2018年09月29日

まず一ヶ月終了

授業時間としては3週間だが、来週は国慶節休暇なので、実質一ヶ月が終了したことになる。
やはり慣れないことだらけなので、いかに便利な都会でも、ここで一休み入るのは嬉しいところだ。
だが、なぜか今日と明日(土日)は、来週分の補講があり、木金分の授業をもう一度やるという話になった。
つまり、今週は木曜と土曜に木曜のカリキュラムをやったわけだが、結果昨日は、30人分の作文の宿題と40人分の課題(小作文)を一日で添削して、かつ授業準備をすることになった。
この70人分の添削だけで夕方までかかってしまい、なかなかにしんどい状況だった。
学習者の作文添削は、何時間もやっていると感覚が鈍ってきて、段々正しく添削できているか自信がなくなってくる。精神科医が連続して診察できないのと似たような構造かもしれない。

ロシアにいた時は一クラス10人程度だったので苦にもならなかったが、30人もいると「まだ半分かよ」と思ってしまう。
いずれこの手の添削はAIで自動訂正することになるのかと思うが、それは同時にスマホで自動的に作文ができることを意味するので、ますます外国語学習の意義が問われることになりそうだ。

何とか授業もペースに乗ってきたが、10月からは大学院の授業が始まり一コマ増える上に、いくつか講演(日本語)も依頼されているので、さらに時間管理が難しくなる。
国慶節期間中は、どこも大混雑なので、基本は家でのんびりしながら、10月からの本番に備えたいと思う。
少しは日本のネタも考えたいし。
posted by ケン at 18:53| Comment(4) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

中国で最初の授業

ついに教員生活一日目を迎えた。
ロシアのときもそうだったが、打ち合わせらしい打ち合わせもなく、いきなり教壇に立つので緊張度が半端ない。
こちとら十年ぶりだし、中国語はまだまだほとんど分からないし。

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朝6時に起床、同45分に寮を出て、市内キャンパスの正門で待機しているシャトルバスに乗る。
バスは7時に出発して、約1時間で到着、8時15分から始業。
中国はとにかく朝が早い。
万全を期すためには夜11時には就寝する必要があり、生活習慣を変えねばならない。

しかも、月曜日に3コマも授業があるため、しばらくは日曜日は遊べそうにない。
授業は全部で7コマだが、大学院の授業はなぜか10月からなので、当面は6コマ。
さらに四年生の授業(2コマ)は12月頭で終わって、就職活動に入るらしいので、日本の大学教員と比べると、かなり楽だろう。
いずれ余裕が出れば、他大学などに出張講義に行きたいと考えている。

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月曜は日本の社会経済文化全般を教える「日本事情」が2コマ(2クラス分)、四年生の「高級日本語」が1コマ。
高級日本語の教科書は、ほとんど日本の高校の国語の教科書であり、本来はネイティブが教えるよりも中国人の先生が中国語で説明したほうが良いはず。ネイティブ教員の使い方に若干の疑問がある。

学生の方は、夏休み明けと新しい先生に緊張していたようで、非常に消極的で、何か問いかけてもなかなか返事が返ってこないし、声も非常に小さい。中国語で会話しているときは、うるさいくらいに声が大きいのだが。
どうやら、私がしゃべる速度も早かったらしく、スピーチコントロールにもっと気を使う必要がありそうだ。
いずれにせよ、少しずつ慣れてゆくほかあるまい。
posted by ケン at 14:46| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月31日

授業でゴルバチョフの演説を聴いた時代

自分が学部生だった時、ゴルバチョフの演説を聴いて読み解くという授業があった。いま思えば、ずいぶんと背伸びしていたもので、実際に相当厳しい授業だった。しかし、今聞くと彼のスピーチはかなり分かりやすかったことが確認できる。当時、ロシア語字幕付きのビデオで見られるともっと分かりやすかったように思える。当時、モスクワの日本大使館員は毎晩徹夜して、テープ起こしをしていたというだけに、今とは鍛え(られ)方が違うことが分かるだろう。
当時はそれでもビデオテープで見られただけ進歩的だった。もっとも、これがシュワルナゼ(グルジア)だったら途方に暮れていたように思える。



この話をロシア人にすると、「あんなウクライナ訛りのロシア語を勉強させられるなんてお気の毒に・・・」みたいな反応が返ってきて興味深い。もっとも、当時のソ連の学生はJCPの大会決議みたいな文章がテキストに使われていて、我々などより100倍も気の毒だった。

さてさて、では、自分も安倍総理の所信表明を学生に聞かせて、読み説きをやるかと言われると、無いなぁと思わざるを得ない。将来的に、国際関係学院とか軍大学で教えることになったら考えよう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

低信頼社会における人事の課題

某大企業に勤める私の先輩が、
「転勤を拒否する人が増えているみたいなんだよね。数としてはわずかだけど、昔なら考えられないよ」
とおっしゃっていた。
これは、日本の終身雇用制度(経済学的には「長期雇用制度」)の解体や成果主義の導入に伴って起きた現象の一つとして捉えることができる。

終身雇用制度の目的は、長期にわたって人材を囲い込んで育成しつつ、忠誠心を高めることにある。
文化的には、中世以来の武家における「御恩と奉公」の関係が江戸時代の幕藩体制下で再定着したことに起源を求めることができる。
それは、主家・藩が、終身・世襲雇用と一家の生活を認める代わりに、奉公人は自身の生命と絶対的忠誠を捧げる、というものだった。
日本の企業文化がその影響を受けたと考えるのは、そう不自然なことではないと思われるし、実際に多くの人が終身雇用制度をごく自然に受け入れていた節がある。

ところが、戦後半世紀近く続いた終身雇用制度は、経済成長が低迷した90年代に否定された。
終身雇用制度下では、昇給は年功によって規定される。経験値の積み上げと会社への忠誠を評価するためだった。ところが、少子高齢化によって裏目に出る。
給料の高い高齢層が増え、それを維持するために管理職ポストを乱立した結果、人件費が巨大になり、それ故に新規募集を減らさざるを得なくなった。
そこにバブルの崩壊が直撃、「就職氷河期」が始まった。
従って、「就職氷河期」は決してバブルの崩壊だけが原因ではなかった。
そして、新人採用を減らした結果、企業内の世代構造は逆ピラミッド型の歪なものとなった。

90年代の不況から脱出するために、日本の経済界がとった方針は「雇用制度と給与体系の見直し」だった。
まず、高齢層の社員のリストラを行い、解雇、早期退職勧奨、出向、遠方への転勤などがなされた。
ところが実際、リストラを行ってみると、労働力が不足することが判明した。
そこで失われた労働力は、新規採用で補充すれば「元の木阿弥」になってしまうので、財界は政界に働きかけて「労基法改正」を実現、不足した労働力は非正規雇用と派遣社員で補充された。これらのほとんどは若者だった。
こうして終身雇用制度は否定され、90年代後半から2000年代初め頃までは、むしろリストラを断行した企業が評価されるような有様となった。

時を同じくして「給与体系の見直し」で導入されたのが、「成果・能力主義」だった。
全社員を恒常的に昇給させることが難しくなった以上、少ない人件費を効率的に使うためには、一部の「業績を上げた」社員にのみ大幅な昇給あるいはボーナスを認めるのが良いと考えられたことによる。要は、「成果主義」は人件費の総枠を圧縮するためのレトリックだった。
「名ばかり管理職」もこの頃に大幅に増加した。

90年代を境に、日本の企業文化は全く違うものとなった。
それまでは、どんな遠方への転勤であれ、どんな危険地域への出張であれ、どんな無理な残業であれ、上司の命令は絶対服従だった。
「会社のため」という美名の下、いかなる非人道的な命令も人事も容認された。
それは、「定年まで雇用が守られる」「我慢すれば、いつか昇進できる」「会社が家族の面倒を見てくれる」という暗黙の信頼関係が社内に存在したことによる。
しかし、終身雇用制度が否定された結果、こうした信頼関係も皆無に帰すところとなる。

原子力発電所への転勤であれ、イラクへの出張であれ、「社の命令に従えば、将来報われる」という(暗黙の)保証があらこそ承諾する可能性が高くなる。
ところが、終身雇用制度が否定された今となっては、数年後に自分が同じ会社で働いているかどうかも分からないし、「将来の出世」を約束してくれた上司がリストラされないという保証もない。
信頼関係の喪失は、不確実性の上昇となって返ってくる。
どうせリスクを伴うなら、長期的投資よりは短期的投資を指向するようになる。
上司にしても、約束の履行を保証できない以上、部下に強く勧めることはできない。
また、すでに雇用も昇進も家族の生活も保証されない以上、上司の無理な命令に従うインセンティブは急速に低下していく。
現実には、転勤を拒否したり、サービス残業を嫌って辞表を出してしまったりするという状況となって現れる。
部下を統率できない上司は、低く査定される恐れがあるため、無理な命令が出せなくなり、さらに求心力が低下していく。

それは人事にも大きく影響する。(私的に)身近な例で考えてみよう。
とある政党で、国際委員会と政策調査委員会に空席が生じ、そこに二人の候補が挙がった。
Aは三カ国語を解してあらゆる政策に通じており、他方、Bは政策はまず何とかなるものの英語はかなり苦しいというレベル。その二人とも政調を希望している、という状況。
「党のため」という前提があるなら、Aを国際に配置し、Bは政調という人事が、まず妥当と考えられるだろう。
Aも愛党心(帰属意識)が強ければ、「政調は同志Bに任せて、とりあえず国際で頑張って、将来的には政調へ」ということでまずは納得するだろう。

ところが、終身雇用が否定され、能力主義が導入された党だったら、どうだろう。
この場合、AとBは「同志」ではなく、「競争相手」となる。
Aは「無能なBの希望が通って、オレは外人の接待かよ!」とやさぐれるかもしれない。
愛党心の薄いAにとって重要なのは、「党の発展」ではなく、自己の能力の発露であり、自分の出世となる。他党からヘッドハンティングがあれば、乗ってしまうかもしれない。
人事にしても、能力主義の建前をとる以上、政策通のAを政調に置かないという異動はやりにくくなる。
こういう環境下では、Aが策士ならハナから語学に堪能であることを隠すかもしれない。
また、党内でも有能な人材の取り合いとなるため、政調とAが組んで人事工作する恐れもある。
他の人間も、評価の低い部署への異動を嫌うようになり、能力を隠したり、出し惜しみをしたりするようになるだろう。これに近いことは、PTAや自治会で役員を決める時によく生じる。
このような状況に陥ってから、「愛党心」やら「愛郷心」などと騒いで「道徳教育」を行ったところで、実質を伴わないだけに、現代中国の大学における必修のマルクスと同じタテマエ論になってしまう。

私は特に終身雇用制度を擁護するものではないし、むしろジェンダー面から日本の同制度には大いに問題があると見ているが、それは後日に回したい。
長年培った高信頼社会も瓦解する時は、あっという間であり、低信頼社会が抱えるリスクに警鐘を鳴らして、再考を促したい、という次第である。

【参考】
『終身雇用制と日本文化―ゲーム論的アプローチ』 荒井一博 中公新書(1997)
『ホンネで動かす組織論』 太田肇 ちくま新書(2004)
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2008年09月25日

修士課程修了

大学院博士前期(修士)の学位授与式に出席。
さすがに9月卒業はわずかしかいないので、学長手ずから証書を拝領する(院生だけ)。
式自体も大きな会議室に紅白の幕を張った簡素なもの。
学部の卒業式は出なかったので、高校卒業以来になる。
まぁロシアの大学では、教員として出席したが。

学長の話はさすがに見事なものだった。
グローバル化によって、情報や流通・移動の量と速度が飛躍的に向上し、先の読みにくい不安定な時代にこそ、確かな知性で時代と環境を見て、真偽を読み解く必要があるという。
特に求められるのは、

・「共感できる知性」=国際情勢を読み解くだけでなく、世界の人々と分かり合えるだけの普遍的な知性と教養を持ち、人と共感し、価値観を共有していくことが大事(全一性?)。

・「コンプライアンスとモラル」=情報量の急増と競争の激化により、古き秩序とモラルは瓦解しつつあるが、それ故に人間社会を維持していくために、個々人が法令を遵守し、社会を護持するモラルを保ちつつ、自らに課された義務を誠実に果たす必要がある。

・「持続可能性」=地球環境と人間社会を危機に陥れることなく、安定的に持続していくためには、個々人が意識的に将来的リスクを考慮しながら、今現在のニーズを満たしていく必要がある。

だと言う。
TVや講演などで話し慣れておられるとはいえ、20分ほどの時間で完璧にまとめ上げた。
もっとも、学部生がどこまで理解できたかは疑問の残るところではあるが……
学長の話を聞いて、手ずから証書をもらうために、半休とっただけの価値は十分すぎるほどあった。
日本を代表する知性のゼミに、ゲストながら同席できたことを誇りに思う。

私の場合、将来的なリスク分散のために、日本語教育を専攻した。
政治に直接関与するものとして、いざという時いつでも亡命して、生活に困らないようにしておくためである。
亡命などという事態にならなくても、「老後はロシアで」という考えもあった。
現実的には、先にいた党を離党・辞職した後、ほとぼりをさますために時間を置く必要があった。
しかし、「キャリア形成」という点で空白を生じさせるわけにはいかなかった。

後輩にはたびたび指導したことだが、留学でも、進学でも、就職でも、「キャリア形成」の視点を忘れないように言っている。
「履歴書に書いてアピールになるかどうかをまず考えなさい!」
「キャリア形成」とは、要は「将来的な目標に向けて履歴書に書けるような経験を積んでいく」ということになる。
つまり、キャリアの最終目標をどの辺において、そのために必要な経験を積んで、成長していくべく、適切な職業やポストを選択することが重要になる。

私の場合で言えば、
「政治家業で生きていく」という大目標は良いとしても、それは非常に不安定なものであり、「保険」をかけておく必要があった。しかし、それだけならただ「副業を行う」という選択肢もあったわけだが、議員秘書や党職員として生きていく上で役に立つ肩書きや経験はないだろうかと考え、その中で「教育」、しかも「外国人・留学生教育」という選択を行った。
「実家から自転車で行けるし、国立だから比較的学費も安いし、亀山先生もいる」
という極めて安直な理由で大学院を受験したら一発で合格してしまった。憑いている時というのはそういうものらしい。

結果、私の政治家としてのキャリアには4年間の空白ができたが、「TG大学大学院修士」という肩書きと、「2年間、ロシアの某大学専任講師」というキャリアを獲得した。
こんなキャリアは一般企業に就職するにはあまり役に立たないだろうが、政治家としては、「ロシア通」「留学生政策」「教育行政」などのキーワードが有効となりうる。
私が近い将来、S策秘書に応募する際、履歴書にはこの2点が書き込まれ、議員の判断材料の一つとなる。
これが、米国の聞いたこともない大学院に留学して、経営学修士をとったとしても、どの程度のアピールになるかはちょっと疑問だろう。

S策秘書資格を取ったとしても、すぐにS策秘書になれるわけではなく、議員が採用しなければ意味がない。当然、資格を持っている者の間で、激しい競争がある。
この際、もっとも重要なのは履歴書であり、次に面接となる。
「履歴書に何が書けるか」こそがキャリアの要であり、それは人生において最も重要場部分だとも言える。

この4年間、私は随分と環境に恵まれ、留学生や学部生を教えたり、指導したりできた。
日本語と日本語教育学は一通りのことを学んだが、むしろ教育社会学と教育経済学に接したことは大きかった。その上で、ロシアという非常に面白い研究対象があり、充実した大学院生活だったと思う。
しかし、恐らく私が修士課程で勉強したのは、「学問とは何か」「論文の読み方と書き方」なのであろう。もっとも、「自分に学問は無理」とも悟ったが(笑)
そして、何よりも亀山先生という巨大な知性に身近に接することができたことは、この上なき人生の僥倖だった。
この場を借りて、指導教官を始め、関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。長くお世話になりました。これからもよろしくお願い申し上げます。
posted by ケン at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

右派社会党の失敗

「どうして日本に社会民主主義勢力が確立しなかったのか」
という課題は、私の政治的アイデンティティにとって重要なテーマの一つである。
とかく「日本社会党の失敗」は、「総評の呪縛」や「構造改革論の敗退」という文脈から語られがちだが、どうも腑に落ちなかった。
総評は、公務員主体の正規労働者の利益団体でしかなく、構造改革論はしょせんユーロ・コミュニズムの亜流であって、それらが決定的な要因とはどうしても思えなかった。
そこで最近「再軍備」というテーマで少し勉強を進めているのだが、私的にはピンと来るものがあり、その辺りのことを縷々述べてみたい。

根本的な問題提起としては、
非武装を唱えて平和運動と反核に邁進した日本社会党が万年野党のままソ連崩壊とともに終焉を迎えたのに対して、積極的に再軍備と欧州の集団的防衛を唱えたドイツ社会民主党が政権交代を繰り返しながら今日に至っても主要政党であり続けているという点で、防衛政策との相関があるのではないか、ということである。

戦後日本で再軍備問題が浮上した直接的原因は朝鮮戦争の勃発にあった。
米国は朝鮮半島に介入するに際し、在日米軍が基軸となるため、日本の防衛と治安維持を自分たちに担わせるため再軍備を強硬に要求してきた。
当時の吉田茂首相は、将来的な軽軍備の必要性は認めつつも、あの段階での再軍備は経済的負担が大きすぎるとして、かなり強く抵抗した。しかし、「再軍備」ではなく「自衛隊(保安隊)」を創設するところまで妥協せざるを得なかった。

この吉田に対しては、自民党右派の鳩山派と民主党・芦田派、そして日本再建連盟の岸派などから再軍備への圧力がかけられた。
一方、社会党においては、左派社会党は明確に非武装路線を打ち出して平和主義を主張していたが、右派社会党では再軍備派と慎重派が対立を深めており、講和条約や安保・再軍備問題に対して明確なスタンスを出せなかった。
1953年の総選挙に大敗した日本再建連盟の岸信介は、三輪寿壮を通じて右派社会党への入党を打診するも、反対論が大噴出し、自由党に合流した。
当時の中道政党だった改進党も改憲派と護憲派の対立を抱えつつ、日本民主党→自民党に合流していった。

岸信介は、いまでこそNK史観や新左翼史観によって「極右」のレッテルを貼られているが、これは日米安保改定や警職法、教員の勤務評定、とりわけ憲法改正へのスタンス(「改憲=悪」という左翼神話)によるところが大きいが、果たして公正な評価と言えるかどうか。
私が考えるに、「米国との対等・双務的関係の確立」「自主外交・独立」の外交政策と「国民年金法」「最低賃金法」などの社会保障政策が、岸政権の二本柱であり、これを重視すべきだろう。
岸は、「革新官僚」だった戦前から「国家社会主義者」に分類すべき存在で、それ故に警察権力や労働組合統制への執着が強かったと思われる。その背景にはNK党や国際共産主義に対する危機感があった。
日米安保と再軍備を支持する私の立場から見る限り、1960年の日米安保改定は当然の流れであって、非常に肯定的に評価している。

もう一つは、三木武夫や芦田均に代表される中道・リベラル勢力である。
吉田内閣が成立する前の1947〜48年には、日本社会党、民主党、国民協同党の連立で、片山哲(社会)と芦田均(民主)が内閣を組織した。
いずれも戦争直後の混乱期にあって短命に終わったが、社会党が政権を担っていた時期だった。
その50年後の村山内閣を見ても分かる通り、社会党は単独で政権を奪取できるほどの支持はついぞ得られなかった。
これらのことは、社会党が政権を取るためには中道勢力との連携が常に不可欠だったことを示唆している。
1950年前後の政治勢力の分布を概観してみると、選挙ごとに差はあるものの、

3分の1:保守(自由党)
3分の1:中道(民主党、国民協同党など)
6分の1弱:革新右派(右派社会党)
6分の1強:革新左派(左派社会党、NK党)


という感じになる。
いわゆる「55年体制」というのは、このうちの保守と中道が合同して自由民主党を結成し、両社会党が合同して日本社会党を結成したものを指す。その結果、自民党が3分の2、社会党が3分の1という勢力図が固定化し、中道勢力を取り込んだ自民党が柔軟な政策を打ち出す一方、社会主義・革新でまとまった社会党は戦略を硬直化させていった挙げ句、さらに内部分裂を起こし、民社党、次いで社民連と脱退者を出して、さらに勢力を弱めていった。

「政権奪取」という意味では、片山・芦田内閣に見られる革新・中道政権路線こそが正しかったはずなのだが、それを妨害したのが社会党の左派勢力であり、全ての問題が平和問題に集約されてしまっていた。
社会党左派の「非武装」「全面講和」路線は、総評の支持を背景に、統一社会党の中でも優位を占めるに至り、再武装を主張する中道勢力との連携を不可能にさせたのだった。
逆に右派社会党の失敗は、「再軍備」で党内の合意を得られないと同時に、総評の支持に拘泥した結果、中道勢力との連携を拒否して、左派社会党との再統合という安易な道を選んでしまったことにある。自ら過小な勢力にまとまった上に、さらに分裂を繰り返したのだから、ますます弱体化していったのは当然だった。そして、日本社会党がマルクス=レーニン主義と決別するのは1986年になってからのこととなり、その時にはすでに手遅れだった。
1950年代始めに、ケン戦略(妄想?)が実現していれば、

3分の1:保守(自由党)
2分の1:中道・革新右派(民主党、国民協同党、右派社会党、岸一派)
6分の1:革新左派(左派社会党、NK党)


という勢力図となり、「国民社会党」などという政党ができて、国会の第一党として政局の主導権を握ることができたはずだった。この組み合わせであれば、マルクス=レーニン主義路線などになるはずもなく、1950年代の日本に中道・社会民主主義政党ができていただろう。そうなっていれば、今日の日本はもう少し社会福祉が充実して、再分配構造もそれなりに機能する国になっていたのではないか。
もっとも同時に、憲法は改正され、日本国軍が再建され、徴兵制も復活し、ベトナム戦争にも派兵していた可能性が高いのだが……

日本社会党が、「非武装中立」「全面講和」「マルクス=レーニン主義」路線という非現実的かつ硬直的な戦略を固定化させた結果、すでにその凋落は必然のものだったと言えよう。返す返すも切り捨てるべきは、左派社会党とそれを象徴するマルクス=レーニン主義と平和主義(≒平和革命論)であった。
それに対するドイツ社会民主党のリアリズムについても触れたかったのだが、またの機会としたい。

【参考】
『再軍備とナショナリズム 戦後日本の防衛観』 大嶽秀夫 講談社学術文庫(2005)
『ドイツ再軍備』 岩間陽子 中公叢書(1993)
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2008年07月19日

読者の皆さんに質問

次の記事のために読者の皆さんに質問したいと思います。
是非ともコメント欄に思いついたままお書きいただければ幸いです。
ちなみに私の教育学の授業で使ったテーマです。ある程度意見が出てきたら、私の考えるところを掲載します。
正解があるわけではないので、あしからず。

【質問】
自分が中学校の先生、あるいは自分に中学生の子どもがいるとします。
ある生徒または子どもは、全然勉強しないで遊んでばかりいました。
そこである日、
「もっと真面目に勉強しなさい!」
と叱ったところ、その生徒(子)は、

「そんなことお前に言われる筋合いはねぇっ!」
と言ってきました。もちろん本気そうです。
さて、
皆さんならどう答えますか?
posted by ケン at 15:35| Comment(12) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする