2020年03月09日

オンライン授業開始から一週間

オンライン授業開始から一週間が経過した。
とはいえ、後期は少し授業が少ない上、大学院の授業は一回目は課題を課しただけなので、まだ試運転中でしかない。

危惧された中国全土一斉授業によるサーバーの不調などはなく、各家庭における通信環境が影響した程度で、概ね良好のようだ。
少なくとも私のところには苦情や相談は来ていない。
これだけでも大したものだ。

考えてみれば、私は東京で授業を行い、学生は瀋陽あたりから甘粛省、四川省、広東省まで中国全土で受けているのだから、想像すると凄い話である。すでにインターネットができていたとはいえ、1990年代には想像もつかなかった事態だ。まして、私がそれをやるなどとは。

また、「オンライン授業なんて20〜30分で集中力切れちゃうよ」と思っていたが、今のところ杞憂のようで、むしろ対面式の教室でやってる時より良いかもと思わなくもないくらいだ。
この辺はあくまでも感覚で、実感があるわけではなく、今後も観察を続けたい。
恐らくは、オンライン授業の方が、少なくともやる気のある学生にとっては集中しやすい(他の情報が少ない)という面がありそうだ。
それに引きこもりがちな学生も参加できるメリットもある。

最大の問題は、学生の顔が見えないので、理解しているかどうか顔を見て確認できないことにある。
これが10人程度であれば、PCの画面に顔を写しながら進めることも可能だが、20人以上いるとそれもできない。
特に私の場合、名簿順やランダムではなく、学生の顔を見て「答えられそうな」者を指名する手法をとっているだけに苦しいところだ。
色々な作業に少しずつ時間がかかる上、話す速度もゆっくりめにしているので、授業進度もゆっくりになりがちだが、そこはやむを得まい。

いずれにせよ、オンライン授業の技術も教員のスキルも進化する中国と、単に休講して学力まで低下してしまう日本と、ますます教育格差が拡大していくことは間違いないだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月24日

中国向けオンライン授業を準備中

後期の始業は1週間遅れで当面はオンラインで行うことになった。
早速システムが構築され、着々と準備が進められている。「1週間で病院建設」と同様、凄まじいパワーである。
日本であれば、それを決めるだけで何ヶ月もかかり、システムの構築には半年以上かかりそうなところだ。

とはいえ、オンライン授業の基盤はできても、実際に授業を行うのは教員であり、教員の方はそもそもオンライン授業の技術も経験もなく、その準備もしていないので、むしろこちらの方が大変で、自分も準備に追われている。
いかんせん教材も前年のデータも全て中国に置きっぱなしなので、一から構築する必要がある。
「今どきクラウドにアップしてないのか?」と笑われそうだが、中国経由のクラウドに挙げたくなかったためだ。
つまらないところで政治的指導を受けたくないと思うのは当然だろう。
まぁ、データ化して日本に持ち帰らなかったのは自分の落ち度だが。これはまさに想定外だった。

そんなわけで、ケン先生も突貫工事中である。
とにかく映像と画像を増やし、文字情報をできるだけ少なくするのだが、語学の授業では限界がある。
そもそもオンラインで多人数を相手に語学の授業など想像もつかない。
自分の持ち分は比較的オンラインでやりやすい科目(日本語では作文と聴解)なので良かったが、会話を担当していたら途方に暮れていただろう。
たとえ準備したところで、実践はぶっつけ本番になってしまうので、スピーチコントロール(話し方や速度など)から学生の反応まで、一から百まで手探りになってしまう。
この条件は他の先生も同じなので、とりあえず授業の不手際を責められることはないだろうが、大きな不安を抱えつつ、膨大な作業に取り組んでいる。
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2019年12月27日

中国の大学は急速劣化中??

中国に来てまだ一年と一学期しか経っていないのだが、学生の質が急速に劣化している気がする。
去年の卒業生、今年の四年生と三年生を比べても、日本語の出来が年々悪くなっている。
試験は科目が変わらない限り、試験内容は前年に準拠して作られるため、難易度はほぼ変わらない。そのため、平均点の低下は、学生の出来が悪くなっていることを示している。もちろん、私の教え方がより下手になっている可能性もあるのだが、普通は一年目より二年目の方が向上しているはずだし、私自身もそう思っている。

先輩の先生によれば、実態はもっと深刻で、科目と教授内容は同じ場合でも、試験内容も年々簡単にせざるを得ない状況にあるという。これは中国においても、日本の大学と同じで、ほぼ落第者を出さないシステムになっているためだ。事実としては、合格するまで何度も試験することになるので、教員の方が面倒になり、追試を非常に簡単なものにするためだ。

同僚の先生に言わせると、「今年の四年生で一番良くできる学生の日本語レベルなら、数年前には一クラスに4、5人はいた」とのこと。仮にこの言葉をそのまま受け取らずとも、平均水準が低下していることは間違いない。
これだけなら、自分の大学の水準(偏差値)が低下して、学生の質が低下しただけとも考えられるが、他の大学の先生と話していても大なり小なり同様のことが起きているので、全国的な現象であると考えられる。

これにはいくつかの原因が考えられるが、最大の原因は1970年代の日本同様、「豊かになったから」なのだろう。景気こそ若干悪化傾向にあるとは言え、中国の就職状況は特に都市部では悪くなく、学生は「必死にがんばって競争に勝つ」必要は無い。そもそも日本企業への就職を望む学生が減っている上、さらには留学希望者も減っており、「こんなレベルで?」という学生が公費留学を決めている有様にある。

もう一つは、これも日本の1970〜80年代と同じで、「受験疲れ」に起因する大学の遊園地化にある。中国の場合、日本よりもはるかに受験熱が過熱しており、特に高校の三年間は寮に缶詰状態で勉強三昧させられるそうなので、大学に合格すると気が抜けて、何もしなくなってしまう者が続出するという。学生はほぼ全員「大学は楽園のようだ」と述べている。
つまり、あまりに勉強を強制されてきたため、自主的に勉強する習慣が無く、自発的に勉強あるいは学問する意欲に欠けている可能性がある。

三つ目は、語学の価値低下である。AIの普及などにより、言語教育の価値は低下の一途を辿っている。中国の場合、十年前であればN1(日本語能力試験1級)を持っていれば、「就職は引き手数多」だったというが、今では「数多あるスキルの一つ」になってしまっているという。これには、「中国人は試験と漢字に強いため、能力試験の合格率が高い」という要素もあるのだが、それを差し引いても、外国語能力の価値は低下傾向にあると言えるだろう。そのため、やる気のある学生はどうしても語学外のスキル(資格)獲得を優先させる傾向があり、能力の高い学生でも語学の優先度を下げる傾向が見られる。その結果、「そもそも日本あるいは日本語が好き」という学生以外は「試験に合格する程度で良い」という判断になっているようだ。

さらに中国の場合、入学試験の成績順で志望学科に「配属」されるため、外国語学部日本語科の場合、そもそも日本語科を志望しているのは2〜4割程度という有様で、「本当は語学なんてやりたくなかった」という学生が山ほどいる。そのため、どうしてもクラスの士気も低めになってしまうのだ。20年前なら、それでも皆真面目に勉強していたのだが、裕福に育った小皇帝たちは「じゃあ、もういいや」となってしまうようだ。

しかし、10年かけて質が低下していくならわかるが、目に見えて低下するというのは、どう考えるべきなのだろうか。これ以上レベルが下がると、ケン先生としても教えるのが苦痛になってくるかもしれないし、難しいところである。
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2019年10月10日

国士舘に留学?!

学科長殿が「一番出来の良い学生の留学が決まった」と憂い顔でおっしゃる。
確かに出来の良い学生ばかり留学するので、残された3、4年生のクラスは下手すると、クラスの平均水準がガタ落ちし、やる気の無い学生ばかりいるような感じになるところはある。
「まぁ仕方ないですよ、行くなとも言えませんし、良いことじゃ無いですか」と水を向けると、

「いえいえ、留学先は国士舘なんですよ。もっと上の大学に行けるはずなのに・・・・・・」

とのこと。あ〜〜それは、ねぇ、あれですねぇ・・・・・・

「ご愁傷様です」

というヤツだ。
話を聞くに、どうやら国士舘は留学生に対する待遇が非常に良いらしく(特に寮が良いとか)、大学のランキングに関係なく、最近中国の学生にも人気があるという。
いかんせん、中国の学生はみな「小皇帝」状態なので、昔ながらの汚らしい学生寮など耐えられないのかもしれない。

私のような昭和老人からすると、国士舘と言えば、こんなイメージしか無い。

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「応援団(どおくまん先生的な)」「民族派養成機関」「大卒ヤクザ養成所」などなど。
実際、言うまでも無いことだが、「国士=民族主義者」を養成する私塾から始まっているのだから、相当部分は正しいと言えるだろう。
拓殖大学が台湾統治のための植民政策のプロフェッショナルを養成するために設立されたのも同様で、「名は体を表す」なのだ。

しかも、厄介なことに日本の右翼は歴史的に中華革命を支援してきたところがある。当局が妨害する中で、孫文を始め、留学生や革命家を支援してきた歴史は、むしろ左翼では無く右翼の側にあった。
そこには、日本の左翼が歴史的に欧米崇拝=アジア蔑視の傾向が強かったところも否定できない。

それだけにケン先生的には、色々複雑な思いもあるのだが、でもやはり国士舘は無いよなぁ・・・・・・
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2019年07月23日

母校に挨拶

修士の母校に挨拶に行く。
修了後、10年以上経っているので、親しい先生で残っている方は多くない。

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大陸に渡って一年の報告と、中国で頼まれた日本人教員派遣についての相談である。
中国も北京や上海などは外国人教員に困らないが、ちょっと内陸に入ると、とたんに外国人の供給がなく、「外人枠は常に空席」みたいな学校が多い。なり手はいても、60歳前後だったり、「国語教員免許持っているだけ」な人も多く、それでもなり手があればかなりマシという状況。
修士における私の同級生も、成都に行ってみたものの、「食事がいつも激辛で耐えられない」と一年で帰ってきてしまっている。
自分も沿岸部の大都会だから大丈夫なだけで、内陸で孤独に耐える自信は無い。

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教員派遣もとりあえず協力を依頼するだけ。北京や上海のような大都会でも、最近は求められる人材の水準が上がっており、「資格さえあればOK」ではない。
もっとも、待遇も改善されつつあり、私などは住居費と光熱費無料で、月の基本給が13万円程度(税金はわずか)なので、贅沢を言わなければやっていけるし、特にキャリアの第一歩としては良い環境だろう。

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留日センターから眺める調布飛行場。かつては三式戦闘機の基地だった。
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2019年07月12日

一年目の後期課程を終えて

成績を提出、一年目の後期課程が終了した。
正確には落第必至の四年生の追試が残っているのだが、見ないことにする。

後期は授業数が一コマ少ない上、出勤数も1日分減っていたため、前期に比べて楽だった。
色々慣れてきたこともあるだろう。とはいえ、授業準備はやはり大変だった。
楽になった部分は、執筆や研究の仕事が入り、結局のところそれなりに多忙ではあった。
前期に比べると、かなり授業にも慣れ、学生の方も慣れてきた感じで、改善点はあるにせよ、大きな不満は無い。
学生からの反応を少し紹介すると、こんな感じ。ネット上でアンケートを作り、SNSを通じて匿名で回答してもらう。日本にいるよりも便利な感じがする。
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「日本事情」も「視聴覚」も十分な成果だろう。
あと作文もあるのだが、こちらは1クラス分だけの担当になるので、少しデータが異なるが、これも問題は無い。

細かいところで指摘も受けたが、おおむね満足してもらえたようで、一年目としては十分すぎる結果だったと考えたい。休暇を通じて、改善点を探っていきたいところだ。

研究分野では、レポートを二本執筆、一本は年末か来年初頭に共著として出版されるということで、中国における私の初業績となる。やはりアカデミズムの世界でも、良い親分に付けるかどうかが大きなカギとなる。
もう一本は、新聞に載せるはずだったが、政治コードに引っかかった模様で(なぜ引っかかるのかよく分からないが)、いまだ難渋している。この辺はやはり中国である。
研究分野は「まだまだこれから」ではあるが、十月には若手研究者の学会で日露関係について報告する機会を頂いているし、一年目として「畑を耕し、種をまく」ことにはまずまず成功したと総括したい。
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2019年06月19日

「サザエさん」の高文脈性について

現地の日本語教員研修会で教室活動報告を行う。
珍しいのは、多くの場合、この手の研究会は日本人(ネイティブ教員)だけで運営されるのが一般的だが、当地の研修会は中国人教員が半分程度占めている。教員の平均水準が高いということもあるのだろう。
とはいえ、そこは教員研修会なので、発表と言っても学会での発表のような厳しいものではない。せいぜい学会の一分科会程度のレベル。

私は先に記事にした「サザエさんからクロ現へ」を多少アカデミックに擬装して発表した。ホールのコンテキスト文化の「理論」は、今ではほぼ否定されてしまっており、学術的に使用するのはかなり厳しくなっているためだ。
従って、文化類型として否定されているだけで、言語類型としては使えるかもしれないという「主張」に根拠を置くわけだが、自分で言っていてなかなか苦しい感じ。しかし、特に厳しい指摘は無く、むしろ称賛されたので、何とも微妙だった。
まぁそれは良い。

結局、時間が足りず、発表では触れられなかった「サザエさん」の高文脈性(わかりにくさ)について、ここで補足しておきたい。
最近のアニメ版「サザエさん」は比較的単純な日常生活が若干形を変えながら延々とループしているだけなので、一見分かりやすそうに見えるし、実際に多くの人が「分かった気」になって何となく見ているわけだが、実は肝心な部分の多くが省略されている。

その一つが人間関係である。
サザエさんをめぐる家庭環境は、現代日本では非常に珍しい大家族で、三世帯同居の上、叔父・叔母と甥まで同居している。この時点で、私よりも下の世代になると、想像の範疇外になってしまう。ケン先生の場合は、幸いにして三世帯同居の上、母の妹である叔母も同居していたため、全く問題ないわけだが、核家族化が進んだ1970年代以降の世代には家庭内の人間関係からして分かりづらいだろう。

さらに言えば、マスオは入り婿だが、名字はフグ田姓のままであり、従ってサザエもタラもフグ田である。しかし、カツオとワカメは磯野であるため、姉と弟妹で名字が異なるわけだが、中国人にはここから説明する必要がある。中国では婚姻によって例外的に姓が変わることはあっても、多くの場合は変わらないからだ。

しかも、原作では大陸からの帰還兵だったマスオのPTSD(戦時後遺症)が原因と思われる行動(家の木塀を打ち壊して暖を取ろうとした)によって借家を追い出されて、磯野家に移住、同居することになったわけだが、当然ながらアニメではそんなことは表現されておらず、「何となく入り婿で同居」になってしまっている。

また作中に良く出てくるノリスケは、波平の妹の息子であり、サザエ・カツオ・ワカメにとって従兄に当たるわけだが、「サザエさん、よく見てました」という中国人ですら「知らなかった」という始末である。
作中でノリスケは、よく波平に向かって「伯父さん」と呼んでいるのだが、大半の視聴者は気にもしていないことが想像される。しかし、この人間関係を把握していないと、ドラマとして理解していることにはならないだろう。
とはいえ、古いアニメ版だと波平はノリスケに対して「ノリスケ君」と君付けで呼んでいるため、ますます関係が分かりづらいのも確かだ(6月20日追記:我が祖父を思い出した場合、中流家庭の家長が親族を君付けで呼ぶのはごく普通のことではある)。
結果、ノリスケとマスオは「義理の従兄」の関係になるわけだが、現代ではここまで濃密な関係が築かれることは稀なのでは無かろうか。ノリスケの妻のタイ子やその子のイクラまで出てくると、日本人でも家族構成が把握しきれない、というかまず意識しては見ていない。

良く出てくるキャラクターだけでも、これだけ複雑なのに実際にはさらに家族が広がっていくため、よほど教員が注意を払って説明しないと、人間関係の把握など不可能だし、外国人には日本の婚姻制度や家族制度(類型)などまで説明しないと、不親切になってしまうのだ。つまり、間違った解釈を与える恐れがある。

これを思ったのは、昨年私がロシアドラマ『静かなドン』を観て、コサックがみな親戚関係にあるのだが、具体的にどう繋がっているのか把握するのに、非常に時間が掛かったためだった。具体的な説明がどこにもないため、自分で想像し、最悪ネットで調べるしかないからだ。
人間関係が分からないと、キャラクターの発言・主張や対応の根底にあるものが理解できない。
「サザエさん」で人間関係が問題にならないのは平和な時代の日常を描いており、紛争が無いためだが、現実には家族同士の諍いや抗争は少なくない。

中国の場合、日本よりは三世帯同居が多いようだが、それでも都市部では急速に核家族化が進んでいる。
日本人でも説明が難しくなっているような人間関係を描くドラマを教材にするのは、コンテキストが高すぎるのである。

【6月20日、追記】
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なにげに反響が大きかったので、立証、補足しておく。
サザエたちが実家に戻って両親と住むようになったのは、マスオが借家の板塀を打ち壊して薪にしようとしたところ、大家に見つかって怒られて、それに逆上したサザエが大家をボコボコして、借家を追い出されたことに起因している。終戦直後の話で、マスオは復員兵という設定である。中国戦線などでは、炊飯時に現地人宅の家壁や板塀を壊して薪にするということは普通にやっていたらしく、復員後も無自覚に「つい」やってしまったという話なのだが、実際に終戦直後は良く見られた光景だったらしい。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする