2016年07月24日

日本会議 戦前回帰への情念

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『日本会議 戦前回帰への情念』 山崎雅弘 集英社新書(2016)

山崎雅弘氏の新著。この間、日本会議ネタは何冊も出版されているが、どれも読んでいないので、違いについてはよく分からない。本ブログで取り上げてこなかったのは、「フリーメイソン」や「コミンテルン」のような秘密結社や陰謀論の臭いが強く、現実政治を取り扱う場には相応しくないと考えられたからだった。そのスタンスは、今でも変えるつもりはないが、それは知識として否定するものではない。

本書は、「日本会議とは何か」を網羅的に取り上げており、「安倍政権との関係」「人脈と組織」「価値観」「その目指すところ」「改憲への意志」を中心に説明している。その根底にあるのは、明治帝政、それも国家神道との一体化が進んだ昭和前期の体制への憧憬であり、その否定の上に成り立っている戦後体制に対する憎悪が、運動のエンジンになっている。山崎氏は、事象を一つずつ検証しながら、歴史と照らし合わせて「戦前回帰」や「国家神道」への情念を立証している。一般には、なじみの無い個人名や歴史の話が多いが、全体的にはコンパクトに分かりやすく書かれており、良質な新書と言える。

ただ、新書で分量的に限界があるのだが、もともと自民党内あるいは保守層全体でも少数派だったはずの反動主義者・歴史修正主義者が、なぜ2000年以降に急速に拡大し、自民党を支配して内閣を組織するまでに至ったのか、その疑問には答えていない。それ故に、「ある日突如秘密結社が現れて自民党を支配した」的なストーリーを想像してしまう人が出てくる恐れがある(本書がそう言っているわけでは無い)。私の関心は、むしろこの「なぜ権威主義・反動家が保守派の大勢を占めたのか」にあるが、これについては本ブログの記事を参照してもらいたい。

右傾化する東欧諸国 
自由民主主義の終焉 
右翼のヤバさと中道の難しさについて 
国と保守派が君が代を強制するワケ 
歪なる保守主義 
左右の定義 
【目次】
はじめに――大河ドラマ『花燃ゆ』と日本会議の副会長

第一章 安倍政権と日本会議のつながり――占領された内閣
1.第二次安倍政権の発足と日本会議の役割
2.重なり合う「日本会議」と「神道政治連盟」の議員たち
3.慰安婦問題・南京大虐殺問題への日本会議の関わり
4.中国の軍事的脅威をアピールする安倍政権と日本会議
5.光を当てる地方紙・週刊誌・ネット言論と、光を当てない大手メディア

第二章 日本会議の「肉体」――人脈と組織の系譜
1.「神道・宗教勢力」と「保守・右派勢力」の融合
2.神社本庁と日本会議の深い関係
3.日本会議とその前身/関連組織が行ってきた主な政治運動

第三章 日本会議の「精神」――戦前・戦中を手本とする価値観
1.安倍首相と日本会議と天皇――「日本の国柄」の核心を成す存在
2.「日本を取り戻す」――具体的には、何を「取り戻す」のか
3.日本会議の思想の原点を物語る書物『国体の本義』と『臣民の道』
4.戦前・戦中の思想と価値判断を継承した日本会議の活動方針

第四章 安倍政権が目指す方向性――教育・家族・歴史認識・靖国神社
1.安倍首相と日本会議と教育改革――「愛国」「道徳」という名の政治教育
2.安倍首相と日本会議と家族観――国民の内面に踏み込む
3.安倍首相と日本会議と歴史認識――大東亜戦争の肯定
4.安倍首相と日本会議と靖国神社――「国に殉じた英霊」の理想化

第五章 日本会議はなぜ「日本国憲法」を憎むのか――改憲への情念
1.安倍首相と日本会議が日本国憲法に示す「敵意と憎悪」の背景
2.日本国憲法を「神道指令の恒久化」と見なす日本会議
3.安倍政権と自民党の憲法改正案
4.日本会議の改憲運動と「産経新聞」の憲法改正案
5.憲法改正運動の最前線に躍り出た日本会議
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2016年04月18日

4・5月の読書計画

この間の米大統領予備選におけるトランプ候補の言動や、TPPをめぐる議論を見ていて、「トッド先生を読み返す必要があるな」と思い至る。気づいてみると、『最後の転落』が再販されているし、実家の図書室には母が読み散らかした本が山積みされているので好都合だった。やはり、「米帝以後」や「デモクラシーの終焉」を考える時には外せない。幕臣の先祖を持ち、自らの目で「ソ連崩壊」を見てきた私にとって「巨大権力の瓦解」は常に大きなテーマの一つであり続けている。先生は、「ソビエト連邦の崩壊のような重大な危機というのは、政府枢要が問題を解決しようとせず、先延ばしにした時に起きる」と述べておられるが、今のアメリカや日本にも同じことが言えそうだ。

帝国が衰退する時 
TPP情報が開示されないワケ 

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『帝国以後−アメリカシステムの崩壊』 E・トッド 藤原書店(2003)
米帝によるイラク侵攻の直前に書かれた一冊だが、米国初の金融危機を予測したり、イスラム教の教義が脅威なのではなく、近代化に対する伝統派の反発が(移行期)危機を生んでいるとの見解、あるいはもはや米軍は北朝鮮やイラクを敵にする程度の力しか無いなどの指摘、今もって「神の目」と言うに相応しい。

『デモクラシー以後−協調的保護主義の提唱』 E・トッド 藤原書店(2009)
「TPP情報が開示されないワケ」の元ネタの一つ。フランス社会のエリート化と格差拡大がデモクラシーの危機を生起させている。エリートが自由貿易を志向し、国民に競争を押しつけて収奪し、その利益はエリート内でのみ分配される。同時に貧困層と中間層を対立させることで、富裕層の独占と延命が図られる。これを維持するためには、デモクラシーは不適当であるがために、権威主義化が進んで行く。フランスの現状分析だが、他の西側先進国にも通じるところが多く、非常に参考になる。

『最後の転落−ソ連崩壊のシナリオ』(再販) E・トッド 藤原書店(2013)
初版は1976年。ロシア語も読めない若き研究者が、誰も予想しなかった「ソ連崩壊」を予測し、いまや「予言書」として評価されている。その分析は、40年を経たいまも全く古さを感じさせず、逆にアメリカや日本の「転落」を予測する上で欠かせないものになっている。経済成長が止まり、国民の生活水準が低迷する中で、軍事的冒険を行うことの危険性を指摘している点は非常に重要。

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『鎌倉幕府の滅亡』 細川重男 吉川弘文館(2011)
『太平記』では早々に滅亡してしまう鎌倉幕府。定説では「蒙古襲来時に恩賞を与えられなかった」「徳政令を乱発した」などから理由が説明されるが、果たして最新の研究ではどのような評価になっているのか。承久の乱で朝廷を圧倒し、元の来襲を退けた鎌倉幕府だが、実は「蒙古襲来」から49年で滅亡してしまっている。「東国政権」「御家人の利権調整団体」としての鎌倉幕府が、いかに変遷し、分不相応な権力を有するに至ると同時に、権力の寡占が腐敗と停滞を生み出したかが、コンパクトに説明されている。分量不足で「あっさりしすぎ」な観はあるのだが、戦国期や江戸期のような基礎知識があるわけでもないので、納得できる説明があれば十分としたい。結局のところ、東国政権である幕府は、王朝の衰退と外国の侵略で全国支配を余儀なくされたものの、それだけの統治システムは構築できず、地方分権を図ろうとするも失敗に終わり、中央統制を強化しようとするも、ついには御家人層からも見放された、ということのようだ。
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2016年03月29日

3月の読書報告

どうも2月からこの方、多忙なのと政策資料を読む機会が多いこと、さらに家ではTRPGのシナリオ作りが相まって、あまり本が読めていない。まぁこんな時期もあるだろう。

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『戦国の陣形』 乃至政彦 講談社現代新書(2016)
ちまたに評判の一冊なので読んでみたが、表題に比して内容は「結局のところよく分からない(資料に無いから)」というもので、本自体も薄い。「魚鱗」や「鶴翼」などの陣形が、「何となく」イメージで使われてはいたものの、今日のように定式化・マニュアル化されたものではなく、江戸期の軍学書で伝説化されたことで、今日に至るまで実態が分からなくなってしまっている、ということのようだ。とはいえ、武田信玄や上杉謙信の頃になると、装備別の編成や陣形について改革がなされていった模様。著者の推測部分が非常に多く、「ふ〜ん、そうなんだ」という感想しか抱けない。戦国期の合戦についても、江戸期以降の創作が多く、実態はかなり異なったという指摘はその通りなんだろう。

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『秩禄処分 明治維新と武家の解体』 落合弘樹 講談社学術文庫(2015)
明治維新の「三大改革」といえば、一般的には「徴兵制」「学制」「地租改正」とされる。だが、本書のテーマである「秩禄処分」もまたそれに匹敵するか、それ以上の革命的改革だった。何と言っても、江戸期だけで260年に渡って支配してきた武士層を、新政府官吏を除いて、いくばくかの資産を与えて全員解雇するというもので、血を見ないわけがない革命的事業のはずだった。ところが、現実にはわずかな例外を除いて無血革命に成功した。当時、士族の家禄は、新政府の予算の3分の1を占めるほどのものだっただけに、今から見れば魔法でも見るかのような話だ。とはいえ、考えてみれば、わが家は明治維新で100石超からの家禄を失い、さらに戦後の農地改革と預金封鎖で土地と資産も失ったが、「七代末まで祟れ」みたいな言い伝えは残されていない。そのナゾを明快に解き明かしてくれる良書。分量的には多くないが、非常にコンパクトに要点をまとめられている。まぁ言ってしまえば、日本人は大勢順応的に過ぎるということなのかもしれないが。ただ、思っていたよりも推進者たちが苦悩しながら取り組んでいたことは印象的だった。
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2016年01月16日

1月の読書計画(2016)

当初、年末年始は読書を充実させようと思っていたものの、いざ休みに入ってみると、「どうも頭が疲弊気味」と思うようになり、頭脳を休める方向に方針転換した。そのため、「積ん読」が増えてしまったが、「そこはそれ」としたい。

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『歴史としての冷戦−力と平和の追求』 ジョン・ルイス・ギャディス 慶応大学出版会(2004)
冷戦研究の泰斗として、「対称的封じ込め」と「非対称的封じ込め」政策の概念を提唱されたギャディス教授による冷戦研究の集大成。特にソ連崩壊後に公開された東側資料をふんだんに使うことで、東側からの視点を充実させている。ただ、色々はしょってしまうと「冷戦はスターリンの妄想に始まった」とする教授の見解には違和感を覚える。過剰なまでの防衛意識はスターリンの特質ではなく、ロシア人に共通するものであり、また十月革命後の列強介入がボリシェビキの恐怖政治を固定化させてしまったところが大きのであって、スターリン個人の責任にしてしまうのはどうだろうか。

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『ウクライナ 2.0』 塩原俊彦 社会評論社(2015)
ウクライナ紛争についての解説は、欧米視点からのものが溢れかえっており、ソ連・ロシア学徒の私からするとただのプロパガンダにしか見えないものばかりとなっている。私がウクライナ問題で何か書けば「ロシア寄り」と言われるのに、巷に溢れる解説は「欧米寄り」と非難されないのは、どういうことだろうか。著者の塩原先生は、直接お会いしたことはないものの、私以上にそれを感じておられるようで、現代ロシア軍事研究の知見(本職は経済)を生かして本書を出版されている。本書を読むと、私などよりも「ロシア寄り」に思えようが、塩原先生は『ロシアの軍需産業』を書いたことで、ロシア当局から要注意人物と見なされているほどなのだ。ウクライナが、「新冷戦」の最前線である以上、ロシアと米欧の利権と権力が最も激しく衝突する「角逐場」であることは間違いなく、そこに「どちらが正しい」などということはあり得ない。ただ、ロシアに関する基本的知識が無いと難しいのと、横書きなのが難点となっている。恐らく今の日本で「ロシア側の視点」を交えてロシア情勢を解説しているのは、公式的には塩原先生と上野先生くらいしかおられないのではなかろうか。

『蘇我氏−古代豪族の興亡』 倉本一宏 中公新書(2015)
どういうわけか最近連続して出版されている古代蘇我氏研究の中から手頃そうなものを選ぶ。ここでも他の歴史と同じことが見られるが、「乙巳の変において、中大兄皇子らが、専横と悪徳を極めた蘇我氏を倒して政治を正した」というのは「勝者の歴史」に過ぎず、近年の研究では、むしろ蘇我氏が統治機構の近代化や現実的外交を進めたのに対し、保守派の中臣鎌足らが反動クーデターを起こし成功した、という理解が近年の歴史研究の主流となっている。そして、新たに成立した天智帝政権は、半島介入政策を進め、百済支援軍を派兵、「白村江の戦い」で大敗し、その反動で「壬申の乱」が起こる。私的に古代史は全く不明なだけに、この機会に少し知識を蓄えようと思った次第。
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2015年12月12日

12月の読書計画(2015)

来年早々に国会が始まってしまうので、今のうちに休暇もとって重めの本は読み進めておきたい。

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『過去の克服−ヒトラー後のドイツ』 石田勇治 白水社(2014)
先に『顔のないヒトラーたち』を観て、一度ドイツがどのように「過去の清算」を行ってきたか学ぶ必要があると考えたところ、学術的に耐えられそうなのは本書しか無かった。本書では、1940年代から80年代にいたる過程で東西ドイツが、ナチズムの「犯罪」と向き合い、イデオロギーを克服していったかを検証している。西ドイツといえども、常に「逆コース」や歴史修正主義の圧力が存在し、それと(今も)戦い続けながら、今日の欧州における地位を確立したことがよく分かる。また、東ドイツについての記述があるのも良心的だ。

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『各国陸軍の教範を読む』 田村尚也 イカロス出版(2015)
第二次世界大戦で用いられたドイツ、フランス、ソ連、日本の各陸軍の師団から軍レベルの運用に関する教範を分析して、各国軍の戦術、ドクトリンを(比較的)素人にも分かりやすく解説している。一般的にはボロクソに言われがちなフランス軍や日本軍でも、当時者たちは当時の軍の立ち位置や国際環境から合理的に判断してマニュアル化していたことが分かる。逆にソ連などは、これだけ先進的な教範がありながら、実戦に十分反映させられなかったことが哀しい。

『人間・始皇帝』 鶴間和幸 岩波新書(2015)
歴史学が止められないのは、どんな昔のことでも新発見がなされ、解釈が変わるところにある。後世の人間としては「事実」そのものが変わってしまうのだから、ますます想像が広がってゆく。本書は、従来『史記』を絶対的資料としてきた秦・始皇帝の歴史を、新たに発掘された竹簡や他の資料を精査することで、批判的に解明している。もともと『史記』は、前漢の正史であるだけに、漢朝の正統性を誇示するために秦朝の不倫と暴虐を強調する必要があった。秦朝期の一次資料を見てゆくと、やはり細かいところで『史記』とは大きく異なっており、始皇帝についても従来の暴君像の修正を迫っている。『キングダム』ファンは必読だろう。司馬遷も「鄭国渠を建設したことで関中の経済力が盤石となり、統一の基盤となった」旨を述べているらしいのだが、私も一度は見に行きたいものだ。

『戦後労働史からみた賃金−海外日本企業が生き抜く賃金とは』 小池和男 東洋経済新報社(2015)
労働経済学大家の小池先生による賃金論。日本の賃金制は果たして年功序列型だったのか。なぜ職務給では無く、職能給が広まったのか。成果主義はどうして失敗したのか。賃金制度だけでなく、労働史全体から俯瞰しているため、納得度が高い。
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2015年11月09日

プロテスタンティズム倫理の発露

【同志社大学長選、「現職」村田晃嗣氏敗れる 新学長に松岡氏】
 同志社大は6日、任期満了に伴う学長選を行い、理工学部教授の松岡敬(たかし)氏(60)が、現学長で法学部教授の村田晃嗣(こうじ)氏(51)を破り、新学長に選出された。任期は来年4月1日から4年間。今月28日に行われる学校法人同志社の理事会で正式に決定する。松岡氏は昭和54年、同志社大工学部(現・理工学部)を卒業。同志社大工学研究科博士前期課程を修了し、近畿大学工学部助教授、同志社大工学部助教授などを経て、平成10年から現職。これまで理工学部長、副学長の要職を歴任している。専門は材料・材料力学、機械要素。村田氏は25年4月に48歳で学長に就任したが、1期3年で退くことになる。専門はアメリカ外交、安全保障政策論。安全保障関連法案をめぐり、衆院平和安全法制特別委員会が開いた中央公聴会に出席し、与党推薦で賛成意見を述べたことを受け、教職員有志が村田氏を批判する声明を出していた。
(産経新聞、11月6日)


プロテスタンティズム倫理の発露という解釈でよろしいのかな?
だから当局は教授会の権限を縮小・剥奪しようとしているのだろうけど。
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2015年11月08日

オックスフォード流 自分の頭で考え、伝える技術

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『オックスフォード流 自分の頭で考え、伝える技術』 岡田昭人 PHP研究所(2015)

恩師の新著。と言っても発行から半年ほども経てしまった。私はどうにもビジネス書の類いが苦手で、評価するとしても何をどう評価したら良いのかよく分からない。

本書の場合、英オックスフォード大学において一般的に用いられている教育メソッドを、一般化して平易に説明している。この点、前著と被るところはあるのだが、「対話を通じた創造性の創出」と「アウトプットの方法論」に力点が置かれており、続編的意味合いが強い。
要は、教員に解答を求めるのでは無く、いかに自身で(たとえ正解で無くとも)解答を探り当ててゆくプロセスこそが、人間として研究者として成長を促してゆく、ということだろう。高等教育あるいは一般社会では、むしろ「正解の無い問題」の方が多いわけで、子どもの頃から「正解を探す」ことを圧倒的に重視する日本の教育システムが、なかなかグローバル水準に適合できない原因の一つになっている。
まぁ主張は十分に理解できるのだが、ゼミに学部生が何十人もいて、院生ですら10人以上いることすらあるような日本の大学では、教授と学生が一対一で密に指導を受けるような環境になく、正直なところ「オックスフォードではこうだった」と言われてもという気がする。

もう一つのアウトプットは、確かに日本人の弱いところであり、学会などの発表を聞いても、集会などのスピーチを聞いていても退屈なことが多い。また、学会や講演会・勉強会で、発表者に対する質問の時間が来ても、日本では質問者が少なく、鋭い質問となると滅多に無い。欧米人からは「野暮の典型」と思われているロシア人ですら、日本人に比べれば圧倒的なパワーを誇っている。

【参考】 ロシアと日本〜報道統制下の記者会見を比較する

「言いたいことを言う」から「聞かせる話をする」「相手の印象に残す」へと発展させないと、いつまでも「知識の詰め込み」から脱却できないという著者の危機感は十分に理解できる。アウトプットが足りないからこそ、他者からのフィードバックもなく、知識を共有し高め合うことも起きない。良いアウトプットは、良いフィードバックを伴うものなのだが、日本や中国、あるいはロシアのような権威主義的社会では、目下の者が目上に意見することが許されないため、その効果は大きく減じられている。

本書に書かれている方法論の全てを実践するには超人的能力が必要かもしれないが、少しでも心にとめて実践できる項目があれば、「十分」ではなかろうか。

【目次】
1 オックスフォードの流儀
2 オックスフォード流 成果につなげる「準備の技術」
3 オックスフォード流 自分の頭で「考える技術」
4 オックスフォード流 オリジナルな「言葉を作る技術」
5 オックスフォード流 相手を動かす「伝える技術」
6 オックスフォード流 壁を打ち破る「フィードバックの技術」
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