2017年12月12日

良い子ちゃんで戦えるのか?

【<立憲>憲法の考え方を正式決定】
 立憲民主党は7日の政調審議会で、憲法改正に関する「当面の考え方」を正式決定した。「立憲主義をより深化・徹底する観点から(議論を)進める」という基本姿勢のもと、「憲法を一切改定しないという立場はとらない」と明記。臨時国会召集要求に対する召集期限の設定や内閣による衆院解散権の制約、「知る権利」をはじめとする新しい人権などを主要な論点として挙げた。
(12月7日、毎日新聞)

いかにもエリート出身の「良い子ちゃん」が、先生や同級生から嫌われない範囲で精一杯自己主張してみました、という感じ。こんなんで野党第一党が務まるのだろうか。

確かに「9条以外では議論すべき点はある」という主張は理解できるし、一つの考え方であろう。だが、改憲に反対する旧式左翼やリベラル派市民から強い支持を得て、選挙も盛り上がって、1千万以上の票が得られたのに、「9条以外の改憲ならいいでしょ」と言うのは不誠実であり、裏切り行為と言われても仕方ない。

立民の執行部からすれば、「何でもハンタイではNKやSMと同類と見られてしまう。あくまでも我々は中道の保守リベラルだ」と言いたいのだろうが、もともと基礎票的に2〜300万票程度しか無いはずの立憲民主党が、800万票も上乗せできたのは、「保守リベラル」路線が支持されたからだろうか。違うだろう。

党内の憲法議論を主導しているのは、枝野代表と党外の山尾議員と見られているが、その本音は「自衛隊を明記した上で、集団的自衛権の行使を制限する」ところにある。これは筋論としては成り立つが、これも左翼・市民リベラル層の忌避するところだ。彼らは「安倍総理の改憲に反対する勢力」として立憲民主党を支持したはずで、それに反する主張、行為を行った場合、かつての民主党と同様に、一気に支持を失う恐れがある。
改憲論議の中で政治的理由から最終的に妥協するのであればまだしも、ロクに議論も始まっていない段階で、手の内を明かすような話であり、どこまでも素人的だ。これで「改憲議論を主導できる」と思っている辺り、枝野・山尾氏の政治的無能ぶりが露呈している。

また、日米同盟路線を肯定する限り、集団的自衛権も安保法制も完全に否定することは出来ないのが論理的帰結であり、立民の「日米同盟は深化させるが、アメリカの世界戦争には荷担しない」という主張はどこまでも非現実的なのだ。

【参考】
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい
・安保法制反対の論理的脆弱性について
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2017年11月16日

質問時間配分の妥当性について

【野党の質問時間削減「反対」55% 朝日新聞世論調査】
 朝日新聞社が実施した11、12両日の全国世論調査(電話)によると、国会での野党の質問時間を減らす自民党の提案に「反対」は55%で、「賛成」の29%を上回った。6日にあった日米首脳会談については59%が「評価する」とした一方、日米が一致して北朝鮮への圧力を高めていくことには、「不安の方が大きい」56%が「期待の方が大きい」35%を上回った。
 今回の日米首脳会談を「評価する」とした層でも、北朝鮮に圧力を高めていくことには「期待」48%、「不安」45%と拮抗(きっこう)。トランプ大統領を同盟国のリーダーとしてどの程度信頼できるか聞くと、「あまり」と「まったく」を合わせた「信頼できない」は61%に上り、「大いに」と「ある程度」を合わせた「信頼できる」の37%を大きく上回った。
 野党の質問時間削減案については、自民支持層では「賛成」48%、「反対」37%。これが無党派層では逆転し、「賛成」が18%、「反対」は59%に上った。
(11月14日、朝日新聞)

12月9日までの会期となった特別国会だが、冒頭から質問時間の配分をめぐって与野党が衝突、停滞している。
従来慣例的に質疑時間は「与党2対野党8」で配分されてきたが、今回自民党内から議席比で「与党7対野党3にせよ」との主張がなされ、森山国会対策委員長は「与党5・野党5」を主張、野党が全面的に反対、徹底抗戦している状態だ。「慣例」とは、国会法などに既定が無いことを意味する。

日本は議院内閣制で、閣僚は政権党の議員と総理大臣の指名した民間人から構成される。政府が提出する法案は、事前に政権党に提示され、政府と政権党間で調整がなされ、政権党の了承がなければ提出されない。つまり、与党議員は政府法案を事前審査しているのだから、議会で質問する必要は無い。
また、「野党の質問時間が長すぎる」という場合でも、質問に対する答弁は、基本的に政権党の閣僚や副大臣が行うため、適切な答弁がなされれば、むしろ法案の正当性を高めることになる。自民党が野党の質問を恐れるとしたら、単に問題を抱えた法案であるか、あるいは「疑問に答えられない」「問題に対応する術が無い」など答弁者である与党議員の能力が不足しているかのいずれかであるためだ。

今回の背景には、自民党内で「選挙に際して野党候補から質問していないことを責められた」との声が上げられたとも言われるが、それは与野党の役割の違いでしかなく、そこは紳士協定で「質問時間の過多で相手候補を攻撃するのは自粛する」とすれば良い話だろう。
実態としては、国会議員や官僚の質的低下により、野党の質問に耐えられなくなって、質問時間自体を削減しようという動きになっているものと思われる。

仮に野党の質問時間が減らされた場合、与党議員は事前審査と議会質問で二度権力を行使できるのに対し、野党議員は唯一の機会をも奪われるわけで、そのストレスは院外活動に向けられる可能性が高く、自民党も霞ヶ関もうれしくないはずだ。
また、与党の質問時間が増えても、「総理の決意をお示しください」「大臣のお気持ちをお聞かせください」など、身内の自慢話の応酬が増えるばかりで、国会中継も恐ろしくつまらないものになるだろう。

さらに指摘するなら、衆議院の場合、国会議員の質問時間は答弁時間も含まれる。そのため、「質問時間30分」としても、実態としては「議員の質問が15分、閣僚答弁が15分」などの割り振りになっている。しかも、第二次安倍政権以降、閣僚が質問とは無関係の話を延々と続けるという「答弁」が急増、例えば質問5分に対して、大臣答弁が15分にも及ぶといった問題が生じている。これは言うなれば、政府によるルールの悪用・議会サボタージュであり、質問権の侵害に相当する。原理的には、野党議員の質問に対し、閣僚が延々と関係の無い答弁を行って、時間切れを狙うことも可能だからだ。

これに対し、参議院は「片道方式」と呼ばれるルールで、質問時間は質問者が話す時間を指し、答弁時間は含まれない。そのため、答弁者はできるだけ簡潔に要点を述べようと努める傾向がある。

近代議会制度はもともと国王大権を抑制し、暴走を止めるために機能を拡大、発展していった歴史がある。立憲君主制となって、国王大権の多くが失われると、行政権は政府が担うところとなり、議院内閣制下では首相・閣僚は政権党から選出される。つまり、行政権を抑制・監督する権能は、現代では野党が担っていることを意味する。その野党の権限を縮小しようというのが自民党の要求であると考えれば、その狙いは自然、議会の形骸化であることは容易に推察できるだろう。

【追記、11/17】
もっとも、予算委員会などにおける総理大臣の拘束が多いとか、大臣答弁が多すぎるという自民党の指摘は首肯できる部分もあり、政務官の答弁でも大臣並みの重みを持たせ、虚偽答弁は過去に遡って訴追できるようにするなどの条件をもって大臣の負担を減らすことを検討すべきだろう。
posted by ケン at 13:33| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

立憲民主党の限界

立憲民主党の組織運営上の課題についてはすでに述べた。
だが、政策、イデオロギー的にも同党の立ち位置は困難を伴うものを見られる。

まず立憲民主党は、今回あえて「立憲」の名を旧党名の民主党にかぶせる選択肢を採ることで成立した。「立憲主義とは何か」については議論が分かれるところもあるが、要は現行憲法を至上のものとし、それに則った国家運営を至上命題とする立場を意味する。つまり「民主党の護憲派」なのだ。

だが、日本の戦後民主主義は、第二次世界大戦の休戦条約の条件として課されたものに過ぎず、戦前の明治帝政下にあっては「民主主義」という言葉すら忌避されて、「民本主義的要素」がある程度の制度だった。そのため、思想的にも制度的にもデモクラシーの基盤は非常に脆弱なものとなっている。
憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。
(戦後日本の不安定な立脚点)

戦後日本が曲がりなりにもデモクラシーを堅持できたのは、日米安保によって担保された軽武装と、西側陣営に属することで保障された自由市場と自国の人口急増に立脚した高度成長に起因している。
だが、これらの前提は1990年代以降、大きく揺らいでいる。対テロ戦争に邁進した米国は、アジア地域における軍事的緊張を回避するようになり、今や「対中封じ込め」などは夢の話と化している。結果、アメリカは日本に対しても「自国の防衛は一義的には自国で賄え」と要求するようになっている(当然の話だが)。
日本政府・自民党は、当面はアメリカの裾をつかんで懇願することで軍事的空白をつくらないようにしつつ、徐々に軍拡を進める選択をするが、憲法上、財政的理由から十分には進んでいない。そのため「対中危機」や「対北危機」を演出することで、軍拡・改憲気運を盛り上げようとしている。「反中・重武装」路線である。
この対抗軸としては、「親中・軽武装」路線が考えられるが、果たして立憲民主党に「親中」や「東アジア共同体」路線が掲げられるかどうか、あるいは「親米・軽武装」という非現実的な路線を採るのか、難しい選択となる。

戦後の西側陣営を支え続けてきたリベラル・デモクラシーは、貧困と経済格差と移民問題から根幹が揺らいでいる。それは日本も例外ではなく、自民党や右派は重武装と権威主義化によって危機を乗り越えるべく、憲法改正を提唱している。
これに対し、いわゆる護憲三派(立憲、NK、社民)は改憲を否定、戦後秩序とリベラル・デモクラシーの護持に最高価値を置いている。その結果、「戦後秩序は危機に瀕しており、再編が必要」とする「改革派」の自民党と、「戦後秩序を危機に追いやっているのは自民党だ」とする「保守派」の護憲三派が対立、前者の優位が続いている。

もう一つは、「リベラル」である。今回、立憲民主党は「リベラルの総結集」「保守リベラル」を旗印に掲げ、これまで「仕方ないけど民主党、民進党」だったリベラル・左派寄りの層を「これで自分が投票すべき党ができた」と熱狂させることに成功した。
ところが、この「リベラル」というのは恐ろしく曖昧な定義しかされていない。例えば、今回立民を支持した層の大半は、TPPに反対の立場を取ると思われるが、では、自由貿易を否定するリベラリズムが成立しうるのかと言えば、激しく疑問を覚える。
これはE・トッド先生がおっしゃっていたことだが、米大統領選でトランプ氏が勝利したのは「真実」を語ったがためであり、同様にクリントン氏が選ばれなかったのはそれを隠して語らなかったがためだった。
その「真実」とは、「自由貿易と移民に象徴される自由主義こそが、全世界を過酷な競争に巻き込み、不平等と停滞をもたらし、中間層を没落させた」ということである。現実に、アメリカでは特に白人層の没落が著しく、全体で5千万人からの生活保護受給者がおり、平均寿命が低下に転じてしまっている。この現状を招いたのは、自由貿易によって工場が海外に移転し、国内産業が壊滅、残された雇用の多くも安価な移民労働者が占有し、白人中間層が没落するのを放置したがためだった。にもかかわらず、オバマ氏は相変わらず自由貿易と移民を称賛し、クリントン氏は「世界の警察官」の地位に強い執着を見せた。米国人が「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」とブチ切れるのは当然であり、むしろクリントン氏は不自然なくらい健闘したと思えるくらいだ。
(敵はリベラルにあり?)

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。

こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。
(敵はリベラルにあり?・補)

例えば、アメリカのサンダース氏、イギリスのコービン氏、フランスのメランション氏らが大健闘しているのは、「リベラル」だからではなく明確に「ソーシャル」を掲げているからである。また、現実に立民の支持層を見た場合、60代が最大で、以下年齢層が低くなるほど低下する傾向がある。つまり、リベラリズムは若年層には殆ど受け入れられていないことを示しており、立民のスタンスは「今が最大」であると言える。これを挽回するためには、若年層の支持を得られる「新型リベラリズム」を提唱するか、思い切って社会主義化(再分配と社会保障に至上価値を置く)することが必要だが、現状の立民にはそれだけの理論的基盤も、それを運用(体現)できる国会議員もいない。

以上の二点だけからも、立憲民主党は遠からずイデオロギー的にも行き詰まる蓋然性が高い。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

現代国家が抱える課題と選択

「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ない。20世紀以降の近代国家は常にこの命題に取り込み、選択し続け、今日に至っている。
この命題が最初に浮き彫りにされたのは第一次世界大戦だった。第一次世界大戦は、各国の軍事技術者や政治指導者の予想に反し、大規模かつ長期化を余儀なくされ、国家の工業力と経済力をフル稼働させて軍事生産すると同時に、国民大衆を肉体的にも精神的にも戦争に駆り立てる必要が生じた。また、政治社会的には、戦争の長期化と被害拡大に伴い、前線部隊の士気低下と国民大衆の不満増大が問題となり、厭戦気分や反戦運動・サボタージュへの対処が大きな課題となった。特に戦争と統制経済への不満から革命が勃発したドイツとロシアでは、「帝国後」の国家像に大きな影響を与えることになる。

ソ連の場合、革命後の内戦と干渉戦争を経てなお、「資本主義帝国による、干渉戦争に次ぐ侵略は必ず行われる」という認識を有していた。具体的にスターリンは「米英の支援を受けた日波同盟が東西から挟撃してくる」と予想し、早急なる戦時体制の確立を目指して、重工業化、軍部粛清、大軍拡に踏み切ることになる。これは「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」のうち、自由を最大限抑制する一方で、社会保障制度で国民不満を抑えつつ、軍拡を推し進め、総力戦に備えるという構想だった。
だが、二次大戦後も米ソ対立が激化、重武装を解くことができないまま、社会保障と市民抑圧の集産主義路線を続けた結果、経済成長が完全に止まってしまう。1980年代にゴルバチョフが軽武装化、社会保障改革、自由の限定的保障を求めてペレストロイカを行うが、時間切れで失敗に終わり、ソ連は瓦解する。

ドイツの場合、ヴァイマール共和国が成立して、主に「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を進めていたが、「ヴェルサイユのくびき」と世界恐慌の煽りを受ける中、SPDのブリューニング内閣が増税と緊縮財政を強行してしまう。これに対し、ナチスは「ヴェルサイユ体制の打破」「減税」「財政出動」を訴えて多数派を獲得していった。だが、戦後秩序に対する挑戦権を得るためには、重武装が必要であり、市民的自由を抑制しつつ、社会保障制度を整備する「国民的社会主義」路線となった。だが、現実には重武装よりも産業振興と社会保障制度を優先、戦争準備が整う前に大戦が勃発し、米英仏ソと全面戦争に突入した。

第二次世界大戦後、米国を除く西側諸国は「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を選択した。とはいえ、一方で米ソ冷戦が勃発していたため、西欧諸国はNATO、日本は日米安保による集団安全保障体制を築き、アメリカの軍事力に依存する形で軽武装の担保とした。ただ、英仏は核武装することでアメリカに対する発言力を一定程度キープした。また、日本では岸信介が「重武装(対米自立)」「社会保障制度」「市民的自由の抑制」を提案したものの、国民的支持を得ることなく失脚、少なくとも1980年代まで吉田路線が引き継がれた。

アメリカは第二次世界大戦が勃発するまで自由に特化した珍しい国だったが、大恐慌下で社会保障制度が一定程度整備され、また二次大戦の勃発によって重武装化を余儀なくされた。二次大戦期から1960年代初頭までのアメリカは、「重武装」「社会保障制度(不十分ながらも)」「市民的自由」の三つを同時に成立させた希有なケースとなったが、これは圧倒的な産業力と市場に支えられていたためだった。だが、ヴェトナム戦争でさらなる重武装が余儀なくされた上、国内産業も低迷したため、社会保障を切り下げる新自由主義路線で70〜80年代の危機を脱却した。だが、冷戦終結後も重武装を解除することができず、対テロ戦争で戦費がかさむ中、2000年代には市民的自由をも犠牲にするところとなっている。

日本は、80年代に中曽根政権下で新自由主義路線に舵を切ったものの、社会保障の切り下げには至らず、軽武装を中武装にする程度に終わった。だが、90年代には経済成長が止まり、2000年代には日中対立が激化(日本側の選択によるところが大きい)、対テロ戦争に伴い在日米軍の効果も低下、軍拡を余儀なくされている。結果、日本の軍事費は世界第7位の規模となり、世界第2位の海軍力を保有するに至っている。これに対し、国内市場は低迷を続け、特に低中間層の所得が低下している(世帯所得の中央値で1995年の550万円から2015年の428万円へ)。同時に急速な高齢化によって社会保障費が肥大化、2008年度一般会計予算における社会保障関係費21.8兆円が2017年度のそれは、社会保障関係費32.4兆円で予算97.5兆円に対し33.3%を占めるに至っている。
低中間層の所得が低下する中での大衆増税は効果が薄く、増税で軍拡を進めれば「軍事力で国難を打開する」という方向に働く恐れがある一方、社会保障を充実させても肥大化に拍車を掛けるだけで財政破綻やハイパーインフレが近づくだけの話で、にもかかわらず大衆増税で低中間層の可処分所得はさらに低下、貧困と経済格差を助長して社会的不安が増大する恐れが強い。結果、市民的自由を抑圧する方向に作用することになるだろう。

世界的には、米国覇権の衰退に伴って、第二次世界大戦後の国際秩序が再編期を迎えつつあり、国際緊張が高まる中、各国で軍拡圧力が高まっている。同時に米欧日などの旧先進国で経済成長が止まり、社会保障制度の維持が困難になりつつある。
第二次世界大戦後、西側自由主義国を先導したケインズ型国家像の維持が困難になり、それに替わる国家像が模索されている。

【参考】
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 21:05| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

直接民主主義はすでに実現可能

AIの進化で直接民主主義はすでに実現可能領域に入っている。
ケン先生のイメージでは、全有権者が自分の思想信条に合わせて代議士AIを組み、そのAIが代議員となって全ての予算や法案などを審議、可否を決め、採決も行うというもの。
現時点ではヴァーチャルでしかないが。もちろん大多数の有権者は自分でAIは組めないし、既存のAIを細かく設定するのも難しいと思われるので、現実には「簡易代議士パッチ(パック)」が必要となるだろう。
また、現段階の技術では、法案の可否までは判断できても、全代議士が仮想議会で法案を審議するのは難しく、量子コンピューターの実用化が待たれる。だが、これが実現すれば、1億人以上の仮想代議士が政府提出の法案について質問し、政府AIが全ての質問に答えることが可能になる。
「AIの法案対応が気に入らない」と思った有権者は設定を変えて調整すれば良いだろう。
リアル政治家と従来型の議会制民主主義への信頼が地に落ちつつある今、すでに検討すべき課題になっている。もちろん、VR直接民主主義がより良い政治を実現するとは限らないが。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

近づきつつある自由民主主義の終焉

【「非民主的な形態」容認の声も 日本含む5カ国世論調査】
 民主主義は望ましい体制と思うかどうかなどについて民間非営利団体「言論NPO」が日本、インドネシア、インド、マレーシア、韓国の5カ国を対象に実施した世論調査で、「非民主的な形態が存在しても構わない」との声が日本で約19%に上るなど、一定程度を占めたことが分かった。言論NPOが4日、東京都内で発表した。民主主義を支える政党やメディアが信頼を失いつつある傾向も浮き彫りとなった。調査は6〜8月、計約7千人を対象に実施。言論NPOの工藤泰志代表は「民主主義に疑問を呈する層が、欧米と同様にアジアでも出始めている」と指摘した。
(9月4日、共同通信)

引用と再掲ばかりになってしまうが、重要なことなので。
「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」
(ロバート・スキデルスキー『共産主義後の世界―ケインズの予言と我らの時代』)

「デモクラシーは主権者間の平等に、権力の正統性を置いているが、経済格差が深刻化し、平等性が侵害されている今日、その正統性が揺らいでいると見て良い。
近代国家の命題は、例外なく工業化(経済成長)にあり、それは権威主義国家であれ、民主主義国家であれ同じだった。だが、いざ工業化が実現すると、国家は命題を失うと同時に権力の正統性が危機を迎えた。この危機に際し、西側は消費社会とグローバル化で乗り越えるが、ソ連・東欧ブロックは産業構造のシフトに失敗、権威主義国家の権力源泉である権威そのものが国民の信頼を失って瓦解していった。
他方、西側は産業構造のシフトに成功したものの、今度はグローバル化と激しい自由競争にさらされる中で、経済格差と貧困が進行、民主主義国家の権力源泉である平等性を喪失しつつある。そして、平等性の喪失に対して、現行の政党や議会がほぼ無力であることが、デモクラシーへの不信となり、権威主義や排外主義への支持の源泉となっている。」

「貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある」
(自由民主主義の終焉、2016.4.22)

「現実には自由民主主義もまたイデオロギーの1つに過ぎず、彼らが信じているほど強固な体制でも無い。天地一体のように考えられていた江戸幕府は、安政の大獄から10年で瓦解し、世界そのもののように見られていたソ連は、ペレストロイカ開始から6年で崩壊してしまった。幕藩体制にしても、ソ連型社会主義にしても、統治システムと市場の有り様が時代に適応できなくなり、国民大衆の不満を吸収できなくなったがために倒壊したわけで、「自由や民主主義が足りなかったから」ではない。このことは、自由や民主主義を絶対視してしまうと、政治や社会の実相を見誤る可能性が高いことを示している。言うなれば明治期の佐幕派やベルリンの壁崩壊後の共産党員みたいなもので、数年もすれば「時代に適応できなかった可哀想な人」扱いされるかもしれない。」
(ソ連・東欧学のススメ〜米大統領選を受けて、2016.11.11)

「民主主義は有権者間の平等に原理的基盤を置いているだけに、貧困を許さない。国内の収奪システムを認め、貧困を放置して、自由貿易(経済)を進めるためには、デモクラシーそのものを否定するほか無い。今日の自公・霞ヶ関政府が、急速に権威主義化しているのは、自由貿易・経済が、彼ら富裕層・特権階層にとって都合が良く、「他に選択肢が無い」からだ。この傾向は、社会主義ブロックが崩壊し、中国が極端な格差社会になったことで、ますます助長されている。新聞業界がこぞって消費増税に賛成し、自らには免税を求めたのも、彼らにとっての利益がどこにあるかを示した結果に過ぎない。」
(TPP情報が開示されないワケ:自由民主主義の崩壊、2016.4.12)

「民主主義国家でテロが頻発すると、世論の硬化と野党の突き上げを受けて、選挙対策のためにも、政策的に強硬策を採らざるを得なくなる。治安体制や国民監視を強化するためには、基本的人権の抑制が不可欠となり、テロ対策を理由に正当化される。戦前の日本は民主主義国ではなかったものの、共産党対策として治安維持法が導入され、右翼テロの頻発に乗じて同法が強化・拡大適用されるに至り、わずかに存在していた基本的人権や民本主義の芽が潰されてしまった。現代の例を挙げるなら、9・11事件を受けて米国では、「愛国法」が制定され、国民監視が合法化され、基本的人権の抑制が正当化された。

ところが、たとえ戦時体制への移行が理由としても、基本的人権や市民権を抑制することは、自らのデモクラシーの正当性を否定することになるため、権威主義者(コミュニスト、ファシスト、ジハーディストを問わず)にとって有利に働くことになる。これは、「愛国法」を制定して、国民を弾圧したアメリカが、中東や中央アジアなどでデモクラシーを押しつけても説得力が無く、失敗に終わったことからも説明できよう。
興味深いことに、1940年の米国大統領選挙において、三選を目指すルーズベルトが「(レンドリース法は)火事が起きた隣家に水ホースを無料で貸し出すのは当たり前」と主張したのに対し、共和党のパンフレットには「他国に武力で民主主義を押しつけるものは、自国の民主主義を害することになるだろう(欧州大戦不介入)」旨が記載されていたという。
結果、ジハーディスト側がテロ活動を行い、米欧の対応が強硬策に傾くほど、イデオロギーとしての民主主義の優位性は失われ、世界の不安定化を促進させてゆくのだ。

「カラー革命」「アラブの春」などと喜んでいたものたちは、今やそのツケを払うことが要求されている。
日本でも、秘密保護法、安保法制が制定され、今度は拡大通信傍受法と共謀罪が用意されている。戦後デモクラシーは終焉を迎えつつあると言えよう。」
(対テロ戦争の難しさとデモクラシー、2015.11.24)
posted by ケン at 12:48| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

民進党代表選で論じられないもの

「沈む船でも船長になりたがるのが人間さ」
(芝村裕吏『猟犬の旗』)

民進党代表選は、議員歴四半世紀に近い前原候補と枝野候補が互いに「それっぽい」ことを言って、保守派が前原、リベラル派が枝野を推し、「人柄で言ったら前原さんだよね」ということで前原氏の勝利が確実視されている。
だが、ケン先生に言わせれば、二人とも肝心なことには何も触れていない。

ソ連史と昭和史をかじったことのあるものなら、軍拡と社会保障と社会的自由(リベラリズム)の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ないことを知っている。

戦前の日本は前2つを採って社会統制を強化した。ファッショ体制とは、世界大戦を前提とした長期戦に向けて国家を最適化させようというもので、リソースを軍事と生産に集中させるため国民の動員率を上げることを目的とする。そのため市民的自由を国家の制限下に置くが、そのままでは国民不満が増大するので、社会保障を充実させることで不満を抑制すると同時に、国家への従属と社会参加を強化することになる。

戦前の帝国日本は世界大戦を想定、陸軍はソ連と海軍はアメリカと戦争することを前提に巨額の予算を獲得、軍国化を進めた。例えば、日中戦争前の1936年を見ても、国家財政に占める軍事費の割合は47.6%にも達していた。国際的に孤立していた日本は、外国からの借款や投資は期待できず、内国債と増税で賄うほか無かったため、軍事動員の強化もあって、社会統制を強化していった(1928年に治安維持法改正、35年に天皇機関説事件、37年に軍機保護法改正、)。だが、同時に社会的不満を抑制し、工場生産を安定させるため社会保障の充実が図られた。例えば、1931年には労働災害扶助法、35年には常時5人以上を使用する事業所に健康保険加入を強制する政府管掌健康保険制度、36年には退職金制度が制定された。これらは、当時「リベラル」とされた民政党が反対していた施策であった。同時に、社会大衆党の先輩方が親軍路線に傾倒していった理由でもある。
ところが、総力戦体制が全く整わないうちに日華事変が勃発、想定外の中国と全面戦争を始めてしまった挙げ句、中国との戦争が原因で米英にも宣戦布告して破滅的な結末を迎えた。もっとも、海軍の中枢にいた伯父上が何度も述懐しているとおり、当時の軍人や政治家は口では言っていても、総力戦とは何なのかを理解している者は殆どいなかったものと思われる。総力戦の問題については、また別途論じたい。

今日のロシアも同じ状況にある。米欧との経済力が隔絶する中で、さらに軍事、外交的圧力が強化され、ロシアはGDPの5%というあり得ない予算を投じて軍拡を余儀なくされている。同時にプーチン政権は1990年代に壊滅した社会保障制度の再建に取り組んでおり、まだまだ見劣りはするもののかなりの水準を取り戻しつつある。だが、その一方で社会統制を強化すると同時に、権力の集中を図っている。

ソ連史を見た場合、内戦と干渉戦争を経て長い国際的孤立に入り、さらにドイツの侵略を受けたソ連は、本来のボリシェヴィキの目的だった社会保障の充実を後回しにしてひたすら軍拡するほかなかった。二次大戦後すらも米ソ冷戦に突入したため、巨大な軍事力を維持したまま社会保障の充実を図るほか無く、市民的自由は犠牲にされ続けた。だが、軍備と社会保障に重点を置いた集産主義は経済成長を阻害、1960年代に経済改革(コスイギン改革)を志向するも失敗、70年代には経済成長が止まってしまった。そこで80年代にペレストロイカと称して、軍事力を抑制しつつ、社会保障制度の再編と社会的自由の拡大を図ったが、まず軍事費の抑制に失敗、社会的自由の拡大は党による国家統制を失わしめ、ソ連は崩壊していった。
80年代のアメリカは、軍拡を進めてソ連に圧力を掛けたが、それは社会保障を犠牲にすることで成り立っていた。

現代日本の場合、自民党は社会保障を少しと自由を半分削ることをめざしているが、民進党は3つ全て追求しようという前原氏と軍拡を否定する枝野氏が代表選を争う構図になっている。

前原氏は、「All For All」などと「それっぽい」ことを言っているが、要は大衆増税を行って社会保障を維持しつつ、対中北強硬路線に基づく軍拡路線を進めるという話で、しかも市民的自由は保障するという、原理的に無理筋な主張となっている。
デフレ下での大衆増税は、ただでさえこの15年間低下し続けている低中所得層の可処分所得をさらに低下させて経済格差を助長させることになる。これは社会的不満を増大させ、治安悪化の要因となるため、社会統制の強化(治安立法と警察力強化)で対応するほか無い。また、社会保障の充実は、現行制度がバケツの底に穴が空いている以上、消費増税程度では数年しか保たない。
2008年度一般会計予算の社会保障関係費は21.8兆円、一般会計予算83兆円の約26%、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出47.3兆円に対しては46%を占めていた。だが、2017年度のそれは、予算97.5兆円に対し、社会保障関係費32.4兆円で約33.3%、一般歳出58.4兆円に対しては55.5%を占めるに至っている。社会保障費はわずか9年間で10兆円以上も肥大化しているが、今後は自然増で毎年1兆円以上の増加が見込まれている。これは、基本的には長命による高齢層の増加に起因しているが、医療技術の進歩による医療費の高騰も一因になっている。
ちなみに今年度は前年比5千億円の増加で抑制されているが、これは自然増分を政策的に抑制しているだけで基本的には「一時凌ぎ」でしかない。野党はこれを批判するわけだが、野党側に社会保障費の肥大化に対する対案があるわけでもなく、無責任の誹りは免れないが、根本的な対応策が無いという点では自民党も政府も無策と言える。
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・下

つまり、「軍拡も社会保障も自由も」という前原路線は原理的に不可能で、強行しようとすれば2009年の鳩山内閣以上の惨事となろう。
付言すると、この点、連合は明確で「軍拡」「核政策」「正社員既得権益」が担保されれば、他は全て犠牲にして良いというスタンスなので、前原氏を全面的に支援している。故に前原氏が個人的には志向していると思われるリベラリズムは、新体制下で放棄されるだろう。

一方、枝野氏は軍拡路線を否定、社会保障の充実と市民的自由の護持を主張することで、原理的な無理は無い。だが、北朝鮮や中国からの「脅威」が煽られて国民大衆がタカ派路線に傾倒、社会的には排外主義が蔓延する中で、従来型のリベラリズム、社会民主主義路線は支持されにくくなっている。衆議院の選挙制度が小選挙区を基軸とし、参議院でも一人区が多くなっている中で、国会議員も候補者も少数派の主張に与すること自体が大きなリスクとなっている。結果、内心では枝野氏の政策に賛同しながら、「これでは当選できない」という理由(本音)で前原氏を支持する者が続出している。

他方、民進党はそもそも政党として完全に行き詰まっている。もともと民主党はオールド・リベラリズムと新自由主義の融合を掲げて成立したが、小泉政権時にネオ・リベラル論争に敗北(民主党こそが真の改革者)、小沢一郎氏の下で社会民主主義路線(国民の生活が第一)を進めたものの、政権交代を経て党の内紛が勃発、半年で鳩山内閣が倒壊し、菅内閣が成立すると政策理念も国家像も無いまま漂流するところとなった。野田内閣に至っては、従来の自民党と寸分かわらない政策となり、その反省をせぬまま今日に至っている。つまり、新自由主義でも社会民主義でもない路線が打ち出せない以上、何を言ったところでその場凌ぎにしかならない。

また、対外的には「Democratic Party」をうたいながら、支部会議すら開かれず、党員にいかなる権限もなく、国会議員に権力が集中する一種の民主集中制を採用していることは、民進党が本質的にデモクラシーを否定していることを意味する。
同時に、野田内閣で各種治安立法を企図しながら(社会統制の強化、市民的自由の制限)、野党に転じると反対し、しかも党内には連合を含めて「本音では賛成」という者が過半数を占めていたことは、自由を志向する国民大衆への背信行為と言える。

つまり、民進党は民主主義や自由を訴えるだけの正統性を欠いているのである。

【追記】
「ケン先生だったら何を訴えたか」については、以下の記事を参照して欲しい。
・日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 12:15| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする