2018年06月13日

大学タダにしてやるから天下りさせろ?

【高等教育の無償化 学生が通う大学などに“条件” 政府が方針】
 低所得世帯を対象とする高等教育の無償化をめぐり、政府は、学生の通う大学などで、卒業に必要な単位の1割以上の授業を実務経験のある教員が担当していることなどを支援の要件とする方針を固めました。
高等教育の無償化をめぐり、政府は、年収380万円未満の世帯を対象に、所得に応じて段階的に大学などの授業料を減免するほか、生活費についても返済のいらない給付型奨学金を支払うなどの支援を行う方針です。
これに関連して政府は、納税者の理解を得るためにも、学生の通う大学などの要件を定める必要があるとして、検討を進めた結果、卒業に必要な単位の1割以上の授業を実務経験のある教員が担当していることや、理事に産業界など外部の人材を複数任命していることなどを支援の要件とする方針を固めました。
 また学生についても、成績の状況などを毎年確認し、1年間に必要な単位の6割以下しか取得していないときや、成績が下位4分の1に属するときは、大学などから警告を行い、連続して警告を受けた学生への支援は打ち切るとしています。政府は、こうした方針をことしの「骨太の方針」に盛り込むことにしています。
(5月31日、NHK)

> 単位の1割以上の授業を実務経験のある教員が担当していることや、理事に産業界など外部の人材を複数任命していることなどを支援の要件

お役人さんが天下り先を確保する天才であることは認めるので、議員と官僚の1割以上を年収380万円以下のポスドクに充てて、政官と知性のバランスを取りましょう(爆)

全く意味不明すぎる。
貧困層の大学進学を公的に支援するのは、階層の固定化を防ぐと同時に、人材を広く集めて競争させることで、人的資源の劣化を防ぐ目的がある。ひいては、社会的不満の抑制にもつながる。
世帯年収380万円というのは、いわゆる貧困ラインで、児童二人がいる世帯で全体の約18%になると見られる。つまり、貧困ライン以下の生活をしている家庭の子弟が大学に進学するために付与する奨学金制度を導入するのが、今回の「無償化」の目的である。
にもかかわらず、その奨学金を導入する条件として、「実務経験のある教員」や「外部人材の理事」を要求するのは筋違いも甚だしい。少なくとも、一部無償化は無条件で導入し、その上で高等教育改革の一環として制度要求すべきだ。

しかし、こうした制度要求を政府・文科省が行うのは、大学自治への介入であり、日本国憲法第23条の「学問の自由は、これを保障する」の侵害に相当する。
憲法23条が謳う「学問の自由」の英訳は「Academic freedom」であり、「何者からも拘束されない大学・研究(者)の自由」を意味する。この「学問の自由」を制度的に担保するものの一つが「大学の自治」であるため、憲法上に明記されていないとはいえ、大学の自由は学問の自由と同一線上に存在する。
実は、国際的に見た場合、憲法で学問の自由を保障している国は非常に珍しい。それは少なくとも自由主義諸国では「当たり前すぎる」ことで明記するのも憚られるためであり、わざわざ新憲法に明記したのは、日本においてはリアルに考えられる「危険性」だったからだ。
2年前に当時の下村文科大臣が国立大学における国歌斉唱を「要請」したことで、新憲法の起草者たちが抱いた危惧は現実のものとなったわけだが、いよいよ際限がなくなりつつある。

「実務経験のある教員」は一概には否定できない。かくいう自分も「日本の国会と政党に勤務した経験」を買われて中国の大学から招聘された。だが、実務経験はあくまでも実務経験であり、教育者や研究者としての能力を担保するものではない。ケン先生も何人か国会議員が大学教授に「天下り」したケースを知っているが、アカデミズムの水準を満たしていそうなのは、財務官僚上がりの人と京大の大学院を出ている人(確か修士)くらいなもので、残るは話を聞くに、およそ大学の授業として成り立っていない(詳しく書くとネタがばれる)。
博士号(PhD)があるにこしたことはないが、少なくとも研究論文に相当する水準のものを書けない人間に、大学生を指導する資格は無いことは間違いない。

「外部人材の理事」に至っては、鼻で笑うしか無い。同じ理由から導入された大阪市の民間校長制度が悲惨な結果に終わっていることは、もっと報道されてしかるべきだ。大学の場合は、単に文科役人や関連企業の天下り先に成り下がっている。仮に民間企業の経営者だとしても、大学運営・経営は素人のはずであり、「麻雀が上手いのだから、囲碁も強いだろう」みたいな話になっている。当然、それが通用しないから、全く効果を発揮していないとみるべきだ。仮に、民間理事・天下り理事が効果あるのであれば、日大のランキングは今頃東大を上回っているはずだ。

日本の高等教育は今後さらに質を下げてゆくだろう。
posted by ケン at 12:31| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

自民党の高等教育一部無償化案は有効か

【年収380万円まで軽減方針 高等教育の負担で最終調整】
 政府は消費増税分を使った高等教育の負担軽減について、無償化する住民税の非課税世帯だけでなく、年収380万円未満の世帯も2段階に分けて支援する最終調整に入った。年収が多い世帯ほど支援額を減らす形で、2020年4月から導入する方針だ。
 支援の対象は大学や高専、短大、専門学校。住民税の非課税世帯については、国立大の場合は授業料を全額免除し、生活費は返還の必要がない給付型奨学金で賄えるようにすることをすでに決めており、これに準じて年収380万円未満の世帯も支援する。
 夫婦2人と子ども2人の家庭で子ども1人が大学生の場合、年収300万円未満の世帯だと非課税世帯への支援額の3分の2、年収300万円から380万円未満の世帯だと3分の1を支給する方向だ。マイナンバーで世帯の所得や資産を把握し、多額の資産があれば支援しない。学生の成績や単位取得状況を毎年確認し、状況次第では支援の打ち切りも検討する。
 幼児教育・保育とあわせた教育無償化制度の骨格として、近く「人生100年時代構想会議」の最終報告に盛り込み、6月の骨太の方針にも反映させる。
(5月28日、朝日新聞)

いかにも財源をケチる財務省と政治的アピールをしたい自民党の妥協の産物。
住民税非課税世帯というのは、夫婦二人子二人の世帯で概ね年収250万円ほどで、「児童のいる世帯」で考えると9.4%になる(2016年国民生活基礎調査)。この数字は年収400万円以下で20.4%になるので、380万円以下だと18%ほどになると推測される。

こちらは2009年のデータ(文部科学白書)になるが、年収400万円以下世帯における大学進学率が31.4%に対し、年収800〜1000万円世帯の同進学率は54.8%に至っている。
さらに世帯別年収と全国学力調査の正答率(算数B)を見た場合、年収300万円世帯の約49%に対して、年収800万円世帯が約60%になっている。これは、貧困家庭の子どもの学力の低さと進学の困難さを示している。
なお、高卒者と大卒・大学院卒者の生涯賃金格差は約4000万円あるが、この数字は今後さらに拡大して行くものと思われるだけに、階層の固定化が懸念される。
また、子ども二人世帯で長子が大学生の世帯では、2014年の貯蓄率でマイナス6.1%となっており、長子が高校生の世帯だと8.6%であることを鑑みても、いかに貯蓄を取り崩して、さらに借金して子どもを大学に行かせているか分かるだろう。

上記を総合的に鑑みると、自民党案は「やらないよりはマシ」だが、期待される政策的効果は非常に薄く、せいぜいのところ「三流大学に入った貧困家庭の子を支援する」くらいにしかならないと見られる。いわゆる「焼け石に水」であろう。
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2018年06月11日

多選批判者が多選めざす腐敗

【調布市長選 長友氏、5選出馬表明 市政継続に意欲】
 任期満了に伴う調布市長選(7月1日告示、同8日投開票)で、現職の長友貴樹氏(65)が1日、5選を目指して無所属で立候補する意向を表明した。長友氏は2002年の市長選で、当時の吉尾勝征市長の5選出馬を批判して初当選した経緯があり、「批判されても仕方ない。(自分自身の)不明を恥じなければならない」と述べる一方、市政の継続に意欲を示した。
 長友氏は市内で記者会見し、東京五輪のサッカー会場などが市内に決まり、さらに昨年5月に都市長会会長に選任されたことで「5期目を意識した」と説明。また、多選による組織の硬直化や人事停滞などの弊害については「出馬をあきらめるほど、(市の)組織全体がおかしくなっているとは思わない」との認識を示した。
(6月2日、毎日新聞)

長友調布市長が五選出馬を決意したとのこと。自分は三選出馬に際して党内会議で多選に疑義を呈し、執行部に「最適任である」「他に選択肢が無い」ことを確認した上で同意した。四選出馬に際しては、明確に反対を表明、遠回しに「まだ自民党と相乗りする方がマシだ」くらいの意見まで述べたが、捨て置かれた。リベラリズムは、価値観や人間関係の硬直が腐敗の温床となり、共同体内の対立を招く原因になることから、代議員や首長の多選を忌避する。どちらの会議でも、自分以外に多選批判を表明した者はいなかったことは、日本の政党人の大半がリベラリズムを理解していないことを示している。
posted by ケン at 12:22| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

軍中楽園

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『軍中楽園』 鈕承澤 台湾(2014)



中国と台湾の緊張が続く1969年。台湾青年兵ルオ・バオタイは、大陸沿岸からわずかしか離れておらず砲弾が降り注ぐ最前線の島のエリート部隊に配属される。しかし泳げないことがわかり、軍中楽園と呼ばれる娼館・特約茶室を管理する831部隊に回されることに。ここには、様々な事情を抱える女性たちがいた。小悪魔のように男たちに愛を囁くアジャオとの未来を夢見る大陸出身の老兵ラオジャン。過酷な現実に打ちのめされ、空虚な愛に逃げる若き兵士ホワシン。バオタイはどこか影のある女ニーニーと奇妙な友情を育んでいく。純潔を誓った婚約者から別れの手紙が届いたバオタイの悲しみを受け止めたのは、ニーニーだった。バオタイはやがてニーニーに惹かれていくが、彼女は許されざる罪を背負っていた……。

名作『モンガに散る』のニウ・チェンザー監督の新作。鈕氏は、古き良き昭和テイストとノスタルジーを見事に再現する希有な映画監督である。「台湾なのに昭和?」と思われるかもしれないが、こればかりは実際に観てみないと実感できないだろう。

その鈕監督が、軍娼・軍営娼館という台湾の黒歴史(廃止は1992年)に焦点をあて、国共内戦の最前線である金門島を舞台に様々な人間模様を描いている。ある意味、タブーだらけの作品で、台湾で完成、公開できただけでも大したものだったが、観客動員はあまり芳しくなかったらしい。

全体的には、暗く厭世的になりがちなテーマを、政治的な描写を避けつつ、兵士と娼婦の日常と人生を情緒的に描いている。いささか美しく、情緒的に描きすぎているところが、気になる人はいそうだが、ケン先生的にはこれで丁度良いくらいに思えた。2時間以上の長尺で、ストーリーに起伏があるわけでもないが、微細な笑いと哀しみが見事に混ざり合って、映像美から目が離せない。敢えて陰惨な描写を避けることで、エンターテインメントと歴史ドラマを両立させている、希有な作品と言える。
ヒロインを演じた万茜女史や下士官長役を演じた陳建斌氏の演技はプロフェッショナルのそれであり、演技としても一見の価値がある。

韓国と台湾を冷戦の最前線にしたことで高度成長を果たした日本人としては、慰安婦問題も含めて、正面から向かい合うべき課題を秘めているだけに、是非とも観ておくことを薦めたい。
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2018年06月09日

働き過ぎたから賃金カットという地獄、そして資本主義の終焉・続

【福井市5.8%給与削減、労組と合意 5億円捻出】
 今年2月の大雪の影響により福井県福井市の本年度一般会計が約12億円の財源不足に陥る問題で、市は6月6日、職員給与の削減率について市職員労組と合意し、管理職を含む職員約2300人の給与を7月から来年3月まで9カ月間、平均5・8%、総額約5億円削減する方針を明らかにした。
 玉村公男市総務部長が同日、記者団の取材に応じた。組合員の平均削減率は4・5%。市は給与削減に関する条例改正案を、開会中の6月市議会に13日に提出する意向。市議会の各会派は給与削減について「労使合意が前提」としており、条例改正案は成立する見通し。
 財源不足の12億円の内訳は、昨年度の赤字約2億円と、扶助費や人件費など本年度補正見込みの10億円。市は、151事業の見直しで約5億円を捻出。職員給与の削減による約5億円を加えても不足する約2億円については、市税の収納率向上や歳出抑制など、財政運営のやりくりで賄い、解消したい考え。
 市や職員労組によると、給与は職員の等級に応じ2・5〜8%、管理職(副課長級以上)は10%削減。加えて管理職手当10%、特別職報酬20%も9カ月間削減する。
 5月8日に市側の「職員給与一律10%削減」提案で始まった職員労組との交渉は、約1カ月を経て終結。野田哲生委員長は6日会見を開き、4・5%で妥結した理由について「交渉が長引けば財政再建のスタートが遅れることも危惧しており、ある程度納得できる内容で早期に決着を図った」と述べた。
 玉村部長は市税収納率の向上策について「本年度の市税収入を上げ、昨年度までの滞納分の整理が必要になる」と説明。歳出についても厳格な予算執行で抑制したいとした。
 2016年度の市税収納率は、その年の課税分が98・7%、前年度までの滞納分を含めると93・9%で、11年度から毎年向上している。本年度一般会計予算の市税収入は446億2700万円を見込んでいる。収納率を0・5%上げると、約2億円市税収入が増える計算になる。玉村部長は「現年課税分(その年の課税分)を納めてもらうことが大事。やれることはしっかりとやっていきたい」とした。
 市議会も議員報酬削減案の6月市議会上程を検討しており、さらに財源を確保できる可能性がある。
(6月7日、福井新聞)

「働き過ぎたから賃金カットという地獄、そして資本主義の終焉」の続き。

「除雪費用が膨らんだので職員給与を減らす」という暴挙に出た福井市。予算編成をした首長含む市幹部や、予算審議をした市議会の責任は問わないまま、右翼を動員して市職労に圧力をかけるという、戦前や1950年代の日本を彷彿とさせる事態に陥っていた。
が、組合側がSNSやマスコミに呼びかけたことで、全国的に知られるところとなり、右翼は退去、市当局が組合との交渉に応じたという。
交渉の結果、当初要求の一律10%削減は撤回され、管理職は10%、職員平均で5.8%、組合員平均では4.5%の削減で合意が成立。組合側は勝てないまでも、負けない戦いを演じたと言える。原理主義的な組合だと、「一かゼロか」みたいな話になって、交渉そのものを破綻させてしまうケースが多い。また、下手に目標を高く掲げて交渉を伸ばしてしまった場合、「組合が抵抗して市予算が通らない(行政サービスが低下する)」などという宣伝が当局・資本側からなされ、組合が支持を失ってしまう恐れもある。
「組合員のダメージを最小限度に抑える」というダメージ・コントロールもまた、組織にとって非常に重要な要素であり、福井市職労・自治労県本部の優れた判断力が垣間見える。

ただ一方で、現地からの報告では、「組織内議員は殆ど役に立たなかった」ともいう。
狛江市で市長によるセクハラ事件が発覚した際には、NK党の議員が連日駅頭に立ってビラを配り、声を上げていたのに対し、民進・生活者ネット・社民などの議員(全員女性)は市長が辞任表明する直前まで見かけなかった。
「人間の進化は危機に際してこそ発揮される」と言う。戦後和解体制が機能していた頃は、組織内議員などは「一丁上がり」の名誉職みたいなもので、「数を満たしていれば十分」という側面があったが、労使協調が破綻して、資本の横暴が顕在化してきた今日にあっては、組織内議員は一種の命綱の役割を担うだけに、「出てくれるなら誰でも良い」ではなく、代議員としての実質が問われるところとなる。

以下は繰り返しになるが、福井市の事例は、資本と国家の暴虐がセンセーショナルな形で顕現しているだけであり、遠からぬ将来、日本全国で起こりうるものであることを覚悟しておくべきだろう。

「他の自治体に波及する恐れがある」として総動員を呼びかけた自治労福井県本部の見識は慧眼であり、短期間でギリギリのところで妥結した市職の決断も高く評価したい。率直に敬意を表し、エールを送るものである。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

映画『マルクス・エンゲルス』

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『マルクス・エンゲルス』 ラウル・ペック監督 フランス・ドイツ・ベルギー(2017)


1840年代のヨーロッパでは、産業革命が生んだ社会のひずみが格差をもたらし、貧困の嵐が吹き荒れ、人々は人間の尊厳を奪われて、不当な労働を強いられていた。20代半ばのカール・マルクスは、搾取と不平等な世界に対抗すべく独自に政治批判を展開するが、それによってドイツを追われ、フランスへと辿りつく。パリで彼はフリードリヒ・エンゲルスと運命の再会を果たし、エンゲルスの経済論に着目したマルクスは彼と深い友情をはぐくんでゆく。激しく揺れ動く時代、資本家と労働者の対立が拡大し、人々に革命的理論が待望されるなか、二人はかけがえのない同志である妻たちとともに、時代を超えて読み継がれてゆく『共産党宣言』の執筆に打ち込んでゆく――。
原題は「The young Karl Marx」で確かに20代後半の数年間のマルクスを描いているのだが、実質的にはエンゲルスとコンビを組む過程が中心軸になっている。ストーリーは、マルクスがドイツを追われてパリに移住し、そのパリからも追放されてブリュッセルに行き、『共産党宣言』を準備するところまで。
マルクスは評伝を読む限り、友人だろうが恩人だろうが、考え方が異なる者に対しては容赦なく罵倒、攻撃する人物であり、人間的にはなかなかのロクデナシで、この傾向は年を経るごとに悪化するのだが、焦点を若年期に絞ることでロクデナシ要素を薄めている。史実では、奥さんとエンゲルスが寛大すぎると思うのだが。

哲学論争は最小限度に抑え、時代の空気感や背景、マルクス・エンゲルスをめぐる人間模様に焦点を当てることで、難解にならないようにつくられている。確かに分かりやすくはなっているが、物足りなく思う人もいそうだ。
とはいえ、1840年代に何故マルクスが歴史の表舞台に登場し、2010年代に再評価されるのかを考えるに際して、映像で見ておく価値はあるだろう。
posted by ケン at 12:41| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

もはや中国に太刀打ちできない日本

中国の就労ビザを申請する関係で、あちらの大学側に採用証明書をPDFで送るように求めたところ、その日の午後には英文かつ学部長印の入った書類が送られてきて、「中国やべぇ!」と思ったのが少し前のこと。

その後、手続きを進める上で、学位記の原本を提出してしまうと問題があることが分かり、母校で大学院の修了・学位取得証明書(英文)をとることになり、直接訪問して申請したところ、発行は営業日で7日、実質12日後ということが判明し、呆然となった。
母校では、さんざんグローバリゼーションがどうの、英語の国際化がどうのと言われたものだったが、実のところ母校が最もグローバリゼーションから取り残されていたことが分かったからだ。グローバリゼーションの特長の一つは、「より早く、より遠くに」「徒歩から鉄道、鉄道から飛行機、飛行機からインターネット」であり、それに合わせたスピードが求められる。戦前の軍人が総力戦と騒ぎ立てながら、総力戦の本質を殆ど理解していなかったことに近いだろう。
余りの恥辱に、半日で英文の採用証明を送ってきてくれた中国の大学の学事課長に報告する言葉が見つからなかった。

中国で半日で済ませられる作業が、日本では12日もかかるということは、単純計算で中国が日本の24倍の作業量をこなせることを意味している。母校でも、学生や卒業生の情報はとうに全てデジタル化しているはずであり、本来であれば、書類自体はその場で打ち出せるはずだ。仮に管理者の決済印が必要だとしても、翌日くらいには準備できるだろう。実際、戸籍や住民票などは、申請した場ですぐに受け取れるようになっている。大学の証明書が1週間も2週間もかかることに合理的な説明は付けられないだろう。

研究者の待遇や論文数でも、日本はすでに中韓に太刀打ちできなくなりつつあるが、事務作業に至っては1世紀分くらい後進国になってしまっていることが分かる。恐らくは、10年前でも20年前でも同じだけの時間が掛かったものと考えられるが、それは日本の組織がおよそ自己改革能力に欠けていることを意味している。

この一点だけ見ても、日本に期待できるものは何もないことを、改めて認識した次第。

【6月8日、追記】
中国で教えたことのある先生によれば、「貴君は単に学部長案件のVIP待遇で手続きが早くなっているだけでは?」とのこと。日本側の手続きの遅さは話にならないが、中国側の事情はそうかもしれないので、一旦保留します。ただ、自分が卒業した私立の学部を確認したところ、和文でも英文でも「木曜に申請して翌月曜発行」とのこと。中三日からせいぜい五日くらいまでなら自分も許容できたと思うのだが。これだから国立、公立はダメだという話になるのだが、当人たちには全く自覚無いようだ。
posted by ケン at 12:34| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする