2016年12月12日

敵はリベラルにあり・補

敵はリベラルにあり」の補足。
日本を始め西側陣営の多くで、極右勢力が拡大する一方、社会民主主義派は退潮が著しく、自由主義者が「自由と民主主義が失われてしまう」と断末魔を上げている状況にある。
なぜこうなってしまったのだろうか。E・トッド先生の論理を援用して説明したい。

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。

こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。

米欧では、「グローバル化と自由主義が諸悪の根源である」として批判する極右勢力が拡大。具体的には、外国人・移民労働者の排斥が目立つようになる。これに対し、英仏の保守派は右転回することで一定の支持を保っているが、同国の社会民主主義派はグローバル化を否定せず、移民問題も人権視点から擁護に回っているため、不満を吸収できず、凋落の一途にある。アメリカでは、グローバリゼーションに否定的だったサンダース氏ではなく、これを肯定するリベラルの旗手であるクリントン氏が民主党候補に選出された結果、保護貿易と反自由のトランプ氏に敗れるところとなった。
大国では、唯一ドイツだけがリベラルの旗を掲げ、移民に宥和的な政策を採り続けてるが、これは欧州で唯一の経済的勝者であるためであり、それも時間の問題だと思われる。
欧州の社会民主主義政党が政策転換できないのは、戦後和解体制下における最大の利益享受者となったことで、政党人があまりにもエリート化(資本と同化)してしまい、大衆から遊離していることが大きい。冷戦期における「影の勝者」であることが、グローバリゼーションと自由の呪縛に囚われるところとなったのだ。具体的には、フランス社会党のオランド政権が労働法改悪を進めたことに象徴される。

大衆の不満は、経済的グローバリゼーションと移動の自由(移民・難民の受け入れ)に伴う中間層の没落と貧困に起因している。これに対する各派の対応は以下の通り。

極右主義者 「外国人を追い出せ、国境を閉ざせ」

保守主義者 「外国人は安く使え、国境は規制強化」

自由主義者等 「外国人の人権を守れ、国境をなくせ」


つまり、リベラル派の主張は現行の大衆的不満を助長させるものでしかなく、広い支持を得るのはそもそも困難なのだ。貧困が解決されない限り、大衆の不満の矛先は、いずれ自由主義者に向けられるだろう。
深刻なのは、本来であれば「適切な再分配による貧困の解決」こそが目標であるはずの社会主義者たちが、こぞってリベラリストに同調してしまっている点にある。上記で言えば、社会主義者の主張は、

「外国人は本邦人と同一賃金に、国境は規制強化せよ」

くらいが妥当だったはずだが、英労働党がEU離脱を主張できず、仏社会党が労働法改悪を進めていることに象徴されるように、社会民主主義政党が労働者では無く、資本と一体化してしまっている。日本では、連合がそのスタンスに近い。
マルクスは、自らの待遇を守るために、資本に同調して外国人労働者などの下層労働者の疎外に荷担する労働者を「哀れなプロレタリア」と呼んだが、西欧社会民主義政党や日本の連合はまさにこれに相当する。

戦前期の日本では、都市資本を代表するリベラルな民政党が、労働法制の制定に徹頭徹尾反対した結果、社会主義者や労働組合を軍部の側に追いやってしまい、社軍協同路線「広義国防」の道を歩ませてしまった。社会党関係者の中にも、斎藤隆夫の反軍演説を評価するものが少なくないが、斎藤が労働法制に反対した急先鋒であったことを知るものは殆どいない。
昭和の歴史は、貧困に無関心な政治エリートが大衆のファッショ化と好戦志向を助長してしまったことを示しているが、その歴史は殆ど学ばれていない。
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2016年12月06日

敵はリベラルにあり?

【トランプ・プーチン・ルペントリオで世界平和へ=仏ルペン氏】
 フランス極右政党・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48)は16日、来年の大統領選で自分が当選すれば、ドナルド・トランプ次期米大統領とプーチン・ロシア大統領とともに世界の指導者3人組が誕生し「世界平和のためになる」との考えを示した。ルペン氏は、トランプ氏同様移民に反対の立場を取っており、フランスの政治指導者のなかで唯一、トランプ氏を支持した。ルペン氏は、選挙対策本部の設置に当たり記者団に「歯止めのないグローバリゼーション、破壊的な超リベラリズム、民族国家と国境の消滅を拒否する世界的な動きが見られる」と語った。また、フランス国境での検問を再開するとともに、欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票を実施すると述べた。
(11月17日、ロイター)

フランスでは、大統領選に向けて候補者選定の予備選挙が始まっている。現職のオランド大統領はすでに「圏外」にあり、左派全体で凋落が著しく、中道・右派内でも一昔前だったら「あり得ない」レベルの極右であるフィヨン氏が統一に選ばれた。そして、実際の選挙は、そのフィヨン氏と国民戦線のルペン氏という「極右対決」になりそうな勢いにある。早速、フランス在住の日本人の間では「ルペンとかあり得ない」と大騒ぎになっているが、アメリカでトランプ氏が当選し、イギリスが選挙でEU離脱を決めた以上、趨勢としては明らかにルペン氏に有利になっている。それを無視してルペン氏をディスってみたところで、「米国人がトランプを選ぶワケがない」などと訳知り顔で話していたものたちと同じ過ちを犯すことになろう。

要は、エリート意識が強く、いまだ生活に困らないもの、つまり戦後和解体制の利益享受層ほど過去の栄光にすがって、現実が見えなくなってしまっている。この辺は、ペレストロイカ期から崩壊期における、ソ連・東欧の共産党員や体制支持者たちとよく似ている。
私が彼らと異なるのは、ソ連を知っていることと、エリートであることを選択しなかったがためである。
つまり、「自由を守れ」「差別は悪」というエリートたちの声ばかり聞いていると、目が曇ってしまうということだ。

先進国を中心に従来の政治エリートが選ばれず、拒否感が強まっているのは、エリート層が国民の貧困と疎外を放置してきたがためであり、その不満を解消する手立てを講じること無く、ただ自由を称賛してみたところで、「自由でメシが食えるか!」という反発が返ってくるだけでしかない。それが、今回の米大統領選で起きた現象だった。
にもかかわらず、リベラリストたちは「トランプが当選して差別が蔓延している」と騒ぐばかりで、相変わらず本質を理解して反省するそぶりも見せない。このままでは、ますます自由主義が凋落しそうだ。

ペレストロイカを再検証する」で述べた通り、ソ連・東欧ブロックが崩壊したのは、政府が国民の生活を保障できなくなったためであり、一党独裁であるがために共産党に替わる為政者を選出することができないが故に自壊するほかなかったからだ。この点、デモクラシーは既存エリートに替わる為政者を選出することが可能であるため、「まだ」自壊するには至っていない、というのが現状であろう。

これはE・トッド先生がおっしゃっていたことだが、米大統領選でトランプ氏が勝利したのは「真実」を語ったがためであり、同様にクリントン氏が選ばれなかったのはそれを隠して語らなかったがためだった。
その「真実」とは、「自由貿易と移民に象徴される自由主義こそが、全世界を過酷な競争に巻き込み、不平等と停滞をもたらし、中間層を没落させた」ということである。現実に、アメリカでは特に白人層の没落が著しく、全体で5千万人からの生活保護受給者がおり、平均寿命が低下に転じてしまっている。この現状を招いたのは、自由貿易によって工場が海外に移転し、国内産業が壊滅、残された雇用の多くも安価な移民労働者が占有し、白人中間層が没落するのを放置したがためだった。にもかかわらず、オバマ氏は相変わらず自由貿易と移民を称賛し、クリントン氏は「世界の警察官」の地位に強い執着を見せた。米国人が「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!」とブチ切れるのは当然であり、むしろクリントン氏は不自然なくらい健闘したと思えるくらいだ。

また、トランプ氏は選挙中「アメリカの栄光を取り戻す」と繰り返し訴えたが、これは「いまや栄光は失われた」という前提に立って改革の必要性を主張したことを示している。これに対し、オバマ氏やクリントン氏は「アメリカは輝かしい自由主義陣営の盟主である」というスタンスを示しており、原理的には改革不要・現状維持の保守派だった。
先に挙げた「真実」の認識が正しいかどうかは、将来的に評価するほかないが、少なくとも相当数の有権者が「リベラリズムでは自分の生活は保障されない」と考えていることは確かであり、その認識を否定するからこそ、世界各地でエリートが選ばれなくなっているのだ。

彼らの不満を解消するには、リベラリズムを否定し、引いては自由貿易を止めて保護貿易に転じ、国内の産業育成に努めると同時に雇用を確保、さらに移民を排斥するか同化を強制して、国民に一定の労働賃金と待遇を保証する必要がある。
「差別はイカン」というのは倫理的には正しいが、自由主義の下で移民が大量に呼び込まれ、賃金の低下に拍車がかかって、国民の生活水準が激しく劣化してしまった以上、それを放置して倫理や道徳を訴えてみたところで、何の力にもならない。彼らは、商店にパンも肉も無いのに、社会主義の「可能性」ばかり訴え続けた東欧の共産党と同じ過ちを犯しているのだ。

繰り返しになるが、リベラリズムが自由貿易と移動の自由の上に成り立っている以上、保護貿易や移民規制の主張に転じることは自己否定でしかない。
この間、私も「リベラル派の団結と共闘が必要だ」などとよく誘われるが、その度に「いえ、自分は社会主義者であって、リベラルではありません」と答えているわけだが、どうもあの連中は社会主義(適切な再分配が市場を成長させる)と自由主義(自由競争が市場を成長させる)の違いを理解していないようだ。
仮に、今回の米大統領選でクリントン氏が当選していた場合、「世界の警察官」と「自由貿易」が維持されるわけで、国家財政は遠からず破綻する一方、国内の富の集中がさらに強まり、一層貧困化が進み、「ロシア革命直前」のような状態に陥った可能性がある。もちろん、状況としてはトランプ氏にとっても同じだが、危機意識もって改革の必要性を認識しているかどうかが全く異なる。つまり、今回の結果は、1985年のソ連で「ゴルバチョフが書記長に選出された」というだけの話であり、それは改革の成功と帝国の存続を保証するものではないということなのだ。

【追記】
私の主張は、「社会主義者はリベラリストと枕を並べて討ち死にしてはならない」というものであるが、どうにも同志の支持が得られず、毎度のことながら孤立している。本来、社会主義は自由貿易よりも保護貿易に親和的であるはずだが、西側の社会民主主義者は戦後和解体制の中で完全にリベラリズムに毒されてしまっている。
posted by ケン at 12:21| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月27日

地域代表制が政治と地域を腐敗させた?

永田町での勤務も15年近くなるが、近くで国政を見ていて思うのは、「地域代表制が政治と地域を腐敗させているのではないか」ということである。

国会議員は、参議院の比例代表選出者や衆議院の比例単独選出者を除く大半が選挙区から選ばれている。日本の場合、有権者は候補者の政策や主張よりも、人柄や人物像を重視する傾向が強いため、候補者もそれを重視せざるを得ない。結果、実際の選挙時に掲げる政策や議会での活動実績よりも、日常活動で「顔を売る」ことが重要となる。具体的には、選挙区内の各種イベントや酒席にひたすら出席して、一人でも多くの有権者に「見知ってもらう」ことが活動の中心となる。とかく保守系の政治家が、軽薄な発言を繰り返すのは、少しでも有権者に自分を印象づけたいがために発せられる「サービス」の部分が大きい。そして、自分の当落が掛かっているだけに、議会活動よりも地元回りを優先することになる。実際、自民党であれ旧民主の小沢氏であれ、「1、2回生の仕事はひたすら地元を回ること」と教えている。

この「地回り」の中で、もう一つ重要となるのが「陳情受け」である。有権者から各種陳情を受け、処理することで支援者と献金を増やすことが目的となる。陳情と言えば聞こえが良いが、現実には行政に圧力を掛けて、特定の者に優先的にサービスを供与させる汚職でしかない。最近では甘利問題が有名だが、自民党では当たり前すぎて、何故それが問題にされるのかすら理解できないだろう。結果、当選回数の若い国会議員は、議会活動などせずにひたすら地元を回り、陳情を受けて処理し、御礼にカネや票をもらうことに専念する。これを当選回数で2回、当選前から数えれば10年近くもやるのだから、3回生になる頃には地元の有権者とズブズブの関係になり、腐敗システムが構築され、議員本人も秘書もそれが「当たり前」になって、正常な感覚を失ってしまうのだ。
要は、自民党や小沢氏の教えは、「腐敗体質が強いほど選挙に強い」ということであり、日本の政治制度はその前提の上に成り立っている。

90年代まで行われていた中選挙区制度は、「自民党の候補者同士が有権者を奪い合うために陳情処理を競い合うことが、巨大な腐敗を生んだ」との認識が広まり、政治資金規正を強化すると共に小選挙区制に移行するところとなった。確かに小選挙区制に移行したことで、何億、何十億円という献金は影を潜めたものの、別の問題が生じた。
二大政党による政権交代の慣習が無いところに小選挙区制を導入してしまったため、導入以降、自民党以外の政権が成立したのは20年間でわずか3年強という有様だった。その結果、野党系候補の少ない地方では、自民党の議席占有が常態化し、「自民党にあらずんば人にあらず」が進んでしまった。つまり、自民党議員にアクセス権を持つ者のみが、優先的に公共事業や行政サービスを受ける権利を有するところとなり、それ以外のものはますます住みにくい社会になり、土地や仕事を捨てて都市部に出る流れを強めてしまった。同時に、伝統的に建設業が強い自民党は、需要の無い公共施設やインフラの整備に邁進するため、いたずらに維持コストを高めてしまい、これが地方財政を圧迫して、生活弱者への支援を細らせて都市部への流出を促してしまったのだ。
ロシアの諺で言うところの「魚は頭から腐る」である。

また、安倍政権以降、衆院選の期間(議員の任期)が短くなっており、「いつ選挙になるか分からない」という認識が強まっているため、国会議員たちはますます議会活動よりも地元活動を重視するようになっている。これが、ますます政治家の無能と腐敗を強めてしまっていることは、言うまでも無いだろう。
日本の国政を「正常化」させるためには、まず地域代表制を根本から改める必要がある、というのが私の認識である。具体的な提案としては、下の稿を参照して欲しい。

【参考】
・委員会別選挙の提案 

【追記】
私の前ボスは、私が「政治資金パーティーをやりませんか」と向けても、「一回やってしまうと、癒着と腐敗の温床になってしまうからやりません」と最後まで頑なに拒み続けた。だが、次の選挙で落選、その選挙区は以後ずっと自民党の一人勝ちになっている。その流れで、選挙区内にいた民主党県議は3人から0人になり、自治体議員の数も3分の1になってしまった。有権者の選択とはいえ、自ら自民党支持者以外の利益代表者を減らし、地域社会の多様性を減じてしまったのだ。
posted by ケン at 12:54| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

マルキシズムは今も有効か・補

前稿の補足。
欧州では社会民主主義政党の退潮が著しい。ドイツやスウェーデンのように二大政党の一角を担っている国もまだあるが、全体的には急速に支持を落としている。経済不調が続く南欧諸国では、社会民主主義政党に替わって非共産党系の左翼政党が支持を集めている。果たして、欧州社民の退潮は一時的なものなのだろうか。

日本では、社会党が解党した後、社民党が表向き社会民主主義を引き継いだものの、今や政党要件の維持すら困難になっている。日本は、共産党が党名を変えずに存続している、先進国で唯一の国だが、その支持は広がっておらず、組織の高齢化に苦しんでいる。国会における左翼政党が占める割合は5%以下でしかない。年収300万円以下の被雇用者が2千万人以上、生活保護受給者は200万人を超えているが、保護率(水準以下の生活をしていながら受給できている人の割合)は2割強でしかないという貧困状態にありながら、左翼政党の支持は一向に広がる気配を見せない。

マルクスの主張において最も分かりやすい一つに、

「資本主義は安価な労働力なくして成立し得ない」

というものがある。これは、まさに今の先進国にあてはまる言葉で、例えば日本で考えると分かりやすい。1990年代以降、非正規雇用労働者の割合は急激に増加し、いまや40%に達している。その平均給与は正規雇用者の半分以下である。自民党政権と財界と政府が協同して派遣法などの改正を繰り返し、雇用規制を骨抜きにしてきた結果だが、それを支持し続けたのは日本の有権者だった。
さらに地方では、地場産業そのものが立ちゆかなくなっており、非正規雇用では飽き足らずに、時給100〜300円の外国人奴隷労働者を「研修制度」の名の下に確保し、パスポートを取り上げてタコ部屋に監禁して奴隷労働に従事させている。その人数は15万人以上に及ぶが、政府は介護職やコンビニ職員にまで適用範囲を広げようとしている。

1990年代、バブルが崩壊すると大不況が到来、我々の世代はこれを「就職氷河期」として直撃を受けている(正確には私の一つ下あたりからかもしれないが)。バブルとは、景気が過熱して、需要が極大化した市場を指す言葉だが、その極大化した需要に合わせて設備投資がなされ、供給も最大化されていた。ところが、バブルの発生により需要が極小化してしまった一方、供給体制はそのままであったため、供給過剰となり、一気にデフレが進んでしまう。就職氷河期は、バブル期に採用を最大化した後、バブル崩壊で需要が失われ、急に社員数を調整しようとして採用を手控えたことに起因している。

バブル崩壊後の不況が深刻化し、企業が大量に倒産し、金融機関の破綻が始まると、日銀は1999年にゼロ金利政策を開始する。本来は一時的な救済措置で、2000年8月には停止するも、2001年9月に911テロが起きて米国発の不況が始まると、日銀は01年3月に再開してしまう。さらに2006年に解除されるも、リーマンショックに伴い08年12月に再開、本16年にはマイナス金利を導入するに至っている。
金利が低下するというのは、投資に対して利益が上がらないため、企業や資本家が投資を手控えていること、つまり資金需要が無いことを意味している。バブル崩壊で巨額の負債を負っている企業は、利益の上がらない投資ではなく(利潤の最大化)、金利が低い今こそ借金の返済(債務の最小化)へと向かう。ここで言う「投資」には人的投資、つまり雇用や給与増も含まれる。

90年代以降の非正規雇用の急増に象徴される労働法制の大幅緩和は、通常の投資では利益を上げられなくなった企業が、人件費の削減によって利益を上げて延命を図ったことに起因している。ところが、人件費を下げた結果、国内消費が落ち込み、急激な高齢化も伴って国内需要がさらに低下してしまう。
もともと米自動車会社のフォードは、自社工場で働く工員が自動車を購入することで発展の基礎を築いたが、いまや日本の自動車工場で働く者の大半が自動車を持てなくなってしまっている。
日本の場合、労働法制の緩さと労働組合の弱さ(労使協調姿勢と言っても良い)が超長時間労働を許しているため、供給過剰状態が解除されないまま、デフレを悪化させると同時に、労働生産性を低いままにして給与増を阻害してしまっている。

こうした状態下で今度は金融の量的緩和がなされる。ゼロ金利で量的緩和がなされても、企業にとって資金需要が無いことに変わりは無いため、負債の返済を進める方針に変わりは無く、供給を増やすインセンティヴも無いので内部留保が増大してゆく。ただ、保有している国債は株に買い換えるため、株価だけは上昇する。さらに安倍政権は、年金基金の株式割合を増やしたため、さらに株価が上昇するが、国内の需要や消費を反映したものではなく、かといって一度購入した株を手放せば、株価暴落の引き金になるやもしれず、実質的に「処分不能な国有財産」と化してしまっている。
安倍政権が、ロシアとの関係改善に注力しているのは、国内の企業や銀行に滞留しまくっている資金の投資先を、中国以外に確保することを目途としていると推察される。

個人レベルでは、不安定な雇用と低賃金状態が定着する一方、低金利であるため借金するものが急増する。1980年代までは働いて貯金するのが一般的傾向だったが、90年代以降は生きるために借金するのが常態化してゆく。家計貯蓄率が90年代後半以降に一気に低下してマイナスとなり、大学生の半分が借金して通学していることに象徴されよう。

日本が抱える経済的課題は、「供給が需要を大幅に上回るデフレギャップをどう克服するか」にある。ところが、自民党と霞ヶ関は、需要を底上げする施策を打たずに、労働法制の緩和やTPP推進(自由貿易による供給促進)など供給を増やす方向で進めている。法人減税も進めているが、需要が無いところに減税したところで、負債を返済し、内部留保を増やすだけで、一国の経済には何ら寄与しないだろう。
これに対して、旧民主党は、小沢=鳩山路線で公共事業を抑制し(供給抑制)、福祉や生活予算を拡充する(需要拡大)施策を展開したものの、わずか半年で潰え、以降の菅・野田路線は自民党と同じ路線に軌道修正して、政権交代を経て今日に至っている。

我々の間では大昔から「なぜ日本では社会民主主義(政党)が成立しないのか」という議論が交わされている。これは、自民党内の田中派や大平派に象徴されるリベラル派が、西欧におけるところの社会民主主義政策を部分的に取り込んで、階級和解と福祉国家化を進めてきたことが大きいと考えられている。もっとも、現代日本の福祉制度の基盤を築いたのは、国家社会主義者であった岸信介ではあったのだが。
だが、まず冷戦構造が崩壊したことで階級和解路線を採る必然性が失われ、長期不況と財政赤字により福祉国家の維持も困難になりつつある。90年代以降、労働搾取が急速に進んだのはこのためだったが、日本の産業別労働組合は組合員の雇用と待遇を維持するため、大量解雇、非正規化、差別待遇、超長時間労働を許容、資本側に協力した。

社会民主主義は、階級和解に基づく労働者の待遇改善を漸進的に進めることを大方針としているが、長期不況と金利低下で企業側は労働者を搾取することでしか利潤を上げられなくなってしまっており、「和解」の余地は恐ろしく小さくなってしまっている。フランスで、社会党の大統領が労働法制の緩和を進めているのは、その象徴的事例と言える。欧州の社会民主主義政党が、こぞってEU統合と自由貿易を主張するのも同じ理由からだ。
欧米日の先進国で福祉国家や社会民主主義が成立し得たのは、東側ブロックの存在と経済成長のおかげだったが、この二つの前提が失われ、資本側が和解路線を放棄した以上、社会民主主義者やリベラリストの「思い」は片思いになってしまっているのが現状なのだ。

他方、マルキシズムは、資本と戦って生産手段を奪い共有化することで階級対立そのものを解消しようという立場に立つ。これは、階級和解が成立しうる社会ではリスク高であるため広い支持は得られず、現実に戦後の米欧日では共産党勢力は極小化していた。
だが、冷戦構造が瓦解し、自由貿易や高齢化によって国内需要が減退し、資本による搾取が急進化、労働者階級の分断が進むと、社会民主主義による諸課題の解決は困難になり、「労働者の党」という大前提が失われてゆく。疎外を深める労働者の支持は、社会民主主義政党から、より戦闘的な共産党やファッショ政党へと移ってゆく。1920年代後半から30年代初めのドイツで起きたのは、まさにこれだった。

私の周囲では、自民党宏池会の保守リベラルの復興や社会民主主義政党の樹立を求める声が良く聞かれるが、現実的にその政治的需要があるのかと言えば、大いに疑問がある。階級和解が夢と化し、自由貿易や自由主義が貧困を加速させている現状で、保守リベラルと社会民主主義にどのような解決策が示せるのか、全く不透明だからだ。
敢えて結論は述べない。
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2016年09月09日

マルキシズムは今も有効か

たまたま同席した政治関係者の飲み会で、「マルキシズムは現代でも有効なイデオロギーたり得るか」という話が上がった。私は同席していただけなのだが、「ソ連帰り」や「左翼」であることを知っている人がおり、「どう思います?」と話を振られてしまった。私は、自分の政治的スタンスを誇示するつもりはないが、隠すつもりもないので、そのまま思うところを述べてみた。

マルキシズムというのは、要は資本主義が発展・爛熟すると、資本の集中が進むと同時に労働者に対する搾取が激化する。だが、ブルジョワ民主主義は資本に奉仕する一方、労働者は搾取され疎外されているという自覚が無いため、富の独占と貧困はさらに加速してゆく。労働者が、資本家の奴隷状態から解放されて真の自由を得るためには、自らが権力を奪取し、その資本と生産手段を社会的に共有する必要がある。その先に初めて、階級対立の無い、自由で自立した人々が協同して生活する社会が成立しうる、という考え方である。

現状の欧米や日本を考えれば、まさにマルクスの主張が正しかった、あるいは正しいと思われる状況が現出していることが分かる。少し長くなるが、過去ログを引用したい。
「格差」を見る場合、個人的には所得よりも保有資産を重視すべきだと考えている。例えば、貯蓄ゼロ世帯の割合を見た場合、2000年には12.4%だったものが、2014年には38.9%へと3倍以上に増えている。ところが、2014年「家計の金融行動に関する世論調査」見ると、2人以上世帯の平均貯蓄額は1182万円と前年比81万円増で過去最高を記録している。これも、金融資産を保有している世帯だけに限ると、中央値は500万円で前年と変わらない数値になっている。
さらに続けると、金融資産を保有している世帯において、金融資産残高が1年前と比較して「増えた」と回答した割合は41.3%、逆に「減少した」と回答した割合は24.5%となっている。これはアベノミクスによる株高による影響が大きいと考えられるが、老後・将来不安に起因する貯蓄衝動の高さも影響している。

他の指標も見てみよう。家計環境が厳しい家庭の小中学生に、学用品や給食代などを援助する「就学援助制度」の支給対象者の割合は、2000年には8.8%だったものが、2012年には15.6%へと増えている。この数字は大阪市に限ると28%にも達しており、子どもがいる家庭の4分の1以上が文具を買えず、給食費も満足に払えない状態にあることを示している。

もっと分かりやすい数字として生活保護受給世帯数がある。2000年に75万世帯だったものが、昨2014年末には161万世帯へと激増している。政府などの説明では、高齢化の進展に伴う無収入高齢層の増加が主要因とされることが多いが、就学援助受給世帯数の増加を考えれば、貧困化が高齢層に限った話でないことは明らかだ。
また現実には、生活保護の捕捉率(生活保護水準以下の人に対して実際に受給している人の割合)は、25%前後と言われている(もっと低い数字もある)。これはつまるところ1千万人近い人が生活保護受給ライン以下の生活を余儀なくされ、700万人近い人が「生活保護受給水準以下の収入しかないけど生活保護を受けないで我慢している」ことを意味する。
米国ではフードスタンプの受給者が5千万人を超したと言われるが、日本もその一方後ろを歩んでいるに過ぎないと言えるだろう。
統計の罠と日本の貧困

20世紀中盤にマルキシズムが影響力を失った大きな原因は、「戦後和解体制」の成立から説明できる。そして、東側ブロックの瓦解と中国の開発独裁化により、資本家が労働者に配慮する必要がなくなり、その本来の姿を露呈し始めている。
戦後和解体制とは、共産主義の脅威に対抗すべく、西側で成立した資本家層と労働者層の協同的体制を指し、資本主義と自由経済を容認しつつ、再分配と社会保障制度の充実を図ることで、労働者層の体制参加(取り込み)を進めるものを指す。これにより、いわゆる「分厚い中間層」が誕生し、消費が拡大することで市場経済が活性化するという経済成長の好サイクルができると同時に、政治的安定が確立した。日本において、社会党の伸張が止まったのは、岸内閣が国民年金と健康保険を創設し、社会党の「やりたいこと」を先に実現してしまったことが大きい。

ところが、ソ連・東欧ブロックが崩壊したことで、戦後和解体制はその意義を失ってしまう。東側陣営の「社会主義」に対抗すべく、労働者層の取り込みを図ってきたが、その政治的意義が失われ、配慮する必要がなくなった。
また、時期を前後して、社会保障の財政負担が急激に増し、慢性的な赤字に悩まされるところとなった。「民主的な選挙」で選ばれる政治エリートは、選挙に勝つために社会保障費の削減を主張できないため、財政赤字は肥大化する一途にある。
さらに経済のグローバル化によって、国内産業の多くが賃金の安い海外に移転、海外市場との低賃金競争が始まって、国内の失業ないしは低賃金が蔓延していった。
結果、戦後和解体制は、政治的意義を失い、財政的に継続困難となり、基盤となる国内産業や労働待遇が切り崩されることで、崩壊しつつある。欧州における「極右」勢力や、アメリカにおける「ポピュリズム」の伸張は、その表れと言える。
日本の場合は、自ら戦後和解体制を築き上げた自民党が、自ら「改革」と称して同体制を解体、国民が意味も理解せずに支持するという形になっている。

他方で、戦後和解体制は、旧植民地・第三世界から資源や労働力を不当に安く買い叩き、高い付加価値を付けて売りつけることで膨大な利潤を得ることによって成立していた。だが、中間国が工業化を遂げ、経済発展したことで、労働賃金や資源価格が相対的に上昇していった。同時に資金供給が常に過剰となり、利息が低下を続け、いまやマイナス金利すら当たり前となっている。そのため、先進国では利潤を上げ続けるためには、国内で労働力や資本を収奪するほかなくなっている。
日本でも、この20年間、実質賃金は低下し続け、非正規雇用の割合は10%から40%に激増、家計貯蓄率に至っては10%以上あったものがマイナスになってしまっている。これは、大衆の多くが借金しないと生活できない状態を示しているが、大学で学ぶ学生の5割が有償の奨学金を得ていることに象徴されよう。
日本社会の将来を占う

現状、日本には年収300万円以下の労働者が2千万人以上いる上、非労働者を含めれば軽く3千万人を超えるはずだが、国政選挙でNK党と社民党が獲得しているのは合算しても600〜700万票に過ぎず、むしろ貧困層がこぞって自民党や維新に投票している節すら見える。
これは主にレーニンが主張した理論になるが、「労働者は自ら階級意識を自覚し得ないため、階級意識と革命理論で武装した前衛党が、大衆を啓蒙し善導してゆく必要がある」ことを裏付けている。
ところが、実際には既存の共産党は自前の労働組合などの既得権益の代表者となってしまっているため、新たに発生した非正規労働者層(本来のプロレタリアート)の支持を獲得できず、むしろ彼らを「既得権益の打破」を主張する「右翼改革党」に追いやってしまっている。フランスの国民戦線、アメリカのトランプ氏、日本の「維新」などがこれに当たる。
同時に「戦後和解体制」を主導した欧州の社会民主主義政党が、大きく勢力を減退させているのも同じ理由から説明できる。

【参考】 ねじれまくるフランス−エリートの退廃

結論を言うと、マルキシズムは「歴史的必然性」などの部分で大いに疑問は残るものの、「資本の集中による大衆の貧困と疎外の拡大」の点で十二分に有効であり、むしろ社会民主主義こそが財政赤字が常態化して階級分化が激化する中で有効な施策を打ち出せなくなりつつある。だが、既存の共産党も、現状の労働者階級の苦難に対して有効な施策も方針も打ち出せておらず、階級意識の啓蒙にも失敗している。つまり、マルキシズムは現在も有効だが、必ずしも共産党がそれを体現しているわけではない、ということである。
また、「階級融和による労働者の漸進的待遇改善」を旨とする社会民主主義は、前提となる階級融和が瓦解し、ゼロ金利に伴って資本による労働搾取が容赦なくなる中、支持を漸減させつつある。労働者階級が徹底的に分断され孤立を深めてゆく中、「労使協調」「階級融和」を主張する社会民主主義者の声は、今後さらに説得力、浸透力を失ってゆくものと推察される。この点でも、社会民主主義からマルキシズムへと左翼内の軸足が移ってゆく可能性は十分にある。私自身、社会民主主義を奉じているのは、「時間の問題かもしれない」と考えているくらいだ。
posted by ケン at 12:59| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

生前退位問題の難しさについて

【典範改正の是非焦点に=生前退位に慎重論も―政府】
 天皇陛下が生前退位の意向を示されたことを受け、政府内では今後、皇室制度を定めた皇室典範改正の是非が焦点となりそうだ。現行制度には、天皇の退位に関する規定がないためだが、改正には慎重論も多いという。政府は、国民的な議論の高まりなどを見極めつつ、丁寧に対応する考えだ。皇室典範は、皇位継承について「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が、直ちに即位する」などと規定しているが、退位に関する規定はない。政府関係者は13日、「生前退位というのは現行制度に規定されていない。皇室典範の改正が必要になる」と指摘した。実際に皇室典範を改正する場合は、通常の法改正と同様に、政府が改正案を作成し、国会で審議することになる。陛下の意向を踏まえ、政府は既に、内閣官房を中心に水面下で検討に着手。同時に、公務の負担軽減の在り方についても研究し、安倍晋三首相に報告されているという。
 制度改正をめぐっては、他にも検討すべき課題が多い。内閣法制局OBは「退位後の役割や尊称、時期などを議論する必要がある。元号も変わることになる」などと説明。「国民世論がどう動いていくかが重要だろう」とも語った。一方、別の政府関係者は「皇位の安定性という観点から、改正の是非は慎重に検討しないといけない」と指摘している。皇室典範には、天皇が「身体の重患」などで公務を続けられない場合、「摂政を置く」としており、この仕組みを活用すれば改正は不要との見方を示した。 
(7月13日、時事通信)

近年では、ローマ教皇やオランダ女王が退位しており、帝の年齢と健康を考えれば、在位していること自体が人道的問題とすら言える状況にある。高齢化が著しい現代にあっては、高確率で発生する問題であり、人道的には当然だ。

とはいえ、明治憲法の制定時に生前退位について規定しなかったのにはワケがある。生前退位を許すと、皇位継承問題が拡大するリスクが高いためだ。1つは、本人の意向で「もう辞めた」と自主的に退位してしまう可能性、2つめは第三者が介在して本人の意思に反して退位を強要される可能性である。

前者は、「王冠を賭けた恋」で知られるエドワード8世のケース(在位324日)が象徴的だが、平安期の後白河帝のように退位後も34年に渡って「院政」を敷いたケースもあり、自主的退位でも様々なケースが想定される。

後者のケースは山ほどあるが、今日においても孝明帝の死には暗殺の容疑がつきまとうし、昭和期にあってすら、第二次世界大戦末期には昭和帝を退位させて、傀儡帝を擁立して「聖戦貫徹」を実現しようという謀略があったことに象徴されるように、政治目的の陰謀に利用される恐れがある。

その一方で、戦後のGHQ改革によって皇族が大幅に縮小された結果、「血筋のプール」が極小になってしまった。
現在の天皇家は皇家と四宮家から構成されている。この5家のうち男子がいるのは秋篠宮家だけで、それも1人のみだ。現在の皇室典範は養子を禁止すると同時に、女子が皇族以外と結婚した場合は皇室から除籍すると規定しているため、今後も男子が誕生しない場合、皇家と三宮家は遠からず絶家となる。
生前退位が認められるとしても、皇室そのものの存続が危うくなっていることに変わりは無い。
現在の皇統存続の危機は、戦後改革によって14家あった宮家のうち11家が皇籍離脱処分となったことにある。その結果、1954年の高円宮憲仁親王(2002年に逝去)の誕生から2006年の秋篠宮悠仁親王の誕生まで50年以上にわたって男子の誕生が途絶えている。冒頭にも挙げたように、皇家と四宮家のうち男子がいるのは秋篠宮家だけで、しかも1人で、養子が認められない現行法では残り四家は遠からず断絶することになる。仮に悠仁親王が皇位を継いだとしても、その存続は絶望的な状況にあると言える。
宮家が廃絶された理由は、戦後の財政難と民主化、つまり華族制度の廃止にあるが、それは強大な皇族が貴族特権を有することはデモクラシーの原理に反するという考え方に基づいている。
だが、皇統の存続を第一に考えるならば、可能な限り多くの宮家を置いて、後継者プールを大きくすることに主眼を置くべきなのだが、近代あるいはデモクラシーの原理とどうしても背反してしまう。
皇統存続と近代原理の無理) 

今上帝が生前退位を求める背景については、様々な憶測が流れているが、その1つは、

「安倍政権が皇室典範を改定して、悠仁親王への将来的継承を理由に、極右思想の持ち主である文仁親王への皇位継承を図るのではないか、という危惧」

にあるという。さすがにこれは、陰謀論の一歩手前くらいの話だとは思うのだが、今上帝と徳仁親王がそれくらいの危機感を抱いてもおかしくないとは思われる。
現実的には、実際の健康上の問題と、昭和帝崩御の際の「自粛騒動」と東京五輪等の開催を考えて、混乱を最小限にしたいということなのだろうと推察される。

また、本件を宮内庁が必死になって否定しているということは、以前より帝が意思表示されていたのを、ずっと無視し続けていたため、同情した同庁の職員が漏洩した可能性が高い。これも「天皇の言うことを聞かない右翼」の流れであり、日本における天皇制の本質を示している。

【参考】
皇統存続と近代原理の無理 
皇族も立憲体制に危機感?‐備忘録的に 
皇室の政治利用に向けた大きな一歩 
天皇の言うことを聞かない右翼 
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

参院選が盛り上がらないワケ

子どもが進学するし、親が要介護になってお金が足りない、近隣の治安も悪くなってきたしなどと言っている割に、「アベさんが給料増やしてくれるから大丈夫」とか「学生ローン借りるから大丈夫」とか言っている人を信用できますか、というのが今回の選挙のキモだのはず。
だが、実際にはみんな「増税先送りされたから、もうどうでもいいや」と思っているようで、選挙も全然盛り上がっていない。

最大の要因は、やはり安倍総理が先手を打って「増税先送り」を宣言し、これに同調するマスゴミはその意味するところ(アベノミクスの失敗と財政破綻の先送り)を説明せず、国民の多くが「よっしゃ、よっしゃ」となってしまっていることにあるだろう。
増税先送りの財源について、政権側は「税収の増収分で賄える」と説明したのに対し、民進党は「(赤字)国債で賄う」と返している。だが、税収増は好景気の証明でもあるはずなのに、不景気を理由に増税を先送りにするという説明は、論理が破綻しているにもかかわらず、マスゴミはそこを追及しない。自民党の主張は、まさに「朝三暮四」そのものだが、諸手を挙げて歓迎する国民があって成立している。
もっとも、一方の民進党も「若年層対策を重視」などと言っている割に、国債を発行して後世にツケを回そうとしており、どちらも不誠実極まりない。
そして、自民党は巧妙に争点を設定せず、マスゴミも選挙の争点には触れないため、何を問う選挙なのか、有権者の間に全く広まっていない。私も何度か電話掛けに従事したが、「あぁ選挙やっているんですね」くらいの反応が非常に多く、「これは厳しいな」と感じている。

安倍政権と自民党が「国民に政治に関心を持たせない」戦略を採って、成果を挙げているのに対し、投票率を上げないと勝ち目の無い野党側は宣伝に失敗している。「民共合作」の影響もあって、民進党が「改憲反対」「反戦平和」を自らの争点にしてしまった結果、大衆の関心と遊離してしまっているところが大きい。どの世論調査を見ても、有権者の関心が最も高いのは、「景気対策」「雇用」「福祉」であり、憲法や安全保障、あるいはエネルギー政策は五指にすら入らない。
私はかねてより、「党の主張は労働政策と貧困対策を主軸にせよ!」と訴えてきたが、故あってのことだった。民主党が、2007年と09年の選挙に大勝したのは、「コンクリートから人へ」「農村・地域社会重視」が、自公政権への対抗軸として認められたからだった。

・若年層対策は労働政策で 

年寄りや「意識高い」系の人々は、ついつい「自由と民主主義を守れ」という主張に走ってしまいがちだが、政治的エリートが陥りやすい陥穽である。現行の憲法と民主主義体制が、貧困を蔓延させたまま放置して、中間層の没落と低所得層の拡大を促進しているにもかかわらず、「自由と民主主義を守れ」と唱えてみたところで、ロシア革命時の立憲君主派(カデット)くらいの扱いしかされないのは当然だろう。
自国の歴史を見ても、昭和前期の社会主義政党間の競争は、反戦平和を唱えた日本無産党ではなく、軍拡と労働福祉政策を唱えた社会大衆党の勝利に終わっている。
今の日本を見た場合、自民党と霞ヶ関は、自由経済を維持しつつ、民主主義を否定して権威主義化することで、社会保障を切り捨てて危機を乗り越えようという選択肢を示している(明言しないところがタチが悪い)。これに対して野党は、「自由と民主主義を守れ!」で合同・協力を図ろうとしているわけだが、これは米国のヒラリー氏やソ連共産党保守派の主張と同じ文脈のものでしかなく、現状の諸課題への対応策にはなり得ない。一定の既得権益層には訴求力があるとしても、既得権益から外れた貧困層には「エリートのボヤキ」程度にしか聞こえないだろう。こうした状況は、歴史的に見た場合、昭和期の社会主義政党の中で「反戦平和」を訴えた日本無産党が支持を得ず、「広義国防」を訴えた社会大衆党が競争に勝ったケースが傍証となる。
そう考えると、民主主義の破棄を進める自民党・霞ヶ関への対案は、「自由と民主主義を守れ」ではなく、「自由経済・自由貿易の否定」から「統制経済の部分的導入による社会保障制度の維持」という主張になることがイメージされる。だが、貧困が急速に進んだ場合、デモクラシーそのものが支持されず、機能不全に陥る可能性が高く、その場合、国家社会主義路線の復活を考慮する必要がある。私も5年後や10年後には、国家社会主義者に変身しているかもしれない。かつての浅沼先輩のように(爆)
自由民主主義の終焉

現時点で「戦争反対」と言ってみたところで、実際に戦場に行くのは志願した自衛官でしかなく、「自分が徴兵されて戦場に送られる」という危機感は殆ど共有されていない。仮に徴兵制が敷かれていたとしても、例えば日華事変が始まった時点での徴兵率(徴兵検査を受けて召集される人の割合)は20%に満たず、現実には昭和前期の人ですら「自分が戦場に送られる」危機感は薄かったという。この感覚が、1937年の総選挙の結果、日無党の敗北に繋がったことは言うまでも無い。
確かに、今後はいわゆる「経済徴兵」の傾向が強まって、貧困層の自衛隊入隊が加速する可能性は否めないものの、それですら少なくとも形式上は「志願」であり、「戦争に行かない自由」は担保され続けるだろう。しかも、経済徴兵される貧困層からすれば、「戦争反対」の主張は、「オレの唯一の機会をも奪うのか」という反発を覚えるに違いなく、エリートが「良かれ」と思う主張が、必ずしも彼らと共有できるとは限らない。
貧困と侵略の関係は現代にも適用できる。現在の日本で排外主義やタカ派的主張が増えている背景には、1990年代から増え続け、2000年代に顕在化した貧困や中間層の没落といった要素がある。不安定な非正規雇用は全雇用者の38%を超え、その平均年収は170万円に満たない。テクノロジーの進化はますます正規雇用や常勤職を不要にする。市場の要求に従う限り、「低賃金の時限雇用」の需要は一定数維持されるかもしれないが、常勤の正規雇用の需要は今後低下の一途を辿ると見られる。不安定な非正規雇用層の増加は、国内需要の低下に直結する。日本は所得再分配機能が小さく、教育費の私費負担が大きいことから、今後貧困層の再生産と少子化を加速させてゆく公算が高い。政府や政権党としても、国内の不満を国外に向けようとするだろう。実際、現在の安倍政権が対中、対韓強硬外交に走って、一部から熱烈な支持を受けているが、その傾向が加速されてゆく可能性を考慮しておく必要がある。
現状で貧困層が拡大しているにもかかわらず、不満が爆発して国内テロや侵略主義が蔓延しないのは、団塊世代が若年の貧困層を支えていることと、デフレによって生活費が比較的安価に抑えられていたためだが、団塊世代の高齢化と円安による物価上昇によってその効果は遠からず解消されると見て良い。その時に、貧困層の不満を吸収すべき左派勢力が脆弱な日本は、急速に右傾化、侵略国家化してゆく可能性が高い。
貧困と侵略−熱狂へ向かう日本

私の主張は党内あるいは左派内で完全に孤立しているが、どちらが正しいかは選挙の結果が明らかにしてくれるであろう。
なお、志願制・経済徴兵に伴うデモクラシーの危機については別途論じたい。
posted by ケン at 12:21| Comment(5) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする