2017年10月06日

現代国家が抱える課題と選択

「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ない。20世紀以降の近代国家は常にこの命題に取り込み、選択し続け、今日に至っている。
この命題が最初に浮き彫りにされたのは第一次世界大戦だった。第一次世界大戦は、各国の軍事技術者や政治指導者の予想に反し、大規模かつ長期化を余儀なくされ、国家の工業力と経済力をフル稼働させて軍事生産すると同時に、国民大衆を肉体的にも精神的にも戦争に駆り立てる必要が生じた。また、政治社会的には、戦争の長期化と被害拡大に伴い、前線部隊の士気低下と国民大衆の不満増大が問題となり、厭戦気分や反戦運動・サボタージュへの対処が大きな課題となった。特に戦争と統制経済への不満から革命が勃発したドイツとロシアでは、「帝国後」の国家像に大きな影響を与えることになる。

ソ連の場合、革命後の内戦と干渉戦争を経てなお、「資本主義帝国による、干渉戦争に次ぐ侵略は必ず行われる」という認識を有していた。具体的にスターリンは「米英の支援を受けた日波同盟が東西から挟撃してくる」と予想し、早急なる戦時体制の確立を目指して、重工業化、軍部粛清、大軍拡に踏み切ることになる。これは「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」のうち、自由を最大限抑制する一方で、社会保障制度で国民不満を抑えつつ、軍拡を推し進め、総力戦に備えるという構想だった。
だが、二次大戦後も米ソ対立が激化、重武装を解くことができないまま、社会保障と市民抑圧の集産主義路線を続けた結果、経済成長が完全に止まってしまう。1980年代にゴルバチョフが軽武装化、社会保障改革、自由の限定的保障を求めてペレストロイカを行うが、時間切れで失敗に終わり、ソ連は瓦解する。

ドイツの場合、ヴァイマール共和国が成立して、主に「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を進めていたが、「ヴェルサイユのくびき」と世界恐慌の煽りを受ける中、SPDのブリューニング内閣が増税と緊縮財政を強行してしまう。これに対し、ナチスは「ヴェルサイユ体制の打破」「減税」「財政出動」を訴えて多数派を獲得していった。だが、戦後秩序に対する挑戦権を得るためには、重武装が必要であり、市民的自由を抑制しつつ、社会保障制度を整備する「国民的社会主義」路線となった。だが、現実には重武装よりも産業振興と社会保障制度を優先、戦争準備が整う前に大戦が勃発し、米英仏ソと全面戦争に突入した。

第二次世界大戦後、米国を除く西側諸国は「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を選択した。とはいえ、一方で米ソ冷戦が勃発していたため、西欧諸国はNATO、日本は日米安保による集団安全保障体制を築き、アメリカの軍事力に依存する形で軽武装の担保とした。ただ、英仏は核武装することでアメリカに対する発言力を一定程度キープした。また、日本では岸信介が「重武装(対米自立)」「社会保障制度」「市民的自由の抑制」を提案したものの、国民的支持を得ることなく失脚、少なくとも1980年代まで吉田路線が引き継がれた。

アメリカは第二次世界大戦が勃発するまで自由に特化した珍しい国だったが、大恐慌下で社会保障制度が一定程度整備され、また二次大戦の勃発によって重武装化を余儀なくされた。二次大戦期から1960年代初頭までのアメリカは、「重武装」「社会保障制度(不十分ながらも)」「市民的自由」の三つを同時に成立させた希有なケースとなったが、これは圧倒的な産業力と市場に支えられていたためだった。だが、ヴェトナム戦争でさらなる重武装が余儀なくされた上、国内産業も低迷したため、社会保障を切り下げる新自由主義路線で70〜80年代の危機を脱却した。だが、冷戦終結後も重武装を解除することができず、対テロ戦争で戦費がかさむ中、2000年代には市民的自由をも犠牲にするところとなっている。

日本は、80年代に中曽根政権下で新自由主義路線に舵を切ったものの、社会保障の切り下げには至らず、軽武装を中武装にする程度に終わった。だが、90年代には経済成長が止まり、2000年代には日中対立が激化(日本側の選択によるところが大きい)、対テロ戦争に伴い在日米軍の効果も低下、軍拡を余儀なくされている。結果、日本の軍事費は世界第7位の規模となり、世界第2位の海軍力を保有するに至っている。これに対し、国内市場は低迷を続け、特に低中間層の所得が低下している(世帯所得の中央値で1995年の550万円から2015年の428万円へ)。同時に急速な高齢化によって社会保障費が肥大化、2008年度一般会計予算における社会保障関係費21.8兆円が2017年度のそれは、社会保障関係費32.4兆円で予算97.5兆円に対し33.3%を占めるに至っている。
低中間層の所得が低下する中での大衆増税は効果が薄く、増税で軍拡を進めれば「軍事力で国難を打開する」という方向に働く恐れがある一方、社会保障を充実させても肥大化に拍車を掛けるだけで財政破綻やハイパーインフレが近づくだけの話で、にもかかわらず大衆増税で低中間層の可処分所得はさらに低下、貧困と経済格差を助長して社会的不安が増大する恐れが強い。結果、市民的自由を抑圧する方向に作用することになるだろう。

世界的には、米国覇権の衰退に伴って、第二次世界大戦後の国際秩序が再編期を迎えつつあり、国際緊張が高まる中、各国で軍拡圧力が高まっている。同時に米欧日などの旧先進国で経済成長が止まり、社会保障制度の維持が困難になりつつある。
第二次世界大戦後、西側自由主義国を先導したケインズ型国家像の維持が困難になり、それに替わる国家像が模索されている。

【参考】
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 21:05| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

直接民主主義はすでに実現可能

AIの進化で直接民主主義はすでに実現可能領域に入っている。
ケン先生のイメージでは、全有権者が自分の思想信条に合わせて代議士AIを組み、そのAIが代議員となって全ての予算や法案などを審議、可否を決め、採決も行うというもの。
現時点ではヴァーチャルでしかないが。もちろん大多数の有権者は自分でAIは組めないし、既存のAIを細かく設定するのも難しいと思われるので、現実には「簡易代議士パッチ(パック)」が必要となるだろう。
また、現段階の技術では、法案の可否までは判断できても、全代議士が仮想議会で法案を審議するのは難しく、量子コンピューターの実用化が待たれる。だが、これが実現すれば、1億人以上の仮想代議士が政府提出の法案について質問し、政府AIが全ての質問に答えることが可能になる。
「AIの法案対応が気に入らない」と思った有権者は設定を変えて調整すれば良いだろう。
リアル政治家と従来型の議会制民主主義への信頼が地に落ちつつある今、すでに検討すべき課題になっている。もちろん、VR直接民主主義がより良い政治を実現するとは限らないが。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

近づきつつある自由民主主義の終焉

【「非民主的な形態」容認の声も 日本含む5カ国世論調査】
 民主主義は望ましい体制と思うかどうかなどについて民間非営利団体「言論NPO」が日本、インドネシア、インド、マレーシア、韓国の5カ国を対象に実施した世論調査で、「非民主的な形態が存在しても構わない」との声が日本で約19%に上るなど、一定程度を占めたことが分かった。言論NPOが4日、東京都内で発表した。民主主義を支える政党やメディアが信頼を失いつつある傾向も浮き彫りとなった。調査は6〜8月、計約7千人を対象に実施。言論NPOの工藤泰志代表は「民主主義に疑問を呈する層が、欧米と同様にアジアでも出始めている」と指摘した。
(9月4日、共同通信)

引用と再掲ばかりになってしまうが、重要なことなので。
「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」
(ロバート・スキデルスキー『共産主義後の世界―ケインズの予言と我らの時代』)

「デモクラシーは主権者間の平等に、権力の正統性を置いているが、経済格差が深刻化し、平等性が侵害されている今日、その正統性が揺らいでいると見て良い。
近代国家の命題は、例外なく工業化(経済成長)にあり、それは権威主義国家であれ、民主主義国家であれ同じだった。だが、いざ工業化が実現すると、国家は命題を失うと同時に権力の正統性が危機を迎えた。この危機に際し、西側は消費社会とグローバル化で乗り越えるが、ソ連・東欧ブロックは産業構造のシフトに失敗、権威主義国家の権力源泉である権威そのものが国民の信頼を失って瓦解していった。
他方、西側は産業構造のシフトに成功したものの、今度はグローバル化と激しい自由競争にさらされる中で、経済格差と貧困が進行、民主主義国家の権力源泉である平等性を喪失しつつある。そして、平等性の喪失に対して、現行の政党や議会がほぼ無力であることが、デモクラシーへの不信となり、権威主義や排外主義への支持の源泉となっている。」

「貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある」
(自由民主主義の終焉、2016.4.22)

「現実には自由民主主義もまたイデオロギーの1つに過ぎず、彼らが信じているほど強固な体制でも無い。天地一体のように考えられていた江戸幕府は、安政の大獄から10年で瓦解し、世界そのもののように見られていたソ連は、ペレストロイカ開始から6年で崩壊してしまった。幕藩体制にしても、ソ連型社会主義にしても、統治システムと市場の有り様が時代に適応できなくなり、国民大衆の不満を吸収できなくなったがために倒壊したわけで、「自由や民主主義が足りなかったから」ではない。このことは、自由や民主主義を絶対視してしまうと、政治や社会の実相を見誤る可能性が高いことを示している。言うなれば明治期の佐幕派やベルリンの壁崩壊後の共産党員みたいなもので、数年もすれば「時代に適応できなかった可哀想な人」扱いされるかもしれない。」
(ソ連・東欧学のススメ〜米大統領選を受けて、2016.11.11)

「民主主義は有権者間の平等に原理的基盤を置いているだけに、貧困を許さない。国内の収奪システムを認め、貧困を放置して、自由貿易(経済)を進めるためには、デモクラシーそのものを否定するほか無い。今日の自公・霞ヶ関政府が、急速に権威主義化しているのは、自由貿易・経済が、彼ら富裕層・特権階層にとって都合が良く、「他に選択肢が無い」からだ。この傾向は、社会主義ブロックが崩壊し、中国が極端な格差社会になったことで、ますます助長されている。新聞業界がこぞって消費増税に賛成し、自らには免税を求めたのも、彼らにとっての利益がどこにあるかを示した結果に過ぎない。」
(TPP情報が開示されないワケ:自由民主主義の崩壊、2016.4.12)

「民主主義国家でテロが頻発すると、世論の硬化と野党の突き上げを受けて、選挙対策のためにも、政策的に強硬策を採らざるを得なくなる。治安体制や国民監視を強化するためには、基本的人権の抑制が不可欠となり、テロ対策を理由に正当化される。戦前の日本は民主主義国ではなかったものの、共産党対策として治安維持法が導入され、右翼テロの頻発に乗じて同法が強化・拡大適用されるに至り、わずかに存在していた基本的人権や民本主義の芽が潰されてしまった。現代の例を挙げるなら、9・11事件を受けて米国では、「愛国法」が制定され、国民監視が合法化され、基本的人権の抑制が正当化された。

ところが、たとえ戦時体制への移行が理由としても、基本的人権や市民権を抑制することは、自らのデモクラシーの正当性を否定することになるため、権威主義者(コミュニスト、ファシスト、ジハーディストを問わず)にとって有利に働くことになる。これは、「愛国法」を制定して、国民を弾圧したアメリカが、中東や中央アジアなどでデモクラシーを押しつけても説得力が無く、失敗に終わったことからも説明できよう。
興味深いことに、1940年の米国大統領選挙において、三選を目指すルーズベルトが「(レンドリース法は)火事が起きた隣家に水ホースを無料で貸し出すのは当たり前」と主張したのに対し、共和党のパンフレットには「他国に武力で民主主義を押しつけるものは、自国の民主主義を害することになるだろう(欧州大戦不介入)」旨が記載されていたという。
結果、ジハーディスト側がテロ活動を行い、米欧の対応が強硬策に傾くほど、イデオロギーとしての民主主義の優位性は失われ、世界の不安定化を促進させてゆくのだ。

「カラー革命」「アラブの春」などと喜んでいたものたちは、今やそのツケを払うことが要求されている。
日本でも、秘密保護法、安保法制が制定され、今度は拡大通信傍受法と共謀罪が用意されている。戦後デモクラシーは終焉を迎えつつあると言えよう。」
(対テロ戦争の難しさとデモクラシー、2015.11.24)
posted by ケン at 12:48| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

民進党代表選で論じられないもの

「沈む船でも船長になりたがるのが人間さ」
(芝村裕吏『猟犬の旗』)

民進党代表選は、議員歴四半世紀に近い前原候補と枝野候補が互いに「それっぽい」ことを言って、保守派が前原、リベラル派が枝野を推し、「人柄で言ったら前原さんだよね」ということで前原氏の勝利が確実視されている。
だが、ケン先生に言わせれば、二人とも肝心なことには何も触れていない。

ソ連史と昭和史をかじったことのあるものなら、軍拡と社会保障と社会的自由(リベラリズム)の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ないことを知っている。

戦前の日本は前2つを採って社会統制を強化した。ファッショ体制とは、世界大戦を前提とした長期戦に向けて国家を最適化させようというもので、リソースを軍事と生産に集中させるため国民の動員率を上げることを目的とする。そのため市民的自由を国家の制限下に置くが、そのままでは国民不満が増大するので、社会保障を充実させることで不満を抑制すると同時に、国家への従属と社会参加を強化することになる。

戦前の帝国日本は世界大戦を想定、陸軍はソ連と海軍はアメリカと戦争することを前提に巨額の予算を獲得、軍国化を進めた。例えば、日中戦争前の1936年を見ても、国家財政に占める軍事費の割合は47.6%にも達していた。国際的に孤立していた日本は、外国からの借款や投資は期待できず、内国債と増税で賄うほか無かったため、軍事動員の強化もあって、社会統制を強化していった(1928年に治安維持法改正、35年に天皇機関説事件、37年に軍機保護法改正、)。だが、同時に社会的不満を抑制し、工場生産を安定させるため社会保障の充実が図られた。例えば、1931年には労働災害扶助法、35年には常時5人以上を使用する事業所に健康保険加入を強制する政府管掌健康保険制度、36年には退職金制度が制定された。これらは、当時「リベラル」とされた民政党が反対していた施策であった。同時に、社会大衆党の先輩方が親軍路線に傾倒していった理由でもある。
ところが、総力戦体制が全く整わないうちに日華事変が勃発、想定外の中国と全面戦争を始めてしまった挙げ句、中国との戦争が原因で米英にも宣戦布告して破滅的な結末を迎えた。もっとも、海軍の中枢にいた伯父上が何度も述懐しているとおり、当時の軍人や政治家は口では言っていても、総力戦とは何なのかを理解している者は殆どいなかったものと思われる。総力戦の問題については、また別途論じたい。

今日のロシアも同じ状況にある。米欧との経済力が隔絶する中で、さらに軍事、外交的圧力が強化され、ロシアはGDPの5%というあり得ない予算を投じて軍拡を余儀なくされている。同時にプーチン政権は1990年代に壊滅した社会保障制度の再建に取り組んでおり、まだまだ見劣りはするもののかなりの水準を取り戻しつつある。だが、その一方で社会統制を強化すると同時に、権力の集中を図っている。

ソ連史を見た場合、内戦と干渉戦争を経て長い国際的孤立に入り、さらにドイツの侵略を受けたソ連は、本来のボリシェヴィキの目的だった社会保障の充実を後回しにしてひたすら軍拡するほかなかった。二次大戦後すらも米ソ冷戦に突入したため、巨大な軍事力を維持したまま社会保障の充実を図るほか無く、市民的自由は犠牲にされ続けた。だが、軍備と社会保障に重点を置いた集産主義は経済成長を阻害、1960年代に経済改革(コスイギン改革)を志向するも失敗、70年代には経済成長が止まってしまった。そこで80年代にペレストロイカと称して、軍事力を抑制しつつ、社会保障制度の再編と社会的自由の拡大を図ったが、まず軍事費の抑制に失敗、社会的自由の拡大は党による国家統制を失わしめ、ソ連は崩壊していった。
80年代のアメリカは、軍拡を進めてソ連に圧力を掛けたが、それは社会保障を犠牲にすることで成り立っていた。

現代日本の場合、自民党は社会保障を少しと自由を半分削ることをめざしているが、民進党は3つ全て追求しようという前原氏と軍拡を否定する枝野氏が代表選を争う構図になっている。

前原氏は、「All For All」などと「それっぽい」ことを言っているが、要は大衆増税を行って社会保障を維持しつつ、対中北強硬路線に基づく軍拡路線を進めるという話で、しかも市民的自由は保障するという、原理的に無理筋な主張となっている。
デフレ下での大衆増税は、ただでさえこの15年間低下し続けている低中所得層の可処分所得をさらに低下させて経済格差を助長させることになる。これは社会的不満を増大させ、治安悪化の要因となるため、社会統制の強化(治安立法と警察力強化)で対応するほか無い。また、社会保障の充実は、現行制度がバケツの底に穴が空いている以上、消費増税程度では数年しか保たない。
2008年度一般会計予算の社会保障関係費は21.8兆円、一般会計予算83兆円の約26%、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出47.3兆円に対しては46%を占めていた。だが、2017年度のそれは、予算97.5兆円に対し、社会保障関係費32.4兆円で約33.3%、一般歳出58.4兆円に対しては55.5%を占めるに至っている。社会保障費はわずか9年間で10兆円以上も肥大化しているが、今後は自然増で毎年1兆円以上の増加が見込まれている。これは、基本的には長命による高齢層の増加に起因しているが、医療技術の進歩による医療費の高騰も一因になっている。
ちなみに今年度は前年比5千億円の増加で抑制されているが、これは自然増分を政策的に抑制しているだけで基本的には「一時凌ぎ」でしかない。野党はこれを批判するわけだが、野党側に社会保障費の肥大化に対する対案があるわけでもなく、無責任の誹りは免れないが、根本的な対応策が無いという点では自民党も政府も無策と言える。
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由・下

つまり、「軍拡も社会保障も自由も」という前原路線は原理的に不可能で、強行しようとすれば2009年の鳩山内閣以上の惨事となろう。
付言すると、この点、連合は明確で「軍拡」「核政策」「正社員既得権益」が担保されれば、他は全て犠牲にして良いというスタンスなので、前原氏を全面的に支援している。故に前原氏が個人的には志向していると思われるリベラリズムは、新体制下で放棄されるだろう。

一方、枝野氏は軍拡路線を否定、社会保障の充実と市民的自由の護持を主張することで、原理的な無理は無い。だが、北朝鮮や中国からの「脅威」が煽られて国民大衆がタカ派路線に傾倒、社会的には排外主義が蔓延する中で、従来型のリベラリズム、社会民主主義路線は支持されにくくなっている。衆議院の選挙制度が小選挙区を基軸とし、参議院でも一人区が多くなっている中で、国会議員も候補者も少数派の主張に与すること自体が大きなリスクとなっている。結果、内心では枝野氏の政策に賛同しながら、「これでは当選できない」という理由(本音)で前原氏を支持する者が続出している。

他方、民進党はそもそも政党として完全に行き詰まっている。もともと民主党はオールド・リベラリズムと新自由主義の融合を掲げて成立したが、小泉政権時にネオ・リベラル論争に敗北(民主党こそが真の改革者)、小沢一郎氏の下で社会民主主義路線(国民の生活が第一)を進めたものの、政権交代を経て党の内紛が勃発、半年で鳩山内閣が倒壊し、菅内閣が成立すると政策理念も国家像も無いまま漂流するところとなった。野田内閣に至っては、従来の自民党と寸分かわらない政策となり、その反省をせぬまま今日に至っている。つまり、新自由主義でも社会民主義でもない路線が打ち出せない以上、何を言ったところでその場凌ぎにしかならない。

また、対外的には「Democratic Party」をうたいながら、支部会議すら開かれず、党員にいかなる権限もなく、国会議員に権力が集中する一種の民主集中制を採用していることは、民進党が本質的にデモクラシーを否定していることを意味する。
同時に、野田内閣で各種治安立法を企図しながら(社会統制の強化、市民的自由の制限)、野党に転じると反対し、しかも党内には連合を含めて「本音では賛成」という者が過半数を占めていたことは、自由を志向する国民大衆への背信行為と言える。

つまり、民進党は民主主義や自由を訴えるだけの正統性を欠いているのである。

【追記】
「ケン先生だったら何を訴えたか」については、以下の記事を参照して欲しい。
・日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 12:15| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

議員年金は復活すべき

【自治体負担、200億円増も 自民の地方議員年金復活案】
 自民党のプロジェクトチーム(PT)は、2011年に廃止された地方議員の年金制度に代わり、議員が自治体と保険料を折半する形で厚生年金に加入できる法案の概要をまとめた。地方議員のなり手不足解消を図るという。25日の全国都道府県議会議長会総会でも実現を求める決議を可決。地ならしは進むが、自治体負担が200億円増えるとも試算されており、年金「復活」には批判もある。
かつての地方議員年金制度は議員が納める掛け金と自治体負担で運営され、「在職12年以上」という短期で受給資格を得られることが「特権的」とも批判されて廃止された。現在は、専業の地方議員は国民年金しか加入できない。自民PTは今回、地方公務員共済組合法と厚生年金保険法を改正し、地方議員を首長や職員と同様に自治体に「使用される者」とみなして、厚生年金に加入できる案をつくった。
(7月25日、朝日新聞)

老後不安を抱えた議員が腐敗と蓄財に走る現状とリスク、議員候補の質的劣化を考えれば、議会制度を維持するために必要な措置と考える。事業者負担分を自治体が負担するのか、本人が負担するのかという大きなハードルはあるものの、個人的には自治体負担で良いのでは無いかと思う。「平成の大合併」により、自治体も地方議員の数も6割程度まで減らされている上、議員報酬もカットされている自治体が多い。
また、厚生年金に加入することで、民間企業時代の経歴が加算されるようになれば、「在職12年以上」という特権問題も解消されるだろう。

逆に議員年金が廃止され、議員報酬もカットしすぎた結果、立候補者は金満事業主と「一発逆転」狙いの無産者ばかりになって、議員の質的劣化が凄まじいことになっている。もっとも、税収が上向きだった時代には、議員の質はさほど問われないが、デフレ&税収減となると、議員の能力が要求されるところとなり、問題が顕在化している面があるのは確かだ。

上記記事とは無関係だが、地方議員の任期も検討されて良いだろう。詳細は参照記事を読んでもらいたいが、例えば議員の任期を撤廃し、有権者に一票ずつ「解散権」を付与するシステムはどうだろうか。有権者はいつでも解散権を投じることができ、それが5割とか6割に達した瞬間に議会は自動解散、選挙になるという仕組みである。辞職や死亡によって欠員ができた時は、特別加算する仕組みを設けても良い。

自治体議会も同様で、大した問題も無いのに4年ごとに定期的に選挙が行われるため、有権者の関心が低くなり、固有の支持層を持つ政党が実力以上の議席を有することになる。任期を不定期にしておけば、自治政治に不満を持つ者たちがこぞって「解散権の行使」を求めて運動するため、議会と有権者に緊張が走る構図になる。自治体の選挙も10年に1度とかになれば、もっと投票率が上がるだろう。個人的には「4年に一度の選挙で投票率40%」よりも「10年に1度の選挙で投票率60%」の方がデモクラシーの原理に適っていると考える。

いずれにせよ、現状を放置すれば、ますます議会の信用は地に落ち、遠からずデモクラシーの危機を迎えるだろう。

【参考】
解散権を改革する 
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

大義を失った民進党に学ぶ新党に必要なもの

この間の数々の失態を経て民進党は瓦解しつつある。東京都議選の結果は、民進党が自民党の対抗軸や批判勢力として認められなかった証と言える。党内では、小池新党とポピュリズム(マスコミの煽動)に原因を見る向きが強いが、果たしてそうなのか。左派の視点から検討したい。

第一に、旧民主党は資本を代表する自民党の対抗軸として、勤労者を代表した社会党と民社党が主な母体となって誕生した。もちろん先にあるのは労働界の再編によって生まれた連合である。だが、階級意識の低い日本では、階級政党は成立しがたいため、「国民の生活が第一」などの標語によって代替された。
ところが、90年代以降の激変によって大企業正社員と中小企業社員や非正規社員との格差が拡大、労働者階級が分断され、上位層労働者を代表する連合は勢力を急激に弱め、資本との妥協によって存続を図ることを余儀なくされている。
その象徴が、今回の労働基本法改正への賛意表明で、これによって裁量労働制の大幅導入と労働時間規制の撤廃にナショナルセンターが「賛成」するという事態になった(後日再検討に転換)。これは、いかなる理由があれど、労働組合が労働者の権利を守れなくなったことを意味する。結果、その連合を最大の支援団体とする民進党もまた、「勤労者代表」としての正統性を失っている。

対案としては、まず「勤労者代表」の正統性を高く掲げる必要がある。具体的には、「週35時間労働制」「労働総時間規制の導入」「労基署の大幅増員と権限強化」「男女平等を尊重しない企業に対する罰金と刑事罰」「労基法に違反した企業の公表と公共調達禁止」「祝日減と有給休暇の増加と取得義務化」「公務員の労働三権法制化」などが考えられる。
民進党は「連合の支援を受けている」がために、こうした労働者の権利を守る主張ができないという陥穽に陥っている。

第二に、民主党は小沢・鳩山路線に転換するまでは、「財政規律」(小さな政府)と「規制緩和」(市場原理主義)を二枚看板に掲げていた。小沢・鳩山路線はこれを否定し、「ムダ撲滅」を掲げつつも、積極財政に舵を切ろうとしたが、鳩山氏の自爆と財務省の支援を受けた菅・野田氏のクーデターによって元に戻ってしまった。
緊縮財政は消費を萎縮させ、国内市場を縮小再生産する一方、規制緩和は弁護士、タクシー、派遣労働者などを見れば分かるとおり、業界に屍の山を築いている。現在の安倍政権は、中途半端な緊縮財政を年金の株式投入で誤魔化すという手法を採ったものの、成果は上がっていない。また、規制緩和は政権中枢の私腹を肥やす(パトロネージ)ばかりになっている。
これに対し、民進党は財政規律も規制緩和も「もっと進めろ、但し公平に」というスタンスを採っている。せっかく「もり・かけ」問題で追及しても、「規制緩和自体は良いが、やり方が拙い」という攻め方になってしまい、傍目には政権にいちゃもん付けているだけにしか見えない。

自民党は、小泉首相期に新自由主義を導入したため、民主党は対立軸の意味を失って低迷した。その後、小沢・鳩山路線で「積極財政」「権益保護」に舵を切ろうとしたものの失敗し、元の木阿弥になり、今日に至っている。つまり、「財政規律」「規制緩和」は民進党の専売特許ではない上に、労働者・大衆の利益に反するエリートの主張であるため、自民党の対立軸にはなり得ない。
民進党は共謀罪に反対すると同時に、「警察官を2割増やします」「老朽化した警察署を建て替えます」と言うべきだったのだ。

第三に、権威主義的な自民党と国家主義を標榜する安倍政権に対し、民進党はあくまでも自由主義と民主主義を掲げなければならなかった。ところが、民進党の党内には党員の意見を反映するシステムが皆無である上、代表の権限が極めて大きい権威主義的組織を誇っている。また、本来、多様性の象徴として重国籍者や身分差別を受ける社会的弱者の権利を守るべき立場にあった蓮舫代表は、自らの代表位を守るために、出自を否定して「日本人宣言」を行い、自らの戸籍を開示してしまった。これは、民進党が自由、人権、市民的権利といったものを守るべき立場を自ら否定してしまったことを意味する。

ソ連を始めとする東側陣営は、「プロレタリア独裁」を権力の正統性に掲げていたが、その彼らがストライキを弾圧し、労働者の権利を否定した瞬間に、その正統性は失墜し、崩壊が始まったのである。
自らの依って立つべきところを知らないものは、自らを滅ぼすのみである。
posted by ケン at 20:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

道徳的正統性をも失った民進党

【蓮舫氏が戸籍開示へ 惨敗民進、執行部批判相次ぎ…】
 民進党内で蓮舫執行部に批判が相次ぎました。東京都議会議員選挙の大敗を受けて民進党は、11日から所属議員のヒアリングを始めました。出席者からは「選挙は結果責任を負うべきだ」「『解党的出直し』がなければ、本当に解党しなければならない」といった厳しい意見が出ました。蓮舫代表の二重国籍問題についても「最大の障害だ」との意見が出ていて、蓮舫代表は今後、戸籍を開示する考えを示したということです。ヒアリングは18日まで続き、今月中に結果を取りまとめる方針です。単なるガス抜きで終わらせるのかどうか、蓮舫執行部の対応が問われます。
(7月11日、テレビ朝日)

色々な面で「終わってる」観がハンパ無い。「外国人の活用を」と言ってる横で外国人差別や人身売買が横行。リベラリズムを謳い、差別的な戸籍制度の改正・廃止を志向してきたはずの民進党が内側から戸籍公開を求める事態に。差別を目的としたセンシティブ情報の公開を強要した時点で、自由主義の道徳的正統性を否定していることに気づいていない愚かさがある。

彼女の場合、戸籍謄本(抄本)を3度提出して選挙に立候補しており、少なくとも政府・総務省側が咎めていない時点で、国籍資格について何の問題も無いことが証明されている。また、戸籍を公開したところで、台湾籍を離脱した証明にはならず、根本的な解決にはならない。つまり、公開を求める方は差別目的、公開する方は解決にならないという点でも、最低の危機対応になっている。蓮舫氏は、批判に対して過剰に反応すること無く、淡々と戸籍は公開すべきでは無い旨を説明し、非公開を宣言、返す刀で戸籍開示を要求することの非人道性を非難すれば十分だった。

いかなる理由であれ、戸籍開示が強要され公開せざるを得ない状況が存在すること自体、自由社会に対する脅威である。これを認めてしまえば、他の帰化(国籍取得)や被差別部落の疑いのある者に対する戸籍開示も容認される事態を招きかねず、ただでさえ深刻な民族的、社会的差別がさらに悪化する恐れがある。例えば、Tツローなどは即座に危機に陥るだろう。

そもそも、社会統制と政治利用を目的に、国民個々人の社会的、民族的なセンシティブ情報を国家が独占的に管理したのが戸籍制度であったことを思えば、戸籍を開示すること自体、戸籍法の主旨に反するものと言える。
これに対し、リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。

少なくとも旧民主党は、中央集権的かつ権威主義的な明治帝政に肯定的な自民党と霞ヶ関に対峙する存在として、曖昧ながらも分権的かつ自由主義的な政治理念をもって非常に緩い形で結党したはずだった。戸籍制度は中央集権と権威主義の象徴であり、権力の源泉であることから、これを骨抜きにするか廃止することは、民主党の党是であったはずだ。
ナショナルセンター連合の支援を受けながらも、全く社会主義的ではなく労働者にも優しくなかったものの、少なくとも「反権威主義」「自由主義的」ということで、「自民党よりはマシ」というのが、民主党支持層の大まかな評価だったと思われる。ところが、今回の件で民進党が自民党と同様の、あるいはより機会主義的でタチの悪い差別的議員が大多数を占めていることが明らかになってしまった(今のところ蓮舫氏を擁護する議員はヨシフくらいしかいない)。
民進党は自らの唯一の立ち位置をも自分で踏みつぶしてしまったのである。

【追記】
なお、蓮舫氏の代表としての資格については、私は最初から疑義を呈している。
能力的には、レンホーはおよそ野党第一党の党首が務まるような器ではない。自意識過剰の自信家で、人の意見を聞かず、同時に大所帯をまとめられるような手腕も人望も無いからだ。その点は、まだ失敗も含めて経験を積んでいるマエハラの方がマシ
(またハズレしかないガチャ−民進党代表選挙、2016.8.3)

全てに対して恐ろしく冷酷で、人倫を欠き、その点を恬として恥じない精神である。
(レンホーは党代表に相応しいか?、2016.8.26)

本来ならレンホー氏は立候補を辞退すべきだった。先に虚偽答弁あるいは違法状態の責を認めて辞退しておけば、次の機会もあったかもしれないが、彼女はここで強行突破を試みた。都知事をフイにして代表選への出馬にこぎつけたのに、それを放棄することなどできないのだろう。「コンコルドの誤謬」である。
(民進党代表選は頓死状態、2016.9.14)

【参考】
蓮舫氏国籍問題の諸相 
蓮舫氏国籍問題の諸相・補
posted by ケン at 12:47| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする