところ、改革のスピードが現実に追いつかなくなり、保守派と急進派の板挟みになったゴルバチョフは身動きが取れなくなって、大衆的支持を失っていった、というストーリーに基づいている。それは、優秀な指導者が孤軍奮闘するも、時代の大波に飲み込まれて挫折していったというストーリーであり、大衆の判官贔屓を刺激するものではある。
だが、経済史の側面を注視すると、悲劇よりも喜劇的とすら言える流れが観測される。

例えば、ペレストロイカは1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとともに始まったと見て良いが、その目的は文字通り「(国家)再建」にあった。話は前後するが、結果的にソ連を崩壊させたのは財政的要因が大きく、一義的には市場経済化による経済成長を実現できなかったこと、二義的にはアメリカとの軍拡競争の財政負担に堪えられなくなったこと、三番目の理由として同盟国支援の経済負担に堪えられなくなったことがある。
つまり、ゴルバチョフがどこまで自覚的だったかは別にして、ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。大御所が指摘するところの「社会主義離れ」とは裏腹に、現実は全く「社会主義離れ」ができなかったのだ。

社会主義体制下では「存在しない」とされた財政赤字を実質的に補填していたのが、資源輸出だったわけだが、1980年代後半には原油価格が低迷し、その赤字補填力は失われていった。ゴルバチョフはこれをペレストロイカ失敗の要因の一つに挙げているわけだが、凄まじい放漫財政を放置したまま、外的要因による歳入不足に失政の責任を負わせるのは、為政者として公正な評価とは言えない。なお、西側では、チェルノブイリ事故処理費やアフガニスタン戦費が財政に大打撃を与えたと今日でも信じられているが、89年で前者は60億ルーブル、後者は50億ルーブルで、歳出に占める割合は各々1%程度と、一国を崩壊させる要因と言えるものではなかったことが分かっている。

つまり、1990年の時点でペレストロイカの改革は殆ど進んでおらず、目標達成の目処すら立っていなかった。かろうじて合格点を出せるのは、「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」であったが、それは他の問題をカバーできるほどのものではなかった。
卑俗に喩えるなら、ゴルバチョフは、四教科の宿題を出されながらも何一つまともに終わらせることなく、新学期を迎えてしまった小学生でしかない。

ゲームで喩えるともっと分かりやすい。GJ社の『信長最大の危機』は、織田信長が、「浅井・朝倉」「本願寺」「三好三人衆」などの敵に囲まれる中、さらに「武田」「毛利」「上杉」から攻め込まれるシチュエーションになっている。後半の強敵のうち最も早く参戦するのが武田信玄なのだが、武田が参戦する前に「浅井・朝倉」「長島一揆」「三好三人衆」のうち最低2つ片付けられる(滅亡させる)かどうかが、織田家勝利のカギとなっている。これを我々は「宿題」と言うわけだが、宿題を片付ける前に武田が参戦してしまうと、兵力の集中ができず、武田に有効な打撃を与えられないため、そのうち毛利と挟み撃ちにあって投了せざるを得なくなる。逆に「宿題」をきちんと片付けられれば、信長は余裕を持って信玄と対峙できるので、信玄側も防勢に立たざるを得なくなる。
ゲームプレイヤーとしてのゴルバチョフは、「浅井・朝倉」も「長島一揆」も手を付けぬまま、武田と毛利に攻め込まれて瓦解してしまった信長みたいなものだった。そこでもう一度、1990年時点のゴルバチョフの宿題進捗度を確認してみよう。
・市場経済化による経済再生:企業民営化率1%、自由価格率5%

・軍備負担の削減と軍需産業の民需転換:軍事費ほぼ横ばい、軍需部門における民生品生産は統計上40%を超えるも実態は微妙。

・同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化:対社会主義国貿易比率は86年の67%から89年で62%に。駐独ソ連軍の撤退開始は89年。

・補助金漬けの赤字財政の解消:食糧価格調整金、企業補助金ともに割合増加。

これを見て、合格点をやる教師はいないだろう。ペレストロイカでゴルバチョフが優先すべきは、「民主化」ではなく「経済再生」だった。国営企業の民営化を促進し、価格を含む流通の自由化を進め、重工業偏重を改めて資本をハイテク産業と軽工業に充て、国家財政を食い潰していた各種補助金を大幅にカットして健全化する必要があった。だが、現実にはどれも実現すること無く、時間切れを迎えたのが、ペレストロイカだった。ゴルバチョフの失敗は、経済改革で発動すべき強権を、自らの民主化改革で手放してしまい、制御不能に陥ってしまったことにある。また、ゴルバチョフ自身も、時期の確認はできないが、ペレストロイカ末期にスリューニコフ経済担当書記が、軍需部門の投資予算を民生消費財の購入に回す提案を行った際に、これを拒否していることからも、どこまで「ゲーム(勝利条件)」を理解していたか疑問符を付けざるを得ない。
ゴルバチョフは、「改革派」として政治局でも中央委員会でも満場一致で選出されながら、いざ諸改革を進める段になると、共産党員はほぼ例外なく抵抗していた。「総論賛成各論反対」の極地とも言える現象だったが、これを排除するためには、スターリンばりの強権が必要であることに、本人は最後まで気づかなかった、あるいは考えないようにしていたと見られる。
これらを全てゴルバチョフ個人の責任に帰するのは無理があるものの、「分かっているはずの宿題をやらなかった(できなかった)」理由と原因については明確にする必要がある。それは、今後の日本の運命を占う上で貴重な教訓となるはずだ。

【追記】
ゴルバチョフは、言うなれば、無自覚なまま西側社会に対して「接待プレイ」を演じて自国を崩壊させてしまったゲームプレイヤーだった。その「接待プレイ」故に、西側では今日に至るまで高く評価されているが、ロシアでは今日でも最低級の評価しか与えられていないのは、以上の理由から説明される。2011年にレヴァダ・センターが行った世論調査では、ロシア人の6割が「ソ連解体は回避できた」と回答、「解体は必然的だった」の約2倍に達している。もっとも同調査では、半数がペレストロイカそのものに否定的であり、改革開始から四半世紀を経てもなお、ソ連型システムに疑問を抱いていないことを示しており、その評価は単純にはできないことも確かだ。
ソ連崩壊後、エリツィン政権下でソ連の工業資本は西側に買い叩かれたが、その全評価額はわずか50億ドルに過ぎなかった。エリツイン政権は、国営企業の株式と交換できるバウチャーを発行し、国民に無償で配布、国民はこれを委託・直接投資して、民営化が図られた。しかし、現実にはバウチャーの買い占めと転売が行われ、大衆の多くが資産を失い、巨大財閥が誕生し、現在に至るまでその禍根を残すこととなった。プーチン氏が、オルガルヒ(巨大財閥)を叩いて絶大な支持を得ているのも、ここに理由がある。これが理解できない、あるいは無視しているがために、メディアに登場するロシア分析は常に全く的外れのものばかりとなっている。

【追記2】
1989年から頻発した炭鉱ストにおける労働者側の要求の一つに、「月800グラムの石鹸の増配」というものがあった。アメリカと世界を二分していたはずのソ連と共産党政府は、この程度のものすら供給できず、ストライキされてしまうような存在であったことを、再確認しておく必要がある。つまり、社会主義を云々する以前に、統制経済・計画経済であるにもかかわらず、全く統制も計画もできなくなって、自由経済・市場経済に移行しようとして、それもできなかったのが、ゴルバチョフ政権の実情だった。
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2016年04月16日

我々は東側を笑えない

ポーランド製ボードゲーム「行列(コレイカ)」が色々なところで話題になっている。私の周辺でも「旧共産国のブラックユーモア」ととる向きが強いが、決して日本人にとって他人事では無い。例えば、保育園の待機児童やスーパーのバター不足などは、日本型社会主義がなした結果に過ぎない。
待機児童は、実勢価格や労働賃金に比して、保育料の公定価格が著しく低く抑えられているため、供給に対して需要が急増してしまった結果である。保育料を自由化すれば、基本的には解決する話なのだが、その場合、貧困層や地方では、そもそも子どもを預けられなくなるだろう。つまり、市場が自由化されれば、需給調整は市場に委ねられるが、貧困層は保育サービスが買えなくなり、地方では子育て層が都市に流出することになるだけで、「本当にそれで良いの?」ということになる。
保育士資格者が有り余っているのに、現場に保育士が足りないのも逆の意味で同じだ。自由と平等がバーターになっている典型例と言える。保育は平等を旨とする社会保障の一環であるからこそ、民間では提供できない「低価格」や「地方」をカバーするために公共部門がサービスを供給する仕組みになっているのだが、どうも現代日本人の大半はその辺のことを理解していない。

また、世界的にはバターはむしろ供給過剰気味なのに、カネがある日本に供給が足りないのは、政府が統制しているからに過ぎない。仮に日本で急激なインフレやスタグフレが生じた場合、医者も薬もあるのに、病院や診療所の多くが休業して行列ができ、闇診療が常態化するだろう。これは、日本の医療制度が社会主義システムの公定価格制であるためだ。
日本の医療費が、保険料と窓口負担で賄えず、13兆円を税金で補填、その額が毎年増え続けているのを見ると、ソ連末期の財政とよく似ていることが分かる。ソ連で凄かったことの一つは、1954年から90年までパンの公定価格が一切変わらなかったことだった(70コペイカから1ルーブル)。だが、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は90年度の予算で20%にも達していた。そりゃ無理だわと思うわけだが、自国を振り返って見ると、税収45兆円に対して年金の国庫負担が11兆円、医療費の国庫負担が5兆円(自治体負担が9兆円)に達している。果たして我々はソ連崩壊を「他人事」と見ていて良いだろうか。

ソ連崩壊後、巨大建造群の廃墟が「社会主義の墓場」として喧伝されたが、日本は本四連絡橋を三本も掛け、5兆円の債務を抱えて40年後には耐用年限を迎えようとしている。果たして40年後に三本すべて掛け替える体力があるのかどうか。ペレストロイカでゴルバチョフ政権は、「ウスカレーニエ(改革加速)」と称して西側から得た借款を生産財につぎ込んで全てムダにしてしまったが、日本は北海道新幹線をつくって「予約率が3割にも満たない」と大騒ぎしている。「もんじゅ」なども象徴的だろう。
現代日本人には決定的に想像力と俯瞰的視点が欠けている。私は今一度、ソ連経済の崩壊過程について記事を書こうと思っている。
現地諜報では、ソ連国民の貧しい生活ぶりばかりが報告され、ペレストロイカ以降の西側マスコミ報道でも「商品棚が空になった国営商店」ばかりが映し出されていた。
しかし、現実には「空の商店」はソ連最末期の2〜3年程度の話でしかなく、それ以前にはさほど深刻な品不足は無く、その最末期にしても限定的に許可された自由市場には品物があふれていたのである。
具体的な数字を挙げてみよう。ソ連における耐久消費財の所有状態を示す指標は、100世帯あたりの数字で、テレビが1970年で52、同90年で111に達している。冷蔵・冷凍庫は70年で30、90年で95。自家用車が70年で2、90年で18といった具合。これらは、ソ連に留学、居住していたものの皮膚感覚に近いものがあり、モスクワなどではこれを上回っていたはずだ。ただし、その性能は別だが。
ロシア・ソヴィエトを見る目・下

【参考】
・ポーランド危機をめぐる経済情勢 
・保育所はなぜ足りないのか? 
・公共事業を問い直す・続 
・医療費の肥大化続く 
・ロシア・ソヴィエトを見る目 
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

中東大戦の予兆か

【アゼルバイジャン・アルメニア:停戦合意後、最大の衝突 死者30人超 露・トルコ対立激化も】
 旧ソ連構成国のアゼルバイジャンとアルメニアが領有権を争うナゴルノカラバフ自治州で1日深夜から2日に起きた両国軍の衝突は、3日も続いた。双方で少なくとも計30人の兵士と民間人2人が死亡した模様だ。1994年の停戦合意以降、最大の衝突となり、周辺国を巻き込む形で紛争が拡大する事態が懸念されている。
 アゼルバイジャンはイスラム教が主流の国。歴史的にトルコと親しい関係にある。一方、アルメニアはキリスト教が主体でロシアと親しい国だ。19世紀末にトルコ国内で起きたアルメニア人迫害の歴史を巡り、現在もトルコと対立している。
 今回の衝突で注目されるのはロシアの出方だ。プーチン大統領は2日、軍事衝突に「深い懸念」を表明し、双方に即時停戦を訴えた。ただし、ロシアは昨年以降、アゼルバイジャンと親しいトルコと、関係を急激に悪化させてきた。シリア空爆に参加していた露軍機がトルコ空軍機によって撃墜されたためだ。今回のナゴルノカラバフの軍事衝突が、ロシアとトルコのさらなる対立激化につながる可能性もある。
 トルコ大統領府によると、エルドアン大統領は2日、衝突について「アゼルバイジャンの兄弟たちの勝利を望む」と述べ、アゼルバイジャン側を全面的に支持する姿勢を打ち出した。新たな衝突の背景について、エルドアン氏は、ナゴルノカラバフ問題の平和解決を目指す全欧安保協力機構(OSCE)の「ミンスク・グループ」が「機能していない」と指摘した。グループの主導権は事実上、ロシアが握っており、トルコ側の強い不信感を表明した形だ。
 今回、大規模な衝突に至った背景には(1)豊富な石油資源を背景に近年、経済的に飛躍したアゼルバイジャンが「失地奪回」を掲げている(2)一昨年、ロシアがウクライナ南部クリミア半島を一方的に占拠するなど近隣諸国で新たな領土問題が生まれた(3)アルメニアで昨年、反政府デモが起こるなど政情が不安定となり、アルメニア政府として領土問題で妥協できない−−などが挙げられる。
 ナゴルノカラバフ自治州を実効支配するアルメニア系住民側は3日早朝、アゼルバイジャン軍がロケット砲などで攻撃してきたと明らかにした。アゼルバイジャン国防省は2日、自治州の一部を奪還し、自国軍兵士12人が死亡、アルメニア側兵士を「100人以上死傷させた」と発表した。アルメニア側はこうした情報を否定し、サルキシャン大統領が「自国軍兵士18人が死亡した」と発表した。
 ロシア通信によると、アゼルバイジャン国防省報道官は3日、「一方的に軍事行動を停止する」と述べた。アルメニア国防省報道官は「情報(戦)の策略」と述べ、一方的停戦を否定した。同自治州の帰属を巡る対立は91年のソ連崩壊前後に激化。94年の停戦以降も小規模な軍事衝突が続いていた。
(4月4日、毎日新聞)

イラクとシリアをまたぐ、イスラム国をめぐる内戦がコーカサスに飛び火した形。もともとコーカサスは旧ソ連地域の「火薬庫」であり、中東の戦争が誘爆したと見て良い。

アゼルバイジャン国防省は、「アルメニアが砲撃を止めないなら、本格戦争も辞さない」と「掛かってこい!」とばかりの声明を発表。バクー国立大学ではナゴルノ=カラバフにおける武力行使を支持する学生6千人が集会を行い、「大統領の命令があれば、みな前線に行き、占領地を解放するために闘います」と共同声明を発表している。
これに対して、アルメニア側は義勇兵を募り、カラバフに輸送しつつ、軍を動員。ミサイル部隊も動員しているというが、ミサイルの目標はバクーの油田であろうから、これまた本気のようだ。
ナゴルノカラバフは、1980年代末から90年代にかけて民族対立が激化、紛争が絶えず、ソ連邦崩壊の切っ掛けの一つにもなった。その際に、両者間で住民虐殺や追放が頻発、怨念を残したまま、問題解決せずに今日に至っている。それだけに、両者ともに「やると言うならやるぜ!」という意気込みが強すぎるのだろう。

アゼルバイジャンのアリエフ政権としては、石油価格の低迷が長く続くことで経済疲弊に伴う国民の不満が高まっており、その不満をナショナリズムで解消するという意図が感じられる。権威主義とナショナリズムのコンボは、歴史的に見て常に最悪の結果をもたらしている。
カラバフ地方は、アルメニアとアゼルバイジャンの双方にとって「民族の起源地」とも言うべき「聖地」であり、現実には不毛な高地帯なのだが、「両者ともに譲れない」土地となっている。

本件をめぐっては、アゼル側にトルコ、アルメニア側にロシアがつき、代理戦争の側面もある。今回も早速、トルコがアゼルバイジャンの全面支持を表明し、ロシアが「トルコの謀略」と非難する一方、トルコは「ロシアは介入するな」と警告する始末だ。
ただ、この間、トルコがシリアの反体制派を支援すると同時に、クルド人勢力の討伐を進めたことが、導火線に火を付けてしまった側面は否めない。エルドアン政権としては、中東地域の混乱に乗じて「大トルコ帝国」の復興を図りつつ、かねてよりの天敵であるアルメニアに対して「懲罰を下す(膺懲)」意図もあると見られる。少なくともトルコ政府は、紛争勃発に「欣喜雀躍」しているよう見受けられる。
他方、ロシアは米欧の支援を受けたGUAM(ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァ)から挑戦を受け続け、安全保障上の脅威となっている。ロシアにとってアルメニアは、貴重な親露国であるだけに、軍事大国トルコの全面支援を受けたアゼルバイジャンからの挑戦に対し、友邦を放置するという選択肢は「あり得ない」だろう。とはいえ、ロシアもシリアのアサド政権を支援した関係でトルコとの対立を深めていることが、今回の紛争の遠因の一つになっているわけで、やはり自業自得の観は否めない。

1987年に始まった第一次紛争は、94年の停戦合意まで軍事紛争が続いた。当時、ソ連期の軍配備の関係で、ソヴィエト政府がトルコと直接国境を接するアルメニアに軍を置かず、アゼルバイジャンに配備していた。その結果、ソ連軍の装備の多くがアゼル民兵に流れ、兵数的にもアゼル側が圧倒的優位に立っていた。彼我の差は、兵員で2倍、戦車で3倍以上、航空機に至ってはアルメニア側がほぼゼロだったのに対して、アゼル側は100機前後という始末だった。にもかかわらず、実際の戦闘では、基本的にアルメニア側がアゼル軍を圧倒し、支配権を確立した。
これは一般的には、アゼル軍の士気が低く、特に上層部の腐敗から装備や糧食の横流しが横行していたことと、ロシアが本格的にアルメニア側を支援したことから説明されている。だが、実際にはアルメニア側が「アフガニスタン帰り」の古参兵で組織されていたのに対して、ムスリムが多いアゼル軍はアフガン戦に動員されなかったため、素人しかいなかったことが大きかったと考えられる。今回も、ネット上では「アルメニアの義勇兵は老人ばかり」などと揶揄する声が多く聞かれるが、実は老兵こそアフガンやユーゴ帰りの「ヤバい連中」なのだ。漫画『ゴールデンカムイ』でも、土方歳三が「(北海道で)年寄りを見たら(戊辰戦役の)生き残りと思え」と言っていたが、まさにそれである。恐ろしいことに、航空機を持たないアルメニア側が、アゼル軍のヘリや航空機を30機以上も撃墜している。
同じような傾向は、ウクライナ内戦でも見られ、兵数的にも装備的にも圧倒的優位に立っていたキエフ政府軍側は、「武装勢力」扱いの独立派に対して殆ど有効打を与えられなかった。

いずれにせよ、第二次カラバフ紛争が本格化すれば、さらに戦火が飛び火、拡大してゆく可能性が高いく、今後の行方を注視する必要がある。

【追記】
ナゴルノ・カラバフの「ナゴルノ」はロシア語の「山の上(ナゴルヌィ)」であり、実際は「カラバフ高地」とか「上カラバフ」と訳すべきかもしれない。例えば、ロシアにはノブゴロドの他にニージニーノブゴロド(下ノブゴロド)があり、東京の下北沢とかのイメージに近い。アゼル語だと「ダグリーク・カラバグ」だが、そう言うとアルメニア人が怒りだして収集がつかなくなるため、ロシア語名称を使うほか無い。
また、報道では「自治州」とする向きが強いが、これはソ連時代の名称であり、現在は「ナゴルノカラバフ共和国」(自称)という、いわゆる未承認国家の一つである。
posted by ケン at 13:47| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする