2016年05月11日

米軍駐留費の妥当性について

【トランプ氏の駐留費発言、日本政府「非現実的」】
 米大統領選で共和党の指名候補となるドナルド・トランプ氏が日本など同盟国に米軍駐留経費の全額負担を要求したことを受け、日本政府には「非現実的な主張」(外務省幹部)に対する警戒感が改めて広がっている。日本政府高官は6日、トランプ氏の発言について「米軍駐留による米国の利益を理解していない」と語り、今後はトランプ陣営への働きかけを強め、軌道修正を促す意向を示した。一方で「同盟国の負担増にはこだわりが強く、引っ込みがつかない」(外務省関係者)との見方もあり、大統領に就任すれば、日本政府は難しい対応を迫られそうだ。日米安全保障条約では、5条で米国の対日防衛義務を定め、6条で米軍の日本駐留を規定しており、日本政府はこれに基づき米軍に基地を提供している。
(5月6日、読売新聞)

トランプ氏が米共和党の大統領候補となることが確実となり、外務省などの面々は岡本喜八『日本のいちばん長い日』の少壮将校たちのようにいきり立っているようだ。
確かゴルバチョフ氏の回顧だったと思うが、「外務省というのは、政府の中でも最も保守的な省庁」というものがあったが、まさにその通りで、「日米同盟」が永遠に続くと考えている時点で、日本の外務省の無能ぶりは突出している。古来、同盟関係というのは「数年保てば十分」というもので、十年以上続くものはすでにレアケースなのだ。それが60年も続いているのは、「同盟」ではなく、「従属・衛星」関係であることを示している。ソ連と東欧諸国の関係が40年も続いたのは、同盟では無く従属関係だったからで、ソ連と中国の同盟関係は20年で破綻している。
霞ヶ関官僚や自民党議員は血眼になって、トランプ氏の「妄言」を責め立てているが、氏からすれば、妄言を放っているのはむしろ日本人という話になる。

肝心の在日米軍駐留経費を見た場合、2016年度の米連邦予算における在日米軍駐留経費は55億ドル(約6千億円)。これに対し、日本側の「思いやり予算」は1900億円(約17億ドル)。日本の負担割合は、イタリアやドイツなどの欧州諸国と比べて非常に高いものになっているが、駐留規模そのものが大きいため、米側の負担も大きいものとなっている。
米国の国防予算は、国外作戦経費を含めて5853億ドル(提出段階、以下同)なので、これだけ見ると在日米軍経費など「微々たるもの」かもしれないが、連邦予算の歳出は3兆9990億ドルで国防費が占める割合は15%弱に上っている。一般的に国家予算に占める軍事費の割合は10%以下に抑えるのが妥当と言われており、20%を超えると危機的状況とされる。
1980年代後半におけるソ連の軍事費の割合は約16%で、その負担を減らすために軍縮と東欧諸国やアフガニスタンからの撤兵を進めたことを考えれば、全く楽観視できない状況にあることが分かる。

特に、アフガニスタン戦争以降、対テロ戦争を推進したことで、国防費が高止まりしていることは傾注されるべきだ。2001年に3160億ドルだった国防費は、2010年に6910億ドルをピークとし、今日に至っている。現行の対テロ戦争を推進するためには、同レベルかそれ以上の予算が必要になるが、果たして投入したコストに見合うだけの費用対効果を得られているのかと言えば、十分に検証されていないのが現状だ。
また、国防基本費5343億ドルのうち作戦費が2098億ドルを占めていることも、作戦行動の過多が戦費を圧迫していることを示している。

在日米軍についても同様で、本来、ソ連や中国などの共産圏と対峙するための前線基地として、日本を機能させてきたわけだが、いまや米国は経済も財政も中国に依存する形で成り立っており、中国と戦争するメリットは何一つ無い。それどころか、中国が米国債を一斉に売り出せば、米国債が暴落して、ロクに戦費も賄えない状況に陥るだけに、デメリットしか無い。ところが、「親の心子知らず」で、日本は「日米同盟強化」と称して対中強硬路線を突き進んでおり、米国のあずかり知らぬところで日中軍事衝突のリスクが高まってきている(米海軍が南シナ海で駆逐艦を航行させた際は、事前に中国側に通達していた)。この日本の対中強硬路線は、強大な米軍を頼みにしているだけに、米国側からすれば、在日米軍の存在が日本をして強硬路線に走らせ、軍事的緊張を高めていることになる。
つまり、在日米軍を撤退させれば、日本は自前で軍備を強化するか、対中宥和路線を採るか選択を迫られることになり、アメリカにとっては国防費を削減できると同時に、対中戦争のリスクを低減できるので、殆どメリットしか無い。

ここで日本の防衛費を見てみると、今年度の防衛予算は5兆500億円で、歳出の5%を占めるに過ぎない。対GDP比だと、昨年度で0.98%と「防衛費対GDP比1%枠」がきちんと守られている。宗主国のアメリカが、連邦予算の15%、対GDP比の3.5%を軍事費に投入しているのに、衛星国(自称同盟国)である日本は同5%と1%という有様であり、これでは「タダ乗り」と言われても仕方ないだろう。これは、NATOにも言えることで、NATOの加盟国は少なくともGDPの2%を軍事費に投じなければならないという取り決めがあるにもかかわらず、それを満たしているのは、2013年度でアメリカ、イギリス、ギリシア、エストニアの四カ国に過ぎなかった。つまり、「対ソ・対ロ集団安全保障」と言う割に、その軍事的責務を全うしているのはごく少数で、大多数はアメリカの軍事力に依存して、自国経済を優先していることが分かる。

例えば、日本がNATO並みの「防衛費対GDP比2%」を実現した場合、5兆円が増額されることになり、現在米国が負担している駐留経費の6千億円など余裕で支払えるのだ。また、トランプ氏が言うように、独自に核武装する場合も、もちろん規模によるが、英仏並みで考えた場合、開発費で3〜4兆円、維持費で年間3〜5千億円程度と見られるだけに、これも「お釣り」が来てしまう。対外リスクを全く考慮しなければ、実は核武装は費用対効果が高い。
現状、日本は「2千億円の思いやり予算」で、固定経費8千億円分の米軍を駐留させることで、自国の軍事費を大幅に低減させ、その分を自国経済に投じている。歳出の1%強を防衛費増額に充てれば(現状の5%を6%にする)、米側が負担している在日米軍駐留費の6千億円などすぐに手当できるにもかかわらず、それを拒否して「横暴、暴論」と騒いでいる。客観的に見て霞ヶ関や自民党議員らの主張は全く妥当性を欠いている。
もっとも、対GDP比2%を実現するとなると、税収が55兆円という現状では、防衛費5兆円の増額など夢の話に過ぎず、本気でやるなら大増税が必要となる。それが恐ろしいからこそ、自民党議員も霞ヶ関もトランプ氏を非難することしかできないのだろう。

繰り返しになってしまうが、日本政府が日米関係を維持するために2千億円の「思いやり予算」を計上しつつ、対中強硬路線を突き走っていることを考えれば、独自で核武装した上で在日米軍を撤退させ、さらに親中路線か独自路線に転じるという選択肢は、衰退の一途を辿る米国にとって十分に「現実的」なものと言える。核武装の対外リスクをどう評価するかについては、別途議論が必要なものの、少なくとも現行の日米安保体制が日米双方にとって限界に来ていることは間違いなく、ヤクニンどもは単にそれを認めたくないだけの話なのである。

【追記】
アメリカ人が「タダ乗り」論を猛烈に支持するのは感情的に良く理解できる。米国は連邦予算の15%もの軍事費をつぎ込んで、「対テロ戦争」を行っているにもかかわらず、これを支持すると言う日本は予算の5%、ドイツは3%、イタリアも3%しか軍事費に投じておらず、その上、海外派兵や米軍の後方支援にも非協力的なのだから、「誰のためにやってると思ってるんだ!」とブチ切れるのは当たり前だろう。喩えるなら、大坂の陣で外様大名が誰もやる気が無く、徳川の親藩と譜代が全面的に戦い、ボコボコにされた(小牧長久手戦以来、実戦の経験が無かったから)話に近い。それを理解せずに、トランプ氏を非難するのは筋違いも良いところだし、そのセンスで国際情勢を読めるワケが無い。
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2016年04月21日

日本再軍備の条件

「日本が核武装する日」の補足。
改めて宣言しておくが、私は憲法9条否定論者であり、再軍備論者である。

・侵略されても戦わないのか 
・日米安保の原点 
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい

第二次世界大戦の戦後処理の過程で、西ドイツは脱ナチと民主化を徹底させることを条件に再軍備が認められた。それに対して日本では、天皇制を一部温存させる代償として軍事権が放棄された。だが、朝鮮戦争が始まり、冷戦構造が確定する中、日本は情勢に合わせる形で憲法改正を経ぬまま自衛隊をつくった。それでも、しばらくの間は、自衛隊は共産国からの「盾」としての役割のみを期待され、西側ブロック防衛の主体はあくまでも米軍だった。故に自衛隊は軽武装のまま置かれ、日本の軍備負担は長いこと軽いもので済んでいた。
天皇制を始めとする権威主義体制の一部温存が容認される対価として、日本の非武装(半永久的武装解除)が行われ、米軍の常時駐留の確定と同時に新憲法第9条に明記された。このプロセスは、日本国憲法の条文を一目見ればわかる。第1条から第8条までが天皇のあり方を示す一方で、それに蓋をするような形で第9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」が盛り込まれた。なお、日本側から提示された草案には第9条に相当するものは存在しなかった。アメリカの解釈は、「帝国日本の侵略性は、権威主義(天皇制)という動力と軍閥(軍部)という車輪の上に成り立っているから、車輪さえ奪っておけば車が暴走することは無いだろう」というものだった。
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について

だが、ソ連が崩壊して冷戦が終わると同時に米国の衰退が始まり、米国の国益の力点が中東に置かれるようになると、日本は米国から自力による防衛を求められるようになった。気づいてみれば、日本は軍事費で世界7位前後、海軍力では世界第二位という規模の「軍隊」を持つに至っているのだが、日本政府だけは憲法上の理由から「軍隊では無い」と言い張る状態になっている。
そして今日、米国大統領が「もはや世界の警察官ではない」と発言し、大統領予備候補が「アジアからの撤退」を明言するに至っている。アメリカの衰退に伴う、アジアからの引き上げは時間の問題であり、米軍撤退後の「軍事的空白」をどうするかが問われているが、日本政府は問題そのものを否定し続けている。これはいわば、東独の社会主義統一党の党官僚が「ソ連軍が撤退するなどあり得ない」と主張しているのと全く同じで、希望的観測でしかない。
この軍事的空白を埋めるのは、国連軍が存在しない以上、中国人民解放軍か自衛隊でしか無い。だが、自衛隊は、日本国憲法第9条と日米安保条約の矛盾を解消するためにつくられた擬装組織でしかなく、その実力は長いこと「米軍が到着するまでの盾」に押しとどめられてきた。「お前らいい加減自立しろよ」と言われて始めたのが、1991年のペルシャ湾の機雷掃海であり、本格化したのは2003年のイラク派兵だった。今ではジプチに海外基地を設営するに至り、スーダンでは戦闘参加や軍政まで視野に入れているという。このように、なし崩し的に任務が拡大しているが、「憲法と安保の矛盾を覆い隠すための擬装」としての自衛隊の立ち位置は変わっていない。
米軍の存在を前提とした自衛隊は、軍隊では無いがための問題が存在する。例えば、交戦規定が存在しない(つくれない)ことや、兵站機能が非常に脆弱であること(米軍が来るまで戦えれば良いという前提)、防衛省の下部組織という設定であるが故に議会の統制を受けないこと、そして軍警や軍法会議が存在しないこと、などが挙げられる。これらを解決するためには、自衛隊を辞めて「軍隊」にする必要がある。ところが、ここで大問題が生じる。

もともと日本は第二次世界大戦の戦後処理として、天皇免責の代償に軍部に全責任を負わせ、権威主義体制を一部温存する代償に軍事権を放棄したはずだった。だが、米帝の事情(冷戦)と、国内反動派の策謀によって「軍隊では無い米軍を補完するための実力組織」として自衛隊が創設された。確かに、「米帝の勝手な事情で帰国するのだから、後は俺の好きにさせてもらう」と言うこともできようが、それでは中国もロシアも納得しないだろう。つまり、日本が再軍備するに際しては、天皇無答責(免責)と権威主義体制がネックとなる。具体的には、「天皇制権威主義体制のまま再軍備を図るのか」「帝国軍と新たな軍に違いはあるのか」「天皇の戦争責任を改めて問うのか」という問題が発生する。これをクリアしないと、連合国(国連)憲章の「敵国条項」に引っかかる可能性があり、特に中国が指摘してきた場合、非常に厄介になるだろう。これをクリアするためには、

・天皇制を廃止して共和制に移行する、あるいは
・天皇の地位は温存するが、徹底した民主化を行う

・自主的に昭和帝の裁判を行う、あるいは
・改めて帝国軍部に全責任を負わせて、新軍が旧軍とは全く無縁の民主的存在であることをアピールする

・「我が国の平和と独立を守る」という入隊の宣誓を改め、ドイツなどに倣い「国民の権利と自由を守る」とする


などの手筋が不可欠となろう。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。こうした状態のまま、自衛隊を「国防軍」などにしてみたところで、またぞろ自国民に飢餓を強制し、見殺しにし、殺戮するだけの道具になることは火を見るよりも明らかだ。
例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、これこそが本来の意味での「国民の軍隊」と呼べる。また、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。フィンランドも同様に軍の主要な役割について、領土保全に続いて「人民の生活、基本的権利、自由を保障し、法と秩序を守る」と規定している。こうした法的根拠があれば、沖縄戦の様相は今少し違っていたものと思われる。
そして、現代の自衛隊もまた自衛隊法において、

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

とあるように、「国民の保護」を規定しておらず、「国民個々人の生命保護は我々の任務外」と主張できる根拠を形成している。官僚は法律を守ると同時に、法律に書いていないことは「やってはならない」という縛りがある。例えば、租税法律主義や罪刑法定主義は、国民の合意無き課税や国民の合意無き刑罰を禁じるために存在するが、これは法律に根拠を持たない課税や刑罰が横行すれば、必ず市民に害をなすという考え方である。戦前で言えば、軍の統帥権の定義や内容を規定しなかった結果、文民統制が全く効かなくなって軍の暴走を止めることが出来なくなってしまったことがある。同じ過ちを犯す基盤はすでに出来上がっているのだ。
軍隊のあり方について続・日本軍の場合

【参考】
和平条件としての沖縄と「固有本土」 
軍隊のあり方について続・日本軍の場合 
分かりやすい歴史解釈のために:日本の戦後処理について
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2016年04月19日

日本が核武装する日

【「憲法は核兵器保有を禁止せず」政府、閣議で答弁書決定】
 政府は1日の閣議で、「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。そのうえで「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」との見解も併せて示した。民進党の逢坂誠二氏と無所属の鈴木貴子氏の質問主意書に答えた。政府はこれまで、自衛のために必要最小限度の実力を持つことは、憲法9条2項で禁じられていない、と解釈している。例えば、1978年に当時の福田赳夫首相は国会答弁で、核兵器について「憲法9条の解釈として、絶対に持てないということではない。必要最小限の自衛のためであれば持ちうる。ただ、非核三原則を国是としている」と述べている。
(4月1日、朝日新聞)

核武装合憲・政策不実行論は、歴代自民党政権の基本スタンスで、そこについては安倍政権が変化したわけではない。だが、同じスタンスでも状況が変化すれば、その持つ意味や、他者の解釈・認識も変わってくるのが道理だ。従って、国会で同じ質問をすることには十分意義がある。

日本の非核三原則は、アメリカの「核の傘」を前提とした政策上の理念であり、その実態は限りなく空疎だ。それは、米国の原子力潜水艦が日本に寄港しても、日本政府としては「核ミサイルの搭載の有無は問わない」ことに象徴される(もっとも戦略原潜は他国に寄港しないのが原則)。沖縄などの米軍基地についても同じだ(さすがに日本本土には常備はされていないようだが、岩国は怪しいとも聞く)。
そもそも非核三原則は、法律ですら無い、政府方針であって、閣議決定1つでどのようにも転換できる。その意味では、「核武装可能」という憲法解釈こそがキモとなっている。
今の法案体系だと、米軍に「これ運んで」と言われて、それに核マークが付されていたとしても、日本政府としては「いやいや、アメリカさんに頼まれたから運んだだけで、まさか核兵器だとは思いませんでした」と答弁すれば済む話なのだ。しかも、実際に何を運んだかについては、全て秘密保護法で隠蔽されるため、それを明らかにしたものは犯罪者として投獄される構図になっている。極論すれば、日本政府が核兵器の開発を始めたとしても、特定秘密に指定されれば、誰も知りようがない。

つまり、非核三原則はすでに陳腐化しており、わざわざ総理が言及する必要など無くなっている。官房長官がわざわざ、「非核三原則はある意味、当然のことだ」と言っているのは、「だって実質的に意味ないんだから言う必要ないよね」という文脈で捉えるべきであり、そこを追及しなかった日本のマスゴミ記者はもはや何の価値も無い連中と言えよう。
非核三原則はすでに陳腐化

重要なのは、米帝の衰退に伴う「アジア撤退」が時間の問題となる中で、「日本が米国の核の傘から外れる」事態が現実性を帯びつつあるという点にある。この場合、陳腐化したとはいえ、「少なくとも自らは核保有・使用はしない(アメリカさんにお任せ)」という日本の非核三原則の前提が崩れること意味し、その代替案が必要となる。
代替案としては、中国もしくはロシアの「核の傘」に入るか、独自で核武装するか、独自で非核に基づく自主防衛を進めるか、という3つが考えられる。このうち、「独自で核武装」はコストの上でも対外的リスク(緊張度上昇)でも、「より良い選択肢」とはなり得ないと思われる(自主路線の選択肢としては否定しないが)。「中国の傘の下に入る」は、コストの上でも対外的リスクの上でも最も安全かもしれないが、従来の対米追従から大転換する必要があるため、国内の交渉コストがもの凄く高くつくだろう。具体的には、戦後デモクラシーを否定し、自民党を完全解体するくらいの大変革が伴うことになりそうだ。そうなると、第三の「核無し自主防衛」で、「ロシアと連携しながら、中国とはつかず離れず」という安全保障政策となるが、これはこれで非常に不安定で難易度が高い。これらの代替案の困難さが、霞ヶ関の「絶対現状維持」路線の背景にある。

本稿では結論は出さないが、とにかく政府に核武装の合憲性を問うことに殆ど意味は無い。重要なのは「米帝後」の話であるはずだが、その問題提起をしない野党や旧式左翼は「だからダメなんだ」と言われるのだ。
「必要最小限の自衛のための核武装」が具体的に何を指すのかを問うことには意味がある。原則的に国外での武力行使を否定する日本が、核武装するということは、国内で核を使用することを意味するからだ。その意味で、解釈改憲で対外核使用を容認するのか、憲法を改正して核政策のフリーハンドを手にするのかまで、「将来の国のあり方」を含めて議論してゆく必要があるだろう。
その意味で、私の立場は、サヨク平和主義とは一線を画している。

【参考】
「核密約」をどう考えるか 
「敵基地攻撃能力」なる勘違い 

【追記】
先日、G7の外相会談が広島で開かれたが、日本政府がわざわざ広島を指定し、実現可能性が低い上に、米国の核の傘にある日本が主張しても全く説得力の無い「核廃絶」をアピールしたことは、「日本は米国の核の傘の下にある限り核武装しないので、これからも永遠に従属させて頂きます!」というホンネを暗示したものだろう。この点からも、トランプ候補の「日本の核武装解禁」発言が、いかに霞ヶ関官僚を震撼させているか良く分かる。つまり、トランプ氏は、野蛮な発言の裏で世界の真実を指摘し続けている。ガリレオは、当時のエリート層から断罪され続けたが、トランプ氏はデモクラシー下の大衆がエリート層による攻撃から守っている構図になっている。
posted by ケン at 12:29| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

次は国連脱退?−皇室典範見直し要求に反発

【皇室典範見直し要求、記述削除の経緯説明…菅氏】
 菅官房長官は9日午前の記者会見で、国連女子差別撤廃委員会の報告書最終案に皇室典範の見直しを求める内容が含まれていた問題について、「我が方から記述を削除するよう強く要請した」と述べ、在ジュネーブ日本政府代表部を通じた反論で記述が削除された経緯を明らかにした。菅氏は「我が国の皇位継承の在り方が、女子に対する差別を目的としていないことは明らかだ。委員会が皇室典範を取り上げることは全く適当ではないと説明し、結果として削除された」と述べた。また、最終案の作成経緯について、「今回の審査過程では(皇室典範は)一切取り上げられていなかった。手続き上の問題もあった」と委員会側の対応を問題視した。女性・女系天皇を容認するかどうかについては、菅氏は「皇位継承を維持することは国家の基本的事項だ。歴史的重みを受け止めながら、国民の議論を十分に踏まえ、将来的に検討する必要があると思う」と語った。
(3月9日、読売新聞)

おいおい、大人しく聞き流しておけば良いものを、国連に圧力かけて内容を削除させるというのは、どうよ。ほとんど満州事変に際してリットン調査団の報告書に反発して、国連脱退に至った経緯と似てきたな。

・リットン報告書をめぐる日本の報道について 
・右傾化という空気感について 

官房長官の「我が国の皇位継承の在り方が、女子に対する差別を目的としていないことは明らか」に至っては、「ここはイスラム国かよ?!」と言ってやりたい。これは保守派がよく使う「差別と区別は違う」ロジックなのだろうが、そんなものが国際社会に通じると思っている時点で、安倍政権の増上慢が際立っている。例えば、ジハーディストが「わが国における女子教育の在り方(公教育からの排除)が、女子に対する差別を目的としていないことは明らかだ」などと言ったところで、ごく少数のムスリム以外、殆どの者は聞く耳を持たないであろう。何故、「我が国の皇位継承」だけが例外であり得るのか、合理的な説明は不可能だろう(君主制そのものの合理性については今は論じない)。

外交戦略的にも大いに問題がある。とりあえず国連の報告書を受けて、「国内で良く議論したいと思います」と述べておけば、極右勢力が8割、男性が9割以上を占める日本の国会など、ロクに議論せずに「従来通り」の結論を出すのだから、何の問題もなかったはずだ。それを「報告書が出たら野党や反政府勢力が利用するから厄介だ」とばかりに、国連に圧力を掛けて口封じを図った結果、日本が戦後培ってきた国際的信用を貶め、築き上げた地位を脅かしてしまっている。

国連は、日本における「女性だけの再婚禁止期間」「女性への同姓の強制」「指導的地位にある女性の極端な少なさ」などを指摘して、要は「国際基準から大きく外れている」という事実を指摘しているだけであり、女性の即位を否定する皇室典範についても同じことを述べようとしただけに過ぎない。

アメリカ育ちの女性が「日本の女性は、国全体で男性に対するストックホルム症候群に陥っている。そうでなければ、戦後70年も自由選挙やりながら、女性国会議員の比率が未だに10%にも満たない理由が説明できない」と息巻いていたが、そういう面は否定できないだろう。
この前も傍聴した国会のある委員会で、30人いた委員の内、女性は一人だけで、「女性活躍」を議論していたが、色々無理筋だらけだった。誰も本気でそんなこと考えていない、あるいは「いかに低賃金労働力を動員するか」しか頭にないんだから、成功するはずがない。男性の超長時間労働や有休取得できない環境を放置して、そこに女性を投げ込もうとしてもできるはずがない。

結局のところ、デモクラシーも男女同権も、自分たちの手で獲得したものではなく、敗戦に伴う「強制インストール」によるものだったことが、日本人にその重要性の自覚を持たせなかったのではなかろうか。その意味では、一度放棄して、ブルジョワ革命をやり直す必要があるのでは無いかと、最近考え始めている。

【参考】
日本の女性解放は「アメリカの押しつけ」ですから!
posted by ケン at 12:15| Comment(4) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

辺野古和解は次の戦争のための準備期間か

【辺野古和解 政府、きょう是正指示へ 沖縄知事の承認取り消しで】
 政府は7日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設をめぐる代執行訴訟の和解に関し、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した沖縄県の翁長雄志知事の処分に対する地方自治法に基づく是正を同日中に行う方針を固めた。石井啓一国土交通相が指示する。菅義偉官房長官が同日午前の記者会見で明らかにした。これに先立ち、防衛省沖縄防衛局長が石井氏に対し、昨年10月に行った審査請求などを取り下げる文書を提出する。一方、和解に対する米国政府の反応について、菅氏は「日本政府が熟慮の末に今回の決定を行ったことを理解している」と説明した。その上で「米国とは日頃から緊密に連携している。さまざまな事態を報告しながら進めていきたい」と述べ、日米が連携して辺野古移設を進める考えを改めて強調した。
(3月7日、産経新聞)

官邸は次の参院選(衆参同日選)の主戦場の一つに沖縄を見立てており、「沖縄で勝利できれば、他は野党を圧倒できる」と考えている節がある。改選を迎えながら、評判の悪い島尻氏を敢えて大臣にし、島尻氏を通じて地域にカネをバラ巻き、沖縄出身のタレントを全国比例に立候補させて1セットで集票活動させる構想だろう。だが、それだけでは不十分であるため、辺野古新基地建設を一時凍結して選挙が終わるまでやり過ごそう、という狙いだと思われる。辺野古をめぐって「暴発」が起こった場合、マイナスが大きいのは政府・政権党側であり、同日選さえやってしまえば、数年の有余ができるだけに、後は「力で押しつぶせる」という読みなのだろう。

こうした一時休戦は歴史でも多く見られる。織田信長と石山本願寺が争った石山合戦は、双方が朝廷を通じて何度も休戦に持ち込んでいる。泥沼の戦争を続けるよりは、一旦戦線や状況を整理したいという双方の思惑が一致してのことだ。ナポレオン戦争でも、列強諸国は何度も休戦と開戦を繰り返している。

今回の沖縄の場合、官邸側の思惑は以上の通りだが、県知事側としては、申し込まれた和解案を拒否すると、「和解する気が無い」「ただゴネてるだけ」と非難される恐れが強く、選択肢としてリスクが高い。また、たとえ一時的であれ、工事を中止させることができれば、それ自体が知事側にとって「官邸側の譲歩を引き出した」という戦果になり、小さいながらもポイントが稼げる寸法だ。ヘタに戦い続けて、支持を失った上に、裁判にも負けた場合、完全に追い詰められてしまうだろう。また、国際戦略上、県側は時間稼ぎをする必要がある。米大統領選でトランプ氏ないしサンダース氏が勝利した場合、安全保障政策が大きく転換して、米軍再編が加速して在日米軍の撤退が始まる可能性があるからだ。

逆に官邸側は、一時的に譲歩したところで、同日選に勝てば、県側の抵抗をより容易に排除できる可能性が高く、その間に裁判官を異動させて政権側に都合の良い配置にしてしまえば、公判の勝利も確実だ。カネと不正を握られている司法側は、実質的に政府の従属下にあるだけに、官邸が細かく指示を出さなくとも、自主的に政府側が勝利するような裁判官の配置にするだろう。権力闘争とはそういうものであり、だからこそ三権分立が不可欠であるわけだが、日本では権力分割が不十分のため、行政府が圧倒的な権力を有して司法を従属下に置き、立法府を圧倒している。

国会全体では、自民党が他党を圧倒しているにもかかわらず、沖縄だけは国政と県知事選で非自民が勝利し続けている。デモクラシーが定着している国ならば、外国軍基地を拒否する民意が尊重されるはずだが、日本政府は自ら国費を使って植民地軍の新基地建設を強行しようとしている。果たして誰による、誰のための、誰の政府であるか、あらためて考える必要があろう。
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2016年02月03日

船員徴用制度で参戦準備

【船員予備自衛官化 「事実上の徴用」海員組合が反発】
 民間船員を予備自衛官とし、有事の際に活用する防衛省の計画に対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日、東京都内で記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力がかかる」と批判の声を上げた。 防衛省は、日本の南西地域での有事を想定し九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」を進める。だが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事の際には防衛省が使う仕組みを作る。今年10月にも民間船の有事運航が可能となる。一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。
この動きに海員組合は今月15日、防衛省に反対を申し入れ、29日の会見に臨んだ。森田保己組合長は「我々船員の声はまったく無視されている。反対に向けた動きを活発化させたい」と述べた。 申し入れでは防衛省幹部から「予備自衛官になるよう船員に強制することはない」と言われたという。だが、森田組合長は「戦地に行くために船員になった者はいない。会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想される」と強調した。会見に同席した組合幹部も「船はチームプレーで1人欠けても運航できない。他の船員が予備自衛官になったのに、自らの意思で断れるのか。防衛省は、できるだけ多くの船員が予備自衛官になるようフェリー会社に求めている」と危惧を表明した。
 太平洋戦争では民間の船や船員の大部分が軍に徴用され、6万人以上の船員が亡くなった。森田組合長は「悲劇を繰り返してはならない」と訴えた。有事での民間船員活用計画の背景には、海自の予算や人員の不足がある。有事で民間人を危険地域に送ることはできない。現役自衛官に操船させる余裕はなく、海自OBの予備自衛官を使うことも想定しているが、大型民間船を操舵(そうだ)できるのは10人程度しかいない。このため、防衛省は来年度に予備自衛官制度を変更し、自衛隊の勤務経験がなくても10日間の教育訓練などで予備自衛官になれる制度を海上自衛隊にも導入する。防衛省の計画について、津軽海峡フェリー(北海道函館市)は昨年末、毎日新聞の取材に対し、2隻を選定する入札に応じたことを認め、「船員から予備自衛官になりたいという申し出は確認していない」と述べた。
(1月30日、毎日新聞)

本件も毎日新聞が報道しているのみで、他者は報じていない。軽減税率の適用によって政府に対してさらに従属を強めてしまったマスゴミは、安全保障関連や人権問題について政府発表以外のものを極力報じない方向に舵を切っている。政府としては、「船員徴用制度」が「参戦準備」と取られるのを恐れて極力表沙汰にしたくないのだろうが、逆を言えば、堂々と公表しないところに、政府の「後ろめたさ」があると見て良い。

日本国憲法は9条で「戦争放棄」と「戦力不保持」を謳っているだけに、自衛隊は「自国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と規定されている。日米安保のからみでも、当初は再軍備を想定していなかったものの、冷戦が本格化する中で米国からの再軍備要求が強まり、苦肉の策として考え出されたのが自衛隊だった。それは、軽武装の自衛隊を設置して在日米軍と連携しながら、ソ連侵攻に際してはその第一撃を止め、米軍ないしは国連軍による本格介入まで持ちこたえるという構想だった。戦国風に言えば、自衛隊が日本本土に籠城し、米軍が後詰めで登場すれば、ソ連は諦めて軍を返すであろう、というものだった。もちろん、日米安保の真の効力は「攻略に時間が掛かれば米軍が来るぞ」とソ連側に思わせるという抑止力にある。少なくとも吉田茂は日米安保を危機時の暫定的な施策と考えていた。
安全保障条約は、条約自身が明らかに想定しているとおり、飽くまで暫定的な措置である。すなわち日本の自衛力が十分強化されたとか、国際情勢が著しく緩和されたとかによって、この条約の必要性が消滅すれば、いつでも終了させ得るのである。
『回想十年』 東京白川書院(1983)

とはいえ、他のヨーロッパ諸国と集団的安全保障体制を組めた西ドイツと異なり、日本の場合はその有効なパートナーはアメリカしか存在しなかったため、「赤化」を恐れる昭和帝の強い希望もあって、日米安保はそのまま存続されることとなった。
本来は、米軍の役割を国連軍が担うことが担保されることによって日米安保は解消されると考えられてきたが、国連軍が機能しないことが明らかになるにつれて(特に湾岸戦争が大きい)、外務省内の国連派が弱体化して対米追従派が主導権を確立していった。
外部からの侵略に対しては、将来国連が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
「防衛白書」2013年度版

ところが、安倍政権下で集団的自衛権が「解禁」され、それを反映した安保法制が成立したことで、大きく情勢が変化する。もともと、自衛隊の海外派兵は1991年の湾岸戦争を機に解禁され、2006年には自衛隊法改正によって付随任務から本来任務に変更、以後今日に至るまで、3度にわたる多国籍軍の後方支援(ペルシャ湾、インド洋、イラク)、8度にわたるPKO参加(南スーダンは現在も継続中)を始め、30回近い海外派兵が行われている。
そして、今回の安保法制の成立により、海外出兵に際しての特別立法が不要となり、より積極的に米軍あるいはアメリカを中心とした多国籍軍を支援するために海外出兵する方針が確立した。
自衛隊が発足する直前の1954年6月2日には、参議院において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされているが、諸先輩方はすでに今日の事態(拡大適用)を危惧していたのだろう。
本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する。
(自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議、1954年6月2日、参議院本会議)

政府としては、積極的に海外出兵を進めたいところだが、現実の自衛隊は海外展開を全く想定しておらず、その蓄積もなかったため、基本的に兵站を始めとするバックアップ体制が弱い。また、対中国で軍拡を進めている関係で、予算的にも実戦力やミサイル防衛の増強に取られて輸送船舶にまで回せない状況になっている。実は、この状況は1941年の日米開戦前にもよく似ている。
当初、日本は対米戦を太平洋上における漸減作戦と艦隊決戦という方針を採っていたが、いざ日米が開戦すると、太平洋の島嶼を始めとするアジア全域に兵力を展開したため、民間から船舶と船員を全面徴用(動員)し、ロクに護衛艦を付けずに輸送任務に充てた結果、2500隻(800万トン)が連合国軍に沈められ、6万3千人もの船員が死亡、その3分の1は未成年者だったという。二次大戦における日本軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%だったが、船員は43%にも達した。また、戦時特例によって商船学校などの卒業年限が大幅に短縮されたことと、船員不足を補充するため大量の船員が即席養成されたことが悲劇を加速させた。

その背景には、日本政府の需要・損害予測の甘さがあった。日米開戦前に日本海軍が予測した船舶損耗量は、開戦一年目が70万トン、二年目が60万トン、三年目が40万トンだった。同様に企画院による予測は、一年目が80万トン、二年目が60万トン、三年目が70万トンだった。だが、実際の損耗は96万トン、169万トン、392万トンに及んだ。海軍による予測の3.8倍の船舶が撃沈され、開戦三年を経た時には日本の通商・資源輸送ルートはほぼ壊滅していたのだった。
ところが、例えばわが伯父上などは、海軍上層部に対して上奏書を提出し、警告していた。1941年初頭に秘密裏に提出された「新軍備計画」(引用は口語化)には、
米国は多数の潜水艦を日本近海と日本の生命交通線に活動させ、航空機と協力し、根強く日本の海上交通破壊戦を行い、日本の物資封鎖の挙に出るに違いない。日本は国家生存と作戦遂行上の必要から、米の潜水艦と航空機の攻撃に対抗し、海上交通線の確保を必要とするだろう。この意味で、海軍の海上交通確保戦は、日米作戦中重要な一作戦だ。
(中略)
日本は、日本の生存上必要な、又戦争遂行上必要な、国としての海上補給線の確保に必要な兵力を整備することが必要である。日本が、その国家生存上と戦争遂行上、国家として日満支連絡線、それと蘭印を含む西大西洋海面の交通線の保持を必要にするので、戦時この交通線の対米軍保護を絶対必要とする。この場合、会敵を予期する米軍兵力は、航空機、潜水艦と機動水上部隊になるに違いなく、日本はこれらに対応する兵力を保持・運用することが必要である。

とあり、御先祖ながらもその予測の正確さに恐れ入るばかりだが、結果的には提言は無視されて、大きな悲劇を招いた。

話を戻そう。自衛隊の海外出兵は、憲法が否定する武力行使でしかない上に、自衛隊の創設を認めた議会が危惧していたものである。しかも、実戦力の充実にばかり予算を割き、兵站は民間徴用で賄い、その犠牲を一顧だにしない発想は、帝国政府や旧軍と何ら変わらない。さらに言えば、自衛隊は憲法上に明記されていない存在であるだけに、議会による統制が殆ど効かないシステムになっている上、そこに秘密保護法の施行によって必要な情報が開示されなくなってしまっている。
その意味で「船員徴用制度」もまた、「いつか来た道(しかも反省無し)」なのではなかろうか。
posted by ケン at 12:40| Comment(6) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

民主党は基地問題の対案を!

【民主・岡田代表「対案困難」辺野古を堅持 知事と初会談】
 翁長雄志知事は20日、民主党の岡田克也代表と党本部で初会談し、名護市辺野古の新基地建設問題について意見交換した。会談後、岡田氏は記者団に「政府には沖縄に寄り添う姿勢がない。集中協議を1カ月で打ち切り、工事を再開したことは極めて遺憾であり、今の(辺野古新基地建設の)やり方は反対だ」と政府の姿勢を批判した。
 一方、普天間飛行場問題の解決策については「対案がない中で無責任に辺野古反対とは言えない」と述べ、辺野古への新基地建設は容認する立場であることを明らかにした。翁長氏にも会談で伝えたという。岡田氏は対案を模索するか問われたが、「われわれが与党時代もさまざまな案を検討したが見つからなかった」と否定。対案を見つけるのは困難だとの見方を示した上で、政府に努力を求めた。この日の会談は民主側から持ち掛けて実現。党本部の枝野幸男幹事長、県連の花城正樹代表、清水磨男幹事長らが同席した。
(沖縄タイムス、10月22日)

岡田氏は一体何しに沖縄まで行って、知事に会ったのだろうか?野党第一党の代表が、与野党対立の最前線である沖縄へ行って、「政府案しかありません」と言うのだから、「バカじゃ無いの?!」と生卵を投げつけてやりたい気分だ。

民主党は鳩山政権期に普天間基地移設問題に手を出して失敗、米帝と外務省とその指示に従ったマスゴミの一斉攻撃に晒されて退陣した。その後、菅政権でいち早く辺野古移設を表明し、続く野田内閣でも推進してきた。その結果、2012年の総選挙において沖縄県で獲得した民主党の比例票は社民、NK党すら下回り、第6党となってしまった。最新の報道では、沖縄県内の民主党員はわずか3人だけだという。1989年の東欧革命後の東欧各国の共産党の方がよほどマシだった。
岡田代表は、それほど不人気な政策を、野党に転落して「二度と復活は無い」と言われる中、敢えて続けようとしているのだから、逆に「外務省に弱みでも握られているのでは?」と勘ぐってしまう。

民主党は、菅・野田内閣が掲げた政策が全く支持されなかったため、2012年の総選挙で歴史的敗北を喫し、そのまま政策転換せずに2014年の総選挙に臨んで「微増」に終わっている。このことは、菅・野田路線が「自民党と同じことやるなら自民党にやらせればいいじゃん」という評価が下されたことを意味するのであり、ごく当然の結果だった。にもかかわらず、二度の総選挙で大敗を続けた総括をせずに、いかなる政策転換もしていないのが、現在の岡田体制なのだ。
さらに今回の安保法案の審議で野党としての存在意義を完全にNK党に奪われた形になっており、来年の参院選と総選挙をどうやって戦うつもりなのか全く分からない。

まず民主党は、菅・野田路線を完全に放棄し、鳩山・小沢路線に回帰するか、新たな方針を打ち出さねばならない。その際、沖縄問題は重要なキーとなるだろう。最も重要なのは、「辺野古基地案の放棄、ないしは見直し」であり、続いて対案を提示することにある。
アメリカは、「堕ちた英雄」といえど、自由主義陣営の盟主であり続けているだけに、外国基地の存続は「周辺住民の理解を前提とする」原則を、少なくとも建前上は崩していない。普天間基地と辺野古基地案は、「住民の支持が無い」典型例であるはずだが、日本政府が「住民の理解は十分に得られている」と米国側に公式通達しているため、正当化されている。鳩山政権の時であっても、鳩山氏が堂々と「普天間と辺野古基地はともに住民の支持が無い」と表明していれば、米国側としては建前上ゴリ押しできなかったはずだ。アメリカが裏で工作してくれば、マスコミ(フランスとかロシア?)にリークしてやれば良いし、もし失敗したとしても沖縄県民にここまで嫌われることは無かったと思われる。

そもそも、米国では「基地存続派(ジャパンハンドラー)」と「本土撤退派(再編派)」が意見対立しており、前者が自民党・霞ヶ関と手を組んでいる以上、民主党は再編派と連携すべきだったのだが、米国側にコネクションを持たなかったため実現できなかった。野党外交の重要性を示す一例だろう。
その上で、民主党は辺野古案に替わる代案を用意する必要があり、現状で可能性があるのは3つ考えられる。

@ 米海兵隊本土撤退案(ハワイかテニアン)
A 岩国基地移設案
B 嘉手納基地統合案


中国軍の近代化が進んでいる現状下で、ミサイル攻撃の範囲内である沖縄に米軍基地を置く意味は大きく失われており、軍事的には中東にアクセスする中継基地の役割しか果たさなくなっている。特に海兵隊を置く意味は殆ど無く、実際に駐留している要員は非常に少ないと言われる。日米安保上の役割について言えば、自衛隊が敵国の第一撃を止め、米軍の支援下で反撃するという設計になっている以上、アメリカにとって米軍を第一線に置くことは、自らが紛争主体になってしまうリスクがあることを意味し、そのリスクを重く見る再編派は本土撤退を主張している。ところが、日本政府は「米軍を第一撃に巻き込むために沖縄に貼り付いておく必要がある」と考えており、それが世界に類を見ない「思いやり予算」となって、「宗主国に軍の駐留を懇願する」という状況が現出している。
現実には、中国の国力が増して東アジアのパワーバランスが中国側に傾くほど、米国にとってはリスクが増すと同時に、日本にとっての米軍の価値も増すだけに、在日米軍の駐留コストも急騰するところとなる。具体的には、米国内での基地存続派と再編派の対立が高まると同時に、基地存続派にしても日本側に米軍駐留を「高く」売りつけないと国内に説明が付けられなくなってしまう。結果、日本政府は今後ますます「アメリカの言いなり」にならざるを得なくなるだろう。

問題を根本的に解決し、東アジアの安定と沖縄と日本の平穏を両立させるためには、米軍の本土撤退しかない。だが、そのためには米国内の再編派と緊密に連携を取り、霞ヶ関の日米枢軸派と対抗する必要があるが、民主党にも他の野党にもそれだけの政治力も外交力も無い。
次善の策としては、国内最大級の岩国基地への移転が考えられる。これは、「沖縄の負担を本土が引き受ける」という点で、沖縄県民の要望を実現しつつ、内地の日米枢軸派にも配慮しており、実現可能性ということでは最も高い。幸か不幸か、山口県は自民党の牙城であり、自民党県連を賛成派と反対派に分裂させる効果も期待できる。とはいえ、米軍としては中東から遠くなってしまう点で、あまり使い勝手は良くないかもしれない。
第三の嘉手納統合案は、移設コストが最も低い点で「分かりやすい」案ではあるが、那覇空港の拡張工事と軍民共用の拡大が必要となることを県民と米国側に理解してもらわなければならない。それに失敗して実現しなかったことを考えると、沖縄県民の中央不信が高まっている現状で強行しても実現可能性は低いと思われる。

どの案にするにせよ、民主党、そして野党が避けて通れないものであり、この点については対案無くして参院選を戦うのは難しいであろう。
posted by ケン at 12:11| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする