2009年12月11日

査証下りてブルー?

ついに彼女の査証が下りた。
私が手配したのだから、そうそう失敗はないだろうとは踏んでいたものの、結果が出るまではやはり安心できない。
が、いざ「結婚」が現実のものとなって近づいてくると、不安や想定外の要素ばかりが目につくようになる。

ラ・ペルラのランジェリーはしっかり予算計上してたくせに、肝心要の結婚指輪については、すっかり忘れ去っていて、今さっき思い出して顔を真っ青にしたケン先生。
いや、全てが想定外のことの上に、予想外に進行が早いため、対応も予算も追いつかないのは致し方ないところだろう。
まさかこの私が、しかも今、結婚指輪の購入について悩むことになろうとは……

取りあえず気を取り直して調べてみたところ、
婚約指輪はピンキリで値のはるものが相場になっているようだが、結婚指輪は普段するものなだけに意外とシンプルなもので良さそうだ、ということが判明。

「な〜んだ、ラ・ペルラよりも安いのもあるじゃん!!」

と勝手に納得(勘違い?)。
それでも、一般的には金価格の高騰に伴い、値上がりしているらしいが、上手く在庫品を買ってしまえば、安く上げられそうだ。

まぁそれはそうだろう。
婚約指輪は、女性を「財」に見立てた上での「手付金」に相当するものだから、相手の女性に価値を認めれば認めるほど高い指輪を贈る必要が生じることになる。
勘違いしている女性のために、敢えて付け加えておくと、無色透明のダイヤモンドは女性の無垢を象徴するものであり、婚姻まで貞操を護持する約束の証でもある。従って、原則的あるいは根源的には、非処女の女性にダイヤモンドをくれてやる謂われは何もない。
もっとも今日では、その原点も忘れ去られ、女性の社会的身分や家産よりも、宝飾業界のマーケティングによるところが大きくなってしまい、ほとんど男性の見栄と女性の貪欲を表すものに成り果ててしまっている観がある。
今回の私の場合などは、どこをどう判断しても負債を背負うだけの話だから、ここは問答無用ですっ飛ばせていただこう。
一応、権威に補完しておいてもらおう。
「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。連中は、それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

(マタイによる福音書 第7章6節)

結婚指輪の交換がカトリック教会の正式な儀式として認められたのは、11世紀頃のようで、キリスト教の普及に伴って、ヨーロッパ全体にその習慣が広まっていった。
ごく初期の結婚指輪は、鉄で出来ていたらしく、鉄の「絆の強さ」、輪の「永劫回帰」を意味するものとして、それを交換することで、神の前で貞操と誠実を誓った。その後、鉄から金に変わり、今でも「国際標準」は金らしいが、日本ではプラチナが人気らしい。銀を好む江戸時代の精神が今日にまで影響しているのかもしれない。

ロシアでは、伝統的に結婚指輪は金のものとされている。
だが、普段指にする場合、24金では強度が弱く、軟らかすぎるため、18金のものが多いという。
ちなみに、ロシアでは結婚指輪は、右手薬指にする。
彼女は職業柄(メイク&エステティシャン)、普段はつけないと思われる。
私は指輪はおろか、腕時計すら受け付けないから、指輪交換自体、象徴的行事の域を出ない。

それにしても、金の指輪ではイマイチ面白くない気もする。
スターリンが「鉄の人」のあだ名をそのまま本名にしてしまったように、ロシア人は鉄に代表される「強さ」の信者でもある。
ロシア人と結婚するからには、絆の強さをもっと強調すべきではなかろうか。
そこでケン先生的には、

タングステン鋼リング

を提唱したい。
3400度の融点を持ち、ダイヤモンドに匹敵する硬度を備え、比重も大きいタングステンは、対戦車や対艦船用の徹甲弾としても用いられている。
そのため、落としても踏んづけても、100年経っても、その輝きを失わない、と言われている(本当きゃ?)。
その上、錆びないし、アレルギーも少ないときている。
まぁ重量的には金の2.5倍くらいになってしまうので、普段はつけられそうにないが……
私的には、この黒光り具合とコストが非常にミリキ的なのだが、どうであろう?
やっぱ今どき何の役に持たない象徴なんて、それ自体、事業仕分けの対象ッスよ!

同志諸兄の忌憚ない意見を伺いたい。

【12月13日、付記】
誤解ではありませんが、相当偏った記事になってしまったので、多少説明を付けて、タイトルを変更しました。
posted by ケン at 23:42| Comment(14) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

「アイシテル」をめぐる諸相

ロシア語で「愛してる」って何て言うんですか?
時々聞かれることだが、返答するには少々戸惑ってしまう。
恐らくこんなことを聞いてくるような人たちは、ロシア人もまた、アメリカ人やフランス人みたいに「三日も言わないと離婚」ぐらいの文化だと思っているに違いないからだ。
だが、言語使用の実際において、ロシア人はそうそう「люблю тебя(リュブリュー・ティビャー)」なんて言わない。私のイメージでは、フランス人やイタリア人よりもはるかに少なく、日本人よりは多い、くらいだろうか。

私の場合、婚約者を含めて、これまでに3人のロシア女性と付き合ったことがあるが、「люблю тебя」と言われたことは、片手で数えて指が余ってしまうほどしかない。
嫁に至っては、十数年前に付き合っていた時には言われたことはなく、今回初めて言われたという有様。
「十三年ぶり一回目」ですか、みたいな……
もちろん、ロシア人といっても様々だし、単にどの場合も私の片思いだったという可能性も捨てきれない。
まぁ学術的には、各国の文学作品から「愛してる」という台詞が使われている回数を比較したりする必要があるのだろうが、とてもそんなことをするつもりはない。
少なくとも私の印象では、ロシア語では、よほど愛が深まって、思い詰めないと、「люблю тебя」は出てこない感じだ。
何を隠そう、この私も初めてロシア人の恋人ができた時には、「ここはやはり(フランスのように)早めに意思表示した方がいいだろう」と考えて、告白してみたところ、「そういう大切な言葉を軽々しく使うものじゃないわよ」とたしなめられてしまった苦い経験がある。

翻って、日本の言語使用の現場において「愛してる」が使われることは、ごく稀かと思われる。少なくとも、私の数少ない恋愛経験においては使われたことはない。つまり、言ったことも言われたこともない。せいぜい「好き」がいいところだろう。
それは、言葉における実存性が希薄である、つまりリアリティがないからだと考えられる。
たとえ恋愛関係にある二人にあって、盛り上がっている最中にあっても、「愛してる」では映画の字幕でも見ているようなイメージになってしまうのではなかろうか。
要するに「ウソくさい」のである。
では、フランス語の「Je t’aime」やスペイン語の「Te amo」に相当する日本語が他にあるのか言われると、「無い」としか答えようがない。
こう言うと、ラテン系の皆さんには「じゃあ何て言うんですか!?」と逆ギレされてしまうわけだが、無いものは致し方ないし、フランス人に「愛してます」と言われる分には、日本人が言うよりはリアリティが存在すると思われる。
それは、日本語に愛情表現が少ないからではなく、日本人が直接的な表現を好まないという選好あるいは文化の問題なのだ。しかし、それ故に日本人、特に男性は直接的表現が横行する文化では生きづらいのではなかろうか。
逆に、ロシアぐらいなら、日本人男性でも何とか恋愛シーンを乗り越えられる可能性があると私は見ている。

さて、「愛してる」をめぐる感覚的差異は、異文化間だけでなく、男女間(ジェンダー)においても存在する。
多くの場合、男性が「愛してる(に相当するもの)」と言う時は、あえてゲスな表現をすれば、「だから一発やらせてくれ」という意味が強い。
逆に女性、特に乙女モード入っている女子の場合、同じ「愛してる」と言っても、「だからずっと私を大事にしてね」という意図が隠されている。
もちろん現実には、乙女モードを装備していない肉食女子(死語を使えば「LOVE、SEX、MONEY」)も多数おり、肉が肉を求め合うような関係も少なくないだろう。
現実にお互いに愛を告白する際に、隠された意図が表に見えるとは限らないが、無意識的に求めているものが食い違う、同床異夢の状態はままあると考えられる。
後になって、「こんなはずじゃなかった」と言い出すのは、言葉の裏に隠された根源的な欲望の差異が表面化するためである。
つまり、「愛してる」という言葉(表現)を真に受けて、相手の真の意図を読み違えると、後々ツケを払わされることになる。私が見てきた限り、結婚の破綻の大半はここに起因している。
しかし、愛という麻薬の前には大概の理性は麻痺してしまう。私もまたその例外ではない。

実は、私も彼女から告白を受けたは良いものの、今回はまだ私の方からは肝心な言葉を伝えていない。
ここがどうやら最終防衛ラインらしいのだが、あまりにも頼りなさげだ。
まぁ今さら防衛線を張っても遅いのだが……

【追記】
「люблю тебя」と「тебя люблю」では微妙に意味が異なってくるのだが、文脈にも依るので、今回はあえて放置してます。
posted by ケン at 23:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

結婚の正当性について考える

今回の結婚(の決断)は、いわばクーデター的に成立している。
いわば、脳内議会の少数党である感情が、議場を封鎖、多数党の理性を排除したまま、強行採決してしまったような感じなのだ。
従って、今回の結婚については、まだ理性の合意を得られてはいない状態なので、私的には久しぶりに脳内対立(分裂)の状態にある。
通常、私の理性は比較的寛容で、Pルシェを買うような「暴挙」にも特段反対はしなかった。その理性が大反対したのだから、今回の結婚はそれほどリスクの高いものであることは、十分承知している。
だが、今さら「やっぱや〜めた!」とは言えないことも理性は理解しているので、せめて議長裁定を通じて、理性が納得のいくよう、説明責任を果たさねばならなかった。
そこでまず現状認識から確認しよう。

? 公設秘書:特別職国家公務員であり、それなりの収入はあるものの、議員が落選すればそれでおしまいという不安定さを伴っている。議員の強度を考えた場合、次の選挙で再選する可能性は比例復活を含めて7割強といったところだろうか。次の次は4〜5割程度になる可能性がある。つまり、私のポストがまず安定的であるのはせいぜい6〜7年程度のことであり、最短で3年、最長では10年以上という幅がある。しかし、今の議員には大恩があり、少なくとも再選させなければ、義理が立たない。

? 結婚生活:勢いで結婚するはまだ良しとしても、当面は遠距離別居婚が余儀なくされる。だが、その状況が保てつのはせいぜい2〜3年が限界ではなかろうか。もちろん、それ以上続く可能性も十分あるわけだが、破綻するリスクが上昇していくことは否めない。そして、破綻した国際結婚の後始末は厄介なことが多い。現実的に、私がロシアに行けるのは年に2、3度、しかも一週間程度という短い期間でしかない。となると最終的には、彼女たちを日本に呼び寄せるか、私がロシアに移住するかの選択を、いずれ迫られることになるだろう。

? 日本とロシア:ここが鍵。日本政府の財政状況はすでに先年のアルゼンチンか韓国に近づきつつある。国債発行残高は昨年末で681兆円を超え、その利子だけでも単純計算で10兆円を大きく超える有様。そのくせ税収はついに40兆円を割り込むと見られており、国債発行額が税収を上回ることはほぼ確実だろう。さらにデフレと円高。現金給与総額(平均賃金)は、ついに17カ月連続でマイナスを更新し、その他の物価も下がる一方にある。ジーンズは千円を切り、ビールもどきは百円を切ってしまっている。日本の保有外貨のほとんどは米ドルであり、これが暴落する時、日本の財政も経済も同時に破綻する恐れが強い。この状況に対して、政府も日銀も有効な対策を打てないまま、デフレスパイラルはさらに進行していくと見られる。対するロシアは、相変わらず資源に依存した経済から脱却できずにいるものの、資源、地政学上の利点、国内需要、開発の余地の大きさなどを考えると、上げ下げはあっても、長期的にはまず成長を続けていくものと見られる。

以上を考えると、3年半以内に行われる次の総選挙までは、何とか現状を維持しつつ、その時の情勢を見て、「国政への奉仕」か「愛に生きる」か、という究極的な選択をせざるを得なくなると見られる。

しかし、周囲を見渡すと、アメリカはいつ国家的に破綻してもおかしくない情勢にあり、日本の財政も「年収20年分の借金」という破綻ラインに限りなく近づきつつある。アルゼンチンやソ連を見れば分かるとおり、財政破綻すれば、公務員の給料など何の意味もなく、円で持っている資産も価値を失うであろう。とすれば、そうなるギリギリまで現金を貯め込んで、破綻を見越したところで外貨に換えて高飛びを図るのが、保身上は最高の選択になる。

だが、問題はいつまでアメリカや日本が「保つ」か、ということだが、こればかりは占いでもしてみる以外にない。分かっているのは、「相当ヤバい」ということと、「対策不十分」ということだけ(十兆円の金融緩和など焼け石に水)。
ソ連崩壊の現実を目の当たりにした私にとって、国家の崩壊は十分なリアリティを持って想像できる。ひとたびカオスと化せば、奉仕や忠誠などといった徳目はまったく価値を失い、自らの生き残りに全力を挙げるしかない。世界は、美徳から退廃へ、そして、退廃から美徳へと向かう円還なのだから。
ロシアへの移住を前提とするなら、デフレがさらに悪化する前に資産を整理して、P市でマンションを購入し、日本語学校を開校する準備をするという選択肢を考慮する必要がある。決断を急ぐ必要はないだろうが……

以前、凄腕の占師と評判の方にホロスコープを見てもらった際、「40前に結婚しますが、その前後で運命が大きく変わります」と言われたことがある。
いや、いくら何でも変わりすぎだろう。しかも、せっかく政界で「政権」と「政策秘書」という二大悲願を成就した途端に、こんな究極的な選択肢が現れるとは……
最初に言い出したはずの彼女もまた「こんなに早く、っていうよりも、そもそももう再婚するつもりなんてなかったのに……」と述懐している始末で、まぁ結婚は勢いなんだな、と。

この週末でここまで思考を整理したところ、ようやく私の理性も渋々黙認してくれたらしく、何とか精神に平静が戻っている。
とか何とか言って、査証が下りなければ、そもそも「無かった」ことにもなりかねないのだから、あまり突き詰めても詮無きことなのだが……
いやはや、コントロールが利かない感情には困ったものである。
posted by ケン at 23:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

突撃あるのみ?

腹はくくったんだから、あとは前進するしかないはずだが、あまりにも実感が湧かない。
それはそうだろう。
いくら「元カノ」とはいえ、一週間いっしょに過ごして、最終日に告白しただけで、どうしてこんな事態になってしまうのか、理性的にはまったく説明つかない。

まぁ歴史のターニングポイントとはこんなものなのかもしれない。
下関戦争・長州征討からわずか4年で幕府が瓦解するとは(ほとんど)誰も思わなかっただろう。
また、昭和11年2月20日に総選挙で民政党が勝利したにもかかわらず、その6日後に2・26事件が起き、その翌年には日中戦争が勃発して戦前の議会政治は窒息死してしまった。
国家のことが個人ではどうにもならないのは、まだ理解できるとしても、個人に起きていることすらコントロールできないとは……

などとつらつら思っているうちに事態はさらに展開しつつある。
すでに査証関係の書類はほぼ整い(プロですから)、明日EMSで発送する。
彼女はそれとパスポートなどを持って、日本大使館で査証申請し、特に問題がなければ、約1週間後に発行される。
予定通り行けば、12月の第二週にも出るだろう。
来日は24日を予定しているから、あと1カ月しかないので、申請に不備が認められればそれでアウトになりかねない、微妙なラインである。
まぁできる限りのことはしたから、そこで悩んでも仕方ない。

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出会った頃の勇姿?完璧なファティマ体型なのデス。

次は「婚姻報告会」の手はずである。
すでに、12月26日(土)の夜と日程だけは決まっている。
その他の予定を考えると、最初から選択肢はほとんどなかった。
場所は現在調整中だが、メドを付けているところで確定すると思われる。
しかし、飲み会の幹事すらロクにやったことのない(嫌いだから)私が、こんなパーティーのプロデュースをすることになろうとは!
先週末に名簿の洗い出しを行ったのだが、ビシバシ「仕分け」をしたところ、10人ぐらいしか残らず、「さすがにやり過ぎだろう」と反省、再調整中。
最終的には30人強ぐらいになるだろうか。

会場的には余裕があるので、この際ブログのオフ会も兼ねようかと。
ケン先生の「婚姻報告会兼ブログオフ会」に出席を希望される方は、プロフィール欄のアドレスまで「出席希望」の連絡をください。
なお、応募者多数の場合は当方の宰領にて抽選とさせていただきます。
ケン先生婚姻報告会兼ブログオフ会

日時:12月26日(土)17時〜20時
場所:東京都内中心部(青山?)
会費:8千円(予定)

なお、占いスペースと写真展示スペースを併設する計画。
そのまま翌日から上方に新婚旅行だが、とてもそこまではまだ頭が回らない。
「姫」で東海道を駆け上り、伊勢・伊賀を通って、大和に出る計画ぐらいは漠然とあるが。

ところで、予てより彼女が最も懸念していたのは、査証のことではなく、私が親(母)を説得できるか否か、ということだった。
「実家で一緒に住む」などと言わない限り、母が口舌がましいことを言うはずもなく、まして反対するなどあり得ないことは、私にとっては自明の理であり、彼女にもそう説明したのだが、さすがに心配は収まらなかったようだ。
まぁ彼女にすれば、日本人から見れば準敵性外国人で、一回は私を袖にした上、さらに他人と結婚して子どもまでつくって、しかもお互い初老間近という、およそプラスに作用する点がないわけだから、当然といえば当然だろう。客観的に見て、物好きな上にお人好しなのは、私以外の何者でもない。

私的には「ビザが下りてからでも遅くないだろう」ぐらいに考えていたのだが、電話するたびに気にかけているので、やむなく母上に報告。

「実はこのたび、自分、ちょっと結婚してみることにしました!」

「あ、そう。別に(私たちと)一緒に住むワケじゃないんでしょ」
「あら、じゃあ家を出て行くのね」(叔母)

「はい、相方はロシア人にて当面別居婚の予定にございます……」

「そ、好きになさい」
「じゃ、別に何も変わりないのね」(叔母)

終了〜〜
わが一族はどこまでも合理的(個人主義?)だった。
結果は分かっていたが、ここまで無風状態とは……
早速、彼女に報告。

「全部報告したから大丈夫。母上も会うのを楽しみにしているよ。」

これくらいのウソは許されるよ、ね……(泣)
でも、嬉しそうな彼女の声が胸を突いたのは言うまでもない。

【追記】
「婚姻報告会」ですが、リアルな招待状が届くのは12月上旬以降となりそうです。当方ずさん故、名簿漏れの可能性もありますので、出席を希望される方は、ご面倒をおかけしますが、あらかじめお知らせ頂きますと助かります。
posted by ケン at 23:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

急速展開中?

帰国して早や2週間。彼女との再会と再告白がウソのようでもある。
私がインチキくさい哲学思考にふけっている間にも、事態は急展開している。
すでに彼女の単独来日について合意がなされ、ビザ申請の書類を整えている段階にある。
前回は、彼女が私をロシアに「招待」したわけだが、その手続きの煩雑さについては、すでに述べた。
今度は、私が彼女を日本に「招待」する番である。

ロシア人を日本に呼ぶためには、日本国査証を取得する必要がある。
招聘人たる私が、住民票や招聘理由書、滞在計画などの書類を揃えて送り、彼女はそれを持ってモスクワの日本国大使館へ行き、査証申請しなければならない。
招聘人の他に、「身元保証人」が必要になるわけだが、これは私が兼ねても良いのだが、ここは敢えて私の雇用者にお願いすることにした。
問題は、「若い異性」を呼ぶような場合で、偽装結婚や不法労働の嫌疑がかけられるために、二人の関係を証明する文書を添付する必要が生じる。
つまり、私と彼女の関係と招待するに至った経緯を延々と説明する文書に、彼女とやりとりした手紙やメール、さらには通話記録や写真まで添付しなければならないのだ。
凄まじい人権侵害だと思わずにはいられないが、治安維持とのバランスの問題(私権と公共)であり、権力側に身を置く公務員としては黙って従う以外にない。
彼女の場合、ロシアで生活に困っているわけではなく、好き者中高年男性が通うような悪所で働く年齢でもないし、私も一応国家公務員なわけだし(逆にスパイ容疑?)、まぁ大丈夫かとも思うのだが……

最短で12月末にも来ることになるのだが、私と彼女の仕事のスケジュールを考えると、やはり長期の滞在は難しく、せいぜい1週間から10日程度が限度となりそう。
しかも、年末年始は役所が閉まってしまうので、書類もスケジューリングも十二分に準備しておかなければならない。
結婚式は、私の入信という重大な決断を要するだけに今回は先送りするとして、最低限「ファティマのお披露目式」(かなり年増だが)くらいは執り行わねば示しがつかないだろう(誰に?)。
だが、「お披露目式」とはいえ、私の人脈はあまりにも多岐に渡りすぎていて、誰をどのような形で招待すべきか……場所の目星は付けているのだが……いや、そもそも「招待」なんてしたくなくて、「(見に、あるいはからかいに)来たい人は来て」ぐらいのつもりだし……できればブログのオフ会も兼ねてとか……占い館と写真展も兼ねて……MCとDJは誰に頼むんだ?……
雇用者のところにも挨拶に行かねばならないし、そのついでに京都観光(新婚旅行?)とか……
予算編成に際しては、赤字国債を発行しないと……

ぐはっ、頭が痛くなってきた……
ただでさえ年末と国会の混乱で忙しいのに……
自分、予算編成前に倒れるかも、デス(笑)
posted by ケン at 02:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

帰国してつらつら思ふ

10数年ぶりの肌は温かかった。
私の記憶には、夜中、体に触れたところ、あまりの冷たさに目が覚めてしまったという強烈な思い出しか残っていなかっただけに、印象深かった。
私の体温は36.5度という子どもじみたものなのだが(ちょっと汗かくとすぐ37度に!)、彼女のそれは恐らく35度ちょっとしかないと思われる。が、今はその差も少し縮まったのかもしれない。

それにしても12年……
ロシアで一度は全てを失い、彼女にプロポーズ?を断られ、尾羽打ち枯らして日本へ帰り、様々な仕事に就いて、政界に身を落ち着けるようになったのが10年ほど前。
それも一旦は挫折し、4年前に再び今度は教員としてロシアに渡り、その2年後また日本に戻って今の地位にある。
我ながら変転の多い人生だが、ロシアの元恋人に請われて「故郷」に戻り、当面遠距離とはいえ、ヨリを戻すことになるとは、我ながら想定外のことだった。

男性が昔の恋人のことが忘れられないという話は良く聞くが、女性がかつての彼氏を想い出して焦がれるというのは、まず耳にしたことがない。
私の場合、悪感情を残して別れたという経験がないだけに、縁があれば今でも普通に元恋人たちと会うこともできると思うし、良い思い出も多いが、理由があって別れたのであって、「ヨリを戻す」という選択肢を現実的に考えたことはなかった。
その意味では、「あの時あの女性と付き合っていたら、どうなっていただろう?」と別の女性のことを考えることの方が多かったかもしれない。

彼女的には、「あの時ケンのプロポーズを受けていたら……」とか「いま隣にケンがいたら……」ということを、たびたび思っていたらしい。
が、私的には、あの時に断ってもらったが故に、苦労したとはいえ、今の地位と仕事にあるわけで、あの時ロシアに残っていたとしても、事業の継続は困難を極め、結局のところは事業も結婚も破綻したのではないか、と余裕を持って推察できる。
思い返すに、98年時点の私は、完全に尻に火が付いており、『日本のいちばん長い日』の畑中少佐ほどではないにせよ、よほど追い込まれた状態でプロポーズしていたはずだから、まぁあれを受けるようなヤツはいないだろう(笑)
その後、彼女は結婚、出産、離婚と重武装路線を歩み、対する私は、紆余曲折はあったものの、軽武装路線を歩んでフリーハンドを維持している。

今になって思うのは、釈迦のキモチである。
釈迦は、王子というステータスも不自由ない結婚も捨てて出家してしまうわけだが、愛も家族も「重い」荷物なのだ。
愛情や家族愛は、その続柄関係においては幸福に作用するかもしれないが、それを維持するためには、時として貪欲になり、他者の利益や幸福を奪わねばならないことがある。
「起きて半畳、寝て一畳」
は、サルの言葉だが、自分一人なら一畳で満足できても、家族がいれば一畳では済まされない。
恋人・妻、家族のために貪欲に働き、家族共同体を構成する公共財を提供する義務が生じる。
貪欲とは無限の煩悩であり、自分一人ならほどほどで満足することができても、家族を満足させるためにはどこまでも貪欲にならざるを得ない。
義務とは飽くなき宿業であり、家族に対する義務を感じるが故に、ますます自らを縛り付けていくことになる。己に対する義務は容易に放棄できても、家族に対する義務はそうはいかない。
故に、仏教においては、愛は渇望であり貪欲であるとして、決して徳目とは見なさない。

卑近な例を挙げれば、Pルシェは乗らなくなったり、お金に困ったりしても、売っ払ってしまえばそれでお仕舞いだが(現に、大学院進学に際してはJャガーを売った)、恋人や家族はそうはいかない(捨てる人も少なくないが)。
つまり、物欲のコントロールは比較的容易だが、性欲や愛欲のコントロールは非常に難しいのである。
あるいは責任が生じる期間で考えた場合、犬猫の面倒なら10年程度のスパンで済むが、子どもの面倒は最低でも20年近く、下手すれば何十年と見なければならなくなる。Pルシェなら、欲しい時に買って、いらなくなれば売れば良い。現に私は手放すべきかどうかの判断を余儀なくされるだろう。

恋人を持つ、あるいは家族を有するということは、経済的にはコストパフォーマンスの問題として解決される。
つまり、「精神的に満たされる」という便益(物理的利益もあるが)と、物心ともの投資が見合うかどうか、という話であろう。
これは西欧哲学的には「エロース」として解釈される。
便益が投資を上回れば、その関係は維持されるが、投資に見合う便益が得られない場合、その関係は危機に陥る。
エロースにおいては、常に対価が求められ、対価に相応しい投資が必要となる。
この対価を求める精神こそが、仏教における「執着(しゅうじゃく)」である。

「もっと豊かになりたい」「もっと長生きしたい」「もっと出世したい」といった執着は、人間の生命の原動力ではあるが、それ故に重く、苦しいものとなる。
「豊かになりたい」「出世したい」と思わなければ、大して働かなくて良いし、他人の金や仕事を奪う必要もなくなる。
「長生きしたい」と思わなければ、食べたいものが食べられるし、他人に診療機会を譲ることもできる。
執着は容易に貪欲となり、まず自らを、そして他者を蝕んでいく。

長い独り身生活の中で、私はこの執着をかなり捨てたつもりで、政治的野望以外、気楽な人生を享受していた気になっていた。
政界という修羅道を突き進むには、重い荷物はできる限り捨てていくべきだとも考えた。
が、彼女と再会した途端に人間道に引き戻されてしまった。
これは、縁起なのか、業なのか。
あるいは、彼女が求めて私が応じたのか、私が求めたからこそ彼女が応じたのか。
今後、私がどのような世界の中で生き、どのような世界観を再構築していくのか、私自身、非常に興味深く思っている。
posted by ケン at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

三高&3NB宣言

女性の社会進出が進み、経済力が強化されつつある一方で、男性の雇用環境と経済力は大きく悪化している。
それを反映してか、結婚願望のある女性が指向する理想のパートナーの条件も変化しつつあるという話は以前にした

「三低」といって、具体的には「低姿勢・低依存・低リスク」を指すという。
一時言われた「三手」(手伝う=家事や育児への積極姿勢、手を取り合う=理解と協力、手をつなぐ=愛情)なら理解もできるが、「三低」はビミョーな気がする。
それはともかくとして、
女性が売り手市場だというならば、男性は買い手市場に違いない(笑)
私もちょこっと出世したことだし、少し目標のハードルを上げてみることにした。
そこで考えついたのが、「三高&3NB」である。
「三高」は従来のそれと同じ。

高身長:やっぱ170cmくらい欲しいよね。最低でも四捨五入で170。体重は60kg以下ということで。

高収入:上を見ればキリがないが、額面で700万円くらいは欲しいとこ。だが、フロー面だけでなく、ストック(実家等)からも判断する必要あり。そうでないと私の持ち出しが増えて、「姫」にすら乗れなくなっちゃう。やはり最大の懸念は生活水準が維持できるかであろう。

高学歴:私の場合、正確には「高教養」。教養の基本は、歴史、文学、芸術、宗教。軍事までは要求しないけど、私のロシアや宗教ネタについてこられないようでは、そもそも会話が成り立たない。あと東洋人の場合、重要なのは漢学の素養になるだろう。西洋人ならギリシヤ・ローマ古典か。

「3NB」は私の新基軸。和製英語?

ノー・ベイビー:子どもはいらない。金も時間も足りないし、面倒見るの面倒だし。それに、ガキっぽい女もノーサンキュー。

ノー・ボイン:要は微乳のことですな(Bカップまで?)。これまで付き合った女性の8割がそうだったことを考えると、もはや癖(フェチ)としか言いようがない。ちなみに、低学歴には巨乳好き、高学歴には微乳好きの傾向が認められるとも言われ、その点でも私は一応「インテリ」らしい。

ノー・ブス:ここだけ「美人限定」から後退中。今どきブスということは、よほどメイクやファッションのセンスがなく、自己表現・演出が下手である証拠。そんなのと付き合っても面白くないし、連れていても恥ずかしいでしょ!

ふっふっふ、だいぶ詰めてきたぞ。
ロシアから帰還後にはいよいよ「恋人募集宣言」?
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