2017年05月09日

首相の解散権を制限したイギリス

【英首相、解散決断 経済堅調、高支持率背景に 「保守党圧勝」の可能性大】
英下院(定数650)は19日、メイ首相が欧州連合(EU)との離脱交渉を前に表明した前倒し総選挙の実施に向けた動議を、全議席の3分の2(434)を大きく上回る賛成522で可決した。総選挙は、高い支持率を維持する与党・保守党が圧勝するとの見方が有力。メイ氏は政権基盤を固め、「EU完全離脱」方針への反対論を封じ込めたい考えだ。
 採決では議席330の保守党と、229の最大野党・労働党の大部分が賛成に回った。反対は13で残りは棄権したとみられる。これにより5月3日解散、6月8日総選挙が決まった。メイ氏の報道官は19日、EUとの離脱交渉は総選挙後に開始すると表明した。
 英国では2011年の議会期固定法で総選挙は5年に1度と定められているが、動議可決で前倒しも可能としている。英スカイニューズによると、総選挙に賛成は68%で、反対の26%を大きく上回っていた。
 政治空白を懸念して解散総選挙を否定してきたメイ氏が方針を急転換したのは、議会の分裂が政治の安定を脅かしていると判断したためだ。その背景には、経済が堅調なことによる高い支持率がある。
 「(EU離脱を決めた)国民投票後に経済危機の予想があったが、経済成長率はあらゆる見通しを上回った」。メイ氏は総選挙を表明した18日、好調な経済が議会解散の決断につながったことを示唆した。英経済は昨年の国民投票以降も個人消費が堅調で、16年の国内総生産(GDP)成長率は1・8%と高い伸びを記録している。
 英BBC放送によると、保守党の支持率は43%で、強硬左派のコービン党首への批判が強い労働党の25%に大きな差をつけている。
 保守党政権への反発が強いスコットランドや北アイルランドで議席を増やせなくても、EU離脱派が多数のイングランドで保守党が圧勝する可能性が高いとも指摘される。メイ氏は大幅に議席を増やして「EU完全離脱」への交渉基盤固めをもくろむ。
(4月20日、産経新聞)

英国では2011年に「会期固定法」が制定され、5年毎に5月に総選挙が行われることが決められた。同時に首相の解散権が制限され、内閣不信任案の可決時と下院の3分の2以上の賛成で自主解散が決議された時のみ行使できることになった。それまでは、首相の助言により国王が議会を解散させる慣例だった(国王大権、慣習法)。

21世紀にもなってなお国王大権を議会で廃止する英国を、我々はどう評価すべきか。それまでの一般的な解釈は、「解散権は国王大権であって、首相が個人的理由などで議会や民意を無視して恣意的に行使(助言)することは許されない」というものだった。その意味で、従来の解散権は慣習とモラルに支えられていたが、大陸的な成文法に移行したとも言える。

こうした英国モデルを形式的に模倣した戦後日本では、解散権は憲法第7条の
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」
「三 衆議院を解散すること。」

に根拠を持つ。ところが、同第4条に
「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」

と規定されていることから、「首相の衆議院解散の決定を布告する」ことが天皇の権能という解釈が一般化している。その結果、慣習やモラルの基盤を持たない日本では、「解散権は首相唯一人に帰属する」という理解が一般化し、首相の一存で衆議院を解散できることになっている。
特に最近では、小泉氏の「郵政解散」、野田氏の「自爆解散」、安倍氏の「増税延期解散」など、必ずしも議会や民意に沿わずに、首相の政局的判断から解散権を行使するケースが蔓延している。

イギリスの場合、慣習とモラルに支えられているという前提がありながらも、「政権党に有利すぎる」「首相個人が恣意的に行使する恐れは否めない」などの否定的見解が政権党を含む大勢を占めたことを示している。
これはゲームで考えれば当然で、自分が有利なときに戦闘ダイスを振れる方が一方的に有利なのは言うまでも無い。野田氏のように、自分が最も不利なときにダイスを振るような愚かなプレイヤーの方が稀なのだ。

一般的には選挙が多いと、民意が反映されやすい反面、政治が不安定になりやすく、無関心層が増加しやすい問題がある。他方、選挙が少ないと政治的には安定しやすく、選挙時には有権者の関心が高まりやすいが、民意の反映度は低下する。
日本の衆議院の現状を見る限り、4年の任期がありながら、実際には3年毎に選挙が行われ、議員は常に次の選挙のことばかり考え、秘書ですら3年毎の失業危機ばかり気にしているのだから、ロクな人材が集まらないのは当然だろう。まして、自民党が50年以上にわたって培ってきた政官業報の腐敗テトラゴンが圧倒的な強度を誇る中で、議会解散権が自民党総裁に帰属しているという状況は、外見的には民主国家だが、内実は開発途上の独裁国家レベルにあると言える。

やはり英国モデルを導入した以上は、解散権改革についてもイギリスに追随するのが妥当では無かろうか。
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2017年03月14日

戦後日本の不安定な立脚点

【幼稚園での教育勅語教材「規定なし」 政府答弁書】
 政府は7日の閣議で、幼稚園などで教育勅語を教材として用いることの是非について「学校教育法の規定に基づき、文部科学相が定める幼稚園教育要領において規定は存在しない」とする答弁書を決定した。答弁書は「学校教育法などの法令に違反するか否かについては、個別具体的な状況に即して判断されるべきものだ」と指摘した。民進党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。
(3月7日、産経新聞)

あまりにも象徴的な話。仮にドイツの幼稚園で、ナチスの党歌や忠誠宣誓が行われたとしたら、全土を揺るがす大問題となって、すぐさま禁止措置あるいは休園命令が下されるだろう。ところが、日本では同様のことが行われても、「個別具体的な状況に即して判断されるべきもの」として黙認される。

これは、ドイツがナチズムを否定し、「戦う民主主義」を採用、デモクラシーやリベラリズムを否定する勢力や動きに対しては能動的に対処し、これを排除するというスタンスに立っているのに対し、日本は全く異なるスタンスであることに起因している。

本土決戦により休戦交渉すべき政府そのものが消失してしまったドイツと異なり、本土決戦を行わなかった日本は政府を残したまま降伏した。日本政府は連合軍司令部(GHQ)の従属下に置かれ、民主的政体への移行が進められた。GHQの指導があったとはいえ、体制転換の主体はあくまでも帝国政府だった。憲法も、帝国憲法を修正したものを昭和帝が臣民に下賜する形で公布された。
46年11月3日の日本国憲法公布に際する昭和天皇の上諭(布告文)。

「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

「上諭」とは、君主から臣下に下される言葉であり、この言葉こそが正に日本国憲法が欽定憲法(君主から臣下に与えられる憲法)であったことを示している。
だが、実際に日本国憲法が施行されるのは翌47年5月3日からのことであり、それまでは明治憲法が有効であるため、形式上・手続き上は明治憲法に則るしか無かった。
だが、その結果、「国民主権」(主権在民)を謳いながら、「君主から国民が賜る」という歪な形になってしまった。
日本国憲法は欽定憲法だった!

憲法については、GHQの指導や敗戦直後の保守・反動勢力の沈黙もあって、一応は自由と民主主義に基づくものとなった。教育勅語も新憲法にそぐわないとして廃止された。しかし、天皇制や国家神道の基幹部は温存され、秘密警察も形を変えて存続した。帝政、権威主義、軍国主義、植民地主義などの要素は、特に否定されること無く、まして断罪されることなく、ただ「無かったこと」にされた。ここが「自由と民主主義を否定する要素は断固否定する」というドイツとの大きな違いとなる。その後の民主化の過程の中で、朝鮮戦争が勃発し、東西冷戦構造が確立、アメリカの対日政策も「民主化」から「冷戦の最前線基地」へとシフトしていった。本来、天皇制をはじめとする権威主義体制を一部温存する代償として放棄された軍事権も、戦後10年も経たずに部分的に回復された(1954年に自衛隊発足)。
西ドイツがナチスとの決別を大前提として再軍備を果たしたのに対し、日本では天皇制を温存したまま自衛隊が創設されたため、帝国軍・皇軍との違いが非常に不明確なままになっている。特に近年、自衛隊が叙勲対象者の拡大や高官に対する天皇認証を要求していることからも、自衛隊内でデモクラシーを否定し、権威主義へ回帰する傾向が強まっていることが分かる。
日本再軍備の条件

言うなれば、戦後日本は権威主義や軍国主義を表面的に取り払っただけで、その根っこの部分を巧妙に温存してきた。高度成長に支えられ、米帝の保護あつかったことから、誰も過去の暗部に触れようとはしなかった。その結果、今日になって再び芽吹いている。一方、政府は政府で、「敗戦の結果、講和条件として民主化しただけ」というスタンスから、権威主義体制への揺り戻しを問題視する立場には無い。冒頭記事の政府答弁の理由である。そして、根源的には天皇制を解体しない限り、解決できないのである。
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2017年01月11日

ファッショは市民の支持で始まる

【ドイツ国民の6割、監視カメラの増設を支持】
 ドイツ国民の60%は、公共の場における監視カメラの増設を支持していることが、インターネット調査会社ユーガブ(YouGov)の調査で明らかになった。ドイチェ・ウェレなどが伝えた。ユーガブは、ベルリンのクリスマス市にトラックが突入した事件直後の12月21〜23日に2,083人を対象に調査を実施。これによれば監視カメラの増設のほか、警察の増強を支持する人が73%に上り、61%は警察官の装備を強化すべきだと答えた。
政府は、交通網を含めた公共の場で監視カメラを増やすことを認める法案をまとめたが、ベルリン市(州と同格)政府は、監視強化は時期尚早として慎重な姿勢を崩していない。デメジエール内相は、ベルリン市議会に対して従来の監視カメラの方針を早急に見直すよう求めている。ベルリンのクリスマス市の事件では、監視カメラがあれば防げたとの見方も出ている。なお調査では、回答者の約半数はテロ攻撃の際に軍隊の関与を求めていた。現在では警察から要請があった場合にだけ軍隊は支援できることになっているが、軍隊の具体的な役割は定まっていない。ただ3月には、軍隊と警官隊が初めて共同演習を実施することになっている。
(1月3日、NNA・共同通信)

ファッショは突然来襲するのではなく、国民の広い支持があって初めて表舞台に出てくるものであることを示す好例の1つ。戦前の日本の全体主義も1940年に突然登場したわけでなく、ドイツのナチズムも1933年に突然成立したわけでは無い。

日本の場合、1925年に治安維持法、同28年に3・15事件(共産党一掃)、同年初の普通選挙実施、29年に世界恐慌勃発、31年に満州事変、32年に5・15事件、35年に天皇機関説事件(国体明徴論)、36年に2・26事件、37年に日華事変勃発、人民戦線事件(合法左翼一掃)、38年に国民総動員法成立、40年に政党解体、大政翼賛会成立、という過程を経ている。日本の全体主義体制は、1938年(昭和13年)の国民総動員体制の確立、ないしは同40年の大政翼賛会成立(議会の形骸化)をもって一応の完成を見た。

発端となってしまった治安維持法は、そもそも「日ソ国交回復に伴うコミンテルン勢力の伸張」に対する脅威を過剰に評価し、ちょうど普通選挙制度の導入も重なって「共産党が勝利するかもしれない」という妄想が拡散したことが大きく影響している。今日からすれば、信じられないような妄想ぶりだが、当時の官僚はおろか、国民の間でも広く信じられていた。治安維持法を提案した当時の若槻禮次郎内相は次のように説明している。
思索の自由を許して置かぬければならぬと云ふ御議論に対しては、私も全然同感であります。而して現内閣は思想の研究に付て、圧迫的方針を採って居るや否や云ふ御問に対しては、決して左様な考えはありませぬ。
(1925年2月19日衆議院本会議)

満州事変についても、それ以前は、軍部内でもマスコミでも対中強硬派は圧倒的少数派であり、「キワモノ」の扱いだったが、柳条湖事件が起きて、「張学良軍による犯行」という偽報道がなされ、関東軍出動が大々的に報じられると、国論は一転して沸騰、新聞は関東軍の「義挙」を称賛する記事で溢れかえり、反中意識が煽られ、中央の支持なくして朝鮮軍を動かした林銑十郎司令官は「越境将軍」として絶賛された。
昨今「偽ニュース」が問題にされているが、虚偽報道を行う主体は圧倒的に国家機関であって、民間や外国機関では無い。

天皇機関説事件は、1935年2月、貴族院で菊池武夫議員が美濃部達吉議員(東京帝大名誉教授)の天皇機関説を攻撃したことに始まり、「国体を否定するもの」「国賊」「学匪」などといった非難、攻撃が激化、美濃部家には続々と脅迫が届き、本人や家の周囲に不審者がつきまとうようになった。甚だしきは、文部省から「右翼テロに注意するよう」旨の警告に続いて「転向」を求める文書までが来たと言われる。
ところが、実際には美濃部説は当時の学界、官界における通説で、官僚採用のための高等試験も全てこれに基づいていた。しかも、当の貴族院では美濃部が自説を説明したところ、大きな拍手が起きて理解を得たはずだった。にもかかわらず、美濃部は不敬罪で告発され、マスゴミの攻撃にさらされ続け、ついには貴族院議員を辞任、その後右翼テロリストに銃撃されて重傷を負った。その間、政府は「国体明徴声明」を出して美濃部説を否定している。恐ろしいことに、美濃部を負傷させた銃撃犯はついに逮捕されず、同じく銃撃し命中しなかった犯人は懲役3年で済んでいる。

つまり、オセロ・ゲームのようにそれまでの「常識」が一つずつ引っ繰り返され、気づいてみたら誰も想像もしていなかったような強権的な社会が成立し、それを止めようとする者は問答無用に排除され、展望の無い戦争と収奪に邁進していった。
個々の現象一つ一つを見ると、必ずしも大きな問題とは言えなかったり、一定の合理性が認められる選択であったものが、積み重なってゆくと恐ろしい怪物に成長してしまうことがあるのだ。
私が言いたいのは、一見市民社会が維持されているように見えるドイツですら、ファッショの基盤が再形成されつつあるということである。

片山杜秀先輩は、「日本においては統制経済を担うだけの権限の集中ができなかったという意味で、ファシズムは未完に終わった」旨の解釈を示しておられ、それはそれで卓見だとは思うのだが、強権的な権威主義社会が成立し、制御不能の暴力が社会を支配して、さらに近隣諸国に向けられたことは否定できないだろう。
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2016年12月12日

敵はリベラルにあり・補

敵はリベラルにあり」の補足。
日本を始め西側陣営の多くで、極右勢力が拡大する一方、社会民主主義派は退潮が著しく、自由主義者が「自由と民主主義が失われてしまう」と断末魔を上げている状況にある。
なぜこうなってしまったのだろうか。E・トッド先生の論理を援用して説明したい。

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。

こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。

米欧では、「グローバル化と自由主義が諸悪の根源である」として批判する極右勢力が拡大。具体的には、外国人・移民労働者の排斥が目立つようになる。これに対し、英仏の保守派は右転回することで一定の支持を保っているが、同国の社会民主主義派はグローバル化を否定せず、移民問題も人権視点から擁護に回っているため、不満を吸収できず、凋落の一途にある。アメリカでは、グローバリゼーションに否定的だったサンダース氏ではなく、これを肯定するリベラルの旗手であるクリントン氏が民主党候補に選出された結果、保護貿易と反自由のトランプ氏に敗れるところとなった。
大国では、唯一ドイツだけがリベラルの旗を掲げ、移民に宥和的な政策を採り続けてるが、これは欧州で唯一の経済的勝者であるためであり、それも時間の問題だと思われる。
欧州の社会民主主義政党が政策転換できないのは、戦後和解体制下における最大の利益享受者となったことで、政党人があまりにもエリート化(資本と同化)してしまい、大衆から遊離していることが大きい。冷戦期における「影の勝者」であることが、グローバリゼーションと自由の呪縛に囚われるところとなったのだ。具体的には、フランス社会党のオランド政権が労働法改悪を進めたことに象徴される。

大衆の不満は、経済的グローバリゼーションと移動の自由(移民・難民の受け入れ)に伴う中間層の没落と貧困に起因している。これに対する各派の対応は以下の通り。

極右主義者 「外国人を追い出せ、国境を閉ざせ」

保守主義者 「外国人は安く使え、国境は規制強化」

自由主義者等 「外国人の人権を守れ、国境をなくせ」


つまり、リベラル派の主張は現行の大衆的不満を助長させるものでしかなく、広い支持を得るのはそもそも困難なのだ。貧困が解決されない限り、大衆の不満の矛先は、いずれ自由主義者に向けられるだろう。
深刻なのは、本来であれば「適切な再分配による貧困の解決」こそが目標であるはずの社会主義者たちが、こぞってリベラリストに同調してしまっている点にある。上記で言えば、社会主義者の主張は、

「外国人は本邦人と同一賃金に、国境は規制強化せよ」

くらいが妥当だったはずだが、英労働党がEU離脱を主張できず、仏社会党が労働法改悪を進めていることに象徴されるように、社会民主主義政党が労働者では無く、資本と一体化してしまっている。日本では、連合がそのスタンスに近い。
マルクスは、自らの待遇を守るために、資本に同調して外国人労働者などの下層労働者の疎外に荷担する労働者を「哀れなプロレタリア」と呼んだが、西欧社会民主義政党や日本の連合はまさにこれに相当する。

戦前期の日本では、都市資本を代表するリベラルな民政党が、労働法制の制定に徹頭徹尾反対した結果、社会主義者や労働組合を軍部の側に追いやってしまい、社軍協同路線「広義国防」の道を歩ませてしまった。社会党関係者の中にも、斎藤隆夫の反軍演説を評価するものが少なくないが、斎藤が労働法制に反対した急先鋒であったことを知るものは殆どいない。
昭和の歴史は、貧困に無関心な政治エリートが大衆のファッショ化と好戦志向を助長してしまったことを示しているが、その歴史は殆ど学ばれていない。
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2016年12月06日

敵はリベラルにあり?

【トランプ・プーチン・ルペントリオで世界平和へ=仏ルペン氏】
 フランス極右政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48)は16日、来年の大統領選で自分が当選すれば、ドナルド・トランプ次期米大統領とプーチン・ロシア大統領とともに世界の指導者3人組が誕生し「世界平和のためになる」との考えを示した。ルペン氏は、トランプ氏同様移民に反対の立場を取っており、フランスの政治指導者のなかで唯一、トランプ氏を支持した。ルペン氏は、選挙対策本部の設置に当たり記者団に「歯止めのないグローバリゼーション、破壊的な超リベラリズム、民族国家と国境の消滅を拒否する世界的な動きが見られる」と語った。また、フランス国境での検問を再開するとともに、欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票を実施すると述べた。
(11月17日、ロイター)

フランスでは、大統領選に向けて候補者選定の予備選挙が始まっている。現職のオランド大統領はすでに「圏外」にあり、左派全体で凋落が著しく、中道・右派内でも一昔前だったら「あり得ない」レベルの極右であるフィヨン氏が統一に選ばれた。そして、実際の選挙は、そのフィヨン氏と国民戦線のルペン氏という「極右対決」になりそうな勢いにある。早速、フランス在住の日本人の間では「ルペンとかあり得ない」と大騒ぎになっているが、アメリカでトランプ氏が当選し、イギリスが選挙でEU離脱を決めた以上、趨勢としては明らかにルペン氏に有利になっている。それを無視してルペン氏をディスってみたところで、「米国人がトランプを選ぶワケがない」などと訳知り顔で話していたものたちと同じ過ちを犯すことになろう。

要は、エリート意識が強く、いまだ生活に困らないもの、つまり戦後和解体制の利益享受層ほど過去の栄光にすがって、現実が見えなくなってしまっている。この辺は、ペレストロイカ期から崩壊期における、ソ連・東欧の共産党員や体制支持者たちとよく似ている。
私が彼らと異なるのは、ソ連を知っていることと、エリートであることを選択しなかったがためである。
つまり、「自由を守れ」「差別は悪」というエリートたちの声ばかり聞いていると、目が曇ってしまうということだ。

先進国を中心に従来の政治エリートが選ばれず、拒否感が強まっているのは、エリート層が国民の貧困と疎外を放置してきたがためであり、その不満を解消する手立てを講じること無く、ただ自由を称賛してみたところで、「自由でメシが食えるか!」という反発が返ってくるだけでしかない。それが、今回の米大統領選で起きた現象だった。
にもかかわらず、リベラリストたちは「トランプが当選して差別が蔓延している」と騒ぐばかりで、相変わらず本質を理解して反省するそぶりも見せない。このままでは、ますます自由主義が凋落しそうだ。

ペレストロイカを再検証する」で述べた通り、ソ連・東欧ブロックが崩壊したのは、政府が国民の生活を保障できなくなったためであり、一党独裁であるがために共産党に替わる為政者を選出することができないが故に自壊するほかなかったからだ。この点、デモクラシーは既存エリートに替わる為政者を選出することが可能であるため、「まだ」自壊するには至っていない、というのが現状であろう。

これはE・トッド先生がおっしゃっていたことだが、米大統領選でトランプ氏が勝利したのは「真実」を語ったがためであり、同様にクリントン氏が選ばれなかったのはそれを隠して語らなかったがためだった。
その「真実」とは、「自由貿易と移民に象徴される自由主義こそが、全世界を過酷な競争に巻き込み、不平等と停滞をもたらし、中間層を没落させた」ということである。現実に、アメリカでは特に白人層の没落が著しく、全体で5千万人からの生活保護受給者がおり、平均寿命が低下に転じてしまっている。この現状を招いたのは、自由貿易によって工場が海外に移転し、国内産業が壊滅、残された雇用の多くも安価な移民労働者が占有し、白人中間層が没落するのを放置したがためだった。にもかかわらず、オバマ氏は相変わらず自由貿易と移民を称賛し、クリントン氏は「世界の警察官」の地位に強い執着を見せた。米国人が「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」とブチ切れるのは当然であり、むしろクリントン氏は不自然なくらい健闘したと思えるくらいだ。

また、トランプ氏は選挙中「アメリカの栄光を取り戻す」と繰り返し訴えたが、これは「いまや栄光は失われた」という前提に立って改革の必要性を主張したことを示している。これに対し、オバマ氏やクリントン氏は「アメリカは輝かしい自由主義陣営の盟主である」というスタンスを示しており、原理的には改革不要・現状維持の保守派だった。
先に挙げた「真実」の認識が正しいかどうかは、将来的に評価するほかないが、少なくとも相当数の有権者が「リベラリズムでは自分の生活は保障されない」と考えていることは確かであり、その認識を否定するからこそ、世界各地でエリートが選ばれなくなっているのだ。

彼らの不満を解消するには、リベラリズムを否定し、引いては自由貿易を止めて保護貿易に転じ、国内の産業育成に努めると同時に雇用を確保、さらに移民を排斥するか同化を強制して、国民に一定の労働賃金と待遇を保証する必要がある。
「差別はイカン」というのは倫理的には正しいが、自由主義の下で移民が大量に呼び込まれ、賃金の低下に拍車がかかって、国民の生活水準が激しく劣化してしまった以上、それを放置して倫理や道徳を訴えてみたところで、何の力にもならない。彼らは、商店にパンも肉も無いのに、社会主義の「可能性」ばかり訴え続けた東欧の共産党と同じ過ちを犯しているのだ。

繰り返しになるが、リベラリズムが自由貿易と移動の自由の上に成り立っている以上、保護貿易や移民規制の主張に転じることは自己否定でしかない。
この間、私も「リベラル派の団結と共闘が必要だ」などとよく誘われるが、その度に「いえ、自分は社会主義者であって、リベラルではありません」と答えているわけだが、どうもあの連中は社会主義(適切な再分配が市場を成長させる)と自由主義(自由競争が市場を成長させる)の違いを理解していないようだ。
仮に、今回の米大統領選でクリントン氏が当選していた場合、「世界の警察官」と「自由貿易」が維持されるわけで、国家財政は遠からず破綻する一方、国内の富の集中がさらに強まり、一層貧困化が進み、「ロシア革命直前」のような状態に陥った可能性がある。もちろん、状況としてはトランプ氏にとっても同じだが、危機意識もって改革の必要性を認識しているかどうかが全く異なる。つまり、今回の結果は、1985年のソ連で「ゴルバチョフが書記長に選出された」というだけの話であり、それは改革の成功と帝国の存続を保証するものではないということなのだ。

【追記】
私の主張は、「社会主義者はリベラリストと枕を並べて討ち死にしてはならない」というものであるが、どうにも同志の支持が得られず、毎度のことながら孤立している。本来、社会主義は自由貿易よりも保護貿易に親和的であるはずだが、西側の社会民主主義者は戦後和解体制の中で完全にリベラリズムに毒されてしまっている。
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2016年10月27日

地域代表制が政治と地域を腐敗させた?

永田町での勤務も15年近くなるが、近くで国政を見ていて思うのは、「地域代表制が政治と地域を腐敗させているのではないか」ということである。

国会議員は、参議院の比例代表選出者や衆議院の比例単独選出者を除く大半が選挙区から選ばれている。日本の場合、有権者は候補者の政策や主張よりも、人柄や人物像を重視する傾向が強いため、候補者もそれを重視せざるを得ない。結果、実際の選挙時に掲げる政策や議会での活動実績よりも、日常活動で「顔を売る」ことが重要となる。具体的には、選挙区内の各種イベントや酒席にひたすら出席して、一人でも多くの有権者に「見知ってもらう」ことが活動の中心となる。とかく保守系の政治家が、軽薄な発言を繰り返すのは、少しでも有権者に自分を印象づけたいがために発せられる「サービス」の部分が大きい。そして、自分の当落が掛かっているだけに、議会活動よりも地元回りを優先することになる。実際、自民党であれ旧民主の小沢氏であれ、「1、2回生の仕事はひたすら地元を回ること」と教えている。

この「地回り」の中で、もう一つ重要となるのが「陳情受け」である。有権者から各種陳情を受け、処理することで支援者と献金を増やすことが目的となる。陳情と言えば聞こえが良いが、現実には行政に圧力を掛けて、特定の者に優先的にサービスを供与させる汚職でしかない。最近では甘利問題が有名だが、自民党では当たり前すぎて、何故それが問題にされるのかすら理解できないだろう。結果、当選回数の若い国会議員は、議会活動などせずにひたすら地元を回り、陳情を受けて処理し、御礼にカネや票をもらうことに専念する。これを当選回数で2回、当選前から数えれば10年近くもやるのだから、3回生になる頃には地元の有権者とズブズブの関係になり、腐敗システムが構築され、議員本人も秘書もそれが「当たり前」になって、正常な感覚を失ってしまうのだ。
要は、自民党や小沢氏の教えは、「腐敗体質が強いほど選挙に強い」ということであり、日本の政治制度はその前提の上に成り立っている。

90年代まで行われていた中選挙区制度は、「自民党の候補者同士が有権者を奪い合うために陳情処理を競い合うことが、巨大な腐敗を生んだ」との認識が広まり、政治資金規正を強化すると共に小選挙区制に移行するところとなった。確かに小選挙区制に移行したことで、何億、何十億円という献金は影を潜めたものの、別の問題が生じた。
二大政党による政権交代の慣習が無いところに小選挙区制を導入してしまったため、導入以降、自民党以外の政権が成立したのは20年間でわずか3年強という有様だった。その結果、野党系候補の少ない地方では、自民党の議席占有が常態化し、「自民党にあらずんば人にあらず」が進んでしまった。つまり、自民党議員にアクセス権を持つ者のみが、優先的に公共事業や行政サービスを受ける権利を有するところとなり、それ以外のものはますます住みにくい社会になり、土地や仕事を捨てて都市部に出る流れを強めてしまった。同時に、伝統的に建設業が強い自民党は、需要の無い公共施設やインフラの整備に邁進するため、いたずらに維持コストを高めてしまい、これが地方財政を圧迫して、生活弱者への支援を細らせて都市部への流出を促してしまったのだ。
ロシアの諺で言うところの「魚は頭から腐る」である。

また、安倍政権以降、衆院選の期間(議員の任期)が短くなっており、「いつ選挙になるか分からない」という認識が強まっているため、国会議員たちはますます議会活動よりも地元活動を重視するようになっている。これが、ますます政治家の無能と腐敗を強めてしまっていることは、言うまでも無いだろう。
日本の国政を「正常化」させるためには、まず地域代表制を根本から改める必要がある、というのが私の認識である。具体的な提案としては、下の稿を参照して欲しい。

【参考】
・委員会別選挙の提案 

【追記】
私の前ボスは、私が「政治資金パーティーをやりませんか」と向けても、「一回やってしまうと、癒着と腐敗の温床になってしまうからやりません」と最後まで頑なに拒み続けた。だが、次の選挙で落選、その選挙区は以後ずっと自民党の一人勝ちになっている。その流れで、選挙区内にいた民主党県議は3人から0人になり、自治体議員の数も3分の1になってしまった。有権者の選択とはいえ、自ら自民党支持者以外の利益代表者を減らし、地域社会の多様性を減じてしまったのだ。
posted by ケン at 12:54| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

マルキシズムは今も有効か・補

前稿の補足。
欧州では社会民主主義政党の退潮が著しい。ドイツやスウェーデンのように二大政党の一角を担っている国もまだあるが、全体的には急速に支持を落としている。経済不調が続く南欧諸国では、社会民主主義政党に替わって非共産党系の左翼政党が支持を集めている。果たして、欧州社民の退潮は一時的なものなのだろうか。

日本では、社会党が解党した後、社民党が表向き社会民主主義を引き継いだものの、今や政党要件の維持すら困難になっている。日本は、共産党が党名を変えずに存続している、先進国で唯一の国だが、その支持は広がっておらず、組織の高齢化に苦しんでいる。国会における左翼政党が占める割合は5%以下でしかない。年収300万円以下の被雇用者が2千万人以上、生活保護受給者は200万人を超えているが、保護率(水準以下の生活をしていながら受給できている人の割合)は2割強でしかないという貧困状態にありながら、左翼政党の支持は一向に広がる気配を見せない。

マルクスの主張において最も分かりやすい一つに、

「資本主義は安価な労働力なくして成立し得ない」

というものがある。これは、まさに今の先進国にあてはまる言葉で、例えば日本で考えると分かりやすい。1990年代以降、非正規雇用労働者の割合は急激に増加し、いまや40%に達している。その平均給与は正規雇用者の半分以下である。自民党政権と財界と政府が協同して派遣法などの改正を繰り返し、雇用規制を骨抜きにしてきた結果だが、それを支持し続けたのは日本の有権者だった。
さらに地方では、地場産業そのものが立ちゆかなくなっており、非正規雇用では飽き足らずに、時給100〜300円の外国人奴隷労働者を「研修制度」の名の下に確保し、パスポートを取り上げてタコ部屋に監禁して奴隷労働に従事させている。その人数は15万人以上に及ぶが、政府は介護職やコンビニ職員にまで適用範囲を広げようとしている。

1990年代、バブルが崩壊すると大不況が到来、我々の世代はこれを「就職氷河期」として直撃を受けている(正確には私の一つ下あたりからかもしれないが)。バブルとは、景気が過熱して、需要が極大化した市場を指す言葉だが、その極大化した需要に合わせて設備投資がなされ、供給も最大化されていた。ところが、バブルの発生により需要が極小化してしまった一方、供給体制はそのままであったため、供給過剰となり、一気にデフレが進んでしまう。就職氷河期は、バブル期に採用を最大化した後、バブル崩壊で需要が失われ、急に社員数を調整しようとして採用を手控えたことに起因している。

バブル崩壊後の不況が深刻化し、企業が大量に倒産し、金融機関の破綻が始まると、日銀は1999年にゼロ金利政策を開始する。本来は一時的な救済措置で、2000年8月には停止するも、2001年9月に911テロが起きて米国発の不況が始まると、日銀は01年3月に再開してしまう。さらに2006年に解除されるも、リーマンショックに伴い08年12月に再開、本16年にはマイナス金利を導入するに至っている。
金利が低下するというのは、投資に対して利益が上がらないため、企業や資本家が投資を手控えていること、つまり資金需要が無いことを意味している。バブル崩壊で巨額の負債を負っている企業は、利益の上がらない投資ではなく(利潤の最大化)、金利が低い今こそ借金の返済(債務の最小化)へと向かう。ここで言う「投資」には人的投資、つまり雇用や給与増も含まれる。

90年代以降の非正規雇用の急増に象徴される労働法制の大幅緩和は、通常の投資では利益を上げられなくなった企業が、人件費の削減によって利益を上げて延命を図ったことに起因している。ところが、人件費を下げた結果、国内消費が落ち込み、急激な高齢化も伴って国内需要がさらに低下してしまう。
もともと米自動車会社のフォードは、自社工場で働く工員が自動車を購入することで発展の基礎を築いたが、いまや日本の自動車工場で働く者の大半が自動車を持てなくなってしまっている。
日本の場合、労働法制の緩さと労働組合の弱さ(労使協調姿勢と言っても良い)が超長時間労働を許しているため、供給過剰状態が解除されないまま、デフレを悪化させると同時に、労働生産性を低いままにして給与増を阻害してしまっている。

こうした状態下で今度は金融の量的緩和がなされる。ゼロ金利で量的緩和がなされても、企業にとって資金需要が無いことに変わりは無いため、負債の返済を進める方針に変わりは無く、供給を増やすインセンティヴも無いので内部留保が増大してゆく。ただ、保有している国債は株に買い換えるため、株価だけは上昇する。さらに安倍政権は、年金基金の株式割合を増やしたため、さらに株価が上昇するが、国内の需要や消費を反映したものではなく、かといって一度購入した株を手放せば、株価暴落の引き金になるやもしれず、実質的に「処分不能な国有財産」と化してしまっている。
安倍政権が、ロシアとの関係改善に注力しているのは、国内の企業や銀行に滞留しまくっている資金の投資先を、中国以外に確保することを目途としていると推察される。

個人レベルでは、不安定な雇用と低賃金状態が定着する一方、低金利であるため借金するものが急増する。1980年代までは働いて貯金するのが一般的傾向だったが、90年代以降は生きるために借金するのが常態化してゆく。家計貯蓄率が90年代後半以降に一気に低下してマイナスとなり、大学生の半分が借金して通学していることに象徴されよう。

日本が抱える経済的課題は、「供給が需要を大幅に上回るデフレギャップをどう克服するか」にある。ところが、自民党と霞ヶ関は、需要を底上げする施策を打たずに、労働法制の緩和やTPP推進(自由貿易による供給促進)など供給を増やす方向で進めている。法人減税も進めているが、需要が無いところに減税したところで、負債を返済し、内部留保を増やすだけで、一国の経済には何ら寄与しないだろう。
これに対して、旧民主党は、小沢=鳩山路線で公共事業を抑制し(供給抑制)、福祉や生活予算を拡充する(需要拡大)施策を展開したものの、わずか半年で潰え、以降の菅・野田路線は自民党と同じ路線に軌道修正して、政権交代を経て今日に至っている。

我々の間では大昔から「なぜ日本では社会民主主義(政党)が成立しないのか」という議論が交わされている。これは、自民党内の田中派や大平派に象徴されるリベラル派が、西欧におけるところの社会民主主義政策を部分的に取り込んで、階級和解と福祉国家化を進めてきたことが大きいと考えられている。もっとも、現代日本の福祉制度の基盤を築いたのは、国家社会主義者であった岸信介ではあったのだが。
だが、まず冷戦構造が崩壊したことで階級和解路線を採る必然性が失われ、長期不況と財政赤字により福祉国家の維持も困難になりつつある。90年代以降、労働搾取が急速に進んだのはこのためだったが、日本の産業別労働組合は組合員の雇用と待遇を維持するため、大量解雇、非正規化、差別待遇、超長時間労働を許容、資本側に協力した。

社会民主主義は、階級和解に基づく労働者の待遇改善を漸進的に進めることを大方針としているが、長期不況と金利低下で企業側は労働者を搾取することでしか利潤を上げられなくなってしまっており、「和解」の余地は恐ろしく小さくなってしまっている。フランスで、社会党の大統領が労働法制の緩和を進めているのは、その象徴的事例と言える。欧州の社会民主主義政党が、こぞってEU統合と自由貿易を主張するのも同じ理由からだ。
欧米日の先進国で福祉国家や社会民主主義が成立し得たのは、東側ブロックの存在と経済成長のおかげだったが、この二つの前提が失われ、資本側が和解路線を放棄した以上、社会民主主義者やリベラリストの「思い」は片思いになってしまっているのが現状なのだ。

他方、マルキシズムは、資本と戦って生産手段を奪い共有化することで階級対立そのものを解消しようという立場に立つ。これは、階級和解が成立しうる社会ではリスク高であるため広い支持は得られず、現実に戦後の米欧日では共産党勢力は極小化していた。
だが、冷戦構造が瓦解し、自由貿易や高齢化によって国内需要が減退し、資本による搾取が急進化、労働者階級の分断が進むと、社会民主主義による諸課題の解決は困難になり、「労働者の党」という大前提が失われてゆく。疎外を深める労働者の支持は、社会民主主義政党から、より戦闘的な共産党やファッショ政党へと移ってゆく。1920年代後半から30年代初めのドイツで起きたのは、まさにこれだった。

私の周囲では、自民党宏池会の保守リベラルの復興や社会民主主義政党の樹立を求める声が良く聞かれるが、現実的にその政治的需要があるのかと言えば、大いに疑問がある。階級和解が夢と化し、自由貿易や自由主義が貧困を加速させている現状で、保守リベラルと社会民主主義にどのような解決策が示せるのか、全く不透明だからだ。
敢えて結論は述べない。
posted by ケン at 13:03| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする