2019年10月22日

相対的に学歴が低下する日本

【日本の中学生の大学院志望率は、たったの3%】
 今年春の4年制大学進学率(18歳人口ベース、浪人込み)は53.7%と報告されている。この世代の半分が大学に行くことの数値的な表現だ。これは世界有数の高さで、日本が教育大国と言われるゆえんでもある。
 大学の上には大学院が置かれる。目的は「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与すること」だ(学校教育法第99条)。研究者だけでなく、高度専門職業人の養成も担うとある。
 能力ある優秀な若者の入学が期待されるが、日本の生徒の大学院進学志望率は低い。中学校2年生の4年制大学進学志望率は56%と高いが、大学院になると3%まで激減する(IEA「TIMSS 2015」)。こういう国は他に類を見ない。<図1>は、大学院進学志望率の国際ランキングだ。
 中東の諸国では、中学生の大学院進学志望率が高く、首位のレバノンでは7割近くにもなる。科学技術教育に力を入れ、潤沢なオイルマネーを(理系の)高等教育につぎ込んでいると聞くが、その表れだろうか。アメリカは46%となっている。学歴主義で、大学院卒の学位の効用がはっきりしている国だ。実践的な職業教育の上でも、大学院は大きな位置を占めている。日本はというと、たったの3%で調査対象国の中では段違いに低い。この年齢では、大学院とは何たるものかを知らないのかもしれない。あるいは、大学院に行ってもベネフィットはない、行き場がなくなることを早くして心得ているのかもしれない。
(10月10日、ニューズウィーク日本版より抜粋)

ケン先生も時々参考にさせて頂いている舞田先生の論考。
日本企業は、一部の技術系を除くと、大学院進学に対していかなる評価も与えず、むしろ「経験が無いのに高年齢相当の賃金を出さねばならない」として忌避する傾向が強い。

これに対して、欧米、特にヨーロッパはジョブ型社会なので、会社や公共団体のある職務につくためには、相応の学歴が求められる。
例えば、日本の自治体は若年者を一括採用して、2〜3年のローテーションで窓口業務から社会保障や公共事業まで何でもやらせる。これに対して、欧州の自治体は社会保障の児童保護担当に空きが出たら募集をかけ、相応の専門学位を持つ人に限定されるため、より良い待遇や出世を望むなら大学院で修士号や博士号が必要となる。ただし、幹部級は最初から入り口が異なる場合もある。
これは教員も同じで、日本の教員は小学校を除けば一応専門はあるものの、高校教員でも修士号を持っているものは5%以下しかおらず、その業務も事務や学生管理、部活指導などの専門外の仕事が半分以上を占めている。欧州では、平均して中等学校の教員の約3割が修士以上の学位を持っているという。つまり、日本の中等教育は、教育の質が相対的に落ちているのだ。

この問題は軍隊についても言えて、米軍では将官級には学位をいくつも持っている者が少なくないし、ロシア軍でもその傾向が強まっているが、日本の自衛隊ではむしろ学位を馬鹿にする傾向が強いと言われ、将官級で博士号を持っている者など皆無に等しいという。
要は鬼畜ムダグチの精神論からあまり進歩していないようなのだ。
例えば、ソ連のジューコフ将軍は自らの回顧録を書き上げるために、レーニン図書館や国防省の書庫などに1年以上籠もって、自らの記憶と複数の資料と照らし合わせているが、日本の旧軍人はどうだろうかという話である。

日本人の中にはいまだに「日本の教育は世界一」などと信じている者が多いようだが、現実には学歴も教員の質も世界水準と比べて大きく低下してしまっているのだ。
これから子どもを中等教育以上にやる場合、学校教員の学歴をチェックし、最終的には子の判断にせよ、大学院まで進めるように設計しておくことをお薦めしたい。そうでなければ、国際労働市場の競争に参加すらできないだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

日本国籍求め台湾人が国を提訴へ

【日本国籍確認求め台湾人3人が国を提訴へ、大阪地裁】
 日本統治下の台湾で生まれ育ちながら、戦後に日本国籍を喪失したとされるのは不当として、台湾人の男性3人が近く、日本政府に日本国籍を有していることの確認を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが3日、関係者への取材で分かった。代理人弁護士によると、日本統治時代の台湾にルーツを持つ人が、現在も日本国籍を持つことの確認を求める訴訟提起は初めてという。
 訴状や関係者などによると、原告は楊馥成(ようふくせい)さん(97)、許華杞(きょかき)さん(85)、林余立(りんよりつ)さん(92)の3人。いずれも日本の領土だった台湾で生まれ、戦中も台湾出身の日本人として過ごした。
 日本政府は、昭和27年4月のサンフランシスコ平和条約発効をもって台湾などの領土権を放棄。また37年12月の最高裁判例は、27年8月の日本と中華民国(台湾)との間の日華平和条約発効により、台湾系日本人は日本籍を喪失した、としている。
 原告側は「何人もほしいままに国籍を奪われない」とした国連の世界人権宣言などに照らし、「本人の同意なしに国籍を剥奪されることはない」と主張。「今も生まれたときと変わらない日本人であり、日本国籍を持ち続けているといわざるを得ない」と訴えている。
 原告側代理人の徳永信一弁護士(大阪弁護士会)は「これまで国は戦後、中国との関係に遠慮して台湾の現実に目をそむけ続けてきた。今回の訴訟は切実な人権問題。日本人のアイデンティティーを持つ人の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ」と話している。
(10月3日、産経新聞)

今まで訴訟がなかったこと自体、不思議な案件。
詳細は「蓮舫氏国籍問題の諸相・補」を参照されたい。

1952年に日華平和条約が発効すると、発効時点で日本国台湾戸籍に入っていたものは自動的に台湾人として扱われ、日本国籍を喪失、内地戸籍にあったものは引き続き「日本人」となされた。この際、現住所や生活基盤の場所などについては、一切の考慮がなされることなく、ただ機械的に本籍地で振り分けがなされた上、台湾人には日本国籍を留保する権利すら与えられなかった。これは、当事者の合意無くして国籍の変更を強要したことを意味し、近代国家の国際慣行(国籍選択権の担保)に反するものだった。

日本国籍を失った台湾人が、日本国籍を取得するためには、他の外国人と同様、帰化申請を行う必要があった。1950年5月に施行された新国籍法は、「日本国籍を失った者」に対して3年以上の居住によって帰化を認めるという要件緩和条項が設けられたものの、旧植民地人はこれに該当しない、というのが政府・法務省の見解だった。

当時、少なくない数の反国民党(反重慶政府)系の台湾人が、「国民党政府に引き渡されるとなると、我々の生命の保証はないから、何とか日本国籍にしてくれ」と日本政府に泣きついたものの、極めて冷淡に拒否されたという。

この問題は根が深く、中国や満州で生まれた者(特に父が非日本人で母が日本人の場合)、樺太や千島のアイヌや朝鮮人など、南洋諸島で生まれたもの、あるいは沖縄人など、非常に多くのケースで問題が発生し、殆どは「お前はもう日本人じゃねぇ」と切り捨てたことに端を発している。

帝国というのは、本質的には多民族を支配・統治するための国家体制であり、原理的には一つの原理の下に多民族が同等の権利をもって参画できることになっている。実態としては、支配民族の優越性があるとしても、原理的には平等でなければ、多民族国家を統治するのは難しい。
大日本帝国の失敗の一つは、「帝国」を自称しながら、他民族に同化政策を強要しつつ、しかし民族間の平等は保障せずに、民族別の戸籍で管理支配しようとしたところにあった。
その結果、台湾では現地人を「日本人」として教育しながら、台湾戸籍をもって本土人と差別した上、敗戦によって台湾が帝国から離れると、一方的に「お前はもう日本人じゃないから」と切り捨てたのが、大日本帝国なる明治帝政だった。

もちろん明治帝政の後継である現政府が、台湾人たちの悲痛な訴えを聞く可能性はゼロに等しい。
しかし、連中が「日本生まれ」台湾人の日本国籍を否定すればするほど、明治帝政の欺瞞性が暴露されるところとなるのである。
どこまでも愚かな連中である。

【追記】
同様の問題として、香港人の国籍問題があり、それが現在の事態を招いている面もあって、そのうち記事にしたいと思っている。
posted by ケン at 12:00| Comment(5) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

世界大会に出場すれば教員免許免除??

【教員養成、見直し意欲=「1年目から教壇」に疑問−萩生田文科相】
萩生田光一文部科学相は25日、時事通信などのインタビューで、教員養成の在り方について「教職課程を取って、社会に出て1年目に教壇に立つのが本当にいいのか」などと述べ、見直しに意欲を示した。
 主なやりとりは次の通り。
 −学校のあるべき姿について見解を。
 就任早々だから大きな制度改革まで言うつもりはないが、教職員は人づくりに携わる大切な仕事。普通の大学と同じように、4年間の教職課程を取って、社会に出て1年目から教壇に立つことが、子どもたちにとっても、教師を目指す人にとっても本当にいいのかと、やや疑問に思ってきた。
 教員が壁に当たったら、それで辞めてしまうのではなく、しっかりと力をつけ直し、教育現場に戻れるような制度をつくっていきたい。
 −アスリートを教員として受け入れるため、文科省として何か検討する考えか。
 2020年東京五輪・パラリンピックのレガシー(遺産)として、例えば国際大会でのスポーツ経験があるような人たちが、大学の教職課程を経ていないとしても、一定の研修をもって、小中学校、高校などで教員として「セカンドキャリア」を目指してもらう仕組みを考えてみたい。
 −臨時国会への対応は。学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題が審議に影響するとの懸念もあるが。
 公立学校教員の勤務時間のガイドラインを法的根拠のある指針とすることや、夏休みなど休日のまとめ取りを促進するための制度改正について、具体的な内容や法案提出時期を現在、検討している。すでに教員の志願者が減っている実態がある。働き方改革には力を入れていく。
 加計学園については、安倍晋三首相から指示を受けたことは全くないし、文科省に働き掛けをしたこともない。再びただされれば、私が分かる範囲のことはきちんと説明したい。
 −大学入学共通テストで導入される英語の民間資格・検定試験の準備状況への評価は。
 今、これだけ不安があり、制度の説明がうまくできていないところはあると思う。混乱を最小限にできるよう、限られた時間で努力して、基本的には実施を前提に準備をしていきたい。 
(9月26日、時事通信)

「教員一年目は教壇に立たせない」とか「世界大会に出場したスポーツ選手は教員免許取得不要」とか「大学受験英語の民間委託は説明不足なだけ」とか、どれも妄言の類いばかり。一々論評する気にもならないが。。。

教員に限らず、どんな仕事も同じだが、現場に立たないことには何をやっても「畳の上の水練」になってしまう面がある。どのような教員であれ、教壇に立って教えることが仕事の中心であり、それ以外はむしろ本業外と言える。
言うなれば、入営一年目の新兵は戦場に出なくてよろしい、というのと同じで、まるで役に立たない話だ。
確かに、一年目の新人が教室担任を持つというのはかなり負担が大きく、これは徐々に慣れていくシステムが欲しいところだが、近年ではその余裕も失われていると聞く。
そして、教員の部活動や学校行事、あるいは事務の負担を減らすことから始めるべきだ。

スポーツ選手の教員試験免除など、全く意味不明で、それでは体育大学の存在意義が失われてしまう。
俗にも「名選手、名監督たり得ず」と言われるくらい、選手としてのパフォーマンスの高さとコーチや監督としての技術は別物であり、そこを混同するなど、ド素人の考え方というか、酒屋でクダを巻く老人レベルの話だ。

英語試験の民間委託など、現地で実情を調べれば、すぐに全く現実的で無いことがすぐにわかるはずだ。

日本の政治家、特に国務大臣は基本的に素人が担うため、およそ専門性に欠けることが多い。
例えば、歴代外務大臣に外交官や外交畑出身の者は殆どいないし、文科大臣にしても近年では小泉内閣の遠山敦子くらいなものだろう。文科族と言われる下山博文は徹底的な利権屋だ。
これは良くも悪くも、アマチュア政治家がプロ官僚を統制するという手法なのだが、現実には平均で1年おきに大臣が交代するため、大臣の質など問われないところとなっている。
官僚のクオリティが高く、経済成長期にはあまり弊害は見られなかったが、ここに来て弊害ばかり露出するようになっている。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

教育の公的支出割合またまた最低

【教育の公的支出割合 日本は最下位 OECD加盟国で】
 教員の給与など、日本の教育費がGDP=国内総生産に占める割合は、OECD=経済協力開発機構の加盟国のなかで最も低い水準にあることがわかりました。この調査はOECDが実施し、2016年の調査結果がこのほど公表されました。それによりますと、小学校から大学に至る教員の給与や教科書代など、国や自治体が負担する教育費がGDPに占める割合は2.9%で、35か国の平均の4%を下回り、最も低くなっていました。
 最も高かったのはノルウェーで6.3%、次いでフィンランドが5.4%、ベルギーが5.3%などとなっています。一方、教育費のうち家庭が負担する割合は加盟国のなかでも高い22%で、特に大学などの高等教育は53%と大きな負担となっています。国は大学の授業料減免などの制度を来年4月から始めますが、対象となる世帯年収が厳格ですべての大学が対象とならないことなどから、専門家からは支援が限られ不十分だという指摘があります。
 OECDのアンドレアス・シュライヒャー 教育・スキル局長は「日本は従来から教育への支出が低いのに、成果もあげており効率的な投資だとはいえる。しかし私費に教育が依存すると経済的に苦しい人が質の高い教育を受けられないおそれがあり、持続可能性に懸念が残る」と指摘しています。
(9月15日、NHK)

この話題も何度も扱っているが、放っておけない。
「天然資源を持たない日本は人への投資を最優先すべき」とは昔から言われてきたことで、明治期や戦後期では相応の成果を上げてきた。
現代では、少子化で若年人口が減っており、平常であれば「同じ予算でより質の高さが追求できる」となるはずだが、現実には「子どもが減っているのだから、予算も減らせるはず」という判断になってしまった。その上、共働き世帯の増加や労働条件の悪化などによって、「子どもを学校に引き留めておく」という「学校の託児所化」も進み、ブラック部活なども深刻化、学校事務員などの減員も相まって、教員の負担は増える一方にある。
ところが、内閣改造によって新任された荻生田新大臣は、
「学校現場が大変だという先入観を持たれてしまっている一面がある。教員になろうと志を持って、教育学部や教職課程で教員免許を取っている学生は大勢いる。教員との出会いが子供たちの人生を変えるくらい大切な、価値ある職業だという魅力を発信していきたい」

と述べており、全く現状を認識していないことがわかる。
1944年でも戦争に勝てると思っていた軍人と同レベルだ。
現実には教員の応募倍率は、東京都の公立小学校で2.4倍(2019年度)まで低下、もはや採用側には殆ど選択肢すらないような状況に陥っている。

特に中等教育の教員の質的低下は深刻と考えられる。
例えば、欧州では中等教育の教員の約3割が修士号を持つようになっているが、日本ではまだ2〜3%でしかないという。この数字は今後ますます開きそうだ。中国でも、中等学校の教員は「修士号があることが望ましい」とされ、競争が激化している。
このことは、国民を育成する教員層の学歴≒クオリティが、国際的に見て相対的に低下していることを意味する。

政府は労働力不足の対応を、外国人労働者や技能実習生(外国人奴隷)によって賄おうとしているが、これは労働力の質的向上によって生産性を高めるのでは無く、安価な労働力の大量投入によって低価格を実現する戦略であることを示している。
この方針で行く以上は、教員の待遇改善や質的向上など図られる理論的根拠は無いわけで、貧困化が進む中、日本の教育の質的劣化も加速していく蓋然性が高いと考えられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月06日

ISに行こうとしたら私戦予備・陰謀罪?

【私戦予備・陰謀容疑5人書類送検】
 2014年に過激派組織「イスラム国」(IS)に参加するためシリアへの渡航準備をしたとして、警視庁公安部は3日、私戦予備・陰謀容疑で、当時北海道大生だった男性(31)ら5人を書類送検した。公安部は起訴を求める厳重処分の意見を付けた。刑法の施行以降、同容疑の適用は初めて。
 他の4人は、イスラム学者の中田考・元同志社大教授(58)やフリージャーナリストの常岡浩介氏(50)、元北大生と渡航しようとした千葉県の男性、渡航を呼び掛ける張り紙をした古書店関係者の男性。
 容疑は14年8月、共謀して元北大生らがISに戦闘員として参加する目的でシリアへの渡航準備をした疑い。
(7月3日、共同通信)

来月時効を迎えるため、「何もせずに終わらせてやらない」みたいな嫌がらせの送検。だから書類送検になっている。

私戦予備・陰謀容疑は、本来であれば、傭兵や民間軍事会社社員にも適用されてしかるべきものだ。
そもそも犯罪の立証が難しく、「外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、武器や資金を準備、陰謀した者」という定義に対し、「ISに参加しようとした」「それを手助けしようとした」という「容疑」を固めるのは無理筋もいいところだろう。

こんなものが立件されるのであれば、私など二度と帰国できなくなるであろう。
法治国家の黄昏というところか。

もともと刑法93条は、征韓論や台湾出兵などの背景がある中で、失業士族が勝手に朝鮮や中国に対して戦闘行為を始めることを戒めるために制定されたもので、だからこそ「自首すれば(減刑ではなく)無罪」となっている。
今日で言えば、勝手に尖閣や北方領土に上陸して、日本の旗を立てたり、戦闘準備を始める連中に対してこそ適用すべきものである。
むしろ「北方領土奪還」を企図して「武力行使」を明言したものこそ、疑わしいのである。
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月29日

教員の労働環境は改善可能である!

【中学教員の仕事時間、日本は48カ国中最長の週56時間 OECD教員調査】
20190620SS00002.jpg
 経済協力開発機構(OECD)は19日、加盟国など世界48カ国・地域の中学校の教員らを対象に、勤務環境などを調べた国際教員指導環境調査(TALIS)の結果を発表した。日本の教員の仕事時間は週56時間で、参加国の中で最も長かった。2013(平成25)年の前回調査と比べても約2時間長く、働き方改革の議論が進む中、改善されていない現状が浮き彫りになった格好だ。
 調査はほぼ5年ごとにOECD加盟国などで行われ、日本は昨年2〜3月、全国196校の校長と教員3605人がアンケートに回答した。小学校が対象の調査もあり、日本は今回初めて参加。ただ、参加した国・地域は一部に限られている。
 調査結果によると、日本の中学教員の仕事時間は週56・0時間(前回53・9時間)で、参加国平均の38・3時間を大幅に上回った。しかし、このうち授業に使う時間は日本が18・0時間で、参加国平均の20・3時間を下回った。
 日本では、部活動などの「課外活動の指導」が週7・5時間(参加国平均1・9時間)、「一般的な事務業務」が週5・6時間(同2・7時間)−など、授業以外の仕事が他の参加国と比べて圧倒的に多く、それが全体の仕事時間を増やしている状況だ。
 小学教員の仕事時間も日本は週54・4時間で、調査した15カ国・地域の中で唯一、50時間を超えた。
 文部科学省では今回の調査が行われる前の平成29年12月、部活動を含む一部業務の外部委託の促進などを盛り込んだ「緊急対策」を示し、働き方改革を促していたが、改善が進まなかった形。文科省の担当者は「深刻に捉えている。学校現場で教員配置の充実といった対策を速やかに行っていきたい」と話している。
(6月19日、産経新聞)

労働問題を丁寧に報じるところは(今となっては)産経の意外な面であり、良い点である。

教員の労働問題は本ブログを始めた当初から指摘していたことであり、永田町に勤務していた時もずっと言い続けたことだが、状況はむしろ悪化してしまっている。まぁ現実に政治に参画して、十数年経てなお、誇るべき成果を殆ど挙げられなかったので、責任を取って辞めたという側面もあるのだが。
教員の労働問題は複雑な問題ではない。過去ログから再掲しよう。
「労働時間における授業等の割合」という点でも、日本は世界的に見て群を抜いて低い水準にある。だいたい小学校で4割弱、高校になると2割強といった具合。つまり、授業(+準備)以外の業務があまりにも多すぎるのだ。その他の業務が増えれば増えるほど授業の質が低下するのは道理だろう。その一つが部活である。
教員の勤務時間に占める部活動の割合は10〜20%に上り、これに学校行事とクレーム対応を合わせると軽く30%を超える。日本における教員の平均勤務時間は週約55時間で、この30%を削除すると38時間になって、OECD諸国平均となる。同時に、勤務時間に占める授業関連の割合は5割超に達するが、これはまだOECD平均の65%には届かない。教員を授業に集中させるためには、まだまだ「ムダ」を排する必要があるのだ。
(中略)
ちなみに、欧州の学校には日本の部活動に類するものはなく、授業が終わると生徒は学校から追い出されて校門を閉じられてしまう。授業を終えた教員は残務整理すると、さっさと「退社」する。日本の学校のように夜遅くまでは職員室に明かりが付いているなど決してあり得ない。休日も無く一日15時間も働かされる日本の教員と、週休二日の上に一日8時間労働がきっちり守られている欧米の教員を比べた場合、どちらのパフォーマンスが高いかという話である。
同様の話は太平洋戦争にも見られた。交替も無いまま、戦死するまで孤島に貼り付けられたままだった日本兵と、定期的にローテーションで後方に送られて豪州などで鋭気を養っていたアメリカ兵では、どちらのパフォーマンスが高いかなど比べるべくもないだろう。日本の「玉砕体質(Stand and die)」は戦後70年を経ても全く変わっていない。
「部活動の全面廃止に向けて」(2016.3.1)

要は部活動と学校行事とクレーム対応や給食費徴収などの雑務から教員を解放してやれば、既存の労働問題は(まだ課題は残るにせよ)ほぼ解決するのである。
しかも、これらはいずれも本来業務ではないのだから、原理的にはどれを廃止するのも文科省通達の一本で済むはずだ。やり方次第では法改正すら必要ない話である。

だが、ケン先生が主張したいのは行政の怠慢よりも労働側の怠慢である。
これも何度も指摘していることだが、日本では、教員組合が本来の業務であるはずの労働問題を軽視し、平和運動などの本来業務以外の活動に注力してきた歴史がある。この点も、何度も関係者と話したが、全く改善されなかった。
政党も同じである。日本の政党はブルジョワ・リベラルから旧式左翼に至るまで、憲法や平和問題ばかり訴えて、労働問題や貧困問題に殆ど無関心であり続けている。

例えば、イギリスやフランスあるいはドイツの教員組合は、毎年管理側と業務分担を細かく精査し、「教員がやるべき仕事」と「そうではない仕事」に分類、教員は後者には一切タッチしない仕組みが作られている。その交渉が不調なときは、学校現場でも普通にストライキが起き、授業が中止になる。しかし、これで保護者がクレームを付けることは稀だという。その結果、授業が終わると、教室はカギで閉められ、校門も閉鎖される。下手すると、教頭級が学校中を見回って、生徒を追い出す始末だ。教員は概ね自分の授業が終われば、サッサと帰宅する。欧州における勤務時間が短いのは、授業準備は自宅で行っているケースが少なくないためだ。

上記の表を見れば分かるとおり、日本の教員の授業時間数は決して多くないのに、勤務時間はその三倍以上に達している。しかも、そこには授業準備の時間は殆ど含まれていないというのだから、日本の教員の労働環境や教育環境がいかに悪質であるか分かるだろう。

教員の労働環境改善に対し、私以上の対案を出している政治関係者を見たことが無いのは、本当に深刻なことである。これも議会制民主主義の限界を示すものなのかもしれない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

法務省、治外法権内規を勝手に削除

【密約が定着、法務省内規を削除 60年に法相指揮を外す】
 駐留米兵らへの裁判権を日本が放棄した密約を検察内に浸透させるため米軍関係者起訴時の法相指揮を定めた1954年の法務省内規の項目が、60年に削除されていたことが12日、分かった。密約の運用が検察内部で定着したのが理由で、日本側は実際、削除後の3年間で関連事件の9割の裁判権放棄に応じていた。公文書開示請求で入手した内規や専門家が見つけた文書で判明した。日米地位協定は、米軍関係者の公務中の事件は裁判権が米側にあると定める一方、公務外は日本の裁判権を認めている。だが、53年に日本政府が重要事件を除き裁判権を行使しないと伝達し、密約が成立した。
(5月12日、共同通信)

「文書は作るな、残すな、渡すな」

は「霞ヶ関三原則」と言われていたが、非常に伝統のあるものだったようで。
こうやって歴史が闇から闇へと消されてゆく。それは陰謀論の巣窟にもなるわけだが、当人たちは今のことしか考えていない。閣議の議事録も同じだ。
ソ連崩壊によって内部資料が公開されたことで、われわれソ連学徒の研究がどれほど進んだか、話せばきりが無い。
しかし、日本ではそうしたことは起こらない。不都合な資料は全て廃棄されているからだ。

この場合、来たるべき「日本崩壊」後に正確に責任を問う手段がなくなるわけで、もちろんヤクニンどももそれを狙っている。だが、パブリック・サーバントたるものはそれでは許されない。権力を行使する者の場合は、グレーはすべからくブラック(有罪)として処理されるべきである。
ところが、日本では大衆のグレーは有罪として処理され、権力者のグレーは不起訴として処理される。
法務省のスタンスは、この日本型システムを体現していると言えよう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする