2016年06月03日

消費増税を延期するコストについて

【<消費増税再延期>財政再建、目標困難 厳しい歳出削減必至】
 安倍政権は消費税増税の再延期を決める一方で、2020年度に基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)を黒字化するという現在の財政健全化目標は維持する方針だ。20年度の収支には増税分の税収が上積みされることを見込んでいるためだが、実際には年間の税収増加分の一部は20年度に反映されないこともあり、ただでさえ厳しいとみられていた目標の達成はより困難になったとの見方が強まっている。
 財政健全化の指標であるPBの赤字額は15年度で16.6兆円に上るが、政府は消費税増税などによる黒字化を目指してきた。安倍政権が19年10月を延期後の再増税実施時期に選んだのは、20年度には1年を通じて増税効果が得られるようにして目標達成を狙ったとみられる。しかし、消費税は消費者が支払った分を企業がいったん預かってから国に納付するため、増税時期と、実際に税収に反映される時期にズレが生じる。企業によって納付時期も回数も異なるため、20年度の税収には増税分がすべては反映されず、満額より数千億円目減りするとみられる。
 また、14年4月に消費税率を5%から8%に引き上げて以降、個人消費の低迷が続いている。次回の増税までに個人消費が上向く環境を整えられなければ、再増税で消費がさらに冷え込み、思うように税収が伸びない可能性もある。ただでさえ政府の財政健全化目標の達成はハードルが高かった。内閣府の試算では17年4月に増税したうえで、国内総生産(GDP)の成長率が名目で3%以上、実質で2%以上だったとしても、20年度に6・5兆円の赤字が残る計算だ。麻生太郎財務相は31日の閣議後の記者会見で、20年度のPB黒字化目標について「最大限努力していく姿勢に変わりはない」と表明。財政の信認を維持するために目標達成を目指す意向を示したが、再延期で健全化の道筋がさらに不透明になったことは間違いない。
 政府は、消費税増税分の税収を年金や介護など社会保障政策に充てる予定としているが、今回の延期でそれらの政策に充てる財源の確保も課題となる。介護や子育て支援などを盛り込んだ「1億総活躍プラン」など安倍政権が掲げる重要政策の実施についても、財源問題が重くのしかかりそうだ。
(5月31日、毎日新聞)

現状、歳出が税収の2倍近くになっていて、基礎的財政収支でも16兆円以上も赤字という中で、増税を先送りするということは、現役層の苦痛を逃れるために将来の安寧を抵当に入れてしまうことを意味する。
今回の増税を2年半延長すると、10兆円以上の財政赤字になるが、安倍政権は、赤字国債を発行しない方針。だが、自民党権力の源泉である公共事業と軍事は削減できないため、社会保障や教育を切り詰めるほかない。

政権側は「国民の7割が増税延期を支持」と正当化するが、増税を喜ぶ者は誰もおらず、延期することで起こりうるマイナス面を説明せずに、「国民の支持」を掲げるのは衆愚政治でしかない。言うなれば、借金のデメリットを説明せずに、学生に「奨学金」を貸し付ける大学と同じだ。
増税先送りを喜ぶ代償が、国債暴落のリスクと緊縮財政であることは、マスゴミは指摘しない。この点、増税先送りを支持する我が社も同罪だろう。日本の国債評価は、消費増税を前提にギリギリの水準が維持されてきたが、今回の延期で一気に格付けが下げられると見るべきだ。その国債は今や日銀が大量に抱え込んでおり、「死なばもろとも」状態になっている。
さらに安倍政権は、秋の臨時国会で大型補正予算を組んで財政出動する方針を示しているが、同時に物価が下落しないように日銀がさらに国債を「大人買い」すると見られ、国債暴落のリスクはますます高まってゆくだろう。

ソ連学徒としては、市場経済化が必須であることを知りながら、パン一つ値上げできず、自由価格率わずか5%で政権を崩壊させてしまったゴルバチョフが思い出される。
ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。大御所が指摘するところの「社会主義離れ」とは裏腹に、現実は全く「社会主義離れ」ができなかったのだ。
(【事前ノート】ペレストロイカを再検証する

ペレストロイカ末期のソ連を見た場合、計画経済から市場経済に移行する中で、原油価格の低下もあって歳入が低下し続けた一方、歳出の中で大きな割合を占める食糧価格調整金、国営企業補助金、軍事費の削減は急務の状況にあった。にもかかわらず、ゴルバチョフ政権は国内世論(支持)に拘泥して、パン一つ値上げすることもできず、財政破綻を招いて政府機能を停止させてしまった。改革を強行するために強権を発動しようと、右派と手を組もうとしたところ、逆にクーデターを起こされたというのが、1991年8月19日の真相だった。ゴルバチョフの失敗は、「宿題」を先送りにすると、手痛いしっぺ返しをくらうことを示している。

だが、社会主義経済の体制転換は全て失敗したわけではなく、例えばハンガリーの場合、1990年時点で、自由価格率は80%を達成しており、企業民営化も「遅い」との非難を浴びつつも20%に達していた。そのため、ハンガリーでは、他の東欧諸国で見られた大行列の類いは殆ど起きること無く、市場経済と民主化を達成している。
また、中国では農産物の自由価格・流通を先行させて、90年時点で農産物のほぼ全てが自由化されていたため、やはり行列の類いは発生していない。

ゴルバチョフ政権は歳入不足を西側からの融資で賄ったが、その数少ないチャンスを消費財ではなく、生産財の増産投資につぎ込んでしまい、結果的にそれらは経済に全く寄与せず、無駄にしてしまった。
今回の日本も同じ過ちを犯そうとしている。歳入不足を日銀に国債を買わせることで補い、その資金を大型の公共事業に投じるわけだが、現行のインフラを維持することすら難しくなっている中で、さらに固定維持費を増やすだけで、まず経済に貢献することはないだろう。

安倍政権になって、年金基金の株式運用比率が2倍に増え、今では約5割が株に投じられた結果、上場株の約8%が「国家保有」となってしまっている。このことも、誰も指摘しないが、ケン先生的には「国有化が進んでいる!」とニヤニヤしながら見ている。
にもかかわらず、「リーマンショック並みの危機が近い」ということは、株も年金も同時に失われてしまう恐れがあることを、自ら暴露してしまっている。しかし、政府の従属下にあるマスゴミは全く報じない。当然ながら、株式運用比率を上げた責任は誰も追及しない。
民間株を国家が保有するということは、国家が株主となって会社に対して影響力を行使できることを意味するが、現実に年金機構が株主としての責任を果たすとは考えられず、「経営の自律性を疑わない、経営側に都合の良い株主」になってしまう恐れが強い。これは、ソ連型社会主義下における国営企業と同様、放漫経営を放置する温床になることを意味するが、この点も誰も指摘していない。

増税先送りは、私のように子どもがおらず、健康も優良なものにとっては有り難い限りだが、そのツケは巨大な財政赤字と国債暴落のリスクとなり、さらに社会保障と教育予算の大幅カットとなって遠くない将来、現れるだろう。敗戦直後の日本やソ連末期を他人事のように考えている老人どもは、子や孫の世代から永遠に恨まれてバカ扱いされるに違いない。

もちろん、ケン先生は、先祖の例にならって、自分の資産をゴールドに換えて防衛するのだが。何より権力者たちが率先してタックス・ヘイブンを利用していること自体、彼らが現状維持すら困難であるという認識を持って、逃亡準備していることを示している。少なくともスターリンは、最終的にモスクワから退避しなかったのだから。

【参考】
預金封鎖は他人事じゃありません 
日本人と財産権 
posted by ケン at 12:39| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

焼け石に水の保育士給与増

【<保育士>月給2%増、総活躍プラン明記へ…政府・与党】
政府・与党は、保育士の給与について月額2%の引き上げを盛り込む方針を固めた。5月中にまとめる「ニッポン1億総活躍プラン」に盛り込む方向だ。さらに、給与水準を他産業並みに引き上げることを念頭に、「競合する職種との賃金差をなくす」と明記する。保育士の給与を改善することによって保育士不足の解消を図るのが狙いだ。保育士の平均給与は約22万円で、全産業平均の約33万円より約10万円低く、特に物価の高い都市部では、低賃金を理由に保育士を離職する人が多い。一方、保育士資格を持ちながら離職している人は約70万人に上るとみられる。政府は2017年度末までに、保育施設を50万人分増やす目標を掲げており、保育士は約9万人不足するとされる。給与改善策により保育士が離職するのを防ぎ、資格のある人には保育職場に出ることを促したい考えだ。政府・与党は月給を2%(4000〜5000円)上げるために約400億円の財源を確保する方向で調整している。ただ、消費税率10%引き上げが見送られた場合は再検討する。
(4月16日、毎日新聞)

保育士の給与が22万円から5千円増えたところで、「5千円増えたから、また保育士やろうかな」と思う者がどれだけいるだろうか、という話である。この給与であれば、派遣社員をしている方が労働環境的にはるかに楽であり、むしろ全体的な人手不足の中で派遣単価が上がっているだけに、「派遣の方がずっと良い」という状態になっている。

保育士の資格取得者が70万人も同職に就いていないのは、「給与の低さ」の他に労働環境の劣悪さがある。特に近年、早朝保育や延長保育が普及しており、早番だと朝5時出勤や6時出勤で15時まで、遅番だと10時から20時、11時から21時という勤務体系になっている。しかも、恒常的な人手不足から定時では退社できないケースも多く、かつ残業してもサービス残業にされてしまうことが非常に多いといわれる。この辺は、十分に実態調査されていないため、そのブラック性が殆ど知られていないことも、資格者の離職を促進している。「都合の悪いことは調査しない」というのは、東西を問わず権力に共通するものだが、日本ではその傾向が著しい。

要は保育時間を「9時〜5時」で限定して、勤務時間の安定を図れば、たとえ給与を22万円に据えたとしても、保育士の安定確保は可能だろうと考えられる。
逆に早朝保育を実施するなら、「早朝労働」の市場価格に対応した保育料を設定して、保育士の給与に反映させる必要がある。だが、現実には保育料は実質的に公定価格であるため、早朝や延長保育の価格は相場よりも著しく低く抑えられているため、結果的に保育士の給与にも反映されず、そこを公費負担で補おうとするため、税金で400億円補填するという話になっている。

この問題を解決するには、二つの選択肢がある。一つは、6〜9時と17時以降の時間外保育の保育料を5割増しとか10割増しにするというもの。これによって、時間外保育の利用者そのものが減り、保育士の時間外勤務を減らせると同時に、給与増の原資ができる。もう一つは、時間外保育そのものを大きく規制し、同時に子育て中の勤労者に法律で「保育時間」を保障、キャリア上の不利とならぬようにすることである。
そもそも長時間保育を余儀なくされている、日本の労働環境そのものが著しくブラックである上、小さい子どもを長時間、閉鎖空間で複数の他者と同室させることも、情操教育上大いに問題がある。

焼け石に水の改革はむしろ害悪でしか無い。
posted by ケン at 12:20| Comment(3) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

またバラマキきゃ?!

【若年低所得層に「商品券」 補正予算案、消費刺激 政府方針】
 政府は23日、景気刺激のため編成する平成28年度補正予算案の目玉として、若年層の低所得者対策を盛り込む方針を固めた。生活必需品などの購入に充てられる商品券の配布を検討する。1月に成立した27年度補正予算は高齢者への臨時給付金が柱だったが、若年層の消費の落ち込みが目立つため、ピンポイントでテコ入れを図りたい考えだ。
 これまでの低所得者対策は「賃金引き上げの恩恵が及びにくい」(菅義偉官房長官)などを理由に高齢者向けが主だった。しかし、1月の家計調査(2人以上世帯)では、34歳以下の若年層の消費支出が前年同月比11・7%減と大幅なマイナスで、全世帯平均の3・1%減と比べても落ち込みが目立った。
 政府は低迷する個人消費の底上げを図るためには、若年層の消費刺激策が欠かせないと判断。貯蓄に回る可能性が指摘される給付金ではなく、商品券の配布を検討している。低所得者の対象や事業規模などの細部は4月から詰める。
 内閣府の調査によると、21年度に配られた定額給付金は、高齢者世帯よりも子育て世帯の方が受給額から消費に回す割合が多く、今回の措置は消費底上げに一定の効果が見込めそうだ。
 低所得の高齢者に1人当たり3万円を配る27年度補正予算の臨時給付金は、与野党から「なぜ高齢者ばかり優遇するのか」などと異論が出ていた。参院選を控え、若年層向けの支援策をアピールする狙いもある。
(3月24日、産経新聞)

また選挙前にバラマキかよ!
自民党は国民を買収することしか考えてないし、霞ヶ関は政策的責任を放棄しているな。カネをバラ巻くだけなら議会も政府も要らないだろう。
特に与党の一角を占めるKM党が、伝統的にバラマキ好きであるだけに、拍車を掛けている格好だ。
政府の役割は、貧困化が進む若年層の生活水準を底上げすることにあるはずだが(国民の生活保障)、安倍政権はその役割を放棄して一時金を渡して済まそうとしている。それは自己の存在意義を否定するものでしかない。
とはいえ、たとえ形式上であれ、日本は議会と民主主義を導入しているだけに、選挙で選ばれた自民党政権の責任は有権者に帰せられる。独裁の責任は独裁者に帰せられるが、民主主義の責任は有権者に帰せられるのだ。
posted by ケン at 11:00| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

批判する前に権限強化を

【<中学生虐待>警察や児相指導むなしく 自殺図り2月死亡】
 相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月末に死亡していたと明らかにした。生徒は虐待が続くため保護を求めていた。児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の承諾なしに強制的に親から引き離す職権での保護を行っていなかった。鳥谷明所長によると、生徒が通う小学校の教師が2013年11月、生徒の額が腫れて顔に傷があるのを不審に思い、市に通報した。児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに逃げ込み「親に暴力をふるわれた」と店員に助けを求め、警察官に保護された。
 児相は両親から事情を聴いた上で虐待事案と認定。虐待をやめるよう両親を指導し、6月から男子生徒と両親を一緒に毎月1〜3回程度、児相に通所させた。だが10月上旬、生徒は親の体調不良を理由に通所しなくなり、児相職員が学校を訪れて生徒と面談していた。生徒は11月中旬、近くの親族宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。昨年6月、児相に入所して暮らしていたが、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
児童相談所は、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。子どもの安全を確保することが目的で、情報収集や保護者への調査がしやすくなる。原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置することが「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。鳥谷所長は「一人の尊い命がこういう形で失われたことについて大変深く、重く受け止めている。職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」と説明している。
 厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」としており、子どもの救出のための積極的な活用を求めている。厚労省虐待防止対策室は「今回の事案については事実関係を相模原児相に確認中」としている。
(3月22日、毎日新聞)

児童相談所は、基本的に都道府県の管轄だが、政令市は希望して厚労省に申請すれば設置が認められるものの、そのハードルは高く、相模原市の場合、ようやく許可が下りて設置した矢先の出来事だっただけに、不幸としか言いようが無い。
この手の事件が起きると、決まって児相や行政機関が非難される。この件でも私の知る自治体議員が「児相を厳しく追及しなければならない」旨を宣言していたが、全く人気稼業というのは度しがたいもので、果たしてこの連中がどこまで児相の実態を知っているのか、甚だ疑問がある。
私の場合、政党機関紙の編集に携わっていた時に、児童相談所の問題について調べたことがあるし、母親が児童福祉の専門家であることから、少なくともその辺の議員よりは実態を知っていると思う。

児童相談員(正確には児童福祉司など)は、「虐待された子どもを保護し、子どもに最適な進路を提示して支援する行政官」と定義されよう。理念としてはその通りで、その仕事に憧れる学生も少なくない。
だが、その実態は非常に危険を伴う仕事で、例えば児童虐待を行う親は、ヤクザやチンピラ、精神不調者、あるいは意思疎通が困難な外国人(それも滞在許可が無かったり)であるケースが多い。少し想像力を働かせれば分かると思うが、ヤクザや精神不安定な者の家に、その子どもを「奪」いに行くわけなのだから、何らかの抵抗があるのは当然なのだ。だからこそ警察官は強制執行権と武装を持っているわけだが、児相にはそれが無い。危ないことをしたくないのは誰も同じだろう。子どもを虐待していると分かっているとしても、ヤクザの家に丸腰で行くのは、とてつもない勇気と義務感が求められるが、個人的な勇気と義務感に頼らざるを得ないというのは、行政システムとして間違っている。
また、ある家庭で虐待が行われていると通報があったとしても、相談員は捜査権が無いため、「行くだけ」になってしまうケースが多いことも保護の難易度を上げている。

厳密には、法改正を経て児相にも一定の執行権が付与されたが、警察のように強いものではない上、強制権を発動させるためには非常に多くの要件が課されている。そのため、強制執行権が発動される前に、「手遅れ」となるようなケースが起こってしまう。現に、記事のケースでも両親が拒否したことで、児相側は強制執行を断念している。
全体的に見れば、日本の児童相談所は、ロクな権限も与えられていない中で、十分以上の効果を上げていると思われるだけに、個別の事件で全体が強く非難されるのは不条理にしか思えない。
また、強制執行(児童保護)などを行う際に、警察官の協力を得ることは、ようやく理解を得つつあるが、それ以外の家庭訪問時にも相談員は大勇を振るわなければならない状態に置かれており、個人的勇気に依存するシステムは改善されてしかるべきだろう。

民法が改正されて、虐待を理由に家裁が親権停止を命じられるようになったのは、わずか5年前のことであり、それも停止期間はわずか2年と短すぎるものだった。それすらも、民主党政権で無ければまず実現不可能だっただろう。日本では、虐待防止よりも親権保全が優先されており、このことも虐待を助長していると言える。
新しい男と付き合うために、わが子を養護施設に入れてしまう母親。かと思えば、「別れたから」と平然と子どもを引き取りに来る。
「医療費がかかる」「ケガ(虐待)がバレる」と受診はおろか、健康診断や予防接種すら拒否する親。
十年も連絡なかったくせに、生活保護や障害年金目当てで、突然子を引き取りに来る父親。しかも、「金はもらえない(増えない)」と分かった途端にまたトンズラしてしまう。

常人には信じられないような話だが、児童相談所では「ごく当たり前」の話であり、同様の案件を児童福祉士が一人で下手すれば何十件と抱えている。
人手不足で手が回らず、故に虐待を十分に察知できず、虐待が発覚すると、今度は「オンブズマン」などから非難されて、精神を壊していく、児童福祉行政の現場がある。
こんな親たちでも、親権は絶対的なものであり、「引き取る」と言われれば、拒否できないのが従来の法制度だった。子どもはもちろんのこと、児童福祉士たちの苦悩や心痛は察するにあまりある。
「親権の停止」に向けた民法改正はずっと以前から叫ばれてきたが、ことごとく拒否してきたのが、自民党を中心とした保守派(民主党の中にもいる)であり、「親子の絆を割くのか」というのが彼らの主張だった。
虐待防止で親権停止へ

自治体における生活保護や児童相談部門は、最も激務な上、児相については身の危険すらも伴うわけで、現実問題として配置された新人職員の多くが一年以内に辞めてしまったり、病気休職したり、あるいは異動願いを出すという。いわば、自治体業務の中でも有数の「ブラック部門」であり、その認識を持たずに批判するのは控えるべきだろう。
posted by ケン at 13:16| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

待機児童で責めるのは得策じゃ無いかと

民主党の山尾議員が待機児童問題で安倍首相を責めたことが一部ネットで話題になっている。だが、これも非常にブーメラン性が高い難題であり、単年度で「待機児童が増えた」と言って騒ぐのは得策とは思えない。「野党だからいいんじゃないか」とは言えるかもしれないし、山尾氏的には「総理を嵌めてやった!」と小躍りしているかもしれないが、「やぶ蛇」の喩えもあり、攻撃箇所や戦術はもっと慎重に選ぶべきだ。
待機児童問題については門外漢ではあるが、身内に関係者がいるため、それなりの知識があり、記事にしているので参照してもらいたい。

「待機児童ゼロ」という無謀 
保育所は何故足りないのか? 

減少傾向にあった待機児童がここに来て増加傾向に転じた理由については判然としていない。が、都市部で整備されてきた保育所の新設が頭打ちになりつつあることや、一方で保育所需要の増加傾向に歯止めが掛かっていないことが推測される。需要増については、地方で若年女性が急激に減少する一方で、都市部では従来の専業主婦層が働きに出ることで需要と供給のミスマッチが生じている。その都市部でも、駅前などの一部の保育所に需要が集中する一方で、やや不便な地域にある保育所は定数割れするような有様になっている。

待機児童問題について、行政は政治側の過剰な要求を満たすために保育所の増設を至上命題とするが、予算は限られているため、設置費用を安くしようとすると不便な場所になってしまうが、すると希望者が予測を下回るといった現象が生じている。駅近に保育所を設置するとなると、ビルの一室のような、子どもにとって非常に望ましくない環境になってしまうが、現状では「子どもの環境」よりも「大人の要望」が圧倒的に重視されており、「預けられるならどこでもいい」という傾向が強い。
特に男性は一度見ておいた方が良いが、駅近のビルの一室にある保育所の環境は酷いものが多く、「この狭い一室に無数の他人と朝から晩までいなければならないのか」と子どもに同情を禁じ得ない。
保育所も建てれば建てるほど自治体の赤字が増える構造になっている。
建設費を除く運営費だけ見ても、公営保育所で児童一人当たり年間150万円円程度のコストが掛かるが(地域や年齢による違いが大きい)、利用者が実際に支払う保育料は平均で30〜50万円に過ぎない。民間保育所でも年間100万円程度はかかる。ゼロ歳児保育になると2〜3倍のコストが必要となる。
さらに都市部になると地代や人件費の高さから、平均をはるかに上回るコストが掛かる一方、人口は地方からだけではなく郊外からも都市部への流入が続いているため増加傾向にあり、どうしても供給が需要に追い付かない。運営費は国から補助が出るが、初期費用については補助がないため、地代が高く優良物件が少ない上、「迷惑施設」と敬遠されがちな保育所の新設は非常に高コストとなり、自治体に二の足を踏ませている。
これ以外にも自治体ごとに無認可保育所に対する支援や独自の負担軽減策がなされており、要は保育所が増設され、利用者が増えるほど自治体の財政負担が重くなってゆく。
保育所は何故足りないのか?) 

学校や保育所は地域への依存が高いため、その地域の人口構成や年齢層が変化すると、需要も変化する。例えば、ある地域に大型団地が建設され、多くの若年層が入居、それに応じて学校や保育所をつくったところで、15年や20年もすると、需要が急激に減ってしまう恐れがある。だが、需要が減ったからといって、学校や保育所は民間企業のように簡単には店をたためないため、定員割れした施設が増えて行くことになり、自治体の財政を圧迫するのだ。

この問題は根が深い。従来の入所ルールである「正規職員優先」がまだまだ幅を利かせているため、夫婦で1千万円以上稼ぐ親が公立の保育所に子どもを預ける一方、年収200万円台の非正規職の一人親が子どもを高い認可保育所に預けざるを得ないみたいな話がまだまだ横行している。正規・非正規の待遇差別はここでも如実に表れている上、非正規は女性に圧倒的に多く、その割合も増加の一途を辿っている。こうした「保育格差」も是正される必要がある。

より大きな話をすれば、これは「中間層の没落」の結果とも言える。従来なら専業主婦がいたであろうホワイトカラーの中間層が非常に薄くなり、働きに出ざるを得なくなっているためだ。また、「男女共同参画」やら「一億総活躍」などと言いながら、現実には女性被雇用者の6割弱が非正規で、その割合は男性の3倍弱にも達し、女性非正規職の半数は貧困ライン以下にあるという。これは、「女性の貧困」と「男女不平等社会」の表れなのだ。
仮に日本で、均等待遇や時短労働が実現していれば、多少不便でも子どもを環境の良い保育所に預けることもできるだろう。あるいは、税収が上がれば、駅近で良い条件の保育所が建てられるかもしれない。だが、日本の労働政策は「人をできるだけ安く、そしてできるだけ長く働かせる」ことに主眼が置かれているため、子育て環境も一向に改善されない。結果、保育を増設したは良いものの、保育士が不足しているため定員を増やせず、定員を増やすために「資格無し」あるいは「準資格」でも働けるようにしようという「陰謀」がめぐらされるという悪循環に陥っている。

確かに問題になっているのは待機児童なのだが、現実には女性あるいは男性の労働環境が大幅に改善されない限り、根本的には何も解決しないのである。その意味で、「自民政権には待機児童問題は解決できない」という視点からの「決め打ち」はブーメランとなって跳ね返ってくる恐れが強いと言える。
質問した本人は「アベを嵌めてやった」と思っているかもしれないが、安倍氏からすれば「ハメ手じゃねぇか!」と怒るのは当然だろう(総理の器としてはビミョーだが)。やはり国会質問は一定の品位を持って行うべきだ。NK党のように正面から貧困と経済格差、再分配の面から責めるのが「正統派」なのである。
posted by ケン at 13:14| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

秘密保護法で決算不要に?

【<特定秘密>「検査院に提出」通達…施行後1年出さず】
 特定秘密保護法に基づき秘密指定された書類について内閣官房が、会計検査院から要請があれば提供するよう求める通達を関係機関に出していたことが分かった。検査院は法案閣議決定前の2013年9月、秘密指定書類が会計検査に提出されなくなる恐れがあるとして「すべてを検査するとした憲法90条の規定上、問題」と法案の修正を要望した。内閣官房は応じず、代わりに「遅滞なく」通達を出すことを約束していたが、14年12月の法施行後1年以上出していなかった。
 内閣官房によると、通達は昨年12月25日付で「秘密事項について検査院から提供を求められた際には、提供していると承知しているが、法の施行によりこの取り扱いに何らの変更を加えるものではない」としている。防衛省、外務省など特定秘密の指定権限を持つ20の行政機関に出した上で、今月8日に検査院に内容を説明した。
 13年10月に内閣官房と検査院が合意した通達案では「検査院が特定秘密を利用するときには、『(秘密保護法が秘密提供をしなくてよい場合とする)我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ』はないと解される」と明示していた。しかし、この部分は今回の通達に盛り込まれなかった。
 内閣官房は「明示的には盛り込まなかったが、これまでの取り扱いと変更はないとしており、趣旨は含まれる。そもそも秘密保護法は憲法上問題があるとは認識していない」と説明。通達の遅れについては「実際の運用を見つつ、適切な時期に出そうと考えていた」とコメントした。
 会計検査院法規課は「法令協議の過程で、検査院が内閣官房に伝えていた内容が反映されており、検査に必要があるとして要求した場合には、各省庁から特定秘密が適切に提供されると考えている」とコメントした。
(1月12日、毎日新聞)

2年前に秘密保護法が審議された際、私も記事にあるような懸念を覚えて会計検査院の担当者を呼んでレクを受けたが、「内閣官房と調整して、秘密指定に関わる事項でも会計検査院に適切に情報提供されるようになっているので、懸念されるようなことにはならない」旨の回答があった。当時は他にも質問すべき事項が山積みされていたため、この点からの質問は見送ってしまったが、今から思えば、やらない手はなかったかもしれない。

戦前の軍部には「臨時軍事費特別会計」という魔法の財布があって、一般会計とは別に組まれ、概要のみが提示されて一括審議され、しかも会計法の適用外として予算の流用や前払い、概算払いなど軍の自由裁量が認められ、帝国議会はおろか、大蔵省や会計検査院のチェックすら働かないシステムになっていた。
秘密保護法を除外しても、現状で復興特別会計はかなりザルとなっていて、議会や検査院のチェックが十分に及んでおらず、闇の中になっている。新国立競技場建設をめぐる会計も恐ろしく杜撰だったことは記憶に新しい。そこに秘密保護法によって、防衛費や外交費の多くが検査対象外となれば、もはや「行政府の予算執行が適切かどうかをチェックする」という議会の存在意義が失われてしまう。

象徴的な例を挙げれば、2003年から09年にかけて米軍の後方支援として(表向きは復興支援)自衛隊をイラクに派遣するために要した費用は直接費用だけで1200億円以上に上るとされているが、イラク戦争の開戦経緯と戦争支持決定を検証した政府(外務省)の報告書はわずかA4で4枚(うち表紙一枚)という形でしか公表されなかった。要は、直接費用で1200億円をかけ、陸海空で1000人以上の規模でなされた海外派兵を行った根拠について、政府は主権者・納税者たる国民に対して説明・開示を拒否したのである。これでは、勝手に徴税して勝手に軍を動かして戦争を始めてしまう17、18世紀の英王室と同レベルであり、日本の国会は当時の英議会よりもレベルが低いことを意味する。
イギリスの清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を高ピーに要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。

また、フレンチ・インディアン戦争で財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地からの砂糖に(のみ)課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発してしまった。
その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートした。

政府の戦争遂行に対して、主権者あるいは納税者の立場から監視と統制を行い、正当な支出であるかどうかを検証するのが本来の議会の役割であり、その権限を強化してきたのが議会史の根幹だった。外交と戦争の情報が秘匿されるというのは、デモクラシーと議会制度の明らかなる逆行であり、行政府の暴走を許すことにしかならない。
集団的自衛権と秘密保護法

しかも、日本の場合、情報公開法と公文書管理法が不十分であるため、秘密指定された情報や資料が永遠に指定解除されなかったり、あるいは指定解除される前に廃棄処分されたところで、これを止める術もなければ担当者を罰することもできないため、実質的に「廃棄し放題」となっている。結果、予算執行が適切だったか、予算付け自体適切だったのかなどの政策評価や歴史検証ができなくなっており、誤りを正すことを不可能にしている。
軍事費のチェックが効かなくなった戦前の日本がどのような末路を迎えたか、改めて思い返すべきである。
posted by ケン at 13:11| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

高額療養費制度など見直しへ

【高額療養費制度など見直しへ 歳出抑制案】
 政府の経済財政諮問会議の下に設置された有識者会議は、財政再建に向けて歳出を抑制するための実行計画の案を取りまとめ、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を、来年末までに見直すことを盛り込みました。
政府は、2020年度までに基礎的財政収支を黒字化する目標の達成に向けて経済財政諮問会議の下に有識者会議を設置して、今後5年間の歳出を抑制するための実行計画の検討を進めていて、このほど有識者会議がその案を取りまとめました。それによりますと、最も歳出規模が大きい社会保障費を巡って、医療費の自己負担に上限を設けている高額療養費制度を来年末までに、現在、自己負担が原則1割になっている75歳以上の高齢者の医療費の窓口負担を3年後までに、それぞれ見直すことを目標に掲げています。
また、医療費の削減に向けて自治体や企業の健康保険組合などに働きかけ、2020年までに、40歳以上の人の健康診断の受診率を80%以上とし、メタボリックシンドロームの人口を2008年度と比較して25%減らすなどしています。有識者会議では、この計画案を7日の経済財政諮問会議に示し年内に決定したいとしていますが、社会保障費の国民負担の増加につながるだけに、政府・与党内で今後議論となることも予想されます。
(12月7日、NHK)

またぞろ旧式左翼が「医療の切り捨て」などと騒いでいるが、対案も示さずに無責任に騒いでいるからこそずっと「サヨク」でしかないことに、いい加減気づくべきだ。医療費については、過去に十分説明しているので、再掲を中心に進めたい。
財政的には公的医療保険制度はすでに破綻状態にある。
2010年度の保険支出(政管、組合、国保の合計)が29兆5千億円であるのに対して、保険料収入(同)は17兆6億円に過ぎず、12兆円近い赤字を出している。この赤字は、国庫負担の4兆9千億円と地方自治体などの負担による8兆円で賄っている。この上、保険外の公費医療(結核ほか)がある。現実の公的医療保険制度は、保険料収入全てで70歳以上の医療費を賄うだけの額にしかなっていない。

国庫負担は1970年度の4千億円に始まり、80年には2兆7千億円、95年には4兆を越し、今や5兆円に達しようとしている。これ以外に公的年金の国庫負担が10兆円を越しており、医療と年金の国庫負担だけで税収の3分の1以上になってしまい、一般歳出を圧迫している。健全な財政を保っていれば、他の公的サービスの提供に深刻な影響が出ているはずだが、税収を上回る国債を発行することで毎年凌いでいるだけなのだ。
公債は将来世代に対する負債であり、建設国債のような「投資」であるならば回収できる可能性もあるが、赤字国債は少子化に伴う生産と消費の低下に際しては額面以上に重くのしかかってくる恐れが強い。
実際、非正規雇用や不安定雇用の増加に伴い、若年世代の給与所得は低迷しており、保険料収入も横ばい状態だ。例えば、2000年度の保険料収入が15.8兆円に対して10年度は17.5兆円で増加分は1.7兆円に止まる。一方支出は23兆円から29兆円と6兆円も増加しており、その差は今後さらに拡大してゆくと見られる。
保険料の高騰を抑えるために税金を投入すると国債発行額が増え、保険料を上げると納付率が低下して収入が伸び悩むほか無保険者が増えるという悪循環が固定化している。2025年度には年金を含む社会保障給付額は150兆円に迫ると試算されており、このうち60兆円が税金等になる見込みだが、現在40兆円足らずの税収が12年後に1.5倍になるというシナリオは非現実的であり、足りない分は国債を増刷する他ないだろう。こうして国債発行が際限なく拡大してゆく。
医療費の肥大化続く

私が冒頭に掲げた記事を「無責任」としたのは、医療費が「保険料」「窓口負担」「税金」でしか成り立っておらず、要は「誰がどこで負担するか」という話であるにもかかわらず、ことさらに「国民負担の増加」を強調するからだ。自分(国民)たちが使う医療を自分が払うのは当然であり、国家が打ち出の小づちをもって治療してくれるわけではない。利用者負担を減らす、ないしは現状維持を貫く場合、医療従事者の報酬を減らすか医療を必要としない健康者の負担を増やすほかなく、医療従事者の報酬を減らせば提供される医療の水準が下がるだけの話である。保険制度や医療制度の全体像や将来像を考えないで、一方的に現在の利用者目線に立つ姿勢はコミュニストどものそれと全く変わらない。
(「安心できる社会保障」はリアルか?)

高額療養費制度も同じである。少子高齢化と医療の高度化に伴って、高額療養費制度の利用者と費用も高騰する一途にある。少しデータが古いのだが、2001年から2010年までの10年間で高額療養費の給付は8312億円から1兆9789億円へと2倍以上に増えており、利用者は3倍に達して、なお増え続けている。自己負担額(現役収入)については、20年前に6万3600円だったものが、今では「8万100円+医療費の1%」になっているとはいえ、この程度の上昇で済んでいた方が奇跡的だろう。
そして、今回の見直し案は、低中所得層の自己負担をできるだけ据え置きつつ、高所得層の負担を増やすというものであり、保険や医療財政の内実を知るものからすれば「焼け石に水」でしかない。むしろこの程度で同制度が存続するのであれば、利用者としては感謝すべきだろう。

保険や医療財政の成り立ちを知れば、無責任な言動は控えられるはずだ。例えば、超単純計算で1千万円かかる高額医療を使ったとして、自己負担は20万円で済んだとしても、残りの980万円は健康保険と税金で賄われているのである。現に私の知人には、一億円近く掛かった子どもの治療費が国と都の制度により自己負担ゼロとなったものがいる。
より具体的な数字を挙げるなら、75歳以上の高齢者が使う医療費88万円のうち、自分で払っているのは16万円ほどで、40万円は税金の補填、32万円は現役層の保険料からの転用によって賄われているのだ。その高齢者はさらに増える一方なのだから、そんな制度が「長く」どころか「短く」すら続かないことはもはや明らかだろう。
皆が医療を使えば使うほど、現役層の保険料負担や納税負担が上がるだけの話であり、「手術代が安く済んだラッキー」というのは無自覚にも程がある。高額医療と高齢者医療に対する制度・保険適用に一定の歯止めをかけない限り、近い将来破断界が来るのは間違いない。

保険財政が既に破綻しているにもかかわらず、「選挙で落ちるから」それを指摘できない点にこそ、デモクラシーの最大の弱点があることも確かである。
posted by ケン at 12:40| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする