2016年08月27日

ウルフ・ホール

1601_dor04.jpg

英ドラマ『ウルフ・ホール』(2015)を見る。何ヶ月も前に録画していたのだが、まとめて見る時間というか、精神的余裕がなく、先延ばしにしていた。選挙の代休を含めてまとめて休む時間ができたので、ようやく鑑賞できた。何せ映画4本分、まとめて見たかったのだから仕方が無い。
英国では名作の誉れ高いようだが、確かに「名作」と呼ぶに相応しい、濃密かつ重厚な出来で、演技も素晴らしかった。

16世紀半ばのイングランド、国王ヘンリー8世の宰相格であるウルジー枢機卿の秘書・弁護士を務める、トマス・クロムウェル(護国卿の大叔父)が主人公。この時点で相当地味な印象だが、あくまでもクロムウェルは「猿回し」の役であり、主題はヘンリー8世をめぐる宮廷闘争の歴史劇である。
しかも、冒頭でウルジーは国王の寵愛を失って凋落、主人公は助命と名誉回復に奔走するが、その手腕が認められて、国王の書記官に命ぜられてしまう。しかも与えられた使命は、王妃キャサリンとの離婚仲裁(ローマ教会に婚姻不成立を認めさせる)であり、主人だったウルジー失脚の首謀者でもあるアン・ブーリン(エリザベス一世の母)との婚姻だった。もともとクロムウェルは、卑賤の身から金融業で成り上がっており、戦争好きで放漫財政を主導するヘンリーを苦々しく思っている節があり、何重にも気の毒としか思えない。だが、一切の感情を排して、遠回しな皮肉を交えながら、ヘンリーやアンに仕えるクロムウェルの姿は、まさに我々政治家秘書の鏡と言える。また、この一見無感情なのに、非常に微妙な心の揺れを見せるクロムウェル役マーク・ライランスの演技は誠に見事だ。

基本的に宮廷の権力闘争が中心で、派手な戦争シーンもなければ、華麗な愛憎劇もなく、演技も抑制的で、どこまでも地味なのだが、可能な限り史実を忠実に再現しており、重厚な演技と演出で、どこまでもリアリティを追求し、見ている者を飽きさせない完成度に仕上がっている。こういう「リアル大河」路線は、日本でもNHKが『平清盛』で試みたものの、全く受け入れられること無く挫折してしまった。この辺は、テレビ視聴者の「民度」の問題なのか、歴史ドラマに求めるものの違いなのか、よく分からない。

内容・時期的には、同じく英ドラマ『THE TUDORS〜背徳の王冠〜』と丸かぶりなのだが、改めて比較すると、TUDORSがいかにド派手(淫乱)さを追求したソープ・ドラマ(昼ドラ)であったかが思い知らされる。まぁあれはあれで、カネのかけ方を含めて尋常ならざるド派手ぶりがウリで、嫌いではなかったのだが、シーズン2辺りで食傷になってしまった。

評価とは全く関係ないのだが、この時代は「トマス」が大流行していたようで、主人公の他にも、主な登場人物のうち、ウルジー卿、モア卿(『ユートピア』の作者)、ノーフォーク公(アンの伯父)、ブーリン卿(アンの父)が「トマス」であり、制作側も苦労しただろうなと。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月06日

シン・ゴジラ

shin-godzilla_tmb-700x381.bmp
『シン・ゴジラ』 庵野秀明監督 日本(2016)

庵野氏は長期スランプに陥り、映画版「エヴァ」の制作が遅れに遅れる中で、今作を監督したことで一部から非難囂々にさらされていたが、本作の出来を見れば沈黙せざるを得ないのでは無かろうか。

噂通りの完成度で、確かにこれは「新世紀」に恥じぬ出来だろう。『巨神兵東京に現わる』を見て依頼したというだけあって、色々なところに庵野色が出ている。
ゴジラがついにCG化されてしまったのは残念ではあるものの、東京の街並みの再現度はハンパ無く、歩いたこともある東京や川崎そのもので、それが怪獣に潰されてゆく様のリアル感もまたハンパ無いものだった。特に上空からの俯瞰映像とローアングルからの怪獣を組み合わせたカメラワークが非常に優れており、迫力と説得力を激増させている。また、ところどころに東日本大震災や福島原発事故を思わせる映像も多い。

もう一つの特徴としては、ゴジラ以外の部分が非常にリアルにつくられている点がある。特に、ゴジラ登場をめぐる、政治や行政機構、自衛隊による武力行使、日米を中心とする国際関係などの要素がふんだんに盛り込まれ、むしろ群像劇や人間模様の方が中心とすら言えるくらいの構成になっている。いつもの庵野節で、やたらとセリフや情報の量が多く、とても一回見ただけでは処理できない程だ。
閣議や対策本部のシーンがやたらと長く、部分的には現場にある者として「それは無いなぁ」と思う部分も無くはないが、基本的にはリアルに作り込まれており、妥協を許さない方針が良く伝わる。
もっとも、政治家や官僚がいささか美化されており、設定がネトウヨ好みになっているところは気になるのだが、あれは庵野氏一流の「お前らこういうの好きなんだろ、ほうら!」的なノリなんだろう。

個人的には、環境大臣役が元リアル副大臣だった横光克彦先生だったのは超びっくり。もう70過ぎているはずなのに、60歳くらいにしか見えない。さすが本業だが、こういう部分でも閣議の再現度を増しているのだろう。

新宿TOHOのTCX=エキストラ・ラージ・スクリーンで見たけど、大ホールの真ん中にもかかわらず、画面が視野に入りきらず、大変でしたが超迫力だった。見に行くなら、やはり大画面がお薦め。
posted by ケン at 13:00| Comment(5) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

日本で一番悪い奴ら

196597.jpg
日本で一番悪い奴ら』 白石和彌監督 日本(2016)

「日本警察史上最大の不祥事」とも言われる「稲葉事件」をモチーフにした映画。
原作は、本ブログでも紹介している(2011.12.07)。
『恥さらし 北海道警悪徳刑事の告白』 稲葉圭昭 講談社(2011)
銃摘発のカラクリ、マル暴と暴力団の関係、薬物氾濫の流れなどがつぶさに分かる。ノルマを稼ぐために犯罪者を泳がせ、密売元には触れない警察の実態。名刑事は捜査の過程で暴力団員とズブズブの関係に陥っていく一方で、上司からノルマ達成の偽装を依頼され、ますます堕ちていく。まさに「事実は小説よりも奇なり」である。これを映画化しないで何を映画にするというのか。若松監督あたりならやってくれるか?

柔道の腕を買われて北海道警にスカウトされる普通の警察官が、暴対や銃器対策室に配属される中で、自らも意識しないうちに暴力団員らとズブズブの関係に陥り、上層部のノルマに追われて自ら銃器や麻薬の販売に手を染めてゆく。
上層部が過剰なノルマを課す中で、違法捜査や文書偽造が蔓延、上納する分と協力者に渡す裏金をつくるために、犯罪に染まってゆく警察の実像が描かれている。そのタッチは比較的軽妙で、本来重いテーマのはずだが、コメディ要素も交えて上手く構成されている。

正義感の強さ故に捜査に前のめりとなり、人柄故に協力者も増え、結果を出すが故にますますノルマを課され、本人の自覚やコントロールの効かないところで、凄い勢いで上り詰めると同時に堕ちるところまで堕ちてゆく姿が、良く描かれている。
主人公役は、超売れっ子の綾野剛氏だが、気合いの入った熱演をしており、周囲とも息のあった熱度の高い作品に仕上がっている。また、1970〜80年代の空気感が良く再現されており、スカパラの音楽と共に、40代以上の共感を呼ぶ雰囲気がある。
惜しむらくは、前半のスピード感に比して後半がやや冗長になっており、監督の意図するところは分からなくも無いが、2時間15分はちょっと厳しい気がする。
それでも、日本警察の暗部を、クライム・ムービーという形で見事に描いている良作であることは間違いなく、一見の価値があろう。もっとも、作中上司が言う「明日までに領収書出せよ」との発言が、裏金用の架空領収書を指すことなどは、一定の知識が無いと分からないとは思うが。

ちなみに、主人公のモデルとなった稲葉元警部は、

「当時、何百丁と挙げた拳銃のほとんどがやらせだった。8年間の捜査のなかで、実際の捜査による拳銃の押収は、たった2丁」

と回顧しており、覚醒剤130キロと大麻2トンを北海道警察と函館税関が組織的に密輸していた疑惑も浮上、一連の事件を扱った北海道新聞は、道警などからの圧力で一面に謝罪広告を載せている。現実には、映画よりもさらに深い闇があるのだ。
なお、本作が公開される直前には、覚醒剤密売の仲介者と共謀して虚偽の調書を捏造したとして、道警本部に勤務する警部補が逮捕されている。道警の暗部はいまもなお健在らしい。
posted by ケン at 12:54| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

映画 帰ってきたヒトラー

210456.jpg
『帰ってきたヒトラー』 デヴィッド・ヴェンド監督 ドイツ(2015)

1945年4月30日、ベルリンの総統地下壕にて自決、遺体を焼かれたはずのアドルフ・ヒトラーが、2014年のベルリン同所に突然転生してしまう。街中では「趣味の悪いコスプレ芸人」と見られてしまうが、あるテレビ局員に「才能」を見いだされて、政治コメディ番組に出演すると、一気に大ブレイク、インターネットの効果もあって、ドイツ全土を震撼させていく。

本作が凄いのは、「ヒトラーが現代に転生する」という一点を除いて、どこまでもリアリティを追求している点にあり、当初コメディとして認知されていたものが、いつしか全大衆を巻き込むプロパガンダへと変質し、その境目が分からなくなってゆくところにある。また、ヒトラーを「狂った煽動家」としてではなく、クールで理知的な人間として描いているところに凄みがある。彼は、「自分が望む世界」を一方的に大衆に押しつけるのでは無く、「大衆が望む世界」をどこまでも追求し具現化しようと試みる。結果、1920〜30年代にあった政治課題を、すぐ現代に置き換えて「ドイツの環境保護」や「難民問題の不可逆的解決」を唱え、大いに支持を得てゆく。誰もがコメディとして見ているが、本人はヒトラー本人であるが故にどこまでも本気であり、本気であるが故にプロパガンダとしての実質も高まってゆく構図になっている。これは、鑑賞する側にとっても同じで、どこまでがコメディでどこまでがプロパガンダなのか、判断の線引きが難しいことが分かる。
実在の政治家の映像を使ったり、ドキュメンタリー手法を駆使して、実際に街並みに現れて撮影したりしているせいで、ますますリアリティとコメディ具合が増している。

これは、日本では全く笑えない話で、元総理が「ナチスの手口に学べ」と言ってみたり、同じく元総理が「国歌を歌わない五輪選手は日本代表に相応しくない」と述べてみたり、現総理が他国の元首を率いて伊勢神宮に参拝したりと、現実政治とコメディの境界は完全に融合してしまっているからだ。逆の立場から言えば、民進党と共産党の「合作」を挙げても良いだろう。

あまり深く考えずに映画館に足を運び、後から色々考えるのが楽しい作品と言えそうだ。色々なところにパロディが散りばめられているので、笑うポイントも人様々だろう。なかなかの珍作にして名作である。
posted by ケン at 12:19| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

祝!再アニメ化 はいからさんが通る

574e5214b98bd.jpg
大和和紀女史の代表作「はいからさんが通る」の劇場版アニメーションが新たに制作されることになった。公開は2017年の予定。

やっぱ大正浪漫だよね。東北帝大法学部が女子の募集を開始したのが大正12年、司法試験の門戸開放は昭和11年。祖母も「日本初の女性弁護士」に触発されて法学部を目指した。そういう時代。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

灰と幻想のグリムガル

617kS-1YErL__SX353_BO1,204,203,200_.jpg
『灰と幻想のグリムガル』既刊8巻 十文字青 オーバーラップ文庫

前期のアニメで一番のお気に入り。原作も大人買いして一気に読んでしまった。
記憶の一部を失って、ファンタジー異世界で突然目覚めた主人公たちは、あぶれた者同士でパーティーをつくり、「義勇兵(見習い)」となって日々を生きるためにモンスター討伐に身を投じる。

(以下、ネタバレ注意)

基本的には最近流行のオンラインRPG世界におけるファンタジーなのだが、戦闘の地味さと登場人物の感情表現の微細さが際立っている。パーティーのメンバーは主人公を含めて、何一つチート的な能力も装備も持っておらず、ゴブリン相手に延々と苦労する始末。最初の方などは、6人パーティーなのに「ゴブリン2体とかちょっと無理じゃね?」くらいのノリで、新選組の「3対1原則」も真っ青なところから始まっている。
もともと私は、高い能力を有する主人公がチートな装備を持って、圧倒的な強さを誇る敵をバッタバッタとなぎ倒してゆく式の少年漫画のノリに飽き飽きしていただけに、

「超弱い主人公が、仲間と協力して、弱っちい敵を超苦労して倒す(倒せないこともあるし、味方もやられる)」

という、本作の「リアリティ」に思わず、「これだよ、これ!」と快哉を上げてしまった。

【参考】 「リアルロボット」のリアリティを求めて

ケン先生的に、リアリティはもう一つあって、それは「良いヤツほど早く死ぬ」原則が貫かれている点にある。従軍者の回顧録などを読むと、良く「良いヤツほど早く死んでいってしまい、オレなんかが生き残ってしまった」的な話をたびたび目にするのだが、この原則は政治に従事するものとしても、非常に強く実感できる。
戦場では、危険にさらされている仲間を率先して助けようとしたり、「ここはオレに任せてお前は先に行け」などという名ゼリフを吐いてしまったりするものから死んでゆき、「後で援軍を連れて助けに来るからな」と言って二度と戻らない者ばかりが生き残る原理になっている。

また、本作では、仲間の戦士のために皆がお金を出し合って兜を買うシーンがあり、なるほどと思った次第。確かに自分たちでTRPGをしていて、パーティーで相談して戦士系キャラの装甲を強化すべく、優先的に良い鎧を買うことはままあるが、そこで兜を買おうという話にはならないからだ。だが、実戦では兜は非常に重要な防備であるのは間違いない。
古代の戦争は集団戦がメインであっただけに、隊形が密集しており、回避行動が難しく、同時に盾も装備していたので、頭部が狙われがちだった。個別の白兵戦でも、頭部は他の肉体の部位に比して動きの少ない部分であるだけに、攻撃側からすると狙いやすかった。それは、現代の剣道やフェンシングでも面を付けることからも明白だろう。
頭は、ちょっとした衝撃を受けただけで失神したり、意識混濁したりするので、その点でも防御力を上げて戦闘不能リスクを軽減する必要があった。

「リアリティ」以外にも、キャラクター間の関係の描かれ方が緻密で、その代償としてのテンポの遅さは否めないものの、他のラノベには無い独特の雰囲気を醸し出している。ダメなキャラのダメっぷりをストレートに描いている点も、痛々しいが好印象。
ただ、同時に世界設定などの描写や説明は少なく、いわゆる「親切設計」ではないため、テンポの遅さも含めて、好き嫌いの分かれる作品と言えそうだ。
また、アニメは原作の「苦い」ところを薄めて、上手にきれいにまとめ上げた感じがあり、アニメの完成度からすると、原作を読んで違和感を覚える人がいてもおかしくない。個人的には、作家のネガティブなところも含めて気に入っているので、なかなか評価が難しい。
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

宣伝:ジョーカー・ゲーム アニメ版

img-0022.jpg
今期期待のアニメはこれ

ついに中野学校までアニメ化。柳広司氏の同名原作で、制作はプロダクションI.Gだから、クオリティも期待できよう。伯父上を偲びながら楽しみにしたい。
私の大伯父は、陸士から中野学校を出て、支那派遣軍や関東軍の情報部で諜報活動を行っていた。終戦時には新京におり、機密文書の廃棄等を行った後、満州を徒歩で横断、ソ連軍の戦線をすり抜けて、浦潮から船で帰国。外地からは誰もまだ帰還していない45年9月か10月には東京にいて、皆から亡霊のように見られたという。

【参考】
Dの魔王 
忠義とロイヤリティA補 
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする