2016年04月29日

【事前ノート】ペレストロイカを再検証する

狭い業界だから誰とは言わないが、歴としたロシア・ソ連研究者が「ゴルバチョフは、自らの改革のスピードについていけなくなって、行動不能に陥り、支持を失っていった」旨を述べているのを見て驚かされた。また、ゴルバチョフがインタビューで、ソ連崩壊の一因として「原油安」や「チェルノブイリ」を挙げているのにも、「おいこら、ちょっと待てや!」と声を上げてしまった。さらには、大御所の先生までもが、「1990年頃には、ソ連という国は事実上の社会主義離れを遂げつつあった」と書いているのを見るに至り、絶望的な気分にさせられた。一つには、歴史学や政治学の視点と、経済学の視点では、評価が異なりうることがあるのだろうが、現地で生活した者として、また今現在政治の現場にある者として、違和感を覚える見解ばかりだった。
「ソ連はなぜ崩壊したか」は、私にとって非常に重要なテーマの一つであり、ずっと細々と資料を読み込んできたが、定説化しつつある評価がどうにも納得がいかないので、一念発起して中間報告的な記事を書こうと準備している。

日本における一般的なペレストロイカの評価は、大きな危機意識を持ったゴルバチョフが共産党書記長の座について「上からの改革」を進めると同時に、「下からの運動」を推奨したところ、改革のスピードが現実に追いつかなくなり、保守派と急進派の板挟みになったゴルバチョフは身動きが取れなくなって、大衆的支持を失っていった、というストーリーに基づいている。それは、優秀な指導者が孤軍奮闘するも、時代の大波に飲み込まれて挫折していったというストーリーであり、大衆の判官贔屓を刺激するものではある。
だが、経済史の側面を注視すると、悲劇よりも喜劇的とすら言える流れが観測される。

例えば、ペレストロイカは1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとともに始まったと見て良いが、その目的は文字通り「(国家)再建」にあった。話は前後するが、結果的にソ連を崩壊させたのは財政的要因が大きく、一義的には市場経済化による経済成長を実現できなかったこと、二義的にはアメリカとの軍拡競争の財政負担に堪えられなくなったこと、三番目の理由として同盟国支援の経済負担に堪えられなくなったことがある。
つまり、ゴルバチョフがどこまで自覚的だったかは別にして、ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。大御所が指摘するところの「社会主義離れ」とは裏腹に、現実は全く「社会主義離れ」ができなかったのだ。

社会主義体制下では「存在しない」とされた財政赤字を実質的に補填していたのが、資源輸出だったわけだが、1980年代後半には原油価格が低迷し、その赤字補填力は失われていった。ゴルバチョフはこれをペレストロイカ失敗の要因の一つに挙げているわけだが、凄まじい放漫財政を放置したまま、外的要因による歳入不足に失政の責任を負わせるのは、為政者として公正な評価とは言えない。なお、西側では、チェルノブイリ事故処理費やアフガニスタン戦費が財政に大打撃を与えたと今日でも信じられているが、89年で前者は60億ルーブル、後者は50億ルーブルで、歳出に占める割合は各々1%程度と、一国を崩壊させる要因と言えるものではなかったことが分かっている。

つまり、1990年の時点でペレストロイカの改革は殆ど進んでおらず、目標達成の目処すら立っていなかった。かろうじて合格点を出せるのは、「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」であったが、それは他の問題をカバーできるほどのものではなかった。
卑俗に喩えるなら、ゴルバチョフは、四教科の宿題を出されながらも何一つまともに終わらせることなく、新学期を迎えてしまった小学生でしかない。

ゲームで喩えるともっと分かりやすい。GJ社の『信長最大の危機』は、織田信長が、「浅井・朝倉」「本願寺」「三好三人衆」などの敵に囲まれる中、さらに「武田」「毛利」「上杉」から攻め込まれるシチュエーションになっている。後半の強敵のうち最も早く参戦するのが武田信玄なのだが、武田が参戦する前に「浅井・朝倉」「長島一揆」「三好三人衆」のうち最低2つ片付けられる(滅亡させる)かどうかが、織田家勝利のカギとなっている。これを我々は「宿題」と言うわけだが、宿題を片付ける前に武田が参戦してしまうと、兵力の集中ができず、武田に有効な打撃を与えられないため、そのうち毛利と挟み撃ちにあって投了せざるを得なくなる。逆に「宿題」をきちんと片付けられれば、信長は余裕を持って信玄と対峙できるので、信玄側も防勢に立たざるを得なくなる。
ゲームプレイヤーとしてのゴルバチョフは、「浅井・朝倉」も「長島一揆」も手を付けぬまま、武田と毛利に攻め込まれて瓦解してしまった信長みたいなものだった。そこでもう一度、1990年時点のゴルバチョフの宿題進捗度を確認してみよう。
・市場経済化による経済再生:企業民営化率1%、自由価格率5%

・軍備負担の削減と軍需産業の民需転換:軍事費ほぼ横ばい、軍需部門における民生品生産は統計上40%を超えるも実態は微妙。

・同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化:対社会主義国貿易比率は86年の67%から89年で62%に。駐独ソ連軍の撤退開始は89年。

・補助金漬けの赤字財政の解消:食糧価格調整金、企業補助金ともに割合増加。

これを見て、合格点をやる教師はいないだろう。ペレストロイカでゴルバチョフが優先すべきは、「民主化」ではなく「経済再生」だった。国営企業の民営化を促進し、価格を含む流通の自由化を進め、重工業偏重を改めて資本をハイテク産業と軽工業に充て、国家財政を食い潰していた各種補助金を大幅にカットして健全化する必要があった。だが、現実にはどれも実現すること無く、時間切れを迎えたのが、ペレストロイカだった。ゴルバチョフの失敗は、経済改革で発動すべき強権を、自らの民主化改革で手放してしまい、制御不能に陥ってしまったことにある。また、ゴルバチョフ自身も、時期の確認はできないが、ペレストロイカ末期にスリューニコフ経済担当書記が、軍需部門の投資予算を民生消費財の購入に回す提案を行った際に、これを拒否していることからも、どこまで「ゲーム(勝利条件)」を理解していたか疑問符を付けざるを得ない。
ゴルバチョフは、「改革派」として政治局でも中央委員会でも満場一致で選出されながら、いざ諸改革を進める段になると、共産党員はほぼ例外なく抵抗していた。「総論賛成各論反対」の極地とも言える現象だったが、これを排除するためには、スターリンばりの強権が必要であることに、本人は最後まで気づかなかった、あるいは考えないようにしていたと見られる。
これらを全てゴルバチョフ個人の責任に帰するのは無理があるものの、「分かっているはずの宿題をやらなかった(できなかった)」理由と原因については明確にする必要がある。それは、今後の日本の運命を占う上で貴重な教訓となるはずだ。

【追記】
ゴルバチョフは、言うなれば、無自覚なまま西側社会に対して「接待プレイ」を演じて自国を崩壊させてしまったゲームプレイヤーだった。その「接待プレイ」故に、西側では今日に至るまで高く評価されているが、ロシアでは今日でも最低級の評価しか与えられていないのは、以上の理由から説明される。2011年にレヴァダ・センターが行った世論調査では、ロシア人の6割が「ソ連解体は回避できた」と回答、「解体は必然的だった」の約2倍に達している。もっとも同調査では、半数がペレストロイカそのものに否定的であり、改革開始から四半世紀を経てもなお、ソ連型システムに疑問を抱いていないことを示しており、その評価は単純にはできないことも確かだ。
ソ連崩壊後、エリツィン政権下でソ連の工業資本は西側に買い叩かれたが、その全評価額はわずか50億ドルに過ぎなかった。エリツイン政権は、国営企業の株式と交換できるバウチャーを発行し、国民に無償で配布、国民はこれを委託・直接投資して、民営化が図られた。しかし、現実にはバウチャーの買い占めと転売が行われ、大衆の多くが資産を失い、巨大財閥が誕生し、現在に至るまでその禍根を残すこととなった。プーチン氏が、オルガルヒ(巨大財閥)を叩いて絶大な支持を得ているのも、ここに理由がある。これが理解できない、あるいは無視しているがために、メディアに登場するロシア分析は常に全く的外れのものばかりとなっている。

【追記2】
1989年から頻発した炭鉱ストにおける労働者側の要求の一つに、「月800グラムの石鹸の増配」というものがあった。アメリカと世界を二分していたはずのソ連と共産党政府は、この程度のものすら供給できず、ストライキされてしまうような存在であったことを、再確認しておく必要がある。つまり、社会主義を云々する以前に、統制経済・計画経済であるにもかかわらず、全く統制も計画もできなくなって、自由経済・市場経済に移行しようとして、それもできなかったのが、ゴルバチョフ政権の実情だった。
posted by ケン at 01:00| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

我々は東側を笑えない

ポーランド製ボードゲーム「行列(コレイカ)」が色々なところで話題になっている。私の周辺でも「旧共産国のブラックユーモア」ととる向きが強いが、決して日本人にとって他人事では無い。例えば、保育園の待機児童やスーパーのバター不足などは、日本型社会主義がなした結果に過ぎない。
待機児童は、実勢価格や労働賃金に比して、保育料の公定価格が著しく低く抑えられているため、供給に対して需要が急増してしまった結果である。保育料を自由化すれば、基本的には解決する話なのだが、その場合、貧困層や地方では、そもそも子どもを預けられなくなるだろう。つまり、市場が自由化されれば、需給調整は市場に委ねられるが、貧困層は保育サービスが買えなくなり、地方では子育て層が都市に流出することになるだけで、「本当にそれで良いの?」ということになる。
保育士資格者が有り余っているのに、現場に保育士が足りないのも逆の意味で同じだ。自由と平等がバーターになっている典型例と言える。保育は平等を旨とする社会保障の一環であるからこそ、民間では提供できない「低価格」や「地方」をカバーするために公共部門がサービスを供給する仕組みになっているのだが、どうも現代日本人の大半はその辺のことを理解していない。

また、世界的にはバターはむしろ供給過剰気味なのに、カネがある日本に供給が足りないのは、政府が統制しているからに過ぎない。仮に日本で急激なインフレやスタグフレが生じた場合、医者も薬もあるのに、病院や診療所の多くが休業して行列ができ、闇診療が常態化するだろう。これは、日本の医療制度が社会主義システムの公定価格制であるためだ。
日本の医療費が、保険料と窓口負担で賄えず、13兆円を税金で補填、その額が毎年増え続けているのを見ると、ソ連末期の財政とよく似ていることが分かる。ソ連で凄かったことの一つは、1954年から90年までパンの公定価格が一切変わらなかったことだった(70コペイカから1ルーブル)。だが、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は90年度の予算で20%にも達していた。そりゃ無理だわと思うわけだが、自国を振り返って見ると、税収45兆円に対して年金の国庫負担が11兆円、医療費の国庫負担が5兆円(自治体負担が9兆円)に達している。果たして我々はソ連崩壊を「他人事」と見ていて良いだろうか。

ソ連崩壊後、巨大建造群の廃墟が「社会主義の墓場」として喧伝されたが、日本は本四連絡橋を三本も掛け、5兆円の債務を抱えて40年後には耐用年限を迎えようとしている。果たして40年後に三本すべて掛け替える体力があるのかどうか。ペレストロイカでゴルバチョフ政権は、「ウスカレーニエ(改革加速)」と称して西側から得た借款を生産財につぎ込んで全てムダにしてしまったが、日本は北海道新幹線をつくって「予約率が3割にも満たない」と大騒ぎしている。「もんじゅ」なども象徴的だろう。
現代日本人には決定的に想像力と俯瞰的視点が欠けている。私は今一度、ソ連経済の崩壊過程について記事を書こうと思っている。
現地諜報では、ソ連国民の貧しい生活ぶりばかりが報告され、ペレストロイカ以降の西側マスコミ報道でも「商品棚が空になった国営商店」ばかりが映し出されていた。
しかし、現実には「空の商店」はソ連最末期の2〜3年程度の話でしかなく、それ以前にはさほど深刻な品不足は無く、その最末期にしても限定的に許可された自由市場には品物があふれていたのである。
具体的な数字を挙げてみよう。ソ連における耐久消費財の所有状態を示す指標は、100世帯あたりの数字で、テレビが1970年で52、同90年で111に達している。冷蔵・冷凍庫は70年で30、90年で95。自家用車が70年で2、90年で18といった具合。これらは、ソ連に留学、居住していたものの皮膚感覚に近いものがあり、モスクワなどではこれを上回っていたはずだ。ただし、その性能は別だが。
ロシア・ソヴィエトを見る目・下

【参考】
・ポーランド危機をめぐる経済情勢 
・保育所はなぜ足りないのか? 
・公共事業を問い直す・続 
・医療費の肥大化続く 
・ロシア・ソヴィエトを見る目 
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

中東大戦の予兆か

【アゼルバイジャン・アルメニア:停戦合意後、最大の衝突 死者30人超 露・トルコ対立激化も】
 旧ソ連構成国のアゼルバイジャンとアルメニアが領有権を争うナゴルノカラバフ自治州で1日深夜から2日に起きた両国軍の衝突は、3日も続いた。双方で少なくとも計30人の兵士と民間人2人が死亡した模様だ。1994年の停戦合意以降、最大の衝突となり、周辺国を巻き込む形で紛争が拡大する事態が懸念されている。
 アゼルバイジャンはイスラム教が主流の国。歴史的にトルコと親しい関係にある。一方、アルメニアはキリスト教が主体でロシアと親しい国だ。19世紀末にトルコ国内で起きたアルメニア人迫害の歴史を巡り、現在もトルコと対立している。
 今回の衝突で注目されるのはロシアの出方だ。プーチン大統領は2日、軍事衝突に「深い懸念」を表明し、双方に即時停戦を訴えた。ただし、ロシアは昨年以降、アゼルバイジャンと親しいトルコと、関係を急激に悪化させてきた。シリア空爆に参加していた露軍機がトルコ空軍機によって撃墜されたためだ。今回のナゴルノカラバフの軍事衝突が、ロシアとトルコのさらなる対立激化につながる可能性もある。
 トルコ大統領府によると、エルドアン大統領は2日、衝突について「アゼルバイジャンの兄弟たちの勝利を望む」と述べ、アゼルバイジャン側を全面的に支持する姿勢を打ち出した。新たな衝突の背景について、エルドアン氏は、ナゴルノカラバフ問題の平和解決を目指す全欧安保協力機構(OSCE)の「ミンスク・グループ」が「機能していない」と指摘した。グループの主導権は事実上、ロシアが握っており、トルコ側の強い不信感を表明した形だ。
 今回、大規模な衝突に至った背景には(1)豊富な石油資源を背景に近年、経済的に飛躍したアゼルバイジャンが「失地奪回」を掲げている(2)一昨年、ロシアがウクライナ南部クリミア半島を一方的に占拠するなど近隣諸国で新たな領土問題が生まれた(3)アルメニアで昨年、反政府デモが起こるなど政情が不安定となり、アルメニア政府として領土問題で妥協できない−−などが挙げられる。
 ナゴルノカラバフ自治州を実効支配するアルメニア系住民側は3日早朝、アゼルバイジャン軍がロケット砲などで攻撃してきたと明らかにした。アゼルバイジャン国防省は2日、自治州の一部を奪還し、自国軍兵士12人が死亡、アルメニア側兵士を「100人以上死傷させた」と発表した。アルメニア側はこうした情報を否定し、サルキシャン大統領が「自国軍兵士18人が死亡した」と発表した。
 ロシア通信によると、アゼルバイジャン国防省報道官は3日、「一方的に軍事行動を停止する」と述べた。アルメニア国防省報道官は「情報(戦)の策略」と述べ、一方的停戦を否定した。同自治州の帰属を巡る対立は91年のソ連崩壊前後に激化。94年の停戦以降も小規模な軍事衝突が続いていた。
(4月4日、毎日新聞)

イラクとシリアをまたぐ、イスラム国をめぐる内戦がコーカサスに飛び火した形。もともとコーカサスは旧ソ連地域の「火薬庫」であり、中東の戦争が誘爆したと見て良い。

アゼルバイジャン国防省は、「アルメニアが砲撃を止めないなら、本格戦争も辞さない」と「掛かってこい!」とばかりの声明を発表。バクー国立大学ではナゴルノ=カラバフにおける武力行使を支持する学生6千人が集会を行い、「大統領の命令があれば、みな前線に行き、占領地を解放するために闘います」と共同声明を発表している。
これに対して、アルメニア側は義勇兵を募り、カラバフに輸送しつつ、軍を動員。ミサイル部隊も動員しているというが、ミサイルの目標はバクーの油田であろうから、これまた本気のようだ。
ナゴルノカラバフは、1980年代末から90年代にかけて民族対立が激化、紛争が絶えず、ソ連邦崩壊の切っ掛けの一つにもなった。その際に、両者間で住民虐殺や追放が頻発、怨念を残したまま、問題解決せずに今日に至っている。それだけに、両者ともに「やると言うならやるぜ!」という意気込みが強すぎるのだろう。

アゼルバイジャンのアリエフ政権としては、石油価格の低迷が長く続くことで経済疲弊に伴う国民の不満が高まっており、その不満をナショナリズムで解消するという意図が感じられる。権威主義とナショナリズムのコンボは、歴史的に見て常に最悪の結果をもたらしている。
カラバフ地方は、アルメニアとアゼルバイジャンの双方にとって「民族の起源地」とも言うべき「聖地」であり、現実には不毛な高地帯なのだが、「両者ともに譲れない」土地となっている。

本件をめぐっては、アゼル側にトルコ、アルメニア側にロシアがつき、代理戦争の側面もある。今回も早速、トルコがアゼルバイジャンの全面支持を表明し、ロシアが「トルコの謀略」と非難する一方、トルコは「ロシアは介入するな」と警告する始末だ。
ただ、この間、トルコがシリアの反体制派を支援すると同時に、クルド人勢力の討伐を進めたことが、導火線に火を付けてしまった側面は否めない。エルドアン政権としては、中東地域の混乱に乗じて「大トルコ帝国」の復興を図りつつ、かねてよりの天敵であるアルメニアに対して「懲罰を下す(膺懲)」意図もあると見られる。少なくともトルコ政府は、紛争勃発に「欣喜雀躍」しているよう見受けられる。
他方、ロシアは米欧の支援を受けたGUAM(ジョージア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァ)から挑戦を受け続け、安全保障上の脅威となっている。ロシアにとってアルメニアは、貴重な親露国であるだけに、軍事大国トルコの全面支援を受けたアゼルバイジャンからの挑戦に対し、友邦を放置するという選択肢は「あり得ない」だろう。とはいえ、ロシアもシリアのアサド政権を支援した関係でトルコとの対立を深めていることが、今回の紛争の遠因の一つになっているわけで、やはり自業自得の観は否めない。

1987年に始まった第一次紛争は、94年の停戦合意まで軍事紛争が続いた。当時、ソ連期の軍配備の関係で、ソヴィエト政府がトルコと直接国境を接するアルメニアに軍を置かず、アゼルバイジャンに配備していた。その結果、ソ連軍の装備の多くがアゼル民兵に流れ、兵数的にもアゼル側が圧倒的優位に立っていた。彼我の差は、兵員で2倍、戦車で3倍以上、航空機に至ってはアルメニア側がほぼゼロだったのに対して、アゼル側は100機前後という始末だった。にもかかわらず、実際の戦闘では、基本的にアルメニア側がアゼル軍を圧倒し、支配権を確立した。
これは一般的には、アゼル軍の士気が低く、特に上層部の腐敗から装備や糧食の横流しが横行していたことと、ロシアが本格的にアルメニア側を支援したことから説明されている。だが、実際にはアルメニア側が「アフガニスタン帰り」の古参兵で組織されていたのに対して、ムスリムが多いアゼル軍はアフガン戦に動員されなかったため、素人しかいなかったことが大きかったと考えられる。今回も、ネット上では「アルメニアの義勇兵は老人ばかり」などと揶揄する声が多く聞かれるが、実は老兵こそアフガンやユーゴ帰りの「ヤバい連中」なのだ。漫画『ゴールデンカムイ』でも、土方歳三が「(北海道で)年寄りを見たら(戊辰戦役の)生き残りと思え」と言っていたが、まさにそれである。恐ろしいことに、航空機を持たないアルメニア側が、アゼル軍のヘリや航空機を30機以上も撃墜している。
同じような傾向は、ウクライナ内戦でも見られ、兵数的にも装備的にも圧倒的優位に立っていたキエフ政府軍側は、「武装勢力」扱いの独立派に対して殆ど有効打を与えられなかった。

いずれにせよ、第二次カラバフ紛争が本格化すれば、さらに戦火が飛び火、拡大してゆく可能性が高いく、今後の行方を注視する必要がある。

【追記】
ナゴルノ・カラバフの「ナゴルノ」はロシア語の「山の上(ナゴルヌィ)」であり、実際は「カラバフ高地」とか「上カラバフ」と訳すべきかもしれない。例えば、ロシアにはノブゴロドの他にニージニーノブゴロド(下ノブゴロド)があり、東京の下北沢とかのイメージに近い。アゼル語だと「ダグリーク・カラバグ」だが、そう言うとアルメニア人が怒りだして収集がつかなくなるため、ロシア語名称を使うほか無い。
また、報道では「自治州」とする向きが強いが、これはソ連時代の名称であり、現在は「ナゴルノカラバフ共和国」(自称)という、いわゆる未承認国家の一つである。
posted by ケン at 13:47| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

帝国が衰退する時

【トランプ氏、日本の核保有容認を示唆 在日米軍撤退論も】
 米大統領選の共和党候補者指名争いで首位のドナルド・トランプ氏(69)が、日本の核兵器保有を容認する考えを示唆した。米紙ニューヨーク・タイムズが26日に掲載した同氏のインタビューで、在日米軍などの大幅削減を主張する一方、核兵器開発を進める北朝鮮に対抗するため、日本の核保有もありうるとの見通しを示した。同氏はインタビューで、「もし日本に(北朝鮮による)核の脅威があるならば、(日本の核保有は)米国にとっても悪いことだとは限らない」と語った。また、「我々が攻撃されても日本は何もする必要がないのに、日本が攻撃されれば米国は全力で防衛しないといけない。これは極めて一方的な合意だ」と日米安保協力に不満を示した。
(3月27日、朝日新聞)

自分がソ連・東欧学徒であるためではあるが、ゴルバチョフ氏が東欧ブロックを手放したケースで考えると分かりやすい。帝国の衰退とはこういうものなのだ。ゴルバチョフ氏が書記長になった1985年の時点で、ソ連が自ら東欧ブロックを解体するなど殆どの人は想像もしなかった。だが、現実にはその4年後には同ブロックは解体、さらにその2年後にはソ連邦自身も消失してしまった。
日本のケースで考えても良い。徳川慶喜が、朝廷の懇願を受けて将軍位に就いたのは1866年12月のことで、長州戦争に敗退して幕府の権威が大きく揺らいでいたが、それでも倒幕派の重鎮たちは「これで御一新が十年は延びた」と言い合ったという(維新後の回顧)。実際、慶喜主導の下、幕府はフランスから借款を得て製鉄所と造船所を建て、軍事顧問団を招聘して軍制改革を行い、急速に近代化を進めた。だが、一年と保たずに、翌67年10月には大政を奉還、68年1月には鳥羽伏見戦をきっかけに戊辰戦争が始まった。

ゴルバチョフ氏にしても、徳川慶喜にしても、一国の最高責任者として体制の限界を十二分に自覚しており、それ故にペレストロイカと近代化を進めたが、情勢の変化に追いつかず、東欧ブロックあるいは幕藩体制の解体に手を付けざるを得なかった。興味深いことに、どちらの場合も、危機感を抱いていたのは本人と周辺の人間だけで、むしろ敵対側の人間(この場合、西側や倒幕派)ほど、体制の強固さを誤認して過剰評価していた。

恐らくは、オバマ氏やトランプ氏も同様の危機感を持っているものと推察される。故にオバマ大統領は、中東からの撤退を進め、ウクライナ問題はEUに押しつけようとしている。欧州は欧州で、自分たちの手による植民地間接統治に失敗した結果が、大量の難民とテロという現象を引き起こしているにもかかわらず、その対応で手一杯になってしまい、西側ブロックの一員としての役割を果たせなくなりつつある。
米国はアフガニスタンとイラクの統治に失敗した。その後、リビアとシリアへの介入では西側ブロックが十分に機能せず(英仏が直接介入に不同調)、単独による軍事介入を見送った。ここでも、アフガニスタン介入に失敗して泥沼化させてしまったソ連が、ポーランドへの軍事介入を見送った経緯が思い起こされる。江戸幕府も、長州戦争以降、他藩に対する武力行使を行っていない。

・ソ連は何故ポーランドに軍事介入しなかったのか

オバマ政権が中東から手を引くのを見て、トランプ氏は「その次」を見据えて「アジアからの撤退」を主張、それに真っ向から反対して従来の帝国路線を唱えているのがヒラリー氏や他の共和党候補という構図になっている。
特にトランプ氏の場合、自身が実業家であるためか、「経済的権益が確保されるのであれば、軍事的支配は無用(むしろ有害)」と考えている節があり、在日米軍の撤退に触れると同時に、中国に対する関税引き上げや貿易格差の是正を主張している。巨額の軍事費を使って、軍事的衝突のリスクを抱えて、中国の軍事的進出を止めようとする現行の安全保障戦略は、少なくとも米国にとってメリットよりもデメリットの方が大きい。まして、尖閣諸島をめぐる日中対立にアメリカが首を突っ込むなど、何のメリットも無い。日本もそれを理解しているからこそ、「アメリカの戦争に日本も参戦します」と宣言したのが、今回の安保法制だった。

大統領選挙の戦略上、ヒラリー氏やクルーズ氏は「帝国の復権」を呼号しているが、現実には「帝国の落日」は避けられそうにない。連邦債務は17兆ドルを超え、フードスタンプ利用者は5千万人を超えて利用制限が課されるようになった。刑務所の囚人が230万人を超え、仮釈放と保護観察下にあるものが500万人を超えるという「収容所群島」ぶりだ。これらの事実については、日本ではまず報じられない。

傀儡政権を担ってきた自民党と霞ヶ関が、ますます「日米同盟の強化」「同盟の絆」などと叫ぶのは、ある種「断末魔の叫び」であり、ベルリンの壁崩壊前の東独でホーネッカーが「ソ連邦同志との絆」を訴えるのを彷彿とさせる。だが、たとえ形式的であれ、民主主義体制下にある日本の野党までそれに便乗する必要は無く、我々は「米軍撤退後」を見据える必要がある。
その場合、日本が採り得る選択肢は、一国で中ロと対抗する軍事大国路線か、中国の影響圏入りを認めるかの2つに1つと考えられる。だが、衰退傾向にある日本が軍事大国路線を採るという選択肢は全く現実的ではなく、また昭和の悪夢でしか無い。となれば、他のアジア諸国と連携して、「いかに中国と共存するか」を模索するほか無いだろう。しかし、現実には、「日米同盟強化」を理由に日本は対中脅威を煽り、歴史認識問題などからアジアで孤立して、非常に難しい状況に置かれている。

自民党の宣伝ビラは逆効果? 

詳細は別の機会に論じたいが、日本も1990年代に細川政権が「常時駐留なき日米安保」を構想したことがあったが、短期政権に終わって羽田内閣を経て自民党(自社さ)政権に戻ってしまった。それから15年を経て民主党鳩山政権が同様の構想と東アジア共同体構想を提唱しようとしたが、陸山会疑獄と鳩山バッシングに沈み、菅・野田政権で「日米同盟強化」に逆戻りし、今日に至っている。この点で、民進党岡田執行部に安倍政権と安保法制を非難する資格は無いと言える。
だが、日米安保に固執して日中関係を悪化させればさせるほど、在日米軍が撤退した後の空白リスクが高まるのは間違いなく、下手をすれば、米国の傀儡である自民党政権が倒壊して、親中権威主義政権が樹立し、デモクラシーの形骸化が急速に進む恐れがある。そのリスクを軽減するためにも、今から野党の手で日米安保に替わる代替案を用意しておくべきだ。
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2016年04月01日

右傾化する東欧諸国を考える

ヨーロッパでは旧東欧諸国で右傾化が際立っている。ハンガリーは2011年に憲法が改正されて、大統領の権限が縮小されて首相の権限が強化された他、憲法裁判所の裁量も縮小された。また、内閣が中央銀行の人事権を握り、教育の中央統制を強化、民間放送の政治報道を大幅に制限した。EU内では「権威主義への回帰」と非難する声が高まっているが、政権党「フィデス」は相対多数の支持率を維持している。
フィデスの場合も、フランスの国民戦線と同様、一般的には「極右」と報道されているが、本来は共産党(社会主義労働者党)の系譜を引く社会党に対抗する、キリスト教系保守政党だった。従来の意味での極右政党は外国人排斥やEU離脱を掲げる「ヨッビク」であろう。
ハンガリーの場合、共産党独裁からデモクラシーへの移行が穏便に行われ、後継の社会党によるエリート支配の仕組みが一部温存された。そして、本来は左派政党であるはずの社会党が市場経済化を進めると同時に、社会保障の切り下げなどを推進したため、右派政党であるフィデスが再分配政策を掲げて国民の支持を得るという、従来の「左右」の構図では説明しきれない形になっている。

ポーランドでも昨年の総選挙で右派の「法と正義」が勝利して政権に就き、中央銀行や憲法裁判所への人事介入、マスコミ統制を進めるほか、難民の受け入れ制限や教育の中央統制などを打ち出している。
「法と正義」の場合も、前政権党「市民プラットフォーム」が新自由主義に基づく公的部門の縮小に対するアンチテーゼを掲げ、高齢者の医療費無料化、子ども手当、最低賃金の引き上げといった従来の左翼的政策を前面に出すことで、政権交代を実現している。
ただ、ポーランドの場合、社会民主主義政党や共産党の後継政党が存在しないという点で、東欧の中でも特異な政治情勢にあるとは言える。

同志がコメントで触れた「ピラニア」の喩えではないが、冷戦期にはソ連・東欧ブロックが西側自由陣営の対抗軸として厳然と存在していたため、そのアンチテーゼとして西側は自由と民主主義を強調すると同時に、社会保障を充実させて労働者階層を慰撫する必要があった。ところが、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が消失したことで、西側陣営は「ピラニア」を喪失、自由と民主主義は相対的価値ではなくなり、労働者階層を慰撫する必要もなくなった。卑俗な言い方をすれば、「釣った魚にエサはやらない」状態になった。1990年代から2000年代にかけて新自由主義が猛威を振るった背景である。
日本の場合、NK党だけでなく社会党までもがマルクス主義の呪縛から逃れられないまま解党を迎えたため、今や旧東欧圏にも存在する、社会民主主義政党が存在せず、「右派・保守か共産か」という狭い選択肢を余儀なくされている。

興味深いのは、2000年代にロシアが急速に復興したのに対して、東欧諸国が脅威を覚えたのは当然としても、ロシアの権威主義への対抗方法として、自分たちも権威主義化を進めている点にある。日本も同じで、中国の経済成長や軍備拡張に伴い、急速に権威主義化が進んでいる。もう一つ共通点を挙げると、第二次世界大戦前、この三国はともに権威主義体制にあった。日本は帝政、ハンガリーはファシスト政権、ポーランドは軍部独裁下にあった。
この点について、E・トッド先生の指摘は示唆に富んでいる。1929年に起きた世界恐慌後の各国の選択は以下の通りだった。ドイツ=ナチス、日本=軍閥、イギリス=何もしない保守党、アメリカ=ルーズベルト、フランス=人民戦線。これが意味するところは、ドイツと日本が暴力的解決を志向したのに対して、イギリス人が政治解決を拒否して自力救済を選択、アメリカ人とフランス人は平等的解決を望んだということ。恐らく歴史上唯一の例である、企業の内部留保に対する課税はこの時のルーズベルトが行った(但し失敗した)。
これは、大きな問題が発生した時に、その解決手段として合議(プロセス)を重視するか、決断(時間)を重視するか、という文化的側面もあるのかもしれない。

もっとも、現代のハンガリーとポーランドは国家社会主義を志向しているが、日本は国家資本主義(開発独裁?)を志向している点で大きな違いはある。この辺りのことは、今後も考えを深めて行きたい。また、日本だけでなく、韓国も権威主義化が進んでいることは、やはり西側ブロックの衰退に伴うドミノ現象の一環と捉えるべきなのかもしれない。それは、東側ブロックの崩壊が、東欧諸国の民主化を誘発し、西側ブロックの衰退が権威主義化を誘発していることと、非常に軌を一にしているだけに、今後も注視して行く必要があろう。

【追記】
東欧諸国の中でもチェコが権威主義化していないのは、大戦前からデモクラシーの伝統があることと、それ以上にロシアの脅威に直接接していないことが大きいと考えられる。

【参考】
左右の定義 
右翼のヤバさと中道の難しさについて 
日本の反インテリ闘争小史 
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2016年03月24日

ヤンキーならトランプ選びマス

【「ロシアはお祭り騒ぎに」=トランプ氏の主張通れば―クリントン氏・米大統領選】
 米大統領選の民主党指名争いの首位に立つヒラリー・クリントン前国務長官(68)は23日、カリフォルニア州での講演で、共和党候補トップの不動産王ドナルド・トランプ氏(69)の「外交政策」をこう批判した。日米同盟や北大西洋条約機構(NATO)は米国への財政負担が重過ぎるとするトランプ氏の主張を念頭に置いた発言だ。クリントン氏は「ロシアと中国は世界的な同盟網が米国の戦略的強みだと分かっている」と指摘。「同盟に背を向ければ危険なシグナルを送ることになる。米国の安全は損なわれ、世界はより危険になる」と強調した。
(3月24日、時事通信)

自称有識者たちは大騒ぎしているが、アメリカ人なら普通トランプ氏かサンダース氏を選ぶだろう。ヒラリー氏の主張は、ソ連共産党におけるゴルバチョフらに対する保守派の批判にそっくりだ。ソ連研究者たちは笑いが止まらないに違いない。
誰も書かないから、やっぱり自分が書くしかないようだ。私はもちろんアメリカの専門家では無いため、あくまでも一般論として書くが、自称あるいは他称「米国通」とされる連中が、こぞってトランプ候補をディスっているのを見ると、「安保マフィアの陰謀かよ」と思えてくる。が、これについては、最後に記す。

ソ連史を学んだ者は、ソ連が冷戦に敗北して崩壊したのは、一義的には市場経済化による経済成長を実現できなかったこと、二義的にはアメリカとの軍拡競争の財政負担に堪えられなくなったこと、三番目の理由として同盟国支援の経済負担に堪えられなくなったことがあるのを知っている。
ソ連は、第二次世界大戦の「戦果」として東欧ブロック(経済圏)を構築したが、各国の経済自立は難しく、ソ連から資源を国際市場よりも大幅に安く仕入れることで何とか生き延びていた。だが、ソ連圏が拡大しただけでなく、いつまで経っても経済的に自立できない同盟国を抱えたソ連は、自国の経済的停滞とともに、同盟国支援の財政負担が重くなっていった。最終的にゴルバチョフが、東欧諸国を「見捨てた」のは、ソ連がもはやその財政負担に堪えられなくなったことが大きい。

これに対して、現在の米国は産業が完全に空洞化して、フードスタンプ利用者が5千万人に達するほど貧困化が進んでいる。そして、世界最大にして最強の軍隊を抱えながら、実情としては非対称戦争に役に立たないものと化しており、存在するだけで巨大な維持コストが掛かっている。言い換えれば、国民生活を犠牲にして「世界最強」の軍隊を抱えながらも、現実には「世界の警察官」を担えないという、「張り子の虎」と化している。さらに、「西側自由陣営」を維持するためには、同盟国(親米国)を支援する必要があるが、今の米国にはもはやそれだけの財政力は無い。あれだけ大騒ぎしたウクライナに対して、オバマ政権がどれだけの支援をしたか見れば明らかだろう。もっとも、現在のアメリカはTPPやFTAに象徴されるように、同盟国から収奪する政策を採っており、「同盟国支援の財政負担」というよりは「度重なる戦費負債」の方が重いのかもしれない。

トランプ氏は、センセーショナルな主張に目を奪われがちだが、政策の根幹は意外と現実的だ。その主なものを挙げると以下のようになる。

・移民規制の導入

・法人税下げと最賃下げによる産業の国内回帰促進

・米中貿易格差の是正

・米軍再編(海外展開の大幅縮小)

・個人武装権の担保


トランプ氏はソ連崩壊前後にロシアで事業展開したことがあるだけに、ソ連崩壊のプロセスを熟知している可能性がある。上に私が挙げたソ連崩壊の要因を回避するためには、「国内市場の活性化」「軍事費の大幅削減」「同盟国の切り捨て」が必要となる。ソ連の場合、同盟国を切り捨てただけで崩壊してしまっただけに、事情を知るものとしては強い切迫感を抱いて当然なのだ。ト氏の政策は米国的手法(自由主義的)ではあるが、この3つの課題を抑えていることに注目しなければならない。

ちなみに、1979年にソ連共産党政治局でアフガニスタン介入が審議された際、当初は否定的な見解が大勢を占めたものの、最終的には「友党を見捨てることはできない」との判断に落ち着いて介入が決定されたが、その2年後のポーランド危機に際しては「我々はリスクを冒すことはできない。ポーランドに軍を介入させるつもりはない」「もしポーランドが連帯の手に落ちたとしても、それはそれだ」(政治局会議におけるアンドロポフの発言)とまで言い切るようになっている。
また、ゴルバチョフが書記局に入ったのは1978年だったが、まず農業担当として正規の統計を閲覧して、その危機的状況に愕然とし、さらに85年に書記長に就任するが、そこで初めて国家全体の統計数値を見て、一刻の猶予も無いことを自覚させられたという。

今回の米大統領予備選挙で、トランプ氏とサンダース氏のみが非従来型の政策を主張しており、その他の候補はことごとく従来型の大国・介入主義を貫いている。合理的な米国人であるならば、従来型の大国主義を継続するのがもはや不可能であることを十分理解しているはずだ。自由主義的手法で経済再生を図るトランプか、社会主義的手法で再分配を図るサンダースか、という違いはあるものの、その狙いは「西側ブロックの盟主を辞めて、一国の再生を図る」ところにある。ただ、共和党員は歴史的に孤立主義に親和的であり、民主党員は介入主義寄り(ルーズベルト幻想)であることが、民主党では従来型政策を掲げるヒラリーを有利にしているものと見られる。
トランプ氏は「アメリカのゴルビー」となる可能性はあるものの、「西側ブロックの盟主を辞める」という選択肢は、非常に合理的だと言える。

なお、日本で「知米派」と目されるジャーナリストや学者がこぞってトランプ氏を非難しているが、これはトランプ氏が大統領になった場合、在日米軍が撤退し、日米安保体制が大幅に変更される可能性があるためだと思われる。
つまり、日本を支配する「安保マフィア」たちからすれば、トランプ氏やサンダース氏は自分たちの傀儡的地位を脅かす「悪魔」でしかない。安倍氏をホーネッカーに喩えれば、トランプ氏はゴルバチョフに相当するだけに、外務省を始めとする霞ヶ関にとっては悪夢なのだ。

オバマ大統領の言動を見ている限り、氏も「西側の盟主であり続けるのは不可能」と考えている節が見られるのだが、ウクライナやシリアを見れば分かるとおり、口では立派なことを言いながら、実際には何もしないという非常に中途半端な政策になってしまっている。それだけに、ヒラリー氏やクルーズ氏が積極的介入を唱えることで、従来型政策の支持を集める一方で、トランプ氏のように「盟主辞任」を明言する者も現れたと考えられる。
だが、今回の大統領選でヒラリー氏やクルーズ氏を選ぶということは、ゲーム的に言えば、1985年のソ連で「ゴルバチョフを選ばずにペレストロイカもやらない」という選択肢を採ることと同義になる。その場合、数年は現行体制を延命できるかもしれないが、国家を再生するラスト・チャンスをも失うことになるだろう。
posted by ケン at 12:02| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

ロシアとの外交は成立するか?

【<露外相>4月来日へ…日露首脳会談、ソチで調整】
 日露両政府は15日、東京都内で外務次官級協議を行い、ラブロフ外相が4月中旬に来日する調整を始めることを確認した。両政府は安倍晋三首相が5月上旬の大型連休中にロシア南部ソチを訪れ、プーチン大統領と首脳会談を行う検討を進めている。同日の協議でも議論したが、具体的な内容は明らかにしていない。北方領土問題についても具体的な交渉は行わなかった。
 日本側から原田親仁政府代表兼日露関係担当大使、ロシア側からモルグロフ外務次官が出席して約5時間にわたって行われた。北方領土問題をめぐって、ロシア側は「解決済み」との立場を崩さないため平和条約締結交渉は難航しており、協議では次回の交渉日程を話し合うにとどまった。両政府は事態を打開するため首脳や閣僚間の意見交換の必要があると判断。ラブロフ氏が来日して岸田文雄外相と論点を整理した後、安倍首相が訪露し、首脳会談を行う。
 安倍首相の訪露は、地方都市であるソチへの非公式訪問の形式をとる。具体的成果よりも首脳間の対話継続を重視したもので、プーチン大統領の来日日程についても調整を進める。 前ロシア大使の原田氏は新設された担当大使に1月に就任後、初めて協議に参加し、この協議の名称を「日露外務省ハイレベル協議」に変更することも決めた。協議ではほかに、北朝鮮の核実験やミサイル発射を受けて決定した日本の独自制裁についてロシア側に説明し、国連安全保障理事会で制裁決議について緊密に連携することで一致。ウクライナやシリア問題についても議論した。
(2月15日、毎日新聞)

安倍一派はやたら対ロ外交に固執しているように見えるが、そもそも外交が成立するのかナゾ過ぎる。言うまでも無いことだが、外交というのは相手がいて、互いに要求をぶつけ合って、どこまで譲歩し、何を与えて何を取るか、という話である。ところが、いまの日本に「与えるもの」があるのかと聞かれても答えられないし、その割に要求ばかりが多い。例えば、

「北方四島返せ」(日ソ共同宣言違反)
「オホーツク海で漁させろ」(流し網で採り尽くし)
「対中包囲網に加われ」
「北朝鮮に圧力かけろ」
「シベリア抑留の記憶遺産登録に文句言うな」(自分は中国にクレーム)
「お前の天然ガスは買わない」(インドネシアから買うから)
「ウクライナとシリアに関わるな」(自分は海外派兵解禁)
「核廃棄物もらってくれ」

といった感じに目白押し状態だが、日本側が提示するのは、

「制裁緩和してやる」(そもそも経済関係が希薄)
「もうちょっと木材買ってやってもいい」(企業にお願いするだけ)
「シベリア投資の口利きしてやってもいい」(日本企業に余力無し)

程度のものであり、とても外交交渉(取り引き)として成立しそうに無い。
これでいったい何を交渉しようというのか、どなたか浅学なそれがしにご説明いただきたい(爆)
posted by ケン at 13:23| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする