2018年04月30日

ヴァイオレット・エヴァーガーデン原作入手!

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前期最高傑作『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作三冊を入手!「終戦後」と戦争後遺症をテーマにした珍しいラノベ。
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2018年04月15日

河部真道『バンデット』

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『バンデット』 河部真道 講談社 全6巻

専用サイト

10年以上続いた『へうげもの』が完結したが、歴史戦国漫画は意外と多い。とはいえ、「これ」というものは多くは無い。一方で、たかぎ七彦先生の『アンゴルモア 元寇合戦記』に代表されるように、戦国時代や幕末以外の時代も取り上げられており、興味深い。

本作もまた南北朝期を舞台にした珍しい作品で、タイトルの通り山賊、(歴史用語の)悪党をテーマにしている。時代的には、鎌倉幕府の再末期なので、厳密には南北朝ではないのだが、時代の空気的には鎌倉幕府の秩序が瓦解過程に入り、あらゆる社会秩序が揺らいでカオスが醸成されている。その中で、下人(奴隷)の主人公が身分を脱して、己の力で封建社会の中でのし上がろうとする。

常々指摘していることだが、ケン先生は中世の蛮性が全く反映されない大河ドラマや時代物に非常に批判的で、歴史修正主義と言っても良いくらいだと考えている。とかく現代日本人は、武士を理想化してしまう傾向が強いが、特に戦国期以前の武士というのは蛮性そのものだった。鎌倉期の絵巻物『男衾三郎絵詞』にはこんな一文がある。
弓矢とる物の家よく作ては、なにかはせん。庭草ひくな、俄事のあらん時、乗飼にせんずるぞ。馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ。此門外とをらん乞食・修行者めらは、やうある物ぞ、ひきめかぷらにて、かけたてかけたておもの射にせよ

要するに、「サムライの家では、馬草にするから庭の草は放っておけ、庭端には常に生首をさらしておけ、気合いだ!外で乞食や放浪者を見つけたら、引っ捕らえて、弓矢の練習の的にしろ!」ということである。
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
『朝倉宗滴話記』

「先づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるという心也」
『五輪書』

戦闘力の高さこそが、武士の本懐なのだ。
年寄りどもの大好きな宮本武蔵は、「人を斬る」ことを究めることしか頭にない。
俗に言われる宮本武蔵の武伝も、子細を検討すれば、「弱いヤツとしか戦わない」「強いヤツと戦う時は策を弄する」ことが徹底されていることが分かる。かの『五輪書』には、「いかにして敵を斬るか」しか書かれていない。

鎌倉・戦国期は言うまでも無く、つい150年前の戊辰戦争においても会津や宇都宮の戦場には多数の首無し死体が放置されていたと言うし、1876年に熊本で起きた「神風連の乱」では、真っ先に熊本鎮台の種田少将が討ち取られ、その生首は神前に奉じられた。現代ですら、東京日日新聞の浅海一男記者の回想によれば、日華事変の折、丹陽にある歩兵学校を日本軍が制圧した後、校庭に足を踏み入れたところ、(中国)国府軍の制服を着た首無しの死体が数十も放置されていたという。

【参考】 薩摩の蛮性

その意味で、本作はグロいことは確かだが、こうした中世と武士の蛮性をあまねく表現している。
「武士とは何か?ナメられたら殺す!」(なめられなくても殺すんだけど)

「家柄・血筋・高貴な武者といえども、殺せばただの汚い首となる」

武士どころか皇族ですら大変なことになっており、一昔前なら不敬罪が適用されかねない勢いにある。「ゴダイゴ最強伝説」と呼んでも良いくらいだ。

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史実の人物も登場するが、どれも濃ゆい人物として描かれており、非常に興味深い。
全6巻ながらストーリーは一本道にならず、圧倒的な熱量を維持させながら上手く完結させている。

是非とも実写化したい作品である。
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2018年04月10日

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書


『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』 スティーブン・スピルバーグ監督 アメリカ(2017)

ヴェトナム戦争真っ最中の1971年6月、NYタイムズとワシントンポストが米国防省の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」をすっぱ抜く。これは、撤兵を掲げて当選した共和党のニクソン大統領の下で作成された報告書で、1950年代からのヴェトナム戦争に至る経緯と戦争の経緯や分析などを網羅していた。中には、秘密工作、情報操作、プロパガンダ、情報隠蔽なども無数にあり、60年代半ばには勝利の見通しが立たない旨の報告もなされていた。

本作は、ワシントンポスト紙を舞台に、編集部が同文書を入手する経緯、その掲載をめぐって、ホワイトハウスや司法省からの圧力、経営陣との対立、政府有力者と記者の信頼関係との葛藤を描く。当時、同紙の社主は、亡き夫から経営権を継承した元専業主婦で、様々な圧力や葛藤とともに女性蔑視とも戦わなければならなかった。

様々な情報が秘匿、隠蔽され、政府と報道が癒着して「報道の自由」が先進国最低レベルとなっている日本に住むものとしては、まさに「耳が痛い」話。報道の自由と独立性、司法の自立と権力の分立、差別と戦う女性、反戦運動など様々な要素が盛り込まれている。

作品としては、地味なテーマながら非常に手堅くまとめられており、一定の緊張感を保ちながら最後まで見られる。だが、やはりアメリカ映画であるため、主人公があまりにも英雄的に描かれており、ストーリーもきれいにまとまりすぎていて、欧州文化育ちのケン先生的には現実感に乏しく見える。

そして、アメリカの政治社会について最低限の知識が無いと、一体何の話なのかストーリーについて行けないだろう。説明的なシーンは皆無に近いだけに、ヴェトナム戦争、アメリカにおける権力分立制度、米国憲法、アメリカの新聞制度などの知識が無いと厳しいものがある。例えば、NYタイムズやワシントンポストが全国紙では無く地方紙であることなど、日本人的にはなかなかイメージしにくいかもしれない(名称を見れば一目瞭然なのだが)。
また、合衆国憲法修正第一条は、
議会は、国教の樹立を支援する法律を立てることも、宗教の自由行使を禁じることもできない。 表現の自由、あるいは報道の自由を制限することや、人々の平和的集会の権利、政府に苦情救済のために請願する権利を制限することもできない。

と規定しているが、第一条で天皇を国民統合の象徴と規定する日本国憲法とあまりにも違い過ぎて、この点でもイメージしづらいものがある。つまり、国家の存立基盤として、アメリカはリベラリズムを求めるのに対し、日本は君主制を選んでいるためだ。
最後の司法判断も、この合衆国憲法修正第一条に則ってなされるわけだが、日本の最高裁判所(大審院)が米同様に、憲法の主旨に則って行政に反する判断を下す可能性は皆無と言って良い。この点でも、日本人的には異世界のイメージでしかない。

まあ日本人的には「ネヴァーランド」くらいの気持ちで見ておくのが吉ということだろう(爆)
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2018年04月08日

ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第「5」番

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演奏: ヴォルフラム・シュミット=レオナルディ(ピアノ)
オーケストラ: ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: テオドール・クチャル
作曲: ラフマニノフ(ヴァレンベルグ編曲)

ごく一部で話題になったラフマニノフ・ピアノ協奏曲第「5」番。現代作曲家であるアレクサンダー・ヴァレンベルグ氏が交響曲第二番を三楽章のピアノ協奏曲に編曲した作品。若干ピアノが薄めだが、「いかにも」「あるある」的なラフマニノフのテイストを残しており、ファン歴30年の私的には好印象。
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2018年04月01日

日本放映を期待したいロシアドラマ

先日紹介した『エカテリーナ』が象徴的だが、どうもロシアで制作されるテレビ・ドラマのクオリティが急上昇しているようだ。他にも非常に興味深いテーマが続々と放送されているので、是非とも日本公開して欲しい。いくつか紹介しておく。現代ロシアのソフト・パワーがいかに侮れないものであるか、分かるはずだ。


『ゾルゲ』 ロシア1(2017)
日本の南進政策をいち早くソ連に報告し、シベリア師団の西送によってモスクワ防衛に多大な貢献をなしたソ連の大スパイ・ゾルゲを描く。全12回。史実とフィクションを交えた作品で、撮影は上海なので日本人的には違和感もあるのだが、服装や文書などの小道具は綿密な時代考証がなされている模様。本ドラマもやはり演技が素晴らしく、映像も格好良い。現代ロシアのドラマ、映画技術の向上ぶりが分かる。日本人俳優のロシア語が上手すぎて、最初はブリヤート人かと思ったほど。


『トロツキー』 ロシア1(2017)
トロツキーの半生を描く。全8回。「ロシア革命100周年」を記念して制作されたドラマで、高視聴率を獲得、10以上の賞を受賞している。これも史実とフィクションを交えた作品で、特に歴史学者からの批判が多かった模様。ちょっと見た感じでは、確かに劇的に描きすぎているが、ロシア革命100周年記念であえてトロツキーをドラマにする制作者の積極性を評価したい。やはり映像美に優れている。


『オプティミスト』 ロシア1(2017)
1960年代、ソ連外務省内に新たに設置された情報分析班が、米国からの亡命者(アメリカ共産党の女性運動家)と協力しながら、党やKGBからの介入と戦いつつ、U2撃墜事件、キューバ危機など数々の難題と対峙する。全13回。部署も登場人物も架空の話だが、当時の東側エリートの仕事ぶりや生活ぶりを垣間見ることができ、非常に興味深い。
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2018年03月25日

ドラマ・エカテリーナ



国営「ロシア1」が2014年に制作した、女帝エカテリーナ2世の生涯を描く大河ドラマ。現在壮年期を描いた「2」までが公開されている。日本ではスカパー!のチャンネル銀河で2月から放送。韓国・中国のドラマが専門だと思っていたが。ロシアでは、40%とも50%とも言われる視聴率を獲得している。

本国版を見た人の中には「フィクションの多いメロドラマ」と評価する人もいたのだが、自分が第一クールを見た限り、ほぼほぼ史実を忠実に再現しており、むしろ独自解釈を少なくしているように見えた。最近の日本の大河ドラマよりはるかに誠実なつくりである。「男を取っ替え引っ替え」は史実通りなので、それを「メロドラマ」と評してしまうと、このドラマ自体が成立しなくなってしまうだろう。もっとも、女帝役のマリーナ・アレクサンドロワ(NHK『坂の上の雲』にも出演)は30代前半で3度目の結婚をしたというから、似た部分もあるのかもしれない。

英ドラマ『ウルフ・ホール』ほどは洗練されていないものの、基本的に重厚なつくりで、かつロシア芸術特有の分かりにくさは最小限に抑えられており、少なくとも池田理代子先生の『女帝エカテリーナ』を読んでいれば前提条件はクリアできる。先生も「一晩で一気見した」と述べておられる。

最大の魅力は「本物を使っている」ことで、ペテルゴフの宮殿(今はエカテリーナ宮として知られる)と庭を中心にロマノフ王朝の宮殿の実物で撮影されているだけに、再現力がハンパ無い。最近のセットはリアルになっているとはいえ、やはり本物の魅力(豪華さ)にはかなわない。私などは実物を何度も見ているだけに感動ものだ。
18世紀の軍服を中心に宮廷ファッションや調度品も楽しめるし、音楽や料理の再現にもこだわりが見られ、バッハ好きとしてはたまらないものがある(フリ−ドリヒ大王の宮廷にC.P.E.バッハがいる)。

特筆すべきは俳優のレベルの高さで、中にはアイドルっぽい者もいるのだが、プロの役者の高い演技力が歴史ドラマの厚みを支えている。中でも、第一クールの実主人公とも言えるエリザヴェータ女帝役のユリヤ・アウグと、そのパートナーであるラズモフスキー侯爵役のアレクサンドル・ラザレフの存在感が素晴らしい。皇太子役(後のピョートル三世、エカテリーナの夫)のアレクサンドル・ヤツェンコも、難しい役どころを違和感なく演じている。秘密警察長官シュヴァーロフ伯爵役のニコライ・コザックも「いかにも」な感じだ。

昨今の日本の大河ドラマは学芸会にしか見えず、演劇としては見るに堪える水準にないが、ロシアの場合、演劇の裾野が非常に広く、それが映画やドラマにまで反映されている。
例えば、ユリヤ・アウグはレニングラード国立舞台芸術大学、アレクサンドル・ヤツェンコはロシア演劇芸術大学(モスクワ)、アレクサンドル・ラザレフはモスクワ芸術座附属高校演劇科を出て、兵役を務めながら軍劇場で役者を担っていた。旧ソ連・東欧圏には、どこにも演劇大学や映画大学がある上、軍隊にすら専門の劇団や映画制作部門があり、文字通り国を挙げて取り組んでいる。モスクワ芸術座附属高校演劇科などは大祖国戦争中の1943年に設立されている。赤軍劇場(現ロシア軍劇場)が設立されたのは、スターリン期の1930年である。

日本に目を向けた場合、演劇大学は一つもなく、わずかに日大芸術学部に演劇学科がある程度という、お寒いどころか、江戸時代から殆ど進歩していない。フランスとロシアに住んでいた私が見ると、学芸会にしか見えないのは、あまりにも演劇のインフラが貧弱すぎるためだろう。

敢えて難点を指摘するなら、劇中の台詞が全て現代ロシア語で話されていることで、私のような外国人からすると、字幕無しでも十分理解できるくらいの分かりやすさがあるのだが、言うなれば現代の日本語で時代劇を演じているようなものなので、「そこはそれでいいんきゃ?」と思わなくも無い。
例えば、英『ウルフ・ホール』や仏『王立警察 ニコラ・ル・フロック』では、それなりに当時の語感を反映させた「時代劇語」を使っているので、私程度の仏語能力では『ニコラ・ル・フロック』はサッパリ聞き取れなかった。
むかし普段日本人と全く齟齬無く会話できる「日本語超上級」の留学生に、『鬼平犯科帳』や『仁義なき戦い』を見せた時も、みな「全く聞き取れない」と話していたことが思い出される。

話が飛び飛びになってしまったが、とにかくロシア好きにはたまらない一品であることは間違いない。

【追記】
劇中、M同志に良く似ているイケメン貴族が出てくるのだが、フレデリーケ(後のエカテリーナ)の母親を誘惑して情報をとる任務をエリザヴェータ帝に命令されていて、つい「同志もこの時代に生まれるとこんな仕事させられるのか」と、つくづく貴族やイケメンなどに生まれるものでは無いと思った次第。本ドラマを見て、「お姫様になりたい」とか「前世はお姫様だった」などと言い出すものは一人もいなくなるのではないか。
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2018年03月05日

ロング・ロード・ホーム



『ロング・ロード・ホーム』 マーサ・ラダッツ原作 マイク・メダヴォイ制作総指揮 ナショナルジオグラフィック(2017)
2004年4月、フセイン政権崩壊の1年後、イラクは連合軍暫定当局が統治。アメリカ軍のバグダッド駐留の任務は保安活動だった。しかし、外国の占領に反感を持つ宗教指導者サドルとの衝突が生まれ、状況は緊迫。アメリカ軍は水道工事の護衛を終えて基地に戻る途中で奇襲され、激戦が始まってしまった・・・・・・

『ザ・ステイト〜虚像の国』といい、最近ナショナルジオグラフィックとヒストリーチャンネルの区別が付かなくなっているが、そこは重要では無い。
イラク戦争の重要な転機となった武力衝突事件「ブラックサンデー」の全容を、全8回のドラマで描く。ブラックサンデー事件については以下の通り。
2004年4月4日(日)、バグダッドの貧困地区サドル・シティで発生したアメリカ軍とイラク武装勢力による武力衝突事件。パトロール中の米陸軍第1騎兵師団の小隊が、連合軍暫定当局による占領支配に反対するシーア派指導者ムクタダ・アル・サドル師の創設した民兵組織「マフディ軍」に襲撃され、駆け付けた米軍援護チームを交えた戦闘へと発展。8人の米兵が命を落とし、51人が負傷する惨事となった。この事件を皮切りに「ファルージャの戦闘」などイラク各地で米軍と武装勢力との戦闘が勃発し、当時既に有志連合軍によるイラク進攻から1年余り、復興支援へと移行していたイラク戦争は泥沼化していくこととなる。さらに、サドル師の強い影響下にあったサドル・シティ(もともとはサダム・シティと呼ばれていた)も、その後4年以上に渡って米軍やイラク治安部隊によって包囲された。

ちょうど部隊が再編され、交替で多数の新兵が米本土から到着した矢先(4日目!)の出来事となる。バグダッド市内において復興支援に従事、基地に戻ろうとした米軍小隊がシーア派民兵の襲撃を受け、車輌を破壊されて、民家に籠城、本隊が救出部隊を送り出すも、同民兵によるゲリラ戦で阻まれ、被害を拡大させていってしまう。

実時間で2日程度のストーリーなのだが、米兵の視点、米兵の家族の視点、イラク人の視点などを盛り込むことで、重層的なつくりになっている。
実際の現地写真や取材資料をもとに、舞台となるサドル・シティを100棟以上の建物からセットで再現するという、ドラマを超える規模の作品になっている。
ケン先生は、2003年6月に某党の議員視察団に同行してバグダッドを訪問したが、全く違和感のない再現度と言える。

最近の戦争ドラマはリアリズムが徹底しているため、たとえアメリカ側の視点でも全く容赦なく現実を描いており、見ているだけでSAN値(正気度)が削られてゆくイメージだ。
「世界最強」を誇るはずのアメリカ陸軍だが、2003年の話ながら多くの綻びが見られる。例えば、パトロールに出た小隊がGPSを装備しておらず、救出位置を把握するために発煙筒をたかなければならない。救出部隊は救出部隊で、装甲車両が足りず、剥き出しのトラックに搭乗するわ、無線を装備していない車輌が山ほどあるわ、すぐ車輌が故障するわと、最精鋭の騎兵第一師団とは思えない状態が露呈されている。この辺をキッチリ描いている辺りは、さすがアメリカだと思う。今の日本では、自衛隊の装備不良を描いただけで、そこここから叩かれてしまうだろう。

『ザ・パシフィック』を見た時は、「日本軍にそんな弾薬あるわけないじゃん!」と思ったものだが、本作ではシーア派民兵がロクに身を隠さない素人くささを見せつつも、凄まじい弾幕を張ってきて、車輌やボディ・アーマーに護られているはずの米兵が次々と倒れてゆく。「民兵やりすぎだろ〜」と思わなくも無いが、この後に起きるファルージャ戦では、半年近く包囲したファルージャを攻撃した米軍が、100人近い戦死者と500人以上の負傷者を出している。また、ファルージャはイスラム国が2014年1月に占領するが、イラク政府軍が奪還したのはその2年半後のことだった。その辺を考えると、それほど外してはいないのかもしれない。

とはいえ、アメリカのドラマなので、指揮官が妙に人格高潔すぎるところや、「オレ達の(正義の)戦いはこれからだ!」的なラストは、いささか受け入れがたいものがあるが、そこは百歩譲って容認したい。
もう一度見るには、SAN値の回復を待つ必要がありそうだが、イラク戦争がどのようなものであったか実感するには最適の題材と言える。

【追記】
主人公格の小隊員たちが「基地に戻ったらD&Dやろうぜ」と話してる辺りがゲーマー的にキます。
posted by ケン at 12:40| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする