2019年07月03日

大学教員の研究は労働時間の3割で減少の一途

【労働時間の3割だけで研究? 大学教員、他の仕事多く…】
 大学教員が研究に使えるのは働いた時間の3割強で、16年前より10ポイント以上減っていることが、文部科学省が26日に公表した調査でわかった。学生を教育するのに費やす時間や、医学教員が診療する時間の割合が増えたことなどが影響した。事務作業には2割弱が割かれており、担当者は「事務時間を研究に回せる対策が必要だ」と話している。
 調査では、常勤の教授と准教授、講師、助教をまとめた大学教員の昨年度の研究時間は、働いた時間の33%だった。2002年度は47%、08年度は36%、13年度は35%で、減少が続いている。
 立場ごとでは、教授が32%、准教授が33%、講師が29%、助教38%。任期付きの研究者らが77%、博士課程の学生は86%、大学病院で診療しながら研究もする「医局員」は15%だった。政府は23年度までに助教の研究時間を5割以上にするなどの目標を掲げているが、なお隔たりがある。
 理学や工学、農学の研究時間の割合は08年度以降、あまり変わっていなかったが、医局員ら保健分野で研究時間の割合が減ったことが全体を押し下げたとみられる。
 今回初めて、競争的資金を申請するための書類作成に費やした時間も調べた。平均して年間43時間で、研究時間の5%、働く時間の1・7%だった。
 調査は大学教員や博士課程の学生らをそれぞれ無作為に選び、計9440人から回答を得た。回収率は57・5%。調査は02年から約5年ごとに実施している。
(6月26日、朝日新聞)

これも典型的な負のスパイラル。
研究分野の「選択と集中」を進めると同時に、教育費の削減を続け、さらに「学部教育の適正化(授業数の増加)」を行った結果、事務と教育と雑務ばかりが増加、肝心の研究時間は15年前に比して70%にまで低下してしまっている。

「選択と集中」は攻めているときや勝っているときはプラスに働くが、守っているときや負けているときにやると、全般的に戦線が薄くなるだけで、逆効果になってしまうことが多い。
インパール作戦や「ラインの守り」作戦(バルジ)などは典型例だろう。

競争的資金を獲得するための書類作成と申請手続きに年間43時間もかかっているが、まさに非効率に極みである。
そういえば、某市では1億円のプレミアム商品券を配るために3千万円の経費が予算計上されたという話を聞いたことがあるが、似たような話である。
システムというのは基本的にシンプルなほど効率的で、複雑なほど非効率的なものだ。軽減税率などその最たるものであろう。

この点だけ見ても、日本の衰退は止めようがないように思われる。
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2019年05月25日

最近の読書傾向から(2019-03, 04)

『日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか』 木村光彦 中公新書(2018)
1910年から45年までの日本による朝鮮統治を経済面に絞って研究したもの。統治期間中、農業生産性は毎年2%近く成長し続け、鉱工業に至っては年10%に及んだ。食生活や公衆衛生も大幅に改善されたという。言うなれば、明治維新以降、本土内で行われた殖産興業をさらに急速に行ったということだろう。工業化に一定の目途がついてきたところで戦争が起きて、(日本人的に)全て失われたことになった。ただ、朝鮮統治のための日本政府の財政負担は非常に低く見ているが(1935−39年で一般会計歳出総額の0.4%)、実際には各種補助金の大半は日本政府の持ち出し、外債の殆どは本土内で買われ、総督府の赤字も確か朝鮮銀行、さらに日本銀行からの補填になっていたはずで、少し単純化し過ぎているように見える。いずれにしても、「元を取る」にはまだまだ程遠い道のりにあったわけで、日本に植民地の資源を自力開発すること自体、相当に無理筋であったことが分かるわけだが、普通の人が読んだら「日本すげぇ〜」に終わってしまいそうな話だった。

『シフト 』 マシュー・バロウズ ダイヤモンド社(2015)
著者は米国大統領のために中・長期的予測を行う諮問機関である国家情報会議(NIC)に勤務し、15年先を予測する「グローバル・トレンド」を執筆、編集していた。NICを退任し、報告書として「書けなかった」部分を含めて、より自説に重きを置いて書き直したものになっている。いわゆる「未来予測」ものなのだが、さすがにアメリカの最高機関がやっていることなので、かなり参考になる。ケン先生は「グローバル・トレンド」を読んで、アメリカのアジア撤退が遠からず実現することを確信したわけだが、本書にも「もし、中国と衝突しても、アメリカが自動的に日本の味方をしてくれると、日本の指導者たちは誤解しているようだが。現実にはアメリカは自国の利益と中国の利益の間に折り合いをつけ、紛争は回避しようとする可能性が高い。アジア情勢の急速な変化と新しい国際秩序のなかで、どのような舵取りをしていくかは、日本の取り組みが遅れている領域であり、今後の大きな課題となるだろう」と書かれている。ただ、アメリカ人らしく、デモクラシーと自由貿易に対する盲信が貫かれており、「そこは全く疑わないんだ」と少し笑ってしまった。

『戦略的交渉入門』 田村次朗/隅田浩司 日本経済新聞出版社(2014)
ハーバード・ロースクールで研究されてきた「交渉学」を分かりやすく実用的に解説している。交渉とは「自分の利益の最大化を目指すゲーム」ではあるが、そこに感情や心理的バイアスが加わるため、予想外のことが発生しやすく、コントロールが難しい。しかし、理論と技術と準備を抑えておけば、相当部分はクリアできる。とかく交渉では「合意を得ること」を最優先する余り、つい妥協に傾きがちだが、「無理な合意」は結局のところ自分の利益を損ね、利害関係者(組織内)への説明がつかなく、合意自体も長続きしないという。例えば、相手の手口を「これはアンカリングだから、その話にはのらないで、話題を変えよう」と思えるだけで、交渉はかなり有利に進められる。交渉ごとは、大小はあれど、人生に欠かせない要素であるだけに、基礎知識として抑えておきたい項目が多い。

『6つのケースで読み解く 日米間の産業軋轢と通商交渉の歴史: 商品・産業摩擦から構造協議、そして広域経済圏域内の共通ルール設定競争へ 』 鷲尾友春 関西学院大学出版会 (2014)
上司に当たる教授から「大学の紀要に日米通商交渉の経緯と仕組みについて教科書的に書いて欲しい」と言われ、「へっ?自分がですか?」と変な声で返事してしまった。確かに私の肩書きは「日本経済研究員」ではあるのだが。そんなわけで、今期中色々読んでいるうちの一冊。日米間の産業軋轢と両国間の通商交渉の歴史を、繊維・鉄鋼・自動車・半導体・構造問題協議からTPPまで6つのケースで読み解く。アメリカがいかに国内の有権者の民意を受けて保護貿易を主張し、イデオロギー上の建前を糊塗するために、日本に「輸出自粛」を強要してきたかがよく分かる。また、アメリカがパワープレイで他国に輸出制限を強いてきたことで、米国内の産業構造の転換を遅らせることにもつながり、長期低迷の原因にもなっていることが推測される。いや、やはり専門分野外の書を読むと、大変だが、新たな「気づき」が多くて面白い。
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2019年03月15日

陸軍人事―その無策が日本を亡国の淵に追いつめた

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『陸軍人事―その無策が日本を亡国の淵に追いつめた 』 藤井非三四 光人社NF文庫(2013)
『昭和の陸軍人事―大戦争を戦う組織の力を発揮する手段 』 藤井非三四 光人社NF文庫(2015)

いわゆるミリオタは見向きもしないだろう一冊だが、これが超面白い。
日本陸軍の人事がどのような制度の下に、運用されていたのか、そしてそれがどのように戦争に影響したのかを解説している。
とにかく「なるほど!」と思ったのは、226事件で多くの将校を予備役に入れたものの、その多くは「いつか現役復帰させてやるから」と空手形を切った上でのことだった。その翌年に盧溝橋事件と上海事変が起こり、日華事変・日中戦争に突入すると、大動員のために現役復帰し、皆サルのように戦争を支持したという。同時に、戦時編制と師団増説が続き、連隊長以上のポストが大売り出し状態となって、これもまたバンザイ状態になったという。

また年功序列と成績主義が蔓延しており、戦時でもそれが優先された結果、「無天(非陸大卒)でこの序列では連隊長はダメ」「大佐を6年やらないと少将にはなれない」などということが戦争中でもまかり通り、殆ど選択肢の無い人事で戦争を戦っていたという。
言われてみれば、長妻氏の話によれば、民主党政権時に大臣として厚労省の人事を主導しようとしたところ、全く同じようなこと(このポストはこの経験が無いとダメ、あのポストはあの大学卒の占有地みたいな)を人事部長に言われ、「大臣の人事権など無いも同然じゃ無いか!」と声を荒げたことがあるという。それでも無理に人事権を行使したところ、内部から刺されてしまったところがあるらしい。

その一方で、人事権の恣意的な行使もなされ、有名どころでは服部や辻のケースがあるが、かの栗林忠道も、第23軍参謀長として香港攻略戦における部下の不手際(独断専行)を咎められ、陸士26期の中将進級一選抜から外されたあげく、留守近衛第二師団長から寄せ集めの第109師団を任され、南方に飛ばされたのだという。「アメリカ帰り」「仲間(後ろ盾)の少ない騎兵科」ということもあっただろう。

ここで比較してみたいのはアメリカ軍である。
ニミッツ提督が開戦時に少将だったことは有名だとしても、アイゼンハワーは1941年3月に大佐に昇進したばかりで、それが1年3ヶ月後には中将になってヨーロッパ戦域の連合国軍最高司令官に就任している。マッカーサーに至っては、1930年に一度退役(名誉昇進で大将)したのに、1941年7月に少将として現役復帰を果たしている(翌日中将に昇進)。
アイクと同期のブラッドレーが大佐になったのは1941年2月で、この時すでにパットン(ウエストポイント3期上)は少将に就任していたが、1944年のノルマンディー戦においてはアイクが最高司令官、ブラッドレーが第一軍司令官、パットンは第三軍司令官となっている。
このパットンは、1912年に士官学校を卒業して、第一次世界大戦の終了時には大佐にまで昇進したが、大戦終結と共に少佐まで格下げされている。いかにもアメリカを象徴する事例であろうし、日本では考えられない話だ。
また、中将以上の階級は基本的に役職に付随するもので、退役する場合はその階級のまま退役できるが、現役を続ける場合は次の役職によっては降格になる場合もある。これも日本では考えられない話だが、極めて合理的な発想である。

政治を担っていた者として、読んでいるだけで色々ダメージの入る一冊だが、示唆するところが非常に多く、お薦めしたい。
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2019年02月05日

「砲兵」から見た世界大戦ー機動戦は戦いを変えたか

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『「砲兵」から見た世界大戦―機動戦は戦いを変えたか』 古峰文三 パンダ・パブリッシング(2017)

ブログで連載された記事をオンデマンド出版したものだが、非常に興味深かった。
砲兵の立ち位置や戦場における価値あるいはドクトリンが、一次大戦から二次大戦にかけて、どのように変質したかを描いている。

第一次世界大戦の主役だった砲兵は、その鈍重さから一次大戦までは兵器として重視されておらず(肝心なときに使えない)、一次大戦の塹壕戦に至ってようやく価値が認められたもののの、一次大戦の終結とともに軍事費の削減で忘れ去られてしまう。
砲兵中心の火力主義を、予算上と同時に人命重視の観点から覆したのが電撃戦、機動戦理論だった。
しかし、電撃戦も戦争の長期化に伴う、ソヴィエトや連合国の火力重視の前に潰え、最終的には火力優勢を得た方が勝利するに至った。
ドイツによる電撃戦は砲兵支援に代わる近接航空支援があったからこそ有効打を与えられたのであって、航空優勢が失われると、その威力は激減してしまう。

例えば、イギリス軍の戦車損失の要因をみると、北アフリカ戦線では対戦車砲によるものが40.3%、戦車によるものが38.4%だった。しかし、ノルマンディ以降になると、対戦車砲22.7%、戦車14.5%、間接砲撃・空襲などが40.7%となっている。
この辺は「パットンズ・ベスト」をプレイしたことがあるものなら、ある程度は納得できるが、やはり実感としては「そんなものだったのか」という感慨を抱いてしまう。
結局のところは、通信網の整備による砲兵支援の精度向上が決め手になるようだが、精度が低いと無駄撃ちが多くなって、消耗戦になってしまう。こうした課題は現代においても有効で、中東などにおけるアメリカ軍の空爆が決して決定打になり得ないことも、改めて理解させてくれる。

戦間期のドクトリンの変容と戦況の推移がどのように関わっているのか、エル・アラメインで起こったことの本質(英軍の火力集中と独軍の支援不足)、ソ連軍がなぜ強かったのか、日本軍がなぜ(意外と)頑強に戦えたのかなど、色々「目から鱗」のことが書かれている。
非常に簡潔にして要点を抑えており、いささか物足りないくらいではあるが、中途半端に戦史をかじっているものだからこそ、「なるほどそういうことだったのか!」という発見が得られる貴重な一冊と言える。
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2018年08月21日

演劇と言語教育

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言語教育と演劇は密接な関係を持つ。
現代人が素のままでコミュニケーションをとるシーンというのは実は少なくて、相対的に多いのは「学生として先生に相談する」「社員として上司に意見を求める」「営業員として顧客に売り込む」など身分や立場に即してたコミュニケーションとなる。その場合、狭義の言語運用能力以外のスキルが求められるわけで、広義の演技力を無視した言語教育は実践で十分に機能しない、という考え方だ。
また、言語学習の教科書では殆どが一対一の対話しか想定していないが、現実には3人以上が集まって話すケースが非常に多い。少なくとも多人数コミュニケーションを仮想体験する場を用意しておくべきだろう。

その意味では、TRPGも原理は同じなのだが、こちらは言語依存度が高い点が課題となる。
演劇の優れているところは身体を駆使する点。人間がコミュニケーションを行う上で、言語が支配するのは2〜3割程度でしかなく、実はその他の身体、場、社会的要素などに依存するところが非常に大きいからだ。
ケン先生が仮にロシア語でD&Dをやっても、ストーリーを理解するのが精一杯で、自分から積極的に参加するのは難しいだろう。

今回「日本語表現法」を担当するので、演劇要素を組み込もうと考えているが、まだ具体的なプランには至っていない。
また、学部時代にロシア語劇をやっていた者としては、将来的に学生の日本語劇ユニットを立ち上げることも視野においている。
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2018年06月29日

5、6月の読書報告(2018)

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『アメリカ外交の大戦略―先制・単独行動・覇権』 ジョン・L・ギャディス 慶應義塾大学出版会(2006)
冷戦研究の泰斗であるギャディス先生による、911事件以降のアメリカ外交論。基本的に講演録なので分量は少ないが、アメリカによる先制攻撃ドクトリンがブッシュ政権固有のものではなく、独立戦争と米英戦争(1814)に端を発する伝統的な考え方であるとするもの。むしろルーズベルトによる国際協調・大同盟路線こそが異端だったが、それによって世界覇権が確立したことを高く評価しつつ、安全保障環境の変化で再び先制攻撃ドクトリンに転換したと説明している。非常に納得させられる部分が多く、お薦めしたいのだが、イラク戦争は失敗したと断じているにもかかわらず、先制攻撃・単独行動ドクトリンは正しいとする結論部分だけは、「何故そうなる?」と疑問を禁じ得ない。

『新版 北朝鮮入門』 礒崎敦仁、澤田克己 東洋経済新報社(2017)
中国で朝鮮半島問題について講義して欲しいと言われ、門外漢なので途方に暮れ、専門家の同志に相談したところ、真っ先に薦められた一冊。表題にもある通り、確かに入門書で、北朝鮮に関する事項をかなり網羅的に書いているのだが、その水準は高く、記述もバランスがとれており、まず全体像を把握するにはもってこいのものだった。

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『フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権』 関曠野 青土社(2011)
関先生は、在野の思想家なれど、全体主義学徒の私は非常に多くの示唆を受けている。「近代の終焉」「代議制民主主義の機能不全」「国民国家の終焉」などのキーワードを論じる。欧米日などの民主主義国家は、階級間の利害調整弁としての機能が期待され、階級間の和解の上に成立していたが、国家が銀行=資本を優先救済するために税金を投じた時点で、その和解は破綻したという理解。確かに、国家と資本の癒着が急速に進み、大衆からの収奪が苛烈になるのは、2000年以降である。議会制民主主義も国民国家も、一定の階級和解が前提となって成立しうるが、その和解が破綻している現状では、成立要件を欠き、システムが機能不全に陥り、統治不全が進行する恐れが強い。そもそも議会制民主主義は、19世紀の産業革命を前提とし、一国の工業化を実現する上で、労資間の階級和解が必要(合理的)だという認識に基づいていて成立したものであり、近代化と資本主義が終焉を迎える21世紀に通用する合理的理由は無い。

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『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』 水野和夫 集英社(2017)
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫 集英社(2014)

水野和夫先生の小論を集めたもので、水野ファン的には真新しさは無いものの、「資本主義の終焉」「近代の終焉」「国民国家の終焉」というキーワードを考える上で欠かせない要素を全て提示してくれている。成長型経済から定常型経済への転換という視点なくしては、今後の世界は語れない。

『立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』 君塚直隆 新潮社(2018)
イギリス王政の研究家である著者による、世界各国の君主制度の現状を網羅した珍しい一冊。立憲君主制を採用している国が多い欧州諸国の場合、王族がデモクラシーの原理を尊重しつつ、政治に直接触れることなく、国際親善と国内の階級和解に精力的に活動することで、市民からの信頼と階級和解の象徴となって、体制の安定に寄与しているという。だが、既存の立憲君主制が「安定的」に見えるのは、一定の経済的繁栄とそれに基づく国民福祉が充実しているからであって、立憲君主制が体制安定に積極的に寄与しているという著者の見解は、いささかマッチポンプの嫌いがある。今後、急速に貧困化が進むであろう日本と欧州にあって、君主制が階級和解の象徴となり得るのか、その辺をもっと考察すべきだろう。

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『東部戦線の独空軍』 リチャード・ムラー 朝日ソノラマ(1995)
なかなかの名著。アメリカの比較軍事史研究者による博士論文の解題であるだけに、それなりの基礎知識が必要ではあるものの、非常に深い内容で戦争の本質を追究している。表題の通り、独ソ戦におけるドイツ空軍の盛衰に焦点を当てている。英本土航空戦で消耗し、限られた航空戦力をもってどの任務を優先するのか、ソ連政府を屈服させるために最も効率的な航空運用は何かという空軍内部の議論が検証されており、興味深い。1942年以降は、想定外の長期戦と総力戦の中で、ソ連空軍も強化され、独空軍は損耗を増やし、戦略の再構築が求められる。デミヤンスク包囲戦における空中補給作戦では第8航空軍団が265機の損失を被るものの、作戦全体では「成功」と見なされ、スターリングラード・ポケットにおける空中補給につながって行く経緯も参考になる。原書にはあるはずの参考文献がついてないのが惜しすぎる。

『中国化する日本』 與那覇潤 文春文庫(2014)
一時期話題になった一冊。中国化とは、権力の一元化と経済分野の放任主義を指すキーワードで、これに対するのが分権化と経済社会の固定化を指す「江戸時代化」という認識。指摘は興味深いところもあるが、中国論で言えば足立啓二先生の『専制国家史論』を読むべきだ。日本社会論としては、奇をてらいすぎなのと、自己顕示欲が前面に出すぎて、評論文としては全く水準に達していない。

『国体論―菊と星条旗』 白井聡 集英社新書(2018)
既出。
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2018年06月27日

白井聡『国体論―菊と星条旗』

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『国体論―菊と星条旗』 白井聡 集英社新書(2018)
【目次】
 序――なぜいま、「国体」なのか
年 表 反復する「国体」の歴史
第1章 「お言葉」は何を語ったのか
第2章 国体は二度死ぬ
第3章 近代国家の建設と国体の誕生(戦前レジーム:形成期)
第4章 菊と星条旗の結合――「戦後の国体」の起源(戦後レジーム:形成期1)
第5章 国体護持の政治神学(戦後レジーム:形成期2)
第6章 「理想の時代」とその蹉跌(戦後レジーム:形成期3)
第7章 国体の不可視化から崩壊へ(戦前レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
第8章 「日本のアメリカ」――「戦後の国体」の終着点(戦後レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
終 章 国体の幻想とその力

亀山ゼミでともにゲストだった白井同志の新著。4月末に出て、5月末に4版なのだから、今時の新書としてはベストセラーなのだろう。
「同志の本だから改めて読むまでもないか」と思っていたところ、献本されたので読んでみたところ、概ね本ブログで主張しているところとかぶっており、政治哲学・思想面から新書レベルの解説がなされている程度で、一種のスタンド・アローン感(共謀せずとも同じ結論に導かれる状態)を覚えた。

日本を支配しているのは霞ヶ関や自民党ではなく、米国であり、霞ヶ関と自民党は冷戦期東欧の共産党と同じ「モスクワの代理人」ならぬ「ワシントンの代理人」に過ぎない。それを覆い隠す表看板として象徴天皇制がつくられ、支配権の担保として在日米軍が置かれている。日米安保の不平等性はそれを明示している。在日米軍は、あくまでも米国覇権のために存在するものであるため、霞ヶ関と自民党を守護するために自衛隊が設置された。自衛隊法に自衛隊の役割として「国民保護」が明記されていないのはそのためである。
戦前の国体は、封建社会を国民国家に再編成し、工業化を実現しつつ、帝国主義時代を生き残ることを目的に、人民を臣民として無制限に動員するためにつくられたが、世界覇権を求めてアメリカと戦争し、廃滅寸前にまで追い込まれた。

戦後、その国体は西側自由主義体制の一員として冷戦を戦い抜くために、アメリカの後方基地あるいは資本元となることを目的に再編成された。戦前期に軍国主義や権威主義体制に奉仕した戦争犯罪者たちは、対米協力を誓うことで公職追放を免れ、あるいは解除された。1950年代の鳩山・岸内閣において閣僚の7割前後が戦犯だったことが、それを証明している。
1950年代から60年代の学生運動や反安保運動は、こうした擬制システムに対する異議申し立てだったが、政治的あるいは暴力的に弾圧され、その後は経済成長の中で個別的に不満が解消されていった。
今日、自民党政権が対米従属を強化し、国民経済を顧みることなく軍事的、経済的支援を行うのは、米国覇権こそが霞ヶ関・自民党による日本支配の源泉であり、国体そのものであるため、終戦時の大西軍令部次長が「あと2000万人の日本男児を特攻に!」と絶叫したのと同様、「日米同盟のさらなる深化」が叫ばれている。
その従属関係や支配構造の本質を覆い隠すために、象徴天皇制と「アメリカに愛される日本」「自由民主主義を奉じる日本」といったフィクションが連綿と(臆面も無く)主張されている。

現行の象徴天皇制・昭和帝政は、対米傀儡(アメリカ覇権の基地)と明治帝政のハイブリッドであるため、米国の覇権が後退すれば、明治帝政の亡霊が復活するのは道理であり、かと言って今アメリカがアジアから撤退すれば、昭和帝政の正統性が失われるだけに、「権威主義で対米従属強化」という、見るもおぞましい政権が成立している。
昭和帝政は、明治帝政以来の政官業報の癒着構造の上に成り立っているため、権力を相互監視する仕組みがなく、腐敗の一途をたどっている。さらに、日本の教育制度は、来日した東ドイツの教員組合幹部がうらやむほどの高い従属・洗脳度を実現しており、体制内批判はわずかにしか存在しない。

ケン先生の主張と異なるところもある。同志は必ずしも明示していないが、憲法改正(反対)、デモクラシー、国民国家の部分である。ケン先生的には、デモクラシーと国民国家はすでに賞味期限切れを起こしており、19世紀の遺物であると考えている。憲法9条は、日米安保と表裏一体のものであり、同時に象徴天皇制の要でもあり、これも冷戦の終焉と同時に成立しがたくなるものである。
恐らくは、同志の場合、そこまで踏み込んでしまうと商業上成り立たなくなってしまうため、最後の最後で日和ってしまっているものと思われる。にもかかわらず、特に体制派からは「サヨク」「レーニン主義者」のレッテルを貼られる攻撃にさらされているが、同志が本書で階級闘争を煽っている部分は一つもなく、連中が「王様の裸」を指摘されて狼狽しているのが見て取れる。

「戦後国体が崩壊した後、どうなるのかについて書いてないのは不誠実」なる批判もあったが、ソ連が崩壊した後、ロシアも中央アジア諸国も「選挙で偽装された権威主義国家」が成立しただけで、欧米諸国が望んだデモクラシーが成立したわけではない。欧州帝国に編入された東欧諸国では、ポーランドやハンガリーを始め、続々と権威主義政権が成立している。
日本の場合、日中戦争を経るかどうかは別にして、自民党に替わる親中政権が成立し、霞ヶ関も親中化、アメリカ軍が中国軍に替わるだけで、「フタを開けてみれば同じ連中」という可能性も十分にある。
また、天皇制は、支配者は天皇に対して責任を負い、天皇は一切免責されるという無責任システムであるため、どの為政者にとっても非常に使い勝手が良いだけに、市民がよほど強い自覚を持たない限り、形を変えて存続してしまうかもしれない。
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