2016年02月05日

文部科学省の制限主権論3

【高校生のデモや集会、学校への届け出制認める 文科省】
 高校生のデモ参加などの政治活動をめぐり、文部科学省は29日、休日や放課後に校外での政治活動に参加する場合、事前に学校に届け出させることを認める見解を示した。今後、届け出制を導入する学校が出てくる可能性がある。高校生の政治活動は1969年の旧文部省通知で規制していた。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられるのを受け、文科省は昨年10月、校外での政治活動を原則容認する通知を出し、方針を転換した。この通知の解釈について、自治体などからの問い合わせに答えるため、Q&Aを作成。29日には都道府県教育委員会の生徒指導担当者らを対象にした会議を文科省で開き、Q&Aを配布した。それによると、休日や放課後の校外での政治活動を届け出制にできるかとの問いに対し、各校で適切に判断するものとし、禁止はしない方針を示した。担当者は取材に「生徒の安全に配慮したり、政治活動に没頭して学業に支障が出ないようにしたりするなど、生徒指導上把握が必要なケースがあるため」と説明した。
 また、Q&Aでは、放課後や休日も含めて校内での政治活動を全面的に禁止する校則をつくることは「不当ではない」とした。学校は教育活動のための施設であり、政治や私的活動を目的とした場所ではないというのが理由だという。この日の会議に出席したある県教委の指導主事は「届け出制は生徒の信条に立ち入ることになり、難しいと思う」。別の県教委の担当者も「校則で縛ると、生徒が萎縮してしまう。主体的に考える力を育む妨げになり、本末転倒ではないか」と語った。一方、西日本の県の私学担当者は「届け出制なら、許可制ではないので問題ないのでは。学校は勉強の場なので、校則による禁止も踏み込み過ぎとは思わない」と話した。
(1月30日、朝日新聞)

これって、届け出ないで生徒がデモや集会に出たことを理由に、学校が処分した時に、その生徒が違憲訴訟を起こしたら「21条違反」で学校側が負けるだろうに。文科のヤクニンってやっぱりデモクラシーや憲法を理解していない。いや、あるいは司法とはもう話がついているということか、だとすれば問題は深刻だ。考えてみれば、群馬県の青少年夜間外出禁止条例がなぜ違憲にならないのか、とか疑問が山ほどあるのも確か。
この問題についてはすでに触れているが、再掲しておきたい。
憲法前文に「権力は国民の代表者がこれを行使」とあるように、公選法の改正によって18歳以上が投票権を得た現在、高校生であっても国民の代表者を選出する権利を有するわけで、行政府が代表選出を阻害するようなことがあっては一切ならないし、そこにいかなる例外も許されない。

ここで届け出制などを認めてしまえば、まず「学校に届け出が必要」という時点で参加希望者のインセンティヴを奪ってしまう。届け出がなされるということは、学校側に記録が残ることを意味する。それはつまり「何年何組の某は、何月何日、『戦争法案反対』等を掲げる反政府デモに参加した」等のデータが治安当局に送付されると同時に、内申書に反映され大学入試や企業面接に利用される、という話なのだ。逆の視点に立てば、「自民党青年部の歴史検証会に参加」「国会議員と靖国神社に参拝する会に参加」などという記録が内申書に反映され、就職に利用される可能性を示している。こうなると政治信条、思想への介入あるいは差別と同義だろう。近い将来、「自民党の集会に参加すると就職に有利」などという話になるに違いない。これはまさに冷戦期のソ連や東ドイツと全く同じ社会になることを意味している。

噴飯なのは、上の記事にある某県担当者の「生徒の安全面の配慮から必要」という発言である。学校や教育委員会は、生徒の学校行事外の校外活動に責任を持つ必要は無く、校外で何が起ころうと、そこは「生徒の自己責任」と「保護者の保護責任」が問われるだけのはずだ。にもかかわらず、校外活動にまで責任を取ろうとするからこそ、「生徒管理」を強化せざるを得なくなるのだ。これもまた全体主義のなせる業だろう。
文部科学省の制限主権論・続

ナゾなのは、いくら「霞ヶ関最低級」と言われる文科官僚でも憲法や法律を丸覚えして入ってきているはずなのに、デモクラシーの意味も憲法の内容もまるで理解していないことだ。あるいは「最低級」と評されることに対するコンプレックスのなせる業なのかもしれない。
思い当たる節はある。戦前の美濃部事件(天皇機関説事件)においても、美濃部の教科書を使って東大を出て高等文官試験に合格したはずの文部官僚が、美濃部に対して「テロの警告」を発したり、「転向」を求める文書を出したりしていた。そう考えると、戦後のGHQ改革で文部省を廃止しなかったことが、今日の事態の原因になっていると思わざるを得ない。

改めて言うが、学校に生徒の校外活動を規制・規定する権利は無い。むしろ日本の学校は、基礎教育の習得に専念し、授業が終わったら全生徒を下校させて校門を閉じるくらいに徹するべきだ。
日本の学校教育は、「絶対的な国家が、国民を正しく管理統制して善導する」という権威主義の上に成り立っており、これを完全に廃滅することなくして、日本にデモクラシーは成立しないだろう。
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2015年10月01日

日共との協力はあり得ない!

【共産との選挙協力、民主・岡田代表「話し合いを続ける」】
 民主党の岡田克也代表は26日、宮崎市内で講演し、共産党の志位和夫委員長が提案した次期国政選での選挙協力について「場合によっては候補者を引っ込めると(志位氏は)言っている。お互い信頼関係があるので話し合いをしていきたい」と述べた。岡田氏は25日に志位氏と会談した際、選挙協力の前提として安全保障関連法の廃止を目的とした「国民連合政府」の樹立を提案された。岡田氏は講演で「ともに政府を作るとなると、他の政策もあるので簡単ではない」と述べ、否定的な考えを示す一方、「選挙で候補者がバッティングしないようにするのは非常に重要だ」と強調。来夏の参院選で、1人区を念頭に野党候補の一本化へ調整を進めたいとの考えを示した。
(朝日新聞、9月26日)

安保法制が「可決」されて国会周辺の反対運動は収束したが、NK党が「国民連合政府構想」をブチ上げたことで、民主党内には動揺が走っている。特に安保法制反対の論陣を張った議員のところには、NK党員はおろか、反対運動に従事していた「市民」からも「NK党と協力しない手は無い」旨の申し入れやら意見具申が相次いでいる。
民主党内では「NK党を対手とせず」が過半を占めているようだが、「選挙協力はすべき」という意見は少なくなく、「安保法制廃止の一点だけで連立政権を」という意見も少数ながら存在する。
しかし、冷静に考えた場合、「反戦、護憲、脱原発、反TPP」に大きな政治的需要があるとしたら、NK党や社民党が前回選挙の何倍もの得票があったはずであり、むしろそこに需要が無いからこそ民主党が右傾化したまま、自民党と変わらない菅・野田路線を継承していると考えるのが妥当ではなかろうか。有権者視点で考えた場合、「反戦、護憲、脱原発、反TPPだけど、社共はイヤだ」という主張に、どこまで政治的合理性や妥当性があるのか、甚だ疑問でしか無い。

私は今さら言うまでも無いが、社会民主主義者として、議会人の良心に従って、あらゆる全体主義政党との連携は拒否しなければならないと考えている。古来、人民戦線戦術はコミンテルン・共産党の十八番であり、成功例は一つとしてなく、むしろ我々はスペイン人民戦線や中国における国共合作の凄惨な末路こそ念頭に置くべきだからだ。
この間、国会前のデモに参加したものならば気づきそうなものだが、NK党の議員が演説すれば大拍手が起こるのに対して、民主党議員が演説してもまばらな拍手が起こるだけだった。このことは、国会前に終結したデモ隊の過半が共産党員ないしそのシンパだったことを意味しており、ネトウヨの言説も100%間違いとは言えなかった。ただし、8月30日の大行動などには多くの一般市民が参加していたことも確かだ。いずれにせよ、国会前のデモ隊を見て、NK党の人民戦線戦術に乗るなど、コミュニストの思うツボでしかない。

【参考】 『スペイン内戦―1936-1939』上下 アントニー・ビーバー みすず書房

今回は私の近しいところですら「協力やむなし」の声が上がっており、NK党の侵食率の高さに驚かされている。NK党は、1970年代に「民主連合政府」構想、80年代に「反核統一戦線」構想を提唱し、自治体レベルでは一定の成果が挙げられたものの、終わってみれば社会党の退潮とNK党シンパの浸食という結果となった。
旧式左翼内ではいまだに、「村山政権で自衛隊の容認など右傾化した結果、社会党は国民の信頼を失った」式の総括が聞かれるが、私の総括は全く別物で、日本社会党は右派(民社)を分離させ、左傾化を続けた結果、中間派を自民党に誘引させてしまったという解釈を採っている。そして、純粋左翼からしか支持を得ていなかった社会党が村山政権で急に右傾化した結果、中間派の支持が得られないまま、左派支持層が離れたため、政党としての軸と求心力を失ってしまったのだ。

【参考】
社会党は凋落したか? 
右派社会党の失敗 
「左派イコール反原発」はホント? 

NK党との連立政権は絶対的に失敗する。2009年9月に成立した鳩山政権は、実質的には民主、自由(小沢派)、社民による野党連合政権で、8月の選挙ではNK党が自主的かつ部分的に小選挙区への立候補を辞退し、選挙協力していた。だが、その鳩山政権はわずか8カ月で瓦解する。まず、沖縄米軍基地問題で社民党が連立を離脱するが、かつてフランス人民戦線がスペイン内戦への対応をめぐって介入派の共産党と不干渉派の社会党が対立したことを彷彿とさせるものだった。鳩山政権が瓦解した後、今度は民主党内で古参民主と旧自由(小沢)派の対立が激しくなり、古参民主派が公約違反の消費増税やTPP推進を強行したことで、小沢派が離脱、民主党は空中分解して2012年の総選挙で大敗、今日に至っている。
民主党と自由党と社民党の連立ですら一年と保たなかったものが、より政策差の大きい民共の連立が成功するワケが無い。こう言うと、運動家たちは「安保法制の廃止だけやって連立を解消するか、解散・総選挙すれば良い」などと返してくるが、無責任にも程がある。

【参考】
基地問題に見るSM党のお家事情 
消費増税をめぐる政治の貧困 

ここからは完全に仮想になるが、仮に民共を中心とする連立政権が出来て、安保法制を廃止したところで、解散・総選挙を行って再び自公政権が成立すれば「元の木阿弥」になってしまう。解散せずに連立を解消した場合、民主党が衆議院で過半数を得ていたとしても、参院では単独過半数を得られず、どのみち法案はNK党などの支持無くしては成立せず、NK党の言いなりになって法案を修正するか、成立を諦めるか、という二択になってしまう。この二択は、ゲーム的に表現するなら、「共産党の勝利」か「民主党の敗北」を意味する。その結果、民主党は国民の支持を失って、次の選挙で大敗、NK党は議席を伸ばすも、自公政権の復活を許すだろう。
2012年12月の安倍・復古主義政権の成立を許した主要因が、鳩山・野党連合政権に対する絶望であったことを考えれば、次に民共連合政権が無様に終わった場合、次の自公政権がさらなる右傾化を深めてゆく可能性が高い。政治力学とはそういうものだからだ。

民共間の政策の不一致はあからさまだ。まず民主党は消費増税を公約違反下で行った張本人であり、2017年4月の10%に賛成の立場。他方、NK党は消費税の廃止ないしは5%への引き下げを主張している。
肝心の安全保障政策でも、民主党は菅・野田政権下で集団的自衛権の解禁を準備してきた当時者であり、たまたま具現化したのが自公政権だったに過ぎない。民主党は小沢・鳩山氏による「東アジア集団安全保障構想」を否定、「日米安保基軸」路線を明確にしている。今回の安保法制が、日米同盟の要請に基づく自衛隊の海外派兵の恒常化に主眼が置かれている以上、民主党はどのような形であれ、今回の安保法制と同様の法案を提出せざるを得なくなる。仮にNK党とともに安保法制を廃止したところで、宗主国から「いいけど、じゃあ替わりに何してくれんのよ?!」と凄まれた場合、民主党は国会に「似たようなもの」を提出する他ない。この場合、民主党に対する絶望感は、村山内閣や野田内閣を軽く凌駕し、次の選挙で民主党は跡形もなくなるだろう。

【参考】 安保法制反対の論理的脆弱性について 


個人的には選挙協力も否定的に考えている(但し絶対反対まではしない)。間接民主制を具現化している議会政治において、その代議員を選ぶ選挙に政党が自らの利害を優先して候補者を出さないというのは、主権者=有権者に対する不倫・不誠実だからだ。具体的に考えてみれば良く分かるだろう。例えば、民共を中心とする野党間で選挙協力が成立した場合、いくつかの小選挙区は民主党がNK党に譲って候補者を出さないことになる。そして、その選挙区では自民党とNK党の候補者しかいなくなるが、それはその選挙区の民主党員や維新党員あるいは支持者の納得のいくものとなるだろうかという話である。NK党の候補者がいなくなって民主党候補の当選確率が上がるところは万々歳かもしれないが、その犠牲となる選挙区の候補者や有権者が無数に発生するという状況は、議会制民主主義の正統性を減じると同時に、政治不信を助長させるものでしかない。2009年の総選挙における栃木3区では、「みんな」の渡辺氏と某宗教セクト政党の候補者しかいないという状況になったが、「選挙協力のためにはやむを得ない」と言い切れるだろうか。運動論としては正しいかもしれないが、議会制民主主義に対して甚だ不誠実では無かろうか。
まして、今回民主党が想定する協力相手は全体主義政党であり、反ファシズム統一戦線のためにスターリン主義者と手を組むのかという視点から考えられるべきだ。

2012年の総選挙で「脱原発」を掲げた政党はことごとく敗北した。もし「反安保」「脱原発」「反TPP」に政治的需要があるとすれば、もともと根の無い中間政党に過ぎない民主党は、こぞってその三本柱を掲げて自民党に対する対抗軸となったはずだった。だが、そうはならずに賛成と反対の狭間でフラフラして軸が定まらないのは、多くの議員が需要を認めないからだ。
運動家の皆さんにあっては、選挙協力や連立政権のような「青い鳥」を追うのでは無く、本気で「反安保」「脱原発」「反TPP」を実現したいのであれば、堂々とNK党と社民党を支持して総選挙の勝利を目指すべきなのである。左翼風に言うなれば、ブルジョワ政党たる第二自民党に期待する方が間違っているからだ。

【追記】
日本の有権者は非常に階級意識が低く、投票行動に現れている。例えば、貧困ラインと言える年収300万円以下の人口は2千万人以上(労働力人口の4割、約2500万人)、生活保護水準である極貧ラインの年収200万円以下でも1千万人おり、貯蓄ゼロ世帯(無産階級)は38%以上に上るにもかかわらず、直近の2014年の衆議院総選挙で共社が獲得したのは比例区で730万票でしかない(2012年の総選挙に至っては共社で510万票)。自民党の比例獲得票が1765万票であったことを考えれば、仮に年収300万円以下の貧困層が階級意識を持って投票していれば、「安倍政権の暴走」などあり得なかったのだ。同様のことは、戦前期にも言える。男子普通選挙法が成立した1925年当時、日本の貧困割合は今よりもはるかに高かったはずだが、戦時翼賛体制が成立するまで政友会と民政党の二大ブルジョワ政党が議席の殆どを占め、無産政党だった社会大衆党は最大で38議席(定数466)に終わった。歴史的に見ると、人は貧困化が進むほど、暴力的解決を好む傾向が強まるので、その意味踏まえて好戦的な安倍政権の支持が高まっていることを考える必要がある。旧式左翼どもは、自らが祀っている浅沼稲次郎こそが貧困の暴力的解決を主張していた張本人であったことに頬被りすべきではなく、「大衆政治家」であった浅沼が誰の支持を受けて軍国主義を掲げていたのか、今一度考え直さねばならない。
なお、ナショナルセンター連合傘下の労働組合員の平均年収はおおよそ400〜700万円程度と推察されるが、中には全自交のように300万円に満たないところもあるも圧倒的少数派だ。つまり、連合加盟員の大多数はいわゆる貧困層ではない。なぜブルジョワ政党である民主党を支持しているのかの参考までに。
さらについでになってしまうが、今日ではNK党ですら国会議員の殆どが大卒になっているが、社民党は以前より高卒の議員が少なくなく、その意味では最も「庶民派」を名乗る資格があると考えられる。

【追記2】
東ドイツが成立し、共産党と社会民主党が強制合併させられて社会主義統一党ができるが、内務省がSPD派によって占められていたため、共産党派は国家保安省(シュタージ)を設立、治安機能を占有して国内のSPD派を全て逮捕し、旧ナチスの強制収容所に入れた。「共産党と手を組む」というのはそういうことである。
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2015年09月18日

文部科学省の制限主権論

【18歳選挙権、高校外の政治活動容認…文科省案】
 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることに伴い、文部科学省が9月中にも全国の学校などに出す政治教育に関する通知案が分かった。懸案だった高校生の選挙運動・政治活動について、学校外では原則解禁する一方、学校内では禁止または制限すべきだとしている。また、現実の政治を積極的に取り上げるとしつつ、政治的中立性の確保のため「教員は主義主張を述べるのは避け指導する」と厳格に求めている。
 「18歳選挙権」の実現により、同じ高校3年生のクラスでも、特定の候補者への投票を呼びかける選挙運動も可能になる18歳の有権者生徒と、選挙権がない生徒が混在することになる。通知案は、有権者生徒の学校外での選挙運動は「尊重する」とした。ただ、特定の主義や施策、政党を支持、または反対する高校生の政治活動は「無制限に認められるものではない」と記述。その上で、学校内では〈1〉授業、生徒会活動、部活を利用した選挙運動や政治活動は禁止〈2〉放課後や休日の校内活動であっても、施設管理やほかの生徒の学習に支障がないよう制限または禁止――と分けた。一方、学校外での放課後や休日の活動は生徒が自主的に行うものとし、違法、暴力的な政治活動になるおそれが高い場合などに禁止することもできるとした。
(読売新聞、9月15日)

日本の文部科学省は反民主主義、権威主義の牙城である。現行の日本国憲法は、国民主権(主権在民)を謳っている。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(日本国憲法前文)

これは国民の全てがすべからく主権を有することを意味する。確かに「国民とは何か」「主権とは何か」という議論は存在する。日本では、戸籍の呪縛が強いことから市民権の概念が弱く、どうしても国籍(所属)の概念から、「国民=国籍を有する者」という考え方が強いのだが、日本のパスポートを取得するためには戸籍を提示する必要がある。ところが、戸籍は血統と家系を証明するものでしかなく、「国民=血統主義」なのかという疑念が生じる。これを突き詰めてゆくと、神学論争に近づいてしまうので、ここでは問題提起に止めたい。
同様に、主権の概念だが、これは国家共同体の統治権と意志決定権と仮決めしておきたい。
まず、日本の国籍法は第二条において、「出生による国籍取得」を規定している。
第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

以下、「認知された子の国籍の取得」「帰化」が規定されている。このうち諸外国では「外国人による国籍の取得」と記されている事項が、日本では何故か「帰化」となっている。これは、「(化外の蛮族が)君主の徳に教化・感化されて、その下に服して従うこと」(後漢書)に由来するもので、「天皇の徳に目覚めて、忠義を誓う」ことを前提とした明治法制の新伝統が、GHQの検閲を免れて戦後復活したものと考えられる。

いずれにせよ、日本国籍は基本的に出生時に確定するものであり、日本国籍が確定した瞬間、主権の保持も確定することになる。そして、憲法には、国民の主権を制限する規定は存在しない。但し、公共の福祉や未成年保護を理由とした人権の制限は認められるものの、基本的人権や主権が否定されるわけではない。

日本では選挙至上主義の考え方が強く、一般的には「主権行使=選挙と投票」と考えられがちだが、議会選挙は立法府に送る主権代行者を選挙するものでしかない。この考え方では、選挙後の有権者は次の選挙まで「主権喪失者」になってしまうことになるが、それは現行憲法の主旨に反する。現行憲法下では、日本国民は常に主権者であり続けるのであって、つまり常に統治者であり、意志決定者の一人であることを意味する。
だが、現実には「投票権を持たない未成年者は主権者では無い」という発想が根強く、文科省の「政治活動禁止」通知などが横行する原因となっている。もちろんこの発想自体が間違いなく憲法違反であり、高校生だろうが中学生だろうが、あるいは教員だろうが、あらゆる政治活動の自由が保障されなければならない。

繰り返しになるが、未成年者あるいは教員であるという理由で主権を制限するのは違憲であり、戦後民主主義を否定する権威主義の現れである。文科省のそれは、「社会主義陣営全体の利益のためには、加盟国の主権は制限されることがある」としたブレジネフの「制限主権論」を彷彿とさせるものであり、全く西側の自由主義や民主主義にはそぐわないものだ。
デモクラシーを全く理解せず、憲法を否定する文部科学省は一刻も早く全面解体すべきである。
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2015年09月09日

政党は誰のために?

【英労働党分裂の恐れ 党首選で強硬左派リード】
 投票が行われている英国の最大野党、労働党の次期党首選で、強硬左派のジェレミー・コービン下院議員(66)が党内の支持率でトップに立ち、1990年代以降、中道路線をとってきた同党に衝撃が走っている。同氏が党首になった場合は党が分裂し、与党・保守党による事実上の一党支配政治になりかねないと懸念する声も上がっている。労働党の党首選は、ミリバンド党首が今年5月の総選挙でキャメロン首相率いる保守党に大敗した責任をとって辞任したことに伴うもので、14日から9月10日まで投票が行われ、同12日には新党首が誕生する。
 4人の候補者のうち、世論調査で党内の50%以上の支持を集めているのがコービン氏だ。 ノーネクタイのラフな服装に自転車がトレードマーク。当初は注目されなかったが、反緊縮財政や反核を主張。また、電力や鉄道の再国営化を提案するなど、保守党とは真逆の政策を打ち出し、若手党員や労働者たちを中心に急速に人気を集め、台風の目となった。
 ただ労働党は1994年就任のブレア党首が自由主義経済と社会的公正を調和させた「第3の道」を掲げて政権を奪回。欧州における中道左派の流れを主導し、長期にわたる労働党政権の柱となってきた。それだけに、党幹部たちは、最左派のコービン氏が党首になれば、次期総選挙でも惨敗は確実だとの危機感を募らせ、中道寄りのほかの候補への投票を呼びかけている。
(産経新聞、8月25日)

英国労働党はトニー・ブレア党首の下で1997年の総選挙に大勝、その後2010年まで13年間にわたって政権を保持した。ところが、労働党の党員数は97年に40万人いたものが、04年には20万人へと半減してしまい、戦後最低記録を更新してしまった。現在は19万人強と見られており、減少には歯止めが掛かっているようだ。
もっとも、党員数だけ見ると、保守党は最大で300万人の党員数を誇ったものの、2000年代には20万人を割り、今では15万人を割ってしまっている。下院選挙における勝敗と党員数には必ずしも相関性は見いだせない。
一説によれば、保守党員の平均年齢は60歳を超え、労働党員も50台と言われ、若年層の深刻な政党離れが危惧されている。

興味深いのは、トニー・ブレア氏の「第三の道」路線やイラク参戦を拒否して大量離党者を出したはずの労働党において、離党せずに党に残った党員の支持が左派に傾いている点である。上の記事も示唆しているが、党を構成する党員が支持するイデオロギーや政策と、選挙において有権者の多数が支持するそれとは必ずしも一致しないことを示している。
政党は本来、イデオロギーや国家・社会像を共有する人々が連帯することで、政治的影響力を駆使するために存在する。その影響力を発揮するために、党から代表者を議会に送り込むわけだが、そこで選挙の洗礼があり、有権者から選挙される必要がある。つまり、党員はイデオロギーを共有するが、彼らが掲げる政策が有権者一般の支持を得られなければ、影響力を発揮できない仕組みになっている。

「第三の道」はアンソニー・ギデンズらによって提唱されたものの、実務レベルにおいて労働党はマーケティング戦略を採用し、「党員が望む政策」ではなく、有権者に対して大規模な市場調査を行い、それを分析することで「有権者が望む政策」を打ち出した。その結果、労働党は1997年と2001年の総選挙に大勝したものの、05年の総選挙ではイラク戦争の問題もあってギリギリ過半数を保持するに留まった。
マーケティング戦略の選挙への転用は、日本の民主党も採用し、07年の参院選と09年の衆院選で猛威をふるい政権奪取に至ったものの、その後どうなったかについては言うまでも無い。民主党の場合、党員を基盤とする党組織が実質的に存在しないため、どのような政策を打ち出したところで、党員が離反するという現象は起きない。だが、逆を言えば、党員が不在なため、政党の骨格をなす理念や党員間で共有されるイデオロギーが存在せず、非常にブレが大きくなる。

近代議会制度は政党の存在を前提としており、その政党は党員を基盤としてきたが、党員の担い手が不足する(若年層の政党忌避)現象は、先進諸国に例外なく見られるようだ。政党の組織基盤が弱いところほど、選挙に勝利するために「有権者が望むもの」を主要政策に取り込もうとするが、その結果、どの政党も似たような主張になり、有権者の選択肢を奪い、政治に対する関心が失われてしまうという悪循環に陥っている。

個人的には、ボトムアップ型の政党運動というものが、いかに楽しいかを良く知っているだけに、政党参加を忌避する人の気持ちが分からず、本テーマの論者としては相応しくないのかもしれない。例えば、国会前で漠然と戦争反対を訴えるよりも、党員をオルグして自分が所属する政党を「より反戦的に」持って行く方が実現可能性の点でも自己充足感の点でも勝っているように思えるからだ。

話を戻すと、マーケティング戦略は選挙戦術としては有効なようだが、実現可能性の低い人気取り政策を打ち出す原因になっている。そして、政権奪取したとしても政権運営が難しくなると同時に、既存の党員からは「自分たちの主張が反映されていない」「誰の党なんだ!」という不満が上がり、党運営も難しくなる。
だが、日本社会党のケースでは、国会議員は中間派や右派が圧倒的多数を占めているのに、党員組織を左派系労働組合が握り、激しい対立を繰り返して組織を疲弊させ、国民的支持を失っている。現在の民主党は、その反省から党員にいかなる権利も与えず、党員会議も開かないという徹底した「国会議員独裁」制を敷いているが、政党組織としては非常に脆弱で、ブレの大きい政党になってしまっている。
私自身、まだまだ答えが得られないのだが、引き続き考察を続けたい。
posted by ケン at 12:27| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

軍人に結社権を付与するフランス

【フランス、軍人に制限付きで「結社の権利」付与へ】
 軍隊における結社の権利を全面的に禁止してきた仏政府は19日、欧州人権裁判所の人権違反裁定を受け、同国の軍人に結社の権利を与える方針を示した。しかしストライキの権利などは引き続き認めない方針。フランスの軍人は現在、職業的団体への加入が全面的に禁止されており、職業に関する懸念を表明したり、自らの利益を守ったりするための場を持たない。
欧州人権裁判所は今年10月、「軍人の結社の自由を制限するのは合法だが、労組の結成あるいは労組への加入の全面的な禁止は結社の自由の本質部分の侵害に当たる」と裁定した。仏大統領府の声明によると、フランソワ・オランド大統領はこの裁定に上訴しないことを決断し、国防相と内相に、仏軍人に制限付きで職業的団体に加入する権利を与える法案の作成を命じた。
(AFP、2014.12.21)

少し古い記事だが、いくつか重要な点があるので指摘しておきたい。
まず欧州では、軍人の労働者性が認められて労働基本権が認められる傾向にあるということ。例えばドイツでは軍人法第6条で労働団結権が認められているほか、官僚はもちろんのこと裁判官にまで団結権が認められている。これは、団結の自由が天賦の基本的人権に属するものであり、民主的社会において何よりも優先されるという考え方に基づいている。
他方、日本では警察、消防、海保、自衛隊などについては労働三権が認められていないが、その理由として命令系統や組織秩序の維持などが挙げられている。これは公共的暴力装置の組織管理は、市民個人の基本的人権に勝るという発想の表れであり、権威主義の遺物と言えよう。ちなみにドイツ連邦軍でも、海外派兵や戦闘任務中の組合活動は禁じられているようだ。
労働組合の結成と加入が認められているドイツ連邦軍の秩序やモラルが、自衛隊に劣るという話やデータに接したことは一度も無い。「労働組合を認めると組織が弱くなる」などという発想は、「学問すると戦闘力が下がる」という中世武士のそれと同レベルのものだ。逆に民主的社会に基本権を付与しない例外を作ることは、デモクラシー存続に対する危機を深めるものでしかない。日本の場合、皇室を始め基本的人権を認めない例外対象が多すぎることが、デモクラシーの成熟を阻害していると言えよう。

第二は、上級裁判所が機能している点。日本では、裁判所が違憲立法審査を行う建前になっているが、訴訟者の利益を阻害するなどの要件がそろわないとそもそも取り上げられず、しかも裁判所は違憲立法審査を本務としているわけではないため、可能な限り憲法判断を回避して訴訟者の利益を回復して終わらせようとする傾向が強い。その結果、憲法判断が下されるケースは非常に稀で、まして違憲判断が下されることはほぼ無いという、権威主義状態(三権分立の否定)に陥っている。
上の記事の例は、日本にも独立した違憲立法審査機関や人権裁判所を設置することが、自由と民主主義を担保し、権威主義を排除する有効な手段であることを示している。

第三は、行政側の司法判決に対する態度である。日本の場合、水俣だろうが肝炎だろうが、政府側に不利な判決が下ると必ず上訴する傾向があり、結果的には被害者を増やして行政が敗訴、政府側に課される賠償金が増えるということが頻発しており、双方にとって有害かつ政府不信を高める結果になっている。この背景には、霞ヶ関に国家無謬論・権威主義が蔓延して絶対に過ちを認めないことがあり、これを克服する必要がある。また、小泉氏がハンセン病訴訟において政府の上訴方針を覆して判決を受け入れたことは、政治主導による可能性を示唆している。逆に民主党政権で続々と上訴したことは、民主党政権の信頼を低下させる一因となった。司法に従属する必要は無いが、誰の視点に立って行政を執り行うのかが問われている。

これらの全ては、欧州においてデモクラシーが常に深化させ続けるべき価値観であると解釈されているのに対して、日本においては自国が世界最高の民主主義国であるという勘違いが横行していることの差異を示しているものと思われる。
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2015年07月24日

国と保守派が君が代を強制するワケ・下

前回の続き)
敗戦まで日本国民が比較的おとなしかったのは、帝国主義政策による領土拡張(独占市場の確保)が順調に進み、植民地支配によって安価な主食と労働力を確保してきたためだった。ところが、日中戦争でそれが頓挫すると、戦争遂行に対する訴求力がなくなり、急にそれまで否定してきた労働者の権利保護を始めとする社会主義的政策を導入していった。日本で最も社会保障政策が充実したのが大戦期だったことは、超遅まきながらも支配層が「天皇のために死ね!」と言うだけの明治帝政の原理が成り立たなくなりつつあったことを認めるものだった。
そして敗戦を迎える。今日では「聖断」に至る過程は美談と解されているが、沖縄戦と原爆二発とソ連参戦を経てなお、国体(天皇主権)護持を条件にポツダム宣言(休戦条件)を受諾したことは、厳しく評価されるべきだろう。

もともと全体主義的な独裁制(天皇主権)を規定した大日本帝国憲法が、ポツダム宣言の受諾という外的要因のみをもって、主権者が天皇から国民に移動した。古代神の末裔であることを支配の正統性とし、その天皇を崇め奉る感動をもって国民団結と国家統合の原理としてきたものが、敗戦を期に、自立した全市民が参加する国民国家へと変貌を遂げることになった。
しかも、そこに至る期間は非常に短く、わずか1年、議論の実質は約半年しかないという突貫作業をもって、恐らくはデモクラシーの何たるかも良く分かっていない国会議員と官僚が、ポツダム宣言(休戦条約)の履行をするために日本国憲法をつくっていったのである。この憲法改正によって、天皇は国家の主権者にして、限りなく全能的な地位を失い、主権者は日本国民となった上に、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされた。

連合国は、天皇主権こそ認めずに主権在民を要求、日本側は難色を示して「国民主権」に落ち着くが、それ以上に日本側は天皇の地位存続に固執、完全武装解除(非武装、憲法9条)と引き替えに象徴天皇制(憲法1〜8条)が認められた。
新憲法は自由と民主主義、そして平和主義を奉じることを宣言し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としているものの、それが何故天皇に象徴されなければならないのか、まったく説明がなされていない。しかも、自由にしても民主主義にしても平和主義にしても、全て戦前期には存在しなかったものであり、国民に価値観を浸透させるためには相当の自覚と努力(教育)が不可欠だったはずだが、戦後の教育制度の中にデモクラシーの成員を育てるという理念が組み込まれた形跡を見つけるのは難しい。また、デモクラシーの観点からすると、主権付与の対価とされるべき義務兵役がなく、戦時中に施行された源泉徴収制度によって納税者意識が育たなかったことも、主権者としての意識の成長を阻害したと考えられる。

同時に、占領期に進められた民主的改革の相当部分が、占領解除に伴う戦犯・公職追放者の復帰に伴う鳩山・岸内閣によって反故にされ、権威主義体制への復帰が試みられたものの、敗戦から間もない国民の反発は強く、憲法改正には至らず挫折した。
この時の岸信介の構想は、国民健康保険と国民年金という社会保障の対価として、再軍備と義務兵役の復活を国民に認めさせ、対外的には日米の関係をより対等なものにして、「五大強国」の一角を占めた帝国期の栄光を再興するというものだった。しかし、戦犯上がりで右翼やCIAとの関係が取りざたされ、常にダーティーなイメージが付きまとう岸に対する風当たりは非常に強く、自民党内ですらまとまらなかった。
最終的に岸内閣は日米安保を改定して退陣するが、「後世の歴史家」の視点からすると、健保と年金と改正安保という「良いとこ取り」をして国民は岸を捨てたと見ることも可能であり、この怨念が娘を通じて現在の安倍首相に継承されていったようだ。言い直せば、安倍一派の主張は「貴様ら国民は天皇陛下から主権を奪った上に、岸先生にもらった健康保険と年金という恩寵を今まで享受してきたんだから、今度は貴様らが国家に奉仕し、その栄光再建に積極的に貢献すべきである」ということなのだろう。
だが、岸路線が否定されると、自民党は吉田路線に復帰する。この2つの潮流を整理すると、

吉田路線:戦後民主主義の肯定、軽武装、非権威主義
岸路線 :戦後民主主義の否定、重武装、権威主義


という感じになる。中曽根内閣期に多少岸寄りになったものの、自民党は90年代に至るまで基本的に吉田路線を継承していたことが分かる。国旗国歌法が成立したのは1999年で、何をかを象徴していた。
1990年代の大きなメルクマールは、いわゆる「バブル崩壊」と「政治改革の失敗」だった。バブル崩壊とそれに伴う銀行救済のための財政出動により財政赤字が急増、同時に少子高齢化の急進により保険財政も急速に悪化する。
ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べられている。戦後民主主義を支え、一党支配の正統性を担保してきた高度成長がストップし、デモクラシーを危機に導いていった。
そして、政治改革の失敗により、戦後から80年代まで日本政治を牽引したエリート支配に終止符が打たれ、小選挙区制の導入に伴い、ヤンキー(反知性主義)が優位に立っていった。この流れについては後日改めて検証したい。

日本ではデモクラシーが休戦条件として導入されたものであるだけに、民主主義の社会的基盤が非常に脆弱であり、公教育においても「民主主義とは何ぞや」が教えられないため、日本の有権者は民主的共同体の一員であるという自覚が無く、選挙についても「支配者の信任投票」程度にしか捉えていない。国政選挙の投票率が半分しかないことがそれを示している。
憲法は自由、民主主義、平和主義を奉じることを宣言したものの、霞ヶ関の権威主義者たちが教育宣伝を怠ったため、国民統合の原理として国民的合意を得るには至っていない。本来であれば、国民統合の原理や国が掲げる理想を、国旗と国歌に体現すべきであったが、日の丸と君が代が継承されたことは、権威主義体制への復帰する根を残す形となった。

それでも、戦後自民党の吉田路線が支持され、国民的統合(統治)が上手くいっていたのは、健康保険と年金に代表される社会保障制度が整備され、経済成長が順調に進み、概ね貧困が淘汰されたためだった。
ところが、バブル崩壊を経て経済成長が止まり、経済格差が拡大、少子高齢化に伴い社会保障の切り下げが不可欠になってくると、吉田路線による国民統治が困難になり、自民党による一党支配の正統性の根拠が失われていった。実際、自民党支配が崩れたのは、バブル崩壊後とリーマンショック後に限られている。

自民党としては、一党支配を継続するために、経済成長と社会保障に替わる国民統合の原理が必要となった。福祉国家モデルに替わる新たな国家像が求められたのである。安倍一派や橋下一派を始めとする右派に共通する主張は、

「社会保障は切り下げます、貧困は放置します、戦争もやります、でも自分の面倒は自分で見てください、私たちは同じ国民ですから文句は言わないでください、天皇陛下とともに生きられるだけでも感謝してください」

というもので、国民統合の象徴として日の丸と君が代を掲げたのだろう。80年代までは強制せずとも国民統合が実現していたが、90年代に入り、貧困化を背景とする社会的不満が高まるにつれて国歌と国旗の強制を強めていったと考えれば自然だ。
2004年の園遊会において、参列した東京都教育委員から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言われた平成帝は、「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と返している。これは、自らの失政の責任を無答責の天皇に負わせて免罪を図ろうという、自民党・右派の邪心を看破したからこそのものと見て良い。

さらに言えば、アメリカの勢力衰退によりアジアからの米軍撤退が取り沙汰されるようになり、それを少しでも遅らせると同時に、自衛隊の海外展開機能を高めるために、自衛隊による対米協力と海外派兵を強化させる必要が生じた。だが、武力行使と軍事力保持を否定する憲法を持ち、数十年に渡って吉田軽武装路線を支持してきた日本国民に対して、「俺が変わったんじゃねぇ、国際情勢が変化したんだから、自由に武力行使できるようにならないと生き残れない」と説明したところで合意を得るのは容易でないだろう。この点でも、「天皇陛下の下でともに生きる国民なんだから、国がやることにケチ付けるなよ」という意味で、国旗国歌を強制するほかなかったのではなかろうか。

「パンピーは君が代歌って黙ってろや、俺らがやることにケチつけるな!」

としか言えない日本の右翼はすでに死に体にあるが、福祉国家や日米同盟に替わるオルタナティブを打ち出せない左翼もまた深刻なのだ。これでは遠くない将来、革命が起きるかもしれない。

【参考】
自民党支配の正統性とデモクラシーの危機 
仮説:公職追放を考える 
皇統存続と近代原理の無理 
・天皇の言うことを聞かない右翼 
歪なる保守主義 
保守・反動教育の無理 
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

国と保守派が君が代を強制するワケ・上

片山杜秀先輩に触発されたので私なりの考えも述べておきたい。
いわゆる「国旗国歌法」が制定されたのは1999年のことだが、学校教育の現場で君が代と日の丸が強制あるいは推奨されるようになったのは90年代に入ってからのことで、先鋭化してきたのは90年代後半のことだった。国旗国歌法の審議に際して、政府は繰り返し「国旗国歌が制定されたからと言って強制することは無い」旨を答弁してきたが、現実には教育現場での強制が進み、ほぼ100%近くなっているようだ。その背景には、国旗国歌に冠する職務命令をめぐる裁判の多くが、反対派(思想の自由に反する)の敗訴に終わっていることがある。つまり、政府(行政)と政党(立法)と司法が一体となって国旗国歌の強制を進めている構図なのだが、なぜ国旗国歌に固執するのかという疑問がある。

まず国旗と国歌は前近代には存在せず、近代国民国家の形成とともに誕生している。中世から近世に至る国の場合、王家の紋章を旗印にすることはあっても、国旗は存在しない。敢えて言えば、中世の独立都市で採用された旗や紋章が原点と言えるかもしれない。日本の江戸時代も徳川家の紋や皇室の紋はあっても、国旗は存在せず、外国と通商するに際して識別用に日章旗が使われるようになっていった経緯がある。
中世の統治構造は、国王と貴族(あるいは教会)による連合体で、国王は貴族の代表・利害調整者という態で、人民はその従属物あるいは付随するものでしかなかった。従って、国家主権は国王が占有するか、国王と貴族が共有しており、国土防衛の責務は一義的に国王が担った。国王はその責務を果たすために徴税し、兵を動員するわけだが、人民はあくまでも収奪されるだけの存在だったが、逆を言えばただ直属の貴族や国王に従っていれば良かった。つまり、国王は自らの責務を果たすために自分で税を取り、兵を雇い、戦争するのであるから、掲げるのが王家の紋章であるのは当然のことだった。

より正確を期すならば、国防の義務は国王に帰せられるが、貴族は国防の義務を負わず、貴族は国王から領地保全を保障される対価として軍の動員に応じているに過ぎなかった(御恩と奉公)。これは、基本的に日本も同じで、国防の義務は征夷大将軍である徳川家が一手に負っていただけで、諸大名は徳川家が領地保障する対価として徳川家の軍事要請に応じるという関係にあった。故に、国防義務が十分に果たせず、領地保障機能に疑問符が付けられるようになると、長州戦争時のように動員要請を婉曲に断る大名が続出したのである。

ところが、近代国民国家は全く異なる原理の上に成り立っている。王政を否定して成立したフランス革命政府は、社会契約の概念に則って、全市民に主権を分与する対価として、それまで国王が負ってきた国防の義務を市民に課した。主権を担うということは、国政の責任を引き受けることを意味する。従来であれば、政治的失敗の責任は全て国王一人に帰せておけば良かったものを市民一人一人が自分で負うことになった。今日、日本を筆頭に、民主主義国における統治が機能不全を起こしつつあるのは、「市民一人一人が政治的責任を負う」という理想と現実の乖離が広がってきていることが大きい。

近代以前は「王様に言われたから」村として税を納め、村のロクデナシを兵士として供出してきたわけだが、近代以降は個々人に課された義務として税を納め、兵卒になることが要求されるようになった。だが、「今日から貴様は主権者の一人だから納税と兵役は義務である」と言われて、「はい、そうですか」と答えるものはまずいないだろう。そこで「全ての市民は共同体を同じくする一員であり、我々が共有する共同体(の理想)はこういうものである」というイメージ(幻想)が必要となった。アメリカ独立戦争やフランス革命、あるいはロシア革命を見れば分かるとおり、近代国家の設立と同時に旧体制の支持者が外国結託して体制打倒を試みており、「市民的義務」の概念をどれだけ普及させ、動員と納税に応じさせるかが最重要課題となった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」第3番の歌詞はあまりにも象徴的だ(ちなみに私の母校の副校歌でもあった)。
何と! 外国の軍勢が  我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と! 金目当ての傭兵の集団が  我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと! おお神よ! 両手は鎖で縛られ
頚木をはめられた我らが頭を垂れる 下劣なる暴君どもが
我らの運命の支配者になるなどありえない!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう!
汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!

フランス革命の場合は、国歌で市民の危機意識を煽りつつ、国旗で自らの理想を表明した。有名なフランスの三色旗(青白赤)は、本来はブルボン王家を意味する白と、パリ市民の青と赤が並んで1つの共同体をなすものだったが、ルイ16世が死刑になり王政が廃止されると、「自由、平等、博愛」へと置き換えられ、今日に至っている。「共和国の原理と理念を守るためにはファシズム(あるいはイスラム)と戦わなければならない」という政府の主張が、現代においても左右双方に受容されるのは、国民の間で共有されているからに他ならない。

【参考】 三色旗が意味するもの 

フランスに比して、日本の近代国家の成り立ちと市民意識の醸成は非常に遅れた。まず、明治維新は「革命=統治機構の否定」ではなく、「維新=政変・政権交代」という見解が採られた。江戸期までの日本の統治システムは、天皇が有する軍事外交権を征夷大将軍に委託、内政については諸侯が自治権を持ちつつ、幕府が総覧するイメージだった。その自治権についても、本来は律令制や班田収授法を見れば分かるとおり、天皇がその権限や王土の一部を委任したものであって、維新(王政復古)の成立と同時に全ての権利と権限は、天照大神を皇祖とする古代神の子孫である天皇に帰せられるというのが、明治帝政の根幹理念だった。
ところが、これでは中世から古代への「反動」ということになってしまうため、主権は天皇一人に帰属するが、実際の行使は臣下が代行する形が採られた。結果、日本国民は主権が認められないまま、納税と兵役の義務が課されてしまった。「代表無くして課税無し」は米国独立運動の標語だったが、日本は逆を行ったのであり、その反動として自由民権運動と国会開設運動が起きた。
そして、人民に主権を認めないまま、納税と兵役の義務を課すための共同体幻想として「大日本帝国」が提起され、それを象徴するものとして日章旗と君が代が見いだされた。天皇は太陽神の子孫という設定であり、日章旗は皇祖である太陽をあしらっている。世界の国歌の大半が、国の成り立ちや大切にする価値観を謳い、それを守るために国民の一致団結が必要であるとするものであるのに対して、君が代は「今上帝の世が永遠に続きますように」と祈願するだけの呪歌だった。

つまり、フランスやアメリカなどの近代国家が、国旗や国歌に理想を謳ったのは、人民主権者に対して理想を保障しつつ、その対価として納税と兵役の義務を求めるためだった。ところが、明治日本の場合、国は人民に何も保障することなく、納税と兵役を始め天皇に対する一方的忠義のみを求めていた。しかも、帝国憲法下では、主権は天皇にあったが、実権は臣下が代行し、代行者は天皇に対して責任を負うものの、天皇は完全免責という仕組みであったため、為政者(実際の支配者)にとってこれほど「楽(無責任)」な統治システムは古今東西なかったのではなかろうか。
明治帝政は、自らの欠陥によって全面戦争を起こし、自壊していった。だが、国土が灰燼に帰し、全世界を敵に回し、敵による本土上陸が近い中にあっても、日本政府が「一億総玉砕」を呼号しつつ、「国体=天皇主権」を唯一の(一方的)条件としてポツダム宣言を受諾したことは、当時の支配層にとって何が重要だったのかを物語っている。
フランスやアメリカで戦死した者は「共和国(合衆国)市民の義務を果たしてその理念に殉じた」と扱われるが、日本で戦死した者は「帝国臣民としての義務を果たして国家(天皇)に殉じた」と扱われる。前者の場合、戦死者は市民間で共有される理念を守るために死に、その代償として政府は市民に基本的価値を保障する義務を有する。だが日本の場合、戦死者は国家もしくは天皇を守るために死ぬわけだが、国や天皇に保障すべき基本的価値はなく、いかなる義務も有さなかった。
以下続く
posted by ケン at 12:36| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする