2017年06月15日

まずは休日の削減を!

【有休取得3日増、企業に要請へ 休み方改革へ官民会議】
 働く人が年次有給休暇(有休)を取りやすくするため、政府は近く「休み方改革」の官民推進会議を開く。2018年度の有休の取得日数を前年度より3日増やすよう企業に要請し、実際に増えた企業を助成する仕組みも検討する。学校の長期休暇の一部を地域ごとに分散させる「キッズウィーク」と組み合わせ、消費拡大や観光振興につなげる狙いだ。菅義偉官房長官は5日の記者会見で、「大人と子どもが一緒に休むために学校や企業など多方面で共通理解が必要だ」と述べた。
 有休は働く人の疲労回復のための制度。政府は取得率を20年までに70%に引き上げるとの目標を10年に掲げた。しかし、16年調査では48・7%。労働者1人あたり年18・1日が付与されたが、実際に取れたのは8・8日だった。政府は「働き方改革」で掲げる長時間労働の是正には、取得率アップなどの「休み方改革」が必要と判断した。
(6月6日、朝日新聞)

相変わらず現実離れしている。これも何度も説明していることだが、繰り返す。
有給休暇の取得率は、公式統計上、全体平均で50%を切るくらいだが、就労者の7割を占める中小企業に限れば、40%弱でしかない。また、業種別で見た場合、飲食や宿泊などのサービス産業は30%程度でしかないという。さらに言えば、制度上は、パートやアルバイトも有給休暇を取得できるようになっているが、その取得率は20%強と言われ、有名無実化している。

一方、国民の祝日は2000年以降、「みどりの日」から最新の「山の日」に至るまで4日も増えている。祝日が増えた結果、振替休日も増加、公休日が増えて市場の稼働率が大きく低下している。国際的に見て祝日は年間7〜10日程度の国が大半であるところ、日本の17日というのは圧倒的に多い。
日本の年休法は、勤務期間によって10〜20日を最低日数として定めており、平均で18日となっている。これに違反して休暇を与えない使用者は罰せられることになっているが、実際には年休は「労働者の権利」として扱われているため、年休の約50%が行使しないまま放棄されている現状となっている。
これ以外にも、「病気休暇」が設定されているものの、「病休を取ると昇進や昇給に影響が出る」という空気が支配的なことが多く、手続きが面倒な場合もあったりして、実際には年休を取って済ます例が多い。そのため、取得年休のうちの10〜20%(2〜4日)は病気理由によると言われている。そうすると、実質的な年休取得率はわずか30%前後に過ぎない、という話になる。

日本の公休の多さは残業の多さとも関連があると考えられる。個々人が有給休暇を取得する場合は、ある程度は職場の同僚がカバーするだろうが、公休で全職務がストップしてしまうため、平日の作業量が増え、労働効率が悪化、残業が増える構造になっている。特に、海外との取引が急増している今日では、「日本だけ決済が遅れる」というケースが多くなり、外国取引に大きな支障が出ているだけでなく、外国と取引のある企業では休日出勤が常態化する傾向が強い。つまり、公休を増やすことは、グローバル競争力を低下させるだけで、実のところ政府の方針に反する結果しか生まない。
また、観光や各種文化活動が公休日に集中することでも、そのパフォーマンスを低下させている。欧米並みの有休取得率であれば、連休の観光地の超混雑や高価格は避けられ、観光業も飲食業も稼働率を上げることができるはずだ。

この場合、ただ政府が企業に対して有休取得を呼びかけたところで、企業側には何のインセンティブも無いため、「プレミアム・フライデー」同様、惨憺たる結果に終わるだろう。
解決策としては、まず国民の祝日を半分にし、その上で有給休暇そのものを増やしつつ、その取得率が90%以下の企業に対しては懲罰を科す(企業名の公表と罰金と公的調達の禁止)、あるいは余剰休暇の高額での買い上げを強制する仕組みをつくるべきだ。特に被雇用者の4割を占めるに至っているパート・アルバイトの有給休暇については、特段の配慮をなす必要があろう。

ヤクニンどもはマジで「仕事するフリ」を止めて欲しい。

【6月16日、追記】
病休規定は労基法で規定されたものではなく、公共機関、それに準じる機関と労使協議で規定された場合のみ設定されていることを補足しておく。
posted by ケン at 12:32| Comment(3) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

留学生に労働力を求める日本

【留学生を労働力に積極活用 自民PTが政府に提言へ】
 安倍政権が掲げる「1億総活躍」の一環として、自民党が5月、留学生を労働力として積極的に活用するために、日本語学校の教育の質向上に向けた文部科学省の責任を明確化することや、入管難民法が規定する外国人留学生の就労制限(週28時間)の緩和などを政府に提言することが分かった。留学生の日本企業への就職支援強化も促す。政府は、提言を経済財政運営の指針「骨太方針」などに反映させる。
 提言案をまとめたのは、自民党1億総活躍推進本部に設置された「誰もが活躍する社会をつくるプロジェクトチーム(PT)」(穴見陽一座長)。
 日本語学校の管轄は現在、法務省が事実上担当しているため、不法在留などの取り締まりに重点が置かれ、教育内容や教員の質の確保に関する監督責任の所在が曖昧になっている。提言案は、新法制定を含む法改正を視野に、文科省の教育面での責任を明確化するとともに、法務、外務両省などとの連携強化を促す。日本語学校や日本語教員の教育能力を適正に保つための検査や研修制度の確立も政府に求める。
 留学生の就労については、入管難民法やマイナンバー法を改正し、事業者に対して詳細な労働状況を報告するよう義務化。留学生の在籍管理に著しい問題がある日本語学校は、留学生の受け入れを認めないようにするなど就労管理を強化した上で、学業に支障が出ない範囲内で就労制限の緩和を検討する。
 また、日本での就職を希望する留学生の半分程度しか日本企業に就職できていない現状を踏まえ、就職支援の強化や、留学生の住環境を整備するための政府関連予算拡大も提言する。
 さらに、大学などに留学生の就職や学位取得の状況などの情報を積極的に公表させて切磋琢磨(せっさたくま)させるよう文科省に要請。現状では在留資格が得られずに帰国するケースが多い大学・専門学校卒の留学生が、引き続き日本で就職できる枠組みの充実も求めている。党1億総活躍推進本部は、他のPTの提言案などと合わせて最終調整の上、大型連休明けにも政府に提出する方針。
(4月27日、西日本新聞)

留学生を労働力と見なさないとならないくらい労働力が払底しているという認識らしい。日本の場合、現在でも学生ビザ保有者には「週28時間」までの労働が認められており、これは週5日の労働で1日5時間半の就労が可能であることを示している。言うまでも無いことだが、1日5時間も働いたら学校に行くのが精一杯で、よほどの人でない限り、学校外で勉強などできないだろう。
実際、ある程度淘汰されたとはいえ、多くの日本語学校で欠席者が多かったり、出席しても居眠りばかりしている生徒が非常に多かったりといった事例が報告されている。

大抵の国では、学生ビザでも一定の就労が認められているが、殆どの場合が週20時間以下であり、週28時間の日本はかなり長い部類に入る。これを延長するということは、実質的には「留学生ビザという名の就労ビザ」になることを意味する。

ところが、従来、就労学生の大半を供給していた中国では、賃金の上昇により就労目当ての留学が急激に減少、むしろ相応に裕福だが、欧米に留学するほどの頭脳や資金を持たない中間層の留学が増え、日本のブラック労働に耐えられなくなっている。結果、日本で厳しいアルバイトをしているのはベトナムやネパールなどの出身者に移行している。だが、そのベトナムも近年では賃金の上昇が著しく、時間の問題とされている。そうなると、アフリカや中近東から呼び込むしか無くなるだろうが、日本の労働市場にそこまでの魅力があるかどうか。

つまり、財界の代弁者である自民党が「安価な外国人労働力」を求めれば求めるほど、日本の労働市場は外国人にとって魅力を失うという関係にある。その結果、悪質な労働環境や待遇は改善されないまま、労働力も賄えず、同時に低賃金労働者の長時間労働に依拠する生産効率の改善もままならず、生産性も上がらないし、生産性の向上に伴う賃金上昇や消費拡大も起こらないという悪循環にある。

いずれにせよ、学生の本分は勉学にあり、それ以外の雑事は最小限度に止める環境を整えるのが「健全な国家」のあり方であるはずだが、現実には初中等教育は行事と部活動が勉学を阻害し、高等教育は低賃金で働くか大借金をしないと学べないという環境を強いている。
posted by ケン at 12:17| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

日本の低生産性の原因・補〜低士気について

先の稿で「みんなで頑張る」をモットーとする日本型組織が、結局のところは労働力の投入量に依拠した単純な人海戦術であり、労働力が頭打ちになった現在では、一人あたりの投入労働力を増やすことでしか現状を維持できなくなっている(超長時間労働)ことを説明した。

その結果、労働時間1時間当たりの国民総生産(GDP)は、2014年でスウェーデンが54.4ドル、フランスが60.3ドル、ドイツが58.9ドルである一方、日本は39.4ドルしかない。だが、この数字はサービス残業を含まないため、実際には35ドルか、それ以下かもしれないのだ。また、労働時間以外にも、日本型組織は欧米には存在しない「飲みニケ−ション」や社内行事が山ほどあり、サービス残業以外にもさらに組織に拘束される時間が長くなる傾向が強い。こうした拘束時間を含めれば、この数字は限りなく30ドルに近づくだろう。つまり、日本人の生産性は、3週間のバカンスをとるフランス人やドイツ人の半分しか無い。

別の見方をしよう。イタリアの年間労働時間は約1350時間であるのに対して、日本の名目上の労働時間は約1750時間。ただしこれはサービス残業が含まれない数値であり、現実の数値は2000時間に上ると考えられる(一説では2300時間)。このことは、日本人はイタリア人の1.5倍も働きながら、イタリア人と同レベルの収入しか得ていないことを暗示している。別の見方をすれば、一カ月のバカンスを取るイタリア人と、2日と連続した有給休暇を取ることも出来ない日本人が、同じ収入なのだ。むしろ「日本に生まれたことが不幸」と言えるレベルだろう。
一日の大半を会社で過ごし、夜12時に帰宅して朝6時には家を出て、休日出勤当たり前で有給休暇も取れず、ロクに残業代も支払われずに、子どもの教育費すら事欠くという生活環境にあって、御上や親からは「産めよ、増やせよ」と言われるのだから、生きることすら苦痛を感じてもおかしくない。

こうした結果、日本人の士気はエリートの知らないところで恐ろしく低下している。
エンゲージメントを研究する米国のタワーズワトソンの報告を見てみよう。エンゲージメントとは、エンゲージリングで思い出すだろうが、「繋がり、絆」を示すもので、社員の会社に対する愛着、貢献したい気持ち、あるいは積極的に関わりたいと思う気持ちを指す。これは、社員の積極性、自主性、創造性あるいは協同作業の効率に直結すると考えられている。
単純に言えば、誰しも好きな上司のためなら積極的に役に立ちたいと思うし、多少の無理は聞いてあげてもいいと思うだろう。だが、逆に嫌いな上司に対しては「死ねばいいのに」「失敗して脱落しろ」「言われたこと以外何もしてやらない」と思うのが情というものだ。

さて、同社が出した「2014年グローバル労働力調査」によると、日本でエンゲージメントレベルが高い社員は21%、ある程度高い社員は11%、低い社員は23%、非常に低い社員は45%であった。これに対して、アメリカは39%、27%、14%、20%で、調査平均は40%、19%、19%、24%だった。
つまり、日本では「会社のために自分も役に立ちたい」と考えている社員は32%しかいないのに対し、米国では66%、世界平均では59%いる。また、「会社のために貢献とするとかあり得ない」と考える社員が68%もいるのに対して、米国では34%、世界平均では43%だった。

貧困が増大し、いまや6千万人からの国民がフードスタンプを利用しているアメリカだが、企業内の士気は予想外に高いのだ。これに対し、表面上は内閣支持率が60%近くあり、政府調査(国民生活に関する世論調査)では「現在の生活に満足している」が7割にも達している日本では、社員の3分の2以上が「会社なんて死ねばいいのに」と思っている。

日本の場合、「愛社精神を育む」として長時間の集会や研修会が行われ、同時に望みもしない懇親会や社内イベントが山ほど開かれるが、これはソ連型社会主義国における政治集会、イデオロギー教育、パレード、スポーツ祭典などに相当するもので、やればやるほどトップの権威は向上するかもしれないが、末端構成員の士気・エンゲージメントはひたすら低下していくことを示している。
日本の学校が、ムダにイベントが多いのも、学校の権威向上には役立っても、実のところごく一部を除いて、大半の生徒の自主性や積極性を削いで、沈黙しながら「早く卒業して自由になりたい」と思わせている可能性が高い。

1991年8月、クーデターを受けて、エリツィン・ロシア大統領が共産党の活動を禁止した際、誰一人として抵抗しなかった故事が思い出される。

【追記】
他にも日本の生産性の低さは、祝日の多さと有給休暇の少なさに原因を求めることができる。詳細は、「公休増やすな、有休とらせろ!」を参照して欲しい。
posted by ケン at 13:05| Comment(9) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

日本の低生産性の原因〜40年来の疑問

先日の勉強会で40年来抱いていた疑問の解答を得た。先に断っておくが、ケン先生も主宰者の一人だが、ソ連・東欧学の勉強会ではない。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

実は、これこそ正に日本型組織、社会の典型で、仮に欧米の学校で起きていれば、誰も文句を言わなかったし、疑問にすらならなかっただろう。
問題の本質は、作業を終わらせられない生徒の非効率(能力の欠如ないしサボタージュ)にあるか、もしくはリーダーの管理能力(作業量の設定と割り振り)にあるのであって、欧米の企業ならまず労働者のクビを切り、それでもダメな場合は管理者のクビが切られ、作業方法と管理体制の改善が進められ、それによって生産効率の向上が図られる。この場合のクビは必ずしも解雇を指すとは限らないが、実質的には同じである。
ところが、日本型組織では、あらゆる問題が議論されずに放置され、理由も無く「みんなの責任(問題)」にされた挙げ句、精神論と人海戦術で解決するため、効率・生産性の向上が図られない。

日本の会社の99%はこの体質を有していると考えられる。まず、無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。「どうせ終わらないし帰れない」のだから、同僚の作業進捗を見ながらサボタージュすることで、楽して残業手当をゲットできるからだ。

さらに、日本の雇用慣行により、従業員は「職掌(ジョブ)」で雇用されるのではなく、全人格ごと雇用されるため、「作業効率が悪い」程度では解雇されない。司法判例も、まず他部署に配置して他の作業で試すことを要求している。これに対し、欧米の企業はジョブの能力で雇用しているため、その能力が会社の要求水準に達しない場合は、それを「正当な理由」として解雇できる。この結果、日本社会では正社員は、よほどの不祥事を起こさない限り解雇されない一方、企業は無能あるいは不適合な社員を囲い続けなければならない。同時に、日本の社員は職掌範囲が定められていないため、仕事の成果や能力が定量化、計測できず、公正に評価される基盤が無い。結果、個々の社員は生産性を上げるインセンティブが存在せず、企業側は無能な社員にも仕事を与えて人海戦術で対応せざるを得ず、組織としても生産性を向上させる術が無い。

かつてドイツの公的機関に勤めていた叔母は、ある日、同僚と早くディナーに出たいがために、彼女の作業を手伝っていたところ、ドイツ人の所長に咎められ、「何で手伝うんだ、組織の公正さが保てなくなる。それ以上やるなら貴女の人事評価を下げるぞ」と言われたという。これは、ジョブで雇用されている以上、「作業が終わらない」のは同僚の能力が低いか、ないしは彼女の上司(課長)の管理能力に問題があるかのどちらかであるが、叔母が手伝うことで能力の査定に支障が生じると同時に、責任の所在も曖昧になってしまう、というのが所長の主張だったらしい。
もちろん新自由主義が流行する前の話であり、新自由主義云々の問題では無く、組織管理と雇用慣行の問題であることは言うまでも無い。

特に日本の場合、管理能力が問われることが無いため、無能な経営者が跋扈していることが、低成長の最大の原因となっている。欧米の企業の場合、業績を上げられない経営者は株主総会で馘首されるが、日本ではまず起こりえない。世界最大級の核事故を起こしてすら、「原因は自然災害」とされ、一人の責任も問われずに終わり、安全性の向上は実質放置されたまま、再稼働が進められている。
核事故が進行中の時も、東京電力の社長は記者会見において原稿を読む以上の答弁は何もできなかったが、あれはまさに死の直前のブレジネフを思わせるものがあった。しかも日本の記者は予め当局に選ばれた者しか会見に参加できず、当局の意向を忖度して質問内容を自粛する傾向が強い。
また、ロシアのプーチン大統領は原稿も補佐官も無しに4時間でも5時間でも記者の容赦ない質問に答え続けるが、日本の首相は無数の補佐官を付けながら、国会のわずか一つの質問に対してすら「事前通告が無いから答えられない」と応じ、誰からも咎められない。むしろ「事前通告しないヤツが悪い」くらいの話になっている。
つまり、日本国民は生来の奴隷根性と学校の教育によって、無能な上司を告発する意識を持たないように洗脳されている。無能な経営者や政治家にとって日本ほどの天国はどこにもない。
日本型組織では、能力や成果ではなく、組織や上役に対する忠誠度によって人事評価がなされる傾向が強いことが、ますます生産性を下げていると考えられるが、これについては別途考察すべきだろう。

何のことは無い、日本の戦後成長は人口ボーナスで支えられてきただけで、人口ボーナスが失われた途端に成長も止まってしまい、生産性を向上させる術もないため、市場全体も停滞から減退へと転じているのだ。本来であれば、組織の効率化と女性の高度活用によって生産性の向上が図られるべきだが、現実には安価な非正規労働者と外国人奴隷を動員することで解決しようとしているため、消費が減退し、貧困が蔓延した上、生産性も停滞したままになっている。

カルロ同志の表現を借用するなら、仮に悪性腫瘍で足を切断しないと5割の確率で死亡する患者がいるとして、手術の是非は、西欧なら患者個人の自律的判断に委ねられる。ソ連なら執刀医が、共産党員の医局長ないし病院長の裁可を得て判断する。ところが、日本ではまず執刀医を決める会議の日程が組まれ、それまでに膨大な労力を掛けて患者と外科資格を持つ医師の資料が作成される。そこで執刀医が決まっても、今度は患者の家族に説明する日程を決める会議が行われ、説明用資料の作成に膨大な時間が掛けられ、そうこうしているうちに患者が死亡してしまうのだ。
posted by ケン at 13:51| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

資本の論理と血統主義の呪縛

【経団連会長、人手不足への対応「日系人に日本で働いてもらう」】
 経団連の榊原定征会長は10日午後の記者会見で、人手不足について「今後さらに深刻になる。いまの外国人労働者の規模では足りなくなる」と認識を示した。そのうえで「海外の労働力の活用を長期的に検討していく必要がある」と述べた。外国人労働者の活用の一例として「日系人に日本で働いてもらう」ことを挙げた。榊原会長は東京電力ホールディングス(9501)の川村隆次期会長(日立製作所名誉会長)に関し「日立が苦境に陥った際に経営改革を実行して立て直した」と評価した。「東電には福島第1原発の廃炉や被災者への賠償など大きな課題があるが、力を発揮してもらえると期待している。経済界としても可能な限り応援していきたい」と述べた。
(4月10日、日本経済新聞)

あまりにも剥き出しの資本の論理と御都合主義的な血統主義に圧倒される。リーマンショック後、日系人労働者が大量に解雇され、経団連の圧力によって「強制帰国事業」が政策化されたのは、ほんの7年前のことだった。文字通り「舌の根も乾かぬうちに」またぞろ「日系人」を徴用したいという。

この話は詰まるところ、「安価な労働力」としての外国人と、「忠実で上に楯突かないだろう」「見た目的に外国人度が低い」日本人の血統を有するという条件が合致したことに起因する話で、要は「いつでも解雇可能で、待遇に文句を言わず、ただ同然で働かせられ、人権を侵害してもあまり文句を言われない」労働力を望んでいるだけなのだ。これは、戦前期において朝鮮人や台湾人を「帝国臣民」と規定しながらも、実際には「二級市民」として扱い、「権利の弱い安価な労働力」として過酷な超低賃金労働につかっていたことと根を同じくしている。
その意味では、巷間指摘される安倍政権による「戦前回帰」は、財界からの要請もあると言えるのかもしれない。

(こういう表現が適切かは別にして)日本人、日本国籍保有者ですら、現状では雇用が守られているのは大企業だけで、労働時間は実質無制限、残業代は支払われればマシな程度、有給休暇制度はあっても好きには利用できない、低賃金、パワハラ・セクハラは放置状態という、欧州人からは想像も付かない地獄的環境にあるが、日本の資本家どもは「日本人労働者は恵まれすぎて利益を出せない」と考えている。クロネコのような大企業ですら、不払いだった残業代のうち払うのはたった2年分だけであるのは非常に象徴的だ。

こうした資本家どもの横暴が放置されているのは、日本の労働運動や社会主義勢力(社会民主主義者とマルキストを含む)がいかなる影響力も無いことに起因している。
労働運動の最大勢力である連合は、全労働者の12%程度を組織しているのみで、それもエリート労働者ばかりで構成されている。連合幹部の家を見てみれば分かるが、そこら辺の中小企業の社長などよりも余程贅沢している。つまり、「官製ではない」というだけで実質的には「赤い貴族」なのだ。その結果、労働時間規制を議論する時でも、「規制が無いよりはマシ」程度の理由で、ストライキを打つこともなく、「残業月100時間」で合意してしまった。これでは、旧東側の官製労組や戦中期の産業報国会と何ら変わらない。

国会(衆議院)を見てみれば、社会主義を奉じている政党(NK党と社民党)の議席は5%にも満たない。これは、日本の労働者が恐ろしく収奪されているにもかかわらず、自らの労働者性を全く認識していないため、自分がいかに虐げられている環境に置かれているかすら気づいていないことが大きく影響していると考えられる。これでは、レーニンの前衛党理論が再評価されても致し方あるまい。逆に考えると、社会党が消失したにもかかわらず、NK党が伸び悩んでいるのは、2000年に前衛党ドクトリンを放棄して「(物わかりの)良い子」になってしまったからかもしれない。

一方、日本の資本家は資本家で相当に頭が悪い。デフレからの脱却が進まず、出生率が上昇しないのは、過酷な労働環境と低賃金・低所得に起因している。同時にいつまでたっても労働生産性が改善されないのは、低賃金の労働者を長時間にわたって酷使できる環境が放置されているため、業務の効率化や機械化を進める必要が無いことに起因している。生産性が上がらないため、賃金も上げられず、消費が増えずに景気が低迷する悪循環だ。
この状況下で、さらに無権利、低賃金の外国人労働者を動員してみたところで、労働生産性をさらに悪化させ、競争力の無い企業を温存させるだけであり、その行き着く先は「資本主義の緩慢死」でしかない。連中の言は、まさに無能な指揮官が上級司令部にひたすら増援要請を行い、「勝てないのは司令部が増援をよこさないからだ」と言うのに等しい。

マジで「バカばっか」

「私が魔法の壺を持っていて、そこから艦隊が湧き出てくるとでも奴は思っているのか?」(ラインハルト・フォン・ローエングラム)
posted by ケン at 12:09| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

自殺するくらいなら働けって話

【自殺による損失額は4594億円 厚労省が生涯所得算出】
 厚生労働省の研究班は23日、2015年中に自殺した人が生きていれば得られていた生涯所得が推計4594億円だったと発表した。失業率などを考慮して算出した。自殺者数は減少傾向が続いており、損失額は自殺対策基本法が施行される前の05年に比べて992億円減った。都道府県別では、東京都が最多で669億円、大阪府が365億円、神奈川県が364億円と続いた。厚労省の統計では、全国の自殺者数は05年が3万553人で、15年が2万3152人。研究班は、自殺総合対策推進センターの本橋豊センター長や一橋大の金子能宏教授らで構成した。
(3月23日、朝日新聞)

こういう数字を出すこと自体、国家が国民を労働力としてしか見ていない証拠と言える。要は「自殺するとは情けない。死なずに働いて国家に奉仕せよ」ということであり、その結果として「もし自殺者が思いとどまれば、数千億円の生産を増やせる(はず)」などという統計が出てくるのだ。そこには、自国民を精魂を有する生命として捉えるのではなく、収奪すべき労働力という視点しかない。失われた労働力を数値化しているに過ぎないのだ。
言い換えれば、現行政府は、尊厳ある生命の消失を悔やむのでは無く、本来活用できるはずの労働力を惜しんでいるだけであり、国民を労働力としてしか考えられない権力者どもの精神が、国民を自殺に追いやっている。

同じことは、「少子化対策」にも言える。政府は、幸福を感じることのできる国民が減っていることが少子化を招いているとは考えず、「少子化が進むと労働力が減少する」という視点から「少子化対策」を政策化するため、幸福や希望が存在しないディストピアの下、全く実効性が上がらない構造になっている。

また、政府は「自殺者数が減少」と喧伝しているが、この統計は非常に疑わしい。そもそも日本政府の「自殺」定義からして、「死後24時間以内に発見され、かつ遺書が発見されたもの」という非常に狭義に設定されている。つまり、3日後に発見された自殺者も、遺書を書かなかった自殺者も「自殺」とは認められず、「変死」「異状死(死因不明)」として処理されているのが事実だ。結果、警察が検視する「変死体」の数は、2007年に1万4千を、2011年に2万を超えて増加し続けているが、ここ数年は変死体数を発表しておらず、「自殺者を変死者に置き換える」統計操作の疑いがある。しかも、この変死体以外に、検視に処されない「死因不明の死体」(異状死)が15万体以上ある。このうち行政解剖に処されるのは1万体強に過ぎず、約14万人は「異状死」として処理され、遺族が死因を知ることは無い。
この変死者と「死因不明者」の合計数は、17万人を超えるが、このうち相当数が自殺と考えられるものの、限定するのは難しい。が、少なくとも、政府発表の2〜3万人という数字は交通事故の死者と同様、実態を反映しない「公式統計」であるのは間違いない。これは、「神国で自殺する臣民など存在するはずがない」という皇国史観に基づいているものと思われる。
posted by ケン at 12:13| Comment(10) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

アクセルと同時にブレーキ

【<カジノ法>議員立法で依存症対策…自民が提出方針】
 自民党はカジノ解禁に向けた「統合型リゾート(IR)整備推進法」(カジノ法)に関連し、ギャンブル依存症対策を強化する法案を議員立法で策定する方針を固めた。公明党などに呼びかけ、今国会中の提出を目指す。自民党の細田博之総務会長は17日の記者会見で「依存症問題は各党で検討している。できれば法令化して効果のある対策をとる」と述べ、議員立法が望ましいとの認識を示した。
 依存症を巡っては、衆参両院がカジノ法の採決時に「対策強化」を求める付帯決議をした。自民党はすでに法制化の検討に着手。パチンコなど既存の遊技を含めた依存症患者に対応する相談窓口の充実、国や地方自治体の責務を盛り込む。また、政府は17日の閣議で「IR推進本部」(本部長・安倍晋三首相)を24日に設置すると決めた。全閣僚が入り、カジノに必要な規制や対策などを協議。「実施法案」の国会提出を目指す。
(3月17日、毎日新聞)

カジノ解禁と同時に「依存症対策」とか、どこまでも国民を収奪の対象としか考えない連中だな。現状でも競馬を始めとする公営賭博とパチンコのせいで、公式調査で550万人もギャンブル依存症患者がいて、その数は先進国の中で圧倒的に多い。にもかかわらず、「景気対策」としてカジノ(公営名目実質民営賭博)を解禁し、全国に設置しようというのだから、もはや「国民の生命と財産を保護する」という国家の生存理由そのものを否定する所行だろう。依存症患者の大半は50代以上と言われるが、これは高齢者の老後資金や子どもの教育費を収奪していることを意味する。結果として、生活保護を増やし、子どもの貧困を深刻にしているのだから、まさに「売国的」としか言いようが無い。

これと全く同じことは、「働かせかた改革」にも言える。政府が準備している労働基準法改正案の狙いは、「年収1075万円以上の専門職」にはホワイトカラーエグゼンプションで労働時間規制を外しつつ、「年収1075万円未満の一般職」については裁量労働を広範に導入するところにある。法案が成立すれば、年収に関係なく数十パーセントの労働者に対して裁量労働が適用可能になると言われる。要は、現行法では裁量労働の適用が難しいので、労使合意や様々な手続きが適用を難しくしているという使用者側の主張を受け入れて、手続き面を非常に簡素化するという話なのだ。
また、他方で「年間720時間、月上限100時間未満」の残業規制が労使間合意されたが、「過労死ライン」を超える上限が容認されると同時に、労基署業務の民間委託が検討されており、残業時間規制を担保する術は無いも同然になっている。そもそも裁量労働制の拡大により、「残業」という概念すら消失すると考えられるだけに、この残業時間規制自体が殆ど意味を持たない。

カジノ解禁は、高齢者の貧困を加速、医療費や生活保護費が国家財政をさらに悪化させるだろう。労働規制の緩和は、今以上に労働生産性を低下させ、実質賃金も低下させる。過酷な労働環境が健康を破壊し、医療費や保険費を高騰させ、それが子どもの貧困を併発する。
すでに日本は死んでいる。
posted by ケン at 12:07| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする