2019年02月07日

Stalingrad: Verdun on the Volga (LSG)

一部で話題になっているLast Stand Games社「Stalingrad: Verdun on the Volga」を初プレイ。
ケン先生が仮訳を作成したが、ルールは簡潔で英語も基本的に分かりやすかったので、翻訳もスムーズに進んで助かった。

デザイナーのMichael Rinella氏によれば、システム的にはターニングポイント・スターリングラードを踏襲しているも、いくつか不満があったという。
それは、現実のドイツ軍が市街戦で損害を増やし、戦力をすり減らして攻勢を頓挫させたのに対し、従来作ではドイツ軍の損害が殆ど反映されていないこと。またソ連側が一方的に叩かれる傾向が強いものの、史実ではソ連側が果敢に反撃して、少なくない打撃をドイツに与えていること。そして、ソ連崩壊後に新資料が公開されて、戦闘序列に訂正を要すること、を挙げている。

確かにアルンヘム・システムではあるが、ユニットがステップを持っているし、行動を行っても行動済みにはならず、理論上は1ターンに何度でも行動できるなど、違うと言えば違う部分もある。が、全体的には簡潔で違和感を抱くほどのことはない。
また、全体のユニット数も少なめで、1エリアのスタック制限は各軍4つと非常にコンパクトになっており、管理しやすい。プレイ・アビリティも格段に向上している。ターン数も基本シナリオでは5ターンしか無い。

実戦はK先輩とO先輩がドイツ軍、ケン先生が赤軍を担当。実際には二人で十分プレイ可能そうだ。
第一ターン、ドイツ軍は南部と中部で全面攻勢を開始。そこここでオーバーランが発生、あれよあれよと一部ではヴォルガ岸まで辿り着かれてしまう。ソ連軍の防衛線は一部で突破されたものの、ギリギリのところで戦線は維持される。
オーバーランは防御側が戦闘損害を吸収できない場合に発生するが、森林や瓦礫のあるエリアでは発生しない。また、ソ連側は1ターンに一回だけ「人民英雄」を使って阻止することができるが、これの使いどころが非常に難しい。全ての箇所できっちり守ることなどは不可能で、「どこを抑えて、どこを諦めるか」の判断も慣れないと難しそう。

第一ターンは奇襲効果や「十分な準備」があり、最終の第11インパルス(12は自動的にソ連用の夜インパルスとなる)まで攻勢が行われ、ソ連側はボロボロに。しかし、本作では攻撃側は必ず先導ユニットが1ステップの損害を受けるため、ドイツ側は十分な成果を挙げた一方で、戦力的にはすっかりすり減ってしまっている。この双方のプレイヤーが「もう無理」と感じる辺り、非常に史実に近いというか、銀一郎イズムで言うところの「現場指揮官のジレンマ」が非常に良くシミュレートされている。

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第二ターン以降、ソ連側は十分な補充を駆使して防衛線を固めて行く一方、ドイツ側は補充が追いつかず、突進力はどうしても減退して行く。特に防御力の高い市街地では、スツーカの支援が不可欠だが、各ターン2回しかできないため、航空支援を使って落とせないと非常に厳しい戦いになる。ソ連側は「いつもの」浸透戦術を使って完全戦力の部隊を送り込んで行くので、一ユニットでも残ると消耗戦が繰り返される。
従来作ではドイツ側に損害が出ないため、延々と攻撃が繰り返されたが、本作では攻撃側の戦力がすり減って行くので、ドイツ側はどんどん苦しくなって行く。

それでも第三ターンにはママーエフ墓地が陥落、ヴォルガ河沿岸も4エリア、6VPを確保し、勝利条件である10VPが見えるに至った。
だが、ドイツ側は戦力がすり切れる一方、ソ連側の防御は堅くなるばかり。赤軍の浸透戦術を抑えるためには、史実通りに全てのエリアからソ連軍を排除する必要があるが、それだけの戦力はドイツには無い。

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第四ターン、新たな増援を得たドイツ軍が北部から大攻勢をかけ、一部でオーバーランが発生するも、後続部隊が足りず、ヴォルガ河に辿り着く前に攻勢限界に達した。ここで「5ターン終了時までに10VPは無理」と判断され、投了となった。

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色々ルールを確認しながら約6時間プレイしたが、第一ターンだけで2〜3時間はかかっている。慣れれば4〜5時間くらいでプレイできそうで、プレイ・アビリティは非常に高い。
ただ、ドイツ側は非常にパズルチックな思考が求められ、先の形を想定しながら攻勢全体を構想する必要があるため、かなり負担が大きそう。
しかも、独軍の初期配置が悪形であるため、熟練プレイヤーは悪態をつきそうな感じ。
ソ連側はあまりプレイに選択肢がないものの、守る場所や優先順位を間違えると大惨事を招いてしまうため、「本当にこの配置でいいんきゃ?」と胃が痛くなるような感じ。
ソ連側が難しいのは、きっちり守まもることは最低条件で、必要に応じて有効な反撃を行って、ドイツ軍の後方を脅かすような作戦を採らないと、ダメかもしれないところにある。が、反撃は過少な戦力を減退させてしまうだけに、素人や初心者がやると、あっさり大惨事が起きそうな気もする。まぁゲームとしては、それ位の方が楽しそうではあるが。

独ソともに「超苦しい」というのは、完成度の高い作品であることの証左なのだが、それだけ精神衛生上あまりよろしくないゲームであることも示している。
まだ一度プレイしただけだが、価格を除けば、非常に完成度の高い優れた作品であると言えそうだ。

【追記】
仮訳(しかもプレイ例は半分しか訳していない)でよろしければ、個人的にルール訳を提供しますので、希望者は kenuchka@ヤフー.co.jp までご連絡ください。
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2019年02月06日

報道に見る知的劣化

NHKスペシャル「朝鮮戦争 秘録〜知られざる権力者の攻防〜」を見る。
全体の出来は悪くないし、興味深い映像が多く、「さすがNHK」とは思ったのだが、決定的な問題もあった。
肝心の戦争勃発について、非常に説明が少なく、殆ど「北朝鮮が突然攻めてきた」みたいな話になっている。

現実には、当初朝鮮半島の処遇は、米ソ協議などを経て信託統治を経て統一選挙を行う予定だったが、まずアメリカが反共に転じたことや李承晩らの要求もあって約束を反故にし、結果南北ともに分離独立から武力統一路線に突き進み、最終的に北が戦端を開いている。これは現在ではほぼ定説になっているが、NHKは最後の部分だけ抜き出して「北朝鮮が攻めかかってきた」としてしまっているが、かなり恣意的な歴史解釈と言わざるを得ない。
さらに言えば、米側の最終責任者だったマッカーサーは戦争が始まるまでに一度しか朝鮮に行っていないことや、中国側では毛沢東を除いてほぼ全員が参戦に反対していたことについても、叙述が無いと相当に偏った歴史解釈を強いることになる。

【参考】
『朝鮮戦争全史』 和田春樹 岩波書店(2002)
『毛沢東の朝鮮戦争―中国が鴨緑江を渡るまで』 朱建榮 岩波現代文庫(2004)

こうした恣意的あるいは認識不足に基づいた歴史解釈は、報道機関のあらゆるところに蔓延している。
最近では朝日新聞が、外務省の見解を丸呑みして北方領土問題を解説しているが、記者は日ソ共同宣言もロクに読んでおらず、ソ連側資料や日本の交渉当事者(例えば松本や重光など)の回顧録、あるいは日本の国会会議録など全く読まずに記事を書いており、60年代以降のプロパガンダを踏襲してしまっている。
NHKはNHKで、近年日露戦争もののドラマを制作したにもかかわらず、相変わらず1970年代水準の「ロシアの南下政策を食い止めるために、やむを得ず日本は立ち上がった」式の歴史解釈を披露している。
この連中の頭は「鎖国は日本古来の伝統的政策」と思い込んでいた幕末の勤王志士と同レベルである。
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2019年02月05日

「砲兵」から見た世界大戦ー機動戦は戦いを変えたか

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『「砲兵」から見た世界大戦―機動戦は戦いを変えたか』 古峰文三 パンダ・パブリッシング(2017)

ブログで連載された記事をオンデマンド出版したものだが、非常に興味深かった。
砲兵の立ち位置や戦場における価値あるいはドクトリンが、一次大戦から二次大戦にかけて、どのように変質したかを描いている。

第一次世界大戦の主役だった砲兵は、その鈍重さから一次大戦までは兵器として重視されておらず(肝心なときに使えない)、一次大戦の塹壕戦に至ってようやく価値が認められたもののの、一次大戦の終結とともに軍事費の削減で忘れ去られてしまう。
砲兵中心の火力主義を、予算上と同時に人命重視の観点から覆したのが電撃戦、機動戦理論だった。
しかし、電撃戦も戦争の長期化に伴う、ソヴィエトや連合国の火力重視の前に潰え、最終的には火力優勢を得た方が勝利するに至った。
ドイツによる電撃戦は砲兵支援に代わる近接航空支援があったからこそ有効打を与えられたのであって、航空優勢が失われると、その威力は激減してしまう。

例えば、イギリス軍の戦車損失の要因をみると、北アフリカ戦線では対戦車砲によるものが40.3%、戦車によるものが38.4%だった。しかし、ノルマンディ以降になると、対戦車砲22.7%、戦車14.5%、間接砲撃・空襲などが40.7%となっている。
この辺は「パットンズ・ベスト」をプレイしたことがあるものなら、ある程度は納得できるが、やはり実感としては「そんなものだったのか」という感慨を抱いてしまう。
結局のところは、通信網の整備による砲兵支援の精度向上が決め手になるようだが、精度が低いと無駄撃ちが多くなって、消耗戦になってしまう。こうした課題は現代においても有効で、中東などにおけるアメリカ軍の空爆が決して決定打になり得ないことも、改めて理解させてくれる。

戦間期のドクトリンの変容と戦況の推移がどのように関わっているのか、エル・アラメインで起こったことの本質(英軍の火力集中と独軍の支援不足)、ソ連軍がなぜ強かったのか、日本軍がなぜ(意外と)頑強に戦えたのかなど、色々「目から鱗」のことが書かれている。
非常に簡潔にして要点を抑えており、いささか物足りないくらいではあるが、中途半端に戦史をかじっているものだからこそ、「なるほどそういうことだったのか!」という発見が得られる貴重な一冊と言える。
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2019年02月04日

ストロングホールド第五戦

何気に回転率の高いストロングホールド。
ボドゲながらハードなつくりで、コアなシミュレーション・ゲーマーを納得させるだけのものがあるのも一つの魅力。
運の要素が抑えられつつも、完全に排除するではなく、ターンや時間管理の扱いも、単純に相互に一アクションずつプレイするのではなく、「攻城側が動いただけ」籠城側もアクションできるという仕組みが非常に優れている。
攻城戦の精神的ストレスを見事に再現しているため、プレイ後の疲労感がハンパないのだが、そこがまた良いのだ。

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今回はT後輩とプレイするが、ケン先生が攻城側を選択する。
敢えて戦力を分散させて、かつ波状攻撃をかけるという、一見愚策な作戦を採用。
籠城側の守りを分散させて、最後の最後に突破点を見極めようという考えに基づく。

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が、波状攻撃をかけると、やはり戦力が足らず、籠城側に殆どダメージを与えられない。
しかし、先に攻撃を始めた箇所に防御が集中するという目論見は的中していた。
4ターンまでに2度攻撃を行うがほぼノーダメージ。
だが、カタパルトなどの攻城兵器が命中し出すと、籠城側も少しずつ苦しくなってくる。

とはいえ、どうも攻めの戦力集中が足らないようで、どうにも突破点が見いだせず、ケン先生的には「厳しいな」と観ていた。
そこに第六ターン、籠城側が功を焦って、一部に防御戦力を集中させたところ、一カ所に「隙間」が生じ、攻城兵器と儀式魔法を集中、大穴を開けて突破に成功、攻城側の突然の勝利に終わった。

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普通に守っていれば籠城側の勝利は堅かったが、変に攻勢防御を行おうとして失敗したのだ。
いや、まだまだ勉強になるが、6時間プレイして最終ターンに届かないって、どうよというところはある。
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2019年02月02日

21世紀に王政復古の何故・下

(前回の続き)
話を戻そう。
リベラル・デモクラシーは、資本と労働者の双方が歩み寄ることで成立していたが、いまや資本側に歩み寄るだけの理由はない上に、利潤が低下しているため、労働者から搾取を強化することでしか利潤が維持できなくなっている。つまり、先進各国ではリベラル・デモクラシーの前提条件が瓦解しており、労働強化・搾取強化・外国人労働者の導入・非正規化の促進(社会保障の適用除外)などが進められている。ところが、労働者側は完全に分断されていることと、中間層への懐古(俺は下層じゃ無いという意識)から、資本に対抗する術を持たなくなっている。
例えば、日本の場合、労働人口の約4割が社会保障の適用外にある非正規雇用となっているが、彼らの政治的意思は政界に殆ど反映されていないため、搾取されるがままになっている。

議会制民主主義の弱点は、議会が民意を代表する権能が失われると、権力の正統性をも失ってしまい、国民統合や階級対立を抑制する機能まで失われてしまうところにある。民意を代表する議会が、官僚を中心とするエリートを制御・統率することができなくなって、エリートが完全に資本や統治者への奉仕者になってしまうからだ。
また、民族国家や国民主権の概念は、可能な限り同質な「国民」の存在が前提となるが、階級分化や社会対立が先鋭化すると、成り立たちにくくなってしまう。
現代の場合、階級や社会の細分化が進んでいるため、革命を担うだけのまとまった勢力も生じにくい環境にあり、不満と不安ばかりが沈殿してゆく。

こうした不安定な社会構造をまとめるためには自由主義や民主主義は不適当だ。自由主義は階級対立を促進するばかりの上、現代の場合、エリートが統治者(官僚)になることを忌避する傾向が強く、エリート支配そのものが成り立ちにくい。また、民主主義は社会や階級が細分化されすぎて、民意の最大化が図れず、何をどう決めても多数派が不満を持つという話になっている。

これらの要素を回避するためには、何らかの権威を有する者が、権威と暴力をもって社会全体を押さえ込み、強権的に対立を抑制、権威に基づいた統治と再分配を行うシステムが、「よりマシ」という結論に導かれる。
米欧が統治不全に陥る一方、中国やロシアが比較的安定しているのは、経済的な理由ばかりではない。例えば、中国の場合、権威主義であるが故に、徹底した腐敗撲滅運動が行われ、今では殆ど賄賂が要求されなくなっている。また、共産党が政権を握っているがために、ドグマ上表だっては労働者階級の搾取ができず、今でも平均所得以下の層には所得税が課税されていない。これに対して、日本では不正と腐敗が蔓延、政府と自民党は「いかに中間層以下に課税するか」ばかりを検討している。

今となっては中国の例は一般的とは言えないかもしれないが、「主権を放棄したい市民」「民意を代表しない議会」「階級対立抑止に関心が無いエリート」などの要素は権威主義の苗木となる。そうなると、「血筋」「神の恩寵」などの理性では理解不能な権威による、階級対立の強制的抑止を望む声が高まったとしても、何ら違和感は無いし、現に欧州を中心にそうした気運が高まりつつある。
血筋に依拠する王が統治の正統性を担うなど、近代概念の信奉者からすると悪夢でしか無いのだが、リベラル・デモクラシーに替わる統治概念が提示されない以上、その実現性は今後さらに高まって行く可能性がある。
本件は今後も考察を進めたいと思う。
posted by ケン at 00:00| Comment(6) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

21世紀に王政復古の何故・上

欧州を中心に王政復古派が少しずつ勢力を増しているという。
共和主義者・天皇制廃止論者の私としては非常に憂慮すべき事態だが、その背景事情を鑑みれば、むべなるかなとも思ってしまう。

最大の要因はデモクラシーの空洞化であり、それに起因する議会制民主主義の機能不全にある。
デモクラシーは「クラシー」という語尾が象徴するように思想ではなく、本質的には社会政治構造を指す。最大多数の主権者意思を政治に最大的反映させることを旨とするシステムだ。
デモクラシーが近代国民国家と歩調を合わせ、ともに発展してきたのは、産業革命による富の拡大に始まり、次いで国家・資本による戦力動員・労働力動員が不可欠となって、市民の政治参加を認めることが対価にされたところが大きい。大まかに言って、普通選挙が広まったのが第一次世界大戦、女子に選挙権が付与されたのが第二次世界大戦であることは非常に象徴的だった。
労働者階級によるストライキやサボタージュを最小限度に留めるためにはデモクラシーが不可欠だったと言える。

第二次世界大戦後も米欧日で曲がりなりにもデモクラシーが維持されたのは、経済的繁栄と米ソ対立を前提とした階級和解(休戦状態)が担保されていたからだった。ところが、1990年代に、西側諸国の没落が明らかになってくると、米ソ冷戦が終わったこともあり、階級和解は反故にされる。中間層の増大によって、社会民主主義政党の力は弱まっているか、政治力や対資本交渉力を失っており、労働時間規制の緩和、非正規化・請負化、脱時間給、成果報酬制度の導入など労働者階級の分断が図られると同時に、消費増税や所得増税などによって中間層に対する収奪が強化され、一方で法人税の引き下げや銀行支援などによって資本の延命と優遇が進められた。

民主主義諸国では階層分化が進む中、投票率は低下の一途を辿り、国政選挙で5割前後の投票率が常態化しつつあるが、これはデモクラシーの空洞化を意味する。
投票率の低下は階層分化と相まって、相対的に社会的エリート層による独裁を実現させている。
例えば、2017年6月に行われたフランス国民議会選挙では、マクロン氏を支持する新党「共和国前進」が全議席の6割を超える308議席を獲得したが、第一次投票の得票率は28%に過ぎず、しかも投票率は5割を切る有様だった。つまり、全投票者のうち「前進」に投票したのはわずか13%でしかなかった。が、結果的に、フランス式の決選投票で大勝しただけの話で、第二次投票の投票率は42%にまで低下している。
国民議会選挙の第一次投票で、13%を得票した国民戦線(右派)はわずか8議席、同11%の「不服従のフランス」(左派)は17議席を獲得したに過ぎない。この二党だけで投票者の約2割が「民意を示したのに議会に反映されなかった」わけだ。
日本においても絶対的得票率で20〜25%しかない自民党・安倍政権が国会に圧倒的議席を擁して6年以上に渡って政権を握っている。

これらは議会制民主主義がもはやデモクラシーを体現するシステムとしては機能しなくなっていることを意味している。
その結果、フランスでは選挙で主権者の意思を反映させられなかった「少数派」の市民が10万人単位でデモあるいは「暴動」を起こす事態となっている。フランスの情勢は、支配者層と非支配者層、有り体に言えば階級対立が先鋭化し、議会制度では抑えられなくなっていることを示している。

ヨーロッパでデモクラシーや議会制民主主義が機能不全に陥っている理由はもう一つある。それはEUの存在だ。
欧州連合の成立によって、欧州各国は財政金融政策の自律性をEU政府に奪われてしまった。これは実のところ主権の重要な一部が民主的根拠を持たないEU官僚に奪われ、各国の主権者が主権を行使できない状態にあることを示している。ギリシア、スペイン、イタリアなどで長く混乱が続いている一因はまさにここにある。
自律的に財政出動ができない欧州諸国では、再分配機能が急速に低下、難民や移民の受け入れによる失業率の向上や待遇悪化も相まって、階級対立がますます先鋭化している。いわゆる「リベラル」層が難民や移民の受け入れに寛大であるのは、安価な労働力を欲するが故であり、人道主義はあくまでも小奇麗な看板でしかない。

またアメリカの場合、もともと選挙人登録したエリート市民しか投票できない仕組みになっているが、それでも「民意」で選ばれた大統領と議会が対立を先鋭化させて一ヶ月も政府機関が閉鎖する事態になっている。その議会も「ロシアの介入」をブチ上げることでしか求心力を維持できない有様にある。
ヨーロッパや日本を含めて、「市民が良心に従って適切なエリートを選別し、選ばれたエリートが民意を反映させつつ統治の責任を負う」仕組みがもはや機能しなくなりつつあるのが現状なのだ。
例えば、フランスにおけるオランド政権やマクロン政権の統治不全、日本の霞ヶ関における統計改竄や自民党による国有資産の私的売買などは、「エリートが統治の責任を負う」仕組みが成り立たなくなっていることの証左と言える。エリートが失政の責任を負わないと、市民の信頼が失われると同時に、失政による負の連鎖が止まらなくなる。フランスでも日本でも国政選挙の投票率が5割前後にまで低下しており、「選挙によって失政の責任を追及し、統治者を代替する」機能が作用しなくなっている。

この場合、統治者は安定した民意の支持を持たないため、どうしても支持を回復するための博打を狙いがちになる。銀英伝における同盟軍の帝国本土侵攻作戦などはその最たる例だが、現実の日本でも満州事変や盧溝橋事件に始まる日中戦争などがそれに値するし、さらに古くは日清戦争もそうだった。
日清戦争などは、当時の帝国議会は高額納税者しか投票できない非民主的な議会だったにもかかわらず、開戦論が沸騰、議会に支持基盤を持たない伊藤は、総理の座を保つために開戦に踏み切るほかなかった。
(以下続く)
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2019年01月30日

ロマンティック・ロシア展

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トレチャコフ美術館の「ロマンティック・ロシア展」に行く(終了済み)。
滑り込みセーフだった。やはり東京は良い。
中国でも大都市部は美術や芸術のインフラが整いつつあるも、日本のレベルには遙かに及ばない。やはり日本の場合、戦前から培ってきた知識と経験、そして諸外国の美術館との深い関係があることが大きい。
中国の美術館や博物館は建物こそ新しくて立派だが、展示の質はまだまだな感じだ。

本展は19世紀後半のいわゆる「移動派」を中心に、風景画と人物画を展示している。
ロシアの風景画というのは独特の色使いがあって、一見単調な風景の中にロマンと懐古を見いだすことができる。従って、単調と言ってしまえばそれまでだが、そこに何を見いだすことができるかは観る側のセンスや感覚が問われる。想像力が必要なのだ。
何よりも光の使い方が非常に美しい。

クラムスコイ、シーシキン、クズネツォフらの魅力を余すこと無く堪能できる。作品の選別も非常にセンスが良く、トレチャコフに実際に行くよりもむしろコンパクトに凝縮して楽しめる。トレチャコフやロシア美術館は大きすぎて、途中で集中力が切れてしまうところに難があるからだ。

本展だけでも一時帰国して良かったと思える。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする