2016年08月05日

警察の野党監視は選挙介入の予兆か?

【<大分・隠しカメラ>署員、無断で3回侵入 「不当な監視」】
7月10日投開票の参院選大分選挙区で当選した民進党現職らの支援団体が入居している大分県別府市の施設の敷地内に、同県警別府署員が隠しカメラを無許可で設置し、人の出入りを録画していたことが、3日分かった。同署は施設側に対し、参院選公示前日の6月21日までにカメラ設置と内蔵されたSDカード交換のために計3回、署員が無断で敷地に入ったと認めており、参院選を巡る捜査をしていた可能性がある。野党関係者は「選挙活動への不当な監視だ」と反発している。
 県警や関係者によると、隠しカメラが設置されたのは、別府市南荘園町の別府地区労働福祉会館。連合大分の東部地域協議会や別府地区平和運動センターなどが入居しており、参院選大分選挙区で接戦の末に3選を果たした民進党の足立信也氏(59)や、比例代表に出馬した社民党の吉田忠智党首(60)の支援拠点だった。同会館の建物を管理する連合関係者によると、6月23日の草刈り中にカメラを発見。ともに結束バンドでくくりつけられ、1台は敷地の斜面に、もう1台は木の幹に設置されていた。会館の玄関と駐車場への出入りが録画され、別府署員が設置する様子も映っていたため、同署に連絡。カメラは同24日に署員が撤去した。
 その後同署幹部が施設を訪れて謝罪。カメラを設置した同18日深夜以後、21日夜までに署員がSDカードを2回交換したとし、「正常に作動するかをテストしていた。個別の事件について、特定の人物の出入りを確認するためだった」と説明したという。連合関係者は「録画は私の顔も鮮明に映っており、不気味だった。翌日公示の参院選で民進、社民両党の支持者を盗撮するためとしか考えられない。会館へ労働相談に来る一般の人のプライバシーも侵害している」と指摘。別の野党関係者も「選挙活動への不当な監視だ」と批判した。
 県警によると、別府署の判断に基づき、カメラを仕掛けたのは同署刑事課の署員2人。捜査上のカメラの設置は警察署の判断でできるため、県警本部に報告は上がっておらず、過去に同様の問題が報告されたこともないとしている。設置した署員は「雑草地だったので公有地と思い込み、(同会館の)管理地だとは知らなかった」と話したという。県警の小代義之刑事部長は3日、「他人の管理する敷地に無断で立ち入ったのは不適切で、おわびする」とコメント。県警は監視していた対象者や参院選に絡む捜査かどうかを明らかにしていない。一方で無許可のカメラ設置は建造物侵入罪などに当たる可能性があるとして、今後も調べる方針。
(8月4日、毎日新聞)

7月10日に投開票のあった参院選大分選挙区では、連合大分が推薦し、社民、共産両党の支援を受けた民進党現職が、1090票差で自民党新人を破り3選を果たしたものの、県警が与党側候補に野党候補側の情報を流していた可能性もあり、とうてい公正な選挙が行われたとは言いがたい状態にある。

マスゴミは、相変わらず警察の主張を鵜呑みにして、「敷地内への無断侵入」ばかりを指摘し、NHKに至っては「社民党関係の建物」などと事実と異なる報道を平気で行っている。
問題は、参院選への立候補を準備していた支援団体を逐次監視し、出入りする者を全て盗撮していたことで、憲法第21条の「政治活動の自由」を著しく侵害、デモクラシーとリベラリズムの否定に繋がる、国民主権という戦後日本の理念を根本的に否定するものであるところにある。
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

また、同施設は連合大分の地区協議会を主体とする建物であって、総評系の「別府地区平和運動センター」が管理主体ではあるようだが、社民党や民進党は候補者がその一室を借りているに過ぎず、NHKがそれを知らないはずはない。つまり、「社民党関係の施設」というのは、明白なNHKによる情報(印象)操作である。
同施設に向けて監視カメラが設置されたということは、選挙関係者のみならず、平和運動にかかわる市民はおろか、労働相談や生活相談に来ていた一般市民まで、個人を特定され、あるいはリスト化(例:シュタージ・ファイル)されていたことを意味する。「選挙違反の取り締まりのため」という、警察側の主張はどうあっても正当化されない。

なお、警察法は自らの責務を以下のように規定している。
(この法律の目的)
第一条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

(警察の責務)
第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

(服務の宣誓の内容)
第三条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法 及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。

明治体制下では、警察は頻繁に選挙に介入し、政治集会には常に警官が同席して、政府に批判的な発言があると即中止命令が出された。また、政党の本部や支部は常に監視下に置かれていた。
こうした権威主義体制を否定する装置として、新憲法の第21条が制定されたわけだが、秘密保護法や安保法制などに象徴されるように憲法の条文が空文化されてゆく中で、警察もまた平気で憲法を否定するようになりつつある。憲法は、本来権力の暴走を抑止するために存在するが、それが空文化するということは、その暴走を止める手段が失われることを意味する。

今回の件で警察が憲法や警察法への違背を認めることなく、些末な「建造物侵入」だけで謝罪して済まそうとしていることは、今後も選挙活動や野党の政治活動に対する監視を行うことを宣言しているのと同義であり、いよいよ日本の戦後デモクラシーが終焉を迎えていることを示している。
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2016年08月02日

授業を増やせば良いのか?

【授業年35時間増、文科省が対策へ 小5・6、2020年度から】
 2020年度から始まる小学校の新学習指導要領で、5〜6年生の授業が年間980時間(1時間は45分)から1015時間に増える。一方で文部科学省は、1週間あたりの授業のコマ数を今より増やすのは難しいともみている。増える35時間分をいつ、どのように教えるか。文科省は20日、時間割づくりなどを考える会議を始め、対策に乗り出す。授業時間が増えるのは20年度から正式な教科になる英語。いまは年間35時間の「外国語活動」だが、教科化で2倍の70時間になる。週1コマから2コマに増える計算。
(7月20日、朝日新聞)
月に3〜4時間ほどになるのだろうが、どこで増やすんだ?土曜授業を増やすか、休みを削るか。無難なのは行事をやめることだけど、それはしないんだろうな。結局のところ、詰め込み式に逆戻り。他方で教員は減らす方向なんだから、先生のなり手もいなくなるだろうに。
同じく朝日の記事。
文科省が、諮問機関「中央教育審議会」に示したのは、休み時間を利用する15分程度の「短時間学習」に分割したり、夏休みなどを使ってまとめて授業したりする案。45分授業を60分に延ばす案もあったが、最終的には各学校が判断する。
(3月2日、朝日新聞)

すでに小学校の時間割は相当キチキチになっていて、北海道や東北でなくとも8月後半から2学期が始まっているし、土曜登校も増える一方だ。その上、運動会、学芸会、文化祭など年がら年中学校行事があり、生徒も教員も保護者も常に何かに追われている。ただでさえ、共働きが急増してPTAの役員のなり手がいなくなっているのに、こちらも負担ばかりが増えて、その不満が教員にぶつけられ、過重労働と保護者対応のストレスで精神不調に陥る教員が続出している。

精神の不調を訴える者は、民間企業では多くても1〜2%(ブラック企業は別にして)と言われるのに対し、官公庁は3〜5%、これが学校では7〜10%に上るという。だが、官公庁などの場合、まず解雇や強制退職はなされないため、休職扱いで定員の補充はされず、現場は定員不足のまま対応を余儀なくされる。いまや小中学校では、新任あるいは2年目の教員が担任を持たされるのが当たり前になってしまっている。
教員の労働時間は、OECD諸国平均の1.5倍ながら、授業の準備や生徒指導にかける時間は平均程度であり、具体的には週15時間も事務作業や部活動などの「本来業務外」の仕事に費やされている。全教のデータだが、月100時間以上の教員の割合は小学校34%、中学52%という数字もある。そこに今度は、小学生向けの英語指導の研修が課されるのだから、またぞろ倒れる者が続出するだろう。
こうした実態を踏まえずに、単純に授業時間だけ増やすのは、補給物資も援軍も出さずに、作戦目標のハードルだけ上げる、旧日本軍を彷彿させる。

教員の働き過ぎ−今さらながら 

授業を受ける生徒の側に立ってみても、キチキチのカリキュラムと時間割で全く余裕が無いところに、過労状態の先生から教わるのだから、効率など良いはずが無い。
ただでさえ、日本の英語教育は「中高大と10年もやってまともに話せない」などの批判が強く、「効率が悪い」と評価されているのに、指導方式や学習方法を再考せずに、単純に授業時間だけ増やしたところで、徒労に終わる可能性が高い。「義務教育で達成すべき学習目標」をきちんと定義せずに、いたずらに授業時間だけ増やすのは、砂漠に水をまくような話だ。
現実における中等教育の標準カリキュラムでは、英語は週3コマだったものが、ようやく昨年(今年度)から4コマに増やされたものの、一教室の生徒数は相変わらず40人のままであり、2012年に文科省が行った調査では、全国の公立校の英語教員で英検準一級の取得者は中学で28%、高校で52%にとどまっている。
文科省が考えている直接法(英語のみによる英語教育)を導入するとなれば、少なくとも一クラスを15人以下にする必要があり、その上で授業数も週に6〜8コマ程度は必要だろう。それは完全な英才教育であり、英語嫌いの子どもや外国語習得に難のある子どもにとっては地獄でしかない。仮にこれが実現したとしても、国内の日常生活で英語を使う必要が殆ど無い日本で、政府が望む水準に達成するのは、やはり2〜3割以下になるだろう。
だが、初中等教育に求められるのは、「市民生活、社会生活に必要な能力」「デモクラシーを構成する一員としての素養」であり、そこに「英語がペラペラであること」が含まれるのかと言えば、疑問しか覚えない。
英語学習に高いハードルを求めるために、他の教科を犠牲にすることが、義務教育の本来目的に合目的であるか、今一度よく考える必要がある。
英語教育におけるポピュリズム) 

子どもにとっては苦痛の時間が増えるだけ、教員にとっては労働時間と保護者からのクレームが増えるだけ、でも英語能力は殆ど伸びない、という結果になることはほぼほぼ間違いないと見られるだけに、愚策としか言いようが無い。
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2016年07月13日

外国語能力の価値を否定する東京外大

【大学生通訳、ボランティア参加 東京へ懸け橋】
 開幕が1カ月後に迫ったリオデジャネイロ五輪には、東京外国語大の学生19人が日本語の通訳ボランティアとして参加する。大会組織委員会の「SOS」に応じた形だが、学生たちは「4年に1度の大会でしか得られない経験がある」と話し、2020年東京大会に向けボランティアの懸け橋となる自覚も芽生えている。 担当の鶴田知佳子教授によると、今年2月、知人を通じて組織委から「日本語の通訳ボランティアが不足している。学生を派遣してほしい」と打診があった。各会場で日本の選手やメディア関係者らが話す日本語を、五輪の公用語の英語に訳すのが主な仕事で、その逆も担う。
鶴田教授は大学のホームページで、英語のコミュニケーション能力を測るTOEICで高得点の800点以上を条件に参加者を募集した。応じた約60人の学生はインターネットを介したテレビ電話で組織委担当者の面接を受け、五輪19人、パラリンピック9人の採用が決まった。うち2人は両方に参加するので計26人。大学側も通訳ボランティアを短期海外留学科目「スタディーツアー」として今年度の履修に加えた。
 ユニホームや活動日の食事は提供されるが滞在費や渡航費は自己負担。宿泊先は大学側が手配したものの、地球の反対側への渡航費約30万円は学生が賄うため、一時的に親に援助してもらう学生が多い。フランス語科2年のNさん(19)は「将来は海外に関わる仕事を考えており、参加は金額以上の価値がある」と話す。 五輪のボランティア期間は8月5〜20日でシフトは6勤1休の予定。さらに学生たちは、ブラジルの公用語ポルトガル語の日常会話習得にも意欲的だ。
(7月5日、毎日新聞より抜粋、氏名略)

わが母校(院の方だけど)は最悪の選択をなした。
当然ながら通訳料はゼロ。それどころか、渡航費30万円プラス滞在費も自己負担。で、応募条件はTOEIC800点以上。わが母校は、自らの学生の語学能力が「ゼロ円」であることを社会に宣言してしまった。いまや唯一の国立外国語大学であることの経済的価値を否定したのだ。

喩えるなら、軍士官学校で、「某国義勇兵募集、報酬ゼロ、渡航費と滞在費は自己負担」という掲示が出るのと同義のはずであり、士官学校がそのような募集を許さないのは当然だろう。
リオデジャネイロの現状は、まともに路上も歩けないほど治安が悪化している上、ジカ熱などの風土病が蔓延しており、大学としてはむしろ渡航自粛を呼び掛けるくらいのレベルにある。東外大は学生の安全にあまりにも無頓着だ。

競技場の整備には3500億円とか費やして、それを2千億円に値切った都知事はバッシングして追放刑に処すのに、通訳はタダで済ませようというのが日本の実情。これではまともな人が皆外資系に行ってしまうのは当然だろうし、外国語に堪能な人材も育たない。
外国語大学であるからこそ、外国語能力の価値を高める努力をなすべきなのに、むしろ価値を下げているのだから、愚劣極まりない上、全く学生の将来を考えていないことを示している。学生が組織委員会の募集に勝手に応募するのは自由だが、大学当局が斡旋するなどあり得ない話だ。
また、これを美談と報じてしまうマスゴミも同罪である。
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2016年07月02日

文科省はやる気が無いだけ

【「いじめ」明確化へ=学校で対応しやすく―文科省】
 文部科学省の有識者会議は30日、いじめの定義を明確化させる検討を始めた。学校現場でいじめの解釈や報告状況が異なっており、秋ごろまでに考えを整理する。文科省はこれを受け、いじめ防止対策推進法に基づく基本方針の変更などを検討する。同法はいじめを「心理的、物理的影響を与え、対象となった児童らが心身の苦痛を感じている」行為と定義。同省が3〜6月、教育委員会や学校に実施したヒアリングで「定義が広いため解釈が教員間で異なる」「定義通りに認知すると膨大な数になり、対応が困難になる」などの意見が出た。 
(6月30日、時事通信)

文科省がこんなことを言い出すと、逆に「定義を変えることで、統計上の数字を減らそうと企んでいるのではないか」と勘ぐってしまう。いかんせん、あの連中は、09年の政権交代選挙の2カ月前に、頼んでもいないレクに来て、一方的に「高校無償化なんて絶対に無理」と主張して帰って行った挙げ句、いざ政権交代が実現すると、手のひらを返して無償化を実現させたような奴らだからだ。私が知る限り、文科省と外務省は最も民主的統制に従わない上に、国民・主権者に対して不誠実な省庁である。

これは以前から指摘していることだが、いじめは、要は閉鎖的小集団の中で、人が長時間共同生活を強いられた場合に生じる集団ストレスが原因なのだから、かなりの部分を物理的に解消できる。具体的には、クラス制度を廃止して単位制に移行することで、集団化を回避できるし、壁のある教室を廃止してオープンスペースにすることで、閉鎖的空間を解体することができる。いじめは、人が見ていないところ、ないしは閉鎖的集団内で起きるものだから、これを取り除けば良いだけ。これは50年前には分かっていたことだが、子どもの数が多すぎて実現が難しかった。だが、今それができない理由は無く、要は本気で取り組む気が無いだけだろう。
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2016年05月27日

スマホはあり得ない−育つビッグブラザー

【携帯のGPS情報、本人通知なしで捜査利用 一部新機種】
 今夏発売の携帯電話の新機種の一部から、捜査機関が、本人に通知することなく、GPS(全地球測位システム)の位置情報を取得できるようになることがわかった。総務省が昨年、個人情報保護ガイドラインを改定し、本人通知を不要としたことを受けた措置で、機種は今後順次拡大していく見通し。犯罪捜査に役立つ一方、プライバシー侵害の懸念もある。NTTドコモは、11日発表の基本ソフト(OS)「アンドロイド」を使うスマートフォン5機種で対応を始めるという。19日から順次発売する。KDDI(au)は「捜査に関わるため、本人非通知の改修有無についてはコメントを控えるが、必要な対応を検討中」と回答。ソフトバンクも「運用を含めて検討中。詳細は回答を控えたい」とした。携帯電話会社は、捜査機関の要請で、利用者端末の位置情報を提供することがある。総務省のガイドラインは従来、位置情報の取得に際し、@裁判所の令状、A位置情報取得時の本人への通知、を求めていた。
(朝日新聞、5月16日)

ガラケーがなくなったらPHSに移行するしかないか。少なくとも自らビッグブラザーに投じるようなスマホはあり得ない。

リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。

ところが、現状、「対テロ戦争」への対応が強化されるにつれて、行政権力(王権)の肥大化が進行し、個人の身体や権利、財産への侵害を加速している。リベラリズムは、こうした事態を想定して、国家権力を分立させることで、エリート間の競争を促し、互いに権力の行き過ぎをチェックするシステムを構築した。その結果として、行政権が個人の権利を侵害する際には、司法の同意(令状)を得ることとした。

もっとも、GPS捜査には現在、法的規制がない。警察庁は内規で、裁判所の令状が不要な任意捜査と位置づけており、他の手段で追跡が難しい場合、犯罪行為をせずに発信器を取り付けるよう各都道府県警に求めている。
この件に関して、訴訟が行われ、大阪、名古屋、水戸の3地裁が、外部から目が届かない場所まで位置を把握されることなどは、重大なプライバシーの侵害に当たると指摘、令状が必要と断じた。だが、大阪高裁はこれを覆し、GPS捜査の妥当性を認め、令状不要とした。

こうした中、公安委員会でも法務省でもない総務省が、ガイドラインを改定、GPS情報を本人に通知せずに、政府が利用できるようにした意義は大きい。これは、行政と司法が結託して、市民の自由権を無制限に侵害することに合意したことを意味するもので、リベラリズムの原理の否定に他ならない。
米国では、911テロ後に「愛国法」が成立して、市民に対する通信傍受が大幅に許されたものの、時限立法で一度更新された後、二度目は更新せずに廃止している。リベラリズムの先進国たるアメリカは、自由権の侵害に対する何らかの担保がなされているわけだが、日本ではそれもなく、行政権力の拡大が無制限に認められてしまっている。

もともと市民革命を経ずに近代国家を成立させてしまった日本では、リベラリズムやデモクラシーに対する関心が希薄で、国家や王権と対峙する存在としての「市民」の感覚が育っておらず、むしろ国家と自己を同一視する「臣民」の感覚が濃厚に残っている。
同様に、国家に権力が集中し、形式的に権力の分立がなされているものの、行政権力が圧倒的に強く、立法や司法の権力が弱く、さらに行政とマスメディアも一体化してしまっているため、行政権力の暴走や肥大化を止める制度的担保が存在しない。
同じ流れで、「民間」が弱すぎるため、市民レベルから個人の安全やプライバシーを追求する力も弱い。

日本に「ビッグブラザー」が構築されつつあるのは間違いないが、「誰のための政府・国家なのか」という議論がされないまま、無自覚の内に行政権力のみが肥大化しつつある。戦前と同じで、またぞろ全国民を大不幸にした挙げ句、「一億総懺悔」で済まされそうなところが、恐ろしい。
日本は、国家のデザイン思想から見直して、制度設計し直す必要がある。
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2016年05月16日

ヘイトと刑訴法のバーターとかあり得ない!

【ヘイトスピーチ対策法、成立へ=13日に衆院送付】
 人種や国籍などの差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)対策法案が今国会で成立する見通しとなった。同法案を審議する参院法務委員会が11日の理事懇談会で、12日の採決で合意。民進党など野党も賛成し、13日にも本会議で可決、衆院に送付される運びだ。法務委では、与党案と民進党などが提出した野党案が並行審議されている。12日に採決するのは与党提出の修正案。野党案を採決するかどうかは引き続き協議する。与党修正案は、ヘイトスピーチについて「生命や身体に危害を加える旨を告知し、著しく侮辱するなど、外国出身者であることを理由に、地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義。野党の要求を受け、「侮辱」を追加した。その上で、政府に対し、こうした言動の解消に向けた教育などの推進を求めている。ただ、憲法の表現の自由との兼ね合いから、罰則は設けなかった。 
(5月11日、時事通信)

このヘイトスピーチ対策法は、野党が原案の「本邦外出身者」「適法に居住する」という、対象者の限定条項の削除を要求していたが、与党側は拒否、「著しく侮辱」の追加のみ応じた。この結果、「日本国内出身者」や「不法滞在外国人」に対する「不当な差別」は逆に「合法(脱法)」ということで、処罰されないことになった。具体的には、琉球諸部族、アイヌなどに対する「不当な差別」は、同法の「ヘイトスピーチ」に該当しないことを意味する。この点については、附帯決議を付けることで与野党間で合意されたものの、附帯決議には何の法的効力も無く、「気休め」にすらならない。つまり、「ザル法」である。

これに対し、民進党が、ヘイトスピーチ対策とのバーターで審議に応じた刑事訴訟法改正案は、これも修正を経て賛成することになった。ところが、この刑訴法改正案について、民主党(当時)は「司法取引と取調べ可視化の拡大のバーター」という方針で臨んでいたはずだが、現実には取調べ可視化対象者の拡大は見送られ、司法取引の協議に弁護士の関与を規定することと、通信傍受に際し通信業者の立ち会いに代わって「事件に関与しない警察官」が立ち会うことで合意がなされた。
司法取引の交渉に常に弁護士の同席を要求するならまだしも、「弁護士の関与」などという曖昧な表現では全く実効性が担保されないだろう。
また、通信傍受に際しての「事件に関与しない警察官」の立ち会いなど、紛争の停戦監視に「紛争に直接関与しない同国軍兵士」を監視者とするような話であり、より悪く言えば、戦争の略奪行為の取り締まりに、異なる部隊の兵士(憲兵ですら無い)を充てるようなもので、全く意味が無い。古来、警察というのは凄まじく閉鎖的なタテ社会で、同僚の悪行や不法・脱法行為を咎めることなどあり得ない。

全く不公正な司法改革 

与野党間の圧倒的な戦力差を考えれば、この辺が妥協点になってしまうのは分かるが、変に妥協して悪法に賛成したことで、後日「悪法に賛成した」と誹謗され、あるいは自らが賛成したが故に廃止法案や改正法案も出せないという呪縛に取り憑かれる恐れが強い。若干の修正を経て成立した治安維持法が、どのように猛威を振るい、日本人を恐怖のどん底に陥れたかは完全に忘れ去られている。近現代史教育の不備はこのように現れるのだろう。
法律解釈で自己の権限拡大を狙った司法省が治安立法に前のめりだったのに対して、実際に運用者となる内務省が「そこまでの緊急性は無い」「現場での適用が難しい」などの理由からやや消極的だったことも特筆に値する。今回の秘密保護法は警察主導で立案されているものの、警察官僚出身の亀井静香議員や小野次郎議員は慎重姿勢を示している。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、3・15事件で共産党が一掃された後にも、合法左翼はおろか、労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。
特高を指揮して取締の先頭に立った町村金五(特定秘密保護法案の作成責任者の父)あたりは確信犯だった可能性が高いが、リベラル色の強かった若槻礼次郎が人民戦線事件や大本事件を予想していたとは到底考えられない。
つまり歴史は、権力が暴走することを前提に法体系を構築しないと、いざという時に誰も止められなくなることを教えているのである。
治安維持法は言論弾圧法ではなかった?!

治安維持法の採決に際し、貴族院で唯一反対した徳川義親議員(侯爵、尾張徳川家当主)の反対討論を再掲しておこう。
司法大臣は、本案は極めて明瞭なるものであって、曖昧な点がない、之を用いるに当たって少しも疑いのあるはずがないと仰いましたけれども、果たしてさうであるかどうかと云ふことは、私は信じることが出来ないのでございます、之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程明瞭で以て何等の疑を挿む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居るものではないのでございます、実際此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないのでございます。外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一度誤って用いました其結果は誠に恐ろしいものでございます。

此法律がございませぬでも、新聞紙法、出版法、治安警察法等がありまして、朝憲及国憲の紊乱は、十分に取締まることが出来るものではないかと私は思ふのでございます。私の見ます所に依れば峻厳極まりない此法律の実際に当りまして、政府当局に果たして十分な用意がありや否や、細密な用意が欠ける所があるやうに思はれるので、私は茲に俄かに賛成出来兼ねるのでございます。

まさに歴史が繰り返されようとしている。
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2016年03月31日

苗字廃止論

江戸期における苗字は、現代人が考えるファミリーネームとはかなり異なるものだった。例えばわが先祖である幕臣S木家の場合、おおよそ「馬一頭、銃一丁、槍三本」とそれに付随する人員の常備が義務とされた。100石超の家禄は当主であるS木T吉の個人的給与では無く、装備の維持費や従者郎党の給与まで含んだものだった。大名家は恒常的に家禄を支給し、禄の世代継承を保障する対価として、各家は軍事的義務を負う、というのが封建的契約関係だった。

もっとも現実には、幕末の長州戦争に際し、将軍家は旗本に大動員令を下すが、旗本の多くは義務化されていたはずの装備や人員を用意できなかった。太平が長く続いて、諸物価が高騰していたため、みな兵具を売り払い、郎党や中間も身の回りの世話要員程度しか雇っていなかったのだ。その結果、動員令が下りると、古道具屋と口入れ屋に幕臣が殺到、その価格が急騰し、必要な兵具と人員を確保できたのは一部に過ぎなかった。義務を果たせなくなった旗本たちは、禄を返上するのでは無く、みな隠居届けを出すことで責務回避を図った。この時点で、江戸期の封建制度は実質空洞化していたことが分かる。

話を戻そう。例に挙げたS木家というのは、この一個の軍事的最小単位を指すものであって、今日のファミリーネームではあり得なかった。むしろ今日の法人名に近い。将軍家を大企業とすると、旗本はその傘下直系の中小企業群に相当する。
興味深いことに、かつてスターリンの息子が学校で「ボクはスターリンの息子なんだぞ」と威張った際、帰宅したスターリンに「スターリンなどと言う個人は存在しない。自分もお前もスターリンなんかじゃ無いんだ」と烈火のごとく怒鳴りつけられたというが、この感覚が分からないと、伝統的な苗字というものは理解できないのかもしれない。

大政奉還を経て明治政府が樹立すると、明治3年(1870)に「平民苗字許可令」、同8年(1875)に「苗字必称義務令」が発布される。当初、全国民に苗字使用の許可が下されたものの、苗字使用は普及せず、国家による強制が必要だったことは興味深い。つまり、庶民の多くにとって一般生活に無用のものだったのだ。
しかも、苗字導入時には夫婦別姓が原則(同姓選択制)であり、夫婦同姓が制度化されたのは、明治31年の民法改正によって夫婦同姓に基づく「イエ」制度が確立した。明治9年に苗字使用を義務化するに際して、太政官法制局が夫婦別姓を採用したのは、「妻は夫の身分に従うとしても、姓氏と身分は異なる」「皇后藤原氏であるのに皇后を王氏とするのはおかしい」「歴史の沿革を無視」という理由からだった。さらに、明治31年の民法改正に際して、司法省がドイツ式の夫婦同姓案を提示したところ、当時の保守派から「日本古来の家父長制に反する」と大反発を受け、戸籍に絡めて「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」とすることで折り合いを付ける始末だった。

明治維新を経て封建的身分制度が(完全ではないが)廃止されたのは、出自が個人の身分を規定し、職業を限定することで、労働力と能力開発を大きく自己規制してしまう点にあった。これは、ヨーロッパにおいて奴隷制や農奴制が廃止された理由と同じである。資本主義に基づく経済発展のためには、身分制の廃止と労働力使用の自由化は不可欠のものだった。現代においても、ソ連の農業集団化が経済成長を阻害したことや、インドで貧困問題が一向に解決できないことも、同じ理由から説明できる。
明治政府は、全国民(当時は臣民)に苗字の使用を強制したが、同時に家父長制に基づくイエ制度を創設した。その結果、今度は女性がイエに縛られ、女性の権利は家長に委ねられ、職業の自由と能力開発の機会を奪われた。戦前においては、結婚するのも家長の許可が必要だった。第二次世界大戦において、女性の戦時動員が最も少なかった日本とイタリアは、ともに敗戦国となった。

参政権、教育権、労働基本権など市民的権利が、日本女性に完全に認められたのは、全て占領軍の指示によるものだった。マッカーサー指令が下されたのが1945年10月11日で、幣原内閣の婦人参政権導入の閣議決定は前日の10月10日になされているが、これはGHQの意向を先読みしてポーズを取っただけの話であり、「八月革命」に伴う占領軍の指導が無かったら、果たして女性参政権がいつ実現したのか分からなかっただろう。
(日本の女性解放は「アメリカの押しつけ」ですから!)

戦後、GHQの主導により女性に一定の権利が付与されたものの、女性に対する姓の強制(夫婦同姓)は存続、職業や教育の自由は与えられたものの、採用や待遇の差別は今日に至るまで改善されていない。正規・非正規を含む女性の平均年収は、男性の約半分に過ぎないが、実はこの「50%」という数字は1970年代以降変わっていない。米国の場合、1980年に65%だったものが2005年には80%を超えている。日本では、80年代に女性の総合職進出が図られたものの、90年代に非正規職や派遣が急速に増え、非正規職の大半が女性で占められた結果、女性の対男性年収比が停滞しているものと見られる。

「労働力が足りない」などと言っている政府や財界は単純にバカ丸出しなだけで、要は女性差別が女性の労働力活用を阻害しているだけの話なのだ。そのバカを補おうとして、移民や外国人奴隷(研修生)を検討しているのが現状と言える。
その女性差別の根幹をなしている一つが、女性に対する姓の強制とその根本思想であるイエ制度であることを考えれば、夫婦同姓や家父長制を残したまま、日本はこれ以上の経済成長は望めないと見るべきだ。そして、夫婦同姓を止めることができないのであれば、むしろ苗字そのものを廃止することで、女性をイエから解放して労働力としての活用を図るのが望ましい。
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする