2016年12月27日

米国の大学の授業で使われる文献

米国の大学の授業でよく使われている文献トップ100」なる面白いサイトを紹介してもらったので、ここでも紹介したい。
「Open Syllabus Explorer から、米国の大学に限って、授業で教科書としてよく使われている文献を1位から100位までリストにしたものである」との説明。ここでは1位から10位まで引用したい。

1. ストランク『英語文章ルールブック』
2. プラトン『国家』
3. キャンベル『生物学』
4. マルクス『共産党宣言』
5. アリストテレスの倫理(学集)
6. マキアヴェリ『君主論』
7. ホッブス『リヴァイアサン』
8. ソポクレス『オイディプス王』
9. シェリー『フランケンシュタイン』
10. トゥラビアン『シカゴ・スタイル 研究論文執筆マニュアル』


英文実践を除けば想像以上に古典、それも古代ギリシア系が多いことに驚かされる。やはり欧米の学生にとっての基礎文献、基礎知識はそこなのだろう。同時に、意外と文学の講読が多いようで、日本の大学とは異なるようだ。全体の印象としては、英米系に偏り過ぎなのが気になるところではあるが、「基礎を徹底的に」というスタンスには非常に好感が持てる。あと、歴史関係が恐ろしく少ない点も、「アメリカだなぁ」と思わせる。
米国の大学で教えたこともある妹にも感想を聞いてみたいところだ。

アジアの某国ではカリキュラムの何分の1かが英語の勉強で、でもシェークスピアなんて無駄だから簿記をやるとかいう大学が一般的らしいから、えらい違いである。
だが、いま学校で学ばれている実学など20年以内に相当数がAI化されると思われるだけに、AIでは代用できない基礎体力、即ち思考回路の深層性や重層性を強化してこそ高等教育の存在価値も残るはずだが、日本の文部官僚や大学人にその認識は無さそうだ。そもそも文科省が高等教育に介入している時点で「終わっている」のだが。
つまり、日本の教育にはいかなる未来も無いと予測される。

ちなみにケン先生の場合、上記10点のうち『共産党宣言』と『君主論』は高校時代に読んでいる。プラトンは岩波文庫を手に取ってみたが、読みづらくて諦めた。
さらに高校のフランス語では、バルザック、プルースト、カミュ、サルトルなどを原語で読まされたが(もちろん一部抜粋)、プルーストは「死ねばいいのに!」というくらい最悪に退屈だったし、サルトルの仏語は訳が分からなかった記憶がある。読みやすかったのはカミュで、そのおかげで大学に入った後も(日本語で)評論集を読みあさった。どうせならデュラスとかアルトーを原語で読みたかったが、「読みたきゃ自分で読め」と言われるのがオチだろう(笑)
高校の外国語で原書講読は相当にハードルが高く、しかもいかなる実用性も無いのだが、実は「基礎体力・知力を身につける」点では意外とバカにできないのではないか、と最近は感じている。

自分は大学(学部)では、言語や必修の授業以外は超適当にやっていた、(当時としては)ごく一般的な学生だったが、周囲のものよりは本を読んでいたと思う。大学というのは、読書を習慣化する最後の機会であり、これを逃すと殆どの場合、読書するのが苦痛になってゆくようだ。私の母などは70を過ぎても凄まじい読書量だが、そこまで行かなくとも初老を過ぎた私が仕事を抱えながらも最低限の読書を続けていられるのは、高校と大学で読書を習慣化できたことが大きい。

末尾に学部時代に自分が読んだ本の一端を紹介しておきたい。今から思えば、異端過ぎて恥ずかしい独自路線ではあるが、しかもロシア語科だったのにフランス文学ばかり、何と言うか「中二病」ならぬ「大三病」って感じ(爆)

ジョルジュ・バタイユ『ジル・ド・レ論』『眼球譚』『無神学大全』
アルベール・カミュ『反抗的人間』『異邦人』
マルキ・ド・サド『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』
アルトナン・アルトー『ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト』
マルグリット・デュラス『破壊しに、と彼女は言う』『モデラート・カンタービレ』
カール・シュミット『政治的ロマン主義』『パルチザンの理論』
ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』『反文明的考察』
レフ・トロツキー『永続革命論』『ロシア革命史』『わが生涯』
コリン・ウィルソン『現代殺人百科』『右脳の冒険―内宇宙への道』『宗教とアウトサイダー』
澁澤龍彦『神聖受胎』『人形愛序説』『異端の肖像』
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2016年12月26日

超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条

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『超予測力:不確実な時代の先を読む10カ条』 フィリップ・E・ テトロック、ダン・ ガードナー 早川書房(2016)

今回の米大統領選の予測は、米国政治の専門家がこぞって外して、的中させたのは専門外の人ばかりだった。同じようなことは30年前にもあった。1984年夏にワシントンの要請で米国学術会議にソ連研究の専門家が集められ、「チェルネンコ後」の予測が行われた。その結果、「頑迷な保守派が登場して対米強硬路線を進めるだろう」というのが専門家内で一致した予測となった。ただ、同会議内のリベラル派は「レーガンの強硬路線を受けてソ連側も強硬路線を採る」と分析したのに対し、保守派は「完成された全体主義国家は全体主義者を選ぶ(路線転換する理由がない)」という理由を挙げた。その半年後に書記長に選ばれたのは、専門家も名前を知る程度のゴルバチョフだった。

この話がさらに面白いのは(本に記載があるわけではない)、スターリンですら1934年2月の党大会で行われた中央委員選挙において、投票総数1059のうち反対票が123から292票も投ぜられたのに対し、ゴルバチョフは党中央委員会の満場一致で書記長に選出されたことにある。
このことは、1934年のソ連におけるスターリンよりも、1985年におけるゴルバチョフの方がより多くの共産党員から必要とされたことを意味する。少なくとも1985年のソ連共産党では、「いかなる形かは別にしても、何らかの改革をしなければ体制を保てない」という認識が(自覚的では無いかもしれないが)共有されていた。同年3月に開かれた政治局会議までに、保守派は自前の書記長候補を出そうと模索はしたものの、適任者を見出せなかった。これは、「頑迷な保守派」ですら改革が不可避であることを否定できなかったことを示している。

にもかかわらず、冷戦の対手であるアメリカにあって、ソ連研究の大家たちは誰一人としてゴルバチョフはおろか改革路線を予見できなかった。要は専門家ほど「リベラルな米国人がトランプを選ぶワケが無い」とか「共産党員がリベラルな指導者を選ぶわけが無い」といった固定観念に囚われやすいということなのだ。日本で言う「木を見て森を見ず」に相当する話だが、普遍的原理のようだ。
逆に、ソ連崩壊を早期から予見していた一人にE・トッド先生がいるが、彼は人口学の大家である上、ソ連の衰退を予見した『最後の転落』を記したのは1976年で25歳のことだった。なお、ハンチントン『文明の衝突』を「妄想」とぶった切る先生も、アメリカの没落については「2050年以降」と慎重な姿勢を見せている。また、先生は2000年の来日時に「長期的なタームで見たとき、ドイツや日本のような社会において個人の安全を脅かすリベラリズム的な状況が続いたならば、極めて右傾化した不愉快な反応が生み出されてもおかしくないのです」と述べられており、凄まじい預言者ぶりを発揮している。もっとも、この点については、私も1999年に発行されたある自費出版本に「日本の自由民主主義は、ここ10〜15年程度で終焉を迎えるだろう」旨の投稿をしており、ソ連崩壊ほどの難易度ではなかったかもしれない(これはただの直観だが)。

すっかり前置きが長くなったが、本書は「専門家の予測精度はチンパンジーのダーツ投げ並みのお粗末さ」という調査結果をウリにして全米を風靡した一冊で、題名的にもキワモノ感があるものの、内容的には非常に充実したビジネス書、実践書である。予測スキルや未来予測力という、一見非科学的な能力を行動経済学や統計学を駆使して解析してゆく。
状況予測は、日頃私が本ブログで試みていることで強い関心があるだけに手にとってみた。私的に特別真新しいことが書いてあったわけではないのだが、漠然と使っていた思考法を論理立てて説明しており、改めて目を見開かされた思いだった。その主な要素は、

・直感に頼らない(直観は意味あるが検証が不可欠)
・問題を分解して複数の要素に分けて考える
・他者の視点と論理で考える(自身のスタンスに拘泥しない)
・確率論を忘れない、数字を重視する
・過去の判断や分析に拘泥しない
・予測の更新や判断の変更は当たり前


などにある。これらは私も心がけていることではあるが、本書を読んで知識・スキルとして「定着」した感じがする。私の世代になると、会社や社会で様々な判断や決断を下す地位に就く人が増えるだけに、一度本書を読んで「予測するというのはどういうことか」を再認識して欲しい。
本ブログの「米軍駐留費の妥当性について」は身内から最も好評価いただいた一本だが、具体的な数字を挙げて検証しているが故のものだろう。これに対し、親米派の外務官僚や政治家、学者は数字を否定し、「アメリカが没落するわけが無い」「日本を見捨てるわけが無い」などという観念論から入るため、専門家ほど失敗する構図になっている。
逆に1980年のポーランド危機を扱った「ポーランド危機をめぐる経済情勢」は、歴史検証ではあるものの、「後付けの智恵」ではなく、殆どを同時代のマルクス経済学者の論文に依拠しており、社会主義国といえども公開情報で同水準の検証を行うことが可能だったことを証明している。ところが、私が基にした論文群は、同時代人に完全に無視された。

この点、シミュレーション・ゲーマーは鍛えられていると言える。確率を無視して直感に頼って勝てるゲーマーはいないし、普通はドイツ軍を担当することもあれば、ソ連軍を担当することもある(武田しかやらないという先輩もいるが)。状況は刻々と変化するので、従前の判断や認識に拘泥していたら、新たな状況に対応できないだろう。これらは全て「予測力」に繋がる要素であり、それを論理立てて解説してくれる本書は、情報分析者は当然のこと、ゲーマーにとっても政治家にとっても必読と言える。
われわれは自らの予測力を高めると同時に、政治家、評論家、学者など権威とされる人々の予測を無批判に受け入れる前に、「この人物の過去の予測は正確だったのか」と問いかける必要がある。それが空疎な議論を防ぎ、予測と検証のプロセスを通じて社会が賢くなることにつながる。

【参考】 シミュレーションゲームの効用‐リスクテイクと全体最適

【追記】
わが一族は「超」かどうかは別にして凄まじい予測力の持ち主ばかりだった。その筆頭は海軍にいた大伯父で、例えば日米開戦前の1941年初めに上層部に提出された「新軍備計画論」では、来たるべき日米戦を以下のように想定している。
米国は多数の潜水艦を日本近海と日本の生命交通線に活動させ、航空機と協力し、根強く日本の海上交通破壊戦を行い、日本の物資封鎖の挙に出るに違いない。日本は国家生存と作戦遂行上の必要から、米の潜水艦と航空機の攻撃に対抗し、海上交通線の確保を必要とするだろう。この意味で、海軍の海上交通確保戦は、日米作戦中重要な一作戦だ。
(中略)
日本は、日本の生存上必要な、又戦争遂行上必要な、国としての海上補給線の確保に必要な兵力を整備することが必要である。日本が、その国家生存上と戦争遂行上、国家として日満支連絡線、それと蘭印を含む西大西洋海面の交通線の保持を必要にするので、戦時この交通線の対米軍保護を絶対必要とする。この場合、会敵を予期する米軍兵力は、航空機、潜水艦と機動水上部隊になるに違いなく、日本はこれらに対応する兵力を保持・運用することが必要である。

同年7月に開かれた局部長会議では、航空本部長として大臣に向かって「大臣あなた、こんな航空戦備で本当にアメリカと戦争できると思ってるんですか!」と怒鳴りつけたというから、75年を経た今でも子孫としては色々な意味で背筋が冷たくなる話である。

また、陸軍中野学校を出て関東軍の情報将校となった大伯父は、ソ連の参戦が近いことをずっと進言し続け、参戦後は関東軍主力が通化を目指して退却した後も新京に残って、機密文書廃棄や残務処理をした後、朝鮮商人に身をやつしながら、ソ連軍の戦線をすり抜けて後方に出た後、ひたすら東に向かって歩き、ウスリー川を渡ってウラジオストクに出て、どんな手段を使ってか日本行きの船に乗り込んで、そのまま帰ってきている。戦後は国会図書館の職員として対ソ諜報に従事した。(忠義とロイヤリティ2補
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2016年12月03日

11、12月の読書報告(2016)

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『セカンドハンドの時代―「赤い国」を生きた人びと』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 岩波書店(2016)
『戦争は女の顔をしていない』のアレクシエーヴィチ女史の新作。今作も延々とインタビューが続くわけだが、ソ連崩壊から四半世紀を経て、市井の人々が「ソ連」をどのように捉えて回想しているか、非常に興味深い。本の紹介は「21世紀に頭をもたげる抑圧的な国家像をとらえた」などと、相も変わらず西側史観丸出しだが、実際にロシアなどで高齢者に話を聞いてみると、驚くほど多くの人がソ連時代を懐かしげに語っている。果たして、実像を知らない外国人が文字情報だけでインタビューを読んで、どこまでソ連という時代を理解できるのかは甚だ疑問だが、まぁ他人事か。

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『黒い巨塔 最高裁判所』 瀬木比呂志 講談社(2016)
最高裁の調査官まで務めるエリートコースを歩んだ元裁判官が描く最高裁の実態。孫崎氏の『外務省』よろしく、小説という形にすることで最高裁判事やその組織のおぞましい姿をえぐりだしている。霞ヶ関よりもさらに密室度が高く、マスコミの監視からも完全に外れているだけに、その暴虐ぶりは凄まじいばかりのようだ。

『ユーゴ内戦−政治リーダーと民族主義』 月村太郎 東京大学出版会(2006)
ユーゴ内戦を「起こるべくして起こった」という視点から見るのでは無く、各共和国や民族派のリーダーが自己の権威を高め、権力を手中に収めるために、いかに民族主義を煽り立てていったか、に焦点を当てている。内戦が最も凄惨だったボスニアでも、直前まで連邦を維持し、民族主義に反対する声が圧倒的多数を占めていたことは、注目に値する。現在の日本を考える上で、非常に示唆に富んでいる。

『国家神道と日本人』 島薗進 岩波新書(2010)
勉強会の課題図書。まだ全然手を付けていないので内容は分からないが、大衆の政治的不満を左派が吸収できなくなっていることが問題なのに、「いかに右派がヤバいか」という勉強ばかりしていて良いのかと思う次第。

『大正天皇』 原武史 朝日文庫(2015)
舞台『治天ノ君』を観て復習することに。単行本が出たときにパラパラとはめくったような気がするのだが、改めて読んでみたいと思う。

『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』 加藤聖文 中公新書(2009)
日本本土を始め、帝国内の領土・植民地がどのように敗戦を迎え、対応したのかという珍しいテーマを扱う。在外日本人の安全を保障し、引き上げる作業。突然日本国籍を失い、植民地支配から「解放」されるも、全く先の見通しがなくなってしまう在外領土、ソ連に編入される樺太と千島など、通常の歴史研究が見落としがちなケーススタディをまとめた一冊。
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2016年10月04日

急進化する自動翻訳技術

【話した言葉、すぐに翻訳…五輪へ官民で技術開発】
 政府は2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、話した言葉を瞬時に別の言語に翻訳する自動音声翻訳技術の開発を加速させる。訪日外国人の急増で翻訳の需要が高まっているためだ。15年度からの5年間で計約100億円の予算を投じ、官民を挙げて取り組む。20年頃には自動翻訳機による「おもてなし」が実現する可能性がある。「一列に並んでください」。メガホンを口にあてて日本語で話すと、メガホンのスピーカーからは英語や中国語に翻訳された合成音声が出てきた。パナソニックが開発中のメガホン型の自動翻訳機だ。駅や観光地など不特定多数の外国人が集まる場所で、一斉に案内をするのに効果を発揮する。東京都が今月行った防災訓練でも避難誘導に使われた。
(9月26日、読売新聞)

このネタも繰り返し扱っているが、容赦されたい。

10年前、TG大の大学院である教授から「自動翻訳技術はこの10〜15年で確立する」と言われ、「なるほどそうかも」と思ったものだが、現状はほぼ実現する見込みだ。特にこの数年、「単語の置き換え」からユーザー参加型のディープラーニングに軸足が移ったことで飛躍的に精度が向上している。
まず画像認識と音声認識の精度が向上し、さらにネットワークから得たビッグデータが認識精度を高めている。SNSの普及により、会話とコミュニケーションのデータが無限大に拡大したことも影響している。
今のところ、FBの翻訳機能をみても使える気はしないのだが、ゲーム関係の翻訳はかなり自動化が進んでおり、その精度も日に日に上がっている。使えば使うほど精度が上がるのだから当然だろう。将棋や囲碁のレベルがプロ並みになったのも、ディープラーニングを導入したからであり、古今東西すべての棋譜を収集して学習し最善手を導き出すに至っている。

一方で、人間の学習能力はさほど向上しておらず、様々な環境要因や精神状態に左右されすぎるのは昔と変わらない。外国語教授技術は向上しているものの、だからといって外国語学習が以前に比して飛躍的に効率化したという話は聞いたことは無い。実際、日本における英語教育の水準は以前と変わらず、故に小学校から必修にする方向にあるが、砂漠に水を蒔くような話でしかない。
自動翻訳の技術革新により、殆どの学習者が十年学んでもロクに話せないし、書けないような外国語学習は、間もなく陳腐化するだろう。

「それでも機械翻訳は間違うし、精度も不確かだ」という反論に対しては、「では人間が話す言語は、母語であれ外国語であれ、間違わないのか?」で十分だ。たとえ母語話者同士の会話であれ、100%の意志疎通が図られているということは無く、様々な誤解や認識ギャップを抱えながら、コミュニケーションを交わしている。普段、普通に会話していて「会話が成立していない」と感じることなど、山ほどあるだろう。世の恋人が別れる最大の理由は、コミュニケーションの不成立によるもので、これは意思疎通が不十分だったことに起因する。
つまり、言語に限らず、コミュニケーションに不正確さや認識差は常に存在するものであり、「100%」を求めるのでは無く、「ギャップを受け入れ、楽しむ」くらいの感覚こそが必要なのでは無いか。最近、私は対話型人工知能「罵倒少女」にはまったが、あれはなかなか良かった。来年から本格始動するらしいので、楽しみだ。

AIが自分で意味を理解して翻訳できるようになるためには、もう10年ほどかかるようだが、もはや「すぐそこ」まで来ているのは間違いない。
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2016年09月23日

8、9月の読書報告(2016)

『都知事―権力と都政』 佐々木信夫 中公新書(2011)
都知事が2人連続で辞任、そのどちらも都庁官僚の内部告発に始まっている。中規模国家レベルの予算を持ち、行政権が集中する大統領制であるため、下手をすると同じ国の首相よりも大きな権限を有する東京都知事。だが、その責務と役割についてはあまり知られておらず、解説書も多くない。本書は、東京都の成り立ちから今日に至るまでの行政史と、自治行政における都の役割と都知事の権限機能について概説している。都官僚出身なので、官僚寄りであることは否めないが、必要な情報をコンパクトにまとめており、入門書としては十分だろう。都知事一人に行政権が集中し属人的要素に大きく左右される一方、都議会が立法機関としては十分に機能せず、ただの翼賛機関に成り下がっているという指摘は重い。

『北海道警察 日本で一番悪い奴ら』 織川 隆 だいわ文庫(2016)

『警察と暴力団 癒着の構造』 稲葉 圭昭 双葉新書(2014)
先に紹介した映画『日本で一番悪い奴ら』の原作と、主人公のモデルになった稲葉元警部の書。他の行政機関や市民・議会からのチェック機能が効かない警察組織が、いとも簡単に腐敗し、組織の隅々まで腐敗が拡大しているかがよく分かる。チェックが働かないため、自己改革や浄化のインセンティブが無く、問題が起きてもトカゲの尻尾を切るだけに終わり、腐敗構造そのものは延々と続いている。この辺は旧軍とよく似ている。「○○撲滅週間」のために「ネタ」をとっておくとか、「取り締まりすぎると、その後のノルマ達成が難しくなる」とか、旧ソ連でもよく見られた官僚的習慣が超笑える、いや深刻な問題なんだけど。

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『資本主義の限界』 木下栄蔵 扶桑社(2016)
私が「自由民主主義の終焉」や「TPP情報が開示されないワケ」で記したことの、経済・市場的背景を見事に説明している。アダム・スミスとケインズが正反対の説明がなされる経済学が、「なぜそうなるのか」について、「正の経済と反の経済」という仮説で説明する。これが簡素ながらも、恐ろしく納得度の高いものになっている。需要が低迷する中で、マネーサプライを増やし続けることが何を意味するのか、本書ほど明快な解は見当たらない。ごく薄い本ではあるが、十分な価値がある一冊だろう。

『日露戦争研究の新視点』 日露戦争研究会編 成文社(2005)
先の「日露開戦の代償」を記すに際して参考にした一冊。第一線にある研究者たちの論文集ではあるが、表題の通り新視点に富んでおり、パズルのピースが埋まっていくかのように面白かった。

『シベリア出兵―革命と干渉 1917~1922』 原 暉之 筑摩書房(1989)
「日露戦争の次はシベリア出兵」と考えているが、日露に比べるとかなり資料が少ない。その中でも本書は決定版と呼べる一冊で、まずこれを読まないことには始まらないのだが、なかなかの大部で、十月まで掛かりそう。

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『ナチス第三帝国の崩壊―スターリングラードからベルリンへ』 ワシリー・チュイコフ(著) 小城正(訳) 読売新聞社(1973)
意外と知られていないスターリングラード戦役の英雄チュイコフ将軍の回顧録。とはいえ、1944年半ばからベルリン陥落までの1年ほどの期間限定。ジューコフに批判的で、ロコソフスキー好き、その背景にはスターリン派とフルシチョフ派の色分けがあり、色々と面白い。日本では、とかくドイツ側の視点に偏りがちで、従来の西側研究もそうであるだけに、ソ連側の資料を抑えておくことは重要。ただ、どうやら英語版からの重訳なようで、ネットに上がっている原書を見ると、色々「違くね?」と思われる箇所も多い。ジューコフ回顧録なども、ソ連崩壊後により原文に近い新版が出されており、新訳の刊行が望まれる。「われわれの理性は、言ってみれば血染めの歴史であるこの戦争から得た苦い教訓を深く脳裏に刻みつけておくことを要求している。」
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2016年09月13日

タイトル見ただけで生きた心地しない三冊

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『ペリリュー・沖縄戦記』 ユージン・スレッジ 講談社学術文庫(2008)
太平洋戦争に海兵隊の一兵卒として出征したユージン・スレッジの戦場回顧録。米HBOが制作した『ザ・パシフィック』の原作二本のうちの一冊になる。
個人の戦争体験記はアマチュアであるが故に文章や表現が稚拙だったり、視点が主観的過ぎて読み手の想像力が追い付かなかったりする上、翻訳物は翻訳と表現文化の違いからさらに読みにくくなりがちだが、本作は翻訳物の戦争体験記ながら記述が非常に客観的かつ明快で、読み手の想像力を喚起し戦場の実像に近づかせてくれる。明快ながらも緻密で、表現に無駄が無く、客観的ながらも自分の信条や精神状態については誠実に回顧しており虚飾が無い。一兵卒の戦場記録としては、本作以上の水準のものを私は読んだことが無い。日本や日本兵に対する感情までが客観化されているため、日本の読み手にとっても抵抗が少ないと思われる。以下、詳細はこちら

『ノモンハンとインパール』 辻密男 旺史社(2000)
最近見つけて即買いした一冊。第23歩兵師団所属、熊本野砲6連隊の衛生兵として出征した辻密男の回顧録。ハイラルに赴任すると、いきなりノモンハン事件が起きて、中隊で200名からの戦死者を出し、17名の生存者の一人となった。筆致は淡々としているものの、出だしから生きた心地がしない。一年後にようやく内地に帰還して除隊し、釣具店店主に収まるも、2年半後の昭和18年4月に再招集を受け、同じく熊本野砲6連隊に入隊、今度はビルマに送られる。インパール作戦では、第31歩兵師団(烈)宮ア支隊所属として、最前線となったコヒマ攻略戦に参加している。ノモンハンでもコヒマでも、戦車に対して火炎瓶で攻撃するほか無かった日本軍が、どういうものだったかよく分かる。2度も最悪の激戦区に投入され、しかも生還するという超悪運と超幸運自体、凄まじいとしか言いようが無い。

『最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記』 高崎伝 光人社(2007)
ガダルカナルとインパールという15年戦争の中でも二大双璧と言える地獄の両方に投げ込まれ、文字通り万死に一生を得て生還する話なのだが、文章は軽妙洒脱で「兵隊やくざ」的な語り口なので、勝手に想像していた陰惨極まりないというイメージは無く、その点ではいささか拍子抜けさせられた。クドカンが一兵卒として軍に入って回顧録を書いたらこんな感じかもしれないというノリと文才。学歴こそないかもしれないが、500ページ近い大著を一気に読ませるものがある。以下、詳細はこちら
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2016年09月05日

岡田さんが論壇デビュー?!

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本9月5日付けの読売新聞文化面。
我らが同志である岡田一郎氏がついに論壇デビューを果たした。
先に中公新書で刊行された『革新自治体 - 熱狂と挫折に何を学ぶか』の著者である。

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現在では「財政赤字を増やした」と負のイメージばかり語られる、1960〜70年代の革新自治体の実像を再検証した一冊。私が長年住んでいるC市もまさにこの革新自治体の先鋒的存在だっただけに、関心はあったものの、気軽に読める良書が無く、良い機会となった。当時の国政や政党の系譜から、全国の主な革新自治体の始まりから終焉まで扱っているだけに、網羅的になってはいるものの、非常に読みやすく、国政と政党との関係まで含めて分かりやすい構成になっている。詳細は、書評を書くつもりだが、負のイメージを払拭させ、現在に通じる課題を示してくれる貴重な一冊と言える。


若干の補足をしておくと、本書にはなぜか左派の側から「共産党の協力についての記載が少ない」「後世の歴史家視点すぎる」旨の批判が寄せられ、むしろ中間から右派側からの評価の方が高いくらいなのは非常に興味深い。また、確かに当時の革新自治体運動は終焉を迎えたものの、私が住むC市は民共社の連立政権が14年も続いており、隣のK市では最近まで12年間共産党政権だった。確かに全体から見れば少数派だが、決して「失われた」わけではなく、その価値と存在意義は形を変えてもなお健在なのでは無かろうか。
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