2017年12月22日

立憲民主党の保守とは何か

【立憲民主・枝野幸男代表「安倍晋三首相は保守主義ではなくパターナリズム。自分は保守でありリベラル」】
 立憲民主党の枝野幸男代表は15日、共同通信社で講演し、安倍晋三首相の政治思想について「パターナリズムだとは思うが、保守だとは思っていない」と断じた。パターナリズムは、日本語で「家父長主義」と訳される場合が多い。パターナリズムだとする根拠として、安倍首相が経済政策「アベノミクス」を語る際に「この道しかない」というフレーズを用いたことを挙げ、「いろいろな道があって試行錯誤していくのが保守主義だ。この道しかないという考え方は保守とは対極にある」と述べた。自らについては「保守だ。少なくとも革新ではないが、リベラルだ」と改めて強調した。
(12月15日、産経新聞)

枝野代表は左派からの批判を浴びながらも、決して「保守」の旗を下ろそうとはしない。それは、「左派・リベラル票だけでは多数派は取れない」という実利上の理由もあろうが、原理原則面においてもいまやリベラリズムこそが保守になってしまっている実態を表しているのだろう。

左翼の立脚点が過去の否定と新しい価値観への信仰にあるのに対し、右翼の立脚点は過去への憧憬と新しい価値観への懐疑にある。
今少し説明すると、左翼とは、現状の政治的問題の原因を過去との関係に求め、過去との断絶を図ることによって現状の問題を整理・一掃した上で、過去に無い新しい価値観による政治・社会体制を築き上げることによって、人類の幸福を実現できると考える勢力である。
これに対して右翼とは、問題の原因を過去からの変化に求め、変革・進歩を否定しつつ、かつてあった理念・体制の修正、復活、再構築によって、現状の問題を解決すると同時に、人類の幸福を実現すると考える勢力である。

具体例を挙げるならば、フランス革命が進行してジャコバン派による独裁が成立した後も、「革命は十分だ」と判断して恐怖政治からの脱却を主張したダントン派は「右派」とされ、「革命は不十分である」として恐怖政治のさらなる推進と平等分配の強化を主張したエベール派は「左派」とされた。

ソ連のペレストロイカ末期には、「改革は不十分、さらなる民主化を」と主張したエリツィン派が左派となり、「行き過ぎた改革が経済を疲弊、混乱を招いた」と改革に歯止めをかけたリガチョフ派が「右派」あるいは「保守派」とされた。

現代日本に話を戻すと、「戦後リベラリズムの復興・再構築によって現状の諸課題は解決できる」という枝野氏らの立憲民主党が保守と自己規定するのに対し、安倍総裁率いる自民党は明言こそ避けているものの、日本をめぐる様々な情勢変化の中で、戦後リベラリズムでは諸課題を解決できなくなりつつあるとの認識に立った上で、権威主義体制への移行は不可避という、一種の反動改革路線を主張している。

2012年12月の総選挙以降の民意が示すところは、安倍氏の反動改革路線が相対的に支持を得ているということだが、日本の現状は戦後リベラリズムがもたらした結果であったわけで、「リベラリズムの再構築で問題は解決できる」という枝野氏の保守路線はリベラルの恩恵を受けた50〜60代以上の層からしか厚い支持を受けないのは当然の帰結なのかもしれない。
posted by ケン at 12:32| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

社会主義者ですが何か?

本ブログ(管理人)の立ち位置を今一度明確にしておきたい。
改めて宣言するが、ケン先生は社会主義者である。ただし、権威主義よりは自由主義を選ぶが、優先順位は高くない。そして、平和主義者ではないが、武力行使の殆どが当人たちが望んだ結果を得られないケースが大半であることを、歴史から学んでいる。
従って、「生活保護を削って防衛費を増やすなどケシカラン」とは言わない。国防の優先度が高まる事態そのものは否定しないからだ。
私が言う社会主義をごく単純化するならば、

@ 貧困撲滅
A 経済格差の抑制
B 健康的かつ文化的な生活の保証


になる。
「貧困撲滅」は、社会政策の充実によって実現される。具体的には、無償に近い質の高い教育を充実させつつ、産業振興と労働政策のバランスをとりながら完全雇用をめざし、さらにセーフティネットの構築で貧困を根絶する。貧困の放置は、消費減退と治安悪化の原因にしかならないからだ。
とはいえ、AIとロボットの普及により、中長期的には中間的な事務作業などの大半が失われる可能性が高く、併行してベーシック・インカムの導入を検討すべき時期に来ていると考える。

「経済格差の抑制」は、再分配政策によって実現される。これも、消費減退と治安悪化の原因となるためだ。近年までは、所得税の累進課税や相続税によって、再分配の財源を賄ってきたが、日本ではインフラ整備や高齢者福祉に充当し、住宅政策や家族政策(児童手当など)を軽視してきたこともあって、その再分配機能は西欧に比べて非常に低いものとなっている。
そして、昨今では所得税の累進による所得再分配効果が低下していることもあり、できるだけ早い段階で資産課税を導入しつつ、貧困対策、公的住宅、家族政策の財源とする必要がある。

「健康的かつ文化的な生活の保証」は、社会保障と文教政策によって実現される。これは、「人が人間としての尊厳を保って生きられる社会」をめざすという点で、やや哲学的課題と言える。1970〜90年代頃の日本では、相応の水準で実現できていたようにも思えるが、特に2000年代以降、急速な高齢化が国と地方の財政を圧迫、社会保障の持続に困難が生じると同時に、文教予算の切り下げに伴う同分野の荒廃が進んでいる。木そのものが倒れる前に、制度の再構築と財政の見直しが不可欠だが、現状は非常に厳しい状態にある。

【追記】
現実政治に関わるものとしては大きな課題があることも認識している。「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ない。20世紀以降の近代国家は常にこの命題に取り込み、選択し続け、今日に至っている。社会保障と自由を護持するためには、軽武装路線を採った上で、一定の経済的繁栄を担保する必要があるが、これは現政権の親米、既存産業保護路線とは一線を画すものであることは確かだ。
posted by ケン at 12:29| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

良い子ちゃんで戦えるのか?

【<立憲>憲法の考え方を正式決定】
 立憲民主党は7日の政調審議会で、憲法改正に関する「当面の考え方」を正式決定した。「立憲主義をより深化・徹底する観点から(議論を)進める」という基本姿勢のもと、「憲法を一切改定しないという立場はとらない」と明記。臨時国会召集要求に対する召集期限の設定や内閣による衆院解散権の制約、「知る権利」をはじめとする新しい人権などを主要な論点として挙げた。
(12月7日、毎日新聞)

いかにもエリート出身の「良い子ちゃん」が、先生や同級生から嫌われない範囲で精一杯自己主張してみました、という感じ。こんなんで野党第一党が務まるのだろうか。

確かに「9条以外では議論すべき点はある」という主張は理解できるし、一つの考え方であろう。だが、改憲に反対する旧式左翼やリベラル派市民から強い支持を得て、選挙も盛り上がって、1千万以上の票が得られたのに、「9条以外の改憲ならいいでしょ」と言うのは不誠実であり、裏切り行為と言われても仕方ない。

立民の執行部からすれば、「何でもハンタイではNKやSMと同類と見られてしまう。あくまでも我々は中道の保守リベラルだ」と言いたいのだろうが、もともと基礎票的に2〜300万票程度しか無いはずの立憲民主党が、800万票も上乗せできたのは、「保守リベラル」路線が支持されたからだろうか。違うだろう。

党内の憲法議論を主導しているのは、枝野代表と党外の山尾議員と見られているが、その本音は「自衛隊を明記した上で、集団的自衛権の行使を制限する」ところにある。これは筋論としては成り立つが、これも左翼・市民リベラル層の忌避するところだ。彼らは「安倍総理の改憲に反対する勢力」として立憲民主党を支持したはずで、それに反する主張、行為を行った場合、かつての民主党と同様に、一気に支持を失う恐れがある。
改憲論議の中で政治的理由から最終的に妥協するのであればまだしも、ロクに議論も始まっていない段階で、手の内を明かすような話であり、どこまでも素人的だ。これで「改憲議論を主導できる」と思っている辺り、枝野・山尾氏の政治的無能ぶりが露呈している。

また、日米同盟路線を肯定する限り、集団的自衛権も安保法制も完全に否定することは出来ないのが論理的帰結であり、立民の「日米同盟は深化させるが、アメリカの世界戦争には荷担しない」という主張はどこまでも非現実的なのだ。

【参考】
・中道左派ライトウイング視点による憲法9条と日米安保のおさらい
・安保法制反対の論理的脆弱性について
posted by ケン at 15:16| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

質問時間配分の妥当性について

【野党の質問時間削減「反対」55% 朝日新聞世論調査】
 朝日新聞社が実施した11、12両日の全国世論調査(電話)によると、国会での野党の質問時間を減らす自民党の提案に「反対」は55%で、「賛成」の29%を上回った。6日にあった日米首脳会談については59%が「評価する」とした一方、日米が一致して北朝鮮への圧力を高めていくことには、「不安の方が大きい」56%が「期待の方が大きい」35%を上回った。
 今回の日米首脳会談を「評価する」とした層でも、北朝鮮に圧力を高めていくことには「期待」48%、「不安」45%と拮抗(きっこう)。トランプ大統領を同盟国のリーダーとしてどの程度信頼できるか聞くと、「あまり」と「まったく」を合わせた「信頼できない」は61%に上り、「大いに」と「ある程度」を合わせた「信頼できる」の37%を大きく上回った。
 野党の質問時間削減案については、自民支持層では「賛成」48%、「反対」37%。これが無党派層では逆転し、「賛成」が18%、「反対」は59%に上った。
(11月14日、朝日新聞)

12月9日までの会期となった特別国会だが、冒頭から質問時間の配分をめぐって与野党が衝突、停滞している。
従来慣例的に質疑時間は「与党2対野党8」で配分されてきたが、今回自民党内から議席比で「与党7対野党3にせよ」との主張がなされ、森山国会対策委員長は「与党5・野党5」を主張、野党が全面的に反対、徹底抗戦している状態だ。「慣例」とは、国会法などに既定が無いことを意味する。

日本は議院内閣制で、閣僚は政権党の議員と総理大臣の指名した民間人から構成される。政府が提出する法案は、事前に政権党に提示され、政府と政権党間で調整がなされ、政権党の了承がなければ提出されない。つまり、与党議員は政府法案を事前審査しているのだから、議会で質問する必要は無い。
また、「野党の質問時間が長すぎる」という場合でも、質問に対する答弁は、基本的に政権党の閣僚や副大臣が行うため、適切な答弁がなされれば、むしろ法案の正当性を高めることになる。自民党が野党の質問を恐れるとしたら、単に問題を抱えた法案であるか、あるいは「疑問に答えられない」「問題に対応する術が無い」など答弁者である与党議員の能力が不足しているかのいずれかであるためだ。

今回の背景には、自民党内で「選挙に際して野党候補から質問していないことを責められた」との声が上げられたとも言われるが、それは与野党の役割の違いでしかなく、そこは紳士協定で「質問時間の過多で相手候補を攻撃するのは自粛する」とすれば良い話だろう。
実態としては、国会議員や官僚の質的低下により、野党の質問に耐えられなくなって、質問時間自体を削減しようという動きになっているものと思われる。

仮に野党の質問時間が減らされた場合、与党議員は事前審査と議会質問で二度権力を行使できるのに対し、野党議員は唯一の機会をも奪われるわけで、そのストレスは院外活動に向けられる可能性が高く、自民党も霞ヶ関もうれしくないはずだ。
また、与党の質問時間が増えても、「総理の決意をお示しください」「大臣のお気持ちをお聞かせください」など、身内の自慢話の応酬が増えるばかりで、国会中継も恐ろしくつまらないものになるだろう。

さらに指摘するなら、衆議院の場合、国会議員の質問時間は答弁時間も含まれる。そのため、「質問時間30分」としても、実態としては「議員の質問が15分、閣僚答弁が15分」などの割り振りになっている。しかも、第二次安倍政権以降、閣僚が質問とは無関係の話を延々と続けるという「答弁」が急増、例えば質問5分に対して、大臣答弁が15分にも及ぶといった問題が生じている。これは言うなれば、政府によるルールの悪用・議会サボタージュであり、質問権の侵害に相当する。原理的には、野党議員の質問に対し、閣僚が延々と関係の無い答弁を行って、時間切れを狙うことも可能だからだ。

これに対し、参議院は「片道方式」と呼ばれるルールで、質問時間は質問者が話す時間を指し、答弁時間は含まれない。そのため、答弁者はできるだけ簡潔に要点を述べようと努める傾向がある。

近代議会制度はもともと国王大権を抑制し、暴走を止めるために機能を拡大、発展していった歴史がある。立憲君主制となって、国王大権の多くが失われると、行政権は政府が担うところとなり、議院内閣制下では首相・閣僚は政権党から選出される。つまり、行政権を抑制・監督する権能は、現代では野党が担っていることを意味する。その野党の権限を縮小しようというのが自民党の要求であると考えれば、その狙いは自然、議会の形骸化であることは容易に推察できるだろう。

【追記、11/17】
もっとも、予算委員会などにおける総理大臣の拘束が多いとか、大臣答弁が多すぎるという自民党の指摘は首肯できる部分もあり、政務官の答弁でも大臣並みの重みを持たせ、虚偽答弁は過去に遡って訴追できるようにするなどの条件をもって大臣の負担を減らすことを検討すべきだろう。
posted by ケン at 13:33| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

立憲民主党の限界

立憲民主党の組織運営上の課題についてはすでに述べた。
だが、政策、イデオロギー的にも同党の立ち位置は困難を伴うものを見られる。

まず立憲民主党は、今回あえて「立憲」の名を旧党名の民主党にかぶせる選択肢を採ることで成立した。「立憲主義とは何か」については議論が分かれるところもあるが、要は現行憲法を至上のものとし、それに則った国家運営を至上命題とする立場を意味する。つまり「民主党の護憲派」なのだ。

だが、日本の戦後民主主義は、第二次世界大戦の休戦条約の条件として課されたものに過ぎず、戦前の明治帝政下にあっては「民主主義」という言葉すら忌避されて、「民本主義的要素」がある程度の制度だった。そのため、思想的にも制度的にもデモクラシーの基盤は非常に脆弱なものとなっている。
憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。
(戦後日本の不安定な立脚点)

戦後日本が曲がりなりにもデモクラシーを堅持できたのは、日米安保によって担保された軽武装と、西側陣営に属することで保障された自由市場と自国の人口急増に立脚した高度成長に起因している。
だが、これらの前提は1990年代以降、大きく揺らいでいる。対テロ戦争に邁進した米国は、アジア地域における軍事的緊張を回避するようになり、今や「対中封じ込め」などは夢の話と化している。結果、アメリカは日本に対しても「自国の防衛は一義的には自国で賄え」と要求するようになっている(当然の話だが)。
日本政府・自民党は、当面はアメリカの裾をつかんで懇願することで軍事的空白をつくらないようにしつつ、徐々に軍拡を進める選択をするが、憲法上、財政的理由から十分には進んでいない。そのため「対中危機」や「対北危機」を演出することで、軍拡・改憲気運を盛り上げようとしている。「反中・重武装」路線である。
この対抗軸としては、「親中・軽武装」路線が考えられるが、果たして立憲民主党に「親中」や「東アジア共同体」路線が掲げられるかどうか、あるいは「親米・軽武装」という非現実的な路線を採るのか、難しい選択となる。

戦後の西側陣営を支え続けてきたリベラル・デモクラシーは、貧困と経済格差と移民問題から根幹が揺らいでいる。それは日本も例外ではなく、自民党や右派は重武装と権威主義化によって危機を乗り越えるべく、憲法改正を提唱している。
これに対し、いわゆる護憲三派(立憲、NK、社民)は改憲を否定、戦後秩序とリベラル・デモクラシーの護持に最高価値を置いている。その結果、「戦後秩序は危機に瀕しており、再編が必要」とする「改革派」の自民党と、「戦後秩序を危機に追いやっているのは自民党だ」とする「保守派」の護憲三派が対立、前者の優位が続いている。

もう一つは、「リベラル」である。今回、立憲民主党は「リベラルの総結集」「保守リベラル」を旗印に掲げ、これまで「仕方ないけど民主党、民進党」だったリベラル・左派寄りの層を「これで自分が投票すべき党ができた」と熱狂させることに成功した。
ところが、この「リベラル」というのは恐ろしく曖昧な定義しかされていない。例えば、今回立民を支持した層の大半は、TPPに反対の立場を取ると思われるが、では、自由貿易を否定するリベラリズムが成立しうるのかと言えば、激しく疑問を覚える。
これはE・トッド先生がおっしゃっていたことだが、米大統領選でトランプ氏が勝利したのは「真実」を語ったがためであり、同様にクリントン氏が選ばれなかったのはそれを隠して語らなかったがためだった。
その「真実」とは、「自由貿易と移民に象徴される自由主義こそが、全世界を過酷な競争に巻き込み、不平等と停滞をもたらし、中間層を没落させた」ということである。現実に、アメリカでは特に白人層の没落が著しく、全体で5千万人からの生活保護受給者がおり、平均寿命が低下に転じてしまっている。この現状を招いたのは、自由貿易によって工場が海外に移転し、国内産業が壊滅、残された雇用の多くも安価な移民労働者が占有し、白人中間層が没落するのを放置したがためだった。にもかかわらず、オバマ氏は相変わらず自由貿易と移民を称賛し、クリントン氏は「世界の警察官」の地位に強い執着を見せた。米国人が「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」とブチ切れるのは当然であり、むしろクリントン氏は不自然なくらい健闘したと思えるくらいだ。
(敵はリベラルにあり?)

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。

こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。
(敵はリベラルにあり?・補)

例えば、アメリカのサンダース氏、イギリスのコービン氏、フランスのメランション氏らが大健闘しているのは、「リベラル」だからではなく明確に「ソーシャル」を掲げているからである。また、現実に立民の支持層を見た場合、60代が最大で、以下年齢層が低くなるほど低下する傾向がある。つまり、リベラリズムは若年層には殆ど受け入れられていないことを示しており、立民のスタンスは「今が最大」であると言える。これを挽回するためには、若年層の支持を得られる「新型リベラリズム」を提唱するか、思い切って社会主義化(再分配と社会保障に至上価値を置く)することが必要だが、現状の立民にはそれだけの理論的基盤も、それを運用(体現)できる国会議員もいない。

以上の二点だけからも、立憲民主党は遠からずイデオロギー的にも行き詰まる蓋然性が高い。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

現代国家が抱える課題と選択

「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」の3つはトレードオフの関係にあり、うち1つは必ず犠牲にせざるを得ない。20世紀以降の近代国家は常にこの命題に取り込み、選択し続け、今日に至っている。
この命題が最初に浮き彫りにされたのは第一次世界大戦だった。第一次世界大戦は、各国の軍事技術者や政治指導者の予想に反し、大規模かつ長期化を余儀なくされ、国家の工業力と経済力をフル稼働させて軍事生産すると同時に、国民大衆を肉体的にも精神的にも戦争に駆り立てる必要が生じた。また、政治社会的には、戦争の長期化と被害拡大に伴い、前線部隊の士気低下と国民大衆の不満増大が問題となり、厭戦気分や反戦運動・サボタージュへの対処が大きな課題となった。特に戦争と統制経済への不満から革命が勃発したドイツとロシアでは、「帝国後」の国家像に大きな影響を与えることになる。

ソ連の場合、革命後の内戦と干渉戦争を経てなお、「資本主義帝国による、干渉戦争に次ぐ侵略は必ず行われる」という認識を有していた。具体的にスターリンは「米英の支援を受けた日波同盟が東西から挟撃してくる」と予想し、早急なる戦時体制の確立を目指して、重工業化、軍部粛清、大軍拡に踏み切ることになる。これは「重武装」「社会保障制度」「市民的自由」のうち、自由を最大限抑制する一方で、社会保障制度で国民不満を抑えつつ、軍拡を推し進め、総力戦に備えるという構想だった。
だが、二次大戦後も米ソ対立が激化、重武装を解くことができないまま、社会保障と市民抑圧の集産主義路線を続けた結果、経済成長が完全に止まってしまう。1980年代にゴルバチョフが軽武装化、社会保障改革、自由の限定的保障を求めてペレストロイカを行うが、時間切れで失敗に終わり、ソ連は瓦解する。

ドイツの場合、ヴァイマール共和国が成立して、主に「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を進めていたが、「ヴェルサイユのくびき」と世界恐慌の煽りを受ける中、SPDのブリューニング内閣が増税と緊縮財政を強行してしまう。これに対し、ナチスは「ヴェルサイユ体制の打破」「減税」「財政出動」を訴えて多数派を獲得していった。だが、戦後秩序に対する挑戦権を得るためには、重武装が必要であり、市民的自由を抑制しつつ、社会保障制度を整備する「国民的社会主義」路線となった。だが、現実には重武装よりも産業振興と社会保障制度を優先、戦争準備が整う前に大戦が勃発し、米英仏ソと全面戦争に突入した。

第二次世界大戦後、米国を除く西側諸国は「軽武装」「社会保障制度」「市民的自由」の社会民主主義路線を選択した。とはいえ、一方で米ソ冷戦が勃発していたため、西欧諸国はNATO、日本は日米安保による集団安全保障体制を築き、アメリカの軍事力に依存する形で軽武装の担保とした。ただ、英仏は核武装することでアメリカに対する発言力を一定程度キープした。また、日本では岸信介が「重武装(対米自立)」「社会保障制度」「市民的自由の抑制」を提案したものの、国民的支持を得ることなく失脚、少なくとも1980年代まで吉田路線が引き継がれた。

アメリカは第二次世界大戦が勃発するまで自由に特化した珍しい国だったが、大恐慌下で社会保障制度が一定程度整備され、また二次大戦の勃発によって重武装化を余儀なくされた。二次大戦期から1960年代初頭までのアメリカは、「重武装」「社会保障制度(不十分ながらも)」「市民的自由」の三つを同時に成立させた希有なケースとなったが、これは圧倒的な産業力と市場に支えられていたためだった。だが、ヴェトナム戦争でさらなる重武装が余儀なくされた上、国内産業も低迷したため、社会保障を切り下げる新自由主義路線で70〜80年代の危機を脱却した。だが、冷戦終結後も重武装を解除することができず、対テロ戦争で戦費がかさむ中、2000年代には市民的自由をも犠牲にするところとなっている。

日本は、80年代に中曽根政権下で新自由主義路線に舵を切ったものの、社会保障の切り下げには至らず、軽武装を中武装にする程度に終わった。だが、90年代には経済成長が止まり、2000年代には日中対立が激化(日本側の選択によるところが大きい)、対テロ戦争に伴い在日米軍の効果も低下、軍拡を余儀なくされている。結果、日本の軍事費は世界第7位の規模となり、世界第2位の海軍力を保有するに至っている。これに対し、国内市場は低迷を続け、特に低中間層の所得が低下している(世帯所得の中央値で1995年の550万円から2015年の428万円へ)。同時に急速な高齢化によって社会保障費が肥大化、2008年度一般会計予算における社会保障関係費21.8兆円が2017年度のそれは、社会保障関係費32.4兆円で予算97.5兆円に対し33.3%を占めるに至っている。
低中間層の所得が低下する中での大衆増税は効果が薄く、増税で軍拡を進めれば「軍事力で国難を打開する」という方向に働く恐れがある一方、社会保障を充実させても肥大化に拍車を掛けるだけで財政破綻やハイパーインフレが近づくだけの話で、にもかかわらず大衆増税で低中間層の可処分所得はさらに低下、貧困と経済格差を助長して社会的不安が増大する恐れが強い。結果、市民的自由を抑圧する方向に作用することになるだろう。

世界的には、米国覇権の衰退に伴って、第二次世界大戦後の国際秩序が再編期を迎えつつあり、国際緊張が高まる中、各国で軍拡圧力が高まっている。同時に米欧日などの旧先進国で経済成長が止まり、社会保障制度の維持が困難になりつつある。
第二次世界大戦後、西側自由主義国を先導したケインズ型国家像の維持が困難になり、それに替わる国家像が模索されている。

【参考】
日本型ペレストロイカに必要なもの、そして失敗する理由
posted by ケン at 21:05| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

直接民主主義はすでに実現可能

AIの進化で直接民主主義はすでに実現可能領域に入っている。
ケン先生のイメージでは、全有権者が自分の思想信条に合わせて代議士AIを組み、そのAIが代議員となって全ての予算や法案などを審議、可否を決め、採決も行うというもの。
現時点ではヴァーチャルでしかないが。もちろん大多数の有権者は自分でAIは組めないし、既存のAIを細かく設定するのも難しいと思われるので、現実には「簡易代議士パッチ(パック)」が必要となるだろう。
また、現段階の技術では、法案の可否までは判断できても、全代議士が仮想議会で法案を審議するのは難しく、量子コンピューターの実用化が待たれる。だが、これが実現すれば、1億人以上の仮想代議士が政府提出の法案について質問し、政府AIが全ての質問に答えることが可能になる。
「AIの法案対応が気に入らない」と思った有権者は設定を変えて調整すれば良いだろう。
リアル政治家と従来型の議会制民主主義への信頼が地に落ちつつある今、すでに検討すべき課題になっている。もちろん、VR直接民主主義がより良い政治を実現するとは限らないが。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする