2008年12月04日

低信頼社会における人事の課題

某大企業に勤める私の先輩が、
「転勤を拒否する人が増えているみたいなんだよね。数としてはわずかだけど、昔なら考えられないよ」
とおっしゃっていた。
これは、日本の終身雇用制度(経済学的には「長期雇用制度」)の解体や成果主義の導入に伴って起きた現象の一つとして捉えることができる。

終身雇用制度の目的は、長期にわたって人材を囲い込んで育成しつつ、忠誠心を高めることにある。
文化的には、中世以来の武家における「御恩と奉公」の関係が江戸時代の幕藩体制下で再定着したことに起源を求めることができる。
それは、主家・藩が、終身・世襲雇用と一家の生活を認める代わりに、奉公人は自身の生命と絶対的忠誠を捧げる、というものだった。
日本の企業文化がその影響を受けたと考えるのは、そう不自然なことではないと思われるし、実際に多くの人が終身雇用制度をごく自然に受け入れていた節がある。

ところが、戦後半世紀近く続いた終身雇用制度は、経済成長が低迷した90年代に否定された。
終身雇用制度下では、昇給は年功によって規定される。経験値の積み上げと会社への忠誠を評価するためだった。ところが、少子高齢化によって裏目に出る。
給料の高い高齢層が増え、それを維持するために管理職ポストを乱立した結果、人件費が巨大になり、それ故に新規募集を減らさざるを得なくなった。
そこにバブルの崩壊が直撃、「就職氷河期」が始まった。
従って、「就職氷河期」は決してバブルの崩壊だけが原因ではなかった。
そして、新人採用を減らした結果、企業内の世代構造は逆ピラミッド型の歪なものとなった。

90年代の不況から脱出するために、日本の経済界がとった方針は「雇用制度と給与体系の見直し」だった。
まず、高齢層の社員のリストラを行い、解雇、早期退職勧奨、出向、遠方への転勤などがなされた。
ところが実際、リストラを行ってみると、労働力が不足することが判明した。
そこで失われた労働力は、新規採用で補充すれば「元の木阿弥」になってしまうので、財界は政界に働きかけて「労基法改正」を実現、不足した労働力は非正規雇用と派遣社員で補充された。これらのほとんどは若者だった。
こうして終身雇用制度は否定され、90年代後半から2000年代初め頃までは、むしろリストラを断行した企業が評価されるような有様となった。

時を同じくして「給与体系の見直し」で導入されたのが、「成果・能力主義」だった。
全社員を恒常的に昇給させることが難しくなった以上、少ない人件費を効率的に使うためには、一部の「業績を上げた」社員にのみ大幅な昇給あるいはボーナスを認めるのが良いと考えられたことによる。要は、「成果主義」は人件費の総枠を圧縮するためのレトリックだった。
「名ばかり管理職」もこの頃に大幅に増加した。

90年代を境に、日本の企業文化は全く違うものとなった。
それまでは、どんな遠方への転勤であれ、どんな危険地域への出張であれ、どんな無理な残業であれ、上司の命令は絶対服従だった。
「会社のため」という美名の下、いかなる非人道的な命令も人事も容認された。
それは、「定年まで雇用が守られる」「我慢すれば、いつか昇進できる」「会社が家族の面倒を見てくれる」という暗黙の信頼関係が社内に存在したことによる。
しかし、終身雇用制度が否定された結果、こうした信頼関係も皆無に帰すところとなる。

原子力発電所への転勤であれ、イラクへの出張であれ、「社の命令に従えば、将来報われる」という(暗黙の)保証があらこそ承諾する可能性が高くなる。
ところが、終身雇用制度が否定された今となっては、数年後に自分が同じ会社で働いているかどうかも分からないし、「将来の出世」を約束してくれた上司がリストラされないという保証もない。
信頼関係の喪失は、不確実性の上昇となって返ってくる。
どうせリスクを伴うなら、長期的投資よりは短期的投資を指向するようになる。
上司にしても、約束の履行を保証できない以上、部下に強く勧めることはできない。
また、すでに雇用も昇進も家族の生活も保証されない以上、上司の無理な命令に従うインセンティブは急速に低下していく。
現実には、転勤を拒否したり、サービス残業を嫌って辞表を出してしまったりするという状況となって現れる。
部下を統率できない上司は、低く査定される恐れがあるため、無理な命令が出せなくなり、さらに求心力が低下していく。

それは人事にも大きく影響する。(私的に)身近な例で考えてみよう。
とある政党で、国際委員会と政策調査委員会に空席が生じ、そこに二人の候補が挙がった。
Aは三カ国語を解してあらゆる政策に通じており、他方、Bは政策はまず何とかなるものの英語はかなり苦しいというレベル。その二人とも政調を希望している、という状況。
「党のため」という前提があるなら、Aを国際に配置し、Bは政調という人事が、まず妥当と考えられるだろう。
Aも愛党心(帰属意識)が強ければ、「政調は同志Bに任せて、とりあえず国際で頑張って、将来的には政調へ」ということでまずは納得するだろう。

ところが、終身雇用が否定され、能力主義が導入された党だったら、どうだろう。
この場合、AとBは「同志」ではなく、「競争相手」となる。
Aは「無能なBの希望が通って、オレは外人の接待かよ!」とやさぐれるかもしれない。
愛党心の薄いAにとって重要なのは、「党の発展」ではなく、自己の能力の発露であり、自分の出世となる。他党からヘッドハンティングがあれば、乗ってしまうかもしれない。
人事にしても、能力主義の建前をとる以上、政策通のAを政調に置かないという異動はやりにくくなる。
こういう環境下では、Aが策士ならハナから語学に堪能であることを隠すかもしれない。
また、党内でも有能な人材の取り合いとなるため、政調とAが組んで人事工作する恐れもある。
他の人間も、評価の低い部署への異動を嫌うようになり、能力を隠したり、出し惜しみをしたりするようになるだろう。これに近いことは、PTAや自治会で役員を決める時によく生じる。
このような状況に陥ってから、「愛党心」やら「愛郷心」などと騒いで「道徳教育」を行ったところで、実質を伴わないだけに、現代中国の大学における必修のマルクスと同じタテマエ論になってしまう。

私は特に終身雇用制度を擁護するものではないし、むしろジェンダー面から日本の同制度には大いに問題があると見ているが、それは後日に回したい。
長年培った高信頼社会も瓦解する時は、あっという間であり、低信頼社会が抱えるリスクに警鐘を鳴らして、再考を促したい、という次第である。

【参考】
『終身雇用制と日本文化―ゲーム論的アプローチ』 荒井一博 中公新書(1997)
『ホンネで動かす組織論』 太田肇 ちくま新書(2004)
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2008年09月25日

修士課程修了

大学院博士前期(修士)の学位授与式に出席。
さすがに9月卒業はわずかしかいないので、学長手ずから証書を拝領する(院生だけ)。
式自体も大きな会議室に紅白の幕を張った簡素なもの。
学部の卒業式は出なかったので、高校卒業以来になる。
まぁロシアの大学では、教員として出席したが。

学長の話はさすがに見事なものだった。
グローバル化によって、情報や流通・移動の量と速度が飛躍的に向上し、先の読みにくい不安定な時代にこそ、確かな知性で時代と環境を見て、真偽を読み解く必要があるという。
特に求められるのは、

・「共感できる知性」=国際情勢を読み解くだけでなく、世界の人々と分かり合えるだけの普遍的な知性と教養を持ち、人と共感し、価値観を共有していくことが大事(全一性?)。

・「コンプライアンスとモラル」=情報量の急増と競争の激化により、古き秩序とモラルは瓦解しつつあるが、それ故に人間社会を維持していくために、個々人が法令を遵守し、社会を護持するモラルを保ちつつ、自らに課された義務を誠実に果たす必要がある。

・「持続可能性」=地球環境と人間社会を危機に陥れることなく、安定的に持続していくためには、個々人が意識的に将来的リスクを考慮しながら、今現在のニーズを満たしていく必要がある。

だと言う。
TVや講演などで話し慣れておられるとはいえ、20分ほどの時間で完璧にまとめ上げた。
もっとも、学部生がどこまで理解できたかは疑問の残るところではあるが……
学長の話を聞いて、手ずから証書をもらうために、半休とっただけの価値は十分すぎるほどあった。
日本を代表する知性のゼミに、ゲストながら同席できたことを誇りに思う。

私の場合、将来的なリスク分散のために、日本語教育を専攻した。
政治に直接関与するものとして、いざという時いつでも亡命して、生活に困らないようにしておくためである。
亡命などという事態にならなくても、「老後はロシアで」という考えもあった。
現実的には、先にいた党を離党・辞職した後、ほとぼりをさますために時間を置く必要があった。
しかし、「キャリア形成」という点で空白を生じさせるわけにはいかなかった。

後輩にはたびたび指導したことだが、留学でも、進学でも、就職でも、「キャリア形成」の視点を忘れないように言っている。
「履歴書に書いてアピールになるかどうかをまず考えなさい!」
「キャリア形成」とは、要は「将来的な目標に向けて履歴書に書けるような経験を積んでいく」ということになる。
つまり、キャリアの最終目標をどの辺において、そのために必要な経験を積んで、成長していくべく、適切な職業やポストを選択することが重要になる。

私の場合で言えば、
「政治家業で生きていく」という大目標は良いとしても、それは非常に不安定なものであり、「保険」をかけておく必要があった。しかし、それだけならただ「副業を行う」という選択肢もあったわけだが、議員秘書や党職員として生きていく上で役に立つ肩書きや経験はないだろうかと考え、その中で「教育」、しかも「外国人・留学生教育」という選択を行った。
「実家から自転車で行けるし、国立だから比較的学費も安いし、亀山先生もいる」
という極めて安直な理由で大学院を受験したら一発で合格してしまった。憑いている時というのはそういうものらしい。

結果、私の政治家としてのキャリアには4年間の空白ができたが、「TG大学大学院修士」という肩書きと、「2年間、ロシアの某大学専任講師」というキャリアを獲得した。
こんなキャリアは一般企業に就職するにはあまり役に立たないだろうが、政治家としては、「ロシア通」「留学生政策」「教育行政」などのキーワードが有効となりうる。
私が近い将来、S策秘書に応募する際、履歴書にはこの2点が書き込まれ、議員の判断材料の一つとなる。
これが、米国の聞いたこともない大学院に留学して、経営学修士をとったとしても、どの程度のアピールになるかはちょっと疑問だろう。

S策秘書資格を取ったとしても、すぐにS策秘書になれるわけではなく、議員が採用しなければ意味がない。当然、資格を持っている者の間で、激しい競争がある。
この際、もっとも重要なのは履歴書であり、次に面接となる。
「履歴書に何が書けるか」こそがキャリアの要であり、それは人生において最も重要場部分だとも言える。

この4年間、私は随分と環境に恵まれ、留学生や学部生を教えたり、指導したりできた。
日本語と日本語教育学は一通りのことを学んだが、むしろ教育社会学と教育経済学に接したことは大きかった。その上で、ロシアという非常に面白い研究対象があり、充実した大学院生活だったと思う。
しかし、恐らく私が修士課程で勉強したのは、「学問とは何か」「論文の読み方と書き方」なのであろう。もっとも、「自分に学問は無理」とも悟ったが(笑)
そして、何よりも亀山先生という巨大な知性に身近に接することができたことは、この上なき人生の僥倖だった。
この場を借りて、指導教官を始め、関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。長くお世話になりました。これからもよろしくお願い申し上げます。
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2008年07月27日

右派社会党の失敗

「どうして日本に社会民主主義勢力が確立しなかったのか」
という課題は、私の政治的アイデンティティにとって重要なテーマの一つである。
とかく「日本社会党の失敗」は、「総評の呪縛」や「構造改革論の敗退」という文脈から語られがちだが、どうも腑に落ちなかった。
総評は、公務員主体の正規労働者の利益団体でしかなく、構造改革論はしょせんユーロ・コミュニズムの亜流であって、それらが決定的な要因とはどうしても思えなかった。
そこで最近「再軍備」というテーマで少し勉強を進めているのだが、私的にはピンと来るものがあり、その辺りのことを縷々述べてみたい。

根本的な問題提起としては、
非武装を唱えて平和運動と反核に邁進した日本社会党が万年野党のままソ連崩壊とともに終焉を迎えたのに対して、積極的に再軍備と欧州の集団的防衛を唱えたドイツ社会民主党が政権交代を繰り返しながら今日に至っても主要政党であり続けているという点で、防衛政策との相関があるのではないか、ということである。

戦後日本で再軍備問題が浮上した直接的原因は朝鮮戦争の勃発にあった。
米国は朝鮮半島に介入するに際し、在日米軍が基軸となるため、日本の防衛と治安維持を自分たちに担わせるため再軍備を強硬に要求してきた。
当時の吉田茂首相は、将来的な軽軍備の必要性は認めつつも、あの段階での再軍備は経済的負担が大きすぎるとして、かなり強く抵抗した。しかし、「再軍備」ではなく「自衛隊(保安隊)」を創設するところまで妥協せざるを得なかった。

この吉田に対しては、自民党右派の鳩山派と民主党・芦田派、そして日本再建連盟の岸派などから再軍備への圧力がかけられた。
一方、社会党においては、左派社会党は明確に非武装路線を打ち出して平和主義を主張していたが、右派社会党では再軍備派と慎重派が対立を深めており、講和条約や安保・再軍備問題に対して明確なスタンスを出せなかった。
1953年の総選挙に大敗した日本再建連盟の岸信介は、三輪寿壮を通じて右派社会党への入党を打診するも、反対論が大噴出し、自由党に合流した。
当時の中道政党だった改進党も改憲派と護憲派の対立を抱えつつ、日本民主党→自民党に合流していった。

岸信介は、いまでこそNK史観や新左翼史観によって「極右」のレッテルを貼られているが、これは日米安保改定や警職法、教員の勤務評定、とりわけ憲法改正へのスタンス(「改憲=悪」という左翼神話)によるところが大きいが、果たして公正な評価と言えるかどうか。
私が考えるに、「米国との対等・双務的関係の確立」「自主外交・独立」の外交政策と「国民年金法」「最低賃金法」などの社会保障政策が、岸政権の二本柱であり、これを重視すべきだろう。
岸は、「革新官僚」だった戦前から「国家社会主義者」に分類すべき存在で、それ故に警察権力や労働組合統制への執着が強かったと思われる。その背景にはNK党や国際共産主義に対する危機感があった。
日米安保と再軍備を支持する私の立場から見る限り、1960年の日米安保改定は当然の流れであって、非常に肯定的に評価している。

もう一つは、三木武夫や芦田均に代表される中道・リベラル勢力である。
吉田内閣が成立する前の1947〜48年には、日本社会党、民主党、国民協同党の連立で、片山哲(社会)と芦田均(民主)が内閣を組織した。
いずれも戦争直後の混乱期にあって短命に終わったが、社会党が政権を担っていた時期だった。
その50年後の村山内閣を見ても分かる通り、社会党は単独で政権を奪取できるほどの支持はついぞ得られなかった。
これらのことは、社会党が政権を取るためには中道勢力との連携が常に不可欠だったことを示唆している。
1950年前後の政治勢力の分布を概観してみると、選挙ごとに差はあるものの、

3分の1:保守(自由党)
3分の1:中道(民主党、国民協同党など)
6分の1弱:革新右派(右派社会党)
6分の1強:革新左派(左派社会党、NK党)


という感じになる。
いわゆる「55年体制」というのは、このうちの保守と中道が合同して自由民主党を結成し、両社会党が合同して日本社会党を結成したものを指す。その結果、自民党が3分の2、社会党が3分の1という勢力図が固定化し、中道勢力を取り込んだ自民党が柔軟な政策を打ち出す一方、社会主義・革新でまとまった社会党は戦略を硬直化させていった挙げ句、さらに内部分裂を起こし、民社党、次いで社民連と脱退者を出して、さらに勢力を弱めていった。

「政権奪取」という意味では、片山・芦田内閣に見られる革新・中道政権路線こそが正しかったはずなのだが、それを妨害したのが社会党の左派勢力であり、全ての問題が平和問題に集約されてしまっていた。
社会党左派の「非武装」「全面講和」路線は、総評の支持を背景に、統一社会党の中でも優位を占めるに至り、再武装を主張する中道勢力との連携を不可能にさせたのだった。
逆に右派社会党の失敗は、「再軍備」で党内の合意を得られないと同時に、総評の支持に拘泥した結果、中道勢力との連携を拒否して、左派社会党との再統合という安易な道を選んでしまったことにある。自ら過小な勢力にまとまった上に、さらに分裂を繰り返したのだから、ますます弱体化していったのは当然だった。そして、日本社会党がマルクス=レーニン主義と決別するのは1986年になってからのこととなり、その時にはすでに手遅れだった。
1950年代始めに、ケン戦略(妄想?)が実現していれば、

3分の1:保守(自由党)
2分の1:中道・革新右派(民主党、国民協同党、右派社会党、岸一派)
6分の1:革新左派(左派社会党、NK党)


という勢力図となり、「国民社会党」などという政党ができて、国会の第一党として政局の主導権を握ることができたはずだった。この組み合わせであれば、マルクス=レーニン主義路線などになるはずもなく、1950年代の日本に中道・社会民主主義政党ができていただろう。そうなっていれば、今日の日本はもう少し社会福祉が充実して、再分配構造もそれなりに機能する国になっていたのではないか。
もっとも同時に、憲法は改正され、日本国軍が再建され、徴兵制も復活し、ベトナム戦争にも派兵していた可能性が高いのだが……

日本社会党が、「非武装中立」「全面講和」「マルクス=レーニン主義」路線という非現実的かつ硬直的な戦略を固定化させた結果、すでにその凋落は必然のものだったと言えよう。返す返すも切り捨てるべきは、左派社会党とそれを象徴するマルクス=レーニン主義と平和主義(≒平和革命論)であった。
それに対するドイツ社会民主党のリアリズムについても触れたかったのだが、またの機会としたい。

【参考】
『再軍備とナショナリズム 戦後日本の防衛観』 大嶽秀夫 講談社学術文庫(2005)
『ドイツ再軍備』 岩間陽子 中公叢書(1993)
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2008年07月19日

読者の皆さんに質問

次の記事のために読者の皆さんに質問したいと思います。
是非ともコメント欄に思いついたままお書きいただければ幸いです。
ちなみに私の教育学の授業で使ったテーマです。ある程度意見が出てきたら、私の考えるところを掲載します。
正解があるわけではないので、あしからず。

【質問】
自分が中学校の先生、あるいは自分に中学生の子どもがいるとします。
ある生徒または子どもは、全然勉強しないで遊んでばかりいました。
そこである日、
「もっと真面目に勉強しなさい!」
と叱ったところ、その生徒(子)は、

「そんなことお前に言われる筋合いはねぇっ!」
と言ってきました。もちろん本気そうです。
さて、
皆さんならどう答えますか?
posted by ケン at 15:35| Comment(12) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

最後の合宿

「ゼミ合宿」などというものも、おそらく日本にしかない文化に違いない。
論文の提出も口述審査も終えた私としては、特別参加する義務はないのだが、これも御恩に対する奉公であるため、参加。
しかも、どういうわけか2回、4時間近くにわたるゼミを主導するという主役級の役割を果たすこととなった。
もっとも、2ゼミ合同のゼミであり、2つの分科会に分かれた結果、私の「ガッツリ教育学」の分科会は全然人気がなく、イマイチ盛り上がりに欠けることとなった。
今年の新入生がむしろ社会学を志向していることに起因するものと考えられる。
いずれにせよ20人近くいると収拾がつかず、とても大学院とは思えないような有様になっていた。
来年以降の課題だろう。
こうして教育学の話をする機会もいよいよなくなるのかと思うと少し寂しい気もする。

ちなみに、合宿の場所は「天目山」だった。
近くには「大菩薩峠」もあり、何やらあまり縁起がよろしくないのだが、それがわかる学生がほとんどいなかったのは不幸中の幸いである。

現在、PC買い替えによる新規移行中のため、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、ご理解の程、お願い申し上げます。
posted by ケン at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

せっかくの連休が

論文も書き終えて、2カ月ぶりに2連休がとれるから、ゲームと読書三昧で引き籠もろうと思っていたら、甘かった。
来週末にはゼミ合宿があるのだが、そこで発表することになってしまったのだ。
それも2回分も。
どう考えてもおかしいだろう。
若い院生が発表して、厳しい突っ込みを入れて、激しい問答に持ち込むことこそが、先輩たる私の本来の役割であるはずだった。
あと卒業するだけの私が何か発表したところで、どれほどの意味があろうか。

合宿といえば、一年生が研究計画を発表するか、二年生が中間発表をするのが常。しかし、二年生は「就活」を理由に不参加を表明し、一年生は「もうゼミで発表したから、発表することがない」とゴネているらしい。
おかしいだろう。
別に発表内容は、論文に関係することには限っていないのだから。
せいぜいが、教育学とその周辺領域という縛りがある程度。
全員が発表するなら、一人30分程度になるのだから、自分が話す時間は15分から20分程度。
私が毎日ブログに書いているようなことをそのままレジュメにすればOKなはずである。私のブログ程度のレベルで良ければ30分とか1時間でできるだろう。テーマなんて、ゴロゴロ転がっていそうなものだ。まぁ、私が発表するのに、カンニングの話というわけにもいかないだろうが……
しかし、若い学生はそうではないらしい。
発表したくない大学院生など、ほとんど無価値ではないか。存在理由に関わるだろう。

「論文のテーマに沿って」
とか言われても、「ソヴィエト・ロシアの高等教育制度の理念的変遷」なんてマニアックな話は、誰も分からないだろう。いや、残念ながら院生のレベル的にも難しい。
かと言って、いまやゼミ生には日本語教育専攻の学生は一人もいないので、日本語教育をテーマにすることもできない。
だから、論文のテーマとは別のネタを立てる必要がある。

当初は、「ゆとり教育の深層的諸課題について」ということで、「ゆとり教育」がその建前とは全く別に、日K組の時短闘争、ポストモダン学者・官僚の「学校からの解放」、ネオリベラル系財界人による「子どもの消費者化(できない子は従順な消費者に)」という3つの思惑から誕生したものであった、とする説をじっくり語ろうと考えた。
しかし、今の院生には、「日K組」「ポストモダン」「ネオリベラル」などの基本的キーワードすら一から教える必要があることに気づいて、断念することにした。
何せマルクスの考え方すら聞いたことがないのだから、如何ともしがたい。

一年生が全員発表放棄したため、時間だけは腐るほどある。
考えてみれば、そもそも合宿やる価値すらないようにも思えるのだが、そこは指導教官の顔を立てねばなるまい。
まぁせめてもの置き土産に、ちょっとは院生も考える内容にしなければと思い、「国家の教育理念と目的の比較検討」をテーマとした。
レジュメの序文はこんな感じ。
 ウォーラーステイン(1997)は、旧来の資本主義的リベラリズムの崩壊に伴い、世界は2つのイデオロギーに収束されていくと予測。一つは、能力主義を掲げて適者生存を旨とするイデオロギーであり、もう一つは反差別・同権を掲げて社会的共生を旨とするイデオロギーである、としている。日本の場合、かつての自民党は伝統志向の保守主義者よりもリベラリストが優位であったが、80年代半ば以降、リベラリストが淘汰され、「政治的保守主義・経済的新自由主義」のネオコン・ネオリベが多数を占めつつある。小泉内閣では、経済的新自由主義のもと、郵政民営化を始めとする各種の経済改革が実施されたが、後継の安倍内閣では、政治的保守主義が前面に出る形となり、教育基本法の改正が、同内閣の最重要課題として実行された。
 現代の日本における教育改革の特徴は、学区制の緩和(学校選択制)や国立大学の民営化に代表される教育分野における競争原理の導入(ネオリベ)と、「郷土を愛する心」、「道徳」、「伝統、文化の尊重」を強調する伝統的価値観の導入(ネオコン)の二本柱と言える。
 さて、公教育の存在意義、理念と目的は、各国の憲法と法律、あるいは国際条約によって定義されている。日本では、2006年12月22日に、全面改正された教育基本法が施行された。改正教育基本法における教育の理念と目的を検証した上で、他国で法定化されている教育の理念と目的とを比較することによって、現代日本における公教育のあり方を再考していく。

改正教育基本法の特徴と、世界人権宣言や子どもの権利条約の教育関連条文を説明した上で、学生を4つの班に分けて、中国、ロシア、フランスの教育法と、日本の改正前の教基法を読ませて、その特徴について発表させ、5つの教育法に書かれている理念と目的について、議論を進めていく。「発表」ではなく、完全にゼミの延長のワークショップなのだが。
結果的には、今の院生レベルでは難しくなってしまったかもしれないが、私としてはこれ以上下げたくない、というところまで妥協したつもり。

しかし、ワークショップ部分でもう一ひねりする必要があり、明日さらに練らなければならない。
そして、もう一つ「発表」を用意しろとか。まったく人使いの荒い……
バカバカしくなってきたので、自主ゼミ合宿は止めにして、人的資本論とシグナリング理論をごく優しく説明して、「学校選択制」「国立大学民営化」「教育バウチャー制」の根底にある考え方について議論していく、という感じのものにしようと思う。
は〜、明日も一日がかりだな……俺の休みはいつになったら……
どうも若い連中はマニュアル世代のせいか、大学院でも先生から教わることしか頭にないらしい。

「ヤツらもう修士号取った気でいやがる」
「よし、教育してやる!」
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2008年06月09日

最後の授業?

論文もいよいよ佳境だというのに授業に出てしまう。
私の場合、学生としてではなく、補佐ではあるのだが。
さすがに締切が迫ってきたので、来週と再来週は休ませてもらうことにした。まぁ休むと言っても、登録してないのだから、何か不都合があるわけではなく、ボランティアに類するものなんだけど。

登録が終わって少し減ったとは言え、大学院ゼミが15人で、学部生と留学生の合同授業は30人という規模。講義形式ならともかく、ゼミ形式の授業としては、相変わらず成立しがたい人数である。
大学院ゼミ(比較教育学)は、お世辞にも高いとは言えないレベルで、私の感覚的には二流大学の学部のイメージである。
とは言っても、知人の大学教員の話では、今時の二流大学の学部ゼミでは新書が講読されている、とのことだから、全体的に高等教育の頽廃が進んでいるらしい。
ゼミにもかかわらず、私以外からまともな意見やコメントが出てこず、先生が一人で話しているような感じになっているのだ。
まぁ一つには、研究生(大学院入学準備の留学生)と一緒だから、というのはあるかもしれないが、それだけではないだろう。
3年前の同じゼミでは(当時は5人ぐらいだった)、ハーバマス(政治思想)やブルデュー(社会学)を読んだりして、一応の水準を保っていたのだから、「常にダメ」という訳でも無さそうだ。学生間格差が広がっている、ということだろうか……

この間、私も指導教官の緊急代講を務めた。とは言っても、教育学とも日本語とも縁のない話ばかりで、
「修士論文ができるまで」
「プレゼンテーションの方法論」
「会議の方法論」
「ロシアの日本語教育」(これだけ専門?)
なんてことばかり話していた。

学部生の自主ゼミに呼ばれたかと思えば、
「日米同盟の歴史と諸相」
などというテーマで話をさせられた。
いちおうボク、教育学専攻のつもりなんだけど……ねぇ。

どうせなら、
「ロシア連邦教育法と改正教育基本法の対比」
「ソヴィエト・ロシア高等教育改革の変遷」
「人的資本論とシグナリング理論」
「ゆとり教育と消費社会の親和性について」
「教育の自由化をめぐる諸相」
とかのテーマで話させてくれれば良かったのに、とは思うものの、準備する余裕もないので、あきらめた。
もし実現したら、自主ゼミ合宿で扱いたいと思う。

「最後の授業」の数々は、十分な準備時間を割けなかったこともあり、納得できるものにはならなかった。少々心残りではある。
しかし、授業をすること自体は楽しかった。やはり私はものを教えるのが好きらしい。
それもいよいよ終わりかと思うと、少し寂しい気もする。

かと言って、今従事している論文執筆の辛気くささを思うと、博士課程に行くのはちょっと気が引ける。
幸いにして、ものを書くのが苦にならないため、苦痛ではないが、学術論文というのはいかんとも退屈なものである。
やはり私は学者ではなく、ディレッタントでしかないらしい。

まぁ万が一、上に行くとしても、教育学じゃないなぁ……政治学で、
「日本社会党から見た『北方領土』の諸相」
とかゆーテーマになるのかなぁ……
うわっ、誰も読まねぇ〜

話を戻すと、日本にいる欧米から来た研究者たちの間では、
「日本は中学校まではいいが、高校から後の教育はからっきしダメだ」
という評価が一般的であるらしい。
それは当然の話で、日本の高校は大学入学の予備校でしかなく、大学はテーマパークでしかないからだ。
もっとも、高等教育の質というのは、授業で計る必要はない。
単純に、学生がどれだけ本を読むか、で知ることができる。
かのアラビアのロレンスは、学生時代、年間1千冊の本を読んだと言うが、私の基準で考えても、最低年間150〜200冊ぐらいは読まないと、「大学生」の世界水準は保てないのではないかと思う次第。当然、本の中身にもよるが。

従って、大学教員の役割は、「良い授業をする」ことよりも、「どれだけ学生に本を読ませるか」にあると愚考する次第。
その意味では、私ももう少し本の紹介を増やした方がいいわけか……
ま、私はさっさと卒業しますんで、先生の皆さん、頑張ってくださいませ!
大学院で何を学んだかについては、また回を改めて書きマス。
posted by ケン at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする