2021年01月20日

歴史コード的にアウトな件

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謙信の最新評価でいえば、越後人的には、小氷河期における人口過多と食糧不足を解消する為に繰り返し関東を侵略して越冬、掠奪と人取りによる人身売買で荒稼ぎして春になると帰国するという、出稼ぎ公共事業のベンチャー・モデルを構築した大名と言える。

私の周囲には先祖代々武蔵ぶ住んでいる人が多く、みな「謙信被害者の会」の末裔であるから、こぞって中小機構にクレームを申し入れてくれることだろう(爆)
ケン先生も関東人の一員として、謙信の神格化には全力で反対します!
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2020年12月30日

古代日本語の発音は?補



ご質問いただいたので、補足しておきます。

どうしてこのような再現が可能になるかというと、万葉仮名は漢字を仮名として当てているわけですが、万葉仮名の音は呉音(唐の標準語)で発音されており、呉音に応じて当てられていると考えられます。中国には声調があるため、同音異義語は声調で識別されるため、昔の発音もかなり正確に把握できるわけです。その呉音と万葉仮名に従って、再現したものが本動画になります。

例えば、奈良時代の呉音の「H」「W」音は存在せず、「P」音で発音されていたため、フジワラはプンティパラになっていたという理解です。
さらに言うと、呉音は当時の唐の標準語であり、その呉音の名残を残しているのが現在の福建語と広西語で、両語からの類推というのもあります。「蝸牛考」の原理です。
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2020年11月30日

古代日本語の発音は?ー転生モノの無理

知人に紹介してもらった古代日本語の発話をシミュレートした動画。
まずは聞いてもらいたい。





日本語の時代考証もここまで来たか。
52秒目以降なんて中国語の方言にしか聞こえないぞ。
発音は、北京語ではなく、広東語や広西平話に近い感触。(中国の)学生に聞かせてみたら、圧倒的に「タイ語じゃね」という声だったが。
確かに、藤原=プンティパラとか、タイ人かと思ったが。
琉球語にも近いかもしれない。

中学や高校の古典の授業でやった音読とか、マジで意味ないじゃん。
タイムスリップや転生ものなんて、実際には言葉が通じないことがよくわかる。

漢字の最も古い読み方を呉音と呼ぶのは、古代から中世にかけて日中貿易の中国側拠点が呉国(主に浙江省)であったことに起因していると考えられる。日本仏教の経典の大半は呉音読みをしており、例えば食堂はお寺では「ジキドウ」と読まれる。これは、最澄や栄西、道元らが浙江省に留学したこととも関係していると考えられる。
つまり、中国から輸入した言葉や、中国との貿易で使われる言葉が、音韻の基礎となったということだろう。
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2020年10月06日

「すてかまり」は創作だった?!

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島津隊による「捨てがまり」戦法は、司馬遼太郎の創作だった?!
これだから、歴史知識は常に最新版に更新していく必要がある。
国民作家の罪深さよ。
それにしても、典拠が「甲陽軍鑑の一カ所」って。。。

もっとも、「海音寺潮五郎が言っていた」との話もある。
海音寺家は島津家中で、潮五郎は伯父の「ひえもんとりを見た」という回想を聞いているほどの世代で、その海音寺が「島津家の秘技」というのであれば、「公文書には記録が無い」というのも「仕方ない」という話になるわけだが。。。
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2020年09月11日

ドラマ 東京裁判

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2016年にNHKが制作した歴史ドラマ。後にNetflixが出資することになり、Netflixでも放映されている。
最新の研究や近年発見された資料を使いながら、11人の判事それぞれの視点から極東国際軍事裁判を再現する。
判事たちの視点によるドラマ部分は4Kで撮影する一方、被告たちの部分は記録映像を解析、再着色して組み込む手法をとっており、興味深い。
もっともドラマ部分の4Kがきれいすぎて、逆に全てセットにしか見えず、リアリティーを失ってしまっているようにも見える。

11人の判事の内面や判事たちの間の確執、政治的な思惑などが描かれており、通り一遍のドラマではなくなっている。
1時間番組四回でボリュームもあり、見応えはあるし、様々な発見もあったのだが、わかりやすく描かれている反面、わかりやすさ故の省略、特に政治的背景が失われていること、そして、仕方ないことだが、判事視点なので検察と弁護人が殆ど描かれておらず、法廷ドラマとしては成立していない。もともと二年半も費やした裁判だっただけに、四回ドラマでやることすら難しかったとは言えるだろう。
詰まるところ、「平和に対する罪」を「事後法だから無効」と捉えるか、「そんなの関係ない」とゴリ押しするかという話を延々としているだけではあるのだが、それをどう評価するかという話かもしれない。

個人的には、つまらなくは無かったが、ドラマとしては今ひとつ盛り上がらなかった気がする。
「この裁判で侵略を抑止できるようになるだろう」などと言っていた米英が、アフガニスタンやイラクに侵攻している事実を見れば、むしろ茶番にも見えてくる。

【追記】
改めて考えてみると、東京裁判で裁かれた被告は「いかにも小者」ばかりだった。言うなれば、「お前がボタンを押した」という話が中心で、そうせざるを得なかったのはわかるとしても、それがいかにも「裁判のための裁判」になってしまっている。言うなれば、ゴキブリの巣の入口を爆破して、その時外に出ていたゴキブリを叩き潰して、「オレはやったぜ!」と快哉を叫んだだけの印象だ。であれば、むしろ昭和帝一人を死刑にして、帝政を廃止、後は日本人に丸投げして「帝政を復活したら連合国と再戦」旨の講和条約を締結した方が、後腐れ無かったのではなかろうか。
また、近年では1937年の日中開戦における海軍の主導的役割や、日米開戦における海軍の無責任さも明らかにされており、「海軍善玉論」に基づく東京裁判史観がいかにも色あせてしまっていることも強調しておきたい。詳細は「「米内を斬れ!」の遠景を望む」を参照。
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2020年09月07日

ケン先生は妖怪好き?

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ケン先生は「昭和の妖怪」の大ファン。
政治家としての凄まじい生命力を発揮する一方で、意外とあっさり権力を投げてしまう淡泊さ、同時に恐ろしいまでの読みの深さと意外な人間味がある。そして、それらを支えている闇の深さは、戦後政治家の中でも断トツと呼べるだろう。

闇の深さでいえば、いまや「佐藤栄作蔵相はマッカーサー大使に秘密資金援助を求めた」ことまで暴露しているアメリカの公文書が、いまだ岸信介関係については、膨大な量を機密指定したままにしている。
満州帝国では、アヘン利権に一部関わり、政治資金化しており、戦後の政界進出時の資金にもなったと考えられるが、もはや遠い闇の中に埋もれている。

読みの深さで言うと、例えば1941年12月に対米戦が始まると、ジョセフ・グルー駐日米大使は大使館内にて軟禁下に置かれた。
当時東条内閣の商工大臣だった岸は、その大使を大臣車に乗せて連れ出し、何度かゴルフを楽しんだ。
そこで培われた信頼関係が、東京裁判にも影響し、不起訴となる要因の一つになったとされる。
この豪胆さは、小心保身を旨とする官僚のものではあり得ない。

戦後戦犯訴追のため収監された巣鴨プリズンでは、「久しぶりに暇な時間ができた」と喜んで、ディケンズの『デイヴィッド・カッパーフィールド』を原著で一気読みし(日本語訳だと文庫五冊分)、英語版の「レ・ミゼラブル」の翻訳を始めたという(未完らしい)。

また、1960年の米大統領選に落選し、62年のカルフォルニア州知事選にも落選して、「終わった政治家」と言われていたリチャード・ニクソンを、岸は「日本に来ないか?ゴルフでもしようや」と招待して、一緒にゴルフして各地を旅行した。ニクソンが68年の選挙で大統領に選出された後、岸はニクソンに電話して「今度弟(佐藤栄作)が訪米するから、沖縄(返還)の件、話を聞いてやってくれ」と言ったという。
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2020年09月05日

外務省の棄民政策と帝政の本質

1945年の満州における悲劇は、関東軍と陸軍による軍事優先、棄民政策と考えていたが、実は外務省も同レベルの極悪な対応をしていた。
まず、佐藤量「戦後中国における日本人の引揚げと遣送」から一文を紹介したい。
 終戦直後、少なくとも1945年8月から9月にかけての基本方針は、「できる限り現地に定着」というものであった。
 1945年8月14日、大東亜大臣東郷茂徳による訓令「三ヶ国宣言受諾二関スル在外現地機関二対スル訓令」において、「居留民八ハ出来ウル限リ定着ノ方針ヲ執ル」と定められた。また、中国においては、1945年8月18日に支那最遊軍総司令部による「和平直後の対支処理要鋼」のなかで、「支那居留民は、支那側の諒解支覆の下に努めて支那大陸に於て活動するを原則とし(中略)其の技術を発揮して支那客済に貢献せしむ」と言及されている。居留民は残留を原則とする方針であった。
 日本政府が、日本人を残留させる方針を取った背景にはいくつかの要因かある。まず、GHQの占領下にあった日本は。戦後ほどなく外交機能を停止され、独自に残留日本人を引楊げさせることかできなかった。また,戦争によって日本国内の財取も逼迫し、国内の日本人の生活もままならなかったため、引揚者のための膨大な散の引揚舶や食糧,衣料などの生活物資を用意することは極めて困難であった。

満州における移民団を初めとする様々な悲劇や中国残留孤児の原因の一つは、外務省(東郷外相)による「在外邦人は帰国せずに現地に留まれ」の指示であった。
「在外邦人は現地に定着せよ」の理由は、「日本国内に十分な食糧や住居が無い」「外交権が停止された」の他に、「在外邦人は現地で日本資産を死守せよ」というものがあったという(同上)。いかにも明治帝政と霞が関の発想である。帝国は、自らの権益拡大のために侵略戦争と植民政策を行って、臣民の海外進出を進めた挙げ句、敗戦となれば「現地で死ね」と命令したのである。
終戦時における在外邦人(本土人等)の総数は600万人を超えていたとされるが、正確な数はわからないらしい。

言うまでも無いことだが、敗戦によって昭和帝は罪を問われること無く、そのまま帝位を維持し続け、帝政の存続を成功させた。
霞が関もごく一部の官僚が数年間の公職追放を受けたのみで、実質的には罪に問われること無く、同時に何らの反省もしないまま、明治帝政の体制を存続させている。
恐ろしいことに、外務省の自伝である『日本外交文書』とその概要を記す省HPは、本件について「外務省は直ちに各在外公館へ詔書を通報し,その趣旨を体して行動を十分自重するよう命じ,あわせて在留邦人へもこの趣旨を十分説明して自重を促すよう訓令しました」と歴史改竄を行っている。

明治帝政を形だけ変えて何の反省もないまま存続している昭和帝政は、何度でも同様の罪を繰り返すだろう。
当然私などは真っ先にその対象にされるのであり、警戒と保身に全力を尽くす必要がある。
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