2021年01月02日

皇族への便宜供与疑惑

「小室圭さんとは破談にするしかない」有識者が厳しく断言する理由
記事の内容はどうでもいいが、見逃せない一文があったので、引用しておく。
皇族が海外に行く際、飛行機の切符は必ずエコノミー席を購入します。しかし、いざ搭乗する際には日本航空や全日空の職員が『ビジネス席が空いておりますので、あちらへどうぞ』と促される。

これは国会議員についても聞かれる話だが、厳密に追及するなら、会社法120条の「便宜供与の禁止」、あるいは、独禁法2条の「不当廉売」に該当しかねない。例えば、JALには3500億円からの公的資金が投入されているためだ。

マスゴミは美談のように報じているが、自ら権威主義を肯定してしまっている。そうではなく、リベラリズムの精神をもって徹底的に腐敗と不公正の追及を行うべきであろう。

ケン先生は今年も反帝政運動を断固継続します!
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2020年12月09日

王政の非人道

【女性皇族に「皇女」創設、結婚後も公務継続案 政府検討】
 皇族数の減少による公務の担い手不足を補うため、結婚で皇室を離れる女性皇族に「皇女」という呼称を贈り、公務を続けてもらう案が政府内で検討されていることが分かった。複数の政府関係者が明らかにした。
 皇室では公務の担い手不足と安定的な皇位継承が課題となっており、政府が論点の整理などを進めている。皇室典範の定めで女性皇族は現在、民間人と結婚すると皇室を離れることになっている。今回の「皇女」案は、皇族でなくなることは変わらないものの、公務は継続して担ってもらい皇室活動を維持する狙いがある。
 類似の案は、民主党政権下の野田内閣が2012年に公表した論点整理の中にもあった。女性皇族が結婚後、国家公務員として特別な立場を保持し、皇室の活動を支える案だ。関係者によると、第2次安倍政権でも14年ごろ、水面下で同様の制度の閣議決定をめざしていたという。こうした経緯や立法措置がいらないとされる点を踏まえ、今回、皇女の呼称を贈る案が浮上したとみられる。
(11月24日、朝日新聞)

やはり立憲王政であれ何であれ、王政は非人道的な身分制度に他ならない。
戦後の昭和帝政は、皇族を減らし、婚姻した皇族は皇籍を離脱して民間人になることで、華族を含む身分制度からの脱却を図ったはずだった。
同時に、職業選択の自由が憲法に盛り込まれることで、「自由意志を持つ市民が主権を行使して自らを統治する」リベラリズムの導入も進められた。

ところが、今回の皇女制度案は、身分制度を肯定し、職業選択の自由を否定することで、戦後自由主義と民主主義を実質的に否定する内容になってしまっている。男系男子のみの相続権も残され、女性皇族を「利用できるだけ利用」しようとする自民党や霞ケ関の邪悪な意志が見て取れる。
そもそも臣下が皇家の継承や制度に口を挟むこと自体が不敬であろう(爆)

全体主義学徒の私としては、「自由主義から封建制への逆行」という珍現象を目の当たりにできて興味深い限りである。

共和主義者の私がアドバイスしてやるのは癪ではあるが、例えば私はフランスにいた時、どこぞの王位継承権187位(不確か)を持っているという人と会ったことがあるが、予め継承権を300位くらいまで決めておいて、王族以外の者は普通に民間で暮らすようにすれば良いだけの話。日本の場合は、そもそも制度設計が雑なだけだ。
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2020年11月16日

最初からそう言えばいいのに

【官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否】
 首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。
(11月8日、共同通信)

最初から本音ベースで答弁していれば、議論も明解になり、国民も正邪の判断を下しやすかったはずだ。
それを、「人事案件だから理由は言えない」「個別の話になるから」「資料は見ていない」「大学が偏っているから」などと答弁を二転三転させてしまった結果、「学術会議問題にばかり拘るのは異常」などと権威で恫喝する他なくなっている。

学術会議は内閣府に属する国家機関の一つであり、「当該する学者たちが反政府運動を企図する恐れがある」のであれば、任命を拒否する理由としては十分だったはずだ。
その判断や任命拒否の妥当性を判断するのは、国民であり、その国民は国政選挙で主権を行使して、内閣を構成する自民党に投票しないことで、内閣を拒否することができる。
しかし、政府が虚偽の理由を説明しては、国民は公正な判断を下すことができない。これは代議制民主主義の根幹に関わる問題である。

安保法制の時も、政府・安倍内閣は、「本法成立で自衛隊員のリスクが増えることはない」「今回容認される集団的自衛権は、(個別)自衛のためのものであって国際法上の集団的自衛権とは別物」「他国の戦争に巻き込まれることはあり得ない」などと愚にも付かない答弁に終始して、時間稼ぎだけ行って、強行突破してしまった。
しかし、最初から

「中国の脅威がかつてなく増大しているが、対抗すべき基軸となる米国はアジア関与を弱めている」
「中国の脅威に対しては、アメリカと連携してこれを封じ込める必要がある」
「だが、米国は衰退傾向にあり、日本はそれを補うだけの軍事的貢献をしなければ、アメリカはアジアから手を引くだろう」
「東アジアの軍事バランスを維持するためには、日米同盟をより強化する必要があるが、アジアから退場しようとしているアメリカを繋ぎ止めておくためには、日本が全世界で積極的にアメリカの軍事行動を支援しなければならない」

と説明していれば、その正否はともかく、議会で行われるべき議題が明確になり、議論が深まったはずだし、国民の理解も強まったはずだった。
法案を通し、内閣を守ろうとするあまり、議論の主題や論点をずらすのは、代議制民主主義に対して不誠実であり、その不誠実は国民に対してのものでもある。

今からでも遅くないから、菅内閣は「政府方針にそぐわない思想信条、例えば自由主義、平和主義、社会主義などの思想の持ち主を排除した」と説明すべきだろう。
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2020年11月04日

比例選出で離党は許されるか?

【初鹿明博衆院議員の辞職を許可】
 去年12月にわいせつ行為で書類送検され、その後に不起訴処分となった初鹿明博議員の辞職が今月26日に衆議院の本会議で認められました。これに伴い、立憲民主党の新人・松尾明弘氏が繰り上げ当選する予定です。
 初鹿氏は22日に不起訴処分を受けて「一度けじめをつけたい」として議員辞職願を衆議院に提出していました。初鹿氏はこの問題で立憲民主党を離党して無所属となっていたため、立憲民主党の東京比例ブロックから新人の松尾氏が繰り上げ当選する予定です。初鹿氏は、2015年にタクシーの車内で女性にわいせつな行為をした疑いで去年12月に書類送検されましたが、先月に東京地検が不起訴にしていました。
(10月26日、テレビ朝日)

自民党では秘書に暴行、パワハラを繰り返したとして石崎議員が離党届を出した。
二人ともいわゆる「比例復活組」で、比例代表制のあり方が問われる。

大きな問題として、比例選出者は、有権者が政党に投票した枠によって当選している。
確かに復活者の場合、小選挙区でも立候補しており、個人票も投じられているが、小選挙区においては落選、つまり「有権者から選ばれていない」のだ。
しかし、比例枠を競う中で「得票率、惜敗率」という制度によって優先順位が決められているため、それによって選出されている。

比例代表制は政党機能に重きを置いた制度で、一定の社会集団や階層の利益を代弁する政党が議会内で一定の影響力を担保し続けることを目的に制度設計されている。
つまり、「有権者に疑惑を抱かせたので、離党して、党に迷惑がかからないようにします」という離党者の弁解は、比例代表の制度設計に反するもので、代議制民主主義の制度そのものに対する挑戦となる。
逆に元立憲の須藤氏の場合、「政見が異なるので離党」と説明したわけだが、確かに理念が異なるものを立候補させた立憲の責任は重いものの、全ての政見を確認することは困難であり、本来的には政党側に優先権を持たせて、須藤氏のようなものは除名、議員辞職させて、次点を当選させるようにすべきだろう。「党と意見が合わないので、自分の勝手にやらせてもらう」という議員が続出すれば、政党も比例代表も存立根拠を失うからだ。

日本では原則的に比例当選者は他党への移動は禁じられているが、無所属化は容認されているので、利用して無所属になった上で、議会内の他の「会派」に所属して任期終了を待ち、次の選挙で改めて他党から出馬するのが通例となっている。ほぼ「抜け道」と言って良いだろう。
また、議員辞職した場合は、次点が繰り上げ当選する仕組みになっているが、これも「選ばれていない者が繰り上げ当選」という点で若干疑問が残る。死亡の場合を除いて、原則的には繰り上げ当選はさせずに、次回選挙まで空席とするのが妥当だろう。

この場合、「小選挙区当選者と比例当選者の扱いが違いすぎる」との意見も出てきそうだが、そもそも理念が異なる制度が混在しているのだから、二者は異なる理念で運用されるべきであり、「個人名で地域から当選したもの」と「政党の利害代表者」が異なるのは当然だろう。
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2020年08月22日

「解散の通知をしたので、議会は存在しない」

【千代田区 「議会は存在しない」 解散通知の区長、特別委出席を拒否】
 千代田区の石川雅己区長が28日に解散の通知を提出した区議会で29日、新型コロナウイルス対策の補正予算案を審議する予算特別委員会が開かれたが、石川区長は出席せず空転状態が続いた。区議会側は石川区長が家族と購入したマンションの取引をめぐる百条委員会での証言が虚偽だとして石川区長の刑事告発を議決しており、解散通知を無効と主張。区選挙管理委員会が解散通知の効力を調べる。
 午前から行われた予算特別委員会では、石川区長をはじめ、区議会事務局以外の職員は欠席。委員会の委員長らが区長室を訪れ、出席や審議に必要な資料の提出を申し入れたが、石川区長は「解散の通知をしたので、議会は存在しない」と主張し、委員会の参加を拒否した。
 地方自治法は自治体の長による解散を「議会が不信任の議決をしたとき」と規定。区議会側は刑事告発の議決は不信任とは異なるとして、解散の効力を否定している。区議会側が「総務省に確認して解散通知は無効だ」と主張していることについて、石川区長は「私は総務省のように考えることはできない。私の判断で行った」と強気の姿勢を示した。議員からは「あなたが法律なのか」「区民をどう思っているのか」と反発の声が上がった。
 区議会は石川区長が区内のマンション購入をめぐって事業者から優遇措置を受けた可能性があるとして百条委員会で調査した際、虚偽答弁や証言拒否などをしたとして、27日に刑事告発を決定。区長側は事実上の不信任とみなし、対抗措置として28日に解散を通知していた。
 29日夕から行われた百条委員会には、マンションを共同購入した石川区長の次男が証人喚問に出席。マンションの購入経緯などについて「覚えていない」などと答えた。
(7月30日、産経新聞)

石川区長「解散の通知をしたので、議会は存在しない」
安倍総理もいかがですか?

議会を一方的に停止した首長の運命は過酷となることが多い。歴史的に有名なのは、チャールズ一世(清教徒革命)とニコライ二世(ロシア革命)がそれだ。
明治帝政ですら、「大東亜戦争」が始まっても議会を停止することは無かった。そして、議会を存続させたことが、昭和帝と明治帝政の存続を決めた遠因にもなっている。仮に昭和帝や軍部が国会を停止していたら、GHQと連合国が天皇制の存続を認めることは無かっただろう。

戦後帝政下の日本の場合、総理が下院の解散権を有しているが、下院が解散となった場合でも、解散規定の無い参議院が存在し、憲法には「参議院の緊急集会」が規定されている(日本国憲法第54条2項但書・3項)。ところが同項は、「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」と書いてあるのみなので、総理が求めなければ開会されない。

千代田区長の専制行為は改めて議会の意味を考えさせてくれる。
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2020年08月14日

皇室のSNS利用の是非

【両陛下、コロナ下の活動模索 SNS活用促す識者も 代替わり2年目で課題】
 新型コロナウイルスの影響で人との面会が大きく制限される中、代替わりから2年目を迎えた天皇、皇后両陛下が活動の在り方を模索される日々が続いている。
 最近は皇居以外への外出がなく、「四大行幸啓」と呼ばれる恒例の地方訪問も今年は全て取りやめに。お住まいの赤坂御所に専門家らを招いて話を聞き、宮内庁ホームページ(HP)に発言内容を掲載する異例の対応を取っている。識者からは、外国王室を参考にインターネット交流サイト(SNS)の活用を促す声も上がる。
 「平成の終焉」などの著作がある放送大の原武史教授(日本政治思想史)は「現上皇が象徴の務めとして挙げた宮中祭祀(さいし)と行幸のうち、前者はちゃんとやっているが、後者は全くできていない」と述べ、象徴天皇制のスタイルが平成とは大きく変わったと話す。
 その上で、御所で専門家らの説明を聞く際、両陛下が横並びで座っている姿が公開されたことを挙げ、「天皇が主で皇后が従という感じがせず、全く対等に見える。あえてそうした写真や映像を出したところに意図を感じる」と指摘。「もし今後、新型コロナに関するビデオメッセージを出し、その際に2人が並んで出てくるようなことがあれば、平成との違いがますますはっきりするだろう」との見方を示す。
 世界の王室に詳しい関東学院大の君塚直隆教授(英国政治外交史)は、英エリザベス女王をはじめ各国の王室が新型コロナについてテレビ演説などで国民に直接語り掛けているのに対し、日本の皇室にそうした動きがないことを危惧する。「政府はどこも自国ファーストかもしれないが、王室は地球環境など世界規模の問題を扱える。新型コロナなどはまさに皇室の出番だ」と語る。
 「各国の王室は広報スタッフが毎日のようにSNSで写真や動画を更新しており、非常に好意的に受け止められている。宮内庁HPにメッセージを載せるだけでは十分伝わらない」。人に直接会わずにメッセージを送れるSNSの活用こそ、コロナ禍の今の状況にふさわしいと訴えている。 
(7月27日、時事通信)

君塚氏は君主主義者なので割り引いて考えるとしても、皇室が活動できない現状は「国民統合の象徴」としての存在意義が問われる危機でもある。「国民統合の象徴」の現実性はともかくとしても、本来、君主は危機時こそ露出を増やし、臣下の士気を鼓舞してこそ、存在の重みを増すからだ。

例えば、大坂の陣において豊臣秀頼は一度も出陣すること無く敗北、病をおして出陣した徳川家茂は出先の大坂城で死去したことで第二次長州征伐は実質敗北に終わった。これに対し、徳川家康は57歳で関ヶ原の最前線に立ち、さらに72歳で大坂の陣に赴き、前線で指揮を執って真田隊に蹂躙されている。しかし、本陣を蹂躙されても、最後に勝ったのは家康だった。
天皇家でも、例えば明治帝は日清戦争に際して大本営を広島において、自ら広島に赴いている。国外にこそ出ていないものの、君主のあり方としては「あるべき」姿であると言える。もっとも、ロシアのニコライ二世のように政務を放って前線に出て、自ら指揮を執って御家を滅ぼしてしまった例もあるので、やり方は慎重を期すべきではあるが。

天皇制における象徴の意味は、明治期には260諸藩・諸侯と四民の平等的統合の象徴であった。華族制度が設立されたことで限定的になった上、その後の帝国主義政策で琉球武力併合、アイヌ弾圧、台湾や朝鮮等の割譲と併合などを経て、多民族国家となったことで「民族統合の象徴」とならなければならかったが、これには失敗し、ただ日本民族の優越性を訴えて諸民族を弾圧するための道具になってしまった。
その反省を踏まえて、戦後、帝政を存続させるために軍隊を解体し、さらに天皇は「日本国民統合の象徴」として諸外国や他国には一切権威を適用しない旨が定められた。
ただ、「国民統合の象徴」が何を意味するのか、何をもって「統合の象徴」とするのかについては、どこにも記載されていないため、そこは試行錯誤せざるを得ず、あまり国民間に共有されていないが、戦後帝政の最大の課題となった。
この点、上皇と今上帝は特に意識しているようで、国民に寄り添う姿を可能な限り見せることで戦後型の「統合の象徴」を追求してきたが、今回のコロナ渦でそれが困難になっている。

確かに欧州などの王家では、SNSを駆使して王家のイメージ向上に努めているが、これは一歩間違えれば諸刃の剣で、イングランド王家などは成功していると言えるのか疑わしい状態にある。
多くの芸能人がSNSで炎上し、攻撃され、自殺者が続出する中で、王家や皇家だけがその例外となるとは思えない。
日本の場合、宮内庁などが厳密に管理することになるのだろうが、役所に管理されたSNSでは国民の興味を引くことはないだろう。

「このまま何も見せないのはマズい」

ということなのだろうが、安易なSNSの採用は自らの墓穴を掘ることになる恐れがある。
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2020年08月07日

投票の義務化の是非

【選挙の投票義務化を 自民・石破氏】
 自民党の石破茂元幹事長は27日、大阪市内で講演し、国政選挙での投票率低下を念頭に、「民主主義が機能する条件は、可能な限り多数が参加することだ。投票は義務にすべきだ」と語った。石破氏は「一部のイデオロギー、特定の利害を共有する人たちは投票に行く。民主主義の名を借りてそういう人たちが好きなようにやる」と指摘。「(票を)入れたい政党、候補者がいないなら白票を入れてほしい。民主主義はそれほど厳しいものだ」と述べた。 
(7月27日、時事通信)

国民に新たな義務を課す場合、憲法を改正するのが原則。憲法第十五条に「選挙人の自由な意思によって行う投票」(第三項)とあることも改正対象となる。現行憲法の考え方は、「投票行動の是非は個人の意思と自覚に基づくもので、何者かに強制されるべきものではない」というものだろう。そもそも公教育において、政治教育や活動がほぼ禁止されている中で、投票だけ義務化することは多くの不自然さを覚える。

デモクラシーとは共同体の参加者全員による意思決定を旨とする政治体制であり、直接民主制が物理的に不可能だから、代議制民主主義という「選抜民主制」が施行されている。「選抜されたエリートによる統治」は、本来的にはリベラリズムの発想で、デモクラシーの原理にはそぐわない。そのため、「大衆の中から選挙にて選抜する」という折衷案が採られている。
つまり、共同体の自覚を持たないものに、法的に投票を強制しても、原理的には意味は無い。

歴史的には参政権は徴兵制度と一対のものであり、共同体の防衛義務の対価という意味もあった。
第一次世界大戦後に女性参政権が拡大したのは、総力戦の中で女性の動員が進んだことが大きい。
少なくとも歴史的には、軍隊の中で共同体意識が培養されることで、デモクラシーの基礎が築かれていた。
1990年代のフランスにおいて、社会党と共産党が徴兵制の廃止に反対したのは、「傭兵軍は国民を守らない」ことに加え、「徴兵制はデモクラシーの基礎である」という考え方に基づいていた。
明治帝政ですら、建国当初は徴兵令を「四民平等実現のため」と位置づけていたくらいだ。

日本の場合、封建支配と帝政支配が続き、敗戦によって人民に主権が付与されただけで、根源的に主権者としての意識が育っていない。
納税も多くは源泉徴収制度を利用しているため、納税者意識も低い。
こうした背景を考えずに、法律によって投票を義務化しようという主張は、あまりにも無意味であろう。
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