2016年09月04日

無利子奨学金よりも学費値下げを!

【無利子奨学金、希望者全員に貸与…年収には条件】
 文部科学省は2017年度から、大学進学者などへの無利子奨学金について、世帯年収や成績の基準を満たした希望者全員に貸与する方針を固めた。対象となる約49万9000人分の財源として、17年度予算の概算要求で3378億円(前年度比156億円増)を要求する。無利子奨学金を受けるためには、基準となる世帯年収を下回ることや、高校の成績が5段階評定で平均3・5以上あることが条件となる。16年度にこの基準を満たしたものの、予算不足で貸与されていない学生が約2万4000人いるため、文科省はこの分を含めて予算獲得を目指す。一方、17年度から低所得世帯の学生は平均3・5を下回っても無利子奨学金を申請できるようにする。
(8月31日、読売新聞)

奨学金は当然ながら、そもそも教育扶助に年収制限を設けるべきではない。近代社会においては、「教育の受益者は個々人では無く、社会全体である」という考え方から公教育が普及してきた経緯がある。「教育の受益者は個人であり、受益者が費用を負担すべき」とする考え方はアメリカでこそ根強いものの、全体で見れば圧倒的に少数派だ。ヨーロッパでは現在でも前者のスタンスを貫いているが、イギリスや日本では後者の傾向を強め、学費の値上げが続いている。

日本を見た場合、国立大学文系の学費は、1971年で1万2千円、81年で18万円、91年で37万5千円、2012年で53万5千円。給与所得者の平均年収は、71年が101万円、81年が313万円、91年が460万円、2012年が473万円。学費が44.5倍に対して、賃金は4.7倍。大学生の半分が借金するのは当然だろう。
子どもを大学に行かせること自体が、「贅沢」になっているのだ。逆に大学側は毎年交付金を減額されて、学生と教職員から収奪するほかなくなっており、何か理由を付けて学生から金をとり、可能な限り講師を非正規にすることになる。若年層の貧困が加速し、大学の人的基盤が弱体化するという、負のスパイラルに陥っている。わが一族が人的再生産をやめたのは合理的判断だった。

学費を実際に支払うのは親・保護者だが、奨学金を返済するのは本人であり、雇用の不安定化が進む今日、大卒資格は高収入を約束するものではなくなっており、若年層の社会参入時点で数百万円からの借金を背負わせ、自立・結婚・出産などを遅延させる大きな原因になっている。つまり、若年層に借金させることは、結果的に社会の負担を重いものにしてしまうのだ。

無利子奨学金は「意味が無い」とは言わないが、まずは高等教育や後期中等教育(高校)の学費そのものを値下げする必要があり、それも年収制限を設けずに、全ての人が恩恵を受ける形にすべきだ。
ただ、個人的には大学の数が多すぎることがレベル低下とブラック化を誘発していると考えているので、そこは整理する必要があると思われる。

【追記】
ちなみに1960年代半ば、私の母が参加した「学費値上げ反対闘争」に際しては、国立大学で8千円から1万2千円、慶大で13万円から28.5万円の値上げだった。正確には調べないと分からないし、変動も激しいのだが、当時の祖父の給料は150万円前後だったと考えられる。現在の物価に直すなら、国立大学の学費(年間)が4万円から6万円に値上げされる感じで、これに対してストライキやロックアウトを行っていた。
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2016年08月31日

部活動の全面廃止に向けて・続

【新人教員「過労死ライン」超え 部活指導が負担 名古屋】
 今年4月に新たに着任した名古屋市立中学校の新任教諭の「残業時間」が、月平均で100時間に迫ることが愛知県教職員労働組合協議会(愛教労)の調査でわかった。国が定める「過労死ライン」(月平均80時間)を超えていた。主な要因には、部活動の対応などがあるという。
 愛教労が22日、発表した。市立中の教諭はパソコンで出退勤時間を記録しており、市教委が行った初任者研修会の対象者65人全員分のデータを愛教労が分析した。勤務時間(午前8時15分〜午後4時45分)以外の在校時間を「残業」と見なした。
 月別平均は赴任直後の4月が93時間、5月が89時間、6月が98時間で、毎月20人以上が100時間超だった。最多では4月に177時間、6月に197時間の教員がいた。ほとんどが部活顧問を担当していた。
(8月23日、朝日新聞)

中高の教員は授業後に部活指導をして、それが終わってから各種事務作業と翌日の授業準備をするので、普通に夜10時以降まで「残業」になってしまうが、教職員の給与には「教職調整金」が含まれているため残業代が出ない。そもそも部活動は、正式な職務ではないため、「業務」として認められるのかどうかも定かでは無いという事実があり、問題をこじらせている。

ディープな部活になると、土日も練習、大会、合宿などがある上、当然のように代休も無いため、大会前などになると下手すると「一カ月間休みなし」のような状態に陥る。担当した部活動によって、教員の時間的余裕に大差が生じることも問題だ。

さらに深刻なのは、残業が月100時間以上になると産業医の面談・診察を受けなければならなくなるため、残業報告を同100時間未満に偽装している事実があること。これも「ごく当たり前」に行われているようだ。上記の記事でも、平均残業時間が「100時間のギリ手前」であることも傍証となる。

別の調査では新任教員の6割以上がクラス担任を任されており、3年以内の退職が高止まりすると同時に、全体的にも精神不調による休職者が増加、教員定数を満たせない学校が多くを占め、それを臨時教員がカバーするが、その臨教の待遇は恐ろしく悪く、教職の質を悪化させている。

教員の勤務時間に占める部活動の割合は10〜20%に上り、これに学校行事とクレーム対応を合わせると軽く30%を超える。日本における教員の平均勤務時間は週約55時間で、この30%を削除すると38時間になって、OECD諸国平均となる。同時に、勤務時間に占める授業関連の割合は5割超に達するが、これはまだOECD平均の65%には届かない。教員を授業に集中させるためには、まだまだ「ムダ」を排する必要があるが、まずは最低線として学校の部活動を全面的に廃止する必要がある。

学校は「市民として社会生活に必要な知識を習得する」空間であり、部活動はその目的を阻害してまでやらなければならないものではない。学校教育の本来目的に反するものは全面的に整理し、本来目的である学習のパフォーマンスを向上しなければならない。劣悪なパフォーマンスの教育を受けて、損をするのは大人や保護者では無く、子どもたち自身であるが、子どもは政策判断や意思決定に参加できるわけではないため、我々がその責を負う必要がある。
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2016年08月05日

警察の野党監視は選挙介入の予兆か?

【<大分・隠しカメラ>署員、無断で3回侵入 「不当な監視」】
7月10日投開票の参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居している大分県別府市の施設の敷地内に、同県警別府署員が隠しカメラを無許可で設置し、人の出入りを録画していたことが、3日分かった。同署は施設側に対し、参院選公示前日の6月21日までにカメラ設置と内蔵されたSDカード交換のために計3回、署員が無断で敷地に入ったと認めており、参院選を巡る捜査をしていた可能性がある。野党関係者は「選挙活動への不当な監視だ」と反発している。
 県警や関係者によると、隠しカメラが設置されたのは、別府市南荘園町の別府地区労働福祉会館。連合大分の東部地域協議会や別府地区平和運動センターなどが入居しており、参院選大分選挙区で接戦の末に3選を果たした民進党の足立信也氏(59)や、比例代表に出馬した社民党の吉田忠智党首(60)の支援拠点だった。同会館の建物を管理する連合関係者によると、6月23日の草刈り中にカメラを発見。ともに結束バンドでくくりつけられ、1台は敷地の斜面に、もう1台は木の幹に設置されていた。会館の玄関と駐車場への出入りが録画され、別府署員が設置する様子も映っていたため、同署に連絡。カメラは同24日に署員が撤去した。
 その後同署幹部が施設を訪れて謝罪。カメラを設置した同18日深夜以後、21日夜までに署員がSDカードを2回交換したとし、「正常に作動するかをテストしていた。個別の事件について、特定の人物の出入りを確認するためだった」と説明したという。連合関係者は「録画は私の顔も鮮明に映っており、不気味だった。翌日公示の参院選で民進、社民両党の支持者を盗撮するためとしか考えられない。会館へ労働相談に来る一般の人のプライバシーも侵害している」と指摘。別の野党関係者も「選挙活動への不当な監視だ」と批判した。
 県警によると、別府署の判断に基づき、カメラを仕掛けたのは同署刑事課の署員2人。捜査上のカメラの設置は警察署の判断でできるため、県警本部に報告は上がっておらず、過去に同様の問題が報告されたこともないとしている。設置した署員は「雑草地だったので公有地と思い込み、(同会館の)管理地だとは知らなかった」と話したという。県警の小代義之刑事部長は3日、「他人の管理する敷地に無断で立ち入ったのは不適切で、おわびする」とコメント。県警は監視していた対象者や参院選に絡む捜査かどうかを明らかにしていない。一方で無許可のカメラ設置は建造物侵入罪などに当たる可能性があるとして、今後も調べる方針。
(8月4日、毎日新聞)

7月10日に投開票のあった参院選大分選挙区では、連合大分が推薦し、社民、共産両党の支援を受けた民進党現職が、1090票差で自民党新人を破り3選を果たしたものの、県警が与党側候補に野党候補側の情報を流していた可能性もあり、とうてい公正な選挙が行われたとは言いがたい状態にある。

マスゴミは、相変わらず警察の主張を鵜呑みにして、「敷地内への無断侵入」ばかりを指摘し、NHKに至っては「社民党関係の建物」などと事実と異なる報道を平気で行っている。
問題は、参院選への立候補を準備していた支援団体を逐次監視し、出入りする者を全て盗撮していたことで、憲法第21条の「政治活動の自由」を著しく侵害、デモクラシーとリベラリズムの否定に繋がる、国民主権という戦後日本の理念を根本的に否定するものであるところにある。
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

また、同施設は連合大分の地区協議会を主体とする建物であって、総評系の「別府地区平和運動センター」が管理主体ではあるようだが、社民党や民進党は候補者がその一室を借りているに過ぎず、NHKがそれを知らないはずはない。つまり、「社民党関係の施設」というのは、明白なNHKによる情報(印象)操作である。
同施設に向けて監視カメラが設置されたということは、選挙関係者のみならず、平和運動にかかわる市民はおろか、労働相談や生活相談に来ていた一般市民まで、個人を特定され、あるいはリスト化(例:シュタージ・ファイル)されていたことを意味する。「選挙違反の取り締まりのため」という、警察側の主張はどうあっても正当化されない。

なお、警察法は自らの責務を以下のように規定している。
(この法律の目的)
第一条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

(警察の責務)
第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

(服務の宣誓の内容)
第三条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法 及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。

明治体制下では、警察は頻繁に選挙に介入し、政治集会には常に警官が同席して、政府に批判的な発言があると即中止命令が出された。また、政党の本部や支部は常に監視下に置かれていた。
こうした権威主義体制を否定する装置として、新憲法の第21条が制定されたわけだが、秘密保護法や安保法制などに象徴されるように憲法の条文が空文化されてゆく中で、警察もまた平気で憲法を否定するようになりつつある。憲法は、本来権力の暴走を抑止するために存在するが、それが空文化するということは、その暴走を止める手段が失われることを意味する。

今回の件で警察が憲法や警察法への違背を認めることなく、些末な「建造物侵入」だけで謝罪して済まそうとしていることは、今後も選挙活動や野党の政治活動に対する監視を行うことを宣言しているのと同義であり、いよいよ日本の戦後デモクラシーが終焉を迎えていることを示している。
posted by ケン at 12:34| Comment(3) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

授業を増やせば良いのか?

【授業年35時間増、文科省が対策へ 小5・6、2020年度から】
 2020年度から始まる小学校の新学習指導要領で、5〜6年生の授業が年間980時間(1時間は45分)から1015時間に増える。一方で文部科学省は、1週間あたりの授業のコマ数を今より増やすのは難しいともみている。増える35時間分をいつ、どのように教えるか。文科省は20日、時間割づくりなどを考える会議を始め、対策に乗り出す。授業時間が増えるのは20年度から正式な教科になる英語。いまは年間35時間の「外国語活動」だが、教科化で2倍の70時間になる。週1コマから2コマに増える計算。
(7月20日、朝日新聞)
月に3〜4時間ほどになるのだろうが、どこで増やすんだ?土曜授業を増やすか、休みを削るか。無難なのは行事をやめることだけど、それはしないんだろうな。結局のところ、詰め込み式に逆戻り。他方で教員は減らす方向なんだから、先生のなり手もいなくなるだろうに。
同じく朝日の記事。
文科省が、諮問機関「中央教育審議会」に示したのは、休み時間を利用する15分程度の「短時間学習」に分割したり、夏休みなどを使ってまとめて授業したりする案。45分授業を60分に延ばす案もあったが、最終的には各学校が判断する。
(3月2日、朝日新聞)

すでに小学校の時間割は相当キチキチになっていて、北海道や東北でなくとも8月後半から2学期が始まっているし、土曜登校も増える一方だ。その上、運動会、学芸会、文化祭など年がら年中学校行事があり、生徒も教員も保護者も常に何かに追われている。ただでさえ、共働きが急増してPTAの役員のなり手がいなくなっているのに、こちらも負担ばかりが増えて、その不満が教員にぶつけられ、過重労働と保護者対応のストレスで精神不調に陥る教員が続出している。

精神の不調を訴える者は、民間企業では多くても1〜2%(ブラック企業は別にして)と言われるのに対し、官公庁は3〜5%、これが学校では7〜10%に上るという。だが、官公庁などの場合、まず解雇や強制退職はなされないため、休職扱いで定員の補充はされず、現場は定員不足のまま対応を余儀なくされる。いまや小中学校では、新任あるいは2年目の教員が担任を持たされるのが当たり前になってしまっている。
教員の労働時間は、OECD諸国平均の1.5倍ながら、授業の準備や生徒指導にかける時間は平均程度であり、具体的には週15時間も事務作業や部活動などの「本来業務外」の仕事に費やされている。全教のデータだが、月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%という数字もある。そこに今度は、小学生向けの英語指導の研修が課されるのだから、またぞろ倒れる者が続出するだろう。
こうした実態を踏まえずに、単純に授業時間だけ増やすのは、補給物資も援軍も出さずに、作戦目標のハードルだけ上げる、旧日本軍を彷彿させる。

教員の働き過ぎ−今さらながら 

授業を受ける生徒の側に立ってみても、キチキチのカリキュラムと時間割で全く余裕が無いところに、過労状態の先生から教わるのだから、効率など良いはずが無い。
ただでさえ、日本の英語教育は「中高大と10年もやってまともに話せない」などの批判が強く、「効率が悪い」と評価されているのに、指導方式や学習方法を再考せずに、単純に授業時間だけ増やしたところで、徒労に終わる可能性が高い。「義務教育で達成すべき学習目標」をきちんと定義せずに、いたずらに授業時間だけ増やすのは、砂漠に水をまくような話だ。
現実における中等教育の標準カリキュラムでは、英語は週3コマだったものが、ようやく昨年(今年度)から4コマに増やされたものの、一教室の生徒数は相変わらず40人のままであり、2012年に文科省が行った調査では、全国の公立校の英語教員で英検準一級の取得者は中学で28%、高校で52%にとどまっている。
文科省が考えている直接法(英語のみによる英語教育)を導入するとなれば、少なくとも一クラスを15人以下にする必要があり、その上で授業数も週に6〜8コマ程度は必要だろう。それは完全な英才教育であり、英語嫌いの子どもや外国語習得に難のある子どもにとっては地獄でしかない。仮にこれが実現したとしても、国内の日常生活で英語を使う必要が殆ど無い日本で、政府が望む水準に達成するのは、やはり2〜3割以下になるだろう。
だが、初中等教育に求められるのは、「市民生活、社会生活に必要な能力」「デモクラシーを構成する一員としての素養」であり、そこに「英語がペラペラであること」が含まれるのかと言えば、疑問しか覚えない。
英語学習に高いハードルを求めるために、他の教科を犠牲にすることが、義務教育の本来目的に合目的であるか、今一度よく考える必要がある。
英語教育におけるポピュリズム) 

子どもにとっては苦痛の時間が増えるだけ、教員にとっては労働時間と保護者からのクレームが増えるだけ、でも英語能力は殆ど伸びない、という結果になることはほぼほぼ間違いないと見られるだけに、愚策としか言いようが無い。
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2016年07月13日

外国語能力の価値を否定する東京外大

【大学生通訳、ボランティア参加 東京へ懸け橋】
 開幕が1カ月後に迫ったリオデジャネイロ五輪には、東京外国語大の学生19人が日本語の通訳ボランティアとして参加する。大会組織委員会の「SOS」に応じた形だが、学生たちは「4年に1度の大会でしか得られない経験がある」と話し、2020年東京大会に向けボランティアの懸け橋となる自覚も芽生えている。 担当の鶴田知佳子教授によると、今年2月、知人を通じて組織委から「日本語の通訳ボランティアが不足している。学生を派遣してほしい」と打診があった。各会場で日本の選手やメディア関係者らが話す日本語を、五輪の公用語の英語に訳すのが主な仕事で、その逆も担う。
鶴田教授は大学のホームページで、英語のコミュニケーション能力を測るTOEICで高得点の800点以上を条件に参加者を募集した。応じた約60人の学生はインターネットを介したテレビ電話で組織委担当者の面接を受け、五輪19人、パラリンピック9人の採用が決まった。うち2人は両方に参加するので計26人。大学側も通訳ボランティアを短期海外留学科目「スタディーツアー」として今年度の履修に加えた。
 ユニホームや活動日の食事は提供されるが滞在費や渡航費は自己負担。宿泊先は大学側が手配したものの、地球の反対側への渡航費約30万円は学生が賄うため、一時的に親に援助してもらう学生が多い。フランス語科2年のNさん(19)は「将来は海外に関わる仕事を考えており、参加は金額以上の価値がある」と話す。 五輪のボランティア期間は8月5〜20日でシフトは6勤1休の予定。さらに学生たちは、ブラジルの公用語ポルトガル語の日常会話習得にも意欲的だ。
(7月5日、毎日新聞より抜粋、氏名略)

わが母校(院の方だけど)は最悪の選択をなした。
当然ながら通訳料はゼロ。それどころか、渡航費30万円プラス滞在費も自己負担。で、応募条件はTOEIC800点以上。わが母校は、自らの学生の語学能力が「ゼロ円」であることを社会に宣言してしまった。いまや唯一の国立外国語大学であることの経済的価値を否定したのだ。

喩えるなら、軍士官学校で、「某国義勇兵募集、報酬ゼロ、渡航費と滞在費は自己負担」という掲示が出るのと同義のはずであり、士官学校がそのような募集を許さないのは当然だろう。
リオデジャネイロの現状は、まともに路上も歩けないほど治安が悪化している上、ジカ熱などの風土病が蔓延しており、大学としてはむしろ渡航自粛を呼び掛けるくらいのレベルにある。東外大は学生の安全にあまりにも無頓着だ。

競技場の整備には3500億円とか費やして、それを2千億円に値切った都知事はバッシングして追放刑に処すのに、通訳はタダで済ませようというのが日本の実情。これではまともな人が皆外資系に行ってしまうのは当然だろうし、外国語に堪能な人材も育たない。
外国語大学であるからこそ、外国語能力の価値を高める努力をなすべきなのに、むしろ価値を下げているのだから、愚劣極まりない上、全く学生の将来を考えていないことを示している。学生が組織委員会の募集に勝手に応募するのは自由だが、大学当局が斡旋するなどあり得ない話だ。
また、これを美談と報じてしまうマスゴミも同罪である。
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2016年07月02日

文科省はやる気が無いだけ

【「いじめ」明確化へ=学校で対応しやすく―文科省】
 文部科学省の有識者会議は30日、いじめの定義を明確化させる検討を始めた。学校現場でいじめの解釈や報告状況が異なっており、秋ごろまでに考えを整理する。文科省はこれを受け、いじめ防止対策推進法に基づく基本方針の変更などを検討する。同法はいじめを「心理的、物理的影響を与え、対象となった児童らが心身の苦痛を感じている」行為と定義。同省が3〜6月、教育委員会や学校に実施したヒアリングで「定義が広いため解釈が教員間で異なる」「定義通りに認知すると膨大な数になり、対応が困難になる」などの意見が出た。 
(6月30日、時事通信)

文科省がこんなことを言い出すと、逆に「定義を変えることで、統計上の数字を減らそうと企んでいるのではないか」と勘ぐってしまう。いかんせん、あの連中は、09年の政権交代選挙の2カ月前に、頼んでもいないレクに来て、一方的に「高校無償化なんて絶対に無理」と主張して帰って行った挙げ句、いざ政権交代が実現すると、手のひらを返して無償化を実現させたような奴らだからだ。私が知る限り、文科省と外務省は最も民主的統制に従わない上に、国民・主権者に対して不誠実な省庁である。

これは以前から指摘していることだが、いじめは、要は閉鎖的小集団の中で、人が長時間共同生活を強いられた場合に生じる集団ストレスが原因なのだから、かなりの部分を物理的に解消できる。具体的には、クラス制度を廃止して単位制に移行することで、集団化を回避できるし、壁のある教室を廃止してオープンスペースにすることで、閉鎖的空間を解体することができる。いじめは、人が見ていないところ、ないしは閉鎖的集団内で起きるものだから、これを取り除けば良いだけ。これは50年前には分かっていたことだが、子どもの数が多すぎて実現が難しかった。だが、今それができない理由は無く、要は本気で取り組む気が無いだけだろう。
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2016年05月27日

スマホはあり得ない−育つビッグブラザー

【携帯のGPS情報、本人通知なしで捜査利用 一部新機種】
 今夏発売の携帯電話の新機種の一部から、捜査機関が、本人に通知することなく、GPS(全地球測位システム)の位置情報を取得できるようになることがわかった。総務省が昨年、個人情報保護ガイドラインを改定し、本人通知を不要としたことを受けた措置で、機種は今後順次拡大していく見通し。犯罪捜査に役立つ一方、プライバシー侵害の懸念もある。NTTドコモは、11日発表の基本ソフト(OS)「アンドロイド」を使うスマートフォン5機種で対応を始めるという。19日から順次発売する。KDDI(au)は「捜査に関わるため、本人非通知の改修有無についてはコメントを控えるが、必要な対応を検討中」と回答。ソフトバンクも「運用を含めて検討中。詳細は回答を控えたい」とした。携帯電話会社は、捜査機関の要請で、利用者端末の位置情報を提供することがある。総務省のガイドラインは従来、位置情報の取得に際し、@裁判所の令状、A位置情報取得時の本人への通知、を求めていた。
(朝日新聞、5月16日)

ガラケーがなくなったらPHSに移行するしかないか。少なくとも自らビッグブラザーに投じるようなスマホはあり得ない。

リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。

ところが、現状、「対テロ戦争」への対応が強化されるにつれて、行政権力(王権)の肥大化が進行し、個人の身体や権利、財産への侵害を加速している。リベラリズムは、こうした事態を想定して、国家権力を分立させることで、エリート間の競争を促し、互いに権力の行き過ぎをチェックするシステムを構築した。その結果として、行政権が個人の権利を侵害する際には、司法の同意(令状)を得ることとした。

もっとも、GPS捜査には現在、法的規制がない。警察庁は内規で、裁判所の令状が不要な任意捜査と位置づけており、他の手段で追跡が難しい場合、犯罪行為をせずに発信器を取り付けるよう各都道府県警に求めている。
この件に関して、訴訟が行われ、大阪、名古屋、水戸の3地裁が、外部から目が届かない場所まで位置を把握されることなどは、重大なプライバシーの侵害に当たると指摘、令状が必要と断じた。だが、大阪高裁はこれを覆し、GPS捜査の妥当性を認め、令状不要とした。

こうした中、公安委員会でも法務省でもない総務省が、ガイドラインを改定、GPS情報を本人に通知せずに、政府が利用できるようにした意義は大きい。これは、行政と司法が結託して、市民の自由権を無制限に侵害することに合意したことを意味するもので、リベラリズムの原理の否定に他ならない。
米国では、911テロ後に「愛国法」が成立して、市民に対する通信傍受が大幅に許されたものの、時限立法で一度更新された後、二度目は更新せずに廃止している。リベラリズムの先進国たるアメリカは、自由権の侵害に対する何らかの担保がなされているわけだが、日本ではそれもなく、行政権力の拡大が無制限に認められてしまっている。

もともと市民革命を経ずに近代国家を成立させてしまった日本では、リベラリズムやデモクラシーに対する関心が希薄で、国家や王権と対峙する存在としての「市民」の感覚が育っておらず、むしろ国家と自己を同一視する「臣民」の感覚が濃厚に残っている。
同様に、国家に権力が集中し、形式的に権力の分立がなされているものの、行政権力が圧倒的に強く、立法や司法の権力が弱く、さらに行政とマスメディアも一体化してしまっているため、行政権力の暴走や肥大化を止める制度的担保が存在しない。
同じ流れで、「民間」が弱すぎるため、市民レベルから個人の安全やプライバシーを追求する力も弱い。

日本に「ビッグブラザー」が構築されつつあるのは間違いないが、「誰のための政府・国家なのか」という議論がされないまま、無自覚の内に行政権力のみが肥大化しつつある。戦前と同じで、またぞろ全国民を大不幸にした挙げ句、「一億総懺悔」で済まされそうなところが、恐ろしい。
日本は、国家のデザイン思想から見直して、制度設計し直す必要がある。
posted by ケン at 12:56| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする