2010年02月23日

オーダーメイドダーリン

恋愛シミュレーションの分野で久しぶりの大ブレイクとなった『ラブプラス』は、女の子を「攻略」することを目的とせずに、付き合っている状態を楽しみつつ、ヒロインを自分色に染めていく過程に喜びを求めた点が斬新だった(らしい、やってないから分からないけど)。

そもそも、婚礼衣装が白いのは「貴方の(家の)色に染まります」という象徴だと言われている。
女性が染まらなければならなかったのは、女性が「イエの所有物」という位置づけでしかなかったという側面がある。
これは言語にも表れていて、「妻を持つ」とは言っても、「夫を持つ」とは言わないことに象徴される。
しかし、女性が十分な労働力や資産を有する時は、染まる必要はない。
「ちょぼくれ」に代表される「かかあ天下」もまた日本の文化であり、姑の「婿殿!」に怯える中村主水の姿も日本の夫の一般的な姿だった。
日本男性が『ラブプラス』にはまるのは、「染まる」ような女性像が失われつつあることへの郷愁であろうと想像される。

ordermadedarlin.jpg
『オーダーメイドダーリン−幸せの王子様の育て方』 高殿円・今本次音 飛鳥新社(2006)

本書は「かかあ天下」の勧めではない(笑)
が、「王子様」を見つけるのではなく、今そこにいる夫(彼氏)を自分色に染め上げていくための指南書である。
「自分色」と言っても、男性諸氏の妄想に比べれば、「家事を分担する」「(たまには)料理を作る」「(恥ずかしくない程度の)オシャレをする」「二人の時間を過ごす」などといったごくささやかなもの。
これは逆を言えば、いかに日本人男性が家事をせず、料理も出来ず、外見に無頓着であるかを示しているのだが……

本書は徹頭徹尾リアリズムで貫かれている。
まず、

「王子などいない」
「恋愛は突然始まらない」
「結婚は生活である」


という点から入る。
そこからして恋愛至上主義や結婚至上主義の一般的なマーケットとは一線を画している。
「王子様が迎えに来てくれる」とか「ドラマのような恋愛」という青い鳥を追い続ける限り一方も前に進まない、という冷徹な現実に立脚しているのだ。

青い鳥を見つけ、当て所なく彷徨い続けるよりは、
明確な目標やイメージを持って、強い意志でダーリンの改造を進める方が、「マイ・プリンス(みたいなもの)」を創り上げる可能性が高い、ということだろう。
事実、結婚は「王子様が迎えに来て結婚式を挙げて終わり」ではなく、むしろそこから延々と続く煉獄の世界という側面の方が強い。
恋愛は美しく心地よいものかもしれないが、結婚はきれい事だけでは済まされない。
王子様は見た目素敵かもしれないが、生活者としては全くの無能力者であるかもしれないのだ!
著者の主張を私風に言い換えれば、

「現実の結婚生活に耐え、煉獄を少しでも天国に近づけるためには、ダーリンの改造(近代化)は不可欠の要素である。そのためには、女性が意識的に改造計画を立てて実行していかねばならない」

という感じになる。
その方法論も非常に実用的で、マンガエッセーなので即読める。
著者の凄まじいところは、

「ダメ男からは即逃げろ!」

と言い切っている点である。
ダメ男はカスタマイズする点ですでにマイナスが入っているので、改造困難ということらしい。
確かに、中古車を買うにしても、ローダウンしていたり、エアロパーツが付いている車は、金がかかっているはずにもかかわらず、値崩れしているケースが多い。それと同じらしい。
「ダーリン改造計画」にあっては、「王子様」タイプではなく、むしろフラットな状態の男性の方が望ましいという。

もっとも、本書は共働きで家事を分担する家庭が前提となっていると考えられる。
世の中には主婦願望が強い女子が増殖中らしいので、そういう人たちには必ずしも有用ではないかもしれないが、専業主婦というポスト自体が高嶺の花と化しつつある今日にあっては、彼女たちも一読しておいた方が良いかもしれない。

私自身は家事全般をこなすし、料理はむしろ得意分野かもしれず、アパレル関係でも働いていたので外見にも無頓着ではない。
が、異性にも結婚にも執着がないために気ままな独身を続けていたが、仏僧か修道僧にでもなろうかと考え始めた瞬間、突然結婚することになってしまった(笑)
結局のところは結婚なんて「運」なのかも、と思わなくもないのだが……
posted by ケン at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

妻子を呼ばないワケ

この間、妻の招聘や婚姻報告会などに際して、お世話になった方々に挨拶して回ったり、あらためて食事をしたりしている。
やはり多くの方が、「奥さんと子どもはいつ日本に呼ぶの?」と聞いてくる。
しかし、ブログ上でも説明してきた通り、妻子を日本に呼んで同居する計画はない。
子どもの年齢を考えれば、今のこの時期が最後のチャンスになるのだろうが、そこは切り捨てねばなるまい。
特に女性などは、妻に同情して「かわいそう」「さびしくない?」と言う。
女性はともかく、男性においてすら、「早く日本に呼んだ方がいいんじゃないの?」と言う方が多く、難儀している。
どうも性差以外にも、世代や育った環境・階級なども関係しているらしい。
が、ここは一時の感情に流されることなく、冷静に判断する必要がある。
感情に流されるのは結婚を決断した一度だけで十分だろう。もはや二度と流されることがあってはならない。

まず財政的に不可能。
そもそも結婚するつもりもなく、それどころか50代か、遅くとも60代初めで生を終えるつもりで人生設計してきた私としては、長期の結婚生活に耐えるだけの資産がない。
すでに現状、日本で同居するにしても、ロシアから妻子を呼んで、住居の敷金・礼金を払って、4人分の家具を揃えるだけの貯金すら、私にはないのである。
一千万、少なくとも5百万円の自由になる貯金がなければならないが、それすらないのだ。

そこをクリアしたとしても、月々の家計はどうだろうか?
物価高の東京で、日本語の分からない外国人3人との暮らしは、コスト高にならざるを得ない。
私の試算では、月ごとのキャッシュフローはギリギリ成り立つものの、ロシアに里帰りすることなどは「夢のまた夢」であり、ロシアにいる家族や友人との長電話を許した場合は、月に一回映画を見て外食することすら困難であろう。
あるいは単年度の決算は成立するとしても、貯金がままならないため、子どもの学費に難儀することになるのは間違いない。ましてや大学にやることなど不可能だ。

妻は日本ではまったく労働生産性を発揮しないため、すべての収入は私に依存することになる。結果、私が倒れたり、失業したりすれば、一家四人はすぐに路頭に迷うことになる。
それを回避するために、生命保険などの保険に入ると、ますます家計が苦しくなる悪循環は容易に想像がつく。
まして私は不安定な職にあり、三年ごとに失職する恐れを抱えている。恐らく次の選挙は勝てるとしても、次の次は相当に苦しいだろう。まず計画を立てられるのは6年間だけの話であり、その後のことは「分からない」としか言いようがない。
さらには彼女には年金もないため、老後の暮らしにも不安が残る。

つまり、私にとって結婚とは、大日本帝国が戦車師団を持つ、あるいは派遣社員が乗馬クラブに入るような話でしかない。
ましてや子どもを持つことなど、現代の日本が原子力空母を保有する、あるいは派遣社員がフェラーリを持つような話なのだ。
一回限りの話なら可能かもしれないが、継続して維持費を払うことは非常に難しい。
収入のない配偶者を得るということは、維持コストが高くなると同時に、収入の依存度(リスク)が過度に上がることを示している。
気安く私に「呼べばいいのに」と言われる方々は、よほど財政的に恵まれているか、楽観的(ラテンのノリ?)か、あるいは会計に無頓着かのどれかだと思われる。

次に離婚リスクが挙げられる。
ただでさえ文化的差異が大きい国際結婚は離婚の可能性が高い。
まして私と妻は一度別れた経験があり、その上彼女は一度離婚もしている。
このことは、我々に「別れる要因」が存在すると同時に、彼女に「離婚する要因」が内包していることを示している。
これらの要因が解消されずに残っている限り、我々が離婚するリスクは低くない確率で存在していることが予想される。
そこへ、全く言葉も文化も異なる日本に移住し、子どもを抱え、日本語が唯一分かる夫は朝から夜まで家におらず、困ったことがあってもすぐに対応できないとなれば、不満の高まりは容易に想像がつく。
ある先輩曰く「結婚とは耐えること」であるが、彼女の離婚歴は「耐えられない可能性」があることを示している。翻って私なんぞは「耐えること」が最も苦手な「おぼ」なのだから、その結末はあまりにも明らかであろう。
また、わが一族がこの結婚に反対していることも、離婚リスクを高める要因になっている。今回、私が勘当されなかっただけでも良かったとすべき話だったのだから。

しかし、より重要なのは「もし離婚したら」という状況設定である。
せっかく決断して、全てを捨てて日本に来たのに、私と大喧嘩して離婚してしまった場合、彼女と子どもはいきなり何の保護もない外国で路頭に迷うことになる。
彼女一人ならロシアに帰れば済む話だが、子どもはどうなるだろうか。言うまでもなく、最大の被害者は子どもになる。
私は「絶対死ぬまで離婚しません」などと断言できる脳天気さ、あるいは強さを持ち合わせてはない。
逆に、私がロシアに移住して離婚した場合は、被害者は私だけで済み、「自己責任」で処理されるであろう。日本に帰国して、彼女と子どもはそのまま暮らせばよいだけの話。わが一族に迷惑をかけるとしても最小限(また寅さんが帰ってきた)で済む。

いま私が妻に提示している計画・選択肢は二つある。
一つは、私が4年ほど単身赴任で日本で働いて、お金を貯めてから、ロシアへ移住して、一緒に暮らす、というもの。
この場合、向こうでマンションを買い、私は日本語学校を開いて細々と暮らすことになる。
まぁ贅沢を言わなければ、何とか生活できるとは思われるが、私の精神や神経がどこまで保つかは疑問が残る。
彼女的には大きな不満はないかもしれないが、日々の小さな不満は積み重なっていき、それは次第に私へと向けられることになるだろう。
「あの時やっぱり日本に移住すべきだった」と彼女が言い出すのは時間の問題であり、破綻の芽となっていくことは容易に想像がつく。

もう一つは、十年ちょっとの間、別居婚と日ロ間の往復を続け、子どもが自立した頃合いを見計らって、彼女が日本に来る、というもの。
十数年もすれば、下の子どもも大学を出るか、働き始めるだろう。大学の寮に入るだけならほぼ十年で十分だ。
私も何とか無難にこの仕事を続けられていれば、多少は収入も増加しているし、そもそも移住計画が実行されないわけだから、それなりの貯金もできているだろう。
妻一人を日本に呼んで、東京の小さなマンションで二人で慎ましやかに住みながら、子どもの学費の一部を負担することは可能かと思われる。
自分の行為は自分で責任を取って、その上で「次」のステージに移ることは、理屈的にも感情的にも妥当だと言える。もちろん、それを支えることについては私もやぶさかではない。
この場合最大の問題は、十数年も別居を続けてなお婚姻関係を続けられるのか(愛し合えるのか)、という点に絞られるが、そこは彼女(と私)次第であろう。

私としては、相当に破綻リスクが高いものの、後者の計画で行きたいと今は考えている。
日本に呼ぶ選択肢は最も破綻リスクが高い上に、破綻した場合の損害が最も甚大であるため、まず排除。
私がロシアに行く選択肢は、比較的無難そうだが、3〜4年後にロシアの景気が回復している保証はなく、見通しはそう甘くない。私自身、直観的に「ダメそう」と思っている。
非常に小さそうな可能性だが、十年後なお我々が互いを愛し続けているのであれば、もはや拒むべき何物もないであろう。これを「悲しい」「寂しい」と言うのであれば、我々の出会いそのものが悲しい出来事であったことになってしまう。
そうではなく、たとえ見えないほどの細〜い糸だったとしても、我々の間が常に結ばれていることを信じ続け、結ばれていること自体が幸せであることを、永遠に認め合いたいと思っている。
posted by ケン at 22:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

いかにして結婚の存続を図るか?

『女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化―』は、今年早々相当ツボにはまったので、これを参考にしながら、前回の記事を補足していきたい。
著者によれば、人間の配偶行動や男女の性戦略は、何万年以上にも渡る長年の進化の過程の中で培われた心理的傾向が強く表れる。
配偶者の浮気を前にしてカッとなってしまうのは、理性によるものではなく、
非婚主義を掲げたはずの私が、元カノに再会した途端に結婚してしまったことについて、理性的な説明などまず不可能だ。
つまり、こと性愛の分野では、理性や論理を第一とするのではなく、「こういうもの」という前提を理解した上で、可能な対処を施すしかなさそうだ。
で、今回は「こういうもの」に、進化心理学を持ってきてみた。

女性にとって、結婚とは配偶者の確保であり、それは「より良い種」と同時に、子孫を育成するための資源を継続的かつ安定的、さらには長期的に供給してくれるものが望ましい。
特に女性の場合、9カ月に及ぶ妊娠期間と、さらに少なくとも1〜2年間の授乳期間という莫大な時間と労力(コスト)を出産に費やす必要があり、その期間は自身の生産力も低下することもあって、そのコスト分を誠実に支払ってくれる男性に対して、対価としてセックスを供給する。
世間的に「男を見る目のない女」というのは、「良い種」に目が行き過ぎて、相手の男性に資源を安定供給能力に疑問があったにもかかわらず、その点を過小評価してしまう女性を意味する。要するに、出産コストとセックスの対価計算がダメだったのだ。

他方、男性にとっての結婚とは、「血筋の存続」だという。
ただ子どもの数を競うだけならば、より多数の女性とセックスすれば済む話だが(そういう男性もいるけど)、男性が敢えて結婚するのは、「自分の種で生まれた子ども」を配偶者に保証させ、さらに配偶者の肉体を独占的に使用するためである(囲い込み)。
しかし、女性が出産のために最低3年近くの時間とコストを費やすのに対して、男性はセックス時に射精するためのごくわずかな時間と労力しか要さないため、そこに決定的なコスト感覚の差が生じ、男性がより「浮気」へのインセンティブを高める要因になっている。
これは、男性が一時間に約1200万個の精子を生産し続けているのに対して、女性は一生涯で約400個しか排卵しないことからも説明できる。また、男性の方が、女性よりも同一配偶者に対する性的興味を失いやすいというデータもある。
そして、その結果として、離婚の原因の大きな部分を「男性による浮気」「男性による暴力」「男性による経済的支援の停止」が占めることになる。

これは非常に示唆的である。
最初に私が彼女にプロポーズした際に、彼女が断ったのは、当時の私の経済力では結婚のための資源の安定供給がおぼつかなかったことを直感的に悟ったからだと考えられる。
もっとも、その後別の男性を配偶者として選んで、失敗しているのだから、彼女の直感による収支計算が必ずしも正確ではないことも示している。

今回の我々の結婚は、生物学的あるいは進化論的には、少なくとも男性の私的にはほとんど意味のないものと言える。
しかし、同居するわけでもないのだから、社会的な意義も非常に低い。故に「別に恋人関係のままでいいじゃん」と疑問を呈す向きは実際に少なくなかった。
が、私としては彼女との縁を大事にしたいという思いがあり(仏法的な意味も込めて)、そのためにはどうするのが良いのかと短い時間ではあるが考えた結果の結婚だった。

結婚としての実体が薄弱だというなら、恋人としての関係もまた我々の間は非常に脆弱であると言わざるを得ないからだ。これは、長年ロシアやフランスを行き来してきた私だから言えることだろう。
恋人の関係は純粋に二人の感情によって成立するが、彼女には子どもと、キャリアを含めたロシアにおける生活実態があり、私には日本でのキャリアと生活がある。彼女も私もすでに相当「荷物」が大きくなってしまっており、両者とも容易には捨てられなくなっている。となると、現実に引っ張られるあまり、感情部分が容易に劣化していくことは想像に難くない。

二人の関係を少しでも長期化させるためには、たとえ実体が薄弱であっても、結婚という方法を採るしか現時点ではなかった。
かと言って、彼女を子どもともども日本に呼ぶという選択肢はなかった。
この場合、私が唯一の稼ぎ手となってしまう上に、言葉も通じない人を3人も抱え、自立した生活を余儀なくされるわけだが、妻と子どもの世話だけで、まともに仕事が手につかなくなる状況はあまりにも容易に想像できる。残念ながら、日本は移民を呼んで、永住させるような社会ではなく、そのためのシステムがないのだから、不可能と判断した。
とはいえ、私がすぐにロシアに移住するという選択肢もない。
彼女と共稼ぎで何とか食いつないで行くことはできるかもしれないが、私が失うものがあまりにも大きすぎるし、ロシアでのキャリアの確立のメドは全くない。
結果、私が「単身赴任で日本の実家に住んで働いている」という形がまだマシという判断になった。
これを彼女に納得させるのは、多少苦労したが、いまは一応納得しているようだ。
ちなみに師匠による占いでは、

「彼女らの日本移住」→ 必ず破綻、特に彼女の精神が持たない。
「私のロシア移住」→ 結婚生活は最も安定し無難も、私個人は鬱々とした人生に。
「現状維持で両者が行き来」→ 夫婦関係はタイトロープ的になるが、互いに最もハリがある。

という予測になっており、非常に興味深い。

しかし、まだまだ問題はある。
彼女にしてみれば、夫が知らない国で一人で暮らしているのは、非常に不安であろう。
そこで私がまずやったのが、彼女を日本に呼んでの「婚姻報告会」だった。
これは、私の知人・友人のコアな部分に対して、「結婚しました!これが妻です!」と宣言するアナウンス効果(誓言)を持つ。
彼女的には、「ケンは彼女のものになりました」と大衆の前で宣言したことを意味する。それを私が進んで行うことに大きな意義があったと言えよう。
また、友人関係を一度に紹介することで、私の交友関係や友人との接し方を見てもらうことが可能だ。これは、結婚式のような儀式では難しい。
さらに、職場や私が好きなカフェやレストランを渡り歩き、私の日常を公開した。
こうすることで、後々電話した時に、「どこで誰と飲んだ」といった話をしやすくなる。
人というのは、女性に限らず、知らないことについては妄想を必要以上に膨らませてしまう傾向が強く、勝手に妄想しないように、具体的なイメージ(の指針)を与えることが重要だった。
「ある女性とレストランへ行った」とだけ言えば、すでに浮気を前提に想像されそうだが、
「●●さんとA亭で何を食べてこんな話をした」と言えば、ハナから信頼関係が崩壊してない限り、そうそう疑われることはないだろう(喜びはしないだろうが)。あくまでも隠すよりは情報公開が原則である。

彼女は、何日間か私の実家に滞在して、私の部屋に対するマーキングも行ったし、家族との関係を観察する機会も得た。
職場には彼女の写真を置き、部屋には子どもがくれた絵を飾っておいたことにも、照れながらも嬉しそうだった。ちなみに、職場などの公的空間に妻や恋人の写真を置くこともアナウンス効果の一つである。
彼女は多少、私に対する母の影響力が強すぎることに危惧を抱いたようだが、基本的には大いに安心して帰国したようだ。
それでも滞在中に「ケンは子ども欲しくないの?」と聞いてきており、やはり「財政支援します」という私の口約束だけでは本能的に不安らしい。その背景には、「条件次第で(三人目の)交渉に乗るわよ」という意味が隠されているわけだが、私的にはそんな参勤交代の人質みたいなものを取られなくても約束した支援は実行するつもりでいる。それにしても、本能とは恐ろしく、女のパワーとは凄まじいものがある。あの細い体で、あの年で、まだ言うきゃ?!

まぁ確かに、私がいくら努力したところで「不安要素を取り除く」という消極的な作業をしているに過ぎず、それならばより実体的な「繋がり」を示す「私と彼女の間の子」をつくった方が「単純で分かりやすい」というのはある。
が、それは再び時間と財政とコストの問題にはねっ返ってくるわけであり、想像するほど簡単な問題ではない。
そもそも三人目などできたら、彼女が日本に遊びに来ることすらできなくなるだろう。
ただでさえ二人の子を日本に招待することすら、財政的に「早くて再来年」とか考えているのに……

何はともあれ、ごく目先の短期的な不安要素は幾分か緩和したはずである。
あとはより長期的な要素である、「安定的な資源供給(カネ)」と「誠実な献身(電話)」だが、すでに紙幅が膨大になっているので、次回の課題としたい。

【追記】
どうも妻の不安解消にもっとも役立ったのは自身による日本女性の観察だったようだ。
いわく、「(日本女性は)みんな小さいし、意外と太っている娘が多いし、スタイルも必ずしも良くないし、スタイルの良い娘でも歩き方が美しくないし、ファッションも可愛いかもしれないけど大人のものじゃないわね」
とのこと。
彼女は私のメーテル症候群を十分理解した上で、日本に該当する女性がいないことを悟ったのだった(たぶん)。
posted by ケン at 22:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月10日

一片の悔いアリ

恋人・妻に「LA PERLA」を付けさせる「男のロマン」の話である。
さすがは元モデルだけあって、私の申し出に対して、何ら抵抗を見せることなく、あっさり承諾。
そのまま買いに行くことになった。
が、いかんせん日が悪かった。
12月25日は、世間的にはクリスマスで、表参道は10年ぶりに復活したイルミネーションによってきらびやかに飾られていた。
ところが、その日は予算の政府案が発表された日で、私の携帯は職場を出た後も鳴りっぱなしだった。
そんな中で何とか青山の店に辿り着いて、「15年越しの夢」を叶えるべく、(妻と)ランジェリーを物色し始めたその時、

「翌日出勤」の県連要請が入り、
「いや、いくら何でも結婚式の日は勘弁してくれ」
と調整するだけで延々と長電話を強いられた。
こういう時、代りのいない一人事務所はつらい。
問題を回避し、店に戻ってみると、案の定、妻は試着を終えて出てくるところだった。

「じゃあ、これにするわ」

えぇ〜、俺なにも選んでないじゃん!!!
さすがに「LA PERLA」だけに、バリバリ手製の刺繍が入った豪華なものだが、デザインや色は意外と無難なものだった。
まぁ実際、コスプレ屋じゃないんだから、そんな凄いことにはならないのだが。
今さら「俺が選んだものじゃないとダメだ」とも言えず、それはそれで悪くはなかったので、諦めることに。
それにしても実物よりもカップの方が微妙に大きいのも気になるのだが、そこも敢えて指摘しないでおくことに。
しかし、せっかく「LA PERLA」に入ったんだから、もう少し「それっぽい」ものにしたかった……
一片だけ悔いが残る形になってしまったのだった。
だが、彼女はおおよそアラフォーには見えない引き締まった肢体を有しており、決して高い投資(消費?)ではなかったと断言したい。

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ちなみに新婚旅行中、ともに貸し切り風呂に入った際、
妻の体重が47kgであることが判明。
身長は前から指摘しているとおり178cmである。
現役引退から十数年を経て、はや40近いのに凄いことになってる……
私の場合、この肢体にノックアウトさせられたようなものだから、やはり老いても(肉体)美は繁殖戦術上有効なのだ。
それにしても、この細い体のどこから2人の子どもが……色々な面でパワフルだし……どこからそんなエネルギーが……ロシア人恐るべし!
彼女は、
「50kgくらいまでなら太ってもいいでしょ?」
などとノロけてくるが、私としては返事に困ってしまう。
いくら何でももう少しお太りいただいた方が自然だとは思うのだが、
一方でこのメーテル体型は何としても維持して欲しいし……

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妻と錦鯉

まさに今の私は煩悩の塊である(泣)
posted by ケン at 00:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月07日

生き様を考える

今さら「彼女」と言うのは微妙によそよそしい気もするし、だからといって「妻」と言うのはまだ気恥ずかしい。
全然関係ないが、関西文化圏の男性は一般的に妻を「妻」と呼ぶことに抵抗があり、「嫁」と呼ぶ方が自然だという。妻というのはあまりにも客観的過ぎて身近な実体あるものに思えないらしい。
逆に、我々関東人的には「嫁」というのは、姑との関係上にのみ存在するもので、旧態依然たるイエに束縛された存在で、逆に生身としての人間を想起しがたいものがある。

それはさておき、妻を空港で見送った後、そのまま職場に直行し、結婚前と何ら変わりない実家暮らしに戻っているわけだが、そこも何とも微妙な感じで、どうも何か実感が湧かない。
ロシアに戻った彼女と電話で話して、突然「寂しい?」と聞かれ、日本人相手なら「いや大丈夫」などと答えるところだが、ロシア女性相手にそんな回答が通用するはずもなく、素直に答えている。実際、心にぽっかり穴が空いてしまったような空漠感というか寂寥感を感じており、そんな感覚自体、この十数年なかった。

ベッドの中で彼女は、「この十年以上、ずっとケンのことを考えていたのよ」と言う。
私的には、(ちょっと待てよ。あんた他の男と結婚して子どもまでつくっていたじゃないの!)と突っ込みたかったが、ここは国会ではなく、詮無きことと諦めて耳を傾けた。
彼女的には、「12年前に戻ってもう一度やりなおせたら、全然違う現在があったに違いない」と非常に深刻に考えていたらしく、「ケンのプロポーズを受けていたら」とか「もっと早く連絡していたら」とかあれこれ思い詰めていたようだ。
「ケンにはそういうのなかった?」
と問われるわけだが、私的には、
「いや、全然無いね」
と、ここは一切の妥協を排除した。
どうも女性というのは、っていうか、私の周囲にいる女性には、「輪廻転生」とか「やり直したい」とか「どこかへ行ってしまいたい」願望が強い人が多いように思える。後悔体質が強いのだ。

多少繰り返しになるが、我々武家の死生観は単純勁烈である。
我々にとって、自分の命は単なる道具に過ぎない。
道具それ自体に意味はなく、道具は使うことで本来の価値を発揮する。
箸は食事に用いられることで、初めて箸の意味を持つ。
しかし、人生の意味は多義的であり、多様である。
かつての武士は、己の名をなす(後世に名を残す)ことに意義を見いだし、あるいは主君に忠義を尽くすことに価値を見いだした。
封建社会が解体した今日では、人生の意義と目的あるいは存在意義は自分で見つけなければならない。

私の存在意義もまた単純で、
「社会主義の理念によって、政治と社会を改革し、人類・日本人を幸福にすること」である。
二義的には、「ロシアに日本語・日本文化を普及する」というのもある。
私の精神と肉体はそのために存在する。
その存在意義が、人生の長さによって変化することはない。
例えば、私が健康診断を受けて、ガン宣告され、「余命半年」と言われたとしても、私の存在意義や人生の目的が変わることはあり得ない。
死ぬまで仕事と活動を続け、国家のあり方を問い、政策論争を行うだけの話だ。
そこには何の迷いもない。

12年前がどうのと言われたところで、客観的には無理に結婚してみたところで、あっという間に財政的に行き詰まり、破綻していただろうことは容易に想像がつく。
全てを失って日本に帰り、地べたを這い蹲って、政界で一からやり直したこの10年をもう一度やり直したいとは到底思えないし、かと言って、「他の選択肢を採っていたら、もっと良い未来があった」とも考えられない。

どうやら妻とはこの辺に絶対的な価値観の相違があるらしい。
つまり、彼女は(家族というものを含めて)ごく個人的な幸福を強く追求し続けているようなのだが、残念ながら、私的には幸福は「感じるもの」であって、その辺に落ちていて拾ったり、探したりするようなものではないと考えている。
探そうとする幸福は、青い鳥のようなもので、決して見つからない。それは常に「ここではないどこか」にあると本人が信じたいだけに過ぎないからだ。
しかし、この強欲とも言える幸福追求力が、女性の「生き汚さ」とも言える生命の原動力になっており、私も魂も妻のそれに共鳴し、圧倒されたからこそ、結婚に至っていることも確かだ。

逆に私などは、快楽は求めても、幸福などにはあまり興味がない。
私の生命は道具であって、道具が幸せかどうかは重要ではなく、道具としての役割を果たしたかどうか(日々の充実)が全てであると考える。
が、結婚するとなかなかそう単純にはいかなくなってしまう。
青い鳥を追い続ける妻に、幸福のようなものを見せてやるか、幸福らしきものを感じさせてやらねばならなくなる。
妻が「幸せ」でないと、子どももまた青い鳥を追い続けるような羽目に陥りかねないから、ここは肝心であろう。
私が妻にした忠告は、「たられば」をいくら考えても現状は変わらない、そんな時間があるのなら、いかに今の環境を改善するかに費やすべきだ、という夢もロマンもないものだった。
しかし、シングルマザーだった今までは不安のあまり現実逃避志向が強くなりがちだっただろうが、私と結婚した今、精神的にも財政的にも多少の安定が得られるし、何事にも私が相談にのるので、今少し現実的な思考に戻ることができるのではないか、と信じている。

私が結婚を忌避していた理由の一つは、
「武士(もののふ)たるもの道具に特化すべきである」
という思いが強かったからだった。
道具に特化するだけでは許されなくなってしまい、私の人生はより複雑なものとなってしまった。
この難解な方程式を解き続けることが出来れば、私にまた新たなる境地が見えてくるのかどうか……
posted by ケン at 23:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

いかにして結婚の存続を図るか

常に最悪の事態を想定して準備しておくのは、秘書あるいは参謀役としての大きな務めであり、結婚するからには離婚する場合のことも考えておく必要がある。
が、離婚せずに済むのであれば、それにこしたことはなく、まずは「離婚しないように」努めることが望ましい。
現代日本では、離婚の三大要因として、

? 性格が合わない
? 異性関係
? 暴力、異常行為


が挙げられている。
男女別にすると多少順位が入れ替わるものの、まずはこれを基点としたい。
しかし、それにしても、現代日本では9割以上が恋愛結婚のはずで、「性格が合うから」結婚したはずなのだが、これはどう判断すべきであろうか。
私の場合は、ロシア女性と結婚するわけだが、ロシアにあってもこの順位に大きな変化はない。男性から女性への暴力の数はさらに増えるようだが。

結婚まではみんな猫をかぶっていて、結婚後、本性を現すのであろうか?
結婚すると、「馴れ合い」と惰性が強まり、互いの悪い面ばかりが強調されていくのだろうか?
結婚すると男女ともに性格が著しく変化していくのだろうか?

日本の場合、結婚すると「夫妻」というパートナー関係から、「父母」という家庭内役割に存在の重点が移っていく傾向は強く、自らの役割・責務を自覚し、まっとうできない人間が多い、という可能性はありそうだ。
つまり、夫妻というパートナーシップに双方で合意したものの、その時点では父母の役割分担に関する合意形成まではなされていないために、子どもができて家庭内環境が変化し、存在価値の比重も変化すると、契約条件も変化するために、双方の合意が難しくなる、ということかもしれない。
だが、そうであれば、子どものいない夫妻の方が離婚が少なければならないはずだが、必ずしもそうではなさそうだ。

米国などにおける離婚の研究を見ていると、この場合の「性格の不一致」は、「コミュニケーション不全」に起因することが多いらしい。
家庭というのは、最小単位のコミュニティであり、組織である。
組織であるからには、その運営には、人事・役割分担と財政、そして倫理・規律が欠かせない。
そして、運営にあたっては必ず問題が生じる。
妻にしても、夫にしても、第一の不満は人事と財政であり、第二の不満は倫理と規律なのだ。

第一の不満は、パートナーが自らの役割を果たさないことに対する不満であり、具体的には「夫の稼ぎが少ない」「妻が無駄遣いする」といった類のもの。あるいは「夫は子育てを手伝わない」とか「妻が働きたがる」というものもここに入る。
第二の不満は、パートナーが家庭のルールに従わないことに対する不満であり、具体的には「無断外泊」とか「携帯の履歴を見た」といった類のものになる。

が、こうした不満の大半は、家庭を組織として見ることなく、お互いに「分かっているだろう」と思い、いい加減な運営をしていることに起因する。
家庭を組織として考えた場合、運営方式をどうするか、役割分担と財政責任を明確にし、倫理と規律を制定し、目標を高く掲げる必要がある。

かつて江戸時代の農村では、村長にあたる名主(庄屋)は必ずしも代々相続されるものではなく、地域によっては「本百姓の持ち回り」や「札入れ(選挙)で選出」といった例も散見されたという。
相続型の名主にしても、百年続いた例は稀だったらしい。
つまり、家庭の運営もまた硬直化させることなく、柔軟に行われることが望ましい。

いまの民主党を見れば一目瞭然だが、組織というのは、運営方式が明確でなくとも、責任者がハッキリせずとも、なんとなく存続はできるのだ。
だが、ひとたび大問題が発生すると、危機に対処できなくなってしまう。
景気の良い民主党は何とかごまかせても、自民党は何ら自らが抱える問題に対処できず、自滅の道を歩んでいることは、象徴的だ。

また、忘れられがちなことは「目標の設定」である。
女性の多くが結婚をゴールと考えがちのようだが、現実には「期間の定めのない契約」であり、何もなければ延々と存続してしまうものなのだ。
しかし、あらゆる組織や個人には、夢や目標があった方が「引き締まる」ように、家庭にあっても同様であろう。
ダラダラと暮らしている家族よりも、「大きな店を持つ」とか「庭付きの家を建てる」といった目標があった方が、家庭内の秩序を保ちやすい。もちろん、この目標は家族内で共有されていることが前提となる。
日本国の秩序が瓦解しつつある一つの原因は、「どんな国にするか」という目標や夢がまったく共有されていない(示されてない)ことにある、と私は見ている。

民主主義社会で、かつ核家族化した家庭にあっては、夫婦さらには子どもとのコミュニケーション(議論)こそが運営の骨格となる。
運方法式から人事と財政、倫理と規律、家庭の夢や目標に至るまで、本来、家庭内で決めるべきことは沢山あり、その上に具体的な問題や課題が積まれていくはずなのだ。
しかし、現実の多くの家庭では、肝心なことは一切話されないか、なあなあで運営されており、その不満ばかりが蓄積し、さらには「そんなこと俺に言うなよ」と問題解決を拒否されてしまえば、あとは坂を転げ落ちて破綻するだけであろう。

あれだけ各種問題が続出している民主党の代表一家や代表代行一家が、危機を乗り越えて夫婦を共にしていられるのは、あらゆる問題が夫婦で共有され、かつ二人の間で夢が語られているからだと想像される。

幸いにして私の場合、暴力はないし、酒も煙草もあまり興味ないし、女性株も暴落中なので、財政とコミュニケーション上の課題さえクリアできれば、離婚の三大要因はクリアできるはずだ。
少なくとも、理論上は、だけどね。
posted by ケン at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

ケンちんの結婚を会計学で考える

「愛のない結婚は存続するかもしれないが、金のない結婚は必ず破綻する」

を信条としてきた私にとって、感情の赴くままに結婚してしまった(正確にはこれから)のは、痛恨の極みだった。
限定合理性こそが、人間の人間たる所以であり、そうでなければ日露戦争も日米開戦も説明がつかない。私の考え方は、日露開戦にギリギリまで反対した伊藤博文のそれに近いらしく、リターンよりもリスクをより大きく評価するものである。
かつて盧溝橋事件に際して、戦火の拡大を止めようとした石原莞爾は、作戦課長の武藤章に「あんたと同じことをしているだけだ」と言われて返答に窮したが、その武藤は日米開戦に際して留め男に回って、服部らに同じことを言われたという。
実は、私の母も「そんな(割の合わない)結婚……」と言いたいようなのだが、自分が何も考えずに学生結婚して親のスネをかじっていただけに、何も言えない有様らしい。

さて、私もいつまでもブルー入っていても仕方ないし、来週には彼女が来てしまうので、もはや逃れる術はほとんどない。
いや、もちろん「やっぱや〜めた!」と言うことは出来るのだが(基地問題のように)、それをやった時に失う信用リスクの方が、私は(理性的に)恐ろしい。
逆に考えれば、
「ケンは、一回別れて他の男と結婚した元カノと再婚して、その連れ子も引き取るらしい」
という評判を、もっとリターンとして計算する方が賢いのかもしれない。
そこで、今一度、自分の結婚を会計学的に精査してみることにした。

結婚を投資と見た場合、結婚によって得られる便益や効用と将来的に得られるであろうキャッシュフローを現在の価値に還元、そこから結婚にかかる初期費用、維持費、将来的なリスクを現在価値に還元したものを差し引いて計算する。
もちろん、これがプラスなら有益な結婚であり、マイナスなら「結婚しない方がいい」ということになる。
私の理性は、直感的(直観ではなく)にマイナスと判断しているのだが、どうだろうか。
結婚を構成する便益や効用は、

? 結婚本来の経済的、法的利便性
? 結婚で得られる満足感、幸福感
? 結婚で得られる社会的信用や評価
? パートナーや子どもとのリスク分散
? 結婚から得られる知見(経験値)


が考えられる。
?は、共働きによる収入増や世帯共有による家計費の削減、税的優遇、私の場合はロシア査証の取りやすさなどもこの範疇に入るであろう。
?は、事故や病気に際しての面倒、あるいは将来の介護や精神的安心感が含まれる。
逆に、結婚を構成する初期費用、維持費、将来的リスクは、

A:結婚で失われる経済的、法的利便性
B:結婚式、新婚旅行、新所帯などの費用
C:結婚で失われる自由、個人的時間、評価
D:結婚で増加する維持費(特に育児教育費)
E:関係悪化や離婚のリスクや損害


などが考えられよう。
私の妻は当面ロシアで働き、ロシアで暮らすので、経済的な有利さは小さいものの、私が家計的に支える度合いも低く済むため、ここは「低リターン・低コスト」と判断される。
が、私が将来的にロシアに移住して事業を始めることを考えた場合、法的コストを始めとする取引コストを大いに削減できるメリットがある。特に、日本国の財政破綻リスクが高まっているだけに、その選択肢は捨てきれない。

結婚にかかる直接的な初期費用は、彼女が再婚であることもあって、日本で一から結婚することを考えれば、ずっと安く上がりそうだ。当面は、新たに所帯も構えないので、随分と低コストになるが、将来的な移住を考えると大規模な貯金計画を立てる必要がある。
にしても、ロシアの片田舎でマンションを買うのは、日本の4分の1以下で済みそうであり、私にも十分チャンスがあると見て良い。
満足度は、取りあえずここ2、3週間がピークであり、その後どうなるかは全く分からない。特に遠距離別居婚のため、時間の経過とともに急速に低減していく可能性は、他の場合より高いかもしれない。が、少なくとも彼女の側に「つながっている」感に起因する幸福感が強いようなので、そこは今少し高く評価しても良いかもしれない。

逆に、遠距離別居婚のため、大部分の結婚では失われてしまう自由や個人的時間がそのまま残されることは、私にとって非常に大きい。
「ロシア人と結婚する」という点も、私の場合、プラスの評価にはなっても、マイナスは非常に少ないと考えられる。
「相手の連れ子を養っている」という社会的評価も決して小さくはないだろう。

リスク分散を行うためには、十分な教育投資が不可欠となる。
が、これとて教育投資をしたから、将来の面倒をみてもらえるという保証はない。私などはその典型的な例だ。
ここはあまり直結させないで、割り切って考えるべきところであろう。
私が将来的にロシアに骨を埋めるとは、正直なところ、現時点では想像できない。

今回の結婚で得られる経験値も未知数過ぎる。いかんせん一緒に住むワケじゃないし、テストケース的な感じだし……
国際結婚における離婚は手続きが煩雑なため、そのコストは大きいが、もともと結婚するつもりのなかった私としては、再婚するつもりもなく、まぁそのコストは低く見て良いだろう。
細々とではあるが、10年以上の付き合いの上での結婚だし、遠距離でも細やかに配慮すれば、リスクを低減することは可能であろう。
互いの浮気の可能性については、まぁ今論じてもねぇ……

以上、大雑把だが自分の結婚の収支予想を立てみたが、少なくともロシア移住を前提とする限りにおいては、理性が大暴れするほどヤバくないかも、という気はしないでもない。
が、いかんせん不確実性が高すぎて、投資というよりは投機の世界である。
要するに会計学的には、

「結婚は、リターン、リスクともにハイともローとも言えない、きわめて変動性と不確実性の高い商品である」

ということであろう。
確かに母上が言いたいことを我慢しておられるのもよく分かる。
およそ人間とは不合理な生き物なのだ。
それは、「当たりっこない」「貯金の方が確実」と分かっていても、この時期になると宝くじを買ってしまう精神と同じなのかもしれない(私は買いませんが)。
posted by ケン at 16:14| Comment(7) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする