2016年09月08日

蓮舫氏国籍問題の諸相

【蓮舫氏「二重国籍」疑惑 「台湾籍も放棄している」と強調も、父親は台湾籍のまま 疑惑さらに深まる】
 民進党代表選(15日投開票)に出馬した蓮舫代表代行は7日、産経新聞などとのインタビューで、17歳だった昭和60年1月に「台湾籍を放棄した」と述べ、日本国籍とのいわゆる「二重国籍」ではないとの認識を改めて示した。台湾の「国籍法」で満20歳以上しか台湾籍の喪失手続きができないことについては「未成年の場合には父か母、両親と手続きを行うとなっている」と述べ、台湾法との整合性もあると主張した。
 ただ、蓮舫氏の国籍手続きを行った父親は台湾籍を離脱していないことも明らかにし、「二重国籍」疑惑はさらに深まっている。蓮舫氏はインタビューで、昭和60年1月21日に日本国籍を取得した時点で「すでに台湾の籍は抜いたと、日本の法律ではなっていた。その時点で、すでに私の手続きは終わって日本人だと思っている」と説明した。
 首相を目指す立場となる野党第一党の代表としての資質を問われると、「生まれ育った日本に誇りを持っているし、愛している。その部分では国籍法に基づいて正式な手続きで、日本人になった。台湾籍も放棄している。ここに尽きる」と強調した。
(9月7日、産経新聞)

重国籍問題について整理したい。
父系血統主義だった国籍法が改正されたのを受けて、母親が日本人だった蓮舫女史は日本国籍を取得。当時17歳だった彼女は、22歳までに他国籍を放棄する義務があるが、これは努力義務になっている。同時に戸籍法は104条で「国籍選択届」の提出を義務づけており、ここで他国籍の放棄を宣言することになっている。女史に違法性が認められるとすれば、国籍選択届の提出に際し、他国籍の放棄について虚偽があった点だろうが(虚偽公文書作成等罪)、彼女は当時未成年で、届出を出すのは親の責任。しかも、これを立件するためには、他国籍が放棄されたか確認する必要があるが、現実的には日本の警察はその能力を持たない。
また、公職選挙法は、重国籍者を公職などから排除する規定を設けておらず、仮に重国籍のまま蓮舫氏が国会議員や大臣を務めたとしても、法的責任は問えない。
今回の件の場合、蓮舫氏は恐らく親の判断で台湾籍が残されたままになっており、それが故に今になって「国籍離脱手続き」を行っていると思われるが、これは「違法状態だが、法的責任までは問えない」状態と判断される。

なお、日本は中華民国を国家認定していないので、民国籍は便宜上「中華人民共和国籍」と見なされるが、中国の国籍法は他国籍を取得した場合、自動的に国籍を消失すると規定しているため、この点でも問題は無い。

問題は、国籍問題を抱えながら、それを自覚せずに国会議員はおろか、大臣までやり、マスゴミに指摘されるとパニックに陥り、「二重国籍では無い」「生まれたときから日本人」などと言ってしまった上、国籍離脱の再手続きに入ってしまった彼女のリスクヘッジにある。
批判に対しては、単純に「法的問題は無い」と突っぱねれば良かっただけの話で、一歩間違えれば民族差別になりかねない本件は、敵としても攻撃が難しい難所で、今以上に深く追及できないから、放置しておくのがベターだったはずだ。
もっとも某女性誌のインタビューで「台湾国籍」と述べてしまっていることを、編集者の責にしていることはいただけない。ゲラを校正する義務は彼女にあったはずだからだ。

今回の代表選については、党員や自治体議員はすでに投票を終えており、残すは国会議員だけな上、むしろ本件で攻撃した方が票を減らすだけに、大きな影響は出ないと見られるが、今後もネチネチと攻撃されそうなことを考えると、あのリスク管理能力で代表の座が務まるのか、疑問を禁じ得ない。仮に彼女が衆議院に鞍替えした場合、総選挙のたびに右翼に怪文書をバラ巻かれることになるだろう。
また、右派からの攻撃を受けて、蓮舫氏がアイデンティティ危機に陥り、「日本人らしく」見せようと右傾化・権威主義化を強める可能性が高い。すでに彼女は「野田元総理ばりの保守」と自己を規定しているが、さらに右傾化しそうだ。
これは、転向者によく見られる傾向で、元共産党員の右翼ほど左翼に対して攻撃的だったり、「豊臣恩顧」の大名ほど必死になって徳川に忠誠を尽くすのは、同じ精神から説明される。つまり、「元台湾人」と言われるほど、彼女は「日本人であることを証明しなければならない」という妄執に囚われるのだ。

ちなみに戦前の国籍法は、何重ものスタンダードを抱えていて、例えば朝鮮半島で施行されなかった一方、台湾では施行されて、台湾人は日本人としてアジア諸国で特権を享受できた。だが、同じ台湾でも先住民には日本国籍が与えられなかった。そして、日華平和条約の発効とともに台湾人は日本国籍を失う。帝国を肯定するなら、この責任も自覚すべきだろう。

【参考】
『戸籍と国籍の近現代史−民族・血統・日本人』 遠藤正敬 明石書店(2013)
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2016年09月06日

司法省へと回帰する法務省

【「共謀罪」要件変え改正案 テロ準備罪に 国会に提出検討】
 政府は、過去3回国会に提出され廃案となっている「共謀罪」について、構成要件を一部変更した組織犯罪処罰法の改正案をまとめた。罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更し、4年後に迫った2020年東京五輪に向けたテロ対策の要の法案となる。9月に召集される臨時国会への提出を検討している。「共謀罪」は、テロ組織や暴力団、マフィアなどによる組織犯罪の未然防止が目的で、犯罪の実行行為がなくても謀議に加わることで処罰を可能にする。共謀罪の創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案は平成15〜17年に3回、国会に提出されたが、民主党(当時)などの慎重論でいずれも廃案になった。
 こうした経緯から、法務省は「『居酒屋で話しただけで処罰される』など誤解を受けやすい」(法務省関係者)とされる共謀罪の名称を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更。これまでの法案で「団体」としていた適用対象は「組織的犯罪集団」に限定した。また、犯罪の合意だけでなく、資金集めや犯罪に使用する道具の準備など犯罪実行のための「準備行為」も構成要件に加えた。
(8月27日、産経新聞)

いきなり「準備行為」を構成要件に加えるとか、法務省はマジで容赦ないな。自公を中心とする権威主義政党が衆参ともに絶対多数を獲得したことで、「もはや国内に敵無し」と判断したのだろう。

これは、つまり1925年版の治安維持法ではなく、いきなり1941年版の改正治安維持法を導入するような話なのだ。いま少し詳しく説明したい。
当時、1925年に日ソ間の国交が樹立したことを受けて、日本国内においてコミンテルンの活動が活発化し、共産主義・反天皇制運動の拡大が真剣に危惧されていた。同時期に普通選挙法が施行されて、25歳以上の男子のほぼ全員に選挙権が付与されて有権者が飛躍的に拡大、共産党が労働者や小作人層から支持されるのではないかという懸念があった。現実には、それらは殆ど杞憂だったのだが、当時の官僚や政党人にとっては現実的な懸念だった。従って、当時にあっても「治安立法自体は致し方ないが、政府原案では国民全員が取り締まり対象になってしまう」といった批判が最も多かったらしい。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、3・15事件で共産党が一掃された後にも、合法左翼はおろか、労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。

具体的には、まず1928年の改正によって、「結社の目的遂行の為にする行為」が要件化され、組織の正式メンバーでなくとも、結社に実際に加入した者と同等の処罰をもって罰することができるようにされた。しかも、これは当時の帝国議会で会期切れ、審議未了となったところ、天皇の特別立法権である緊急勅令が施行されて強制的に成立している。
さらに1941年の改正では、「組織を準備することを目的」とする要件が加えられたことで、当局が「準備行為」と判断すれば、実質的に誰でも犯罪者に仕立て上げられるようになった。同時に予防拘禁が合法化されて、最大2年・延長可で予防拘禁所に問答無用で拘束できるようになった。

同法による検挙者数は、1939年に323人だったものが、同41年には934人に膨れあがった。さらに、41年12月9日には、対米英宣戦布告にともなう非常措置として、「内偵中の被疑事件」の検挙216人、要視察人の予防検束150人、予防拘禁を予定するもの30人、計396人の非常検束がおこなわれた。

ちなみに、治安維持法が最初に審議された際、若槻禮次郎首相は、
「世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。」

と答弁、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。当時、法律解釈で自己の権限拡大を狙った司法省が治安立法に前のめりだったのに対して、実際に運用者となる内務省・警察が「そこまでの緊急性は無い」「現場での適用が難しい」などの理由からやや消極的だったことは特筆に値する。

つまり歴史は、権力が暴走することを前提に法体系を構築しないと、いざという時に誰も止められなくなることを教えているのである。
貴族院の採決に際して唯一反対した徳川義親議員(侯爵、尾張徳川家当主)は言う。
司法大臣は、本案は極めて明瞭なるものであって、曖昧な点がない、之を用いるに当たって少しも疑いのあるはずがないと仰いましたけれども、果たしてさうであるかどうかと云ふことは、私は信じることが出来ないのでございます、之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程明瞭で以て何等の疑を挿む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居るものではないのでございます、実際此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないのでございます。外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一度誤って用いました其結果は誠に恐ろしいものでございます。

此法律がございませぬでも、新聞紙法、出版法、治安警察法等がありまして、朝憲及国憲の紊乱は、十分に取締まることが出来るものではないかと私は思ふのでございます。私の見ます所に依れば峻厳極まりない此法律の実際に当りまして、政府当局に果たして十分な用意がありや否や、細密な用意が欠ける所があるやうに思はれるので、私は茲に俄かに賛成出来兼ねるのでございます。

さすが自民党さんは歴史に学んでおいでだ。
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2016年09月04日

無利子奨学金よりも学費値下げを!

【無利子奨学金、希望者全員に貸与…年収には条件】
 文部科学省は2017年度から、大学進学者などへの無利子奨学金について、世帯年収や成績の基準を満たした希望者全員に貸与する方針を固めた。対象となる約49万9000人分の財源として、17年度予算の概算要求で3378億円(前年度比156億円増)を要求する。無利子奨学金を受けるためには、基準となる世帯年収を下回ることや、高校の成績が5段階評定で平均3・5以上あることが条件となる。16年度にこの基準を満たしたものの、予算不足で貸与されていない学生が約2万4000人いるため、文科省はこの分を含めて予算獲得を目指す。一方、17年度から低所得世帯の学生は平均3・5を下回っても無利子奨学金を申請できるようにする。
(8月31日、読売新聞)

奨学金は当然ながら、そもそも教育扶助に年収制限を設けるべきではない。近代社会においては、「教育の受益者は個々人では無く、社会全体である」という考え方から公教育が普及してきた経緯がある。「教育の受益者は個人であり、受益者が費用を負担すべき」とする考え方はアメリカでこそ根強いものの、全体で見れば圧倒的に少数派だ。ヨーロッパでは現在でも前者のスタンスを貫いているが、イギリスや日本では後者の傾向を強め、学費の値上げが続いている。

日本を見た場合、国立大学文系の学費は、1971年で1万2千円、81年で18万円、91年で37万5千円、2012年で53万5千円。給与所得者の平均年収は、71年が101万円、81年が313万円、91年が460万円、2012年が473万円。学費が44.5倍に対して、賃金は4.7倍。大学生の半分が借金するのは当然だろう。
子どもを大学に行かせること自体が、「贅沢」になっているのだ。逆に大学側は毎年交付金を減額されて、学生と教職員から収奪するほかなくなっており、何か理由を付けて学生から金をとり、可能な限り講師を非正規にすることになる。若年層の貧困が加速し、大学の人的基盤が弱体化するという、負のスパイラルに陥っている。わが一族が人的再生産をやめたのは合理的判断だった。

学費を実際に支払うのは親・保護者だが、奨学金を返済するのは本人であり、雇用の不安定化が進む今日、大卒資格は高収入を約束するものではなくなっており、若年層の社会参入時点で数百万円からの借金を背負わせ、自立・結婚・出産などを遅延させる大きな原因になっている。つまり、若年層に借金させることは、結果的に社会の負担を重いものにしてしまうのだ。

無利子奨学金は「意味が無い」とは言わないが、まずは高等教育や後期中等教育(高校)の学費そのものを値下げする必要があり、それも年収制限を設けずに、全ての人が恩恵を受ける形にすべきだ。
ただ、個人的には大学の数が多すぎることがレベル低下とブラック化を誘発していると考えているので、そこは整理する必要があると思われる。

【追記】
ちなみに1960年代半ば、私の母が参加した「学費値上げ反対闘争」に際しては、国立大学で8千円から1万2千円、慶大で13万円から28.5万円の値上げだった。正確には調べないと分からないし、変動も激しいのだが、当時の祖父の給料は150万円前後だったと考えられる。現在の物価に直すなら、国立大学の学費(年間)が4万円から6万円に値上げされる感じで、これに対してストライキやロックアウトを行っていた。
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2016年08月31日

部活動の全面廃止に向けて・続

【新人教員「過労死ライン」超え 部活指導が負担 名古屋】
 今年4月に新たに着任した名古屋市立中学校の新任教諭の「残業時間」が、月平均で100時間に迫ることが愛知県教職員労働組合協議会(愛教労)の調査でわかった。国が定める「過労死ライン」(月平均80時間)を超えていた。主な要因には、部活動の対応などがあるという。
 愛教労が22日、発表した。市立中の教諭はパソコンで出退勤時間を記録しており、市教委が行った初任者研修会の対象者65人全員分のデータを愛教労が分析した。勤務時間(午前8時15分〜午後4時45分)以外の在校時間を「残業」と見なした。
 月別平均は赴任直後の4月が93時間、5月が89時間、6月が98時間で、毎月20人以上が100時間超だった。最多では4月に177時間、6月に197時間の教員がいた。ほとんどが部活顧問を担当していた。
(8月23日、朝日新聞)

中高の教員は授業後に部活指導をして、それが終わってから各種事務作業と翌日の授業準備をするので、普通に夜10時以降まで「残業」になってしまうが、教職員の給与には「教職調整金」が含まれているため残業代が出ない。そもそも部活動は、正式な職務ではないため、「業務」として認められるのかどうかも定かでは無いという事実があり、問題をこじらせている。

ディープな部活になると、土日も練習、大会、合宿などがある上、当然のように代休も無いため、大会前などになると下手すると「一カ月間休みなし」のような状態に陥る。担当した部活動によって、教員の時間的余裕に大差が生じることも問題だ。

さらに深刻なのは、残業が月100時間以上になると産業医の面談・診察を受けなければならなくなるため、残業報告を同100時間未満に偽装している事実があること。これも「ごく当たり前」に行われているようだ。上記の記事でも、平均残業時間が「100時間のギリ手前」であることも傍証となる。

別の調査では新任教員の6割以上がクラス担任を任されており、3年以内の退職が高止まりすると同時に、全体的にも精神不調による休職者が増加、教員定数を満たせない学校が多くを占め、それを臨時教員がカバーするが、その臨教の待遇は恐ろしく悪く、教職の質を悪化させている。

教員の勤務時間に占める部活動の割合は10〜20%に上り、これに学校行事とクレーム対応を合わせると軽く30%を超える。日本における教員の平均勤務時間は週約55時間で、この30%を削除すると38時間になって、OECD諸国平均となる。同時に、勤務時間に占める授業関連の割合は5割超に達するが、これはまだOECD平均の65%には届かない。教員を授業に集中させるためには、まだまだ「ムダ」を排する必要があるが、まずは最低線として学校の部活動を全面的に廃止する必要がある。

学校は「市民として社会生活に必要な知識を習得する」空間であり、部活動はその目的を阻害してまでやらなければならないものではない。学校教育の本来目的に反するものは全面的に整理し、本来目的である学習のパフォーマンスを向上しなければならない。劣悪なパフォーマンスの教育を受けて、損をするのは大人や保護者では無く、子どもたち自身であるが、子どもは政策判断や意思決定に参加できるわけではないため、我々がその責を負う必要がある。
posted by ケン at 12:09| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

警察の野党監視は選挙介入の予兆か?

【<大分・隠しカメラ>署員、無断で3回侵入 「不当な監視」】
7月10日投開票の参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居している大分県別府市の施設の敷地内に、同県警別府署員が隠しカメラを無許可で設置し、人の出入りを録画していたことが、3日分かった。同署は施設側に対し、参院選公示前日の6月21日までにカメラ設置と内蔵されたSDカード交換のために計3回、署員が無断で敷地に入ったと認めており、参院選を巡る捜査をしていた可能性がある。野党関係者は「選挙活動への不当な監視だ」と反発している。
 県警や関係者によると、隠しカメラが設置されたのは、別府市南荘園町の別府地区労働福祉会館。連合大分の東部地域協議会や別府地区平和運動センターなどが入居しており、参院選大分選挙区で接戦の末に3選を果たした民進党の足立信也氏(59)や、比例代表に出馬した社民党の吉田忠智党首(60)の支援拠点だった。同会館の建物を管理する連合関係者によると、6月23日の草刈り中にカメラを発見。ともに結束バンドでくくりつけられ、1台は敷地の斜面に、もう1台は木の幹に設置されていた。会館の玄関と駐車場への出入りが録画され、別府署員が設置する様子も映っていたため、同署に連絡。カメラは同24日に署員が撤去した。
 その後同署幹部が施設を訪れて謝罪。カメラを設置した同18日深夜以後、21日夜までに署員がSDカードを2回交換したとし、「正常に作動するかをテストしていた。個別の事件について、特定の人物の出入りを確認するためだった」と説明したという。連合関係者は「録画は私の顔も鮮明に映っており、不気味だった。翌日公示の参院選で民進、社民両党の支持者を盗撮するためとしか考えられない。会館へ労働相談に来る一般の人のプライバシーも侵害している」と指摘。別の野党関係者も「選挙活動への不当な監視だ」と批判した。
 県警によると、別府署の判断に基づき、カメラを仕掛けたのは同署刑事課の署員2人。捜査上のカメラの設置は警察署の判断でできるため、県警本部に報告は上がっておらず、過去に同様の問題が報告されたこともないとしている。設置した署員は「雑草地だったので公有地と思い込み、(同会館の)管理地だとは知らなかった」と話したという。県警の小代義之刑事部長は3日、「他人の管理する敷地に無断で立ち入ったのは不適切で、おわびする」とコメント。県警は監視していた対象者や参院選に絡む捜査かどうかを明らかにしていない。一方で無許可のカメラ設置は建造物侵入罪などに当たる可能性があるとして、今後も調べる方針。
(8月4日、毎日新聞)

7月10日に投開票のあった参院選大分選挙区では、連合大分が推薦し、社民、共産両党の支援を受けた民進党現職が、1090票差で自民党新人を破り3選を果たしたものの、県警が与党側候補に野党候補側の情報を流していた可能性もあり、とうてい公正な選挙が行われたとは言いがたい状態にある。

マスゴミは、相変わらず警察の主張を鵜呑みにして、「敷地内への無断侵入」ばかりを指摘し、NHKに至っては「社民党関係の建物」などと事実と異なる報道を平気で行っている。
問題は、参院選への立候補を準備していた支援団体を逐次監視し、出入りする者を全て盗撮していたことで、憲法第21条の「政治活動の自由」を著しく侵害、デモクラシーとリベラリズムの否定に繋がる、国民主権という戦後日本の理念を根本的に否定するものであるところにある。
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

また、同施設は連合大分の地区協議会を主体とする建物であって、総評系の「別府地区平和運動センター」が管理主体ではあるようだが、社民党や民進党は候補者がその一室を借りているに過ぎず、NHKがそれを知らないはずはない。つまり、「社民党関係の施設」というのは、明白なNHKによる情報(印象)操作である。
同施設に向けて監視カメラが設置されたということは、選挙関係者のみならず、平和運動にかかわる市民はおろか、労働相談や生活相談に来ていた一般市民まで、個人を特定され、あるいはリスト化(例:シュタージ・ファイル)されていたことを意味する。「選挙違反の取り締まりのため」という、警察側の主張はどうあっても正当化されない。

なお、警察法は自らの責務を以下のように規定している。
(この法律の目的)
第一条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

(警察の責務)
第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

(服務の宣誓の内容)
第三条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法 及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。

明治体制下では、警察は頻繁に選挙に介入し、政治集会には常に警官が同席して、政府に批判的な発言があると即中止命令が出された。また、政党の本部や支部は常に監視下に置かれていた。
こうした権威主義体制を否定する装置として、新憲法の第21条が制定されたわけだが、秘密保護法や安保法制などに象徴されるように憲法の条文が空文化されてゆく中で、警察もまた平気で憲法を否定するようになりつつある。憲法は、本来権力の暴走を抑止するために存在するが、それが空文化するということは、その暴走を止める手段が失われることを意味する。

今回の件で警察が憲法や警察法への違背を認めることなく、些末な「建造物侵入」だけで謝罪して済まそうとしていることは、今後も選挙活動や野党の政治活動に対する監視を行うことを宣言しているのと同義であり、いよいよ日本の戦後デモクラシーが終焉を迎えていることを示している。
posted by ケン at 12:34| Comment(3) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

授業を増やせば良いのか?

【授業年35時間増、文科省が対策へ 小5・6、2020年度から】
 2020年度から始まる小学校の新学習指導要領で、5〜6年生の授業が年間980時間(1時間は45分)から1015時間に増える。一方で文部科学省は、1週間あたりの授業のコマ数を今より増やすのは難しいともみている。増える35時間分をいつ、どのように教えるか。文科省は20日、時間割づくりなどを考える会議を始め、対策に乗り出す。授業時間が増えるのは20年度から正式な教科になる英語。いまは年間35時間の「外国語活動」だが、教科化で2倍の70時間になる。週1コマから2コマに増える計算。
(7月20日、朝日新聞)
月に3〜4時間ほどになるのだろうが、どこで増やすんだ?土曜授業を増やすか、休みを削るか。無難なのは行事をやめることだけど、それはしないんだろうな。結局のところ、詰め込み式に逆戻り。他方で教員は減らす方向なんだから、先生のなり手もいなくなるだろうに。
同じく朝日の記事。
文科省が、諮問機関「中央教育審議会」に示したのは、休み時間を利用する15分程度の「短時間学習」に分割したり、夏休みなどを使ってまとめて授業したりする案。45分授業を60分に延ばす案もあったが、最終的には各学校が判断する。
(3月2日、朝日新聞)

すでに小学校の時間割は相当キチキチになっていて、北海道や東北でなくとも8月後半から2学期が始まっているし、土曜登校も増える一方だ。その上、運動会、学芸会、文化祭など年がら年中学校行事があり、生徒も教員も保護者も常に何かに追われている。ただでさえ、共働きが急増してPTAの役員のなり手がいなくなっているのに、こちらも負担ばかりが増えて、その不満が教員にぶつけられ、過重労働と保護者対応のストレスで精神不調に陥る教員が続出している。

精神の不調を訴える者は、民間企業では多くても1〜2%(ブラック企業は別にして)と言われるのに対し、官公庁は3〜5%、これが学校では7〜10%に上るという。だが、官公庁などの場合、まず解雇や強制退職はなされないため、休職扱いで定員の補充はされず、現場は定員不足のまま対応を余儀なくされる。いまや小中学校では、新任あるいは2年目の教員が担任を持たされるのが当たり前になってしまっている。
教員の労働時間は、OECD諸国平均の1.5倍ながら、授業の準備や生徒指導にかける時間は平均程度であり、具体的には週15時間も事務作業や部活動などの「本来業務外」の仕事に費やされている。全教のデータだが、月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%という数字もある。そこに今度は、小学生向けの英語指導の研修が課されるのだから、またぞろ倒れる者が続出するだろう。
こうした実態を踏まえずに、単純に授業時間だけ増やすのは、補給物資も援軍も出さずに、作戦目標のハードルだけ上げる、旧日本軍を彷彿させる。

教員の働き過ぎ−今さらながら 

授業を受ける生徒の側に立ってみても、キチキチのカリキュラムと時間割で全く余裕が無いところに、過労状態の先生から教わるのだから、効率など良いはずが無い。
ただでさえ、日本の英語教育は「中高大と10年もやってまともに話せない」などの批判が強く、「効率が悪い」と評価されているのに、指導方式や学習方法を再考せずに、単純に授業時間だけ増やしたところで、徒労に終わる可能性が高い。「義務教育で達成すべき学習目標」をきちんと定義せずに、いたずらに授業時間だけ増やすのは、砂漠に水をまくような話だ。
現実における中等教育の標準カリキュラムでは、英語は週3コマだったものが、ようやく昨年(今年度)から4コマに増やされたものの、一教室の生徒数は相変わらず40人のままであり、2012年に文科省が行った調査では、全国の公立校の英語教員で英検準一級の取得者は中学で28%、高校で52%にとどまっている。
文科省が考えている直接法(英語のみによる英語教育)を導入するとなれば、少なくとも一クラスを15人以下にする必要があり、その上で授業数も週に6〜8コマ程度は必要だろう。それは完全な英才教育であり、英語嫌いの子どもや外国語習得に難のある子どもにとっては地獄でしかない。仮にこれが実現したとしても、国内の日常生活で英語を使う必要が殆ど無い日本で、政府が望む水準に達成するのは、やはり2〜3割以下になるだろう。
だが、初中等教育に求められるのは、「市民生活、社会生活に必要な能力」「デモクラシーを構成する一員としての素養」であり、そこに「英語がペラペラであること」が含まれるのかと言えば、疑問しか覚えない。
英語学習に高いハードルを求めるために、他の教科を犠牲にすることが、義務教育の本来目的に合目的であるか、今一度よく考える必要がある。
英語教育におけるポピュリズム) 

子どもにとっては苦痛の時間が増えるだけ、教員にとっては労働時間と保護者からのクレームが増えるだけ、でも英語能力は殆ど伸びない、という結果になることはほぼほぼ間違いないと見られるだけに、愚策としか言いようが無い。
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2016年07月13日

外国語能力の価値を否定する東京外大

【大学生通訳、ボランティア参加 東京へ懸け橋】
 開幕が1カ月後に迫ったリオデジャネイロ五輪には、東京外国語大の学生19人が日本語の通訳ボランティアとして参加する。大会組織委員会の「SOS」に応じた形だが、学生たちは「4年に1度の大会でしか得られない経験がある」と話し、2020年東京大会に向けボランティアの懸け橋となる自覚も芽生えている。 担当の鶴田知佳子教授によると、今年2月、知人を通じて組織委から「日本語の通訳ボランティアが不足している。学生を派遣してほしい」と打診があった。各会場で日本の選手やメディア関係者らが話す日本語を、五輪の公用語の英語に訳すのが主な仕事で、その逆も担う。
鶴田教授は大学のホームページで、英語のコミュニケーション能力を測るTOEICで高得点の800点以上を条件に参加者を募集した。応じた約60人の学生はインターネットを介したテレビ電話で組織委担当者の面接を受け、五輪19人、パラリンピック9人の採用が決まった。うち2人は両方に参加するので計26人。大学側も通訳ボランティアを短期海外留学科目「スタディーツアー」として今年度の履修に加えた。
 ユニホームや活動日の食事は提供されるが滞在費や渡航費は自己負担。宿泊先は大学側が手配したものの、地球の反対側への渡航費約30万円は学生が賄うため、一時的に親に援助してもらう学生が多い。フランス語科2年のNさん(19)は「将来は海外に関わる仕事を考えており、参加は金額以上の価値がある」と話す。 五輪のボランティア期間は8月5〜20日でシフトは6勤1休の予定。さらに学生たちは、ブラジルの公用語ポルトガル語の日常会話習得にも意欲的だ。
(7月5日、毎日新聞より抜粋、氏名略)

わが母校(院の方だけど)は最悪の選択をなした。
当然ながら通訳料はゼロ。それどころか、渡航費30万円プラス滞在費も自己負担。で、応募条件はTOEIC800点以上。わが母校は、自らの学生の語学能力が「ゼロ円」であることを社会に宣言してしまった。いまや唯一の国立外国語大学であることの経済的価値を否定したのだ。

喩えるなら、軍士官学校で、「某国義勇兵募集、報酬ゼロ、渡航費と滞在費は自己負担」という掲示が出るのと同義のはずであり、士官学校がそのような募集を許さないのは当然だろう。
リオデジャネイロの現状は、まともに路上も歩けないほど治安が悪化している上、ジカ熱などの風土病が蔓延しており、大学としてはむしろ渡航自粛を呼び掛けるくらいのレベルにある。東外大は学生の安全にあまりにも無頓着だ。

競技場の整備には3500億円とか費やして、それを2千億円に値切った都知事はバッシングして追放刑に処すのに、通訳はタダで済ませようというのが日本の実情。これではまともな人が皆外資系に行ってしまうのは当然だろうし、外国語に堪能な人材も育たない。
外国語大学であるからこそ、外国語能力の価値を高める努力をなすべきなのに、むしろ価値を下げているのだから、愚劣極まりない上、全く学生の将来を考えていないことを示している。学生が組織委員会の募集に勝手に応募するのは自由だが、大学当局が斡旋するなどあり得ない話だ。
また、これを美談と報じてしまうマスゴミも同罪である。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする