2021年04月14日

進行する歴史修正主義

【山川出版 中国人徴用の記述を修正 歴史教科書】
 萩生田光一文部科学相は30日の参院文教科学委員会で、4月から使われる山川出版社の中学校歴史教科書で、戦時中に中国人が日本に徴用されていたとする記述が訂正されたと明らかにした。「中国人は徴用されているとの記述はなくなっている」と述べた。日本維新の会の松沢成文氏に対する答弁。
 昭和14年施行の「国民徴用令」は中国に適用されておらず、一般的に「徴用」の用語は自国民を対象にしたものと解釈されている。日本の統治下にない中国人を対象にするのは誤った表記だといえる。
 萩生田氏らによれば、山川出版社は令和元年度の教科書検定に合格後、「中国人徴用」の記述について「より厳密な表現に変更する」と申請があり、文科省は昨年11月に訂正を承認したという。
 山川出版社の教科書は当初、「戦時体制下の植民地・占領地」の見出しを掲げた本文で「多くの朝鮮人や中国人が日本に徴用され、鉱山や工場などで過酷な条件の下での労働を強いられた」と記載していた。
(3月30日、産経新聞)

正確には「国民徴用令に基づく徴用は華北では行われなかった」だけで、華北地域における実質的な奴隷狩り、強制連行が横行していたことは歴史上否定できない。
例えば花岡事件などはどう説明するつもりなのか。
第2次世界大戦末期,花岡鉱山で起きた大規模な中国人労働者の蜂起事件。 1945年6月 30日,国策により中国から強制連行され鹿島組 (現鹿島建設) の花岡出張所に収容されていた 986人の中国人労働者が,過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね,補導員らを殺傷して逃亡する事件が勃発した。まもなく憲兵隊により鎮圧され,中国人指導者は有罪判決,鹿島組現場責任者らも終戦後,戦犯容疑で重刑を宣告 (のち減刑) された。事件後の拷問も含め,中国人労働者のうち,45年 12月までに 400人以上が死亡したとされる。この事件をめぐり,元労働者の生存者と遺族の計 11人が,当時の使用者鹿島建設を相手に損害賠償を求めて訴訟を起し,第一審は原告請求棄却,原告側は東京高等裁判所に控訴,同裁判所が和解案を提示していたが,2000年 11月 29日,企業の法的責任は問わず,事件の受難者への慰霊と支援などを目的に企業の拠出金で「花岡平和友好基金」 (中国紅十字会に信託) を設けることで双方合意,和解が成立した。
(ブリタニカ国際大百科事典)

中国人強制連行については、例えば2003年に今野東議員(民主党、故人)が出した「中国人強制連行・強制労働に関する質問主意書」に対する小泉内閣の答弁書は、
いわゆる中国人強制連行問題については、たとえ戦争下という異常な状況の中とはいえ、当時多くの中国人の方々が半強制的な形で来日し、厳しい労務につき、その中で多くの苦難を与えられたことは極めて遺憾であったと考えている。

と「半強制的な形」と留保しつつも、これを認めている。但し、補償については「日中共同声明で解決済み」としている。
満州を除く中国本土からの強制連行者の数は四万人に及ぶとされているが、戦後の資料廃棄によってその正確な不明となっている。
現在、外務省を始め、あらゆる省庁で公文書の作成後即時廃棄が進められているが、同じ目的があると考えられる。

日本は自国内で歴史修正主義を公式の路線としつつ、他国の人権や歴史問題に干渉することで、ますますアジアの孤児となっている。
結果、ますます米国依存を深め、国内の反アジア意識を高めるために排外主義と歴史修正主義を加速させるという悪循環(昭和帝政的には既定路線)に陥っている。
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2021年03月18日

山田朗『大元帥 昭和天皇』

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山田朗『大元帥 昭和天皇』 ちくま学芸文庫(2020)

1994年刊行の原本を文庫化したもの。
文庫で読みやすくなった上に、Kindleにも入ったので、中国に持っていくことにした。
文庫で450ページ近くもあり、2週間の隔離に最適かと思ったが、興味がありすぎて2日とかからずに読み終えてしまった。

極東国際軍事裁判にて免訴され、「昭和天皇独白録」などによって「天皇は戦争や政治とは無縁で、全て軍部が勝手にやったこと」という神話が流布し、定着しているが、実際のところはどうだったのかを検証していく。
明治憲法では、天皇の大権に全てが集約されているものの、実務は全て輔弼者が行い、その輔弼者は天皇に対して責任を負うからこそ、天皇は無答責であるという立て付けになっていた。実際に行政面では内閣、立法面では国会がその輔弼者となっていたわけだが、現実には天皇が内閣総理大臣を指名し、緊急勅令などによって国会を経ない立法も行っていた。
特に軍事面では、天皇の統帥大権は巨大で、参謀本部や軍令部が置かれたものの、厳密には「輔弼者」ではなかったという。つまり、天皇の統帥権は直接天皇が行使する側面が強く、だからこそ「統帥権干犯問題」が生起した。
統帥権干犯問題については、軍の編成権が軍政権に属し、陸海軍大臣が輔弼者である以上は、「大権の干犯」という批難は、現代であれば「そのような指摘は当たらない」の一言で済んでしまう話だったが、それで内閣と政党政治が崩壊してしまうのが明治帝政の末期状態だった。

それはさておき、本書は「昭和天皇独白録」に「書かれていること」と「書かれなかったこと」と「曲げて書いたこと」を、他の宮内大臣、軍人、侍従、侍従武官などの日記と照らし合わせながら、分類し、実際に昭和帝が何を指示して、どう考え、何を述べたかを再構築していく。
改めて読んでみると、軍部が非常に頻繁に天皇に対して上奏、内奏を行い、天皇は天皇でかなり細かく指摘し、あるいは再検討を求めていたことがよく分かる。つまり、1942年以降のヒトラーのように全権を掌握していたわけではないが、かなり戦争指導に携わっていたのだ。
また、対米英戦には慎重だったものの、中国やアジアに対する侵略行為、領土拡張についてはかなり積極的だったこともわかる。

最終的には軍部に全ての責任を押し付け、天皇と政治家の大半は免責され、アジア侵略を推進した保守政治家が主体となってアメリカの衛星国として再出発したのが昭和帝政となるわけだが、そこに至る前段階として、「十五年戦争における昭和帝の役割」を認識しておくことは非常に重要であろう。
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2021年01月20日

歴史コード的にアウトな件

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謙信の最新評価でいえば、越後人的には、小氷河期における人口過多と食糧不足を解消する為に繰り返し関東を侵略して越冬、掠奪と人取りによる人身売買で荒稼ぎして春になると帰国するという、出稼ぎ公共事業のベンチャー・モデルを構築した大名と言える。

私の周囲には先祖代々武蔵ぶ住んでいる人が多く、みな「謙信被害者の会」の末裔であるから、こぞって中小機構にクレームを申し入れてくれることだろう(爆)
ケン先生も関東人の一員として、謙信の神格化には全力で反対します!
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2020年12月30日

古代日本語の発音は?補



ご質問いただいたので、補足しておきます。

どうしてこのような再現が可能になるかというと、万葉仮名は漢字を仮名として当てているわけですが、万葉仮名の音は呉音(唐の標準語)で発音されており、呉音に応じて当てられていると考えられます。中国には声調があるため、同音異義語は声調で識別されるため、昔の発音もかなり正確に把握できるわけです。その呉音と万葉仮名に従って、再現したものが本動画になります。

例えば、奈良時代の呉音の「H」「W」音は存在せず、「P」音で発音されていたため、フジワラはプンティパラになっていたという理解です。
さらに言うと、呉音は当時の唐の標準語であり、その呉音の名残を残しているのが現在の福建語と広西語で、両語からの類推というのもあります。「蝸牛考」の原理です。
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2020年11月30日

古代日本語の発音は?ー転生モノの無理

知人に紹介してもらった古代日本語の発話をシミュレートした動画。
まずは聞いてもらいたい。





日本語の時代考証もここまで来たか。
52秒目以降なんて中国語の方言にしか聞こえないぞ。
発音は、北京語ではなく、広東語や広西平話に近い感触。(中国の)学生に聞かせてみたら、圧倒的に「タイ語じゃね」という声だったが。
確かに、藤原=プンティパラとか、タイ人かと思ったが。
琉球語にも近いかもしれない。

中学や高校の古典の授業でやった音読とか、マジで意味ないじゃん。
タイムスリップや転生ものなんて、実際には言葉が通じないことがよくわかる。

漢字の最も古い読み方を呉音と呼ぶのは、古代から中世にかけて日中貿易の中国側拠点が呉国(主に浙江省)であったことに起因していると考えられる。日本仏教の経典の大半は呉音読みをしており、例えば食堂はお寺では「ジキドウ」と読まれる。これは、最澄や栄西、道元らが浙江省に留学したこととも関係していると考えられる。
つまり、中国から輸入した言葉や、中国との貿易で使われる言葉が、音韻の基礎となったということだろう。
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2020年10月06日

「すてかまり」は創作だった?!

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島津隊による「捨てがまり」戦法は、司馬遼太郎の創作だった?!
これだから、歴史知識は常に最新版に更新していく必要がある。
国民作家の罪深さよ。
それにしても、典拠が「甲陽軍鑑の一カ所」って。。。

もっとも、「海音寺潮五郎が言っていた」との話もある。
海音寺家は島津家中で、潮五郎は伯父の「ひえもんとりを見た」という回想を聞いているほどの世代で、その海音寺が「島津家の秘技」というのであれば、「公文書には記録が無い」というのも「仕方ない」という話になるわけだが。。。
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2020年09月11日

ドラマ 東京裁判

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2016年にNHKが制作した歴史ドラマ。後にNetflixが出資することになり、Netflixでも放映されている。
最新の研究や近年発見された資料を使いながら、11人の判事それぞれの視点から極東国際軍事裁判を再現する。
判事たちの視点によるドラマ部分は4Kで撮影する一方、被告たちの部分は記録映像を解析、再着色して組み込む手法をとっており、興味深い。
もっともドラマ部分の4Kがきれいすぎて、逆に全てセットにしか見えず、リアリティーを失ってしまっているようにも見える。

11人の判事の内面や判事たちの間の確執、政治的な思惑などが描かれており、通り一遍のドラマではなくなっている。
1時間番組四回でボリュームもあり、見応えはあるし、様々な発見もあったのだが、わかりやすく描かれている反面、わかりやすさ故の省略、特に政治的背景が失われていること、そして、仕方ないことだが、判事視点なので検察と弁護人が殆ど描かれておらず、法廷ドラマとしては成立していない。もともと二年半も費やした裁判だっただけに、四回ドラマでやることすら難しかったとは言えるだろう。
詰まるところ、「平和に対する罪」を「事後法だから無効」と捉えるか、「そんなの関係ない」とゴリ押しするかという話を延々としているだけではあるのだが、それをどう評価するかという話かもしれない。

個人的には、つまらなくは無かったが、ドラマとしては今ひとつ盛り上がらなかった気がする。
「この裁判で侵略を抑止できるようになるだろう」などと言っていた米英が、アフガニスタンやイラクに侵攻している事実を見れば、むしろ茶番にも見えてくる。

【追記】
改めて考えてみると、東京裁判で裁かれた被告は「いかにも小者」ばかりだった。言うなれば、「お前がボタンを押した」という話が中心で、そうせざるを得なかったのはわかるとしても、それがいかにも「裁判のための裁判」になってしまっている。言うなれば、ゴキブリの巣の入口を爆破して、その時外に出ていたゴキブリを叩き潰して、「オレはやったぜ!」と快哉を叫んだだけの印象だ。であれば、むしろ昭和帝一人を死刑にして、帝政を廃止、後は日本人に丸投げして「帝政を復活したら連合国と再戦」旨の講和条約を締結した方が、後腐れ無かったのではなかろうか。
また、近年では1937年の日中開戦における海軍の主導的役割や、日米開戦における海軍の無責任さも明らかにされており、「海軍善玉論」に基づく東京裁判史観がいかにも色あせてしまっていることも強調しておきたい。詳細は「「米内を斬れ!」の遠景を望む」を参照。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする