2018年02月08日

党略では無い改憲とは何か

【改憲論議「党略でなく」…首相、野党に議論促す】
 「党利党略や党が割れるからということではなく、前向きに取り組んで良い案が出ることを期待したい」
 31日の参院予算委員会で、安倍首相が憲法改正論議に消極的な野党にチクリと嫌みを言う場面があった。
 立憲民主党の枝野代表は憲法の定義が異なるとして、首相の下での論議に応じない姿勢を鮮明にしている。希望の党の玉木代表も首相が掲げる自衛隊の根拠規定追加に否定的だ。分党騒動が続く希望では「改憲議論を始めたら、もっとバラバラになる」(関係者)との事情もあるようだ。
 首相は幅広い賛同を得て改憲したい考えで、「私たちには国会で議論を深めていく義務がある」と各党に具体案の提示を呼びかけた。
(1月31日、読売新聞)

どうも安倍氏は自分がやりたい改憲の議論が進まないことにイライラしているようだ。
そもそも立憲民主党、NK党などは基本的に改憲不要を主張しており、自民党の土俵に乗ってやる必要は無い。改憲が不可欠であれば、自民とKMで衆参ともに3分の2を占めているのだから、自分たちだけで独自案をつくって採決してしまえば良い。
「自公が勝手につくった改憲案」と言われるのが嫌で、その場合、国民投票で否決される恐れが強いために、何とか「全党一致で改憲案をつくりました」という形をつくりたいのが自民党側の本音なのだ。それこそ党略以外の何物でもない。自主憲法制定は、自民党の悲願であって、他党には関係ない。
安倍氏は、都合が悪いと「首相だから答える立場に無い」などと答弁を回避するくせに、同じ立場のまま改憲を呼びかけるダブルスタンダードを貫いている。まして憲法遵守義務が課されている首相(行政の長)に「改憲議論を進める義務」などあろうはずもない。

以下参考。
現行憲法の「脱軍事・戦争否定」の理念を否定することは、天皇制護持の対価・条件を撤廃することに他ならない。喩えるなら、保護観察を条件に仮釈放されたものが、「俺はもう犯罪になんか手を出さないから」「もう本釈放でいいだろう」と一人勝手に保護観察を外して保護司の家に行くのを止めてしまうようなものなのだ。確かに講和条約を締結したことで、日本は独立を果たしたわけだが、それはあくまでも「仮釈放」というのが従来の政府解釈であり、大筋において日本国民に共有されていたと考えられる。その「仮釈放」から「仮」を外すための手続きこそが憲法改正であり、それ故に衆参各院の3分の2の同意と国民投票の過半数という高い障壁が設けられた。それを「ハードルが高過ぎる」という理由で、憲法改正を経ずに閣議決定と個別法の改正によって、「保護観察」を実質的に無効化してしまおうというのが、野田内閣と安倍内閣の方針だと言える。

戦後のドイツは、東西共に、徹底した「脱ナチ」と「極右政党(西独では左右全体主義政党)の禁止」を行った対価として再軍備が認められたが、日本の場合は再軍備を否定する代わりに「脱権威主義」が緩和され、天皇制の部分的保持が認められた。
ところが、現行憲法の「脱軍事・戦争否定」の理念を否定した場合、若干権威主義性が緩和されたとはいえ、天皇制が前面に出てくることになる。これをドイツに置き換えるならば、軍備を保持する統一ドイツが全体主義政党を容認するようなものなのだ。ドイツの場合、民主主義原理を徹底させる条件で軍備保持が容認されているわけだが、逆を言えば、ドイツは全体主義に対して常に戦闘的であることが求められている。
しかし、現代日本の場合、全体主義や差別に対して寛容で(NK党やKM党あるいは極左セクトが認められ、極右によるヘイトスピーチも取り締まられない)、体制としても権威主義が温存されている状況下にあって、軍事・軍備の制限を解除することは、まさに「戦後レジーム」の否定に他ならない。

従って、原理的には仮に日本が再軍備や軍事活動の制限を撤廃しようとするならば、まず権威主義=天皇制を廃して民主主義原理を徹底させて、シヴィリアンコントロールが完全に担保されることを国内外に示す必要がある。その憲法改正は「天皇制を廃止し、デモクラシーを徹底させるが、同時に再軍備を実現する」というものでない限り、旧連合国(現国連)からはポツダム体制に対する挑戦として理解されるだろう(米国は自軍の肩代わり役として期待するところがあるが)。安倍一派による「戦後レジームからの脱却」は「権威主義体制のままミリタリズムに回帰する」という意味で、どこまでも挑戦的で危険なものなのだ。
集団的自衛権容認の閣議決定を受けて・続、2014.7.17)


なお付言すると、ケン先生は積極的改憲論者で、第一条と第九条の同時削除による「共和国原理」の確立を主張している。単なる9条の削除や、再軍備宣言はポツダム・国際連合体制への挑戦となるため、日本の再軍備には徹底的な民主化(権威主義の排除)が不可欠であるという考え方だ。
posted by ケン at 12:43| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

フランスで徴兵制復活

【<仏大統領>徴兵制復活へ 1カ月間、危機意識高める狙いか】
 フランスのマクロン大統領は19日、仏南部トゥーロンで軍兵士らを前に演説を行い、「国民が兵役に従事する仕組みを作りたい」と述べ、大統領選の公約に掲げた、若者に1カ月間の兵役を義務付ける徴兵制度を復活させる考えを示した。
 演説では詳細まで踏み込まなかったが、マクロン氏は昨年春の大統領選で、「軍と国民のつながりを強めるため、短い期間であっても軍での生活を体験してもらいたい」と述べ、兵役の義務化を公約に盛り込んでいた。対象は18〜21歳の男女で、良心的兵役拒否も認めるとしていた。期間は1カ月間と短いため、訓練よりも、相次ぐテロなどを背景に若者らの危機意識を高める側面が強い。だが、効果を疑問視する声もある上に、自由を重んじる若者らの反発も呼びそうだ。
 大統領選の決選投票をマクロン氏と競った極右政党・国民戦線のルペン党首も少なくとも3カ月の兵役義務化を公約に掲げていた。フランスでは、1996年に当時のシラク大統領が志願兵制に切り替えて、徴兵制(10カ月)の段階的廃止を表明。2001年に職業軍人化が完了した。徴兵制を巡ってはスウェーデンが昨年、ロシアに対する脅威を念頭に7年ぶりの復活を決めた。
(1月20日、毎日新聞)

また旧式左翼が大騒ぎしそうなネタ。連中は、英国労働党のブレア政権とドイツ社会民主党のシュレーダー政権がアフガニスタン派兵を、フランス社会党のオランド大統領がマリに軍事介入をなしたことの意味について、きちんと考えるべきだ。まぁ何も考えていないから大騒ぎするのだろうが。

フランスでは、1996年に徴兵が停止され、志願兵制に移行することが決まったが、その「改正国民役務法案」を提出したのは保守のシラク政権であり、法案に反対したのはフランス社会党と共産党だった。これは右派が軍事の効率化を進めるために軍事のプロ化が不可欠であると考えたのに対して、左派は軍の効率化よりもデモクラシーと国家共同体の根幹としての徴兵制を重視したためだった。つまり、重要な争点は「デモクラシーの要である義務兵役を、軍事的理由で停止することの是非」だったのであって、日本で議論されるような「徴兵制は奴隷的苦役」などという話はまず欧州では聞かれない。
ただし、徴兵を停止する代わりに、18歳から25歳までの間に1週間の国防教育を受ける義務(防衛準備召集)が課されており、国防の義務が免除あるいは否定されたわけではなかった。

近代徴兵制の礎はフランス革命に見いだされる。王政を廃して樹立されたフランス共和政は、国家の主権者を王から市民に転じたため、国防の義務もまた王から市民へと転じた。封建体制下では王や貴族の盾として強制動員されたものが、共和制下では主権、政治的権利の代償として国防の義務が課されることになったため、徴兵に応じることは「主権者としての義務を果たす」という意味で名誉なこととなった。
同時に、国民皆兵論に基づく徴兵制は階級や資産などの別なく徴兵の対象となることを前提としており、それは社会の公正性と平等性を体現するものでもあった。
デモクラシーとは、「市民全員が等しい政治的権利を有する共同体」という共同幻想の上に成り立っており、それ故に市民全員に防衛の義務が課されるのが自然であり、「政治的権利は有するが、防衛の義務は課されない」という日本のあり方の方が歪なのだ。
そして、フランスには、国民軍と徴兵制をデモクラシーの根幹とみなし、国民統合の有力な手段であると考える伝統があり、そこに主権在民の権力的正統性が認められている。恐らく日本人の大半には理解できない考え方だろう。

逆に徴兵制に反対する考え方はリベラリズムに求められる。リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。
その意味で、個人の身体と精神を拘束し、財産権を制限する徴兵制は、常にリベラリズムに背反する存在であり、デモクラシーよりもリベラリズムが強いアメリカでは徴兵制に対する忌避感が強い。その結果、米国では貧困家庭の子弟や市民権が欲しい移民ばかりが軍に志願し、むしろ軍の存在が階級差を象徴してしまっている。

日本国憲法は、その第9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているため、軍隊を保有できず、自衛隊を「自国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と規定する他なかった。その結果、自衛隊は防衛省の機構の一部という扱いで、憲法に規定されず、議会(国権の最高機関にして主権代行機関)の統制を全く受けない組織になっている。近代の民主的軍隊であるならば、「誰による誰のための軍隊」か規定されるはずだったが、「実力組織」なる官僚機構であるがために「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」(自衛隊法)という曖昧な記述に終わっている。

例えばスイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。これに対して、ロシア連邦国防法は「ロシア連邦軍は、ロシア連邦に対して向けられた侵略の撃退、ロシア連邦領土の保全と不可侵性の武装防護、並びにロシア連邦の国際条約に従った任務の遂行を使命とする」としており、日本の自衛隊と同様、国民保護の義務を負っていない。

欧州で徴兵制の復活が進んでいる理由として、日本の報道機関は「ロシアの脅威」を第一に上げているが、これは欧米通信社の主張を垂れ流しているだけで、全く本質から外れている。その真の理由は、「欧州の統合力、集団防衛力が弱くなったから」であり、EU統合によって民族国家としての国民統合が弱まると同時に、ドイツに対する依存度が高まって自国の国家主権も弱まっていることが大きい。

結局のところ、自力で王侯貴族と闘い、打倒し、さらに軍事介入した外国軍と戦いながらデモクラシーを確立した経験を持たないものが、近代国民軍やデモクラシーの意味を理解するのは難しいのかもしれない。
posted by ケン at 12:35| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

女性議員が少ないワケ

【野田聖子氏「政治分野が一番、出遅れている」 「女性議員増」への協力を要請】
 野田聖子女性活躍担当相は18日、自民、公明両党の幹部と個別に会談し、国会や地方議会で女性議員を増やすため、各選挙で女性候補者を積極的に擁立するよう要請した。
 野田氏は一連の会談で「政治分野が一番、女性の活躍で出遅れている」と指摘。スイスの「世界経済フォーラム」が11月に発表した2017年版「男女格差報告」で、日本は前年より順位を3つ下げ、144カ国中114位となったことなどを踏まえ、女性議員が活躍しやすい環境づくりを進めるよう求めた。
 自民党の萩生田光一幹事長代行との会談後には、記者団に「政治は男性の仕事という固定観念があり、女性がする仕事というイメージがないところに(女性)候補者が立てられない理由がある」と憤ってみせた。
(12月19日、産経新聞)

「親の七光り」と自民党地盤の強い岐阜で苦労せずに当選し続けてきた野田氏ならではの発言だろう。
日本で女性議員が少ないのは、「擁立者が少ないから」ではなく、そもそも希望者が少なく、なり手の基盤が脆弱すぎることに原因がある。そして、その根幹には働き方の問題がある。

国会議員の働き方一つ考えても、日本の議員のあり様は尋常ではない。
例えば開会中であれば、朝7時に駅頭に立ち、その足で上京、議会に出席し、党の会議に出た後、夕方の新幹線で地元に帰って支援者の酒席をハシゴ、深夜に帰宅するという一日は非常に典型的だ。また、土日もありとあらゆる地元行事やイベントを朝から晩までハシゴするため、休日などは存在しない。
日本の国会の場合、議会の日程も議院運営委員会などの与野党協議で決定されるため、前日とは言わないまでも二日前や三日前に質問を割り振られることなどザラにある。結果、夜半まで官僚からレクを受けたり、質問答弁の調整を行ったりすることになる。
つまり、およそ常人には務まらない激務であり、肉体的条件において男性に劣る上、子育てや家事などの負担も大きい女性は、候補者選定の段階で相当に不利な状況にある。

これが欧州の場合、かなり異なる。選挙は基本的に比例代表選挙で政党単位かつ国単位や大きな選挙ブロック単位で行うため、比例名簿に掲載された候補者が必死に地元活動を行う必要は無く、まして平素から有権者の酒席をハシゴするなどという「活動」はあり得ない。そのため、議員は議会活動と党活動に専念できる。具体的には「朝の駅頭立ち」と「夜の酒席」は必要ないため、少なくとも肉体的ハードルはかなり低下する。
また、欧州では議会期制が導入されている国が多く、日本のように2カ月とか半年などの短い会期ではなく、4年ないし5年の任期中が全て会期となるため、日程闘争が行われず、かなり事前に委員会質問がセッティングされるため、余裕を持って準備できる。この点も「誰もが議員になれる」環境だろう。

日本の場合、民間企業と同様に国会議員も「24時間働けますか」という条件が課されており、それを満たせる者しか続けられない。民間企業で女性の役員がいつまで経っても増えない理由も同じで、民間企業や公共機関で女性のキャリアが増えず、議員になる前提条件も過酷であるため、候補者の裾野も議会の入口もどちらも非常に厳しいものになっているのだ。
まずは残業を原則禁止とし、誰もが9時5時で帰れる社会を実現しない限り、ジェンダー問題が解決に向かうことは無いであろう。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

不安を残す立民綱領

【<立憲民主>「原発ゼロ」明記 綱領を正式決定】
 立憲民主党は26日の党会合で綱領を正式決定した。「原発ゼロを一日も早く実現するため具体的なプロセスを進める」と明記。枝野幸男代表が10月の結党以来訴えてきた「ボトムアップの政治」「草の根からの民主主義を実践する」などの文言を盛り込み、独自色を出した。
(12月26日、毎日新聞)


全文はこちら。


立憲民主党は、年の瀬になって何回か全議員を集めて綱領を検討し、まとめ上げた。その背景には、急速な支持率低下に対する危機感があったものと推察される。だが、それ故に「急ごしらえ」の観は否めない。
内容的にも同じことが言える。例えば、綱領は「草の根からの声に基づく熟議の民主主義」を謳うが、支持者や有権者からのパブリックコメントなどを集めることもせず、国会議員が二、三回集まって話し合っただけで綱領をまとめてしまったことは、「草の根からの声」「熟議の民主主義」に明らかに反しており、その手法は旧民主党の「議員政党」を彷彿とさせるに十分だ。
少し個別にも見てみよう。
立憲主義を守り、象徴天皇制のもと、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持します。立憲主義を深める立場からの憲法議論を進めます。

綱領で現行憲法と天皇制を肯定しているが、これは「立憲君主制・権威主義体制の制限下で市民的自由を守る」ということを意味する。憲法の前に象徴天皇制が来ていることがこれを裏付けている。その本質は「国体護持」であり、枝野代表が言う「保守リベラル」を象徴している。自民党・安倍一派が主張する、戦前型の権威主義体制への復古からすれば「リベラル」ではあるが、そこには戦後民主主義が行き詰まって今日の政治的困難を招いているという認識は無い。
逆に「立憲主義を深める立場からの憲法議論」は、先の総選挙で立民に投票した相当数の護憲派をNK党やSM党に追いやるもので、左翼系市民から「野党共闘合意違反」の誹りは免れないだろう。

枝野氏を始めとする党内エリートには、「左翼とみられたくない」「保守層の票を取り込みたい」という思いが強いようだが、自分たちの結党基盤(誰の支持で選挙に勝てたのか)を顧みること無く、「青い鳥」を追いかけてしまっている。
私たちは、経済成長の目的は一人ひとりに幸福をもたらすことであり、また、公正な分配なくして安定的な成長は達成できないとの考えに立ちます。

現実には産業革命以降の急速な経済成長は、先進国から絶対的貧困を消失させてはいったものの、同時に経済格差や長時間労働を促進させ、むしろ人間性を否定し、幸福度を下げる方向に働いている面もある。最新の研究は、経済的豊かさと精神的幸福は必ずしも正比例しないとしているだけに、この記述は古色蒼然の観がある。そして、間違った経済政策や社会政策の原因となる恐れがある。
歴史の教訓を胸に刻み、日本の外交・安全保障の基本姿勢である国際協調と専守防衛を貫き、現実に即した政策を推進します。健全な日米同盟を軸に、アジア太平洋地域、とりわけ近隣諸国をはじめとする世界との共生を実現します。

これはもはや絶望的。立憲民主党が外交と安全保障を何も理解していないこと、米軍基地問題で何もしないことを露呈させている。「日米同盟」という言葉は、日本がアメリカの世界覇権に積極的に荷担するスタンスを指す。現政府は、日米同盟を重視するが故に、それまで自制してきた集団的自衛権を解禁して、海外派兵を常態化させている。沖縄の米軍基地も、日米同盟を維持するためのコストとして存在しているのであって、これを肯定する限り、辺野古新基地建設に反対する根拠が無い。逆を言えば、「日米同盟は重視しますが、海外派兵も米軍基地も認めません」というスタンスは論理的に成り立たない。また、日米同盟は対ロシアと対中国を想定した軍事同盟であり、これと「アジア近隣諸国との共生」もまた並立し得ない。要は、連中は何も分かっていない。

この綱領を読む限り、立憲民主党はやはり「民主党の焼き直し」に終わりそうだ。
posted by ケン at 12:12| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

立憲民主党の保守とは何か

【立憲民主・枝野幸男代表「安倍晋三首相は保守主義ではなくパターナリズム。自分は保守でありリベラル」】
 立憲民主党の枝野幸男代表は15日、共同通信社で講演し、安倍晋三首相の政治思想について「パターナリズムだとは思うが、保守だとは思っていない」と断じた。パターナリズムは、日本語で「家父長主義」と訳される場合が多い。パターナリズムだとする根拠として、安倍首相が経済政策「アベノミクス」を語る際に「この道しかない」というフレーズを用いたことを挙げ、「いろいろな道があって試行錯誤していくのが保守主義だ。この道しかないという考え方は保守とは対極にある」と述べた。自らについては「保守だ。少なくとも革新ではないが、リベラルだ」と改めて強調した。
(12月15日、産経新聞)

枝野代表は左派からの批判を浴びながらも、決して「保守」の旗を下ろそうとはしない。それは、「左派・リベラル票だけでは多数派は取れない」という実利上の理由もあろうが、原理原則面においてもいまやリベラリズムこそが保守になってしまっている実態を表しているのだろう。

左翼の立脚点が過去の否定と新しい価値観への信仰にあるのに対し、右翼の立脚点は過去への憧憬と新しい価値観への懐疑にある。
今少し説明すると、左翼とは、現状の政治的問題の原因を過去との関係に求め、過去との断絶を図ることによって現状の問題を整理・一掃した上で、過去に無い新しい価値観による政治・社会体制を築き上げることによって、人類の幸福を実現できると考える勢力である。
これに対して右翼とは、問題の原因を過去からの変化に求め、変革・進歩を否定しつつ、かつてあった理念・体制の修正、復活、再構築によって、現状の問題を解決すると同時に、人類の幸福を実現すると考える勢力である。

具体例を挙げるならば、フランス革命が進行してジャコバン派による独裁が成立した後も、「革命は十分だ」と判断して恐怖政治からの脱却を主張したダントン派は「右派」とされ、「革命は不十分である」として恐怖政治のさらなる推進と平等分配の強化を主張したエベール派は「左派」とされた。

ソ連のペレストロイカ末期には、「改革は不十分、さらなる民主化を」と主張したエリツィン派が左派となり、「行き過ぎた改革が経済を疲弊、混乱を招いた」と改革に歯止めをかけたリガチョフ派が「右派」あるいは「保守派」とされた。

現代日本に話を戻すと、「戦後リベラリズムの復興・再構築によって現状の諸課題は解決できる」という枝野氏らの立憲民主党が保守と自己規定するのに対し、安倍総裁率いる自民党は明言こそ避けているものの、日本をめぐる様々な情勢変化の中で、戦後リベラリズムでは諸課題を解決できなくなりつつあるとの認識に立った上で、権威主義体制への移行は不可避という、一種の反動改革路線を主張している。

2012年12月の総選挙以降の民意が示すところは、安倍氏の反動改革路線が相対的に支持を得ているということだが、日本の現状は戦後リベラリズムがもたらした結果であったわけで、「リベラリズムの再構築で問題は解決できる」という枝野氏の保守路線はリベラルの恩恵を受けた50〜60代以上の層からしか厚い支持を受けないのは当然の帰結なのかもしれない。
posted by ケン at 12:32| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

社会主義者ですが何か?

本ブログ(管理人)の立ち位置を今一度明確にしておきたい。
改めて宣言するが、ケン先生は社会主義者である。ただし、権威主義よりは自由主義を選ぶが、優先順位は高くない。そして、平和主義者ではないが、武力行使の殆どが当人たちが望んだ結果を得られないケースが大半であることを、歴史から学んでいる。
従って、「生活保護を削って防衛費を増やすなどケシカラン」とは言わない。国防の優先度が高まる事態そのものは否定しないからだ。
私が言う社会主義をごく単純化するならば、

@ 貧困撲滅
A 経済格差の抑制
B 健康的かつ文化的な生活の保証


になる。
「貧困撲滅」は、社会政策の充実によって実現される。具体的には、無償に近い質の高い教育を充実させつつ、産業振興と労働政策のバランスをとりながら完全雇用をめざし、さらにセーフティネットの構築で貧困を根絶する。貧困の放置は、消費減退と治安悪化の原因にしかならないからだ。
とはいえ、AIとロボットの普及により、中長期的には中間的な事務作業などの大半が失われる可能性が高く、併行してベーシック・インカムの導入を検討すべき時期に来ていると考える。

「経済格差の抑制」は、再分配政策によって実現される。これも、消費減退と治安悪化の原因となるためだ。近年までは、所得税の累進課税や相続税によって、再分配の財源を賄ってきたが、日本ではインフラ整備や高齢者福祉に充当し、住宅政策や家族政策(児童手当など)を軽視してきたこともあって、その再分配機能は西欧に比べて非常に低いものとなっている。
そして、昨今では所得税の累進による所得再分配効果が低下していることもあり、できるだけ早い段階で資産課税を導入しつつ、貧困対策、公的住宅、家族政策の財源とする必要がある。

「健康的かつ文化的な生活の保証」は、社会保障と文教政策によって実現される。これは、「人が人間としての尊厳を保って生きられる社会」をめざすという点で、やや哲学的課題と言える。1970〜90年代頃の日本では、相応の水準で実現できていたようにも思えるが、特に2000年代以降、急速な高齢化が国と地方の財政を圧迫、社会保障の持続に困難が生じると同時に、文教予算の切り下げに伴う同分野の荒廃が進んでいる。木そのものが倒れる前に、制度の再構築と財政の見直しが不可欠だが、現状は非常に厳しい状態にある。

【追記】
現実政治に関わるものとしては大きな課題があることも認識している。「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ない。20世紀以降の近代国家は常にこの命題に取り込み、選択し続け、今日に至っている。社会保障と自由を護持するためには、軽武装路線を採った上で、一定の経済的繁栄を担保する必要があるが、これは現政権の親米、既存産業保護路線とは一線を画すものであることは確かだ。
posted by ケン at 12:29| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

良い子ちゃんで戦えるのか?

【<立憲>憲法の考え方を正式決定】
 立憲民主党は7日の政調審議会で、憲法改正に関する「当面の考え方」を正式決定した。「立憲主義をより深化・徹底する観点から(議論を)進める」という基本姿勢のもと、「憲法を一切改定しないという立場はとらない」と明記。臨時国会召集要求に対する召集期限の設定や内閣による衆院解散権の制約、「知る権利」をはじめとする新しい人権などを主要な論点として挙げた。
(12月7日、毎日新聞)

いかにもエリート出身の「良い子ちゃん」が、先生や同級生から嫌われない範囲で精一杯自己主張してみました、という感じ。こんなんで野党第一党が務まるのだろうか。

確かに「9条以外では議論すべき点はある」という主張は理解できるし、一つの考え方であろう。だが、改憲に反対する旧式左翼やリベラル派市民から強い支持を得て、選挙も盛り上がって、1千万以上の票が得られたのに、「9条以外の改憲ならいいでしょ」と言うのは不誠実であり、裏切り行為と言われても仕方ない。

立民の執行部からすれば、「何でもハンタイではNKやSMと同類と見られてしまう。あくまでも我々は中道の保守リベラルだ」と言いたいのだろうが、もともと基礎票的に2〜300万票程度しか無いはずの立憲民主党が、800万票も上乗せできたのは、「保守リベラル」路線が支持されたからだろうか。違うだろう。

党内の憲法議論を主導しているのは、枝野代表と党外の山尾議員と見られているが、その本音は「自衛隊を明記した上で、集団的自衛権の行使を制限する」ところにある。これは筋論としては成り立つが、これも左翼・市民リベラル層の忌避するところだ。彼らは「安倍総理の改憲に反対する勢力」として立憲民主党を支持したはずで、それに反する主張、行為を行った場合、かつての民主党と同様に、一気に支持を失う恐れがある。
改憲論議の中で政治的理由から最終的に妥協するのであればまだしも、ロクに議論も始まっていない段階で、手の内を明かすような話であり、どこまでも素人的だ。これで「改憲議論を主導できる」と思っている辺り、枝野・山尾氏の政治的無能ぶりが露呈している。

また、日米同盟路線を肯定する限り、集団的自衛権も安保法制も完全に否定することは出来ないのが論理的帰結であり、立民の「日米同盟は深化させるが、アメリカの世界戦争には荷担しない」という主張はどこまでも非現実的なのだ。

【参考】
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい
・安保法制反対の論理的脆弱性について
posted by ケン at 15:16| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする