2016年11月04日

舞台『治天ノ君』

geki_choco_27_tokyo_02.jpg
『治天ノ君』 劇団チョコレートケーキ(初演2014年)
【脚本】 古川健
【演出】 日澤雄介
【出演】 西尾友樹 浅井伸治 岡本篤 青木シシャモ 菊池豪 佐瀬弘幸 谷仲恵輔 吉田テツタ 松本紀保
11月6日まで世田谷パブリックシアターにて



『ラインの向こう』以来、約一年ぶりとなる劇チョコさんの舞台。
2014年に初演された話題作の再演だが、様々な情勢が重なって密かなブームになっているようだ。前売りは完売、当日は補助席も埋まって、脇に立ち見がズラリと並んでいた。2時間半の長丁場を考えても大人気ぶり。

ADHD気味で、父親の明治帝に疎まれながらも、自分なりの帝王像を追求しようとするも、脳病に侵されてしまう大正帝の半生を、皇后の九条節子(さだこ)視点で描く。玉座の間だけで2時間半も演じるのに、全く飽きさせない演出と演技は見事の一言。
史実の基本的なところは、原武史『大正天皇』に基づいているようで、昭和帝の摂政就任に伴うデマとプロパガンダのヴェールを取り払って、その実像に迫る意欲作だが、この間の今上帝「生前退位」問題や三笠宮薨去などが相まって、話題を呼んでいる。

大正帝については、私の祖母なども「遠眼鏡事件」を挙げて、「ちょっと頭が弱かったようで、外に出ないように隠されていた」みたいに述懐しており、いかに大々的な事実隠蔽と改竄がなされていたかを物語っている。
実際には、確かに病弱で、今日で言うところのADHDのような症状が見られたものの(落ち着きが無い、我慢できないなど)、基本的には正常な判断能力を有しており、漢詩を好み、フランス語や朝鮮語(恐らく日本の皇族では唯一人)を学んでいたことが分かっている。ただ、西欧やリベラリズムへの憧れが強く、自由を愛する傾向が、宮廷関係者や保守派から疎んぜられたようだ。初めて一夫一妻制を導入し、複雑怪奇な宮中のしきたりを簡素化し、行幸に出ては気軽に大衆に声をかけたことなどが、「皇室の権威を貶めた」と判断されたのだろう。そして、脳病を患い、政務が困難になると、宮内省から意図的に病状がつまびらかに公開され、大正帝の時代そのものが「無かったこと」にされ、明治帝と昭和帝を美化する方向に進められていく。

聞くところでは、昭和帝が明治帝をモデルにしたように、今上帝は大正帝にモデルを見いだしていたようで、内々に「御意思に反して退位させられたようだ」と語っておられるという。確かに、ごく短い期間ではあったものの、大正帝の取り組みは、平成帝のそれと被る部分が非常に多い。

舞台に話を戻すと、使われている用語がかなり現代化されてしまっているのと、登場人物が皇族を含めて早口すぎるのが気になったが、まぁ私も実際に宮中で話を聞いたわけでは無いので、仕方が無いかとは思う。リアルな宮廷語を使うと、観ている人が半分くらいしか理解できないかもしれないし。わが一族の人間が最後に宮中に入ったのは半世紀も前の話なので、私も身近なところでは確認しようが無い。
いずれにせよ、この難しいテーマを正面から取り組むこと自体が、立憲君主下におけるリベラリズムを体現するものであり、それを見事に仕上げているスタッフの皆さんには心から敬意を表したい。今上帝も、本舞台の存在を知れば、御覧になりたかったのではなかろうか。
ただ、惜しむらくは、このような表現が許されるのも、恐らくあと数年のことではあるのだが。
「いずれ、もう一度観たい」と思う舞台など、そう巡り会えるものではない。

【追記】
「おそれかしこき」を主人公に据えるという意味では、ケン先生なら、日清戦争あるいは日露戦争の回避に努力する明治帝と、帝を騙して開戦を承認させようとする元老の暗闘を描く舞台をつくりたいな〜〜
posted by ケン at 12:11| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

【宣伝】この世界の片隅に

konosekainokatasumini.jpg
『この世界の片隅に』 片渕須直監督・脚本 日本(2016)



こうの史代先生の『この世界の片隅に』がアニメ化され、12日からロードショーされる。
原作は本ブログでも紹介していたはずだが、どうもサーバーを移籍した際に古い記事の一部が消失してしまった中に入っていたとうで、読めなくなっている。
広島から呉に嫁いだ主人公の戦争末期の日常を描く。
今日では、このテーマだと従来の方法では資金が集まらないようで、クラウディングファンドを利用して約4千万円を集めて原資としている。幸いにして東京テアトルが配給してくれるので、単館上映は免れたようだが、大手では無い。ネット情報では、主人公役に『あまちゃん』の能年玲奈氏をあてたことで、元所属事務所が様々な妨害工作を行っているという。
戦争末期の日常を淡々と描いた作品で、とても「反戦映画」に分類されるとは思えないのだが、もはやこうした作品を制作、上映することも困難になりつつあることを示している。
前評判も上々なので、是非とも早めに観に行きたい。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

映画『聲の形』

img_ca9a37a5e647d977f56acf88a24b796d109410.jpg
『聲の形』 山田尚子監督 京都アニメーション(2016)



聴覚障害を持つ子どもに対するイジメと子ども社会の陰湿さを真正面から描いた名作『聲の形』(大今良時、講談社)が劇場アニメ化されたので、観に行った。なかなかの人気ぶりなので、公開から1カ月して映画館に足を運んだものの、平日夜でかなりの席が埋まっていたので、本物の人気なのだろう。高校生くらいの学生が多く、客層はかなり若めだった。
原作については、こちらを参照して欲しい。

さすがの京アニ・クオリティで、淡い色調と緩やかな造形の京アニ色と原作の繊細な表現が見事に融合されており、京アニと原作の良いところが出て、全く違和感が無い。
原作は全7巻なので、それなりに省略されているが、これも上手くまとめられており、省略の不自然さも最小限に止められている。
特に手話による手の動きや聴覚障害者特有の発声は、漫画では表現できないだけに、脳内補完が進み、色々な面で納得や理解を深めてくれる。私ももう一度原作を読み直したくなった。手話の意味を字幕にするべきという声もあるようだが、そこは文脈で十分理解できる範囲であり、観客の想像力に委ねるべきだろう。
全体的にも「感動の押しつけ」になることなく、観る者の心を揺さぶる出来になっており、手放しでお勧めしたい作品に仕上がっている。

早見沙織さん、凄いです!
posted by ケン at 12:53| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

将棋連盟がスマホ禁止

【日本将棋連盟が対局中のスマホ持ち込みを禁止 ソフト進化でカンニング防止策】
 日本将棋連盟は5日、東西の将棋会館で行う公式戦で、対局室へのスマートフォンなどの電子機器の持ち込みや対局中の外出を禁止する規定を設け、12月14日から施行すると発表した。女流棋戦にも適用する。対局中に使用が発覚すれば除名を含む処分の対象とする、としている。今回の規定により、棋士は対局開始前にスマホや携帯電話などの電子機器をロッカーに預け、対局中は使用できなくなる。また、将棋会館からの外出もできなくなる(敷地内はOK)。近年のコンピューターソフトの能力向上に伴い、電子機器を利用した不正行為が行われる恐れがあるとして、同連盟に一部棋士から何らかの規制を求める声が寄せられていた。
 連盟は9月26日の東西棋士会で、(1)現状のまま(2)ロッカーに預ける(3)外出禁止とする(4)預けて外出も禁止する(5)金属探知機導入などさらに厳しい措置をとる−の5項目について出席棋士60人にアンケートを実施した。この結果、8割超がロッカーに預ける案を支持し、6割超が外出禁止もやむを得ない、と答えていた。タイトル戦については主催者と日本将棋連盟で決める。今回の決定について羽生善治棋聖は「将棋界は性善説で成り立っているが、そうとばかりは言っていられない時代になったのかなと思う」と話した。
(10月5日、産経新聞)

AIの方が強くなってしまうと人間のプロ棋士は失業か?
今はまだ外部機器を使用せざるを得ないが、電脳化する頃には人の脳と電脳の境界がなくなってしまうので、どこからどこまでが「人間同士の対戦」なのか分からなくなる時代が近づいている。
趣味ならばマナーや信頼関係で済むものも、競技や職業となれば、性善説で済ますのは人が良すぎるだろう。スポーツにおけるドーピング問題と同根なのだから。
また、指導に際しても、20〜30年後には、自宅でVRゴーグル付けてAIに個別指導を受ける形が一般化しそうだ。人間関係が煩わしいと考えられがちな今日にあって、いつまで人が道場に通うのかも興味深い。初老の私ですら、少女に罵倒されながら「指導」されたいなどと、つい妄想してしまうくらいだし。
自分が死ぬ頃までに一体どうなっているのか、全く予断を許さない状況だ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

映画 マイケル・コリンズ

113795_01.jpg
『マイケル・コリンズ』 ニール・ジョーダン監督 英愛米(1996)

麦の穂をゆらす風を見たときに、いつかこれも見なければと思ったのだが、そのまま忘れ去ってしまっていた。
アイルランド独立から内戦に至る過程を、IRA軍事部門の指導者だったマイケル・コリンズを主役に描く大作。「麦の穂」が若いゲリラの視点から描かれたのに対し、こちらは指導者の視点から描いている。

1916年の失敗に終わるダブリン蜂起から同21年12月の英愛条約とアイルランド自由国の成立を経て、22年8月に暗殺されるまでの6年間を描くが、享年31歳と非常に若かったこともあり、今日に至るまで英雄視されている。日本史で言えば、坂本龍馬に近いのかもしれない。
コリンズの戦略は興味深いものがある。彼は英国の諜報網に注目し、英国側の諜報員や協力者を殺害することで「目」を潰し、英国軍の動きを封じていった。同時に、彼は高い金融技術を持ち、建国前に公債を発行して資金を集め、さらにそれを運用して必要分を調達した。本作でも、「銃を撃つのは良いが、弾は無駄遣いするな」と何度も述べており、面白い。
「パルチザン」と「テロリスト」が、しょせんは「どちら側の視点から見るか」という話でしかないことがよく分かる。

映画としては、大作にふさわしい豪華なセットと派手な演出で当時の街並みを再現している上、役者の演技も申し分なく、ストーリー的にもきちんと歴史が追えるように仕上がっている。
ただ、「麦の穂」と比較すると、やや一本調子で陰影が弱いこと、英国支配の苛烈さの描写が弱いため、なぜ独立を目指すのかという視点が弱いこと、英愛条約をめぐって同志と対立し内戦に突入するわけだが、そこに至る議論や内戦の陰惨さが今ひとつ足りないこと、が感じられた。いや、一本の映画としては「十分」な出来なのだが、「麦の穂」が名作すぎるだけの話なのだろう。恋愛要素を中途半端に入れたことも良くなかった。
また、独自の歴史解釈や演出が多く含まれているため、歴史映画として見るには注意が必要だという。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

ラノベ祭り(2016.9)

P1250304.jpg

今月は楽しみにしているラノベが目白押しで、プチ引きこもりモード。
まずは「祝!狼と香辛料再始動」。「貨幣論でラノベ」という斬新すぎる試みを、しかも大成功させた支倉先生の新シリーズ、超期待してます。
でも現時点での一押しは、白鳥先生の「りゅうおうのおしごと」。「ガチ将棋でラノベ」という、これも「有りそうで無かった」斬新な試みだけど、ガチ将棋とガチロリの組み合わせが超熱く、今もっとも「続きが気になる」シリーズ。
蝸牛先生の「ゴブリンスレイヤー」は、どこかで改めて紹介するつもりだけど、「ゴブリン退治専門」のシビアなファンタジー観がたまらないデス。

『狼と香辛料XVIII Spring Log』 支倉凍砂 電撃文庫
『新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙』 支倉凍砂 電撃文庫
『はたらく魔王さま!0-II』 和ヶ原聡司 電撃文庫

『りゅうおうのおしごと!4』 白鳥士郎 GA文庫
『ゴブリンスレイヤー3』 蝸牛くも GA文庫
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月18日

アルキメデスの大戦

51eGsNURXdL__SY346_.jpg
『アルキメデスの大戦』 三田紀房 講談社ヤングマガジンコミックス 既刊三巻

時は昭和8年、1933年。日本は満州事変、5・15事件を経て急速にミリタリズムへの傾斜を深める一方、ドイツではナチスが政権を奪取して国際連盟からの脱退を表明していた。国際緊張が高まりつつある中、日本海軍では次期主力戦艦の選定をめぐり、激しい対立が生じていた。ドレッドノート級をはるかに上回る超ド級戦艦を計画する主流派(史実的には艦隊派)と、航空主兵主義を唱え高速の巡洋戦艦を主張する非主流派(同条約派)である。だが、艦隊派が出してきた大和型戦艦の見積もりは非現実的に低く、条約派は一人の天才学生に「査定」を依頼することにした。

「数字で見る建艦競争」「派閥抗争で見る日本海軍」という図式が斬新で興味深い。
航空主兵論者にして三国同盟に反対した大叔父の痛恨は、「大和があるから(戦える)」「大和を動かせるうちにやろう」と日米開戦へのインセンティブがかかり、「まだ大和がある!」と和平交渉の障害になってしまったことにあった。税収が13億円という当時に、1億5千万円の巨大戦艦を二隻もつくってしまう官僚制度と合成の誤謬を良く描いている。叔父上の魂が乗り移ったかのようだ。
そのうち租税と印紙による基本的な税収は、わずか13億円に過ぎないのだ。
塩・たばこ・砂糖の専売や、その他の官業収益、国家資産の整理などを含めて、ようやく19億円になるような有様だった。
もっとも、一般歳出も戦争勃発に伴う追加予算の編成で膨れあがっただけで、昭和8年から11年までは22〜24億円程度に収めているし、臨時軍事費もない。
つまり、歳出ではなく、政府収入から見た場合、大和のムダさ加減は一層強調される。
借金ではない真っ当な収入が20億円もないところに、1億5千万円の戦艦を2隻もつくってしまったのだ。
(中略)
昭和12年度には兵器費に占める弾薬費の割合はすでに56%になっていたが、翌13年度には早くも76%に上昇し、その分兵器生産が犠牲となって滞り、さらに翌14年(1939年)には中国戦線に展開する25個師団への補給が一部不足するという事態に陥っている。
この昭和14年に戦前の日本のGNPは頂点となり、後は次第に衰退していくだけだった。
その翌々年に日米が開戦するわけだが、兵器・弾薬・戦車・自動車等の生産は昭和13年(1938年)がピークであったことを考えると、我々の先祖は一体どんな頭脳をしていたのか、疑うしかない。
戦艦大和をめぐる日本人の財政感覚

大和が参加した唯一の水上戦である「サマール島沖海戦」が、それを物語っている。
1944年10月25日、いわゆるレイテ沖海戦の一局面だ。
レイテ湾突入を目指す栗田艦隊(大和を含む戦艦4、重巡6、軽巡2、駆逐艦11)は、サマール島沖にて、米第77任務部隊の護衛(小型)空母6、駆逐艦7からなる艦隊を発見、これを米正規空母群主力と誤認して、戦闘を開始した。

真っ昼間の2時間の海戦で日本海軍が挙げた戦果は、護衛空母1隻と駆逐艦3隻のみで、逆に航空攻撃や雷撃を受けて、重巡部隊の大半を失った。
その際に、大和の主砲は1発の命中弾も与えられなかった。
戦艦4隻(大和、長門、金剛、榛名)の主砲発射は、合計で約500発に上ったが、命中弾はわずか10発強に過ぎなかった。
天候や航空攻撃などの悪条件はあったが、昼間の距離3万メートルで命中させられない、ということは、大和の46センチ砲の優位性(米戦艦の射程外から撃つ)がはなはだ疑わしいことを意味する。
無用の長物
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする