2015年11月27日

自由主義と決別するとき

【石破氏「共謀罪は必要」】
 石破茂地方創生担当相は20日のTBS番組収録で、パリ同時テロを受けて「共謀罪」創設を含む法整備を求める声が自民党内で上がっていることに関し、「テロは待ってくれない。丁寧で真摯な説明をして議論する。成立は必要なことだ」と訴えた。共謀罪の創設に当たっては「(対象を)重大な罪に限るとか、国民の権利を抑圧してはいけないとか、何重にも縛りをかけないといけない」と指摘した。
(時事通信、11月20日)

右傾化した自民党でも比較的自由主義寄りと思われていた石破氏が、この時期に共謀罪の必要性を訴えたことは大きい。だがこれまでに、共謀罪を含む「組織犯罪処罰法改正案」(犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案)が、内閣から三度提出されて三度とも審議未了で廃案(継続ですら無い)になっていることは、本法案に致命的な問題を抱えていることを示している。

共謀罪については、法務省も「組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪から国民をより良く守ることができるようになります」「国民の一般的な社会生活上の行為が本罪に当たることはあり得ません」(法務省HP)などと説明しているように、あたかもテロリストや暴力団を対象とするもので、一般市民には無縁のような印象を与えようとしているが、大ウソである。実際に内閣が提出した法案では、窃盗罪や詐欺罪を含む600を超える罪状に対して共謀罪に適用を可能としている。もちろん、共謀罪を成立させるためには、電話やメールなどの通信傍受が不可欠となるため、通信傍受法の改正が先行して進められている(現在継続審議中)。つまり、ラインでオレオレ詐欺の検討をしただけで共謀罪が適用できる構成となっており、法務省の説明は「法理上はそうだが、運用で一般市民には適用しない」というだけの話でしかない。

そもそも、犯罪を実行していない段階で、計画あるいは「検討した」というだけで罪に問うことは、当局の捜査権や裁判権を大幅に認め、甚だしく基本的人権を侵害する恐れがある。民主的な国家で市民から信頼されている場合は一部例外的に認められるケースもあるが、日本のように権威主義的で人権が不十分な社会体制の上、政府が市民から信頼されていない国での運用は、まずもって失敗に終わるだろう。

共謀罪の恐ろしさは、ソ連やナチス・ドイツのケースを挙げるまでも無く、日本の戦前に見ることができる。1910年の大逆事件では、明治天皇暗殺計画が発覚し、宮下太吉ら5人によるものであったにもかかわらず、幸徳秋水を始めとする24人が死刑に処せられた。当局は当初から5人の計画であったことを知っていたが、大逆罪を拡大適用した。事実が判明したのは戦後のことだった。なお、幸徳が死刑になったのは、公判で「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器をうばいとった北朝の天子ではないか」と述べたことによるとされている。

1923年の朴烈事件では、関東大震災直後に治安警察法による予防拘束(まだ事件を起こしてもいないし、計画も発覚していない段階での検束)を受けた朴烈が、拷問を受けて、愛人の金子某との「皇太子襲撃計画」について、特高の誘導尋問に同意したと見なされ(自白すらしてない)、大逆罪が適用され、死刑宣告された。後に恩赦で無期懲役になったものの、戦後の1945年10月末(8月15日でも9月3日でも無い)まで刑務所に収容されていた。

1937年12月に起きた人民戦線事件では、当時すでに共産党が非合法化されていた中で、「人民戦線(社共協力)を企てた」カドで日本無産党の議員や労農派学者グループ・活動家が一斉検挙された。その数は446人に及んだが、二審で有罪になったのはわずか3人で、量刑が確定しないまま戦後を迎えて免訴となっている。「共産党の次は労農派」という当局の思惑によってハナから組織解体を目指したものだった。その証拠になったのは、加藤勘十が訪米した際に、亡命中の野坂参三から渡されたコミンテルンのパンフレットだったが、帰国後は自宅で放置されていたという。この野坂は、三・一五事件の共産党一斉検挙で逮捕されたものの、「眼病治療のため」として保釈され、外国に渡っており、合法左翼撲滅のため内務省に協力した疑いが濃厚とされている。

戦時中に起きた横浜事件では、出版社の温泉旅行を共産党再建のための謀議と見なした特高によって治安維持法違反で60人以上を逮捕、拷問で4人が獄中死した。後に起訴されて、ポツダム宣言受諾後に「駆け込み判決」が下されて、30人余が執行猶予付き有罪となった。恐ろしいことに、この公判の記録は、戦争犯罪追及を恐れた政府・裁判所によって焼却処分されている。なお、裁判で検察が証拠として提出した写真は、全く別の機会に撮影されたものだったことが判明している。そもそも、戦時下で共産党再建の謀議を行っている者たちが、記念撮影をするとは考えがたい。

日本の現政府は、基礎骨格を明治帝政から継承し、連合国との戦争に敗れて休戦条約の条件として渋々「民主化」しただけの存在であるため、根源的に自由主義や民主主義を否定し、権威主義に傾く傾向を有している。その政府に共謀罪やら通信傍受やらを許せば、容易に戦前のおぞましい暴力支配を復活させるであろう。権威主義者に際限なき権力を与えることは、「狂人に刃物」であり、その刃先は近い将来、一般市民に向けられること間違いない。
真の民主化を実現しなければならないのは、中東などでは無く、この日本である。
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2015年11月12日

国籍法の改正を!:帰化とは何か

「在日一世・国籍取得一世が主権を有して投票したり、議員になったりするのはおかしい」旨のネトウヨの書き込みを見て、思わず笑ってしまった。まぁレンホー辺りを念頭に置いてのものらしいのだが、「国籍=主権」を否定するとなると、国籍取得後に選挙権等を取得するための条件を設定する必要が生じる。この場合、日本国籍を有する者の中に「選挙権等を有しない者」という「二等国民」をつくる構造になるわけだが、ネトウヨ的には歓迎されることなのだろう。それにしても、彼らはどのような社会や国家像を想定しているのだろうか。

戦前の帝国日本は一つの指標になり得るが、件のネトウヨ氏の主張するものとは少々異なる。例えば、日本本土では1873年に施行された徴兵令が、北海道では1887年まで、沖縄では1897年まで適用されなかった。そのため、徴兵を逃れるために、本籍を北海道や沖縄に「送籍」するものが続出した。夏目漱石は有名なケースの一つだろう(安倍政権が続けば夏目作品は教科書から削除されるかもしれない)。また、1890年に開設された帝国議会についても、北海道に選挙区が設定されたのは1902年、沖縄は1912年のことだった。これは参政権が戸籍とリンクしておらず、選挙法の適用が日本全国に共通するものでなかったことに起因している。つまり、同じ「帝国臣民」でも、アイヌや琉球人であれ、「大和人」であれ、北海道や沖縄に住んでいるというだけで選挙権を行使できなかった。もちろん、帝国憲法下では主権は天皇唯一人に帰属しており、帝国議会は天皇の立法権に対する「協賛機関」という位置づけだったわけだが。

帝国日本は、日清戦争を皮切りに侵略戦争と帝国主義政策を推し進め、台湾や朝鮮半島を筆頭に領土を拡大していった。新たに帝国支配下に置かれた土地に住むものは「帝国臣民」となったはずだが、内地の戸籍制度も選挙制度も適用されず、例えば朝鮮人の場合、内地への渡航を制限され、国籍変更の自由すら与えられないという差別待遇がなされた。台湾では、内地の戸籍に替わる「台湾戸籍」が1933年に施行されたものの、登録されたのは「本島人」のみで、原住民は「蕃社台帳」に記録された。つまり、「内地の戸籍」「植民地戸籍」「無戸籍・原住民登録」といった、三層・四層の差別構造こそが、大日本帝国を支えていた。
ちなみに日露戦争でロシアから割譲を受けた南樺太の場合、外地では唯一戸籍法が適用されたものの、原住民には適用されず、婚姻しても公的には認められず、生まれた子どもは全て私生児の扱いだった。その後、1933年にアイヌには戸籍編製が許されたものの、その他のウィルタやニヴフなどの部族には許さないという差別が横行していた。
こうした差別の存在は、「天皇の下での平等による諸民族の帝国への包摂」という大日本帝国の支配原理を脅かし続けた。大英帝国との違いを指摘しても良いだろう。

もっとも、参政権については興味深い現象も見られた。衆議院議員選挙法は、内地のみに適用されたものの、内地に一定の住所を持つ「日本臣民(男子)」が対象となったため、特に1925年の普通選挙法施行後は、内地に移住した植民地出身者も選挙権を有するところとなった。ただ、「一定の住所」という条件がネックとなり、短期工のような移動性の高い就業がメインだった植民地出身者が実際に選挙権を有するケースは稀だった。例えば、1931年9月末の在日朝鮮人30万人余中、有権者数は3万8913人でしかなかった。とはいえ、選挙権だけでなく被選挙権もあり、朴春琴は東京4区から衆院選に無所属で出馬して2度当選した。地方議会には相当数の朝鮮人がいたという。1945年4月には、選挙法が改正されて外地にも衆議院の定数が割り振られたものの、総選挙が実施されないまま終戦を迎えた。
いずれにせよ、安倍一派を筆頭とする右翼が称賛し、回帰を望む戦前体制下では、彼らが嫌悪する朝鮮人らが選挙権を有して、参政を果たしていたことは疑いようのない事実である。むしろ、彼らが嫌悪し脱却を図っている戦後民主主義体制こそが、在日朝鮮人たちの日本国籍と参政権を奪ったのである。この「ねじれ具合」を一体どのように評価すべきだろうか。

【参考】 『戸籍と国籍の近現代史』 遠藤正敬 明石書店(2013)

さて、ここで歴史を大きく遡ってみよう。京に遷都した桓武帝のことである。桓武帝の母である高野新笠は、和氏(やまとうじ)の出身で、その和氏は百済系渡来人の家系だった。この点について、平成帝は2001年12月18日の記者会見で、
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。

と述べている。これに関連して、桓武帝の従兄である和家麻呂は中納言まで出世している。
さらに、以前の話になるが、百済亡命王家の末裔である敬福は、陸奥守、上総守、常陸守などを歴任、関東開拓の先頭に立つと同時に、東大寺大仏建立のための黄金供出において最大の功労者となった。敬福は一族を率いて称徳天皇の御前で百済舞を披露したこともあるとされる。今もなお関東各地に「コマ」の地名が山ほど見られるのは、関東開拓に渡来人が不可欠だったことの証である。

ここで現代に戻る。現行の国籍法は、外国人による日本国籍の取得を以下のように定めている。
【第4条】 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。

ところが、肝心の「帰化」についていかなる定義付けもなされていない。帰化の語源は『後漢書』にある「(化外の蛮族が)君主の徳に教化・感化されて、その下に服して従うこと」という記述に求められる。ここから派生して、明治帝政に援用されるところとなり、「天皇の徳に目覚めて、忠義を誓う」ことを前提とする「帰化によって(のみ)、日本の国籍を取得できる」という新伝統が確立、二次大戦敗戦後のGHQの検閲を免れて戦後復活したものと考えられる。
興味深いことに、現行の国籍法は、日本人に認知された子どもの国籍取得や国籍喪失者の再取得については「届出による国籍取得」として、「帰化による国籍取得」と明確に区別している。つまり、霞ヶ関の法務省は意識的に「帰化」の概念を駆使しているのだ。
となると、レンホーを始めとする帰化日本人たちは、少なくとも制度上は「天皇の徳に目覚めて、忠義を誓う」という「帰化申請手続き」を経て、法務大臣が「貴公の天皇陛下に対する忠義は揺るぎないものがある」と認めて「許可」を出し、晴れて「日本人」になっていることを意味する。ただ、象徴天皇制であるが故に、アメリカやフランスのような「忠誠宣誓式」が行われていないため、国籍申請者の帰化や忠誠に対する意識を確認する術が存在しないことは否めない。
ここでようやく最初の話に繋がるのだが、「帰化手続き」を経て「日本人」になった者たちに対して、「お前らは帰化日本人一世だから主権付与しない」と言ってしまうことは、「天皇に対する忠誠宣誓」への疑義を意味し、帰化制度の根幹を否定することになってしまうのだ。
まぁネトウヨの言を真に受けるのもバカバカしいとは思うものの、言うべきことは言っておかないと。

そして、こちら側(レパブリカン、ソシアリスト)の立場からは、国籍法の改正を主張する。同法第4条の「帰化によって」を削除し、「以下の条件によって、国籍を取得することができる」とし、同時に「2」を削除、国籍取得上の条件を箇条書きにするというもの。その上で、条件を満たしたものは、「憲法遵守宣誓式」に参加して、日本国憲法に対する忠誠を明らかにすることで、日本国籍を取得するという仕組みである。将来的には「共和国に対する忠誠」としたいところだが、そこは段階を経る必要があるだろう。
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2015年11月10日

夫婦別姓は当たり前・続

【夫婦別姓訴訟で弁論=再婚禁止期間も―年内にも憲法判断へ・最高裁大法廷】
 夫婦別姓を認めず同姓を定めた民法の規定と、女性にだけ離婚後6カ月(約180日)間の再婚禁止を定めた規定について争われた2件の訴訟の上告審で、原告らと被告の国双方の意見を聞く弁論が4日、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)で開かれ、結審した。早ければ年内にも、二つの規定が合憲か違憲かの判断がそれぞれ示される見通し。判決期日は後日指定される。
 夫婦別姓訴訟の原告は東京都と富山市、京都府に住む39〜80歳の男女5人。弁論で原告側は「多くの女性は改姓を強いられたと実感している。規定は憲法13条に由来する氏(姓)の変更を強制されない自由を侵害し、婚姻の自由を保障する憲法24条にも反する」と主張。国側は「憲法を根拠に、国民に選択的夫婦別姓制度の創設を求める権利が保障されているとは言えない」と反論した。
 再婚禁止期間訴訟の原告は、岡山県総社市の30代女性。2008年3月に前夫と離婚し、同年10月に現在の夫と再婚した。法の下の平等を定めた憲法14条などに違反する規定のために再婚が遅れ、精神的損害を受けたと訴えている。弁論で原告側は「規定は性別による差別で、必要以上の制約を女性に課している。再婚禁止期間を設ける必要性自体が存在しない」と主張。国側は「父親推定の重複を回避し、争いを未然に防ぐという立法趣旨は合理性がある。6カ月間とされたのは、前夫の子の妊娠を知らずに再婚するのを防ぐためだ」と反論した。
(時事通信、11月4日)

「世界一の人権大国」を自称する日本が、選択的夫婦別姓すら導入できず、女性に夫の姓を強要する制度を放置しているというのは、客観的に見ると笑い話かアネクドートにしかならない。だが、政府も自民党も本気で「夫婦同姓が当然」と考えている辺り、やはり明治帝政に対する郷愁が強いのだろう。
これも過去ログで何度も触れていることだが、改めて保守派の主張に反論しておきたい。

「夫婦同姓は日本の伝統」:日本で夫婦同姓が制度化されたのは、明治31年の民法改正が起源。それまでは夫婦別姓が基本で、同姓を選択できただけだった。明治以前は夫婦別姓が基本で、武家に嫁いだ女性も姓は実家のものを名乗っていた。つまり、夫婦同姓の「伝統」はわずか100年のものでしかない。「同姓は日本の伝統」などというのは、「鎖国は日本の古法」と叫んでいた幕末のテロリストどもと同レベルの無教養だと言える。ちなみに源頼朝と結婚したのは「北条」政子であり、足利尊氏の母は「上杉」清子、同妻は「赤橋(北条)」登子、足利義政に嫁いだのは「日野」富子であることを思い出してもらいたい。皇室でも同様で、桓武帝の母は「高野」新笠、後醍醐帝の母は「五辻」忠子である。幕末の例で言えば、徳川慶喜の妻は「一条」美賀子だった。そもそも、明治9年に苗字使用を義務化するに際して、太政官法制局が夫婦別姓を採用したのは、「妻は夫の身分に従うとしても、姓氏と身分は異なる」「皇后藤原氏であるのに皇后を王氏とするのはおかしい」「歴史の沿革を無視」という理由からだった。さらに、明治31年の民法改正に際して、司法省がドイツ式の夫婦同姓案を提示したところ、当時の保守派から「日本古来の家父長制に反する」と大反発を受け、戸籍に絡めて「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」とすることで折り合いを付ける始末だった。

「家族の一体性が失われる」:夫婦同姓が強制されている国は、いまやインドとトルコを残すのみとなっているが、そのトルコすらも制度改正されて、混合姓(ミドルネーム)の選択が可能になっている。インドの場合は慣習であって、法律で夫婦同姓が規定されているわけではないという。タイでは2005年に選択的夫婦別姓が導入された。フィリピンでは、混合姓が採用されていたが、2010年に法改正されて選択的夫婦別姓が導入された。右翼の論理が正しいとすれば、日本とインドがその他の国々に比して家族の一体感が強固であることが証明されなければならない。が、そんな分析は存在しない。あるいは、近年別姓が選択できるようになったタイやフィリピンで、以前に比して家族崩壊が進んだという事実も確認できない。むしろ日本における家族共同体は同姓制度にもかかわらず、弱体化の一途を辿っている。つまり、姓名の問題でないことは明らかだ。

夫婦同姓を導入しない国の主張は、「婚姻後に姓が変わると出自が分からなくなる」というものが大多数であり、家族共同体と出自は不可分のものという考え方である。これは非常に良く分かる。というのも、ケン先生の家の場合、祖母2人が養女となったため、祖父2家と祖母2人の実家と養家の計6家の系統があり、父が父方祖母の姓を引き継いだため、私も同じ姓を名乗っているものの、それは全く血統を表していないのだ。また、母方の叔母は、母方祖母の養家の姓を引き継いだため、母方家族と同居していたわが家の門は3つの姓が並んでいた。つまり、母方祖父の姓、母方祖母の養家の姓、そしてわが父方祖母の養家の姓である。これでは、誰がどこの出自なのか、よほどきちんと記録を残しておかないと分からない。要は、「姓の統一」と「家族共同体の護持」は何の関係も無い。

日本のように養子縁組が頻繁に行われる社会の場合、姓は血統を保証するものではなく、家業や家職の継承に力点が置かれている。小説やテレビの時代劇を見れば一目瞭然だが、家騒動の多くは「家業ないし家職の継承をどうするか」が原因となり、「誰に継がせるか」で争議が起きている。つまり、「血統の護持」よりも「暖簾の存続」や「何々組某家何十石の継承」こそが重要なのだ。むしろ明治後半から昭和にかけて日本社会を拘束したイエ制度の窮屈さと不自然さは、夫婦同姓という新制度が日本人に馴染まなかったことの現れと見るべきなのだ。

そもそも、我々が導入を主張しているのは姓選択制なのだから、同姓にしたい人は同姓にすれば良いのだから問題ないではないか。姓名の強制は人権侵害ではないのか。近代原理に反しないのか?むしろ夫婦別姓こそが日本古来の伝統である。
「姓の強制は個人の尊厳に反しない」と主張する「人権大国」など、まさに僭称でしかない。
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2015年11月06日

大学からパンピーが消える日

【財務省の運営費削減方針に懸念=国立大協会が声明】
 財務省が国立大学の財政的自立を促すとして、自己収入を年1.6%ずつ増加させ、国からの運営費交付金は年1%ずつ減らすという方針を打ち出したことに対し、国立大学協会(会長・里見進東北大総長)は27日、「国立大の現状にあまりにも配慮を欠いており、大学の役割を果たせなくなる」と懸念する声明を出した。声明は2004年の法人化後、運営費交付金が1470億円減らされていることなどに触れ、自己収入を増やすために授業料を引き上げれば経済格差に伴う教育格差を生むと強調。各大学も改革に取り組んでいるが、達成には基盤的経費である運営費交付金の確保も不可欠だと訴えた。 
(時事通信、10月27日)

NK党を始めとする旧式左翼は「学費40万円値上げ!」などと大騒ぎしているが、これは、「毎年の運営交付金減額分を全て学費値上げに充てた場合、16年後には現在より40万円高くなる」というものであって、来年から40万円上がるという話ではない。明らかなミスリードないしプロパガンダであり、こんな主張をする連中と政権を共にすべきではない。

とはいえ、日本の高等教育が危機に瀕していることは間違いない。国立大学では、2004年以降、人件費を大幅に削減しており、常勤講師や事務職員の多くを非常勤・非正規にするとともに、教員の事務負担を増やすことで事務方の人件費の削減に努めてきた。人件費のコストカットはすでに限界に達しており、自己収入を増やさない限り、これ以上の交付金の減額分は授業料に転嫁する他ないだろう。こ
だが、自己収入を増やせる可能性があるのは、高度な理系大学と都心部に土地を有する大学のみで、地方の大学や文系しか無い大学は資金調達の望みが殆ど無い。現状のままであれば、確かに「16年後に学費100万円」という線は十分にある。

学生側視点からすれば、すでに現状の文系大学で50万円を超えており、私が学生だった頃に比べて20万円も上がっている。他方、親などからの生活費の仕送りは2000年時に12万円近くあったものが、今では9万円台にまで落ちており、学生の負担は上昇する一途にある。その結果、すでに学生の約半数が奨学金(学費ローン)を借りており、卒業時の返済額は200〜300万円に上るという。これが若年層の結婚や出産を遅らせる原因になっていることは間違いない。
貯蓄ゼロ世帯の割合を見た場合、2000年には12.4%だったものが、2014年には38.9%へと3倍以上に増えている。大学生の半数が、数百万円の借金を抱えて就職していることを考えれば、当然の話であり、この割合は今後さらに増えてゆくものと見られる。

このような現状の中で、文科省は「大学の世界ランキングを上げろ」「学生の学力水準を何とかしろ」と叫び続けているわけだが、実際の政策はその主張に逆行するものでしかない。大学教育のクオリティを上げようとするなら、教員と学生が勉学・研究に専念できる体制をつくることこそが必須なはずだが、文科省の政策は教員に金集めと事務を押しつけ、学生にアルバイトと借金を強要するものでしかない。国立大学が人件費の抑制を進めた結果、教育と研究の水準が低下していることは、文科省の政策が「生き延びたければ自分の足を喰え」というものであったことを示している。
こうした文科省のスタンスは、『ヒトラー最期の十二日間』で「シュタイナー戦闘団はまだ来ないのか?!」とヒステリーを起こす総統を彷彿とさせる。

ま、「終わってる」ということだ。自民党を支持してきたツケを自分たちで支払うだけの話なのだが。ただ、当の学生からすれば、「俺が支持したわけじゃねぇ!」と言いたくもなるだろう。
posted by ケン at 12:34| Comment(3) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

いじめ撲滅運動なるムダ

安倍内閣が成立して以降、体罰を推進してきた連中が文科省の大臣や政務官に就くようになっている。(学校教育法で禁止されている)体罰を容認する口で、そのまま「いじめ撲滅」を言うのは、国家テロを容認する論理と同軸線上にある。だが、自民党政権にできる「いじめ撲滅」など、せいぜいのところ「道徳教育の強化」や「カウンセラーの増員」程度のことであり、成果が上がることは無いだろう。
この問題についてはすでに述べているが、今回は制度派経済学・行動経済学の視点から「学校がいじめに対応できないワケ」を説明したい。

【参考】

道徳でいじめ解消という愚 
世界はこうしていじめと闘う 

日本の教育現場では、いじめは「あってはならない悪」として認識されている。これは、電気事業者における原発事故や軍隊におけるいじめと同じで、まず「あってはならない不祥事」という設定が、組織内の隠蔽を加速させる構図になっている。これは組織人の立場に立って考えてみれば、「不祥事が発生したことでマイナス評価を受けるくらいならば、隠蔽する方が良い」と判断するのが組織人として「合理的判断」となる。それが部署単位で行われた場合、同調バイアスや現状維持バイアスがますます強くなる。東芝やフォルクスワーゲンの場合、これが社全体で行われた格好だ。

現状維持バイアスは、不祥事隠蔽の基本要素なので、まずここから説明しよう。現状維持バイアスは、「今のままで問題ないんだから、今のままで良いだろう」という心理傾向を指す。
労働がキツくて給料も安いのに、転職する気力が起きないのは、失職するリスクと転職に掛かるコストが、現在抱えている不満を上回っているからだ。特に日本の場合、失業保険の給付が失業者の2割に対してしか行われておらず、中途雇用市場が非常に未熟であるため、リスクとコストが肥大化、労働市場が硬直化しているという問題がある。より身近な話をするならば、ランチに何を食べるかで悩んだ時に同じ物を食べる確率が高いのは、新しいランチを開拓するコストと、「当たり」を引く確率を比較して、「いつもの」を無難と考えてしまうからに他ならない。

これは教員の立場に立って考えて欲しい。教員としてイジメを内包する学級を担当したとして、イジメと対峙して問題解決に掛かるコストと、イジメを解決した際に得られる便益を天秤に掛けた場合、前者の方が巨大であることは明らかすぎる話であり、現状で目に見える問題が発生しているので無ければ、自分が担任している間は「問題が表面化しないように動く」のが、組織人として「合理的」な判断となる。
かつての教員は、地域社会で大きな権威を有しており、イジメ発生の抑止力となると同時に、問題解決に掛かるコストも小さくしていた。教員に苦情を言う親がいなければ、結果はどうあれ、問題解決に掛かる交渉コストが小さいのは確かだろう。ところが、教員の権威が地に堕ちた結果、生徒は教員に服従せず、保護者はモンスター化したため、問題解決に投入するコストが肥大化してしまった。それに対して、学校組織では「イジメが無いのは当たり前」という認識であるため、仮にイジメを解決したところで「正常化された」で終わってしまい、教員の評価や権威向上に殆ど寄与しない。つまり、教員個人にとって、イジメを解決するためのインセンティブは殆ど無いのが現状なのだ。

そして、もう一つの同調バイアス。これは、組織内では取りあえず多数派に同調するのが無難とする心理傾向を指す。実際にイジメを行う子どもは数人でしかないのに、被害者以外の全員が加害者側に荷担、ないしは見て見ぬフリをするのは、この同調バイアスで説明される。実は、これは教員にとっても同じで、教員の権威が極限まで低下した結果、教員一人では加害生徒と対峙することが難しくなっており、学級内秩序を維持するために教員が加害者と手を組むケースが増加している。また、学校組織内でも「イジメは存在してはならない悪」という認識が共有されているため、教員としては「自分のクラスでイジメが発生している」と宣言するコストが肥大化してしまっている。
日本では家庭でも学校でも、「自らの頭で考えて、自らの意見を言う」ことを「良くない」こととして教えてきた伝統(但し江戸期以降)があり、この同調バイアスは世界でも群を抜いて強いとされている。

福島原発事故も基本的には同じ構造で、「巨大津波が起こる可能性」は認知していても、東電内では「原発事故は起きない」という認識で統一されていたため、「津波のリスクを指摘して、巨大組織を動かして、上司と敵対する」コストと、「(低いと思われるが)原発事故が起きるリスクを手当てする」便益を考慮した場合、組織人としては「見なかったことにして自分が担当の間は津波が起きなければOK」と考えるのが「合理的」だった。
二次大戦において、少なくない数の軍人が「対米開戦は無謀」「インパールとかあり得ない」などと考えていたにもかかわらず、数人の例外を除いて誰も口に出来なかったのも、現状維持バイアスと同調バイアスから説明できる。
組織人としての教員個人からすれば、「イジメ解決とかバカがすること」「一年間耐えられればOKなんだから」と考えるのが、「合理的」なのだ。

イジメは、閉鎖的空間に多数の人間を入れて長期間拘束した結果、秩序維持のために自然発生するものであり、いかなる組織でも起こりうる問題なのだ。本気でイジメを減少させたいのであれば、まず「不祥事」「悪」とする認識を止め、「いつでもどこでも起こりうる問題」と改める必要がある。その上で、学級制度を廃止して、単位制に移行、授業が終わったら速やかに下校を強制するのが望ましい。学級制度を廃止できない場合は、クラス単位をよほど小さくする必要がある。学級単位を小さくすればするほど、多数派の形成が困難になり、教員の権威が相対的に高まるためだ。そして、生徒に対しては「イジメは暴行障害あるいは脅迫罪に該当する犯罪行為」であることを教えると同時に、犯罪に遭遇した場合の法的対処(証拠を取って告発する)を叩き込むのが良い。
また、イジメに対しては第一撃に際して断固たる態度を取った場合、それ以上続けられないケースが多いというデータもあり、「自分の意思をきちんと表明できる」人を育てるという視点も必要だ。だが、デモに参加しただけでバッシングを受ける日本の現状では、理想論に近いのかもしれない。
いずれにせよ、「いじめをなくすために道徳教育を強化する」と言う自民党が学校教育を悪化させることはあっても改善させることはあり得ない。
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2015年05月27日

戦時体制で焼け太りする警察権力

【<刑事司法改革>「取り調べ可視化」「司法取引」審議入り】
 警察や検察による取り調べの録音録画(可視化)義務付けなどを柱とした刑事司法改革の関連法案は、19日の衆院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、審議入りした。組織犯罪を中心に取り調べで十分な供述を得にくくなっている現状をふまえ、法案には、日本版の司法取引の導入や通信傍受の対象犯罪拡大といった捜査手法を強化する内容も盛り込まれており、一括して審議される。
 可視化義務付けの対象は、裁判員裁判対象事件と検察独自捜査事件で逮捕・勾留された容疑者の取り調べの全過程。重大事件や特捜部が捜査する事件が含まれるものの、件数は年間10万〜11万件程度ある逮捕・勾留事件の3〜4%にとどまり、冤罪(えんざい)が多いとされる痴漢事件や、鹿児島県議選を巡る「志布志事件」のような警察が手がけた公職選挙法違反事件は入っていない。警察や検察は既に試行的に可視化を実施し、対象範囲も徐々に拡大しているが、審議では対象事件の範囲が焦点の一つになりそうだ。
 司法取引は、容疑者や被告が他人の犯罪事実を明らかにする見返りに、検察官が起訴を見送ったり、求刑を軽くしたりできる制度。末端の売人を捕まえても主犯格にたどりつくのが難しい薬物事件や、全体像が見えにくい汚職や談合といった事件での活用が想定される。証人に対し、刑事責任を追及しないとの条件で不利なことを証言させる「刑事免責制度」も法案化された。
 犯罪捜査で電話などの傍受を認める通信傍受は、対象犯罪を現在の薬物、銃器犯罪など4類型に、振り込め詐欺や外国人窃盗などの捜査を念頭に、組織性が疑われる詐欺や窃盗など9類型を加える。他に、検察官が証拠の一覧表を開示する制度や、国選弁護制度の対象拡大も盛り込まれた。
(毎日新聞、5月19日)

戦前の資料を読み込んでゆくと、国内政治(民意)が侵略戦争支持に大きく傾いたのが1931年の満州事変であり、戦時体制を確立させたのが1937年の日華事変勃発だったと見ることができる。特に1937年が大きな転機だった。それまでは、一定の条件下で活動を認められていた合法社会主義者が一網打尽にされ(人民戦線事件)、労働組合なども戦争支援に舵を切り、社会科教科書が国家主義と軍国主義に染められ、言論や出版は当局の統制下に置かれることが前提となった。
21世紀の日本は、いまだ参戦したわけでもないのに1937年の戦時体制と酷似した国内環境になりつつある。一連の安保法制が閣議決定された日、官邸前に集まった200人程度の抗議者に対して、1千人以上の機動隊員と警官が動員され、国会裏と官邸脇の道路は機動隊トラックで埋め尽くされ、公安関係者が集会参加者の顔写真やビデオを延々と撮り続けていたが、要は「その場では逮捕しない(後日必要な法律を作って遡及逮捕してやる)」という国家意思を見せつけていたのだ。

今回の司法改革に対する私のスタンスはすでに述べてあるので、ここでは一部再掲するに止める。
今回の改革で導入されるのは、「司法取引」と「通信傍受の対象拡大・手続き簡素化」であり、その対価として「取調べの一部可視化」が義務づけられるわけだが、可視化されるのは裁判員裁判と検察独自捜査の事件に限られており、刑事事件全体の3%以下でしか無い。つまり、警察と検察の権限と裁量が恐ろしく拡大される一方で、被疑者の人権が担保される部分はごくわずかに留まる。
以前の記事でも指摘したが、確かに「オレオレ詐欺」に象徴される、通信技術の進歩に伴う犯罪、組織犯罪の複雑化によって捜査手法の転換が必要になっていることは私も否定しない。司法取引や通信傍受の拡大を全面的に否定するものではないが、それには条件がある。

日本の場合、三権分立が非常に未成熟で、特に司法の独立性が全く担保されておらず、ほぼ完全に行政の従属下(本人たちからすれば一体化)にある。米欧では行政たる捜査当局から捜査令状や逮捕令状の請求がなされた時に、裁判所はそれが適正かどうか厳しいチェックを入れ、「不適当、不要」あるいは「違法、違憲」と判断された場合は却下するケースが少なくない。ところが、日本の裁判所は当局からの令状請求をほぼ100%受諾(却下率は0.04%〜0.18%)するため、本来裁判所に求められる人権の保護や捜査当局の行き過ぎに対するチェックといった機能が全く果たされない。そのため、通信傍受の対象拡大は警察に「市民監視の自由」を付与するような結果を招く恐れが極めて強い。

それ故に、取調べ可視化の全事件に対する適用、通信傍受の適正チェックの強化、被疑者と弁護人の自由接見の担保、保釈率の向上などが不可欠であり、現状の人権保証が極めて不十分な中で通信傍受の対象だけを拡大、傍受に際して事業者の同席を必要とする現行ルールを緩和するという方針には絶対に同意できない。

聞くところでは、すでに警視庁(公安警察の要)はメール傍受装置を導入し、態勢を整えつつあるという。メール盗聴の場合、法律には裁判所が許可したメールアドレスのものだけが傍受可能ということになっているが、私が聞いているところでは、特定のメールアドレスのみを傍受することは技術的に不可能で、使用されているサーバーにある全メールを傍受した上で、令状に書かれたアドレスのものを警察官が読むというのが現実の捜査プロセスになるらしい。
言い換えれば、警察が目標にした容疑者が交わすメールのみを傍受するのではなく、日本全国で使用されているサーバーにあるメールを取りあえず一旦全て吸い上げて、その中から警察官が「必要なメールだけ」読むという仕組みである。
要は、「警察官なんだから裁判所が許可していない他人のメールを読むワケが無い」という性善説に基づいているのだが、これがどれだけ非現実的であるかは、戦前の特高警察から現在に至る山ほどある冤罪事件によって証明できよう。
しかも、今回の法改正によって、従来傍受に際しては通信事業者の「同席」が必要だったものが、「同意」で済まされることになるため、警察側は「盗聴し放題」となる。
実際のところ、警察が全てのメールを読むことは不可能だが、必要な語彙を検索かければ済む話で、近い将来メールやSMSにおける「反政府的な言動」や「反戦的な言動」をもって逮捕される日がやってきそうだ。

なお、日本国憲法第21条は「通信の秘密」を保証しているが、現政府は同13条にある、
国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

をもって「犯罪捜査という公共の福祉の要請に基づ」いているから憲法に違反しないという解釈を採っている。実は現行憲法は、自衛隊や自衛権だけでなく、すでに多岐にわたって骨抜きにされつつある。
しかも、自民党が提起している憲法改正案では、現行の「公共の福祉」が削除されて「公益及び公の秩序」に取って代わられている。これが実現すれば、「内閣打倒」や「戦争反対」あるいは「原発反対」などの主張は、「公の秩序を乱すもの」として憲法によって処断することが合法化されることになるだろう。

かつて戦争が終わった後、わが伯父上とともに、日独伊三国同盟や日米開戦に反対した上司は、「僕たちの抵抗は、ナイアガラ瀑布の一町手前で、ボートを漕いでいた行為だったかもしれない」と回顧しておられたが、私も今まさに同じような気分を味わっている。
posted by ケン at 12:34| Comment(4) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月14日

教育から自由主義が追放される日

【教科書検定 3学会の会長が基準の見直し求める】
 先月公表された、新しい基準による中学校の教科書の検定で、「政府の統一的な見解に基づいた記述がない」などの意見で一部の記述が修正されたことについて、教育学など3つの学会の会長が声明を発表し、「教科書がそのときどきの政府の見解に左右されてはならない」として、検定基準の見直しを求めました。
先月、結果が公表された中学校の教科書の検定では、去年改定された新しい検定基準が初めて適用され、「政府の統一的な見解に基づいた記述がされていない」などの意見がついた合わせて5点の教科書の6か所の記述が修正されました。
 これについて、大学の研究者などで作る日本教育学会と日本倫理学会、それに日本哲学会の3つの学会の会長が声明を発表し、文部科学省に提出しました。声明では、「教科書は児童や生徒がみずから考え判断する知性を育む教材であり、政府見解を浸透させる媒体ではない。そのときどきの政府の見解に左右されるようなことがあってはならない」などとして、検定基準の見直しを求めています。
日本教育学会会長で、共栄大学の藤田英典教授は「教科書に載せる内容は学術的に判断されるべきだ。今後検定が行われる高校の教科書で不当な介入が行われないか注視していきたい」と話していました。一方、文部科学省は「検定にはさまざまな意見が寄せられており、その1つと受け止めている」と話しています。
(NHKニュース、5月11日)

昨年、政府は教科書検定の新基準を策定している。対象となったのは、小中学校の社会科、高校の地理歴史と公民の検定基準で、

@ 未確定な時事的事象について特定の事柄を強調しすぎない。
A 近現代史で通説的な見解がない場合はそのことを明示し、児童生徒が誤解しないようにする。
B 政府の統一的な見解や最高裁の判例がある場合、それらに基づいた記述とする。


といった点が新たに加えられた。これによって、特に現代史の部分で、南京事件を始めとする日華事変の関連事件、慰安婦問題、沖縄戦をめぐる諸事件などの記述が新たに精査されると考えられている。つまり、現在の安倍政権が主導する歴史修正主義を教科書に具現化するための措置と言える。

これの恐ろしいところは、時の政権の歴史見解を教科書に反映するよう、出版社に強要する点にある。具体的に言うなら、現在のように自民党が政権に就けば、南京虐殺や従軍慰安婦、あるいは沖縄戦における住民虐待などが否定されて教科書から記述が消え、仮にNK党が政権に就けば、戦前期におけるNK党の役割が強調されたり、スターリンや毛沢東による大粛清に関する記述が消されたりする可能性がある。
また、領土問題を見た場合、北方領土で言うなら、自民党は「四島(一括)返還」、NK党は「占守島までの全千島返還」を主張しており、これが政府見解に反映されれば、教科書で使用される地図の色を政権交代ごとに塗り替える必要が出てくるだろう。もっとも、北方領土については、以前の基準でもすでに四島が「日本色」に塗られているものの、「国後と択捉島は千島列島では無く、北海道の一部である」という日本政府の主張は、世界的に見てかなり特殊なものであることは確かだ。

戦前の日本は国定教科書が採用されており、満州事変前後から急速にナショナリズムと愛国心が強調され、さらに排他主義や軍国主義が助長されるようになり、全体主義の推進役を果たした。その反省から、戦後日本は国定教科書を廃し、検定に基づく自由採択制を導入したが、検定はあくまでも教科書に記載された学習内容が基準を満たしているかを審査するものであって、政治的判断を介在させるためのものではなかった。
また、大日本帝国にしても最初から国定教科書だったわけではなかった。明治維新当初は、自由採択制や許可制だったが、自由民権運動の高まりに対して維新政府が民権思想の普及を恐れて検定制を導入したところ、今度は出版社と学校教員との癒着腐敗が深刻化したため、国定教科書になったという経緯がある。
その戦前の公民教科書を見ても、特にいわゆる大正デモクラシー期(1920年代)の頃のものを読むと、同じ帝国期の教科書とは思えないほどリベラルな内容に驚かされる。例えば、その時期に中等教育を学んだ大伯父は、東大で河合栄治郎ゼミに入り、フェビアン協会流の社会政策を専攻した。時期的にはやや遅れるが、祖父も早稲田大学で近代経済学を学び(個人的には結構マルクスも読んだらしい)、戦時中は市電でドイツ語の本を読んでしょっ引かれ、戦後は社会党の支持者という大正リベラリストを貫いた。
しかし1937年、日華事変勃発に際して公民教科書は大幅に内容が転換され、「公民教育」から「皇民教育」に変わり、国家や地域を構成する一員ではなく、天皇と国家に忠義を尽くすものを育成する装置と化してしまったのである。

話を戻そう。教科書検定はあくまでも学習内容の基準のみを審査すべきであり、そこに政治的価値判断を持ち込むのは最小限度に止めねば、殆ど国定教科書と変わらなくなってしまう。そもそも行政による検定制度があり、それが通らないと教科書として流通させられない以上、交渉のパワーバランスは圧倒的に行政側に有利なのだから、その権力行使は最小限度にする必要がある。また、検定の強化は教科書採択の自由度を狭める意味で、地域・学校における自由採用制の意義を失わしめるものとなる。
戦前の公民教科書がリベラリズムを排してミリタリズムとナショナリズムに突き進んだ結果、日本はそれから10年と保たずに国土を灰燼に帰した。安倍一派は「戦後レジームからの脱却」として社会科教科書の国家主義化を目論んでいるようだが、あの連中は全く歴史に学ぶつもりが無いのだろう。
posted by ケン at 12:56| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする