2015年02月04日

改めて軽減税率に反対する理由

国会が始まったせいか、またぞろ軽減税率を求めるメールやら陳情が増えている。新聞社などはKM党の支援を得て軽減税率の導入が既定路線となり、すっかり勝った気でいる。政府税調の有識者会議では、低所得者対策として「軽減税率」と「給付付き税額控除」を検討し、圧倒的多数が後者を支持したにもかかわらず、軽減税率が選択されている。メディアとポピュリズムの勝利、あるいは知性の敗北なのだろうか。
私は古い稿で軽減税率の問題点を指摘していたが、ブログを引っ越した際に消失してしまったようなので、改めて整理しておきたい。

軽減税率を求める層の多くは、消費税の逆進性を指摘して低所得者対策として「EU諸国では当たり前」などと考えているようだが、まずこの点で大きな誤解がある。消費税に逆進性があるからこそ、軽減税率を導入した場合に得られる利益は富裕層の方が大きく、低所得層に還元されるのはわずかになってしまうからだ。具体的に考えてみよう。
税率10%、軽減税率5%と仮定した場合、2万円の牛肉で軽減される額は1千円になるが、500円の鶏肉で軽減されるのは25円でしかない。絶対額で得られる部分が富裕層に大きいのだ。
これを避けるためには、高級牛肉には通常税率を、庶民的鶏肉には軽減税率を適用しなければならないが、その境界線を決めるのは難しい。100グラム千円の牛肉でも10グラム毎にバラ売りした場合、どうするのか。
実際に欧米のケースを見た場合、国産トリュフは軽減だが輸入キャビアは通常税率が適用されるフランス、店内でピザを食べれば軽減だがテイクアウトすると通常税率が適用されるドイツ、ドーナツ6個以上は軽減だが5個以下だと通常税率が適用されるカナダなど、合理的説明がつかないナゾの境界線が続出している。
そのため、軽減税率の適用をめぐって壮烈な陳情合戦・政治戦が繰り広げられることになる。その最たるものが新聞で、今となっては完全に官邸のプロパガンダ機関に成り下がっている。今後は「官邸詣で」や「自民党参り」が急増するだろうが、結局のところ資金力や集票力による政権党に対する貢献度が検討されて優先的に軽減税率を適用されるだけの話になるだろう。また、一度決まった軽減税率は深い利害関係が絡むため、容易に変更できないという問題もある。

では、低所得者対策として軽減税率はどう作用するのか。先に結論を言えば、上記の例からも分かるとおり、軽減税率で得られる低所得者層の恩恵は小さく、軽減せずに通常税率を取って改めて低所得者に給付する方がはるかに本来の目的に合致するだろう。
政府の試算によれば、消費税を8%から10%に上げた時の増収分は5.6兆円とされるが(個人的には多いように思われる)、食料品全体を8%に据え置いた場合、増収分は4.6兆円に止まるという。この場合、軽減税率の効果は1兆円ということになる。
これをミクロで見た場合、単純計算だが、世帯年収300万円でエンゲル係数を35%として、その食費は年間105万円、軽減税率2%として2万1千円が恩恵分ということになる。他方、年収1千万円、エンゲル係数25%の家庭だと、食費は年間250万円で5万円が軽減税率の恩恵となる。普通に考えれば、格差が拡大する方向に働くだろう。
さて、現在の日本の貧困率は16%で約953万世帯が貧困と見なされているが、単純に1千万世帯と考えて軽減税率2%分の1兆円を直接給付した場合、1世帯あたり10万円の給付が可能になる計算となる。もちろん現実には、様々な行政コストや貧困線上の層の調整などの問題があるものの、少なくとも軽減税率よりははるかに低所得者対策に合目的であることが分かるだろう。

そして第三に事務負担の大きさが挙げられる。すでに家賃、教科書、医療・介護、埋葬関連などが非課税となっているが、これに軽減税率が加わると3つの税率が存在することになる。企業や行政の事務コストが急騰するほか、軽減税率で仕入れた商品を通常税率で仕入れたことにしたり、同税率で販売したりといった脱税が横行する危険性がある。それを回避するためには、インボイス方式を導入する必要があるが、これも企業と税務当局の負担を大きくするものでしかない。ただ、消費税の滞納額は全税の50%を超えており、ここでは説明しないがその背景を考えるとインボイスの導入自体は反対するものではない。
上記の理由を整理すると、

@ 政治性を排除、税の公平性を担保
A 低所得者対策に合目的
B 少ない負担、良効率

の3点から軽減税率ではなく給付型税額控除を導入すべきであるというのが私のスタンスである。「EUに倣って軽減税率を導入すべき」ではなく、EUの失敗と苦悩を学んで軽減税率を回避すべきなのだ。
posted by ケン at 13:08| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

補正予算に見るバラマキ復活

【補正予算案「生活」「地方」に重点 3.1兆円閣議決定】
 政府は九日、臨時閣議を開き、個人消費の喚起や地方活性化などの経済対策に重点を置いた二〇一四年度補正予算案を閣議決定した。歳出総額は三兆千百八十億円で、補正後の一四年度一般会計の予算総額は九十九兆円に膨らむ。政府は補正予算案を今月下旬に召集される通常国会に提出し、早期の成立を目指す。
柱としては、円安による原材料のコスト上昇や消費税増税に苦しむ「生活者・事業者の支援」に約一兆二千億円を投入。アベノミクスの恩恵が行き届いていない「地方の活性化」に約六千億円、自然災害に対応するための「災害復旧・復興加速」に約一兆七千億円を計上した。特別会計を含めた経済対策の総額は三兆五千二百八十九億円となる。具体的には、自治体の裁量で使える交付金に二千五百億円を計上し、地域で使える商品券の発行などを行う。事業者支援では中小企業の資金繰り支援や高速道路の料金割引を盛り込んだ。消費税増税後に大幅に冷え込んだ住宅市場を刺激するため「住宅エコポイント制度」の復活や、長期固定金利の住宅ローン「フラット35S」の金利優遇も実施する。
 補正予算の財源には、所得税や法人税など税収が当初予想よりも増えた分の約一兆七千億円や、昨年度の余剰金約二兆円を充てるなどして、新規国債発行(借金)には頼らない。加えて一四年度当初予算で予定していた国債の発行額も約七千五百億円減額する。
(東京新聞抜粋、1月15日)

民主党政権時に「子ども手当」や「高校無償化」をバラマキと批判してきた自民党だが、自分たちの流儀によるバラマキはOKらしい。特に「地方創生」の1700億円、商品券などの2500億円、それに住宅関連は、4月の統一自治体選挙が目前に控えているだけに、露骨な有権者買収と見て良いだろう。
常識的に考えれば、「地方創生」にしても地域商品券にしても、国が予算を組んだところで各自治体が具体的な案をつくって予算化しなければ実施できないわけで、可能になるのは早くても夏以降になるだろう。であれば、本予算でやれば良い話で、わざわざ優先的にかつ短期間で審議される補正予算でやるべきではない。それだけに、バラマキ政策をぶち上げて有権者の歓心を買いたい自民党の意図が丸見えだ。特に商品券の場合、偽造対策などで余計に時間が掛かる上に、自治体や地元商工会などが独自に行っている既存の商品券などとの整合性の問題もあって、そもそも予算だけ組んでも実施可能なのか微妙だという。
少なくとも従来の商品券や給付金の類いは十分な効果が認められておらず、今回の政策も失敗に終わる可能性が高い。

「地方創生」にしても、既存の政策を検証すること無く、とりあえず予算だけ付けようというのは、砂漠に水をまくだけのような話になりかねない。これも時間をかけて検討する必要がある。同時に、いずれの政策も予算額が少なく、実施したところで「戦力の逐次投入」にしかなりそうにない。

住宅政策は、若年層の収入や雇用環境が悪化していく中で、いつまでマイホーム(持ち家)政策を続けるのは無駄どころか有害であり、検証もせずに従来の政策を辿るだけのものに過ぎない。そもそもマイホーム政策自体が、建設業者、不動産業者、銀行による搾取を行政と立法が合法化するという醜悪なシステムであり、徹底的に批判して低所得者向けの賃貸住宅を充実させる政策に転換する必要がある。詳細は過去記事を参照してもらいたい

持家を購入するには、年収の5〜10倍以上の金額がかかる。
よほどの資産家でない限り、即金で購入することは出来ないため、ローンを組み、政策的に低利の融資が供給されることになる。
日本の場合、単身者は公営住宅に入居できず、長期安定雇用を前提とした賃金体系で若年者の賃金が安いこともあり、会社の安価な寮や社宅に入らない限り、貯蓄は難しく、自然と頭金は小さくなりがちだった。若年の単身者の公営住宅入居が認められたのは、なんと2012年の今年なのである。
一般的には30代で平均して30年間のローンを組んで購入するわけだが、これはつまるところ必ず定年まで働くことを想定していた。
しかも、こうした超長期ローンの場合、低利と言っても実質的な支払総額は、借用額によるが金利だけで1千万円以上になることも珍しくない。
この借金を返済するために、世帯主は長時間の残業を自ら率先して担うと同時に、長期安定雇用の保障を受けるために会社に対して従順であり続けねばならなかった。
「社畜」という言葉の裏には、政府のプロパガンダによって、自ら借金を背負い、その返済のために企業に従順に奉仕し続ける労働者像があるのだ。

この政策によって大きな利益を受けるのは、国民ではなかった。
結局のところ、公的機関による低利融資というのは、税金の補填の上に成り立っている。
そして、ローンの返済中は、持家の真の所有者は銀行であって、購入者ではない。ローンの返済が滞った途端に、所有権は失われるからだ。
故に、持家の購入者は死に物狂いで定年、あるいは死ぬまで(生命保険)働くことを強要される。
会社に対して従順で、異動や遠隔地への単身赴任にも文句を言わない労働者は、持家購入に伴うローンによって縛り付けられた奴隷労働とすら言える。
そして、実際に利益を受けるのは、粗悪な住宅を「市場価格」で提供する建設業者・不動産屋と、税制優遇を受けながら住宅ローンという商品を売りまくった銀行だった。
銀行からすれば、家族の住まいを担保にして、安定雇用の労働者に巨額の超長期ローンを売りつけられるのだから、これ以上に美味しい話はないのである。
そして、利益を受ける業者からは建設官僚や大蔵官僚、あるいは自民党の議員に献金がなされ、また天下りのポストが用意された。

日本の住宅政策は、「土建、不動産、銀行、官僚、議員」による癒着と搾取を象徴するものであり、これを廃絶すること無く「庶民のための政治」など永遠に実現しないであろう。
住宅政策にしてもバラマキ政策にしても、その有効性を検証すること無く、利権と癒着の中でただ続けているだけのものに過ぎない。これを検証して問題を指摘するのは、マスメディアと議会(野党)の役割であるはずだが、本来の機能を果たせないために、国家とデモクラシーの根幹が急速に劣化しつつあると言えよう。
posted by ケン at 13:06| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

消費増税の是非を考える

消費増税先送りの是非を問う解散・総選挙が取りざたされている。財務省的には、増税のお膳立てとして株価を操作して「アベノミクスの成功」を演出するために、影響下にある黒田日銀総裁を使って追加金融緩和を実現した。それも日銀内部ではギリギリの判断だったという。その財務省からすれば、政権を延命させるために増税を先送りし、しかもそれをネタに解散するなど、腸煮えくりかえるような話に違いない。財務省はすでに来年10月からの増税を前提に予算を組んでいるだけに、これから増税無しの予算に組み直さねばならず、その点でも我慢ならないだろう。
もっとも逆の見方をするならば、財務省に従属して公約違反の消費増税を強行した民主党の菅・野田内閣に対して、安倍内閣は「財務省を都合良く利用した」という点で自民党らしい老獪さを見せたとも言える。財務官僚の憎悪が選挙後の新内閣にどのように跳ね返ってくるか見物だ。

私は再分配を肯定する立場から一般論として消費増税を是認する立場を取っているが、菅政権下での消費増税は2009年の選挙公約に反することから反対しており、「増税を強行するなら解散すべきだ」とボスにも進言していた。
過去に触れているが、

税金とは何か 
消費増税をめぐる政治の貧困 

近代議会は、王権=行政による一方的な課税に対して、納税者が歯止めをかけ、課税とその使途についてチェックするために創設された。国家が無軌道に税を徴収できるとなれば、何に使われるか分からないし、無限の権力を許すことになるためだ。
近世において軍の動員は国王の権限だったが、その財源(税徴収)については議会の権限であった。清教徒革命は、アイルランド鎮圧のために新規課税を望んだ国王と、それを拒否した議会との対立から始まった。また、アメリカ独立革命も「代表なくして課税なし」に象徴されるように、植民地居住者に対する根拠のない課税から始まった。
それだけに課税の是非を民意に問うのは議会制度の根幹であり、民意を問わないで増税を強行した民主党こそ議会史を無視した暴挙を行ったのである。その意味で、増税先送りの是非を問う安倍政権は、政権存続が本音だとしても、議会の伝統に適っている。ただ、自民党は民自公の三党合意で消費増税を認めており、しかも「先送り条項」は民主党が懇願して入れた経緯があるだけに、これを自民党が選挙に利用するのは信義には反するかもしれないが、そこは政治闘争の常であろう。
この問題では(他もそうだが)、自民党の老獪さと民主党の幼稚さが際立っている。とはいえ、新規課税するのではなく、「増税を止めること」を一々民意に問う必要があるのかという問題はある。

さて、肝心の消費増税だが、私は「予定通り増税」の立場を採っている。過去ログを引用しながら説明したい。

国家財政から見たデモクラシーの脆弱性について

高齢化が加速する中で社会保障費の拡大が止まらない。2010年度予算の社会保障関係費は27.3兆円(前年度比2.4兆円増)であり、国の一般歳出の51%を占めている。このうち医療保険給付諸費は8.1兆円を計上しており、一般歳出の15%を占めるに至っている。この額は、医療費の自然増と診療報酬の改訂に伴い、前年比で3500億円の増加となっている。これはすでに公的保険のみでは社会保障が維持できなくなり、大規模な財政支出を余儀なくされていることを示している。
基礎年金も同様で、すでに国庫負担割合は2分の1になり、例えば2011年度の場合、基礎年金給付額22兆円に対して国庫負担は10兆円を超えている。この割合は09年に3分の1から2分の1に上げられたが、その差分については現在もなお恒久財源が見つからず、財政投融資などの「埋蔵金」に頼っている始末。しかも、現役世代の減少と共に保険料収入は減り、逆に年金受給者は増える一方で、国庫負担に求められる額は天井知らずとなっている。また、労働人口の減少と景気停滞で税収も停滞しており、国庫負担が重くなればなるほど歳出における行政政策費の枠が小さくなってゆく。13年度予算では、社会保障費は29.1兆円(前年比2.7兆円増)で一般歳出の54%を占めるに至っている。

社会保障費の増大と税収の低迷に対しては、社会保障の給付額を減らすか保険料を上げるか、増税するかでしか対応できず、対応しなければ赤字国債を際限なく発行する他ない。小泉政権の時に社会保障給付の肥大化に一度は足止めを掛けたものの、09年の政権交代で民主党政権が成立し、再び肥大化が進行している。
社会保障費は高齢化と医療の高度化に伴い年間1兆円以上もの自然増が発生していると言われるが、それに対応する消費増税も本当に実施できるのか微妙な情勢になっている。その消費増税にしても、実現したところで税収増と消費減退を考慮すれば、社会保障費自然増分の数年分にしかならないとも言われる。
2015年に高齢化率が25%を超え、同50年には40%に至るが、絶対数で言えば2040年ごろがピークになると考えられ、その頃までは社会保障費が増大すると想定されるが、保険料収入は減少の一途を辿り、税収も今日の水準を維持するのは難しいだろう。

とはいえ、今回の議論は「増税先送り」であって、「増税不履行」ではない。法改正して「景気回復が認められたら」とか「一年半後に自動的」といった条項を盛り込もうという話なのだろうが、問題は景気回復が本当に実現するのか、「一年半後なら大丈夫」なのか、という点だ。
すでに日銀は追加金融緩和とともに国債の大量買い取りを進めている。日銀は財政法によって国債の引き取り(国から直接購入)が禁じられ、市場からの購入に限定されている。これは、市銀や年金基金などが大量に有している国債を日銀が買い上げて、国内外の株式・債権の購入を促すもので、その結果として株価が急騰している。株価が上がると、今度は海外投資に目が向くのが一般的だが、円安によって購入価格が上昇しているため、リスク分散が図れない弱点を露呈している。
一方、日銀が保有する国債はすでに200兆円を超え、2018年までに国債発行高の半分を日銀が有することになるという。これは実質的には、財政法が禁じる「引き受け」と同じだろう。これによって株価を一時的に上昇させることはできようが、それは円の通貨としての信頼性と公的年金や預貯金の運用リスクを引き替えに実現している。

安倍政権や霞ヶ関は長いこと「円安になれば輸出が増えて景気が良くなる」と言い続けてきたが、もともと日本の外需依存度は15%以下しかなく、輸出産業にしても円安による販売価格の引き下げを渋っている様子が見られる。安倍政権は強調しているが、賃上げの範囲が狭いことからも、輸出増による景気回復は限定的に終わりそうだ。
他方、内需や購買力は低下の一途を辿っている。増加し続けている非正規雇用の割合はすでに38%を超えており、派遣法の改悪などでさらに増える可能性が高い。この非正規労働者の平均年収は168万円に過ぎない。つまり、労働者の4割が200万円以下の年間所得しかない有様で、この傾向はさらに助長されようとしている。
本来であれば、均等待遇を実現して非正規雇用の待遇改善を実現するか、再分配機能を充実させて収入格差の是正を図る必要があるのだが、前者はサプライサイドのロビー活動と労働組合の弱さによって否定され、後者は増税反対の世論によって実施不可能になっている。
公的年金が大きなリスクにさらされると同時に、購買力の低い層が増えていくのだから、国民消費が拡大する可能性は非常に低いと考えられる。

円安によって輸出産業の一部は好業績を上げて賃上げしているかもしれないが、圧倒的多数の国民にとっては、これから来るだろう円安による物価高・インフレの悪影響の方が大きいはずだ。従って、一年半であれ三年であれ、増税を先延ばしにしたところで、恐らくは今よりもさらに困難な経済情勢を迎え、またぞろ「増税無理」という話になるだろう、というのが私の見立てである。

【追記】
今日の日米欧で見られる現象として、貧困層が再分配に否定的な右派を支持する傾向が強まっている。従来は「教育水準の低さが感情を刺激するナショナリズムを支持させる」との観点からデモクラシーにとって教育の普及が不可欠であることが訴えられた。ところが、日本では大学進学率が高まるほどポピュリズムとナショナリズムが強まって、インテリ層が排撃されるか、同調するかの二択を迫られる有様になっている。もっとも、増税しない場合は、社会保障を大幅に切り下げるかスーパーインフレを起こす必要があることを言わないのは、政府も議会も為政者として不誠実だとしか言いようが無い。今回「消費増税反対」を掲げる候補者たちは「医療費自己負担1割増、年金支給額1割減」を同時に訴えていただきたい。

【追記2】
消費増税先送りは、アベノミクスが失敗ないしは効果が非常に限定的だったことを政府・政権党が認めることを意味し、実際に先送りや再増税そのものに反対する者たちの大半は「景気が回復していない、悪化している」と言う。にもかかわらず、マスゴミは政府・自民党の経済・財政失政には一切触れず、「国民生活を憂える安倍閣下が増税を先送りしてくださる」というトーンで宣伝している。その陰でマスゴミは「軽減税率の適用」を懇願しており、その癒着ぶりを示しているが、そこには紙の配給を懇願して政府・軍部のために戦争熱を煽った戦前の反省は微塵も感じられない。
posted by ケン at 13:58| Comment(4) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

ムダとは何かを考える

「増税や自己負担を増やす前に歳出のムダをなくせ」という意見は非常に多い。職場に掛かってくる「市民の声」(電話やファクスあるいはメール)でもこの手のものの割合が多い(最近はネトウヨ系も多いが)。
確かに一般論としてはその通りで、2009年に政権交代が起こった遠因は自民党政権による「ムダ遣いの連鎖」と、それを野党として批判し続けた民主党が支持を得たことにある。ところが、その民主党は「ムダ撲滅」を掲げて「事業仕分け」を行ったものの、肝心のチェック対象は財務官僚が上げてきたものでしかなく、最終的に目標の3兆円の半分強(1.7兆円)という結果に終わった上、各所から怨嗟の声が上がり、別に始めた事業で新規の「ムダ」が生じるなど、様々な課題を残してしまった。
私自身は事業仕分けとは無縁のところにいたのだが、あの部署にいた議員や秘書は賛成派と反対派の板挟みにあって本当に大変そうだったのを覚えている。
何が大変かと言えば、「何がムダで、何が必要なのか」を判断することの難しさ、例えば客観的に判断することが常に正しいとは言えない、あるいは長期的に必要なものは短期的にはムダになりやすいといったことが挙げられる。

例えば2012年の生活保護不正受給額は190億円に上り、全体の約0.5%だったが、不正受給対策につぎ込まれている予算は50億円。果たして「元」がとれるのか、どちらがムダなのか、どっちもムダなのか、誰がどのような基準で判定するのか、まさに難題としか言いようが無い。
不正受給(支給)がムダであることは明白だが、現金を支給する以上、不正受給を試みるものが後を絶たないことは言うまでも無い。ところが、生活保護の適正を確保するために審査を厳密にした結果、保護を必要とするものへの支給が遅れたり、「窓際阻止」が採られるなど、制度の主旨を脅かしてしまっている。
不正受給の取り締まりを強化すればするほど、本来保護に回すべき予算が適正審査に取られてしまい、保護が必要かどうかギリギリのラインの人が後回しにされてしまう傾向が強まる。

これは小売店における万引き(被害)と類似している。万引きが悪であることは明白だが、万引き被害をゼロにしようとして店の警戒レベルを上げれば上げる程、店の雰囲気が悪くなって一般客の足が遠のいてしまう。同時に、万引き対策費と万引き被害額のバランスをどう設定するのかは店主にとって死活問題だろう。
実のところ、この手の対策費は増やせば増やすほど効率が悪くなって「ムダ」が生じてしまうものなのだ。だが、万引き対策はキリがないだけに見極めが難しい。
もっとも生活保護の場合は、社会福祉としての公平性を担保することが制度上の正義である以上は、不正受給の摘発が過剰になったとしてもやむを得ない側面がある。

世間的に「ムダ」と判断されやすいものの中には、「リスクに対する備え」や「長期的投資」といった側面のものもある。
例えば、政府が所有する政府専用(旅客)機は2機あるが、これは常にリスク対策上、実際に使用せずとも2機同時に飛行している。これはテロ対象となる確率を半分にすると同時に、一機が不調となった際の代理の役割を果たしている。2機目の存在は殆ど常に「ムダ」なのだが、「万が一」への備えとして評価され、いまだに廃止されていない。
また、「リスクに対する備え」として自民党は100兆円とも200兆円とも言われる災害対策費を新たな公共事業費として求めており、その理由に東日本大震災を挙げているが、これらの投資がどこまで役に立つのかは、実際に災害が起こってみない限り検証のしようがない。
さらに象徴的なのは、先の記事でも挙げた本四連絡橋だ
瀬戸内海にかかる3本のルートの総工費は2兆5千億円に及び、維持・運営費を含めてその債務は4兆円とも5兆円とも言われる(現在は独法債務返済機構が保有)。
車の交通量は需要予測の半分程度に過ぎず、運営主体の本州四国連絡高速道路会社自身も2009年に同30年には費用便益比が1.03になるとの見通しを示した。この数値は00年で1.7であったことを鑑みても、さらに低下が早まる公算が高い。

現在ある三本の本四連絡橋は40年後に耐用年限を迎えるが、40年後の日本に三本とも架け替える体力(財力)はなく、その需要も無いと見られる。
仮に一本だけ残すとしても、今度はどれを残すかで三本の地元が合意できない可能性が高いし、その一本にしてもどのように費用をねん出するのか問題になろう。
逆に撤去するとしても、巨額の費用が必要になり、「撤去するくらいなら架け替えを」という声が高まることが間違いない。
「あったら良いよね」でつくってしまったが最後、致命的な足かせになってしまうケースだ。

東京に住むものからすれば、本四連絡橋そのものがムダに思えるし、少なくとも「三本はいらなかっただろう」と思う人が大半では無かろうか。しかし、連絡橋の近隣に住む当時者からすれば生活に不可欠なインフラである可能性が高く、「3本は維持できないので1本廃止します」と言えば、廃止の当時者になった人は100%反対するだろう。だが、事業者や当該自治体だけでは維持できないインフラに巨額の国税が投じられ続けば、いずれ破綻するのは目に見えている。
本四連絡橋の維持すらおぼつかないのに、自民党政権は新たな巨大公共事業を準備し続けている。これは、自民党政権というものが、霞ヶ関に中央の政策を丸投げする代償として選挙区に公共事業を誘致することで成り立っているからに他ならない。
民主党は、八ッ場ダムの中止を掲げて2009年の選挙に勝利したが、官僚の根強い抵抗にあってついぞ時間切れとなり、自民党に政権が戻って元の木阿弥となってしまった。これは自民党による長期政権と中央省庁の既得権益がいかに強固なものであるかを物語っている。

さらに毛色の違う例を挙げよう。一昨年に大阪の橋下市長が文楽協会への補助金の打ち切りを表明したことがある。過去ログから少し紹介したい
ここで検討されるべき課題は、

1.補助金は適正に使われているか。
2.補助金は必要不可欠なのか。
3.補助金は公共に資するものなのか。

である。
文楽の件で問題にされているのは、特に2と3だが、文楽協会の専従職員12人のうち3人は大阪府と大阪市職員OBであり、「天下り」だったことが判明している。

文楽を担う主な団体は3つあり、国の独立行政法人である日本芸術文化振興会、民間の文楽座(NPO)、そして大阪府・市とNHKの後援で設立された文楽協会である。
概観すると、文楽座は元々松竹の傘下にあったものが、松竹の撤退と国立文楽劇場の設立を経て、商業経営が成り立たなくなって一度解散してNPO法人化している。
文楽協会は、大阪の伝統芸能を用いての地域振興を目的としたが、まずNHKが撤退し、国立文楽劇場が設立されるに及んで、その立ち位置は日本芸術文化振興会と被ってしまっている。
市場の小さい文楽の主体が分かれている背景には、文楽の担い手内部の対立も影響しているらしい。

大阪市が出している補助金は約5千万円で、技芸員の養成と文楽協会の運営に充てられている。
仮に大阪市が補助金を廃止した場合、それを入場料に転嫁すると、約500円の席料アップになると試算されている。一般的な席料は5千〜6千円程度なので、約10%のアップということになる。
やや乱暴に単純化すると、

「国が補助してんだから、破綻寸前の市がやらなくてもいいっしょ」

「振興会(国)とNPOがあるんだから、文楽協会はもう要らねぇんじゃね」

「チケット代10%アップで済むんだから、利用者負担でいいじゃん」

という話なのである。
これに対して、「なぜ大阪市が文楽協会に対して5千万円の補助金を出し続けなければならないのか」という理論武装がなされない限り、「伝統芸能を守るため」という理由だけでは正当化できなくなっている。

橋下氏は挑戦的な言動を別にすれば、至極真っ当な議論をしていたと思うのだが、今度は左翼を中心に「伝統を守れ」といった感情的な反応がなされ、建設的な議論になっていなかった。だが、ここで重要なのは「文楽協会の専従職員の25%が自治体官僚の天下り」「補助金イコール文化保護なのか?」「文楽は公共が税金で保護すべき対象なのか」というテーマだったはずだったが、一体どのような結論になったのだろうか。
この手の「ナントカ協会」は一定数の天下りを抱えているが、それは補助金や各種行政支援を円滑に受けるために必要な人材(人脈)であり、補助金と天下りは切っても切れない関係にある。かといって、補助金の類いを全て廃止しろというのも乱暴な議論だろう。

さて、こうした歳出のムダをチェックするために設置されたのが近代議会の始まりだったことは、以前の稿でも述べている。
イギリスの清教徒革命は、国王チャールズ1世がスコットランド侵攻を行って敗北し、その戦費と賠償金に困り果てて、議会に新規課税を高ピーに要求したところ、議会はこれを拒否。そんな折にアイルランドでもカトリックによる蜂起が起こって、再度遠征することにもなって、議会は国王非難の姿勢を強め、その外交大権を抑制しようとしたところ、それに反発した国王が、議会の武力弾圧を試みたため、内戦を勃発させてしまった。

また、フレンチ・インディアン戦争で財政危機に陥った英国議会は、「植民地の維持費は植民地で」の方針から、植民地からの砂糖に(のみ)課税する砂糖法を可決し、さらに植民地における印紙に新規課税をなし、その上「東インド会社が輸入する茶だけは無税」という茶法を成立させるに至り、有名な「代表なくして課税なし」のスローガンの下、英国本土による独断支配を拒否する空気が強まった。そこに英国王ジョージ3世が軍隊を介入させたため、アメリカ独立戦争が勃発してしまった。
その独立戦争で英国は増税を余儀なくされるが、議会は増税を承認する代わりに軍事支出の予算科目の細目開示を要求した。それまでは軍事費全体で一括審議されていたものが、1789年から予算科目の区分と細目別の審議がスタートした。

今日では政府内の独立機関として会計検査院が置かれ、さらに衆参両院の決算委員会で政府歳出の適否をチェックすることになっている。特に会計検査院は、民主党の「事業仕分け」など不要なくらい良い仕事をしているのだが、いかんせん強制力が無いために一向に改善されない。
つまり、日本にはムダをチェックする機能がありながら、十分に働いていないことこそが問題なのだ。最も重大なのは政権交代が起きないために政官業の癒着や補助金の関係が固着、既得権益化してしまい、自浄能力を完全に失っていることにある。
権力は常に腐敗する。それを前提にして、与野党が適度な頻度で交替することで緊張感を生むと同時に相互監視を強める必要があるのだ。

【参考】
会計検査院の強化を! 
posted by ケン at 13:33| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月12日

福祉充実と高齢化のジレンマ

【介護保険利用者に厳しい大改正 医療・介護改革法成立】
 高齢化がピークを迎える「2025年問題」を見据え、医療・介護制度を一体で改革する「地域医療・介護推進法」が18日、成立した。患者や要介護者の急増で制度がもたなくなる恐れがあり、サービスや負担を大きく見直す。とりわけ介護保険は、高齢者の自己負担引き上げなど制度ができて以来の大改正で、「負担増・給付縮小」の厳しい中身が並ぶ。人口減と高齢化が同時に進む日本。医療・介護制度は、高齢者の急増、支え手世代の減少、財政難の「三重苦」に直面する。厚生労働省によると、25年には医療給付費がいまの37兆円から54兆円に、介護給付費は10兆円から21兆円に膨らむ。病院にかかれない高齢患者があふれ、介護保険料は負担の限界を超えて高騰。そんな近未来の予測が現実味を帯びている。サービスを提供する人手の不足も深刻だ。こうしたなかで保険財政立て直しを目指す介護保険分野は、利用者の痛みにつながるメニューが目立つ。負担面では、一定の所得(年金収入なら年280万円以上)がある人の自己負担割合を1割から2割に上げる。低所得者の保険料を軽減する一方、高所得者は上乗せする。高齢者にも支払い能力に応じて負担を求める方向が鮮明だ。
(朝日新聞社、6月18日)

少し前の記事だが、朝日の割には理知的な記事で評価できる。
本件では共産党系の労働組合や市民団体などから続々と陳情が来て閉口させられる。確かに野党として反対はしたものの、個人的には利用者・受益者の負担増は避けられないと考えており、NK党や外郭団体が言う「負担増反対、保険料増反対、増税反対、労働者の待遇改善」なる主張には全く同意できない。
これも何度も述べていることなので繰り返しになるが容赦されたい。
医療費も介護費もシステム自体は複雑怪奇だが、原理は単純でその財政は、

労賃+経費+設備費(+利潤)=医療費(介護費)

医療費(介護費)=保険料+自己負担+税金


から構成されている。
ヨーロッパでは還付制が基本であるため、利用者は受けた医療や介護費用の全額を一旦支払い、後日還付される形になっている。他方、日本の場合、受けたサービスにかかる費用の1〜3割を窓口で支払うだけなので、負担感が軽くアクセスが容易である反面、乱用されやすい側面がある(必ずしも要のない医療等を受ける、救急車の乱用も無料であることが大きい)。そのため、日本の医療費や介護費は高齢化という人口構造の他に、保険システムの構造上においても肥大化しやすくなっている。

上の公式を見れば分かるように、医療費や介護費が増えた場合、「保険料を上げる」「自己負担を増やす」「税投入を増やす」のどれか、ないしは組み合わせで対処するしかない。特に安価な自己負担分がサービスの利用(乱用)を促進している面と労働人口の減少を考えれば、優先的に挙げられるのは自己負担増でしか無い。
現状において、医療費総額に占める70歳以上が使用する高齢者医療費の割合は45%を超えており、全人口の18%を占める高齢者が医療費の46%を使用しているにもかかわらず、現役層の負担強める保険料アップという選択肢を採った場合、保険制度そのものに対する懐疑が高まる恐れがある。
そして、保険制度は本来自己完結すべきものであり、社会インフラの整備と公共サービスの提供を目途として徴収された税を、社会保険の赤字補填に使うことは本来的には「目的外使用」に当たるため、モラルハザードなのだ。しかも、一度税を投入すると、固定化されてしまい、財政難になった時に「税投入を止めます」と言った途端に保険財政を丸ごと破綻させてしまうリスクを抱えている。この点でも社会保険に対する税の投入は戒められるべきなのだ。
逆に医療費、コストを抑えようとするなら、医師や看護師を始めとする医療従事者の賃金を下げるか、医療サービスのクオリティを下げるかくらいしか選択肢が無いが、現実性は低い。

もう一つの問題は、公的医療や介護が充実すればするほど寿命が延び、医療や介護の需要が増え続けてしまうことだろう。高齢者の体調不良は完治に至ることが稀であり、医療や介護の支援を受けた状態で延命することになる。医療の質やサービスが向上するほど、従来であれば死亡したであろう症例の患者も延命が可能となるが、その分医療費が肥大化してしまう。
こうした傾向そのものは避けようがないのだが、これも利用者の自己負担を増加させない限り、サービスの利用や乱用が促進され、保険財政をますます危機に陥れることになろう。

社会保障制度の仕組みを理解していれば、「負担増反対、保険料増反対、増税反対、労働者の待遇改善」などという無責任な主張が出るはずはないのである。
「持続可能な社会保障制度」というのは言の葉に乗せるのは簡単でも、それを実現するには非常に厳しい利害調整が不可欠であり、それを民主的合意の上で行おうとすれば、時間がかかってしまうのは避けられない。だが、これを放置すれば財政が破綻するだけの話であり、我々に残された時間は多くない。

【参考】
医療費の肥大化続く 
医療費は誰が出すの? 
肥大化する医療費で国は? 
posted by ケン at 12:34| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

少子化対策という愚・続

【未婚率上昇、晩産化も=仕事と育児の両立困難―少子化白書】
 政府は17日午前の閣議で、2014年版「少子化社会対策白書」を決定した。若い世代の未婚率は上昇が続き、最新の10年の時点で25〜29歳を見ると、男性は71.8%、女性は60.3%。女性の晩産化も進み、第1子を出産した平均年齢は12年で30.3歳だった。白書は仕事と育児の両立に向けた環境整備の必要性を指摘している。内閣府が実施した意識調査では、若い世代で未婚・晩婚化が進んでいる理由について、20〜30代男性の回答は「経済的余裕のなさ」が最も多かった。しかし、同年代の女性では「独身の自由さを失いたくない」がトップ、「仕事や学業に打ち込みたい」が続き、男女の意識の違いが示された。また、「子どもを持つ場合の条件」に関し、20〜40代の既婚女性の回答は「働きながら子育てができる職場環境」が最多だった。別の調査では、妊娠・出産時の職場の理解について、既婚女性の54.6%が「不満」と答えた。出産を機に退職した女性の約4分の1が「仕事を続けたかったが育児との両立が難しく仕事を辞めた」と話しているという。
(時事通信、6月17日)

上の記事とは直接関係ないのだが、少子化のもう一つの問題は都市部への人口集中である。江戸あるいは室町の時代から大都市は「人喰らい」と言われて地方から人を集めるだけ集めて吸収してしまう問題があった。近年でも、旧ソ連や中国では、治安と人口管理の問題から都市部への移住を大きく制限していたくらいだ。
都市に人口が流入し、減少する理由は古来より研究されてきたが、貧困と社会関係の問題が大きいとされている。人が地方から都市部に出る最大の理由は「仕事がないから」なのだが、地方の貧困層が都市部に来たところで仕事にはありつけても低収入のものが圧倒的に多数であり、結婚するのも子どもを産んで育てるのも条件的に難しい。この条件は現代でも変わらない。地方から都市に出てきた者は、居住環境を自前で維持するだけでも大きなコストが掛かるため、低収入な上、生活コストが高くなる。

東ドイツから西ドイツに移住した者は、合法か非合法かを問わず(あまり知られていないが、反社会分子の合法出国が部分的に奨励されていた)、貧困と社会・政治的理由が半々(複合的)だったとされているが、東独からの移住者で西ドイツ人の平均的な生活水準を達成できた者は4分の1程度に過ぎなかったとする研究結果もある(どの論文だったかちょっと確認できないが)。その結果、移住者のうち相当数が「東独時代の方が生活は楽だった」と思うに至っている。だが、「生活は楽」だからといって「戻りたい」とはならないのは、現代日本における地方と都市部の関係に似ているのかもしれない。

現代日本において、地方から都市部に移住する理由として「仕事」に次ぐのは社会的理由だと考えられる。特に地方の閉鎖性や相互監視あるいは様々な社会的圧力に対する拒否感が大きい。これも例えば、東ドイツからの出国の動機(社会学的研究)を見た場合、「言論の自由の欠如」「政治的圧力、国家権力の干渉」「移動の制限」が主なものとして挙げられているが、現代日本人が地方嫌いの理由として挙げるものと酷似していることが分かる。村落共同体における言論監視や移動規制、あるいは様々な社会的干渉と強圧はシステム化されていないだけで、社会主義統一党を自民党に、シュタージをムラ社会に置き換えて考えることは非常に容易だ(以下参照)。

田舎すげぇ! 
田舎すげぇ!2 
やっぱ田舎すげぇ! 

この短い体験記だけ見ても、現代日本にいまだ民主主義が根付いておらず、ホーネッカーも羨むような全体主義が地方を支配していることが分かるだろう。しかも、私が行ったのは草深い山奥などではなく、三大都府県にほぼ隣接した市で三大都市に出るのに一時間とかからないところなのだ。これはで九州や四国などは一体どれほど抑圧的な社会なのかと勘ぐってしまう。
若年層の視点に立った時に象徴的なのは、群馬県の青少年外出禁止条例である。これは午後10時から午前4時までの間、外出している未成年者を片端から補導するというものであり、たとえ親と一緒にファミレスに行ったとしても警察署に連れて行かれてしまうほどのものになっている。これは日帰りで原宿やディズニーランドに遊びに行くことすら「悪」と断じる地方の価値観を具現化した条例であり、少なくとも自分が群馬県に生まれたら一日も早く「国外脱出」したいと請い願ったことであろう。

地方に若い女性が根付かずに都市部に出てしまうのは、貧困と同レベル以上にこうした社会的抑圧によるところが大きく、女性の方がより虐げられる存在であれば、脱出願望を一層強固にしているものと思われる。同時に、日本における婚姻が抑圧された環境を生むと考えられるからこそ、若い女性が結婚を先送りにしているとみるのが自然だろう。

さらに象徴的なことに、少し前まで日本の農村部ではフィリピンやタイなどから若い女性を呼んで日本人男性と婚姻させて労働力を維持する政策や習慣が採られてきたが、今日では東南アジア諸国から日本に来たがる女性そのものが激減しており、シンガポールや中国の都市部の人気が急上昇しているという。そもそもこうした「嫁取り政策」そのものが、合法的な「緩やかな奴隷制」に近いだけに、どうせ身を売るなら貧しい日本の農村部よりは、派手な中国の都市部の方が望ましく思われるのは当然のことだった。恐らくは農村部の抑圧的な社会環境に対する悪評も災いしているだろう。
また、逆に外国人男性と結婚する日本人女性は増加の一途にあり、それも従来のような欧米人に限らず、中国やアジア系あるいはアラブ系など多様化が進んでいるという。これも日本人男性の経済的価値が相対的に低下していることの表れである。

以上を俯瞰すれば、政府が進めている少子化対策がいかにムダなものかが分かるだろう。地方を疲弊させ、都市部への人口集中を進めた結果、貧困層がこぞって都市部に流出、地方は保守層ばかりが残って抑圧的な社会構造がますます強化され、地方へのUターンを困難なものにしてしまっている。人口減対策としては、一極集中を改めて地方振興を進めると同時に、抑圧的な村落共同体を解体して民主化を進める必要があるはずなのだが、そのような視点は見たことがない。
また、女性の都市流出が進むのは女性の経済的地位と社会的地位が低いことが大きく、同時に国外脱出が増加傾向にあるのは教育度が高い割に経済・社会的地位が低いままに置かれていることが大きいと考えられる。その一方で、男性の大半も貧困化が進んでいるだけに、「資本と労働力の共有」という婚姻の根源的メリットが達成不可能になりつつある。これを回避するためには、女性の経済・社会的地位を高めるか、あるいは男性の所得水準を1990年代以前に戻す反動的政策が考えられるが、現実にはどちらも実現しそうにない。その将来不安が、国外脱出と非婚をますます加速させるという悪循環に陥っている。

実のところ日本の「少子化対策」で最も有効なのは「地方に自由とデモクラシーを!」ということなのかもしれない(爆)

【追記】
先日、東京都議会で少子化対策について質問した女性議員に対して自民党席からセクハラ・ヤジが浴びせられた事件があったが、東京でも地元で自民党系のオヤヂや同年代の人間と呑んでいると同レベルの話が普通に交わされている。自民党議員は飲み屋の感覚でヤジってしまったのだろうが、実はそれは嘘偽り無きホンネなのだ。私の皮膚感覚では、自民党議員の7割以上は同感覚の持ち主という感じであり、総理が「女性の社会進出」とか「少子化対策」と言ってみたところで、付いてくる者などごくわずかだろう。ジェンダー分野もまた人権と同様、日本は中世の域から一歩程度しか進んでいない。
posted by ケン at 12:11| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月13日

ムダな目標設定:50年後に1億人

【「50年後も1億人維持」 政府、骨太の方針に人口目標】
政府は6月末に閣議決定する「経済財政運営の指針」(骨太の方針)で、50年たっても人口1億人を維持する目標を盛り込む。そのために来年度予算以降、第3子からの出産・保育の給付を増やすなど子育て支援を手厚くして出生率を上げ、2020年に少子高齢化の流れを変えるという。政府が人口目標を掲げるのは初めてで、「人口減社会」への対応を重点政策に位置づける。骨太の方針は政府の経済財政諮問会議がまとめ、来年度以降の予算づくりや政策に反映される。朝日新聞が入手した原案では、人口減少をデフレ脱却などの次に取り組む「最大のハードル」として、「50年後に1億人程度の安定的な人口構造を保持する」という目標を盛り込む。諮問会議内の試算では、女性が生涯に産む子どもの数を示す出生率をいまの「1・43」から30年に「2・07」に回復させれば、60年代でも1億人を維持できる。原案は、この実現に向けて「20年をめどに少子高齢化の流れを変える」と掲げる。ただ、出生率の目標は「出産の強制」との批判があり、盛り込まない。
(朝日新聞、6月8日)

この手の目標設定は誰が何のためにやるのだろうか。
大方、仕事のないヤクニンが「ボクたちちゃんと仕事してマス!」的にでっち上げているのだろう。とりあえず目標を立てておけば、実際の仕事が大したものでなくとも、何となく「目標に向かって」頑張っているように(自分たちが)主張できることが重要なのだと考えられる。
だが、現実にはこの手の「目標」は何の意味も持たない。検証がほぼ不可能あるいは無意味であり、検証後の見直しもできないからだ。例えば、実際に50年を経て人口が1億人を下回っていた場合、50年を遡って人口政策や家族政策を検証するのだろうか、そしてその検証を行って失敗が認められた場合、誰に責任を取らせるのだろうか。目標というのは、あくまでも達成可能で、かつ検証可能な期間をもって設定されねば意味をなさないのである。
その意味では、「10年後に1億2千万人を維持する」といった目標であれば、検証が可能で、かつ責任も明確にできるだろう。だが、この場合、出産を奨励するよりも延命治療を徹底させて平均寿命を延ばす方が、目標達成のための政策として「合理的」になってしまい、本来の「出産増」から離れてしまう。故に「50年後」という話になったのだろうが、結果的には「目標を作るために目標を設定する」ような話になってしまっている。

そもそも戦後日本で最初の「少子化対策」が採られたのは1994年の「エンゼルプラン」だったが、20年を経ても出生率の改善は殆ど見られず、せいぜいのところ「下げ止め」が良いところだった。その総括と政策担当者に対する責任追及すらなされていないのに、50年後の目標を設定することにいかなる意味があるのか。

ちなみに東ドイツの場合、建国の1949年に1879万人いた人口は、消滅した90年には1618万人になっており、40年間での国外脱出者の数は400〜500万人超に上るとされている。従来の説では「抑圧に対する反動」「体制への恐怖」といった政治的理由による亡命が殆どを占めていると考えられてきたが、ドイツ統一後の検証では様々なデータがあるものの、政治的理由と経済的理由が半々で、かつ複合的であったと考えられるようになっている。この話はまた別途稿を設けたいと思う。

現代日本の場合、若年層の貧困と労働環境の悪化という経済要因の他に、社会・政治の右傾化・権威主義化に伴って人権軽視、当局による監視、表現規制、戦争不安、排外主義化などの要素が強まっている。ただ人口に対する現象として、国外脱出ではなく社会に対する引き籠もり(婚姻拒否・不能)や出産減(出産格差)となって現れていると想定される。
南北格差を考えれば分かるように、人口減は決して経済的要因のみにて引き起こされるのではなく、一定の高い生活水準が実現する中で「子どもができると、これまでの生活水準や自由な生活が脅かされる」という不安が強く作用している。特に日本の場合、年金制度も万全ではないだけに、老後の生活まで考えると、ますます不安が強まってしまう。
もっとあからさまに言えば、子どもの育児・教育費にかかるコストと犠牲にされるプライベートと、子どもが成人した後に自ら(親)に還元されるコストを比較した場合、明らかに前者が大きすぎて、とうてい合理的な理由から子どもを持つという選択肢が採れなくなっていることこそが、大問題なのだ。

国家が人口の目標を掲げるのは、国民を単に労働力として捉えて生産力の低下が危惧されるためであり、そこには国民の幸福を追求するという視点は全くない。そして、国民を一労働力と捉える視点が、労働と出産の強制という方向に働き、国民の不幸感を強め、出産減や国外脱出という現象となるのである。
現代日本の不幸は、全体主義を知らない政治家や官僚が、自ら行おうとしている政策が全体主義そのものであるという自覚すらないまま国民に強制し、洗脳された国民は自国が自由で人道的であると勘違いして無批判に生活環境の悪化を受け入れてしまっているところにあるのかもしれない。

【追記】
実のところ、出生率を増やすことは原理的には難しくない。現状では子どもが増えれば増えるほど生活が困難になるため、合理的な選択として出産が抑えられているわけだから、要は子どもが増えれば増えるほど所得が増える構造にすれば良いのである。例えば子ども2人までの児童手当を低めに抑える代わりに、3人人以上の子どもがいる世帯には劇的に手当の額を増やし、「働かなくても暮らせる」くらいの手当を出せば良いのである。厳密には計算しないが、例えば、現在のところ3歳以上の児童の手当額については、第1子、第2子月5千円、第3子以降月1万円となっているが、第2子までを月3万、第3子を月5万、第4子以降を月7万という感じにすると、3人子どもがいれば月11万円、4人子どもがいれば18万円受給できる計算になる。この場合、児童手当の総予算額は現状の6倍以上、つまり9兆円程度が必要となり、7兆円以上の新規財源が求められる。その財源は70歳以上の高齢者の医療費窓口負担を3割に、生活保護世帯の医療費自己負担の導入、消費増税、子どもがいない世帯への所得増税(独身税)、外国人労働者を雇用している企業に対する法人増税などが考えられる。だが、これは一種の麻薬で、生活保護と同様、一度受給したら止められなくなってしまう作用があり、財源不足に陥った場合、あっという間にルーマニア化する恐れがある。同時におよそ自由主義国にふさわしくない全体主義的政策であり、「子どもを増やすために労働し、納税する」という意味で、「国民の幸福のために奉仕する国家」から「国家の繁栄のために奉仕する国民」へと移行することになる。私としてはあまりお薦めしない(笑)
posted by ケン at 12:08| Comment(8) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする