2016年03月27日

またバラマキきゃ?!

【若年低所得層に「商品券」 補正予算案、消費刺激 政府方針】
 政府は23日、景気刺激のため編成する平成28年度補正予算案の目玉として、若年層の低所得者対策を盛り込む方針を固めた。生活必需品などの購入に充てられる商品券の配布を検討する。1月に成立した27年度補正予算は高齢者への臨時給付金が柱だったが、若年層の消費の落ち込みが目立つため、ピンポイントでテコ入れを図りたい考えだ。
 これまでの低所得者対策は「賃金引き上げの恩恵が及びにくい」(菅義偉官房長官)などを理由に高齢者向けが主だった。しかし、1月の家計調査(2人以上世帯)では、34歳以下の若年層の消費支出が前年同月比11・7%減と大幅なマイナスで、全世帯平均の3・1%減と比べても落ち込みが目立った。
 政府は低迷する個人消費の底上げを図るためには、若年層の消費刺激策が欠かせないと判断。貯蓄に回る可能性が指摘される給付金ではなく、商品券の配布を検討している。低所得者の対象や事業規模などの細部は4月から詰める。
 内閣府の調査によると、21年度に配られた定額給付金は、高齢者世帯よりも子育て世帯の方が受給額から消費に回す割合が多く、今回の措置は消費底上げに一定の効果が見込めそうだ。
 低所得の高齢者に1人当たり3万円を配る27年度補正予算の臨時給付金は、与野党から「なぜ高齢者ばかり優遇するのか」などと異論が出ていた。参院選を控え、若年層向けの支援策をアピールする狙いもある。
(3月24日、産経新聞)

また選挙前にバラマキかよ!
自民党は国民を買収することしか考えてないし、霞ヶ関は政策的責任を放棄しているな。カネをバラ巻くだけなら議会も政府も要らないだろう。
特に与党の一角を占めるKM党が、伝統的にバラマキ好きであるだけに、拍車を掛けている格好だ。
政府の役割は、貧困化が進む若年層の生活水準を底上げすることにあるはずだが(国民の生活保障)、安倍政権はその役割を放棄して一時金を渡して済まそうとしている。それは自己の存在意義を否定するものでしかない。
とはいえ、たとえ形式上であれ、日本は議会と民主主義を導入しているだけに、選挙で選ばれた自民党政権の責任は有権者に帰せられる。独裁の責任は独裁者に帰せられるが、民主主義の責任は有権者に帰せられるのだ。
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2016年03月25日

批判する前に権限強化を

【<中学生虐待>警察や児相指導むなしく 自殺図り2月死亡】
 相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月末に死亡していたと明らかにした。生徒は虐待が続くため保護を求めていた。児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の承諾なしに強制的に親から引き離す職権での保護を行っていなかった。鳥谷明所長によると、生徒が通う小学校の教師が2013年11月、生徒の額が腫れて顔に傷があるのを不審に思い、市に通報した。児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに逃げ込み「親に暴力をふるわれた」と店員に助けを求め、警察官に保護された。
 児相は両親から事情を聴いた上で虐待事案と認定。虐待をやめるよう両親を指導し、6月から男子生徒と両親を一緒に毎月1〜3回程度、児相に通所させた。だが10月上旬、生徒は親の体調不良を理由に通所しなくなり、児相職員が学校を訪れて生徒と面談していた。生徒は11月中旬、近くの親族宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。昨年6月、児相に入所して暮らしていたが、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
児童相談所は、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。子どもの安全を確保することが目的で、情報収集や保護者への調査がしやすくなる。原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置することが「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。鳥谷所長は「一人の尊い命がこういう形で失われたことについて大変深く、重く受け止めている。職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」と説明している。
 厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」としており、子どもの救出のための積極的な活用を求めている。厚労省虐待防止対策室は「今回の事案については事実関係を相模原児相に確認中」としている。
(3月22日、毎日新聞)

児童相談所は、基本的に都道府県の管轄だが、政令市は希望して厚労省に申請すれば設置が認められるものの、そのハードルは高く、相模原市の場合、ようやく許可が下りて設置した矢先の出来事だっただけに、不幸としか言いようが無い。
この手の事件が起きると、決まって児相や行政機関が非難される。この件でも私の知る自治体議員が「児相を厳しく追及しなければならない」旨を宣言していたが、全く人気稼業というのは度しがたいもので、果たしてこの連中がどこまで児相の実態を知っているのか、甚だ疑問がある。
私の場合、政党機関紙の編集に携わっていた時に、児童相談所の問題について調べたことがあるし、母親が児童福祉の専門家であることから、少なくともその辺の議員よりは実態を知っていると思う。

児童相談員(正確には児童福祉司など)は、「虐待された子どもを保護し、子どもに最適な進路を提示して支援する行政官」と定義されよう。理念としてはその通りで、その仕事に憧れる学生も少なくない。
だが、その実態は非常に危険を伴う仕事で、例えば児童虐待を行う親は、ヤクザやチンピラ、精神不調者、あるいは意思疎通が困難な外国人(それも滞在許可が無かったり)であるケースが多い。少し想像力を働かせれば分かると思うが、ヤクザや精神不安定な者の家に、その子どもを「奪」いに行くわけなのだから、何らかの抵抗があるのは当然なのだ。だからこそ警察官は強制執行権と武装を持っているわけだが、児相にはそれが無い。危ないことをしたくないのは誰も同じだろう。子どもを虐待していると分かっているとしても、ヤクザの家に丸腰で行くのは、とてつもない勇気と義務感が求められるが、個人的な勇気と義務感に頼らざるを得ないというのは、行政システムとして間違っている。
また、ある家庭で虐待が行われていると通報があったとしても、相談員は捜査権が無いため、「行くだけ」になってしまうケースが多いことも保護の難易度を上げている。

厳密には、法改正を経て児相にも一定の執行権が付与されたが、警察のように強いものではない上、強制権を発動させるためには非常に多くの要件が課されている。そのため、強制執行権が発動される前に、「手遅れ」となるようなケースが起こってしまう。現に、記事のケースでも両親が拒否したことで、児相側は強制執行を断念している。
全体的に見れば、日本の児童相談所は、ロクな権限も与えられていない中で、十分以上の効果を上げていると思われるだけに、個別の事件で全体が強く非難されるのは不条理にしか思えない。
また、強制執行(児童保護)などを行う際に、警察官の協力を得ることは、ようやく理解を得つつあるが、それ以外の家庭訪問時にも相談員は大勇を振るわなければならない状態に置かれており、個人的勇気に依存するシステムは改善されてしかるべきだろう。

民法が改正されて、虐待を理由に家裁が親権停止を命じられるようになったのは、わずか5年前のことであり、それも停止期間はわずか2年と短すぎるものだった。それすらも、民主党政権で無ければまず実現不可能だっただろう。日本では、虐待防止よりも親権保全が優先されており、このことも虐待を助長していると言える。
新しい男と付き合うために、わが子を養護施設に入れてしまう母親。かと思えば、「別れたから」と平然と子どもを引き取りに来る。
「医療費がかかる」「ケガ(虐待)がバレる」と受診はおろか、健康診断や予防接種すら拒否する親。
十年も連絡なかったくせに、生活保護や障害年金目当てで、突然子を引き取りに来る父親。しかも、「金はもらえない(増えない)」と分かった途端にまたトンズラしてしまう。

常人には信じられないような話だが、児童相談所では「ごく当たり前」の話であり、同様の案件を児童福祉士が一人で下手すれば何十件と抱えている。
人手不足で手が回らず、故に虐待を十分に察知できず、虐待が発覚すると、今度は「オンブズマン」などから非難されて、精神を壊していく、児童福祉行政の現場がある。
こんな親たちでも、親権は絶対的なものであり、「引き取る」と言われれば、拒否できないのが従来の法制度だった。子どもはもちろんのこと、児童福祉士たちの苦悩や心痛は察するにあまりある。
「親権の停止」に向けた民法改正はずっと以前から叫ばれてきたが、ことごとく拒否してきたのが、自民党を中心とした保守派(民主党の中にもいる)であり、「親子の絆を割くのか」というのが彼らの主張だった。
虐待防止で親権停止へ

自治体における生活保護や児童相談部門は、最も激務な上、児相については身の危険すらも伴うわけで、現実問題として配置された新人職員の多くが一年以内に辞めてしまったり、病気休職したり、あるいは異動願いを出すという。いわば、自治体業務の中でも有数の「ブラック部門」であり、その認識を持たずに批判するのは控えるべきだろう。
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2016年01月22日

待機児童で責めるのは得策じゃ無いかと

民主党の山尾議員が待機児童問題で安倍首相を責めたことが一部ネットで話題になっている。だが、これも非常にブーメラン性が高い難題であり、単年度で「待機児童が増えた」と言って騒ぐのは得策とは思えない。「野党だからいいんじゃないか」とは言えるかもしれないし、山尾氏的には「総理を嵌めてやった!」と小躍りしているかもしれないが、「やぶ蛇」の喩えもあり、攻撃箇所や戦術はもっと慎重に選ぶべきだ。
待機児童問題については門外漢ではあるが、身内に関係者がいるため、それなりの知識があり、記事にしているので参照してもらいたい。

「待機児童ゼロ」という無謀 
保育所は何故足りないのか? 

減少傾向にあった待機児童がここに来て増加傾向に転じた理由については判然としていない。が、都市部で整備されてきた保育所の新設が頭打ちになりつつあることや、一方で保育所需要の増加傾向に歯止めが掛かっていないことが推測される。需要増については、地方で若年女性が急激に減少する一方で、都市部では従来の専業主婦層が働きに出ることで需要と供給のミスマッチが生じている。その都市部でも、駅前などの一部の保育所に需要が集中する一方で、やや不便な地域にある保育所は定数割れするような有様になっている。

待機児童問題について、行政は政治側の過剰な要求を満たすために保育所の増設を至上命題とするが、予算は限られているため、設置費用を安くしようとすると不便な場所になってしまうが、すると希望者が予測を下回るといった現象が生じている。駅近に保育所を設置するとなると、ビルの一室のような、子どもにとって非常に望ましくない環境になってしまうが、現状では「子どもの環境」よりも「大人の要望」が圧倒的に重視されており、「預けられるならどこでもいい」という傾向が強い。
特に男性は一度見ておいた方が良いが、駅近のビルの一室にある保育所の環境は酷いものが多く、「この狭い一室に無数の他人と朝から晩までいなければならないのか」と子どもに同情を禁じ得ない。
保育所も建てれば建てるほど自治体の赤字が増える構造になっている。
建設費を除く運営費だけ見ても、公営保育所で児童一人当たり年間150万円円程度のコストが掛かるが(地域や年齢による違いが大きい)、利用者が実際に支払う保育料は平均で30〜50万円に過ぎない。民間保育所でも年間100万円程度はかかる。ゼロ歳児保育になると2〜3倍のコストが必要となる。
さらに都市部になると地代や人件費の高さから、平均をはるかに上回るコストが掛かる一方、人口は地方からだけではなく郊外からも都市部への流入が続いているため増加傾向にあり、どうしても供給が需要に追い付かない。運営費は国から補助が出るが、初期費用については補助がないため、地代が高く優良物件が少ない上、「迷惑施設」と敬遠されがちな保育所の新設は非常に高コストとなり、自治体に二の足を踏ませている。
これ以外にも自治体ごとに無認可保育所に対する支援や独自の負担軽減策がなされており、要は保育所が増設され、利用者が増えるほど自治体の財政負担が重くなってゆく。
保育所は何故足りないのか?) 

学校や保育所は地域への依存が高いため、その地域の人口構成や年齢層が変化すると、需要も変化する。例えば、ある地域に大型団地が建設され、多くの若年層が入居、それに応じて学校や保育所をつくったところで、15年や20年もすると、需要が急激に減ってしまう恐れがある。だが、需要が減ったからといって、学校や保育所は民間企業のように簡単には店をたためないため、定員割れした施設が増えて行くことになり、自治体の財政を圧迫するのだ。

この問題は根が深い。従来の入所ルールである「正規職員優先」がまだまだ幅を利かせているため、夫婦で1千万円以上稼ぐ親が公立の保育所に子どもを預ける一方、年収200万円台の非正規職の一人親が子どもを高い認可保育所に預けざるを得ないみたいな話がまだまだ横行している。正規・非正規の待遇差別はここでも如実に表れている上、非正規は女性に圧倒的に多く、その割合も増加の一途を辿っている。こうした「保育格差」も是正される必要がある。

より大きな話をすれば、これは「中間層の没落」の結果とも言える。従来なら専業主婦がいたであろうホワイトカラーの中間層が非常に薄くなり、働きに出ざるを得なくなっているためだ。また、「男女共同参画」やら「一億総活躍」などと言いながら、現実には女性被雇用者の6割弱が非正規で、その割合は男性の3倍弱にも達し、女性非正規職の半数は貧困ライン以下にあるという。これは、「女性の貧困」と「男女不平等社会」の表れなのだ。
仮に日本で、均等待遇や時短労働が実現していれば、多少不便でも子どもを環境の良い保育所に預けることもできるだろう。あるいは、税収が上がれば、駅近で良い条件の保育所が建てられるかもしれない。だが、日本の労働政策は「人をできるだけ安く、そしてできるだけ長く働かせる」ことに主眼が置かれているため、子育て環境も一向に改善されない。結果、保育を増設したは良いものの、保育士が不足しているため定員を増やせず、定員を増やすために「資格無し」あるいは「準資格」でも働けるようにしようという「陰謀」がめぐらされるという悪循環に陥っている。

確かに問題になっているのは待機児童なのだが、現実には女性あるいは男性の労働環境が大幅に改善されない限り、根本的には何も解決しないのである。その意味で、「自民政権には待機児童問題は解決できない」という視点からの「決め打ち」はブーメランとなって跳ね返ってくる恐れが強いと言える。
質問した本人は「アベを嵌めてやった」と思っているかもしれないが、安倍氏からすれば「ハメ手じゃねぇか!」と怒るのは当然だろう(総理の器としてはビミョーだが)。やはり国会質問は一定の品位を持って行うべきだ。NK党のように正面から貧困と経済格差、再分配の面から責めるのが「正統派」なのである。
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2016年01月18日

秘密保護法で決算不要に?

【<特定秘密>「検査院に提出」通達…施行後1年出さず】
 特定秘密保護法に基づき秘密指定された書類について内閣官房が、会計検査院から要請があれば提供するよう求める通達を関係機関に出していたことが分かった。検査院は法案閣議決定前の2013年9月、秘密指定書類が会計検査に提出されなくなる恐れがあるとして「すべてを検査するとした憲法90条の規定上、問題」と法案の修正を要望した。内閣官房は応じず、代わりに「遅滞なく」通達を出すことを約束していたが、14年12月の法施行後1年以上出していなかった。
 内閣官房によると、通達は昨年12月25日付で「秘密事項について検査院から提供を求められた際には、提供していると承知しているが、法の施行によりこの取り扱いに何らの変更を加えるものではない」としている。防衛省、外務省など特定秘密の指定権限を持つ20の行政機関に出した上で、今月8日に検査院に内容を説明した。
 13年10月に内閣官房と検査院が合意した通達案では「検査院が特定秘密を利用するときには、『(秘密保護法が秘密提供をしなくてよい場合とする)我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ』はないと解される」と明示していた。しかし、この部分は今回の通達に盛り込まれなかった。
 内閣官房は「明示的には盛り込まなかったが、これまでの取り扱いと変更はないとしており、趣旨は含まれる。そもそも秘密保護法は憲法上問題があるとは認識していない」と説明。通達の遅れについては「実際の運用を見つつ、適切な時期に出そうと考えていた」とコメントした。
 会計検査院法規課は「法令協議の過程で、検査院が内閣官房に伝えていた内容が反映されており、検査に必要があるとして要求した場合には、各省庁から特定秘密が適切に提供されると考えている」とコメントした。
(1月12日、毎日新聞)

2年前に秘密保護法が審議された際、私も記事にあるような懸念を覚えて会計検査院の担当者を呼んでレクを受けたが、「内閣官房と調整して、秘密指定に関わる事項でも会計検査院に適切に情報提供されるようになっているので、懸念されるようなことにはならない」旨の回答があった。当時は他にも質問すべき事項が山積みされていたため、この点からの質問は見送ってしまったが、今から思えば、やらない手はなかったかもしれない。

戦前の軍部には「臨時軍事費特別会計」という魔法の財布があって、一般会計とは別に組まれ、概要のみが提示されて一括審議され、しかも会計法の適用外として予算の流用や前払い、概算払いなど軍の自由裁量が認められ、帝国議会はおろか、大蔵省や会計検査院のチェックすら働かないシステムになっていた。
秘密保護法を除外しても、現状で復興特別会計はかなりザルとなっていて、議会や検査院のチェックが十分に及んでおらず、闇の中になっている。新国立競技場建設をめぐる会計も恐ろしく杜撰だったことは記憶に新しい。そこに秘密保護法によって、防衛費や外交費の多くが検査対象外となれば、もはや「行政府の予算執行が適切かどうかをチェックする」という議会の存在意義が失われてしまう。

象徴的な例を挙げれば、2003年から09年にかけて米軍の後方支援として(表向きは復興支援)自衛隊をイラクに派遣するために要した費用は直接費用だけで1200億円以上に上るとされているが、イラク戦争の開戦経緯と戦争支持決定を検証した政府(外務省)の報告書はわずかA4で4枚(うち表紙一枚)という形でしか公表されなかった。要は、直接費用で1200億円をかけ、陸海空で1000人以上の規模でなされた海外派兵を行った根拠について、政府は主権者・納税者たる国民に対して説明・開示を拒否したのである。これでは、勝手に徴税して勝手に軍を動かして戦争を始めてしまう17、18世紀の英王室と同レベルであり、日本の国会は当時の英議会よりもレベルが低いことを意味する。
イギリスの清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を高ピーに要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。

また、フレンチ・インディアン戦争で財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地からの砂糖に(のみ)課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発してしまった。
その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートした。

政府の戦争遂行に対して、主権者あるいは納税者の立場から監視と統制を行い、正当な支出であるかどうかを検証するのが本来の議会の役割であり、その権限を強化してきたのが議会史の根幹だった。外交と戦争の情報が秘匿されるというのは、デモクラシーと議会制度の明らかなる逆行であり、行政府の暴走を許すことにしかならない。
集団的自衛権と秘密保護法

しかも、日本の場合、情報公開法と公文書管理法が不十分であるため、秘密指定された情報や資料が永遠に指定解除されなかったり、あるいは指定解除される前に廃棄処分されたところで、これを止める術もなければ担当者を罰することもできないため、実質的に「廃棄し放題」となっている。結果、予算執行が適切だったか、予算付け自体適切だったのかなどの政策評価や歴史検証ができなくなっており、誤りを正すことを不可能にしている。
軍事費のチェックが効かなくなった戦前の日本がどのような末路を迎えたか、改めて思い返すべきである。
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2015年12月21日

高額療養費制度など見直しへ

【高額療養費制度など見直しへ 歳出抑制案】
 政府の経済財政諮問会議の下に設置された有識者会議は、財政再建に向けて歳出を抑制するための実行計画の案を取りまとめ、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を、来年末までに見直すことを盛り込みました。
政府は、2020年度までに基礎的財政収支を黒字化する目標の達成に向けて経済財政諮問会議の下に有識者会議を設置して、今後5年間の歳出を抑制するための実行計画の検討を進めていて、このほど有識者会議がその案を取りまとめました。それによりますと、最も歳出規模が大きい社会保障費を巡って、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を来年末までに、現在、自己負担が原則1割になっている75歳以上の高齢者の医療費の窓口負担を3年後までに、それぞれ見直すことを目標に掲げています。
また、医療費の削減に向けて自治体や企業の健康保険組合などに働きかけ、2020年までに、40歳以上の人の健康診断の受診率を80%以上とし、メタボリックシンドロームの人口を2008年度と比較して25%減らすなどしています。有識者会議では、この計画案を7日の経済財政諮問会議に示し年内に決定したいとしていますが、社会保障費の国民負担の増加につながるだけに、政府・与党内で今後議論となることも予想されます。
(12月7日、NHK)

またぞろ旧式左翼が「医療の切り捨て」などと騒いでいるが、対案も示さずに無責任に騒いでいるからこそずっと「サヨク」でしかないことに、いい加減気づくべきだ。医療費については、過去に十分説明しているので、再掲を中心に進めたい。
財政的には公的医療保険制度はすでに破綻状態にある。
2010年度の保険支出(政管、組合、国保の合計)が29兆5千億円であるのに対して、保険料収入(同)は17兆6億円に過ぎず、12兆円近い赤字を出している。この赤字は、国庫負担の4兆9千億円と地方自治体などの負担による8兆円で賄っている。この上、保険外の公費医療(結核ほか)がある。現実の公的医療保険制度は、保険料収入全てで70歳以上の医療費を賄うだけの額にしかなっていない。

国庫負担は1970年度の4千億円に始まり、80年には2兆7千億円、95年には4兆を越し、今や5兆円に達しようとしている。これ以外に公的年金の国庫負担が10兆円を越しており、医療と年金の国庫負担だけで税収の3分の1以上になってしまい、一般歳出を圧迫している。健全な財政を保っていれば、他の公的サービスの提供に深刻な影響が出ているはずだが、税収を上回る国債を発行することで毎年凌いでいるだけなのだ。
公債は将来世代に対する負債であり、建設国債のような「投資」であるならば回収できる可能性もあるが、赤字国債は少子化に伴う生産と消費の低下に際しては額面以上に重くのしかかってくる恐れが強い。
実際、非正規雇用や不安定雇用の増加に伴い、若年世代の給与所得は低迷しており、保険料収入も横ばい状態だ。例えば、2000年度の保険料収入が15.8兆円に対して10年度は17.5兆円で増加分は1.7兆円に止まる。一方支出は23兆円から29兆円と6兆円も増加しており、その差は今後さらに拡大してゆくと見られる。
保険料の高騰を抑えるために税金を投入すると国債発行額が増え、保険料を上げると納付率が低下して収入が伸び悩むほか無保険者が増えるという悪循環が固定化している。2025年度には年金を含む社会保障給付額は150兆円に迫ると試算されており、このうち60兆円が税金等になる見込みだが、現在40兆円足らずの税収が12年後に1.5倍になるというシナリオは非現実的であり、足りない分は国債を増刷する他ないだろう。こうして国債発行が際限なく拡大してゆく。
医療費の肥大化続く

私が冒頭に掲げた記事を「無責任」としたのは、医療費が「保険料」「窓口負担」「税金」でしか成り立っておらず、要は「誰がどこで負担するか」という話であるにもかかわらず、ことさらに「国民負担の増加」を強調するからだ。自分(国民)たちが使う医療を自分が払うのは当然であり、国家が打ち出の小づちをもって治療してくれるわけではない。利用者負担を減らす、ないしは現状維持を貫く場合、医療従事者の報酬を減らすか医療を必要としない健康者の負担を増やすほかなく、医療従事者の報酬を減らせば提供される医療の水準が下がるだけの話である。保険制度や医療制度の全体像や将来像を考えないで、一方的に現在の利用者目線に立つ姿勢はコミュニストどものそれと全く変わらない。
(「安心できる社会保障」はリアルか?)

高額療養費制度も同じである。少子高齢化と医療の高度化に伴って、高額療養費制度の利用者と費用も高騰する一途にある。少しデータが古いのだが、2001年から2010年までの10年間で高額療養費の給付は8312億円から1兆9789億円へと2倍以上に増えており、利用者は3倍に達して、なお増え続けている。自己負担額(現役収入)については、20年前に6万3600円だったものが、今では「8万100円+医療費の1%」になっているとはいえ、この程度の上昇で済んでいた方が奇跡的だろう。
そして、今回の見直し案は、低中所得層の自己負担をできるだけ据え置きつつ、高所得層の負担を増やすというものであり、保険や医療財政の内実を知るものからすれば「焼け石に水」でしかない。むしろこの程度で同制度が存続するのであれば、利用者としては感謝すべきだろう。

保険や医療財政の成り立ちを知れば、無責任な言動は控えられるはずだ。例えば、超単純計算で1千万円かかる高額医療を使ったとして、自己負担は20万円で済んだとしても、残りの980万円は健康保険と税金で賄われているのである。現に私の知人には、一億円近く掛かった子どもの治療費が国と都の制度により自己負担ゼロとなったものがいる。
より具体的な数字を挙げるなら、75歳以上の高齢者が使う医療費88万円のうち、自分で払っているのは16万円ほどで、40万円は税金の補填、32万円は現役層の保険料からの転用によって賄われているのだ。その高齢者はさらに増える一方なのだから、そんな制度が「長く」どころか「短く」すら続かないことはもはや明らかだろう。
皆が医療を使えば使うほど、現役層の保険料負担や納税負担が上がるだけの話であり、「手術代が安く済んだラッキー」というのは無自覚にも程がある。高額医療と高齢者医療に対する制度・保険適用に一定の歯止めをかけない限り、近い将来破断界が来るのは間違いない。

保険財政が既に破綻しているにもかかわらず、「選挙で落ちるから」それを指摘できない点にこそ、デモクラシーの最大の弱点があることも確かである。
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2015年12月15日

法人減税と個人増税

【法人税2段階下げ決定 政府・与党 外形課税負担に緩和措置】
 政府・与党は8日、法人税改革の全容を固めた。現在32・11%の法人実効税率を平成28年度に29・97%、30年度に29・74%と2段階で引き下げる。減税に必要な財源は赤字企業にも課税する「外形標準課税」の拡大で確保する。税負担が重くなる中堅企業には、28〜30年度に負担増となる額の25〜75%を免除する緩和措置を設ける。10日にまとめる予定の28年度税制改正大綱に盛り込む。
 財源の大半は外形標準課税の拡大で賄う。また、企業が過去の赤字分を現在の黒字と相殺して納税額を減らせる欠損金の繰越控除制度の見直しや、最新設備を導入した際の設備投資減税の終了分なども財源とする。2年先の税率引き下げまで示し、企業に賃上げや設備投資の拡大を促す。外形標準課税は、資本金1億円超の企業に対し、業績が赤字でも従業員の給与や資本金に応じて課税する仕組み。対象拡大で好業績の企業は減税になるが、赤字や利益が少ない企業では税負担が重くなる。このため、資本金1億〜10億円程度の企業は、28年度の税額のうち27年度より増えた部分(負担増分)の75%の支払いを免除する。29年度は50%、30年度は25%と免除幅を段階的に縮小する。
(12月9日、産経新聞)

記事は実効税率を挙げているが、基本税率で言うと、現行の23.9%から23.4%に引き下げられる。この基本税率は、1980年代に最大時43.3%あったものが、90年代に37.5%にまで引き下げられ、2000年代には30%、民主党・野田政権の時に25.5%となり、安倍政権でさらに23.9%に引き下げられたものが、さらに下げられることになる。つまり、企業の税負担はここ四半世紀で半分近くまで引き下げられたことを意味し、今後も更なる引き下げが検討されている。

所得税については、70年代まで最高税率が75%だったが、80年代の中曽根政権下で60%、竹下政権で50%に引き下げられ、2006年の安倍政権下で40%となった。昨年、再び45%に引き上げられたものの、その対象は年収4千万円超で、実際に適用されるのはほんのわずか(0.2%?)に限られている。
最高税率が引き下げられているのに比して、復興税と称して所得税本税の10%が一律加算され、住民税も一律年1000円増税になった。

消費税については、1988年に竹下政権下で導入され、89年から3%で実施。97年から5%に引き上げられ、民主党野田政権下で8%への引き上げが決められて、2014年から8%になった。二度の引き上げに際しては、いずれも事前に「福祉のみに充てる」旨の説明がなされたものの、守られることは無かった。もっとも、仮に守られたとしても、「どこの財布から出すか」という話でしかないので大きな意味は無いのだが。

この他にも、税では無いが、社会保険料は年々高騰しており、例えば国民健康保険の保険料は地域によって異なるものの、この10年で20%以上上がっている。
以上のように、1980年代以降、日本は企業と高所得者を優遇する一方、個人増税を強化、言うなれば「金のあるところから取る」から「広く薄く取る」へとシフトしていった。だが、ここに来て「広く薄く」から「広く厚く」へとシフトしつつある。
現行の社会保障制度を維持する限り、年1兆円前後の自然増が見込まれるが、消費増税2%によって得られる税収増は4兆円程度に過ぎず、保険料アップと絡めても数年分しか保たない計算だ。ところが、高齢化は今後さらに加速し、少子が改善されるメドもない。現行制度を維持する限り、高齢者の年金と医療費だけで国家財政を破綻させそうな勢いにある。
財政的には公的医療保険制度はすでに破綻状態にある。
2010年度の保険支出(政管、組合、国保の合計)が29兆5千億円であるのに対して、保険料収入(同)は17兆6億円に過ぎず、12兆円近い赤字を出している。この赤字は、国庫負担の4兆9千億円と地方自治体などの負担による8兆円で賄っている。この上、保険外の公費医療(結核ほか)がある。現実の公的医療保険制度は、保険料収入全てで70歳以上の医療費を賄うだけの額にしかなっていない。
医療費の肥大化続く

現状において、医療費総額に占める70歳以上が使用する高齢者医療費の割合は45%を超えており、全人口の18%を占める高齢者が医療費の46%を使用しているにもかかわらず、現役層の負担強める保険料アップという選択肢を採った場合、保険制度そのものに対する懐疑が高まる恐れがある。
そして、保険制度は本来自己完結すべきものであり、社会インフラの整備と公共サービスの提供を目途として徴収された税を、社会保険の赤字補填に使うことは本来的には「目的外使用」に当たるため、モラルハザードなのだ。しかも、一度税を投入すると、固定化されてしまい、財政難になった時に「税投入を止めます」と言った途端に保険財政を丸ごと破綻させてしまうリスクを抱えている。この点でも社会保険に対する税の投入は戒められるべきなのだ。
福祉充実と高齢化のジレンマ

法人減税と個人増税のセットは、「法人減税によって市場の経済活動が活性化し、個人収入が増えるから増税OK」という前提に立っている。ところが、国民生活基礎調査を見ると、世帯収入の平均値は、1994年の664万円が最高で、2013年には529万円になっている。中央値で言えば、そこから100万円近く差し引いて考えれば良いだろう。
また、貯蓄ゼロ世帯の割合を見た場合、2000年には12.4%だったものが、2014年には38.9%へと3倍以上に増えている。
さらに言えば、家計環境が厳しい家庭の小中学生に、学用品や給食代などを援助する「就学援助制度」の支給対象者の割合は、2000年には8.8%だったものが、2012年には15.6%へと増えている。この数字は大阪市に限ると28%にも達しており、子どもがいる家庭の4分の1以上が文具を買えず、給食費も満足に払えない状態にあることを示している。このことは、若年層の貧困化が進行しており、担税力が低下すると同時に、社会保障の需要が増大していることを意味する。
他方、GDPを見た場合、名目で1993年の490兆円に対して2013年が480兆円、実質で93年の442兆円に比して13年が527兆円となっている。いずれにしても、成長率の点で中国やドイツ、あるいは米国を大きく下回っている。

要は、「法人減税&個人増税」の組み合わせは、個人の貧困化と経済格差の拡大を助長した一方、市場の発展に対する寄与は十分には認められなかったと言える。もちろん、これは税制だけの話ではないのだが、少なくとも所得や資産の個人間格差を助長したことは確かだろう。それは当然の話で、個人あるいは世帯収入が不十分な状態で増税を課せば、消費が減退する一方、社会保障への依存度が上がるのが自然な流れだからだ。
だが、「法人減税&個人増税」のセットは、欧米においても一般的な流れにあり、法人減税競争が行われている中、日本だけ増税すれば、企業の海外流出を促進する懸念がある。また、社会保障制度の持続性に対する最大の脅威となっている高齢者医療と年金は、高齢有権者層の拡大によって改革不能になっている。
posted by ケン at 12:37| Comment(3) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月15日

日本のGDPから分かること

安倍首相が「新三本の矢」を提唱し、「GDP600兆円の実現」をブチ上げた。だが、その具体的な道筋は示さず、残り日本の「矢」も民主党政権の政策の焼き直しな感じだった。特に「GDP600兆円」については、財界からも「あり得ない数値。政治的メッセージとしか思えない」(小林喜光経済同友会代表幹事)など疑問の声が上がっている。なぜ「あり得ない」のか。

日本の名目GDPは、本2015年こそ500兆円を超すと言われており、2011年の471兆円に比して「成長」しているように見える。安倍政権はこれをもって民主党政権を全否定し、自らの政権の「成果」を誇っている。ところが、ドル換算で見ると2011年の5.9兆ドルから2015年の4.2兆ドル(予測値)へと激減している。
これは、株価と為替に連動していると考えられる。ここ3年ほどの名目GDPの成長は、株価の上昇に伴うものと見て良いが、その株価の上昇は大量の年金基金を株につぎ込むことで成立しており、言うなれば、タコが自分の足を喰って太ったようなイメージだ。逆に、ドル換算での急減は、円安によるものであると同時に、当初考えられたほど輸出産業の成長が実現しなかったことが大きい。
安倍政権としては、円安の実現と、国内労働力のダンピングによって、海外に移転した工場を国内に回帰させることで、国内経済の活性化を図るつもりだったが、現実には工場の国内回帰は実現せず、輸出も増えず、殆どの庶民にとっては、消費物価の高騰と所得減・労働時間増が実現しただけだった。

この名目GDPは、1997年に523兆円の最大値を実現したものの、2002年には500兆円を割り込み、リーマンショック前の2007年に512兆円を実現したものの、09年には471兆円となり、昨14年の487兆円と低迷が続いていた。見方によっては、自民党はリーマンショックや東日本大震災などの「状況が厳しい時だけ」民主党に政権を任せていたと言える。
日本経済が低迷を続けた結果、2009年にはGDPで中国に追い抜かれ、昨14年は中国の10.4兆ドルに対して日本は4.6兆ドルと半分以下になってしまっている。なお、米国のGDPは同年で17.4兆円であり、近い将来中国はアメリカと肩を並べることになる。もちろん、「中国バブルの崩壊」が言われて久しく、中国が経済成長を続けるというのは楽観的に過ぎる話だが、米経済や日本経済が急落するリスクもあるわけで、短期的にマイナスになることはあっても、巨大な消費市場を抱える中国の優位性が大きく揺らぐことはなさそうだ。

それだけに「日本のGDPは10年後には中国の5分の1以下になってしまう」という声が聞かれるのも当然であり、だからこそ安倍政権や右派は「日米同盟強化」を叫んでいる。
米国は、成長著しい中国とアジアの覇権をめぐって正面対決することなどハナから望んでおらず、「アジアからの漸次撤退」を主張する声が強く、内部で議論を戦わせている。これに対して、日本の右派や外務省、一部の防衛官僚は、「日本単独では中国の脅威に抗しきれない」「中国がアメリカを追い越す前に(日米で中国の倍ある今のうちに)、一度南シナ海等で叩いておきたい」という思惑が強く、「アメリカのアジア関与を繋ぎ止めるには、米国の覇権戦争を日本が積極的に支援する必要がある」として、今回の安保法制が実現した。国会で安保法制の審議が難航したのは、こうした本音を言わずに「国際貢献」などの美辞麗句で国民を騙そうとしたことが大きい。

【参考】 同盟のジレンマと非対称性 

もう一つ、一人当たりの名目GDPを見た場合、日本の劣化が凄まじいことになっていることが分かる。2014年の日本のそれは3万6331ドルで、世界187カ国・地域中27位で、イスラエルを下回り、イタリアの一つ上というランキングだ。「円安のせいでしょ」と言われそうだが、2003年に12位になって以降、一桁代に回復することは無く、リーマンショック前の2007年でも23位だった。つまり、円安の影響は大きくないと見て良い。
さらに労働時間と比較した場合、イタリアの年間労働時間は約1350時間であるのに対して、日本の名目上の労働時間は約1750時間。ただしこれはサービス残業が含まれない数値であり、現実の数値は2000時間に上ると考えられる(一説では2300時間)。このことは、日本人はイタリア人の1.5倍も働きながら、イタリア人と同レベルの収入しか得ていないことを暗示している。別の見方をすれば、一カ月のバカンスを取るイタリア人と、2日と連続した有給休暇を取ることも出来ない日本人が、同じ収入なのだ。むしろ「日本に生まれたことが不幸」と言えるレベルだろう。

ところが、日本政府・安倍政権の施策は、日本人の労働時間をさらに増やして、かつ給与を減らそうというものになっている(労基法改悪・残業代ゼロ法案)。しかも同時に「産めよ増やせよ」と言うのだから、あり得ないにも程があろう。
一日の大半を会社で過ごし、夜12時に帰宅して朝6時には家を出て、休日出勤当たり前で有給休暇も取れず、それでも子どもの教育費すら事欠くという生活環境にあって、誰が子どもをつくるのだろうか。
非現実的な要求をするくらいなら、ロボット技術やクローン技術を国家レベルで推進する方がよほど現実的であろう。安倍政権の施策を見ていると、「人間いらないじゃん!」と思えてくるが、「自民党に奉仕する人間以外は不要」ということなのだろう。日本そのものがブラック化している証左だが、それで日本が「復活」するということは無いだろう。
posted by ケン at 12:41| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする