2017年10月03日

トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2017

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「トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2017」を観に行く。
というか「間に合った」という感じ。これとオフ会があったため、無理を言って地元入りを遅らせたくらい。
まぁボスが出馬する党が決まらない限り、自分も仕事が進められないのでどうにもならなかったことが大きいのだが。個人的にはラッキーだった。

ザハロワ様が絶好調&超ハッピー・オーラを出しまくりで舞台全体が幸せオーラに包まれていた感じで、普段のバレエの舞台とは全く異なる空間だった。何というか、夫のレーピンがヴァイオリンの超絶技巧を披露しようとしているのがウザく思えるくらい、「他はどうでもいい」になってしまっていた。
しかも2時間弱もありながら無休憩。複数のショート・プログラムを組み合わせていて、演奏のみの間にザハロワが着替えて出てきて次のプログラムを踊る流れで、最後まで全く疲れを見せない。彼女の年齢を考えれば超人的としか言いようが無い。
一つ一つを論評できないのが惜しいが、「瀕死の白鳥」を観たいがために29日にしたので一言。信じがたい超絶技巧と身体コントロールであり、瞬きするのも惜しいほどだったが、どうにも幸せオーラ全開で凄い生き生きとしてしまっていて、とても死にそうには見えないところが「どうよ?!」と思わなくも無かった。否定はしないが、以前観たロパートキナ女史の方が「滂沱の涙であふれる瀕死の白鳥」の原型だったと思う。その彼女も引退した今、ザハロワ女史はケン先生にとって「最後の希望」である。
それにしても、ロブーヒンとロヂキンとか男性ダンサーはちょっとしか出てこないのに何とも贅沢な公演であった。あと、個人的には「ヘンデル」が良かったなぁ。

スヴェトラーナ・ザハーロワ&ワディム・レーピン『パ・ド・ドゥ for Toes and Fingers』
 ☆印は器楽のみ。
 演奏:ワディム・レーピン(ヴァイオリン)、フェスティバル・アンサンブル(リーダー:南紫音)
 出演:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン、デニス・ロヂキン、
   ウラジーミル・ヴァルナヴァ、ドミトリー・ザグレービン 

 ○N・パガニーニ:“ヴェネツィアの謝肉祭”による変奏曲 op.10 ☆

 ○バレエ「ライモンダ」より“グラン・アダージョ”
 音楽:A・グラズノフ
 振付:牧 阿佐美
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、デニス・ロヂキン

 ○P・I・チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」より“レンスキーのアリア”☆
 編曲:レオポルト・アウアー

 ○「プラス・マイナス・ゼロ」
 音楽:アルヴォ・ペルト「フラトレス」
 振付:ウラジーミル・ヴァルナヴァ
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ウラジーミル・ヴァルナヴァ

 ○M・ラヴェル:「ツィガーヌ」☆

 ○「レヴェレーション」
 音楽:ジョン・ウィリアムス「シンドラーのリスト」より
 振付:平山素子 *録音音源を使用いたします。
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ

 ○F・ワックスマン:カルメン幻想曲 ☆

 ○「ヘンデル・プロジェクト」
 音楽:G・F・ヘンデル
 振付:マウロ・ビゴンゼッティ *録音音源を使用いたします。
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、デニス・ロヂキン

 ○P・I・チャイコフスキー:「ワルツ・スケルツォ op.34」☆ 
 
 ○「瀕死の白鳥」
 音楽:C・サン=サーンス
 振付:ミハイル・フォーキン
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ

 ○M・M・ポンセ:「エストレリータ」☆
 編曲:ハイフェッツ

 ○「レ・リュタン」より
 音楽:H・ヴィエニャフスキ「カプリース イ短調」(クライスラー編曲)より
    A・バッジーニ「妖精の踊り」より
 振付:ヨハン・コボー
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン、ドミトリー・ザグレービン
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2017年06月06日

ザハロワ様のジゼル 2017

今シーズンは今ひとつ食指が動かず、かなり久しぶりのバレエ鑑賞になってしまった。
ボリショイの公演は1年近く前に予約しなければならず、当然ながら1年先の国会会期中の予定など立つわけも無いわけで、「仕事をなげうってでも行く」価値のあるものしか予約できない。もちろんザハロワ女史のことである。
今回の選択肢は、「白鳥の湖」と「ジゼル」ということで、白鳥にするつもりだったが、私が予約する頃には会員用先行予約で良い席が埋まっており、「ザハロワのジゼルも贅沢だよな」ということでジゼルにした。女史の公演だけは、チケットが高値に設定されているにもかかわらず、あっという間に完売するのだから、相変わらずの人気である。

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当日、会場に行ってみると、楽屋口には黒塗りの車が何台も止まっている上、ホールの入口からして物々しい警備。ロシア大使が来るくらいは考えられるが、それにしては物々しすぎる。テロ予告でもあったのかと思わなくも無いが、であればもっと厳しい警備になっていただろうから、微妙な案配。
すると、ゴロジェッツ・ロシア副首相と安倍総理が「ロシアの季節」開会の挨拶を行い、会場を見てみれば、中央中段に安倍総理、岸田外相、高村自民党副総裁が三人並んで座っている。驚くべきことに最後まで観劇していた。第五次日露協商が成る日も遠くない。

「ロシアの季節」とは、ロシア政府肝いりによる、諸外国における文化祭典を催し、継続的にロシアの芸術家を送り込んでイベントを行う事業を指す。要は、国家事業による文化プロパガンダである。もちろん、日本政府の「クール・ジャパン」などとは比較にならない「重さ」があるが、これは国家戦略上の重要度を示すもので、ソ連あるいは帝政ロシア以来の伝統と言える。

「権力の道具」としてのボリショイ劇場。その支配人は就任時に閣僚に呼び出されて「ボリショイとは何か」の薫陶を受けるという。全てに従属的な日本人と異なり、「道具」の自覚があるからこそ、アーティスト側に反発も生まれ、芸術表現の相克が生じる。同時に権威のモスクワと反権威のペテルブルク(マリインスキー)という対立軸も生まれ、ロシア芸術に深みをもたらしている。
こうした「圧倒的な権力と反権力」は、ロシアの不条理そのものであり、ロシア人アーティストの表現に決定的な影響を与える。欧米のオペラであれバレエであれ、そのテーマの多くが「抗いがたい不条理」に基づいているが、幸いにも現代日本では一般生活において不条理を覚えることが比較的稀であるため、日本人の表現者は不条理や暗黒面が上手く表現できない。
私が常々繰り返している「日本人バレリーナは白鳥は踊れても、黒鳥は踊れない」はこの延長線上にある。真面目に努力しているだけの良い子ちゃんには表現できない(理解できない)世界があるからだ。

余談が過ぎた。
「ザハロワでジゼル」など、私にとっては「平日のランチに和牛ステーキ」的な贅沢を覚えるが、それはそれで良いだろうというのが今回の判断だった。実際、「ロシアの季節オープニング」に「白鳥の湖」ではなく、「ジゼル」を持ってくるにはそれなりの理由があるのだろう。

目的のザハロワ女史は、「妖艶すぎて村娘には見えない」問題はあるものの、安定したテクニックと舞台にあるだけで美しい存在感と上品な演技力で、完全に舞台をコントロールしていた。特に演技力に磨きがかかっており、テクニックで圧倒する演目では無いだけに光るものがあった。
それにしても、前にも思ったが、女史はどう見てもガリガリに痩せており、筋肉のつく場所も無いような感じなのだが、完璧な身体コントロールを見せていて、彼女の存在自体が奇跡にしか思えない。
確かに全く文句の無い舞台で、女史に至ってはずっと目が釘付けだったのだが、終わってみればやはり「平日ランチに和牛は贅沢だったか」と思わなくも無かった。

「ロシアの季節初日」「ボリショイ初来日から60周年」ということもあり、中堅ダンサーも選りすぐってきたようで、コール・ド・バレエも非常に美しく、中には何人か「プリンシパルでも良くね」くらいの感じのダンサーもいて、高い水準を示していた。ただ、初日のせいか、どうも緊張感が漂っていて、やや堅さが見えた。また、レベルを重視しすぎて群舞としてのバランスという点では、難があったかもしれない。

伯爵役のロヂキンは若手だと思っていたが、もはや十分な貫禄があり、ザハロワ女史の相手役としても十分な安定感を示していた。

最近のロシア・バレエは衣装が美しく、特に色合いが非常に私好みで気に入っている。その意味では、第二幕はブルーライトが続くので惜しかった。

そして、今回はモスクワから劇場直属の管弦楽団を連れてきており、単なる背景音楽ではなく、舞台と一体化した芸術を見せてくれた。なるほど改めてボリショイ管弦楽団の存在の重さを実感した次第。個別に何が違うのかと聞かれても上手く説明できないのが悔しいが。

次は「パリの炎」である。
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2016年08月13日

近藤良平版 ストラヴィンスキー『兵士の物語』

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ストラヴィンスキー『兵士の物語』
【演出・振付】 近藤良平
【出演】 川口覚 北尾亘 入手杏奈  近藤良平
【演奏】 三上亮(Vl) 谷口拓史(Cb) 西久保友広(Perc) 勝山大舗(Cl) 長哲也(Fg) 阿部一樹(Tp) 玉木優(Tb)

日本では「知る人ぞ知る」ストラヴィンスキーの名作。偶然発見して、「日本では珍しいな」と思い、チケットを衝動買いして見に行った。三軒茶屋のシアタートラムというのも、便利だった。どうやら大々的ではないが、日本でもたまに演じられているようだ。

朗読と演劇と舞踏を併用した、小編成オケによる音楽劇。ヴァイオリン、コントラバス、ファゴット、クラリネット、コルネット、トロンボーン、打楽器群(複数の太鼓、シンバル、タンバリンなどを一人で駆使する)という、面白い7人編成が特徴で、民族音楽と即興ジャズ的な要素を交えた音楽が印象的だ。7人編成にもかかわらず、小さな劇場ということもあって、かなりの迫力だった。

ロシアの民話を下敷きに、ファンタジー要素満載ながら、兵役の悲惨さが強調される作品になっている。1918年という、第一次世界大戦直後の時代背景が伺われるが、7人編成のオケというのも、戦争の影響で人手や楽器が足りなくなっていることが配慮されているという。

近藤氏の舞台は、衣装も演出も自由な発想でつくられており、映像や影絵のモチーフを上手に使いつつ、観客も巻き込んでライブ感を出していた。本来は、ロシア人らしい暗いラストなのだが、全体的に軽妙につくりつつ、ストラヴィンスキーの味わいを失うこと無く、良いバランスに仕上がっていたと思う。
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2016年08月08日

オールスター・バレエ・ガラ(2016) Bプロ

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時間が経ってしまったけど、一応報告だけ。
最近はバレエを観る頻度がやや下がっているけど、どうしても外せないものはある。それでも、ザハロワとレーピンの夢の共演は参院選の動員により行けなかった。が、このオールスター・ガラは、半年以上前から分かっていたので、月末の公演のチケットを取った。

「ラプソディ」 フェリ、コルネホ
「白鳥の湖」 アナニアシヴィリ、ゴメス
「Fragments of one's Biography」 ロパートキナ、エルマコフ
「ジゼル」 ザハロワ、ロブーヒン
「リーズの結婚」 マーフィー、エイマン
「プレリュード」 ロパートキナ、エルマコフ
「フー・ケアーズ?」 マーフィー、エイマン
「ディスタント・クライズ」 ザハロワ、ロブーヒン
「レクリ」 アナニアシヴィリ
「ル・パルク」 フェリ、コルネホ
「眠りの森の美女」 トレナリー、ゴメス

「オールスター」だから仕方ないとはいえ、演者の高齢化は否めない。53歳というフェリ女史の現役復帰という、大ネタもあるだけに尚更だ。確かに下手に若い人を出すと技術格差がハッキリしてしまうので、難しいのだろうが、そこを調整するのもプロデューサーの手腕だろう。
前半はオケによる演奏だったのに対し、後半は音源によるスピーカーの音出しとなったが、この音質がとにかく劣悪で、せっかくの世界トップによる舞踏を台無しにしていた。主催者側も納得していたのだろうか。

肝心の舞台演目は、クラシックとモダン系を交えたものだったが、全体的に「どこかで観たことがある」感のある無難な演出で、分量的にも物足りない感じで「もうおしまい?」と思ってしまったのが率直なところだった。恐らく興行が優先された格好なのだろうが、意外性や驚きといった要素が無いと飽きられてしまうのではなかろうか。

ダンサー的には、やはりザハロワとロパートキナが群を抜いており、特にザハロワ女史の超人性に拍車が掛かっており、スターの中でも圧倒的な存在感を示していた。逆に、ザハロワを前面に出したい主宰者側の意向なのか、ロパートキナの演出は抑え気味にされていたような気がする。気持ち的には、もっとガチでバチバチやって欲しかったのだが。とはいえ、男女のコンビとしては、ロパートキナとエルマコフの相性の方が勝っていたようにも見受けられた。
また、53歳のフェリが年齢的衰えを感じさせない、妖艶な支配力と存在感を見せて観客を沸き立たせていたのに対し、アナニアシヴィリは技術はともかく肉体的な衰えを見せてしまっており、全盛期を知るファンとしては寂しさを覚えずにはいられなかった。

今回はそれなりに前の方の良い席で観られて、スピーカーの音質以外に取り立てて不満があったわけではないのだが、「これでいいのきゃ?」という物足りなさ感が強く残った舞台だった。
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2016年02月16日

ロパートキナ−孤高の白鳥

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『ロパートキナ−孤高の白鳥』 マレーネ・イヨネスコ監督 フランス(2014)

ウリヤーナ・ロパートキナは、ロシア帝国の宮廷バレエ団が起源であるバレエ団マリインスキー・バレエの伝説のプリンシパル。母校ワガノワ・バレエ・アカデミーを訪れた彼女が、少女時代と向き合い、踊り始めた理由を語る。さらには、代表作「瀕死の白鳥」などで見せる素晴らしいパフォーマンスのほか、稽古場でのリハーサル風景やまな娘と過ごすプライベートにも密着する。

フランス人、どんだけロパ様好きなんだよ、というくらい「好き好きオーラ」にあふれているため、ドキュメンタリーとしては及第点は出せないものの、悪い印象は無く、バレエファンなら十分に楽しめるのでは無いかと。

ロパートキナ女史は、本作でも名だたる舞踏家や振付師が絶賛しているように「生きた伝説」であるのは間違いない。私は「白鳥の湖」も観たが、伝説を確信したのは「瀕死の白鳥」を観た時だった。世界バレエフェスタで2回連続して演じるくらいだから、一般的にもそういう評価で固まっているのだろう。
基本的には古典のイメージが強いものの、モダン作品も超絶クオリティで幅も広い。

ロパ様は、指の動き一つにも意味を見いださないと納得しないという求道家だった。一つ一つの踊りや動きに「意味」を見いだし、表現を重視するという点で、オールド・タイプのダンサーに分類されるのだろうが、その究極進化形態なのだと言える。ピアノなどのクラシック音楽もそうだが、ロシア芸術はテクニックを支える表現の厚みが段違いなのが魅力。
私は映像で舞踏を見るのは好きでは無いのだが、本作は稽古シーンだけでなく、舞踏シーンもそれなりに多いのだが、飽きずに見ることが出来た。

それにしてもロパ様の身長は公称で175cmとなっていたけど、絶対それ以上あるように思える。自分のパートナーが179cmだけに。バレリーナの上にそれだけの身長がありながら、普段から高いヒールの靴を履いているのにまたビックリ。映像で見ると、あらためて身体の細さと手足の長さにため息が出てしまう。あの細さのどこに筋肉がついているのかもナゾだ。しかも赤髪のベリーショートで、存在感がハンパ無い。
クリミアのケルチ生まれで、母親に連れられてワガノワを受験しにレニングラードまで出てきたというのも、ソ連好きには萌え萌えなエピソード。まぁケルチなんて、ゲーマーしか知らない地名だろうけど。

補足していくと、日本では「ワガノワ・バレエ学校」として知られているものの、実際には「職業学校」であり、日本人がイメージするバレエ教室とは全く異なる。要はバレエダンサー養成コースに特化した初中等学校なので、普通に国語(ロシア語)や数学、理科社会などの授業があり、教科が不合格だと進級できず、普通に授業の課題・宿題も課されている。つまり、「文舞両道」を実現できるものにしかワガノワは卒業できないわけで、日本の高校野球のような「バレエ・バカ」は自然淘汰されるエリート教育なのだ。そして、きちんとした基礎教育と「自分で理解し考えて行動する」校風が、ロシアのバレエダンサーの表現力をも支えている。
本作でもロパートキナ氏の言葉の端端にその辺が感じられるに違いない。
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2015年12月23日

シルヴィ・ギエム引退公演「ライフ・イン・プログレス」

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「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド」
振付:ウィリアム・フォーサイス  音楽:トム・ウィレムス

「ドリーム・タイム」
振付・演出 :イリ・キリアン  音楽:武満徹 オーケストラのための「夢の時」

「テクネ」
振付:アクラム・カーン 音楽:アリーズ・スルイター

「デュオ2015」
振付:ウィリアム・フォーサイス 音楽:トム・ウィレムス

「ヒア・アンド・アフター」
振付・演出:ラッセル・マリファント  

「バイ」
振付:マッツ・エック 音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第32番 Op.111 第2楽章

ついにシルヴィ・ギエム嬢が引退。私は特別ファンというわけではないのだが、友人が誘ってくれたので観に行くことになった。上野の東京文化会館に行ってみると、一階の右手側2列目という凄い席だった。オーケストラのスペース(ピット)があるとはいえ、ダンサーの表情や筋肉の動きまでハッキリ見える距離である。
東京公演の四日間全て売り切れということで、超ラッキーだった。

あのサイボーグのような肉体と舞踏はさすがに50歳が限界ということなのだろうか。あるいは社会運動に目覚めてしまい、余生はそっちで生きて行くということなのか。
カーテンコールでは、オケスペースの上まで来てくれたので間近で見ることができたが、思っていたよりも小さかった(でも170cmないくらい?)のと、意外と可愛らしい顔だった(何せマドモアゼル・ノンだから)のが意外だった。存在の大きさが際立っていた証左かもしれない。
ギエム嬢の舞台は、大昔に偶然モスクワで「ボレロ」を見た以外、世界バレエフェスタで何度か見たくらいしかない。私がモダンやコンテンポラリーにさほど興味が無いからなのだが。

「イン・ザ・ミドル…」は昔世界バレエで見たと思うが、良く覚えていない。舞踏に特化した作品で、振付師が「やれるものならやってみろ」とダンサーに挑戦したかのような難易度がある。緻密に構成されており、ダンサー同士の息がピッタリ合わないと意味を失ってしまう。
ギエム嬢ではなく、東京バレエ団によるものだったが、なかなかにシャープでキレがあり、引き締まった舞台になっていた。相当練習したのだろう。川島麻実子さんカッコ良かったデス。もっとも、フォーサイス作品ということを考えれば、キレが良すぎることで「ねちっこさ」が失われているとは言えるかもしれない。
それにしても、前にも述べたと思うが、最近は日本の女性ダンサーもシルヴィばりに「サイボーグ化」しているなぁと。今回は舞台の目の前で見たから良く分かるが、とにかく背筋が凄い。筋肉が段々と盛り上がっているわ。一度どうなっているか触ってみたいくらいw

「テクネ」は、私がイメージするギエム嬢にピッタリの作品だった。インド人振付師の作品らしいが、一本の木の周りを虫のように這いずり、飛び跳ねる様は、自在であると同時に強靱であり、「さすが」と惚れ惚れさせられる。引退公演でも新作を演じようとする嬢のスタンスそれ自体が、彼女の有り様を物語っているように思える。本作をきっちり仕上げられる内に引退する、ということなのかもしれない。

「バイ」で終わる辺りも彼女の美学なのだろうか。映像との組み合わせが非常に美しく、敢えてダサいオバさん服で軽快に踊り上げるところがまた魅力的。何とはなしに哀しげな雰囲気が漂うのは、こちらが「最後」と思っていることも影響していたかもしれない。

カーテンコールでは客席が総立ちになり、ギエム嬢も何度もピットまで出てきて涙を浮かべながら手を振っていた。私もつられて涙が出そうに……ありがとうございました!
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2015年12月03日

マリインスキー劇場 愛の伝説

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バヌー:ウリヤナ・ロパートキナ
シリン:クリスティーナ・シャプラン
フェルハド:アンドレイ・エルマコフ
宰相:ユーリ・スメカロフ


マリインスキー・バレエ団による「愛の伝説」を観る。日本では無名に近い演目だが、有吉先生の『Swan』を読むくらいのバレエ好きなら知っているかもしれない。ロシアというよりもソ連の作品だけにさらにマイナーだ。だが、ホールはほぼ満席で、意外と男性(しかも私含めて一人客)が多かったのは興味深い。ロパートキナ効果かもしれない。

原作はトルコ共産党員にして詩人のヒクメット、作曲はアゼルバイジャン人にしてショスタコーヴィチの弟子筋に当たるメリコフ。この時点で、ソ連らしい国際色が見られる。そして、振付のグリゴローヴィチは90歳近くでまだ健在であり、現代作品なのだ。
ロシアでは今でも上演されるが、外国で上演されるのは珍しく、日本では初めてとなる。それどころか、マリインスキーが外国で本作を上演するのも初めてだというから、非常に名誉なことだろう。日本におけるバレエ人気(世界最大数のバレエ教室)、特にロシア・バレエへの支持を裏付けている。

内容的には、ぶっちゃけ、主人公が自己犠牲を捧げて民衆を救うも、本人たちは誰も救われない、みたいなトルコというよりはロシア・ソ連的な感じで、ビミョー感溢れているのだが、そこはバレエと割り切って見るべきだろう。まったくロシア人の不幸エンド好きにも困ったものだ。

本作は私も初めて観るのだが、とにかくダンサーに凄まじい体力と精神力を要求する演目だった。ただでさえ三幕八場で2時間超という長い作品なのに、激しい振り付けが多い上に、群舞に至るまで高度な技術が要求されるのだ。「コール・ド・バレエにそれは無いだろう。こんなの出来るバレエ団は、世界に数える位しかないんじゃね?」というのが素直な感想。しかも、『スパルタクス』も振り付けたグリゴローヴィチらしく、とにかく男性のみの群舞が次々と続き、随分とマッチョな仕上がりになっている。確かにこれははまる人ははまるだろう。ただ、本作の魅力を満喫するには、東京文化会館ですら手狭だったように思え、窮屈な感じは否めなかった。ロシアから男性群舞要員や管弦楽団まで連れて来ていることからも、どうやらこれは国策による、採算度外視の上演だったのだろう。

私的にはロパートキナ様が観られれば十分なのだが、こちらは絶対の安定感。身体の隅々までコントロールが行き届き、全てが滑らかに自然に動いて、ピタリと止まり、微動だにしない。その表現力も隔絶しており、バレエとは思えない演技力を見せていた。彼女の演技を観るために1年待ったと言っても過言ではない。
それでも本作のヒロイン役は出ずっぱりで、高難度の演技が続くだけに、40歳を超える彼女の肉体に掛かる負担は非常に大きかったように見受けられた。

男性としては、フェルハド役のエルマコフよりも、宰相役のスメカロフの方がイケてた気がする。非常に力強く、悪く言えば荒々しい暴風のように飛び回るのが私の好みに合っていた。ただ、やはり舞台がやや手狭で窮屈感が否めない。東京文化会館でも狭いとなると、日本で上演できる会場は無いのかもしれない。

これを期に、日本ではマイナーな演目をどんどん紹介して欲しいと思う。
次はギエムの引退公演〜〜
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