2017年05月18日

ドイツ連邦軍でも極右汚染

【ドイツ軍兵舎2カ所でナチス関連物 全施設を検査へ】
 ドイツの国防省は7日、同国軍の兵舎2カ所でナチスに関連した物品が見つかったことから、連邦軍の監察官が全兵舎の検査を命令したと発表した。フランス北東部のイルキルシュにある仏独合同旅団の駐屯地で、ナチス・ドイツ時代のドイツ国防軍に関連した物品が共有スペースに置かれていたのが見つかったほか、ドイツ南西部ドナウエッシンゲンのフュルステンベルクでは、ナチス時代のヘルメットが陳列キャビネットに置かれていたことが6日に判明した。独誌シュピーゲルによると、壁にはドイツ国防軍の兵士の写真が壁に掲げられており、ナチス時代の銃やヘルメット、軍の装飾品が置かれていたという。国防省広報官がロイター通信に語ったところによると、国内法が禁じるカギ十字などのナチスのシンボルがあしらわれた物品は見つかっていない。
 これに先立ち、28歳の陸軍将校がシリア難民を装った攻撃を計画していたとされており、ドイツ軍内の極右思想が問題になっている。フランクフルトの検察は、同将校には「外国人排斥思想の背景」があると指摘した。ドイツのウルズラ・フォン・デア・ライエン国防相は計画されていた訪米を取りやめ、急遽(きゅうきょ)、将校が生活していたイルキルシュの兵舎を訪問。その際にドイツ国防軍に関連した物品が見つかったという。フォン・デア・ライエン国防相は今月3日に、現代の連邦軍の中で、ドイツ国防軍を崇拝するような行為は許されないと語っていた。国防相は今回の問題は単独の事例ではないと指摘。「団結心が何であるかを誤解した」軍幹部らが、「見て見ぬふり」をしていたと批判した。しかし反対勢力から、軍全体の名誉を傷つける発言だと批判された国防相は、調子が強すぎた謝罪している。
(5月8日、BBC)

西側自由主義国の中でも最もリベラルで、「軍隊の民主化」の手本とされたドイツ連邦軍で、難民政策を推進する政府枢要に対するテロ計画が発覚、さらに軍内でナチス時代への郷愁を思わせる傾向が発見されている。特に先のテロ計画では、軍の内外に武器、弾薬、情報を提供した協力者の存在が確認されており、事態の深刻さをうかがわせる。
特に今回の場合は、退役軍人ではなく、現職の士官が主導していたことで、連邦軍の存在意義や士官教育に対する疑義が生じている。また、「上層部が知っていて見て見ぬふりをしていた」辺りは、日本の5・15事件や2・26事件を彷彿させる。

日本でも航空幕僚長が、航空自衛隊がイラクで行っていた空輸活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決について「そんなの関係ねぇ」と言ったり、同じく航空自衛隊内で皇国史観の学習会が開かれていたりしたことなどが発覚しているものの、自由民主主義体制に対して暴力行使する計画までは、少なくとも表向きは出ていない。

どのような体制であれ、暴力装置である以上は常に暴発するリスクがある、というだけの話であり、ドイツですら例外たり得ないということなのだが、やはりかつて最も民主的だったはずのワイマール体制がナチズムに支配された経験があるだけに、もともと帝政で軍部の発言が強かった日本とはショックの大きさが違うのだろう。

欧州の場合、国家主権の相当部分、特に経済と金融政策の自律性がEUに奪われているため、国内の貧困やEU内経済格差に対して民族国家としてできることが非常に限られており、国内の貧困解消を掲げて決起した2・26事件と似たような背景事情を抱えている。EUの中で最も裕福なはずのドイツで、これが起きたということは、政府や議会がリベラル過ぎると、逆に反乱の芽を育ててしまう可能性を示している。
今後の政権選択によるが、反露、反テロを掲げ続ける場合、軍拡は避けられないが、同時に軍の発言力と暴発リスクを増大させるという課題が生じる。

日本の場合、(欧米基準で言えば)最初から極右政権が成立して、対中・対北強硬策を打ち出しているだけに、自衛隊内部の不満は大きくないかもしれないが、強硬策に比して軍拡の度合いが小さいため、「言ってることとやってることが違うじゃねぇか」という不満は高まってゆくかもしれない。つまり、強硬策を採り続ける場合は、軍拡する必要があるわけだが、今度は暴力装置の肥大化を生み、それはそれで暴発リスクを大きくするという課題を抱えている。
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2017年05月17日

都議会が腐敗するワケ

GWが終わって東京都議会議員選挙の前哨戦が始まっている。私も動員要請を受けたが、地元の現職は離党しており、「自分ファーストに興味は無い」と拒否した。が、仕事の関係で他地域の応援を要請されそうで、これを断るのは職を賭す話になってしまうので難しい。

本来であれば、腐敗議員を支援することは人道に反するため政治的良心の発動が許される場面だが、日本とドイツは伝統的に「上司の命令はどのようなものであれ服従することが認められる代わりに、実施したことで罰せられることもない」文化があり、命令不服従に対して非常に高いハードルがある。二次大戦の反省を経て、ドイツでは命令不服従の権利が認められたが、「水に流すだけで反省しない」日本ではいまだに認められていない。自衛隊の問題点はここにもある。いや、これは蛇足か。

都庁はもちろん、都議会は根源的に汚染されている。
まず都庁は、中規模国並の国家予算を持ち、都知事に権限が集中しているため、中枢エリートが巨大な権限を有し、これは腐敗の温床となっている。にもかかわらず、都議会は常時与党化してチェック機能を果たせず、議会以外のチェック機能も無いため、腐敗を防止、改善するシステムが存在しない。結果、霞ヶ関に次ぐ政官業報の腐敗テトラゴンが完成している。当初7千億円で計上されていた五輪予算が、開催が決定した途端に3兆円などとはじき出してくるのは、腐敗構造のなせる業であろう。

都議会が腐敗する理由はいくつか考えられるが、最大の理由は「デモクラシーの不在」にあるとケン先生は見ている。
都議選の投票率は、概ね40%程度でしかない上、大選挙区制を採用しているため、一定の得票があれば当選できてしまう。例えば、前回都議選の世田谷選挙区を見た場合、有権者70万人強で投票率は44%だが、3人当選した自民党候補のうち最低獲得票は2万8千票余で、全有権者に占める割合は4%でしかない。
大選挙区制は「マイノリティーの民意を反映させる」という利点があるものの、自民党の場合は特定の既得権益層が利権分配を目的に結党しているため、利権獲得の術になってしまっている。一種の「ルールの悪用」だろう。

デモクラシーは、原理的に「全員参加」を前提としているが、日本では投票の義務あるいは、デモクラシー参加の義務が無いため(憲法上の欠陥)、低投票率による選挙の成立が可能なシステムになっている。その結果、低投票率で相対多数の得票で当選することが可能になっており、都道府県議選では、5%程度の得票で当選できるし、国政選挙ですら15%程度の得票で当選することが可能になっている。
この意味するところは、業界団体や宗教団体などの「堅い票」だけ固めて投票してもらい、あとは可能な限り低投票率を維持できれば、権力と腐敗構造を維持できる仕組みになっているということだ。

その結果生じたのが、「3兆円のお祭り」に対する議会のノーチェックであり、「築地再開発」を前提とした「魚市場の豊洲移転」であり、「ガス工場跡地への魚市場移転」だった。これらは、腐敗した東京都庁が提案し、腐敗した都議会がチェック機能を果たせなかった結果生じたものであり、その根底には「市民の無関心」という「デモクラシーの不在」が存在する。

腐敗そのものを根絶するのはまず不可能だろうが、その被害を最小限にすることは可能だ。一つは、巨大すぎる東京都を解体し、巨大な権限と予算を分割することで、腐敗の温床そのものを小さくすることにある。ネット上ですら、私以外に掲げている者が非常に少ないことは、都民に「収奪されている」「納税者」自覚が無いことを示している。

・都解体構想を全面支持! 

同時に、国の会計検査院のような独立機関を設置し、これに強い権限を与えてオリンピックや尖閣購入のような「予算の目的外使用」に対して厳格なチェックを入れるシステムが必要だろう。
そして、都議会については、例えば「投票率70%」を超えない選挙は選挙区毎に全て不成立とし、一定数を満たせない議会も不成立とし、全て暫定予算と暫定議会で対応して新規事業を認めない仕組みが必要だ。
腐敗した仕組みで何度選挙したところで、既得権益層しか投票しないのだから、腐敗を再生産するのみである。

そもそも「都民第一」と言いながら、東京五輪に賛成している時点で、どこまでも都民を愚弄し、業界とグルになって都税を私物化しようという意図がミエミエであり、選挙でもって全員陶片追放しなければなるまい。
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2017年05月16日

平等の価値について〜または社会主義者である理由

同僚との飲み会で、「貧困対策はなぜ必要なのか(不要では?)」という議論になり、意外なほど新自由主義的思考から「市場を活性化させれば良いのであって、貧困対策を併行して行う余裕はないのではないか」的な意見に賛同するものが多く、改めて「ミンチンはダメだ」と思った次第。しかし、問題提起そのものは重要だ。

ミンチンもそうだが、自民党はもっと酷い。戦中・戦後(団塊)世代が引退して少数になり、貧困対策や社会保障制度などの社会政策を軽視する層が急増、「国防や新産業の育成こそが最重要課題であり、社会政策を犠牲にするのはやむを得ない(当然だ)」という意見の持ち主が相当数を占めるようになっている。戦争前後の貧困を知らない世代が多数を占めたことで、貧困の恐ろしさや社会的影響が理解・想像できなくなっているのだろう。

先にも述べたことだが、太平洋戦争が終わって占領政策を策定するにあたって、アメリカでは「何が日本人を侵略に駆り立てたか」という議論が交わされた。そこでまとめられた大まかな見解は、「戦前の日本では、労働者の団結が認められておらず、政府と財閥が一体となって労働者を弾圧、ダンピングを行った結果、国内市場の成長が抑止されると同時に、労働者の低賃金と不安定雇用が常態化したため、国内需要も伸びず、海外に市場を求める侵略に大衆的支持が寄せられた」というものだった。

GHQの見解以外に、日清・日露戦争を経て過剰な常備軍を持ったことや、朝鮮半島の植民地経営が大赤字・投資過剰だったことが、日本の国家財政を圧迫、インフラや社会保障を整備する余裕をなくしてしまった問題がある。また、台湾と朝鮮を植民地化した結果、そこで収穫された低価格の米が「国内産」として無関税で流通するところとなり、日本本土の米価は著しく低下、農村を荒廃させたことも大きい。

具体例で見てみよう。1928年(昭和3年)の帝国日本の歳出は約15億円で、このうち4億円が軍事費だった。28年というのは昭和恐慌前で、張作霖が爆殺された年だが、二次大戦前の平時最終年と言える。にもかかわらず、予算の26%以上が軍事費で占められていた。また、植民地である朝鮮の経営も赤字続きで、5千万円からの交付金を出して補填していた。つまり、軍事費と植民地経営が国家財政を圧迫、社会政策を行う余裕を持たせなかった。大正軍縮を経た後でもこの状態だったのだから、後は推して知るべしだろう。ちなみに、この10年後に日華事変が始まるのだが、税収13億円のところに55億円の予算を組んでおり、「始まる前から終わってる」観がハンパ無いので、こちらの記事を参照して欲しい。

・戦艦大和をめぐる日本人の財政感覚

身の丈に合わない軍備と植民地を抱えた日本は、大衆から収奪することでしか財政を賄えず、また華族制度と制限選挙による議会に基づいた帝政では社会政策を主張するものを権力に寄せ付けなかった。昭和前期の二大政党のうち政友会は地主層に依拠し、民政党は新興資本家層の支持を受けていたが、どちらも社会政策や労働政策には無関心で、特に民政党は冷淡だった。普通選挙法による総選挙が初めて行われたのは1928年、労働者層に依拠する社会大衆党が議席を得たのは1936年のことで、すでに遅かった。

1929年の世界恐慌を受けて、日本では翌30年から昭和恐慌が吹き荒れる。主要輸出品だった鉄鋼の価格は暴落し、生糸に至っては恐慌前の半分になってしまった。運の悪いことに、前年が豊作で朝鮮と台湾から米が大量に流入していたこともあり、米価も6割まで低下した。その結果、小作料を払えない小作人が大量に発生した上、都市部で失業した労働者の帰農が相次ぎ、農村で飢餓が発生、餓死者が続出して、女子の身売りが社会問題化した。そして、濱口雄幸首相や井上準之助蔵相に対するテロリズムを始め、後の2・26事件でも決起理由に「農村の疲弊と財閥の横暴」が掲げられた。
現代では、当時の農村などの貧困は想像するのも難しい。だが、例えば1930年代に至っても、軍隊に入るので初めて汽車に乗ったとか、初めて靴を履いたとか、毎日白米が食べられるなどという話がありふれていた。これに対し、二次大戦期の米軍人の回顧録を読むと、「父親に兵舎までマイカーで送ってもらった」とか「軍隊の飯は不味いと聞いていてそれだけが嫌だった」みたいな話に溢れている。

確かに貧困そのものは社会をひっくり返す要因には必ずしもならない。だが、貧困は社会に対する不満を増大させ、体制への不信を強め、著しく治安を悪化させる。この治安の悪化に対し、当局は暴力をもって応じるしかない。何故なら社会政策を進めるためには、貴族や資本家層に課税強化するか軍備を縮小して財源をつくる必要があるが、帝国権力が軍、貴族、財閥に依拠している以上、それは不可能な話であり、暴力によって不満を抑え込むほか無いからだ。今審議されている「共謀罪」もこの考え方に沿っている。
ところが、貧困層を放置するということは、国内の消費が増えないと同時に労働生産性が上がらない(教育を受けられない)ことを意味する。結果、いつまで経っても国民は貧しいまま税収は上がらず、税収が上がらないため増税を課す、さらに貧困と不満が増大するという負のスパイラルに陥ってゆく。
そして、権力に富が集中するため、腐敗が加速、急速に統治能力を失ってゆく。統治能力が低下するため、暴力行使のハードルも下がるというスパイラルに陥る。

そんな中で起きたのが満州事変(31年9月)で、それまでは殆ど報じられることの無かった満州情勢が一気に脚光を浴び、マスコミによる煽動・宣伝もあって国内世論は軍部支持一色となり、抑制的だった若槻内閣の対応を「弱腰」と非難するようになっていった。この当時の空気感は、現代の日本とも通じるものがある。

・右傾化は一線を越えたのか? 
・リットン報告書をめぐる日本の報道について

濱口、若槻の両民政党政権の後には、政友会の犬養内閣が誕生する。高橋蔵相は、積極財政を進めるが、同時に満州事変を肯定、軍拡を進めたため、昭和恐慌は脱しても軍備負担や植民地負担は重くなる一方だった。
1937年7月に盧溝橋事件が勃発、上海事変が起きて、日華事変が本格化すると、日本の国論は全面戦争支持で沸騰、「休戦とかあり得ない」という話になり、南京進撃と虐殺事件、さらに近衛内閣による「爾後国民党政府を対手とせず」声明に繋がっていった。

・文民統制と和平交渉 

日華事変も満州事変も、確かに「軍部の暴走」という側面が強かったが、そのいずれも国民世論の圧倒的支持という前提があり、その背景には「国内の貧困(不景気)を暴力と侵略によって解決しよう」という意識があった。
例えば、桑島節郎『華北戦記』(朝日文庫)の冒頭、桑島らは中国戦線から帰ってきた地元の先輩のところに行って、「掠奪も強姦もやりたい放題でサイコーだ」旨の話を聞き、「よっしゃ!俺もやるぜ!」とやる気満々になっている。
満二十歳の徴兵検査を受ける年頃の若者たちは、これら帰還兵から、戦地での話をよく聞かされていた。それは「中国人を斬り殺した」とか「女を強姦した」といったたぐいの自慢話が多く、これを聞いた若者たちは「戦争というのはおもしろそうだな」「俺も早く戦争にいってみたいな」などと思うようになっていた。

親軍路線を進めた社会大衆党の浅沼稲二郎は、1940年6月に「欧米追随外交を清算し、日英.日米交渉を即座に中止すること。仏印経由の援蒋ルートを遮断し、実力をもって仏印当局の不誠実な敵性を放棄せしむるの保障を確保すること」と北部仏印進駐を政府に要請している。当時、社会大衆党の主流は、軍拡と積極財政によって社会政策を実現するという方針を採っていた。


・浅沼稲次郎は何を訴えたか?
 

話を総合すると、貧困を放置すると、下部構造では消費が低迷して成長が止まる。貧困層は不満と体制不信を増大させ、いかなる形あれ(対内的にも対外的にも)で暴力的解決を希望するようになる。
上部構造は、権力と富を集中させ、急速に腐敗、統治能力が低下し、社会不安を抑制するために武断支配と恐怖政治を行い、国内不満を海外に向けようと考えるようになる。

そして、戦後は連合国の要求と戦前の反省から、軍備と植民地を放棄、農地改革を行い、財閥を解体、労働基本権を認め、社会政策を導入していった。戦後日本の繁栄は、人口増加もあるが、過剰な軍事負担を止め、社会政策に回したことで、「分厚い中間層」が形成され、消費が活性化、景気の好循環が生まれ、税収も伸び、それをインフラ整備と社会政策に投じ、富の再生産と分配が上手く機能したことによって生まれている。

貧困放置は「ダメ、ゼッタイ」なのだ。
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2017年05月15日

留学生に労働力を求める日本

【留学生を労働力に積極活用 自民PTが政府に提言へ】
 安倍政権が掲げる「1億総活躍」の一環として、自民党が5月、留学生を労働力として積極的に活用するために、日本語学校の教育の質向上に向けた文部科学省の責任を明確化することや、入管難民法が規定する外国人留学生の就労制限(週28時間)の緩和などを政府に提言することが分かった。留学生の日本企業への就職支援強化も促す。政府は、提言を経済財政運営の指針「骨太方針」などに反映させる。
 提言案をまとめたのは、自民党1億総活躍推進本部に設置された「誰もが活躍する社会をつくるプロジェクトチーム(PT)」(穴見陽一座長)。
 日本語学校の管轄は現在、法務省が事実上担当しているため、不法在留などの取り締まりに重点が置かれ、教育内容や教員の質の確保に関する監督責任の所在が曖昧になっている。提言案は、新法制定を含む法改正を視野に、文科省の教育面での責任を明確化するとともに、法務、外務両省などとの連携強化を促す。日本語学校や日本語教員の教育能力を適正に保つための検査や研修制度の確立も政府に求める。
 留学生の就労については、入管難民法やマイナンバー法を改正し、事業者に対して詳細な労働状況を報告するよう義務化。留学生の在籍管理に著しい問題がある日本語学校は、留学生の受け入れを認めないようにするなど就労管理を強化した上で、学業に支障が出ない範囲内で就労制限の緩和を検討する。
 また、日本での就職を希望する留学生の半分程度しか日本企業に就職できていない現状を踏まえ、就職支援の強化や、留学生の住環境を整備するための政府関連予算拡大も提言する。
 さらに、大学などに留学生の就職や学位取得の状況などの情報を積極的に公表させて切磋琢磨(せっさたくま)させるよう文科省に要請。現状では在留資格が得られずに帰国するケースが多い大学・専門学校卒の留学生が、引き続き日本で就職できる枠組みの充実も求めている。党1億総活躍推進本部は、他のPTの提言案などと合わせて最終調整の上、大型連休明けにも政府に提出する方針。
(4月27日、西日本新聞)

留学生を労働力と見なさないとならないくらい労働力が払底しているという認識らしい。日本の場合、現在でも学生ビザ保有者には「週28時間」までの労働が認められており、これは週5日の労働で1日5時間半の就労が可能であることを示している。言うまでも無いことだが、1日5時間も働いたら学校に行くのが精一杯で、よほどの人でない限り、学校外で勉強などできないだろう。
実際、ある程度淘汰されたとはいえ、多くの日本語学校で欠席者が多かったり、出席しても居眠りばかりしている生徒が非常に多かったりといった事例が報告されている。

大抵の国では、学生ビザでも一定の就労が認められているが、殆どの場合が週20時間以下であり、週28時間の日本はかなり長い部類に入る。これを延長するということは、実質的には「留学生ビザという名の就労ビザ」になることを意味する。

ところが、従来、就労学生の大半を供給していた中国では、賃金の上昇により就労目当ての留学が急激に減少、むしろ相応に裕福だが、欧米に留学するほどの頭脳や資金を持たない中間層の留学が増え、日本のブラック労働に耐えられなくなっている。結果、日本で厳しいアルバイトをしているのはベトナムやネパールなどの出身者に移行している。だが、そのベトナムも近年では賃金の上昇が著しく、時間の問題とされている。そうなると、アフリカや中近東から呼び込むしか無くなるだろうが、日本の労働市場にそこまでの魅力があるかどうか。

つまり、財界の代弁者である自民党が「安価な外国人労働力」を求めれば求めるほど、日本の労働市場は外国人にとって魅力を失うという関係にある。その結果、悪質な労働環境や待遇は改善されないまま、労働力も賄えず、同時に低賃金労働者の長時間労働に依拠する生産効率の改善もままならず、生産性も上がらないし、生産性の向上に伴う賃金上昇や消費拡大も起こらないという悪循環にある。

いずれにせよ、学生の本分は勉学にあり、それ以外の雑事は最小限度に止める環境を整えるのが「健全な国家」のあり方であるはずだが、現実には初中等教育は行事と部活動が勉学を阻害し、高等教育は低賃金で働くか大借金をしないと学べないという環境を強いている。
posted by ケン at 12:17| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

Triumph and Tragedy (GMT)

「三人ゲームの名作」と名高いGMT社「Triumph and Tragedy」を初プレイ。寄る年波に勝てず、2度も延期になっていただけに待ちかねたくらいだった。
第二次世界大戦の全容を、英独ソの3人で、開戦前の1936年からプレイする「マジか?」という規模の作品。この規模になると、ほぼほぼプレイ不可能なビッグゲームになるか、アッサリしすぎて「独軍のダイス目次第」になるかのどちらかなのだが、本作は従来の超戦略級とはひと味違うらしい。しかも、懐かしさを感じる積木ゲームというところも良い。
ケン先生は何故かこの手の超戦略級が好きで、あれこれ試してみるのだが、毎回「やっぱりダメだな」を繰り返している。道楽者である。

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本作は、各陣営が有する生産力を使って、軍備(積木)、外交カード、技術開発カードを購入する。開戦前は、外交戦をやったり、工場を建てたり、技術を開発したりするが、一度開戦すると、作戦カードを兼ねる外交カードを使って軍を動かし、攻撃する。
軍備、外交・作戦行動、技術開発はトレードオフの関係にあり、どれを重視するかはプレイヤー次第となるし、他者の行動を見て自分の行動を変える必要も生じる。

「生産力その他で25VPにする」「自陣営外の首都級都市を2つ占領する」「核開発を4レベルにする」という、3つある勝利条件のうち一つを達成すればサドンデスに終わる。

全てにおいて自由度の高さが(史実再現性よりも)優先されており、ドイツが一切宣戦布告せずに済ませることも可能なら、ソ連が南下政策を実行して連合国に宣戦布告してインドになだれ込むことも可能なのだ。
とはいえ、システム的に、前段階の外交戦が飽和しても勝利が得られないとなると、他陣営に宣戦布告してVPをゲットするかという話になるため、あまり突飛な選択はやはりしづらい気もする。
この日は11時から始めて7時までに2プレイ(2回目は途中講和)できたが、初回ということを考えても、相当にプレイ・アビリティは高い。

初回、ケン先生は連合国(イギリス)を担当。O先輩がドイツ、T後輩がソ連を持った。連合国もソ連も自国の生産力拡張を優先して、ドイツ外交を半ば放置していた結果、1940年くらいまでの中欧や北欧は真っ黒に染まり、「平和の配当」(前ターンに戦争行為をしていない)と核開発(1段階につき1VP)で25VPを達成し、平和状態のまま41年冒頭にドイツの勝利宣言がなされサドンデスに終わった。
「平和の配当」はランダムのチットで0〜2VP(平均で0.6)あるが、平均をはるかに上回る6VPを得て、核開発の1VPを含めて7VP、経済力(人工と工業力)の18VPを足して25VPとなったわけだが、3時間程度で終わってしまい、「あれ、もう終わり?」という拍子抜けの観は否めなかった。

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2回目は、ソ連と連合国が入れ替わる。前回の反省を込めて、ソ連も軍備と外交にそれなりに注力するが、衛星国化できたのはペルシア、ギリシア、オランダなどで今ひとつ。ドイツは今度は外交では無く、軍事力で中欧諸国の併合を進めるが、むしろ外交よりも時間がかかり、「平和の配当」が得られない分だけ不利な印象。ポーランドをドイツに併合されてしまったので、ソ連がバルト三国とフィンランドに侵攻したのは「お約束」な観がある。
中立国侵攻では、必ず中小国要塞が先制攻撃してくるので、なかなかノーダメージでは併合できず、さらに中立国の大きさによって数枚の外交カードが他の2国に配られる(国際情勢への影響)ため、少なくともお得感は無い。
最終的には、今回も中欧が真っ黒に染まるも、微妙にソ連が邪魔している形となる。ただ、ソ連もドイツも互いに攻め込むには戦力的優位を持たず、「先にやったものが負け」なイメージ。
連合国はどこまでも非力で、アメリカが陣営に加わって初めて二陣営に対抗できるイメージ。初期工業力が低い割に守るべき場所が多すぎて、「欧州大戦なにそれ?俺を巻き込まないでよ」みたいな感じ。
最終的には、1940年冬まで開戦せず、三すくみの状態のまま時間切れ終了。VP的には、ドイツ21、英ソ19で拮抗していた。三人プレイで、ドイツがやや強いものの、それなりに拮抗しているので、二者が戦争に突入すると、残る一者が得するだけの構造になるため、どうしても「戦争始めたものが負け」という印象がある。

総評としては、シンプルなルールとシステムながら、プレイ順の決め方を始めプレイが単調・一方的にならないための処理が非常に巧みで、三陣営のバランスやマップの作り方も見事だ。
だが、いざプレイしてみると、どう見ても防御側有利で、始めから軍事的勝利を目指さない限り、軍事力で一方を屈服させるのは難しい。例えば、本ゲームでドイツがフランスに侵攻した場合、ソ連としてはドイツの背後を襲いかかるか、一緒に連合国に宣戦布告してインドに侵攻するか、二つの選択肢があるが、どう見てもソ連が得るものの方が大きい印象がある。「三人用ゲーム」の常ではあるが、「戦争始めた者が不利」であるため、よほどのことが無い限り、他陣営に宣戦布告するのはリスクが大きい。

また、平時の処理は非常に良くできているが、肝心の軍事については、例えば空軍が陸軍部隊に対して「D6で1のみ」でしかダメージを与えられないとか、歩兵が「3以下」なのに対して戦車が「2以下」でしかダメージを与えられない(先制権はある)とか、「歩兵だけでいいんじゃね?」と思わせてしまうところがあり、ウォーゲームとしては微妙なところがある。とはいえ、この点は今回結局大国間同士の戦争が起きなかったため、どうなるのか分からず、判断は保留すべきだろう。

欧州大戦の全容をシミュレートし、かつプレイ・アビリティに優れ、展開も無数の可能性があり、この規模のゲームでは私としては初めて「アリ」と思わせてくれる作品に仕上がっているが、「このゲームは戦争したら負けなんじゃね?」という根本的な疑問が残り続けている。プレイヤーや組み合わせを変えて、もう一度検討したいものだ。
そういえば、やはり15年くらい前に同社の「Europe engulfed」という戦争に特化した欧州大戦の積木作品を買って、一度並べただけで納戸にしまい込んでいるので、いずれ引っ張り出して比較してみたいところである。
posted by ケン at 09:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

第一次世界大戦が日本にもたらしたもの

ボスが憲法記念日に出す声明文の原稿をチェックしていたところ、「日本の(が参戦した)4つの戦争」という表現を見つけ、ダメ出しをした。単純に第一次世界大戦が抜け落ちていたのだが、一般的には見落としがちなのかもしれない。学校の日本史でもあまり重要視されないため、よほど自主的に近代史を学び直さない限り、能動的な知識にならないのかもしれない。
確かに、日清・日露戦争や日中あるいは太平洋戦争のような主役での参戦ではなかったものの、日中戦争、特に太平洋戦争の主たる原因は、一次大戦の結果生じたものと考えるべきだからだ。

日本が一次大戦に参戦したのは、ドイツの東洋艦隊に対する抑え役が欲しいイギリスが、日英同盟に基づいて日本に参戦要請したことに起因している。
日本はまずドイツ東洋艦隊の根拠地である青島と膠州湾を攻略、占領するが、後に中国の袁世凱政権に対して「対華二十一箇条要求」を行い、ドイツの中国利権の委譲を始め、新規利権を含めて様々な特殊利権を、軍事力を背景に求めた。袁政権がこれに屈すると(「汚い取引」の側面もあるが)、五四運動や中国内戦の原因に転化(点火?)していった。三次にわたる山東出兵の原因にもなっている。
これ以降、日本の対中利権が既得権益化し、そのさらなる拡大を求めて帝国主義的進出(侵略)を加速化させてゆく。上海事変、山東出兵、張作霖爆殺、満州事変は全てその延長線上にある。
また、日本の中国進出が、特に自由貿易(門戸開放)を掲げるアメリカの態度を硬化させ、日米対立の遠因になってゆく。

さらに、戦勝によって日本は南洋諸島の委任統治を継承するが、財政や資本の裏付けの無いまま広大な領地・領海を獲得し、その維持負担が重荷となる。それだけならまだ良いが、アメリカは植民地たるフィリピンやグアムなどの連絡線を日本によって遮られる形となり、いわばその生命線を握られるところとなった。ひとたび関係が悪化すると、そのリスクは際限なく上昇するわけだが、逆に日本は対米関係の悪化を想定して軍拡に走らざるを得なくなり、どう見てもマイナス要素の方が大きかった。

実際、アメリカは一次大戦後、日本を大きなリスクと考えるようになり、まず「四カ国条約」を提唱して日英同盟を解消させ、中国との関係を強化し、対日包囲網を想定しての外交を進めた。これに対して、日本は国際連盟の常任理事国にはなったものの、日英同盟を失い、日露協商も反故にされ、日中関係は悪化の一途、日米は常時緊張状態という外交的孤立に追い込まれていった。この孤立が顕在化した時、日本は日独伊三国同盟に活路を見いだし、第二次世界大戦に突入してゆくことになる。

そして、ロシアで革命が勃発すると、火事場泥棒的にシベリアに傀儡政権を打ち立てるべく、宣戦布告無しで内戦に武力介入、これが「シベリア出兵」となる。日本軍は7万3千人を出兵し、白軍(反革命軍)などと連携して4年にわたる内戦に参加、ロシア側は住民含めて40万人とも言われる被害を出した。これが切っ掛けとなり、ソ連は日本を極東地域最大の脅威と見なし、二次大戦末期の満州侵攻に繋がっていった。

一次大戦の経緯を無視して、二次大戦の原因だけ見ると、どうしても陰謀論に傾いてしまうので、真摯に学び、慎重に検討する必要がある。

【追記】
一つの事象にのみ囚われると全体を見失いやすい。例えば、ソ連のアフガニスタン介入にしてもチェコスロヴァキア介入にしても、事象だけ見ると「悪の帝国がまた・・・・・・」という話になりがちだが、原因と結果を丹念に追えば、全く異なるものが見えてくる。また、日露戦争の原因のように、従来の研究が日本側の視点に偏っていた結果、かなり客観性を欠いてしまうケースもある。いずれも本ブログの記事を参照して欲しい。

・ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程 
・「プラハの春」とカーダールの苦悩 
・「プラハの春」−ソ連の対応と誤算 
・日露開戦の代償−開戦経緯を再検証する 
posted by ケン at 12:52| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

フランスは今日もグダグダ

【ルペン氏「国民は変わらない政治に投票した」】
 7日に行われたフランス大統領選の決選投票で、極右・国民戦線のルペン氏は約34%を得票した。ルペン氏への支持は自国を優先する内向き志向がフランスに広がっている状況を示している。「国民はこれまでと変わらない政治に投票した」ルペン氏は7日夜、パリでの集会でこう語り、悔しさをにじませた。選挙期間中、ルペン氏は反グローバル化や欧州連合(EU)離脱を掲げ、EU統合を推進するマクロン氏と真っ向から対立した。マクロン氏の地元にある、国外への移転が決まっていた工場に乗り込んで存続を訴えるなど、地域や住民を二分しかねないテーマを争点化した。国民戦線はもともと移民が多い南部が地盤だが、産業が衰退した北東部で保護主義的な政策を訴え、支持を伸ばしてきた。市場の国際化が進み、激しい価格競争を強いられている農民らへの浸透も進む。
(5月8日、読売新聞)

【「マクロン氏辞めろ」仏で大規模デモ 大統領選一夜明け】
 フランス大統領選の決選投票から一夜明けた8日、次期大統領に決まったエマニュエル・マクロン氏に反対する大規模なデモがパリ市内であった。就任は14日だが、デモでは辞退を求める声もあり、今後の政権運営の厳しさをうかがわせた。デモは左派系の市民団体などが呼びかけた。パリ中心部のレピュブリック広場からバスチーユ広場まで、約1・5キロメートルの大通りいっぱいに並んで行進した参加者は「1日で十分。マクロン氏は辞めろ」「7日は(敗れた右翼・国民戦線の)ルペン氏と戦った。今日はマクロン氏に抵抗する」などと訴えた。デモ隊と警官隊が衝突する場面もあった。今回の決選投票の投票率は歴史的な低さで、マクロン氏は国民から広範に支持を得ているわけではない。パリに住むIT技術者のアメリエ・ゴーティエさん(43)は「マクロン氏が掲げる労働規制の緩和で、労働者は守られなくなる。市民の本当の生活を分かっているとは思えない」と話した。
(5月9日、朝日新聞)

当選したマクロン氏は決選投票で65%を獲得したものの、これは有効投票中の得票率であり、実は投票率そのものは74%で、投票数の11%(約400万票!)が白票・無効票だったことを考えると、全有権者の43%からしか支持されておらず、ルペン氏は同22%であったことが分かる。
そもそもマ氏が勝利したのは、本来の保守派候補がスキャンダルで脱落し、相対的に支持が上回ったためであり、議会に支持基盤を持たないことを加えても、相当に厳しい政権運営を余儀なくされるだろう。

一方、ル氏は決選投票を意識しすぎて、「脱EU」を撤回してしまうなど自らの主張を徹底できなかったことが徒になってしまった感じがある。ル氏としては、「フランス・フランの復活で金融政策の自律性を取り戻し、保護貿易で国内産業を独自に再建、国内雇用を確保して景気を回復する」「露仏同盟でドイツ・中欧同盟を包囲する」と堂々と主張した方が、勝てないまでも票を伸ばしたはずであり、「次」へのチャンスも残したはずだった。一回目の投票で反EU票はメランションや他の左翼票を含めて43%以上に上ったのだから、「脱EU」は十分な対抗軸になり得た。
ゲーム的に表現するなら、目の前のわずかな得点に固執して大局を見失った形で惜しいところだ。

マ氏の政策は、オランド氏の新自由主義路線を加速させるだけの話で、基本路線は従来のものを踏襲している。その意味でル氏の敗戦の弁は正しい。新自由主義路線は、さらなる移民や外国人労働者を呼び込んで、国内の労働条件を悪化させ、経済格差や地方の疲弊を加速させる可能性が高く、同時にフランスのドイツ従属(欧州銀行への従属)を強める結果にしかならず、「反EU」「排外主義」「保護貿易」支持層を増やすのは間違いない。EUというのは、域内での経済的自由を保障する一方で、地域の経済的自立を保障せず、かといって日本の地方交付金のような域内の格差を是正するシステムも無いだけに、圧倒的に「強い者が勝つ」システムで、敗者を救済する術を持たない。
つまり、「親EU」のマクロン氏の政策は、「敗者」を増やすと同時にフランスが弱者を救済する術を持たない(経済自律性の放棄)ことを宣言するものであり、構造的に「反EU」の支持層が増える形になっているだけに、ルペン氏は勝負を急ぐべきでは無かった。

それにしても、毎度のことだが、世界あるいは欧州情勢が混沌としている時は、フランス政治が真っ先にグダグダになってしまうのは、もはや「お家芸」と言えるレベルだろう。

【追記】
先日、フランスの専門家の先生がマクロン大統領に期待する旨の話をされていたが、「お前のエリート主義とリベラリズムがポピュリズムの源泉になっているんじゃねぇか!」と叫んでやりたかった。
posted by ケン at 13:42| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする