2019年07月22日

本邦初公開?!曾祖父の卒業証書

母が部屋を整理していたら、古い書類筒が出てきて開けてみたら「お宝」が出てきた。
曾祖父の卒業証書である。
もともと祖父が使っていた部屋なので、そういうことなのだろう。
せっかくの機会なので、まずは画像にして公開したい。

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まずは旧制四高(金沢)である。
旧制高校は現在の大学教養課程に当たる。明治28年は1895年なので、日清戦争の時代だ。
曾祖父は出身が淡路なので、最初三高(京都)に入ったが、肌に合わず(スノッブなのが嫌だったとか)、色々無理を言って四高に移ったらしい。
四高はもともと加賀藩の藩校で、場所も金沢城、兼六園のすぐ横という素晴らしい場所にある。
著名な卒業生には、現総理の祖父や正力松太郎、あるいは中野重治、井上靖、西田幾多郎らがいる。

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そして、東京帝国大学文学部史学科へ。明治31年は1898年、この二年後に北京京師大学堂の招聘を受け、清国に渡る。
この当時、文学部史学科には一学年2〜3人程度しかいなかったという。やはり圧倒的人気は法学部と理工系だったようだ。
学問ごとに担当教授の署名入りというところが凄いし、外国語も英語、ドイツ語、ラテン語というラインナップ。外国語が他の学問と同列に扱われているところが、時代を感じさせる。外国語教員としては「できて当たり前」「学問ではなく技術」の現代は色々辛いものがある。

曾祖父は淡路出身者として初めて東大を卒業したということで、島に帰った際には提灯行列が行われたという。
もっとも彼自身は島に大した思い入れはなかったようで、それどころかその目は常に世界、主にアジア、インド、ペルシアに向いていた。
その後、さらに独学で中国語、ウルドゥー語、ペルシア語、アラビア語などを学び、重訳かつ抄訳ではあるが、日本で初めてコーランを翻訳している。その著作も、日本の風俗史や児童書から諸外国の歴史書まで、あまりに多岐に渡り、才人過ぎて何をやっている人なのか分からない有様になっている。
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2019年06月23日

2019年06月20日

ゴールデンカムイの背景にある日露戦争症候群

野田サトル『ゴールデンカムイ』を評価したいことの一つは、日露戦争症候群をきちんと描いていることにある。
戦争後遺症の問題は、二次大戦後のものも含めて、日本で扱われることは少ないのだが、日露戦争やシベリア出兵については殆ど関心すら持たれていない状況にある。中でも日露戦争については、司馬史観に代表される「明治の男たちが苦労の末頑張って勝利した」で終わってしまっている。

早速見てみよう。
1905年(明治38年)の米の生産高3818万石で、平年より14%減収となった。これは戦時動員による働き手の不足と、同じく戦時動員による物資不足と肥料高騰、さらに牛馬が動員されたことで労働力と肥料が失われたことが大きいとされる。特に東北は悲惨で、福島では前年比76%、岩手では66%という有様で、農民はクヌギや樫の実、ゴボウの葉、ワラビや葛の根を食べて糊口をしのぎ、それでも足りずに衣類を売り払って、冬を迎えてもロクに着る服すら無かったという。
そのため、東京に出稼ぎに出るものが後を絶たなかったが、都市部もまた戦後不況を迎えており、特に二十代の若者は失業率が5割を超え、中年層でも失業率は2割を超えたという。そのため出稼ぎに来ても仕事は無く、ホームレス、路上死が急増、犯罪も激増して、東京の治安は急速に悪化した。

仕事が無いのは、除隊、退役した軍人兵士も同じだった。戦時恩賞による一時金などは、一晩で飲んで使い果たし、さりとて仕事も無く、まともな仕事にありついてもPTSDなどの影響で長続きしないケースが頻発した。実家や故郷に帰っても、冷たい仕打ちにさらされ、あるいは銃後の社会に馴染めず、荒れるものが多かった。
当時の新聞は、「帯勲窃盗」「強姦兵士」「人斬り軍人」「賭博軍人」などの語で溢れたというから、ゴールデンカムイの世界はかなり的を射ており、決して北海道独自の話では無かったことが分かる。

戦傷帰還した廃兵の家族も悲惨だった。『平民新聞』の記事にはこうある。
妻は毎日午前九時より午後十時まで労働に従事して藁細工を為せども、其工賃として手に入るは僅か十銭にて三名の口を糊するには足らず食ふや食はずで泣の涙に暮し居るとぞ

『ゴールデンカムイ』の舞台となる旭川第七師団の野戦砲兵第九連隊第四中隊では、1907年3月に37名の兵士が集団脱走している。同じく主人公杉本がいた東京第一師団歩兵第一連隊でも、兵士32名が演習中に武器を携行したまま集団脱走している。およそ知られていない事実である。

戦時期にあっても、明治38年度(1905年)の弘前第八師団管内で行われた徴兵検査において該当者8003人中、逃亡したものが1521人に及び、さらに170人に及ぶ外国居留者がいた。その徴兵検査表を見ても、「身長4尺8寸未満」が462人、疾病者が336人おり、いかに栄養不良、衛生不良にあったかが想像される。さらにいえば、「不具者」が1704人と異常に多いが、徴兵忌避のために故意に自傷したものがいることを暗示している。その上、陸軍を志願したものは108人、海軍は239人でしかなく、我々現代日本人が知る「日露戦争」とは違いすぎる実態が見えてくる。

結果、東北からは北海道への移住者が続出、例えば宮城県からの移住者は1904年には1905人だったものが、05年には5220人、06年には13312人、07年には16202人と急増した。大量移住と呼べるレベルだ。
生まれ育った東北は戦争の影響もあって飢饉同然、出稼ぎに行こうにも戦後不況で職はなく、無事戻れるかすら不安なほど治安が悪化、そうなれば北海道にわずかな望みを託すのは避けがたいことだったことは容易に想像できる。

『ゴールデンカムイ』が描く日露戦争帰還兵と北海道とは、そういうものだったのである。

【参考】
『明治の墓標 庶民のみた日清・日露戦争』 大濱徹也 河出書房新社(1990)
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2019年05月11日

中世の蛮風残す皇家

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ケン先生は共和主義者ですが、こういう話は好きです。
明治帝の頃なんか、普通に帝と家臣が相撲を取って、臣下が帝を投げ飛ばしたりしていたみたいだからなぁ。
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2019年04月17日

歴史研究とフィクションとシミュレーションゲーム

少し前にある学者と作家が論争を演じ話題になっていた。
個人的には、作家の方が「オレだって史実を書いているんだから、ケチつけるな!歴史は学者のもんじゃねぇ!」と叫んでいるだけで、いわゆる「愚にも付かない論争」にしか見えなかった。だから、それ自体にはあまり興味は無い。要は、「史実を織り交ぜた(文学的?)作品」と「歴史研究」を混同しているだけの話だった。

そもそも歴史学は、確かに最終目標こそ「史実の解明」にあるかもしれないが、あくまでそれは理想論であって、現実には史料分析を積み上げて、「ここにはこう書いてある、あそこにはこう書かれている」ということを延々と繰り返すだけのもので、「史実はこうだった!」と言ってしまった段階で歴史学ではなく、フィクションの世界になってしまう。そして、現実の歴史研究ができるのは、「こうだった可能性がある」までで、百歩譲って「こうだった蓋然性が高い」というところまでなのだ。

恐らくは、欧州であればもう少し研究と創作の棲み分けができているのかもしれないが、どうも日本では混同が著しく、その悪しき影響として、「司馬史観」やら一連の歴史修正主義が横行するところとなっている。
創作作家も史料は読むだろうが、それはあくまでも創作のための基礎知識を身につけるものであって、研究のためではない。その点を踏まえずに、「これが史実だ!」とやってしまうから大問題となる。しかし、現実にはそれが大売れしてしまうから、非常にやっかいなのだ。
しかも、歴史の研究書というのは、基本的に面白くない。それは当然で、最初から最後まで「この史料にはこう書いてある」ばかり続いて、最後の最後に「従来の研究とは少々違って、〜だった可能性がある」で終わり、そこには物語性のかけらもないからだ。
例えば、長篠合戦に関する学術論文を読んでも、「この史料には鉄砲三千丁と書いてあるが、江戸期中期のものだ」「この史料には一千丁と書いてあるが、これは江戸前期のものだ」という話が延々と続き、最後の最後に「やはり確定的なことは言えない」とくるのだから、よほど根気のある人にしか耐えられない世界である。
それでも、私がフィクション・創作よりも研究書の方が好きなのは、やはり「少しでも史実に近づきたい」ということと「シミュレーションゲーム」であろう。

シミュレーションゲームの醍醐味は、「後世の歴史家」の視点ではなく「当時の指揮官」の視点から世界を眺め、その当事者が抱いたであろう様々な不安、問題意識、ジレンマなどを追体験して、限られた情報と資源の中で戦略目標達成に向けて何らかの意思決定を行うことにある。
それだけに、「ゲームとしての面白さ」と「史実再現性」の二つの要素をいかに両立させるか、あるいは一方をどの程度切り捨てるかというところに、デザイナーの才能と独創性が求められる。

独ソ戦を主題にしたゲームでも、かつてはドイツ軍がほぼ無傷のままモスクワ前面まで来るという作品が少なくなかったが、歴史研究によって批判的に見られるようになっている。クルスク戦についても、「大戦車戦は本当にあったのか」「ソ連軍の損害は実はかなり大きかった」などの検証がなされ、新たな作品に生かされている。
そもそもソ連崩壊を経てソ連側資料が公開されたことで、戦闘序列や部隊配置、あるいは損害の見直しがなされ、新作ゲームには最新の研究が反映される。
「どうせフィクションなんだから、細かいところはいいじゃん」という考え方も成り立つが、そこはユーザーの評価に委ねられるべきだ。

もっとも、逆に関ヶ原の合戦の場合、最新の研究では、「開戦と同時に小早川が離反し、西軍はすぐさま潰走に入った」という説が一次資料から導き出されており、「ゲームにならないじゃん!」ということになっている。
そもそも戦国時代の合戦というのは、実際の戦闘がどのように行われたのか良くわかっていないところが多く、ゲームをつくるにしても、かなり(大半)創作を施さざるを得ないのが現状だ。

鎌倉期の元寇も最近の研究で大きく評価が変わって、文永の役における「元軍は一夜で撤退した」も、弘安の役における「台風で壊滅して撤退」も、いずれも後世に書かれたフィクションで、一次資料には全く根拠を見つけることができないという。「軍船900隻」についても、上陸用舟艇や艦載舟の類いが600隻含まれており、大海を渡る能力を有する「千料舟」は126〜300隻と見られている。これなどは、作家が「これが史実だ!」などとフィクションをでっち上げてしまうと、後々まで歴史研究を阻害してしまう好例であろう。
ちなみに、改めて地図で確認すると、対馬と朝鮮半島は最短距離で50kmしか離れておらず、びっくりさせられる。

フィクションに話を戻せば、あまり史実を重視し過ぎると、現代人の感覚とかけ離れて全く理解できないという問題も生じる。
例えば、たかだか150年前のことでも、戊辰戦争において宇都宮城や会津若松城をめぐる戦いの後には、首無し死体が散乱していたというし、西南戦争では薩軍人たちが官軍兵の死体から内臓を奪ったり(ひえもんとり)、首狩りを行ったりしていたというから、およそ現代人の視聴に耐えられるものにはならない。
鎌倉時代から戦国時代にかけての武士の精神構造は、基本的に河部真道『バンデット』のそれであり、およそ現代人の感覚で理解できるものではない。

要は研究と創作を分けて考えるというだけの話なのだが、どうしてそれが難しいのだろうか。

もっとも、研究者でこそないものの長くソ連・ロシア学に従事してきた私からすれば、突っ込みが入りまくる日本史研究はうらやましい限りだ。まぁ戦国時代などかなり限定的ではありそうだが。
アフガニスタン介入」「チェコスロヴァキア介入」「ポーランド危機」「ペレストロイカ」などを書いてきたケン先生的には、自由主義史観論者などから何の反論もなく、全く寂しい限りである(笑)
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2018年12月04日

漱石は百年後まで見えていた?

最近改めて夏目漱石の偉大さを思うようになっている。
漱石は、日露戦争の勝利に沸く日本にあって、「いずれ滅びる」と見ていたわずかな人間の一人だった。
夏目漱石の『三四郎』の冒頭、熊本から上京する汽車の中で席を同じくした男が、日本の貧相さを自嘲気味に話すのに対して、三四郎は日露戦役の戦勝を念頭に「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と応える。だが、男はしれっと「滅びるね」と言ってのけて、三四郎を面食らわせるシーンがある。
恐らくは漱石は、戦勝の裏にある巨大なツケについて認識していたのだろう。日露戦争は戦勝に反して、その内実は実に酷かった。
「日露戦争は予算を確保した」とは言うが、その内実は酷いものだった。
日露戦争の戦費は18〜20億円で、そのうち8億円(借り換え含めれば13億円とも)が外債だった。
当時の日本の一般歳出は2.6億円に過ぎず、当然税収は2億円にすら満たず、そんな中で2億円規模の増税を行ったのだから、ある日突然税金が倍以上になったわけで、当時の日本人は偉すぎるとは思うものの、今から考えれば「あり得ない」ほどの無茶だった。

これを今日のレートに直せば、300〜400兆円もの戦費がかかったことを意味しており、うち100〜200兆円は借金で、「C国と戦争勃発」ということで、ある日突然消費税が20%、所得税が倍になってしまうようなイメージである。

さらに、この外債の内実は惨憺たるものだった。
最も規模の大きかった英国債を例に挙げると、一回目と二回目の公債は利率6%で、発行価格が額面の約90%の上、関税収入を担保に入れるという代物だった。
最初から割引して発行していることを考えれば、実効利率は7〜7.5%といったところだった。
日露戦争のツケ

日露戦争後、日本は韓国を併合するが、その経営は赤字続きで、1932年の一般会計予算が15億円のところに7千万円も交付金を出して補填しなければならなかった。
一方、ロシアでは革命が勃発、第一次革命は鎮静させたもの、帝政の終焉を早めたことは間違いなく、十月革命を経てソ連というより強大な脅威を作り出す遠因になった。そして、韓国や樺太などを防衛するためとして、シベリア出兵や満州事変が起こされ、「ソ連の脅威」に備えるため陸軍の際限なき軍拡が進み、その軍事負担は日本の重工業や民政発展に深刻な打撃を与えた。

漱石は、1909年6〜10月に東京朝日新聞に連載した小説「それから」の中で、代助の言葉を借りて当時の日本の有り様を批判している。
日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行を削って、一等国丈(だけ)の間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。
(夏目漱石『それから』)

何のことはない、間もなく2019年を迎える日本は当時から一歩も進歩していない、あるいは1909年水準にまで落ち込んでしまったことが分かる。漱石の慧眼からも今の日本がもう一度「滅びる」のは間違いないと見てよいだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

銀決済の革命性について

世界で初めて銀貨による公的決済を行ったのは元朝だったという。
それ以前は現在の価値で10万円に相当する現金を持ち運ぶためには、約5kgの銅銭が必要だった。だが、銀決済の導入により、同額の現金は50グラムの銀貨を持つだけで良くなった。この革命性とグローバリゼーションが理解できないと、真の歴史は理解できないという。

中国では、前漢期には銀貨が鋳造されていたようだが、市場決済が可能なほどの量産はできなかったらしい。
当然ながら、高額決済ができないということは、それだけ市場や流通の規模が規定され、資本の蓄積が進まないことを意味する。
同時に携行できる現金に限界があるということは、旅行や小商業も大きく制限されることを意味する。中世以前は大キャラバンを組まないと、商売などできなかったのだ。

最新の仮説では、蒙古帝国の成立に伴い、銀決済が導入され、それが南宋にまで及んだ結果、中国で不要になった宋銭が大量に日本に輸入、流通するようになり、室町期の経済的繁栄をもたらしたという。
但し、日本で銀貨が流通するようになるのは、江戸幕府の成立を経て江戸中期以降のことになるらしい。
古代・中世人や近世人がどのように決済していたかまで考えないと、時代劇もずいぶんと陳腐なものになってしまうということだろう。

私ももう一度上海博物館に行く必要がある。
ちなみに、5千人民元を持つためには中国人民銀行券で50枚、もしくは日本銀行券なら9枚必要だが、キャッシュレス決済の割合は中国の60%に対して、日本は20%に過ぎない。

【追記】
元帝国が銀決済を導入して、中国で余剰した銅銭が日本に二束三文で「輸入」され、日本で流通に乗った結果、室町期には「四日市」や「八日市」などの定期市が各地に生まれ、流通経済が形成された。同時に貸金業なども栄えるようになり、現在では悪名高き「徳政令」が発令されるに至っている。まだ現金決済ができるようになったため、足軽などの傭兵業も成立し、戦国時代に突入するきっかけにもなった。経済史を知らずに日本史は語れないということだ。
posted by ケン at 10:24| Comment(7) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする