2020年06月16日

曹洞宗が差別戒名墓石移設へ

【「差別戒名」墓石全て移設 145カ寺40年かけ 曹洞宗】
 「差別戒名」が刻まれた墓石を檀家の墓地から三界萬霊供養塔に移設する「改正」作業を進めてきた曹洞宗はこのほど、全国145カ寺にあった全ての「差別戒名」墓石の移設を完了させた。今年3月、最後の1カ寺となっていた埼玉県の寺院で追善法要を営み、あらゆる差別の撤廃と人権の確立の実現に向け、さらなる精進を誓った。
 宗務庁は全国寺院へのアンケートや現地調査などを実施し、全国253カ寺に差別戒名が記された墓石(145カ寺)と過去帳(218カ寺)があることを把握した。
(6月5日、中外日報)

曹洞宗はセンシティブな問題と真摯に向き合っていると思う。

ケン先生は東京に生まれ育ったので、あまり意識したことはなかったが、奈良の議員の秘書をやって、部落問題の根の深さと闇を垣間見ることができて、目が見開かれた思いだった。
確かに目に見える部分での部落差別は減少していると思われるが、地方、特に関西以西では、差別対策として講じられた様々な施策が利権化してしまい、むしろその差別構造下でしか生きられない層を作り出してしまっているところがある。こうした施策を「歴史的使命は終わった」とするのは簡単であり、確かに合理的にはそれが正しいわけだが、現実にはそれに依拠(寄生)して生活している人びとも少なくなく、何が「人道的」であるのかを見極めるのは非常に難しい。
大阪の「維新」は、硬直化した利権構造を破壊して、利権構造の再構築をめざしている側面があり、だからこそ広範な支持を得ていると考えられる。

政治的には非常に難しい問題であるだけに、宗教面からのこうした取り組みは非常に重要であると言える。
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2020年06月13日

SNSで選挙自体がクソゲーに

【フェイスブック、国営メディアにラベル表示 広告禁止へ】
 米交流サイト(SNS)大手フェイスブック(Facebook)は4日、国営の報道機関など国家の影響下にあるメディアにラベルを表示する措置を始めた。また、11月の米大統領選挙までにこうしたメディアによる広告の掲載を禁止する方針も表明した。同社サイバーセキュリティー対策部門の責任者ナサニエル・グライシャー氏が公式ブログで行った発表によると、今回の措置は同社が昨年10月に発表した計画に沿ったもの。グライシャー氏は「ユーザーは、自分が読んでいるニュースが政府の影響下にある可能性のあるメディアのものかどうかを知るべきだ」と述べた。
 同社は今後、国営メディアが掲出する広告にも同様の表示を始め、11月の大統領選までにこうした広告の掲載を完全に禁じるとも発表。グライシャー氏は「公の議論の場に外国からのさまざまな影響が及ぶのを防ぐための追加策」と説明している。同社が定義する国営メディアには、編集方針に政府の影響が及ぶ機関や、政府が出資するメディアが含まれる。フェイスブックは、2016年米大統領選への外国の干渉を防ぐ対策を怠ったと批判されているほか、ドナルド・トランプ大統領らによる誤情報や扇動的なコメントの投稿への対応をめぐる論争の渦中にある。
(6月5日、AFP=時事)

「編集方針に政府の影響が及ぶ機関」−日本の大手報道機関は全て該当。NHKは確実にラベル対象だ。

SNS各社の苦悩は理解するが、自国の大統領や首相が情報操作の源となっている以上、「ネズミ取りを置きました(ゴキブリやダニは放置)」にしかならない。そもそも現代の選挙では、より「情報を上手にコントロールして、有権者に良い印象を植え付けた」方が勝利する「ゲーム」になってしまっている。
例えば、2008年の米大統領選は「オバマ対マケイン」、2016年は「トランプ対クリントン」の対決だが、リベラル・デモクラシーが想定している「エリート間での自由かつ公正な政策競争」によって選抜されたのかどうか、容易に答えられよう。
逆に、日本の地方に行けば、「自民党候補対NK党候補」という選択肢になっているところが少なくない。大阪ではこれが「自民、維新、NK」となるだけで、ソ連末期の国営百貨店のような、「買いたい物が何も無い」マーケットになってしまっている。
自由主義社会は、市場競争であれ、選挙であれ、「自由かつ公正な競争」が前提となっており、その前提を担保するために政府や政治が存在する。しかし、その競争は十分な競争者と選択肢が存在して初めて成立しうるものであって、そもそも選択肢が無ければ成立しようが無い。

そこにSNSが登場することで、ゲームの方向性がさらに変化し、ただでさえ人気投票の嫌いがあった選挙が、より「情報を上手にコントロールして、有権者に良い印象を植え付けた」方が勝利するゲームになってしまった。
その選挙は規模が大きくなればなるほど、大手広告会社が介入し、デザイナーやコンサルタントが優秀な方が勝つ確率が上がるため、「より多くのコストを情報戦に費やして、良いダイス目を出した方が勝ち」みたいなゲームと化している。

こうした傾向は有権者からすると、リテラシーの難易度が上がりすぎて、ますます「印象で選ぶほか無い」という話になっている。
行動経済学も証明しているが、大半の人間は、選択肢が多すぎたり、複雑すぎたりすると、「考えて選択する」行為そのものを放棄してしまうからだ。
要するに、SNSの導入によって「無理ゲー」「クソゲー」になってしまったのが、現代の自由民主主義社会なのだ。それだけに、「SNSをちょっと改革しました」程度では「焼け石に水」もいいところで、下手すれば、むしろ状況を悪化させるかもしれない。
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2020年05月13日

強権行使したがる知事ども

【全国22知事、権限は「不十分」 コロナ特措法、8人が罰則に言及】
 新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言発令時の知事の権限について、全国47都道府県知事のうち22人が「不十分だ」などとして見直しを求めていることが2日、共同通信のアンケートで分かった。このうち茨城や京都など8人は、休業指示に従わない業者への罰則規定の必要性に言及した。一方で群馬や福岡など7人は、過度な私権制限につながりかねない権限強化や罰則に慎重な姿勢を示した。
 安倍晋三首相は6日が期限の緊急事態宣言を、全都道府県で延長する意向で、詳細は4日に決定したいとしている。特措法を巡っては、西村康稔経済再生担当相も権限強化や罰則整備に言及している。
(5月3日、共同通信)

戦前・戦中の反省から権力による強権発動を抑止するために、行政などから強権を剥奪し、「自粛(要請)」という形がとられているのに、「自粛しないヤツがいるから社会的制裁を!」と煽ったり、「自粛に従わないヤツがいるので命令権をくれ」と言ったり、根本のところで何も理解していない連中が増えていることがよくわかる。

戦後民主主義が危機に十分対応できなくなっている面は否定しないし、特に安保面ではその点が顕著になっていると思うものの、戦後民主主義に替わる統治形態を議論せずに、権力に強制力のみ付与すれば、それこそ単純に「戦前回帰」が起きて、明治帝政の復活だけに終わるだろう。
もちろん安倍一派はそこを見込んで改憲議論に突き進もうとしているわけだが、安直に同調するのは自分の首に縄をかけるだけになるだろう。

行政に強権を付与するに際しては、少なくとも、

・天皇制の廃止(無答責の天皇の名の下での強権行使は無責任)
・議会に強権を停止する権限を付与する
・憲法裁判所の設置
・公文書の作成、保管、公開原則の確立

などの要素を同時に成立させなければ、ただの独裁になってしまうだろう。

【追記】
ちなみにパチンコ屋の営業を「公共の福祉」のために休業命令を出せるようにすることは、現行憲法下でも法整備可能なはずだ。
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2020年05月04日

感染症予算削減から見えるもの

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感染研の予算を減らしたのは誰だ、という話は遠からず出てくるだろう。
旧世代政治家も旧式政党も存在意義が問われてしかるべきだ。
政治や行政が十分に機能しなくなるほど、予算と議員定数・歳費の削減合戦にしかならないからだ。
例えば、民主党は「無駄ゼロ」を掲げて政権を奪取して「事業仕分け」を進め、自民党安倍政権は民主党政権期に行った施策を「バラマキ」と見なして「子ども手当」などを廃止、縮減した。
日本の総人口は1993年から現在までで180万人減少したが(減少率1.4%)、衆議院の定数は46も減らされている(減少率9%)。

「無駄を減らす」ことに異論のあるものは少ないだろうが、現実には「誰がどのような基準で無駄を認定するのか」という問題があり、「民主的」な意志決定システムであるほど、「公平に全部減らそう」という話にしかならず、結果的に緊急性の低いところが多大な犠牲を被ることになる。
しかし、現実には公務員の定数や給料を減らせば減らすほど、行政能力と危機対応能力は低下、当然治安水準も低下する。
また、議員定数や歳費を減らせば減らすほど、デモクラシー(最大多数者による意志決定)の正統性は低下し、「もともと社会的影響力のある者」しか政治家になれなくなってしまう。

その一方で、現実には「より多くの有権者と酒を飲んで握手した候補が勝つ」式の選挙制度が幅をきかせており、選挙が政治家の能力を図るツールになっていないという問題もある。
こうした問題を解決しない限り、本質的なところは変わらない。

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2020年05月01日

貴族が恩寵金をカツアゲ?

【県職員の10万円でコロナ対策 広島知事、国給付の活用表明】
 広島県の湯崎英彦知事は21日、新型コロナウイルスの緊急経済対策として県職員が国から受け取る現金10万円を、県の対策事業の財源に活用したい考えを表明した。自主的な寄付として募り、新たに設ける基金に積み立てる手法などを念頭に、仕組み作りを急ぐ。
 国による10万円の給付は全ての国民を対象に5月から始まる見通しで、湯崎知事の突然の発言は波紋を広げている。県職員連合労働組合の大瀬戸啓介中央執行委員長は「驚いている。新型コロナの感染防止で職員は懸命に働き、家庭状況もさまざまだ。一律の対応を求められるのかなどを注意深く見守る」と話した。
 湯崎知事は休業要請の協力金について発表した記者会見で、県職員が受け取る10万円の扱いについて言及した。協力金や他の対策に多額の費用がかかるとの見通しを説明。「必要な財源が圧倒的に足りない。捻出する時に、今回(国から)給付される10万円を活用することで、聖域なく検討したい」と強調した。
 具体的な仕組みについては「まさに検討しなければならない」と述べ、制度設計を急ぐとした。県職員が受け取った10万円を積み立てる基金を新たに創設し、事業費に充てる方策かという問いには「そういうイメージだ」と応じた。県によると、知事が任命権を持つ県職員は4451人(4月1日時点)。全職員から10万円を集めると、4億4500万円余りとなる。
(4月21日、中国新聞)

この話に救いが無いのは、当人が東大卒の通産官僚出でありながら、私権、私有財産に対するコンプライアンス意識が皆無であること。
政府が議会の了承を経て国民、市民に給付する金は、当然ながら私有財産であり共有財産では無い。ましてや、行政単位である広島県や県知事が徴収するには、最低でも法的根拠が必要となる。
法的根拠無しに、「寄付」を要求するのであれば、これは「優位な立場を悪用した不当要求=優越的地位の濫用」にしかならない。太平洋戦争における特攻が「志願」の名の下に行われていたのと同じ話になるだろう。

さらにこの話に救いが無いのは、私有財産や私権と憲法や法律の関係すら知らない県知事を、県民が選挙で選び、あまつさえ民主・民進、自治労まで支持していたということ。教職員組合は確か社民系が強いから少し距離を置いているかもしれないが。

仮に右派の立場に立っても、「陛下から臣民に下された恩寵金を県知事が巻き上げるとは何事か!」と激高してしかるべきだが、それも見当たらないところが、ますます救いが無い。

結局のところ、この翌日には知事は発言を撤回するのだが、その弁解がまたぞろ「誤解を生む言い方だった」とのことで、自らの責任を否定している。県職員から「任意で給付金を寄付してもらって県の事業に活用したい」のどの点がどのように「誤解を生む」のか、トコトン追及する必要がある。日本型司法行政の原則に則って、一日10時間以上、20日間にわたって「何がどう誤解になるのか」問い続ければ、「真意」も明らかになるだろう。
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2020年04月08日

2021年のインパール作戦?

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この期に及んで五輪を最優先する昭和帝政。
この画像からは「全国民死すとも帝政は守らん!」とする昭和軍人どもと同じ狂気が感じられる。
この間、「天皇制と何の関係が?」とも聞かれたが、市民の使命や財産に優先する価値を置き、それを絶対視することで、市民の自由意志を奪い、支配下に置こうとするのが、天皇制=帝政の本質であり、それは切っても切り離せない原理なのだ。
これはごく簡単な原理で、下級市民と皇族の生命がさらされている状況下において、優先されるのは必ず皇族であることから容易に説明できるだろう。
帝政は階級制の上にしか成り立ちえず、だからこそ権威付けと奴隷奉仕が必要となる五輪が求められているのである。
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2020年03月30日

ファッショはリベラルを超えて

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(3/29、デイリースポーツ)

3月28日(土)の原宿竹下通り。外出「自粛要請」の結果。戦後の民主改革によって明治帝政の強権が否定された結果、現政府は戒厳令などの権限を有しない。時代は権力集中と権威主義へ。

リベラリズムは「自覚を持った市民が合理的に判断して最適解を導き出すから、政府による強権発動は不要」との発想に立つが、日本はおろか欧米でも理想主義でしか無かったことが判明してしまった。

労働は一定の自由を担保にして収入を得ることで購買の自由を手に入れることができる。9.11以降の西側諸国では、市民的自由を一定程度犠牲にすることで「テロからの安全」が求められた。伝統的自由主義が想定した自由の概念はバランスの維持が困難になってきていると言えよう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする