2017年12月06日

ソヴィエト学徒から見た無償化

同じくソヴィエト学徒として忠告しておきたいのは、教育無償化は確かに理想的ではあるが、それは持続性、クオリティ、アクセスなどを犠牲にすることでしか成り立たないということである。それは、旧東側の医療制度(病院はあるが薬は無いみたいな)に象徴される。

ソ連では医療や教育が無償化されていた。その医療を見た場合、ソ連政府は「世界一の医師数」を誇っていたものの、その数は軍医などの「資格保持者」を全て含めたもので、診療医のみの数字ではなかった。また、国内の地域間格差が大きく、都市部と農村部では三倍以上の開きがあり、農村部での医療アクセスは大きな困難を伴っていた。また、ソ連では予防医療や公衆衛生に力点を入れていた分、臨床医の比重が低かった。そして、医師の給与は「平均よりはマシ」というレベルに抑えられていたため、まともな診療を受けて薬を出してもらうためには、相応の賄賂が必要だった。
統計上の数字では、十分な病床が確保されていたにもかかわらず、実際の稼働率は非常に低かったようで、長期間の入院待ちや優先入院するための賄賂も横行していた。
診療と同様に薬も無料だったが、無料であるが故に安価で低品質の薬品ばかりが流通していた。そして、無償と公定価格の問題から、新薬の開発も遅れをとっていた。
なお、現実にはソ連でも高額所得者(高賃金の労働者)に対しては、医療費やサナトリウム使用料の一部自己負担を求めていたらしい。

ソ連における医療のアクセス(使いやすさ)とクオリティを考える場合に、最大の指標となるのは男性の寿命で、1970年代半ばから低下傾向にあった。また、その乳幼児死亡率は上昇傾向にあった。
日本でも自治体が率先して小児医療を無償化した結果、地方における小児医療の荒廃が進んでいる。日本の場合は医療は無償ではないものの、窓口負担が少ないため、過剰診療や薬品の過剰投与が広く問題になり、国家財政への負担を重くしている。

日本の2015年度の医療費の増加は前年比で1兆5573億円。消費税1%分が約2兆円なので、2%上げても3年と保たないことを示している。言うなればバケツの底に穴が開いているわけだ。この穴を塞ぐためには、「窓口負担を増やす」「還付制にする(全額払い後戻し)」「診療費、薬価を上げる」などが考えられる。
日本の医療費が、保険料と窓口負担で賄えず、13兆円を税金で補填、その額が毎年増え続けているのを見ると、ソ連末期の財政とよく似ていることが分かる。

ちなみに13兆円は歳出の約13%に相当するが、国民医療費の総額で見ると42兆3644億円で約43%になる。患者の自己負担は4兆9千億円なので、日本で医療費無償化を実現するためには、少なくとも消費税2%分の増税が必要となる。
これに対し、1970年代のソ連の医療費は国家予算の35%も占めていた。ソ連の場合、これに食糧価格を維持するための補助金が15%、赤字企業への補填も15%あり、これに国防費の20%が加わると、そもそも国家として成り立っていたのが不思議なほどの末期状態にあった。

ソ連は長いこと公共交通の無償化を唱えながら、最後まで実現できなかった。これは、クオリティを犠牲にできなかったためだった。だが、低運賃を維持した結果、公共交通の延伸は遅々として進まず、その利便性は劣悪なまま放置された。つまり、アクセスが犠牲になっていたのだ。

欧州諸国では教育無償化を実現しつつ、クオリティも維持されているという反論はあるだろう。だが、それは15%以上の付加価値税に裏付けられた積極的な財政出動による教育投資がなされているからだ。
NK党などの主張に見られる、「消費税は上げるな」「教育予算を増やせ」「自己負担をゼロにしろ」は、(趣味的ながら)ソヴィエト研究に従事するものとして、全く非現実的な主張であることは強く指摘しておきたい。
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2017年11月20日

無償化が加速させる制度瓦解

【<教育無償化>高等教育に8000億円 2兆円配分の大枠】
 政府は教育無償化など2兆円規模の政策パッケージについて、配分の大枠を固めた。大学など高等教育の無償化に約8000億円を配分。幼児教育・保育の無償化では、0〜2歳児に100億円程度、3〜5歳児は8000億円程度を充てる。高等教育と0〜2歳児については、無償化の対象を住民税非課税世帯(年収約250万円未満)に限定する方針。今後、自民、公明両党と調整したうえで来月上旬にも取りまとめる。
 高等教育の無償化については、対象を住民税非課税世帯に絞る。具体的には、現在、住民税非課税世帯の子どもを対象に毎月2万〜4万円を支給している給付型奨学金の金額を、年間100万円程度に引き上げて生活費も賄えるようにする。無償化の対象にならない低所得世帯についても、不公平が生じないような仕組みの導入を検討する。
 大学授業料についても、住民税非課税世帯の子どもを対象に国立大学の授業料(年間約54万円)相当額まで減免し、実質無償化する。国立大学より授業料の高い私立大学については、上限を定めたうえで一定金額を上乗せして免除する。
 0〜2歳児の保育所の無償化も、住民税非課税世帯を対象とする。すでに、生活保護世帯や住民税非課税世帯の第2子以降は無償だが、対象を住民税非課税世帯の第1子まで拡大する。
 3〜5歳児の幼稚園、保育所については、年収に関係無く無償化する。ただ、授業料が高額な私立幼稚園は、一部負担を求める方向で検討する。
 そのほか、保育の受け皿整備など待機児童対策に約3000億円、一定の勤務経験がある介護職員の待遇改善などに約1000億円を充てる。
 2兆円は、2019年10月の消費税率10%への引き上げの増収分の使い道を見直して約1.7兆円を確保する。残る約3000億円については、企業が負担する社会保険の事業主拠出金の増額で確保する。
 教育無償化は、安倍政権が掲げる看板政策「人づくり革命」の柱の一つ。政府内で検討が進む一方、自民党は8日から教育無償化などを検討する会合をスタートさせており、政府は与党と調整を進める方針だ。
(11月9日、毎日新聞)

高等教育の無償化は、日本が批准した国際人権規約にも定められており、もはや国際公約の一つで履行義務があるわけだが、その一方で高等教育をめぐる基盤や環境は悪化の一途を辿っている。脆弱なインフラの中で無償化を強行した場合、インフラそのものが瓦解する恐れがある。

その先例として挙げられるのが医療と介護。中でも小児科・産婦人科医療の崩壊は特に地方で顕著となっている。少子化が加速する地方では、特に小児医療の無償化がポピュリズム的支持を集めやすく、政策化された結果、ただでさえ脆弱な小児科に「患者」が殺到し、逆に小児科の閉鎖や小児科医の転居が進み、空白化してしまっている。
日本では、全ての医療が公定価格の計画経済下にあり、診療報酬が低めに抑えられる中、高コスト体質の小児科医療は財政的に成り立たないことが大きい。一般的に、小児医療は診察に時間がかかると同時に、大人の医療よりも多くの看護師を必要とするため、コストが大きく、利益が少ない。病院が財政難に陥った場合、真っ先にコストカットの対象にされるのが小児科なのだ。これを無償化すると、診察の必要すら無いような超軽度の患者まで受診することになるが、小児科医の負担が重くなると同時に、経営は悪化するという悪循環に陥る。結果、中小の病院は小児科を閉鎖、開業している個人の小児科医は都市部に移転するところとなっている。

保育の無償化も同じことが起きるだろう。ただでさえ供給が限界に達している保育産業で、無償化が実現された場合、さらに需要が急増することは間違いなく、多数の「待機児童」が出ると同時に、無理な供給に対応してサービスの質も低下、保育士の労働環境や待遇もさらに悪化、保育士の大量離職が進む恐れが強い。保育も公定価格であるため、保育士の待遇改善は容易ではなく、公費を投入すれば、財政赤字が増えるばかりとなる。制度の持続性を考慮しない無償化は必ず失敗するのだ。

大学などの高等教育の場合、現時点ですでに「私立大学の4割が定員割れ」と言われる。これらは本来競争力を持たない大学と判断されるわけだが、無償化が実現することで淘汰されることなく、存続する可能性が出てくることを意味する。
また、日本の高等教育機関は大半が財政難にあり、事務職員や教員の非正規化、次いで非正規の雇い止めをもって人件費の切り詰めに勤しんでいる。結果、正規教員でも授業負担や事務負担が膨大なものとなっている上、受け持つ生徒数も増大している。「受け持ち授業が週15コマ」「学生20人以上のゼミ」などはザラだという。同時に、文科省から天下ってきた学長などの大幹部によるパワハラなども横行、離職率は高止まりして、もはやブラック企業同然という声もある。
こうした環境の中で、無償化によって需要のみが増えた場合、本来競争力を持たない大学が生き残ってしまう上、ブラック化した労働環境がさらに悪化する恐れが強い。その結果、ただでさえ低下傾向にある研究・教育の質もさらに低下、高等教育とは名ばかりの「高等保育所」になってしまいそうだ。
posted by ケン at 12:55| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

日本の高等教育は崩壊過程

【龍谷大・ゼミ受講めぐり学生らが申し立て 京都】
 京都市の龍谷大学で、教員不足によりゼミを受講できず、学習権を侵害されたとして、学生らが京都弁護士会に人権救済を申し立てました。
 人権救済を申し立てたのは龍谷大学の経営学部の学生らで、6日に会見を開きました。龍谷大学経営学部では、2年生の後期から受講する少人数制で専門性の高い「ゼミ」と呼ばれる授業の数が、教員不足のため、かつての25クラスから今年度は18クラスまで減少。2年生500人のうち、およそ80人がゼミを受講できない「未ゼミ生」となっています。学生側は、「学習権を奪われている」と主張。さらに、「就職活動で不利になる可能性がある。同じ学費を払っているのに質が違うのは、おかしい」と主張しています。学生らは、今年6月、およそ330人分の署名を大学に提出しましたが、何ら対応が示されないことから、弁護士会に人権救済を申し立てたということです。龍谷大学は、「申し立て書を見ていないので、現時点でのコメントは控える」としています。
(11月6日、朝日放送)

大学に入学しながら、ゼミに参加するために就(ゼミ)活が必要な時代。確かに自分が大学院に通っていた十数年前も、学部ゼミには20人以上も学生がいるものもあって、場合によっては30人近いものもあり、「まともにやったら一年に一回も報告できないじゃん」と思ったものだった。
記事のケースで考えても、開講されているゼミが18に対し、「未ゼミ生」を除く420人が参加、平均するとゼミ当たり23人を超えている。現実には人気ゼミとそうでないゼミがあるので、多いところでは30人前後もいるのだろう。
確かに「少人数制」という場合の少人数の定義は定まっていないものの、少なくとも20人を超えるものは少人数とは言えないだろう。「高等教育」と言うからには、10人以下にして欲しいくらいだ。
「同じ学費を払っているのに、ゼミが受けられないのはおかしい」という学生の苦情は全く正当なものだ。

だが、教員は教員で一昔前(例えば80年代)は、週5、6コマの受け持ちだったものが、90年代以降増え続け、いまや10コマは当たり前(最低ラインくらい)で、15コマという話も聞く。これは、90年代以降の規制緩和で大学院が広く設置された他、様々な授業が増え、授業数が厳密に管理されるようになったことなどが影響している。授業を持つということは、少なくとも授業時間と同じ時間数を準備に充てる必要があり、授業が増えれば増えるほど教員の負担は加速度的に重くなる。
自分もロシアの大学で2年ほど教えたが、臨時的に10コマ持ったときは準備が大変で、「これ以上増えたらクオリティが落ちる」と思ったものだった。それも、事務仕事など殆ど無い状態だったのだから、ムダに事務仕事や書類作業の多い日本の大学の勤務環境は非常にブラックなものになっている。

この間、大学の経営環境は悪化の一途を辿っており、90年代以降、まず教員や職員の非正規化が進んだあと、ここ10年くらいでは非正規の雇い止めと正規教員の負担増(割り当て増)が進んでいる。
その結果、大学教員の研究時間が減り、論文数の減少に直結している。また、授業のクオリティも低下の一途を辿り、学生の質的劣化も相まって、高等教育のクオリティ自体が恐ろしく低下している。一種の負のスパイラルだろう。

危機を回避するためには、高等教育に対する公的資金の投入、中央規制(授業数の厳正管理や文科役人の天下りなど)の撤廃などが考えられるが、現実には全て逆を行っている。
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2017年11月14日

要返還の教育無償化?

【大学在学中は授業料無償化 自民が検討案まとめる】
 自民党の教育再生実行本部は、大学などに在学中は授業料を支払わず、卒業後に一定の年収を超えた場合、所得に応じて国に納付する新たな制度の導入に向けた検討案をまとめました。この中では、納付の対象となる一定の年収について、「250万円以上」など複数の案を例示していて、今後検討を進めるとしています。
自民党が憲法改正の検討項目としている、高等教育を含めた教育の無償化をめぐって、党の教育再生実行本部は、大学などに在学中は授業料を支払わず、卒業後に一定の年収を超えた場合、収入に応じて国に納付する新たな制度を導入すべきだとしていて、このほど制度設計の検討案をまとめました。
 この中では、在学中に支払いを免除するのは「国立大学の授業料に相当する年間およそ54万円と、入学金およそ28万円を基本とする」としたうえで、私立大学などでこれを上回る差額分については、無利子の奨学金などでの対応を検討するとしています。
 そのうえで、納付の対象となる一定の年収については「初任給の平均値にあたる250万円以上」や、「300万円以上」など複数の案を例示して、今後検討を進めるとしているほか、納付額は正規雇用の標準的な収入の人でおよそ20年で支払いが完了する程度に設定するなどとしています。教育再生実行本部は、今後、この検討案を基にさらに具体的な制度設計の議論を進めることにしています。
(11月2日、NHK)

突っ込みどころが満載過ぎて、どこから手を付けたら良いものか。
まず日本放送協会ともあろうものが、言葉の使い方から間違っている。独自の定義づけでもしたのだろうか。
そもそも卒業後に返還の義務がある学費が「無償」であるはずがない。これは奨学金ですらなく、ただの公的教育ローンである。せいぜいのところ「学費の後日払い(出世払い)」であろう。これが認められれば、全ての頭金無しローンは「無償」ということになってしまう(爆)
「私立大学で上限額を上回る場合は無利子奨学金」とか、学費後日払いの上乗せでしかない。一体NHKは何が言いたいのか。自民党のプロパガンダ機関に成り下がったのか。

学費の設定は444万円で、無利子で20年で完済を想定した場合、返済額は年間22万円になるが、年収250万円や300万円の人にとっては大きな負担である。月で考えると、月給与が20万円以下のところで約1万8500円を返すとなれば、よほど切り詰めなければならない。給与所得控除の削減(実質増税)が実現すれば、物理的に不可能になるケースが続出しそうだ。
また、大卒新入社員の3年以内離職率が30%を超える中、失職した場合や非正規雇用に転じた場合はどうなるのか。

「こども保険」といい、自民党は選挙目当てに気前の良いことを公約するが、結局のところ財源が無く、詐欺まがいの政策でいかに誤魔化すかに注力しているようだ。もっとも、この点は「高速道路無料化」などを主張した民主党も同じで、挙げ句の果てに公約を撤回して増税を掲げ、決定的な不信を買ってしまい、今日の低迷に至っている。その意味では、自民党の方が「マシ」なのかもしれないが、詐欺の手口が巧妙化しているだけで、誰も幸せにしないことには変わらない。

なお、国際人権規約A規約第13条Cは「高等教育は、すべての適当な方法により、特に無償化の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」としている。日本政府はこれを長年保留してきたが、民主党政権下で留保を撤回している。つまり、高等教育の無償化は国際的義務であると自身に課しているわけだが、そのハードルは相当に高そうだ。

その一方で、高等教育のインフラが瓦解しつつある中で、無償化だけ進めた場合、医療基盤の脆弱な地方で小児医療を無償化して小児科医が居なくなってしまったケースと同様のことが起きるだろう。その構造については別稿にて説明したい。
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

また戦力の逐次投入−学校事務支援員

【学校事務支援員3600人=いじめ対応で弁護士派遣―文科省要求】
 文部科学省は30日、2018年度予算概算要求を発表した。一般会計総額は前年度当初予算比9.9%増の5兆8380億円。教職員の多忙化を改善するため、事務を手助けする「スクール・サポート・スタッフ」をまずは大規模な小中学校などに3600人配置する。弁護士を派遣し、いじめ問題について助言する「スクールロイヤー」事業も実施する。サポート・スタッフは保護者ら地域の人材を非常勤で採用し、学習プリントのコピーや授業準備などを手伝うことを想定。関連経費15億円を計上した。弁護士は、専門的立場から教員と保護者の間に立っていじめ対応に関するアドバイスを行う。全国10カ所でモデル事業を行うため、5300万円を盛り込んだ。
(8月30日、時事通信)

学校の業務量を減らすのではなく、かと言って事務員を増員するのでもなく、事務「支援」員を、3万6千人ではなく、3600人追加するという。ゲーマー的に言い換えるなら、最低でも現役の2個師団が必要とされているところに、後備兵どころか未訓練の民兵を3個大隊で済ませるという話だ。
ちなみに現在、全国に約1700の自治体があるが、大きさに関係なく均等に振り分けた場合、1自治体に2人の「事務支援員」が配される計算でしか無い。学校数で言えば、全国に約3万1千の小中学校があるが、9校に1人しか配置できない計算で、砂漠に水をまくような話になっている。

業務を減らさずに「バイト入れてやるから我慢しろ(9店舗に1人だけ)」的な文科省の対応自体、国家のブラック性を表している。
本来であれば、単純に業務量を減らし、授業外の教員の仕事を減らすことで、労働環境の改善と授業のクオリティ・アップの可能となる。それには、本来業務ではない部活動や学校行事を全廃し、クレーム対応や集金などを学校事務員に任せることが不可欠となる。だが、それらの改革はあまりにもコストが掛かりすぎるため、労働基本権がごく部分的にしか認められておらず、ストライキも打てない教員にあらゆる仕事を押しつけている。

記事にある「スクールロイヤー」も、実際には市場価格よりもはるかに安い報酬となると思われるが、果たしてその役を引き受ける弁護士が、特に地方にいるとは思えない。いかにもヤクニンの机上の空論だ。いかにも「何もしないと文句言われるので、
何かやっているように見せないと」という感じの仕事だ。

しょせん文科クオリティと評価せざるを得ない。
posted by ケン at 13:00| Comment(3) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

全くやる気の無い教職改革

【教員にタイムカード、長時間労働解消へ緊急提言】
 教員の長時間労働の解消に向けた対策を検討している中央教育審議会の特別部会は29日、タイムカードを使った勤務時間の管理や、事務作業を代行する専門スタッフの配置などを盛り込んだ緊急提言をまとめた。文部科学省は提言を受け、来年度予算の概算要求にあわせて具体的な対応の検討を進める。提言では、まず教員の業務を見直す基本として、校長や教育委員会に対し、すべての教職員の勤務時間を客観的に把握するよう求めた。その方策として、タイムカードや、ICT(情報通信技術)を活用して退勤時間を記録できるシステムの導入などを促した。文科省の2016年度調査では、タイムカードなどを使い、勤務時間を管理している小中学校は3割弱にとどまっている。
(8月30日、読売新聞)

教員にタイムカードを押させれば労働時間が減るとでも考えているのだろうか。どこまでもやる気の無い、というか教員を過労死させることしか考えていない連中である。
昨今、「働き方改革」などと称して公共機関や大企業では、夜9時とか10時になると自動的に消灯させたり、冷暖房を止めたりするということが行われているが、現実の業務は全く減っていないため、自宅やネットカフェで作業を続けたり、消灯下や冷暖房が止まっている中で会社に残り続けて残業するものが増え、むしろ健康被害を悪化させているという(産業医の証言もある)。

教員も同じことで、仕事量を減らさずにタイムカードを押させても、退勤したと見せかけて残業することになるだけの話で、むしろ形式的には「退勤した」ことになるため、教育委員会としては「個々の教員が自主的に作業しているだけ」と言い逃れる根拠を持てる仕組みになっている。つまり、タイムカードや一斉消灯は、資本側の弁解でしかなく、実態としてはむしろブラック化を促進してしまっている。

教員の勤務時間に占める部活動の割合は10〜20%に上り、これに学校行事とクレーム対応を合わせると軽く30%を超える。日本における教員の平均勤務時間は週約55時間で、この30%を削除すると38時間になって、OECD諸国平均となる。これにより、勤務時間に占める授業関連の割合は5割超に達するが、これはまだOECD平均の65%には届かない。つまり、授業の質を高めるためには、事務作業の大半を廃止するか、事務員に委ねる必要がある。
文科省などでは非正規の事務員を雇用して一部代行させる案が浮上しているものの、これはこれで官製ワーキングプアを増やすだけの話で、実は別の問題を生じさせる。
とはいえ、まずは最低限、部活動と学校行事を全面廃止しなければ、教職員の労働環境は何一つ改善されないことは間違いない。些末な改革など何も寄与しないであろう。

教職のブラック化の大きな原因の一つは、教職員組合の機能不全にある。例えば、欧州の教職員組合は、学校や教育委員会等と交渉して、仕事や作業の一つ一つについて「教員がやるべきもの」と「教員がやる必要の無いもの」に分類しているが、日本ではこうした交渉は一切されておらず、学校や教育委員会が要求するまま教職員が全ての作業をやらされている状態にある。
日教組などに労働者意識があるのであれば、今すぐにでも全面ストライキを行って、部活動と学校行事とクレーム対応の全面廃止を要求すべきだが、彼らには全く階級意識がなく、労働組合の意義も理解していないため、産業報国会と同様、当局の補助機関に成り下がっている。

現状では教職員の労働環境が改善される見込みは全く無いが、それは教育の質をさらに低下させると同時に、教員のなり手がなくなるだけの話で、特攻と玉砕で戦力と労働力をすりつぶしてしまった戦時中の指導部と全く同じ過ちを犯している。

バカばっか!

【9月15日追記】
なお、欧州では授業が終わると教員が生徒を追い出して教室の鍵を閉め、午後5時になると校長が校門の鍵を閉めて帰ってしまうので、物理的に残業などできない仕組みになっている。日本でも1980年代くらいまではこうした傾向も見られたというが・・・・・・
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2017年08月31日

深刻化する教員不足

【元社会教諭に「数学教えて」 教員不足、九州の教委必死】
九州各地で教員不足が深刻になっている。年度当初の欠員が相次ぎ、福岡県では1学期半ばでも60人以上が不足していた。第2次ベビーブーム世代の就学時に採用された教員の大量退職が背景にある。切羽詰まって、「教員免許をもつ人を紹介して」と保護者に呼びかける教委もある。
「お知り合いの方で、教員免許状をお持ちの方がいれば、是非紹介してくださるようお願いします」。今年1月、福岡県大野城市の小学校の保護者に届いたメールだ。県教委の福岡教育事務所が、管轄する市町の教委と小中学校を通じ、保護者ほぼ全員に呼びかけたという。この保護者は「そこまで先生が足りないのかと驚いた」と話す。
 福岡県内の元中学教員の男性(61)には昨年、地元教委を名乗る人から「中学の教員が足りない。講師として来てくれませんか」と電話がかかってきたという。男性は元社会教諭。「社会はいっぱいおるでしょう」と言うと「いや、実は数学なんです。臨時免許を出します」。男性は驚き、断った。「数学なんて教えたこともないし、免許もないのに」とあきれる。
 ある中学では今年度、技術の教員が6月半ばまで不在。やむなく技術の時間は家庭科や他の教科に充てた。生徒からは「なんで技術できんと?」と不満が漏れたという。別の中学では5月末まで美術の教員がおらず、授業ができなかった。体育教員が臨時免許で美術を教えているケースもある。
 「担当外では満足に教えられない。これで学力をあげろと言われても無理」とある中学教員。別の小学教員は「教員はだれでもできる仕事じゃない。こんな状況では子どもたちにも失礼だ」と話す。
(8月21日、朝日新聞)

先日NHKの報道で、全国67の教育委員会を取材したところ、うち32団体で今年の始業時に教員定数を確保できておらず、その数は700人以上に上ったというものがあった。

ただ、この教員不足には裏がある。別に教員のなり手がいなくて定数割れをしているわけではないということだ。例えば、記事の福岡県の場合、今年の中学校教員の応募倍率は約5倍(定数250人に対して応募1248人)、高校教員だと約10倍(定数154に対して1570人)となっている。ただし、小学校教員は募集600人に対して1295人しか応募しておらず、確かに人材の水準としては深刻ではある。だが、少なくとも募集時点で不足しているわけではない。
これは、もともと定数に満たない員数を募集しているのではなく、規定数を募集して不足分を非常勤の臨時教員で穴埋めするためだが、この非常勤教員が圧倒的に足りないため、「定員割れ」を起こしている格好だ。つまり、学校教員のアルバイト化を進めたところ、バイトのなり手がいなくて騒いでいるのである。
ちなみに非常勤教員の給与は、月18〜20万円で長期休暇中は給与無し、にもかかわらず部活動の顧問や各種ボランティアだけは半ば強制される(やらないと契約更新されないため)というもので、低賃金・超長時間労働・プライバシー無しという超ブラックな労働環境にある。
posted by ケン at 12:31| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする