2016年12月29日

アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場

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『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』 ギャヴィン・フッド監督 英(2015)



南ア出身のフッド監督が無人兵器・ドローンをテーマにした対テロ戦争の実相に迫った作品。
ドローンを描いた作品はすでに何本かあるようだが、私は本作が初めてなので比較はできないが、非常に考えさせられる一本で、映画館を出て家に帰るまでいろいろと考えてしまった。
設定はいささか戯画的なところがあるものの、似たようなケースは実際にあったことを想像させるに十分で、リアリティが感じられる。
ストーリー的には単純といえば単純で、テロ組織の幹部を発見して無人機からミサイルを撃つか撃たないかで延々と「会議が踊る」だけなのだが、それだけの話を100分の映画にしてずっと緊張感を保っているところが秀逸で、見た後疲労感を覚えるほどなのだ。

【以下ネタバレ注意!】
本作が秀逸なのは、まず設定にある。作戦の指導権は英国にあるが、実施者は米軍で、実施国はケニア、敵はソマリアのジハーディスト組織幹部(ラビリンスのプレイヤーなら組織名は知っている)という複雑な状況にある。ケニアは旧英国植民地で現在も友好国だが、隣国のソマリアは延々と内戦を続けており、テロの温床となっている。敵は友好国のケニアに潜伏中だが、指揮所はロンドンにあり、無人機の操縦者はハワイにいる。この時点でワケ分からない感がハンパないだろうが、これが現代戦なのだ。

作戦の主導者は英軍だが、テロリストの中にはジハーディスト化した自国人がおり、「敵」とはいえ自国民であり、裁判にもかけずに殺害して良いのか。「敵」を攻撃するといっても、ミサイルを撃ち込むのは友好国内であり、政治的、外交的な問題は発生しないのか。無人機を操縦するのは米軍人で、たとえ同盟国とはいえ、他国軍の指揮官からミサイル発射を命ぜられる葛藤。ミサイルの弾着先は、民間人も居住する市内であり、民間人への被害はまず確実に避けられない。
軍事的要請、政治的リスク、外交的リスク、コンプライアンス(交戦規程)、人道問題、国民国家の原理など様々な要素が絡み合い、それを誰がどのように判断し、決断するのか、という課題・ハードルこそが、本作の最大のテーマになっており、見事に描ききっている。

個人的に思ったのは、自由民主主義とテロ戦争の相性は非常に悪く、確かに最新技術で軍事的な勝利は挙げられるかもしれないが、「作戦」を実施すればするほど「敵」も増やしてしまう構図になっているが、指導者は遠い安全な場所にいるので「よっしゃよっしゃ」で終わってしまい、何の疑念も持たないのだから始末に悪い(ゼロではないのだろうが、考え始めたらテロ戦争などできない)。
別の観点では、100馬力超しかなかった「プレデター」が、いきなり10倍近い出力を持つ「リーパー」になり、非常に強力になっていた。「ヘルファイア」が想像以上の威力だったことにも驚かされた。ほかの最新機器も含めて「百聞は一見にしかず」だった。

GMT「ラビリンス」のプレイヤーならば、より多くの「気づき」があるだろうし、そうでない人でもニュースや本で読む知識と、映画とはいえ映像から得られる情報は非常に大きいものがあると考えられるので、テロ戦争や現代戦に関心のある者はぜひ見に行くことをお勧めしたい。特にゲーマーの皆さんには、映画を見て本コメント欄に感想を書いて欲しい。
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2016年12月10日

クラーナハ展―500年後の誘惑

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「クラーナハ展―500年後の誘惑」 国立西洋美術館 1/15まで

西洋美術館のクラーナハ展に行く。
クラーナハは、大学時代に澁澤龍彦にはまって以来のファンで、展示があれば見に行ったものだが、「個展」としては本邦初と聞き、驚いている。確かにマルティン・ルターの肖像画といえばクラーナハではあるものの、それ以外ではドイツかルネサンス、あるいは澁澤ファンでない限り、馴染みがあるとは言えないのかもしれない。

とはいえ、宗教以外のテーマで女性、それも裸婦を描いたり、大工房で作品を量産したりするなど、ルネサンスの「革新」を象徴する画家だった。また、単なる画家ではなく、大工房の経営者であり、宗教改革の支援者であり、貴族の顧問であり、市の評議員や市長でもあった。
この当時は、まだ板に直接描いている時代だが、先進的なカンバス画もあり驚かされる。
『ホロフェルネスの首を持つユディト』をはじめ、初来日の作品も多く、クラーナハに特化しているのは見応えがある。ただ、ウィーン美術史美術館から来た作品は、どれも完全に修復されピカピカになり過ぎて、まるで昨日今日描いたような仕上がりになっており、逆に「これマジで真作?」みたいになってしまっている。昨今の技術は凄まじいものがある。

また、クラーナハをモチーフにした現代作家の作品も展示されているが、面白いものもあれば、「何故これ?」というものもあり、評価の分かれるところだろう。だが、全体としてはバランスの良い展示になっており、何よりも「人が多くない」ため非常に見やすい展覧会であることが良い。印象派展などになると、行列して止まることも許されない話になってしまい、とても見に行く気になれないが、本展は土日でも普通に見られるところがお勧めだ。
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2016年12月07日

山岸凉子展

山岸凉子先生の初展覧会に行く。
本郷にある弥生美術館(文京区弥生町)は、東大の裏手にあるが、都心部ながらも閑静な住宅街であると同時に、東大の敷地に面している関係で大きな木も多く、散歩しても心地の良い空間だ。

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山岸凉子展 「光 −てらす−」 ―メタモルフォーゼの世界― 弥生美術館 12/25まで

「山岸凉子展」は激ヤバだった。印刷媒体では体感できない、原画が醸し出すパワーが圧倒的。カラー原画も、華やかな彩色と黒の静謐さの対照が見事で、思わず何度かガラスに額を付けてしまった(笑)展示の質も高く、色々見応えがあった。
来館者は私よりも年上の妙齢の婦人ばかりだった。1人で行くにはやや抵抗があったので、同行をお願いして正解だった。
気に入りすぎて展覧会オリジナルカレンダーも購入。

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同行していただいた方に「アラベスクとか日出処の天子とか読んだの?」と聞かれ、「その辺はあまり〜」と答えたところ、「信じられない!」と叱られた。いやいや、自分が生まれる前にデビューされてるんですから!
妹の「花とゆめ」とか「ASUKA」は読んだけど、小学生は「LaLa」読みませんから!
確かに自分は「テレプシコーラ」からの「にわか」ではあるのだけれど。
でも、アラベスクは貴重なソ連ネタだから読んでおくか・・・・・・
先生も来年古希か〜〜

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そして、次回はこれであります!解散はもうちょっと待って〜〜
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2016年11月17日

Реминисценция

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『レミニセンティア』 井上雅貴監督 ロシア・日本(2016) ユーロスペースにて上映中



ソクーロフ監督のスタッフを務めた日本人スタッフが、ロシアでロケし、ロシア人俳優を使って作成した自主映画。しかも渡露したスタッフはわずか3人で、撮影場所もモスクワやサンクトペテルブルクではなく、ヤロスラヴリ。これだけ見ても、パートナーがロシア人であることを差し引いても、かなりの蛮勇ぶりが感じられる。

「記憶」をテーマとしたロシアSFで、人の記憶を消去する特異能力を有する初老の男性を主人公としている。だが、人の記憶とはそれほど「確か」なものなのか。「正しい」のは、物理存在なのか、人の認識なのか。存在するから認識するのか、認識するから存在するのか、哲学的な命題を、ロシアのごくありふれた街並みとアパートの一室で表現している。

自主制作とは思えない映像美でロシアの普通の街並みを撮っており、「日本人視点だな」とは思うものの、スターリン建築の「らしさ」が良く表れている。まぁロシア人的には面白くもおかしくもない風景なのだが、普通の日本人からすれば、それ自体がSF感に溢れていると言えよう。

また、登場する役者は、殆ど全てヤロスラヴリ劇場の専属俳優だそうで、言われてみれば確かに演劇的な演技ではあるが、作品の意図を理解した重厚な演技になっており、作品の深みを増している。
監督は、シナリオや場面の急変に即応できるロシアの役者のプロフェッショナリズムを称えていたが、これは当然の話なのだ。日本の役者と違って、ロシアでは演劇コースを有する中高が普通にあり、さらに演劇科や映画科を有する大学や大学院を出た者が俳優になるのであって、日本のように「劇団に入っていた」者が役者になるわけでは無い。つまり、日本ではまず教えられることの無い、理論と教養の素養が背景にある。作品の背景にあるものや、作家の意図を深く捉えられるのが、ロシアの役者であり、それは日本の役者に圧倒的に足りない要素なのだ。

これは、バレエやフィギュアスケートを観る者ならより良く理解できると思う。昨今では技術的には日本のダンサーはロシア人に劣らなくなってきたが、芸術的表現になると相変わらず全く太刀打ちできない。これも作品や作家の理解が足りない、あるいは技術優先で芸術表現を軽視する姿勢の表れなのだ。
例えば、「白鳥の湖」で日本人ダンサーは白鳥は素晴らしく上手に踊れるが、黒鳥になると全く魅力も威圧感も失ってしまう。白鳥は技術的に優れていれば踊れるが、黒鳥は人間の暗黒面をどこまで、どうやって表現するかに掛かっているため、精神面や教養面の理解の深さが無いと、ただ黒い衣装を着て踊っているだけになってしまうからだ。

全体的には、内容の割にカットが多すぎてやや落ち着かない感じはしたものの、自主制作とは思えない、フルスペックの映画に近い完成度を実現しているが、日本市場に受け入れられるかと言えば、残念ながら厳しいものがありそうだ。
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2016年11月16日

この世界の片隅に

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『この世界の片隅に』 片渕須直監督・脚本 日本(2016)

先に本ブログでも宣伝した『この世界の片隅に』を、ロードショーから三日目に観に行ったところ、全く予期していなかった監督の緊急舞台挨拶に遭遇した。なんでも前日の広島映画祭で「ヒロシマ平和映画賞」を受賞されたとか。おめでとうございます!!
片渕監督の挨拶は、「すずさんを一日でも長くスクリーンにいさせてあげてください!」とヒロイン愛で満ち溢れていた。ちなみにケン先生は、左のプロデューサー氏の頭の後ろあたりに座っている。

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たまたま良い席で観たかったので、ネット予約したのが好運だった。その回も、次の21時からの最終回も、映画館の外まで行列ができるほどの盛況ぶりで、何でも全国60余箇所での上映(大手なら200箇所以上)で、二日間で3万人以上を動員したというのだから、大したものだろう。上映後に拍手が起きたのは、ロシアやフランスでは経験したが、日本では初めてかもしれない。
ネット情報では、様々な妨害工作が仕掛けられているという話だったが、杞憂にせよ、上々の滑り出しで歓迎したい。

今回はできるだけ内容に触れないようにしたいが、ストーリー的には昭和19年に広島から呉に嫁いだ絵描きの好きな少女の銃後の日常を描いている。
アニメではあるが、とにかく当時の広島や呉の街並みの再現度がハンパ無く、海軍の艦艇についても微細に描いている。全体の淡いトーンとリアルな再現度が見事にマッチングしており、それがファンタジー要素と現実の出来事のギャップによる表現を巧みにしている。この要素はストーリー上にも表れ、決して裕福とは言えず、知らぬところに嫁に行かされるという日常の淡い幸せと、突如襲いかかり全てを奪っていく圧倒的な暴力との落差になっている。あのトーンでここまで空襲の恐ろしさを表現できるのは、まことに凄いことだ。
基本的には、やたら悲劇性を強調せず、淡々と日常を描いてはいるものの、「大事なものを失う」ことの恐ろしさと悲劇に身につまされる。映画館では、何故か圧倒的に男性が多かったが、そこここで泣き声が聞かれた。
声優としての「のん」さんは、広島弁に「演技」感が見られたものの、熱演であることは間違いなく、その巧拙にかかわらず心を打たれたことは確かだ。

本作は長期の視聴に耐えうる作品に仕上がっており、後世まで評価されると思われる。私ももう一度くらい映画館に足を運ぶかもしれない。
posted by ケン at 12:15| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

舞台『治天ノ君』

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『治天ノ君』 劇団チョコレートケーキ(初演2014年)
【脚本】 古川健
【演出】 日澤雄介
【出演】 西尾友樹 浅井伸治 岡本篤 青木シシャモ 菊池豪 佐瀬弘幸 谷仲恵輔 吉田テツタ 松本紀保
11月6日まで世田谷パブリックシアターにて



『ラインの向こう』以来、約一年ぶりとなる劇チョコさんの舞台。
2014年に初演された話題作の再演だが、様々な情勢が重なって密かなブームになっているようだ。前売りは完売、当日は補助席も埋まって、脇に立ち見がズラリと並んでいた。2時間半の長丁場を考えても大人気ぶり。

ADHD気味で、父親の明治帝に疎まれながらも、自分なりの帝王像を追求しようとするも、脳病に侵されてしまう大正帝の半生を、皇后の九条節子(さだこ)視点で描く。玉座の間だけで2時間半も演じるのに、全く飽きさせない演出と演技は見事の一言。
史実の基本的なところは、原武史『大正天皇』に基づいているようで、昭和帝の摂政就任に伴うデマとプロパガンダのヴェールを取り払って、その実像に迫る意欲作だが、この間の今上帝「生前退位」問題や三笠宮薨去などが相まって、話題を呼んでいる。

大正帝については、私の祖母なども「遠眼鏡事件」を挙げて、「ちょっと頭が弱かったようで、外に出ないように隠されていた」みたいに述懐しており、いかに大々的な事実隠蔽と改竄がなされていたかを物語っている。
実際には、確かに病弱で、今日で言うところのADHDのような症状が見られたものの(落ち着きが無い、我慢できないなど)、基本的には正常な判断能力を有しており、漢詩を好み、フランス語や朝鮮語(恐らく日本の皇族では唯一人)を学んでいたことが分かっている。ただ、西欧やリベラリズムへの憧れが強く、自由を愛する傾向が、宮廷関係者や保守派から疎んぜられたようだ。初めて一夫一妻制を導入し、複雑怪奇な宮中のしきたりを簡素化し、行幸に出ては気軽に大衆に声をかけたことなどが、「皇室の権威を貶めた」と判断されたのだろう。そして、脳病を患い、政務が困難になると、宮内省から意図的に病状がつまびらかに公開され、大正帝の時代そのものが「無かったこと」にされ、明治帝と昭和帝を美化する方向に進められていく。

聞くところでは、昭和帝が明治帝をモデルにしたように、今上帝は大正帝にモデルを見いだしていたようで、内々に「御意思に反して退位させられたようだ」と語っておられるという。確かに、ごく短い期間ではあったものの、大正帝の取り組みは、平成帝のそれと被る部分が非常に多い。

舞台に話を戻すと、使われている用語がかなり現代化されてしまっているのと、登場人物が皇族を含めて早口すぎるのが気になったが、まぁ私も実際に宮中で話を聞いたわけでは無いので、仕方が無いかとは思う。リアルな宮廷語を使うと、観ている人が半分くらいしか理解できないかもしれないし。わが一族の人間が最後に宮中に入ったのは半世紀も前の話なので、私も身近なところでは確認しようが無い。
いずれにせよ、この難しいテーマを正面から取り組むこと自体が、立憲君主下におけるリベラリズムを体現するものであり、それを見事に仕上げているスタッフの皆さんには心から敬意を表したい。今上帝も、本舞台の存在を知れば、御覧になりたかったのではなかろうか。
ただ、惜しむらくは、このような表現が許されるのも、恐らくあと数年のことではあるのだが。
「いずれ、もう一度観たい」と思う舞台など、そう巡り会えるものではない。

【追記】
「おそれかしこき」を主人公に据えるという意味では、ケン先生なら、日清戦争あるいは日露戦争の回避に努力する明治帝と、帝を騙して開戦を承認させようとする元老の暗闘を描く舞台をつくりたいな〜〜
posted by ケン at 12:11| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

【宣伝】この世界の片隅に

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『この世界の片隅に』 片渕須直監督・脚本 日本(2016)



こうの史代先生の『この世界の片隅に』がアニメ化され、12日からロードショーされる。
原作は本ブログでも紹介していたはずだが、どうもサーバーを移籍した際に古い記事の一部が消失してしまった中に入っていたとうで、読めなくなっている。
広島から呉に嫁いだ主人公の戦争末期の日常を描く。
今日では、このテーマだと従来の方法では資金が集まらないようで、クラウディングファンドを利用して約4千万円を集めて原資としている。幸いにして東京テアトルが配給してくれるので、単館上映は免れたようだが、大手では無い。ネット情報では、主人公役に『あまちゃん』の能年玲奈氏をあてたことで、元所属事務所が様々な妨害工作を行っているという。
戦争末期の日常を淡々と描いた作品で、とても「反戦映画」に分類されるとは思えないのだが、もはやこうした作品を制作、上映することも困難になりつつあることを示している。
前評判も上々なので、是非とも早めに観に行きたい。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする