2019年05月29日

想像以上に多忙な外国人教員

後期もあと一ヶ月を残すところとなったが、今期は(も)想像していた以上に多忙だった、いや、である。
二月末に中国に戻って、まず後期の授業計画書を作成。

これが終わるかどうかくらいの頃に、学外の研究機関から、以前私が講演の中で触れた「在日米軍が撤退する可能性」についてレポートを書いて欲しいとの依頼があり、三月後半はその執筆にあてた。だが、日本人に対しては説明不要のことでも、読者が中国人となると勝手が異なり、「説明が足りない」との指摘を受けて、加筆したところ二倍近い分量になってしまった。すると、今度は翻訳が進まず、いまだに翻訳作業が終わらない事態に。そこは自分の責任ではないのだが、ちゃんと掲載されるのか心配になってくる。中国はいろいろ(良くも悪くも)ルーズだ。

四月の前半は少し余裕があったが、後半になるともう期末試験の作成である。
前期よりは効率的に作成できたが、新しい科目もあるので、やはり時間が掛かる。
そもそも、最初から追試用の問題も作らないとならず、二倍の手間がかかるのだ。

さらに四月には、自分が所属する学内研究機関の紀要に載せる長文の報告書の執筆を依頼され、資料集めに入った。しかも、そのテーマは「日本の貿易政策の形成について」という、自分の専門分野とは全くかけ離れた無茶振り。いい加減すぎるだろう。
冬に日本に帰る前に言ってくれれば、資料集めも容易だったのだが、おかげで日本から取り寄せるものが増え、関係各位に迷惑を掛けてしまった。そして、労働節の頃から資料の読み込みに入った。

この頃、現地の日本語教師会から六月に開催される研究会で口頭報告を行って欲しいとの依頼を受ける。
こちらは断ることもできたのだが、最初断ってしまうと、この後が厳しくなるかもしれないと判断し、苦渋の受諾。同時並行でまずテーマとアウトラインを作成した。

五月も後半に入った頃、研究所長から「レポート書けた?」のメール(微信)が。

「締切は6月末でしたよね?」
「いや、5月末ですよ」

こら!だから論文執筆は書面かメールで依頼してくれと言ったのに!
幸いにして資料は読み進めており、アウトラインもできていたので、「あとは書くだけ」の直前くらいの状況ではあったが、

「6月3日までには何とか書きます」

と返信して、昼夜兼行とまではいかないが、突貫工事中というのが現在のケン先生である。
もちろん上記の仕事は、通常の授業準備以外のものであり、平日は授業準備と宿題の添削に追われ、土日に上記の作業に当たっているといった感じだ。

一応給与所得者ではあるのだが、実質的に個人事業主であり、作業管理に苦労している。
二年目は授業準備の負担が半分以下になるはずなので、あと少しの辛抱だとは思うのだが・・・・・・
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2019年05月17日

サザエさんからクロ現へ・続

今回私が受け持った「日語視聴説」(日本語視聴覚)の授業で使う主教材について、アニメからドキュメンタリーに転換したという話は以前した。
感触的には「概ね問題無さそう」と感じていたが、最近は便利なツールがあって、SNSを使って簡単にアンケートが採れるので、実施してみた。ちょうど半分終わったタイミングでもあったからだ。
約45人中、回答は32。結果は、以下の通り。
【授業内容について】
不満・かなり不満 0
普通 4
満足 13
大満足 15

【難易度について】
わからない・全然わからない 0
まあまあ 12
理解できる 11
よく理解できる 9

【教材の内容について】
全く興味ない 0
あまり興味ない 3
普通 7
興味深い 13
とても興味深い 9

自由回答については、「アニメが見たい」が最も多く(8)、次いで「映画」「歴史ドキュメント」「バラエティ番組」などの希望があった。
あとは「番組が長い」(クロ現は基本25分)、「二回繰り返してみる必要は無い」「設問が多い」というものがあったが、どれも一つずつだった。

内容の転換については概ね問題ないと見て良い。日本語選択者にアニメファンが多いのは確かだが、クラスの何割かは「アニメも漫画も見ない」という学生もいて、アニメに偏るのは望ましくない。だが、アニメファン層が最多であるのも確かなので、適度に加えるくらいでちょうど良いだろう。まぁ「何も授業で見なくてもいいじゃん」とは思うのだが。中国の一学期は17回も授業があるので、確かにニュース系ばかりでは、授業をやる方も辛い。
クロ現は(代が替わっても)、私が見ていても興味深いし、学生が「日本の現在」を知る上で、教材として作られたものよりもはるかに有用であるのは間違いない。
ただ中国の大学も、日本の1980〜90年代と同様、かなりアミューズメントパーク化が進んでいるため、ニュース、ドキュメンタリーに興味が持てないものも増えていることも確かだ。
今後の課題としては、社会経済問題だけでなく、もう少しバラエティに富んだテーマを取り上げて行く必要があるということだろう。

難易度については「まあまあ」が最多となった。未回答の学生も考えると、難易度に課題があるようにも見えるが、もともと視聴覚の授業は「聞いた内容を全て把握する」ことに目的を置いているわけでは無く、個人的には「大体の内容が把握できれば良い」と考えているため、「まあまあ」なら十分と考えている。
自分がロシア語科の3年や4年だった時に、同レベルのロシアのドキュメンタリー番組を見ても、恐らくは「まあまあ」と答えていたと思われる。
むしろ「わからない」「全然わからない」がゼロだったことが驚異的であり、それは漢字文化で文字情報が多い番組を使っていることが大きいと考えられる。

以上から、若干の修正は行うが、大方針に変更の必要は無いと考えている。
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2019年04月07日

中国の学校でイジメは?

イジメ問題に関するクローズアップ現代を学生に見せ、議論を含め色々話を聞いてみた。
感触的には、半分から三分の二くらいの学生が「中国の学校にもイジメはある」と答え、残りは「イジメなんて見たことない」旨の答えだった。
日本人で日本の学校にずっと通ったものなら、よほど生徒数の少ない過疎地の学校でない限り、「イジメはない」と言い切れるものはいないのではないか。そう考えると、やはり中国の学校の場合、日本ほどには深刻ではないように思われた。

特に「イジメはない」と言う学生たちは「なぜ同級生を虐めるのか(そもそも)分からない」とのことで、(用意はしていたが)イジメの構図や構造、分類など「イジメ学」みたいな授業になってしまった。

中国の学校でイジメが深刻化しないのは、どうやら二つの理由から説明できるようだ。
一つは、受験競争が激しすぎて、学校内や校外で生徒同士がつるむ時間すらまともにないということ。昼休みは少なく、他の休み時間はグッタリ倒れているから、「そんな余裕などあるわけがない」ということらしい。それはそれで凄まじい話なのだが。

もう一つは、日本とは真逆の圧倒的な個人主義である。日本の場合、クラス・学級という一つの単位ができると、そこに所属する生徒は即座に「一つの集団の構成員」とされてしまい、集団を維持するための様々な掟ができ、上下関係が構築され、監視統制が行われる。しかし、中国の場合、そもそも皆が「俺は俺」と考える傾向が強く、少なくとも平素は学級を集団単位として意識することはないようだ。
結果、日本では集団の求心力を維持するために、未成熟なリーダー(仮)が集団内に仮想敵をつくって攻撃するということが常態化する。だが、中国ではそもそも集団化されていないため、そもそもイジメを行う理由がない、もしくはその動機が非常に弱いということのようだ。

どうもケン先生が「中国は意外と過ごしやすい」と思っているのも、その辺に理由が求められそうだ。
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2019年03月22日

中国人学生の体罰認識

ちょうど日本の高校の部活動で体罰を繰り返していた教員が訓告処分を受けたニュースを見つけたので、学生に紹介して、意見を求めてみた。
一人ずつ全員に聞いたわけではないが、大半の学生が程度の差はあれど体罰を受けた経験があることが判明した。中でも最も多かったのは、「手のひらを棒で打つ」というものだった。また、「黒板の横にずっと立たされる(さらしもの)」「頬を打たれた」という学生もおり、程度は様々な模様。

原則論的には中国では義務教育法で体罰は明確に禁止されているものの、全く無くなる気配は無い。
一般的には「農村部の方が酷い」と言われているが、これは体罰の程度を表すものであって、体罰自体は都市部においても行われていると見て良い。

ただ、学生の圧倒的多数は「体罰は暴力」「悪影響しか無い」「人権に反する」と述べており、感覚的にはほぼ日本と変わらない印象。
恐らくは、中国の場合、「強制力をもって子どもに勉強させる」という考え方が根強いため、強制力としての体罰が黙認されてしまうところがあるらしい。
興味深かったのは、教室内でも大体一人二人の学生が「殴るのは論外だが、一定の体罰は必要」との認識を示し、それに対して大半の学生が「え〜!」「信じられない!」などの反応を示したことにある。これは中国においても、人権意識や子どもの権利意識が育っていることの表れの一つと見るべきだろう。

とはいえ、中国は日本の1980年代の受験戦争や管理教育をこじらせてしまったくらいの状況にあるだけに、「子どもにもっと勉強させろ」という圧力が強いこともあって、すぐには改善されそうにない。
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2019年03月21日

サザエさんからクロ現へ

考えてみれば、教育現場に戻ってきたのに、本業に触れる機会はあまり多くないことに気づいた。
シベリアで教えていた時よりもインターネットや生活環境が大幅に改善されて、日本にいるときと大きな違いがなくなっていることもあろうし、教育者として余裕が出てきたこともあろうし、中国語がロクに話せずとも中国生活はロシア語のできるロシア生活よりもはるかに楽であるという理由もありそうだ。

さてさて、後期は視聴覚の授業を受け持つことになった。視聴覚に特化した授業を受け持つのは初めてのことなので、どうしたものかとあれこれ考えた。
前任者はアニメの「サザエさん」やTVドラマなどを使っておられたようだが、まずは常識的あるいは妥当なところなのだろうが、ケン先生的には「そうじゃない」感が拭えなかった。
確かに自分も学部でロシア語を学んだ際、視聴覚の授業では「チェブラーシカ」「ワニのゲーナ」を始めとする(人形含む)アニメや映画が中心で、当時はそれに疑問を覚えることもなかった。
中学校でフランス語を学んだ際には、フランス人の教員に『ラ・ブーム』を見せられて、「学校でこんなの見ちゃっていいの?」と大ショックを受けたが、印象としては「ソフィー・マルソーが(当時は)可愛かった」くらいのものしかなかった。

ここで問題にしたいのは、視聴覚つまり聞き取り能力を向上させるために何をすべきか、ということである。しかし、他方で「言語能力の育成だけで良いのか」という問題もある。この二点から考えたい。

言語教育に関わらない人には想像が難しいかもしれないが、日常会話というのは意外と難しい。言語能力が低くても日常会話が理解できるのは、自分が当事者であり、言語以外の情報(視覚や嗅覚、その他の音声など)から推測が可能であるためだ。旅行会話はテンプレートの会話で成り立つが、日常会話となると、基礎的な単語以外の語彙や俗語が飛び交うため、実は難易度は低くない。
これは、外国語でも自分に向けられた発話なら理解できるが、隣で話している人の外国語を聴き取るのは恐ろしく難易度が高まることからも説明できる。自分の場合、ロシア語でなんとかこの域にあるイメージだ。

私が「実はサザエさんは簡単では無い」と考えるのは、第三者同士の日常会話であるという点と、文化的な相違から文脈を理解することに一定のハードルがあること、実は人間関係が入り組んでいることなどの理由がある。
これが映画であるならば、登場人物も限られ、「大きなストーリー」があるので、序盤でストーリーに入り込めさえすれば、想像力で補正して着いていくことが可能なのだが、「サザエさん」の場合は「永遠に繰り返される日常」というところを含めて、一、二回なら良いとしても何回も続けるのは苦しいのでは無かろうか。

また、自分は「チェブラーシカ」でロシア語を学んだことに不満は無いものの、大学生にもなって授業中に「サザエさん」や「ドラえもん」を見せられて語学学習するのは、ある程度意識の高い学生にとっては屈辱的かもしれず、やはり何回も見せるのは適当では無いだろう。
同時に言語は言語そのものを学ぶのではなく、「言語を使って何を学ぶか」というところに最終的な意義がある。それだけに、あまり日常会話に特化してしまうと、学生の学習意欲をそいでしまう恐れがある。

そこで私はドキュメンタリーやニュース系を中心に据え、映画やドラマは従とする方針を立てたわけだが、今度は90分の授業時間内に収めるコンテンツを探さねばならない。視聴覚の場合、基本は前提情報なしに一回見せて、語彙や内容補足を行った上でもう一度見せ、さらに内容について質問したり議論したりする必要がある。そのため、NHKスペシャルのような45〜60分番組では長すぎるという問題がある。
補足すると、内容質問や議論についても、ドラマやアニメだと「登場人物は何をしたか」「何を言ったか」「なぜあのような行動をとったのか」などの設問に限られてしまうという問題もある。ケン先生的には、これらの質問に大きな意味は無いように思われるからだ。

色々検討した結果、NHKの「クローズアップ現代+」を採用、日本で録画したものを使うことにした。
クロ現の場合、一回25分という「長すぎず短すぎず」な上に、授業中に二回回せるところも大きく、様々なテーマが取り上げられ(中には使えないものもあるが)、外国の大学生が日本社会経済文化を学ぶ上でも非常に有用なコンテンツと言える。
特に中国の学生の場合、フリップやテロップが補助的な役割を果たすので、聴覚能力に劣る学生でも内容を把握できるメリットがある。視聴覚の場合、聴覚能力に劣る学生が戦意を喪失してしまうケースも少なくなく、これをカバーできるメリットは非常に大きい。

今までに4回授業を行って(米中貿易摩擦、外国人労働者問題、SNS犯罪など)、他の授業よりも関心度が高く、集中力が維持されているように思われ、今のところ成功と判断して良さそうだ。日本語力が高くない学生も、それなりに関心を持って見てくれており、自分の判断に満足している。
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2019年02月23日

意外と共通語が多い日中語

中国で日本語を教え、同時に中国語を学んで驚いたのは、思っていた以上に共通語彙が多いことだった。
もちろん読み方が大きく異なるので、覚えることは多いのだが、学習のハードルが比較的低いことは間違いない。
こう言うと半信半疑で聞かれることが多いわけだが、実際に見てみると分かりやすい。
ちょうど今現在、後期授業に向けて準備しているある授業の新出単語である。
・つぶやき=嘟哝
・幹部(かんぶ)=干部
・打撃(だげき)=打击
・対象(たいしょう)=对象
・強硬策(きょうこうさく)=强硬策略
・支持者(しじしゃ)=支持者
・赤字(あかじ)=赤字
・採用(さいよう)=采用
・研修(けんしゅう)=进修
・取材(しゅざい)=采访
・長期戦(ちょうきせん)=长期战
・貿易摩擦(ぼうえきまさつ)=贸易摩擦
・取引価格(とりひきかかく)=交易价格
・意味不明(いみふめい)=没有意义
・救済措置(きゅうさいそち)=救济措施
・訴追(そつい)=起诉
・傷つく(きずつく)=受伤
・芳しい(かんばしい)=芳香、非常好
・知的財産権(ちてきざいさんけん)=知识产权

漢字が簡体字であるため、読めない箇所もあろうが、簡体字の法則さえつかんでしまえば、想像以上の共通度である。
ただ、どうにもならないのはカタカナ語で、これは中国人学習者が苦手とするところになる。さもありなんだ。
・オウンゴール=乌龙球(own goal)
・アプローチ=方法(Approach)
・アクション=动作、行动
・シェア=分享、份额

以上だけ見ても、中国語話者が日本語能力検定などに圧倒的に有利である理由がよく分かるだろう。
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2019年01月21日

2018-19年度前期課程終了報告

おかげさまをもちまして、無事前期課程が終了しました。
記事にするほどの問題はなかったのですが、課題を残す結果となったことは否めません。
ある試験は平均点を76-77点で想定したところ平均71点で赤点が続出する事態となった一方、別の試験は平均点を82-83点で考えたものの、実際には満点が出て平均も88点になってしまう結果となりました。
教員としてはこの誤差を二点、せめて三点以内に抑えたいわけですが、まだまだ感覚が取り戻せていないということでしょう。もっとも教員復帰後、最初の本格的試験である上、当局の命令で11月半ばには問題を提出させられているので、今回は致し方ないと思う次第です。

誤差が大きかった理由の一つは、中国人の試験熟練度を甘く見た点にあります。前者の低得点試験は自由筆記を中心とする作文などの試験だった一方、後者の高得点試験は日本事情に関する丸暗記問題だったからです。
後者については、論文式にすると日本語能力を問う試験になってしまうため、それを避けるために選択式の知識問題にしたわけですが、中国学生の暗記能力の想定が甘かったということでしょう。
逆に自由作文になると、途端に惨憺たる状況になり、ひたすら甘めに採点してもかくなる結果に終わりました。
この辺のバランスをどうするか、あるいは後期の授業にどう繋げるかが、今後の課題です。

あと試験そのものとは別の話になりますが、成績評価に関する事務作業が非常に膨大かつ煩雑で、随分と時間を取られてしまいました。中学高校かよ、と思うくらい出席や宿題・課題の評価が細かく、しかも指定の書式に従って紙とデータの両方を提出する必要がありました。一から全部教えてもらってやるわけですが、教えてもらってもミスが続出して、最終提出に至るまで結構苦労しました。事務作業が得意な私がこれだけ苦労するのだから、普通の人は相当に苦労すると思います。
もっとも、これは学校によって大きく異なるらしく、私の勤務校が細かすぎるとのことではありますが、あまり気休めになりません。まぁ一度やれば二度目以降はもう少し楽になるでしょう。

赤点(平常点を合わせた総合成績60点以下あるいは本試験で50点未満)を取ると追試になるわけですが、赤点を取ったものはもともと士気が低いので、追試をしたところで合格する確率は高くありません。ですので、本試験で50点台だった学生はできるだけ平常点で「調整」して合格させてしまいます。現在の中国では、よほどのことが無い限り落第させず、卒業させてしまうので、面倒なだけだからです。
それでも本試験で50点未満だったものは、手の施しようがなく追試となってしまうわけで、今回は一人追試になってしまいました。まぁ残業みたいなものです。

普段の授業や指導についても色々反省すべき点があると思いますが、その辺はもう少しゆっくり考えたいと思います。
まずは少し休んで、採点と成績付けでとっちらかっている部屋を整理、掃除して、ゆるゆるとお土産を買って、来週帰国します。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする