2019年07月23日

母校に挨拶

修士の母校に挨拶に行く。
修了後、10年以上経っているので、親しい先生で残っている方は多くない。

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大陸に渡って一年の報告と、中国で頼まれた日本人教員派遣についての相談である。
中国も北京や上海などは外国人教員に困らないが、ちょっと内陸に入ると、とたんに外国人の供給がなく、「外人枠は常に空席」みたいな学校が多い。なり手はいても、60歳前後だったり、「国語教員免許持っているだけ」な人も多く、それでもなり手があればかなりマシという状況。
修士における私の同級生も、成都に行ってみたものの、「食事がいつも激辛で耐えられない」と一年で帰ってきてしまっている。
自分も沿岸部の大都会だから大丈夫なだけで、内陸で孤独に耐える自信は無い。

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教員派遣もとりあえず協力を依頼するだけ。北京や上海のような大都会でも、最近は求められる人材の水準が上がっており、「資格さえあればOK」ではない。
もっとも、待遇も改善されつつあり、私などは住居費と光熱費無料で、月の基本給が13万円程度(税金はわずか)なので、贅沢を言わなければやっていけるし、特にキャリアの第一歩としては良い環境だろう。

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留日センターから眺める調布飛行場。かつては三式戦闘機の基地だった。
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2019年07月12日

一年目の後期課程を終えて

成績を提出、一年目の後期課程が終了した。
正確には落第必至の四年生の追試が残っているのだが、見ないことにする。

後期は授業数が一コマ少ない上、出勤数も1日分減っていたため、前期に比べて楽だった。
色々慣れてきたこともあるだろう。とはいえ、授業準備はやはり大変だった。
楽になった部分は、執筆や研究の仕事が入り、結局のところそれなりに多忙ではあった。
前期に比べると、かなり授業にも慣れ、学生の方も慣れてきた感じで、改善点はあるにせよ、大きな不満は無い。
学生からの反応を少し紹介すると、こんな感じ。ネット上でアンケートを作り、SNSを通じて匿名で回答してもらう。日本にいるよりも便利な感じがする。
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「日本事情」も「視聴覚」も十分な成果だろう。
あと作文もあるのだが、こちらは1クラス分だけの担当になるので、少しデータが異なるが、これも問題は無い。

細かいところで指摘も受けたが、おおむね満足してもらえたようで、一年目としては十分すぎる結果だったと考えたい。休暇を通じて、改善点を探っていきたいところだ。

研究分野では、レポートを二本執筆、一本は年末か来年初頭に共著として出版されるということで、中国における私の初業績となる。やはりアカデミズムの世界でも、良い親分に付けるかどうかが大きなカギとなる。
もう一本は、新聞に載せるはずだったが、政治コードに引っかかった模様で(なぜ引っかかるのかよく分からないが)、いまだ難渋している。この辺はやはり中国である。
研究分野は「まだまだこれから」ではあるが、十月には若手研究者の学会で日露関係について報告する機会を頂いているし、一年目として「畑を耕し、種をまく」ことにはまずまず成功したと総括したい。
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2019年06月19日

「サザエさん」の高文脈性について

現地の日本語教員研修会で教室活動報告を行う。
珍しいのは、多くの場合、この手の研究会は日本人(ネイティブ教員)だけで運営されるのが一般的だが、当地の研修会は中国人教員が半分程度占めている。教員の平均水準が高いということもあるのだろう。
とはいえ、そこは教員研修会なので、発表と言っても学会での発表のような厳しいものではない。せいぜい学会の一分科会程度のレベル。

私は先に記事にした「サザエさんからクロ現へ」を多少アカデミックに擬装して発表した。ホールのコンテキスト文化の「理論」は、今ではほぼ否定されてしまっており、学術的に使用するのはかなり厳しくなっているためだ。
従って、文化類型として否定されているだけで、言語類型としては使えるかもしれないという「主張」に根拠を置くわけだが、自分で言っていてなかなか苦しい感じ。しかし、特に厳しい指摘は無く、むしろ称賛されたので、何とも微妙だった。
まぁそれは良い。

結局、時間が足りず、発表では触れられなかった「サザエさん」の高文脈性(わかりにくさ)について、ここで補足しておきたい。
最近のアニメ版「サザエさん」は比較的単純な日常生活が若干形を変えながら延々とループしているだけなので、一見分かりやすそうに見えるし、実際に多くの人が「分かった気」になって何となく見ているわけだが、実は肝心な部分の多くが省略されている。

その一つが人間関係である。
サザエさんをめぐる家庭環境は、現代日本では非常に珍しい大家族で、三世帯同居の上、叔父・叔母と甥まで同居している。この時点で、私よりも下の世代になると、想像の範疇外になってしまう。ケン先生の場合は、幸いにして三世帯同居の上、母の妹である叔母も同居していたため、全く問題ないわけだが、核家族化が進んだ1970年代以降の世代には家庭内の人間関係からして分かりづらいだろう。

さらに言えば、マスオは入り婿だが、名字はフグ田姓のままであり、従ってサザエもタラもフグ田である。しかし、カツオとワカメは磯野であるため、姉と弟妹で名字が異なるわけだが、中国人にはここから説明する必要がある。中国では婚姻によって例外的に姓が変わることはあっても、多くの場合は変わらないからだ。

しかも、原作では大陸からの帰還兵だったマスオのPTSD(戦時後遺症)が原因と思われる行動(家の木塀を打ち壊して暖を取ろうとした)によって借家を追い出されて、磯野家に移住、同居することになったわけだが、当然ながらアニメではそんなことは表現されておらず、「何となく入り婿で同居」になってしまっている。

また作中に良く出てくるノリスケは、波平の妹の息子であり、サザエ・カツオ・ワカメにとって従兄に当たるわけだが、「サザエさん、よく見てました」という中国人ですら「知らなかった」という始末である。
作中でノリスケは、よく波平に向かって「伯父さん」と呼んでいるのだが、大半の視聴者は気にもしていないことが想像される。しかし、この人間関係を把握していないと、ドラマとして理解していることにはならないだろう。
とはいえ、古いアニメ版だと波平はノリスケに対して「ノリスケ君」と君付けで呼んでいるため、ますます関係が分かりづらいのも確かだ(6月20日追記:我が祖父を思い出した場合、中流家庭の家長が親族を君付けで呼ぶのはごく普通のことではある)。
結果、ノリスケとマスオは「義理の従兄」の関係になるわけだが、現代ではここまで濃密な関係が築かれることは稀なのでは無かろうか。ノリスケの妻のタイ子やその子のイクラまで出てくると、日本人でも家族構成が把握しきれない、というかまず意識しては見ていない。

良く出てくるキャラクターだけでも、これだけ複雑なのに実際にはさらに家族が広がっていくため、よほど教員が注意を払って説明しないと、人間関係の把握など不可能だし、外国人には日本の婚姻制度や家族制度(類型)などまで説明しないと、不親切になってしまうのだ。つまり、間違った解釈を与える恐れがある。

これを思ったのは、昨年私がロシアドラマ『静かなドン』を観て、コサックがみな親戚関係にあるのだが、具体的にどう繋がっているのか把握するのに、非常に時間が掛かったためだった。具体的な説明がどこにもないため、自分で想像し、最悪ネットで調べるしかないからだ。
人間関係が分からないと、キャラクターの発言・主張や対応の根底にあるものが理解できない。
「サザエさん」で人間関係が問題にならないのは平和な時代の日常を描いており、紛争が無いためだが、現実には家族同士の諍いや抗争は少なくない。

中国の場合、日本よりは三世帯同居が多いようだが、それでも都市部では急速に核家族化が進んでいる。
日本人でも説明が難しくなっているような人間関係を描くドラマを教材にするのは、コンテキストが高すぎるのである。

【6月20日、追記】
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なにげに反響が大きかったので、立証、補足しておく。
サザエたちが実家に戻って両親と住むようになったのは、マスオが借家の板塀を打ち壊して薪にしようとしたところ、大家に見つかって怒られて、それに逆上したサザエが大家をボコボコして、借家を追い出されたことに起因している。終戦直後の話で、マスオは復員兵という設定である。中国戦線などでは、炊飯時に現地人宅の家壁や板塀を壊して薪にするということは普通にやっていたらしく、復員後も無自覚に「つい」やってしまったという話なのだが、実際に終戦直後は良く見られた光景だったらしい。
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2019年05月29日

想像以上に多忙な外国人教員

後期もあと一ヶ月を残すところとなったが、今期は(も)想像していた以上に多忙だった、いや、である。
二月末に中国に戻って、まず後期の授業計画書を作成。

これが終わるかどうかくらいの頃に、学外の研究機関から、以前私が講演の中で触れた「在日米軍が撤退する可能性」についてレポートを書いて欲しいとの依頼があり、三月後半はその執筆にあてた。だが、日本人に対しては説明不要のことでも、読者が中国人となると勝手が異なり、「説明が足りない」との指摘を受けて、加筆したところ二倍近い分量になってしまった。すると、今度は翻訳が進まず、いまだに翻訳作業が終わらない事態に。そこは自分の責任ではないのだが、ちゃんと掲載されるのか心配になってくる。中国はいろいろ(良くも悪くも)ルーズだ。

四月の前半は少し余裕があったが、後半になるともう期末試験の作成である。
前期よりは効率的に作成できたが、新しい科目もあるので、やはり時間が掛かる。
そもそも、最初から追試用の問題も作らないとならず、二倍の手間がかかるのだ。

さらに四月には、自分が所属する学内研究機関の紀要に載せる長文の報告書の執筆を依頼され、資料集めに入った。しかも、そのテーマは「日本の貿易政策の形成について」という、自分の専門分野とは全くかけ離れた無茶振り。いい加減すぎるだろう。
冬に日本に帰る前に言ってくれれば、資料集めも容易だったのだが、おかげで日本から取り寄せるものが増え、関係各位に迷惑を掛けてしまった。そして、労働節の頃から資料の読み込みに入った。

この頃、現地の日本語教師会から六月に開催される研究会で口頭報告を行って欲しいとの依頼を受ける。
こちらは断ることもできたのだが、最初断ってしまうと、この後が厳しくなるかもしれないと判断し、苦渋の受諾。同時並行でまずテーマとアウトラインを作成した。

五月も後半に入った頃、研究所長から「レポート書けた?」のメール(微信)が。

「締切は6月末でしたよね?」
「いや、5月末ですよ」

こら!だから論文執筆は書面かメールで依頼してくれと言ったのに!
幸いにして資料は読み進めており、アウトラインもできていたので、「あとは書くだけ」の直前くらいの状況ではあったが、

「6月3日までには何とか書きます」

と返信して、昼夜兼行とまではいかないが、突貫工事中というのが現在のケン先生である。
もちろん上記の仕事は、通常の授業準備以外のものであり、平日は授業準備と宿題の添削に追われ、土日に上記の作業に当たっているといった感じだ。

一応給与所得者ではあるのだが、実質的に個人事業主であり、作業管理に苦労している。
二年目は授業準備の負担が半分以下になるはずなので、あと少しの辛抱だとは思うのだが・・・・・・
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2019年05月17日

サザエさんからクロ現へ・続

今回私が受け持った「日語視聴説」(日本語視聴覚)の授業で使う主教材について、アニメからドキュメンタリーに転換したという話は以前した。
感触的には「概ね問題無さそう」と感じていたが、最近は便利なツールがあって、SNSを使って簡単にアンケートが採れるので、実施してみた。ちょうど半分終わったタイミングでもあったからだ。
約45人中、回答は32。結果は、以下の通り。
【授業内容について】
不満・かなり不満 0
普通 4
満足 13
大満足 15

【難易度について】
わからない・全然わからない 0
まあまあ 12
理解できる 11
よく理解できる 9

【教材の内容について】
全く興味ない 0
あまり興味ない 3
普通 7
興味深い 13
とても興味深い 9

自由回答については、「アニメが見たい」が最も多く(8)、次いで「映画」「歴史ドキュメント」「バラエティ番組」などの希望があった。
あとは「番組が長い」(クロ現は基本25分)、「二回繰り返してみる必要は無い」「設問が多い」というものがあったが、どれも一つずつだった。

内容の転換については概ね問題ないと見て良い。日本語選択者にアニメファンが多いのは確かだが、クラスの何割かは「アニメも漫画も見ない」という学生もいて、アニメに偏るのは望ましくない。だが、アニメファン層が最多であるのも確かなので、適度に加えるくらいでちょうど良いだろう。まぁ「何も授業で見なくてもいいじゃん」とは思うのだが。中国の一学期は17回も授業があるので、確かにニュース系ばかりでは、授業をやる方も辛い。
クロ現は(代が替わっても)、私が見ていても興味深いし、学生が「日本の現在」を知る上で、教材として作られたものよりもはるかに有用であるのは間違いない。
ただ中国の大学も、日本の1980〜90年代と同様、かなりアミューズメントパーク化が進んでいるため、ニュース、ドキュメンタリーに興味が持てないものも増えていることも確かだ。
今後の課題としては、社会経済問題だけでなく、もう少しバラエティに富んだテーマを取り上げて行く必要があるということだろう。

難易度については「まあまあ」が最多となった。未回答の学生も考えると、難易度に課題があるようにも見えるが、もともと視聴覚の授業は「聞いた内容を全て把握する」ことに目的を置いているわけでは無く、個人的には「大体の内容が把握できれば良い」と考えているため、「まあまあ」なら十分と考えている。
自分がロシア語科の3年や4年だった時に、同レベルのロシアのドキュメンタリー番組を見ても、恐らくは「まあまあ」と答えていたと思われる。
むしろ「わからない」「全然わからない」がゼロだったことが驚異的であり、それは漢字文化で文字情報が多い番組を使っていることが大きいと考えられる。

以上から、若干の修正は行うが、大方針に変更の必要は無いと考えている。
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2019年04月07日

中国の学校でイジメは?

イジメ問題に関するクローズアップ現代を学生に見せ、議論を含め色々話を聞いてみた。
感触的には、半分から三分の二くらいの学生が「中国の学校にもイジメはある」と答え、残りは「イジメなんて見たことない」旨の答えだった。
日本人で日本の学校にずっと通ったものなら、よほど生徒数の少ない過疎地の学校でない限り、「イジメはない」と言い切れるものはいないのではないか。そう考えると、やはり中国の学校の場合、日本ほどには深刻ではないように思われた。

特に「イジメはない」と言う学生たちは「なぜ同級生を虐めるのか(そもそも)分からない」とのことで、(用意はしていたが)イジメの構図や構造、分類など「イジメ学」みたいな授業になってしまった。

中国の学校でイジメが深刻化しないのは、どうやら二つの理由から説明できるようだ。
一つは、受験競争が激しすぎて、学校内や校外で生徒同士がつるむ時間すらまともにないということ。昼休みは少なく、他の休み時間はグッタリ倒れているから、「そんな余裕などあるわけがない」ということらしい。それはそれで凄まじい話なのだが。

もう一つは、日本とは真逆の圧倒的な個人主義である。日本の場合、クラス・学級という一つの単位ができると、そこに所属する生徒は即座に「一つの集団の構成員」とされてしまい、集団を維持するための様々な掟ができ、上下関係が構築され、監視統制が行われる。しかし、中国の場合、そもそも皆が「俺は俺」と考える傾向が強く、少なくとも平素は学級を集団単位として意識することはないようだ。
結果、日本では集団の求心力を維持するために、未成熟なリーダー(仮)が集団内に仮想敵をつくって攻撃するということが常態化する。だが、中国ではそもそも集団化されていないため、そもそもイジメを行う理由がない、もしくはその動機が非常に弱いということのようだ。

どうもケン先生が「中国は意外と過ごしやすい」と思っているのも、その辺に理由が求められそうだ。
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2019年03月22日

中国人学生の体罰認識

ちょうど日本の高校の部活動で体罰を繰り返していた教員が訓告処分を受けたニュースを見つけたので、学生に紹介して、意見を求めてみた。
一人ずつ全員に聞いたわけではないが、大半の学生が程度の差はあれど体罰を受けた経験があることが判明した。中でも最も多かったのは、「手のひらを棒で打つ」というものだった。また、「黒板の横にずっと立たされる(さらしもの)」「頬を打たれた」という学生もおり、程度は様々な模様。

原則論的には中国では義務教育法で体罰は明確に禁止されているものの、全く無くなる気配は無い。
一般的には「農村部の方が酷い」と言われているが、これは体罰の程度を表すものであって、体罰自体は都市部においても行われていると見て良い。

ただ、学生の圧倒的多数は「体罰は暴力」「悪影響しか無い」「人権に反する」と述べており、感覚的にはほぼ日本と変わらない印象。
恐らくは、中国の場合、「強制力をもって子どもに勉強させる」という考え方が根強いため、強制力としての体罰が黙認されてしまうところがあるらしい。
興味深かったのは、教室内でも大体一人二人の学生が「殴るのは論外だが、一定の体罰は必要」との認識を示し、それに対して大半の学生が「え〜!」「信じられない!」などの反応を示したことにある。これは中国においても、人権意識や子どもの権利意識が育っていることの表れの一つと見るべきだろう。

とはいえ、中国は日本の1980年代の受験戦争や管理教育をこじらせてしまったくらいの状況にあるだけに、「子どもにもっと勉強させろ」という圧力が強いこともあって、すぐには改善されそうにない。
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