2016年07月27日

南シナ海で過熱する日中対立

【南シナ海で日中「痛み分け」…声明巡り駆け引き】
 16日に閉幕したアジア欧州会議(ASEM)首脳会議は、中国の南シナ海での主権主張を否定する仲裁裁判所の判決が出てから初めての首脳級国際会議となった。日本は判決受け入れを中国に促す国際包囲網の構築を図り、中国側はそれを切り崩そうと外交攻勢を強めた。議長声明の文言を巡っては双方、「痛み分け」の形となった。安倍首相は16日午前の首脳会議で、南シナ海問題について「法の支配は国際社会が堅持していかなくてはならない普遍的原則だ」と切り出し、判決受け入れを中国に迫った。会議では他にも数か国の首脳が仲裁裁判の結果に言及したといい、日本政府高官は「会議の中身は満足のいくものだった。包囲網作りはうまくいった」と語った。
(7月17日、読売新聞)

【仲裁判決、無力化に焦り=政府、包囲網づくりは継続】
 岸田文雄外相はラオスで開かれた一連の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連外相会議で、南シナ海をめぐる仲裁裁判所判決を中国に受け入れさせるため、国際的な包囲網構築を試みた。しかし、ASEANの足並みの乱れから、共同声明で仲裁判決への言及が見送られるなど中国への配慮が目立ち、岸田氏の狙いは不発となった。「仲裁裁判は紛争当事国を法的に拘束する。両当事国がこの判断に従うことで問題の平和的解決につながることを期待する」。岸田外相は26日の東アジアサミット外相会議で、王毅中国外相の眼前で、仲裁判決の受け入れを重ねて迫った。
 外務省によると、12日の仲裁判決後、判決について「法的に拘束する」などと明確に順守を求めたのは、日米豪など少数の国にとどまる。このため日本政府は、関連外相会議の声明などに判決を明確に位置付けることで、中国に圧力をかけることを目指した。だが、ASEANが25日の外相会議で合意した共同声明が仲裁判決に触れなかったことで、議論は中国に有利に展開。26日の東アジアサミット会議でも仲裁判決については「法的、外交的なプロセスの尊重」など間接的な言及が多かったという。
 今後、判決無視を決め込む中国の主張が勢いづくことも予想される。外務省幹部は「無理が通れば道理が引っ込むとなってはならない。法的規範を外交力で示さなければならない」と焦りを募らせる。南シナ海問題は、9月上旬に中国・杭州で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議や、それに続くラオスでのASEAN首脳会議でも取り上げられる見通し。王毅外相が25日に南シナ海の秩序維持のための「行動規範」の策定時期に言及するなど、「中国もプレッシャーを感じ始めている」(外務省関係者)との見方もあり、政府は粘り強く働き掛けを続ける方針だ。
(7月26日、時事通信)

国連の仲裁裁判所の裁定を受けて、外務省がすっかりヒートアップしているが、まるで日本が「対中包囲網の主宰者」みたいになってしまっており、冒険主義もいいところだ。
聞くところによれば、日本は米国と共謀して同裁判所の人事にかなりクビを突っ込んでおり、その策謀が成功して判事を反中派で固められた結果、今回の一方的な裁定となったという。本来、同裁判所は、領有権や国家間紛争には関わらず、今回の裁定も直接的には踏み込んでいないものの、実質的には中国側の主張を全否定して、フィリピン側を全面勝訴としたが、国家間を調停する国際裁判でここまで一方的な裁定がなされるのは珍しく、確かに陰謀臭は否めない。もっとも、アメリカは海洋法条約に加盟しておらず、適用外になっている。

いずれにせよ、同裁判所には強制執行権が無いため、中国側が受け入れを拒否すれば終わりになるが、日本はそれを理由に対中非難を強め、東アジアの対立を煽っている。外務省は、配下のマスゴミを使って、反中宣伝に勤しんでいるが、盧溝橋事件や上海事変の前後を彷彿とさせるマッチポンプぶりだ。
これは、やはり米大統領選挙が近づくにつれて、トランプ氏当選に伴う日米安保体制への危機感と、対中強硬派であるクリントン氏に対する応援メッセージなのかもしれない。

だが、フィリピンで政権が反中親米のアキノ氏から、親中派のドテルテ氏に移り、中比交渉が再開される見込みとなっており、今回の裁定自体が無意味なものになる可能性が高く、そうなれば「対中包囲網」など空に帰してしまうだろう。
そもそも、米大統領選でトランプ氏が勝利して、外交方針の転換が図られた場合、反中路線に突き進んできた日本は、外交カードがなくなってしまう。
外務省は、自らの謀略に酔っているようなところがあるが、戦前の「革新官僚」並みの危うさを伴っている。今回の判決だけでも十分な成果であるのに、反中スタンスを明確にして「対中包囲網」の強化に邁進するのは、過剰である。

なお、同判決の原文(英語)には日本の沖ノ鳥島の問題点に関する言及が数カ所あるが、外務省がマスゴミに提供した日本語訳ではその部分が削除されており、日本国内では一切報道されていない。情報統制の一環と、マスゴミの無能を示す例と言える。
また、日本は捕鯨やマグロ漁に関する国際司法裁判所などの判決を無視しており、外務省のダブルスタンダードは否めない。
posted by ケン at 12:58| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

対テロ注意喚起って何?

【留学など注意喚起へ=全国の大学に通知方針―テロなどの事件受け文科省】
 バングラデシュの飲食店襲撃事件で日本人が巻き込まれ、世界各国でテロなどの事件が相次いでいることを受け、文部科学省は4日までに、全国の国公私立大などに対し、夏休みに短期留学や海外旅行などをする学生らへの注意喚起を促す通知を今月中に出す方針を固めた。  通知では、留学予定の学生らに、海外の治安情報などを電子メールで知らせ、緊急事態の発生時には安否確認にも利用される外務省のシステム「たびレジ」への登録を求める。大学などには、留学生が現地で事件に巻き込まれた場合に備え、危機管理体制を整えることを改めて要請する。 
(時事通信、7月5日)

いかにも「何もしないと苦情が来るから、取りあえず何かしないと」的なヤクニン根性の表れだろう。
テロは(素人が)注意すれば避けられるものではなく、当局への登録は監視と一対のものであるだけに、「テロか国家監視か」みたいな二者択一になってしまっている。しかも、登録したからといって、日本の当局が保護してくれるわけでは無く、「テロ被害に遭ったときに管理しやすい」というこれまたヤクニン根性の表れでしか無い。

今回のダッカ事件が起きたのは、外国人しか入れないような高級飲食店であり、これを回避するとなると、今度は治安の悪い地域の飲食店に行くことになるが、別の犯罪者が待ち受けているだけで、根本的解決にはならない。むしろ頻度・遭遇率の点では悪化するだろう。となると、かつての租界やバグダッドのグリーン・ソーンのような要塞を築いて閉じこもる他なくなるが、全く現実的ではない。

今回の事件に際しては、現場で「自分は日本人だ(見逃してくれ)」との声が聞かれたというが、ここに問題の一端が見て取れる。犯人たちはイスラム国の呼び掛けに呼応した現地ジハーディストと見られている。殆どの日本人は、イスラム国との対テロ戦争を行っているのは、アメリカとヨーロッパ諸国と考えており、それ故に「日本人は中立だ」と言いたくなってしまうのは当然だろう。だが、この認識は根本的に間違っている。
日本は、2014年9月にアメリカが主導して結成された「反イスラム国同盟」に参加している、立派な「交戦国」の一員であるが、交戦国と公言しないのは日本国憲法第9条の縛りと、イスラム国を国家として認知していないために過ぎない。対国家でないから、「武力行使」とも「戦争」とも言わない、というのが日本政府の公式見解なのだ。これは、私個人の主張では無く、米国国務省のHPを見れば、誰でも確認できる。

・The Global Coalition to Counter ISIL 

また、今回被害者を出したJICAは、北岡伸一理事長の下で軍事支援を解禁、新たな軍事支援スキームの構築を進めている。名目を「平和構築支援」としている辺りが、安倍政権や外務省と同じくどこまでも姑息だが。
平和構築支援では「軍事」「政治」「社会/経済」の3つの枠組みで行う包括的な取り組みが必要です。紛争を予防、解決し、平和を定着させるためには、軍事的な手段や予防外交などの政治的な手段とともに、紛争の要因となる貧富の格差の是正や機会の不平等などを改善するための開発援助が重要となります。
JICAのHPより)

問題は、日本政府・外務省が「日本は反イスラム国同盟の一員であり、同国と交戦中である」ことをひた隠しにしている点にある。確かに日本は、空爆に参加しているわけでもなければ、無人機を提供しているわけでも無いが、すでに2900億円以上の軍資金を「反イスラム国戦争」に提供しており、イスラム国側からは明確に「敵側の一員」として認定されている。しかし、政府がその事実を公表しないがために、「日本は中立」なる誤認が定着してしまっているのだ。
現代戦が非対称戦争である以上、イスラム国側は、反IS同盟が正規軍を出すイラク・シリア方面で正面から戦うつもりはなく、「後方の脆弱な部分」を攻撃する戦術を採るのが筋であり、それは全ての国家と地域が対象になる。日本本土は「脆弱では無い」から狙われないだけであり、日本人を対象外にしたわけではない。同時に非対称戦争では、非軍人が武器を持って戦闘に加わり、その対象も軍隊に限らず、双方が互いに非戦闘員を巻き込む形となるため、前線も後方も存在しない。

政府がやるべきことは、日本が「対テロ戦争」の遂行国の一員であり、同戦争に前線も後方もなく、全世界にいる日本人がジハーディストの攻撃目標になっていることを、明らかにした上で、個々の責任でリスク管理するように伝えることである。政府が真に国民の安全を願うながら、少なくとも政治的安定度の低い、ムスリムの多い国への渡航自粛を呼び掛けるべきだろう。まして、留学の場合は必要度が高いものではなく、可能な限り自粛させるべきであり、自粛に応じないものについては、コーランの一節をカタカナで書いた紙でも渡して暗記するよう推奨すべきだ。

【追記】
今回の報道を見ていても愚劣なものが多い。例えば「親日国でなぜ」は全く無意味で、テロに遭遇する確率は、ロシアであれ欧米であれ、親日度とは無関係だからだ。また、やたらと犯人の「裕福な高学歴」が強調されているが、日本赤軍やドイツ赤軍の事例からも明らかなように、テロリズムや政治的急進性はむしろ富裕な高学歴層において発現しやすいと言える。ただし、テロリズムを支持する社会的基盤に貧困があることは、ロシア革命期のロシアや昭和前期の日本で証明される。

【追記2】
繰り返すが、日本はイスラム国と戦っている当事国である。現代戦は非対称戦争なので、前線も後方も無く、安全なところなど無い。自分の身は自分で守るしかない。ちなみに、憲法9条と国家認定しないことで、政府は戦争とは言わないだけなので、「自分は日本人だから中立」と言ってみたところで、相手方は聞く耳を持たない。

【参考】
4fd88e3f-s.bmp
posted by ケン at 14:00| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

ラマダーン中に食事会を開く安倍総理

【首相動静(6月16日)】
午後6時41分から同53分まで、イスラム諸国の駐日大使らとの食事会「イフタール」。
(6月17日、時事通信、抜粋)

当日、東京の日没は午後6時59分。
ムスリムにとって、6月初頭から7月初頭にかけては「ラマダーン」と呼ばれる断食の月であり、日の出から日没までの時間に飲食することが禁じられている。但し、正当な理由があれば免除されるも、その場合でも他の期間に行うことが義務付けられている。

ラマダーン期間中にムスリムを食事に招待するのであれば、少なくとも日没後にするのが礼儀であり、ラマダーンを無視した日本側の対応を彼らがどう見るかは、想像するまでもないだろう。
総理官房の役人は、ラマダーンすら知らないものと見える。また、外務省はこれに対し、無反応だったのだろうか。いったい何のために外交官を務めているのか、そもそも選別基準を間違えているとしか思えない。
そんな連中に、ジハーディストとの対テロ戦争や、人質解放交渉などできるわけがない。

【6月23日、追記】
恩師から、「イフタールは、ムスリムが皆で集まって日没後の会食を楽しむ会だから、断食の義務を負わない総理は本来参加する義務はなく、食事会を提供することに意義があるのでは」との苦言を頂いた。確かに外務省の意図としてはそうなのだろうが、それでもやはり日没前に会を始めて、食事の始まる前に挨拶だけして退席してしまう総理の日程管理には首をかしげざるを得ない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月31日

まずは全面外出禁止令を

【在沖縄米軍、深夜の外出禁止】
 沖縄県うるま市の女性が遺体で見つかった事件を受け、在沖縄米軍は27日までに、米軍人・軍属の深夜0時以降の外出禁止などを決めた。期間は同日から6月24日まで。
(5月27日、毎日新聞)

【米兵、準強姦認める=ホテルで熟睡女性に―那覇地裁】

 那覇市内のビジネスホテルで熟睡していた女性を暴行したとして、準強姦(ごうかん)罪に問われた米海兵隊員ジャスティン・カステラノス被告(24)の初公判が27日、那覇地裁(潮海二郎裁判長)であった。被告は罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴内容を認めた。検察側は冒頭陳述で、カステラノス被告がホテルの廊下で寝ていた女性を見つけ、わいせつなことをしたいと考えたと指摘。「眠ったままの被害者を抱きかかえて自分の部屋に入り、熟睡中で抵抗できないのに乗じて犯行に及んだ」と述べた。起訴状などによると、カステラノス被告は3月13日未明、那覇市のビジネスホテルの廊下で熟睡していた40代の女性を自分の部屋に連れ込み、暴行したとされる。
(5月27日、朝日新聞)

今回の米大統領選の結果にかかわらず、米軍再編による海兵隊の本土撤収は避けられそうに無い。
2016〜20年度の「思いやり予算」は、総額は9465億円で、15年度までの5年間を133億円上回った。交渉の過程で、日本側は、安保法制成立に伴う自衛隊の海外任務の拡大などを理由に減額を求めたが、米国側に妥協した形だった。

こうした流れにあって、「米海兵隊の撤収」を要求するのは、感情論としては理解できるが、米兵・軍属による犯罪への対応、あるいは運動論・戦術としては必ずしも妥当とは言えない。

アフガニスタン、イラク戦争を経て、「対テロ戦争」が長期化する中、米兵・軍属の質的劣化が甚だしくなっている。これは、徴兵を避けた米国が、経済的徴兵(貧困層の志願誘導)を進めた結果、「食い詰め者」類ばかりが軍に集まっているためだ。
かつて帝政ロシアの兵役は20年という超長期間であったため、村ごとに求められる兵役従事者には、村八分にされた者や犯罪者・浮浪者を指名し、首を差し出すように送り出していた。日本でも、戦国期の足軽の殆どは、耕作放棄した食い詰めた農民層であり、低賃金を戦場掠奪で補うほか無かった。
この手の米兵・軍属が、植民地に来て事実上の治外法権(掠奪不問)を手にして遊ぶとなれば、犯罪を起こさないワケが無い。事実、婦女暴行を犯した米兵の8割は逮捕されていないという。

今回の事件への対応としては、我々はまず「全ての米兵・軍属の無期限外出禁止」を求めるべきだ。
現状、米軍の「行動指針」(自主ルール)では、米軍人の夜間外出禁止は、下士官と兵士だけが適用対象で、その時間帯は「午前0時から午前5時まで」でしかない。飲酒については、階級に関係なく「午前0時から午前5時まで」となっている。一年に一回の講習を受ければ、殆どの米軍人に、基地外における自由行動が認められる。だが、いかに講習を受けたところで、実質的な治外法権であることは、犯罪のインセンティブにしかなっていない。「外出禁止」についても、色々な裏技があるらしく、抜け穴だらけで全く実効性を伴っていないと聞く。

米軍基地内には、十分な生活・遊興施設が確保されており、一般的な生活をする上で基地外に出なければならない理由は無い。実際、基地外に一歩も出ること無く、任期を終える米軍人も無数にいるという。
米軍人・軍属の犯罪を野放しにしているのは、米軍を日本に止め、治外法権を有する米兵・軍属の外出を全面的に認めている日本政府の責任に帰せられる。ここで、我々が「米兵・軍属の無期限外出禁止」を求めたところで、「じゃあ、国に帰らせて頂きます」と言われるのが恐い安倍政権としては、米側に伝えることは無理なので、そこで「犯罪者予備軍の外出を放置するのか!」と叩くのが良いだろう。
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月17日

ヒロシマをダシに従属強化

【核廃絶、日米が発信…オバマ氏広島訪問に期待】
 日本政府は、オバマ米大統領の広島訪問が決まったことについて、外交上の大きな成果になると期待している。核廃絶を目指す日本政府の立場をアピールするとともに、過去を乗り越えた未来志向の強固な日米同盟を改めて国際社会に示すことにもつながるためだ。衆院広島1区選出の岸田外相は10日夜、外務省で記者団に「被爆地出身の外相として一貫して、世界の政治指導者が被爆地を訪問することは重要だと訴え続けてきた。心からうれしく思う」と率直に語り、訪問の意義を強調した。その上で「国際的な核兵器のない世界を作ろうという機運を盛り上げる上で歴史的な訪問になる」と述べた。日本政府は戦後、米国の核兵器による抑止力で安全保障を担保する一方で、唯一の被爆国として核兵器の廃絶を訴え続けている。
(5月11日、読売新聞)

相変わらず酷い御用新聞ぶりだが、もともとCIAのテコ入れで大手にのし上がった新聞だから当然か。

日本政府が本気で核廃絶など考えるワケが無いのは、永田町や霞ヶ関の常識である。
戦後70年にわたって、アメリカの核の傘の下で最大の恩恵を被ってきたのが日本であり、それを維持するために保守合同がなされ、55年体制が成立、その後も60年にわたって「核の傘の下の日本」を保ち続けた。そこから少しでも離れようとする動きがあれば、全力で封じるのが霞ヶ関で、その犠牲者が鳩山政権だった。そして、鳩山氏の末路を見た菅・野田氏は、再び対米従属に回帰した。
「核の傘の下の日本」という政策は、60年以上にわたって霞ヶ関と自民党が政策コストを投じ続けたものであり、「コンコルドの誤謬」の最たるものになってしまっている。つまり、政策転換することは、これまで投じたコストが無駄になることを意味するだけに、官僚としては是非を問わず避けたいのだ。

日本政府が表面上「核廃絶」を訴えてきたのは、アメリカの核政策を支持するためのダミーだった。つまり、「米国の核の傘で守られる日本」という真実・ホンネを覆い隠すと同時に、「唯一の被爆国」という被害者ブランドを確立、さらに被爆者や反戦論者の批判をかわすためのものだった。
現実の日本は、アメリカの核兵器によって東側ブロックの脅威から守られると同時に、「核の平和利用」と称して原子力エネルギーの導入を促進した。原子力発電の導入を、自民党のみならず社会党や共産党まで支持していたことは、「核廃絶」の主張そのものが欺瞞であったことを示している。
当時、社会党は左右問わず原子力の推進に異論はなかった。資源を持たず、鉄と石油を求めて戦争を始め、悲惨な末路を迎えた日本において、核分裂はあまりにも魅力的な「夢のエネルギー」だった。
ただ、大先輩方にとっての悪夢は、日本の核開発と重武装路線への国策転換であり、これを阻止する「平和利用限定」が大前提となった。
松前先生たちは、自民党の岸・中曽根らが企む再軍備・重武装路線を阻止するために、「平和利用限定」を明記した原子力基本法の策定に関与された。

この間、NK党はソ連の核実験を支持しつつ、国内では「平和利用限定」「民主、自主、公開」を原則として、原子力発電の導入に賛成していたが、国会では議員が殆どいなかったこともあって沈黙を守っている。
1961年の第7回原水禁大会では、NK党の議員が「ソ連のそれはきれいな核実験だ」とソ連の核実験を擁護したことで、「核実験はどの国のも許されない」とする社会党系と対立し、分裂の原因になった。
その社会党も、原子力発電については容認路線を維持しており、転換したのは1986年のチェルノブイリ原発事故を経て、反原発の市民運動が活発化してからのことだった。
その社会党に対して、NK党は「反原発はエセ科学であり、まったく非現実的」と罵り、対立を激化させた。
とはいえ、社会党は1993年に細川連立政権に参画した際に「反原発」を放棄する。
(「左派=反原発」はホント?)

今回のオバマ大統領の広島訪問は、日本側からの懇請によって実現している。これは、米大統領にヒロシマを訪問してもらうことで、日本政府が核武装する意図を持たないことを内外に示すための宣伝に過ぎない。外務省が言う、従来の核廃絶路線は、即ち日本がアメリカの核の傘の下にあり続けることを前提としている。つまり、日本政府が米国側に伝えたいのは、「従来通り、日米安保も核の傘もよろしく!」という話であって、「核廃絶」はレトリック上のネタに過ぎない。そのために広島市民や被爆者の感情を利用するのだから、外務官僚がどこまで追い込まれているか分かるだろう。
アメリカの核の受益者が誰であるかを考えれば、当たり前の話だ(核抑止力の現実性についての議論はさておき)。

日本のメディアは急速に『プラウダ』化が進んでいるが、「読み方」さえ知っていれば、情報の宝庫なのである。

・プラウダを読むということ 
posted by ケン at 12:30| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

米軍駐留費の妥当性について

【トランプ氏の駐留費発言、日本政府「非現実的」】
 米大統領選で共和党の指名候補となるドナルド・トランプ氏が日本など同盟国に米軍駐留経費の全額負担を要求したことを受け、日本政府には「非現実的な主張」(外務省幹部)に対する警戒感が改めて広がっている。日本政府高官は6日、トランプ氏の発言について「米軍駐留による米国の利益を理解していない」と語り、今後はトランプ陣営への働きかけを強め、軌道修正を促す意向を示した。一方で「同盟国の負担増にはこだわりが強く、引っ込みがつかない」(外務省関係者)との見方もあり、大統領に就任すれば、日本政府は難しい対応を迫られそうだ。日米安全保障条約では、5条で米国の対日防衛義務を定め、6条で米軍の日本駐留を規定しており、日本政府はこれに基づき米軍に基地を提供している。
(5月6日、読売新聞)

トランプ氏が米共和党の大統領候補となることが確実となり、外務省などの面々は岡本喜八『日本のいちばん長い日』の少壮将校たちのようにいきり立っているようだ。
確かゴルバチョフ氏の回顧だったと思うが、「外務省というのは、政府の中でも最も保守的な省庁」というものがあったが、まさにその通りで、「日米同盟」が永遠に続くと考えている時点で、日本の外務省の無能ぶりは突出している。古来、同盟関係というのは「数年保てば十分」というもので、十年以上続くものはすでにレアケースなのだ。それが60年も続いているのは、「同盟」ではなく、「従属・衛星」関係であることを示している。ソ連と東欧諸国の関係が40年も続いたのは、同盟では無く従属関係だったからで、ソ連と中国の同盟関係は20年で破綻している。
霞ヶ関官僚や自民党議員は血眼になって、トランプ氏の「妄言」を責め立てているが、氏からすれば、妄言を放っているのはむしろ日本人という話になる。

肝心の在日米軍駐留経費を見た場合、2016年度の米連邦予算における在日米軍駐留経費は55億ドル(約6千億円)。これに対し、日本側の「思いやり予算」は1900億円(約17億ドル)。日本の負担割合は、イタリアやドイツなどの欧州諸国と比べて非常に高いものになっているが、駐留規模そのものが大きいため、米側の負担も大きいものとなっている。
米国の国防予算は、国外作戦経費を含めて5853億ドル(提出段階、以下同)なので、これだけ見ると在日米軍経費など「微々たるもの」かもしれないが、連邦予算の歳出は3兆9990億ドルで国防費が占める割合は15%弱に上っている。一般的に国家予算に占める軍事費の割合は10%以下に抑えるのが妥当と言われており、20%を超えると危機的状況とされる。
1980年代後半におけるソ連の軍事費の割合は約16%で、その負担を減らすために軍縮と東欧諸国やアフガニスタンからの撤兵を進めたことを考えれば、全く楽観視できない状況にあることが分かる。

特に、アフガニスタン戦争以降、対テロ戦争を推進したことで、国防費が高止まりしていることは傾注されるべきだ。2001年に3160億ドルだった国防費は、2010年に6910億ドルをピークとし、今日に至っている。現行の対テロ戦争を推進するためには、同レベルかそれ以上の予算が必要になるが、果たして投入したコストに見合うだけの費用対効果を得られているのかと言えば、十分に検証されていないのが現状だ。
また、国防基本費5343億ドルのうち作戦費が2098億ドルを占めていることも、作戦行動の過多が戦費を圧迫していることを示している。

在日米軍についても同様で、本来、ソ連や中国などの共産圏と対峙するための前線基地として、日本を機能させてきたわけだが、いまや米国は経済も財政も中国に依存する形で成り立っており、中国と戦争するメリットは何一つ無い。それどころか、中国が米国債を一斉に売り出せば、米国債が暴落して、ロクに戦費も賄えない状況に陥るだけに、デメリットしか無い。ところが、「親の心子知らず」で、日本は「日米同盟強化」と称して対中強硬路線を突き進んでおり、米国のあずかり知らぬところで日中軍事衝突のリスクが高まってきている(米海軍が南シナ海で駆逐艦を航行させた際は、事前に中国側に通達していた)。この日本の対中強硬路線は、強大な米軍を頼みにしているだけに、米国側からすれば、在日米軍の存在が日本をして強硬路線に走らせ、軍事的緊張を高めていることになる。
つまり、在日米軍を撤退させれば、日本は自前で軍備を強化するか、対中宥和路線を採るか選択を迫られることになり、アメリカにとっては国防費を削減できると同時に、対中戦争のリスクを低減できるので、殆どメリットしか無い。

ここで日本の防衛費を見てみると、今年度の防衛予算は5兆500億円で、歳出の5%を占めるに過ぎない。対GDP比だと、昨年度で0.98%と「防衛費対GDP比1%枠」がきちんと守られている。宗主国のアメリカが、連邦予算の15%、対GDP比の3.5%を軍事費に投入しているのに、衛星国(自称同盟国)である日本は同5%と1%という有様であり、これでは「タダ乗り」と言われても仕方ないだろう。これは、NATOにも言えることで、NATOの加盟国は少なくともGDPの2%を軍事費に投じなければならないという取り決めがあるにもかかわらず、それを満たしているのは、2013年度でアメリカ、イギリス、ギリシア、エストニアの四カ国に過ぎなかった。つまり、「対ソ・対ロ集団安全保障」と言う割に、その軍事的責務を全うしているのはごく少数で、大多数はアメリカの軍事力に依存して、自国経済を優先していることが分かる。

例えば、日本がNATO並みの「防衛費対GDP比2%」を実現した場合、5兆円が増額されることになり、現在米国が負担している駐留経費の6千億円など余裕で支払えるのだ。また、トランプ氏が言うように、独自に核武装する場合も、もちろん規模によるが、英仏並みで考えた場合、開発費で3〜4兆円、維持費で年間3〜5千億円程度と見られるだけに、これも「お釣り」が来てしまう。対外リスクを全く考慮しなければ、実は核武装は費用対効果が高い。
現状、日本は「2千億円の思いやり予算」で、固定経費8千億円分の米軍を駐留させることで、自国の軍事費を大幅に低減させ、その分を自国経済に投じている。歳出の1%強を防衛費増額に充てれば(現状の5%を6%にする)、米側が負担している在日米軍駐留費の6千億円などすぐに手当できるにもかかわらず、それを拒否して「横暴、暴論」と騒いでいる。客観的に見て霞ヶ関や自民党議員らの主張は全く妥当性を欠いている。
もっとも、対GDP比2%を実現するとなると、税収が55兆円という現状では、防衛費5兆円の増額など夢の話に過ぎず、本気でやるなら大増税が必要となる。それが恐ろしいからこそ、自民党議員も霞ヶ関もトランプ氏を非難することしかできないのだろう。

繰り返しになってしまうが、日本政府が日米関係を維持するために2千億円の「思いやり予算」を計上しつつ、対中強硬路線を突き走っていることを考えれば、独自で核武装した上で在日米軍を撤退させ、さらに親中路線か独自路線に転じるという選択肢は、衰退の一途を辿る米国にとって十分に「現実的」なものと言える。核武装の対外リスクをどう評価するかについては、別途議論が必要なものの、少なくとも現行の日米安保体制が日米双方にとって限界に来ていることは間違いなく、ヤクニンどもは単にそれを認めたくないだけの話なのである。

【追記】
アメリカ人が「タダ乗り」論を猛烈に支持するのは感情的に良く理解できる。米国は連邦予算の15%もの軍事費をつぎ込んで、「対テロ戦争」を行っているにもかかわらず、これを支持すると言う日本は予算の5%、ドイツは3%、イタリアも3%しか軍事費に投じておらず、その上、海外派兵や米軍の後方支援にも非協力的なのだから、「誰のためにやってると思ってるんだ!」とブチ切れるのは当たり前だろう。喩えるなら、大坂の陣で外様大名が誰もやる気が無く、徳川の親藩と譜代が全面的に戦い、ボコボコにされた(小牧長久手戦以来、実戦の経験が無かったから)話に近い。それを理解せずに、トランプ氏を非難するのは筋違いも良いところだし、そのセンスで国際情勢を読めるワケが無い。
posted by ケン at 12:21| Comment(10) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

日本再軍備の条件

「日本が核武装する日」の補足。
改めて宣言しておくが、私は憲法9条否定論者であり、再軍備論者である。

・侵略されても戦わないのか 
・日米安保の原点 
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい

第二次世界大戦の戦後処理の過程で、西ドイツは脱ナチと民主化を徹底させることを条件に再軍備が認められた。それに対して日本では、天皇制を一部温存させる代償として軍事権が放棄された。だが、朝鮮戦争が始まり、冷戦構造が確定する中、日本は情勢に合わせる形で憲法改正を経ぬまま自衛隊をつくった。それでも、しばらくの間は、自衛隊は共産国からの「盾」としての役割のみを期待され、西側ブロック防衛の主体はあくまでも米軍だった。故に自衛隊は軽武装のまま置かれ、日本の軍備負担は長いこと軽いもので済んでいた。
天皇制を始めとする権威主義体制の一部温存が容認される対価として、日本の非武装(半永久的武装解除)が行われ、米軍の常時駐留の確定と同時に新憲法第9条に明記された。このプロセスは、日本国憲法の条文を一目見ればわかる。第1条から第8条までが天皇のあり方を示す一方で、それに蓋をするような形で第9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」が盛り込まれた。なお、日本側から提示された草案には第9条に相当するものは存在しなかった。アメリカの解釈は、「帝国日本の侵略性は、権威主義(天皇制)という動力と軍閥(軍部)という車輪の上に成り立っているから、車輪さえ奪っておけば車が暴走することは無いだろう」というものだった。
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について

だが、ソ連が崩壊して冷戦が終わると同時に米国の衰退が始まり、米国の国益の力点が中東に置かれるようになると、日本は米国から自力による防衛を求められるようになった。気づいてみれば、日本は軍事費で世界7位前後、海軍力では世界第二位という規模の「軍隊」を持つに至っているのだが、日本政府だけは憲法上の理由から「軍隊では無い」と言い張る状態になっている。
そして今日、米国大統領が「もはや世界の警察官ではない」と発言し、大統領予備候補が「アジアからの撤退」を明言するに至っている。アメリカの衰退に伴う、アジアからの引き上げは時間の問題であり、米軍撤退後の「軍事的空白」をどうするかが問われているが、日本政府は問題そのものを否定し続けている。これはいわば、東独の社会主義統一党の党官僚が「ソ連軍が撤退するなどあり得ない」と主張しているのと全く同じで、希望的観測でしかない。
この軍事的空白を埋めるのは、国連軍が存在しない以上、中国人民解放軍か自衛隊でしか無い。だが、自衛隊は、日本国憲法第9条と日米安保条約の矛盾を解消するためにつくられた擬装組織でしかなく、その実力は長いこと「米軍が到着するまでの盾」に押しとどめられてきた。「お前らいい加減自立しろよ」と言われて始めたのが、1991年のペルシャ湾の機雷掃海であり、本格化したのは2003年のイラク派兵だった。今ではジプチに海外基地を設営するに至り、スーダンでは戦闘参加や軍政まで視野に入れているという。このように、なし崩し的に任務が拡大しているが、「憲法と安保の矛盾を覆い隠すための擬装」としての自衛隊の立ち位置は変わっていない。
米軍の存在を前提とした自衛隊は、軍隊では無いがための問題が存在する。例えば、交戦規定が存在しない(つくれない)ことや、兵站機能が非常に脆弱であること(米軍が来るまで戦えれば良いという前提)、防衛省の下部組織という設定であるが故に議会の統制を受けないこと、そして軍警や軍法会議が存在しないこと、などが挙げられる。これらを解決するためには、自衛隊を辞めて「軍隊」にする必要がある。ところが、ここで大問題が生じる。

もともと日本は第二次世界大戦の戦後処理として、天皇免責の代償に軍部に全責任を負わせ、権威主義体制を一部温存する代償に軍事権を放棄したはずだった。だが、米帝の事情(冷戦)と、国内反動派の策謀によって「軍隊では無い米軍を補完するための実力組織」として自衛隊が創設された。確かに、「米帝の勝手な事情で帰国するのだから、後は俺の好きにさせてもらう」と言うこともできようが、それでは中国もロシアも納得しないだろう。つまり、日本が再軍備するに際しては、天皇無答責(免責)と権威主義体制がネックとなる。具体的には、「天皇制権威主義体制のまま再軍備を図るのか」「帝国軍と新たな軍に違いはあるのか」「天皇の戦争責任を改めて問うのか」という問題が発生する。これをクリアしないと、連合国(国連)憲章の「敵国条項」に引っかかる可能性があり、特に中国が指摘してきた場合、非常に厄介になるだろう。これをクリアするためには、

・天皇制を廃止して共和制に移行する、あるいは
・天皇の地位は温存するが、徹底した民主化を行う

・自主的に昭和帝の裁判を行う、あるいは
・改めて帝国軍部に全責任を負わせて、新軍が旧軍とは全く無縁の民主的存在であることをアピールする

・「我が国の平和と独立を守る」という入隊の宣誓を改め、ドイツなどに倣い「国民の権利と自由を守る」とする


などの手筋が不可欠となろう。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。こうした状態のまま、自衛隊を「国防軍」などにしてみたところで、またぞろ自国民に飢餓を強制し、見殺しにし、殺戮するだけの道具になることは火を見るよりも明らかだ。
例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、これこそが本来の意味での「国民の軍隊」と呼べる。また、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。フィンランドも同様に軍の主要な役割について、領土保全に続いて「人民の生活、基本的権利、自由を保障し、法と秩序を守る」と規定している。こうした法的根拠があれば、沖縄戦の様相は今少し違っていたものと思われる。
そして、現代の自衛隊もまた自衛隊法において、

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

とあるように、「国民の保護」を規定しておらず、「国民個々人の生命保護は我々の任務外」と主張できる根拠を形成している。官僚は法律を守ると同時に、法律に書いていないことは「やってはならない」という縛りがある。例えば、租税法律主義や罪刑法定主義は、国民の合意無き課税や国民の合意無き刑罰を禁じるために存在するが、これは法律に根拠を持たない課税や刑罰が横行すれば、必ず市民に害をなすという考え方である。戦前で言えば、軍の統帥権の定義や内容を規定しなかった結果、文民統制が全く効かなくなって軍の暴走を止めることが出来なくなってしまったことがある。同じ過ちを犯す基盤はすでに出来上がっているのだ。
軍隊のあり方について続・日本軍の場合

【参考】
和平条件としての沖縄と「固有本土」 
軍隊のあり方について続・日本軍の場合 
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について
posted by ケン at 12:08| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする