2016年11月12日

ソ連・東欧学のススメ・補

本ブログの特色の一つは、西側自由主義史観に依らないソ連・東欧像を提示している点にあると自負している。正確を期すことを重視する研究者にとって、ブログという媒体は分量的に難しく、在野の研究者が関心を持つにはマニアックなテーマであり、政治関係者は批判が恐いという問題があるためで、結果的に「他では読めない」ネタを提供し続けている。政治の現場にある私としては、意思決定プロセスに強い関心を持って記している。
興味深いのは、西側史観論者から徹底的に排撃されると思っていたものの、全く反応が無かったことで、「そこまで関心が失われたのか」と逆に残念に思っている。
ただ、個人研究の枠内で不定期に発表しているため、検索でもしないと読めなくなってしまっているので、ここで一回「まとめ」を作っておこうと思った次第。

【ソ連】
・ロシア・ソヴィエトを見る目 
・ロシア・ソヴィエトを見る目〜補足 
ソ連に関心を持つ人のために、まず西側史観から脱却してもらおうという意図から書いたもの。

・ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程 
30年以上を経た今でも、「ロシアの伝統的な南下政策の一環」「イスラム教の脅威に対する先制攻撃」「共産党政治局が密室で介入を決めた」といった文脈で語られているソ連のアフガニスタン介入について、どのような経緯で、どのような議論と意思決定を経て決められたのか、最新の研究を踏まえて明らかにした一作。最終的には失敗に終わったものの、十分な議論と合理性を踏まえてのものだったことが分かる。西側史観論者の猛攻にさらされるものと覚悟していたが、いまだに何の反応も無い。

・ペレストロイカを再検証する
 
日本では、ソ連崩壊から四半世紀を経てもなお、「自由を求める市民が一党独裁を打ち倒した」みたいな言説やゴルバチョフ賛辞が止まないが、ソ連研究に従事した者からすれば噴飯物な話ばかり。とはいえ、きちんと史実を踏まえた検証が殆ど見受けられないのも事実であり、同志がやらないのであれば、私がやるしか無いと、清水の舞台から飛び降りるキモチでペンを取った一作。もっともこれはあくまで「事前ノート」に過ぎないのだが、ゴルバチョフ、ヤコブレフらの回顧録があまりにも大部で全然進んでいない。それでも、ソ連経済やペレストロイカが何を目途としたものであったかは分かるだろう。

・貨幣論とソ連崩壊 
・ソ連におけるインフレーション 
10年前の記事になので、かなり稚拙でお恥ずかしいが、なぜゴルバチョフが構造改革に踏み切らざるを得なかったのか、理解できるだろう。

・ロシアがウクライナに介入するワケ 
ウクライナ紛争の原因の一つは、NATOの東への領域拡大に対するロシアの恐怖感にあり、それは東欧ブロックの崩壊時における、東西合意の不履行あるいは破棄・無視に起因していることが分かる。

・書記長たちの学歴 
これも古いが、歴代書記長の学歴という、少し毛色の違う記事で面白い。

【チェコスロヴァキア】
・プラハの春とカーダールの苦悩 
日本では、「民主化を求める市民をソ連が介入して弾圧した」という西側史観が定説化しているが、実像はそれほど単純な話ではなく、軍事介入にしてもブレジネフが独裁的・一方的に決めたものではなかった。

・プラハの春−ソ連の対応と誤算 
ソ連側から見た「プラハの春」と、同共産党の意思決定過程を追った一作。複雑な国際情勢の中で、政治的要求とリスクと便益の狭間にあって、武力行使の是非を問うブレジネフ執行部の対応を見る。後に無能者の烙印を押されて定着してしまうブレジネフの実像を知ることができる数少ない一文でもある。

【ポーランド】
・ポーランド危機をめぐる経済情勢 
最近亡くなられたA・ワイダ監督の映画『ワレサ』を観て、あまりもの美化ぶりに驚き、旧東欧の歴史修正主義に対抗すべく筆をとった一作。日本ではとかく先入観で描かれがちな社会主義経済の実像に迫る点でも非常に貴重で、まず他では読めないだろう。

・ソ連は何故ポーランドに軍事介入しなかったのか 
1981年のポーランド危機をソ連側の視点で描く。この分野に関心のある人でも「ヤルゼルスキの努力(戒厳令の決断)によって悲劇が回避された」と見ている人が多いようだが、最新の研究を踏まえて実像に迫る。

【東ドイツ】
・シュタージあるいは特高の終焉について 
シュタージそのものを扱ったものではないが、秘密警察を解体する過程も、日本とドイツでは大きく異なることが分かる一本。
posted by ケン at 18:00| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月11日

ソ連・東欧学のススメ〜米大統領選を受けて

米国大統領選挙でトランプ候補が当選した。私の周囲には、(日本人であるにもかかわらず)クリントン推しの人が多く、「トランプになったら大変なことになる」と大騒ぎしていた。それもさることながら、殆どの人が「トランプなんかが当選するわけが無い」とうそぶいていたことは、私を呆れさせていた。そもそも米国大統領選の行方を気にしている時点で、宗主国の後継が誰になるかを気にしているような話であり、言うなればポーランド人やハンガリー人が、ブレジネフの後継を心配しているようなものなのだ。また、今回クリントン氏を推していた人たちの言説は、ソ連崩壊後のロシアでブレジネフ時代を懐かしむ老人たちの声を彷彿させるものがあった。

それなりに学があり、政治に強い関心がある人たちが、こぞって目測を誤ったのは、自由主義というイデオロギーに目を曇らせていたためだと考えられる。彼らに共通していたのは、「民主主義の先進国である(日本にデモクラシーをもたらした)アメリカで、自由や民主主義を否定しかねない、差別主義者が選ばれるわけが無い」という思い込みだった。これは、「人は自らが信じたいものしか信じない」の典型で、非常に非科学的なスタンスである。日頃、社会主義や共産主義を「イデオロギー」「ドグマ」として批判するような人たちが、自由主義や民主主義についてはイデオロギーであるという自覚を有していないのは、何とも奇妙な話だが、これも一種の「洗脳」だったのかもしれない。

だが、現実には自由民主主義もまたイデオロギーの1つに過ぎず、彼らが信じているほど強固な体制でも無い。天地一体のように考えられていた江戸幕府は、安政の大獄から10年で瓦解し、世界そのもののように見られていたソ連は、ペレストロイカ開始から6年で崩壊してしまった。幕藩体制にしても、ソ連型社会主義にしても、統治システムと市場の有り様が時代に適応できなくなり、国民大衆の不満を吸収できなくなったがために倒壊したわけで、「自由や民主主義が足りなかったから」ではない。このことは、自由や民主主義を絶対視してしまうと、政治や社会の実相を見誤る可能性が高いことを示している。言うなれば明治期の佐幕派やベルリンの壁崩壊後の共産党員みたいなもので、数年もすれば「時代に適応できなかった可哀想な人」扱いされるかもしれない。

まず我々が前提とすべきことは、「リベラル・デモクラシーが終焉を迎えつつある」という点である。ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べておられる。米欧日で起きているのは、まさにこれなのだ。過去ログから説明したい。
デモクラシーは主権者間の平等に、権力の正統性を置いているが、経済格差が深刻化し、平等性が侵害されている今日、その正統性が揺らいでいると見て良い。
近代国家の命題は、例外なく工業化(経済成長)にあり、それは権威主義国家であれ、民主主義国家であれ同じだった。だが、いざ工業化が実現すると、国家は命題を失うと同時に権力の正統性が危機を迎えた。この危機に際し、西側は消費社会とグローバル化で乗り越えるが、ソ連・東欧ブロックは産業構造のシフトに失敗、権威主義国家の権力源泉である権威そのものが国民の信頼を失って瓦解していった。
他方、西側は産業構造のシフトに成功したものの、今度はグローバル化と激しい自由競争にさらされる中で、経済格差と貧困が進行、民主主義国家の権力源泉である平等性を喪失しつつある。そして、平等性の喪失に対して、現行の政党や議会がほぼ無力であることが、デモクラシーへの不信となり、権威主義や排外主義への支持の源泉となっている。

基本的には、市場を自由化すれば自由化するほど、グローバル化すればグローバル化するほど、市場内の競争が激化すると同時に、比較劣位にある産業が危機にさらされやすくなって、生活者の経済基盤が不安定になる構図になっている。だが、西側を支配するエリート層は、自由経済の恩恵を受けることが最も大きい層であるがために、これを是正するインセンティブが全く無い。
具体的には、日本の政党のTPPに対する態度を考えれば分かりやすい。自由貿易を促進するTPPは、確実に貧困と経済格差を大きく拡大させる。自民党は、TPPに反対することで貧困層の支持を得て政権奪回を果たしたが、その主張をあっけなく翻して推進役に回ってしまった。一方、民主党はといえば、鳩山政権は一切触れることが無かったにもかかわらず、官僚統制下にあった菅政権が成立すると、途端にTPP推進を打ち出した。そして、今日でも色々野党として文句はつけているが、「TPP推進」のスタンス自体は撤回していない。結果、日本の国会議員の9割以上が「TPP賛成」になっているが、この状況を生み出したのが「議会制民主主義」であるだけに、デモクラシーに対する不信は今後ますます加速して行くものと見られる。

少し視点を変えてみよう。ソ連・東欧ブロックが崩壊したのは、統制経済と権威主義を同時に二つとも破棄・転換しようとして制御不能に陥ったことが大きい。これに対して、中国とベトナムは統制経済のみ放棄することで危機を乗り越えた。今のロシアでゴルバチョフ氏の評価が恐ろしいほど低いのは、ここにも一因がある。そして、今度は、西側ブロックが、自由経済と民主主義の二つを同時に維持するのが困難な状況に陥っていると考えられる。
米国大統領選挙を見た場合、自由経済と民主主義という従来路線の筆頭にヒラリー氏がいて、そのアンチテーゼとして、自由経済に否定的なサンダース氏と、共和党側にデモクラシーに否定的なトランプ氏がいる構図で、対立軸と選択肢がある。ヒラリー氏が苦戦している背景には、「従来の自由民主主義路線では、現状の諸課題は何も解決できないのでは?」という不信があるからだろう。言うなれば、ヒラリー氏の主張は、1985年のソ連で「ペレストロイカなど必要ない」という共産党保守派のそれなのだ。
自由民主主義の終焉、2016.4.22) 

今回の米大統領選で言えば、米民主党の失敗は、大多数の大衆が改革の必要性を自覚しているのに、改革派のサンダース氏では無く、保守派のクリントン氏を候補にしてしまったことにある。
E・トッド先生が指摘しているのは、「付加価値の労使分配が機能しない国は必ず経済成長が止まる」というもので、アメリカと日本がこれに当たるが、サンダース氏は再分配機能の強化を訴え、トランプ氏は減税を主張したのに対し、クリントン氏は増税派であったため、この点にあまり触れなかった。リベラル・デモクラシーは、経済的繁栄を維持した上で、大衆がその恩恵を被ることを前提条件としているが、リベラル派が担いだクリントン氏は、あまりにも無自覚なまま巨大資本から献金を受け、セレブ芸能人の支援を受け続けた。
5千万人からの国民がフードスタンプを受けている現状があり、深刻な貧困と中間層の没落が最大の課題であるにもかかわらず、「自由」や「反差別」を前面に掲げるリベラル派は、彼らが自由を前面に押し出せば押し出すほど、嫌悪感が強化されるというスパイラルに陥っている。現実には、その「自由」こそが貧困の原因になってしまっているからだ。
ソ連史を学んだ者は、ソ連が冷戦に敗北して崩壊したのは、一義的には市場経済化による経済成長を実現できなかったこと、二義的にはアメリカとの軍拡競争の財政負担に堪えられなくなったこと、三番目の理由として同盟国支援の経済負担に堪えられなくなったことがあるのを知っている。
ソ連は、第二次世界大戦の「戦果」として東欧ブロック(経済圏)を構築したが、各国の経済自立は難しく、ソ連から資源を国際市場よりも大幅に安く仕入れることで何とか生き延びていた。だが、ソ連圏が拡大しただけでなく、いつまで経っても経済的に自立できない同盟国を抱えたソ連は、自国の経済的停滞とともに、同盟国支援の財政負担が重くなっていった。最終的にゴルバチョフが、東欧諸国を「見捨てた」のは、ソ連がもはやその財政負担に堪えられなくなったことが大きい。

これに対して、現在の米国は産業が完全に空洞化して、フードスタンプ利用者が5千万人に達するほど貧困化が進んでいる。そして、世界最大にして最強の軍隊を抱えながら、実情としては非対称戦争に役に立たないものと化しており、存在するだけで巨大な維持コストが掛かっている。言い換えれば、国民生活を犠牲にして「世界最強」の軍隊を抱えながらも、現実には「世界の警察官」を担えないという、「張り子の虎」と化している。さらに、「西側自由陣営」を維持するためには、同盟国(親米国)を支援する必要があるが、今の米国にはもはやそれだけの財政力は無い。あれだけ大騒ぎしたウクライナに対して、オバマ政権がどれだけの支援をしたか見れば明らかだろう。もっとも、現在のアメリカはTPPやFTAに象徴されるように、同盟国から収奪する政策を採っており、「同盟国支援の財政負担」というよりは「度重なる戦費負債」の方が重いのかもしれない。
(中略)
今回の米大統領予備選挙で、トランプ氏とサンダース氏のみが非従来型の政策を主張しており、その他の候補はことごとく従来型の大国・介入主義を貫いている。合理的な米国人であるならば、従来型の大国主義を継続するのがもはや不可能であることを十分理解しているはずだ。自由主義的手法で経済再生を図るトランプか、社会主義的手法で再分配を図るサンダースか、という違いはあるものの、その狙いは「西側ブロックの盟主を辞めて、一国の再生を図る」ところにある。ただ、共和党員は歴史的に孤立主義に親和的であり、民主党員は介入主義寄り(ルーズベルト幻想)であることが、民主党では従来型政策を掲げるヒラリーを有利にしているものと見られる。
トランプ氏は「アメリカのゴルビー」となる可能性はあるものの、「西側ブロックの盟主を辞める」という選択肢は、非常に合理的だと言える。

なお、日本で「知米派」と目されるジャーナリストや学者がこぞってトランプ氏を非難しているが、これはトランプ氏が大統領になった場合、在日米軍が撤退し、日米安保体制が大幅に変更される可能性があるためだと思われる。
つまり、日本を支配する「安保マフィア」たちからすれば、トランプ氏やサンダース氏は自分たちの傀儡的地位を脅かす「悪魔」でしかない。安倍氏をホーネッカーに喩えれば、トランプ氏はゴルバチョフに相当するだけに、外務省を始めとする霞ヶ関にとっては悪夢なのだ。
ヤンキーならトランプ選びマス、2016.3.24) 

例えば、当時のソ連は自国民の需要を満たすだけの穀物を生産できていたにもかかわらず、流通上の不備からアメリカから大量に輸入していた。それを支払う外貨は石油輸出で確保していたわけだが、その石油は輸出分の半分を同盟国に市場価格の半分程度で供給していた。その石油価格が80年代後半に暴落し、ソ連経済を直撃、ペレストロイカをより困難なものにした。その結果、ソ連経済を立て直すという目標を達成するためには、自然と東側ブロックを解体せざるを得なくなったのだ。今のアメリカもこれによく似た環境にある。もっとも、アメリカよりもソ連の方が口うるさいかもしれないが、よほど面倒見が良かったことは間違いない。

私が長々と説明したのは、従来の自由主義史観で「ソ連(権威主義)=悪、アメリカ(自由主義)=善」という前提で国際社会、あるいはアメリカやロシアの政治を評価してしまうと、イデオロギーの影響に左右されてしまい、客観的あるいは公正な評価が不可能になり、「〜なわけがない」「〜こそが正義である」という先入主から入って判断を誤ることになる、と言いたいがためである。
ところが、日本や欧米の大学で普通に学ぶと、自由主義史観の虜となってしまう。従来であれば、東側ブロックや中国分析に支障が生じる程度で済んでいたわけだが、西側ブロック自身がリベラル・デモクラシーから脱却し始めてしまい、自陣営の分析すら困難になってしまっているのだろう。

この点、ソ連・東欧の歴史を、自由主義史観に依らず、新たに公開された資料や当時者の証言などに基づいて研究を続けている我々は、自由主義ともマルクス=レーニン主義とも距離を置いた分析・評価ができるのである。
残念ながら現状では、我々と言いつつも独学状態にあるが、手法はほぼ確立しているので、希望者があれば、研究会を立ち上げるのもやぶさかではない。
posted by ケン at 12:57| Comment(4) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月09日

ゴルバチョフを選ばないソ連?

今回の米大統領選を見ていると、1985年のソ連を思い出す。
チェルネンコ書記長の後継を担ったのは、当時54歳のミハイル・ゴルバチョフだったが、すでに先のアンドロポフ政権下で実質的な後継指名とも言えるイデオロギー担当書記に任命されており、やや保守的なチェルネンコ政権下でも第二書記の座にあり、改革志向と見なされながらも後継レースの筆頭にあった。
だが、当時政治局の中には、政治局員と書記を兼務する保守派のグレゴリー・ロマノフがおり、ゴルバチョフの立場は盤石とは言いがたかった。ただ、保守派は意思統一が図れず、当時の政治局内で最大の影響力を有していたグロムイコがゴルバチョフを推したことにより、ゴルバチョフ書記長が確定した。共産党中央委員会に至っては、全会一致でゴルバチョフを承認している。かのスターリンですら少なくない反対票が投じられたのに、はるかに自由度が増している80年代に全会一致だったことは驚異に値する。
このことは、当時の共産党にあっても何らかの改革が必要だという認識では、ほぼほぼ一致していたことを意味する。だが、現実にペレストロイカが始まると、反対論とサボタージュが続出し、党内は改革派と保守派に分裂して求心力を失っていった。

ソ連学徒の視点から、今回の米大統領選を見ると、米国内のエリート層はおろか、日本のエリート層までがクリントン氏を推している。クリントン氏は、オバマ路線の継承を謳っているように従来の政策を堅持する保守派である。これに対し、トランプ氏は表現が粗暴ながらも従来路線を大幅に見直し修正しようという改革派だ。
米国が抱えている問題は、予算の15%以上を占めている過大な軍事負担と、新旧自由主義に起因する国内産業の衰退と貧困にある。これに対し、保守派のクリントン氏は、従来の安保政策と自由貿易を堅持しているのに対し、改革派のトランプ氏は、孤立主義への転換による軍事負担の大幅軽減と保護貿易による産業保護を訴えている。
つまり、米国民がクリントン氏を選ぶということは、1985年3月の政治局会議で「ゴルバチョフを選ばない」という選択肢を採ることに等しいのだ。詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んで欲しいが、当時のソ連で「ペレストロイカを発動しない」という選択肢を採った場合、より緩やかながらも、より凄惨な経済破綻を迎えていたことは想像に難くない。
ここでトランプ氏が選ばれない場合、米国はより凄惨な事態となり、将来的にはトランプ氏をはるかに上回る危険人物が大統領となって猛威を振るうことになると思われる。

【参考】
ヤンキーならトランプ選びマス
米軍駐留費の妥当性について 
帝国が衰退する時
アメリカはもはや末期症状?

【追記】
E・トッド先生が指摘しているのは、「平均寿命が上昇から低下に転じた国は衰退する」というもので、1980年代始めのソ連と近年のアメリカを指す。もう一つは「付加価値の労使分配が機能しない国は必ず経済成長が止まる」というもので、アメリカと日本がこれに当たる。
posted by ケン at 13:07| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

ロシアにおける芸と政治について

ロシア3都市を巡業で回ったという劇団員さん達と飲む機会があり、お話を伺った。
彼らが驚いたのは、500程度の箱で100枚しか前売りがはけていないのに、残りの300〜400が当日券で売れてしまうことだったという。そして、もう一つ感動したのは、どこの劇場にも役者やスタッフを含む従業員用の食堂があり、美味かどうかは別にして安価で食事ができることだった。しかも、この食堂は法律で併設を定めているというから二度驚かされる。どちらもソ連の遺産と言えよう。
ちなみに、ボリショイ劇場の場合、新支配人が就任する際、必ずクレムリンを訪れ、首相ないし副首相から任命され、その場で本人から1時間ほども延々と「ボリショイとは何か」という訓示を受けるという。日本だと、国立劇場の支配人が文科大臣から1時間も訓示を受ける図は、全く想像できないし、そんなことを話せる大臣もいないだろう。

ロシアにおける「芸」の重みや政治性というのは、日本人には想像もつかないものなのだ。ロシアでは、ソ連期を含めて「金は出すが、口も出す」が芸術の基本になっている。特にクラシック音楽、オペラ・バレエ、演劇については濃厚で、ソ連期だと文学が加わる。この関係性は封建制に近いものがある。つまり、芸術家が国家に奉仕する対価として、国は芸術家の地位と生活を保証するのだ。
日本でも江戸期にはこの関係が保たれており、能役者も囲碁・将棋棋士も幕臣として公務員の地位にあった。そして、その対局にあったのが町人向けの歌舞伎や落語だった。
公式的には「公と民」という対立軸が存在しないソ連時代にも、例えばタガンカ劇場のように、創立から250年以上の歴史を持つマールイ劇場(オペラ・バレエの大ボリショイに対する演劇の小)へのアンチ・テーゼとしてつくられた劇場もあり、全体主義だからと言って単純には評価できない。
だからこそ、ソ連や東欧に対する西側史観での評価は控えて欲しいと思う次第。

もう一つ言っていたのは、「ロシアの劇場支配人は殆ど劇場内におらず、行政と企業に金策して回っている」ということ。これは少し補足が必要で、日本の場合、劇場を含む公共施設の館長は全て行政の天下りで、2〜3年で入れ替わるため、大した権限もなく、むしろ「何もしない」ことが推奨されるような環境にある。これに対し、ロシアでは支配人が大きな権限を持ち、10年以上もその地位にあることが珍しくないため、有能でやる気のある人が支配人になれば大成功するが、下手な人間がその地位に就くと大変なことになってしまう。
モスクワのボリショイやマールイのような大国立劇場でも、今日では運営資金の25%程度しか国庫補助を受けておらず、あとは民間資金でやり繰りしているというから、現実にはソ連期よりは劇場の独立性は高まっていると言える。
また、経済制裁を受けているロシアで、なおも芸術熱が高いのは、レニングラードが長期包囲下にあってもコンサートを止めることの無かった伝統の証でもあるのだ。日本の「芸」と比べると、政治家も芸術家もどこまでも真剣勝負で骨太なのだと思う。

【追記】
つい最近でも当局が「シンデレラ」の上演を禁止するという事件があっただけに、「政治家と芸術家の闘争」はいまもなお健在だと言える。
posted by ケン at 13:01| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

どんどん似てきた日露−ロシア下院選2016

【2016ロシア下院選 プーチン大統領再選に弾み】
 ロシア下院選で政権与党「統一ロシア」が圧勝したことは、欧米の対露制裁などによる経済悪化にもかかわらず、有権者のかなりの部分が政権を支持している現状を示した。プーチン大統領は、2018年春に予定される大統領選に向け、自信を深めたとみられる。一方、今回の選挙では大都市部の投票率が大きく低下し、国民の政治や選挙に対する不信も鮮明になった。
 プーチン氏は19日、政府との会合で下院選の結果に触れ、「たいへん困難な状況で、人々は断固として安定を望み、統一ロシアに依拠する政府を信頼している」と述べた。18日夜には統一ロシアの選対本部で早々と勝利を宣言していた。苦戦の伝えられていた統一ロシアが圧勝した理由としては、まず、特に地方部で権力に隷従する国民心理が根強いことがある。今年は「プーチン時代」で初めて年金の支給額が実質減となり、多くの地方が財政難にあえぐ。しかし、「経済危機だからこそ、政権に救済を求める」(政治学者)という投票行動が起きた。
 11年の前回選では統一ロシアが大きく後退し、選挙不正疑惑に抗議する大規模デモも起きた。この後のプーチン氏は同党から距離を置いていたものの、選挙戦終盤になると同党との密接な関係を誇示してテコ入れした。政権が11年のデモを受けた懐柔策として復活させた小選挙区投票も、選挙区の設定が与党にきわめて有利なものとされた。投票率が48%と下院選史上で最低だったことも与党を利した。モスクワの投票率は前回の66%から35%へ急落。多くの主要地方都市で投票率が3〜4割にとどまったもようだ。政権与党と「親大統領野党」による管理選挙を嫌気し、「選挙では何も変わらない」と諦観する都市部住民の強い政治不信が根底にはある。
 今回の選挙で経済情勢や腐敗に対する国民の不満が解消されたわけではなく、反体制派指導者は「選挙制度が信頼されていない現状は危険だ」と指摘する。選挙不正に関する情報は多数出ているが、11年のような反発が起きる兆候はない。
(9月20日、産経新聞)

長期間にわたる一党優位体制、低投票率、小選挙区・比例代表並立制、整備された市民監視システムなどなど、日本とロシアはますます似てきている。
日本も貧困層が3千万人以上もいて、さらに悪化させる(再分配を弱めて富の集中を図る)施策が採られているにもかかわらず、何度選挙をやってもそれを進める自民党が大勝する構図になっており、この点もロシアとよく似ている。
主だった野党が政府に協力姿勢を示し、半ば与党化して批判力を失っている点も共通している。共産党がほぼ唯一の批判勢力となっている点も似ているが、ロシア共産党は対外・安保政策については政権と共同歩調をとっている。
トップが権威主義的で、大権を振るうところも共通しているが、だからこそ日露交渉が進んでいる(らしい)側面もある。

日本のマスゴミは、欧米のそれの垂れ流しなので、ロシアで選挙と言えば不正選挙と決めつけている。だが例えば、今回選挙制度が改正されて小選挙区制が導入されたロシアでは、各投票所に候補者紹介が大きく貼り出され、プロフィールや政策・主張などの他に、保有資産の一覧についても記載されている。その信頼性はともかく、投票所に名前しか無く、投票の場では何の情報も与えられない日本と違い、投票時に指標となるものを少しでも多く提示しようというロシアの意欲が伺われる。「ロシアにはロシアのデモクラシーがある」というプーチン氏の言にも一理あるのだ。

ロシア人の間には、欧米型の資本主義・民主主義を導入した結果、欧米資本に全土の生産インフラをわずか50億ドルで買い叩かれたことに対する怨念が強く、欧米では人気の高い「市民派・改革派」はこれを再現しようとしているのではないかという根強い不信がある。これが理解できないと、欧米マスゴミが流す陰謀論に傾いてしまうだろう。

また、選挙制度が改正されたとはいえ、小選挙区と最低ラインの高い比例代表制の並立制なので、小政党には圧倒的に不利になっている。これも日本と似ているが、「市民派」の内部対立が激しく、いつまでも一本化できない点も、政権批判層を投票から遠ざけてしまっている原因と推察される。
一党優位体制下で「結果が見えてしまう」小選挙区制が、ますます投票率を下げ、政権党を利するという構図も日露共通のものと言えよう。日本も来年早々に解散総選挙が行われ、自民党が三度大勝、一党優位体制をさらに強固なものにしそうだ。
posted by ケン at 12:26| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

英国でもエリート不信

【英、EU離脱へ=欧州分裂、大きな岐路に―残留派に僅差で勝利・国民投票】
 英国の欧州連合(EU)残留か離脱かを問う国民投票は、23日午後10時(日本時間24日午前6時)から全国382カ所の開票所で開票作業が行われ、BBC放送によれば、離脱支持票が僅差で残留支持を上回り、過半数に達する見通しとなった。この直撃を受けた東京外国為替市場は大混乱に陥り、「安全資産」とされる円に投資家の資金が逃避。一時1ドル=100円を突破した。英ポンドは売りが売りを呼ぶ暴落状態となった。日経平均株価も一時1300円を超えて暴落した。
(6月24日、時事通信抜粋)


先にフランスにおけるエリート不信の問題について書いたが、英国でも同様の問題が噴出している。
今回の国民投票では、保守党も労働党も党内で議論が分かれ、残留派と離脱派に分かれて双方がののしり合いを展開、党員や市民の政党離れを加速してしまっている。
政党に関係なく、主にエリート層が残留を主張し、「EUを離脱すれば英国は経済破綻して、生活はドン底に」的な脅迫じみたプロパガンダを展開してはみたものの、十分に浸透せず、逆に「金持ちがあれだけ残留を主張しているということは、貧乏人にとっては離脱の一手だ」というエリート不信を加速、離脱派をむしろ後押ししてしまったように見受けられる。

実際、貧困層からすれば、EU加盟に伴って東欧出身の労働者が急増して賃金が低下、さらにアラブからの難民が増えて、低賃金雇用すら危機にさらされている。貧困層を直撃している危機に対し、エリート層は十分な対応策を打ち出せず、むしろ緊縮財政を進めることで、同層をますます追いつめてしまっている。
結果、貧困層からすれば、「EUから離脱したからといってすぐさま生活が良くなるわけではないかもしれないが、少なくともEUに残留し続けるよりはマシだ」ということになっている。これに対し、エリート層は、「離脱すれば、GDPが10%低下し、物価は10%上がる」などと呼びかけるが、貧困層からすれば、「困るのは金持ちであって、財産の無い俺らじゃない」と応じるだけの話で、コミュニケーションが成り立たなくなっている。

ところが、現実には英国はユーロを採用しておらず、独自通貨であるため、混乱はあるにせよ、政治要因であるため一過性に終わるものと考えられる。関税については、新たに条約を締結するコストは掛かるものの、EUが英国を排除する特段の理由もなく、現行に近い低関税になるだろう。エリートが忌避するのは、新たに発生する交渉コストであって、それは貧困層には無縁のものだ。
実は、デモクラシーの点で、EUが難しいのは、民族国家の主権をEUに移譲するも、EU議会の権限は限られていて、顔の見えないEU官僚が大権を握っているため、個々の市民の主権の影響力が著しく小さいものになってしまう点にある。実際、英国市民は、東欧などからの低賃金労働者や無尽蔵に来る難民に対し、いかなる主権も行使できない格好にある。離脱派が「市民に主権を取り戻せ」と主張するのはこのためだが、エリート層にはそれが理解できず、説得不能な状態に置かれている。結果、エリート層が騒げば騒ぐほど、貧困層が不信を強める構造になっている。

もう一つの問題は、国民投票自体の難しさである。「EUを離脱するか、残留するか」という重大な社会的選択を、「イエス、オア、ノー」二択で決めてしまい、しかも超僅差で決定しまったことは、今後の意思決定に重大な禍根を残す恐れがある。具体的には、スコットランドの独立が再燃したり、他のEU諸国でも離脱が加速したりする懸念がある。
国民投票は、デモクラシーを構成する重要な要素かもしれないが、その運用はごく慎重であるべきだと考える。

【参考】 原発国民投票に見る社会的選択のあり方について

【追記】
今回の参院選では野党を中心に「自公が3分の2をとったら大変なことになる」とプロパガンダを打っているが、有権者に十分浸透していないのも、基本的には同じ理由から説明される。平和な現行憲法下で、急速に貧困化が進んでいるのに対し、「平和を守れ」「改憲反対」と主張してみたところで、貧困層からすれば、「その憲法や平和が、オレらの生活を苦しめているのでは?」という反応にしかならず、むしろ「憲法を改正すれば、全て良くなる」式の安倍一派の支持を増やしてしまう可能性がある。ケン先生的には、「貧困解消」と「過剰労働の解消」をこそ争点にしなければ、支持が広がらないと進言しているのだが、全く聞き入れられないのが実情だ。

【追記】
イギリスのEU離脱について、エリート評論家たちがこぞって「ポピュリズム」だの「愚かな選択」だの述べているが、仮に日本がEUに加盟していたら、一方的に緊縮財政を求められ、消費税が即20%になるか、社会保障給付費が半分近くになってしまい、主権者たる国民は蚊帳の外に置かれたまま苦悶していたはずだ。おそらくは数カ月と持たずに怨嗟の声が上がり、「EU離脱」が過半数に及ぶだろう。あの連中は、EUの本質を指摘せずに、ある種の世論誘導を行っているに過ぎない。
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2016年06月21日

ねじれまくるフランス−エリートの退廃

フランスで、政府が議会での採決を経ずに強行成立させた労働法改正法案に抗議する大規模デモやストライキが激化し、3日連続で公共交通機関に支障が出ている。19日には首都パリで1万4000人がデモ行進し、一部が治安部隊と衝突した。抗議行動が2か月に及ぶ中、強硬姿勢を強めるエマニュエル・バルス首相は、港や製油所、空港などでのデモの強制排除に乗り出す可能性に言及。18日に暴徒化したデモ隊が警察車両を襲撃し放火した一件について、「厳しく処罰する」と言明した。労働法改正についてフランソワ・オランド政権は、硬直したフランスの労働市場の柔軟性を高め雇用を創出すると説明しているが、反対派は雇用の安定を脅かすだけだとして反発を強めている。
(5月20日、AFP)

20年ほど昔、私が住んでいた時もよくあったが、パリはストライキでゴミの収集が行われず、そこここにゴミの山ができているという。
社会党の大統領が解雇規制を緩和する労働法改正を大統領権限で強行成立させ、議会の保守派から不信任案を提出されてしまった上、デモ隊やスト参加者を「テロリスト」呼ばわりして強硬姿勢を示すという、ねじれ過ぎてナゾな事態に陥っている。鉄道員・パルチザン上がりのミッテランも草葉の陰で泣いていることだろう。

「フランス人は直接行動が好きだから」という声はあるものの、仮に私がフランス人だったとしても、「サルコジならともかく、なんで社会党のオランドが労働法を改悪するんだよ!」とブチ切れたに違いない。本来、ブルーカラーや公務労働者から支持を得ていたはずの社会党が、解雇規制を緩和する法案を強行してしまったのだから、民意の反映を重視するデモクラシーの原則から逸脱しているのだ。社会党支持層からすれば、「労働者保護」を党に委任したはずが、手のひらを返された上に、テロリスト呼ばわりされたのだから、これで怒らない方がおかしいだろう。
こうした現象が起きるのは、社会構造の変化に対して、既存政党が従来の主張(支持層)を守ることで十分に対応できなくなるためだ。フランスの場合、共和党(旧国民運動連合)が経営者層やホワイトカラー層を代表、かつては地方の商工業者もここに含まれたがFNに奪われている。そして、社会党などの左派は公務労働者とブルーカラー層を代表していたが、ブルーカラー層の票がFNに逃げている。また、地域的には移民の多い南部と鉱工業の衰退が著しい北部において、FNが激しく進出している。
ところが、これに対して既存政党は社会構造の変化を十分に認識せず(知っていながら認めていない可能性もある)、従来の政策を変更して失った支持層の回復に努めないため、国民戦線の伸張を許してしまっている。
フランスの場合、右派ならば移民を規制して地方の商工業の振興策を取り入れるべきだし、左派ならば公務労働重視を是正しつつ、国内企業・工場の保護に重点を置くべきだった。それをせずに、ただFNを「極右」とレッテルを貼って攻撃してみたところで、ワイマール・ドイツの二の舞に終わるだろう。

また、私的に特に問題を感じているのは、フランス社会党が余りにもエリート主義に偏ってしまっている点だ。オランド氏や元首相のロワイヤル女史、オランドと大統領候補の座を争ったオブリー女史など、左右にかかわらず皆ENA(国立行政学院)やパリ政治学院の出身で、官僚や弁護士を務めている。共和党と対抗しつつ、行政府の上に立つ政権担当能力の点では十分な人材が確保されているのだろうが、その反面、社会党の支持層や周辺の有権者のニーズを取り込んで党の政策に反映させる能力が低下しているように思われる。
フランスにおける既存政党の難しさについて

フランスと日本が似ているのは、左右やイデオロギーに関係なく、主要政党の幹部の座をエリートが占めた結果、似たような政策しか打ち出せなくなってしまい、支持層の要求と乖離しつつあるということだ。しかも、フランスのサルコジ氏、日本の小泉氏や安倍氏のように、むしろ右派の方がエリート臭を感じさせない者を前面に出し(実際のキャリアは別にして)、左派の方がオランド(行政学院、会計検査院)、ロワイヤル(行政学院、判事)、岡田(東大、通産官僚)、山尾(東大、検事)氏のようにエリート臭プンプンの者ばかり目立ってしまっている。米国大統領選でも、クリントン女史が蛇蝎のように嫌われているのは、そのエリート臭故だろうと思われる。

エリートの弱点は、有権者・支持者の期待に鈍感であることと、その鈍感さ故に、環境に影響されること無く全体最適を求めてしまう点にあるが、これは「短期的な視野狭窄に陥らず、大所高所から判断できる」強みの裏返しでもある。
民主党政権下で、鳩山・小沢路線を放棄した菅政権が、消費増税とTPPに邁進したのも同じ原理から説明できる。菅直人自身はエリート系ではないが、政権を実質的に支配していたのが霞ヶ関の財務省だったからだ。

今回の英国におけるEU離脱騒動もよく似た構図だが、エリートが「大所高所」から「国民のため」と勧める政策の多くが、大衆にとって、少なくとも現状や短期的将来においてマイナスでしか無いものばかりであるため、大きな齟齬が生じている。
フランスの解雇規制が厳しすぎることは何十年も前から指摘されており、わずかずつながら緩和されてきたが、それが「わずか」で終わっていたのは社会党などの左派が反対していたからだったためで、オランド氏としては「労働市場の循環による経済活性化をしなければ、国際競争に勝てない」を考えて、社会党こそが実行しなければなるまいと信じたのであろうが、国民、特に社会党支持者からすれば「余計なお世話」でしかなく、「お前にそんなことを委任した覚えは無い」と反応するのは避けられなかった。しかも結果として、社会党の支持層の多くが、国民戦線(FN)に流れてしまい、社会党は党勢の維持すら困難になりつつある。

こうしたエリートの発想は、市場原理と経済効率を優先するあまり、大衆の生活水準や階級対立・経済格差に対して鈍感になりすぎる傾向がある。水野和夫先生の説ではないが、利息が極限まで低下し、マイナス金利が常態化している先進国では、もはや中間層や下層から収奪することでしか利益を上げられなくなっており、その結果、経済効率を追求すればするほど、労働収奪が強められることになっている。だが、エリートの鈍感さは、それを「皆さんのためですから」と平気な顔で言わせてしまうため、みなブチ切れて「極右」などに走って行っているのであって、それを「極右」などと非難してみたところで、何も改善しないだろう。

我々、左派こそがエリート主義からの脱却を進めるべきであり、日本の民進党でいえば、岡田氏や山尾氏などに意思決定権を委ねて何度選挙してみたところで、勝利はおぼつかないであろう。
posted by ケン at 15:16| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする