2009年09月26日

再就職のお祝い

U姉様より再就職のお祝いにプレゼントをもらう。
考えてみれば、自分は姉様のサロンの開業祝いに何か持って行ったか?という気もするのだが、何も渡していないということはないと思うのだが思い出せない。
まぁ深く考えるのはやめておこう。

今回は姉様のサロンの品をいただいた。
オーラソーマの「イクイリブリアム」と「エアコンディショナー」。
オーラソーマとは、ごく簡単に言えば、カラーセラピーの一流派で、100本以上あるカラーボトル「イクイリブリアム」から4本を直感的に選んで、そこから現在の心理状態や深層的な願望や才能、あるいは未来の可能性などを探る手法をとる。そこを基点に様々なヒーリングの手法が編み出され、占星学やタロットなどの神秘主義とも関連づけながら発展を続けている。
私の方は神秘主義とも芸術とも離れてしまっているのだが……

as11.JPG

まずはボトルB011「花の鎖」。
ここ数年はまず一本目に選ばれることが多く、いわば私のメインテーマである。
「無条件の愛」を象徴し、「ありのままの自分を愛する」という意味を持つ。
一本目に選ばれた場合、「他者への共感」「優しさ」「周囲を勇気づける力」「困難に立ち向かう力」などの意味が付与されるという。
ボトルは近くに置いて眺めているだけでも、その人が持つ「内なる力」を保ち、引き出す効果がある(らしい)。
ま、自宅の机の脇に置いておくことにしよう。
私自身は、「共感」とか「優しさ」を主体的に自己のテーマにしたことはないのだが……

ladynada.JPG

エアコンディショナーは部屋などにスプレーすることにより、そこを浄化し、香りとエネルギーをもたらすという。
私が選んだのは「レディ・ナダ」。
B011に対応するのは「ピンク」なのだが、香り的にこちらの方が好きだった。
対応するボトルはB052の「レディ・ナダ」で、意味的には良く似ているのだが、より積極的なイメージがある。
「愛を求める人に愛を与える」「人々を守り、理想に導く」「攻撃性からの救済」といった感じだろうか。
これは事務所に置いておいて(暫く一人らしいし)、多忙なときやイライラしたときに噴霧することにしよう。

しかし、少なくともオーラソーマ的には、私は相当に女性性が強いらしいのだが、どうなんだろう?
思えば、占いの師匠も「ケンちゃんは女性性が強いから男性性の強い女性がいいんだよ」と言っていたが……
「今度元カノに会ったら手料理ぐらいは作ってやるか」ぐらいは思っているけど、そういうこと?
う〜ん、ナゾだ。
ただ、「蛇のように賢く、鳩のように純真でありなさい」を秘書としての心得としていることとは少し繋がっているかも、とは思う。
posted by ケン at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

男性の草食化は合理的選択?続

内田樹氏の文に触発されて、思ったところを述べておきたい。
先に若い男性の草食化は合理的選択である、という仮説を経済学的に説明してみた。今度はいま少し異なる視点から考えてみたい。

最近思うのは、どうやら30代半ばを境に、日本人の行動原理が大きく違ってきているのではないか、ということである。
特に20代の人たちのやる気や積極性の無さを見ていると、「あんた何でここにいるの?」と口に出したくなってしまう。
しかし、「これは不確実性を増しつつある現代社会における適正な生存方法なのだ」と言われるとある程度納得できる。

「30代半ば」というのは、80年代末のバブル期に美味しい目を見たか否か、という分岐点でもある。
あるいは高度成長を実感できた最後の世代と規定しても良いだろう。
ここから上の世代は、右肩上がりの成長を体感しながら育ってきた。これを「成長世代」と仮称しよう。
そのため、「良いこと」や「美味しい話」には真っ先に飛びつくのが常識であり、自己主張も「したもの勝ち」という傾向が強かった。いわば人生そのものに対して前のめりなのだ。
だが、30代半ば以下の世代は、すでに右肩上がりの成長を終え、バブル崩壊後の社会で成人しているため、「良いこと」や「美味しい話」そのものに懐疑的であり、自己主張は「ババを引かされるのがオチ」という傾向が強くなっていった。つまり、人生そのものに後ろ向きと言える。

右肩上がりの成長期には、将来の利益が高い確率で約束されているため、投資リスクが低くなる。むしろ先に投資しなければ利益が薄くなってしまう。
これは人の行動原理にも現れる。
「成長世代」の特徴は、「宣言(誓言)好き」にある。

「今度のテストでは100点取ります!」
「巨人以外が指名しても行きません!」
「ボクは絶対浮気しません!」
「ダイエット10kg完遂します!」

ある一つの行為をただ実行するのと、宣言してから実行するのとでは、価値が異なる。
想像してみて欲しい。
ある日、自分の子どもが100点のテストを持ってきて見せてくれた時と、
一週間前に「お母さん、今度のテストでボク絶対100点取るからね!」と宣言して、本当に100点のテストを持ってきた時。
2つのケースのどちらの方が親として喜びが大きいだろうか?
ほとんどの人は後者を選ぶのではなかろうか。

これは、「100点のテスト」そのものの価値は同じであるものの、
「誓言」を行ったことで予め自己規定しつつ、「誓約を守った」というプレミアムがつくためと考えられる。
後者の子どもの場合、「ボクちゃんと勉強するから見ててね」と自己規定し、母と約束した上で、実際に100点を取って帰ってきた。これは、「100点」という物理的成果の上に「母への誓約を守った」という倫理的成果を積み重ねたことを意味する。さらに自己を律することができることを示したのだから、むしろテストの点よりも嬉しいと感じるかもしれない。

こうした「誓言」を経済学的に説明するなら、
「自分の将来を担保にすることで、行動の価値を高める投資行為」
ということになる。
自らの将来について予告して自己規定することで、行為の結果に様々なプレミアムが付いて、価値が高まることが期待される。
しかし一方で、自分の行動や選択肢が大いに狭められるため柔軟な行動が難しくなるとともに、誓言が達成できなかった場合、非難されたり、信用を失うといったリスクが伴う。

例えば、上記の「巨人以外が指名しても行きません!」の場合、
その人の価値が高く、巨人が指名することに確証があるならば、他の球団に諦めさせる効果があるやもしれない。
しかし、巨人がそもそもその人に価値を認めなかった場合、彼はどこの球団からも指名されないとか、誓約を破って他球団に入る(そして非難される)といったリスクを負うことになる。

「ボクは絶対浮気しません!」
は、「浮気しない」という担保をパートナーに与えることで、万が一浮気した場合に非難する権利を予め保障しておく効果がある。
もちろん、現実的には感情の問題であって、非常に脆弱な誓約ではあるのだが、言質を取ることでパートナーの地位が相対的に向上し、優位な立場に立てることを意味する。
言わされるのは専ら男性に多いようだが、これはもともと立場が弱い女性が男性の地位と行動を拘束するために言わせるよう仕向けるためであると考えられる。
男性が圧倒的に女性を従わせている状態では、男性がそんなことを言う必要もなく、女性上位が確立している関係なら逆に疑いがかけられる要因になりかねない。

少し例を挙げすぎたが、成長期にあっては、たとえ将来の行動や選択肢を担保に入れても、成果が大きいために利子に相当するプレミアムも大きくなる傾向にあるため、宣言や誓言の効率が非常に高いと考えられた。
たとえ誓約を果たせなくとも、すぐに代替の誓約を行うことで非難をかわすことも容易だった。さらに、日本では実行や成果を検証する習慣が弱いために、過去の言動は水に流されがちだった。これは、政治家の公約は重視するが、公約を実施したかは誰も検証しない日本の組織文化にいまも引き継がれている。

ところが、時代が変わった。
停滞期や低落期にあっては、成果も利子も小さくなる一方で、行動に対するリスクや不確実性が高まってくる。
不測の事態が増加し、行為の成功率が下がってくると、「プレミア」よりも行動の制約を外して「フリーハンド」でいることの方が重要になってくる。
つまり、今のような時勢にあっては、宣言や誓言などをして自分の将来を担保に入れて、自分の行動に規制をかけるようなことは、危険であると考えられるようになる。

「今度100点取るよ!」
と誓言するからには、勉強しなければならない。
しかし、誓言さえしなければ、必ずしも勉強する必要はなくなる。
不確実性が高い世界では、「絶対100点取る」という自信が容易には湧いてこず、むしろ「90点ぐらいは行けても100点は難しいかも」といった不安の方が先行してくる。
親としては100点じゃなくて90点でもいいから、誓言してくれた方が嬉しいかもしれない。
しかし、不確実性が高まる世界で不安に苛まれる子どもは、
「100点取るって言って取れなかったら怒られるかも」
という強迫観念の方が先行してしまう。

「ボクは絶対浮気しません!」
という誓言は、パートナーに自分の優位性の一部を明け渡すことで関係のバランスを取るために行われる。
しかし、不確実性が高い世界では、
「浮気なんて誰でもするよね〜」
という思いの方が先行し、さらに明け渡すような優位性がないために、敢えて自分の行動を縛るような言質を与えて、自分をリスキーな立場に落とす必要は感じられなくなる。
この場合、むしろ
「浮気はお互いバレないようにやろうね」
という合意がなされやすくなる。
私のような古い人間にはにわかに信じがたいが、若い人の間ではそういう傾向が強まっているらしい。
もっとも、私の場合は、
「オレは浮気しないとは断言できないから、お前も浮気してイイよ」
という考えの持ち主(実際にはそんな余裕無いし甲斐性もないだろうが)なのだが、そこで合意できたことは残念ながら一度もない。

「人はダイスと同じで、自らを人生の中へと投げ込む。」

などという実存主義の時代は完全に過去のものとなりつつあるらしい。
わが母校もフランス語専攻コースがなくなったらしいし……(涙)

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
posted by ケン at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

霊的防衛力の強化に向けて

今日の話も適当に聞き流して欲しい。

最近はうちの近くも何かと物騒になってきている。
元々典型的な郊外の中流住宅街であり、ごく近所はまだ十分安全なのだが、少し離れたところにある安価な公営団地は高齢者と外国人労働者ばかりとなり、高齢者を狙った引ったくりなどが続発しているものの、コミュニティが崩壊しているため抑止力が働かず、治安悪化が放置されている。
外国人労働者の増加はさらに外国人を集める結果となり、ゲットー化が進んでいる。

実家の近辺も、自治会の高齢化は深刻で、すでに地域運動会への参加も辞退する有様となっている。
いまはまだ治安が保たれているが、いつまで保つかは予断を許さない。

昨今の警察力の低下は、警察自体の能力低下もあるが、従来と違って危険地域と安全地域の境界がなくなりつつある点が大きい。
地域コミュニティの崩壊が治安悪化を拡大させていると思われる。
地方における治安悪化は、駅周辺の商店街の衰退や郊外型商業施設への転換とも大きく関係している。

わが家は男子が私一人しかいないため、防衛力の点で明らかに不十分と言わざるを得ない。
特に昨夏、先代の犬が死んだこともあり、治安対策は火急の課題だった。
そこで昨秋、次世代の防衛力を期待して、新たに犬を招聘した。
一応分類上は「大型」に属するが、限りなく中型に近く、女の子ということもあり、実際の戦力としてはあまり期待できないが、張り子の虎よりはマシであろう。
つい先日も家に巣くっているカラスに弄ばれていたし……まだ子どもだから迫力不足なのは仕方ないが。

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最近の「おとめ」

わが家の場合は地域にも顔が利くし、犬も来たので、防衛上の最低条件はクリアしていると見て良い。
が、問題はまだある。
霊的防衛力である。

治安の悪化は社会不安が物理的に顕現したものだが、こうした不安は非物理的な形でも現れやすくなる。
つまり、霊や魂、あるいは物の怪といったものが、安定を失い、荒れてくることを意味する。
古来、戦乱期や世紀末になると宗教や呪術が流行し、安定期になると落ち着くのは、社会不安の非物理的な顕現によるものであろう。
そう考えると、物理的な防衛力だけでなく、霊的防衛力の向上も図らないと片手落ちになってしまう。

わが家の庭には、すでに信楽焼の狸が立っているものの、これは縁起物であって、防衛力としては役に立ちそうにない。
そもそも狸や猫では、戦闘力の点でもロイヤリティ(忠誠)の点でも不安が残る。
やはり安心感を与える防衛力の導入が不可欠だ。
古来、日本で「魔除け」と言えば、狛犬、狐、龍、鯱あるいは狼あたりであろう。
しかし、犬は本物がいるし、そもそも洋風建築なので、狸自体が浮いており、日本的な魔除けは微妙な気がする。
となると、やはり「洋物」か……

ヨーロッパの魔除けと言えば、天使、四大精霊、龍、それにガーゴイルだろう。
ガーゴイルは以前、フランスから帰ってきた時にO先輩へのお土産にしたことがある。
これがそれだ!

gargoyle.jpg
不敵な笑いがビミョーに強そう?何となくプー○ンっぽい?

ガーゴイルは日本ではRPGの影響で「下級悪魔」の扱いを受けているが、本場のヨーロッパではゴシック建築の屋根や庭に置かれる魔除けである。
いかんせん日本の狛犬や狐などよりもおどろおどろしいため、そう思われても仕方ないが。
RPGやファンタジー映画では、侵入者を撃退する魔法の彫刻として描かれ、斬撃や刺突武器に対して強い防御力を誇る。
O先輩にプレゼントしたそれは、人(侵入者)を小馬鹿にしたような風情が気に入って購入した。なんか「利きそう」だし(笑)

ふと先輩にあげたガーゴイルを思い出して、わが家の庭にも配備しようと考え、ネットで探してみたものの、やはり日本ではあまりないらしい。当たり前か……
今度またパリの叔母の家にでも遊びに行ったついでに買ってくるか、などとつらつら思っている次第。
posted by ケン at 23:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

非婚化と専業主婦願望の間で

内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」などを受けて、20代の女性の専業主婦願望が強くなっている傾向が指摘されている。
2007年の調査では、20代女性の40.2%が「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」に賛成し、40代女性の31.7%を大きく上回っている。
ところが2005年の総務省の調査によれば、女性の未婚率は25〜29歳で59.9%に達している(同男性は71%)。

ネット上では、男性諸氏(と思われる人々)によって「祭」が展開され、主婦願望女性群への仮想バッシングが繰り広げられている。
同性としてはその感情も理解できるし、私自身は結婚制度廃止論者なので自ら「祭」に加わりたいぐらいでもある。
だが、政策担当者としてはいま少し冷静な分析が必要であろう。

女性の非婚化は学歴と経済力に正比例する。
高学歴は労働力価値を高めるため、経済力が強化される。
高い経済力を有する女性は、独自の職業を持ち、安定した収入を得る。
職業と社会的地位は高ければ高いほど、自己実現願望を満足させる。
安定した収入は、より良い生活水準を保証する。
前者は結婚して専業主婦になると放棄を余儀なくされ、生活水準を低下させないためには自分と同水準以上の経済力を有するパートナーを見つける必要がある。
他方、高い経済力のカップルが結婚した場合、ともに多忙であることから結婚生活を満喫できないまま、破綻してさせていく危険性を伴う。
また日本は、子どもの養育と教育の自己負担分が米国に次いで大きいため、子どもを持つリスクが非常に大きい。同時に、自己負担が大きい分だけ、階層化が進んだ結果、子どもの貧困率が高くなり、十分な教育が受けられなくなっている。
分かりやすく言い直せば、女性の非婚化は、
「今より貧しい生活はしたくない」「もっと良い(金持ちの)男がいるはず」
という認識の結果ということになる。

若い女性の専業主婦願望の上昇についても経済学的説明がしっくりくる。
ILOの第98回総会に提出されている報告書「ディーセントワークの中心にあるジェンダー平等」によれば、日本における女性の賃金は男性の3分の2しかない。
日本男性の賃金を100とすると、女性の賃金は66.6であり、男女格差は33.4%となる。
その指標は、EUで15.9%、アメリカで22.4%となっており、日本の男女間の賃金格差の深刻さを表している。
なお、韓国では31.5%、中国では32.7%であり、儒教文化圏における根強い女性差別が指摘されるかもしれない。
逆に、タイでは9.3%、フィリピンでは5.3%という興味深い結果も出ている。

40年近く前に東京大学医学部を卒業した母が、同期の女性(数人しかいないが)と男性の卒業生の生涯賃金を調べて比較したところ、約2倍もの開きがあったことが判明し、愕然としていた。
「女性の自立」を目指して東大医学部を出て、最後は地方官僚として部下千人を持つまでに至ったにもかかわらず、男女間格差の壁はあまりにも巨大だった。

一向に縮まらない男女間の賃金格差と労働環境の著しい悪化が、女性の専業主婦願望を強めていると、私は推察する。
特に20代の女性たちは、比較的恵まれた環境に育ちながら、厳しい労働環境の中で苦労させられ、さらに職場などで先輩女性たちの厳しい現実を目の当たりにしている分だけ、労働や職場に対してシニカルあるいはニヒルに捉えるとともに、結婚&専業主婦を現実逃避の手段として考えるようになっているのではなかろうか。

分かりやすく言い直せば、女性の専業主婦願望は、
「早くラクになりた〜い」
という認識の結果ということになる。
女性にしてみれば、自らの労働力価値を高めても男女間格差の前には虚しく、同じコストを投入するなら「婚活」の方が効率的ではないか、という結論に至るのも宜なるかなとも思われる。
「婚活」は、中間層男性が自主的に結婚市場から撤退していく中で、残り少なくなった「有望な男性」をめぐって争奪戦を繰り広げる中間層女性を利用したマーケット開拓に過ぎない、という構図が見えてくる。

「男性の草食化は合理的選択?」 

他方、男性の非婚化は「男性の草食化は合理的選択?」でも指摘したように、結婚における便益の減少と社会的不確実性の増加、そして収入減と固定費(維持費)増の関係に由来していると思われる。スキーやゴルフのようなバブルを象徴するスポーツがすっかり人気を失っているように、結婚と子育ても「出費と苦労ばかりで何も良いことがない」という認識が広がってきている可能性がある(私もその一人だから)。
まして結婚したがる女性たちの「早くラクになりた〜い」という腹の底が見えてしまっては、ますます興醒めするばかりだろう。
私も最近は結婚願望のある女性と話すたびに、「男はおみゃ〜をラクさせるために結婚するんきゃ?おめでたいこっちゃ、とろくしゃあ!」と思ってしまう。彼女たちがことごとく自分の都合と願望しか頭にないことが透けて見えてしまうからだ。

話を戻そう。
私の考えでは、性別間の労働力価値に差がない社会では、結婚に伴う法的あるいは社会的拘束力のリスクやコストが高くなってしまうため、結婚のメリットが大幅に失われる。
従来型の結婚というシステム自体が、現代社会にはなじまなくなっており、近い将来、現在あるような結婚制度はなくなって、より緩いパートナーシップを保証する制度に転換していくだろうと見ている。

つい先日、議員のパーティーで後援会長が、
「若い人が結婚しなくなって子どもが減っているとのことだから、議員にはぜひ若い人たちが結婚しやすくなるような政策を打ち出していただきたい」
とおっしゃっていたが、事務所のスタッフに年収200〜300万円で長時間労働を強いていることに象徴されるように、結婚は市場に左右されるところが大きい。
「少子化対策」などはバカバカしい限りであり、一定の賃金の保証や長時間労働の抑制、そして男女間の賃金格差の是正こそが、政治の役割であって、結婚や出産の動向はその結果でなければならない。
結婚や出産はあくまでも個人の意思に基づくものであり、国家の介入は民主主義に相応しくない。目的のために原則を変えることは、国家の根本理念を危うくするものでしかない。

【参考】
経済学から見た結婚
男性の草食化は合理的選択?
posted by ケン at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

男性の草食化は合理的選択?

曖昧な記憶に頼って書くので、適当に読み飛ばして欲しい。
結婚と離婚に関する国際比較を見ると、離婚率の高いアメリカやフランスでは、離婚率が相対的に低い日本よりも、結婚に対する満足度は高いという研究結果があるという。
逆を言えば、離婚率が低い日本では、結婚の満足度も低いということである。

ここから考えられる仮説は、日本では離婚の機会費用が高いために、みんな我慢して結婚生活に耐えているのに対して、米仏では離婚のコストが低いためにイヤになったら早々に離婚し、「幸せな夫婦」だけが残っている、というものになる。
文学的に言えば、米仏の結婚が向日的(楽天的)なのに対して、日本の結婚は非常にグレー(陰気)なものという感じになる。確かに、私の周囲でも既婚者が相当増えたものの、幸せそうに見えるカップルは極めて少ない。

ちなみに「機会費用」とは、「利益を得るために失うコスト」を指す。
具体例を挙げよう。あなたは休日に通訳のバイトを日当2万円で頼まれたが、欠かさず見ているアニメの最終回があったため断った。アニメを我慢するか録画すれば良かったのだが、2万円を稼ぐチャンスを逃してしまった。別に諭吉が2枚失われたワケではないが、経済学的にはこれを「2万円の機会費用」と考える。

離婚における機会費用とは、具体的には慰謝料などの訴訟リスクであり、社会的威信の喪失、あるいは「バツイチ」のような社会的差別である。特に、日本の場合、単身で子どもを育て教育していくコストが高いことも大きいだろう。
この離婚の機会費用を低めることに成功すれば、離婚数は増加するだろうが、離婚者たちはより良い伴侶を見つけて再婚することになるので、結婚に対する満足度や人生の充実感は高まるものと予想される。
実は、同じことが雇用に関しても言えるのだが、いまは触れない。
ちなみに、フランス革命においてロベスピエールが独裁権力を手にしたのは、パリの主婦層の圧倒的な支持が背景にあったからだが、それは「離婚の自由」を最初に掲げたからに他ならない。少なくとも欧州の女性はロベスピエール先生の偉業を忘れるべきではない。

離婚の場合は、機会費用が高位で推移しているわけだが、結婚の場合は機会費用が上昇しつつある。
特に女性の大学進学率が高まり(短大含めれば男性以上)、賃金も上昇した結果、結婚や出産によって失われるキャリアや収入が大きくなっている。つまり、独身時代にはブランドものを買いあさり、海外旅行も行きたい放題だったものが、結婚して仕事を辞めた途端、自分の所得がゼロになって、夫の収入だけで2人と子どもの生活を賄わなければならなくなる。
生活水準の低下を回避したいのは、人として自然な感情であり、女性の晩婚化は高学歴化の当然の帰結と言える。ところが、女性も高齢になるほど労働価値が上がると同時に生活水準も上がるため、ますます機会費用が高騰し、結婚が難しくなる逆スパイラルが生じている。
また、生活水準の低下を可能な限り少ないものにするために、女性は高収入の男性ないしは共働きと家事分担を認める男性を探すことになる。低収入あるいは非協力的な男性は、女性にとってリスク要因でしかなく、優先的に結婚対象外とするだろう。
同時に、90年代の雇用・賃金制度改革で、キャリアも収入もより不安定になり、社会的不確実性が高まりつつあることも、女性にとって配偶者選びをより慎重にならざるを得なくしている。
ちなみに、社会民主主義者としては、こうした社会的不確実性を低下させる政策を主張しなければならないわけだが、これも別の機会に回したい。

では、昨今の「草食系男子」の増加はどう説明すべきか?
これは結婚満足度とマリッジ・プレミアムの低下から説明される。
結婚満足度が低下した要因については不明な点が多いが、自分の周囲に幸せそうなカップルが少なければ、結婚願望も自然と低下していくものと思われる。
富裕層の場合、結婚しても多忙すぎて、新婚生活を満喫する余裕がなく、子育てや教育の社会的サポートも不十分なため、負担感ばかりが増えていく。
また、貧困層の場合、雇用も収入も不安定が常態化しているため、生活自体に不安を抱えたまま、結婚生活を満喫できる環境が醸成されにくいのではなかろうか。
また、食事や洗濯などの家事についても、男性の単身者の労苦は減少しつつあり、家事代行者としての妻を必要としなくなりつつある。

「マリッジ・プレミアム」とは、結婚している男性は、同条件の結婚してない者に比べて、収入が多いことから説明される。女性については、既婚女性と独身女性は差がないが、わずかに既婚女性が低くなる程度だという。だが、日本では、明確にマイナスのマリッジ・プレミアムがついているらしく、既婚女性の収入は独身女性よりも低い。その分、男性にはより大きいマリッジ・プレミアムがついていると推測される。
だが、成果主義賃金の導入や扶養控除の廃止などを受けて、日本のマリッジ・プレミアムは従来に比して大きく低下しつつあると考えられる。昇進についても、外資系などを中心に婚姻の有無が影響しなくなりつつある。逆に婚姻の有無を問う質問が「ハラスメント」の扱いを受けるリスクが高まりつつあるほどだ。

結婚の満足も利益も小さくなっているにもかかわらず、社会的不確実性は高まる一方、女性からの要求も高度化し、離婚などの社会的制約は以前のままとなっている。
従って、結婚によって得られる便益が小さくなって、逆にリスクや不確実性は高まっているのだから、男性が結婚に手を出さなくなるのは、むしろ合理的選択の結果であると言える。
結果、結婚はリスク計算できる少数の高学歴・高収入カップルか、リスク計算できない多数の低学歴・低収入カップルに集約されていくことになる。
そう考えると、「婚活」は、中間層男性が自主的に結婚市場から撤退していく中で、残り少なくなった「有望な男性」をめぐって争奪戦を繰り広げる中間層女性を利用したマーケット開拓に過ぎない、という構図が見えてくる。
何ともバカげた話ではないか。

最後に、既婚者あるいは結婚願望がある人のために付け加えておこう。
財団法人家計経済研究所の「消費生活に関するパネル調査」によると、夫の収入が仮に月10万円減少しても、夫婦の会話が日平均で16分増えることや、夫が育児分担割合を3%増加させることで満足度を補えると計算している。
一定の生活水準は保証される必要があるが、多少の生活悪化はコミュニケーションの充実を図ることでカバーできるということらしい。
日本企業の正社員の場合、それすらも厳しいほど労働環境が悪いわけだが……

【参考】
不倫は合理的選択?
結婚をめぐる勘違いの数々
posted by ケン at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛、結婚、魔術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

占ってさらに迷う?

親友に会い、「アグリコラ」と「D&D第4版」のインストールをする。
会うこと自体、ずいぶんと久方ぶりだったので、帰りがけに家に寄り、(師匠に)占ってもらう。
以下は真に受けないで頂きたい。

やはり気になるのは選挙と再就職について。
私は8月2日ないしは9日投票と踏んでいるのだが、占的には任期満了ギリギリないしは、臨時国会開催でさらにズレ込む勢いらしい。つまり、9月10日ないしは24日あたりということか。ちょっと想定しがたいが、まぁそこは突っ込んでも仕方ない。
再就職は叶うとしても、秘書なようで、あまり上司(議員)には恵まれないらしい。
候補者の顔ぶれを見ているだけでも気が滅入りそうになってくるのだから、まともな人のところには優秀なベテランが付き、私のような下っ端はロクでもないところにあてがわれることになるのだろう。最終的には議員との面接で選ばれるとは言え、基本的には派閥や人脈による推薦が始めに来るので、贅沢を言える身分にはない。十分予想の範囲内とは言え、嬉しい話ではない。
キャリアと安定収入こそが最優先であれば、しばらくは我慢せざるを得ないが……
いや、リアルな問題は自力で解決するよう心がけねば。

もう一つは、ある意味でままならない問題。
元カノのことである。
理性的には、リアルな問題として互いの生活基盤が全く異なってしまっている以上、解決する術はなく、どうにもならないことは考えないのが正着であろう。いつもであれば「捨て置く」ような話なのだが、今回はどうも気になってしまい、返事もはぐらかしている。
タロット様は強烈だった。

「個人的な幸せと安寧を求めるなら、すぐにでも彼女と結婚すべきです」

え゛ぇ〜?!あいや〜それは……
8年間、政界でコツコツと積み上げてきた人脈、経験、知識を全ておっぽり出して、ロシアへ移住しなさい、ということらしい。
ありえねぇ〜
いや、確かに「女のために全てを捨てる」ことに「男のロマン」を感じなくもないし、だからこそ占ってもらったのだが、まさかビンゴだとは……
まぁあらゆる可能性を考えたからこそ、わざわざ政治とは無縁の日本語教育修士号を取ったのだが……
そういう使い方をするとはさすがに考えていなかった。正確にはサンクトのバレエ学校のすぐそばに日本語学校を開設する計画はあったけど……

私が占ってもらう場合、9割以上は「想定内」の答えしか返ってこない。
むしろ自分があらためて納得するために占ってもらうのが私のパターン。
想定外の結果が出たのは、ここ10年近く覚えがない。

確かに日本の政治や社会の現状を見る限り、将来的な展望はまったく無く、全てが悪い方向に向かっているとしか思えない。
あるいは、私以外の大多数は良い方向に向かっていると考えていて、私だけが勘違いしている可能性もある。むしろ、そう考える方が自然かもしれない。
国会議員はロクに勉強しないで、支持者の個人的な陳情の処理に明け暮れ、官僚と癒着し、企業と組合からカネをもらって、次の選挙のことしか考えていない。
ヤクニンは省益と部局のことしか考えておらず、無知な議員をたぶらかして、省益の拡大(裏金と天下り先の確保)のみを追求する。
政局でも政策でも、常に感情論が先行し、理性的な判断や議論は忌避される。
福田氏ではないが、真面目にやろうとすればするほどバカげてくるのが永田町というところらしい。
非才の私が少々頑張ったところで何ができるわけでもなく、秘書はしょせん議員の私的なパシリでしかない。その議員が優秀ならまだしも、ロクデナシなら救いもない。
そう考えると、「国政に奉仕する」という選択肢も甚だ陳腐なものに見えてくる。

かと言って、いきなり私が全部投げ出して、ロシアに行ってしまうのは、立場的にも信義的にもあまりにも無責任であろう。
まさか「占いでそう出ましたから」と言うわけにもいくまい。
そもそもロシアで新たに生活基盤を一からつくっていくことの方がよほど空想的に思える。

恐ろしいことに、親友のパートナーは霊視ができるので、私の守護霊を見てもらった。
守護霊は基本的に先祖の誰かが担っている。
私のそれは江戸期の武家の女性らしい。
守護霊様いわく、

「つまらないことを考えないで、いまの仕事にまず専念なさい」

とのこと。
すこぶる正論である。
そんなわけで、まずは全問題の先送りを決定。
再就職に際して、ロクでもない選択肢しかなかったら、あらためてよく考えることにしよう。
いまの仕事を一つ一つきとんとこなしていくことは何よりも大事である。

ま、元カノに会いにロシアへ行くというオプションだけは準備していくことにしよう。
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2009年05月04日

初老を目前に惑う・続

元カノから返事が来る。
消印は2週間前って、相変わらずロシアの郵便事情はよろしくない。
一体いつになったら改善されるのだろうか?
そんなシベリアの奥地でもあるまいし、普通の地方都市、しかも大きい方に入ると思うのだが……
まぁ、ソ連崩壊前後はそもそも「届けばマシ」って感じだったし、届いても1〜2カ月かかるのはザラだったから、それに比べれば……って、国家の崩壊時と比較してもね〜

いや、そこは今日は譲ろう。
問題は、こちらの返事が着いてから、恐らくは一月半ぐらい保留していたことにある。
まぁ、中身はこちらの手紙の4倍分ぐらいの分量なのだが……
やはり生の文通は、この距離感(時間感覚)や、実際に手に取って読む感覚がたまらない。
メールしかやらない若者にはついぞ理解できないに違いない。

しかも、中身熱いし……一回では最後まで読めなかった……
こちとら、そろそろ仏門に入って余生を送る計画を立てているのに、困ったものだ。

何でも1月に車を運転中、酔っぱらい運転の車にぶつけられて、ケガをしたという。
幸いにして、右ハンドルの日本車だったため、打撲程度の軽傷で済んだらしいが、左ハンドルだったらどうなっていたか分からなかった、とのこと。
やはり、ロシアは生存自体が困難な国だと言えよう。とても軟弱な私などが生きていける国ではない。
最初の手紙でそう言っていれば、すぐに電話ぐらいしてやったのに、ねぇ……

結局仕方なく電話した。
しかし、この2年間、まったくロシア語をしゃべっていないので、緊張もしてしまい、全然スムーズに言葉が出てこない。
向こうは堰を切ったかのように話してくる。
さすがに2年ぶりのロシア語でいきなり電話はちょっとキツかったかも。
幸い、彼女は話したいことだらけで、私は特段報告するようなこともないので助かったが。

「最近はよくケンと一緒に住んでいた時のことや旅行に行った時のことを思い出すの」

と言う彼女。
そうか〜?こっちは胃がキリキリするばかりで手放しで楽しい思い出だったとは言えないんだけど、とはさすがに言えない。弱すぎ?

それはさておき、この年になって(同い年)、コレクションに出ると言う。
業界から足を洗った私としては、
「イクラナンデモ、バーハンデルモハヤメナサイ!」
と言いたかったが、別に彼氏でもないのでやめておいた。
ま、女はやっぱそれくらいの自信があった方がいいよね……(自分に言い聞かせる)

彼女に対しては、
「この世は、信念を貫いてなお、後悔することばかりダヨ」
とだけ伝えるに止めた次第。
ま、選挙が終わって、無事再就職も決まったら、正月休みに遊びに行くぐらいはいいかな、と。やっぱダメですかね〜(泣)
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