2017年07月14日

3割サイコパスの永田町

【<豊田議員の暴行疑惑>元秘書が被害届提出 県警、傷害容疑で捜査へ】
自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=の暴行疑惑で、政策秘書を務めていた50代男性が県警に被害届を出していたことが7日までに、関係者への取材で分かった。埼玉県警は豊田氏から事情を聴き、傷害容疑などで捜査する方針。関係者によると、元秘書は6月27日、県警に被害を相談し、今月6日に改めて被害届を提出したという。豊田氏の暴行疑惑を報じた週刊新潮や同誌がネット上に公開した音声などによると、豊田氏は5月、運転中の元秘書に「私が受けた痛みがどれだけか分かるか」「このはげ」「死ねば」などと罵声を浴びせ、頭や顔を数回殴ってけがを負わせたとされる。事務所関係者は、元秘書が高速道路の出入り口を間違ったことなどから豊田氏が激高したと説明。5月19日〜21日に計7回、男性の顔などを殴ったという。元秘書には直接謝罪したとしている。暴行疑惑が報じられた6月22日、豊田氏は離党届を提出した。豊田氏は厚生労働省課長補佐を経て、2012年の衆院選に埼玉4区(朝霞、志木、和光、新座各市)から立候補して初当選。現在2期目で、文部科学政務官などを歴任している。
(7月7日、埼玉新聞)

「3割がサイコパス、もう3割が予備軍」(2割、2割とも)とささやかれる政界だが、「昔からそうだったの?」「何でこんなことに?」と聞かれる。かつての中選挙区制の時代は、官僚なら局長級の大ベテラン、業界団体や労働組合の幹部、地方名士など、十分な掛け金を持った人が出馬し、落選してもすぐに生活に困るようなことは無かった。ところが、現在ではロクに掛け金も持たない人たちが、全財産と自分の人生を丸ごとBEDして出馬してしまうので、落選すると人生そのものが失われる可能性がある。議員というのは、キャリア形成(職歴)に何のプラスにもならず、特に若年者はキャリア・アップの機会を犠牲にして議員になり、権力と特権を得てしまうため、落選すると「気づいたら何も無かった」という話になってしまう。結果、人生丸ごとBEDしてキモチよくなれる人か、何も考えずに出馬して当選してから「落選したら俺の人生終わりじゃん」と気づいてしまった人しかいない、というのが現状なのだ。
「賭ケグルイ」の世界なんですよ、永田町は。

国会議員であれ、地方議員であれ、議員・政治家というのは「自分なら社会を良くできる」という凄まじい自信の持ち主が、自分の顔のポスターを街中に貼り出して、「自分に投票すれば間違いない!」と叫んで回る人種であり、立候補型の選挙制度は、根源的に誇大妄想か自己偏愛の性質の持ち主が出てきやすい構造になっている。それが、当選すると権力と特権を得て、誇大妄想や自己愛を増大させると同時に、その特権が失われることに対する恐怖に支配されるため、元々精神構造に異常性あるいは特殊性を持つ者が闇に蝕まれやすい状態が作り出されている。

また、日本には一般的に自己主張が好まれない社会文化があって、にもかかわらず「自分に任せろ」と堂々と言える人がどんな人なのかということだろう。同時に、自己主張が好まれない風潮自体が、議論百出を想定したデモクラシーにそぐわないのも確かだ。小選挙区制の導入によって選挙の射倖性(当落が激しくなること)が上昇、選挙依存症や無能なくせに権力志向の強いサイコパス議員が増え、正常な判断力を有する、あるいは有能な人物は、ますます政治、政界進出を忌避する傾向が強まっている。
実は、議員定数を減らすこともこの傾向を助長している。定数が減って、当選確率が下がるということは、賭博性が強まることを意味するため、「すでに持っている人」はバカバカしくて賭場になど行かなくなる。逆に、「一発逆転」狙いの人が増えることになり、ますます議員の質を低下させ、ひいては議会の信頼そのものを低下させ、デモクラシーを危機に導いている。

デモクラシーの破断界を回避するためには、まず立候補者の原職復帰権を法的に担保することが必要だ。これは、言うなれば掛け金を減らすもので、選挙に出ただけで仕事が失われることを回避する効果がある。民主主義国の根幹制度を支えるものが、人生を丸ごとBEDするような現在の制度は早急に改められるべきだ。
また、議員定数を過剰に減らさないことも重要だ。日本の人口あたりの国会議員数は他国と比較しても少ない方で、議員一人あたりの人口数で見ると、イギリスで5万6千人、フランスで6万6千人、ドイツで10万8千人、対する日本は17万5千人と、先進国の中では非常に少ない部類に入る。
そして、金額はともかく、議員年金を復活させることで引退、老後の不安を減らす措置も講じるべきだ。議員年金が無いことが、現職中の腐敗、汚職を助長している事実を重く見るべきだろう。
これらのコスト負担が嫌ならば、いっそ議会制民主主義は放棄すべきだ。デモクラシーは本来コストの掛かる制度なのだから。
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2017年07月13日

道徳的正統性をも失った民進党・続

【<民進>党内から差別助長危惧の声 蓮舫代表戸籍公開方針】
 民進党の蓮舫代表が日本と台湾の「二重国籍」問題で戸籍謄本を公開する意向を示したことに、党内から「外国人や日本国籍の取得をした人への差別を助長しかねない」と危惧の声が上がっている。二重国籍問題は、昨年9月の党代表選の際に発覚。台湾籍が残っていたため、蓮舫氏は翌10月7日に日本国籍の選択を宣言したが、説明が二転三転して批判され、東京都議選の敗因の一つとの指摘もある。蓮舫氏は宣言日の戸籍謄本を示して収束させたい考えだ。ただ党幹部の一人は「差別的な感じで(党内が)嫌な空気だ」と指摘し、有田芳生参院議員は自身のツイッターで「一般人への攻撃材料になることは目に見えている」と記述。蓮舫氏が「前例」になり、国籍確認のために個人情報の公開を強要されるなど、差別的な対応が拡大しかねないと懸念した。 大串博志政調会長は「通常は絶対あってはならず、多様性を求める党是にも合わない。ただ、野党第1党の党首という立場を考えるとやむを得ない」と話した。
(7月12日、毎日新聞)

いやいや、「党内から差別助長危惧の声」ってヨシフ以外に誰かいるの?

「貴様ちょっとユDヤくさいな、説明も不明瞭だし、ちょっと血統書見せてみろ」「はい、分かりました」と言って開示するのが、民進党の「コンプライアンス」らしい。自分もマジで選挙に出たり、結婚したり、子どもつくったりしないで良かったわ。
救いがたいことに、民進党内の少なくない議員が「支持回復には必要だ」「党代表の身分を考えれば、やむを得ない」と考えているらしく、批判的に見ている議員はいても、声に出す人は殆どいないのが実情だ。

そもそも自分たちの選挙の当落のために、自分たちで選んだ代表者を平気でスケープゴートにする連中が、どうして一般市民の人権や財産を守るだろうか、守るわけが無い。そのような基本的なことも理解していないことを露呈してしまっている。

しかも、蓮舫氏の国籍問題を云々しているのはごく一部のネトウヨ層に限られており、その影響力を過大視して、わざわざ悪手を打って、従来の支持層の信頼を裏切っているのだから、民進党がどこの誰を見て政治をしているのか、よく分かるだろう。連中は、自分で自らの首にロープを掛けて喜んでいるのである。
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2017年07月12日

道徳的正統性をも失った民進党

【蓮舫氏が戸籍開示へ 惨敗民進、執行部批判相次ぎ…】
 民進党内で蓮舫執行部に批判が相次ぎました。東京都議会議員選挙の大敗を受けて民進党は、11日から所属議員のヒアリングを始めました。出席者からは「選挙は結果責任を負うべきだ」「『解党的出直し』がなければ、本当に解党しなければならない」といった厳しい意見が出ました。蓮舫代表の二重国籍問題についても「最大の障害だ」との意見が出ていて、蓮舫代表は今後、戸籍を開示する考えを示したということです。ヒアリングは18日まで続き、今月中に結果を取りまとめる方針です。単なるガス抜きで終わらせるのかどうか、蓮舫執行部の対応が問われます。
(7月11日、テレビ朝日)

色々な面で「終わってる」観がハンパ無い。「外国人の活用を」と言ってる横で外国人差別や人身売買が横行。リベラリズムを謳い、差別的な戸籍制度の改正・廃止を志向してきたはずの民進党が内側から戸籍公開を求める事態に。差別を目的としたセンシティブ情報の公開を強要した時点で、自由主義の道徳的正統性を否定していることに気づいていない愚かさがある。

彼女の場合、戸籍謄本(抄本)を3度提出して選挙に立候補しており、少なくとも政府・総務省側が咎めていない時点で、国籍資格について何の問題も無いことが証明されている。また、戸籍を公開したところで、台湾籍を離脱した証明にはならず、根本的な解決にはならない。つまり、公開を求める方は差別目的、公開する方は解決にならないという点でも、最低の危機対応になっている。蓮舫氏は、批判に対して過剰に反応すること無く、淡々と戸籍は公開すべきでは無い旨を説明し、非公開を宣言、返す刀で戸籍開示を要求することの非人道性を非難すれば十分だった。

いかなる理由であれ、戸籍開示が強要され公開せざるを得ない状況が存在すること自体、自由社会に対する脅威である。これを認めてしまえば、他の帰化(国籍取得)や被差別部落の疑いのある者に対する戸籍開示も容認される事態を招きかねず、ただでさえ深刻な民族的、社会的差別がさらに悪化する恐れがある。例えば、Tツローなどは即座に危機に陥るだろう。

そもそも、社会統制と政治利用を目的に、国民個々人の社会的、民族的なセンシティブ情報を国家が独占的に管理したのが戸籍制度であったことを思えば、戸籍を開示すること自体、戸籍法の主旨に反するものと言える。
これに対し、リベラリズムは、王権による統制に対して個人の権利の確立を求める思想で、個々人の財産と権利を守ることを政府の役割とした。すべての個人は自己決定権があり、自己の意志を実現する権利を有していると考えることから、社会全体でこれを実現するためには国家などによる統制や介入も必要だとするのが本来のリベラリズムである。

少なくとも旧民主党は、中央集権的かつ権威主義的な明治帝政に肯定的な自民党と霞ヶ関に対峙する存在として、曖昧ながらも分権的かつ自由主義的な政治理念をもって非常に緩い形で結党したはずだった。戸籍制度は中央集権と権威主義の象徴であり、権力の源泉であることから、これを骨抜きにするか廃止することは、民主党の党是であったはずだ。
ナショナルセンター連合の支援を受けながらも、全く社会主義的ではなく労働者にも優しくなかったものの、少なくとも「反権威主義」「自由主義的」ということで、「自民党よりはマシ」というのが、民主党支持層の大まかな評価だったと思われる。ところが、今回の件で民進党が自民党と同様の、あるいはより機会主義的でタチの悪い差別的議員が大多数を占めていることが明らかになってしまった(今のところ蓮舫氏を擁護する議員はヨシフくらいしかいない)。
民進党は自らの唯一の立ち位置をも自分で踏みつぶしてしまったのである。

【追記】
なお、蓮舫氏の代表としての資格については、私は最初から疑義を呈している。
能力的には、レンホーはおよそ野党第一党の党首が務まるような器ではない。自意識過剰の自信家で、人の意見を聞かず、同時に大所帯をまとめられるような手腕も人望も無いからだ。その点は、まだ失敗も含めて経験を積んでいるマエハラの方がマシ
(またハズレしかないガチャ−民進党代表選挙、2016.8.3)

全てに対して恐ろしく冷酷で、人倫を欠き、その点を恬として恥じない精神である。
(レンホーは党代表に相応しいか?、2016.8.26)

本来ならレンホー氏は立候補を辞退すべきだった。先に虚偽答弁あるいは違法状態の責を認めて辞退しておけば、次の機会もあったかもしれないが、彼女はここで強行突破を試みた。都知事をフイにして代表選への出馬にこぎつけたのに、それを放棄することなどできないのだろう。「コンコルドの誤謬」である。
(民進党代表選は頓死状態、2016.9.14)

【参考】
蓮舫氏国籍問題の諸相 
蓮舫氏国籍問題の諸相・補
posted by ケン at 12:47| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

長州人から見た明治維新150周年

来2018年の「明治維新150周年」に向けて政府が記念事業を計画している。
政府、国家官僚からすれば、第二次世界大戦の敗戦に伴う休戦条約締結の条件として民主化、戦後和解体制の構築を余儀なくされただけの話であり、戦前の明治体制こそが「自分たちの本来の姿」であるという思いが強い。
そもそも日本の場合、国家官僚になるためにデモクラシーやリベラリズムの原理を問われることが無いため、国家主義者や全体主義者による蚕食を許してしまっている。かのドイツですら、軍内に国家主義に浸食を許し、反乱が企図されていたことが発覚する事態になっており、日本でも「テロ」の恐れよりも、行政機関や自衛隊における極右勢力の伸張の方が深刻かもしれない。
明治帝政を称揚する明治維新150周年事業は、自分たちの意に添わずに施行されたデモクラシーと戦後和解体制を払拭する象徴的イベントとしての意味を持つ。

だが、長州人や山口県人から見た明治維新は全く別の風景があり、これが理解できないと、安倍政権が明治維新150周年に前のめりになる理由も一面的な理解に止まってしまう。

2015年に放映された大河ドラマ『花燃ゆ』は、安倍政権と長州人脈の強い要望を受けてNHKが制作した作品で、松下村塾をめぐる人々の半生を描いた。だが、下関戦争における外国船砲撃の対象が米国船からフランス船に改変されたり、吉田松陰による老中暗殺計画の経緯が改ざんされたりと、様々な歴史改ざんが行われたことで悪評が立った。そもそも内容云々よりも、演出や演技の拙さから「学芸会レベル」と酷評され、歴史ドラマとしての評価は皆無に等しかった。あれはあれでNHKの制作現場レベルでのサボタージュだったかもしれないのだが。
それでも、当のNHKに圧力を掛けた長州人たちにはそれなりに評判良かったらしいのだが、本音レベルで長州人たちにとってあれで良かったのかについては、大いに疑問だ。
『花燃ゆ』は別格としても、幕末を描く映画、ドラマは必ず「激動の歴史」を描こうとするわけだが、そのどれもが陰惨な、血塗られた側面を正面から描いていないからだ。幕末を史実に忠実に描くなら、『ヒトラー最後の12日間』や岡本版『日本のいちばん長い日』のような集団狂気が再現されねばならない。

注目したいのは、「維新の殉死者」である。勤王運動(テロリズム)から明治維新(暴力革命)に至る過程で、吉田松陰(刑死)、久坂玄瑞(禁門の変で自害)、高杉晋作(長州戦争後に病没)ら勤王倒幕運動の主要人物が続々と死亡したことは知られているが、長州全体を見ても相当数が落命している。
幕末の長州の人口は約79万人。このうち、禁門の変、下関戦争、第一次長州戦争、長州内戦(元治内乱)、第二次長州戦争(四境戦争)、戊辰戦争という「革命戦争」に動員されたのは7500人から8千人。その内訳は、2千人が上級士族、3千人強が下級士族(足軽、中間、陪臣など)、2500人強が町人、農民等(いわゆる諸隊)だった。79万人は、現在の福井県や浜松市の人口に相当する。
そして、一連の戦争の中で戦死(扱いも含む)したのは1500人以上で、戦病死を含めるとさらに増えるものと思われる。仮に戦死率を20%としよう。近代戦争の始まるとされる日露戦争でも、90万人の動員に対して戦死・戦病死者は8万9千人で約10%だったことを考えれば、戦死率20%は想像を絶する損害であることが分かる。つまり、長州で維新運動に従事し、五体満足で帰ってきた者の方が少なかったというレベルにあった。
さらに、この他に維新後の「脱退騒動」(諸隊反乱)と「萩の乱」(士族反乱)で、戦死者100人、刑死者250人を出している。

比較対象を考えてみよう。長州とともに「御一新」をなした薩摩の場合、動員可能兵力最低3万7500人を誇りながら、戊辰戦争に出征したのは最大1万人で、戦死者は約500人。禁門の変や薩英戦争などの戦死者を足しても540人程度だった。戦死率は5%強である。つまり、薩摩藩の場合、藩士でも戊申戦役に動員された者の方が少なく、まして戦死者は稀だった。
これに対して、西南戦争で西郷軍が動員したのは日向を含めて2万6千人、戦死者は4千人近くに達し、薩摩人にとっては西南戦争の方が強烈なイメージを持つのが普通なのだ。

戦死、戦病死だけでなく、刑死、凶死(テロ)の多さも長州における維新運動の特徴だった。個別の事例を見てみよう。
「日本のヒムラー」と呼ばれ、内務省で治安畑を歩んだ安倍源基(鈴木内閣で内相)の場合、伯父3人(当時21、18、16歳)が戊申戦役に出征し、うち2人が戦死、生還した末弟も維新直後に病没、末妹が婿をとって安倍家(大野毛利家家老)を継いでいる。

長州藩の革新官僚(家老)として知られる周布政之助の場合、勤王派を支援したこともあって禁門の変、第一次長州戦争後の政変中に自害。長男の藤吾は第二次長州戦争で戦死、次男の公平が家を継いだ。

日露戦争時の満州軍総参謀長を務めた児玉源太郎の場合、幼少期に勤王派の実父(徳山藩士)が藩内の権力闘争に敗れて閉門蟄居にあい、憤死。姉の婚家である児玉家(同)に引き取られるが、義兄にして養父の次郎彦は佐幕派藩士のテロによって凶死(惨殺)、源太郎13歳の時だった。児玉家は家禄を召し上げられ貧窮に苦しむ中、戊辰戦争が勃発、源太郎は16歳で召集され、献効隊の一員として出征、箱館で初陣を果たした。

元勲の一人となった井上馨の場合、世嗣の小姓を務めるほどの家柄に生まれながら勤王派に参加、英国公使館焼き討ち(実行)や外国公使殺害計画(頓挫)などのテロ活動に従事した。第一次長州戦争の混乱の最中、佐幕派(俗論党)の一団に襲撃され、医者が「息をしているのが不思議」と言うほどの重傷を負った(縫合6箇所、50針)。テロリストの中には、井上の顔見知りの友人もいたという。

つまり、長州藩の場合、身分に関係なく全ての武家が何らかの形で維新に参加し、大半の家で何らかの形で犠牲者を出していたと言える。こうした長州人の「御先祖が血を流して為した革命」という意識が理解できないと、彼らの「明治維新150周年」に対する執念も理解できないかもしれない。
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2017年07月10日

地方選で負けて敗戦責任の何故

【民進、9月にも党人事…野田幹事長の処遇焦点】
 民進党の蓮舫代表は、9月にも党役員人事を行う方針を固めた。東京都議選で存在感を示せず、執行部への不満が高まっており、人事の刷新で党の立て直しを図りたい考えだ。蓮舫氏を支えてきた野田幹事長の処遇が最大の焦点となる。野田氏は9日、愛知県岡崎市で記者団に「都議選で厳しい結果が出たから、まずはきちんとした総括をすることで責任を果たしたい」と述べ、自らの進退については明言を避けた。野田氏はこれまで、自身のグループに所属し、要職経験が少ない蓮舫氏を全面的に支えてきたが、党内からは都議選惨敗の責任を取って、野田氏の交代を求める声が出ている。
(7月10日、読売新聞)

都議選における敗北を受けて、民進党では執行部の責任を問う声が上がり、それに対して蓮舫・野田氏が続投宣言してしまったため、離党者が出ている。
「地方選挙で党中央の責任を問うのはおかしい」「誰がやっても負けていた」「今は党内で争っている場合では無く、蓮舫代表の下で一致団結するべき」などの意見が聞かれた。特に地方の方からすると、屋台骨が揺らぐような大敗であったという認識がなく、野田幹事長が続投宣言したこともこれを後押ししていた。

まず議席数から見てみよう。執行部発表では、今回の都議選は改選前の7議席が5議席になったことで「惜敗」であり、「議席を半分以下にした自民党が大敗したのであって、民進党は苦しい中で健闘した」という認識に立っている。
だが、これは公示前に大量の離党者を出したためであり、民主党と維新残党が合流(会派は二つ)した段階では18議席あったのだ。それが、大量の離党者を出して、公示時には7人しか民進党に残っていなかったという話であり、「7議席」を基準にするのはかなり無理がある。そして、18議席が5議席になったと考えれば、3分の1以下ということで自民党以上の敗北ということになる。解体する前の旧社会党の最後の議席が11議席であったことを思えば、すでに「ポイントオブノーリターン」まで来ていると考えてもおかしくない。

議席数の減少は「勝負は時の運」と説明できても、より深刻なのは、大量離党者とその離党者のプロフィールだった。決戦前に離党した者たちの中には、「都議団長(幹事長)」「大幹部(役員室長)の妻」「元国会議員秘書」「元党職員」らが含まれており、結果、開戦前に戦力を半減させてしまい、国会議員とその秘書団を全力動員した上、違法活動に従事させるという、なりふり構わない対応をせざるを得なくなった。しかも、国会議員の戦力を全力投入したにもかかわらず大敗してしまったため、その点についても戦争指導が問われるに至っている。

これは例えるならば、天正10年の織田徳川連合軍による武田討伐に際して、穴山梅雪(武田一門)、木曽義昌(信玄の娘婿)、小山田信茂(信玄の従弟)らがこぞって裏切ったケースである。一度権威が失墜した主君の下で統制力を維持し続けるのは難しい。「蓮舫代表の下で団結を」と叫ぶのは、「最後まで勝頼様と共に」と言うに等しくなってしまっている。

もともと民主党、民進党は、「ここから出れば当選できるかもしれない」として議員と候補者が集まってできた選挙互助会であって、特段の政治理念やイデオロギーがあるわけでは無いため、一度「都民フの方が当選できそう」となれば大量に離党者が出るのは必定だった。それを露呈したのが都議選であり、そこで民進党が大敗して、都民フが大勝したとなれば、「次の国政は民進ではダメだ、都民だ、新党だ」という話に流れるのは避けられなかった。
これを回避するためには、執行部を一新し、敗戦責任を全て蓮舫・野田執行部に押しつけて、「都民フ」に対抗できる新体制をつくる必要がある(現状では人材が枯渇)。逆に、野田幹事長は「都議選は地方選挙だから」と最初から見捨てて、予備選力など投入しなければ、「地方選挙の敗北責任を負うのは都連である」と突っぱねることができたわけで、この事態を招いたのは執行部自身だった。

党内の不満は、仮に野田氏が幹事長を辞任すれば、一時的には鎮静するかもしれないが、「蓮舫では勝てない」という認識が広まってしまっている以上、次の衆院選の直前や、保守新党の結成時に大量離党者を出す流れは不可避となりつつある。かといって、蓮舫氏に替わる、支持回復に繋げる代表、執行部を選出できるだけの人材プールもなく、ほぼほぼ頓死状態に陥っている。
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2017年07月09日

フランスも社会統制強化へ

【シャンゼリゼ突入事件、監視対象だった容疑者が銃所持免許を保持】
 フランスの首都パリのシャンゼリゼ通りで銃器やガスボンベを積んだ乗用車が警察車両に突っ込み、乗用車側の運転手が死亡した事件で、イスラム過激思想を持つ運転手が治安当局の監視対象になっていたにもかかわらず銃所持の免許を取得していたことが分かり、批判が上がっている。
アダム・ジャジリ容疑者(31)は、イスラム過激思想の影響を受けているとして2015年から当局の監視対象になっていた。容疑者の車からは、拳銃2丁とカラシニコフ銃1丁が見つかり、自宅からは複数の銃器の隠し場所が発見された。
 捜査に詳しい関係筋によると、ジャジリ容疑者がイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」最高指導者のアブバクル・バグダディ容疑者に忠誠を誓う手紙1通も見つかったという。
 既に身柄を拘束されているジャジリ容疑者の父親はAFPに対し、息子は競技として射撃の練習をしていたと語っていた。捜査に詳しい関係筋によると、容疑者は複数の拳銃とアサルトライフル1丁を含む、登録済みの9個の武器を所有していたという。
 フランス射撃連盟会長によると、警察当局がジャジリ容疑者の所属する射撃クラブを訪れ、同容疑者について尋ねたことがあるといい、容疑者が銃に強い関心を持っていたことについて、疑いの目が向けられていたことを示唆している。
 今回の事件を受けて、ジェラール・コロン内相は20日、銃所持の免許保持者のうち過激思想の影響を受けているとして当局の監視対象になっている人物に対して調査を行うよう命じた。
 1か月前に発足したばかりのエマニュエル・マクロン政権は、厳格化した新たなテロ対策法を発表する構えだ。またエドゥアール・フィリップ首相は、ジャジリ容疑者が銃所持の免許を保持していたことについて遺憾の意を表した。
 フィリップ首相は仏テレビ局BFMと仏ラジオ・モンテカルロ(RMC)に対し「現段階で私が把握しているのは、この人物が当局の監視対象になる前に最初の銃所持の免許が発行されたことだ」と説明しながらも、容疑者が監視対象となってからも危険な武器を所持できていたことに「納得している人などいない。もちろん私もだ」と述べた。
 フランス射撃連盟のフィリップ・クロシャード会長によると、ジャジリ容疑者は6年前に銃所持の免許を取得したという。また捜査に詳しい関係筋は、容疑者が2月に免許の更新を申請していたと明らかにした。
(6月22日、AFP)

本件といい、ブリュッセル駅爆破事件といい、英国での連続テロ事件といい、どれもが組織的なテロルというよりも、スタンド・アローンによる自発的な個人テロの色彩が強い。
このことは、共謀罪の制定に際して日本政府が「テロ団体等、綿密な計画、犯行合意、準備行為」とした構成要件が当てはまらないことを暗示している。現代のジハーディストの自爆テロは、志願者に自爆用ベストを渡して行き先を指示するだけであり、果たして誰を対象にどこまで要件を成立させられるのか、疑問は深まるばかりだ。これは、政府が1970〜80年代に起きた極左テロを想定して法案を策定したものの、現代のテロリズムには十分に対応できない可能性を示している。そう考えると、日本政府はむしろテロリズムではなく、より単純な労働運動や市民運動に対する弾圧を想定していたと見るべきかもしれない。
一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

昭和のテロリズムは、個々の政治家や財界人や学者を死傷させたことではなく、明治憲法に明文化されていない多元支配の構造(明治末年から大正期にかけて理論化された)を否定し、天皇による一元支配と擬装された軍部支配を実現した点に真の効果がある。同じ意味で、大正期の国際協調主義を否定し、軍国主義を促進させた点も大きい。テロルの副次的効果として、マスコミが便乗して大衆を扇動、リベラル派の知識人が沈黙し、官僚が自らこぞって国家主義・軍国主義に転向していった。また、(左翼)テロに対する警戒を理由に治安維持法などが制定されて恐怖支配が正当化された。
テロルの効用について、2014.10.2

ジハーディストによるテロルは、欧州市民を「反イスラム」へと駆り立て、域内に住むムスリムへの差別、弾圧を強めるだろう。そして、その反動としてムスリムの中からジハードへの共感者が増加、テロリスト志願者が増える構図になっている。同時に、欧州諸国を対中東全面戦争へと駆り立て、軍事介入への傾斜を深める方向に働く。軍事介入は、ソ連のアフガニスタンやアメリカのヴェトナム、イラクを見れば分かるとおり、一時的な軍事的勝利は獲得できても、最終的には敗北させ、国家財政や社会基盤に大きな打撃を与えることになる。

仮に為政者が歴史に学んでいても、国民の熱狂に抗して冷静を保つよう訴えるのは難しい。国家権力は、暴力の独占によって成り立っているが、その暴力は国民の生命と財産を守ることを前提としている。言い換えれば、国家は暴力装置を独占する権利を有する代わりに、国民を保護する義務を負っている。故に、テロルによって国民が害されると、国家は義務を怠ったことになり、権力の正統性が揺らぐことになる。結果、国家は暴力を行使してテロルを弾圧するほかなくなるわけだが、弾圧対象をテロリストだけに絞るのは難しく、社会全体に対して統制が強化されることになる。監視カメラ設置を支持する国民が圧倒的に多いことに象徴されるように、国民も統制強化と暴力行使を望む傾向が強まる。

こうした状況は客観的に見ると「誰得」なのだが、この愚かなまでの非合理こそが人間の人間たる証でもあるのでどうしようもない。
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2017年07月08日

調整予告:ブログオフ会の開催について

今年2月、本ブログは開設から12年を迎え、13年目に突入しました。
来年は総選挙が予想されることから、3年ぶりにオフ会を開催したいと思います。つきましては、会場確保の都合上、大体の参加人数を確認したいので、参加を希望される方は、都合の良い日をコメント欄かメール(kenuchka@ヤフー.co.jp、カナはアルファベット)にて匿名で結構ですので意思表示ください。
政治の話でも、ロシア等に関する質問でも、ゲームの話題でも何でもありです。但し、最低履行人数は5名を考えています。

日時:9月16日(土)17時〜20時、ないしは9月30日(土)
場所:東京の赤坂ないしは青山
会費:3500円程度

どしどしご参加ください!連絡お待ちしてます。
正式な通知は後日あらためて掲載します。
posted by ケン at 01:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする