2018年11月08日

只今テスト作成中につき

教員生活で大変なことの一つにテスト作成と採点がある。
採点は機械的な作業なので、まだマシなところもあるが、ケン先生の場合、いくつかの科目について一から授業を作っているだけに、そこはテストも一から自分で作らないとならない。過去問などを参照できないこと、テスト作成も十年ぶりなこともあって、まずは内容よりも「設問をどうするか」から始めなければならなかった。例えば、100点満点のテストをつくるとして、配点と問題数のバランスから考えなければならず、感覚を忘れている私としては、それを取り戻すのに一苦労だった。

中間試験は一課目だけで、これは自由に作って良いのだが、わが勤務校は事務方がうるさく、期末試験の問題も11月末までに提出しなければならない。そのため、まず中間試験を作って、その上で期末試験の構想を練る必要があり、今はこれで週末が飛んでしまうほどの労働量になっている。しかも期末は、予め追試用の問題もつくらなければならず、当然ながら本試とは別の設問にする必要がある。これも規格化して、どうにか似たような問題にするが、本試よりも簡単にしないと再々試験や留年が続出するだけに、そのバランスも考えなければならない。そもそも学期半ばにして後半までの授業を考えてテストを作るのも難しい。
幸いにして先輩教員の配慮により、共通科目については私の負担は最小限にしてもらったので、私が作成するのは学部の2科目と大学院の1科目で済んでいるが、それでも普段の授業準備に加わるだけに、なかなかに厳しい状況が進んでいる。

できる限り先手を打って行動しているので、大方の目処は付いたものの、いかんせん個人事業なので、他人のチェックがきかず、「これで本当に大丈夫なのか?」という不安は拭えない。
やはり一年目はなかなかにハードである。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月18日

赴任一ヶ月での教育的感慨

国慶節休暇があったので、実質的に授業を始めて一ヶ月になる。
おおむね生活に慣れ、大学の授業もまだまだ試行錯誤の段階ではあるものの、大体の流れは把握した感じ。

いかんせん初年度である上、15年ぶりの教員業と初めての中国にあって、「何とかこなしてる」というところ。
授業自体は週に3日、7コマ=14時間ではあるが(後期は少し減るらしい)、語学にもかかわらず一クラスに30人もいるため、授業が終われば宿題や課題の山が待ち受けている。二クラス分の宿題があると、60人分になるだけに、思わず呆然としてしまう。
そのため、平日の授業がない日は、午前中は宿題のチェックで終わり(終われば十分なくらい)、午後は次の授業の準備に費やされる。初年度なので、講義ノートを一からつくらないとならないため、下手すると夕食を食べた後も続けることになる。
一ヶ月経て、ようやく効率化に取り組めそうな感じだが、一方で「これじゃダメだ」と思うところもあって、軌道修正の課題もある。まぁ一年目はロシアでも非常に苦労したから、こんなものだが、ロシアでは生徒は十人程度だったので、そこは楽なものだった。名前もすぐに覚えられたし。

学生の方は、かなり日本化が進んでいる印象だ。
私の場合、90年代に大学の学部を、00年代に大学院を出ているわけだが、中国人学生といえば、90年代のそれはアルバイトと学業に全力を費やし、「一体この人たちはいつ寝ているのだろうか?」くらいのイメージだった。戦国大名で言えば、島津とか上杉級である。00年代はさすがに余裕が出てきたように思えたが、それでも日本人から見れば、よほど勤勉で真面目だった。
これに対して、今の私が見ている学生は、概ね我々世代の学生と同じで、「言われたことはやるけど、卒業できれば十分」くらいのレベルになっている。授業中の居眠りもスマホも普通になっている。中学高校ではないので、それを咎めるようなことはしないが、この世代が社会の中枢を担う20年後、30年後にはもはや中国は脅威では無いと言えそうだ。これが確認できただけでも十分と言える。

もっとも、中国人に言わせると、「大都会で金持ちの子弟が多いから」「地方の学生はまだまだ真面目」とのことだが、そこは良くわからない。少なくとも日本語検定の結果などを見る限り、「地方の方が優秀」と言えるだけのデータは見当たらない。まぁこの辺も日本と同じなのかもしれない。

また日本と異なる点は、必ずしも日本語科を希望して入ってきた学生ばかりではなく、むしろ他学科を希望して選に漏れ、当局の差配で「日本語科で良ければ入学させてやる」ということで入学してきた者が少なくない、という点だ。私の見たところ、半分前後はそうした学生なので、どうしても士気が低い。「であれば、定員を減らせよ」と思うのだが・・・・・・

まぁ、それでも我々世代のロシア語科学生のロシア語水準よりは高いかもしれないが、まずはこんなところか。
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2018年09月29日

まず一ヶ月終了

授業時間としては3週間だが、来週は国慶節休暇なので、実質一ヶ月が終了したことになる。
やはり慣れないことだらけなので、いかに便利な都会でも、ここで一休み入るのは嬉しいところだ。
だが、なぜか今日と明日(土日)は、来週分の補講があり、木金分の授業をもう一度やるという話になった。
つまり、今週は木曜と土曜に木曜のカリキュラムをやったわけだが、結果昨日は、30人分の作文の宿題と40人分の課題(小作文)を一日で添削して、かつ授業準備をすることになった。
この70人分の添削だけで夕方までかかってしまい、なかなかにしんどい状況だった。
学習者の作文添削は、何時間もやっていると感覚が鈍ってきて、段々正しく添削できているか自信がなくなってくる。精神科医が連続して診察できないのと似たような構造かもしれない。

ロシアにいた時は一クラス10人程度だったので苦にもならなかったが、30人もいると「まだ半分かよ」と思ってしまう。
いずれこの手の添削はAIで自動訂正することになるのかと思うが、それは同時にスマホで自動的に作文ができることを意味するので、ますます外国語学習の意義が問われることになりそうだ。

何とか授業もペースに乗ってきたが、10月からは大学院の授業が始まり一コマ増える上に、いくつか講演(日本語)も依頼されているので、さらに時間管理が難しくなる。
国慶節期間中は、どこも大混雑なので、基本は家でのんびりしながら、10月からの本番に備えたいと思う。
少しは日本のネタも考えたいし。
posted by ケン at 18:53| Comment(4) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

中国で最初の授業

ついに教員生活一日目を迎えた。
ロシアのときもそうだったが、打ち合わせらしい打ち合わせもなく、いきなり教壇に立つので緊張度が半端ない。
こちとら十年ぶりだし、中国語はまだまだほとんど分からないし。

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朝6時に起床、同45分に寮を出て、市内キャンパスの正門で待機しているシャトルバスに乗る。
バスは7時に出発して、約1時間で到着、8時15分から始業。
中国はとにかく朝が早い。
万全を期すためには夜11時には就寝する必要があり、生活習慣を変えねばならない。

しかも、月曜日に3コマも授業があるため、しばらくは日曜日は遊べそうにない。
授業は全部で7コマだが、大学院の授業はなぜか10月からなので、当面は6コマ。
さらに四年生の授業(2コマ)は12月頭で終わって、就職活動に入るらしいので、日本の大学教員と比べると、かなり楽だろう。
いずれ余裕が出れば、他大学などに出張講義に行きたいと考えている。

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月曜は日本の社会経済文化全般を教える「日本事情」が2コマ(2クラス分)、四年生の「高級日本語」が1コマ。
高級日本語の教科書は、ほとんど日本の高校の国語の教科書であり、本来はネイティブが教えるよりも中国人の先生が中国語で説明したほうが良いはず。ネイティブ教員の使い方に若干の疑問がある。

学生の方は、夏休み明けと新しい先生に緊張していたようで、非常に消極的で、何か問いかけてもなかなか返事が返ってこないし、声も非常に小さい。中国語で会話しているときは、うるさいくらいに声が大きいのだが。
どうやら、私がしゃべる速度も早かったらしく、スピーチコントロールにもっと気を使う必要がありそうだ。
いずれにせよ、少しずつ慣れてゆくほかあるまい。
posted by ケン at 14:46| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月31日

授業でゴルバチョフの演説を聴いた時代

自分が学部生だった時、ゴルバチョフの演説を聴いて読み解くという授業があった。いま思えば、ずいぶんと背伸びしていたもので、実際に相当厳しい授業だった。しかし、今聞くと彼のスピーチはかなり分かりやすかったことが確認できる。当時、ロシア語字幕付きのビデオで見られるともっと分かりやすかったように思える。当時、モスクワの日本大使館員は毎晩徹夜して、テープ起こしをしていたというだけに、今とは鍛え(られ)方が違うことが分かるだろう。
当時はそれでもビデオテープで見られただけ進歩的だった。もっとも、これがシュワルナゼ(グルジア)だったら途方に暮れていたように思える。



この話をロシア人にすると、「あんなウクライナ訛りのロシア語を勉強させられるなんてお気の毒に・・・」みたいな反応が返ってきて興味深い。もっとも、当時のソ連の学生はJCPの大会決議みたいな文章がテキストに使われていて、我々などより100倍も気の毒だった。

さてさて、では、自分も安倍総理の所信表明を学生に聞かせて、読み説きをやるかと言われると、無いなぁと思わざるを得ない。将来的に、国際関係学院とか軍大学で教えることになったら考えよう。
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2008年12月04日

低信頼社会における人事の課題

某大企業に勤める私の先輩が、
「転勤を拒否する人が増えているみたいなんだよね。数としてはわずかだけど、昔なら考えられないよ」
とおっしゃっていた。
これは、日本の終身雇用制度(経済学的には「長期雇用制度」)の解体や成果主義の導入に伴って起きた現象の一つとして捉えることができる。

終身雇用制度の目的は、長期にわたって人材を囲い込んで育成しつつ、忠誠心を高めることにある。
文化的には、中世以来の武家における「御恩と奉公」の関係が江戸時代の幕藩体制下で再定着したことに起源を求めることができる。
それは、主家・藩が、終身・世襲雇用と一家の生活を認める代わりに、奉公人は自身の生命と絶対的忠誠を捧げる、というものだった。
日本の企業文化がその影響を受けたと考えるのは、そう不自然なことではないと思われるし、実際に多くの人が終身雇用制度をごく自然に受け入れていた節がある。

ところが、戦後半世紀近く続いた終身雇用制度は、経済成長が低迷した90年代に否定された。
終身雇用制度下では、昇給は年功によって規定される。経験値の積み上げと会社への忠誠を評価するためだった。ところが、少子高齢化によって裏目に出る。
給料の高い高齢層が増え、それを維持するために管理職ポストを乱立した結果、人件費が巨大になり、それ故に新規募集を減らさざるを得なくなった。
そこにバブルの崩壊が直撃、「就職氷河期」が始まった。
従って、「就職氷河期」は決してバブルの崩壊だけが原因ではなかった。
そして、新人採用を減らした結果、企業内の世代構造は逆ピラミッド型の歪なものとなった。

90年代の不況から脱出するために、日本の経済界がとった方針は「雇用制度と給与体系の見直し」だった。
まず、高齢層の社員のリストラを行い、解雇、早期退職勧奨、出向、遠方への転勤などがなされた。
ところが実際、リストラを行ってみると、労働力が不足することが判明した。
そこで失われた労働力は、新規採用で補充すれば「元の木阿弥」になってしまうので、財界は政界に働きかけて「労基法改正」を実現、不足した労働力は非正規雇用と派遣社員で補充された。これらのほとんどは若者だった。
こうして終身雇用制度は否定され、90年代後半から2000年代初め頃までは、むしろリストラを断行した企業が評価されるような有様となった。

時を同じくして「給与体系の見直し」で導入されたのが、「成果・能力主義」だった。
全社員を恒常的に昇給させることが難しくなった以上、少ない人件費を効率的に使うためには、一部の「業績を上げた」社員にのみ大幅な昇給あるいはボーナスを認めるのが良いと考えられたことによる。要は、「成果主義」は人件費の総枠を圧縮するためのレトリックだった。
「名ばかり管理職」もこの頃に大幅に増加した。

90年代を境に、日本の企業文化は全く違うものとなった。
それまでは、どんな遠方への転勤であれ、どんな危険地域への出張であれ、どんな無理な残業であれ、上司の命令は絶対服従だった。
「会社のため」という美名の下、いかなる非人道的な命令も人事も容認された。
それは、「定年まで雇用が守られる」「我慢すれば、いつか昇進できる」「会社が家族の面倒を見てくれる」という暗黙の信頼関係が社内に存在したことによる。
しかし、終身雇用制度が否定された結果、こうした信頼関係も皆無に帰すところとなる。

原子力発電所への転勤であれ、イラクへの出張であれ、「社の命令に従えば、将来報われる」という(暗黙の)保証があらこそ承諾する可能性が高くなる。
ところが、終身雇用制度が否定された今となっては、数年後に自分が同じ会社で働いているかどうかも分からないし、「将来の出世」を約束してくれた上司がリストラされないという保証もない。
信頼関係の喪失は、不確実性の上昇となって返ってくる。
どうせリスクを伴うなら、長期的投資よりは短期的投資を指向するようになる。
上司にしても、約束の履行を保証できない以上、部下に強く勧めることはできない。
また、すでに雇用も昇進も家族の生活も保証されない以上、上司の無理な命令に従うインセンティブは急速に低下していく。
現実には、転勤を拒否したり、サービス残業を嫌って辞表を出してしまったりするという状況となって現れる。
部下を統率できない上司は、低く査定される恐れがあるため、無理な命令が出せなくなり、さらに求心力が低下していく。

それは人事にも大きく影響する。(私的に)身近な例で考えてみよう。
とある政党で、国際委員会と政策調査委員会に空席が生じ、そこに二人の候補が挙がった。
Aは三カ国語を解してあらゆる政策に通じており、他方、Bは政策はまず何とかなるものの英語はかなり苦しいというレベル。その二人とも政調を希望している、という状況。
「党のため」という前提があるなら、Aを国際に配置し、Bは政調という人事が、まず妥当と考えられるだろう。
Aも愛党心(帰属意識)が強ければ、「政調は同志Bに任せて、とりあえず国際で頑張って、将来的には政調へ」ということでまずは納得するだろう。

ところが、終身雇用が否定され、能力主義が導入された党だったら、どうだろう。
この場合、AとBは「同志」ではなく、「競争相手」となる。
Aは「無能なBの希望が通って、オレは外人の接待かよ!」とやさぐれるかもしれない。
愛党心の薄いAにとって重要なのは、「党の発展」ではなく、自己の能力の発露であり、自分の出世となる。他党からヘッドハンティングがあれば、乗ってしまうかもしれない。
人事にしても、能力主義の建前をとる以上、政策通のAを政調に置かないという異動はやりにくくなる。
こういう環境下では、Aが策士ならハナから語学に堪能であることを隠すかもしれない。
また、党内でも有能な人材の取り合いとなるため、政調とAが組んで人事工作する恐れもある。
他の人間も、評価の低い部署への異動を嫌うようになり、能力を隠したり、出し惜しみをしたりするようになるだろう。これに近いことは、PTAや自治会で役員を決める時によく生じる。
このような状況に陥ってから、「愛党心」やら「愛郷心」などと騒いで「道徳教育」を行ったところで、実質を伴わないだけに、現代中国の大学における必修のマルクスと同じタテマエ論になってしまう。

私は特に終身雇用制度を擁護するものではないし、むしろジェンダー面から日本の同制度には大いに問題があると見ているが、それは後日に回したい。
長年培った高信頼社会も瓦解する時は、あっという間であり、低信頼社会が抱えるリスクに警鐘を鳴らして、再考を促したい、という次第である。

【参考】
『終身雇用制と日本文化―ゲーム論的アプローチ』 荒井一博 中公新書(1997)
『ホンネで動かす組織論』 太田肇 ちくま新書(2004)
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2008年09月25日

修士課程修了

大学院博士前期(修士)の学位授与式に出席。
さすがに9月卒業はわずかしかいないので、学長手ずから証書を拝領する(院生だけ)。
式自体も大きな会議室に紅白の幕を張った簡素なもの。
学部の卒業式は出なかったので、高校卒業以来になる。
まぁロシアの大学では、教員として出席したが。

学長の話はさすがに見事なものだった。
グローバル化によって、情報や流通・移動の量と速度が飛躍的に向上し、先の読みにくい不安定な時代にこそ、確かな知性で時代と環境を見て、真偽を読み解く必要があるという。
特に求められるのは、

・「共感できる知性」=国際情勢を読み解くだけでなく、世界の人々と分かり合えるだけの普遍的な知性と教養を持ち、人と共感し、価値観を共有していくことが大事(全一性?)。

・「コンプライアンスとモラル」=情報量の急増と競争の激化により、古き秩序とモラルは瓦解しつつあるが、それ故に人間社会を維持していくために、個々人が法令を遵守し、社会を護持するモラルを保ちつつ、自らに課された義務を誠実に果たす必要がある。

・「持続可能性」=地球環境と人間社会を危機に陥れることなく、安定的に持続していくためには、個々人が意識的に将来的リスクを考慮しながら、今現在のニーズを満たしていく必要がある。

だと言う。
TVや講演などで話し慣れておられるとはいえ、20分ほどの時間で完璧にまとめ上げた。
もっとも、学部生がどこまで理解できたかは疑問の残るところではあるが……
学長の話を聞いて、手ずから証書をもらうために、半休とっただけの価値は十分すぎるほどあった。
日本を代表する知性のゼミに、ゲストながら同席できたことを誇りに思う。

私の場合、将来的なリスク分散のために、日本語教育を専攻した。
政治に直接関与するものとして、いざという時いつでも亡命して、生活に困らないようにしておくためである。
亡命などという事態にならなくても、「老後はロシアで」という考えもあった。
現実的には、先にいた党を離党・辞職した後、ほとぼりをさますために時間を置く必要があった。
しかし、「キャリア形成」という点で空白を生じさせるわけにはいかなかった。

後輩にはたびたび指導したことだが、留学でも、進学でも、就職でも、「キャリア形成」の視点を忘れないように言っている。
「履歴書に書いてアピールになるかどうかをまず考えなさい!」
「キャリア形成」とは、要は「将来的な目標に向けて履歴書に書けるような経験を積んでいく」ということになる。
つまり、キャリアの最終目標をどの辺において、そのために必要な経験を積んで、成長していくべく、適切な職業やポストを選択することが重要になる。

私の場合で言えば、
「政治家業で生きていく」という大目標は良いとしても、それは非常に不安定なものであり、「保険」をかけておく必要があった。しかし、それだけならただ「副業を行う」という選択肢もあったわけだが、議員秘書や党職員として生きていく上で役に立つ肩書きや経験はないだろうかと考え、その中で「教育」、しかも「外国人・留学生教育」という選択を行った。
「実家から自転車で行けるし、国立だから比較的学費も安いし、亀山先生もいる」
という極めて安直な理由で大学院を受験したら一発で合格してしまった。憑いている時というのはそういうものらしい。

結果、私の政治家としてのキャリアには4年間の空白ができたが、「TG大学大学院修士」という肩書きと、「2年間、ロシアの某大学専任講師」というキャリアを獲得した。
こんなキャリアは一般企業に就職するにはあまり役に立たないだろうが、政治家としては、「ロシア通」「留学生政策」「教育行政」などのキーワードが有効となりうる。
私が近い将来、S策秘書に応募する際、履歴書にはこの2点が書き込まれ、議員の判断材料の一つとなる。
これが、米国の聞いたこともない大学院に留学して、経営学修士をとったとしても、どの程度のアピールになるかはちょっと疑問だろう。

S策秘書資格を取ったとしても、すぐにS策秘書になれるわけではなく、議員が採用しなければ意味がない。当然、資格を持っている者の間で、激しい競争がある。
この際、もっとも重要なのは履歴書であり、次に面接となる。
「履歴書に何が書けるか」こそがキャリアの要であり、それは人生において最も重要場部分だとも言える。

この4年間、私は随分と環境に恵まれ、留学生や学部生を教えたり、指導したりできた。
日本語と日本語教育学は一通りのことを学んだが、むしろ教育社会学と教育経済学に接したことは大きかった。その上で、ロシアという非常に面白い研究対象があり、充実した大学院生活だったと思う。
しかし、恐らく私が修士課程で勉強したのは、「学問とは何か」「論文の読み方と書き方」なのであろう。もっとも、「自分に学問は無理」とも悟ったが(笑)
そして、何よりも亀山先生という巨大な知性に身近に接することができたことは、この上なき人生の僥倖だった。
この場を借りて、指導教官を始め、関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。長くお世話になりました。これからもよろしくお願い申し上げます。
posted by ケン at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする