2018年05月09日

山崎雅弘『1937年の日本人−なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか』

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『1937年の日本人−なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか』 山崎雅弘 朝日新聞出版(2018)

『「天皇機関説」事件』『西部戦線全史』に続く山崎雅弘氏の新著。
戦前期日本の一大転換期となった1937年に焦点を絞り、政治や軍事の流れではなく、当時の新聞や雑誌を丹念に読んで整理し、大衆の目線から見た1937年・昭和12年の日本の情況を再現する試み。
1931年の満州事変、同33年の国連脱退、同年の滝川事件、35年の天皇機関説事件、36年の日独防共協定など、日本は当時すでに坂道を転がり落ちるように、軍国主義と国家主義に染まりつつあったが、大衆においてはその自覚は非常に希薄で、その関心の多くは「昭和恐慌からの脱却」「消費文化の謳歌」にあった。戦後のマルクス史観や、「後世の歴史家」の視点では、とかく「暗黒の時代」とされがちな時代だが、実際のところはどのようなものだったのだろうか。
このテーマについては、本ブログでも一度記事にしているので、一部再掲したい。
他方で戦前昭和期は政治と軍国主義に熱狂した時代でもあった。
初めての男子普通選挙(納税制限を伴わない25歳以上の成年男子による衆議院選挙)が行われたのは1928年のことであり、これによって有権者数は300万人から1200万人以上に増え、婦人参政権運動も一定の盛り上がりを見せた。この当時の選挙は買収や虚言が飛び交うものだったとはいえ、「国民全男子が政治に参画する」という高揚感があった。それは投票率が、1928年の衆院選が80%、30年が83%、32年が82%であったことからも容易に見て取れる。
また、1932年に結成された合法社会主義政党である社会大衆党はほぼゼロからの出発であったにもかかわらず、37年の総選挙では38名の当選を果たし、東京の各選挙区ではトップ当選が続出した。結局のところ日中戦争に伴う政党・議会政治の衰退で解体に向かってしまうものの、社会主義政党に対する期待感はなかなかに高いものだった。

ところが普選導入から数年で、政治熱の高まりは既存政党の腐敗によって失望に転じ、軍部に支持が集まって、テロや反乱を世論が肯定する事態になる。その一方で、1931年に満州事変が起きて、満州に日本の傀儡政権が成立、33年には日本軍は熱河省と河北省を占領(熱河作戦)、報告書を不満として日本は国連を脱退する。
1935年の第二次ロンドン軍縮交渉では、兵力比の平等を主張する日本の主張が受け入れられなかったため、これを脱退、大和型戦艦の建造が始まった。
同じく35年には「華北分離工作」などで日本の勢力圏がさらに拡大、37年に始まった日中戦争では、開戦から4カ月で中国首都の南京を占領、連戦連勝を重ねた(正確には宣戦布告していない)。
これ以降、1942年頃まで日本の勢力圏と軍備は拡大の一途を辿っており、新聞やラジオは常に軍の勝利と帝国領土の拡大を報じ、学校では教室に貼られている世界地図に次々と日章旗が加えられていった。

当時の平均的な日本国民は、植民地獲得競争における大日本帝国の勝利に酔いしれ、実態を伴わない軍備拡張に狂喜乱舞し、中国を蔑視し、アメリカやイギリスと対等に渡り合えているという幻想に囚われていた。
「米英と戦争して勝てるワケが無い」などと考えているのは、ごく一部のインテリに限られており、それらは当局によって言論を封じられ、あるいは投獄されていった。
「一部の軍人や官僚が暴走した」という戦後史観は間違ってこそいないものの、「大勢の国民は軍部に騙された被害者だった」というのは大ウソだった。満州事変でも盧溝橋事件でも、現地軍の暴走を抑えようとする軍中央や政府中枢に対して、現地の暴走を支持したのはマスゴミと国民世論だったのである。軍官僚の暴走は国民の支持なくしては成立しがたかっただろう。仮にこの当時に世論調査をしたとしても、日中戦争や対米英戦を支持する割合が圧倒的に多かったと思われる。
(戦前は暗黒だったのか?)

山崎氏は、当時の朝日新聞、アサヒグラフ、改造、主婦之友、中央公論、少年倶楽部などを丹念に取り上げながら、当時の時代風潮や空気感の再現を試みている。少なくとも日中開戦前は、現代の日本人が考えるよりもはるかに言論の自由があり(残っており)、新聞各紙も慎重ながらも必ずしも政府に盲従していたわけではなかった。
この試みは非常に面白く、かつ重要な視点だ。現在も今から数十年もすれば、「2010年代の日本は暗黒時代の入口にあった」と言われてもおかしくない情況にあるが、それを自覚しているのは、ごく一部のリベラル・左派のインテリ系に限られているところは、酷似していると言える。

惜しむらくは、現代において検証できるのが印刷メディアに限られているので仕方ないのだが、大手新聞や論壇誌のようなインテリしか読まない媒体のみの検証となっているため、「大衆目線の再現」が実現できているのかとなると、厳しいところがある。
例えば、1935年の中等教育(旧制中学校など)就学率は、男子40%、女子33%で、平均36%に過ぎなかった。先日亡くなられたK顧問は1923年のお生まれだったが、同年代で旧制中学校に進学した男子は2.5人に1人というエリート状態にあった。同時代のソ連の場合、前期中等教育の就学率が(質は別にして)90%前後であったことを考えれば、「よくこの教育水準で艦隊や航空隊を運用できたな」というレベルにあったのだ。なお、大学進学率になると4%前後にまで下がる。
先人の話を聞く限り、新聞を読む時点でインテリの扱いで、基本的には中等教育修了者が大多数を占めていたようだ。まして論壇誌を読むのは、3〜4%しかいない大卒者に限られていた。この辺から考えると、「大衆目線」を再現するなら、できるだけ学歴の無い同時代人の日記や手紙を検証する必要がある。今後の課題として良いだろう。

【訂正、5月22日】戦前期における中等教育の就学率に誤りがあったので訂正しました。

【序章】 一九三六年十二月 白亜の議事堂開院式
・帝国議事堂(現国会議事堂)の完成と第七十議会の召集
・一九三六年末における日本の政治状況

【第一章】 一九三七年一月〜三月 国力に不釣り合いな軍備増強の予算成立
・新年早々から危機に直面した広田内閣
・広田内閣総辞職と後任宇垣内閣の「流産」
・陸軍の林銑十郎大将を首相とする新内閣の誕生
・議論の的となった「厖大予算」の修正

【第二章】 一九三七年四月〜六月 国民の政治不信と近衛内閣の誕生
・完全な裏目に出た林首相の解散総選挙
・状況改善の兆しを見せ始めた日中関係
・なかなか進まない東京オリンピックの準備
・(第一次)近衛文麿内閣の誕生

【第三章】 一九三七年七月 運命の「北支事変」はじまる
・日中戦争勃発直前の内外の状況
・盧溝橋事件の発生――日中戦争のはじまり
・一進一退の様相を呈した現地部隊の交渉
・近衛内閣の「挙国一致」戦時体制づくり
・日中全面衝突へのカウントダウン
・本格的な地域紛争へと発展した日中両軍の戦闘
・紛争の長期化を見越した日中双方の態勢づくり

【第四章】 一九三七年八月 増え続ける死傷者と戦費
・盧溝橋事件の翌月に始まった「戦時体制」への転換
・増え続ける戦死者とそれを讃える「殉国美談」
・上海へと波及・拡大した日中戦争

【第五章】 一九三七年九月 東京五輪開催返上論の登場
・ついに全面戦争へと拡大した日中の武力衝突
・雑誌記事から読みとれる当時の日本国内での議論
・正規戦で決着をつけたい日本と不正規戦に持ち込みたい中国

【第六章】 一九三七年十月〜十一月 戦略不在で激化する対中戦争
・先行きが不透明なまま拡大を続ける日中戦争
・国民に戦争の当事者意識を植え付ける「国民精神総動員」運動
・日中の全面戦争化に対する諸外国の反応
・自覚なき戦争拡大と戦略なき日本政府

【第七章】 一九三七年十二月 南京の陥落後も終わらぬ戦争
・「南京陥落景気」に期待した百貨店と小売店
・プロ野球、大相撲、そして南京の陥落
・日本軍の南京入城式とそれに向けた「清掃」
・国内の「抗日分子」を弾圧する警察の一斉検挙
・一九三七年の年の瀬を迎えた日本人の暮らし

【終章】 一九三八年 敗戦まで続く日本の「戦時体制」の完成
・近衛首相の重大声明「蒋介石を相手とせず」
・主婦や子どもは日中戦争をどう受け止めたか
・一般市民も戦争関連業務に徴用される国家総動員法の審議
・日本人の生活を大きく変えた国家総動員法の成立
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2018年05月04日

3、4月の読書報告(2018)

途中まで記事を書いたところで上書きするのを忘れてしまったようで、今回はそのままタイトルを載せるだけ。足立先生の『専制国家史論』は名著なので、機会を改めて紹介したい。

『上海敵前上陸』 三好捷三 図書出版社(1979)

『華中戦記』 森金千秋 図書出版社(1976)

『[新版]西部戦線全史 死闘!ヒトラーvs.英米仏1919ー1945』 山崎雅弘 朝日文庫(2018)

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 新井紀子 東洋経済新報社(2018)

『棋士とAI』 王銘えん 岩波新書(2017)

『ゾルゲ、上海ニ潜入ス―日本の大陸侵略と国際情報戦』 楊国光 社会評論社(2009)

『専制国家史論』 足立啓二 ちくま学芸文庫(2018)
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2018年04月17日

訓練無しで実戦投入した英語教育のなれの果て

【高3の英語力「話す」「書く」 目標の20%以下 文科省調査】
 高校生の英語力を調べた結果、苦手とされる話す力と書く力は、目標とする英検準2級程度に到達している割合が20%以下にとどまることが文部科学省の調べでわかりました。専門家は「英語教育の再検証が必要だ」と指摘しています。
この調査は、高校生の英語の「聞く・読む・書く・話す」の4つの力を測るため行われ、全国の国公立の高校3年生およそ6万人が対象となりました。その結果、目標とされる英検準2級程度の力がある生徒の割合は、「聞く」が33.6%、「読む」が33.5%、「書く」が19.7%、「話す」が12.9%でした。
文部科学省はこの水準に達する生徒の割合を50%にする目標を立てていますが、いずれも届きませんでした。中でも、日本人が苦手とする話す力は最も低く、0点だった生徒の割合も前回の調査より3.9ポイント高い18.8%でした。
英語教育に詳しい立教大学の鳥飼玖美子名誉教授は「英語力の土台となるのが読む力だ。それによって語彙・表現を覚え、聞いたり書いたり話したりすることができるようになる。今は読むという地道な努力がおろそかになってきている。30年近く『話せる英語』を目標にしながら成果が出ていないのなら、もう一度、再検証すべき時期に来ているのではないか」と指摘しています。
課題が浮き彫りになった話す力と書く力。3年後に始まる大学入試では、この2つの力が新たに問われることになります。大手予備校の「YーSAPIX」では、今年度から新たな授業として、インターネット上で生徒が外国人講師と英会話の練習をしたり、書いた文章を添削したりしてもらう取り組みを始めました。男子生徒は「たまに言葉に詰まってしまい、緊張しました。単語の量も少なく、文法もわからないことが多いので、英語を話すことはいちばん苦手です」と話していました。
 また、女子生徒は「もっと基本の英語から固めていかないといけないと思いました。ちょうど自分たちの世代が新しい大学入試の1回目になるので、不安しかないです」と話していました。
(4月6日、NHK)

この問題はたびたび触れているので、繰り返しになってしまうが、容赦されたい。まず過去ログから再掲したい。
現実における中等教育の標準カリキュラムでは、英語は週3コマだったものが、ようやく昨年(今年度)から4コマに増やされたものの、一教室の生徒数は相変わらず40人のままであり、2012年に文科省が行った調査では、全国の公立校の英語教員で英検準一級の取得者は中学で28%、高校で52%にとどまっている。
文科省が考えている直接法(英語のみによる英語教育)を導入するとなれば、少なくとも一クラスを15人以下にする必要があり、その上で授業数も週に6〜8コマ程度は必要だろう。それは完全な英才教育であり、英語嫌いの子どもや外国語習得に難のある子どもにとっては地獄でしかない。仮にこれが実現したとしても、国内の日常生活で英語を使う必要が殆ど無い日本で、政府が望む水準に達成するのは、やはり2〜3割以下になるだろう。
だが、初中等教育に求められるのは、「市民生活、社会生活に必要な能力」「デモクラシーを構成する一員としての素養」であり、そこに「英語がペラペラであること」が含まれるのかと言えば、疑問しか覚えない。
英語学習に高いハードルを求めるために、他の教科を犠牲にすることが、義務教育の本来目的に合目的であるか、今一度よく考える必要がある。
(英語教育におけるポピュリズム) 

文科省と自民党がやろうとしているのは、人も金も時間もできるだけ増やさないで、英語能力を飛躍的に向上させようというもので、全くリアリティが無い。例えば、英語の授業数を倍にし、一クラスの生徒数を半分にしようという場合、単純計算で土曜日の授業を完全に再開した上で、それで増えた授業時間は殆どを英語に費やし、さらに英語教員の数を1.7倍から2倍に増やす必要がある。それにかかる予算は果てしなく膨大となろう。
だが、ここまでやったとしても、日本では実生活で英語を使う機会がないため、英語を学ぶインセンティブが低く、モチベーションや外国語習得能力の低いものは続々と脱落、同時に英語教員や生徒の能力格差が直に反映されるため、教育格差がますます拡大するものと思われる。つまり、エリート校では「英語ペラペラ」が量産されるかもしれないが、平均以下の学校では増えた分の英語授業が全てムダになり、荒廃が進む恐れがある。
(「英語は英語で」という勘違い・続の補)

下のは5年ほど前の記事だが、おおむね指摘した通りの展開となっていることが分かる。限られたリソースを根本的に見直すことなく、逐次投入した結果、惨憺たる状況が現出している。
もともと機械翻訳の精度向上と実装化が進んで、エリート層以外の外国語学習の必要性が急低下しているにもかかわらず、限られた資源を投入して大失敗してしまう様は、旧ドイツ軍や旧日本軍を彷彿とさせる。
他方、ただでさえ教育のクオリティも学習者のレベルも低下(二極分化)しているのに、敢えて英語特化を進めてしまう文部行政のあり方を問うべきだろう。もっとも、その背景には保護者(一般国民)のポピュリズム的要望という厄介な問題があることも確かだ。

言語教育的には、語彙も文法も圧倒的に知識量が足りないところに、「とにかくしゃべろ!」という教育をなしたところ、試験対策に意味も分からずに会話文を覚えるだけになっていることが想像される。鳥飼先生の、
「英語力の土台となるのが読む力だ。それによって語彙・表現を覚え、聞いたり書いたり話したりすることができるようになる。今は読むという地道な努力がおろそかになってきている。30年近く『話せる英語』を目標にしながら成果が出ていないのなら、もう一度、再検証すべき時期に来ているのではないか」

に全て集約される。下手すれば、自国語(日本語)の文法や語彙についても十分理解していない者が、なんで外国語のそれを理解できるだろうか。
もっとも、この背景には、文法や論理的思考を軽視して、情緒的な文学を重視する国語(日本語ではなく)の問題もあるから根が深い。本来自国語の授業では、文法構造を理解し、読解を通じて論理的思考に習熟し、自ら論理を構成して文章を書くことを目指されなければならない。フランスの高校で哲学の授業があるのも、その延長線上にある。
だが、日本ではむしろ「論理的な人間を育てない」ことが奨励されている。それは、あらゆる学校で「議(リクツ)を言うな!」「生徒は校則に従え!」という教育がなされていることから説明される。であれば、外国語技能など機械翻訳で代替して、リソースは他に費やすべきだろう。

これも繰り返しになってしまうが、そもそも「公教育に求められる教育水準」と「投入可能なリソース」を考慮せずに、あり得ない目標を設定してしまったところに失敗の根源がある。ケン先生に言わせれば、二次大戦期の日本が「重慶もハワイも占領します!」と宣言しているようなもので、もともと実現不可能な目標が設定されているのだから、現場が荒れて惨憺たる結果を招くのは当然の帰結なのである。

いっそのこと文部科学省は一切の教育行政から手を引くべきではなかろうか(爆)
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2018年04月16日

山崎雅弘『西部戦線全史』

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『[新版]西部戦線全史 死闘!ヒトラーvs.英米仏1919ー1945』 山崎雅弘 朝日文庫(2018)

別の出版社だが、学研M文庫の再販。
第二次世界大戦におけるドイツと米英仏との戦争、いわゆる西部戦線に焦点を当てる。第一次世界大戦とヴェルサイユ条約から戦間期を経て対ポーランド戦に至る歴史も十分に踏まえており、ドイツ降伏まで全体で640pにも及ぶ大部で読み応えがある。大部ではあるが、文章は非常に明解で、100点からの地図や部隊表も理解を補助してくれる親切設計なので、読む負担は大きくない。最近は1970年代の戦記物を読む機会が増えているが、年寄りには文字が小さくて厳しいものがあったので、文字の大きさも助かる。
全般的にはオーソドックスな記述で、私程度のマニアであれば、特段の真新しさは感じられないが、「西部戦線全体の通史」というのは意外と類書がなく、知的好奇心を満たすのに十分だったといえる。
posted by ケン at 13:10| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

2月の読書報告(2018)

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『オクトーバー:物語ロシア革命』 チャイナ・ミエヴィル 筑摩書房(2017)
1917年に起きたロシアの二月革命から十月革命に至る経緯を小説化した作品。ただ、小説とは言え、一切の創作は排除して史実として確認できる部分のみを駆使してストーリーを組み立てている。個別のエピソードをドラマティックに飾り立てるわけでもないのに、登場人物はみな活き活き描かれていて、脳内イメージをかき立てる構成になっており、あたかも1917年のペトログラードにいるかのような気にさせてくれる。基本的にはボリシェヴィキ視点なのだが、善悪二元論で描くわけではなく、レーニンの言動も二転三転し、制御不能だった当時の政治状況がよく分かる。ソ連崩壊後に明らかにされた最新の研究成果も反映されており、ソ連学徒の私でも「なるほど、そうだったのか」と感心させられた部分も少なくない。例えば、1917年の7月危機を経てレーニンはフィンランドに脱出するが、この時なぜボリシェヴィキの支持が厚かったエストニアやラトヴィアではなく、フィンランドだったのかについては、私にとって小さな疑問だった。実は当時の鉄道フィンランド線の労働組合はボリシェヴィキ支持で、レーニンは党員が運転手を務める機関車に釜炊き夫として乗り込んだ。その運転手は後日「レーニンは嬉々として釜炊き役に成りきっていた」と回想している。また亡命先のヘルシングフォルス(現ヘルシンキ)では、同市警察の署長がボリシェヴィキのシンパでレーニンを自宅に匿った。レーニンは警察署長の自宅に案内されると、署長に対し「毎朝各国の新聞を持ってくるように」指示したという。写真、人名録、参考文献なども充実しており、この点でも小説の域を超える。442pの大部ながら、面白さのあまりあっという間に読み終えてしまった。「ロシア革命百周年」本の中では圧倒的な存在感を示しており、亡くなられたK顧問にも是非お勧めしたかった一冊である。

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『「イスラム国」はよみがえる』 ロレッタ・ナポリオーニ 文春文庫(2018)
『人質の経済学』のナポリオーニ女史によるイスラム国(IS)分析。女史はジャーナリストではなく、元々はテロリストの資金繰りの研究者だけに、センセーショナルなテーマながら淡々と分析している。アルカイダとの違い、一般報道とは異なるイスラム国の近代性とその狙いなど非常に興味深い。「サイクス=ピコ体制の打破」「民族や部族を超えた、スンニ派による統一国家」といったイスラム国中枢の内的動機を理解しないと、いつまで経っても的外れな対応を続けることになるという筆者の見解は非常に重い。

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『陸軍中野学校: 「秘密工作員」養成機関の実像』 山本武利 筑摩選書(2017)
メディア史とインテリジェンス史を専門とする一風変わった研究者による陸軍中野学校の歴史。個人の回顧録やインタビューなどに基づいた主観的な中野学校論が大半を占める中で、地道に公文書をあたって事実を積み上げた労作。先祖に卒業生を持つ身としては必読だったが、読みやすく関心のある人には勧めたい一冊。

『フランス現代史 隠された記憶−戦争のタブーを追跡する』 宮川裕章 ちくま新書(2017)
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『スターリンの対日情報工作』 三宅正樹 平凡社新書(2010)
戦時期のソ連による諜報活動といえば、ゾルゲばかりが注目されているが、実は「大勢の中の一人」でしかなく、三国同盟の動きを精確に報告したクリヴィツキー、外交暗号を解読したトルストイ、いまだ人物が特定できない日本人協力者「エコノミスト」など、多面的に読み解くことでソ連の対日諜報の全容を知ることができる。当時のソ連の諜報能力の高さに改めて驚かされる。
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2018年02月19日

『フランス現代史 隠された記憶』

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『フランス現代史 隠された記憶−戦争のタブーを追跡する』 宮川裕章 ちくま新書(2017)

第1部 第一次世界大戦(撃ち込まれた一四億発―不発弾処理
永田丸の記憶―同盟国だった日本とフランス
反戦の英雄―理想となったジャン・ジョレス)

第2部 第二次世界大戦(ユダヤ人移送の十字架―背負い続ける罪
「ヴィシー政権」―対独協力の記憶
悲劇からの出発―オラドゥール村の葛藤
レジスタンスとフランス―心の拠り所
ドゴール・フランス・アルジェリア―残った遺恨)

毎日新聞のパリ特派員によるルポルタージュだが、着眼点が良い。
二つの大戦でともに(最後は)戦勝国となったフランスだが、戦勝国といえども深いトラウマを負っていることが分かる。一次大戦において独仏両軍がフランス国内で放った砲弾の数は14億発に達し、その一割が不発弾として地中に埋まり、100年を経た現在も処理が進められているが、今のペースのままだと全てを処理するのに700年かかるという。

1940年のフランス戦役でフランス軍は大敗を喫し、北部はナチス・ドイツに占領され、南部では第三共和政の後継となったペタン政権が成立した。独立を維持するためにはナチスに協力するより他なく、ユダヤ人絶滅政策に荷担、国内に密告制度が設けられ、摘発が進められた。戦争前にフランス国内には40万人からのユダヤ人がいたが、そのうち7万6千人が連行され、生還したのは2千人強でしかなかった。ペタン政権は国父ペタン元帥を仰ぐ権威主義国家となり、フランス革命以来の「自由、平等、博愛」は否定されたが、当時国内での支持率は非常に高かった。
だが、1944年6月に連合軍がノルマンディに上陸すると、ペタン政権は瓦解、その正統性は全て否定され、ナチスへの協力は悪夢として封印(無かったことに)され、今度は(少数の)レジスタンスと(新国父)ドゴールの神話が生まれ、今日まで引きずる形となっている。

1954年に始まるアルジェリア独立戦争は、8年間続き、最終的にフランス軍が撤退する。だが、フランス側に協力した民兵を始めとする協力者は置き去りにされ、「自力でフランスまで辿り着いたもの」のみがフランスに受け入れられる。それもフランス国内では否定的な目で見られ、差別と遺恨が続いている。この際、植民地からの撤退を決めたのは、保守派のドゴール大統領であり、社会党と共産党は最後まで反対した。

日本では華やかなモードと理想主義的な共和国のイメージが先行するフランスだが、外側から見えない、あるいはフランス人自身が触れたがらない歴史の暗部を精力的な取材で克明にしている。一日で読める分量だが、非常に示唆に富んでおり、現代日本の歴史修正主義と向き合う上でも参考になるだろう。
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2018年02月05日

科学技術も衰退を露呈する日本

【科学論文数、日本はインドに抜かれて6位に−中国が米国を抜いて世界トップに】
 科学技術の研究論文数で中国が初めて米国を抜いて世界トップになったとする報告書を、全米科学財団(NSF)がまとめた。中国を始めとする新興勢力が研究開発費を大幅に増やして力をつける一方、日本はインドにも抜かれ、存在感を低下させている。
 報告書は各国の科学技術力を分析するため、科学分野への助成を担当するNSFが2年ごとにまとめている。2016年に発表された中国の論文数は約43万本で、約41万本だった米国を抜いた。日本は15年にインドに抜かれ、16年は中米印、ドイツ、英国に続く6位。昨年、文部科学省の研究機関が公表した13〜15年の年平均論文数では、日本は米中独に次ぐ4位だった。
 報告書によると、ここ10年の論文数は中国が124%増、インドは182%増と大幅な伸びを記録。米国は7%増、28か国が加盟する欧州連合(EU)は28%増だったが、日本は逆に13%減だった。論文数では中国がトップになったが、論文の影響力を示す引用数では米国が引き続き上回っているという。
 分野別に見ると、工学分野では中国が米国やEUを上回っているが、医学・生物学分野では米国やEUが優位を保っている。
 民間を含む研究開発費の総額では15年時点で、米国が依然としてトップで中国が2位、日本が3位。この10年で米国が約1.5倍、日本が1.3倍に増額したのに対し、中国は約5倍と急拡大した。インドが約2倍、韓国が約2.5倍とアジア諸国の増額が目立つ。
(1月25日、読売新聞)

「Nature」誌2011年4月21日号によれば、2010年に自然科学系博士号を取得した1350人のうち、卒業時までに常勤職への就職が決まったのは、全体の半数をやや超える程度(746人)にとどまった。その中で大学の科学・技術関連業務に就いたのは162人に過ぎず、残りの250人は産業界、256人が教育分野に就職し、38人が公務員になった、という。いわゆる「ポスドク」問題であるが、就職率の低さが影響して、2007年以降、博士課程進学者も減り続けている。

今や人口が日本の半分以下しかない韓国の方が、論文数でも引用数でも日本を上回っている。
研究開発費の総額を見た場合、2000年から15年にかけて、中国が平均18%の伸びを示したのに対し、米国は4%、日本に至ってはほぼ横ばいの有様で、日本の国力が完全に頭打ちとなっていることが分かる。ちょうど1970年代のソ連を思わせる。

「博士の就職先が無い」と言われる一方で、地方の大学では講座自体が不成立となるケースが急速に増えている。例えば、加計疑獄で話題になった千葉の新設大学や、今治に予定されている獣医大学の場合、教員が十分に確保できず、恐ろしく高齢の元教授を拝み倒して来てもらう始末だと聞く。
地方の国立大学の場合、交通の便の悪さから通勤時間が長い上に、交通費も出ないため、非常勤講師が確保しにくい環境にありながら、文科省天下り官僚の「指導」によって教員の非常勤化を進めた結果、シラバスには掲載されている開講科目一般教養のうち半分以上が「不成立・未開講」に終わるケースもあると言われる。
つまり、研究費以前に生活すらままならない研究者が山ほどいるのだから、研究の質も量も維持されていることがむしろ奇跡的なくらいなのだ。

その対処が、文系・リベラルアーツを廃止して理系に「集中」するという絶望。
檀公三十六策、走是上計。
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