2020年09月29日

Natureからもダメだし

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「Nature」どんに言われてまっせ。どうせ霞が関は「その指摘はあたらない」なんだろうけど。
以下、要点をまとめる。

−7年間の「アベノミクス」から得られた最大成長率は2017年の2.3%。
−研究開発費はGDPの3.2%を費やし、比率上は高いものの、その80%は企業支出であり、政府による研究投資は非常に少ない。
−「選択と集中」による「有効な研究」への集中投資は効果を上げていない。
−来日する留学生の40%を中国人が占めているが、彼らを先端研究から除外することは、最終的に日本のためにならない。
−安倍政権は2020年までに科学者の30%を女性にする国家目標を策定したが、現実には16.6%しかいない。この数字は、ロシアで39.5%、南アフリカで45%で、G20諸国で最低ランクにある。
−なお、理研の主要な研究者のうち、女性は8.3%しかいない。
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2020年08月29日

中北浩爾『自公政権とは何か』(ちくま新書)

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中北浩爾 『自公政権とは何か』 ちくま新書(2019)

民主党政権の3年3カ月を除いて16年以上続く自公連立政権。二党の連立がこれだけ長く続く例は決して多くない。
そして、その「連立」に注目して、自公両党の役割分担と政策や人事、選挙対策を分析、長期政権の強さと、勢力比で10分の1しかないKM党の存在意義と生き残りの要因を問う。ありそうで無かった分析である。

大雑把に言えば、選挙では衆議院の場合、2017年の総選挙ですらKM党の支援が無かった場合、自民党は小選挙区の50カ所以上で野党候補に敗れた可能性があり、自民党の「圧勝」はKMの支援無くしてはあり得ないという。
逆にKM党は自民党から小選挙区を配分してもらうことで10人近くの小選挙区当選者を増やしている上、自民候補などに「小選挙区は自民、比例はKM」と言わせることで全国で100万票前後の票を得ているという。これは、「現政権は支持するけど、自民とは書きたくない」層も含んでおり、それがKMの強さにもなっている。

また、政策的には安保政策や秘密保護法などで自民党に譲歩する一方で、地域振興券や軽減税率あるいは高校無償化の対象拡大などを自民党に強要して実現させるという関係が構築されている。いかにも現世利益を重視するSG的な発想だ。
そして、この点でもKM党は「自民党の極右政策を抑制している」「大衆の利益を代弁している」と成果を強調することで、一定の支持の獲得している。実際、自民党の右傾化を一定程度抑止して、民主党などの野党が主張する政策を先取りすることで、野党への票の流出を抑止する効果もあるという。
確かに、安倍政権の「悪い側面」への批判は全て安倍氏などに集中しているようにも見えるが、現在でいえば「Go to」や定額給付金などはKM党のゴリ押しによるところが大きく、KM党は「いいとこどり」している側面がある。

何か特別新しい発見があるわけでは無いのだが、改めて分析してみると、「なるほど、そういう理解か」と納得できることが多く、経験者だけに勉強になることが多かった一冊である。
【目次】
はじめに もはや単独政権の時代ではない
第1章 神話としての二党制
第2章 連立の政治学
第3章 非自民連立から自社さへ
第4章 自公政権の形成と発展
第5章 なぜ民主党政権は行きづまったのか
第6章 自公政権の政策決定とポスト配分
第7章 自民・公明両党の選挙協力
おわりに 野党共闘と政権交代を考える
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2020年08月12日

スタインバーグ/フルスタリョフ『ロマーノフ王朝滅亡』

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スタインバーグ/フルスタリョフ『ロマーノフ王朝滅亡』 大月書店(1997)

ニコライ二世を始めとするロマノフ一家の最期については、長いこと定説が無く、ソ連共産党と反革命派がそれぞれ独自の見解を述べるに止まっていたが、ソ連崩壊によって多くの資料が公開され、現地の発掘作業や調査も進んで、ようやく「実情」が見えてきた。
括弧付きなのは、激しい内戦下で起きたことで重要な資料が残っておらず、そもそも命令も口頭だった場合もあって、確定するに足る資料はいまだ整っていないためだ。
それでも、可能な限りの資料とデータを集めて、真実に近づこうとしたのが本書である。

著者の概観としては、ニコライ二世の失政は本人の無能というよりは、「ロシア皇帝は専制君主たるべし」と教育され、本人が「伝統」「教育」「宗教」に忠実であろうとし過ぎたが故の結果であるという。同時に、専制国家のロシアでは、立憲君主制を容易に導入するだけの制度的許容性が存在せず、ロマノフ家からすれば「専制と帝政の否定」としか見ることができなかったという。
結果、ニコライ二世もアレクサンドラ皇妃も最期まで帝政の絶対性と臣民からの支持と信仰を信じて疑わなかったという。

一家の殺害については、多くの論者が主張する「レーニンなどの一部のボリシェヴィキ指導者が一家殺害の命令を出し、現地はそれに従っただけ」との見解を否定、当時むしろ革命派市民の間で一家の処刑を望む声が強く、ボリシェヴィキが一家を保護していた側面もあるという。しかし、最終的にエカテリンブルク郊外まで白軍が迫り、シベリア鉄道上のモスクワ方面にあるサマラもエスエル派民兵によって占拠される中で、一家を移送するリスクも高く、「反革命派に皇帝一家を奪われて帝政復活を宣言されるよりはマシ」として、現地の判断で殺害するほかなくなった、というのが真実に近そうだ。
そもそも皇帝一家の護衛・監視にはボリシェヴィキ民兵の最精鋭(軍規は酷かったようだが)が配置されており、その数は最大で300人に達し、少ないときでも100人を超えており、内戦下で戦力が逼迫し、1000人規模の小競り合いが頻発する中で、「処刑予定者」の「警護」にそれだけの人数を配しておくこと自体、不満の声もあったようだ。
レーニンにしても、一家を処刑するつもりではあったが、基本的にはトロツキーが主張する裁判に同意しており、明確に殺害の指示は下しておらず、「最悪の危機時には善処すべし」旨の訓令を出していただけのようだ。

また、皇帝一家の亡命の可能性については、ニコライらはイギリスへの亡命を希望、ケレンスキー政権が交渉を担ったものの、英政府は交渉を引き延ばして遠回しに受け入れを拒否した。その理由については、「イギリスへの革命の波及が懸念された」とするのが概ね定説化しているものの、それ以上に「皇帝一家が亡命した途端にロシアが共和国化してドイツと単独講和してしまう」ことを恐れたのが真相らしい。

ケン先生も「レーニンが殺害を指示」論には懐疑的だっただけに、かなり腑に落ちた次第。
絶対王政・帝政では、君主の「血」のみが「支配の正統性」を示すものであるだけに、これが反革命派に奪われれば、それだけで「帝政復活」が宣言されるというのは、少なくとも当時の人間からすると非常に現実的な脅威だった。
現代日本でも、天皇家の「血」だけが「国民統合の象徴」であるという「信仰」が憲法によって規定されており、他人のことは笑えないはずである。

本作の貴重なところは、ニコライ一世と皇妃の手紙や日記を始め、ボリシェビキの指令書や当事者の肉声などが資料集として収録されていることで、これが日本語に訳されていること自体、非常に貴重なのだと言える。
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2020年08月06日

松村昌廣『米国覇権の凋落と日本の国防』

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松村昌廣 『米国覇権の凋落と日本の国防』 芦書房(2015)

米国上がりの右派の研究者だが、必ずしも親米ではなく、本文で「押しつけ憲法」と言ってしまうビミョーなところはあるものの、それ以外はむしろ中立的で、自主防衛を重視するスタンス。
それも、「中国の経済発展は2030年頃にストップして停滞期に入るから、米国が衰退する中で、そこまで持ちこたえられる自律的な軍備と戦略を」という主張が、ある意味現実的で興味深い。
その裏には、米国覇権が凋落する中で、中国の拡大主義を逆に利用して自主独立を図ろうとする意図が透けて見えるが、方向性は異なるものの、改憲論者として共感できる部分は少なくない。

鳩山政権に対しても否定的では無く、普天間問題などを引き継がなかった麻生政権にも罪があるとし、また在沖米軍基地の再編が進まない背景に、米軍内における空軍と海兵隊の対立や安保戦略をめぐる内部対立があるとする。
一方的に鳩山政権を叩く親米右派が多くを占める中、独自の評価軸を持ち、様々な提案も現状を打破する上で、興味深いものが多い。

外交官や自衛官上がりを含めて親米右派の大半は、「いかにしてアメリカのコミットメントを維持し続け、その軍事力をもって中国に対抗する」という冷戦思考から一歩も出ていないだけに、片務的な同盟のコストが上昇し続け、「国際協力」と称して自衛隊の海外派遣が際限なく拡大していく現状があるわけだが、右側から一石投じているところが心地よくもある。
【目次】
第1部 東アジアの安全保障環境―日米同盟対中国のパワー関係を焦点に(人口動態がもたらす中国の凋落と過渡期の対処策
米国の相対的凋落と日米同盟の強化)
第2部 米国の対中防衛・軍事戦略(「エアシー・バトル」構想の限界と含意
錯綜するオバマ政権の対中戦略論)
第3部 南西諸島の地政学的重要性と基地問題(米海兵隊普天間基地問題
自衛隊による下地島空港の活用に備えよ)
第4部 日本の防衛・軍事戦略(「動的防衛力」構想の含意と課題
次期戦闘機の調達機種提案)
第5部 戦略策定を阻む国内イデオロギー闘争(「国家安全保障戦略」の評価と課題)
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2020年07月31日

富田武『日ソ戦争 1945年8月』

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富田武『日ソ戦争 1945年8月』 みすず書房(2020)

『スターリニズムの統治構造』や『戦間期の日ソ関係』の富田先生の新著。
もう75歳になろうというのに、まだまだご壮健そうで何より。
ソ連研究の大家と呼べる人は全て定年となり、次世代の研究者がまともに研究できる環境はなく、この分野は非常に厳しい状況にある。

1945年8月8日のソヴィエト参戦と、それに伴う侵攻については、小説やノンフィクションなどでは多く書かれているし、軍関係の文書もそれなりに公開されているが、学術的に、かつ網羅的に書かれたものは非常に少ない。
特に満州侵攻について書かれたものは無数にあれど、実際の戦線は樺太と千島、日本海とオホーツク海に及ぶ非常に広い空間に広がっていた。そして、ソ連は45年8月に突然奇襲してきたわけではなく、ヤルタからポツダム会談を経て連合国内における綿密な協議と対日欺瞞行動がなされた上で、攻撃してきた。つまり、1945年の、特にドイツ降伏後の国際環境やソ連側の意図と戦略を考慮しなければ、ただの事実の羅列に終わってしまう。

その上で、満州、樺太、千島などでの戦闘があり、シベリア抑留、軍事裁判、シベリア抑留に対する補償へと繋がっていく。シベリア抑留については、関東軍とソ連側との交渉の闇も外せない。
ソ連侵攻は8月8日に始まり、休戦協定(9月2日)成立後の9月4日まで続いたものの、一ヶ月に満たない期間だった。しかし、その全容は非常に大きく、把握するのが難しい。本書は、それを「日ソ戦争」と称することで全容の把握を試みている非常に大きな価値を持つ。

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2020年07月22日

名越健郎『秘密資金の戦後政党史』

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名越健郎 『秘密資金の戦後政党史 米露公文書に刻まれた依存の系譜』 新潮選書(2019)

55年体制下において日本の諸政党がいかにして外国から資金援助を受けていたかという歴史を描く。
一見、陰謀論的なネーミングになってしまっているが、90年代以降に公開されたアメリカとロシアの公文書を照らし合わせながら検証した博士論文を基にしており、現時点でわかる範囲のことをギリギリまで追求している。

限界が生じてしまうのは、情報公開が進んでいるアメリカでも、岸信介関係を筆頭にいまだに公開されない文書も少なくなく、ロシアではプーチン政権が成立して以降、情報公開が後退している現状があるためだ。

主な流れとしては、1950年代にはアメリカから自民党に、ソ連からNK党に資金が流れ、60年代に入ると、アメリカが社会党の分裂を促進するために民社党を支援し、NK党が独自路線を選択したことでソ連は社会党への支援を開始、社会党には中国資金も流入した。
ただし、金額的にはアメリカのものが圧倒的に多いものの、支援期間が短いのに対し、ソ連からの資金援助は比較的少ないものの、延々と続けられた。
本書を読めば、善悪は別にして、1950-60年代の日本が冷戦の前線となっていたことを再認識できよう。
同時に、アメリカは佐藤栄作が資金援助を求めたことまで公開しているのに、岸信介に関する文書は殆ど公開しておらず、尋常ならざる闇の深さを想像させる。
名越氏はもともとロシア・ソ連を専門とするジャーナリストであり、90年代にロシアで漁った資料が大きく役立っており、再び非公開になりつつある現状では、非常に貴重な研究と言える。

右派の研究者なので、いささか価値観が混じっている部分もあるのだが、ご愛敬で済ませられるレベルだろう。
右派のロシア研究者は往々にして、反ソ・反露が強すぎて「トンデモ」になってしまう傾向が強いのだが、名越氏はそれらとは一線を画しており、信用できる。
他に無い研究なので、一読しておいて損は無いだろう。
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2020年03月23日

関静雄『ミュンヘン会談への道:ヒトラー対チェンバレン 外交対決30日の記録』

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関静雄 『ミュンヘン会談への道:ヒトラー対チェンバレン 外交対決30日の記録』 ミネルヴァ書房(2017)

ここまで詳細な研究書を読むつもりはなかったのだが、他に適書がなく、やむなく図書館で借りて拝読。
関静雄先生は日本外交史を専門としており、私も『ロンドン海軍条約成立史』は少し読んだことがある。
氏は、第二次世界大戦の原因や欧州情勢の日本外交への影響を考えた場合に常にぶつかるのがミュンヘン会談であり、日本にはそれを理解するための解説書がなかったため、自ら研究を始めたという。

私も色々と二次大戦に関する本を読んできたが、その大半はミュンヘン会談を「失敗」と断じ、チェンバレンの「宥和政策」を「悪しき例」とするものだった。
だが、ゲーマーとしてのケン先生は「それは後世の後付けなのでは?」という疑念を拭いきれなかった。
そもそも「戦争になったら負け」という勝利条件が設定されていたと考えれば、後に一方的に変更されたルールを以て「はい敗北」と言われても困るだろう。

実際のところ、イギリスの方針は「戦争しない」ことが至上命題で、ただ「イギリスのせいでナチス・ドイツを助長させてしまった」と非難されないように、「ほどほどチェコスロヴァキア・フランスを支援するように見せかける」ことがポイントだった。
英国内にもチャーチルを筆頭に対独強硬派は存在したものの、彼らの多くは「もっと強い姿勢で交渉に臨め」というもので、実際に1938年8〜9月の段階で「第二次世界大戦に突入してもやむを得まい」とまでは考えていなかった。実際、軍部は「とてもではないが、戦争できる状況にはなく、ましてチェコの防衛など夢物語」という感じだった。仮にこの時に開戦しても、大陸に送ることができる陸軍は一個師団未満だったらしい。英国内の世論も圧倒的に戦争回避だった。

フランスはフランスで声だけは大きかったが、軍予算の大半はマジノ線の構築に投入され、兵役期間も二年から一年にしてしまっており、国土防衛以上の戦争など全く非現実的だった。仏国内は凄惨な第一次世界大戦の影響で反戦が圧倒的に支持されており、「チェコスロヴァキアを守るために対独戦」など訴えても政権が打倒されるだけだった。
結果、フランスは「英米が支援を約束してくれるなら頑張る」が基本だったが、イギリスは上の理由で、アメリカは中立政策を堅持する立場から、「ない袖は振れぬ」となっていった。

実際、ドイツだけはやる気満々で、国防軍は反対意見が根強いものの、ナチスは「掛かってこい」という有様だった。
またナチスによるプロパガンダが非常に効いていて、英仏の軍部はドイツの軍備を実際の二倍以上に想定してしまったため、「政治家どもは戦争とか何言っちゃってんの?」という感じだった。

他にも「英仏とドイツの開戦はソ連を利するだけ」「ナチはソ連と共食いさせるに限る」「俺らが戦うとか、後世の人間からバカにされるだけ」などの考えも非常に強く作用していたようだ。ゲーマー的にはGMT「Triumph & Tragedy」が思い出され、非常に納得の行く話である。

やはりケン先生の疑念は正しかったのだ!
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