2020年01月30日

中国の学生に同情される日本学生

日本式贫困:被助学贷款拖入地狱的18岁们

中国メディアが日本の学生の貧困ぶりを報道する時代。
そして学生が「本当ですか?」「中国の奨学金は返済不要です」と言ってくる始末。
もはや精神的豊かさ=余裕という点では、中国が日本を上回っているのかもしれない。

日本では大学生の5割が有償奨学金(要返済)を受けており、卒業・就職時には負債を負っている。給付型奨学金は非常に少なく、奨学金の中のわずか3%でしかない。つまり、返済不要の奨学金を得られるのは大学生の1%強である。過去5年間で奨学金の返済ができずに自己破産した者は15000人を超え、その負債は保証人になっている親や親戚にまで及んでいる。こうした結果、日本の若年層は留学もできず、車も買えず、結婚もできなくなっている。これが、消費低迷と少子化を加速させ、日本衰退の大きな原因になっている。

本来であれば、これは政治が修正すべき政策課題であるが、高齢者が増えると同時に高齢層が若年層の2倍もの投票率を誇っているため、高齢層対策が優先されて、若年層向けの政策課題は二の次にされている。議会制民主主義の負の側面であろう。

今後は国防費の需要増や社会保障費の肥大化などから、さらに教育予算が削減され、教育現場は荒廃、貧困家庭や貧困学生はさらに増え、貧困の問題はますます深刻になっていくだろうとみられる。

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2020年01月27日

不登校対策でスマホ禁止?

【スマホやゲームの利用「ルール化を」大阪市長】
 小中学生がスマートフォンやオンラインゲームに依存するのを防ごうと、大阪市の松井一郎市長は15日、スマホの使用時間を条例でルール化することも視野に、実効性ある対策を検討するよう市教委に指示した。
 松井氏は同日市役所で開かれた会議で、不登校の要因の一つがスマホやゲーム依存であるとの実態が紹介されたことを受け、「夜は何時までとか、条例でルール化したらどうか」との考えを示した。
 市内では旭区が平成26年に、スマホやゲーム機を午後9時以降は使用しないなどのルールを決定。校長判断で各校で適用されているが、市教委として統一したルールは定めていない。
 松井氏は、使用制限に強制力を持たせたり罰則をつけたりすることは難しいとの認識を示した上で「理念的なものにはなるが、(大阪市として)ルールを作ったよというのが(不登校を減らすのに)大事なのかもしれない」と述べた。
 スマホやオンラインゲームの使用制限をめぐっては、香川県が子供がインターネットやゲーム依存になるのを防ぐ全国初の条例制定を目指している。今月10日の検討委員会ではスマホやゲームは「平日は1日60分まで」などとする条例素案が示されたが、ネット上でも賛否が分かれるなど物議をかもしている。
(1月16日、産経新聞)

相変わらず頭の悪そうな政策ばかりが提起されている。
正直、スマホ・ゲーム禁止は関ヶ原以西だけにして欲しい(笑)

そもそも、「ゲームで寝不足になって不登校」なのか「不登校で暇だから仕方なくゲーム」なのか、普通に考えれば、後者の方が圧倒的多数を占めると推測できるだろう。
仮にスマホとオンラインゲームが不登校の要因なら、2010年前後を起点に不登校が急増しているはずだ。しかし、現実にはそれ以前から断続的に増えており、スマホ・オンラインゲームとの関連性を証明するのは困難なはずだ。つまり、エビデンスが存在しない。

いじめや体罰などが放置されていたり、教員が多忙すぎて子どもと向き合えなかったり、学校環境そのものの悪化を放置して、どう見ても枝葉に過ぎないゲームをやり玉に挙げるのは、戦争や人種差別で批判の矛先を別の方向に目用とする権力者の常套手段と同じだ。

繰り返すが、不登校は学校環境の問題であり、まずは学校環境を変えなければ、何も変わらない。
仮にゲームを禁止してみたところで、家の中でボーッとしているだけになる可能性が高い。もともと不登校の子どもが「ゲーム禁止されたから学校にでも行くか」と思うだろうか、思うわけ無いだろう。

いじめを減らすのは、実はさほど難しくない。いじめは閉鎖空間における濃密すぎる人間関係のストレスから発生するものであって、まず学級制度を廃止して、全教科を単位制にすることで、一つの教室に同学級の人間が長時間同室する環境を廃する必要がある。
同時に、部活動を全廃して、部活内での閉鎖的人間関係や閉鎖空間、あるいは歪な上下関係を廃止する必要がある。また、部活動を廃止することで、教員の労働時間を約二割削減できる。
さらに空間的には、教室の壁を全て取り払うことで、「死角」空間を限りなく減らしていく努力も必要だろう。権威主義的(上下関係を固定化し、疎外を正当化する)な学校行事や修学旅行も全て廃止した方が良い。

だが、現実には不登校やいじめを減らすための努力は殆どされずに、むしろ不登校やいじめを増やす恐れのある「改革」が進められようとしている。
こうした点でも、日本の未来は絶望的に暗い。
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2020年01月18日

森法相、日本司法制度の中世性を露呈

【森まさこ法相、「無罪証明すべき」発言訂正「主張と証明を言い間違えた」】
 日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン被告人の会見を受けて、森雅子法務大臣は「潔白というのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき」と発言したが、その後、ツイッター上で「無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えてしまいました」と訂正した。
 森法相は1月9日未明、記者会見を開いて、カルロス・ゴーン被告人について「潔白というのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき」と述べた。日本の刑事裁判では、検察官が有罪であることを証明しなければいけないことから、この発言に対して「ありえない」と批判があがっていた。
 森法相は1月9日夕、自身のツイッター上で「無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えてしまいました。謹んで訂正致します」と投稿した。
 「記者の皆様に配布したコメント文面には"わが国の法廷において『主張』すればよい"と記載してましたが私が言い違えてしまいました。無罪推定の原則は当然重要な原則であり日本の司法もこの原則を遵守しております」とつづっている。
(1月9日、弁護士ドットコム)

森法相ははからずも昭和帝政の本質を露呈した。建前を言おうとして、本音を言ってしまったのだろうが、意図的に敢えて本音を言うことで、全国民に「お前ら分かってんだろうな!(建前は建前なんだぞ)」と脅しをかけたのかもしれない。

日本では、被告が無罪を「証明」できなければ、全て有罪となる。結果、有罪率99.8%となっている。大逆事件でも横浜事件でも有罪となったのは、被告が無罪を「証明」できなかったからだ。
日本の裁判では、検察側が選別した「証拠」のみが開示され、弁護士はいわば目隠しのまま弁護せざるを得ない。そもそも公平性を欠いた制度となっている。ゴーン氏の主張はあながち外していないところが、苦しい。

ちなみに起訴率は65%程度とされているが、残りの35%のうちの多くは当局の協力者(コラボ)となる条件で不起訴とされている。この点でも、非常に東ドイツとよく似ていると言える。

なお付言すれば、これは安倍政権の問題ではなく、明治帝政を無反省のまま引き継いだ戦後帝政の問題であり、帝政を終わらせない限り、何も変わらないだろう。
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2020年01月14日

正当化の余地が無いのは誰か?

【森法相、ゴーン被告逃亡に初の公式コメント 「正当化される余地はない」】
 森雅子法相は5日、保釈中にレバノンに逃亡した日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告に関し初めて公式コメントを発表し、同被告が「不正な手段」を用いて「不法」に出国したとみられると説明した。森氏は、「わが国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障しつつ、事案の真相を明らかにするために適正な手続きを定めて適正に運用されており、保釈中の被告人の逃亡が正当化される余地はない」と指摘。
 さらに、「ゴーン被告が日本を出国した旨の記録はないことが判明しており、何らかの不正な手段を用いて不法に出国したものと考えられる」とし、こうした事態に至ったことは「誠に遺憾」だと述べた。森氏はコメントの中で、ゴーン被告の保釈が取り消され、日本が国際刑事警察機構(インターポール、ICPO)に要請した同被告に対する「赤手配書」が出されたことを認めた。
(1月5日、AFP)

相変わらず出来の悪いジャパニーズ・ジョークである。
法相が言う「正当化される余地はない」のは、果たしてゴーン氏なのか日本の司法制度なのか。

「わが国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障し」

と強弁しているが、そもそもゴーン氏が逃げ出したのは「基本的人権が保障されないから」との理由だったはず。
ゴーン氏の場合は、(入手手段は別にして)巨額の資金と特異な人脈を駆使して日本の司法地獄から抜け出すことに成功したが、それ以外の人間は「中世並みの」「基本的人権が保障されない」「不公正な」司法によって日々、有無を言わさずに裁かれているのだ。
現在の日本司法は、大逆事件から横浜事件に至る無数の罪なき社会主義者を不法に虐殺してきた明治帝政の後継であり(一切反省ない)、それは「天皇を頂点とするヒエラルキー」を護持するための装置であって、市民や国民を守るためのものではない。それは例えば、

・連続23日間拘束可能
・1日最低6時間、上限は無限の尋問(同じことを「自白」するまで何万回でも聞かれる)
・自白しなければ何度でも延長可能
・弁護士との接見は非常に限定的
・証拠は原則不開示

だけを挙げるだけで十分だろう。また、「和歌山カレー事件」に象徴されるように、科学的証拠なくしても平気で死刑判決が下されるという点でも、恐ろしく中世的な司法体系を有している。
そこで検察との「取引」(多くの場合、「協力者」になること)に応じれば起訴されないが、これを拒否すれば起訴されて、有罪率99.8〜99.9%の裁判にかけられることになる。
政治との癒着も深刻で、政権や官邸あるいは天皇に近いものは、そもそも起訴されずに終わり、その記録は全て廃棄され、「無かった」ことにされる。

日本の司法について言えるのは、せいぜい「北朝鮮や中国よりはマシ」という程度だろう。
だからこそ、政府関係者と政府支持者(昔のナチ党員のようなもの)以外は概ね沈黙を守り、「結局カネと権力か」という絶望に打ちひしがれて、ますます厭世的になっていくのである。
これは安倍政権の問題ではなく、昭和帝政の問題なのだ。
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2019年10月30日

恩赦のあり方を考える

【恩赦55万人、政令公布 罰金刑対象、資格制限解く】
 政府は22日、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に合わせ、政令恩赦「復権令」を公布、即日施行した。刑事事件で罰金刑となり、2016年10月21日までに納付を済ませた人が対象となる。約55万人に上ると見込まれ、自動的に制限されていた資格が回復する。政令恩赦から漏れた人に対し、個々の事情を審査する特別基準恩赦も実施。政令恩赦とは異なり、基本的に自分で出願しないと審査対象とはならない。国の慶弔に合わせた恩赦は1993年の天皇陛下と皇后さまのご結婚以来、26年ぶり。22日午前、復権令と特別基準恩赦を掲載した官報を発行した。
(10月22日、共同通信)

新帝即位に伴い55万人が名誉回復。
これによって安倍、自民党政権はますます盤石に・・・・・・なるかどうか。
このご時世に恩赦=名誉回復とは、やはり日本は権威主義国家の部類に入れるべきなのだろう。

そもそも恩赦制度は、司法制度や警察権が制度的に確立しておらず、権力者が恣意的に運用してきた人治国家あるいは封建国家時代のものだった。
先の支配者による統治が苛烈を極め、人心が疲弊している時に、世代交代を示すと同時に法の解釈・運用変化を表明するために使われたものと見るべきだ。
現代のように法律が安定的に運用されている時代に、妄りに恩赦を利用するのは、権力者の権威を誇示するためのものになってしまうだろう。

現代における運用例を考えた場合、まず挙げるべきは、第二次世界大戦後の日本における政治犯などの釈放である。これは、治安維持法や軍機保護法などを廃止するためには、議会での審議を経る必要があり、時間がかかるため、緊急解決としてまず恩赦をもって当該犯を釈放する必要があった。これは正しい運用方法と考えて良いだろう。
また日本に限らず諸外国でも見られるケースだが、「刀狩り=武装解除」に際して、自ら武器を持って所轄に出頭した場合、銃刀法違反などに問わないという恩赦の適用方法もある。これも正しい運用方法だろう。

日本の直近では、昭和帝の崩御や平成帝の即位などに際して恩赦が行われたが、昭和帝の時は何と1017万人が恩赦の対象となっており、平成帝の時は250万人が対象となった。数だけ見れば、規模の違いはあれど、スターリン死去に伴う名誉回復の観がある。それに比べれば、今回の対象は非常に少なく、時代への配慮が見られなくも無い。

とはいえ、イギリスでは恩赦が行われなくなって久しく、フランスでも2007年のサルコジ大統領以降は一律の恩赦は行われていない。特にフランスの場合、君主権の代用として存在していた大統領の恩赦権を制限し、一律・大量の恩赦はできないよう、法改正がなされた。

今回の恩赦でも、「新帝即位を理由に、轢き逃げ犯や性犯罪者を復権するのか」などの批判が上がっており、それは全く妥当な意見だと、ケン先生も考える。
とはいえ、恩赦は君主大権の一つであり、現行制度では内閣に実施権があるものの、権威主義国である以上、その大権を手放すことは、少なくとも自民党は無いであろう。
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2019年10月28日

学校部活は体罰の温床

【サッカー部監督が部員暴行 「精神鍛える」、鹿児島】
 鹿児島県出水市の私立出水中央高サッカー部の監督を務める男性教員(42)が、練習中に男子部員に暴行を加えていたことが10日、同校への取材で分かった。教員は別の男子部員への体罰でも注意を受けており、聞き取りに「暴力はいけないと思っていたが、精神的な部分を鍛える必要があった。指導の後は見違えるように動きが良くなった」と話したという。
 学校によると、8日の練習中、教員が部員を蹴ったり顔を平手打ちしたりする様子が映った約10秒の動画が、会員制交流サイト(SNS)に公開された。この部員にけがはなく、その後も登校している。
(10月10日、共同通信)

一向になくなる気配のない体罰。統計上は減少しているようだが、そもそも子どもの数が減っているのだから、どう考えるべきか。

基本的な考え方として、学校における部活動は体罰を誘発しやすい環境にあることは踏まえておきたい。
まず、学校部活では、監督やコーチを教員が兼ねるケースが多く、「教員と生徒」という絶対的な上下関係が、人間関係を拘束し、暴力を誘発しやすい環境を作っている。日本の教員は内申書を書く立場にあり、生徒の将来に対して大きな影響力を有しており、生徒としては教員に反発するリスクが非常に大きい。逆に教員としては、強い権限を有しているが故に、暴力をもって生徒を服従させようとする欲望に駆られがちになる。

もう一つは、学校という閉鎖空間に問題がある。外部のスポーツクラブであれば、気に入らなければ容易に退会できるが、学校部活は退部しても学校と密接な関係がある以上、退部には大きなリスクがかかるところとなる。
学校の教室において、陰湿なイジメがなくならないのは、閉鎖的な空間に長時間生徒を拘束することで、大きなストレスが生じると同時に、同調圧力も強くなることが大きい。
イジメと同様、部活動でも退部しようと考えただけで、「何お前だけ逃げようとしているんだ!」と暴力が加えられる恐れが強いのだ。

以上、二点だけでも学校部活は全面廃止するか、大幅に縮小、学校単位の全国大会も廃止した方が良い。
学校部活は根源的に暴力を内在しているからだ。
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2019年10月22日

相対的に学歴が低下する日本

【日本の中学生の大学院志望率は、たったの3%】
 今年春の4年制大学進学率(18歳人口ベース、浪人込み)は53.7%と報告されている。この世代の半分が大学に行くことの数値的な表現だ。これは世界有数の高さで、日本が教育大国と言われるゆえんでもある。
 大学の上には大学院が置かれる。目的は「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与すること」だ(学校教育法第99条)。研究者だけでなく、高度専門職業人の養成も担うとある。
 能力ある優秀な若者の入学が期待されるが、日本の生徒の大学院進学志望率は低い。中学校2年生の4年制大学進学志望率は56%と高いが、大学院になると3%まで激減する(IEA「TIMSS 2015」)。こういう国は他に類を見ない。<図1>は、大学院進学志望率の国際ランキングだ。
 中東の諸国では、中学生の大学院進学志望率が高く、首位のレバノンでは7割近くにもなる。科学技術教育に力を入れ、潤沢なオイルマネーを(理系の)高等教育につぎ込んでいると聞くが、その表れだろうか。アメリカは46%となっている。学歴主義で、大学院卒の学位の効用がはっきりしている国だ。実践的な職業教育の上でも、大学院は大きな位置を占めている。日本はというと、たったの3%で調査対象国の中では段違いに低い。この年齢では、大学院とは何たるものかを知らないのかもしれない。あるいは、大学院に行ってもベネフィットはない、行き場がなくなることを早くして心得ているのかもしれない。
(10月10日、ニューズウィーク日本版より抜粋)

ケン先生も時々参考にさせて頂いている舞田先生の論考。
日本企業は、一部の技術系を除くと、大学院進学に対していかなる評価も与えず、むしろ「経験が無いのに高年齢相当の賃金を出さねばならない」として忌避する傾向が強い。

これに対して、欧米、特にヨーロッパはジョブ型社会なので、会社や公共団体のある職務につくためには、相応の学歴が求められる。
例えば、日本の自治体は若年者を一括採用して、2〜3年のローテーションで窓口業務から社会保障や公共事業まで何でもやらせる。これに対して、欧州の自治体は社会保障の児童保護担当に空きが出たら募集をかけ、相応の専門学位を持つ人に限定されるため、より良い待遇や出世を望むなら大学院で修士号や博士号が必要となる。ただし、幹部級は最初から入り口が異なる場合もある。
これは教員も同じで、日本の教員は小学校を除けば一応専門はあるものの、高校教員でも修士号を持っているものは5%以下しかおらず、その業務も事務や学生管理、部活指導などの専門外の仕事が半分以上を占めている。欧州では、平均して中等学校の教員の約3割が修士以上の学位を持っているという。つまり、日本の中等教育は、教育の質が相対的に落ちているのだ。

この問題は軍隊についても言えて、米軍では将官級には学位をいくつも持っている者が少なくないし、ロシア軍でもその傾向が強まっているが、日本の自衛隊ではむしろ学位を馬鹿にする傾向が強いと言われ、将官級で博士号を持っている者など皆無に等しいという。
要は鬼畜ムダグチの精神論からあまり進歩していないようなのだ。
例えば、ソ連のジューコフ将軍は自らの回顧録を書き上げるために、レーニン図書館や国防省の書庫などに1年以上籠もって、自らの記憶と複数の資料と照らし合わせているが、日本の旧軍人はどうだろうかという話である。

日本人の中にはいまだに「日本の教育は世界一」などと信じている者が多いようだが、現実には学歴も教員の質も世界水準と比べて大きく低下してしまっているのだ。
これから子どもを中等教育以上にやる場合、学校教員の学歴をチェックし、最終的には子の判断にせよ、大学院まで進めるように設計しておくことをお薦めしたい。そうでなければ、国際労働市場の競争に参加すらできないだろう。
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