2019年06月14日

金融庁の年金報告書が「なかったこと」に

【老後2000万円「報告書はもうなくなった」自民 森山国対委員長】
 自民党の森山国会対策委員長は記者団に、「国民の老後の生活に大きな不安が広がった。政府は金融庁だけの問題にせずしっかりと丁寧に国民に説明し不安を取り除く努力をする必要がある。現在の年金制度が将来にわたって持続可能であることも理解してもらいたい。与党としても、国民が安心して老後の生活を送ることができるよう、全世代型の社会保障の強化に向けて努力していきたい」と述べました。
 一方で、野党側が求めている予算委員会の集中審議については「この報告書はもうなくなっているので、予算委員会にはなじまない」と述べ、応じない考えを示しました。
 立憲民主党の辻元国会対策委員長は、野党5党派の国会対策委員長会談で「麻生副総理兼金融担当大臣は、『迷走ドタバタ劇』から『ジタバタ劇』に変わってきている。かつて『消えた年金』があったが、今度は『消された報告書』ということで、報告書が抹殺されるような事態は民主主義の危機だ」と述べました。
(6月12日、NHKより抜粋)

いつものパターンだが、都合が悪くなると官僚のせいにして「無かったこと」にする体質が現れている。
取り下げるなら取り下げるで、どこが不都合で、なぜ「間違った」報告書を出してしまったのか検証する必要があるが、「無かったこと」にすることで検証すら避けられることになる。何重にも罪深い。
ここは「一部を切り取って煽情的に悪用する方が悪い」と突っぱねるべきところだった。実際、立民の主張は無責任にも程がある。必要なときに官僚をかばわないで何のための政権党か、これでは政治家と官僚の信頼関係など構築できるわけが無い。

どうせリベラル派の連中には何を言っても無駄なのだろうが、もう一度確認しておこう。
件の報告書の問題箇所である。
前述のとおり、夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20〜30 年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円〜2,000 万円になる。。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。重要なことは、長寿化の進展も踏まえて、年齢別、男女別の平均余命などを参考にしたうえで、老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか、考えてみることである。それを考え始めた時期が現役期であれば、後で述べる長期・積立・分散投資による資産形成の検討を、リタイヤ期前後であれば、自身の就労状況の見込みや保有している金融資産や退職金などを踏まえて後の資産管理をどう行っていくかなど、生涯に亘る計画的な長期の資産形成・管理の重要性を認識することが重要である。

要は現行の年金給付額に夫婦二人で毎月5万円を上乗せして生活、95歳まで生きることを想定した場合の話なのだ。
問題はこの想定が非現実的かどうか、という話になる。敢えて言えば、年5万円の上乗せ額は年間60万円、30年だと1800万円になる。
なお、65歳時点での日本人の平均余命は男性で19年、女性で24年で、さらに伸びる見込みだ。

現実には年金給付額の平均は2019年の速報値で厚生年金14万8千円、国民年金5万5千円で、夫婦二人世帯の平均額は21万円である。このうち大体2万円強は税金や保険料(介護保険と後期高齢医療支援)などに取られ、74歳以下だとさらに国民健康保険で約2万円が失われる。この時点で手取額は、75歳以上で19万円、74歳以下だと17万円になってしまう。
大都市部に住んでいることを想定、家賃に10万円、光熱費に3万円かかった場合、残るのは75歳以上で6万円、74歳以下だと4万円になってしまう。これでは日常生活にも事欠くのは当然だろう。
ケン先生が公共住宅の整備を訴えたのは、まさにここである。10万円の家賃が5万円で済めば、最低限の生活は保障されるからだ。

実際に金融庁の報告書は、70代の夫婦二人世帯の平均支出額を24万円、60代を29万円としており、どう見ても現実離れした想定をしているようには思えない。60代の支出が多いのは、国保料、各種ローン支払い、孫の教育費支援などがあるからだろう。

同時に金融庁は今後退職金が減少することを想定して、退職金を資産運用して目減りさせないことを推奨しているわけだが、これも「余計なお世話」という反論を除外すれば、「その通り」としか言い様がない。
現実に、60代の資産を見た場合、「金融資産がある世帯」の貯蓄額中央値は1500万円だが、「金融資産ゼロを含む」のそれは600万円であり、この点でも金融庁の危惧は現実的だ。実際には高齢者の貯蓄ゼロ世帯は2割以上に上り、今後はさらに増加する見込みだ。
さらに、ゼロ金利も老後生活を直撃している。多少の貯蓄があっても金利がゼロの現状では、消費した分だけ減る一方にあり、資産運用をするとなるとリスクは避けて通れない。この点も必要とされる貯蓄額を増やす結果にしているのと同時に、基金運用による運用益の目減りと年金財政の悪化を示唆している。金融市場は飽和状態にあり、今後利率が上がる蓋然性は極めて低いと考えられるだけに、悲観的な観測を出さざるを得ないのは当然だろう。むしろ金融庁の試算は控えめなくらいである。

自由主義者は社会主義制度である年金制度を理解していない(したくもないのだろう)。
日本の年金制度は賦課方式を採用しており、勤労世帯が納めた保険料に年金基金の運用益や税金を補填して、高齢者の給付に充てる仕組みである。これは根源的に機械的な作業であり、保険料収入が減れば給付を減らすしかないし、給付を増やすためには保険料を上げるしか無い。
現実には、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は28%に達し、2040年には38%になるという中で、年金財政はすでに逼迫している。
国保では45%が国庫、要するに税金を投入して収支を維持しており、厚生年金でも20%が税金で賄われている。この合計額は2016年度で12兆円に及んでおり、国家歳出の10%以上を占めている。
高齢化率が高まるほど、年金給付額が増える一方、保険料を負担する現役世帯が減少するのだから、個々の負担は増え、貯金は難しくなるだろう。同時に退職金制度も崩壊過程にあり、若年層は退職金に期待できなくなっている。

年金制度は仮に政権交代したからと言って、突然ユートピアが訪れるようなものではない。
例えば、旧民主党は「基礎年金7万円」を掲げたことがあったが、これは国保に限ってみても2兆円からの財源が必要となる。これは恒常的な経費であるため、F-35の購入を止めたところでどうかなるものではない。これを実現するためには、国保の保険料を現行の1万6千円から2万2千円以上に上げるか、ないしは消費税を1%増額させることになる。あるいは資産課税だろう。このどれか、ないしは別の案を掲げなければ、「画に描いた餅」でしかない。

医療の問題も同じだが、保険制度は「皆で皆を支える」制度であって、誰かが一方的に利益を享受できるようなおいしい話はあり得ない。医療費の自己負担を下げるためには、保険料や税金を上げるか、医療の質やアクセスを下げるしか無いのと同じで、NK党が主張するような「窓口負担下げろ、医療労働者の待遇を改善しろ、消費税も保険料も上げるな」は全く非現実的なのだ。

「給付額下げるな、保険料下げろ、税金上げるな」という主張は、無限にお金が出てくる魔法の壺でも無い限り実現不可能である。だが、どうもそれはリベラル派に通じないらしい。
彼らには、パン価格を50年間据え置いて、給料を上げまくった結果、財政破綻してしまったソ連経済を学ぶところから始めて欲しい。

大事なことだからもう一度言うが、年金と健康保険は社会主義制度である。
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2019年06月07日

これだからヤツらは信用できない

【「年金で暮らせない。まず謝れよ」立憲・辻元清美氏】
■辻元清美・立憲民主党国会対策委員長(発言録)
(金融庁が5月22日、老後資金について年金だけでは足りず、さらに1300万〜2千万円が必要になるなど国民に自助を求める内容の指針を示したことに)びっくりした。国民に対し、老後は年金だけでは暮らせないから、投資も含め2千万円かかるぞ、と。政治の責任を放棄したと言わざるを得ない。また、それに対して麻生さん(太郎財務相)の(閣議後会見での)「人生100年になったんだろ」と。だから仕方ないと言いたいのでしょうが、まず謝れよ国民に。申し訳ないと。一方で消費税を増税しておきながら、2千万円とは、どうつじつまがあうのですかね。(国会内で)
(6月5日、朝日新聞)

こんなのが野党第一党の国対委員長とかやってるからダメなんだよね。
ま、何回選挙やっても勝てないでしょうよ。

まず彼女は「自社さ」と民主党政権時に政権の側にあったわけで、少なくとも5年近くは政策を立案、実行する立場にあった。つまり、今日の事態に対して無責任ではいられない。まして、民主党政権時には副大臣や首相補佐官を務めており、「知らなかった」で済まされる立場には無い。さらに言えば、消費増税を決めたのは民自公の三党合意であって、これも自公が勝手に増税しているわけでは無い。

金融庁の2千万円云々の話は、現行の消費水準が維持される場合に不足する金額で、しかも夫婦ともに95歳まで生きるという前提だ。報告書の一部内容を切り取るから、「2千万円足りないとか無責任」などと大騒ぎをするのであって、それを否定するなら、「足りなくならない根拠」あるいは「95歳まで全くお金の心配が不要な社会保障制度案」を提示すべきだろう。

例えば、金融庁の報告書では住宅ローン負担が高齢期になってまで重荷になるケースについて指摘している。
この点について言えば、私は(記憶では)2003年あたりから「持ち家重視」を廃止して、公共住宅の再整備と住居費補助政策の導入を訴えていたが、彼女も含めて(当時は野党だが)、政策担当者は聞く耳持たなかった。これは、民主党政権期でも同じである。
仮に15年前に公共住宅の整備を始めていれば、老後の住居費負担はかなり低減できたはずである。まぁ財政赤字も増えたであろうが。
また、私が資産課税を主張し始めたのは2007年か08年のことだったと思うが、これも検討すらされていない。
少なくともケン先生(たち)の社会主義政策は、15年後、30年後を予見して間違っていなかったと、今も確信しているが、それを採用しなかったのは、あの連中であり、少なくとも今の主要野党幹部にそれを否定するだけの根拠は何も無いだろう。

最も信用ならない政治家の一人である。

【参考】
協力者という生き方:T元女史の場合
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2019年06月01日

年金の自助努力を謳った政府が大炎上?

【人生100年時代の蓄えは? 年代別心構え、国が指針案】
 人生100年時代に向け、長い老後を暮らせる蓄えにあたる「資産寿命」をどう延ばすか。この問題について、金融庁が22日、初の指針案をまとめた。働き盛りの現役期、定年退職前後、高齢期の三つの時期ごとに、資産寿命の延ばし方の心構えを指摘。政府が年金など公助の限界を認め、国民の「自助」を呼びかける内容になっている。
 報告書案「高齢社会における資産形成・管理」として、金融審議会で示した。

 平均寿命が延びる一方、少子化や非正規雇用の増加で、政府は年金支給額の維持が難しくなり、会社は退職金額を維持することが難しい。老後の生活費について、「かつてのモデルは成り立たなくなってきている」と報告書案は指摘。国民には自助を呼びかけ、金融機関に対しても、国民のニーズに合うような金融サービス提供を求めている。
 報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20〜30年生きるとすれば、現状でも1300万〜2千万円が必要になる。長寿化で、こうした蓄えはもっと多く必要になる。
 まず、現役期は「少額からでも資産形成の行動を起こす時期」と説明。生活資金を預貯金で確保しつつ、長期・分散・積み立て投資を呼びかけた。具体的な方法として、年40万円まで20年間非課税で投資できる「つみたてNISA」や、個人型の確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」などをあげた。出産や住宅購入などの生活設計に応じた預貯金の変化や家計収支を「見える化」することも、効果的な対応として触れた。
 定年退職者のほぼ半数は、退職時点か直前まで退職金額をわかっていないのが実情だ。このため、退職前後の時期は、退職金がいくらかや使い道などのマネープランの検討を勧める。
 高齢期は、資産の計画的な取り崩しを考えるとともに、取引先の金融機関の数を絞ったり、要介護など心身が衰えた場合にお金の管理をだれに任せるかなどを考えたりしておくことを、課題としてあげている。
(5月23日、朝日新聞)

どうやら本記事が元になって、「保険料納めさせておいて、後は自分でやれとは何だ!」といった類いの怨嗟が溢れかえり、金融庁の電話も一時鳴りっぱなしだったと聞く。
これはご愁傷様としか言い様がなく、率直にご同情申し上げる。
エリートがエリートらしくデータに基づいて率直に現状を述べたところ、ロクに報告書も読まずに逆ギレされたような話だからだ。
こんなものは多少社会保障をかじったものなら当然の話で、逆ギレが恐くて触れないだけのことなのだ。

そもそも年金制度が確立した頃(1960年、岸内閣の国家社会主義的政策)、男性の平均年齢は68歳、60歳時の平均余命は約15年だった。つまり、60歳で定年して15年間年金を受給するというモデルだった。65歳以上の高齢人口の割合は7%しかなかった。
これに対して、現在はといえば、男性の平均年齢は78歳、65歳時の平均余命は約19年である。つまり、年金受給開始年齢を5年繰り上げてなお、4年分の受給額が増えている。これが女性になると、65歳時の平均余命は24年で、平均して24年間年金を受給する計算になっている。それ以上に問題なのは、65歳以上の高齢人口の割合が35%に達していることだ。

単純計算すると、総受給額で25%の増加、現役負担は5倍(7%から35%)になっていることを示している。
平均余命は今後さらに伸びると考えられ、高齢人口の伸び率は抑えられつつあるが今後20年間で高齢化率は40%に達する見込みだ。
これまでは、少子高齢化も経済成長も「甘い見通し」で語られてきたが、現実を直視した場合、従来のモデルを維持するのはとっくの昔に無理になっていた。
現状でも例えば2016年度を見た場合、国民年金の歳入は45%が税金で占められ、厚生年金も19%が年金になっている。この割合は今後も増えると見られるが、税投入が増えれば増えるほど財政赤字が増え、他の一般行政にしわ寄せがいくと同時に、国債の暴落が近づくことになる。仮に年金制度が維持できても、国家財政が破綻して大インフレが発生した場合、年金などあっという間に雀の涙になってしまうだろう。その姿は、ケン先生自身、ソ連崩壊後のロシアで見てきたものだ。

現行の受給水準を維持するためには、年金額を抑えるか、現役層の保険料負担を増やすかのどちらかしかない。
しかし、現役層が過度に少なくなっている現状で、その負担を増やした場合、少子化が加速し、大衆消費が減少するところとなって、そこには絶望しかない。
苦しい選択ではあるが、比較的マシな選択肢は年金額を抑える、ないしは受給開始年齢を上げるという話にしかならないだろう。結果、「70歳まで働け!」ということになるわけだが、私も個人的には「俺に死ねというのきゃ!」と言いたいが、理性的、客観的に検討して「他に選択肢はない」くらいの状況にある。
年金受給額も今後は少しずつ目減りしていくだろう。

恐らく政府の主張は「最低限度の生活費分くらいは何とか維持するよう頑張るから、残り分は各自で頑張って欲しい」くらいのものだったと思われる。
確かにここまでの少子高齢化を招いてしまったのは政府の失策ではあるわけだが、今さらそこを責めても仕方あるまい。かといって、激高するリベラル派が主張するように、政府のクビをすげ替えたところで、年金財政はいまさらどうしようもない。何せ現役層が負担して高齢層が受け取る、足りない部分は税金という構造は変えようがないのだから。せいぜいできることは、株に投じてしまった基金を引き上げて、国債などに戻すことくらいだが、それもタイミング次第では株価大暴落を引き起こし、「元も子もなくなる」可能性もあるのだ。

とはいえ現状、子どものいる中低所得層は絶望的状況にある。住宅と学費で巨額の負債を抱え、貯蓄はゼロに近く、その上年金は「受給開始年齢は引き上げます」「受給額も今後減ります」「足りない部分は予め何とか努力してください」と言われては、逆ギレするのも宜なるかな、ではある。
もっとも、逆ギレに対して逆ギレするなら、「貧乏のくせに家を買ったり、子どもをつくったりするな!」という話になってしまうわけで、やはり水掛け論になってしまうので、ここは諦めるか、海外に活路を求めるほか無いと考えられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月14日

迷走するふるさと納税

【ふるさと納税 都市部では税の“流出”深刻に】
 ふるさと納税制度をめぐっては、寄付者が住民税を控除され、都市部から地方へ税収が“流出”しているとの見方もある。都市部の自治体からは「このままでは行政サービスの低下につながる」との声が上がる。
 総務省によると、平成30年度にふるさと納税で控除される住民税は全国で約2448億円(前年度比約1・3倍増)。都道府県別では、東京都の約645億円を筆頭に、神奈川県(約250億円)、大阪府(約210億円)、愛知県(約180億円)が続き、都市部での減収が目立つ。
 住民税の控除額が急激に伸びる川崎市。27年度に2億円だったが減収分は、ふるさと納税などの影響で、29年度には30億円に。31年度は49億円に達する見込みだ。本来、減収分の75%は交付税で補(ほ)填(てん)されるが、同市は独自の税収で財政運営ができるとして、交付されない。減収分はそのまま歳入減につながり、市の危機感は強い。
 同じく不交付団体の東京都杉並区も、直近5年間の減収分は計約40億円に上り、学校1校分の改築費に相当するといい、同区は「この状態が長く続けば、行政サービスの低下につながりかねない」と危惧している。
 関西の都市部でも税の流出傾向が顕著。神戸市では26年度まで寄付額が控除額を上回る“黒字状態”だったが、27年度から逆転。29年度の差額は約26億円に及んだ。大阪市でも30年度、約8万人がふるさと納税を行い、約55億円が減収している。
(4月11日、産経新聞)

記事にもあるとおり、本来の住民がふるさと納税することによって減る税収分は、その75%が国庫から補填されるものの、地方交付税の対象外の自治体には交付されないため、そのまま減収となる。特に大都市部は不交付のところが少なくないため、多くの自治体で減収となっている。実のところ、これこそが国の狙いなのかもしれない。

しかし、ふるさと納税によって得られた増収分は、20〜30%が「返礼品」として消費されてしまうので、実際に地方自治体が得られるのは残り分ということになる。これは、本来受領するはずのない「税収」(寄付金)であるため、それ自体困ることはないわけだが、それだけに「返礼品競争するな!」という国側の主張は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだろう。

現実にふるさと納税によって地方が整備され、人口減の抑制や地方再生に効果が認められるのであれば、財政難の折、やむを得ないところもあるだろう。しかし、現状ではそれだけの効果は認められない。制度創設から10年以上経つのだから、検証すべきだ。

以前の主張の繰り返しになってしまうが、住民税は本来居住地における社会的インフラを負担するための税であり、非居住地に「住民税分を寄付する」するというのは、税本来の意味から外れてしまう。返礼品競争の本質的原因も、「非居住者からの寄付の奪い合い」にあると見るべきだ。
それだけに、一時的な起爆剤としては一考の余地があるとしても、ふるさと納税(実は税じゃない)を常態化させるのは、国家運営の本質を損なうところとなるだけに、もはや廃止を検討すべき時に来ていると考える。
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2019年04月12日

紙幣刷新をめぐるあれこれ

【渋沢栄一の新1万円札 韓国で批判的報道】
 新たな1万円札の肖像に日本経済の近代化に貢献した実業家の渋沢栄一が採用されたことについて、韓国メディアでは、「渋沢は、日本が戦前に朝鮮半島の経済を奪い取った象徴的な存在だ」などと批判的な報道が相次いでいる。
 5年後をメドに刷新される日本の紙幣のうち、1万円札の肖像に渋沢栄一が採用されたことを受け、韓国・聯合ニュースは「渋沢は日本が戦前に朝鮮半島の経済を奪い取った象徴的な存在だ」と伝えた。報道では、渋沢が設立した銀行が1900年代のはじめ、朝鮮半島で日本の軍事的な圧力を背景に渋沢の肖像が描かれた紙幣を流通させ、「恥をかかせた」と指摘している。
 また、保守系の大手紙・朝鮮日報は「過去の歴史を否定する安倍政権の基調が反映されたとの解釈もある」とした上で、「日韓の摩擦を激化させるとの見方も出ている」と伝えている。
(4月10日、日本テレビ系)

新帝即位に合わせて様々なプロパガンダが仕組まれている。世界各国で階級対立や民族対立などが先鋭化する中で、デモクラシーの伝統がない国では政治的求心力と国民統合を維持するために権威主義化が進んでいる。日本もその一つである。
今回の紙幣刷新もその流れの中にあるわけだが、どうにもセンスが悪いし、発想が古すぎる。
まず韓国や北朝鮮の国民感情に油を注ぐような選択肢を故意に選んでいることだ。財務官僚や日銀官僚が「知りませんでした」では済まされず、政治統制を担う自民党の意向も踏まえて、「敢えて渋沢を選んだ」と考えるべきだろう。逆をいえば、「渋沢でなければならない」理由はなく、この点でも恣意性しか感じられない。ただでさえ日韓関係が史上最悪と呼べるまでに悪化しつつある中で、敢えて火に油を注ぐ理由が分からない。一体誰が得するのだろうか。

国内的にも、渋沢は日本初の労働者保護法であった「工場法」の制定に反対した急先鋒であり、その主張は「工場法なんぞ制定されたらオレたち経営なんてできない!」というものだった。同法は小工場は適用除外だった上、今読むとスカスカな内容に思われる代物だが、そんな法律にも徹頭徹尾反対した悪徳ブルジョワの典型だった。つまり、渋沢は階級弾圧の急先鋒だったわけで、戦後日本が志向した「階級和解体制」の象徴としては最も不適当なものであることを意味している。論を一歩進めるなら、この渋沢を日本銀行券の象徴に据えることは、階級和解の破棄を内外に示す意図があると見なすべきなのだ。
にもかかわらず、NK党や社民党からそうした批判が出てこないのは、連中もまた階級意識を喪失していることを意味しており、戦後和解体制に取り込まれて階級政党あるいは階級代表としての役割を忘れ果てていることを示している。

現行の福沢諭吉もまた「侵略主義者の側面」を持っていたことは確かだが、同時に「アジア革命の支援者」としての側面も持っており、何よりも基本的には教育者であったことから、まだ「議論の対象」で済まされたわけだが、渋沢については議論の余地はない。
一部では渋沢の「道徳経済合一論」を支持する向きもあるが、これはこれで現代日本のブラック企業に蔓延する「家族型経営」などの論拠になっており、安易に評価すべきではない。

こうした「近代の偉人」を銀行券のデザインに据えることは、どうしても政治的問題と切り離せない。それだけに、時の権力者(政権党や官僚)の主観が入りやすく、国民的評価が分かれやすい人物は、国民統合の維持という観点から除外すべきだ。
個人的には、どなたかが主張しておられたが、世界的英雄である三船敏郎や高倉健などではダメなのだろうか。三船敏郎にすれば、世界中のファンが収集してくれるだろう。なんと言ってもカッコイイことが肝心である。
歴史人物も悪くはないのだが、聖徳太子は存在自体が否定される始末だし、足利尊氏の肖像画も否定されてしまって、現在では採用が難しくなっている。

さて、もう一点は「今さら紙幣かよ?」というものである。
中国で現金を使わない生活を送っているケン先生からすると、今さら紙幣にこだわる日本の統治者の頭の古さに疑いを覚える。日本政府が進めるべきは、非現金決済の導入加速であり、その方がはるかに効率的だ。
この話を始めると、また長くなってしまいそうなので今回は止めておくが、紙幣に固執する財務省、日銀の旧弊こそ、日本の衰退と時代不適合を示すものとなっている。

そういえば、私が「インフレ進めたいなら、まず五万円券や十万円券を導入して、一円玉を廃止すべきでは」と提案して、若い財務官僚に鼻で笑われたのはもう十年以上前になる。何というか、どこまでも愚かな連中である。

【追記、04/13】
ある方が教えてくれたが、2000年代のある時期に財務省内で10万円札の発行がひそかに検討されたことがあったとのこと。つまり、私の見立てはそう外してはいなかったのであって、改めて高慢ちきなヤクニンどもに対する憎悪がわいてきてしまう。
posted by ケン at 00:00| Comment(11) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

カネも無いのに無償化?

【政府が幼保無償化法案を閣議決定 10月実施へ早期成立目指す】
 政府は12日、今年10月から幼児教育・保育の無償化を実施するための「子ども・子育て支援法改正案」を閣議決定した。3〜5歳児は原則全世帯、0〜2歳児は住民税非課税の低所得世帯を対象に認可保育所や認定こども園、幼稚園の利用料を無料とするのが柱。認可外保育施設などは一定の上限額を設けて費用を補助する。政府・与党は今国会の重要法案と位置づけ、早期成立を目指す方針だ。
 宮腰光寛少子化対策担当相は12日午前の記者会見で「少子高齢化という国難に正面から取り組むため、子育て世代や子供たちに大胆に政策資源を投入する」と述べた。幼保無償化は、安倍晋三首相が平成29年の衆院選で公約に掲げた。財源に消費税増税に伴う増収分の一部を活用する。子育て世帯の負担感を和らげ、少子化対策につなげるのが狙いだ。
 3〜5歳児は原則無償化だが、私立幼稚園の一部は月2万5700円、認可外施設やベビーシッター、病児保育などのサービスは月3万7千円が上限。0〜2歳児は月4万2千円まで補助する。認可外保育所は基準外でも5年間は経過措置として無償化の対象となるが、基準を満たさない朝鮮学校幼稚部などは対象とはならない。また、政府は同日、低所得世帯の学生を対象に大学や短大など高等教育機関の授業料や入学金を減免するほか、返済不要の給付型奨学金を支給するための法案も閣議決定した。
(2月12日、産経新聞)

ポピュリズム的な支持は得られるかもしれないが、ツケを将来に回すだけの筋悪が過ぎる。
年金も医療も国庫負担が増える一方にある中で、政府・自民党は軍拡をも掲げており、消費増税の2%(3〜4兆円)でどうかなる話では無い。
そもそも社会保障費の赤字分(保険料で賄えない分)は毎年1兆円以上増えており、消費増税分など2〜3年で埋まってしまう。
社会保障が保険料で賄えない構造は、いわば底に穴のあいたバケツに水を注ぎ続けるようなもので、そのバケツの中身すら最近では偽装されていたことが判明している。
「10月実施に向けて早期成立」という辺りも、いかにも参院選向けのパフォーマンス的な意味合いを感じさせる。

現実には、幼保無償化はただでさえ困窮を極めている地方自治体にさらなる出費を強要するだけに、地方財政の赤字を加速、インフラの更新を遅らせ、老朽化を進めてしまう恐れがある。そもそも地方に一方的に財政負担を強要する霞ヶ関の手法は、地方自治の原理に反するものでもある。
また、無償化は幼保の質をさらに悪化させる恐れが強い。ただでさえ特に保育分野は恒常的に人手が足らず、保育士などの待遇も改善が進んでいないため、資格を取って就職しても、1〜3年で辞めてしまうケースが非常に多い。そのため、資格を持たないものや高齢者が雇われるケースが増えている。
無償化は、さらなる需要増を生み、幼保の粗製濫造が進み、労働環境が悪化、保育・教育の質が急低下するという流れを生むだろう。

全く愚かしい話である。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月07日

だから軽減税率はダメよって言ったのに〜〜

【安倍政権、消費増税対策で5種類の税率が混在…国民生活はパニックで多大な負担】
 消費増税対策の迷走が止まらない。
 政府は11月22日、消費増税対策の基本方針を公表した。その目玉が「キャッシュレスレジ決済時のポイント還元を5%にする」というものだった。還元期間は、増税が始まる2019年10月から東京オリンピック開催前の20年6月までの9カ月間。
 対象商品は税率10%の商品だけでなく、軽減税率(8%)の対象となる飲食料品も含まれ、対象事業者はキャッシュレス決済ができる中小小売店や中小飲食店など。コンビニエンスストアやファストフードなどのチェーン店では、個人が経営するフランチャイズ店は中小事業者なので還元対象だが、大手企業である本社が運営する直営店は対象外となる。つまり、個人経営のフランチャイズ店が混在する小売店や飲食店では、5%還元分の費用について、フランチャイズ店は国が負担するが、直営店は企業が負担してほしいというものだった。
 しかし、「いくら大手企業の直営店とはいえ、9カ月間も5%の値引きを負担するのは厳しい」「5%も還元すると、買い物がコンビニや飲食チェーン店に集中する」という批判が高まった。そこで12月11日、コンビニや飲食店などのチェーン店は「5%ではなく2%の還元にする」という方針に変わった。
 ただし、2%還元分の費用は、中小事業者であるフランチャイズ店は国が負担するが、大手事業者である直営店は国ではなく事業者が負担する。
 この方式を採用すると、消費税率は、商品(飲食料品と非飲食料品)や売り方(テイクアウトかイートインか)、店の形態(中小事業者かチェーン店かそれ以外の大手か)によって、3%、5%、6%、8%、10%の5種類に分かれることになる(文末の表参照)。
 しかも、チェーン店といっても、コンビニやファストフードのように、フランチャイズ店が多い形態と、ドラッグストア、家電量販店、ホームセンターのようにフランチャイズが少ない形態がある。
(12月16日、ビジネスジャーナルより抜粋)


こんな問題ははるか以前に指摘している。
事務負担の大きさが挙げられる。すでに家賃、教科書、医療・介護、埋葬関連などが非課税となっているが、これに軽減税率が加わると3つの税率が存在することになる。企業や行政の事務コストが急騰するほか、軽減税率で仕入れた商品を通常税率で仕入れたことにしたり、同税率で販売したりといった脱税が横行する危険性がある。それを回避するためには、インボイス方式を導入する必要があるが、これも企業と税務当局の負担を大きくするものでしかない。ただ、消費税の滞納額は全税の50%を超えており、ここでは説明しないがその背景を考えるとインボイスの導入自体は反対するものではない。
(改めて軽減税率に反対する理由、2015.02.04)

欠点は、管理コストが大幅に上昇する点。品目ごとに税率が異なると、直接の納税申告者である小売店の負担が非常に重くなる。そして、納税の正確さを期すためにはインボイスの導入が不可欠となり、さらに負担が重くなる。
そして、あくまでも「軽減税率」であり非課税ではないため、肝心の逆進性緩和という点で、十分な効果が得られるのか疑問が残る。
(軽減税率か給付付き税額控除か、2012.06.06)

たとえ一時的なものであれ、いやむしろ一時的なものだからこそ混乱を助長させると見るべきだろう。
こんなモンスタークレームのような軽減税率や非課税の要求こそ、強権を発動して拒否あるいは弾圧すべきであり、これでは何のための総理集権、あるいは一党優位体制なのか分からない。
あるいは、軽減税率の対象を拡大しないと、業界の支持が維持できないという政府・自民党の弱気の現れなのかもしれないが。ちょっと無理筋だろう。やはり、軽減税率が利権化していると見るほうが自然だ。

いずれにしても、この辺りにも政治の激しい劣化ぶりが見て取れる。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする