2017年12月01日

銀行の貸し過ぎで生活崩壊

【銀行カードローン借入額、「過半数が年収の3分の1超」−日弁連調査】
 日本弁護士連合会によると、同連合会に相談した銀行カードローンの債務者のうち、年収の3分の1を超える額を借り入れている人が全体の52%にのぼることがわかった。消費者金融など貸金業者には年収の3分の1までしか貸せない総量規制があるが、銀行は対象外。日弁連はこれが「貸し過ぎ」の要因になっていると指摘している。
 同連合会が8月に実施した「全国一斉銀行カードローン問題ホットライン」の電話相談351件の結果をまとめた。年収の3分の1を超えて借り入れている人のうち、年収の8割以上の金額を借りた人は11%、収入がない人も4%いた。
 債務者の内訳は60歳代が32%と最も多く、50歳代が20%で続いた。借入時に収入証明書を提出しなかったとの回答は53%で、半分以上を占めた。
 全国銀行協会は3月の申し合わせで、融資審査の厳格化や広告の抑制など、銀行の過剰融資抑制に向けて動き出した。来年1月には各行が即日融資を停止する方針だ。
(11月28日、日本経済新聞)

賃金が増えていないのに消費が堅調だったり、あるいは家計貯蓄がマイナスになったりするのは、こういうことだった模様。
背景には、2006年の貸金業法の改正や広告規制などによってサラ金業者の倒産や大手銀行の傘下入りが相次ぎ、同時に超低金利で採算を悪化させた市銀が消費者金融(銀行カードローン)に参入、貸金業法の対象外(年収の3分の1などの総量規制)となっているルールを悪用して、個人に貸しまくった結果だった。カードローンによる自己破産は増加の一途を辿っている。
利用者にとっては、大手銀行のカードでできるという安心感や、街金よりも低利であること、そして総量規制が無いことが「便利」であるため、どうしても使いすぎてしまう傾向がある。

興味深いのは債務者の最大が60歳代であるということ。これは、1980〜90年代に最も良い暮らしをしてしまい、生活水準が下げられないまま、収入が減って借金生活に入っていることを想像させる。

他方、若年層は意外と謙虚な生活を保っているともいう。例えば、ニッセイ基礎研究所の2014年の調査によれば、30歳以下の単身正社員の貯蓄割合の増加率は24%近くあり、平均貯蓄額は190万円で、25年前より52万円増えたという。
とはいえ、若年の非正規雇用労働者や既婚者はむしろ貧困化が進んでおり、消費者金融にとって「良いカモ」なのは間違いない。

米国の金融情報サイト、バンクレート・ドットコムが2015年に行った調査によると、クレジットカードの負債額が緊急の際に使える貯蓄と同水準あるいは上回っているとの回答が37%に達したという。つまり、米国人の8人に3人が破産の一歩手前にあることを示している。
アメリカに比べれば、日本はかなりマシな状況ではあるが、こうした点でも米国モデルに向かって突き進んでいるのは確かだろう。
そして、銀行が本来預金者であるべき市民から個別に収奪しないと採算がとれなくなっているという状況自体、資本主義の断末魔であると言えるだろう。
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2017年11月30日

総理様の有り難い賃上げ要請

【首相、賃上げ「来春は3%実現を期待」 経団連会長「前向きに検討」】
 安倍晋三首相は26日夕の経済財政諮問会議で、来年の春季労使交渉について「(賃上げの)流れを持続的なものにしなければならない。3%の賃上げを実現するよう期待する」と述べた。
 安倍首相は「賃上げはもはや企業に対する社会的要請だ」と指摘したうえで「企業収益を賃上げや設備投資に向かわせるため、予算・税制、規制改革などあらゆる手段・政策を総動員する」と語った。賃上げへの環境整備を進め、年末に策定する経済政策パッケージに反映する考えだ。
 一方、同会議に出席した経団連の榊原定征会長は会議終了後、記者団に対し「経済界はこれまで相当高い水準の賃上げを行ってきた」と前置きしつつ「企業が過去最高の収益をあげるなか、社会的要請としてより高い水準の賃上げを求める声は認識している」と述べた。そのうえで「生産性革命を進めながら賃金水準の引き上げについて前向きに検討していく」との考えを示した。
 榊原会長は「賃上げは一律ではなく、消費性向の高い世帯への重点配分なども考慮する必要がある」とも指摘。政府には「所得拡大促進税制など一段の政策支援をお願いしたい」と求めた。
(10月26日、日本経済新聞)

一国の総理大臣が民間企業に賃上げを要請するとか、開発独裁国丸出しだな(爆)
すでに何度か述べていることだが、敢えて繰り返したい。
経済学の常識だが、賃上げは労働生産性の向上に対する報酬としてなされるもので、生産性の向上が無いところに賃上げだけ強行すれば、人件費負担が増えるだけで経営悪化を加速することになる。これを国家規模で行って失敗したのがソ連だった。

「生産量至上主義」に凝り固まっていたソ連政府は、ひたすらに生産における量的拡大にのみ腐心していた。そのため、各企業はリスクを伴う技術革新よりも、工場の拡大と労働者の囲い込みに走った。上から命令された「ノルマ(生産量)」さえ達成すればよく、生産物の「質」は問われなかったからだ。
工場の拡大は、市場の需要ではなく、「党の指令」によって行われる。党もまたノルマの達成のために、工場の拡大を安易に許可した。結果、工場ばかりが増え続け、労働力は慢性的に不足するという事態が生じた。ソ連、あるいは今のロシアを見ても分かるが、廃墟となった工場の多さは、こうした「計画経済」の遺物でもある。
慢性的な労働力不足は、自然、賃金を上昇させていった。
賃金の上昇と慢性的な物不足は、市場に貨幣を滞留させる結果となる。市場経済の場合なら、余った金を貯蓄に回すことによって、銀行が市場に再投資する機能を有する。が、ソ連の場合、「不労所得は悪」というイデオロギーから、預金金利は無きに等しい状態に置かれ、政府・国家に対する歴史的不信も災いして、余った貨幣の大部分が「タンス預金」として家庭に留め置かれることとなった。
また、市場経済であれば、この状態ではインフレーションが起こるのだが、統制経済下では価格は政府によって公定される。その結果、「行列」と「闇市場」が顕在化してくる。
(ソ連の「インフレーション」)

ペレストロイカは、指導層の掛け声や、西側社会からの評価に比して、全く進んでいなかった。具体例を挙げると、1989年時点で企業の民営化率は1%、90年時点で商品の自由価格率は1割に遠く及ばなかった。1990年予算で歳出に占める食糧価格調整金(補助金)の割合は20%、コルホーズを始めとする国営企業補助金が20%、軍事費が15%超という有様だった。
ミクロで見ても、1954年から90年に至るまでパンの公定価格は一切変わらなかった(70コペイカから1ルーブル)にもかかわらず、独立採算制の導入や政治的理由から労働賃金を上げ続けた結果、貨幣の過剰滞留現象が起き、潜在的インフレーションを表面化させていった。また、生産価格を無視した公定価格を維持するために、国庫から際限なく補助金が出された結果、歳出に占める食料価格調整金の割合は20%にも達していた。このことは、ゴルバチョフ政権が食糧の公定価格制度に全く手を付けられなかったことを示している。大御所が指摘するところの「社会主義離れ」とは裏腹に、現実は全く「社会主義離れ」ができなかったのだ。
ペレストロイカを再検証する

生産性の向上や技術革新を伴わずに賃上げのみを進めた結果、市場には「買いたい物が無いのに現金だけ有り余る」状況が、企業群は「売れない物や安い物を大量生産して赤字が増大するも、国からの補填で賄う」状況が現出、これらの問題を修正することができずに、市場と国家の崩壊を招いてしまった。
いわゆる「ソ連崩壊」は、西側の論者の大半が曰うような「ソ連人が自由を求めた結果」起こったものではなく、マルクス経済学からも説明できる基本的な経済失政を国家規模で修復不可能なまで強行したことに起因する。

日本の場合は、やや事情が異なるため、症状も異なるわけだが、経済学の基本から説明できることに変わりは無い。

国内需要が縮小再生産のスパイラルに陥っているのに、設備投資して人件費を増やすインセンティブなどどこにも無いのは当然だろう。需要が増える展望が無いのだから、経営側としては人件費を増やせるワケが無い。
ゼロ金利である今は、とにかく負債を減らすのが企業側として合理的な選択となる。需要が無いのだから、設備も人も増やせず、結果、内部留保ばかりが増えてゆく。この内部留保を、国債で持つか、現金で持つか、株で持つか、という程度の選択肢しか無い。
さらに日本の場合、労働法制や労働組合が機能せず、超長時間労働やサービス残業が容認されているため、企業側としては社員数や賃金を増やさずに「必要なだけ」労働を要求できるだけに、労働生産性を上げるインセンティブが全く働かない。
本来賃上げというのは、労働生産性の向上に対する対価として行われるべきものであるため、この点でも経営側は賃上げする理由が無い。
また、労働組合側も、総需要の低下を受け「現在の(正社員の)雇用を守ること」が最優先事項となり、資本への従属を強めており、労働時間削減や賃上げを求めなくなってしまい、結果的に労働生産性の向上を阻害してしまっている。労働者が資本家に協力するのは、生産性を高めることで労働価値を高め、その代償として賃上げを要求するためだが、そのサイクルが失われて久しい。
保守政権が賃上げを求める愚

日本政府・自民党は長時間労働を容認、拡大する政策を採っている。裁量労働制の拡大はその象徴だ。国内需要の拡大が見込めない中、低賃金で長時間の労働を強要できるのだから、企業としては生産性を向上させるインセンティブが機能しない。また、企業内の正社員組合は、自らの雇用を確保しつつ、低賃金を補うために残業する必要があることから、長時間労働を容認するため、労働組合にも生産性を向上させるインセンティブが働かない。
低賃金と長時間労働が容認される一方、政府による公的融資や補助金制度が充実しているため、生産性の低い不採算企業が存続でき、市場から退出しないため、労働力も資本も不採算企業が保持してしまい、市場淘汰が進まず、成長が抑制される構造になっている。

また、日本では戦後60年にわたって権威主義的な自民党政権が続いたため、社会や学校が権威主義に染まっており、技術革新に必要な創造的人材を輩出できなくなっている。「生徒が就職できるように黒髪を強制する」などという高校とそれを求める企業では、自由な発想のできる人間は育たない。

日本が「崩壊」を回避するためには、全て逆の政策を行う必要がある。政府は公的融資制度、補助金、政策減税を廃止、労働組合が主導して長時間労働を抑制することで、不採算企業の退出を促進させつつ、生産性の向上を図る。優良企業が増え、生産性の向上が実現されれば、賃金は自然に上昇するだろう。
同時に、中央統制の強い権威主義的な教育制度を自由主義に改め、生徒の身体的・精神的拘束を最小限度に止めることで、「自由な発想のできる子ども」の育成に主眼を置く。これにより、技術革新の基盤を広げることができるだろう。

ソ連学徒のケン先生から見れば、今の日本は70年代末か80年代初めのソ連とかぶるところが多い。おそらく東京五輪は日本の「モスクワ五輪」になるのだろう。
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2017年11月24日

人手不足では倒産しません!

【人手不足で倒産増 外国人就労拡大を要請へ】
 人手不足で企業の経営が回らなくなり倒産が増える中、日本商工会議所は、政府に外国人の就労受け入れ拡大の検討を求めることを決めた。日商の調査では、会員の中小企業のうち6割が人手不足としている。そのため、政府に外国人の就労条件見直しを求める意見書を提出する。
 現在、日本では、外国人の就労は原則、専門的・技術的分野などに限定し、大卒や10年以上の実務経験などを条件としている。しかし、日商は条件が厳しすぎるとしている。また、建設現場や運送などを念頭に、今は認められていない単純労働の分野の受け入れも検討を求めている。
 一方で、外国人の就労条件をゆるめることは治安の面などから反対の声もあり、受け入れの基準をどうするのか議論を呼びそうだ。
(11月16日、日テレ)

企業は人手不足で廃業することはあっても、倒産することはない。
連中が欲しいのは、低賃金で長時間・長期間働く「労働力」であり、だからこそ期間固定で労基法も適用されず、人権も認められない外国人技能実習制度がもてはやされ、制度拡充が続けられている。

本来であれば、労働力不足が生じた場合、賃金が上昇し、競争力が無い企業は廃業するか、生産性を高めて危機を乗り越えることで、市場の淘汰がなされ、成長が持続するのが、資本主義社会の基本構造である。
ソ連型社会主義が崩壊したのは、賃金ばかり上昇するのに、競争力の無い企業も国家補助で生き残るため、生産性の向上がなされず、「カネはあるのにモノが無い」が常態化してしまったことが一つの大きな要因になっている。

現代日本の場合、人手不足が生じても低賃金、長時間労働が認められていることもあって、賃金が上昇しない。同時に、同じ理由から経営を効率化して、生産性を向上させるインセンティブが働かない。
また、様々な補助金制度や税制優遇、公的融資が整っているため、競争力の無い企業がゾンビ化したまま存続し、資本と労働力の流動性が非常に低くなっている。

記事にある「6割の人手不足企業」は、要は賃金を上げるだけの資本も生産も無く、生産性を向上させることもできない不良企業であって、本来淘汰されるべき存在なのだ。こうしたゾンビ企業を生き残らせるために、低賃金・長時間労働を可能にする外国人労働者などを認めれば、市場はますます成長基盤を失って、衰退してゆくだろう。

経済学の基本である。
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2017年10月20日

序論 生活満足度って何?

物価水準を同じと仮定し、「平均年収25,000ドルの世界で、自分は5万ドル稼ぐ」「平均年収20万ドルの世界で、自分は10万ドル稼ぐ」という二つの選択肢を学生に選ばせたところ、大半の者が前者を選んだというハーバード大学の研究がある。幸福や満足度などの心理的要素が、所得の絶対値では無く、相対的なものであることを示している。
ドイツ統一後、絶対所得が上昇したはずの旧東独の労働者の大半が東独時代よりも不幸や不満を強くしている。
昭和初期に横行したテロリズム、あるいはその後の侵略戦争に対する熱狂の一因は、大正デフレや昭和恐慌によって生じた経済格差の拡大にあった。
今日政治を担う者はこれらのことを踏まえておく必要がある。

補足すると、現政権は国民の生活満足度の高さを喧伝しているが、米国のある研究によると、ハリケーン・カトリーナに被災したルイジアナ州で実施された生活満足度調査は、同満足度が被災前よりも被災後の方が高まったというデータが有り、こうした調査や統計の手法に疑義を呈している。
posted by ケン at 18:34| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

水道代は高騰の一途

【水道代高騰の理由を検証、今秋35%値上げする自治体も!】
 いつのまにか高くなっている水道料金の請求書を見て、驚いた人も多いのでは。水道料金推移表(総務省統計局家計調査より)を見ると、'09年から上がり始めた水道料金。しかし、水道事業など地方公企業に詳しい作新学院大学名誉教授の太田正さんの話によると、今後ますます値上がりが加速する可能性があるという。
 「最大の原因は、水道管や下水道管の寿命が近いことです。これらの耐用年数は40年といわれています。高度成長期に急ピッチで設置が進んだ水道管の老朽化がピークを迎え、どこも綱渡り状態。それに加えて、工事や施工をする技術者も減ってきています。そのため、水道管が破裂して道路から水柱がバーッと上がったり、そこらじゅうから水が漏れるようなトラブルが急増しているんです。値上げがないのは“先送り”しているだけ。一気に跳ね上がるかもしれません」(太田さん)
日本政策投資銀行が今年4月に発表した「水道事業の将来予測と経営改革」によると、これまで同様に水道を使い続けるには、以降30年間で6割の水道料金の引き上げが避けられないと試算されている。
 水道料金は現在1立方メートルあたり平均172円。遅くとも'21年から毎年1.7〜2.1%ずつ値上げしていく必要があるという。一人暮らしの場合'16年は2145円だったのが、'46年には3432円、4人家族なら現状6044円から9670円まで高騰する計算に。
 ただし、より状況が悪化して、さらなる値上げが必要になることも。未曽有の値上げが予想される今後。知恵を尽くして節水に励まなければ、家計圧迫は免れないようだ。老朽化でコスト負担が増加する状況下で、さらに深刻化しているのが水道料金の地域格差だという。
「明治以降、水道事業は『市町村公営原則』が貫かれ、自治体ごとに運営される“独自採算性”をとっています。そのため、それぞれの地域の事情がダイレクトに影響するんです。過疎化地域は人口が少なく経営が非効率になるため、都会に比べて料金が高くなります。また、地理的に水源が乏しかったり、水源からの距離が遠かったりすると水道建設費がかさみますし、水質が悪ければ高度な浄水処理施設が必要です。さまざまな原因が複合的に重なって格差が生まれています」(太田さん)
 現行の料金を見てみると、月額平均が最も安いのは山梨県富士河口湖町の835円。その理由は、富士山の湧水を利用しているため水質がよく、飲料水にするコストが安くすむから。さらに標高が高い位置に貯水池があるため、配水の設備にも費用がかからないということもある。
一方で、最も高いのは北海道夕張市で6841円。その差は8.2倍! 年間換算での差額はなんと7万2072円にもなる。追い打ちをかけるのが人口減少による負担増。水道を提供するのにかかる総コストは、人口が少なくなればなるほど1人あたりの負担が重くなる。太田さんは「今後は10倍、20倍と差が広がっていくかもしれない」と懸念する。
(8月9日、女性自身)

週刊誌ながらなかなか核心を突いている。
古いデータだが、2003年時点における日本の社会資本ストックは約700兆円(道路234兆円、治水70兆円、海岸6兆円、下水道46兆円、港湾4兆円、空港43兆円、公共賃貸住宅29兆円等)に及び、今日では当時よりも増加、東京五輪の開催に向けてさらに肥大化しつつある。これは維持コストの上昇と、人口減による一人あたりの負担増加を示している。結果、老朽化したインフラの更新が進まず、事故が多くなっている。
今回の博多を始め、1990年の御徒町、2013年の麻布十番の事故のように、大きな陥没は報道されるが、その根底にあるのは深刻なインフラの老朽化。麻布十番の崩落事故では、川沿いの道路が30メートル以上崩落した。例えば、東京都区部の下水道の総延長は16,000qで、約1,500qが法定耐用年数の50年を超えている。また、今後20年間で、高度成長期以降に造られたもの約6,500qが新たに増加し、今まで以上のペースで老朽化が進んでくるという状況にある。東京五輪の影響もあり、下水の更新が遅れていることも、状況を厳しくしている。そして、年間700件以上の陥没事故が起きているが、今後はさらに増加すると見られる。なお、日本全体だと、道路陥没事故は年間4千件あまりで、東京への集中が際立っている。
(陥没事故が示すもの、2016.11.19)

自民党や政府の一部(大阪市など)ではコスト削減を理由に水道の民営化を検討しているが、電力民営化で起きた海外の大停電事故やフランスなどの水道民営化事例を見れば分かるとおり、ユニバーサル・サービスとして支障が無いか大いに疑問である。

例えば、水道事業を民営化した米アトランタ市の場合、過剰なコストカットによって技術者が不足して修繕・補修が追いつかなくなり、配水管の破損や路上への水漏れ、汚水噴出などが相次いだ上、必要な技術者を確保できず、いつまで経っても直らないという事態が生じた。そのため、2003年に水道事業を再市営化するところとなっている。
フランスではパリの場合、民営化して14年で水道料金が2倍になった上、利権汚職が続発、2010年に再公営化している。「民営化すれば万事OK」というのは机上の空論に過ぎない。

また、少子化と人口偏在の加速によって、地方ほど水道民営化のメリットが失われており、むしろ全国均一のユニバーサル・サービスの価値が高まっていると考えるべきで、この点我々社会主義者はさらに強調してゆく必要がある。

人口増や経済成長を前提としたインフラ整備が国民生活を圧迫しているのは間違いなく、五輪のような権力者の遊戯ではなく、庶民の生活に不可欠なインフラの整備に限りある資源を全力投入しなければならない。
posted by ケン at 12:34| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

日本の鵜飼いと中国の鵜飼い

「働き方改革」を象徴するものとして鵜飼い文化が挙げられる。現代日本では、鵜を用いた漁法は完全に伝統芸と化し、いまや観光者向けのショーとなっているが、中国では現役の漁法で、むしろ「効率が良い」と評価されているらしい。こう言うと、「日本と中国では市場環境が全く違う」という脊髄反射が返ってきそうだが、まずは何が違うのか見てみよう。

日本の場合、鵜使いが10羽ほどの鵜をヒモで繋いで漁をさせ、採れるだけ採らせて鵜が厭きてきて効率が落ちると、漁を止めて帰還し、鵜たちに餌を与える。採るのはアユに限られている。

中国の場合、鵜はヒモで繋がれず、自由に漁をし、鵜使いのところに戻ってきて魚をはき出すと、鵜使いはその場でその鵜に餌を与える。しかも、捕ってきた魚の種類や大きさによって餌の種類や大きさが異なる場合もあるという。つまり、市場価値の高い魚を捕ってくると、鵜がもらえる餌も良いものになる。結果、士気の高い鵜は、もっと餌をもらおうと、より良い魚を求めて潜ってゆく。ところが、この方法の場合、サボる鵜や、一匹持ってきただけで満足してしまう鵜がいるため、鵜使いは棒で鵜を小突いたり、水面を叩いて脅したり、餌を見せたりして、何とか鵜を働かせようとする。面白いのは、鵜の中には魚を捕っていないのに鵜使いに餌をもらおうとするものがおり、鵜使いが誤って餌を与えると、真面目に仕事している鵜が怒って鵜使いをクチバシで突いて抗議するのだという。

蛇足かもしれないが、解説しておこう。
日本の鵜使いは、鵜を管理さえしていれば、鵜が勝手に魚を捕ってきてくれるが、「それだけ」の話で、漁の成果は漁場の質と鵜の素質と気分に左右されてしまう。鵜に対する扱いはみな平等で、漁の成果に関係なく餌を与えられる。非常に社会主義的だ。そして、日本の鵜匠は鵜たちから好かれ忠誠を得ることが求められる。「鵜との信頼関係」「家族的雰囲気」が重視される。

これに対して、中国の鵜使いには、高度なマネジメント能力が求められる。獲物の種類を見て、鵜に評価を下し、適切な報酬を与えなければならない。また、働かない鵜に対しては罰を与えたり、報酬をちらつかせて何とか働かせるように仕向ける必要がある。どこまでも自由主義的というか資本主義的だ。そして、中国の鵜匠は高いマネジメント能力を発揮しないと務まらない。「公正な評価」と「信賞必罰」が重視される。

確かに見た目的には、中国の鵜漁は「非人道的」かもしれないが、果たしてどちらの鵜の方が「幸せ」なのだろうか。少なくとも、日本の鵜漁がビジネスモデルとして絶滅した一方、中国のそれはいまだ現役であり続けていることは、正当に評価されてしかるべきだろう。
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2017年08月09日

賭博で五輪はOKか

【五輪の都外分350億円、宝くじで 分担未定の運営費 都が検討】
 2020年東京五輪・パラリンピックの費用分担問題で、開催費用1兆3850億円のうち、具体的な分担が未定だった東京都外にある競技会場の運営費350億円について、都が宝くじの収益を充てることを検討していることが27日、都への取材で分かった。
 都によると、検討しているのは、大規模イベントの財源のため都道府県などが発行する「協賛宝くじ」。既に昨年から発行され、収益約126億円が大会経費に充てられることになっているが、都は追加発行により200億円超の収益を得て、都外会場の運営経費350億円に充てることを検討している。
 追加発行には、都道府県と政令市でつくる「全国自治宝くじ事務協議会」に要請し了承を得る必要があり、都は競技会場のある自治体に連名で要望書を提出することを提案。だが、札幌市が「350億円の内訳などが決まっていない中で同意できない」と主張するなど反発も出ている。
 小池百合子都知事は27日、盛岡市で開かれた全国知事会議で「聖火リレーなどについて、宝くじ財源の活用を検討したい。ご理解、ご協力をお願いしたい」と発言。さらに会議後、報道陣に「オールジャパンでわくわく感を共有できる大会にしたい」と語った。
(7月28日、産経新聞)

江戸時代、非課税な上、大名家に大金を貸し付けてボロもうけしていた寺社が、寺院の建て替えを理由に「富くじ」を庶民に売りつけていた故事が思い出された。だが、知人がツィートしていた戦時期の「勝札」の方が実情に近いのかもしれない。

「富くじ」は、全般的に賭博行為を禁じていた幕府が例外的に認可を出していた寺院特権で、この富くじと高利貸しによって江戸期の大寺院は巨万の富を築いていた。故に、幕末の戊辰戦争期、寺院は、戦費調達ということで幕府からも倒幕派からも巨額の供出を求められた。明治初頭の廃仏毀釈は、借りた戦費の返済を反故にするという意図もあった。その後、明治政府は厳格に賭博を禁止したものの、第二次世界大戦の敗戦で復興費用が不足、自治体に「宝くじ」の発行を許可して今日に至っている。

本来、宝くじは戦後復興の財源確保を目的に例外的かつ臨時的に認められたはずだったが、いつの間にか巨大利権となって、公営賭博を容認するツールになってしまっている。
また「勝札」は、大戦末期に戦時国債や強制貯金も限界に達した日本政府が、新たな戦費捻出手段として導入したものの、抽選する前に終戦を迎えている。こちらも、戦費調達を目的とした例外的かつ臨時的なものだった。

そもそも五輪の運営費を賭博の胴元で調達するとか、五輪憲章的に問題ないのか、突っ込みどころ満載すぎる。オリンピックは都市単位で開催するものであって、本来であれば開催都市外への委託自体、五輪憲章に反している。しかも、運営費が足りないから賭博で調達すると言うのであれば、もはや五輪憲章など全く意味をなさなくなってしまう。
この点、解釈改憲を重ねすぎて、日本国憲法の理念とは全くかけ離れてしまった(先祖返りしてしまった)現代日本と良く似ていると言えよう。
posted by ケン at 12:19| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする