2017年01月16日

いつぞやの手口で楽しく弾圧

【共謀罪「一般人は対象外」=菅官房長官】
 菅義偉官房長官は6日の記者会見で、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出することについて「政府が検討しているのはテロ等準備罪であり、従前の共謀罪とは別物だ。犯罪の主体を限定するなど(要件を絞っているため)一般の方々が対象になることはあり得ない」と述べ、理解を求めた。 
(1月6日、時事通信)

霞ヶ関官僚というのは結局のところ同じところに行き着くらしい。入口を小さくして、国民が飲み込みやすいサイズにしておいて、後で際限なく拡大して一網打尽にしようという魂胆である。これまでも共謀罪や秘密保護法の問題点は取り上げてきたが、繰り返したい。

戦前期に植民地を合わせれば10万人以上が逮捕され、共産党の試算では1500人の獄死者と200人の拷問死を出したのが、治安維持法だった。ナチス・ドイツを上回る監視国家となる根拠にもなった。
だが、同法は最初から国民弾圧を目的としたものではなかった。

1925年に日ソ間の国交が樹立したことを受けて、日本国内においてコミンテルンの活動が活発化し、共産主義・反天皇制運動の拡大が真剣に危惧されていた。同時期に普通選挙法が施行されて、25歳以上の男子のほぼ全員に選挙権が付与されて有権者が飛躍的に拡大、共産党が労働者や小作人層から支持されるのではないかという懸念があった。現実には、それらは殆ど杞憂だったのだが、当時の官僚や政党人にとっては現実的な懸念だった。従って、当時にあっても「治安立法自体は致し方ないが、政府原案では国民全員が取り締まり対象になってしまう」といった批判が最も多かったらしい。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、1928年の3・15事件で共産党が一掃された後にも、1937年に人民戦線事件で合法左翼(労農派)が一斉検挙され、さらに労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。

共謀罪の恐ろしさは、ソ連やナチス・ドイツのケースを挙げるまでも無く、日本の戦前に見ることができる。1910年の大逆事件では、明治天皇暗殺計画が発覚し、宮下太吉ら5人によるものであったにもかかわらず、幸徳秋水を始めとする24人が死刑に処せられた。当局は当初から5人の計画であったことを知っていたが、大逆罪を拡大適用した。事実が判明したのは戦後のことだった。なお、幸徳が死刑になったのは、公判で「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器をうばいとった北朝の天子ではないか」と述べたことによるとされている。

1923年の朴烈事件では、関東大震災直後に治安警察法による予防拘束(まだ事件を起こしてもいないし、計画も発覚していない段階での検束)を受けた朴烈が、拷問を受けて、愛人の金子某との「皇太子襲撃計画」について、特高の誘導尋問に同意したと見なされ(自白すらしてない)、大逆罪が適用され、死刑宣告された。後に恩赦で無期懲役になったものの、戦後の1945年10月末(8月15日でも9月3日でも無い)まで刑務所に収容されていた。

戦時中に起きた横浜事件では、出版社の温泉旅行を共産党再建のための謀議と見なした特高によって治安維持法違反で60人以上を逮捕、拷問で4人が獄中死した。後に起訴されて、ポツダム宣言受諾後に「駆け込み判決」が下されて、30人余が執行猶予付き有罪となった。恐ろしいことに、この公判の記録は、戦争犯罪追及を恐れた政府・裁判所によって焼却処分されている。なお、裁判で検察が証拠として提出した写真は、全く別の機会に撮影されたものだったことが判明している。そもそも、戦時下で共産党再建の謀議を行っている者たちが、記念撮影をするとは考えがたい。

治安維持法が最初に審議された際、当時の若槻禮次郎首相は、
「世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。」

と答弁、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。

現行の日本政府は、治安維持法を施行し国民弾圧をほしいままにした帝国政府の後継であり、安倍内閣は「明治の日」に象徴されるように戦前の帝政を称賛しているだけに、菅官房長官の言は全く信用に値しない。「一般の方々が対象になることはあり得ない」というのは原案の話であり、数年後には改悪されて「合法左翼」や「合法リベラル」が対象にされるのは明白だろう。本ブログが閉鎖される日も遠くないかもしれない。

そもそも期間が一カ月もない程度のオリンピックを開催するために、時限立法ならともかく恒久法で市民を「一網打尽」にできる法律が必要であると主張している時点で、政府の本音がどこにあるか分かるだろう。そもそも東京都と政府は、「東京は世界で最も安全な街」を最大のセールスポイントにしていたはずだ。
確かに米国でも9・11連続テロ事件の後に、悪名高い「愛国法」が成立したものの、あくまでも時限立法であり、一回延長されたのみで2015年に廃止されている。行政と議会と裁判所という権力の分立が相応に機能している米国と異なり、日本では行政が圧倒的に強い上に、議会は自民党の一党優位体制が50年も続いて行政と一体化しており、さらに裁判所は行政の従属下にあるという環境にあり、権力の分立が機能していない以上、当局に「誰でも逮捕できる」権限を付与することは恐怖政治の根源にしかならない。

日本の現政府は、骨格を明治帝政から継承し、連合国との戦争に敗れて休戦条約の条件として渋々「民主化」しただけの存在であるため、根源的に自由主義や民主主義を否定し、権威主義に傾く傾向を有している。その政府に共謀罪やら通信傍受やらを許せば、容易に戦前のおぞましい暴力支配を復活させるであろう。その手始めは、沖縄の反基地運動家となりそうだ。権威主義者に際限なき権力を与えることは、「狂人に刃物」であり、その刃先は近い将来、一般市民に向けられること間違いない。誰が「一般」であるかを決めるのは常に権力側なのだから。
真の民主化を実現しなければならないのは、中東などでは無く、この日本である。

【追記】
それにしてもどこかで聞いたことがあると思ったら、偉大なる水木しげる先生の『劇画ヒットラー』だった。全権委任法案の提案演説に際して。
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posted by ケン at 12:46| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

カリキュラムの問題か?

【<次期指導要領>英語、小5から教科 高校「歴史総合」創設】
 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会(北山禎介会長)は21日、2020年度以降に小中高校で順次実施する次期学習指導要領の改定方針をまとめ、松野博一文科相に答申した。歌などで楽しみながら学ぶ教科外の「外国語活動」としている小学校5、6年の英語を正式教科に格上げし、外国語活動を3、4年に前倒しして実施する。高校は現在検討中の大学入試改革を踏まえて科目を大幅に見直し、日本史と世界史を融合した新必修科目「歴史総合」などを創設。小中高校の全教科を通じ討論や発表で主体的に学ぶ学習形態「アクティブ・ラーニング」も導入する。
 文科省は答申を受け、16年度中に小中学校、17年度に高校の指導要領を改定。全面実施は小学校=20年度▽中学校=21年度▽高校=22年度。小中学校は18年度から各校の判断で次期指導要領を先行実施できる。答申は、人工知能(AI)の進化など変化が激しい社会にあって、子供が自分なりに試行錯誤したり、他者と協働したりしながら生きる力を育むことが大切だと指摘。生涯にわたって能動的に学び続けるには学習の在り方そのものを見直す必要があるとして、主体的に学ぶアクティブ・ラーニングの視点による授業改善を求めた。
 国際学力調査で読解力の平均点が低下したことを受け、文章の読み書きなど言語活動のさらなる充実も求めた。学習内容は削減せず、現行指導要領の「脱ゆとり」路線を継続。授業時間は中学が現状維持、小学校は英語教科化と外国語活動の前倒しに伴い3年以上は年35時間(1単位時間45分)、おおむね週1時間増える。
 高校は近現代を中心に学ぶ「歴史総合」のほか、主権者教育を担う「公共」を新たに必修科目とする。理科と数学を活用し多角的に考察する「理数探究」などの選択科目も新設する。  英語教科化はグローバル社会への対応を目指し、政府の教育再生実行会議が13年5月に提言した。高校卒業までに学ぶ単語数を現行の3000語から、4000〜5000語に増やす。
(12月22日、毎日新聞)

色々突っ込みどころ満載の教育改革。
小学校の英語教化科は見切り発車も良いところで、小学校そのものにも教員にも英語を教えるインフラが整っておらず、試行錯誤が続いている。ただでさえ授業時間が足りないということで、土曜授業の復活が著しい上に長期休暇も削られ、昨今では北日本以外でも8月20日過ぎから授業が始められるという。ここに英語の授業が増やされるのだから(年35時間)、その分何かを削るか、授業数そのものを増やす必要が生じる。

私は以前から、運動会も学芸会も始終業式も何トカ委員会も止めるように提言しているが、本来の目的から外れた有用性の低い事業を止められないのが日本型組織の最大の欠点と言える。その結果、労働生産性が低迷するのと同じ理由から、学習効率も低迷し続けるものと推察される。
トランプ次期米大統領の公約「連邦規則1つの新設する場合には既存の2つの規則をなくす」が思い起こされよう。

高校の「歴史総合」について、リベラル派からは「世界史を無くすのか」との批判が上がっているが、そもそも世界史は選択科目であり、センター試験の選択率を見る限り、「地理歴史」選択者のうち世界史選択が2割、日本史と地理が各4割となっている。これを統合して必修化しようという意図自体は合理的な点も認められよう。
とはいえ、日本史と世界史を統合した総合科目が怪しいものにしか聞こえず、「どうせロクなものにならない」という懸念は十分に理解できる。

「アクティブ・ラーニング」も意図するところは理解できるが、すでに意味不明な総合科目が多く設置され、どのような教育効果が得られているのかいまだ判然としないのに、またぞろナゾのプログラムを増やすのは感心しない。どこぞの日本軍やジオン軍のように、怪しげな「決戦兵器」ばかりつくってしまう末期症状を見る思いだ。

「このままではダメだ」という危機感は正しいとしても、授業時間や勤務時間は有限であるだけに、「スクラップ&ビルド」のバランスをとらないと、教員と子どもの負担が増えるばかりで、結果的に効率とパフォーマンスを低下させるだけに終わるだろう。
いかにも現場を知らない頭でっかちのヤクニンが考えそうな話である。
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2016年11月25日

建前とりつくろうだけの法務省

【「実習生は労働力」削除を…法務省、監理団体に】
 途上国への技術移転を目的とする外国人技能実習制度を巡り、法務省が8月以降、実習生の受け入れ窓口である全国の「監理団体」に、ホームページ(HP)上の「労働力の確保」などの表現を削除するよう文書で要請していたことがわかった。制度の拡大などを盛り込んだ法案を臨時国会でスムーズに通す目的とみられ、監理団体から「制度の実態は労働力の確保だと、皆がわかっているのに」と戸惑う声が上がっている。技能実習制度では、監理団体が相手国の送り出し機関と連携して実習生を受け入れ、実習先をあっせんしている。商工会や農業、漁業協同組合など約2000団体あり、実習が適正に行われているかを確認、指導する役割も担っている。
(11月17日、読売新聞)

違法行為や人権侵害がまかり通っている現状を放置している政府が、HP上の宣伝文句は「建前と違うから」と削除を「要請」している。あくまでも「要請」でしかない。
言うなれば、「文書は残るから消去しろ」という話であり、終戦時に「ポツダム宣言に戦犯は処罰すると書いてあるから、公文書は全て焼却しろ」とした帝国内務省と同じ発想であることを示している。

以前にも書いたように、国会の事務所に来る問い合わせも、すべて「労働法制が適用されず、警察権や監督権の介入も無い便利な労働力だから、うちでも使いたい」という話ばかりで、「日本の高度な技術を発展途上国の若者に伝授したい」などと言ってきた事例は一件も無い。繰り返すが、ゼロである。

外国人技能実習制度の問題は、使われるのが外国人で、さらに労働法制の埒外に置かれている点にあり、使用者にとっては最大のメリットになる。
どのような違法行為や人権侵害が行われようと、地域ぐるみで隠蔽され、外国人であることから警察に相談もできず、裁判に訴えることもできない。使用者がパスポートを取り上げ、外出も許されず、電話やインターネットも制限されるというのだから、これを奴隷と言わずして何と言うか。

挙げ句の果てには、「技能実習で来日した外国人が難民申請して、他所で働くから、難民申請を規制しろ」などという意見まで上がっている。技能実習制度の非人道を改めること無く、むしろ難民申請を閉ざそうというのだから、もはや日本人そのものから人道主義・ヒューマニズムが失われていることを示している。
本来であれば、民進党は、率先して廃止を主張すべきはずだが、現実には介護分野に適用拡大する法改悪に賛成してしまっている。一体何のために存在しているのか分からない。
posted by ケン at 11:49| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

英語で授業するという愚劣

文科省は将来的に、大学における一般教養授業の3分の1から半数を英語で行う方針を打ち出している。高等教育機関は独立性が保障されているものの、日本の場合は欧米諸国より従属度が高いこともあり、多くの大学で検討が進んでいる。私が大学院で学んだTG大なども率先して検討しているようだ。だが、これほど愚劣な方針は無い。
普通に考えて、日本語を母語とする教員が同学生に授業しても十分には理解されないのに、英語が得意なわけでもない教員が、英語を十分に理解できない学生に、高等教育の教授科目を教えるのだから、ますます理解度が下がるだけの話で、「誰得」な話なのだ。

正確な数字については様々な議論があるようだが、一般的に学校で教員が発信する情報のうち、生徒が受けとめて理解できるのは平均で3〜4割程度らしく、大学以上になると2〜3割程度になってしまうという。
さらに、それを外国語で行う場合、その外国語を理解する者でも2〜3割程度しか入らないと言われる。つまり、大学において英語で授業する場合、学生は教授が発する情報の10%以下しか身につかないことを意味する。
もともと大学の教員は、高校以下の教員と異なり、教授法の訓練を受けておらず、本来的には教育そのものが職務でないこともあって、「学生に理解させる」インセンティブに欠ける。そこに英語で教えろと言うのだから、ますますクオリティを低下させる結果にしかならない。
要は、文科省も大学も、自ら教育の非効率化を進めているのだから、「バカじゃ無いの!」としか言いようが無い。

私もロシアの大学で教えていた経験があるだけに確信を持って言うが、外国語で授業するというのは、準備も含めて母語の何倍もの時間とストレスが掛かる。しかも、それを日本の大学で日本人相手にやれと言うのは、全く意味が分からない。

グローバル化云々という話であれば、英語教育の特化機関やコースをつくって一年間集中してやらせて卒業を一年間遅らせれば良いだけの話で、その方がよほど効率性が高く、教員にとっても学生にとっても大学にとっても良いはずだ。

もっとも、先に述べた通り、この数年で言語工学は驚異的な進化を遂げ、機械翻訳の精度は非常に高くなっている。10年以内にも、大多数の翻訳は機械で足りる時代が実現する勢いであり、それを考えれば、文科省や大学機関の先見性の無さと愚劣ぶりが際立っていると言える。その意味では、日本の大学に通うこと自体、馬鹿げているとも言えなくも無いのだろうが。
同時に、「母語で高等教育が受けられる」という優位性を放棄しようとしている日本政府は、存在自体が売国的であり、Nation states=民族国家の名を冠するに値しない存在と化しているのだ。
posted by ケン at 13:39| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

教育の公的支出最低レベル続く

【日本、33カ国中32位=教育への公的支出割合−OECD】
経済協力開発機構(OECD)は15日、2013年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出割合の調査結果を公表した。日本は3.2%と7年ぶりに最下位を免れたものの、比較できる33カ国中ハンガリー(3.1%)に次ぐ32位にとどまり、OECD平均の4.5%も下回った。33カ国の中で最も高かったのはノルウェーの6.2%。次いでデンマークの6.1%、ベルギー、フィンランド、アイスランドが各5.6%で、欧州の国々が上位を占めた。大学など高等教育への支出を公費で負担している割合は、日本は35%で、韓国(32%)に次いで2番目に低く、大部分を私費で負担している実態が明らかになった。OECDは、日本では高等教育への需要が高いにもかかわらず、公的支出が少ないと指摘した。
(時事通信、9月15日)

日本の教育予算に占める公的支出の割合は、すでに長いこと先進諸国中で最下位を争う状態が続いている。OECD平均にまで上げようとした場合、約6.5兆円の予算支出が必要となるが、税収が50兆円という現状では現実的とは言えず、財務省はむしろさらに削減する方向で動いている。
その影響を大きく受けたのが高等教育で、採用される教員は非常勤ばかり、専任の教員は事務作業と授業が大幅に増え、学生にとっては学費や教材費が上がる一方となっている。日本の大学は、人件費を極限まで減らし、自国の学生には借金させ(大学生の半数がローン生活)、海外から出来の悪い(欧米に行けない)留学生を集めることで生命を長らえているものの、実質的には多くの大学が頓死寸前の状態にある。これは実のところ、質の悪い教育を受けた学生に、借金を背負わせて社会に出しているわけで、長期的には社会そのものの衰退を加速させることになるだろう。
本来であれば、子どもの数が少なくなったのだから、一人当たりの予算を増やし、教育の質を高めることができるはずだが、現実には「子どもが減っているのだから、予算も減らせるはず」という判断になってしまっている。予算削減をカバーするために、予算の「選択と集中」を行い、エリート教育を進めようというのが自民党や文科省の方針となっているが、エリート教育というのは国家レベルではほぼ成立しない、あるいは教育の全体水準を下げてしまうことは、歴史が証明している。

この点についても、民主党鳩山政権は予算を大幅に見直し、教育予算を増やす方向性を示していたが、わずか半年で潰え、菅・野田政権が成立し、財務省主導の下で放棄してしまい、今日に至っている。
「国民が選んだこと」「後悔先に立たず」とはいえ、残念な選択であった。
posted by ケン at 12:13| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

蓮舫氏国籍問題の諸相

【蓮舫氏「二重国籍」疑惑 「台湾籍も放棄している」と強調も、父親は台湾籍のまま 疑惑さらに深まる】
 民進党代表選(15日投開票)に出馬した蓮舫代表代行は7日、産経新聞などとのインタビューで、17歳だった昭和60年1月に「台湾籍を放棄した」と述べ、日本国籍とのいわゆる「二重国籍」ではないとの認識を改めて示した。台湾の「国籍法」で満20歳以上しか台湾籍の喪失手続きができないことについては「未成年の場合には父か母、両親と手続きを行うとなっている」と述べ、台湾法との整合性もあると主張した。
 ただ、蓮舫氏の国籍手続きを行った父親は台湾籍を離脱していないことも明らかにし、「二重国籍」疑惑はさらに深まっている。蓮舫氏はインタビューで、昭和60年1月21日に日本国籍を取得した時点で「すでに台湾の籍は抜いたと、日本の法律ではなっていた。その時点で、すでに私の手続きは終わって日本人だと思っている」と説明した。
 首相を目指す立場となる野党第一党の代表としての資質を問われると、「生まれ育った日本に誇りを持っているし、愛している。その部分では国籍法に基づいて正式な手続きで、日本人になった。台湾籍も放棄している。ここに尽きる」と強調した。
(9月7日、産経新聞)

重国籍問題について整理したい。
父系血統主義だった国籍法が改正されたのを受けて、母親が日本人だった蓮舫女史は日本国籍を取得。当時17歳だった彼女は、22歳までに他国籍を放棄する義務があるが、これは努力義務になっている。同時に戸籍法は104条で「国籍選択届」の提出を義務づけており、ここで他国籍の放棄を宣言することになっている。女史に違法性が認められるとすれば、国籍選択届の提出に際し、他国籍の放棄について虚偽があった点だろうが(虚偽公文書作成等罪)、彼女は当時未成年で、届出を出すのは親の責任。しかも、これを立件するためには、他国籍が放棄されたか確認する必要があるが、現実的には日本の警察はその能力を持たない。
また、公職選挙法は、重国籍者を公職などから排除する規定を設けておらず、仮に重国籍のまま蓮舫氏が国会議員や大臣を務めたとしても、法的責任は問えない。
今回の件の場合、蓮舫氏は恐らく親の判断で台湾籍が残されたままになっており、それが故に今になって「国籍離脱手続き」を行っていると思われるが、これは「違法状態だが、法的責任までは問えない」状態と判断される。

なお、日本は中華民国を国家認定していないので、民国籍は便宜上「中華人民共和国籍」と見なされるが、中国の国籍法は他国籍を取得した場合、自動的に国籍を消失すると規定しているため、この点でも問題は無い。

問題は、国籍問題を抱えながら、それを自覚せずに国会議員はおろか、大臣までやり、マスゴミに指摘されるとパニックに陥り、「二重国籍では無い」「生まれたときから日本人」などと言ってしまった上、国籍離脱の再手続きに入ってしまった彼女のリスクヘッジにある。
批判に対しては、単純に「法的問題は無い」と突っぱねれば良かっただけの話で、一歩間違えれば民族差別になりかねない本件は、敵としても攻撃が難しい難所で、今以上に深く追及できないから、放置しておくのがベターだったはずだ。
もっとも某女性誌のインタビューで「台湾国籍」と述べてしまっていることを、編集者の責にしていることはいただけない。ゲラを校正する義務は彼女にあったはずだからだ。

今回の代表選については、党員や自治体議員はすでに投票を終えており、残すは国会議員だけな上、むしろ本件で攻撃した方が票を減らすだけに、大きな影響は出ないと見られるが、今後もネチネチと攻撃されそうなことを考えると、あのリスク管理能力で代表の座が務まるのか、疑問を禁じ得ない。仮に彼女が衆議院に鞍替えした場合、総選挙のたびに右翼に怪文書をバラ巻かれることになるだろう。
また、右派からの攻撃を受けて、蓮舫氏がアイデンティティ危機に陥り、「日本人らしく」見せようと右傾化・権威主義化を強める可能性が高い。すでに彼女は「野田元総理ばりの保守」と自己を規定しているが、さらに右傾化しそうだ。
これは、転向者によく見られる傾向で、元共産党員の右翼ほど左翼に対して攻撃的だったり、「豊臣恩顧」の大名ほど必死になって徳川に忠誠を尽くすのは、同じ精神から説明される。つまり、「元台湾人」と言われるほど、彼女は「日本人であることを証明しなければならない」という妄執に囚われるのだ。

ちなみに戦前の国籍法は、何重ものスタンダードを抱えていて、例えば朝鮮半島で施行されなかった一方、台湾では施行されて、台湾人は日本人としてアジア諸国で特権を享受できた。だが、同じ台湾でも先住民には日本国籍が与えられなかった。そして、日華平和条約の発効とともに台湾人は日本国籍を失う。帝国を肯定するなら、この責任も自覚すべきだろう。

【参考】
『戸籍と国籍の近現代史−民族・血統・日本人』 遠藤正敬 明石書店(2013)
posted by ケン at 12:00| Comment(7) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

司法省へと回帰する法務省

【「共謀罪」要件変え改正案 テロ準備罪に 国会に提出検討】
 政府は、過去3回国会に提出され廃案となっている「共謀罪」について、構成要件を一部変更した組織犯罪処罰法の改正案をまとめた。罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更し、4年後に迫った2020年東京五輪に向けたテロ対策の要の法案となる。9月に召集される臨時国会への提出を検討している。「共謀罪」は、テロ組織や暴力団、マフィアなどによる組織犯罪の未然防止が目的で、犯罪の実行行為がなくても謀議に加わることで処罰を可能にする。共謀罪の創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案は平成15〜17年に3回、国会に提出されたが、民主党(当時)などの慎重論でいずれも廃案になった。
 こうした経緯から、法務省は「『居酒屋で話しただけで処罰される』など誤解を受けやすい」(法務省関係者)とされる共謀罪の名称を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更。これまでの法案で「団体」としていた適用対象は「組織的犯罪集団」に限定した。また、犯罪の合意だけでなく、資金集めや犯罪に使用する道具の準備など犯罪実行のための「準備行為」も構成要件に加えた。
(8月27日、産経新聞)

いきなり「準備行為」を構成要件に加えるとか、法務省はマジで容赦ないな。自公を中心とする権威主義政党が衆参ともに絶対多数を獲得したことで、「もはや国内に敵無し」と判断したのだろう。

これは、つまり1925年版の治安維持法ではなく、いきなり1941年版の改正治安維持法を導入するような話なのだ。いま少し詳しく説明したい。
当時、1925年に日ソ間の国交が樹立したことを受けて、日本国内においてコミンテルンの活動が活発化し、共産主義・反天皇制運動の拡大が真剣に危惧されていた。同時期に普通選挙法が施行されて、25歳以上の男子のほぼ全員に選挙権が付与されて有権者が飛躍的に拡大、共産党が労働者や小作人層から支持されるのではないかという懸念があった。現実には、それらは殆ど杞憂だったのだが、当時の官僚や政党人にとっては現実的な懸念だった。従って、当時にあっても「治安立法自体は致し方ないが、政府原案では国民全員が取り締まり対象になってしまう」といった批判が最も多かったらしい。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、3・15事件で共産党が一掃された後にも、合法左翼はおろか、労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。

具体的には、まず1928年の改正によって、「結社の目的遂行の為にする行為」が要件化され、組織の正式メンバーでなくとも、結社に実際に加入した者と同等の処罰をもって罰することができるようにされた。しかも、これは当時の帝国議会で会期切れ、審議未了となったところ、天皇の特別立法権である緊急勅令が施行されて強制的に成立している。
さらに1941年の改正では、「組織を準備することを目的」とする要件が加えられたことで、当局が「準備行為」と判断すれば、実質的に誰でも犯罪者に仕立て上げられるようになった。同時に予防拘禁が合法化されて、最大2年・延長可で予防拘禁所に問答無用で拘束できるようになった。

同法による検挙者数は、1939年に323人だったものが、同41年には934人に膨れあがった。さらに、41年12月9日には、対米英宣戦布告にともなう非常措置として、「内偵中の被疑事件」の検挙216人、要視察人の予防検束150人、予防拘禁を予定するもの30人、計396人の非常検束がおこなわれた。

ちなみに、治安維持法が最初に審議された際、若槻禮次郎首相は、
「世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。」

と答弁、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。当時、法律解釈で自己の権限拡大を狙った司法省が治安立法に前のめりだったのに対して、実際に運用者となる内務省・警察が「そこまでの緊急性は無い」「現場での適用が難しい」などの理由からやや消極的だったことは特筆に値する。

つまり歴史は、権力が暴走することを前提に法体系を構築しないと、いざという時に誰も止められなくなることを教えているのである。
貴族院の採決に際して唯一反対した徳川義親議員(侯爵、尾張徳川家当主)は言う。
司法大臣は、本案は極めて明瞭なるものであって、曖昧な点がない、之を用いるに当たって少しも疑いのあるはずがないと仰いましたけれども、果たしてさうであるかどうかと云ふことは、私は信じることが出来ないのでございます、之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程明瞭で以て何等の疑を挿む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居るものではないのでございます、実際此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないのでございます。外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一度誤って用いました其結果は誠に恐ろしいものでございます。

此法律がございませぬでも、新聞紙法、出版法、治安警察法等がありまして、朝憲及国憲の紊乱は、十分に取締まることが出来るものではないかと私は思ふのでございます。私の見ます所に依れば峻厳極まりない此法律の実際に当りまして、政府当局に果たして十分な用意がありや否や、細密な用意が欠ける所があるやうに思はれるので、私は茲に俄かに賛成出来兼ねるのでございます。

さすが自民党さんは歴史に学んでおいでだ。
posted by ケン at 12:25| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする