2015年08月02日

軍人に結社権を付与するフランス

【フランス、軍人に制限付きで「結社の権利」付与へ】
 軍隊における結社の権利を全面的に禁止してきた仏政府は19日、欧州人権裁判所の人権違反裁定を受け、同国の軍人に結社の権利を与える方針を示した。しかしストライキの権利などは引き続き認めない方針。フランスの軍人は現在、職業的団体への加入が全面的に禁止されており、職業に関する懸念を表明したり、自らの利益を守ったりするための場を持たない。
欧州人権裁判所は今年10月、「軍人の結社の自由を制限するのは合法だが、労組の結成あるいは労組への加入の全面的な禁止は結社の自由の本質部分の侵害に当たる」と裁定した。仏大統領府の声明によると、フランソワ・オランド大統領はこの裁定に上訴しないことを決断し、国防相と内相に、仏軍人に制限付きで職業的団体に加入する権利を与える法案の作成を命じた。
(AFP、2014.12.21)

少し古い記事だが、いくつか重要な点があるので指摘しておきたい。
まず欧州では、軍人の労働者性が認められて労働基本権が認められる傾向にあるということ。例えばドイツでは軍人法第6条で労働団結権が認められているほか、官僚はもちろんのこと裁判官にまで団結権が認められている。これは、団結の自由が天賦の基本的人権に属するものであり、民主的社会において何よりも優先されるという考え方に基づいている。
他方、日本では警察、消防、海保、自衛隊などについては労働三権が認められていないが、その理由として命令系統や組織秩序の維持などが挙げられている。これは公共的暴力装置の組織管理は、市民個人の基本的人権に勝るという発想の表れであり、権威主義の遺物と言えよう。ちなみにドイツ連邦軍でも、海外派兵や戦闘任務中の組合活動は禁じられているようだ。
労働組合の結成と加入が認められているドイツ連邦軍の秩序やモラルが、自衛隊に劣るという話やデータに接したことは一度も無い。「労働組合を認めると組織が弱くなる」などという発想は、「学問すると戦闘力が下がる」という中世武士のそれと同レベルのものだ。逆に民主的社会に基本権を付与しない例外を作ることは、デモクラシー存続に対する危機を深めるものでしかない。日本の場合、皇室を始め基本的人権を認めない例外対象が多すぎることが、デモクラシーの成熟を阻害していると言えよう。

第二は、上級裁判所が機能している点。日本では、裁判所が違憲立法審査を行う建前になっているが、訴訟者の利益を阻害するなどの要件がそろわないとそもそも取り上げられず、しかも裁判所は違憲立法審査を本務としているわけではないため、可能な限り憲法判断を回避して訴訟者の利益を回復して終わらせようとする傾向が強い。その結果、憲法判断が下されるケースは非常に稀で、まして違憲判断が下されることはほぼ無いという、権威主義状態(三権分立の否定)に陥っている。
上の記事の例は、日本にも独立した違憲立法審査機関や人権裁判所を設置することが、自由と民主主義を担保し、権威主義を排除する有効な手段であることを示している。

第三は、行政側の司法判決に対する態度である。日本の場合、水俣だろうが肝炎だろうが、政府側に不利な判決が下ると必ず上訴する傾向があり、結果的には被害者を増やして行政が敗訴、政府側に課される賠償金が増えるということが頻発しており、双方にとって有害かつ政府不信を高める結果になっている。この背景には、霞ヶ関に国家無謬論・権威主義が蔓延して絶対に過ちを認めないことがあり、これを克服する必要がある。また、小泉氏がハンセン病訴訟において政府の上訴方針を覆して判決を受け入れたことは、政治主導による可能性を示唆している。逆に民主党政権で続々と上訴したことは、民主党政権の信頼を低下させる一因となった。司法に従属する必要は無いが、誰の視点に立って行政を執り行うのかが問われている。

これらの全ては、欧州においてデモクラシーが常に深化させ続けるべき価値観であると解釈されているのに対して、日本においては自国が世界最高の民主主義国であるという勘違いが横行していることの差異を示しているものと思われる。
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2015年07月24日

国と保守派が君が代を強制するワケ・下

前回の続き)
敗戦まで日本国民が比較的おとなしかったのは、帝国主義政策による領土拡張(独占市場の確保)が順調に進み、植民地支配によって安価な主食と労働力を確保してきたためだった。ところが、日中戦争でそれが頓挫すると、戦争遂行に対する訴求力がなくなり、急にそれまで否定してきた労働者の権利保護を始めとする社会主義的政策を導入していった。日本で最も社会保障政策が充実したのが大戦期だったことは、超遅まきながらも支配層が「天皇のために死ね!」と言うだけの明治帝政の原理が成り立たなくなりつつあったことを認めるものだった。
そして敗戦を迎える。今日では「聖断」に至る過程は美談と解されているが、沖縄戦と原爆二発とソ連参戦を経てなお、国体(天皇主権)護持を条件にポツダム宣言(休戦条件)を受諾したことは、厳しく評価されるべきだろう。

もともと全体主義的な独裁制(天皇主権)を規定した大日本帝国憲法が、ポツダム宣言の受諾という外的要因のみをもって、主権者が天皇から国民に移動した。古代神の末裔であることを支配の正統性とし、その天皇を崇め奉る感動をもって国民団結と国家統合の原理としてきたものが、敗戦を期に、自立した全市民が参加する国民国家へと変貌を遂げることになった。
しかも、そこに至る期間は非常に短く、わずか1年、議論の実質は約半年しかないという突貫作業をもって、恐らくはデモクラシーの何たるかも良く分かっていない国会議員と官僚が、ポツダム宣言(休戦条約)の履行をするために日本国憲法をつくっていったのである。この憲法改正によって、天皇は国家の主権者にして、限りなく全能的な地位を失い、主権者は日本国民となった上に、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされた。

連合国は、天皇主権こそ認めずに主権在民を要求、日本側は難色を示して「国民主権」に落ち着くが、それ以上に日本側は天皇の地位存続に固執、完全武装解除(非武装、憲法9条)と引き替えに象徴天皇制(憲法1〜8条)が認められた。
新憲法は自由と民主主義、そして平和主義を奉じることを宣言し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としているものの、それが何故天皇に象徴されなければならないのか、まったく説明がなされていない。しかも、自由にしても民主主義にしても平和主義にしても、全て戦前期には存在しなかったものであり、国民に価値観を浸透させるためには相当の自覚と努力(教育)が不可欠だったはずだが、戦後の教育制度の中にデモクラシーの成員を育てるという理念が組み込まれた形跡を見つけるのは難しい。また、デモクラシーの観点からすると、主権付与の対価とされるべき義務兵役がなく、戦時中に施行された源泉徴収制度によって納税者意識が育たなかったことも、主権者としての意識の成長を阻害したと考えられる。

同時に、占領期に進められた民主的改革の相当部分が、占領解除に伴う戦犯・公職追放者の復帰に伴う鳩山・岸内閣によって反故にされ、権威主義体制への復帰が試みられたものの、敗戦から間もない国民の反発は強く、憲法改正には至らず挫折した。
この時の岸信介の構想は、国民健康保険と国民年金という社会保障の対価として、再軍備と義務兵役の復活を国民に認めさせ、対外的には日米の関係をより対等なものにして、「五大強国」の一角を占めた帝国期の栄光を再興するというものだった。しかし、戦犯上がりで右翼やCIAとの関係が取りざたされ、常にダーティーなイメージが付きまとう岸に対する風当たりは非常に強く、自民党内ですらまとまらなかった。
最終的に岸内閣は日米安保を改定して退陣するが、「後世の歴史家」の視点からすると、健保と年金と改正安保という「良いとこ取り」をして国民は岸を捨てたと見ることも可能であり、この怨念が娘を通じて現在の安倍首相に継承されていったようだ。言い直せば、安倍一派の主張は「貴様ら国民は天皇陛下から主権を奪った上に、岸先生にもらった健康保険と年金という恩寵を今まで享受してきたんだから、今度は貴様らが国家に奉仕し、その栄光再建に積極的に貢献すべきである」ということなのだろう。
だが、岸路線が否定されると、自民党は吉田路線に復帰する。この2つの潮流を整理すると、

吉田路線:戦後民主主義の肯定、軽武装、非権威主義
岸路線 :戦後民主主義の否定、重武装、権威主義


という感じになる。中曽根内閣期に多少岸寄りになったものの、自民党は90年代に至るまで基本的に吉田路線を継承していたことが分かる。国旗国歌法が成立したのは1999年で、何をかを象徴していた。
1990年代の大きなメルクマールは、いわゆる「バブル崩壊」と「政治改革の失敗」だった。バブル崩壊とそれに伴う銀行救済のための財政出動により財政赤字が急増、同時に少子高齢化の急進により保険財政も急速に悪化する。
ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べられている。戦後民主主義を支え、一党支配の正統性を担保してきた高度成長がストップし、デモクラシーを危機に導いていった。
そして、政治改革の失敗により、戦後から80年代まで日本政治を牽引したエリート支配に終止符が打たれ、小選挙区制の導入に伴い、ヤンキー(反知性主義)が優位に立っていった。この流れについては後日改めて検証したい。

日本ではデモクラシーが休戦条件として導入されたものであるだけに、民主主義の社会的基盤が非常に脆弱であり、公教育においても「民主主義とは何ぞや」が教えられないため、日本の有権者は民主的共同体の一員であるという自覚が無く、選挙についても「支配者の信任投票」程度にしか捉えていない。国政選挙の投票率が半分しかないことがそれを示している。
憲法は自由、民主主義、平和主義を奉じることを宣言したものの、霞ヶ関の権威主義者たちが教育宣伝を怠ったため、国民統合の原理として国民的合意を得るには至っていない。本来であれば、国民統合の原理や国が掲げる理想を、国旗と国歌に体現すべきであったが、日の丸と君が代が継承されたことは、権威主義体制への復帰する根を残す形となった。

それでも、戦後自民党の吉田路線が支持され、国民的統合(統治)が上手くいっていたのは、健康保険と年金に代表される社会保障制度が整備され、経済成長が順調に進み、概ね貧困が淘汰されたためだった。
ところが、バブル崩壊を経て経済成長が止まり、経済格差が拡大、少子高齢化に伴い社会保障の切り下げが不可欠になってくると、吉田路線による国民統治が困難になり、自民党による一党支配の正統性の根拠が失われていった。実際、自民党支配が崩れたのは、バブル崩壊後とリーマンショック後に限られている。

自民党としては、一党支配を継続するために、経済成長と社会保障に替わる国民統合の原理が必要となった。福祉国家モデルに替わる新たな国家像が求められたのである。安倍一派や橋下一派を始めとする右派に共通する主張は、

「社会保障は切り下げます、貧困は放置します、戦争もやります、でも自分の面倒は自分で見てください、私たちは同じ国民ですから文句は言わないでください、天皇陛下とともに生きられるだけでも感謝してください」

というもので、国民統合の象徴として日の丸と君が代を掲げたのだろう。80年代までは強制せずとも国民統合が実現していたが、90年代に入り、貧困化を背景とする社会的不満が高まるにつれて国歌と国旗の強制を強めていったと考えれば自然だ。
2004年の園遊会において、参列した東京都教育委員から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言われた平成帝は、「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と返している。これは、自らの失政の責任を無答責の天皇に負わせて免罪を図ろうという、自民党・右派の邪心を看破したからこそのものと見て良い。

さらに言えば、アメリカの勢力衰退によりアジアからの米軍撤退が取り沙汰されるようになり、それを少しでも遅らせると同時に、自衛隊の海外展開機能を高めるために、自衛隊による対米協力と海外派兵を強化させる必要が生じた。だが、武力行使と軍事力保持を否定する憲法を持ち、数十年に渡って吉田軽武装路線を支持してきた日本国民に対して、「俺が変わったんじゃねぇ、国際情勢が変化したんだから、自由に武力行使できるようにならないと生き残れない」と説明したところで合意を得るのは容易でないだろう。この点でも、「天皇陛下の下でともに生きる国民なんだから、国がやることにケチ付けるなよ」という意味で、国旗国歌を強制するほかなかったのではなかろうか。

「パンピーは君が代歌って黙ってろや、俺らがやることにケチつけるな!」

としか言えない日本の右翼はすでに死に体にあるが、福祉国家や日米同盟に替わるオルタナティブを打ち出せない左翼もまた深刻なのだ。これでは遠くない将来、革命が起きるかもしれない。

【参考】
自民党支配の正統性とデモクラシーの危機 
仮説:公職追放を考える 
皇統存続と近代原理の無理 
・天皇の言うことを聞かない右翼 
歪なる保守主義 
保守・反動教育の無理 
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2015年07月23日

国と保守派が君が代を強制するワケ・上

片山杜秀先輩に触発されたので私なりの考えも述べておきたい。
いわゆる「国旗国歌法」が制定されたのは1999年のことだが、学校教育の現場で君が代と日の丸が強制あるいは推奨されるようになったのは90年代に入ってからのことで、先鋭化してきたのは90年代後半のことだった。国旗国歌法の審議に際して、政府は繰り返し「国旗国歌が制定されたからと言って強制することは無い」旨を答弁してきたが、現実には教育現場での強制が進み、ほぼ100%近くなっているようだ。その背景には、国旗国歌に冠する職務命令をめぐる裁判の多くが、反対派(思想の自由に反する)の敗訴に終わっていることがある。つまり、政府(行政)と政党(立法)と司法が一体となって国旗国歌の強制を進めている構図なのだが、なぜ国旗国歌に固執するのかという疑問がある。

まず国旗と国歌は前近代には存在せず、近代国民国家の形成とともに誕生している。中世から近世に至る国の場合、王家の紋章を旗印にすることはあっても、国旗は存在しない。敢えて言えば、中世の独立都市で採用された旗や紋章が原点と言えるかもしれない。日本の江戸時代も徳川家の紋や皇室の紋はあっても、国旗は存在せず、外国と通商するに際して識別用に日章旗が使われるようになっていった経緯がある。
中世の統治構造は、国王と貴族(あるいは教会)による連合体で、国王は貴族の代表・利害調整者という態で、人民はその従属物あるいは付随するものでしかなかった。従って、国家主権は国王が占有するか、国王と貴族が共有しており、国土防衛の責務は一義的に国王が担った。国王はその責務を果たすために徴税し、兵を動員するわけだが、人民はあくまでも収奪されるだけの存在だったが、逆を言えばただ直属の貴族や国王に従っていれば良かった。つまり、国王は自らの責務を果たすために自分で税を取り、兵を雇い、戦争するのであるから、掲げるのが王家の紋章であるのは当然のことだった。

より正確を期すならば、国防の義務は国王に帰せられるが、貴族は国防の義務を負わず、貴族は国王から領地保全を保障される対価として軍の動員に応じているに過ぎなかった(御恩と奉公)。これは、基本的に日本も同じで、国防の義務は征夷大将軍である徳川家が一手に負っていただけで、諸大名は徳川家が領地保障する対価として徳川家の軍事要請に応じるという関係にあった。故に、国防義務が十分に果たせず、領地保障機能に疑問符が付けられるようになると、長州戦争時のように動員要請を婉曲に断る大名が続出したのである。

ところが、近代国民国家は全く異なる原理の上に成り立っている。王政を否定して成立したフランス革命政府は、社会契約の概念に則って、全市民に主権を分与する対価として、それまで国王が負ってきた国防の義務を市民に課した。主権を担うということは、国政の責任を引き受けることを意味する。従来であれば、政治的失敗の責任は全て国王一人に帰せておけば良かったものを市民一人一人が自分で負うことになった。今日、日本を筆頭に、民主主義国における統治が機能不全を起こしつつあるのは、「市民一人一人が政治的責任を負う」という理想と現実の乖離が広がってきていることが大きい。

近代以前は「王様に言われたから」村として税を納め、村のロクデナシを兵士として供出してきたわけだが、近代以降は個々人に課された義務として税を納め、兵卒になることが要求されるようになった。だが、「今日から貴様は主権者の一人だから納税と兵役は義務である」と言われて、「はい、そうですか」と答えるものはまずいないだろう。そこで「全ての市民は共同体を同じくする一員であり、我々が共有する共同体(の理想)はこういうものである」というイメージ(幻想)が必要となった。アメリカ独立戦争やフランス革命、あるいはロシア革命を見れば分かるとおり、近代国家の設立と同時に旧体制の支持者が外国結託して体制打倒を試みており、「市民的義務」の概念をどれだけ普及させ、動員と納税に応じさせるかが最重要課題となった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」第3番の歌詞はあまりにも象徴的だ(ちなみに私の母校の副校歌でもあった)。
何と! 外国の軍勢が  我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と! 金目当ての傭兵の集団が  我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと! おお神よ! 両手は鎖で縛られ
頚木をはめられた我らが頭を垂れる 下劣なる暴君どもが
我らの運命の支配者になるなどありえない!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう!
汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!

フランス革命の場合は、国歌で市民の危機意識を煽りつつ、国旗で自らの理想を表明した。有名なフランスの三色旗(青白赤)は、本来はブルボン王家を意味する白と、パリ市民の青と赤が並んで1つの共同体をなすものだったが、ルイ16世が死刑になり王政が廃止されると、「自由、平等、博愛」へと置き換えられ、今日に至っている。「共和国の原理と理念を守るためにはファシズム(あるいはイスラム)と戦わなければならない」という政府の主張が、現代においても左右双方に受容されるのは、国民の間で共有されているからに他ならない。

【参考】 三色旗が意味するもの 

フランスに比して、日本の近代国家の成り立ちと市民意識の醸成は非常に遅れた。まず、明治維新は「革命=統治機構の否定」ではなく、「維新=政変・政権交代」という見解が採られた。江戸期までの日本の統治システムは、天皇が有する軍事外交権を征夷大将軍に委託、内政については諸侯が自治権を持ちつつ、幕府が総覧するイメージだった。その自治権についても、本来は律令制や班田収授法を見れば分かるとおり、天皇がその権限や王土の一部を委任したものであって、維新(王政復古)の成立と同時に全ての権利と権限は、天照大神を皇祖とする古代神の子孫である天皇に帰せられるというのが、明治帝政の根幹理念だった。
ところが、これでは中世から古代への「反動」ということになってしまうため、主権は天皇一人に帰属するが、実際の行使は臣下が代行する形が採られた。結果、日本国民は主権が認められないまま、納税と兵役の義務が課されてしまった。「代表無くして課税無し」は米国独立運動の標語だったが、日本は逆を行ったのであり、その反動として自由民権運動と国会開設運動が起きた。
そして、人民に主権を認めないまま、納税と兵役の義務を課すための共同体幻想として「大日本帝国」が提起され、それを象徴するものとして日章旗と君が代が見いだされた。天皇は太陽神の子孫という設定であり、日章旗は皇祖である太陽をあしらっている。世界の国歌の大半が、国の成り立ちや大切にする価値観を謳い、それを守るために国民の一致団結が必要であるとするものであるのに対して、君が代は「今上帝の世が永遠に続きますように」と祈願するだけの呪歌だった。

つまり、フランスやアメリカなどの近代国家が、国旗や国歌に理想を謳ったのは、人民主権者に対して理想を保障しつつ、その対価として納税と兵役の義務を求めるためだった。ところが、明治日本の場合、国は人民に何も保障することなく、納税と兵役を始め天皇に対する一方的忠義のみを求めていた。しかも、帝国憲法下では、主権は天皇にあったが、実権は臣下が代行し、代行者は天皇に対して責任を負うものの、天皇は完全免責という仕組みであったため、為政者(実際の支配者)にとってこれほど「楽(無責任)」な統治システムは古今東西なかったのではなかろうか。
明治帝政は、自らの欠陥によって全面戦争を起こし、自壊していった。だが、国土が灰燼に帰し、全世界を敵に回し、敵による本土上陸が近い中にあっても、日本政府が「一億総玉砕」を呼号しつつ、「国体=天皇主権」を唯一の(一方的)条件としてポツダム宣言を受諾したことは、当時の支配層にとって何が重要だったのかを物語っている。
フランスやアメリカで戦死した者は「共和国(合衆国)市民の義務を果たしてその理念に殉じた」と扱われるが、日本で戦死した者は「帝国臣民としての義務を果たして国家(天皇)に殉じた」と扱われる。前者の場合、戦死者は市民間で共有される理念を守るために死に、その代償として政府は市民に基本的価値を保障する義務を有する。だが日本の場合、戦死者は国家もしくは天皇を守るために死ぬわけだが、国や天皇に保障すべき基本的価値はなく、いかなる義務も有さなかった。
以下続く
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2015年07月09日

都解体構想を全面支持!

いや、持つべきはイデオロギーの異なる友人である。彼に言わせると、東京がオリンピックに熱狂するのは、巨大な権力と巨額の予算を有するからで、そもそもオリンピックを開くだけの権限と予算が無ければ、「やろう」という話にすらならない、ということだった。
具体的に言えば、東京都の予算は約13兆円(特別会計を含む)で、これはスウェーデン、インドネシア、イランなどの中規模国の国家予算に相当する。原発を有するような中規模国に匹敵する予算を、一都市で賄っているのが東京であり、金と権限が集中すればそこに腐敗が凝縮するのは避けられない。

オリンピックを強行した結果、インフラ整備が都心部に集中、本来インフラ整備が遅れがちな多摩地方のインフラ整備が先送りされている。また、治安強化が謳われることで、警視庁が焼け太りし、警官の増員はおろか、「テロ・組織犯罪対策」としてメールやSNSの監視システムを整備しつつある。情報を真っ先に入手できる都議会議員は、都心部のマンションを買いあさって転売、ボロ儲けして高級車を乗り回してふんぞり返っている始末だ。

対する都民はオリンピックという名のサーカスに酔いしれて、自分たちの自由権と財産権が侵害されていることに誰も気づいていない。言うなれば「パンとサーカス」あるいは「リヴァイアサン」である。前者は、愚民化政策を指す世界最古の言葉で、無償の食糧と見世物を与えておけば、市民は政治に対する関心を失い、ローマ皇帝と貴族に盲目的に従うだろう、というもの。後者は、ホッブズの著作名で、本来は国家(共同体)そのものを指す表現だが、市民の主権者意識が失われると、固有の自然権も放棄させられて、国家に集約されて制御不能な巨大権力と化してしまう寓意でもある。
つまり、オリンピックに目がくらんだ東京都民は、自らの税金が際限なく祭典につぎ込まれ、いつの間にか自身が治安当局の監視対象にされていることすら気づかないうちに、東京都政府は制御不能な巨大権力と化してしまっているのだ。
東京オリンピックの問題点についての過去ログを再掲しておくので、参考にして欲しい。
東京都は直接的な経済波及効果を約3兆円と試算しているが(需要増で1兆2千億円)、民間では最大150兆円規模との見方もあり、相当に幅のある数字になっている。
東京都の数値に従って見てゆくと、国立競技場を5万4千人規模の開閉式屋根付きに建て替えるだけで1300億円が見込まれており、水泳の会場となる「アクアティクスセンター」(2万席)などの大規模施設が並んで合計4750億円となっている。さらに関連のサービス業で6500億円、小売業で2800億円、保険業で1200億円などが連なる。
民間の試算では、「観光業が倍増」とか「安倍政権の国土強靭化計画で55兆円」などが加えられて「経済波及効果」として100兆円を上回るものがある。
対して東京都は「コンパクト」を売りにしているものの、予算として80億ドル(8千億円)を計上しており、うちプール金が4千億円であることから、今後さらに4千億円の新規予算支出が求められる。
つまり、「8千億円の予算支出で3兆円の経済効果」こそが東京都官僚と推進派政治家の本音ということになるが、言うまでもなく8千億円は都民が納めた税金であり、経済効果は官僚の試算に過ぎない上に特定の業者に偏るだろうと考えられる。実質的な需要増で言えば、4千億円の増加でしかなく、たとえ試算上といえどもリスクの大きい賭けではなかろうか。
オリンピックは儲かるか?」 

今回の東京オリンピックは国内の世論調査でも「賛成5割、反対2割」といった具合で招致活動の盛り上がりが今一つで、東京都が37億円も費やすことで何とか維持してきたが、それでも自信がなかったため、皇族を大量投入することで国家の権威を示さざるを得なかった。それは、開催の名目や大義名分が曖昧で、税収の2倍の予算を組んでいる極度の財政難と原発事故が未収束という背景がありながら、「お祭り」に4千億円も大盤振る舞いすることに十分な説明が与えられなかったためだ。
言うなれば、夕張市やデトロイト市が巨大な花火大会を開催するような話であり、「これは基金として別枠の予算ですから」と言ったところで、納得できないのは納税者として当然だろう。

他方、1964年の東京オリンピックは、第二次世界大戦で日本が全世界50カ国以上(連合国、後の国連)と戦争を行い敗戦に至ったことから国際復帰するという象徴的意味があった上に、非白人種の国における初めての開催という大義名分があった。また、国内的には焦土と化した敗戦からの復興という意味合いがあり、それを理由にしたインフラ整備も正当化され、実際に支持されていた。

オリンピック開催が決まったことで、首都高や上下水道など老朽化したインフラや地震での崩落が予想される体育館やプールなどの全面改修が急務となるが、それらを理由に巨額の予算が組まれ、またぞろ不要不急の建造物が大量に増築されることになりそうだ。終了後には無用のインフラと巨額の赤字が残るだろう。4千億円のプールがあるだけに、帳面上は負債にはならないかもしれないが、その維持費だけでも重くのしかかってくる。
東京オリンピックを消極的に評価する

制御不能な巨大権力と化してしまった東京都は、分割することでのみ、都民の自然権と主権を回復することが出来る、というのが友人の主張である。具体的には、東京都を四分割、つまり23区を東北西に三分して三つの県にし、プラス「多摩県」に分ける。そうすれば、分割された県は、予算規模において千葉や埼玉と同レベルになると想定され、巨大祭典を開いて一儲けし、税金で花火を上げて見世物にしようなどという発想にはならないはずだ。
友人の言葉を借りれば、「都解体構想こそが本来の自由主義の発露なのだ」ということである。

やべぇ、リベラリズム美し過ぎる……
以前、秘書が運転するレクサスに乗ってゴルフに行く名古屋市会議員を見たことがあるが、腐臭しかしなかった。友人の構想に比べれば、橋下の大阪都構想など、「東京だけズルい」という醜悪な嫉妬でしかない。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という、ジョン・アクトンの言葉は現代の自民党や霞ヶ関だけでなく、東京都や名古屋市にも適用できよう。
個人的にも、東京都議会なんてどうでもいいが、「多摩県議会」とか言われると俄然ナショナリズムが刺激される気がする。「初代多摩県会議員」の名誉に対する誘惑に、果たして私は抗しきれるだろうか。
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2015年06月23日

直接民主主義の限定導入を考える

国会議員秘書として身もフタもないことを言ってしまうと、国会議員の活動の中で立法活動に関わる時間は非常に低い。仮に最大限で考えた場合、1週間のうち、6時間の委員会を2回、2時間の本会議を2回として計算しても16時間でしかなく、予算委員会や今回の平安特のような特殊なケースを除けば、平均すると週に8時間もないのではないか。もちろん、国会閉会中は、閉会中審査という例外を除いて、委員会も本会議も開かれない。
ただ、委員会に出席する前に、官僚から個別に法案の説明を受けたり、政党の部門会議などで関係者や専門家を呼んで意見を求めたり、議員間討議を行ったりするため、国会の会議以外の立法活動にもそれなりの時間が割かれているわけだが、それも全体の比重からすると、何人かの例外を除けば、決して多いワケでは無い。特に、日本の政権党(殆ど自民党のみ)の場合、霞ヶ関から上がってきた法案をそのまま通す代わりに、予算の箇所付けによって地元に利益誘導するシステムになっているだけに、立法活動に対する関心はさらに低くなる。

では、日本の国会議員は何をしているのかと言えば、その業務の大半は陳情処理や後援会活動で占められている(NK党などの例外はある)。これは、国会議員事務所の労働力配分を見れば一目瞭然で、例えば国会議員には3人の公設秘書(公費負担)が認められているが、殆どの事務所の場合、3人の内2人を地元に置いて陳情処理と後援会活動に従事させており、国会事務所にいる残る1人もその仕事の半分は陳情処理や来客対応、あるいは国会見学に割かれている。秘書の労働力を単純計算すると、国会議員事務所の6分の5は陳情処理と後援会活動に充てられ、立法活動や政党運動に充てられているのは6分の1でしかない。

陳情と言えば、聞こえが良いが、現実に寄せられる陳情の大半は「審議中の法案について反対して欲しい、こうして欲しい」などというものではなく、「〜の公立病院に入院したい」「〜に建物を建てたいから許可が欲しい」「〜の補助金がもらいたい」「〜の外国人の在留許可が欲しい」などといったあからさまな利益誘導が殆どを占めている。もちろん、これは立法活動の一環では無く、それどころか政官民癒着の腐敗でしかないが、それが現実なのだ。だからこそ、「政治に参加して国を良くしたい」と考えて秘書になるものほど、失望して早々に政界を去ってしまう。
また議員側にしてみれば、陳情処理の数が政治資金(献金)と票に直結するだけに、次の選挙を考えた場合、陳情処理の優先順位を上げざるを得ない。そして、後援会活動もその実質は選挙の事前運動である。投票率が低くなればなるほど、集票マシーンとしての後援会の重要度が上がるため、議員としてはますます陳情と後援会に奔走せざるを得なくなる。
その結果、圧倒的な「風」でも吹かない限り、普段から陳情処理と後援会活動を欠かさない候補が当選する確率が高くなっている。すると、議員としては官僚に陳情処理してもらい、予算措置などで優遇してもらう対価として、官僚が出してくる法案を丸呑みするということになる。
こうした実情は、国会に直接来て、委員会などを傍聴すれば一目瞭然だ。定数40人程度の委員会で、与野党の理事と質問者とNK党の議員の他に座っているのは数人といった、定数の半分にも満たないケースは日常茶飯事と言える。本会議ですら、採決がある時を除けば、座っているのは前の方の若い議員だけで、後ろ(ベテラン)の席はガラガラなどというのは「当たり前」だ。

立法府の役割は、法律を策定・審議すると同時に予算や条約を審議、そして行政権が適正に運用されているかチェックすることにある。確かに原理上は、陳情は「行政が適切に運用されていない」ことを前提に立法府が行政に改善を求める、という形式をとっているため、必ずしも全否定できないのであるが、現実に横行している陳情の圧倒的多数は、私の経験上、ただの利益誘導と言える。つまり敢えて言えば、日本の国会は、政府が予算案と法案を出し、野党が反対して、与党が賛成するだけの存在に堕してしまっている。

もう一つの問題として、小選挙区制度の導入によって民意の反映度が低下していることが挙げられる。詳細は下記の過去ログを見てもらいたいが、例えば有権者数30万人の選挙区で、投票率が50%だった場合、現行制度ではまず15万人は不参加として切り捨てられ投票(選挙)に何の影響も与えられない。この15万人もまた主権者であるはずなのに、主権行使を辞退することが是とされるわけだが、デモクラシーの原理は「意思決定に対する全員参加」を前提としているだけに、この時点で原理原則が歪められ、一部の主権者による寡頭政治になってしまっている。さらに投票された15万票を見ても、小選挙区では当選者が1人であるため、概ね半数の票を獲得すれば当選できる。この場合、7万5千票が「投票したのに反映されない死票」と化してしまう。すると、有権者30万人の内、議会に反映されるのは4分の1の7万5千人分の民意でしかないということになる。民意の反映度の低下は、議会の民主的正当性と信頼度の低下に直結する。
逆に、私の居住地であるC市の市議選を見た場合、有権者18万人に対して投票率45%で8万人しか投票していないものの、いわゆる死票と無効票は合わせて8千票しかなく、投票者のうちの9割が議会に代表者を送ったことになる。これは一市一選挙区の大選挙区制であるためだが、たとえ投票率が低くても死票が少ない方が「自分たちの代表を議会に送った」という満足感が得られる結果になる。
もっとも、明治時代に設定された「地域の名士を代表者として国会に送り込んで御上に嘆願する」システムが21世紀の今日まで使いまわされていることに、我々はもっと疑問を抱くべきだろう。選挙区で地域代表を議会に出すという仕組み自体が、陳情と利益誘導を促進しているのだ。

議会の機能不全と民主的正当性の低下は、日本におけるデモクラシー危機の大きな要因と考えられる。国政に反映される民意は3割強(比例代表があるため)でしかなく、選出された代議員は利益誘導と事前運動に明け暮れているのが、日本の議会政治の実相であり、その認識無くしては日本政治の未来は語れない。
この危機を打開するためには、一つは選挙区制度を廃し、陳情=利益誘導の一切を禁じる必要がある。その上で、より専門性の高い、法案審査や予算審議に適した人物が議員を担えるようにしなければならない。以前、本ブログで紹介した「委員会別選挙」がそれだ。
地域の代表を選出する現在のシステムを改め、各分野の専門家を選出することを目的とする必要がある。「厚生労働」「外交」「文部科学」などの委員会ごとに専従の議員を選出するのだ。
仮に衆議院に15の委員会を設定した場合、委員会ごとに30人の定数を決め(委員会によって定数が違ってもよい)、全国一選挙区あるいは全国を東、中、西の三選挙区に分けて10人ずつ選ぶ(大選挙区制)。有権者は委員会別に15の票をもって、15人の専門議員を選ぶことになる。
選出された議員は4年間の任期の間は、予算、決算、各特別委を除いて他の委員会と兼任できないこととする。委員の差し替えも禁止、委員会と本会議への出席義務を強化する。議員には委員会と本会議の出席を義務付け、出席時間が開会時間の7割を下回った場合、自動的に失職。補欠選挙は行わずに繰り上げ当選のみとする。さらに、現職議員の場合、得票数に対して委員会出席割合が掛けられる。仮に委員会出席時間が開会総時間に対して8割だった場合、得票数に対して8割が有効票となる。

さらに国会議員の議決権を廃止し、国会議員は法案審議(修正)権のみを認める。議会に提出された法案や条約などについては、年に2度まとめてインターネットの電子投票による直接投票で採決することにするが、そうなると100本から200本の法案を有権者が判断することになり、必ずしも現実的ではないため、国会議員を1人選んで議決権を委任することができるようにするのだ。
このシステムにすれば、「基本は自民だけど、郵政改革やTPPには反対」という人でも(面倒ではあるが)安心して自らの主権を行使できるだろう。選挙では自民党に投票しても、重要法案の採決時には、自分で投票することも反対を明言する議員に委任することもできるからだ。
この制度の場合、国会議員は予算や法案を審議し、有権者に問題点をアピールすることが主な仕事になり、かつ議決権が限定されるため、政官民の癒着に大きく歯止めをかけられるだろう。また、選挙で無責任な公約をしたものは、議決権の委任が減り、その権威を低下させるだろう。同時に、陳情や法案採決が制限された国会議員は、カネが集められなくなり、金権政治の歯止めにもなる。

以上のように考えると、まだまだ妄想段階ではあるが、間接民主主義の機能低下が直接民主主義導入の原動力になるという可能性は割とリアリティがあるのかもしれない。
日本の議会が立法と民意集約という本来の機能を果たさずに信頼を低下させている一方、インターネットの普及によって従来は困難とされていた直接民主制の実現性が高まっており、間接(代表)民主制を見直すべき時が迫っていると考えられる。
統治機構のあり方、多数決原理と投票システムについては今後も考察を深めたい。

【参考】
小選挙区制の問題点 
消費増税争点に見る小選挙区制の欠陥 
委員会別選挙の提案 
posted by ケン at 12:20| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月19日

18歳選挙権成立を受けて

18歳選挙権法が成立、来年の参院選から選挙権が18歳に引き下げられる見込みだ。私は選挙権年齢の引き下げは原理的には正しいものの、他の権利や義務との関係で選挙権だけが先行するのは望ましくない、という意見だった。NK党は当初、同法案に慎重だったが、最終的には賛成に回った模様。

前回指摘しなかった問題として、低投票率が常態化する中で選挙権だけ拡大しても特定の政党を利するだけであり、必ずしも本来の目的である、「全主権者が共同体の意思決定に参加し、民意を正確に反映させる」ことに繋がらないのでは無いか、というものがある。
国政選挙の投票率は現在のところ、全体で6割行くか行かないかで推移している。これは逆に言えば約4割の人が投票を棄権していることを意味する。デモクラシーにおいて投票棄権はただの欠席では無く、主権放棄であり、デモクラシーに対する不参加表明を意味する。デモクラシーの原理は、主権者の全員参加を前提としており、「主権者の半分しか参加しないデモクラシー」というのは実のところ成立条件を満たしていない。
しかも、20代前半に限ると、国政選挙の投票率は3割に満たず、地方選に至っては10%になってしまっている。若年層の投票の現状は、KM党やNK党といった全体主義政党を利するばかりで、逆に権威主義を促進してしまっている。

デモクラシーの原理が空洞化しているのに、選挙権だけ拡大しても形式的な意味合いしか無いのでは無いか、というのが本論の主旨である。
国政選挙の投票率が6割ということは、残る4割の主権者は主権行使を放棄し、デモクラシーと議会に対する不信任を(あるいは消極的に)表明していると考えるべきなのだが、現実の日本では「ただの棄権」として処理されてしまっている。デモクラシーの原理を忠実に履行するならば、6割の投票率で成立した議会は定数の6割のみを占めるのが本来の姿なのだ。

ところが、こうしたデモクラシーの空洞化に対して、立法府も行政府もいかなる危機感も持っていない。これは、ある意味当然の話で、6割の投票率で当選した議員たちはその現状が最も有利であるために投票率を上げようとするインセンティブを持たない。また、行政府からすれば、投票率が低下すれば低下するほど「人民主権」(国民主権)の影響力と正統性が低下、相対的に行政府の権威が高まる構図になっている。本来であれば、司法がこの問題を指摘すべきところなのだが、日本の裁判官はデモクラシーの原理を学んだわけでは無く、同時に現行憲法は前文で民主的体制を謳っているものの、デモクラシーの原理について語っているわけではないので、低投票率をもって憲法違反と言うことは出来ない仕組みになっている。

さらに言えば、古代ギリシアの例を挙げるまでもなく、本来、デモクラシーの「主権在民」と義務兵役は1セットのものだった。主権者は兵役の義務を負い、自らの生命を国家に預けるからこそ、主権行使に対して無関心ではいられなかったのだ。
ところが、兵役義務を負わない主権者は、自らの生命をベッドしないが故に、主権行使に対しても関心を失いがちになる。今回の安保法制の議論がまさにそれで、日本国民が義務兵役を負って、自らが海外派兵の対象になる可能性があったとすれば、「中国の侵略に対して戦うならともかく、俺らがジハーディストと戦うアメリカの兵站支援を行わなければならない理由は無い」と反対意見が絶対的多数を占めたに違いない。
その意味では、安倍一派の暴走を許したのは、デモクラシーの価値を知らずに制度を導入してしまった戦後日本人の自覚の無さと、(幸いかもしれないが)兵役義務を負わないできた「平和ボケ」の産物なのだろう。

私が言いたいのは、デモクラシーの空洞化が進む中で、根本的解決に取り組むこと無く、形式的に選挙権を拡大したところで、「言い訳」程度の意味しか持たないだろう、ということである。
投票を義務化するなり、投票者に対して税金の一部を還付するなりの制度改正を行って、せめて国政選挙の投票率を8割以上にしなければ、選挙権拡大に実質的な意味は無い。このままでは「日本も選挙権を18歳以上に拡大しました。日本は世界で最も民主的な国です」などと政府に言わせるだけの話になるだろう。
まぁ政府的には、徴兵制施行を見越しての選挙権拡大だったのかもしれない。派遣法改正が、派遣社員の待遇を悪化させて貧困層を自衛隊に誘導するための手段の1つだったと考えれば、全ては繋がっていると見ることも出来る。果たしてこれは陰謀論の類いなのかどうかは、10年も経ずに判明するだろう。

【参考】
選挙権だけ18歳の是非 
posted by ケン at 12:46| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

複式(ボルダ式)投票制度の導入を考える

私はかねてより小選挙区制の問題点を指摘してきた。

小選挙区制の問題点 
消費増税争点に見る小選挙区制の欠陥 
・ロクでもない議員が多いワケ 
自民党は勝利したのか:47回総選挙の結果を分析する 

例えば昨年の総選挙における私の居住市の小選挙区を見た場合、

自民候補:4万6千票
民主候補:3万1千票
NK候補:1万4千票
次世代候補: 8千票
 無効票:  3千票


とあり、この他に未投票(棄権)が8万票あった。この場合、全有権者のうち当選した自民候補に投票したものの割合は26%に過ぎず、少なくとも残る74%は自民候補に「投票していない」にもかかわらず、26%の候補が主権を独占する結果になっている。しかも、この自民候補は投票総数の過半数を得ておらず、選挙区で当選できたのは野党が分裂して相対多数が取れたからに過ぎない。小選挙区制は多数決原理を最大化するものだが、現実には絶対多数では無く、相対多数で当選するケースが多く、果たして多数決原理が有効に働いていると言えるのか、よくよく検証する必要がある。そして、比例制度による若干の救済はあるものの、74%の有権者の主権が国会に反映されないという事実は非常に重い。

これは少ない数のモデルで考えると、より分かりやすい。例えば12人の小さな理事会で理事長選が行われ、3人が立候補したとする。投票の結果、A5票、B4票、C3票となり、Aが当選した。確かに形式的には問題ないが、それとBやCの支持者が納得するかは別問題である。実はAは非常に問題のある人物だが、たまたま反対派が候補を一本化できずに敗北したとしたら、シコリが残ってもおかしくないし、やる気を失ってしまうかもしれない。
民主制(本稿では民主主義では無く、統治機構としての民主制という用語を多用する)の要諦は、「決める」ことではなく、可能な限り多数の意見を反映させてより多くの人の納得が得られることで、統治の安定を確保し、組織の運用を円滑にすることにある。
「民主主義なのだから、自分たちで決めたことはちゃんと守らないといけない」と良く言われるものの、全く自分の意見が反映されず、少数の相対多数者が専横をなしている状態に対して、ただ権威的に納得を強要しても意味(実効性)が無い。
参加者の意見反映と納得度を上げてゆくことは、民主制の精度を上げるために必要不可欠なものなのだが、日本の現実は民主制の形骸化が進行し、「一人一票で多数決で決めているのだから世界有数の民主主義国」という勘違いが横行してしまっている。民主制の信頼低下は、投票率の低下に如実に表れているが、それを「政治に対する無関心」に転化し、統治機構(民意集約システム)の問題を検証しようとしないのが今の日本の現実だろう。

もう一つの問題として、一人一票制は代替がきかないことがある。特に国政選挙の場合、その人物像や詳しい政策を良く知らずに投票するケースが殆どだが、いざ当選してみると汚職したり、全く公約とは異なる主張や法案採決を行っていることがままある。さらに小選挙区の場合、選択肢が非常に少なく、相対多数をとるために主張が似てくるため、この傾向がさらに加速する。
逆に、自治体議員選挙の場合、投票先を一つに絞るのが難しいケースがある。例えば、私の居住市で考えた場合、市議の半数が知り合いで、応援する人を一人に絞らなければならない現状は、「あちらを立てればこちらが立たず」で非常に心苦しいものがある。そもそも40人近くいる候補者から1人を選べというのが無理なのだ。

そこで考えられるのは、複式(複数)投票方式である。例えば、一人5票で各1〜5ポイントを選んだ5人の候補者に割り振る方式だ。国政選挙で全国一区を想定した場合、まず小選挙区のように自民党とほぼ同じ主張の民主党候補に嫌々投票する必要がなくなって、例えば私ならば、

5p:民主党左派の若手
4p:非正規組合運動家の女性
3p:表現の自由に造詣の深い候補
2p:ロシア人脈を有する自民党議員
1p:沖縄の基地反対派無所属


みたいな選択と投票行動が可能になる。投票の幅と複数選択が可能になることで、自らの政治的意思の表明も広がり、国政への反映度も上がることになる。もちろん全員当選するわけではないが、この方式ならば「主張は必ずしも一致しないけど当選しそうな人」と「当選が難しそうだけど主張が近い人」を組み合わせることも可能になり、その意味でも意思が反映されやすくなり、納得度も上がり、議会と選挙制度に対する信頼度も高まると考えられる。ただし、有権者に求められる知見が高まる(ルールと選択行動の難易度が上がる)という問題もある。
また、上記の市議選の場合でも、私ならば、

5p:有能な党の後輩
4p:信頼できるJCの先輩
3p:マドンナ旋風の生き残り
2p:環境運動家
1p:地域ボス


みたいな選択が可能になり、5人に対して「投票しましたよ」と言えることで、市政への影響力(意思反映度)を高めることができる。また、「あいつは誰々の支援者だからな」と陰口を叩かれずに済むというメリットも大きい。

「全国一区の選挙となると資金と知名度が全てになり、普通の人は誰も出られない」という批判はあるだろう。確かに小選挙区制の導入によって、選挙費用や組織力の負担はかつての中選挙区より大きく減じられている。だが、その結果として有権者が選べる選択肢が減り、候補者の能力が低下し、権力の寡占(より少ない票で議席を独占)が進んだとあれば、コストを削減するためにデモクラシーの本義を犠牲にしただけに過ぎない。また、地域の利害代表に国政を担わせてきた結果が、利権・陳情政治と立法機能の低下(形式だけの議会)であったことを思えば、我々はもはや地域代表という概念と決別すべき時に来ていると言えよう。
ただ、選挙の公平性を担保するためには、選挙運動はインターネットと選挙公報のみに止め、他は全て禁止するくらいのことはしても良いかもしれない。基本的には、公報文書で選挙公約や政見を確認し、ネット通信による直接対話(自由対話とその視聴)によって候補者を選ぶのが望ましい。

「一人一票で議会に一人の代表を出す」という固定観念を打ち破り、より信頼性の高い次世代のデモクラシー原理を確立して行きたいと考えている。
posted by ケン at 12:42| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする