2019年04月07日

中国の学校でイジメは?

イジメ問題に関するクローズアップ現代を学生に見せ、議論を含め色々話を聞いてみた。
感触的には、半分から三分の二くらいの学生が「中国の学校にもイジメはある」と答え、残りは「イジメなんて見たことない」旨の答えだった。
日本人で日本の学校にずっと通ったものなら、よほど生徒数の少ない過疎地の学校でない限り、「イジメはない」と言い切れるものはいないのではないか。そう考えると、やはり中国の学校の場合、日本ほどには深刻ではないように思われた。

特に「イジメはない」と言う学生たちは「なぜ同級生を虐めるのか(そもそも)分からない」とのことで、(用意はしていたが)イジメの構図や構造、分類など「イジメ学」みたいな授業になってしまった。

中国の学校でイジメが深刻化しないのは、どうやら二つの理由から説明できるようだ。
一つは、受験競争が激しすぎて、学校内や校外で生徒同士がつるむ時間すらまともにないということ。昼休みは少なく、他の休み時間はグッタリ倒れているから、「そんな余裕などあるわけがない」ということらしい。それはそれで凄まじい話なのだが。

もう一つは、日本とは真逆の圧倒的な個人主義である。日本の場合、クラス・学級という一つの単位ができると、そこに所属する生徒は即座に「一つの集団の構成員」とされてしまい、集団を維持するための様々な掟ができ、上下関係が構築され、監視統制が行われる。しかし、中国の場合、そもそも皆が「俺は俺」と考える傾向が強く、少なくとも平素は学級を集団単位として意識することはないようだ。
結果、日本では集団の求心力を維持するために、未成熟なリーダー(仮)が集団内に仮想敵をつくって攻撃するということが常態化する。だが、中国ではそもそも集団化されていないため、そもそもイジメを行う理由がない、もしくはその動機が非常に弱いということのようだ。

どうもケン先生が「中国は意外と過ごしやすい」と思っているのも、その辺に理由が求められそうだ。
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2019年03月22日

中国人学生の体罰認識

ちょうど日本の高校の部活動で体罰を繰り返していた教員が訓告処分を受けたニュースを見つけたので、学生に紹介して、意見を求めてみた。
一人ずつ全員に聞いたわけではないが、大半の学生が程度の差はあれど体罰を受けた経験があることが判明した。中でも最も多かったのは、「手のひらを棒で打つ」というものだった。また、「黒板の横にずっと立たされる(さらしもの)」「頬を打たれた」という学生もおり、程度は様々な模様。

原則論的には中国では義務教育法で体罰は明確に禁止されているものの、全く無くなる気配は無い。
一般的には「農村部の方が酷い」と言われているが、これは体罰の程度を表すものであって、体罰自体は都市部においても行われていると見て良い。

ただ、学生の圧倒的多数は「体罰は暴力」「悪影響しか無い」「人権に反する」と述べており、感覚的にはほぼ日本と変わらない印象。
恐らくは、中国の場合、「強制力をもって子どもに勉強させる」という考え方が根強いため、強制力としての体罰が黙認されてしまうところがあるらしい。
興味深かったのは、教室内でも大体一人二人の学生が「殴るのは論外だが、一定の体罰は必要」との認識を示し、それに対して大半の学生が「え〜!」「信じられない!」などの反応を示したことにある。これは中国においても、人権意識や子どもの権利意識が育っていることの表れの一つと見るべきだろう。

とはいえ、中国は日本の1980年代の受験戦争や管理教育をこじらせてしまったくらいの状況にあるだけに、「子どもにもっと勉強させろ」という圧力が強いこともあって、すぐには改善されそうにない。
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2019年03月21日

サザエさんからクロ現へ

考えてみれば、教育現場に戻ってきたのに、本業に触れる機会はあまり多くないことに気づいた。
シベリアで教えていた時よりもインターネットや生活環境が大幅に改善されて、日本にいるときと大きな違いがなくなっていることもあろうし、教育者として余裕が出てきたこともあろうし、中国語がロクに話せずとも中国生活はロシア語のできるロシア生活よりもはるかに楽であるという理由もありそうだ。

さてさて、後期は視聴覚の授業を受け持つことになった。視聴覚に特化した授業を受け持つのは初めてのことなので、どうしたものかとあれこれ考えた。
前任者はアニメの「サザエさん」やTVドラマなどを使っておられたようだが、まずは常識的あるいは妥当なところなのだろうが、ケン先生的には「そうじゃない」感が拭えなかった。
確かに自分も学部でロシア語を学んだ際、視聴覚の授業では「チェブラーシカ」「ワニのゲーナ」を始めとする(人形含む)アニメや映画が中心で、当時はそれに疑問を覚えることもなかった。
中学校でフランス語を学んだ際には、フランス人の教員に『ラ・ブーム』を見せられて、「学校でこんなの見ちゃっていいの?」と大ショックを受けたが、印象としては「ソフィー・マルソーが(当時は)可愛かった」くらいのものしかなかった。

ここで問題にしたいのは、視聴覚つまり聞き取り能力を向上させるために何をすべきか、ということである。しかし、他方で「言語能力の育成だけで良いのか」という問題もある。この二点から考えたい。

言語教育に関わらない人には想像が難しいかもしれないが、日常会話というのは意外と難しい。言語能力が低くても日常会話が理解できるのは、自分が当事者であり、言語以外の情報(視覚や嗅覚、その他の音声など)から推測が可能であるためだ。旅行会話はテンプレートの会話で成り立つが、日常会話となると、基礎的な単語以外の語彙や俗語が飛び交うため、実は難易度は低くない。
これは、外国語でも自分に向けられた発話なら理解できるが、隣で話している人の外国語を聴き取るのは恐ろしく難易度が高まることからも説明できる。自分の場合、ロシア語でなんとかこの域にあるイメージだ。

私が「実はサザエさんは簡単では無い」と考えるのは、第三者同士の日常会話であるという点と、文化的な相違から文脈を理解することに一定のハードルがあること、実は人間関係が入り組んでいることなどの理由がある。
これが映画であるならば、登場人物も限られ、「大きなストーリー」があるので、序盤でストーリーに入り込めさえすれば、想像力で補正して着いていくことが可能なのだが、「サザエさん」の場合は「永遠に繰り返される日常」というところを含めて、一、二回なら良いとしても何回も続けるのは苦しいのでは無かろうか。

また、自分は「チェブラーシカ」でロシア語を学んだことに不満は無いものの、大学生にもなって授業中に「サザエさん」や「ドラえもん」を見せられて語学学習するのは、ある程度意識の高い学生にとっては屈辱的かもしれず、やはり何回も見せるのは適当では無いだろう。
同時に言語は言語そのものを学ぶのではなく、「言語を使って何を学ぶか」というところに最終的な意義がある。それだけに、あまり日常会話に特化してしまうと、学生の学習意欲をそいでしまう恐れがある。

そこで私はドキュメンタリーやニュース系を中心に据え、映画やドラマは従とする方針を立てたわけだが、今度は90分の授業時間内に収めるコンテンツを探さねばならない。視聴覚の場合、基本は前提情報なしに一回見せて、語彙や内容補足を行った上でもう一度見せ、さらに内容について質問したり議論したりする必要がある。そのため、NHKスペシャルのような45〜60分番組では長すぎるという問題がある。
補足すると、内容質問や議論についても、ドラマやアニメだと「登場人物は何をしたか」「何を言ったか」「なぜあのような行動をとったのか」などの設問に限られてしまうという問題もある。ケン先生的には、これらの質問に大きな意味は無いように思われるからだ。

色々検討した結果、NHKの「クローズアップ現代+」を採用、日本で録画したものを使うことにした。
クロ現の場合、一回25分という「長すぎず短すぎず」な上に、授業中に二回回せるところも大きく、様々なテーマが取り上げられ(中には使えないものもあるが)、外国の大学生が日本社会経済文化を学ぶ上でも非常に有用なコンテンツと言える。
特に中国の学生の場合、フリップやテロップが補助的な役割を果たすので、聴覚能力に劣る学生でも内容を把握できるメリットがある。視聴覚の場合、聴覚能力に劣る学生が戦意を喪失してしまうケースも少なくなく、これをカバーできるメリットは非常に大きい。

今までに4回授業を行って(米中貿易摩擦、外国人労働者問題、SNS犯罪など)、他の授業よりも関心度が高く、集中力が維持されているように思われ、今のところ成功と判断して良さそうだ。日本語力が高くない学生も、それなりに関心を持って見てくれており、自分の判断に満足している。
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2019年02月23日

意外と共通語が多い日中語

中国で日本語を教え、同時に中国語を学んで驚いたのは、思っていた以上に共通語彙が多いことだった。
もちろん読み方が大きく異なるので、覚えることは多いのだが、学習のハードルが比較的低いことは間違いない。
こう言うと半信半疑で聞かれることが多いわけだが、実際に見てみると分かりやすい。
ちょうど今現在、後期授業に向けて準備しているある授業の新出単語である。
・つぶやき=嘟哝
・幹部(かんぶ)=干部
・打撃(だげき)=打击
・対象(たいしょう)=对象
・強硬策(きょうこうさく)=强硬策略
・支持者(しじしゃ)=支持者
・赤字(あかじ)=赤字
・採用(さいよう)=采用
・研修(けんしゅう)=进修
・取材(しゅざい)=采访
・長期戦(ちょうきせん)=长期战
・貿易摩擦(ぼうえきまさつ)=贸易摩擦
・取引価格(とりひきかかく)=交易价格
・意味不明(いみふめい)=没有意义
・救済措置(きゅうさいそち)=救济措施
・訴追(そつい)=起诉
・傷つく(きずつく)=受伤
・芳しい(かんばしい)=芳香、非常好
・知的財産権(ちてきざいさんけん)=知识产权

漢字が簡体字であるため、読めない箇所もあろうが、簡体字の法則さえつかんでしまえば、想像以上の共通度である。
ただ、どうにもならないのはカタカナ語で、これは中国人学習者が苦手とするところになる。さもありなんだ。
・オウンゴール=乌龙球(own goal)
・アプローチ=方法(Approach)
・アクション=动作、行动
・シェア=分享、份额

以上だけ見ても、中国語話者が日本語能力検定などに圧倒的に有利である理由がよく分かるだろう。
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2019年01月21日

2018-19年度前期課程終了報告

おかげさまをもちまして、無事前期課程が終了しました。
記事にするほどの問題はなかったのですが、課題を残す結果となったことは否めません。
ある試験は平均点を76-77点で想定したところ平均71点で赤点が続出する事態となった一方、別の試験は平均点を82-83点で考えたものの、実際には満点が出て平均も88点になってしまう結果となりました。
教員としてはこの誤差を二点、せめて三点以内に抑えたいわけですが、まだまだ感覚が取り戻せていないということでしょう。もっとも教員復帰後、最初の本格的試験である上、当局の命令で11月半ばには問題を提出させられているので、今回は致し方ないと思う次第です。

誤差が大きかった理由の一つは、中国人の試験熟練度を甘く見た点にあります。前者の低得点試験は自由筆記を中心とする作文などの試験だった一方、後者の高得点試験は日本事情に関する丸暗記問題だったからです。
後者については、論文式にすると日本語能力を問う試験になってしまうため、それを避けるために選択式の知識問題にしたわけですが、中国学生の暗記能力の想定が甘かったということでしょう。
逆に自由作文になると、途端に惨憺たる状況になり、ひたすら甘めに採点してもかくなる結果に終わりました。
この辺のバランスをどうするか、あるいは後期の授業にどう繋げるかが、今後の課題です。

あと試験そのものとは別の話になりますが、成績評価に関する事務作業が非常に膨大かつ煩雑で、随分と時間を取られてしまいました。中学高校かよ、と思うくらい出席や宿題・課題の評価が細かく、しかも指定の書式に従って紙とデータの両方を提出する必要がありました。一から全部教えてもらってやるわけですが、教えてもらってもミスが続出して、最終提出に至るまで結構苦労しました。事務作業が得意な私がこれだけ苦労するのだから、普通の人は相当に苦労すると思います。
もっとも、これは学校によって大きく異なるらしく、私の勤務校が細かすぎるとのことではありますが、あまり気休めになりません。まぁ一度やれば二度目以降はもう少し楽になるでしょう。

赤点(平常点を合わせた総合成績60点以下あるいは本試験で50点未満)を取ると追試になるわけですが、赤点を取ったものはもともと士気が低いので、追試をしたところで合格する確率は高くありません。ですので、本試験で50点台だった学生はできるだけ平常点で「調整」して合格させてしまいます。現在の中国では、よほどのことが無い限り落第させず、卒業させてしまうので、面倒なだけだからです。
それでも本試験で50点未満だったものは、手の施しようがなく追試となってしまうわけで、今回は一人追試になってしまいました。まぁ残業みたいなものです。

普段の授業や指導についても色々反省すべき点があると思いますが、その辺はもう少しゆっくり考えたいと思います。
まずは少し休んで、採点と成績付けでとっちらかっている部屋を整理、掃除して、ゆるゆるとお土産を買って、来週帰国します。
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2019年01月09日

驚愕の事実判明ー中国の大学にはゼミ制度が無かった

四年生の授業は前期で終わり、後期は卒論を書きながら、企業インターンなどを務めるのだという。
日本語科の場合、日本語で八千字から一万字程度の卒論を書くらしいのだが、どう見ても学生はその水準にない。まともに読めそうなものが書けそうなのは、30人クラスに十人といないだろう。この辺は全体主義国らしく、「国家スタンダード」による規定なのだろうが、形式主義とコピペが横行するだけで、何も良いことはないように思われる。

自分は卒論のテーマなどで学生から相談を受けたことはあったが、内容については全くタッチしておらず、一体誰が指導しているのかと聞いてみたら、中国人の先生が指導しているとのこと。それはそれで良いのだが、学部から博士号取得まで日本の大学にいた中国人の先生が「中国の大学にはゼミがないので、実質的には(学生は)放置状態ですよ」とおっしゃるので、驚愕した。

確かにかつて中国からの留学生は試験や日本語はよくできても、ゼミとなると途端に微妙というか稚拙と言うかレベルが落ちていたし、論文に至っては「これで修士とるのか?」というレベルのものが横行していた。が、それは他の国から来ている学生もさほど大きな違いがあったわけではないので、特に気にはしなかった。

とはいえ、そもそもゼミがないとなれば話は別である。言うまでもないことだが、ゼミがないということは、自分で調べて自分の考察や意見をまとめて発表する場が無いということであり、卒論を指導するクラスや空間が無いことを意味する。先輩の発表を聞き、指導を受ける姿を見ながら、論文の読み方を学び自分で研究を進め、あるいは同じゼミ生と意見交換しながら切磋琢磨してゆくのがゼミの最大の特徴であるはずだが、これがなくてどうやって卒論を書くのか、下手すると資料収集の方法すら教わらないのではないかという感じだ。

四年時まで講義形式の授業しかなく、突然卒論を書かされて、発表させられるのだから、気の毒としか言いようがない。
ケン先生の場合も、外国語学部ロシア語科の出身で外国語専攻だったため卒論は免除されていたし、ゼミにも入っていなかったので、中国の学生に近い状態にあるわけだが、日本では非常に例外的なケースと言える。

中国の大学にゼミがないのは、一説では「思想を育てることになるから」とのことだが、概ね当たっているのだろう。要は「独自の思考を行う術を学ばせない」ことに主眼が置かれているためと考えられる。もっとも、現実には人口=学生が多すぎて、ゼミ形式が成り立たないという問題もあるのだろうが。

結果、外国の大学院などに留学したエリートだけがゼミ制度を経験するということになっている。
ひょっとしたら、中国の大学は日本の文科省などが切望する職業訓練高等学校を先取りしているとも考えられるのだが、自分としてはとても推奨できない。
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2018年11月08日

只今テスト作成中につき

教員生活で大変なことの一つにテスト作成と採点がある。
採点は機械的な作業なので、まだマシなところもあるが、ケン先生の場合、いくつかの科目について一から授業を作っているだけに、そこはテストも一から自分で作らないとならない。過去問などを参照できないこと、テスト作成も十年ぶりなこともあって、まずは内容よりも「設問をどうするか」から始めなければならなかった。例えば、100点満点のテストをつくるとして、配点と問題数のバランスから考えなければならず、感覚を忘れている私としては、それを取り戻すのに一苦労だった。

中間試験は一課目だけで、これは自由に作って良いのだが、わが勤務校は事務方がうるさく、期末試験の問題も11月末までに提出しなければならない。そのため、まず中間試験を作って、その上で期末試験の構想を練る必要があり、今はこれで週末が飛んでしまうほどの労働量になっている。しかも期末は、予め追試用の問題もつくらなければならず、当然ながら本試とは別の設問にする必要がある。これも規格化して、どうにか似たような問題にするが、本試よりも簡単にしないと再々試験や留年が続出するだけに、そのバランスも考えなければならない。そもそも学期半ばにして後半までの授業を考えてテストを作るのも難しい。
幸いにして先輩教員の配慮により、共通科目については私の負担は最小限にしてもらったので、私が作成するのは学部の2科目と大学院の1科目で済んでいるが、それでも普段の授業準備に加わるだけに、なかなかに厳しい状況が進んでいる。

できる限り先手を打って行動しているので、大方の目処は付いたものの、いかんせん個人事業なので、他人のチェックがきかず、「これで本当に大丈夫なのか?」という不安は拭えない。
やはり一年目はなかなかにハードである。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする