2018年07月06日

民族国家とデモクラシーの終焉・下

先の続き
国内での収奪が進められる一方で、議会制民主主義は政治的課題の解決能力や国民的合意形成能力を失いつつある。そもそも、今回の労基法等改正(政府呼称「働き方改革関連法案」)やいわゆるカジノ法案自体、階級間合意や国民合意を無視した議論になっていることは非常に象徴的だ。安保法制や共謀罪もそうだったが、「決められない政治」が批判されて、「決断する政治」が支持された結果、「合意なき上からの決定」が横行するようになっている。

「決められない政治」を挙げるならば、例えば原子力発電の処遇が挙げられる。全廃して自然エネルギーに全面移行する決断もできなければ、再稼働・推進を強行するわけでもない。これは、公的補償を行わないまま原発全廃を決定してしまった場合、原発を有する電力会社が総倒れになってしまうためだと考えられる。かと言って、安全コストや事故リスクが急上昇し、反対派も根強い中で、原発再稼働を強行するだけの政治的コストを掛ける余裕も無い。結果、「何も決めずに様子を見る」ことで、電力会社は原発を損失計上することなく経営を守り、政治家と官僚は政治的リスクを負わず、国民も忘却してゆくという事態が生じている。

もう一つ象徴的な例として、ウナギが挙げられる。ウナギはほぼ絶滅寸前にあると考えられるが、飲食店や養殖業者の反発を恐れる自民党と霞ヶ関はこれを放置している。この場合、飲食店や養殖業者などに一定の補償金を出すことで漁獲規制などの合意を取り付ける必要があるわけだが、財源が無い上に、合意形成能力を欠くため、何も決断できなくなっている。これはウナギに限った話では無く、漁業全体に言えることだ。
デモクラシーは財政的裏付けが無いと容易に機能不全に陥るという好例かもしれない。

他に大きな話では、少子化対策が挙げられる。これは「労働時間を減らす」「児童手当を増やす」「個人の教育負担を減らす」「婚外子に人権を認める」など対策自体は明白であるにもかかわらず、議会や政府内で合意形成できない結果、実効性の薄い政策しか実現できず、事態を悪化させている。

議会制民主主義の特質として、既得権益の受益者が議会に代表者を送り込むインセンティブが強く、同時に活発なロビー活動を行う傾向があり、投票率が低くなればなるほど、既得権益層の利害がより強く反映されるところとなる。
例えば、労働者層で考えた場合、雇用者総数5500万人のうちわずか600万人の大企業正規職員で構成される連合が、組織内候補を何人も国会に送り込んでいる一方、5000万人近い未組織労働者は、未組織であるが故に政治力を持たず、自分たちの代表者を議会に送り出すことができないでいる。結果、「労働者代表」を僭称する連合組織内議員が、国会で「原発推進」「TPP推進」「リニア新幹線推進」「軍拡推進」「働き方改革賛成」などを唱える始末になっている。

低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。

ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいると言える。
デモクラシーは、比較的同質的な民族や市民が連帯感を共有する共同体の中で、民意を反映した議会が主権を代行して、民族や階級間の合意形成を行うシステムであるが、連帯感や共同体意識が薄れ、民族・階級対立が先鋭化すると、合意形成能力が失われ、急速に統治能力が低下して行く。ファッショが支配する前の独伊西などが典型例だろう。
戦前と異なるのは、国民国家や経済的繁栄が保証されなくなっている中で、一度デモクラシーが失われた場合、回復しない可能性が高まっている点である。とはいえ、デモクラシーに替わる政治理念や制度が提示されているわけでもなく、時代は新たなカオスに突入してゆくのかもしれない。

ただ、現行の議会制民主主義に基づく統治システムがいつ破断界を迎えるかについては、現時点では判断できない。統治システムが機能不全に陥ることは90%以上確実と見ているが、いつ瓦解するのかについては大きな幅があるように思われる。
ソ連で考えてみた場合、少なくとも1987年までは社会はペレストロイカに対する期待で満ちあふれていたらしく、88年前後から物不足が発生するも、それが不満や不信に変わってゆくのは89年に入ってからのことで、90年には統治不全が蔓延、91年に機能停止に至っている。つまり、目に見える形で統治不全が発生するようになると、瓦解までは早いようだが、現状の日本はそこまでは悪化していない。
しかし、財政悪化、日銀による国債購入、年金基金による株価購入といった要素を考慮した場合、金融危機が生じていきなり破綻する事態も考えられる。ヴァイマール共和国の場合も、崩壊(憲法停止)の直前まで民主的な選挙が行われていたことを考えても、経済危機ないしは戦争の有無が大きく作用しそうな気もする。
現状では「10年から20年以内」と考えられるが、自信は無い。

【追記】
リベラリズムの利点は、既得権益層の政治的影響力を抑止しつつ、スクラップ・ビルドのスクラップを容易にすることで、社会の新陳代謝を促進し、成長力の持続を図る点にある。ところが、日本の場合、政策減税、公的補助金、公的金融機関、公共事業がソ連型社会主義国に次ぐほど存在するため、自由主義の利点が効果を発揮しづらい傾向がある。そして、この側面がますます強化され、必要な新陳代謝が行われなくなっている。
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2018年07月05日

民族国家とデモクラシーの終焉・中

先の続き
さて、デモクラシーの話に移ろう。近代デモクラシーは、国民国家と併走する形で誕生し、発展してゆく。国民国家は工業化・近代化を目的としたが、その最大の課題は階級対立であり、事実、19世紀後半から20世紀初頭は、労働運動が最も過激化した時代だった。工業化の過程では、労働力の動員が不可欠だが、労働者の地位と待遇は恐ろしく低く、ストライキとサボタージュが蔓延、その生産性は非常に不安定なものだった。また、工業化に伴い、資源と市場を獲得する目的で、植民地獲得競争が起こり、同時に軍拡競争が起き、各国では兵員不足が生じ、この点でも国民の動員が不可欠となった。例えば、ロシア革命期の帝政ロシア軍では、一晩で一つの軍団からほぼ一個師団分の兵士が脱走するという事態が起きており、その戦力は恐ろしく不安定なものだった。同様のことは、日中戦争・国共内戦期の国民党軍でも起きているが、国民国家にも共通する課題であり、だからこそナショナリズムが称揚されることになる。

工業生産と軍事戦力の安定化を図るためには、市民に一定の政治的権利を付与し、国民統合力を強化しつつ、労資間の合意形成を容易にするのが最も合理的だった。地主や資本家による右翼党と、農民や労働者による左翼党が議会で利害を調整し、一定の合意を行うことで、階級間の和解が実現、ストライキやサボタージュ、あるいは敵前逃亡が減るという仕組みだった。第一次世界大戦において、各国の社会民主主義政党が戦争を支持したのは、デモクラシーに忠実だったためである。現代においても、トニー・ブレア氏が率いるイギリス労働党が、アメリカによるイラク侵攻を支持し、派兵したことによって有効であることが分かる。

これに対して、一般的あるいは共産党的なファシズム理解では、権威主義政党が労働者階級を弾圧して、資本に従わせる政治思想・制度とされているが、あまり実態をとらえていない。この理解では、イタリアでもドイツでも、ファッショ時代の方がむしろ労働者の待遇改善が進んだ面があることを説明できないからだ。現実には、権威主義政党が暴力と権威をもって、階級対立を止め、その党と政府に資本と労働力の動員を集約するのがファシズムと考えるのが妥当だろう。
しかし、この手法の場合、武力で中断させた階級対立の矛先を、外国人や外国に向けることでしか、国民統合力が維持できないため、第二次世界大戦を勃発させ、敗滅するに至った。以下、参考。
第一次世界大戦は、各国の軍事技術者や政治指導者の予想に反し、大規模かつ長期化を余儀なくされ、国家の工業力と経済力をフル稼働させて軍事生産すると同時に、国民大衆を肉体的にも精神的にも戦争に駆り立てる必要が生じた。また、政治社会的には、戦争の長期化と被害拡大に伴い、前線部隊の士気低下と国民大衆の不満増大が問題となり、厭戦気分や反戦運動・サボタージュへの対処が大きな課題となった。
戦争自体は、ロシアとドイツの軍事的敗北に起因する革命によって終了するが、共産主義ソ連の成立と、ヴェストファーレン(ウェストファリア)条約以降の慣例(領土権、主権と内政の不干渉)を無視したヴェルサイユ条約の締結、さらに植民地体制の動揺(民族解放運動の激化)と世界恐慌によって、「軍事力による国際秩序の再編は不可避」という認識が、特にドイツ、イタリア、日本において共有されていった。
ソ連はソ連で「資本主義帝国による、干渉戦争に次ぐ侵略は必ず行われる」という認識を有していた。具体的にスターリンは「米英の支援を受けた日波同盟が東西から挟撃してくる」と予想し、早急なる戦時体制の確立を目指して、重工業化、軍部粛清、大軍拡に踏み切ることになる。

「次なる世界戦争」もまた、一次大戦以上の超規模かつ長期化が予想されたため、総力戦に向けた継戦能力と軍事生産能力の向上と大規模動員を可能とする国家体制の構築が求められた。これが「総力戦体制」となる。
英米仏に比して経済的、産業的基盤の弱い日独伊は、国際的影響力や経済力の脆弱性を軍事的優越によって補正し、あるいは覆そうという意図を持って、市民的自由を制限しつつ、広範な国家動員体制を築いて、重工業化と産業基盤の強化を目指した。
総力戦体制とは何だったのか

二次大戦から米ソ冷戦を経て、結果的には、工業化・近代化において「国民国家+デモクラシー」の優越性が証明されたかに見えたが、そうでは無かった(相対的には正しいかもしれないが)。
米欧日で曲がりなりにもデモクラシーが維持されたのは、経済的繁栄と米ソ対立を前提とした階級和解(休戦状態)が担保されていたからだった。1990年代に、西側諸国の没落が明らかになってくると、米ソ冷戦が終わったこともあり、階級和解は反故にされる。中間層の増大によって、社会民主主義政党の力は弱まっているか、政治力や対資本交渉力を失っており、労働時間規制の緩和、非正規化・請負化、脱時間給、成果報酬制度の導入など労働者階級の分断が図られると同時に、消費増税や所得増税などによって中間層に対する収奪が強化され、一方で法人税の引き下げや銀行支援などによって資本の延命と優遇が進められた。

これらの不公平な改革は、外見上、民主的に選ばれた議会において決定されているが、現実には没落した中間層は過去の栄光を夢見て右翼党を支持、既存の左翼党は階級和解体制に慣れきってしまって、階級闘争を行うだけの思想も手段も無い状態にある。また、政府と右翼党は、中間層や労働者階級を分断し、あるいは選挙制度を都合良く改変することで、相対的優位を保ち続けている。

だが、こられは全て破綻を先送りにしているに過ぎない。国内の収奪を強化すればするほど、民意が適切に反映されないデモクラシーに対する無関心あるいは不満が増大し、いつしか暴力的解決を望む声が強まるからだ。無関心層の増大は、全員参加を大原則とするデモクラシーの正統性を損なうだけに、制度の根幹を融解させるものとなる。1991年8月にエリツィン・ロシア大統領がソ連共産党の活動停止命令を出した際に、全く抵抗が見られなかったのは、無関心層が圧倒的多数を占めていたからだった。
以下続く
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2018年07月04日

民族国家とデモクラシーの終焉・上

ケン先生が15年超の永田町勤務を経て感じているのは、今や民族国家とデモクラシーが黄昏を迎えているということである。
欧州がいち早く国家統合を進めたのは、国民国家が機能不全を起こし、単一国家として存続することが難しくなっていることの現れであろう。EU自体は山ほど問題を抱えているものの、EU以前に立ち戻るというのも現実的では無い。市場統合と安全保障の両面から考えて、一定規模のブロックに集約されていくのが、21世紀のトレンドと考えるべきだろう。それは、東アジアも同じで、形式はともあれ、新たなる中華帝国としてブロック化されるのは不可避と考えられる。

デモクラシーも同様に機能不全に陥りつつある。アメリカでも欧州でも、既存のエリートや政党に対する不信が強まると同時に、ポピュリズムが猛威を振るっている。だが、そのポピュリズム政党も政権を取ったところで、諸問題を解決できているわけではなく、政治不信と不満を増幅させるばかりとなっている。これは、合意形成に重きを置きつつ、民意を最大限反映させることを主眼としたデモクラシーが、統治能力を失いつつあることを示している。

以下は、基本的にマルクス主義による理解となる。
国民国家は、工業化と近代化(資本主義化)が進む中で、資本と労働力を最も効率よく集中、動員する手段として「開発」された概念であり、一定のフィクション・虚構の上にのみ成立している。それは、国民あるいは民族という概念であり、「一つの民族に一つの国家」という架空の概念だった。
これは自国の歴史で考えると分かりやすい。江戸期までの日本には、日本民族や統一国家の概念はなく、欧米列強からの介入を排するだけの軍事力と経済力を獲得する必要から、工業化が不可欠となり、その結果として、封建体制が倒されて明治帝政が誕生した。
しかし現実には、例えば会津と薩摩では通訳無しでは言葉も通じず、日常文化も大いに異なっており、「我々は同じ日本民族ではないか」と言ってみたところで、全く説得性を持たなかった。
結果、天皇の強い権威と神聖性の下に、臣民が拝跪して臣従を誓うという明治帝政が編み出され、国民統合と工業化の原動力とされた。当然ながら、江戸期には殆どの人が存在すら知らなかった天皇に現実の権威はなく、虚構の制度(国家神道を含む)をつくって、巨大な軍事力で担保するほか無かった。

工業化の過程では、大量の工場労働者が必要となるが、身分が固定された封建社会では、必要な労働力を動員することができないためだった。帝政ロシアですら、1861年に農奴解放令を発しているのは、工業化に不可欠だったためだ。
同時に、工業化の過程では、生産される商品の販路が必要となるが、これも領域が分断された封建社会では自由に市場開拓できないため、より広域の単一市場が求められた。

我々は学校の社会や歴史で、明治から昭和初期の「女工哀史」について教わる。農村から身一つでやって来た女の子たちが、12時間とも15時間とも言われる長時間労働に従事し、狭くて不衛生な部屋に押し込められ、隷属的な労働を強いられた話を聞き、胸を痛めた人も多かっただろう。だが、低賃金や長時間労働は事実としても、実際の女工たちの感じ方は全然違うものだったらしい。
月給をもらって、自分の欲しかった着物を買ったときのよろこびは格別でした。それから工場は休みがあるでしょ、休みの日にはだれに気兼ねすることもなく友だちと町へ遊びに行きました。紡績へ行っていたときが人生で一番自由なときでした。(中略)寄宿舎には電気がついていますし、食べものも家で食べるよりははるかに良かったですもん……
(田中圭一『村からみた日本史』)

自由民権運動や社会主義運動に対して過酷な弾圧を加えた明治帝政が存続し得たのは、工業化・近代化に臣民(国民)を動員すると同時に、その果実を公平とは言えないまでも、最低限度は配分できたからだった。
だが、日露戦争と第一次世界大戦の勝利に伴う国力に見合わない大軍拡と、大正デフレや昭和恐慌によって、貧富の差が拡大すると同時に、特に農村の貧困が深刻となり、国民統合が危機にさらされ、諸問題の暴力的解決が望まれるようになった。昭和初頭のクーデターやテロリズム、あるいは戦争が国民から熱狂的に支持されたのは、国民国家の一つの末路だったのである。

第二次世界大戦の敗戦を経て、日本は天皇制の存続が認められる。それは、米ソ対立の中で、日本を冷戦の重要拠点としたかったアメリカの思惑によるところが大きかったが、同時に「民主的要素を持った遅れた半封建国家」というアメリカ知識人の認識から「共和制は早すぎる」と判断された面もあった。実際に、過重な軍備負担から解放された日本は、戦後十年で国民統合を回復させ、重工業化を進め、繁栄を遂げた。

ところが、1990年代に入ると、経済的繁栄に陰りが生じる。資本主義の繁栄は、資源と労働力を不当に安く買いたたき、支配下・影響下にある独占市場に加工品を高く売りつけることによってもたらされた。だが、全世界的な工業化の進展に伴い、資源価格が上昇、また、米ソ対立の中で労働者を保護し、国民統合を維持する目的から、西側諸国では労働コストが高止まりし、収益を悪化させた。
冷戦の終結により、西側諸国では国内の労働者を保護する理由が失われると同時に、賃金を切り下げることで資本側の収益を確保するようになり、国内での収奪が進められた。これは、労働時間規制の緩和、非正規化・請負化、脱時間給、成果報酬制度の導入などによって証明できる。結果、日米欧では、急速に貧富の格差が拡大、貧困層の増大と社会的疎外が深刻になっている。

先に述べたとおり、国民国家は一国の近代化と工業化を実現する上で、資本と労働力を効率よく動員するためのシステムであり、「同じ民族として、民族国家を発展させよう」という虚構のスローガンを掲げて邁進するために、労働者の最低生活や諸権利を保障した。ところが、米欧日は近代化と工業化を実現してしまい、国家目標を失ってしまう。また、資本の収益が悪化したことから、国内に対する収奪を強めており、国民国家の前提条件となる階級和解の破綻が進んでいる。特に米欧では、より安価な労働力を求めて移民や外国人労働者を導入した結果、国内の民族対立と階級対立を促進させている。

さらに、経済規模の拡大を受けて、より広大な市場が必要となり、世界市場への統合(グローバリズム)やブロック経済化が進んでいるが、これらに対する反発から外国人排斥や人種差別などの問題が深刻化している。日本でも、中国や韓国の市場が大きくなって、日本にとって無視できない存在になった結果、国内におけるアジア差別の感情が増大していることは、非常に象徴的だ。

工業化あるいは近代化の途上にあっては、一定の貧困や経済格差の問題は、「単一民族国家のために国民が一致団結して頑張ろう」というナショナリズム(虚構のスローガン)の下で、うやむやにされると同時に、現実の恩恵によって解消されてきた。
しかし、近代化が実現した途端に、国民の大半は一方的に収奪される存在に堕されてしまったのだから、もはや国民国家の前提条件は破綻していると見なすべきだろう。日本政府・安倍政権が、東京五輪を利用してナショナリズムを称揚しても、ボランティアが足りず、学生を動員せざるを得なくなっていることは、19・20世紀型の国民国家像が機能しなくなっていることの証左である。そのボランティアも、1964年には有償だったものが、2020年には通訳まで無償になっていることは、あまりにも象徴的だ。

この期に及んで、収奪される側から排外主義を煽る者が急増、リベラル派の脅威となっているが、あれは「収奪するなら、同じ国民では無く外国や外国人からやってくれ」「外国人に対してなら、自分も収奪する側になれるかもしれない」という悲痛な叫びに過ぎず、自らナショナリズムを称揚し、進んで国家との一体化を宣言することで、自分だけ資本の収奪から免れようとする哀れな連中に過ぎない。資本家からすれば、工業化のプロセスが終わった以上、収奪先は自国民であれ、外国人であれ、どうでもいいのだから、彼らの訴えは喜劇であると同時に悲劇でしか無い。
以下続く
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2018年07月03日

無理筋なお手盛り定数増

【<参院6増案>野党対案検討で攻防 自民案に公明慎重】
 自民党と無所属クラブが国会に提出した参院の定数を「6増」し、比例代表の一部に拘束名簿式を導入する公職選挙法改正案を巡り、反対する野党が対案を検討している。自民党は野党案を否決して来月10日までの成立を図る構えだが、公明党も様子見の態度に転じており、簡単に押し切りにくい状況になりつつある。
 「自民党の自民党による自民党のための改革案だ」。参院で野党第1会派の国民民主党の玉木雄一郎共同代表は25日の記者会見で自民案を改めて批判した。立憲民主党も「自民党の党利党略だ」(長妻昭代表代行)と指弾する。
 自民案は、「1票の格差」を是正するため、議員1人当たりの人口が多い埼玉選挙区の定数を6から8に増やす。比例代表の定数は4増やし、現行の非拘束名簿式に加えて、「特定枠」として拘束名簿式を一部導入する。「鳥取・島根」「徳島・高知」の合区対象県で選挙区の候補者になれなかった人を、比例代表の名簿順位で優遇して救済する狙いがある。
 反対する野党のうち、希望の党は既に対案をまとめた。埼玉の定数増は自民案と同じだが、石川、福井両県を合区して両県の定数を計4から2に減らす「2増2減」。全体の定数は増えない案で、定数増に反対する日本維新の会などに共同提出を呼びかけている。
 定数増などへの世論の批判の高まりに、自民案を容認する姿勢だった公明も対案提出に含みを持たせ始めた。もともと定数を変えずに全国を11ブロックに分ける大選挙区制の導入を主張。党幹部は「野党が対案を出せば公明も出さないわけにはいかない」と話す。維新の馬場伸幸幹事長は24日、「公明案が我々の考え方に近い。乗ることもある」と同調の可能性を示唆したが、与党内には「対案は両方とも否決されるだろう」(幹部)との見方が広がる。
 参院選挙制度に関わる法案のため参院先議で、自民は来週に改正案を参院政治倫理・選挙制度特別委員会で審議入りさせたい考えだ。安倍晋三首相は7月11日から外国訪問を予定している。この間に野党が内閣不信任決議案を提出すると処理できず審議が停滞する可能性があるため、自民は出発前に成立させる日程を描いている。
(6月25日、毎日新聞)

何とも分かりづらい改革案である。「全都道府県から代表者を」ということなら、単純に鳥取と島根、徳島と高知を合区などせずに、そのまま「一県最低定数2」としておけば良かったはずだ。自分で合区の公職選挙法改正を通しておきながら、「やっぱり具合が悪い」とたった一回の選挙をやっただけで再改正しようというのは、あまりにも不誠実かつ無能であろう。

しかし、元に戻すのは具合が悪いという認識はあるらしく、合区で失われた議席分を比例代表に組み込んで拘束名簿式で上位指名することで担保しようという話であり、これでは「自民党の自民党による自民党のための改革案」と非難されても宜なるかなだ。

そもそも18、19世紀にできた地域代表制を21世紀の今日でも使い続け、その地域利害の代表者に国政課題を論じさせること自体、もはや政治制度として限界を超え、現状の政治課題に対応できなくなっていると見るべきだが、現在国会議員の地位にある者にとっては、現行制度が常に最良であるだけに、根源的に改革に対するインセンティブがない。
国会議員は、参議院の比例代表選出者や衆議院の比例単独選出者を除く大半が選挙区から選ばれている。日本の場合、有権者は候補者の政策や主張よりも、人柄や人物像を重視する傾向が強いため、候補者もそれを重視せざるを得ない。結果、実際の選挙時に掲げる政策や議会での活動実績よりも、日常活動で「顔を売る」ことが重要となる。具体的には、選挙区内の各種イベントや酒席にひたすら出席して、一人でも多くの有権者に「見知ってもらう」ことが活動の中心となる。とかく保守系の政治家が、軽薄な発言を繰り返すのは、少しでも有権者に自分を印象づけたいがために発せられる「サービス」の部分が大きい。そして、自分の当落が掛かっているだけに、議会活動よりも地元回りを優先することになる。実際、自民党であれ旧民主の小沢氏であれ、「1、2回生の仕事はひたすら地元を回ること」と教えている。

この「地回り」の中で、もう一つ重要となるのが「陳情受け」である。有権者から各種陳情を受け、処理することで支援者と献金を増やすことが目的となる。陳情と言えば聞こえが良いが、現実には行政に圧力を掛けて、特定の者に優先的にサービスを供与させる汚職でしかない。最近では甘利問題が有名だが、自民党では当たり前すぎて、何故それが問題にされるのかすら理解できないだろう。結果、当選回数の若い国会議員は、議会活動などせずにひたすら地元を回り、陳情を受けて処理し、御礼にカネや票をもらうことに専念する。これを当選回数で2回、当選前から数えれば10年近くもやるのだから、3回生になる頃には地元の有権者とズブズブの関係になり、腐敗システムが構築され、議員本人も秘書もそれが「当たり前」になって、正常な感覚を失ってしまうのだ。
要は、自民党や小沢氏の教えは、「腐敗体質が強いほど選挙に強い」ということであり、日本の政治制度はその前提の上に成り立っている。

90年代まで行われていた中選挙区制度は、「自民党の候補者同士が有権者を奪い合うために陳情処理を競い合うことが、巨大な腐敗を生んだ」との認識が広まり、政治資金規正を強化すると共に小選挙区制に移行するところとなった。確かに小選挙区制に移行したことで、何億、何十億円という献金は影を潜めたものの、別の問題が生じた。
二大政党による政権交代の慣習が無いところに小選挙区制を導入してしまったため、導入以降、自民党以外の政権が成立したのは20年間でわずか3年強という有様だった。その結果、野党系候補の少ない地方では、自民党の議席占有が常態化し、「自民党にあらずんば人にあらず」が進んでしまった。つまり、自民党議員にアクセス権を持つ者のみが、優先的に公共事業や行政サービスを受ける権利を有するところとなり、それ以外のものはますます住みにくい社会になり、土地や仕事を捨てて都市部に出る流れを強めてしまった。同時に、伝統的に建設業が強い自民党は、需要の無い公共施設やインフラの整備に邁進するため、いたずらに維持コストを高めてしまい、これが地方財政を圧迫して、生活弱者への支援を細らせて都市部への流出を促してしまったのだ。
ロシアの諺で言うところの「魚は頭から腐る」である。
地域代表制が政治と地域を腐敗させた?)

今必要なのは、「地域代表制を廃止する」「議会外で選挙制度や議会改革に関する議論を行う」「国民に政治参加を促す」である。
地域代表に替わる仕組みとしては、例えばケン先生が提案している委員会別選挙が挙げられる。
議会改革については、第三者機関が担うのが望ましいが、民主的正統性を持たない第三者機関が選挙や議会制度を議論することには大きな問題がある。
政党参加率が低迷し、投票率も低下傾向にある現状は、議会制民主主義の危機であるが、殆ど危機感が持たれていないことは、議会制民主主義そのものが十分に理解されていないことの表れと言える。

いずれにせよ、自己改革能力を失った政治制度は、腐敗するまま機能不全に陥ってゆくだろう。
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2018年05月08日

日本保守の耐えられない軽さについて・下

前回の続き
翻って、日本の保守主義は何に依拠しているのだろうか。
現代の日本国が明治維新に端を発している以上、江戸期の幕藩体制への回帰が反動という位置づけになるだろう。しかし、日本においては徳川家による資産(宮城や赤坂御所など)返還運動が全くなされていないことに象徴されるように、反動勢力そのものが存在しない。
結果、日本の保守主義の主流は明治維新・明治帝政に重い価値を置くところから始まる。ところが、明治維新(戊申政変)はたかだか150年前のものでしかない上、明治帝政は1945年に国土を灰燼に帰して滅亡寸前まで追い込まれ、休戦条約によって解体されてしまう。そのため、先に挙げた夫婦同姓に象徴されるように、「伝統」に厚みがなく、保守派が主張する伝統そのものが非常に薄っぺらいものになっている。同時に、彼らが明治帝政を肯定し、その侵略性や暴力性を否定すればするほど、周辺国との軋轢が生じ、安全保障上のリスクが高まり、軍事依存が強まるスパイラルに陥っている。また、彼らが明治帝政を肯定すればするほど、「凄惨な結末」が強調されてしまい、「でも同じ過ちは犯さない」となると対米追従・依存を強め、「強い国家」という保守原理との矛盾が大きくなるばかりとなっている。
つまり、明治帝政に依拠する保守というのは、ドイツのネオナチのようなもので、どこまでも無理がある存在なのだが、本土決戦が行われず、天皇制が存続されてしまったことで、「何となく」成立してしまっている。

日本では、現実政治で保守が強い割に、その原理は非常に脆弱という特徴がある。例えば、「強い国家」という場合、フランスでは絶対王政、イギリスではヴィクトリア朝がモデルとなるが、日本では1945年に破綻した明治帝政しかない。その明治帝政をモデルとするため、英国流の郷土主義も成立しない。

家族原理(家父長制)も、明治帝政期に人工的につくられたシステムで、成立したのは大正期以降の中産階級においてのみだった。
江戸時代にあっては長男以外は、養子に行くか、独立して一家を立てるかしない限り、結婚できなかった。人口の8〜9割を占めた農家の場合、次男以下は実家で農奴のように働くか、養子に出て自作農の家を継ぐかしない限り、あとは街に出て、日雇い職人や武家商家の下働きをするしかなかった。当時世界随一の大都市であった江戸でも、人口の6〜7割が男性で、その圧倒的多数は日雇人夫や路上商人(棒手振り)であり、彼らは結婚など夢のまた夢だったのだ。
この点でも、イエ制度の復活は全く現実的では無い。

また、欧州で言えばキリスト教に相当する宗教的権威や伝統も日本では脆弱だ。こう言うと「神道がある」と言われそうだが、現在ある神道は殆ど明治維新後に成立した新宗教の類いで、江戸期には神仏混淆が激しく、教義も教団も信徒も非常に曖昧なものだった。仮に「神道を国家宗教に」と主張してみたところで、「では、教義はどうするのか?」となると何も答えられなくなってしまう代物で、だからこそ戦前の国家神道は天皇の権威を神話的に創造することでしか成立させられなかった。故にわずか数年の外国軍占領によって、神社本庁こそ存続したものの、中身的には何も無くなってしまっている。つまり、天皇を神棚に据えなければ、何の求心力もないわけで、だからこそ日本会議などが国家神道の復興をめざしているものと思われる。

結論的なことを言うなら、日本の「保守」は欧米のそれに比して思想的あるいは伝統的基盤が非常に脆弱であるにもかかわらず、その空虚さ(中身の無さ)故に幅広い支持を受け、進歩派(左翼・リベラル層)の教条主義や非寛容から、相対的に多数派を形成してきたと考えられる。戦前、戦後ともに圧倒的に保守派が議会を抑えてきただけに、「保守の皇国」と考えがちだが、現実にはそこまで恐れる存在ではないのだ。
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2018年05月07日

日本保守の耐えられない軽さについて・上

日本では、左翼政党が国会の議席で10%も取れない時期が20年続いている。その間、新自由主義者と非自民系保守とノンポリ系リベラリストが民主党で緩い連携をなしつつ、自民党と対峙してきた。だが、自民党を上回る議席は獲得できず、小沢一郎氏が主導権を握って社会民主主義的要素を加味した小沢・鳩山路線を打ち出すことで、リーマンショックの影響もあって政権交代を実現した。しかし、それも一年と保たずに瓦解、菅内閣でTPPと消費増税路線に転じ、野田内閣で秘密保護法と集団的自衛権の解禁を進めるに至って、「自民党と何が違うのか」という話になり、再び政権交代が起きて安倍内閣が成立した。

その自民党は、2012年の総選挙直前まで穏健派の谷垣禎一氏が総裁を務めていたが、菅・野田内閣の右傾化の影響で、自民党内でも右ブレが起きて極右の安倍氏が新総裁に選出された。
なお、フランスで極右政党とされる国民戦線(Front National)が日本の自民党と比べて本当に「極右」と呼べるのかについては、こちらを参照されたい。

【参考】 フランスにおける既存政党の難しさについて

極右とされてきた安倍氏が総理となって5年を経て、秘密保護法、集団的自衛権を認める安保法制、通信傍受を拡大させる刑事訴訟法改正、未遂でも重大犯の構成要件とすることを可能とする共謀罪などが導入された。過去の戦争における日本の侵略性や犯罪性を否定、侵略戦争の否定の上に成り立っている現行憲法を否定し、戦前の明治帝政を称賛する傾向を強めている(明治150周年事業)。

確かに安倍政権が成立して右派的政策が進んだとは言えるのだが、その多くは直前の民主党政権で準備されたもので、必ずしも「極右政権が成立したから」とは説明できない。また「女性活躍」というネーミングは別にしても、保育所の整備が進められ、女性の役員登用や社会的進出が(少なくとも表面上は)追求されており、これは本来的には家族原理と性別役割分担を重視する保守の原理に反するものだ。侵略戦争を否定した上、戦争指導者を顕彰する靖国神社に参拝する国会議員は、安倍政権の成立直後こそ170人近くになったこともあるが、現在は70人前後で推移しており、これは国会議員の10%前後に過ぎない。一部には、極右団体である「日本会議」が悪の秘密結社として暗躍していると指摘する向きもあるが、彼らの集会に出席したり、講演したりした知人たちの話では、出席者の大多数は超高齢者だという。

昨年10月に行われた衆議院総選挙の票を見ると、
自民:1856万票 33.3%
KM: 698万票 12.5%
維新: 339万票 6.1%

立民:1108万票 19.9%
希望: 968万票 17.4%
NK: 440万票 7.9%
社民: 94万票 1.7%

権威主義寄りの自公維の比例票は2893万票、これに対し自由主義寄りの立希共社は2610万票で、かなり拮抗しているが、小選挙区制度の影響で自公が議席の7割を占有した。このことは、国民が相対的に「自民党がマシ」と評価しているだけで、必ずしも極右政策や権威主義路線が支持されているわけではないことを暗示している。その結果、安倍氏が悲願とする憲法改正は、自民党内でも案がまとまらない事態に陥って、行政の長である総理が憲法改正を主導する始末になっている。

これは先にhanamaru同志が指摘されたことだが、本来中道とは左右が並立しているからこそ成立しうる概念であって、左翼勢力がほぼ無力化されている現在では意味をなさなくなっている。結果、中道を志向した民主党・民進党も瓦解し、民主党を純化した形の立憲民主党は「リベラル保守」を自称するも、自らの理念と立ち位置を暗中模索している有様にある。彼らの自称保守を鵜呑みにした場合、日本の下院は98%を保守陣営が占めることになり、「保守独裁」が完成しているはずだ。

【参考】 立憲民主党の保守とは何か 

日本に極右政権が成立して5年が経ち、自称を含めると国会の議席の殆どを保守派が占めるに至っているはずだが、永田町から自国を改めて見つめ直して感じるのは、「劣化が進んでいる」のが第一印象で、頭に浮かぶ疑問は「彼らは一体何を保守したいのか」という点である。以下、過去ログ「歪なる保守主義」から援用しながら再考したい。

イデオロギーとしての保守主義は「反フランス革命」に端を発するが、それは「理性による独裁」「理性の暴走」が国王を処刑し、国民の大量殺戮に走ってしまった反省に起因した。
今日の概念で言うところの限定合理性がそれで、人間が万能で無い以上、合理主義には必ず限界があり、それを過信することは戒められるべきだということになる。人間の存在理由の一つは、代々に渡って培ってきた郷土、伝統、文化、言語といったものを子々孫々に伝えてゆくことであり、それに介入しようとする外国の圧力や国家権威には真っ向から抵抗する。
英国が常に反革命と反ナポレオンの旗を掲げ続けたのは、大陸流の近代主義、革命主義、合理主義、そしてグローバリズムに対する保守主義=伝統重視、漸進志向、経験則に依拠していた。英国に「ポンド」と「ヤード」が残ったのは、メートル法というグローバリズムに対する伝統保守の表れだった。また、英国における自由の概念は、王権から信仰と財産を守るために生まれた。

ところが、日本では尺貫法の復活を求める保守運動は見当たらない。学校で国語(日本語)の時間を減らして英語の授業を増やせなどという話をしている始末。もっとも、「日本語」自体が、明治期に人工的につくられた言語であり、少なくとも戊申期には京人や江戸人が薩摩人や会津人と会話するためには通訳が必要だったことが分かっている。そして、徳川家による江戸城を含む資産返還運動や名誉回復運動も起きていない。ケン先生は幕臣の末裔だが、徳川家が戊申政変を否定し、これらの保守運動を起こすというなら、支援するのもやぶさかではない。

また、日本で夫婦同姓が制度化されたのは、明治31年の民法改正が起源。それまでは夫婦別姓が基本で、同姓を選択できただけだった。明治以前は夫婦別姓が基本で、武家に嫁いだ女性も姓は実家のものを名乗っていた。つまり、夫婦同姓の「伝統」はわずか100年のものでしかない。にもかかわらず、保守を自称する連中は平気で「夫婦同姓は日本の伝統」「夫婦別姓になったら家族の一体性が失われる」などと主張しているが、彼らにとって戊申以前の歴史と伝統は「無かったこと」なのだろうか。
なお、明治31年の民法改正に際して、司法省がドイツ式の夫婦同姓案を提示したところ、当時の保守派から「日本古来の家父長制に反する」と大反発を受け、戸籍に絡めて「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」とすることで折り合いを付ける始末だった。
ケン先生に言わせれば、自分よりも自国の歴史を知らない人に「保守」を自称する資格は無い。

英米の保守主義が王権や中央政府からの自由に依拠しているのに対して、フランスの保守主義は国家主義を志向する。それは王権の否定によって成立した基本的人権を始めとする「共和国の原理」を至上の価値とし、「自由・平等・博愛」の理念に基づく国家建設とその防衛・発展を効率的に行うために存在する。故に米英の保守主義者と異なり、フランスの保守主義者は中央集権志向が強く、「共和国の原理」に基づく国民統合を積極的に進め、フランスの威信を全世界に示そうとする、いわゆる「ド・ゴール主義」である(苗字からしてガリア人だし)。フランスにおいて「共和国の原理」を否定するものは保守主義者ではなく、王党派=反動と見なされる。また、保守においても進歩主義や合理主義に対して肯定的である点も大きく異なる。故にフランスにおける左右対立とは、社会政策や労働・産業政策の違いが大半を占める。極右と言われる国民戦線ですらフランス語とフランス文化を受容する移民は拒否しない。

フランスで「真の保守」と言えるのは、フランス革命を否定する反動主義者を指す。その主張は、「自由、平等、博愛」の「共和国(近代)の原理」を否定し、革命以前の統治原理・理念の回復を求める。ごくおおざっぱに言えば、「国家、家族、カトリック」がそれだ。国家とは、国家主義あるいは権威主義を指し、人民に対する国家の優越、日本で言う「御恩と奉公」(人民は国家に奉公し、国家は人民の生命・財産を保障する)を強調する。国民戦線も、父親のジャン=マリー・ル・ペン氏が党首だった頃はこの路線だったが、娘のマリーヌが党首になると、現行の比較的穏健な保守路線に転向、「共和国の原理」も半ば肯定している。結果、党勢は拡大したものの、保守原理は薄まっている。また、フランスではカトリックの衰退が著しく、保守原理としてどこまで求心力を保てるのか、疑問がある。
以下続く
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2018年03月30日

自民党内ですら難航する改憲・続

【9条改正案から「必要最小限度」削除へ 自民、自衛隊定義で調整】
 自民党憲法改正推進本部(細田博之本部長)は19日、憲法9条の改正案に関し、自衛隊の定義として書き込む予定にしていた「必要最小限度の実力組織」という文言を削除する方向で調整に入った。党内では、「必要最小限度」の範囲をめぐる新たな憲法解釈の論争を巻き起こしかねないとの批判が出ていた。
 推進本部は22日の全体会合で、戦力不保持などを定めた9条2項を維持し、「必要最小限度」の文言を入れずに自衛隊を明記する案を説明したい考えだ。その上で、憲法改正案を示す25日の党大会に向けて意見集約を図り、細田氏への一任取り付けを目指す。
 推進本部の細田氏や根本匠事務総長らは19日、党本部で9条改正案の取りまとめ策を協議した。出席者によると、過去の国会答弁から「『必要最小限度』と書かなくても『戦力でない』という自衛隊に関する解釈が変わるわけではない」と判断した。
 推進本部は15日の全体会合で、9条改正に関する7案を示した。このうち、9条2項を維持した上で「9条の2」を新設し「必要最小限度の実力組織として、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」と明記する案をベースに意見集約する方向だった。「必要最小限度」の文言を書き込むことで2項が禁ずる「戦力」ではないと明確化する狙いがあった。
 しかし会合では、2項の削除を主張する石破茂元幹事長が「『必要最小限度』(の範囲)を誰が判断するのか」などと執行部案に異を唱えた。
 2項維持に賛同する別の議員からも「また、(自衛隊は)何ができる、できないと(いう論争を)ずっとやることになる」と反論が続出した。このため細田氏は15日の一任取り付けを断念した。
(3月20日、産経新聞)

先に本ブログで指摘した通りの展開になっている。
結局のところ、解釈改憲をはるかに超えて海外派兵の既成事実化や集団的自衛権の法整備を進めてしまったので、憲法改正についても「ちょっと書き足す」くらいでは事実に追いつかなくなっているのだ。

だが、9条2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除した上で、新たに設ける項目に「必要最小限度」などの明記を避けた場合、「最小限度の実力とは何か」「攻撃兵器は違反では」などの議論はなくなるかもしれないが、今度は無制限の軍拡が可能になり、全て政治の裁量下に置かれてしまうことになる。

例えば、1918年のロシア革命干渉戦争(シベリア出兵)において、日本は日英同盟に基づく集団的自衛権を発動して、革命勃発中のロシアに軍事介入、7万4千人を極東ロシアに上陸させて、イルクーツクまで進出、約40万人からのロシア人等を殺戮している。
現状でも、仮にNATO軍がウクライナに進駐、ロシア軍と衝突して、日本に出兵要請がなされたとしたら、良く似た情勢に陥るだろう。ウクライナが日本と「密接な関係」を持つと判断され、北海道の防衛に重大な影響が出るとの分析が出され、ウクライナとNATOから正式な要請があり、総理が「総合的に判断」して国会が承認すれば、「自衛隊」が宗谷海峡を越えて樺太に上陸すると同時に日本海を渡って浦塩に上陸、ハバロフスクに向けて進撃を開始する、ということになるかもしれない。第二次シベリア出兵である。原発を再稼働できずエネルギーの安定供給に不安を抱える現代日本としては、シベリアの天然ガスを独占する好機となろう。また、北方領土の奪還は日本政府の「悲願(笑)」である。その誘惑を自ら否定できるほど日本の政府や政党は成熟していない。

安全保障政策は、国際情勢によって大きく左右するだけに、非武装中立を宣言するのでもない限り、憲法で規定するのは避けた方が良い。本来であれば、国防法と国防方針で規定すべきもので、現状の自衛隊法は以下のように定めている。
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一 我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二 国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3 陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。

これを読んでも、「武力の行使に当たらない範囲」で集団的自衛権の行使や海外派兵が可能になっており、「武力の行使とは何を意味するのか」という神学論争が起こる余地を残していることが分かる。定義が無いのだから、第二次シベリア介入を強行して「住民保護であって武力行使には当たらない」と言い張ることも不可能では無い。

言ってしまえば、憲法問題は義務ではなかった宿題を先送りにしてきた結果、宿題が山のように積み上がってしまって、途方に暮れているような状態にある。
posted by ケン at 12:13| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする