2012年05月14日

フランスの先進性?

フランスの大統領選は、我らが(わが社ではない)友党の候補者であるオランド氏が当選。ミッテラン以来2人目の社会党の大統領となった。
それはもちろん喜ばしいことだが、個人的に羨ましい点は他にある。
プライベートにおける自由、あるいは政治からの独立である。

前大統領のサルコジ氏は任期中に離婚して、元モデルの歌手と結婚。
今度の大統領は事実婚で、しかも前のパートナーは前回大統領選の候補者という凄さ!

日本ならば、3分の1が離婚する現代にあってなお、政治家の離婚がスキャンダラスに取り上げられ、致命的打撃になる。
まぁわがボスは離婚して再婚しているくらいだから、かろうじて再婚くらいは認められつつあるのかもしれないが、しかし現職の離婚はどうなるか、秘書としてはあまり想定したくない。
まして、事実婚はミニ政党の議員にはいるが、無視されているようなもの。現職の国会議員で事実婚や同棲はやはりスキャンダルにしかならないだろう。
私などの場合、元モデルのロシア人と事実婚なのだから、話にもならない(笑)

フランスの凄いところは、すでに20年前にミッテランに隠し子が見つかり、インタビューで聞かれ、「で、それが何か?」と堂々と言い返し、報道こそされたものの、スキャンダルになることなく、支持を失うこともなかった点だ。
個人の生活やプライベートな人間関係と、政治能力や社会的地位を分けて考える発想は、成熟した社会文化にしか存在し得ない。
フランスやフランス人にあまり良い思い出のない私も、こうしたリベラルな社会と共和制だけはやっぱ憧れマス。
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2012年01月27日

オレオレ詐欺に見る日本のジェンダー構造

「夫婦同姓は日本の伝統」などという話を聞かされる。
源頼朝の妻は北条政子、足利尊氏の母は上杉清子、その妻は北条(赤橋)登子、足利義政の妻は日野富子。夫婦別姓こそ日本の古式だった。
なお、平清盛の妻は時子だが、それは同じ平氏一門である平時信の娘で、同姓婚による。
仕事絡みなので一々反論はしないが、勘違いした年寄りほど醜いものはない。
同姓論者の圧倒的多数が男性であるのは、男性のイエに妻を従属させようという意識が強いからだろう。妻の名字が違うと、そこに独立性が感じられてしまうのが恐いのである。

鎌倉期に後深草院の女房が記した日記である『とはずがたり』には、主人公である二条が出家して諸国を旅した際、備後の山間にある地頭代の家に逗留した時のことが書かれている。
乞われるがままに書や画をかいていた彼女が、近隣に兄がいたことを思い出して、そこに移ったところ、出て行かれた地頭代が怒り心頭に発し、「長年使ってやった下女が逃げ出して、やっとのことで捕まえて引き戻したのに、兄と称するヤツが奪っていった。今度こそは打ち殺してくれる」と兵を集めた。幸いにして彼女は、たまたまやってきた旧知の地頭である広沢入道に救われて難を逃れた、という話である。
『とはずがたり』の凄まじいところは、最初に女房として仕えた後深草院に14歳で強姦されてから、次から次へと5人の貴族によって慰み者にされた挙げ句、アッサリ捨てられて追い出され、出家した点にある。
『源氏物語』を「任侠やくざ映画」とすれば、『とはずがたり』は「実録ヤクザ映画」くらいの違いがある。前者は創作で、後者は日記なだけに尚更だ(もっとも年代にして300年の違いもある)。
日本男性のジェンダー意識の根源を知るには最適の教材と言える。

団塊世代から上の女性に対する差別意識は、まだまだ非常に根強いものがある。
特に地方へ行くと、濃厚かつ直接的に現れる。
ボスの選挙区などに行くと、いまだに「女が政治の話に口を出すな」とか「お前は洗い物をしてろ」などという話がごくフツーに聞かれる。
鹿児島出身の中高の恩師は「僕が子どもの頃は、母や妹は土間で(男とは)別に食事してましたね」と回想しておられた。
もっとも、そういう環境だからこそ、一方で遣り手の女性は非常に「女傑」っぽくて凄いのだが。

こうしたジェンダー意識の表れの最たるものがオレオレ詐欺と言える。
2008年版国民生活白書によれば、2008年1〜10月の被害状況を見た場合、オレオレ詐欺は被害者の72%が女性であり、最も被害の割合が高い60歳代の女性が全体の30%、次いで70歳代以上の女性が29%となっている。

問題は犯行者の方で、その全員が男性なのだ。女性の振り込め詐欺というのは存在しないらしい。
これは「息子」が老母や老父に電話して、「金が必要だ」と言えば、躊躇なく出してくれるのに対して、「娘」が電話しても金を出してくれないことを示している。
それがたとえ何年、何十年と連絡して無くても、息子は大切な存在で保護すべき対象だが、イエから出て行ってしまった娘はすでに他人で、保護すべき対象ではないという認識なのだ。
言い換えれば、息子は死ぬまでイエの大事な一員であり続けるが、娘はハナからイエにとってどうでもいい存在だということになる。少なくとも、彼らの潜在意識はそう物語っている。

深刻なのは、高齢の母親が自ら進んで騙されまくっている点だ。
「息子」と聞いて慌てふためいて大金を振り込んでしまう母親の割合は、父親の2.5倍以上に上る。
寿命や生活環境が様々なので単純な比較には慎重になるべきだが、それでも騙される母親が圧倒的に多いことは間違いなく、父親は比較的厳しい、ないしは慎重なのだろう。
これは、日本の女性がいかに男性に依拠した存在であるかを示している。精神的に息子に依存しているからこそ、他人事とは思えず、その「苦境」を放置できないのだ。
言うなれば、ドメスティック・バイオレンスによって従属させられている夫と妻の関係の延長上にある。

オレオレ詐欺は、母と息子の共依存関係が無ければ成立し得ない。
それは、世の中に30代や40代になっても、「母ちゃん大変なことになったんだ、金貸してくれよ」と平気で言ってくる息子と、「お前それは大変だね、さぁこれをお使い」とアッサリ大金を差し出してしまう母親が、ありふれていることを示している。
中国や韓国では同様の詐欺があるらしいが、欧米、特に北欧や米英でそんな詐欺が成立するとは思えない。

話が飛び飛びで申し訳ない。
民主党政権は選択制夫婦別姓を導入しようとしたが、鳩山政権で挫折し、そのまま放置されている。
私は「いきなりそこから入るのは拙速では?」と疑問を呈したが、その危惧は現実のものとなった。
だが、民法改正も取調可視化も「夢」となりつつある現状を考えると、時には勢いに任せて強行することも必要なのかとも思えてくる。
せめて非嫡子差別の部分だけでも民法改正で解消しておけば良かったと悔やむばかりである。
日本を覆う闇は余りにも深い。
posted by ケン at 12:59| Comment(3) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

婚活市場の需給アンバランス

新聞の相談欄だったか、「婚活してるんですけど、なんでこんなに(婚活に参加する、あるいは適切な)男性が少ないんでしょう?」というような話があり、久しぶりに

「あんたバカァ?!」

と叫びたくなってしまった。
マーケットを観察しないで市場に参入するバカが騙されるのである。
以前の話の蒸し返しになってしまうが、時間も経っていることだし、あらためて論じてみたい。

婚活のマーケティングは非常に単純。
そもそも極めて歪な需給バランスの上に成り立っているにもかかわらず、供給サイドはおくびにも出さずに美化した宣伝を打って、消費者を騙しているに過ぎない。
考えてみれば、誰にでもすぐ分かる。

婚活市場とは、女性と男性が「結婚相手」という稀少商品を、自らが消費者として探し当てる過程を、市場化したものと言える。そこでは、商品を互いに評価し合い、価格交渉が成立すれば取引成立となる。
つまり、消費者は同時に商品でもあるという点で特殊なのだ。
だが、消費者としての男女と、商品としての男女の価値・市場評価が大きく異なるため、需給にアンバランスが生じている。

まず消費者としてみた場合、結婚を望む男女の割合は、女性の方が比率が高いとは言え、さほど大きな差はない。
まして、生涯未婚率で言えば、男性はすでに15%を超え、女性の5倍にも達している。
ちなみに厚労省は、「2030年には男性の生涯未婚率は30%を超える」と推計している。
単純な需要としては、大いに「男余り」なのだ。

だが、商品として見ると、まったく異なる。
婚活市場に参入する女性には、殆ど障壁がなく、有り体に言えば「専業主婦希望」と宣言してカネさえ払えば誰でも商品として登録できる。
しかし、男性は「年収600万円以上」とか「年収500万+条件○○」などの参入障壁があるため、まず商品登録に規制がかけられている。
例えば、35歳未満の男性で年収600万円以上の独身者は3%強しかいない。
30〜35歳の場合、年収400万円でようやく過半数ラインなのだが、それではそもそも市場に商品を並べることすらできないのだ。
男性の場合、30代後半になってようやく平均年収が500万円に至るものの、その程度では「貯金2千万円」「イケメン」「高学歴」などといった条件が課されるため、結局のところ参入は容易ではない。

要するに、女性の市場参入率はほぼ100%だが、男性は恐らく2割以下しかいないのだろう。
こうなると、今度は需給バランスから価格調整が行われる。
つまり、婚活市場にある女性の価格は下がり、男性の価格は相対的に引き上げられる。
婚活市場に参加する男性は無数の選択肢が生じるが、女性からすると「ほとんど選択肢がない」という話になる。
これが、婚活市場の実態なのだが、当然ながら業者はそんな説明はせず、「婚活しないと結婚できませんよ」「婚活すればきっといい相手が見つかります」としか宣伝しない。
私の母などは「日本のサブプライムローン」などと評している。確かに「借りないと損しますよ」「住宅を買えば必ず値上がりします」と借金を押し付ける手法に似ているところがある。

ただし、その背景にあるのは経済性だけの話ではない。
他の先進国に比して、女性の社会進出や労働進出が遅れている日本では、女性の平均所得も総じて低く、女性にとって結婚が「人生の安全弁」となっていることは否めない。
他方、男性にとって結婚は「子どもをつくって家庭を築く」という点において嗜好品となってしまっている。つまり、結婚しなくても当面困ることは何もない。

昔と違って、家事は容易であり、食事も簡単に取れる。若い層の男性は、一人で全てをこなせる人が多い。物理的な点で、独身での不自由はほとんどない。
かつては、結婚しなければ出世できなかったし、相応の家や地位にある人は有無を言わさず結婚させられた。その分、結婚に対するプレミアムやインセンティブが大きかった。
80年代までは、結婚すると手当や税金で優遇され、実質的な収入は2〜3割ほども多かった。だが、90年代以降、企業も国家も「自由化」「個人化」を促進する政策を採った結果、結婚に対する経済的あるいは社会的なメリットは殆どなくなった。
今どき「未婚者は中間管理職になれません」などと言ったら、世の男性はますます結婚しなくなるに違いない(笑)
つまり、待遇のフラット化や成果主義によって中間管理職のメリットがほとんどなくなった一方で、結婚生活や教育のコストばかりは増えていくのだから、合理的な帰結である。
これは今に始まった話ではない。江戸初期の儒者である熊沢蕃山先生は、
「3、40年前までは、武士たちの多くは文武諸芸の修得に忙しくて、三十過ぎまで妻を娶らなかったものである。周囲が無理に妻帯させようとすると、喧嘩腰になって嫌がったほどだ。彼らは、四十過ぎになってから、跡継をもうけるためにようやく妻を迎えたものである。」
『集義外書』

とおっしゃっている。
武家の血を引く私なども「知性と肉体を鍛えて、ゲームが出来ればいいや」くらいに考えていたが、ひょんなきっかけで結婚(手続きはしてない)することになってしまった。

つまるところ、日本女性にとっての結婚が生命保険や生活保護のようなもの(あれば安心)であるのに対して、男性のそれは高級オーディオやスポーツカーみたいなもの(あったらいいな)になってしまっているのだろう。
そのさらに根底には、恋愛に現実感を求めがちな女性と、仮想や脳内補完で済ませられる男性の精神構造の違いも認められるはずだが、それについては別途語る必要があろう。
posted by ケン at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

震災で結婚市場も変化?

東日本大震災を期に結婚市場も大きく揺らいでいるという。
数字は把握していないが、婚姻数が増える一方で、離婚数も増えていると聞く。

古来、危機時には婚姻数も出産数も増えると言われる。日露戦争、関東大震災、日中戦争勃発後などにもそうした傾向が見られる。
これはごく生物学的な反応で、死に対する不安と恐怖が、安定と子孫を希求させるからだ。
婚姻数の増加はその表れだろう。
私自身も、複数の未婚女性から「これまではさほど深刻に考えていなかったけど、今回の震災で、ちょっと一人暮らしに不安になって、まじめに結婚を考えるようになった」という主旨の話を聞いている。
確かに、大地震が起こって、家具が倒れ、家屋が倒壊しそうになり、大津波が来るかもしれないという時に、家にたった一人でいることを想像すれば、誰しも不安になるのは当然だ。
だが、現実は残酷で、地震や津波でパートナーや子どもだけを失う可能性も十分にある。
結婚によって、個々人の不安は一定程度解消されるだろうが、「大きな支えを失う」可能性もまた同時に発生することを忘れてはならない。

離婚数の増加は興味深い現象だ。
これは、今回の震災を見て、「こんなパートナーでは助けてもらうどこか、自分や子どもまでもが被害に巻き込まれてしまう」という恐怖感が現状維持に優った可能性が指摘される。
こうした人たちは、すでにパートナーを見捨てているのだが、「かといって離婚するのも面倒だ」と考えていたところ、震災によって「コトは一刻を争う」と判断するに至ったと考えられる。
家族とは最小単位の共同体であるが、肝心のパートナーが「共同体の維持に不適切」と見なされれば、容易に切り捨てられることを意味するし、危機管理を考えれば、そうあるべきだろう。
切り捨てられる方としては、普段からパートナーの要求に応えてこなかった報いであり、「家族の条件」を十分に考慮・実行してこなかった結果を意味する。

結婚市場は、顕在需要の急膨張と、離婚数の増加による潜在需要で、一時的に賑わいを見せている。
が、中長期的にはやはり厳しい情勢が続くと思われる。
何と言っても、景気の低迷はさらに長引くことが予想され、若年者の雇用は一層厳しさを増していくだろう。
安定した正規職員のポストが増える見込みはなく、「年収500万円以上の未婚男性」をめぐって、未婚女性が壮絶な奪い合いを演じる「婚活」状況が当面続くと見て良い。
給与所得の減少が続く現状で、「年収500万円以上の未婚男性」の数は極めて限られている上に、その人たちの多くは多忙過ぎて、お付き合いする時間を確保するのが難しい環境におかれているケースが多い。

私なども年頃の女性たちから「良い人紹介してよ」と言われるのだが、この業界に限っては「残りものには福が無い」のである。
結婚を希望する優良株のほとんどは初期の段階で売れてしまい、不良株と非希望者が残る。
非希望者のうちの何人かは、結婚希望に転じる可能性があるが、彼らには「結婚を望まなかった」何らかの理由がある。
不良株は、経済的理由を主として、結婚に不適格なものを指す。
なお、貧困者が結婚の不適格者であるのは、家族共同体の生活が経済に依拠する以上、いかんともしがたい事実である。
不良株ではなくとも、結婚に対する条件・要求が著しく高いケースも多く、この場合は、婚姻に向けた双方の合意が至って困難となる。
特に比較的裕福な家庭で育ち、成人後もそれなりに良い生活を送っているものは、結婚して生活環境に変化がある(生活水準が下がる)ことに強い憂慮があるため、結婚に踏み切れない。私などもこれに属していただろう。
結果、30代後半や40代に至っても未婚状態にあるものは、結婚に対して何らかの障害(希望しないことを含めて)を有していると判断される。

他方で、離婚者も増えているわけだが、彼らにはすべからく何らかの「離婚に至った理由」「結婚が存続困難に陥った原因」がある。
純粋に「性格の不一致」や「価値観の相違」であれば、問題は少ないかもしれないが、それでも「夫婦間で妥協点を見いだせなかった」事実は変わらない。
つまり、離婚者たちは「なぜ離婚に至ったのか」という総括と反省が無い限り、再び同じ道を歩む可能性があり、離婚経験者をパートナーに選ぶ場合は、この点のリスクを承知しておく必要がある。

長期的に見て、日本の高齢化はさらに進む他なく、高齢化への対応は増税による社会保障制度の充実と産業構造の転換が不可欠となる。
産業構造の転換とは、鳩山氏が主張した「コンクリートから人へ」であり、ハコモノ行政から福祉主体の行政への転換も意味する。
しかし現状では、現状維持にこだわる勢力が強いあまり、両者ともに実現は難しい。
となると、欧州型の福祉社会へのソフトランディングは困難であり、米国型の空洞化した産業構造の中で貧弱な福祉にあえぐという形で、国民の不満がさらに高まり、国外脱出(移民?)が続出するという事態になりそうだ。

話を戻せば、震災を期に自らの人生と結婚のあり方について考えるのは良いことだが、日本社会が今後さらに高齢化、貧困化していくのは確定的で、結婚に際してはよくよく相手を選ばないと、負債をつかまされる(ババを引く)だけに終わってしまう可能性が高い。
「何となく不安だから」などという情念に左右されることなく、冷静に自分の人生設計を構築していくことが肝要であろう。

【参考】
経済学から見た結婚 
結婚するということ 
結婚をめぐる勘違いの数々
posted by ケン at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月12日

女の強欲あるいはデフレ下の結婚

 プランタン銀座が8日まとめた女性の意識調査によると、クリスマスに恋人やパートナーから期待するプレゼントの価格は昨年より1万3732円高い4万3620円へと2年ぶりに上昇した。自分が恋人やパートナーに贈るプレゼントも3621円上がって2万635円となり、過去最低だった昨年より回復した。ただ、プレゼントを「期待しない」との回答は42%と昨年より2%増え、相手の懐具合を気づかう女性も依然として多い。贈ってほしいプレゼント(複数回答)は「食事」が最も多い31%で、指輪(23%)、ネックレス(21%)が続いた。
(11月9日、読売新聞ネット版から抜粋)

プランタン銀座のアンケート調査ということで、(場所柄)相当に高ピーであることは確かだろうが、それにしてもこのKY度合いの高さはどうであろうか。
ちなみに過去最高は、2005年は6万496円というから、凄まじい鼻息の荒さである。
「婚活」などと大騒ぎしている背景に、現代日本女性の自己肥大化が見て取れる。
クライアントに対するメールでのアンケートで、母数は300〜400程度で、年齢幅も大きいだけに、まともに受け取る必要は無いのかもしれないが、ジェンダー理解の一助にはなるだろう。
まず、30歳未満の勤労者独身男性の可処分所得を見てみよう。

1994年 210,199円
1999年 225,959円
2004年 231,851円
2009年 215,515円


となっている。
ちなみに可処分所得とは、収入から税金と社会保険料を差し引いたもので、「手取り」に近い金額と言える。
確かにバブル後の不景気にあっても、可処分所得は緩やかな上昇を続けてきたので、05年に女性側からの要求が最大化するについても、一定の合理性はある。
さらに、06年から08年までは5万円前後で推移した後、リーマンショックを受けて09年には2万9888円にまで一気に下落した。
それが、今年は一転して4万3620円に上昇している。
男性の可処分所得が低下の一途を辿っている一方で、女性側の要求水準は再上昇していることを意味する。

09年は日本の労働市場とジェンダー業界で、最もセンセーショナルな出来事があった。
同じ30歳未満の勤労者単身者の可処分所得について、史上初めて女性のそれが男性を上回ったのだ!
正確には、女性が21万8156円、男性は21万5515円である。

にもかかわらず、女性は男性から2万3千円分もプレゼントで搾取した上に、「自分へのご褒美」も平均で4万3千円に上るという。
凄まじい強欲ぶりである。
逆を言えば、日本の男性は自らの貧困化をよそ目に、自分よりも裕福な女性に対してプレゼントで2万3千円分も献上しなければならなくなっているのだ。
ほとんど「大貧民」の世界であり、男性は給与が減少した上に女性からも奪われる立場に置かれていることを認識すべきだろう。

もちろん、上記の金額は「女性側の期待額」に過ぎず、実際の男性からのプレゼント額は、2〜2.5万円程度であるらしい(予算額で1.7万円)。
とはいえ、期待額に届かなかった分については、その分だけ男性に対する評価を下げる結果になるわけであり、その差が大きければ大きいほど、二人の関係を悪化させる要素も大きくなることを意味する。

「経済学から見た結婚」でも述べたが、大多数の庶民にとって結婚とは、「生活と労働の効率化」以外の何物でもない。
戦後の日本が、史上類を見ないほどの結婚ブームとなったのは、高度成長とインフレーションに依るところが大きい。
インフレとは、すなわち需要に対して供給が不足した結果、物価が上昇することを意味する。
この場合、生産量を拡大する戦略が最適であり、企業もまた生産施設を拡充、人員を増やしていく。
家庭にあっても同様で、家庭が供出する労働力の最大化が課題となる。日本の場合、女性の労働進出ではなく、男性の労働力を最大化させるために、女性を専業主婦と家庭に入れ、男性を労働に専念させる政策が採られた。配偶者控除などはその名残である。
会社にあっては、結婚しない男性は評価されず、出世も限定されたため、「配偶者」としての女性の価値も急上昇した。従来、日本に無かった女性個人への贈答が一般化したのは、市場における結婚適齢期女性の価値が高まったからだった。
男女間のリスクは今も昔も同じだが、給与も生活水準も上昇していったため、問題は顕在化しにくかった。

しかし、1990年年代後半を境に日本経済は、インフレからデフレへ、成長から低迷・衰退へと舵を切る。
デフレとは、すなわち需要に対して供給が過剰となった結果、物価が下落することを意味する。この場合、需要の低迷に対して生産量を抑制し、組織のコストダウンを図る戦略が最適であり、企業もまた生産施設を統廃合すると同時に、人件費を削減していく。
会社にあっても、既婚・未婚で人事評価される傾向は弱まっている。
家庭の課題は、生活コストの削減であり、生産拡大ではなく、現金貯蓄の増加が最重要となる。
結婚とは、要するに人的投資による家庭の生産拡大であるが、デフレ下において結婚することは、生活コストばかりがかさんで、現金貯蓄を減らすことから、ますます男性の貧困を助長させるリスクが高くなる。
また、人間というのは、生活水準を下げることに非常に抵抗が強く、自分一人なら我慢できても、家族がいるとより困難になる傾向がある。
給与も長期低迷にある中で、生活水準の向上は難しく、女性との交際や結婚は、男性側が非難されるリスクばかりが高く、ストレスが大きくなる傾向にあると言える。

「今日の若年層男性の約3割が異性に対する関心が少ない」という調査結果もあったが、私の仮説を裏付けるものと言え、世の若い男性が合理的な選択を行っていることを示している。
世の不安定収入・不安定雇用の男性諸氏にあっては、異性との交際は高くつくものであり、結婚そのものが(かつてと違って)「贅沢」に分類されるべき事柄と化していることに留意すべきである。
「自分もいつか結婚できるはず」と思うこと自体、高度成長期における一億総中流幻想の残滓なのだ。
デフレ下の人生設計は、「いかに自分が楽しく(快適に)生きられるか」を最優先にするべきであろう。

【参考】
経済学から見た結婚 
結婚相手に求められる条件
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2010年09月11日

結納金と持参金

今ではすっかり廃れてしまった文化で、若い人などは古い慣習のようにしか思えないかもしれないが、本来はすこぶる合理的な発想に基づくものだった。
経済学で考えると、よく分かる。

結納では、婚約時に新郎側が新婦側に、物品ないしは金を納める。
これは、新婦を労働力ないしは威信上昇のための手段とみなし、その対価として設定されたものだった。

貴族や特別な富裕層を除けば、結婚は「労働力の移動」と考えられ、新郎側が新婦一族の労働力を購入することを意味した。
従って、中流以下の階層では、「嫁は元気で働き者に限る」とされていた。
もう一つは、「子供を産む機械」(by柳澤?)への対価である。
新郎側に、後継者と新たな労働力を提供する潜在的生産力を評価するものでもあった。
また、貴族や富裕層では、新婦に求めるのは労働力ではなく、「家格の向上」や「人的ネットワークの構築」であった。
故に、新婦側の家格が高いほど、新郎側の結納金は高額となる。
もちろん、貨幣が一般的でない社会では、結納金は物納されるのが常だった。

他方、持参金は「遺産の前渡し」を意味した。
新婦は、基本的に身一つでイエを移る。中世まで日本では分割相続制が基本だったが、室町〜戦国時代にかけて少しずつ長子相続制に移行し、女子の相続権が失われていった。
分割相続制の時代でも、遠くに輿入れする女性に対しては、遺産相続に困難が生じた。
それを回避するために、婚姻時に遺産の前渡しとして持参金を持たされたものと思われる。
これも、中流以下の家庭では、貨幣ではなく物品を持って行くのが常だったし、上流階層にあっても、実家の威信を誇示するために、豪華な持参品を伴うのは普通のことだった。
また、(分割)遺産相続に際しては、男子に不動産、女子に動産が渡されるのが基本だったようだ。

婚家に持ち込んだ持参金は、新郎やその一族に渡されるのではなく、新婦の個人資産となった。
日本の場合、夫と妻の資産は、各々が別個に管理するのが一般的だった。
上流階層にあっても、新婦が実家から連れてきた下女・下人は、新婦の管理下にあって、自身で給金を払うものだった。従って、新郎や姑は、新婦の下女・下人に対する指揮権を持たなかった。
持参金の大きさは、婚家における新婦の影響力の源泉でもあり、新婦の安全を守ると同時に、離婚時には生活費や再婚費用に充てられた。

江戸時代に入って、社会が多様化すると、武士階級の貧窮化も相まって、格差婚が増えた。
四谷大番屋の与力だった、江戸時代最後の先祖は、神田の米問屋の娘を嫁にもらい、莫大な持参金が付いた。それは、いまだに私の祖母の手元に残るほどのものだった。逆に、結納金はごく形だけのものだったと考えられる。
その先代は、福生の町医者の娘を嫁にもらっており、これも相当の持参金が付いたはずだ。
御家人階級に、裕福な米問屋や町医者が娘を嫁がせるのは、第一に「家格の向上」という目的があり、「うちの娘は御直参の家に嫁ぎましてね」と言うのが一つのステータスだった。第二は、行政の実務を担う役人とコネをつくるという「人脈形成」の意味があった。
そうした目的のために、持参金を付けて娘を嫁がせるのは、大きな意味で「投資」であったことが想像される。
しかし、何代かに渡って、多額の持参金を持って嫁いできた嫁が続いた結果、我が家ではすっかり女性の発言権が男性を圧倒するようになっている。

指輪についてはごく最近の習慣なので、ここでは触れないが、婚約指輪については「婚約の手付け金=対価の前払い」という意味合いが強かったことを、過去の記事で指摘している。

「上部構造は下部構造によって規定される」というマルクス主義の定理を持ち出すまでもなく、結婚もまた経済によって規定されるところが大きい。それは、今日でも変わらない。
貧困かつ労働力に難のある女性が、経済力のある男性に嫁いだ場合、生活の源泉を夫に支配されてしまうが故に、従属せざるを得なくなる。
姑の有無にかかわらず、女性が婚家で一定の発言力を担保するためには、固有の財政基盤を有する必要がある。
それは、現代においては貯金を主とした資産である。

先日も、ある主婦の方から「こんなに家事も育児も頑張っているのに……」という話を伺ったが、家事や育児は、その労働価値について客観的な評価がなされないため、数値化されず、夫の主観的評価によって左右されてしまう。
従って、家事も育児の労働価値について、妻の自己評価と夫の評価に格差が生じた場合、家庭内対立の一因となる。
この多くは、日本の夫の大半が家事を担った経験がないため、あたかも蛇口を捻れば水が出てくるが如く、「やって当たり前」という具合に「労働」として評価しないために生じている。
これをただ言葉で非難したところで、「またヒステリーか」で片づけられてしまうだろう。

女性の対処方法としては、以下が考えられる。
一つはストライキで、古来「実家に避難する(家出)」が一番多い。
もう一つは仮病で、風邪などを引いた時に大袈裟にして、倒れ込んでしまうのである。これも古典的な方法だが、姑のいない核家族の場合、こちらの方が現実的かもしれない。
夫に家事と育児を代行させることで、労働価値について再考を促すのだ。
だが、これらはあくまで一時的な解決にしかならない。
基本的には、(日本の)男性に家事や育児の正当な評価を求めるのは至難であろうと考えられる。
根本的な解決を求めるのであれば、やはり固有の財を持つ他ない。

実家からの持参金がない今日、主婦になるにせよ、共働きを選択するにせよ、結婚する前に固有の資産を確保しておくことが望ましい。
もちろん多ければ多いほど良い。
それは、夫のためではなく、自らの保身のためであり、場合によっては子どものためである。
基本的には、自己資産を夫のためになど使わない方が良いが、そこはケースバイケースであろう。
遠藤千代がダメ夫・山内一豊のために、持参金をはたいて名馬を購入した逸話は有名だが、これは当然リスクを伴う投資であり、上手くいったから良いようなものの、夫人の才覚に依るところが大きく(信長が見てくれるはずという読みが当たった)、誰でもできることではない。
特に、現代は長期にわたってデフレが続いており、資産価値は相対的に低下していくので、流動性や不確実性に対処するためにも、キャッシュ(現金、貯金)で持っていることをお勧めしたい。
もっと興味ある方は、「戦国の嫁として」を参照して頂きたい。

かつては、持参金のない女性が結婚できないのは当たり前だったが、それは現代にも通じる話なのだ。
それは固有資産を持たない女性と結婚した場合、男性にとっては妻の存在自体が不良債権化してしまう恐れがあるためである。
現代男性が結婚できないのは「結納金がないから」であるが、同時に結婚しないのは日本女性の資産・労働価値が低下しているためなのだ。
従って、結婚したい女性は、すべからく自らの資産を増やし、労働価値を高める努力をすべきであって、「婚活」などにうつつを抜かすべきではない。
これらの点については、また機会を見つけて、いま少し解説したい。

持参金の話から随分とズレてしまった。
「結婚は経済である」という私の信念(現実は別……)から、「持参金」という形が失われただけで、結婚の本質に変化はない、という話なのだが、ご理解頂けただろうか?

【参考】
『「功名が辻」に学ぶヨメの会計学』 西澤健次 洋泉社新書(2005)
『武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新』 磯田道史 新潮新書(2003)
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2010年06月17日

妻の誕生日

彼女にプレゼントをあげるなんて何年ぶりのことになるだろうか。
10年じゃきかない。別れた年のが最後だから、12年ぶりってところか?
元カノと再開、結婚して、12年ぶりにプレゼントを贈るっていうシチュエーションに(年甲斐もなく)ちょっと萌え。

しかし、問題がある。
いかんせんロシアに送らなければならないのだが、高価なものは税関で抜き取られてしまう恐れがある。
さらに、9・11テロ以降、国際小包の規制が厳しくなり、「あれはダメ、これはダメ」といった具合で、色々と限定されてしまう。
とはいえ、再開、結婚してから初の誕生日プレゼントなので、それなりのものは送りたい気持ちがある。
そこで選定したのがこれ。

江戸屋のヘアブラシとメイク用ブラシ 
・「L'OCCITANE」のボディケア・セット 
・華道の本(初心者用)

ロシアへの送料を含めると3万円近くなったが、これなら見る人が見ないと価値が分からず、まぁ抜き取られることも、没収されることも無いだろう。
彼女はプロのメイクなので、品質は一目で分かるはず。日本のブラシ類の品質は世界最高水準なのだ。
妻はフラワーアレンジメントに興味があり、前回来日した時も本屋を覗いてみたが、適当な本がなかったので、今回、紀伊国屋で写真が豊富な初心者向けの本を選んで購入。

しかし、彼女はちょうど髪をばっさり切ってショートヘアーにしたばかりだったと言う。
巡り合わせが悪かったというべきか。
刀を質に入れて妻に櫛を贈った侍の話が思い出される……
いや、夫的には、ツインテールにしてもらうとか、親友のお姉さんにメーテルの衣装を借りて着せるとか、色々と考えていたプラン(悪巧み?)があったんだけど……
でもまぁ使えないワケじゃないし、喜んではくれたようだが……

で、ただプレゼントを贈るだけでは芸がないので、何か言葉も考えるが、いかんせん私は文系とはいっても、詩歌の類は全然ダメ。かと言って、誕生日まで聖書では堅苦しすぎる。
だが、運良くふと思い出したセリフがあったので、急遽ググる。
いや、ネット社会は便利である。
それがこれ。
И сейчас я думаю, если бы не обожглась. Я думаю, хорошо, что ты на мне не женился, потому что тогда я разминулась бы в жизни с единственным, очень любимым моим человеком. А ты не грусти, всё ещё будет хорошо, поверь мне. В 40 лет жизнь только начинается, я точно знаю.

Катя "Москва слезам не верит"(1979)

「あの時、痛い目にあっていなかったら、いまの私はなかったわ。あなたが私と結婚してくれなくて良かった。でなかったら、私、運命の人と出会えなかったもの。悲しまないで。これからきっといいことがあるから。何と言っても、40歳なんて、人生のほんの始まりに過ぎないんだから!」

カーチャ 『モスクワは涙を信じない』(1979)

moskwanamida.jpg

世代的には、我々がまだ子どもの頃の映画だが、観客動員7千万人!というソ連の数少ない超ヒット作なので、まず観たことあると踏んで良いだろう。
ソ連版『ふぞろいの林檎たち』的な立ち位置にある作品で、日本では1982年に公開され、「ソ連のメロドラマ?!」という感じで驚きをもって迎えられた。
ソ連の芸術アカデミーや文学アカデミーのお偉方からは、「低俗」「文化的価値ゼロ」などと酷評されたが、大衆の圧倒的支持を受けて、「ソ連邦国家賞」を受賞した。
制作期間がたったの4カ月だったことから見ても、「ちょっとした娯楽映画」のつもりで撮ったことは明白。しかし、全国的ヒットとなったことは、それだけ当時のソ連に「まともに見られる映画」が少なかったことを示している。
ちなみにケン先生的には、学部4年時(たぶん)の「ロシア語会話」の教材デシタ(笑)今でも観るのかな〜

内容的にはどうということもないのだが……
当時観た人に言わせると、「ファンタジーだね」とのこと。
実際のソ連の庶民はあんな良い生活をしていない、ということのようだが、そこは80年代の日本人がトレンディドラマ(死語)に憧れたのと同じであろう。
私の周囲にも意外と「DVD持ってる」という人がいて驚かされる。

あれ、なんの話だっけ?あぁ、
異文化交流では、文化を理解・共有することが大事である、と……(たまには先生っぽく)
posted by ケン at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする