2025年01月06日

日本で汚職が少ないワケ

【自民裏金で国会議員ら計65人を一斉不起訴】
 自民党派閥裏金事件で東京地検特捜部は26日、政治資金規正法違反の疑いで告発された国会議員と秘書ら計65人を一斉に不起訴とした。うち議員や元議員計5人は起訴猶予だった。
(12月26日、共同通信)

数百、数千万円からの帳簿外のカネをつくって目的外使用を繰り返した上、脱税まで行ったにもかかわらず、ほぼ全員不起訴。
そりゃ「汚職が少ない国」と自称できるわ。
そもそも摘発されず、裁判にもならないんだから。
要は、政治家や官僚による犯罪そのものが検察によって「洗浄」され、公的に「無かった」ことにされているのだ。
戦後帝政の醜悪さもいよいよ極まってきた。

ただ、敢えて検察を擁護するなら、政治資金規正法そのものがザルであることも確かである。
要は法を作るのは国会議員であり、その過半数は殆どの場合、自民党であるため、公職選挙法や政治資金規正法あるいは収賄罪やあっせん利得罪は、常に抜け道が用意されているのだ。
自分たちが取締の対象になることは「あってはならない」が、かといって国民の手前「何もしない」わけにもいかないため、形式的に法律を作って、実際は皆で抜け道を利用しているわけである。
実際のところ、抜け道が多すぎて、裁判になっても無罪となる可能性が十分にあるだけに、検察としては起訴するのも躊躇されるということだろう。

要は、公職選挙法、政治資金規正法、収賄罪、あっせん利得罪などを議員に作らせてもダメということなのだが、かといって行政に作らせれば、ただでさえ圧倒的なパワーを有する行政がますます強くなってしまうため、これもダメだろう。
三権分立の弱点でもある。
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2024年12月14日

連中が緊急事態条項を入れたいワケ

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自民、維新、国民などが戒厳を可能とする緊急事態条項を憲法に盛り込もうとしているわけだが、その背景には戦後帝政が統治能力を失いつつあることがある。

現代デモクラシーは機能不全に陥りつつある。アメリカでも欧州でも、既存のエリートや政党に対する不信が強まると同時に、ポピュリズムが猛威を振るっている。だが、そのポピュリズム政党も政権を取ったところで、諸問題を解決できているわけではなく、政治不信と不満を増幅させるばかりとなっている。
これは、合意形成に重きを置きつつ、民意を最大限反映させることを主眼としたデモクラシーが、統治能力を失いつつあることを示している。
大阪や兵庫の混乱はその象徴だが、小池を都知事に選出し、都民ファーストに多くの議席を与えている東京も同じである。

国内市場が縮小し、自国通貨の価値が低下を続ける中、政府と資本を代表する右翼党は国内における収奪を強化するしか選択肢を持たない。
1990年代以降、支持を失いつつあった政府と右翼党は、中間層や労働者階級を分断し、あるいは選挙制度を都合良く改変することで、相対的優位を保ち続けてきた。
同時に左派は、その政策や理念に対する錯誤から(例えば護憲平和への傾倒)、本来の想定支持層(貧困層やリベラル・エリート)からの支持を失っている。
例えば、日本の貧困層は少なくとも1千万人以上、多く見積もれば2千万人はいるが、左翼党が獲得する票は500万票に満たない。

国内の収奪を強化すればするほど、民意が適切に反映されないデモクラシーに対する無関心あるいは不満が増大し、いつしか暴力的解決を望む声が強まる。無関心層の増大は、全員参加を大原則とするデモクラシーの正統性を損なうだけに、制度の根幹を融解させるものとなる。
「戦後帝政を護持するためには、民意の噴出や階級闘争を暴力的に鎮圧する装置と、外に敵を作り(具体的には中国など)内部の団結を図る国家主義・ナショナリズムが不可欠である」というのが、あの連中の考え方なのだろう。

もう一つ、この手の連中が市民や自国民に対する暴力行使に躊躇しないのは、デモやストライキを行うものを「中国から金をもらっているプロ市民」などと見て、「敵に付くものやスパイに容赦は不要」という認識に立っているためである。
結果、2015年の安保法制審議における国会前や辺野古基地などにおける警察による弾圧や暴力行為を支持するところとなっている。つまり、彼らにとっては「帝国への敵対者に対する暴力は容認される」という認識であり、連中の手による「緊急事態条項」が何を意味するのかは明確なのである。
私などは戒厳が発動した日に殺害されて多摩川に投げ込まれるであろう。

逆を言えば、連中が戦後帝政に対してそれだけ大きな危機感を抱いているということであり、天皇の権威による国民統合が限界を迎えつつあることの証左なのである。
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2024年11月27日

マイナ保険証はデモクラシー劣化の象徴

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マイナ保険証は日本のアノクラシー化やポピュリズム政党(維新、国民、れいわ、参政など)の伸長を許した政策的原因の一つである。

最大の理由は国民サービスの低下である。既存の保険証で不利益も不便もなかったのに、敢えて医療機関へのアクセスを制限しているためだ。

次いで、マイナ保険証が導入される背景には、個人の健康情報をデータ化・商品化して製薬会社などに販売、政治家や官僚がそのキックバックを受けている疑いがある。つまり、国民の個人情報が勝手に販売されることへの不信、そして汚職の原因になっていることへの不満が存在する。

最後に「なぜ不利益を前提に導入せねばならないのか」に対する説明責任が全く果たされておらず、既存の政府や制度に対する不信と不満を募らせる原因になっている。

『アメリカは内戦に向かうのか』のバーバラ・F・ウォルターは、アノクラシー(脱民主化)化の要因として、「国民サービスの低下」「腐敗」「説明責任の不在」を挙げている。

マイナ保険証、東京五輪、大阪万博などはその最たる例と言えよう。
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2024年11月16日

迷走するNK党

【共産、立民に再接近 対決姿勢一転、首相指名で協力】
 共産党が立憲民主党への再接近を図っている。衆院選での対決姿勢から一転し、特別国会の首相指名選挙は決選投票で立民の野田佳彦代表に投じる構えだ。背景には、自公政権打倒の目標に加え、党勢低迷への焦りがある。ただ、従来の共闘路線に戻っても議席増につながるとは限らず、当面は模索が続きそうだ。
 共産の田村智子委員長は10月30日、野田氏との会談で決選投票での協力要請を受け、事実上承諾した。政治改革推進などの一致点を挙げ、衆院選で批判していた野田氏の姿勢については記者団に「選挙結果が出た後ではおのずと対応が変わる」と釈明した。
 衆院選で共産は安全保障関連法の廃止に慎重な野田氏に反発し、立民との競合をいとわず小選挙区に213人を擁立。比例票の上積みを狙ったが、小選挙区1と合わせた議席数は8で2減。田村氏は「力不足を痛感する」と肩を落とす。
 一方、立民は142選挙区で共産と競合しながら、比例と計50議席増と躍進した。立民内には「共産と共闘する必要はなくなった」(ベテラン)と強気な声も上がる。
(11月4日、東京新聞)

NK党が迷走している。
衆院選で掲げた独自路線が敗北に終わった瞬間に方針を変えて保守リベラルにすり寄るさまは愚かとも、残念とも、お気の毒(かわいそう)とも取れる。

NK党の退潮は今に始まったことではなく、ここ二十年の傾向であり、特に前回の統一自治体選挙で100以上の地方議席を失ったことは非常に大きかった。
今回もその流れにある。
NK党は圧倒的な高齢化により、支部の主な活動家の平均年齢は70歳前後になっており、およそ有効な選挙運動や集票活動ができなくなっている。
その街宣・遊説活動を見ればわかるが、若いのは立候補者だけで、あとは高齢者ばかりなどというのはよく見られる。
集票活動というのは、派手な街宣ではなく、地道な声掛け(近所や知り合いに個人的に投票を依頼する)が最も有効なのだが、高齢化が進むとこれができなくなる。周囲も高齢者ばかりで人数も減っていくし、高齢化が進むと積極的に声を掛ける気力も失われるからだ。
NK党とKM党がともに票を減らしているのは、「友人・知人への声掛け」が圧倒的に減っていることが大きいと考えられる(20年以上の選挙の実務経験者として)。

また、今回のNK党の比例区減少幅は80万票だが、れいわ新選組は160万票伸びている(社民は8万減)。
概ねれいわあるいは国民に票を奪われたと見てよいだろう。
これは米大統領選挙と同じ構図で、近年のNK党は階級政党であることを忘れ、改憲反対、平和主義、人権と環境(ジェンダー)に傾斜してしまっている。その結果、「消費税廃止」のれいわや「課税最低額の引き上げ」を主張する国民に魅力を覚えるものが増えているのではないだろうか。
これは政策上(特に優先順位)のミスである。

つまり、NK党が敗北したのは、立民との協力の有無の問題ではなく、高齢化と政策(マニフェスト)上の問題であり、立民と協力したからと言って来夏の参院選で票が増える保証はどこにもないのである。
むしろ本来の問題に目を向けなければ、さらに票を減らすかもしれないのだ。

もちろん私はNK党の支持者ではないので、どうでも良いのだが。
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2024年10月24日

相変わらずな「社会民主党」

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日本は総選挙中でしたな。投票率50%程度のw
SNSのタイムラインに社民党が上がってきたので、久しぶりに政策を見てみたが、酷いものだった。

細かい政策は別にしても、選挙に掲げる主要な柱に「労働と福祉」が存在しない社会民主主義政党など、日本にしか存在しないのではなかろうか。
まぁ私もそれが不満で辞めたのだが。
20年経っても相変わらずだった。
政党として残っていること自体が奇跡的だが、本来の支持層は「れいわ」に奪われている感じなのだろうか。

ここで社会民主主義の再定義を行っておきたい。
社会民主主義とは、少なくともケン先生の中では、

@ 資本主義・議会制度の下で社会主義政策の実現を図る。
A 資本主義の矛盾、特に貧困と格差(差別)の是正を図る。
B 全ての人に人間的な(健康的、文化的な)生活を送れる経済水準を保障する。

というものである。
従って、労働政策と社会政策が全てに優先されなければならない。

労働政策で言えば、賃上げ、失業手当(日本では5人に1人程度しか受給できない)、長時間労働規制(一部の大企業でしか実現してない)、派遣労働規制、福祉従事者などの待遇改善、第一次産業従事者に対する所得補償などが考えられる。

社会政策で言えば、子ども手当の充実(所得制限の除外)、給食の無償化(修学旅行などは廃止して良い)、高等教育の無償化(特に国公立の無償化と給付型奨学金の拡大)、そして生活保護の適用拡大(同じく必要な人の5人に1人しか受給できない)などが考えられる。

日本の場合、福祉は「貧しい(可愛そうな)人に対する国家(天皇)による恩寵」という位置づけになっているが、これを「国民の普遍的な権利」へと転換する発想が必要となる。
同じ理由から、日本では福祉自体が「貧しいものの特権」とみなされ(自己責任論、通俗道徳)、常に差別や廃止の対象となっているわけだが、帝政とともに否定されるべき考え方である。

ここでは「日本では、なぜ社会主義が支持されないか」の議論は行わない。
まず、社会民主党は社会主義ではないから全く支持できない、とだけ言っておこう。
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2024年10月12日

共産党の勝利条件は第二保守党に政権を取らせることではない

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共産党は無産階級と共産主義者のために存在するのであって、ブルジョワ第二政党の補助輪ではない。
ワイマールで考えてみればわかるが、KPDからすればDNVPが政権取ろうが、NSDAPだろうが、大して違いはなかっただろう。
共産党には共産党の勝利条件があるのであって、リベラル知識人が一方的に自分の勝利条件を押し付ける(都合良く当てはめる)べきではない。

日共の最大の問題は社民主要打撃論をほぼ完遂し、貧困率が20%に近づきつつあるというのに、相変わらず2~3%程度の支持しか得られていないことにある。
つまり(無産階級を啓蒙、指導する)前衛政党として全く成立していないということだ。

同時に、共産党の支援が無いと小選挙区で多数派を握れない「保守党」など、どこまで行っても第二保守、代替右翼でしかないだろう。
そんなものにそもそも価値などあるのだろうか。
こんな連中が知識人を気取ってるからダメなんだろうな。

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だから何だと言うの?
そんなものが我々のような社会主義者や共和主義者、あるいは共産主義者が代替右翼に投票する理由になんぞ、なるわけがない。
我々に「ナチじゃなくて国家人民党に投票しろ」とか、どの口が言うんだ?!
自分の都合(勝利条件)を押し付けるな!

やはり日本の大学の政治学では全体主義学を必修とすべきではないかw
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2024年09月16日

アイヌの3割「SNSで差別受けた」

【アイヌの3割「SNSで差別受けた」…23年調査で判明、従来の「学校や職場で」上回る】
 北海道が2023年に実施したアイヌ生活実態調査で、初めてSNS上での差別について尋ねたところ「自分自身が受けた」という回答が3割に及び、「身近な人が受けた」でも6割に上ったことが分かった。道は、こうした調査結果を近く公表する。
 道関係者への取材で分かった。アイヌへのSNS上での差別を巡っては近年、国会議員や札幌市議がツイッター(現・X)やフェイスブックなどに差別的な投稿をしたとして問題になっている。
 実態調査は、アイヌの生活状態を把握するため、道が1972年から4〜7年ごとに実施し、人口や経済状況といった項目のほか、差別への意識も調べている。
 どういった場面で差別を受けたかを面接で尋ねており、2017年の前回調査では「学校」や「職場」が多かった。23年の調査から「SNS」についても聞くこととし、500人弱が回答した。
 その結果、アイヌを理由にSNSで自分自身が差別を受けたことがあると回答したのは3割で、場面別の最多になった。一方で「職場」は2割を切り、「学校」も1割を下回った。
 身近な人が差別を受けた場面でも「SNS」が6割を占め、2割弱が回答し次に多かった「学校」を大きく上回る結果になった。
 23年10月時点で道内在住のアイヌは約1万1000人。17年11月時点の約1万3000人から減少して、過去最少を更新する可能性がある。
(9月6日、読売新聞)

外国でもSNSは差別や煽動の根源となっており、その対策は進んでいない。
表現の自由が保証される一方で、差別禁止法があっても、膨大な個人による発信を全て規制するのは困難であるためだ。
逆に外務省や自民党などは「歴史戦」と称して歴史修正主義プロパガンダを推進しており、実質的に差別主義者(レイシスト)を助長している。
帝政が国民の主権ではなく、天皇の権威の上に成り立っている以上、権威を保つための差別とプロパガンダは不可欠なのが実情であり、少なくとも霞が関官僚や自民党員の認識はそうなのだろう。

政治的には差別は、大衆扇動や動員を目的とする手段として行われる。
ナチスによるユダヤ人虐殺やロシアなどにおけるポグロムもまた同じで、差別そのものではなく大衆を動員するために行われたところが大きい。

現代日本でクルド人が差別されるのは、彼らが人権を守ってくれる国家を有していないことが大きく、その意味ではかつての欧州におけるユダヤ人と似たような立場にある。
翻って、日本でアイヌ差別が放置されている現状は、帝政日本がアイヌの保護者ではないことを示しており、同化を拒否するアイヌ・琉球人に対する呵責なき弾圧の意志の表れであると見るべきであろう。

話を戻すと、日本でもせめてSNSは実名登録(発信)式を導入すべきであるが、それはそれで個人の特定が進むことで、逆に様々な少数派に対する攻撃を激烈なものにし、当局は政府に否定的なものだけ摘発するという恣意的な運用がなされる蓋然性が高い。いずれにしても帝政は暗黒のままであり続けるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする