2016年10月10日

将棋連盟がスマホ禁止

【日本将棋連盟が対局中のスマホ持ち込みを禁止 ソフト進化でカンニング防止策】
 日本将棋連盟は5日、東西の将棋会館で行う公式戦で、対局室へのスマートフォンなどの電子機器の持ち込みや対局中の外出を禁止する規定を設け、12月14日から施行すると発表した。女流棋戦にも適用する。対局中に使用が発覚すれば除名を含む処分の対象とする、としている。今回の規定により、棋士は対局開始前にスマホや携帯電話などの電子機器をロッカーに預け、対局中は使用できなくなる。また、将棋会館からの外出もできなくなる(敷地内はOK)。近年のコンピューターソフトの能力向上に伴い、電子機器を利用した不正行為が行われる恐れがあるとして、同連盟に一部棋士から何らかの規制を求める声が寄せられていた。
 連盟は9月26日の東西棋士会で、(1)現状のまま(2)ロッカーに預ける(3)外出禁止とする(4)預けて外出も禁止する(5)金属探知機導入などさらに厳しい措置をとる−の5項目について出席棋士60人にアンケートを実施した。この結果、8割超がロッカーに預ける案を支持し、6割超が外出禁止もやむを得ない、と答えていた。タイトル戦については主催者と日本将棋連盟で決める。今回の決定について羽生善治棋聖は「将棋界は性善説で成り立っているが、そうとばかりは言っていられない時代になったのかなと思う」と話した。
(10月5日、産経新聞)

AIの方が強くなってしまうと人間のプロ棋士は失業か?
今はまだ外部機器を使用せざるを得ないが、電脳化する頃には人の脳と電脳の境界がなくなってしまうので、どこからどこまでが「人間同士の対戦」なのか分からなくなる時代が近づいている。
趣味ならばマナーや信頼関係で済むものも、競技や職業となれば、性善説で済ますのは人が良すぎるだろう。スポーツにおけるドーピング問題と同根なのだから。
また、指導に際しても、20〜30年後には、自宅でVRゴーグル付けてAIに個別指導を受ける形が一般化しそうだ。人間関係が煩わしいと考えられがちな今日にあって、いつまで人が道場に通うのかも興味深い。初老の私ですら、少女に罵倒されながら「指導」されたいなどと、つい妄想してしまうくらいだし。
自分が死ぬ頃までに一体どうなっているのか、全く予断を許さない状況だ。
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2016年10月08日

映画 マイケル・コリンズ

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『マイケル・コリンズ』 ニール・ジョーダン監督 英愛米(1996)

麦の穂をゆらす風を見たときに、いつかこれも見なければと思ったのだが、そのまま忘れ去ってしまっていた。
アイルランド独立から内戦に至る過程を、IRA軍事部門の指導者だったマイケル・コリンズを主役に描く大作。「麦の穂」が若いゲリラの視点から描かれたのに対し、こちらは指導者の視点から描いている。

1916年の失敗に終わるダブリン蜂起から同21年12月の英愛条約とアイルランド自由国の成立を経て、22年8月に暗殺されるまでの6年間を描くが、享年31歳と非常に若かったこともあり、今日に至るまで英雄視されている。日本史で言えば、坂本龍馬に近いのかもしれない。
コリンズの戦略は興味深いものがある。彼は英国の諜報網に注目し、英国側の諜報員や協力者を殺害することで「目」を潰し、英国軍の動きを封じていった。同時に、彼は高い金融技術を持ち、建国前に公債を発行して資金を集め、さらにそれを運用して必要分を調達した。本作でも、「銃を撃つのは良いが、弾は無駄遣いするな」と何度も述べており、面白い。
「パルチザン」と「テロリスト」が、しょせんは「どちら側の視点から見るか」という話でしかないことがよく分かる。

映画としては、大作にふさわしい豪華なセットと派手な演出で当時の街並みを再現している上、役者の演技も申し分なく、ストーリー的にもきちんと歴史が追えるように仕上がっている。
ただ、「麦の穂」と比較すると、やや一本調子で陰影が弱いこと、英国支配の苛烈さの描写が弱いため、なぜ独立を目指すのかという視点が弱いこと、英愛条約をめぐって同志と対立し内戦に突入するわけだが、そこに至る議論や内戦の陰惨さが今ひとつ足りないこと、が感じられた。いや、一本の映画としては「十分」な出来なのだが、「麦の穂」が名作すぎるだけの話なのだろう。恋愛要素を中途半端に入れたことも良くなかった。
また、独自の歴史解釈や演出が多く含まれているため、歴史映画として見るには注意が必要だという。
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2016年09月24日

ラノベ祭り(2016.9)

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今月は楽しみにしているラノベが目白押しで、プチ引きこもりモード。
まずは「祝!狼と香辛料再始動」。「貨幣論でラノベ」という斬新すぎる試みを、しかも大成功させた支倉先生の新シリーズ、超期待してます。
でも現時点での一押しは、白鳥先生の「りゅうおうのおしごと」。「ガチ将棋でラノベ」という、これも「有りそうで無かった」斬新な試みだけど、ガチ将棋とガチロリの組み合わせが超熱く、今もっとも「続きが気になる」シリーズ。
蝸牛先生の「ゴブリンスレイヤー」は、どこかで改めて紹介するつもりだけど、「ゴブリン退治専門」のシビアなファンタジー観がたまらないデス。

『狼と香辛料XVIII Spring Log』 支倉凍砂 電撃文庫
『新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙』 支倉凍砂 電撃文庫
『はたらく魔王さま!0-II』 和ヶ原聡司 電撃文庫

『りゅうおうのおしごと!4』 白鳥士郎 GA文庫
『ゴブリンスレイヤー3』 蝸牛くも GA文庫
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2016年09月18日

アルキメデスの大戦

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『アルキメデスの大戦』 三田紀房 講談社ヤングマガジンコミックス 既刊三巻

時は昭和8年、1933年。日本は満州事変、5・15事件を経て急速にミリタリズムへの傾斜を深める一方、ドイツではナチスが政権を奪取して国際連盟からの脱退を表明していた。国際緊張が高まりつつある中、日本海軍では次期主力戦艦の選定をめぐり、激しい対立が生じていた。ドレッドノート級をはるかに上回る超ド級戦艦を計画する主流派(史実的には艦隊派)と、航空主兵主義を唱え高速の巡洋戦艦を主張する非主流派(同条約派)である。だが、艦隊派が出してきた大和型戦艦の見積もりは非現実的に低く、条約派は一人の天才学生に「査定」を依頼することにした。

「数字で見る建艦競争」「派閥抗争で見る日本海軍」という図式が斬新で興味深い。
航空主兵論者にして三国同盟に反対した大叔父の痛恨は、「大和があるから(戦える)」「大和を動かせるうちにやろう」と日米開戦へのインセンティブがかかり、「まだ大和がある!」と和平交渉の障害になってしまったことにあった。税収が13億円という当時に、1億5千万円の巨大戦艦を二隻もつくってしまう官僚制度と合成の誤謬を良く描いている。叔父上の魂が乗り移ったかのようだ。
そのうち租税と印紙による基本的な税収は、わずか13億円に過ぎないのだ。
塩・たばこ・砂糖の専売や、その他の官業収益、国家資産の整理などを含めて、ようやく19億円になるような有様だった。
もっとも、一般歳出も戦争勃発に伴う追加予算の編成で膨れあがっただけで、昭和8年から11年までは22〜24億円程度に収めているし、臨時軍事費もない。
つまり、歳出ではなく、政府収入から見た場合、大和のムダさ加減は一層強調される。
借金ではない真っ当な収入が20億円もないところに、1億5千万円の戦艦を2隻もつくってしまったのだ。
(中略)
昭和12年度には兵器費に占める弾薬費の割合はすでに56%になっていたが、翌13年度には早くも76%に上昇し、その分兵器生産が犠牲となって滞り、さらに翌14年(1939年)には中国戦線に展開する25個師団への補給が一部不足するという事態に陥っている。
この昭和14年に戦前の日本のGNPは頂点となり、後は次第に衰退していくだけだった。
その翌々年に日米が開戦するわけだが、兵器・弾薬・戦車・自動車等の生産は昭和13年(1938年)がピークであったことを考えると、我々の先祖は一体どんな頭脳をしていたのか、疑うしかない。
戦艦大和をめぐる日本人の財政感覚

大和が参加した唯一の水上戦である「サマール島沖海戦」が、それを物語っている。
1944年10月25日、いわゆるレイテ沖海戦の一局面だ。
レイテ湾突入を目指す栗田艦隊(大和を含む戦艦4、重巡6、軽巡2、駆逐艦11)は、サマール島沖にて、米第77任務部隊の護衛(小型)空母6、駆逐艦7からなる艦隊を発見、これを米正規空母群主力と誤認して、戦闘を開始した。

真っ昼間の2時間の海戦で日本海軍が挙げた戦果は、護衛空母1隻と駆逐艦3隻のみで、逆に航空攻撃や雷撃を受けて、重巡部隊の大半を失った。
その際に、大和の主砲は1発の命中弾も与えられなかった。
戦艦4隻(大和、長門、金剛、榛名)の主砲発射は、合計で約500発に上ったが、命中弾はわずか10発強に過ぎなかった。
天候や航空攻撃などの悪条件はあったが、昼間の距離3万メートルで命中させられない、ということは、大和の46センチ砲の優位性(米戦艦の射程外から撃つ)がはなはだ疑わしいことを意味する。
無用の長物
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2016年08月27日

ウルフ・ホール

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英ドラマ『ウルフ・ホール』(2015)を見る。何ヶ月も前に録画していたのだが、まとめて見る時間というか、精神的余裕がなく、先延ばしにしていた。選挙の代休を含めてまとめて休む時間ができたので、ようやく鑑賞できた。何せ映画4本分、まとめて見たかったのだから仕方が無い。
英国では名作の誉れ高いようだが、確かに「名作」と呼ぶに相応しい、濃密かつ重厚な出来で、演技も素晴らしかった。

16世紀半ばのイングランド、国王ヘンリー8世の宰相格であるウルジー枢機卿の秘書・弁護士を務める、トマス・クロムウェル(護国卿の大叔父)が主人公。この時点で相当地味な印象だが、あくまでもクロムウェルは「猿回し」の役であり、主題はヘンリー8世をめぐる宮廷闘争の歴史劇である。
しかも、冒頭でウルジーは国王の寵愛を失って凋落、主人公は助命と名誉回復に奔走するが、その手腕が認められて、国王の書記官に命ぜられてしまう。しかも与えられた使命は、王妃キャサリンとの離婚仲裁(ローマ教会に婚姻不成立を認めさせる)であり、主人だったウルジー失脚の首謀者でもあるアン・ブーリン(エリザベス一世の母)との婚姻だった。もともとクロムウェルは、卑賤の身から金融業で成り上がっており、戦争好きで放漫財政を主導するヘンリーを苦々しく思っている節があり、何重にも気の毒としか思えない。だが、一切の感情を排して、遠回しな皮肉を交えながら、ヘンリーやアンに仕えるクロムウェルの姿は、まさに我々政治家秘書の鏡と言える。また、この一見無感情なのに、非常に微妙な心の揺れを見せるクロムウェル役マーク・ライランスの演技は誠に見事だ。

基本的に宮廷の権力闘争が中心で、派手な戦争シーンもなければ、華麗な愛憎劇もなく、演技も抑制的で、どこまでも地味なのだが、可能な限り史実を忠実に再現しており、重厚な演技と演出で、どこまでもリアリティを追求し、見ている者を飽きさせない完成度に仕上がっている。こういう「リアル大河」路線は、日本でもNHKが『平清盛』で試みたものの、全く受け入れられること無く挫折してしまった。この辺は、テレビ視聴者の「民度」の問題なのか、歴史ドラマに求めるものの違いなのか、よく分からない。

内容・時期的には、同じく英ドラマ『THE TUDORS〜背徳の王冠〜』と丸かぶりなのだが、改めて比較すると、TUDORSがいかにド派手(淫乱)さを追求したソープ・ドラマ(昼ドラ)であったかが思い知らされる。まぁあれはあれで、カネのかけ方を含めて尋常ならざるド派手ぶりがウリで、嫌いではなかったのだが、シーズン2辺りで食傷になってしまった。

評価とは全く関係ないのだが、この時代は「トマス」が大流行していたようで、主人公の他にも、主な登場人物のうち、ウルジー卿、モア卿(『ユートピア』の作者)、ノーフォーク公(アンの伯父)、ブーリン卿(アンの父)が「トマス」であり、制作側も苦労しただろうなと。
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2016年08月06日

シン・ゴジラ

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『シン・ゴジラ』 庵野秀明監督 日本(2016)

庵野氏は長期スランプに陥り、映画版「エヴァ」の制作が遅れに遅れる中で、今作を監督したことで一部から非難囂々にさらされていたが、本作の出来を見れば沈黙せざるを得ないのでは無かろうか。

噂通りの完成度で、確かにこれは「新世紀」に恥じぬ出来だろう。『巨神兵東京に現わる』を見て依頼したというだけあって、色々なところに庵野色が出ている。
ゴジラがついにCG化されてしまったのは残念ではあるものの、東京の街並みの再現度はハンパ無く、歩いたこともある東京や川崎そのもので、それが怪獣に潰されてゆく様のリアル感もまたハンパ無いものだった。特に上空からの俯瞰映像とローアングルからの怪獣を組み合わせたカメラワークが非常に優れており、迫力と説得力を激増させている。また、ところどころに東日本大震災や福島原発事故を思わせる映像も多い。

もう一つの特徴としては、ゴジラ以外の部分が非常にリアルにつくられている点がある。特に、ゴジラ登場をめぐる、政治や行政機構、自衛隊による武力行使、日米を中心とする国際関係などの要素がふんだんに盛り込まれ、むしろ群像劇や人間模様の方が中心とすら言えるくらいの構成になっている。いつもの庵野節で、やたらとセリフや情報の量が多く、とても一回見ただけでは処理できない程だ。
閣議や対策本部のシーンがやたらと長く、部分的には現場にある者として「それは無いなぁ」と思う部分も無くはないが、基本的にはリアルに作り込まれており、妥協を許さない方針が良く伝わる。
もっとも、政治家や官僚がいささか美化されており、設定がネトウヨ好みになっているところは気になるのだが、あれは庵野氏一流の「お前らこういうの好きなんだろ、ほうら!」的なノリなんだろう。

個人的には、環境大臣役が元リアル副大臣だった横光克彦先生だったのは超びっくり。もう70過ぎているはずなのに、60歳くらいにしか見えない。さすが本業だが、こういう部分でも閣議の再現度を増しているのだろう。

新宿TOHOのTCX=エキストラ・ラージ・スクリーンで見たけど、大ホールの真ん中にもかかわらず、画面が視野に入りきらず、大変でしたが超迫力だった。見に行くなら、やはり大画面がお薦め。
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2016年07月25日

日本で一番悪い奴ら

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日本で一番悪い奴ら』 白石和彌監督 日本(2016)

「日本警察史上最大の不祥事」とも言われる「稲葉事件」をモチーフにした映画。
原作は、本ブログでも紹介している(2011.12.07)。
『恥さらし 北海道警悪徳刑事の告白』 稲葉圭昭 講談社(2011)
銃摘発のカラクリ、マル暴と暴力団の関係、薬物氾濫の流れなどがつぶさに分かる。ノルマを稼ぐために犯罪者を泳がせ、密売元には触れない警察の実態。名刑事は捜査の過程で暴力団員とズブズブの関係に陥っていく一方で、上司からノルマ達成の偽装を依頼され、ますます堕ちていく。まさに「事実は小説よりも奇なり」である。これを映画化しないで何を映画にするというのか。若松監督あたりならやってくれるか?

柔道の腕を買われて北海道警にスカウトされる普通の警察官が、暴対や銃器対策室に配属される中で、自らも意識しないうちに暴力団員らとズブズブの関係に陥り、上層部のノルマに追われて自ら銃器や麻薬の販売に手を染めてゆく。
上層部が過剰なノルマを課す中で、違法捜査や文書偽造が蔓延、上納する分と協力者に渡す裏金をつくるために、犯罪に染まってゆく警察の実像が描かれている。そのタッチは比較的軽妙で、本来重いテーマのはずだが、コメディ要素も交えて上手く構成されている。

正義感の強さ故に捜査に前のめりとなり、人柄故に協力者も増え、結果を出すが故にますますノルマを課され、本人の自覚やコントロールの効かないところで、凄い勢いで上り詰めると同時に堕ちるところまで堕ちてゆく姿が、良く描かれている。
主人公役は、超売れっ子の綾野剛氏だが、気合いの入った熱演をしており、周囲とも息のあった熱度の高い作品に仕上がっている。また、1970〜80年代の空気感が良く再現されており、スカパラの音楽と共に、40代以上の共感を呼ぶ雰囲気がある。
惜しむらくは、前半のスピード感に比して後半がやや冗長になっており、監督の意図するところは分からなくも無いが、2時間15分はちょっと厳しい気がする。
それでも、日本警察の暗部を、クライム・ムービーという形で見事に描いている良作であることは間違いなく、一見の価値があろう。もっとも、作中上司が言う「明日までに領収書出せよ」との発言が、裏金用の架空領収書を指すことなどは、一定の知識が無いと分からないとは思うが。

ちなみに、主人公のモデルとなった稲葉元警部は、

「当時、何百丁と挙げた拳銃のほとんどがやらせだった。8年間の捜査のなかで、実際の捜査による拳銃の押収は、たった2丁」

と回顧しており、覚醒剤130キロと大麻2トンを北海道警察と函館税関が組織的に密輸していた疑惑も浮上、一連の事件を扱った北海道新聞は、道警などからの圧力で一面に謝罪広告を載せている。現実には、映画よりもさらに深い闇があるのだ。
なお、本作が公開される直前には、覚醒剤密売の仲介者と共謀して虚偽の調書を捏造したとして、道警本部に勤務する警部補が逮捕されている。道警の暗部はいまもなお健在らしい。
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