2019年01月14日

【宣伝】タンク・ソルジャー 重戦車KV-1


鋼鉄の軍団”に挑んだ、不屈の男たち
1942年、激戦が続くロシア戦線。ソ連軍重戦車KV-1を駆り、世界最強のドイツ軍ティーガー戦車部隊に、絶対不利な戦いを敢然と挑んだ戦車兵たちの、驚くべき実話。

ツッコミどころが多すぎるが野暮な話なので何も言わない。
ただKV1が主役でありさえしてくれれば、それで良いのだ!
何とか2月に公開して欲しい。
posted by ケン at 20:31| Comment(3) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

ドイツの同人映画がヤバすぎる件

一部ネットで話題になっていて、私も見てみたが、確かに凄い。
何が凄いって、同人制作であるという点だ。
一回10分前後で、エピソード5まで作られているが、「低予算の同人」に驚愕させられる。
細かいところでは「んん?」と思うところもあるのだが、どうでもいいレベルで、どうやらロシア人も本物のロシア人を使っているようで、色々リアリティがある。
むしろ短い時間に凝縮されているからこその良さも感じられ、もっと制作背景が知りたくなる。



posted by ケン at 12:00| Comment(4) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月24日

大河ドラマ 静かなドン

年初に見たロシアドラマ「エカテリーナ」も、TVドラマとは思えないクオリティで、「とても日本は太刀打ちできない」と思ったものだが、本作は、好みこそ分かれるところかもしれないが、個人的にはエカテリーナを超える出来だと評価している。いや、TVドラマでここまで魂が揺さぶられるほど感動した経験は無いかもしれない。それくらいの完成度だった。

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『静かなドン』(日本語字幕付き) セルゲイ・ウルスリャック監督 ロシア1(2015) 

ソ連・ロシア学徒でも無い限り、『静かなドン(Тихий Дон)』を知っている人は稀だと思うので、先に説明したい。
同作は、ソ連期の作家ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ショーロホフの代表作品で、一次大戦から革命を経て内戦に至る時期の、とあるドン・コサックの一族の末路を描いている。
コサックとは、本来、逃亡農奴や逃亡民、没落貴族などが自然的に集まって形成されたコミュニティを指し、民族などの概念では説明できない特殊な背景を持つので、日本人に一から説明するのは難しい。敢えて言えば、日本の「サンカ」に近いのかもしれないが、これも殆ど説明にならないだろうし、コサックには貴族がいることもどう説明すべきか難しすぎる問題だ。

それは一端放置するとして、コサックはある種「自由」の象徴であると同時に、「ロシアの何かを象徴するもの」として存在している。内戦期に白軍について戦ったため、徹底的な弾圧に遭い、コミュニティとしてはほぼ全滅させられたものの、今日でもロシア人の中にはある種の憧れや畏敬を覚える者が少なくない。いや、ロマンと言った方が良いかもしれない。

『静かなドン』は、トルストイの伝統を受け継ぐ長編小説で、ドン・コサックのタタールスキー部落を中心に何人かの主人公の視点からコサックの末路が描かれている。一次大戦における華やかな活躍を経て、革命が起き、部族は革命側と反革命側に分裂、長老が主導権を握って反革命側につくも、一進一退を繰り返す中で死人が続出、部族内部でも血で血を洗う抗争が繰り広げられ、やがて破滅してゆく。
日本では、後半の陰惨な情景が好まれなかったようで、人気は今ひとつだったようだが、そこには日本に共通する「滅びの美学」が感じられる。



もう一つ本作が凄いのは、反革命側の視点に立ち、政治的にはかなり中立的に描かれ、革命軍による虐殺なども書かれていたため、共産党の重鎮は当然のことながら、ソ連の文学人すら非難する始末だったにもかかわらず、スターリンの一声で擁護され、出版が認められた点にある(かなり検閲は入ったようだが)。そして、何よりもスターリンの愛読書で、スターリン自身何度も読み返したらしい。
また、文学人や学識者の非難は、「コサックの情景がリアルすぎる。日記か何かを剽窃したものに違いない」というものだった。知識人がそう考えるくらい、ロシア人からもリアルに見える作品なのだ。

本作は何度も映画化、ドラマ化されているが、本作は最新の2015年に「ロシア1」放送局が制作したもの。その完成度は、非常に高く、ロシア国内でも「最も原作に忠実」との評価が与えられている。45分のエピソードが14本あり、メレホフ家の次男であるグレゴリーの視点で描かれる(原作は複数主人公)。
セットも非常にリアルに再現されており、コサックの部落も「いかにも」な感じで、ドン川が原作通りの存在感を示している。しかし、映像美に頼ることなく、変に理想化して描くこともないところがまた良い。
何よりも全体の構成と脚本、そして演技が素晴らしく、そのどれ一つとっても、日本のテレビでは再現不能だろう。細かいところを言えば、現代のロシアの俳優が演じているので、「コサックぽくない」ところもあるのだが、そこは脳内補正するほかあるまいし、99.9%の日本人はコサックが何かを知らないだろうから、問題あるまい。
革命・内戦期の映像作品はあまり多くなく、この時期のコサック視点の映像は非常に貴重だ。戦闘シーンは多くないが、騎兵突撃から下馬戦闘に至る経緯も描かれていて、これも興味深い。



ロシア学徒的には、グレゴリーの「ロクでもない人格者」という説明が難しい人物像が見事に描写されているのが感動ものだし、父親であるパンテレイの「いかにもロシア」な蛮性には懐かしさを覚えるほどだ。
確かにドラマチックに描いているところもあって、リアリズムとは異なるのだが、かといってリアリズムを阻害するほどにはなっておらず、旧来のソ連・ロシア作品にありがちな「わかりにくい描写」も抑えられており、絶妙なバランスになっている。数々の音楽も非常に心を打つものがある。
ただ、相変わらず何の説明も無いため、私も部族内の人物関係(誰が誰か)を把握するのに前半部くらいかかってしまったところは、難点と言えよう。初心者向けには解説書が欲しいところではある。また、翻訳の都合だろうが、訳が簡略化されすぎていて惜しいことになっている。



ロシア・ソ連学徒、ソ連ファンは必見(&滂沱の涙)、絶対に見て損はしないと太鼓判を押したい。ロシア語を学んで良かったと思える名作である。
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2018年08月20日

パラドックス定数「5 seconds」

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東京裁判、226事件、731部隊、グリコ森永事件など昭和史の闇を舞台化し続けている野木萌葱氏が主宰する劇団パラドックス定数の公演。
渡航前最後の観劇となる。

「機長やめてください!」「逆噴射」で知られる羽田沖日航機350便墜落事故がテーマ。
精神疾患の疑いで病院(史実では松沢病院)に収容された機長と接見する弁護士の二人が、4幕(暗転するだけ)100分間、延々と会話するだけの舞台。音楽すら無い。演劇初心者にはかなりハードルが高そうだが、十分に見応えあった。

滑走路まで500メートルのところで逆噴射を行って、機体を垂直に墜落させた機長は業務上過失致死罪等で起訴される。
刑法39条を駆使して無罪を勝ち取ろうとする弁護士が、統合失調症の疑いがある機長から有用な情報を得ようと悪戦苦闘するが、どこまでも話がかみ合わない。

2人の会話だけで100分間もたせなければならず、コメディー要素もないだけに、純粋に脚本と役者の演技力が問われる。
面白くしようとすれば、「スターリンの葬送行進曲」のようにコメディ化すれば良いのだろうが、奇をてらうこと無く真正面から取り組む野木の真骨頂と言える。

気づいてみれば36年前のことで、演じている二人も事件を知らなかったという。
爺になるわけですな。

posted by ケン at 09:30| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

スターリンの葬送狂騒曲


『スターリンの葬送狂騒曲』 アーマンド・イアヌッチ監督 イギリス(2017)
1953年、ソビエト連邦の最高権力者スターリンが、脳出血の発作で危篤に陥る。“粛清”という名の大量虐殺による恐怖で、国民はもちろん部下たちも支配してきた独裁者だ。今こそ彼の後釜につくチャンスだと色めき立つ側近たちが、互いを出し抜くオトナげない駆け引きを始めるなか、スターリンは後継者を指名することなく息を引き取る。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、スターリンの腹心だったマレンコフ、中央委員会第一書記のフルシチョフ、秘密警察警備隊長のベリヤが3大トップとなり、各大臣にソビエト軍の最高司令官ジューコフ陸軍元帥までが参戦し、権力バトル開始のゴングが鳴った! 嘘と裏切り、仕掛け合う罠─勢力地図は1秒ごとに目まぐるしく塗り替えられ、国を担うはずの男たちの“なんでもあり&やったもの勝ち”のゲスな本性が暴かれていく─。 「驚くべき物語が、さらに驚くことに、ほとんど事実」であるために、フランスで出版されるや物議と人気がヒートアップしたベストセラーの映画化が実現。


宣伝されているほどには「コメディ」ではなかった。確かに細部はオーバーアクションと恣意的な解釈が披露されているが、大まかなところは史実に即していると思われ、興味深かった。日本史で喩えるなら『日本のいちばん長い日』をコメディ化するような話で、確かにロシア人的には受け入れがたいに違いない。岡本喜八の同映画は、当事者たちから「俺たちはあんなに狂っていなかった」と非常に不評だったことが思い出される。ただ、ソ連学徒としては『フルスタリョフ、車を!』を見た方が勉強になると思う。

とはいえ、本作はあくまでも創作であり、歴史映画としてみると大変な勘違いをしてしまうので、鑑賞にはリテラシーが求められる。
例えば、映画では葬儀に参列に来た市民をNKVDが虐殺するシーンがある。しかし、史実としては、モスクワに厳戒態勢が敷かれた結果、一部の街道と広場に参列者が集中、トルーブナヤ広場で将棋倒しが起こり、死亡者が出たわけだが、今日まで被害者の数は不明で、当時は「一万人以上」などとまことしやかに語られたが、現実には100人前後から数百人だろうと見られている。ベリヤの罪状については、外交への介入と数々の専断、そして女性暴行などが挙げられており、件の事件は無縁だ。

史実を確認したいのであれば、この辺りの資料として一番入手しやすく、分かりやすいのは、和田春樹先生の『スターリン批判』(作品社)ないしは、モンテフィオーリ『スターリン―赤い皇帝と廷臣たち』(白水社)がお勧め。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

ゲッベルスと私

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『ゲッベルスと私』 クリスチャン・コロネルほか オーストリア(2016)



ナチス・ドイツの宣伝相だったゲッベルスの秘書ポムゼル女史が、103歳にして69年間の沈黙を破り、ひたすらしゃべるまくるドミュメンタリー。インタビューは総計30時間に及び、記録映像を交えながら約2時間に編集しているが、実質的には彼女が2時間近く延々と回顧するだけの映画なので、映画館では爆睡者が続出、私も一度寝かけたほどだった。

取材が行われたのは2014年で、当時103歳ということは1911年生まれで、実際彼女の記憶は一次大戦が勃発して父親が出征するところから始まる。先頃94歳で亡くなられたK顧問も、ご父君がシベリア出兵に出征されて国家主義から社会主義に目覚めた経緯を話されていたが、まさに想像を超える歴史そのものである。

彼女自身はありふれた中流の家庭のベルリン市民で、より良い仕事を求めてナチ党に入党し、1933年に放送局に就職、仕事ぶりが認められて、1942年に宣伝省に入り、大臣官房の秘書となっている。放送局に入る前は、ユダヤ人の法律・保険事務所で事務員を務めており、純粋に「より良い仕事」を求めただけの話だったという。
大量虐殺などナチスによる蛮行については、一切関与を否定、強制収容所の存在は知っていたとしつつも、「自分は何も知らなかった」と繰り返す。

顔こそ皺だらけで年相応なのだが、その記憶力と話し口はおよそ100歳超のものではなく、80歳超の者でさえ、あそこまで蕩々と話せるものは少ないのでは無かろうか。この点は超人的と言える。その記憶も非常に精密で、覚えていないところはハッキリ言い、よどむところが殆ど無い。感情を露わにするところも非常に少なく、むしろ空恐ろしいほどに淡々と述べているのが印象的だ。
作り手は殆ど操作せずに生のインタビューを流しているだけに、批判的、懐疑的に読み取るのが難しく、聞き手のリテラシーが問われるドキュメンタリーになっている。

私なども若い頃には「十五年戦争に際して、なぜもっと戦争に反対しなかったのか」と考えていたクチであったが、今日のデモクラシーの危機やポピュリズムあるいはナショナリズムの高揚に際して、積極的に抵抗しているとは言えず、むしろ本格的な危機に陥る前に亡命を選択している。自分が採れる選択肢が、「身一つで逃げる」しか無い、あるいは比較的容易に採れるものだからだ。実際に、全体主義政権や軍部独裁が成立してから抵抗あるいは逃亡するのは命がけになってしまい、英雄願望を排除した場合、現実的な選択肢とは言えないだろう。

リベラル系の知識人は「市民の無関心がファシズムを生んだのであって、市民一人一人が批判精神をもって為政者を監視、対峙しなければならない」などと軽く言うが、理想論としては正しくても、その認識は現実的なのだろうか。
全体主義学徒であるケン先生的には、「市民が主体的に日常課題の暴力的解決を望んだ」とするE・トッド先生の解釈を支持するものである。そうでなければ、日本の日比谷焼き討ち事件も南京陥落時の熱狂も説明が付かない。ファッショに至らずとも、日清・日露戦争における開戦要求は、むしろ市民レベルの方が高揚していた。

ポムゼル女史は前後、5年間ソ連に拘留された後、釈放、東ドイツにて放送局に再就職し、人生を全うしている。
「女史が何を語ったか」以上に、受け手が考えさせられる好ドキュメンタリーである。ただし、居眠り注意だが。
posted by ケン at 12:53| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

軍中楽園

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『軍中楽園』 鈕承澤 台湾(2014)



中国と台湾の緊張が続く1969年。台湾青年兵ルオ・バオタイは、大陸沿岸からわずかしか離れておらず砲弾が降り注ぐ最前線の島のエリート部隊に配属される。しかし泳げないことがわかり、軍中楽園と呼ばれる娼館・特約茶室を管理する831部隊に回されることに。ここには、様々な事情を抱える女性たちがいた。小悪魔のように男たちに愛を囁くアジャオとの未来を夢見る大陸出身の老兵ラオジャン。過酷な現実に打ちのめされ、空虚な愛に逃げる若き兵士ホワシン。バオタイはどこか影のある女ニーニーと奇妙な友情を育んでいく。純潔を誓った婚約者から別れの手紙が届いたバオタイの悲しみを受け止めたのは、ニーニーだった。バオタイはやがてニーニーに惹かれていくが、彼女は許されざる罪を背負っていた……。

名作『モンガに散る』のニウ・チェンザー監督の新作。鈕氏は、古き良き昭和テイストとノスタルジーを見事に再現する希有な映画監督である。「台湾なのに昭和?」と思われるかもしれないが、こればかりは実際に観てみないと実感できないだろう。

その鈕監督が、軍娼・軍営娼館という台湾の黒歴史(廃止は1992年)に焦点をあて、国共内戦の最前線である金門島を舞台に様々な人間模様を描いている。ある意味、タブーだらけの作品で、台湾で完成、公開できただけでも大したものだったが、観客動員はあまり芳しくなかったらしい。

全体的には、暗く厭世的になりがちなテーマを、政治的な描写を避けつつ、兵士と娼婦の日常と人生を情緒的に描いている。いささか美しく、情緒的に描きすぎているところが、気になる人はいそうだが、ケン先生的にはこれで丁度良いくらいに思えた。2時間以上の長尺で、ストーリーに起伏があるわけでもないが、微細な笑いと哀しみが見事に混ざり合って、映像美から目が離せない。敢えて陰惨な描写を避けることで、エンターテインメントと歴史ドラマを両立させている、希有な作品と言える。
ヒロインを演じた万茜女史や下士官長役を演じた陳建斌氏の演技はプロフェッショナルのそれであり、演技としても一見の価値がある。

韓国と台湾を冷戦の最前線にしたことで高度成長を果たした日本人としては、慰安婦問題も含めて、正面から向かい合うべき課題を秘めているだけに、是非とも観ておくことを薦めたい。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする