2019年11月26日

薬の出し過ぎ問題

【医療機関 かぜ患者の30%余に効果がない抗菌薬を処方】
 かぜで医療機関を受診した患者に対して、実際には効果がない抗生物質などの抗菌薬が30%余りの人に処方され、処方される割合は地域によって20ポイントを超える差があることが、全国健康保険協会の調査で明らかになりました。 抗菌薬は細菌には効果がある一方で、ウイルスが原因のかぜやインフルエンザなどには効かず、不必要な処方が薬が効かない耐性菌を増やすことにつながっているとして、国は抗菌薬を適正に使用するよう求めています。中小企業の健康保険を運営する全国健康保険協会は、およそ4000万人の加入者の診療報酬明細書を分析し、「急性上気道炎」、いわゆる「かぜ」の患者に対してどれだけ抗菌薬が処方されているか調べました。その結果、処方された割合は昨年度は31.4%と、43.6%だった2015年度よりは12ポイント余り減っていましたが、依然不必要な処方が多いことが明らかになりました。
 また、都道府県別のデータがある2017年度で分析すると、処方の割合が最も低かった福井県は26.6%でしたが、最も高かった奈良県は48.9%で、20ポイントを超える差がありました。結果について全国健康保険協会は「かぜに対して抗菌薬が使われる割合は依然多く、地域によって大きな差があることが明らかになった。耐性菌の出現を減らし健康を守るためにも、抗菌薬の適切な使用を促していきたい」と話しています。
(10月28日、NHK)

そもそも風邪で医者に行くこと自体が無駄で、むしろ他者にうつしたり、自分が別の病気をうつされたりするという点で、むしろ害悪の方が大きい。風邪に対してできるのは、栄養を取って、暖かくして、安静にすることだけだ。医療技術は関係ない。

しかし、医者の方は患者に来てもらわないと儲からないし、来たからには薬の一つも出さないと「ヤブ」扱いされるし、自分も儲からないので、「何でもいいからだしとく」ということにしかならない。

将来的には一次診断はAIに任せ、人間が診療するのは二次以降(AIの診断後)ということになるのだろうが、もう少し時間がかかりそうだし、それで人が納得するのか疑問もある。まぁそこは人間による一次診断の料金を高く設定すれば良いだけだが。
逆を言えば、人間が診察するから「不正」「無駄遣い」が横行するわけで、「不正・無駄撲滅」という立場に立てば、医療業界へのAI導入を加速すべきなのだ。

いずれにせよ、高齢者が増えれば、風邪などの患者も増えるのが道理(免疫力が低下するから)であり、医療費のさらなる高騰は不可避の情勢だ。早急に手を打つ必要がある。
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2019年11月12日

医療無償化のツケ:徳島の場合

【徳島県立中央病院 来月から小児救急縮小 県内、24時間体制ゼロ】
 徳島県立中央病院(徳島市)の小児科の救急医療体制が、11月1日から縮小される。現在は24時間体制だが、小児科医1人が産休に入るため、維持が難しくなった。今後は徳島赤十字病院(小松島市)と交代で対応する。県内で24時間体制で小児科医が対応できる救急病院はゼロになる。
 県立中央病院の小児診療は11月以降、夜間(午後10時半〜翌日午前9時)の受け入れが火、木曜のほか、金、土、日曜を隔週で赤十字病院と交代で対応する。月、水曜の夜間は赤十字が受け入れる。両病院とも平日の日中の小児診療は通常通り行う。月曜から土曜の午後7時半〜同10時半、日曜・祝日の午前9時〜午後10時半は徳島市夜間休日急病診療所が対応する。
 小児科の救急医療体制は9月、赤十字病院の小児科医が産休に入るなどしたために見直され、赤十字病院が24時間体制でなくなっていた。県医療政策課は「元に戻せる時期は未定。医師の復帰の時期を見て、体制を戻せるよう協議を進めていく」としている。
(10月22日、徳島新聞)

何度も述べているように、ケン先生は社会主義者だが、持続不可能な制度は意味が無い。
医療費無料のことである。

徳島の場合、小児医療助成制度によって自己負担分も還元されるため、実質的な自己負担額はゼロとなっている。
日本全国で小児医療、特に小児救急システムが維持できなくなっているのは、小児医療のコストが高い割に診療報酬が低く抑えられている上、地方に行けば行くほど「少子化対策」として小児医療を無償にしていることが大きい。

小児医療の場合、患者が小さい子どもであるため、自分で病状や症状を説明することが難しく、同時に医者から見ても成人の場合より診断が難しいとされる。そもそも診察を怖がる子どももいたりして、診察自体、非常に多くの時間を要する。結果、看護師の人手も時間も多く取られる。つまり、「営業効率」が非常に悪いのだ。
このコスト高に比して、診療報酬は逆に「子どもだから」と低く抑えられているため、病院経営の面から言えば、小児科は「恒常赤字部門」でしかない。そのため、悪化した病院経営を改革する場合、真っ先に切られるのが小児科ということになる。

中小の病院で小児科がなくなると、大病院に集中することになるが、今度は医師の確保が難しくなる。
大病院の小児科は自然と激務になり、「権藤、権藤、雨、権藤」(古!)のように当直が強制され、小児医は疲弊、辞めるものが増える一方、不足分を募集しても人が確保できなくなっている。
また、医師はできるだけ早く開業しようとするため、常にベテランが不足し、新人を使い潰すような状態にもなっている。
ただでさえ、小児医は女性の比率が高いため、出産や育児によっても制限がかかり、ますます労働力が不足するという形だ。

これに対して、確かに少子化は進んでいるものの、地域小児科不足の進行の方が早い上、「小児医療無償化」もあって、ちょっとした風邪でも救急に行くということも常態化しており、小児医療は「薄い戦線でかろうじて持ちこたえている」状態となっている。

必要なのは、小児医療無償化の廃止と、小児医療の報酬の見直しだが、いずれも政治的理由から困難であり、現状では「薄い戦線」が自然消滅するのを、指をくわえて待っているだけのようなものとなっている。
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2019年10月18日

加速する人口減

【出生数90万人割れへ 19年、推計より2年早く】
 日本の出生数が急減している。1〜7月は前年同期に比べて5.9%減り、30年ぶりの減少ペースとなった。団塊ジュニア世代が40代後半になり、出産期の女性が減ったことが大きい。2016年に100万人を下回ってからわずか3年で、19年は90万人を割る可能性が高い。政府の想定を超える少子化は社会保障制度や経済成長に影を落とす。出産や子育てをしやすい環境の整備が急務だ。
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 厚生労働省の人口動態統計(速報)によると、1〜7月の出生数は前年同期比5.9%減の51万8590人。減少は4年連続だが、19年は月次でも3月に7.1%減となるなど、大きな落ち込みが続く。18年1〜7月は同2.0%減だった。
(10月7日、日本経済新聞より抜粋)

出生数は2016年に100万人を下回ったばかりなのに、2019年には90万人を下回る勢いだという。
要はケン先生や少し下のいわゆる「団塊ジュニア」世代の出産期が終わったことが大きいようだ。
合計特殊出生率では若干の改善が見られるものの、全体をカバーするほどではなく、劇的な変化が起こらない限り、今後は加速度的に減っていくことになりそうだ。
特に若年層は生活保守志向が強いとされており、だとすれば、リスクの高い婚姻はますます忌避されると考えられる。

幼保無償化こそ実現したものの、その他の教育費はますます高騰する気配を見せており、消費増税でも生活難が加している。賃金上昇は上場企業正社員や一部のアルバイトなどに限られており、8割以上の労働者には無縁なものとなっている。
家族を持つこと自体がリスクとなっている以上、合理的に判断するものが多ければ多いほど、増える要因も少なくなる。ある意味で、天皇家もまた現代日本を象徴していると言えよう。

人口減そのものはケン先生も由とするが、急激な減少は非常に深刻な事態を生みそうだ。
政府はそれをカバーすべく、外国人奴隷や人権適用外の外国人労働者の招聘に力を入れているが、そもそも日本の労働市場としての価値が失われているため、非常に低調だという。

家族政策への追加投資などケン先生が政界に入った頃(20年前)から言われてきたが、無視し続けてきた結果なのだ。その意味では、デモクラシー下においては、「市民の選択の結果」だと言える。
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2019年06月25日

「無かったこと」にしてもどうにもならん

【「年金給付水準の低下」原案から削除 財政審が配慮か】
 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が麻生太郎財務相に提出した建議(意見書)で、原案にあった「将来の年金給付水準の低下が見込まれる」「自助努力を促すことが重要」との文言が削除されていたことがわかった。麻生氏が、老後の生活費が2千万円不足するとした金融庁の審議会報告書の受け取りを拒否したことなどで、老後の生活不安問題が夏の参院選の主要争点となる見通しだ。このため、財務省が安倍政権に配慮したのではとの見方も出ている。建議は19日の会議でとりまとめられ、提出された。財政悪化に歯止めをかけるため、社会保障の改革の必要性などを提言した。
 財政審はこの前回の6日の会議で、審議会メンバーら「起草委員」が作成した建議の原案を非公開で議論。関係者によると、原案では、年金について「将来の基礎年金の給付水準が想定より低くなることが見込まれている」「(年金だけに頼らない)自助努力を促していく観点が重要」などの文言が盛り込まれていたが、建議では削られた。
 年金をめぐっては、金融庁の審議会が3日、老後の生活費が「2千万円不足」するなどとした報告書をまとめたが、金融担当相を兼務する麻生氏が11日に「年金制度への誤解と不安を招いた」などとして受け取り拒否を表明したばかりだ。参院選を前に、都合の悪い事実を隠そうとしていると野党などが批判している。
(6月20日、朝日新聞)

私の言いたいことは全て「金融庁の年金報告書が「なかったこと」に」で述べているので、繰り返しになってしまう。
年金は株価予測と違って、保険料と給付金額の関係が非常に明快で、人口の増減や基金運用の正否は予測が外れることもあろうが、基本的には未来予測が可能な世界である。
それだけに基本的に年金額が低い日本の場合、「失われた30年」による収入低下もあって、年金だけでは暮らせない層が増えてゆくのは避けられない情勢にある。
また、2040年には65歳以上の高齢化率が40%近くなるのだから、大増税を行って税による補填を行わない限り、年金の給付額は低下せざるを得ないだろう。なにせ、保険料を負担する層と年金を受給する層が限りなく一対一に近づいてくるのだから。
年金制度そのものが崩壊する可能性は限りなく低いが、給付水準や受給開始年齢などの条件はさらなる悪化は不可避の情勢にある。

そうした「不都合な事実」を指摘した報告書を「無かったこと」にするのは、戦前の総力戦研究所の報告書やミッドウェー作戦の事前演習を彷彿とさせる。

政策の選択肢的には、報告書の通り現行のシステムを維持しつつ、市民の自助努力に委ねるか、さもなければ保険料ないし税を大幅に増やして給付水準の維持・向上を行う他ない。
後は、私が常々述べているように、年金以外のところで公営住宅の増設を行ったり、住宅補助金を出す仕組みを作ることが考えられる。この場合も、財源をどこに求めるかが問題になる。私の提案は資産課税である。

年金問題は本質的に鬼門で、ロシアのプーチン大統領ですら、年金問題で瞬間的に支持率を半分近くまで下げてしまったことがあるくらいだ。
いくら自民党が強いとは言え、それはあくまで「野党が弱すぎる」という相対的なものであり、選挙前の自民党が「無かったこと」にするのは戦術的には正しいのだろうが、戦略的には失敗するほか無い道である。
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2019年06月14日

金融庁の年金報告書が「なかったこと」に

【老後2000万円「報告書はもうなくなった」自民 森山国対委員長】
 自民党の森山国会対策委員長は記者団に、「国民の老後の生活に大きな不安が広がった。政府は金融庁だけの問題にせずしっかりと丁寧に国民に説明し不安を取り除く努力をする必要がある。現在の年金制度が将来にわたって持続可能であることも理解してもらいたい。与党としても、国民が安心して老後の生活を送ることができるよう、全世代型の社会保障の強化に向けて努力していきたい」と述べました。
 一方で、野党側が求めている予算委員会の集中審議については「この報告書はもうなくなっているので、予算委員会にはなじまない」と述べ、応じない考えを示しました。
 立憲民主党の辻元国会対策委員長は、野党5党派の国会対策委員長会談で「麻生副総理兼金融担当大臣は、『迷走ドタバタ劇』から『ジタバタ劇』に変わってきている。かつて『消えた年金』があったが、今度は『消された報告書』ということで、報告書が抹殺されるような事態は民主主義の危機だ」と述べました。
(6月12日、NHKより抜粋)

いつものパターンだが、都合が悪くなると官僚のせいにして「無かったこと」にする体質が現れている。
取り下げるなら取り下げるで、どこが不都合で、なぜ「間違った」報告書を出してしまったのか検証する必要があるが、「無かったこと」にすることで検証すら避けられることになる。何重にも罪深い。
ここは「一部を切り取って煽情的に悪用する方が悪い」と突っぱねるべきところだった。実際、立民の主張は無責任にも程がある。必要なときに官僚をかばわないで何のための政権党か、これでは政治家と官僚の信頼関係など構築できるわけが無い。

どうせリベラル派の連中には何を言っても無駄なのだろうが、もう一度確認しておこう。
件の報告書の問題箇所である。
前述のとおり、夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20〜30 年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円〜2,000 万円になる。。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。重要なことは、長寿化の進展も踏まえて、年齢別、男女別の平均余命などを参考にしたうえで、老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか、考えてみることである。それを考え始めた時期が現役期であれば、後で述べる長期・積立・分散投資による資産形成の検討を、リタイヤ期前後であれば、自身の就労状況の見込みや保有している金融資産や退職金などを踏まえて後の資産管理をどう行っていくかなど、生涯に亘る計画的な長期の資産形成・管理の重要性を認識することが重要である。

要は現行の年金給付額に夫婦二人で毎月5万円を上乗せして生活、95歳まで生きることを想定した場合の話なのだ。
問題はこの想定が非現実的かどうか、という話になる。敢えて言えば、年5万円の上乗せ額は年間60万円、30年だと1800万円になる。
なお、65歳時点での日本人の平均余命は男性で19年、女性で24年で、さらに伸びる見込みだ。

現実には年金給付額の平均は2019年の速報値で厚生年金14万8千円、国民年金5万5千円で、夫婦二人世帯の平均額は21万円である。このうち大体2万円強は税金や保険料(介護保険と後期高齢医療支援)などに取られ、74歳以下だとさらに国民健康保険で約2万円が失われる。この時点で手取額は、75歳以上で19万円、74歳以下だと17万円になってしまう。
大都市部に住んでいることを想定、家賃に10万円、光熱費に3万円かかった場合、残るのは75歳以上で6万円、74歳以下だと4万円になってしまう。これでは日常生活にも事欠くのは当然だろう。
ケン先生が公共住宅の整備を訴えたのは、まさにここである。10万円の家賃が5万円で済めば、最低限の生活は保障されるからだ。

実際に金融庁の報告書は、70代の夫婦二人世帯の平均支出額を24万円、60代を29万円としており、どう見ても現実離れした想定をしているようには思えない。60代の支出が多いのは、国保料、各種ローン支払い、孫の教育費支援などがあるからだろう。

同時に金融庁は今後退職金が減少することを想定して、退職金を資産運用して目減りさせないことを推奨しているわけだが、これも「余計なお世話」という反論を除外すれば、「その通り」としか言い様がない。
現実に、60代の資産を見た場合、「金融資産がある世帯」の貯蓄額中央値は1500万円だが、「金融資産ゼロを含む」のそれは600万円であり、この点でも金融庁の危惧は現実的だ。実際には高齢者の貯蓄ゼロ世帯は2割以上に上り、今後はさらに増加する見込みだ。
さらに、ゼロ金利も老後生活を直撃している。多少の貯蓄があっても金利がゼロの現状では、消費した分だけ減る一方にあり、資産運用をするとなるとリスクは避けて通れない。この点も必要とされる貯蓄額を増やす結果にしているのと同時に、基金運用による運用益の目減りと年金財政の悪化を示唆している。金融市場は飽和状態にあり、今後利率が上がる蓋然性は極めて低いと考えられるだけに、悲観的な観測を出さざるを得ないのは当然だろう。むしろ金融庁の試算は控えめなくらいである。

自由主義者は社会主義制度である年金制度を理解していない(したくもないのだろう)。
日本の年金制度は賦課方式を採用しており、勤労世帯が納めた保険料に年金基金の運用益や税金を補填して、高齢者の給付に充てる仕組みである。これは根源的に機械的な作業であり、保険料収入が減れば給付を減らすしかないし、給付を増やすためには保険料を上げるしか無い。
現実には、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は28%に達し、2040年には38%になるという中で、年金財政はすでに逼迫している。
国保では45%が国庫、要するに税金を投入して収支を維持しており、厚生年金でも20%が税金で賄われている。この合計額は2016年度で12兆円に及んでおり、国家歳出の10%以上を占めている。
高齢化率が高まるほど、年金給付額が増える一方、保険料を負担する現役世帯が減少するのだから、個々の負担は増え、貯金は難しくなるだろう。同時に退職金制度も崩壊過程にあり、若年層は退職金に期待できなくなっている。

年金制度は仮に政権交代したからと言って、突然ユートピアが訪れるようなものではない。
例えば、旧民主党は「基礎年金7万円」を掲げたことがあったが、これは国保に限ってみても2兆円からの財源が必要となる。これは恒常的な経費であるため、F-35の購入を止めたところでどうかなるものではない。これを実現するためには、国保の保険料を現行の1万6千円から2万2千円以上に上げるか、ないしは消費税を1%増額させることになる。あるいは資産課税だろう。このどれか、ないしは別の案を掲げなければ、「画に描いた餅」でしかない。

医療の問題も同じだが、保険制度は「皆で皆を支える」制度であって、誰かが一方的に利益を享受できるようなおいしい話はあり得ない。医療費の自己負担を下げるためには、保険料や税金を上げるか、医療の質やアクセスを下げるしか無いのと同じで、NK党が主張するような「窓口負担下げろ、医療労働者の待遇を改善しろ、消費税も保険料も上げるな」は全く非現実的なのだ。

「給付額下げるな、保険料下げろ、税金上げるな」という主張は、無限にお金が出てくる魔法の壺でも無い限り実現不可能である。だが、どうもそれはリベラル派に通じないらしい。
彼らには、パン価格を50年間据え置いて、給料を上げまくった結果、財政破綻してしまったソ連経済を学ぶところから始めて欲しい。

大事なことだからもう一度言うが、年金と健康保険は社会主義制度である。
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2019年06月07日

これだからヤツらは信用できない

【「年金で暮らせない。まず謝れよ」立憲・辻元清美氏】
■辻元清美・立憲民主党国会対策委員長(発言録)
(金融庁が5月22日、老後資金について年金だけでは足りず、さらに1300万〜2千万円が必要になるなど国民に自助を求める内容の指針を示したことに)びっくりした。国民に対し、老後は年金だけでは暮らせないから、投資も含め2千万円かかるぞ、と。政治の責任を放棄したと言わざるを得ない。また、それに対して麻生さん(太郎財務相)の(閣議後会見での)「人生100年になったんだろ」と。だから仕方ないと言いたいのでしょうが、まず謝れよ国民に。申し訳ないと。一方で消費税を増税しておきながら、2千万円とは、どうつじつまがあうのですかね。(国会内で)
(6月5日、朝日新聞)

こんなのが野党第一党の国対委員長とかやってるからダメなんだよね。
ま、何回選挙やっても勝てないでしょうよ。

まず彼女は「自社さ」と民主党政権時に政権の側にあったわけで、少なくとも5年近くは政策を立案、実行する立場にあった。つまり、今日の事態に対して無責任ではいられない。まして、民主党政権時には副大臣や首相補佐官を務めており、「知らなかった」で済まされる立場には無い。さらに言えば、消費増税を決めたのは民自公の三党合意であって、これも自公が勝手に増税しているわけでは無い。

金融庁の2千万円云々の話は、現行の消費水準が維持される場合に不足する金額で、しかも夫婦ともに95歳まで生きるという前提だ。報告書の一部内容を切り取るから、「2千万円足りないとか無責任」などと大騒ぎをするのであって、それを否定するなら、「足りなくならない根拠」あるいは「95歳まで全くお金の心配が不要な社会保障制度案」を提示すべきだろう。

例えば、金融庁の報告書では住宅ローン負担が高齢期になってまで重荷になるケースについて指摘している。
この点について言えば、私は(記憶では)2003年あたりから「持ち家重視」を廃止して、公共住宅の再整備と住居費補助政策の導入を訴えていたが、彼女も含めて(当時は野党だが)、政策担当者は聞く耳持たなかった。これは、民主党政権期でも同じである。
仮に15年前に公共住宅の整備を始めていれば、老後の住居費負担はかなり低減できたはずである。まぁ財政赤字も増えたであろうが。
また、私が資産課税を主張し始めたのは2007年か08年のことだったと思うが、これも検討すらされていない。
少なくともケン先生(たち)の社会主義政策は、15年後、30年後を予見して間違っていなかったと、今も確信しているが、それを採用しなかったのは、あの連中であり、少なくとも今の主要野党幹部にそれを否定するだけの根拠は何も無いだろう。

最も信用ならない政治家の一人である。

【参考】
協力者という生き方:T元女史の場合
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2019年06月01日

年金の自助努力を謳った政府が大炎上?

【人生100年時代の蓄えは? 年代別心構え、国が指針案】
 人生100年時代に向け、長い老後を暮らせる蓄えにあたる「資産寿命」をどう延ばすか。この問題について、金融庁が22日、初の指針案をまとめた。働き盛りの現役期、定年退職前後、高齢期の三つの時期ごとに、資産寿命の延ばし方の心構えを指摘。政府が年金など公助の限界を認め、国民の「自助」を呼びかける内容になっている。
 報告書案「高齢社会における資産形成・管理」として、金融審議会で示した。

 平均寿命が延びる一方、少子化や非正規雇用の増加で、政府は年金支給額の維持が難しくなり、会社は退職金額を維持することが難しい。老後の生活費について、「かつてのモデルは成り立たなくなってきている」と報告書案は指摘。国民には自助を呼びかけ、金融機関に対しても、国民のニーズに合うような金融サービス提供を求めている。
 報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20〜30年生きるとすれば、現状でも1300万〜2千万円が必要になる。長寿化で、こうした蓄えはもっと多く必要になる。
 まず、現役期は「少額からでも資産形成の行動を起こす時期」と説明。生活資金を預貯金で確保しつつ、長期・分散・積み立て投資を呼びかけた。具体的な方法として、年40万円まで20年間非課税で投資できる「つみたてNISA」や、個人型の確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」などをあげた。出産や住宅購入などの生活設計に応じた預貯金の変化や家計収支を「見える化」することも、効果的な対応として触れた。
 定年退職者のほぼ半数は、退職時点か直前まで退職金額をわかっていないのが実情だ。このため、退職前後の時期は、退職金がいくらかや使い道などのマネープランの検討を勧める。
 高齢期は、資産の計画的な取り崩しを考えるとともに、取引先の金融機関の数を絞ったり、要介護など心身が衰えた場合にお金の管理をだれに任せるかなどを考えたりしておくことを、課題としてあげている。
(5月23日、朝日新聞)

どうやら本記事が元になって、「保険料納めさせておいて、後は自分でやれとは何だ!」といった類いの怨嗟が溢れかえり、金融庁の電話も一時鳴りっぱなしだったと聞く。
これはご愁傷様としか言い様がなく、率直にご同情申し上げる。
エリートがエリートらしくデータに基づいて率直に現状を述べたところ、ロクに報告書も読まずに逆ギレされたような話だからだ。
こんなものは多少社会保障をかじったものなら当然の話で、逆ギレが恐くて触れないだけのことなのだ。

そもそも年金制度が確立した頃(1960年、岸内閣の国家社会主義的政策)、男性の平均年齢は68歳、60歳時の平均余命は約15年だった。つまり、60歳で定年して15年間年金を受給するというモデルだった。65歳以上の高齢人口の割合は7%しかなかった。
これに対して、現在はといえば、男性の平均年齢は78歳、65歳時の平均余命は約19年である。つまり、年金受給開始年齢を5年繰り上げてなお、4年分の受給額が増えている。これが女性になると、65歳時の平均余命は24年で、平均して24年間年金を受給する計算になっている。それ以上に問題なのは、65歳以上の高齢人口の割合が35%に達していることだ。

単純計算すると、総受給額で25%の増加、現役負担は5倍(7%から35%)になっていることを示している。
平均余命は今後さらに伸びると考えられ、高齢人口の伸び率は抑えられつつあるが今後20年間で高齢化率は40%に達する見込みだ。
これまでは、少子高齢化も経済成長も「甘い見通し」で語られてきたが、現実を直視した場合、従来のモデルを維持するのはとっくの昔に無理になっていた。
現状でも例えば2016年度を見た場合、国民年金の歳入は45%が税金で占められ、厚生年金も19%が年金になっている。この割合は今後も増えると見られるが、税投入が増えれば増えるほど財政赤字が増え、他の一般行政にしわ寄せがいくと同時に、国債の暴落が近づくことになる。仮に年金制度が維持できても、国家財政が破綻して大インフレが発生した場合、年金などあっという間に雀の涙になってしまうだろう。その姿は、ケン先生自身、ソ連崩壊後のロシアで見てきたものだ。

現行の受給水準を維持するためには、年金額を抑えるか、現役層の保険料負担を増やすかのどちらかしかない。
しかし、現役層が過度に少なくなっている現状で、その負担を増やした場合、少子化が加速し、大衆消費が減少するところとなって、そこには絶望しかない。
苦しい選択ではあるが、比較的マシな選択肢は年金額を抑える、ないしは受給開始年齢を上げるという話にしかならないだろう。結果、「70歳まで働け!」ということになるわけだが、私も個人的には「俺に死ねというのきゃ!」と言いたいが、理性的、客観的に検討して「他に選択肢はない」くらいの状況にある。
年金受給額も今後は少しずつ目減りしていくだろう。

恐らく政府の主張は「最低限度の生活費分くらいは何とか維持するよう頑張るから、残り分は各自で頑張って欲しい」くらいのものだったと思われる。
確かにここまでの少子高齢化を招いてしまったのは政府の失策ではあるわけだが、今さらそこを責めても仕方あるまい。かといって、激高するリベラル派が主張するように、政府のクビをすげ替えたところで、年金財政はいまさらどうしようもない。何せ現役層が負担して高齢層が受け取る、足りない部分は税金という構造は変えようがないのだから。せいぜいできることは、株に投じてしまった基金を引き上げて、国債などに戻すことくらいだが、それもタイミング次第では株価大暴落を引き起こし、「元も子もなくなる」可能性もあるのだ。

とはいえ現状、子どものいる中低所得層は絶望的状況にある。住宅と学費で巨額の負債を抱え、貯蓄はゼロに近く、その上年金は「受給開始年齢は引き上げます」「受給額も今後減ります」「足りない部分は予め何とか努力してください」と言われては、逆ギレするのも宜なるかな、ではある。
もっとも、逆ギレに対して逆ギレするなら、「貧乏のくせに家を買ったり、子どもをつくったりするな!」という話になってしまうわけで、やはり水掛け論になってしまうので、ここは諦めるか、海外に活路を求めるほか無いと考えられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする