2017年04月12日

保育所の需要が満たせないワケ

【保育所落選5万3000人…1次選考の28%】
 今年4月からの認可保育施設への入所を決める1次選考で、東京23区と全国20の政令市で少なくとも5万3000人が「落選通知」を受け取り、「落選率」は28・1%に上ることが、読売新聞社の調査でわかった。
 特に保育所の利用希望が多い東京23区のうち9区で、40%を超えた。2次選考を行う自治体も多く、全員が待機児童になるわけではないが、職場復帰できるかどうかわからないまま、保護者が保育所探し(保活)に苦労している実態が浮かび上がった。調査は3月末にアンケート形式で実施し、全自治体から回答を得た。
 未集計の3自治体を除く40自治体で、約19万人の申し込みに対し5万3346人に落選を通知した。落選率が最も高かったのは東京都台東区の51・9%。
(4月5日、読売新聞)

保育所は基本的に社会主義思想に基づいて設計されている。そのため、全て政府(自治体)が価格を決め、官主導で設置される。昨今では運営は民間に委託される傾向が強いものの、官が需給と価格を決定する仕組みに変わりは無い。結果、保育サービスは実際の市場価格よりもはるかに安い公定価格で提供される一方、サービスを受ける市民は子どもを廉価で預けて働けるため、「預け得」になっている。
こうした傾向は、医療や介護などの福祉サービスも同じで、ただでさえ安価に設定された公定価格である上に、窓口で自分が支払うのは公定価格の数分の1で済んでしまうため、「受診し得」になり、病院や診療所に大行列ができる有様になっている。薬局で受領する薬の3分の1以上が服用されずに廃棄されていることも、「前日のパンを捨てて毎日買い換えていた」という東側の実態に通じるものがある。子ども医療の無償化など、自分の首に縄を巻いているような話だが、小児科医以外、誰も気づいていない。
大行列は、別に1980年代末のソ連、東欧だけに見られる現象ではなく、原理的には平素日本の病院などで起きていることも全く同じなのだが、それを指摘する者はケン先生以外にいないという特異な状況にある。やはり日本人はすべからくソ連に留学すべきだったのだろう(爆)だからこそ「ソ連・東欧学を学ぼう」と呼びかけているのだが、残念ながら低調だ。

話を戻そう。上記の28%という数字には、当然ながら「どうせ通らないから」と申請していない層は含まれていないので、潜在需要を含めれば相当な数字になると思われる。保育所をつくればつくるほど財政赤字が増えるのに、増設すると需要も一緒に増えてしまうのだから、本質的に需要を満たせない構造になっている。
自治体からすれば、保育所を増設すればするほど財政赤字が増えるのだから、二の足を踏むのは当然だろう。安価に設置しようとすると、例えば交通の便の悪い場所につくることになるが、この場合、希望者がいなくなってしまうので意味が無い。
また、保育士からすると、子どもが増えれば増えるほど労働環境が悪化する。70万人からの有資格者が保育士に就いていない事実もまた、「公定価格=計画経済の無理」を物語っている。結果、建物だけ建てても保育士が確保できず、開業できないことになる。だが、保育士の給与を上げると、さらに赤字が増えてしまう。ゴルバチョフの苦悩が察せられる。


これを解決するためには、社会主義を止めて自由化するか、「社会保障であること」を止めるかの二択しかない。
前者の場合、保育サービスは市場原理に基づいた市場価格で提供されるため、サービスを希望するのは子どもを預けて働きに出ることで得られる賃金が、保育サービス料を上回るケースに限られる。そのため、中低所得層はそもそも希望しなくなり、需要そのものが低下、需給バランスが取られる。この場合、多数が自宅保育に切り替えると考えられ、労働力は失われる。同時に、「安かろう悪かろう」のサービスも増えると考えられるだけに、やはり完全な自由化は難しいだろう。

後者の場合、具体的には4〜5歳児の義務教育化(就学年齢の前倒し)が考えられる。この場合、保育所は基本的には2〜3歳児のみを引き受けることになり、大きく負担を減らせるだろう。しかし、自民党では幼稚園経営層が、民進党では日教組が大反対するので、どちらも政策化できないし、霞ヶ関は厚労省が抵抗するので実現できない。ちなみに自分の場合、4歳時点でまともに言葉を話せなかったので、入学は無理だろうと思われる。
就学年齢の前倒しは欧州では基本だが、残業無し、時短勤務ありというライフワークバランスも十分確保されているので、やはり日本とは前提が異なる。日本でそれを行う場合、放課後の居場所も確保する必要があり、ラーゲリ(本来の意味の)を新設して児童を保護する施策が不可欠になるので、どうしても課題が残る。
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月03日

こども保険の無理筋

【自民・小泉進次郎衆院議員ら「こども保険」創設、幼児教育無償化の財源確保提言】
 小泉進次郎衆院議員ら自民党若手議員でつくる「2020年以降の経済財政構想小委員会」は29日、新たに社会保険料を上乗せして徴収し、幼児教育無償化の財源を生み出す「こども保険」の創設を柱とする提言を発表した。30日に党「財政再建に関する特命委員会」に報告し、次期衆院選の公約への反映を目指す。こども保険は厚生年金の場合、平成29年度で15・275%の社会保険料について個人、事業者とも当面0・1%分を上乗せして徴収し、約3400億円の財源を捻出。将来的に0・5%分まで引き上げて約1・7兆円を確保し、幼児教育と保育を実質無償化する。小泉氏は記者会見で「世代間公平の観点からも、こども保険の導入は画期的なことだ」と語った。党内には教育無償化の財源として「教育国債」を発行する案もあるが、小泉氏は「未来への付け回しになるのではないか」と批判した。
(3月29日、産経新聞)

先進国の中で子育て費、教育費の私的負担率が際だって高い日本にあって、「教育無償化」が与野党問わず叫ばれている。経済格差、貧困が広がり、政府内の汚職も顕在化する中にあって、自民党といえども有権者の歓心を買わないと権力が維持できないという判断に傾きつつある証左なのかもしれない。
とはいえ、現実には財政赤字がますます深刻化している中にあって、新規財源の確保が大前提となるが、その選択肢としては増税か国債しか無かった。だが、増税では選挙が戦えず、国債は借金を増やすばかりということで、トリッキーな解答として出てきたのが「保険」だった。「社会保険なら増税よりは受け入れられるだろう」との判断だったようだが、原則を逸脱した選択肢が支持されるかは微妙だ。

まず社会保険の目的は、万人が共有するリスクを分担し、支え合うことにある。ところが、育児や教育はリスクではなく、共産主義国家でも無い限り「共有財産」でもないため、少なくとも自由主義国家では「支え合う」対象たり得ない。
また、保険料の納付者の負担と、保育や教育の対象となる子どもや保護者の利益が一致しないことも、「保険」としては成立しがたい。人が健康保険に加入するのは、自身の健康を害した時のリスク管理のためであるし、私的なガン保険などに加入するのはガンのリスクを考慮しての判断であり、年金にしても自身の老齢リスクに備えてのものだ。そのリスクの対象はあくまでも自分であり、せいぜいのところパートナーや子どもにまでしか拡大されない。他人の子どものために保険料の納付を要求、しかも年金保険料に上積みしての納付が強要されるというのは、保険の原理原則に反しており、本来成立し得ない。言うなれば、自動車を保有しない人に自動車保険の納付を強制するような話だ。

育児、教育費の公的負担を拡大するならば、やはり税で賄うのが原則となる。保育と就学前教育だけならば、本来であれば消費税1%分で済む話なので不可能なものではない。だが、保険料で賄えきれない社会保障分の税による立て替え負担が急増しており、その額は10年前に年5千億円を超え、今では1兆円を超えてさらに増える見込みになっている。社会保障制度の底に大穴が開いて、税金で補填しているものの、全く間に合わず、逐次投入している状態にある。国家予算一般歳出における社会保障費を除く政策経費は、2008年の25.5兆円に対し、3%の消費増税を経ても、同17年で26兆円にしかなっていない。つまり、ここでさらに増税をしてみたところで、社会保障制度の穴を埋めない限り、継続的に育児、教育費分を確保するのは難しいのだ。

その社会保障の赤字を減らすためには、現役層が納める保険料を上げるか、高齢層の受給費を減らす他ない。だが、少子高齢化によって年齢構成が逆ピラミッド型になっていることで、高齢層の需要を賄うためには現役層の負担を急増するしかないが、それは納付率の低下や所得減による消費低迷を招くことになる。その一方で、高齢層の受給費を減らす、具体的には年金支給額の引き下げや医療費窓口負担増、あるいは還付制の導入は、高齢者層を敵に回し、選挙で大敗することが確実なだけに、政治的に「無理」になってしまっている。この意味で、日本は「民主主義であるが故に」財政破綻が必至の状態にある。

個人的には、社会保障費の給付を抑制しつつ、税と国債を半々程度で賄うのが良いと考える。国債については、教育制度の無償化による市場効果や受益が将来反映されることを考慮すれば、原理的には許されるが、償還のメドが立たない現状では大規模に発行することが良いのかどうか、判断が難しい。まぁヒトラーやルーズベルトのように「ガンガンいこうぜ!」を選択するなら、それでも良いし、強く反対はしないが、あまりお勧めできない。
posted by ケン at 12:38| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・下

前回の続き)
低収益・不採算の企業が生き残るということは、市場適性の低い、無能な経営者がトップに居座り続けることをも意味する。アメリカの場合、トップが天文学的報酬を得る一方で、要求される水準を満たせなければ即クビにされる。日本の場合は、企業の存続を揺るがすほどの事態でも起きない限り、経営者の責任が問われることは無い(核惨事ですら責任は問われなかった)。そのため、企業内の昇進も、能力では無く、派閥や政治力学で行われる。その結果、東電、東芝、シャープなどを見れば分かるとおり、無能な執行部が適切な対応を打てずに、延々と責任回避に終始する始末になっている。

また、日本のサービス業に象徴される通り、低価格・低収益の飲食店や小売店が乱立しているため、供給過剰となって低価格化に拍車が掛かると同時に、労働力不足が常態化している。そして、低収益であるが故に収益を上げるためには「薄利多売」する他なく、さらに出店を増やし、長時間労働を強要、低価格化と労働力不足を加速してしまっている。その労働力不足を解消するために、政府は外国人「留学生」と「技能研修生」を動員しているが、本来市場から退出すべき低収益事業を存続させ、低価格化を加速させ、労働市場の劣化(賃金低下と長時間労働)を招くだけに終わっている。

その象徴的なのが、外国人技能実習制度である。これは本来、低収益で生産性の低い地域の地場産業に対し、政府が「奴隷特区」を認め、最低賃金や労働法制を適用除外する外国人奴隷の使用を認める制度になっている。これにより既存の地場産業が存続可能になった一方、地域の低収益・不採算が存続して、限られた資本と労働力を固定化させてしまっている。公正な自由市場が機能する場合、この手の低収益・不採算事業は退出を余儀なくされ、資本と労働力は、より生産性の高い新規事業に移転、集約すると考えられるが、外国人技能実習制度の存在がこれを許さないため、地域で新規事業を興したいと考える若年起業家を、ますます都市へと向かわせている。
また、外国人奴隷の存在は、労働生産性向上に対するインセンティブを失わせ、地域における労働賃金を相対的に下げる方向にしか働かないため、若年労働者をますます都市へと向かわせ、地域の衰退を加速化させている。政府、自民党としては、地場産業の現状維持を図るための方便として外国人奴隷を導入したつもりなのだろうが、将来の発展を放棄して「現状を維持するだけ」になっている。

同じことは、厳格な解雇要件にも言える。倒産寸前にならないと整理解雇が許されない日本は、一部の正社員にとっては都合が良いものの、経営側にとっては低収益の事業を整理して、新事業を立ち上げる枷でしかなく、結果的に低収益事業を延々と継続させる他ない。ところが、低収益事業を継続させるためには、賃金をダンピングしてコストを下げつつ、最小限の人員を最大限働かせることで労働力の最大化を図る必要があるため、低賃金と超長時間労働が横行し、労働生産性を低下させている。
国レベルで言えば大企業、地域レベルで言えば地場産業が不採算部門に人員を抱えたままの状態になっているため、一方で低賃金と超長時間労働が蔓延し、他方で労働力不足が常態化している。実は、この両者も相関関係にある。低賃金と長時間労働は、労働力の疲弊や労働市場からの脱落(労働災害や病気)を誘発して労働力不足に繋がるし、労働力不足は手持ちの労働者による長時間労働を誘発している。例えば、企業の50%が長時間労働の原因を労働力不足に求めながら、実際に必要な人員確保に努めているのは20%に満たないという数字が、これを物語っている。
正直なところ社会主義者としては非難されそうだが、解雇規制の緩和、具体的には金銭解雇の積極的導入は、労働市場の負のスパイラル(機能不全)を解消するために欠かせない要素になっている。
但し、現状では離職した労働者の4人に1人以下しか失業手当をもらっていないため、これを限りなく100%に近づける必要がある。また、労働契約や募集・採用における(待遇)条件提示の厳格化も不可欠だろう。その上で、残業時間上限(理想としては月20時間程度)やインターバル制度を導入し、厳格に適用させる仕組みを構築、逸脱するブラック企業は問答無用で追放する仕組みが必要である。

低金利も負のスパイラルに貢献している。「10年で倍になる貯金は夢か幻か」でも紹介したが、ケン先生の幼少期には銀行に10年定期預金すれば2倍になったのである。これが今ではゼロになっている。高金利時代は、預金すれば増える一方で、投資、運用すれば相応に儲かるため、銀行制度が機能して、市場経済が活性化する。逆に低金利時代は、預金しても一向に増えず、投資、運用しても儲からないため、企業は投資せずに借金の返済に努めることになる。すると、銀行に貨幣が滞留するが、銀行も貸出先が無い。昨今の銀行が担保のある住宅ローンとリスクの高い消費者金融に依存する理由である。
個人から見れば、40年前であれば学資保険に加入しておけば、子どもの大学の学費くらいは何とかなったものの、現在では低金利のため全く足らず、学費の急騰もあって大学生の半分が学生ローンを借りている状態になっている。これは、大卒者の半数が数百万円の借金を抱えていることを意味し、さらに労働条件の悪化、低賃金の蔓延もあって、消費を低迷させ、需要を低下させている。
いまでも度々老人から聞かされる「最近の若者は車に乗らない」とか「留学しない」というのは、単純にそれだけの資金が若者から無くなっているだけの話なのだが、こうした連中が政治の中核を占め、政策を担っているため、ますます状況が悪化している。

国家財政で言うと、社会保障費の肥大化が最大の課題となる。2008年度一般会計予算の社会保障関係費は21.8兆円、一般会計予算83兆円の約26%、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出47.3兆円に対しては46%を占めていた。だが、2017年度のそれは、予算97.5兆円に対し、社会保障関係費32.4兆円で約33.3%、一般歳出58.4兆円に対しては55.5%を占めるに至っている。社会保障費はわずか9年間で10兆円以上も肥大化しているが、今後は自然増で毎年1兆円以上の増加が見込まれている。これは、基本的には長命による高齢層の増加に起因しているが、医療技術の進歩による医療費の高騰も一因になっている。
ちなみに今年度は前年比5千億円の増加で抑制されているが、これは自然増分を政策的に抑制しているだけで基本的には「一時凌ぎ」でしかない。野党はこれを批判するわけだが、野党側に社会保障費の肥大化に対する対案があるわけでもなく、無責任の誹りは免れないが、根本的な対応策が無いという点では自民党も政府も無策と言える。

だが、保険料の値上げや増税ができない以上は、歳出そのものを抑制する他なく、放置しておいても毎年1兆円ずつ膨れあがって、政策経費を圧している現行制度を根本的に改める必要がある。ちなみに社会保障費を除く政策経費は、3%の消費増税を経ても、08年の25.5兆円に対し、17年で26兆円にしかなっていない。復興予算や原発処理費用を考えれば、むしろマイナスになっていると見て良い。単純計算なら、社会保障費は20年もたたずに政策経費をゼロにしてしまう勢いにある。この点、食料価格の維持と赤字企業の損失補填だけで国家予算の4割を占めていたソ連末期が思い出される。仮に保険料の値上げや増税が可能だとしても、やはり一時凌ぎにしかならない上、手取りが減れば消費が減退し、景気を悪化させるだろう。
日本人は、普段診療所の窓口で千円とか2千円しか払わないために、医療費がそんなものだと軽く考えている節がある。だが、実際にかかっているのは、3千円であり、6千円なのだ。
75歳以上の高齢者が使う医療費88万円のうち、自分で払っているのは16万円ほどで、40万円は税金の補填、32万円は現役層の保険料からの転用によって賄われていることに気付くべきだ。 
その高齢者はさらに増える一方なのだから、そんな制度が「長く」どころか「短く」すら続かないことはもはや明らかである。
医療費は誰が出すの?、2011.0707)

社会保障費が肥大化する最大の原因は、社会主義者としては心苦しいが、この分野だけ社会主義型の計画経済が採用されているためだ。単純化すれば、国家が医療、介護、保育などの価格を決め、利用者(国民)は、ただでさえ市場を反映しない価格のうち何割かを負担するだけで済むため、「使ったもの勝ち」になっている。本来1万円の治療費も、窓口負担は3千円ないしは無料で済むのだから、「利用しないと損」という感覚になる。薬局で処方される薬の3分の1から半分は服用されずに廃棄されているとも言われる。極端な話では、私の知人に1億円の手術を無料で受けた者もいる。これらは正しく、「安いから」と前日のパンを捨てて、毎日新しいパンを買っていたソ連を彷彿させるが、40年間パン価格を維持するための赤字が散り積もって国家予算の2割に達していた事実を、我々は笑えない。
詳細は、別途記事にしたいと思うが、本質的には社会保障分野の計画経済を廃止し、応益負担原則を強化しない限り、日本の国家財政は社会保障だけで破綻する運命にある。

話を戻そう。低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。
我々が、ソ連と同じ轍を踏みたく無いのであれば、民主的議会政治の特質を活かし、現行システムの受益者以外の代表者を国会に送り込む必要がある。ところが、現行の選挙制度は「地域の利害代表者を相対多数で選出する」システムであるため、投票率の低さも相まって受益者しか投票せず、国会の圧倒的多数が受益者で占められ、必要な改革に反対する構造になっている。参議院の比例代表制も、既得権益の受益者が代表者を送り出しているだけの構造になっており、これも期待できない。何らかのブレイクスルーを経て代議員の選出方法を抜本的に改革、受益当時者以外の代議員を権力の座につける必要があるが、残念ながら現状では期待できる要素は何も無い。
同時に、日本の統治機構は権力の分立が未熟で、行政府の権力が圧倒的に強く、マスゴミと一体化しているだけに、仮に改革派の政権ができたとしても、民主党鳩山政権のように、あっという間に倒されて、菅政権のような傀儡政権にされてしまう可能性が高い。私の見立てでは、「日本型ペレストロイカ」が破断界を迎える前に実現して再浮上できる確率は「10〜15%」程度だろうと考えられる。
ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいるのだ。

【追記】
つい最近小耳に挟んだ話だが、民進党の部門会議で電波オークションが議題に上がった際、NTT労組系の議員が続々と立ち上がって反対論をまくし立てたという。「2030年原発ゼロ」に対し、電力、電機、鉄鋼労組系の議員がこぞって反対したのと全く同じ構図だった。電波許可制は、新規参入を拒み、政官業癒着の根源でしかないが、それを廃止して自由競争を導入することに、労働組合が業界を代表して反対している。他にも、タクシー労組の反対で「福祉タクシー」や「ウーバー」にも反対せざるを得ない状況がある(個人的にはウーバーは問題があるとは思うが)。また、連合が「残業月上限100時間」に合意したのは、「残業が規制された場合、不足する労働力を非正規社員の雇用増で対応されるが、その場合、正社員の賃金切り下げが原資にされる可能性が高い」という判断が働いたという話も耳にした。やはり、民進党はペレストロイカの主体には決してなり得ないのである。
posted by ケン at 12:44| Comment(11) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・上

民進党大会がすこぶる白けた雰囲気の中で終わり、その支持率も一桁台で推移している。本ブログで何度も指摘していることだが、本質的には自民党と大差ない政策であるため、「じゃあ自民党でいいじゃん」という評価になっていることが大きい。その背景には、自民党と政策的に親和性の高い連合が民進党の最大の支持団体であり続けていることがある。連合の組合員は、大企業の正社員という、現状における「勝ち組」集団で構成されており、正社員給与の原資は非正規社員からの収奪であることから、連合は資本と自民党に奉仕することでしか、組合員の支持を得られない構造になっている。
結果、政権党と野党第一党が大差ない政策を掲げているため、議会政治に求められる本来の機能である政権交代が起きず、仮に政権交代が起きても必要な改革が行われない構図になっている。これは、民主党の菅・野田政権が自民党とほぼ同じ政策(例えばTPPや原発再稼働、集団的自衛権)を打ち出していたことで証明できる。

ソ連のペレストロイカが失敗したのは、現状の既得権益層にして最大の受益者である共産党が自ら大改革に乗り出したところ、受益者であるがために必要な改革が進められず、逆に共産党員からの支持をも失ってしまい、その危機を民主化=分権化で乗り越えようとしたところ、統制不能の事態に陥ってしまったことに起因する。詳細は「ペレストロイカを再検証する」を読んで欲しいが、その教訓は受益者に大改革はできないこと、大改革を強行するためには権力の集中が必要であることを示している。
まずペレストロイカの「おさらい」をしておこう。
「ペレストロイカ」とは、ロシア語で「改革、再建」を意味するが、それはまさに今日の日本で使用されている「構造改革」だった。
軍需部門の供給が過大で、民生部門や食糧の供給や流通が極めて脆弱だったのに対し、家庭等には貨幣が溢れかえっていた不均衡を改革することが目的とされた。軍需を制限し、民営化や規制緩和を進めることで、民生部門の供給を増やして流通を改善、滞留した貨幣を回収して民生部門の投資に回すことで経済成長を目指したのだ。

ペレストロイカの急務として挙げられるのは、「市場経済化による経済再生」「軍備負担の削減と軍需産業の民需転換」「同盟国再編による軍備削減と貿易収支の適正化」、そしてもう一つ加えるなら、市場経済化と関連して「補助金漬けの赤字財政の解消」があった。

ところが、ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。

最終的にゴルバチョフは、莫大な宿題を抱えたまま、殆ど成し遂げること無く「ゲーム・エンド」を迎えてしまった。
社会主義経済の体制転換は全て失敗したわけではなく、例えばハンガリーの場合、1990年時点で、自由価格率は80%を達成しており、企業民営化も「遅い」との非難を浴びつつも20%に達していた。そのため、ハンガリーでは、他の東欧諸国で見られた大行列の類いは殆ど起きること無く、市場経済と民主化を達成している。
また、中国では農産物の自由価格・流通を先行させて、90年時点で農産物のほぼ全てが自由化されていたため、やはり行列の類いは発生していない。重要なのは、社会主義国でも構造改革に成功した国があるということだ。
デフレ下で構造改革する愚劣) 

ソ連崩壊は社会主義(計画)経済の機能不全によって発生したが、現在の日本はどうだろうか。西側社会ではいまだに言われているソ連の「物不足」だが、現実に物不足が顕在化したのは1987年後半以降のことで、物不足が深刻だったのは3〜5年程度のことだった。つまり、目に見える現象が無いからと言って、国家や社会の安定が保証されるわけではないのだ。

日本国内に目を向けると、労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。つい15年前には家計貯蓄の多さを誇っていたものが、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。生活保護世帯は164万世帯だが、その捕捉率は20%とも言われ、現実には800万世帯が生活保護水準以下の生活を強いられていることを示している。地域レベルで言えば、例えば大阪市の場合、子どもを持つ3世帯に1つが就学支援金を受給しているという。
貧困そのものは、必ずしも社会や国家の崩壊に直結するものではないが、国政選挙の投票率が6割に届かず、自治体選挙に至っては3〜4割でしかない現状は、現行の民主主義体制に対する国民の合意、あるいは国民統合力が低下していることを示しており、貧困はさらにこれを加速させてゆくと思われる。

現在進行中の日本の危機は、いくつかのレベルで論じることができるが、主なものを挙げてみよう。

・貧困
・デフレ・ギャップ
・低労働生産性
・低金利
・低収益
・歳出の3割を占めて急増中の社会保障費


歴史的には、冷戦の終焉とともに旧東側ブロックが自由市場化されたことで、国際競争が激化した。西欧諸国は、旧東欧圏に工場移転を進め、日本は中国に工場を移転させていった。これにより、国内産業の空洞化が進み、西欧では失業が深刻化した一方、日本は失業を回避すべく社員の非正規化が進められた。
また戦後和解体制は、ソ連ブロックへの対抗上、労働力動員と国民統合を円滑にするため、社会保障制度を整備し、労働者保護を進めたが、ソ連の崩壊と中国の開発独裁化によって「社会主義陣営への配慮(宣伝)」の必要性が失われ、社会保障、賃金、待遇の切り下げが進められた。
特に2000年代に入ると、中国の「世界の工場」化に伴い、財界から賃金ダンピングの圧力が強まって、「小泉改革」に象徴される新自由主義的改革がなされた。その結果、現在では労働力人口6500万人に対して、年収300万円以下が2500万人を超えるに至っている。家計貯蓄の多さを誇った日本が、いまや3世帯に1つは金融資産ゼロになっている。
90年代以降、自民党政府が何度も巨大な財政出動を行ったにもかかわらず、一向に景気が改善されないのは、国内消費が完全に頭打ちで、貧困層を増やしているためだと言える。分かりやすい例えを挙げるなら、自動車工場の工員の大半が非正規化された結果、誰も車を買わなくなってしまったということであろう。

日本のデフレ現象は、バブル期の供給体制が維持されたまま、非正規化などによる賃金ダンピングで需要が低下していることによって起きている。つまり、ソ連とは逆で「店には商品が溢れかえっているが、購入する金が無い」である。
需要が低下しているのだから、本来であれば供給を減らせば需給バランスが取れるものの、日本は供給を減らせない構造になっている。企業倒産を極小化する仕組みや容易に解雇できない制度がそれだ。日本の場合、公的融資制度が充実していると同時に、大企業に対しては政策減税が、中小企業には補助金が手厚く配分されており、欧米に比して倒産件数が少ない構造になっている。これは、一見良いことのように思われるが、現実には低収益の企業を温存し、労働力の移転を阻害、低労働生産性と法人税の減収を常態化させる原因となっている。そして、この低収益が、低賃金、長時間労働、貧困を誘発している。
つまり、公的融資機関、政策減税、各種補助金が、市場の自由競争を阻害し、本来退出すべき不採算企業をゾンビ化させて生き残らせ、経済成長を低迷させている。この点、倒産の無い国営企業群が経済成長を阻害した社会主義国と似ており、公的融資機関、政策減税、各種補助金の縮小、廃止は不可欠だろう。実際、「福祉国家」と言われながら、いまも経済成長を続けているスウェーデンには、この類いのものは存在しないという。
そして、政治家が企業と官僚を仲介し、官僚が減税・補助金を出し、企業が官僚の天下りを受けつつ政治家に献金する、という「腐敗のトライアングル」が日本の成長を阻害して社会をむしばんでいる。旧民主党は、その初期にその打倒と改革を謳っていたはずだが、今では完全に取り込まれてしまって、見る影も無い。
(以下、続く
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2017年01月25日

「オレ正義」なる私制服を着る公務員

【「これまで以上誠実に」「保護なめんな」ジャンパーで小田原市長】
 生活保護業務を担当する小田原市生活支援課の職員が不適切な表現をプリントしたジャンパーを作成し、勤務中に着用していた問題で、加藤憲一市長は19日、該当部門の職員らに対し、「これまで以上に市民に誠実に対応し、任務を執行してほしい」と訓示した。
 市によると、福祉健康部長をはじめ管理職や課員約30人を前に、市長は、ローマ字で書かれた「保護なめんな」などの表現について「不正受給の可能性が全ての受給者にあるかのような認識が表れており、生活保護制度への不寛容の表れと指摘されても仕方がない」と指摘。「小田原が生活保護に不寛容であるかの印象を、図らずも全国に発信してしまった。実際がそうでないだけに悔しい思い」と心情を吐露した上で、「日々の仕事で汚名をそそがねばならない」と職務を進化させる契機とするよう呼び掛けた。
 その後に開いた臨時部長会でも、部長級約30人に対し、全庁を挙げて市民の落胆と職員への不信の払拭に取り組むよう訴えた。市生活支援課によると、同課には18日までの2日間に、電話は563件、メールで513件の意見が寄せられた。主に苦情や抗議という。
(1月20日、神奈川新聞)

神奈川というのは凄いところらしい。相模原では障害者に対する大量殺戮が行われ、横浜では災害避難者の子どもが150万円恐喝されてもイジメと認定されず、小田原では公務員が「オレ様が正義」と書かれた私製制服を着用して街を闊歩していたのだから、話だけ聞けば破綻国家である。介護老人施設での殺人、虐待は山ほどあるという。

実はこれらは無関係とは言えない。横浜の事件は、行政の機能不全を意味し、行政能力の低下が犯罪を誘発、社会秩序の悪化が公務員の私的団結や制裁に向かわせている、と解釈される。もちろん、上記の事件はそれぞれ別個の事件だが、大きいところで連関があるという意味で、スタンド・アローン・コンプレックスの関係にある。

このジャンパーが作成された経緯も、ある生活保護受給者が住所不定となり、色々手を尽くしたにもかかわらず連絡がとれなくなり、受給停止の措置を行ったところ、その者が市役所にやって来てカッターナイフを手に大暴れした事件に端を発しているという。これ自体は、被害者に同情されて良いところだが、この後、担当課長が「自分たちの自尊心を高揚させ、疲労感や閉塞感を打破するため」として、ジャンパー作成を提案、職員が自費で購入し着用するに至っている。この点、本当に課長個人の発案で、説明のような理由だったのか、課内で生活保護者弾圧の共同謀議はなされなかったのか、職員は本当に私費で購入していたのか、公的扶助は無かったのか、着用は強制されていなかったのか、疑問は山ほどある。
そして、この発想はまさに「Zガンダム」におけるティターンズそのものだ。もっとも、ジャンパーに記載された文言を見る限り、実際の作成者はギレン好きだったように思われるが。

問題は、不正受給がどこまで「現実的」なのかという話にある。例えば、日弁連の調査では、全国の生活保護受給額に対し、不正受給とされた額はわずか0.28%に過ぎず、単純計算すれば生活保護受給者300人に1人もいないというのが実情だ。1990年代以降、生活保護の受給者は増加傾向にあり、それは小田原市でも変わらない。

小田原市の人口はほぼ20万人で、生活保護受給者は2003年度に1563人だったものが、2011年度には2646人になっている。世帯数だと現状で2320ほどだという。これに対し、ケースワーカーは定数で29、実働25人、つまり1人で100人以上の受給者をサポートしている計算になる。不正受給者数については不明だが、平均値で考えると10人に満たないはずであり、課員全員が私製制服を着用して「不正受給者に正義の鉄槌を!」と血眼になるのは常軌を逸しているとしか言いようが無い。言うまでも無いことだが、ケースワーカーは生活困窮者に寄り添う良き相談者となり、自立を支援するものであり、「貴様、国民の血税をちょろまかしてはおらんだろうな!」と凄んで回る権力の走狗ではない。
そして、データを見る限り、問題はケースワーカーの少なさに起因する超過密勤務にあるように推測される。
もっとも、小田原市は「生活保護受給抑制運動の先進市」という評価も一部であるようなので、公務員組合(自治労)が存在しないことも含めて、単に社会的弱者に対する疎外と排撃の一大メッカだった可能性もある。

不正受給が全国の額面で0.3%でしかないのに、それをスケープゴートにして、本来保護が必要な人に対し受給できている割合である「捕捉率」が2割に満たないという現実を矮小化、憲法25条違反を常態化させている点にある。そして、それは25条の改悪、廃止の主張に繋がるものなのだ。
同条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、もともとGHQ案等になかった条文を、森戸辰男大先輩が「帝国憲法改正案委員小委員会(芦田小委員会)」において強く主張することで挿入された経緯があり、現行憲法における数少ない社会主義精神の発露である。

【追記】
小田原市長の「これまで以上誠実に」は何を指すのか。「誠実に抑制策を進める」のか「誠実に社会保障に取り組む」のか、常識的に読めば「これまで以上」とあるからには前者なのであり、反憲法的主張である。
posted by ケン at 12:29| Comment(4) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

年金改革に反対するのは妥当か

【年金改革法案、衆院通過 高い支持率、政権強気】
公的年金の支給額を引き下げる新しいルールを盛り込んだ年金制度改革法案が29日の衆院本会議で、自民、公明、日本維新の会の賛成多数で可決され、参院に送付された。同法案の今国会中の成立に万全を期すため、来月14日までの会期延長も議決された。
 法案に盛り込まれた新ルールでは、これまで賃金が下がっても物価が上がれば年金が据え置かれていたシステムを変え、新たに賃金の下げ幅に連動して支給額も下げる。2021年度から導入する方針。将来の年金水準を維持する狙いがあり、塩崎恭久厚生労働相は可決後、記者団に「将来世代にとって大変大事な法案だ」と語った。
(11月30日、朝日新聞抜粋)

久しぶりに人の付き添いで本会議を傍聴したが、自民党のヤジが凄くて一時は登壇者のマイクの声すら聞き取りづらいくらいだった。ヤジについては、自分は「自粛すべき」との立場に立つが、年金問題については民進党を始めとする野党のスタンスにはいささか無責任なものがあり、冷たい目で見ている。
民主党は「資産課税による最低保障年金」を掲げていたはずだが、選挙対策からかそれを隠して、ただ支給額引き下げ(の可能性)に反対するのは将来世代に対して無責任であるという自民党側の指摘は妥当と言える。

米国のコンサルティング会社の “Mercer” は、世界各国の年金制度を比較し、調査した指数である「グローバル年金指数」を毎年発表している。2009年に始まり、2016年度の調査は27カ国、世界人口の6割をカバーしている。指数は、「公的年金が老後の生活に十分なだけ支払われているか」の十分性、「年金が支払われるのに十分な環境が整っているか」の持続性、「年金制度をうまく運用するための見直し機能や透明性が担保されているか」の健全性から構成される。日本の年金制度は27カ国中26位(インドの下でアルゼンチンの上)、総合評価は「D」だった。「いくつかの優れた特性を備えるが、同時に対処すべき重要な弱点、欠落がある。改善なければ、有効性、長期的持続可能性が疑問視される」との評価。その下のE評価「構築の初期段階にある不十分な制度」は該当国無しだった。
ちなみに2009年の調査で日本は11カ国中11位、2012年は18カ国中17位で最下位はインド、2015年は25カ国中23位で下は韓国とインド。

詳細には、日本は健全性60.9、十分性48.5、持続性24.4と、特に持続性が危機的に低い評価であることが分かる。
繰り返しになるが、持続性の基準は「年金が支払われるのに十分な環境が整っているか、平均寿命と支給開始年齢の関係は良いか、国家の破綻のリスクがなく持続可能なものか」で、北欧諸国やオランダ、シンガポール、チリなどは60ポイントを超えている。
十分性の基準は「公的年金が老後の生活に十分なだけ支払われているか、老後のための貯蓄は十分になされているか」で、北欧諸国を始め、独仏加愛伊墺など14カ国で60ポイントを超えている。要は生活物価に比して、日本の年金は支給額が低く、老後用の貯蓄も不十分であることを示している。

現在のところ、日本の年金支給額は平均すると、国民年金で5万4千円、厚生年金で14万8千円だが、これはあくまで平均値であり、中間値はさらに低い。十分な年金が保障されているのは、大企業に長く勤めたサラリーマンだけで、公務員ですら意外と10万円台のものが少なくない。自営業者などは、自前でよほど貯蓄したり、民間年金を積み立てていない限り、悲惨な状況にある。
マーサージャパンのコメントを添付しておこう。
「日本の総合評価が低いのは、特に、十分性と持続性の評価が低いためです。十分性に関しては、年金給付による所得代替率(現役世代の年収と年金給付額の比率)が低いこと、税制や私的年金の仕組みが年金受給を促す形になっていないこと、などが評価を引き下げています。また、持続性に関しては、少子高齢化に伴い高齢者人口割合が増加していること、平均余命の増加により公的年金の期待支給期間(平均余命と年金支給開始年齢の差)が長くなっていること、さらには政府債務残高が大きいことなどの要因により低い評価となっています。日本では他国よりも早いペースで少子高齢化が進行し、平均余命も伸長しています。公的年金では、社会情勢(現役人口の減少や平均余命の伸び)に合わせて、年金の給付水準を自動的に調整するマクロ経済スライドが2015年に初めて発動され、年金給付額の伸びは賃金や物価の上昇分以下に抑えられました。このような中、老後の生活資金を確保するには、公的年金に加え、企業年金や個人年金などの私的年金からの収入や活用方法を理解した上で、個人のライフスタイルに応じた早めの資金準備を実施していくことが重要になってきます。」

今回の年金法改正は、ただでさえ危機的な持続性しか持たない日本の年金制度を少しでも長く保たせるために必要な措置であり、仮に民進党政権であっても、新規課税か保険料増額を行わない限り不可避のものだった。
民進党やNK党の批判は、借金が膨大になり、給料も減額になっているのに、「生活費を削るのはまかりならん!」と強面になっているパートナーのようなものであり、相応の対案を示さない限り、無責任である。
posted by ケン at 12:33| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月06日

問題先送りで後が苦しくなる

【安倍首相、任期後の増税を釈明=衆院解散「頭よぎった」】
 安倍晋三首相は1日の記者会見で、消費税増税の新たな実施時期を自民党総裁の任期後に設定したことについて、「単に私の任期の中で収める判断はしなかった。経済的に正しい時期を選んだ。総裁任期によって判断をゆがめてはならない」と説明した。経済状況を勘案した「最適のタイミング」と主張することで、増税時に責任を持たないことへの批判をかわす狙いがあるとみられる。2014年に衆院を解散する際、「17年4月に確実に引き上げる」と公約したものの実現できなかった政治責任については、「これまでの約束とは異なる新しい判断だ」と強調。「新しい判断をした以上、国民の声を聞かなくてはならない」と述べ、増税延期について参院選で信を問う考えを示した。
 一方、首相は衆参同日選を見送ったが、野党の内閣不信任決議案提出を理由として、「私の頭の中を解散がよぎったことは否定しない」と述べた。その上で、「いまだ被災地では多くの方々が避難生活を強いられている中で、参院選を行うだけでも大変なご苦労をお掛けしている」と述べ、同日選を見送った理由に熊本地震を挙げた。 
(6月1日、時事通信)

以前より「衆参同日選」と見ていた私の分析は外れたものの、「野党が不信任案を出したら解散しかねない」という見立ては当たっていたようだ。だが、いずれにしても、安倍氏にとっては衆参同日選こそが「正着」だったという、私の認識に変わりは無い。

私の構想は、「増税先送りについて国民に信を問う」ことを大義名分に衆議院を解散して総選挙を行う、というものだったが、安倍氏の決断は「増税は先送りするけど、衆院選は行わない」だった。
となると、今度は次に解散するときの大義名分が難しくなる。参院選は固定であるため、大義名分は不要だが、衆議院を解散するには不可欠だからだ。それを今表明してしまっては、秋や冬に衆議院を解散する大義名分にならない。現状、それに替わるものも見当たらない。
すると、任期満了近くまで解散を見送る公算が高まってくるが、時間が経てば経つほど経済情勢が悪化する可能性が高く、「アベノミクス」の失敗が表面化することはあっても、現状よりも良い戦況で自民党が選挙できる可能性は非常に低いと考えられる。
今回の増税先送りも、「リーマンショック級の経済危機」と言えば「アベノミクスは失敗」とされ、「リーマン級では無い」と言えば「先送りにする理由が無い」と批判されるだけで、いずれにしても説明責任が果たせず、首相としての指導力と内閣の求心力は今後低下してゆくものと見られる。

増税先送りで景気悪化は避けられるかもしれないが、自民党式の財政出動は赤字を増やすだけで景気には何の貢献もしないだろうし、むしろ将来世代に赤字と維持コスト増の二重の負担を負わせるだけの結果にしかならない。赤字は日銀が国債を引き受ける形で賄われ、株価は年金基金をつぎ込むことで維持されている。今すぐ危機に陥ることはないかもしれないが、中長期的には「詰んでいる」状態にあり、あとは「誰にどのタイミングでババを渡すか」という話になっている。リーマンショックの時は、ちょうどババだけ民主党に渡して危機をやり過ごしたが、今回はそうもいかないだろう。
posted by ケン at 13:07| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする