2015年09月18日

文部科学省の制限主権論

【18歳選挙権、高校外の政治活動容認…文科省案】
 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることに伴い、文部科学省が9月中にも全国の学校などに出す政治教育に関する通知案が分かった。懸案だった高校生の選挙運動・政治活動について、学校外では原則解禁する一方、学校内では禁止または制限すべきだとしている。また、現実の政治を積極的に取り上げるとしつつ、政治的中立性の確保のため「教員は主義主張を述べるのは避け指導する」と厳格に求めている。
 「18歳選挙権」の実現により、同じ高校3年生のクラスでも、特定の候補者への投票を呼びかける選挙運動も可能になる18歳の有権者生徒と、選挙権がない生徒が混在することになる。通知案は、有権者生徒の学校外での選挙運動は「尊重する」とした。ただ、特定の主義や施策、政党を支持、または反対する高校生の政治活動は「無制限に認められるものではない」と記述。その上で、学校内では〈1〉授業、生徒会活動、部活を利用した選挙運動や政治活動は禁止〈2〉放課後や休日の校内活動であっても、施設管理やほかの生徒の学習に支障がないよう制限または禁止――と分けた。一方、学校外での放課後や休日の活動は生徒が自主的に行うものとし、違法、暴力的な政治活動になるおそれが高い場合などに禁止することもできるとした。
(読売新聞、9月15日)

日本の文部科学省は反民主主義、権威主義の牙城である。現行の日本国憲法は、国民主権(主権在民)を謳っている。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(日本国憲法前文)

これは国民の全てがすべからく主権を有することを意味する。確かに「国民とは何か」「主権とは何か」という議論は存在する。日本では、戸籍の呪縛が強いことから市民権の概念が弱く、どうしても国籍(所属)の概念から、「国民=国籍を有する者」という考え方が強いのだが、日本のパスポートを取得するためには戸籍を提示する必要がある。ところが、戸籍は血統と家系を証明するものでしかなく、「国民=血統主義」なのかという疑念が生じる。これを突き詰めてゆくと、神学論争に近づいてしまうので、ここでは問題提起に止めたい。
同様に、主権の概念だが、これは国家共同体の統治権と意志決定権と仮決めしておきたい。
まず、日本の国籍法は第二条において、「出生による国籍取得」を規定している。
第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

以下、「認知された子の国籍の取得」「帰化」が規定されている。このうち諸外国では「外国人による国籍の取得」と記されている事項が、日本では何故か「帰化」となっている。これは、「(化外の蛮族が)君主の徳に教化・感化されて、その下に服して従うこと」(後漢書)に由来するもので、「天皇の徳に目覚めて、忠義を誓う」ことを前提とした明治法制の新伝統が、GHQの検閲を免れて戦後復活したものと考えられる。

いずれにせよ、日本国籍は基本的に出生時に確定するものであり、日本国籍が確定した瞬間、主権の保持も確定することになる。そして、憲法には、国民の主権を制限する規定は存在しない。但し、公共の福祉や未成年保護を理由とした人権の制限は認められるものの、基本的人権や主権が否定されるわけではない。

日本では選挙至上主義の考え方が強く、一般的には「主権行使=選挙と投票」と考えられがちだが、議会選挙は立法府に送る主権代行者を選挙するものでしかない。この考え方では、選挙後の有権者は次の選挙まで「主権喪失者」になってしまうことになるが、それは現行憲法の主旨に反する。現行憲法下では、日本国民は常に主権者であり続けるのであって、つまり常に統治者であり、意志決定者の一人であることを意味する。
だが、現実には「投票権を持たない未成年者は主権者では無い」という発想が根強く、文科省の「政治活動禁止」通知などが横行する原因となっている。もちろんこの発想自体が間違いなく憲法違反であり、高校生だろうが中学生だろうが、あるいは教員だろうが、あらゆる政治活動の自由が保障されなければならない。

繰り返しになるが、未成年者あるいは教員であるという理由で主権を制限するのは違憲であり、戦後民主主義を否定する権威主義の現れである。文科省のそれは、「社会主義陣営全体の利益のためには、加盟国の主権は制限されることがある」としたブレジネフの「制限主権論」を彷彿とさせるものであり、全く西側の自由主義や民主主義にはそぐわないものだ。
デモクラシーを全く理解せず、憲法を否定する文部科学省は一刻も早く全面解体すべきである。
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2015年09月09日

政党は誰のために?

【英労働党分裂の恐れ 党首選で強硬左派リード】
 投票が行われている英国の最大野党、労働党の次期党首選で、強硬左派のジェレミー・コービン下院議員(66)が党内の支持率でトップに立ち、1990年代以降、中道路線をとってきた同党に衝撃が走っている。同氏が党首になった場合は党が分裂し、与党・保守党による事実上の一党支配政治になりかねないと懸念する声も上がっている。労働党の党首選は、ミリバンド党首が今年5月の総選挙でキャメロン首相率いる保守党に大敗した責任をとって辞任したことに伴うもので、14日から9月10日まで投票が行われ、同12日には新党首が誕生する。
 4人の候補者のうち、世論調査で党内の50%以上の支持を集めているのがコービン氏だ。 ノーネクタイのラフな服装に自転車がトレードマーク。当初は注目されなかったが、反緊縮財政や反核を主張。また、電力や鉄道の再国営化を提案するなど、保守党とは真逆の政策を打ち出し、若手党員や労働者たちを中心に急速に人気を集め、台風の目となった。
 ただ労働党は1994年就任のブレア党首が自由主義経済と社会的公正を調和させた「第3の道」を掲げて政権を奪回。欧州における中道左派の流れを主導し、長期にわたる労働党政権の柱となってきた。それだけに、党幹部たちは、最左派のコービン氏が党首になれば、次期総選挙でも惨敗は確実だとの危機感を募らせ、中道寄りのほかの候補への投票を呼びかけている。
(産経新聞、8月25日)

英国労働党はトニー・ブレア党首の下で1997年の総選挙に大勝、その後2010年まで13年間にわたって政権を保持した。ところが、労働党の党員数は97年に40万人いたものが、04年には20万人へと半減してしまい、戦後最低記録を更新してしまった。現在は19万人強と見られており、減少には歯止めが掛かっているようだ。
もっとも、党員数だけ見ると、保守党は最大で300万人の党員数を誇ったものの、2000年代には20万人を割り、今では15万人を割ってしまっている。下院選挙における勝敗と党員数には必ずしも相関性は見いだせない。
一説によれば、保守党員の平均年齢は60歳を超え、労働党員も50台と言われ、若年層の深刻な政党離れが危惧されている。

興味深いのは、トニー・ブレア氏の「第三の道」路線やイラク参戦を拒否して大量離党者を出したはずの労働党において、離党せずに党に残った党員の支持が左派に傾いている点である。上の記事も示唆しているが、党を構成する党員が支持するイデオロギーや政策と、選挙において有権者の多数が支持するそれとは必ずしも一致しないことを示している。
政党は本来、イデオロギーや国家・社会像を共有する人々が連帯することで、政治的影響力を駆使するために存在する。その影響力を発揮するために、党から代表者を議会に送り込むわけだが、そこで選挙の洗礼があり、有権者から選挙される必要がある。つまり、党員はイデオロギーを共有するが、彼らが掲げる政策が有権者一般の支持を得られなければ、影響力を発揮できない仕組みになっている。

「第三の道」はアンソニー・ギデンズらによって提唱されたものの、実務レベルにおいて労働党はマーケティング戦略を採用し、「党員が望む政策」ではなく、有権者に対して大規模な市場調査を行い、それを分析することで「有権者が望む政策」を打ち出した。その結果、労働党は1997年と2001年の総選挙に大勝したものの、05年の総選挙ではイラク戦争の問題もあってギリギリ過半数を保持するに留まった。
マーケティング戦略の選挙への転用は、日本の民主党も採用し、07年の参院選と09年の衆院選で猛威をふるい政権奪取に至ったものの、その後どうなったかについては言うまでも無い。民主党の場合、党員を基盤とする党組織が実質的に存在しないため、どのような政策を打ち出したところで、党員が離反するという現象は起きない。だが、逆を言えば、党員が不在なため、政党の骨格をなす理念や党員間で共有されるイデオロギーが存在せず、非常にブレが大きくなる。

近代議会制度は政党の存在を前提としており、その政党は党員を基盤としてきたが、党員の担い手が不足する(若年層の政党忌避)現象は、先進諸国に例外なく見られるようだ。政党の組織基盤が弱いところほど、選挙に勝利するために「有権者が望むもの」を主要政策に取り込もうとするが、その結果、どの政党も似たような主張になり、有権者の選択肢を奪い、政治に対する関心が失われてしまうという悪循環に陥っている。

個人的には、ボトムアップ型の政党運動というものが、いかに楽しいかを良く知っているだけに、政党参加を忌避する人の気持ちが分からず、本テーマの論者としては相応しくないのかもしれない。例えば、国会前で漠然と戦争反対を訴えるよりも、党員をオルグして自分が所属する政党を「より反戦的に」持って行く方が実現可能性の点でも自己充足感の点でも勝っているように思えるからだ。

話を戻すと、マーケティング戦略は選挙戦術としては有効なようだが、実現可能性の低い人気取り政策を打ち出す原因になっている。そして、政権奪取したとしても政権運営が難しくなると同時に、既存の党員からは「自分たちの主張が反映されていない」「誰の党なんだ!」という不満が上がり、党運営も難しくなる。
だが、日本社会党のケースでは、国会議員は中間派や右派が圧倒的多数を占めているのに、党員組織を左派系労働組合が握り、激しい対立を繰り返して組織を疲弊させ、国民的支持を失っている。現在の民主党は、その反省から党員にいかなる権利も与えず、党員会議も開かないという徹底した「国会議員独裁」制を敷いているが、政党組織としては非常に脆弱で、ブレの大きい政党になってしまっている。
私自身、まだまだ答えが得られないのだが、引き続き考察を続けたい。
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2015年08月02日

軍人に結社権を付与するフランス

【フランス、軍人に制限付きで「結社の権利」付与へ】
 軍隊における結社の権利を全面的に禁止してきた仏政府は19日、欧州人権裁判所の人権違反裁定を受け、同国の軍人に結社の権利を与える方針を示した。しかしストライキの権利などは引き続き認めない方針。フランスの軍人は現在、職業的団体への加入が全面的に禁止されており、職業に関する懸念を表明したり、自らの利益を守ったりするための場を持たない。
欧州人権裁判所は今年10月、「軍人の結社の自由を制限するのは合法だが、労組の結成あるいは労組への加入の全面的な禁止は結社の自由の本質部分の侵害に当たる」と裁定した。仏大統領府の声明によると、フランソワ・オランド大統領はこの裁定に上訴しないことを決断し、国防相と内相に、仏軍人に制限付きで職業的団体に加入する権利を与える法案の作成を命じた。
(AFP、2014.12.21)

少し古い記事だが、いくつか重要な点があるので指摘しておきたい。
まず欧州では、軍人の労働者性が認められて労働基本権が認められる傾向にあるということ。例えばドイツでは軍人法第6条で労働団結権が認められているほか、官僚はもちろんのこと裁判官にまで団結権が認められている。これは、団結の自由が天賦の基本的人権に属するものであり、民主的社会において何よりも優先されるという考え方に基づいている。
他方、日本では警察、消防、海保、自衛隊などについては労働三権が認められていないが、その理由として命令系統や組織秩序の維持などが挙げられている。これは公共的暴力装置の組織管理は、市民個人の基本的人権に勝るという発想の表れであり、権威主義の遺物と言えよう。ちなみにドイツ連邦軍でも、海外派兵や戦闘任務中の組合活動は禁じられているようだ。
労働組合の結成と加入が認められているドイツ連邦軍の秩序やモラルが、自衛隊に劣るという話やデータに接したことは一度も無い。「労働組合を認めると組織が弱くなる」などという発想は、「学問すると戦闘力が下がる」という中世武士のそれと同レベルのものだ。逆に民主的社会に基本権を付与しない例外を作ることは、デモクラシー存続に対する危機を深めるものでしかない。日本の場合、皇室を始め基本的人権を認めない例外対象が多すぎることが、デモクラシーの成熟を阻害していると言えよう。

第二は、上級裁判所が機能している点。日本では、裁判所が違憲立法審査を行う建前になっているが、訴訟者の利益を阻害するなどの要件がそろわないとそもそも取り上げられず、しかも裁判所は違憲立法審査を本務としているわけではないため、可能な限り憲法判断を回避して訴訟者の利益を回復して終わらせようとする傾向が強い。その結果、憲法判断が下されるケースは非常に稀で、まして違憲判断が下されることはほぼ無いという、権威主義状態(三権分立の否定)に陥っている。
上の記事の例は、日本にも独立した違憲立法審査機関や人権裁判所を設置することが、自由と民主主義を担保し、権威主義を排除する有効な手段であることを示している。

第三は、行政側の司法判決に対する態度である。日本の場合、水俣だろうが肝炎だろうが、政府側に不利な判決が下ると必ず上訴する傾向があり、結果的には被害者を増やして行政が敗訴、政府側に課される賠償金が増えるということが頻発しており、双方にとって有害かつ政府不信を高める結果になっている。この背景には、霞ヶ関に国家無謬論・権威主義が蔓延して絶対に過ちを認めないことがあり、これを克服する必要がある。また、小泉氏がハンセン病訴訟において政府の上訴方針を覆して判決を受け入れたことは、政治主導による可能性を示唆している。逆に民主党政権で続々と上訴したことは、民主党政権の信頼を低下させる一因となった。司法に従属する必要は無いが、誰の視点に立って行政を執り行うのかが問われている。

これらの全ては、欧州においてデモクラシーが常に深化させ続けるべき価値観であると解釈されているのに対して、日本においては自国が世界最高の民主主義国であるという勘違いが横行していることの差異を示しているものと思われる。
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2015年07月24日

国と保守派が君が代を強制するワケ・下

前回の続き)
敗戦まで日本国民が比較的おとなしかったのは、帝国主義政策による領土拡張(独占市場の確保)が順調に進み、植民地支配によって安価な主食と労働力を確保してきたためだった。ところが、日中戦争でそれが頓挫すると、戦争遂行に対する訴求力がなくなり、急にそれまで否定してきた労働者の権利保護を始めとする社会主義的政策を導入していった。日本で最も社会保障政策が充実したのが大戦期だったことは、超遅まきながらも支配層が「天皇のために死ね!」と言うだけの明治帝政の原理が成り立たなくなりつつあったことを認めるものだった。
そして敗戦を迎える。今日では「聖断」に至る過程は美談と解されているが、沖縄戦と原爆二発とソ連参戦を経てなお、国体(天皇主権)護持を条件にポツダム宣言(休戦条件)を受諾したことは、厳しく評価されるべきだろう。

もともと全体主義的な独裁制(天皇主権)を規定した大日本帝国憲法が、ポツダム宣言の受諾という外的要因のみをもって、主権者が天皇から国民に移動した。古代神の末裔であることを支配の正統性とし、その天皇を崇め奉る感動をもって国民団結と国家統合の原理としてきたものが、敗戦を期に、自立した全市民が参加する国民国家へと変貌を遂げることになった。
しかも、そこに至る期間は非常に短く、わずか1年、議論の実質は約半年しかないという突貫作業をもって、恐らくはデモクラシーの何たるかも良く分かっていない国会議員と官僚が、ポツダム宣言(休戦条約)の履行をするために日本国憲法をつくっていったのである。この憲法改正によって、天皇は国家の主権者にして、限りなく全能的な地位を失い、主権者は日本国民となった上に、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされた。

連合国は、天皇主権こそ認めずに主権在民を要求、日本側は難色を示して「国民主権」に落ち着くが、それ以上に日本側は天皇の地位存続に固執、完全武装解除(非武装、憲法9条)と引き替えに象徴天皇制(憲法1〜8条)が認められた。
新憲法は自由と民主主義、そして平和主義を奉じることを宣言し、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としているものの、それが何故天皇に象徴されなければならないのか、まったく説明がなされていない。しかも、自由にしても民主主義にしても平和主義にしても、全て戦前期には存在しなかったものであり、国民に価値観を浸透させるためには相当の自覚と努力(教育)が不可欠だったはずだが、戦後の教育制度の中にデモクラシーの成員を育てるという理念が組み込まれた形跡を見つけるのは難しい。また、デモクラシーの観点からすると、主権付与の対価とされるべき義務兵役がなく、戦時中に施行された源泉徴収制度によって納税者意識が育たなかったことも、主権者としての意識の成長を阻害したと考えられる。

同時に、占領期に進められた民主的改革の相当部分が、占領解除に伴う戦犯・公職追放者の復帰に伴う鳩山・岸内閣によって反故にされ、権威主義体制への復帰が試みられたものの、敗戦から間もない国民の反発は強く、憲法改正には至らず挫折した。
この時の岸信介の構想は、国民健康保険と国民年金という社会保障の対価として、再軍備と義務兵役の復活を国民に認めさせ、対外的には日米の関係をより対等なものにして、「五大強国」の一角を占めた帝国期の栄光を再興するというものだった。しかし、戦犯上がりで右翼やCIAとの関係が取りざたされ、常にダーティーなイメージが付きまとう岸に対する風当たりは非常に強く、自民党内ですらまとまらなかった。
最終的に岸内閣は日米安保を改定して退陣するが、「後世の歴史家」の視点からすると、健保と年金と改正安保という「良いとこ取り」をして国民は岸を捨てたと見ることも可能であり、この怨念が娘を通じて現在の安倍首相に継承されていったようだ。言い直せば、安倍一派の主張は「貴様ら国民は天皇陛下から主権を奪った上に、岸先生にもらった健康保険と年金という恩寵を今まで享受してきたんだから、今度は貴様らが国家に奉仕し、その栄光再建に積極的に貢献すべきである」ということなのだろう。
だが、岸路線が否定されると、自民党は吉田路線に復帰する。この2つの潮流を整理すると、

吉田路線:戦後民主主義の肯定、軽武装、非権威主義
岸路線 :戦後民主主義の否定、重武装、権威主義


という感じになる。中曽根内閣期に多少岸寄りになったものの、自民党は90年代に至るまで基本的に吉田路線を継承していたことが分かる。国旗国歌法が成立したのは1999年で、何をかを象徴していた。
1990年代の大きなメルクマールは、いわゆる「バブル崩壊」と「政治改革の失敗」だった。バブル崩壊とそれに伴う銀行救済のための財政出動により財政赤字が急増、同時に少子高齢化の急進により保険財政も急速に悪化する。
ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べられている。戦後民主主義を支え、一党支配の正統性を担保してきた高度成長がストップし、デモクラシーを危機に導いていった。
そして、政治改革の失敗により、戦後から80年代まで日本政治を牽引したエリート支配に終止符が打たれ、小選挙区制の導入に伴い、ヤンキー(反知性主義)が優位に立っていった。この流れについては後日改めて検証したい。

日本ではデモクラシーが休戦条件として導入されたものであるだけに、民主主義の社会的基盤が非常に脆弱であり、公教育においても「民主主義とは何ぞや」が教えられないため、日本の有権者は民主的共同体の一員であるという自覚が無く、選挙についても「支配者の信任投票」程度にしか捉えていない。国政選挙の投票率が半分しかないことがそれを示している。
憲法は自由、民主主義、平和主義を奉じることを宣言したものの、霞ヶ関の権威主義者たちが教育宣伝を怠ったため、国民統合の原理として国民的合意を得るには至っていない。本来であれば、国民統合の原理や国が掲げる理想を、国旗と国歌に体現すべきであったが、日の丸と君が代が継承されたことは、権威主義体制への復帰する根を残す形となった。

それでも、戦後自民党の吉田路線が支持され、国民的統合(統治)が上手くいっていたのは、健康保険と年金に代表される社会保障制度が整備され、経済成長が順調に進み、概ね貧困が淘汰されたためだった。
ところが、バブル崩壊を経て経済成長が止まり、経済格差が拡大、少子高齢化に伴い社会保障の切り下げが不可欠になってくると、吉田路線による国民統治が困難になり、自民党による一党支配の正統性の根拠が失われていった。実際、自民党支配が崩れたのは、バブル崩壊後とリーマンショック後に限られている。

自民党としては、一党支配を継続するために、経済成長と社会保障に替わる国民統合の原理が必要となった。福祉国家モデルに替わる新たな国家像が求められたのである。安倍一派や橋下一派を始めとする右派に共通する主張は、

「社会保障は切り下げます、貧困は放置します、戦争もやります、でも自分の面倒は自分で見てください、私たちは同じ国民ですから文句は言わないでください、天皇陛下とともに生きられるだけでも感謝してください」

というもので、国民統合の象徴として日の丸と君が代を掲げたのだろう。80年代までは強制せずとも国民統合が実現していたが、90年代に入り、貧困化を背景とする社会的不満が高まるにつれて国歌と国旗の強制を強めていったと考えれば自然だ。
2004年の園遊会において、参列した東京都教育委員から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言われた平成帝は、「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と返している。これは、自らの失政の責任を無答責の天皇に負わせて免罪を図ろうという、自民党・右派の邪心を看破したからこそのものと見て良い。

さらに言えば、アメリカの勢力衰退によりアジアからの米軍撤退が取り沙汰されるようになり、それを少しでも遅らせると同時に、自衛隊の海外展開機能を高めるために、自衛隊による対米協力と海外派兵を強化させる必要が生じた。だが、武力行使と軍事力保持を否定する憲法を持ち、数十年に渡って吉田軽武装路線を支持してきた日本国民に対して、「俺が変わったんじゃねぇ、国際情勢が変化したんだから、自由に武力行使できるようにならないと生き残れない」と説明したところで合意を得るのは容易でないだろう。この点でも、「天皇陛下の下でともに生きる国民なんだから、国がやることにケチ付けるなよ」という意味で、国旗国歌を強制するほかなかったのではなかろうか。

「パンピーは君が代歌って黙ってろや、俺らがやることにケチつけるな!」

としか言えない日本の右翼はすでに死に体にあるが、福祉国家や日米同盟に替わるオルタナティブを打ち出せない左翼もまた深刻なのだ。これでは遠くない将来、革命が起きるかもしれない。

【参考】
自民党支配の正統性とデモクラシーの危機 
仮説:公職追放を考える 
皇統存続と近代原理の無理 
・天皇の言うことを聞かない右翼 
歪なる保守主義 
保守・反動教育の無理 
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

国と保守派が君が代を強制するワケ・上

片山杜秀先輩に触発されたので私なりの考えも述べておきたい。
いわゆる「国旗国歌法」が制定されたのは1999年のことだが、学校教育の現場で君が代と日の丸が強制あるいは推奨されるようになったのは90年代に入ってからのことで、先鋭化してきたのは90年代後半のことだった。国旗国歌法の審議に際して、政府は繰り返し「国旗国歌が制定されたからと言って強制することは無い」旨を答弁してきたが、現実には教育現場での強制が進み、ほぼ100%近くなっているようだ。その背景には、国旗国歌に冠する職務命令をめぐる裁判の多くが、反対派(思想の自由に反する)の敗訴に終わっていることがある。つまり、政府(行政)と政党(立法)と司法が一体となって国旗国歌の強制を進めている構図なのだが、なぜ国旗国歌に固執するのかという疑問がある。

まず国旗と国歌は前近代には存在せず、近代国民国家の形成とともに誕生している。中世から近世に至る国の場合、王家の紋章を旗印にすることはあっても、国旗は存在しない。敢えて言えば、中世の独立都市で採用された旗や紋章が原点と言えるかもしれない。日本の江戸時代も徳川家の紋や皇室の紋はあっても、国旗は存在せず、外国と通商するに際して識別用に日章旗が使われるようになっていった経緯がある。
中世の統治構造は、国王と貴族(あるいは教会)による連合体で、国王は貴族の代表・利害調整者という態で、人民はその従属物あるいは付随するものでしかなかった。従って、国家主権は国王が占有するか、国王と貴族が共有しており、国土防衛の責務は一義的に国王が担った。国王はその責務を果たすために徴税し、兵を動員するわけだが、人民はあくまでも収奪されるだけの存在だったが、逆を言えばただ直属の貴族や国王に従っていれば良かった。つまり、国王は自らの責務を果たすために自分で税を取り、兵を雇い、戦争するのであるから、掲げるのが王家の紋章であるのは当然のことだった。

より正確を期すならば、国防の義務は国王に帰せられるが、貴族は国防の義務を負わず、貴族は国王から領地保全を保障される対価として軍の動員に応じているに過ぎなかった(御恩と奉公)。これは、基本的に日本も同じで、国防の義務は征夷大将軍である徳川家が一手に負っていただけで、諸大名は徳川家が領地保障する対価として徳川家の軍事要請に応じるという関係にあった。故に、国防義務が十分に果たせず、領地保障機能に疑問符が付けられるようになると、長州戦争時のように動員要請を婉曲に断る大名が続出したのである。

ところが、近代国民国家は全く異なる原理の上に成り立っている。王政を否定して成立したフランス革命政府は、社会契約の概念に則って、全市民に主権を分与する対価として、それまで国王が負ってきた国防の義務を市民に課した。主権を担うということは、国政の責任を引き受けることを意味する。従来であれば、政治的失敗の責任は全て国王一人に帰せておけば良かったものを市民一人一人が自分で負うことになった。今日、日本を筆頭に、民主主義国における統治が機能不全を起こしつつあるのは、「市民一人一人が政治的責任を負う」という理想と現実の乖離が広がってきていることが大きい。

近代以前は「王様に言われたから」村として税を納め、村のロクデナシを兵士として供出してきたわけだが、近代以降は個々人に課された義務として税を納め、兵卒になることが要求されるようになった。だが、「今日から貴様は主権者の一人だから納税と兵役は義務である」と言われて、「はい、そうですか」と答えるものはまずいないだろう。そこで「全ての市民は共同体を同じくする一員であり、我々が共有する共同体(の理想)はこういうものである」というイメージ(幻想)が必要となった。アメリカ独立戦争やフランス革命、あるいはロシア革命を見れば分かるとおり、近代国家の設立と同時に旧体制の支持者が外国結託して体制打倒を試みており、「市民的義務」の概念をどれだけ普及させ、動員と納税に応じさせるかが最重要課題となった。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」第3番の歌詞はあまりにも象徴的だ(ちなみに私の母校の副校歌でもあった)。
何と! 外国の軍勢が  我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と! 金目当ての傭兵の集団が  我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと! おお神よ! 両手は鎖で縛られ
頚木をはめられた我らが頭を垂れる 下劣なる暴君どもが
我らの運命の支配者になるなどありえない!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め 進もう 進もう!
汚れた血が 我らの畑の畝を満たすまで!

フランス革命の場合は、国歌で市民の危機意識を煽りつつ、国旗で自らの理想を表明した。有名なフランスの三色旗(青白赤)は、本来はブルボン王家を意味する白と、パリ市民の青と赤が並んで1つの共同体をなすものだったが、ルイ16世が死刑になり王政が廃止されると、「自由、平等、博愛」へと置き換えられ、今日に至っている。「共和国の原理と理念を守るためにはファシズム(あるいはイスラム)と戦わなければならない」という政府の主張が、現代においても左右双方に受容されるのは、国民の間で共有されているからに他ならない。

【参考】 三色旗が意味するもの 

フランスに比して、日本の近代国家の成り立ちと市民意識の醸成は非常に遅れた。まず、明治維新は「革命=統治機構の否定」ではなく、「維新=政変・政権交代」という見解が採られた。江戸期までの日本の統治システムは、天皇が有する軍事外交権を征夷大将軍に委託、内政については諸侯が自治権を持ちつつ、幕府が総覧するイメージだった。その自治権についても、本来は律令制や班田収授法を見れば分かるとおり、天皇がその権限や王土の一部を委任したものであって、維新(王政復古)の成立と同時に全ての権利と権限は、天照大神を皇祖とする古代神の子孫である天皇に帰せられるというのが、明治帝政の根幹理念だった。
ところが、これでは中世から古代への「反動」ということになってしまうため、主権は天皇一人に帰属するが、実際の行使は臣下が代行する形が採られた。結果、日本国民は主権が認められないまま、納税と兵役の義務が課されてしまった。「代表無くして課税無し」は米国独立運動の標語だったが、日本は逆を行ったのであり、その反動として自由民権運動と国会開設運動が起きた。
そして、人民に主権を認めないまま、納税と兵役の義務を課すための共同体幻想として「大日本帝国」が提起され、それを象徴するものとして日章旗と君が代が見いだされた。天皇は太陽神の子孫という設定であり、日章旗は皇祖である太陽をあしらっている。世界の国歌の大半が、国の成り立ちや大切にする価値観を謳い、それを守るために国民の一致団結が必要であるとするものであるのに対して、君が代は「今上帝の世が永遠に続きますように」と祈願するだけの呪歌だった。

つまり、フランスやアメリカなどの近代国家が、国旗や国歌に理想を謳ったのは、人民主権者に対して理想を保障しつつ、その対価として納税と兵役の義務を求めるためだった。ところが、明治日本の場合、国は人民に何も保障することなく、納税と兵役を始め天皇に対する一方的忠義のみを求めていた。しかも、帝国憲法下では、主権は天皇にあったが、実権は臣下が代行し、代行者は天皇に対して責任を負うものの、天皇は完全免責という仕組みであったため、為政者(実際の支配者)にとってこれほど「楽(無責任)」な統治システムは古今東西なかったのではなかろうか。
明治帝政は、自らの欠陥によって全面戦争を起こし、自壊していった。だが、国土が灰燼に帰し、全世界を敵に回し、敵による本土上陸が近い中にあっても、日本政府が「一億総玉砕」を呼号しつつ、「国体=天皇主権」を唯一の(一方的)条件としてポツダム宣言を受諾したことは、当時の支配層にとって何が重要だったのかを物語っている。
フランスやアメリカで戦死した者は「共和国(合衆国)市民の義務を果たしてその理念に殉じた」と扱われるが、日本で戦死した者は「帝国臣民としての義務を果たして国家(天皇)に殉じた」と扱われる。前者の場合、戦死者は市民間で共有される理念を守るために死に、その代償として政府は市民に基本的価値を保障する義務を有する。だが日本の場合、戦死者は国家もしくは天皇を守るために死ぬわけだが、国や天皇に保障すべき基本的価値はなく、いかなる義務も有さなかった。
以下続く
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2015年07月09日

都解体構想を全面支持!

いや、持つべきはイデオロギーの異なる友人である。彼に言わせると、東京がオリンピックに熱狂するのは、巨大な権力と巨額の予算を有するからで、そもそもオリンピックを開くだけの権限と予算が無ければ、「やろう」という話にすらならない、ということだった。
具体的に言えば、東京都の予算は約13兆円(特別会計を含む)で、これはスウェーデン、インドネシア、イランなどの中規模国の国家予算に相当する。原発を有するような中規模国に匹敵する予算を、一都市で賄っているのが東京であり、金と権限が集中すればそこに腐敗が凝縮するのは避けられない。

オリンピックを強行した結果、インフラ整備が都心部に集中、本来インフラ整備が遅れがちな多摩地方のインフラ整備が先送りされている。また、治安強化が謳われることで、警視庁が焼け太りし、警官の増員はおろか、「テロ・組織犯罪対策」としてメールやSNSの監視システムを整備しつつある。情報を真っ先に入手できる都議会議員は、都心部のマンションを買いあさって転売、ボロ儲けして高級車を乗り回してふんぞり返っている始末だ。

対する都民はオリンピックという名のサーカスに酔いしれて、自分たちの自由権と財産権が侵害されていることに誰も気づいていない。言うなれば「パンとサーカス」あるいは「リヴァイアサン」である。前者は、愚民化政策を指す世界最古の言葉で、無償の食糧と見世物を与えておけば、市民は政治に対する関心を失い、ローマ皇帝と貴族に盲目的に従うだろう、というもの。後者は、ホッブズの著作名で、本来は国家(共同体)そのものを指す表現だが、市民の主権者意識が失われると、固有の自然権も放棄させられて、国家に集約されて制御不能な巨大権力と化してしまう寓意でもある。
つまり、オリンピックに目がくらんだ東京都民は、自らの税金が際限なく祭典につぎ込まれ、いつの間にか自身が治安当局の監視対象にされていることすら気づかないうちに、東京都政府は制御不能な巨大権力と化してしまっているのだ。
東京オリンピックの問題点についての過去ログを再掲しておくので、参考にして欲しい。
東京都は直接的な経済波及効果を約3兆円と試算しているが(需要増で1兆2千億円)、民間では最大150兆円規模との見方もあり、相当に幅のある数字になっている。
東京都の数値に従って見てゆくと、国立競技場を5万4千人規模の開閉式屋根付きに建て替えるだけで1300億円が見込まれており、水泳の会場となる「アクアティクスセンター」(2万席)などの大規模施設が並んで合計4750億円となっている。さらに関連のサービス業で6500億円、小売業で2800億円、保険業で1200億円などが連なる。
民間の試算では、「観光業が倍増」とか「安倍政権の国土強靭化計画で55兆円」などが加えられて「経済波及効果」として100兆円を上回るものがある。
対して東京都は「コンパクト」を売りにしているものの、予算として80億ドル(8千億円)を計上しており、うちプール金が4千億円であることから、今後さらに4千億円の新規予算支出が求められる。
つまり、「8千億円の予算支出で3兆円の経済効果」こそが東京都官僚と推進派政治家の本音ということになるが、言うまでもなく8千億円は都民が納めた税金であり、経済効果は官僚の試算に過ぎない上に特定の業者に偏るだろうと考えられる。実質的な需要増で言えば、4千億円の増加でしかなく、たとえ試算上といえどもリスクの大きい賭けではなかろうか。
オリンピックは儲かるか?」 

今回の東京オリンピックは国内の世論調査でも「賛成5割、反対2割」といった具合で招致活動の盛り上がりが今一つで、東京都が37億円も費やすことで何とか維持してきたが、それでも自信がなかったため、皇族を大量投入することで国家の権威を示さざるを得なかった。それは、開催の名目や大義名分が曖昧で、税収の2倍の予算を組んでいる極度の財政難と原発事故が未収束という背景がありながら、「お祭り」に4千億円も大盤振る舞いすることに十分な説明が与えられなかったためだ。
言うなれば、夕張市やデトロイト市が巨大な花火大会を開催するような話であり、「これは基金として別枠の予算ですから」と言ったところで、納得できないのは納税者として当然だろう。

他方、1964年の東京オリンピックは、第二次世界大戦で日本が全世界50カ国以上(連合国、後の国連)と戦争を行い敗戦に至ったことから国際復帰するという象徴的意味があった上に、非白人種の国における初めての開催という大義名分があった。また、国内的には焦土と化した敗戦からの復興という意味合いがあり、それを理由にしたインフラ整備も正当化され、実際に支持されていた。

オリンピック開催が決まったことで、首都高や上下水道など老朽化したインフラや地震での崩落が予想される体育館やプールなどの全面改修が急務となるが、それらを理由に巨額の予算が組まれ、またぞろ不要不急の建造物が大量に増築されることになりそうだ。終了後には無用のインフラと巨額の赤字が残るだろう。4千億円のプールがあるだけに、帳面上は負債にはならないかもしれないが、その維持費だけでも重くのしかかってくる。
東京オリンピックを消極的に評価する

制御不能な巨大権力と化してしまった東京都は、分割することでのみ、都民の自然権と主権を回復することが出来る、というのが友人の主張である。具体的には、東京都を四分割、つまり23区を東北西に三分して三つの県にし、プラス「多摩県」に分ける。そうすれば、分割された県は、予算規模において千葉や埼玉と同レベルになると想定され、巨大祭典を開いて一儲けし、税金で花火を上げて見世物にしようなどという発想にはならないはずだ。
友人の言葉を借りれば、「都解体構想こそが本来の自由主義の発露なのだ」ということである。

やべぇ、リベラリズム美し過ぎる……
以前、秘書が運転するレクサスに乗ってゴルフに行く名古屋市会議員を見たことがあるが、腐臭しかしなかった。友人の構想に比べれば、橋下の大阪都構想など、「東京だけズルい」という醜悪な嫉妬でしかない。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という、ジョン・アクトンの言葉は現代の自民党や霞ヶ関だけでなく、東京都や名古屋市にも適用できよう。
個人的にも、東京都議会なんてどうでもいいが、「多摩県議会」とか言われると俄然ナショナリズムが刺激される気がする。「初代多摩県会議員」の名誉に対する誘惑に、果たして私は抗しきれるだろうか。
posted by ケン at 12:25| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

直接民主主義の限定導入を考える

国会議員秘書として身もフタもないことを言ってしまうと、国会議員の活動の中で立法活動に関わる時間は非常に低い。仮に最大限で考えた場合、1週間のうち、6時間の委員会を2回、2時間の本会議を2回として計算しても16時間でしかなく、予算委員会や今回の平安特のような特殊なケースを除けば、平均すると週に8時間もないのではないか。もちろん、国会閉会中は、閉会中審査という例外を除いて、委員会も本会議も開かれない。
ただ、委員会に出席する前に、官僚から個別に法案の説明を受けたり、政党の部門会議などで関係者や専門家を呼んで意見を求めたり、議員間討議を行ったりするため、国会の会議以外の立法活動にもそれなりの時間が割かれているわけだが、それも全体の比重からすると、何人かの例外を除けば、決して多いワケでは無い。特に、日本の政権党(殆ど自民党のみ)の場合、霞ヶ関から上がってきた法案をそのまま通す代わりに、予算の箇所付けによって地元に利益誘導するシステムになっているだけに、立法活動に対する関心はさらに低くなる。

では、日本の国会議員は何をしているのかと言えば、その業務の大半は陳情処理や後援会活動で占められている(NK党などの例外はある)。これは、国会議員事務所の労働力配分を見れば一目瞭然で、例えば国会議員には3人の公設秘書(公費負担)が認められているが、殆どの事務所の場合、3人の内2人を地元に置いて陳情処理と後援会活動に従事させており、国会事務所にいる残る1人もその仕事の半分は陳情処理や来客対応、あるいは国会見学に割かれている。秘書の労働力を単純計算すると、国会議員事務所の6分の5は陳情処理と後援会活動に充てられ、立法活動や政党運動に充てられているのは6分の1でしかない。

陳情と言えば、聞こえが良いが、現実に寄せられる陳情の大半は「審議中の法案について反対して欲しい、こうして欲しい」などというものではなく、「〜の公立病院に入院したい」「〜に建物を建てたいから許可が欲しい」「〜の補助金がもらいたい」「〜の外国人の在留許可が欲しい」などといったあからさまな利益誘導が殆どを占めている。もちろん、これは立法活動の一環では無く、それどころか政官民癒着の腐敗でしかないが、それが現実なのだ。だからこそ、「政治に参加して国を良くしたい」と考えて秘書になるものほど、失望して早々に政界を去ってしまう。
また議員側にしてみれば、陳情処理の数が政治資金(献金)と票に直結するだけに、次の選挙を考えた場合、陳情処理の優先順位を上げざるを得ない。そして、後援会活動もその実質は選挙の事前運動である。投票率が低くなればなるほど、集票マシーンとしての後援会の重要度が上がるため、議員としてはますます陳情と後援会に奔走せざるを得なくなる。
その結果、圧倒的な「風」でも吹かない限り、普段から陳情処理と後援会活動を欠かさない候補が当選する確率が高くなっている。すると、議員としては官僚に陳情処理してもらい、予算措置などで優遇してもらう対価として、官僚が出してくる法案を丸呑みするということになる。
こうした実情は、国会に直接来て、委員会などを傍聴すれば一目瞭然だ。定数40人程度の委員会で、与野党の理事と質問者とNK党の議員の他に座っているのは数人といった、定数の半分にも満たないケースは日常茶飯事と言える。本会議ですら、採決がある時を除けば、座っているのは前の方の若い議員だけで、後ろ(ベテラン)の席はガラガラなどというのは「当たり前」だ。

立法府の役割は、法律を策定・審議すると同時に予算や条約を審議、そして行政権が適正に運用されているかチェックすることにある。確かに原理上は、陳情は「行政が適切に運用されていない」ことを前提に立法府が行政に改善を求める、という形式をとっているため、必ずしも全否定できないのであるが、現実に横行している陳情の圧倒的多数は、私の経験上、ただの利益誘導と言える。つまり敢えて言えば、日本の国会は、政府が予算案と法案を出し、野党が反対して、与党が賛成するだけの存在に堕してしまっている。

もう一つの問題として、小選挙区制度の導入によって民意の反映度が低下していることが挙げられる。詳細は下記の過去ログを見てもらいたいが、例えば有権者数30万人の選挙区で、投票率が50%だった場合、現行制度ではまず15万人は不参加として切り捨てられ投票(選挙)に何の影響も与えられない。この15万人もまた主権者であるはずなのに、主権行使を辞退することが是とされるわけだが、デモクラシーの原理は「意思決定に対する全員参加」を前提としているだけに、この時点で原理原則が歪められ、一部の主権者による寡頭政治になってしまっている。さらに投票された15万票を見ても、小選挙区では当選者が1人であるため、概ね半数の票を獲得すれば当選できる。この場合、7万5千票が「投票したのに反映されない死票」と化してしまう。すると、有権者30万人の内、議会に反映されるのは4分の1の7万5千人分の民意でしかないということになる。民意の反映度の低下は、議会の民主的正当性と信頼度の低下に直結する。
逆に、私の居住地であるC市の市議選を見た場合、有権者18万人に対して投票率45%で8万人しか投票していないものの、いわゆる死票と無効票は合わせて8千票しかなく、投票者のうちの9割が議会に代表者を送ったことになる。これは一市一選挙区の大選挙区制であるためだが、たとえ投票率が低くても死票が少ない方が「自分たちの代表を議会に送った」という満足感が得られる結果になる。
もっとも、明治時代に設定された「地域の名士を代表者として国会に送り込んで御上に嘆願する」システムが21世紀の今日まで使いまわされていることに、我々はもっと疑問を抱くべきだろう。選挙区で地域代表を議会に出すという仕組み自体が、陳情と利益誘導を促進しているのだ。

議会の機能不全と民主的正当性の低下は、日本におけるデモクラシー危機の大きな要因と考えられる。国政に反映される民意は3割強(比例代表があるため)でしかなく、選出された代議員は利益誘導と事前運動に明け暮れているのが、日本の議会政治の実相であり、その認識無くしては日本政治の未来は語れない。
この危機を打開するためには、一つは選挙区制度を廃し、陳情=利益誘導の一切を禁じる必要がある。その上で、より専門性の高い、法案審査や予算審議に適した人物が議員を担えるようにしなければならない。以前、本ブログで紹介した「委員会別選挙」がそれだ。
地域の代表を選出する現在のシステムを改め、各分野の専門家を選出することを目的とする必要がある。「厚生労働」「外交」「文部科学」などの委員会ごとに専従の議員を選出するのだ。
仮に衆議院に15の委員会を設定した場合、委員会ごとに30人の定数を決め(委員会によって定数が違ってもよい)、全国一選挙区あるいは全国を東、中、西の三選挙区に分けて10人ずつ選ぶ(大選挙区制)。有権者は委員会別に15の票をもって、15人の専門議員を選ぶことになる。
選出された議員は4年間の任期の間は、予算、決算、各特別委を除いて他の委員会と兼任できないこととする。委員の差し替えも禁止、委員会と本会議への出席義務を強化する。議員には委員会と本会議の出席を義務付け、出席時間が開会時間の7割を下回った場合、自動的に失職。補欠選挙は行わずに繰り上げ当選のみとする。さらに、現職議員の場合、得票数に対して委員会出席割合が掛けられる。仮に委員会出席時間が開会総時間に対して8割だった場合、得票数に対して8割が有効票となる。

さらに国会議員の議決権を廃止し、国会議員は法案審議(修正)権のみを認める。議会に提出された法案や条約などについては、年に2度まとめてインターネットの電子投票による直接投票で採決することにするが、そうなると100本から200本の法案を有権者が判断することになり、必ずしも現実的ではないため、国会議員を1人選んで議決権を委任することができるようにするのだ。
このシステムにすれば、「基本は自民だけど、郵政改革やTPPには反対」という人でも(面倒ではあるが)安心して自らの主権を行使できるだろう。選挙では自民党に投票しても、重要法案の採決時には、自分で投票することも反対を明言する議員に委任することもできるからだ。
この制度の場合、国会議員は予算や法案を審議し、有権者に問題点をアピールすることが主な仕事になり、かつ議決権が限定されるため、政官民の癒着に大きく歯止めをかけられるだろう。また、選挙で無責任な公約をしたものは、議決権の委任が減り、その権威を低下させるだろう。同時に、陳情や法案採決が制限された国会議員は、カネが集められなくなり、金権政治の歯止めにもなる。

以上のように考えると、まだまだ妄想段階ではあるが、間接民主主義の機能低下が直接民主主義導入の原動力になるという可能性は割とリアリティがあるのかもしれない。
日本の議会が立法と民意集約という本来の機能を果たさずに信頼を低下させている一方、インターネットの普及によって従来は困難とされていた直接民主制の実現性が高まっており、間接(代表)民主制を見直すべき時が迫っていると考えられる。
統治機構のあり方、多数決原理と投票システムについては今後も考察を深めたい。

【参考】
小選挙区制の問題点 
消費増税争点に見る小選挙区制の欠陥 
委員会別選挙の提案 
posted by ケン at 12:20| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする