2020年05月28日

タンク・ソルジャーズ〜史上最大の戦車戦に挑んだ兵士たち〜

最近は戦車映画が増えてしまって珍しくなくなってしまったし、戦争ドラマはロシアで大量生産(悪く言えば粗製濫造)されており、いささか食傷気味なくらいだ。
本作は、2018年にロシアの「チャンネル1」が制作した全八話のTVドラマ。
1942年冬にサラトフ戦車学校に士官候補生として入学した主人公と同地の衛生学校のヒロインを中心に話が進んでいく。
1943年7月のクルスク・プロホロフカ戦車戦がクライマックスとなって、幕を閉じる。



原題は「Крепкая Броня」、直訳するなら「堅い鎧」で、相変わらず原題が無視されている。
まぁ確かに戦車旅団を舞台とした戦車兵の話ではあるのだが、全体の6〜7割は戦車兵と衛生兵がくっついたり、別れたり、すれ違ったりという話で、「ソープ・オペラ」とまでは言わないが、丸々「パンしゃぶの構造」で、戦争ドラマなのか恋愛ドラマなのかわからなくなっている。
その割に、戦闘シーンや個々の兵士の描き方はそれなりにリアルになっており(陳腐な設定や嘘くさい設定も散見されるが)、「結局何を描きたかったの?」観がますます強まっている。

クライマックスのプロホロフカ戦車戦は、近年の研究では、従来のイメージのような大戦車戦(独軍装甲部隊とソ連戦車部隊の正面衝突)は殆ど行われていなかったとされる。
確かにこうして映像化されてみると、「戦車同士で正面から撃ち合う」のはいかにも間抜けに見えてしまう。
個別的には、T-34は実物を使っており、T-55を改造したティーガーも他作品よりは良くできているが、「見える戦車は全部ティーガー」であることには変わりなく、その辺も「またきゃ!」と言いたくなる。

総じて言えば、「八話使ってやるほどのネタじゃ無い」で、後から調べてみたら、ロシアのサイトでも10点満点で平均5〜6点だった。
ロシア人から見ても駄作だったのである。
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2020年05月24日

アエロフロート 東京-モスクワ定期便開通記念ポスター

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1968年、アエロフロートの宣伝ポスター。東京−モスクワの定期便は1967年4月に運行開始。ブレジネフ政権の緊張緩和・限定自由化政策に起因するものだった。

ソ連製デザインは今見ても普通にカッコイイと思います。
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2020年05月23日

日本の文化芸術は壊滅寸前?

【芸術文化は壊滅的、急がれる生活支援「賃貸料は待ってくれない」】
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、芸術・文化活動の多くが中止や延期に追い込まれている。俳優や演奏家、制作陣ら関係者を対象にした各種アンケート結果から、早急な金銭的支援が必要な実態が明らかになった。ライブ・エンターテインメント市場の統計調査を行うシンクタンク「ぴあ総研」によると、感染拡大防止のため、音楽コンサートや演劇、ミュージカル、スポーツなどの公演や試合が中止・延期で売り上げがゼロもしくは減少した総数は3月23日現在、8万1千本(確定値)にのぼる。
 また5月末まで自粛が続いた場合、さらに7万2千本(推計値)が追加され計15万3千本となり、損失額は3300億円に達するとみられる。昨年の年間のライブ・エンターテインメント市場は推計9千億円規模だったが、今年は大幅減少が予想される。コンサルティング会社「ケイスリー」(東京・渋谷)が4月にアーティストら芸術・文化関係者に実施したアンケートによると、8割以上が「収入が低下した」と回答。また行政の金銭的支援策については96%が「不十分」と答えた。調査は先月3日から10日にかけインターネットを通じて行われ、3357人が回答。回答者の71%がアーティスト(俳優、演奏家、ダンサーなど)で、続いて制作者・制作側(技術者・スタッフ含む)が34%を占めた(複数回答)。回答者からは「3カ月先の仕事もなくなり生活が困窮」「収入が途絶え、他の仕事を探すも、どこの業界もコロナでバイト求人さえ少ない」として生活への早急な支援を求める声も寄せられている。
 協同組合「日本俳優連合」(理事長・西田敏行、会員数・約2600人)が俳優や声優を対象に4月14〜19日に集計した実態調査アンケート結果によると、4月の収入が減った人は7割を超え、うち3割近くが無収入と回答している。こうしたフリーランスのアーティストたちを支援する「持続化給付金」などがあるが、収入減少の証明が必要だ。普段、銀行振り込みでなく現金で受け取っている場合は、記録が残っていないことも少なくない。申請のハードルが高いといった指摘も出ている。自由回答欄には「現時点で収入がなくても、賃貸料は待ってくれない」「他国のような素早い支援を求める」といった多くの声が寄せられていた。
 ぴあ総研の笹井裕子所長は「過去経験したことがなく、インパクトは大きい。この状況が長引くと、活動を断念する個人事業主や団体も出てくるのでは。自粛解除後も元の状態に戻るのには2、3年、あるいはもっとかかるかもしれず、先が見通せない」と話す。
(5月12日、サンケイビズ)

ロシアでもヨーロッパでも、俳優、バレエダンサー、オペラ歌手から舞台職人まで基本的には劇場の被雇用者であるため、国や自治体、あるいは民間が劇場を支援すれば雇用は守られる。だが、日本の場合、劇団は存在しても劇場からは切り離されているため、支援の方法からして難しい。また、ヨーロッパの場合、職能ごとに全国組合が存在するため、交渉力がある。例えば、バレエ・ダンサーの組合が文化大臣と交渉するのである。日本の場合は何も無いので、ほぼ野垂れ死ぬのを待つだけになっている。

日本のある劇団がロシアで公演した際、劇場の職員用食堂でご馳走になり、「職員用食堂があること」「激安であること」に感動、ロシア人俳優に伝えたところ、「給料安くても、これで食える。ソ連の遺産だね」と、どこまで本音で、どこから皮肉なのかわからないが、そう言われたという。
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2020年05月20日

Wildermyth


「Wildermyth」(steamにて早期アクセス中)

外出自粛のためPCゲームへの依存度が上がった中で、もっともはまっている作品の一つ。
ゲームのシステムは、オーソドックスなターン制のシミュレーションRPGであるが、キャラクター作成どころかシナリオ(クエスト)からダンジョンまで自動生成されるところが特徴。キャンペーンの枠組みだけは設定されているが、それ以外はランダムなのだ。
こう言うと、キャラやシナリオへの没入度が低いのではないか?と思うだろうが、そこがそうでもないところが非常に良くできている。

魔に覆われた世界で三人の村人が武器を持って立ち上がり、モンスターから世界を救うという、非常にオーソドックスな設定。
クエストの中では、冒険者の会話の中でたびたび選択肢が現れ、その選択によってシナリオの展開や戦闘の初期設定が異なってくる。
いくつかのクエストをこなす中で、ラスボスが浮かび上がり、それを倒すと、数年の「平和」が実現して、次章に進む。
平和の期間にキャラクターは老化し、年齢によっては引退して、次世代の冒険者に引き継がれる。
このため、単純にキャラを育てれば良いわけではなく、労務管理的視点から次世代を育成しないと、「平和後」にボコボコにされてしまう恐れがある。結果、クエストで得た新装備をベテランに渡すのか、新人に渡すのかで悩むことになる。死んだ英雄の装備は他のキャラに引き継がれず、一旦装備したものは他の仲間に渡せないところがポイントだ。
戦闘でキャラが倒された時も選択肢が現れ、「重傷を負って戦線離脱」「自らの命と引き換えに敵に大ダメージ」などの選択が迫られるのだが、これも悩まされるところ。低難度であれば、重傷離脱でOKなのだが。。。戦闘も結構シビアで、戦士と射手と魔法使いを上手く使い分けないと、すぐ大惨事になってしまう。
クエストをこなすごとに経験値を得て、レベルが上がると、基本値があがるとともに新たなスキルと装備を得る。
このスキルも三つの選択肢の中から一つを選ぶのだが、これまた結構悩んでしまう。

キャンペーンが進行すると、キャラが増えていくが、マップも広がり、そこここでモンスターが暴れ始めるので、パーティーを二つに分ける必要が出てくるが、この分け方でも非常に悩むことになる。新人だけのパーティーはすぐに全滅してしまうからだ。
そして、各地で暴れるモンスターを倒して廻ると同時に、「いつどのタイミングで、どのパーティー(組み合わせ)でボスのところに行くか」も難しい。

大まかなイメージは、「ディセント」(アークライト/FFG)に近い。
手書き風のアート、ペーパークラフトのボードゲーム風のコマ、音楽も良い感じで、非常に独特な雰囲気がある。
Steamにて「圧倒的好評」なのも頷ける
惜しむらくは、英語のみしかなく、私もフィーリングでストーリーを追っているのが現状だが、是非とも日本語化して欲しい作品である。
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2020年05月12日

イリスと巨人

近年は少しプレステやPCゲームなどから遠ざかっていたのだが、最近特にPCゲームを見直すようになってきた。
そのうちのいくつかを少しずつ紹介していきたい。

1番目は「イリスと巨人」である。
ローグライクとデッキ構築型カードゲームを組み合わせた作品。
ローグライクとは、昔懐かしいPCの自動生成式ダンジョン攻略型RPGをイメージしてもらえれば十分だろう。
ストーリー的には、イリスという少女が心の闇に潜む悪魔に立ち向かって、ラスボスである怒れる巨人をなだめるための冒険をするというもの。
言うなれば、引きこもり少女の心象風景をRPG化した感じだ。
ゲーム内容的には、ストーリーはあまり関係ないとも言えるのだが、この辺の設定もなかなか凝っていて、哀しげな音楽と共に独特の世界観を構築している。少年漫画系のノリが主流の日本では、なかなか作品化できないだろう。ストーリーも終わってみれば、感慨深いものがある。



ゲームは、デッキ構築型カードゲームで、敵=心の悪魔を倒しながら、新たなカードを獲得しつつ、全20階層を登っていく。HPは体力ではなく、「意志力」であり、心の悪魔に次から次へと攻撃されて、「心が折れてしまう」設定だ。
冒険を繰り返していくと、「イマジナリー・フレンド」が増え、冒険の手助けをしてくれる。考えてみると、色々ヤバい設定が多いのだが。。。
そして、ゲームの難易度設定が非常に絶妙で、三段階で最も難しい「ナイトメア」は、ケン先生もようやく最近一回クリアしたものの、殆ど「運が良かっただけ」で、その後アップデートされたこともあって、この後はクリアできていない(カード全クリをめざしている)。

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低難度以外は、よほどデッキ構築型ゲームに習熟したもので無い限り、かなり苦労するはずだ。
何度も何度も繰り返し挫折するたびに、新たなスキルが解放され、イマジナリーフレンドが増え、ランダムで追加カードが与えられ、新規カードが追加されていくのだが、これが恐ろしい中毒性(良い意味で)になっている。
日本語対応で、通常価格で2千円しないのも魅力だ。

最近は華美な映像だけのゲームが増えて、ゲームそのものの面白さを感じなくなってしまい、TVゲームから遠ざかりつつあったが、外国産PCゲームは電源系ゲームの良さを再発見させてくれた。steamで販売中

【追記】
ただ、大型アップデートに伴いバグが発生するようになったことはいただけない(5月6日時点)。



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2020年04月22日

マチルダ 禁断の恋


『マチルダ 禁断の恋』 アレクセイ・ウチーチェリ監督 ロシア(2018)

一昨年見逃してしまって、今回ようやく見ることができた。
これも色々な意味で話題作で、左右両側から上映禁止要請がなされ、プーチン大統領が上映を擁護したとされる。
右の君主制主義者(一時話題になった美人検事など)からは、「帝室に対して不敬であり、事実無根の攻撃」旨の批判がなされ、上映禁止を求める運動が起こり、映画館に対する脅迫などもあったという。
一方、共産党などの左派からは「帝政復活をもくろむ懐古プロパガンダ」旨の批判がなされた。
そして、プーチン大統領がわざわざ「上映に向けて何の問題も無い」旨のコメントを出すまでに至っている。
ロシアの非専門家はどうしてもロシアを独裁国家と見がちだし、実際欧米系のマスゴミのよって世論誘導が行われている。
しかし、実際のロシアは一面ではワイマール期のドイツのような危うさを持つと同時に、自由でもあるのだ。
大統領の強権や発言にばかり注目すると、「スターリンのみ見て、ソ連を見ない」と同じ過ちを犯すことになるだろう。

では、実際の本作はどうなのかと、私も興味津々だったわけだが、

単なる超豪華なソープ・オペラだった。

言うなれば、「一万円のラーメン」である。
中身は、自分勝手で上昇志向ばかりが強いバレリーナが、皇太子や皇族、貴族を次々とたらし込んで、やりたい放題、帝室の威信も何もあったものではない、というものである。
そして、嫉妬に荒れ狂う皇太子妃(候補)みたいな。
これでは君主主義者が怒るのも、大人げないが、首肯できるところはある。

しかし、ペテルブルクの夏宮と冬宮を始め、撮影の多くを実際の宮廷で行っており、衣装も恐ろしく豪華で、全てが絢爛豪華でまばゆいばかりになっている。
この贅沢さは、現代日本では実現不可能であり、撮影や演出の巧さも相まって、「中身なんてどうでもいい」と思わせるくらいに魅せてくる。
この映像の贅沢さと、内容の陳腐さ、それをひたすら真面目に演出しているところが、とにかく「凄い」のである。
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2020年04月13日

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』


『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』 監督・豊島圭介
このドキュメンタリー映画は、伝説となった「三島由紀夫VS東大全共闘」の記録を高精細映像にリストアし、当時の関係者や現代の文学者・ジャーナリストなどの識者他、三島由紀夫についての「生きた」証言を集め、ようやくその全貌が明らかとなる、1969年5月13日と約半世紀後の現代を結ぶ作品だ。当時、武装化していた東大全共闘ら、1,000人近い学生が集まる討論会に、警視庁の警護の申し出を断り単身で赴いた三島。そして行われた討論会は二時間半にも及び、三島由紀夫という天才が、死をも覚悟して臨み、その煌めきをまざまざとみせつけた奇跡のような時間となった。

緊急事態宣言が出る前に何とか見れた。

60年代テイスト満載で、若い世代向けにも親切設計だったが、コメンテーターの選別がイマイチだった。三島由紀夫なのに深谷隆司先生が出てこないとか、全共闘と全く関係のない内田樹、小熊英二が語っていたりとか、「わざとツボを外してるのか!」と言いたくなるところはあるが、そこは私がオタクすぎるからかもしれない。

三島の隣で赤ん坊を抱きながらタバコをふかしつつ、三島にチャチャを入れていたのが芥(斎藤)正彦(浦高、東大)だったことは初めて知った。今も昔も一人革命家だった。興味深いことに、同世代の浦高生も東大生も「頭の良さで言えば斎藤(芥)」とほぼ口を揃えて言っているのだが、人の評価というのはホントわからないものである。確かに頭は良いかもしれないけど、アート方面に振り切っちゃってるから。。。

今日的視点から見ると、東大生はいかにも60年代テイストの空論、議論のための議論に明け暮れている一方、三島はずっと年下の学生相手にどこまでも真摯に向き合っている。学生が三島を馬鹿にするような言動が繰り返すところが、むしろ痛々しく見えるわけだが、その辺がどこまでも60年代的で美しくもある。つまり、この当時は生の人間が堂々と議論することが「恥ずかしくない」最後の時代だったのだ。
この「政治の季節」は、連合赤軍事件と三島の自決をもって幕を閉じるわけだが(一般的な歴史評価として)、その後、大学生は社会的エリートではなくなり、政治に関心を持つことはおろか、議論することすら「恥ずかしい」と捉えられる時代へ移り、バブルの狂乱を経て、「失われた三十年」を迎えることになる。

大学はとうに知的空間ではなくなって、「サラリーマン養成所」から「就職予備校」へとなり、国家官僚はエリート意識を失ってロボット化が進み、政治家は人気投票によって選ばれるだけの反知性の代表者と化している。
かと言って、全共闘世代にしても民族派にしても、現代の統治システムや理念に対するオルタナティブが提示できているわけでもない。
それはこの映画の時代も同じで、学生運動は革命を志向したものの、革命の方法論も革命後の統治システムも行き当たりばったりでしかなく、三島の民族論も「君側の奸を排除して天皇親政を確立」と二・二六事件の将校と同レベルのものでしかない。
政治家視点やゲーマー視点で見てしまうと、「これじゃ、話にならん」で終わってしまうので、そこは割り切って見る必要があろう。

【追記】
この当時の学生運動は「左翼」を自称し、セクトによっては共産主義を掲げているわけだが、当時の文書を読んでも生き残りの話を聞いても、本来の社会主義の目的である、「貧困の撲滅」「公正な分配」「全ての人が人間として認められ、生きられる社会の実現」といった要素が全く感じられず、ただ「体制打倒」「反米」を繰り返すだけで、「本当に左翼だったのか?」という疑問はぬぐえない。結果、今日の研究者からは「反米愛国運動」とのレッテルを貼られてしまっているわけだが、やむを得ないと思うところもある。日本において、NK党や社民党を含めて、「左翼」が貧困層から積極的な支持を受けていない根源的理由であろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする