2019年04月09日

(EP)日露戦争の「古さ」について

今はなきエポック社の「日露戦争」が発売されたのは1981年で、私がまだ小学生の時だった。そして、初めてプレイしたのは中学生か高校生の頃だったと思う。つまり、1970年代の日露戦争観に基づいて設計されたので、要は『坂の上の雲』のイメージなのだ。もちろん、責めるわけではなく、本作をけなすわけでもなく、それを前提に論を進めたいという話である。
あれから40年近く経て私も早や初老となったわけだが、日露戦争の研究も相当に進んで、当時のイメージとはかなりかけ離れたものになっている。

今回(EP)日露戦争をプレイして、私が「古い」と思ったのは、「日本側の心理的負担が軽すぎる」だった。
確かに戦闘結果「EX」で日本軍も何度か損害を受けたが、すぐに回復可能なレベルで、日本軍は常に全力で攻撃し続けていた。また、最終的に国内にある全戦力を投入したわけだが、ゲーム終了時、満州平野には「全戦力」が存在した。逆にロシア側は欧州師団をいくつか残していたが、満州に登場したユニットの半分近くが除去されて、スカスカの状態にあった。

実際はどうだっただろうか。
日露戦争を通じて、日本側の病死を含む戦没者数は約9万人、それに対してロシア側は約8万人だった。負傷者数は日本が15万4千、ロシアが14万6千である。終戦時の兵数は日本が40万に対してロシアは50万人ほど。
巨細に見てみると、遼陽会戦で奮戦し、首山堡において関谷銘次郎連隊長が戦死した静岡の第34連隊(第三師団)の場合、動員数5千人に対して、戦死者は1200人近くに上ったという。負傷者数を2倍で考えれば、五体満足に帰国できたものの方が少なかったことが分かる。

遼陽会戦を見た場合、日本軍は12万5千人をもってロシア軍の15万8千人に対して攻撃を仕掛け、損害は日本側の2万4千に対して、ロシア側は1万8千に終わった。
ロシア側は「敵に出血を強いながら、自国領土奥深くに引き込んで、補給線が伸びきったところで決戦に挑む」という伝統的な防御戦略を採って、無理せず予定通りに撤退しただけだった。

ここで私が考えたのは、「戦闘比が3:1以上なら攻撃する」などという戦力比システムは日露戦争の実相に全く即していないのではないか、ということである。現実の日露戦争における日本軍の発想は、どちらかといえば、「いいからつべこべ言わずに攻撃できる内にサッサと攻撃しろ。さもないとロシア軍は膨れ上がる一方だ」というものだったように思われる。
後者の考え方は戦力比システムでは成立しがたく、Fire-Powerシステムのそれであろう。つまり、「敵は12火力あるけど、こちらは15火力あるから先に攻撃しないと!」というものである。そして、ロシア側は野戦築城による陣地効果のダイス修正がついて、最終的に日本側の損害が大きくなるのだ。だが、ロシア側は日本側の攻勢限界を見通して、戦略的に後退してゆくことになる。ルール的には「同損害の場合は、ロシア軍は基本的に退却する」とすれば良いだろう。

奉天会戦後に山縣参謀総長が桂内閣に提出した報告書には、「兵員の質的劣化」「将校の圧倒的不足」「弾薬不足・補給限界」の3つの理由からさらなる長期交戦は無理である旨が書かれている。
先に挙げた34連隊同様、すでに奉天会戦前から補充兵として送られてくるのは30歳以上の高齢者や体格貧弱なものばかりで、およそ戦争に使えるものではなかったという。
中でも小隊長、中隊長クラスの将校不足はいかんともしがたく、「ロシア軍が本気で攻めてきたら、今度こそひとたまりも無い」というのが、参謀本部の本音だった。

ちなみに、日中戦争においてすら、支那派遣軍は「兵員の平均体重を60kgにする」という目標を立てながらも、最後まで実現できなかったという。また、日米開戦後に送られてきた補充兵には、身長が150cmに満たないものや体重が50kgに満たないものが普通にいたというから、現代人には想像が難しい状況にあったことが分かる。

日露戦争の従軍記者だった田山花袋の『一兵卒』は、老兵が過重な装備と糧食不足にあえぎながら行軍を続け、ついには倒れてゆく様が淡々と描いているが、およそ『坂の上の雲』の真逆をゆくものと言える。現実には、日露戦争の帰還兵は冷淡な目で見られ、PTSDなどから仕事も続かず身を持ち崩したものがむしろ多かったらしく、どちらかといえば、『ゴールデンカムイ』の方が史実に近いものと思われる。

この辺をシミュレートするのに参考になるとはGMT「Stalin's War」である。本作におけるドイツ歩兵軍は開戦当初「5」戦力(5ステップ)を持つが、補充によって回復できるのは「4」までになっている。つまり、1度ダメージを受けると、最大戦力は「4」になってしまうのだ。
日露戦争にあてはめるなら、奉天会戦後の日本軍師団は皆「3か4」になってしまい、それ以上になる見込みもないという状況で、他方のロシア軍はいまだに戦力「5」の欧州師団が新配備されていた。結果、「何でもいいから、サッサと戦争を終わらせてくれ」というのが、日本陸軍の本音だった。
また、イベントカードの作戦ポイントを攻撃に割り振るか、カードを補充に回すかがトレードオフになっているところも、日露戦争の実相に近いと思われる。

改めて世界地図で確認してもらいたいが、「大勝」した日本軍は奉天の少し先にある鉄嶺までしか進めず、ハルピンどころか現在の長春ですら遙か彼方であることが分かるだろう。
ロシア側の高級軍人としては、「何故これで負けたとか言われるのか分からない」という気分だったに違いない。

こうした日本側の「いっぱいいっぱい感」や、逆にロシア側の「まだまだこれから感」がシミュレートされないと、どうも日露戦争の本質には近づけないように思われる。
デザイナーの皆さんに期待するところ大である!!

【追記】
今日となっては信じがたい話になったしまったが、日露戦争に従軍した日本軍兵士にとって最も恐ろしかったのは「ロシア兵による銃剣突撃」だったという。この当時、日本歩兵が持つ有坂銃は銃剣を装備しておらず、逆にロシア歩兵はモシン・ナガンに銃剣を付けていた。想像してみれば容易なのだが、この当時の日本人の身長は160cmあるかないかで、体重も50kg台が普通、下手すれば150cm、50kg以下のものもいた。他方、ロシア人はすでに170cmから180cmもあり、体重も70kg以上と、そもそも骨格が違った。その巨漢の白人兵が銃剣突撃してくるのだから、ファンタジー風に言えば、ゴブリン兵がオーガの突撃を食らうようなものだった。そして、ロシア兵の銃剣突撃を受けた日本兵は大半が離散、武家出身の将校がいる場合のみだけ、どうにか踏ん張れたという。だが、それは逆に下級将校の損害を増やす結果にもなった。十五年戦争期における日本軍の銃剣突撃至上主義は、旅順戦の名残ではなく、むしろ「ロシア兵の銃剣突撃にボコボコにされた(実例は必ずしも多くないのだが)」トラウマから来ているのかもしれない。現実には、兵器の近代化や大量生産を行うだけの工業力がなかったことを精神主義で補った、というところが真相なのだろう。

【追記2】
日露戦争では、砲弾による死者は意外と少なく、ロシア軍の調査では15%程度だったという。最も多かったのが小銃弾であったことは、現代人として踏まえておく必要がある。もっとも、日本側の死者は機関銃弾によるものも多かったと思われるが。これには理由があって、当時の砲弾は殆どが榴弾ではなく、榴散弾であったことに起因しているらしい。だから、まだ誰も鉄兜を被っていないのだ。以上のことを踏まえても、日露戦争を描く映画、ドラマなどの映像作品は、一度根本から見直して、(NHK「坂の上の雲」ではなく)『ジェネレーション・ウォー』に匹敵するMPがゴリゴリ削られていくようなドラマを撮る必要があるのではなかろうか。
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

10年ぶりに日露戦争

10年ぶりに「日露戦争」(エポック/CMJ)をプレイ。
まずカフェに入ると、「戦国大名」が並べられており、「やる?」と聞かれるが、意思疎通が不十分な状況でプレイするのは苦痛すぎるため、辞退したところ、「じゃこれは?」と誘われたのが日露だった。

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クラシックシリーズは概ね中国語に翻訳されているようで、それなりの人気があるらしい。ただ、お相手のZさんは初プレイとのことで、その場でルールを読んでいた。この手軽さは魅力の一つであろう。

ただ、日本人の私に配慮してくれたのか、ロシアを持ちたいとのこと。ケン先生的には「初心者にロシアは無理なのでは?」と思いつつも、戦国大名を断った手前もあって言い出せず、そのままプレイ。

第一ターンに南山に増援を送ってガチガチに固めたのは良かったが、南山・旅順を封鎖に止め、北上する第二軍と山越えで奉天を伺う第一軍の勢いは止まらなかった。
戦闘後前進が歩兵2ヘクス、騎兵3ヘクスという、超積極的な(守るのが難しい)デザインであるため、日本軍は送られてくるロシア軍増援を各個撃破あるいは包囲殲滅していけば、常に有利に立っていられる。
ロシア側は一部を捨てがまりにして、まずは遼陽、次いで奉天をガチガチにする必要があるわけだが、なかなか考えたとおりには行かないのが道理だ。
もっとも、慎重な人間が日本軍を持つと、ロシア側はすぐにガチガチになってしまい、遼陽すら落ちずに日本側が投了するケースも散見される。

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最終的に、1904年12月には奉天が包囲される勢いとなり、それを守るだけの兵力もなく、ロシア側が投了した。
実は勝利得点的には、旅順が落ちていないため、ロシアがテクニカルに判定勝ちする方法もあるのだが、モチベーションを維持できないだろう。
明石工作が全く進んでおらず、9ターン終了時に「13」(毎ターン1D6!)というあり得ない状況だっただけに惜しかったところもある。
Zさんは「こんなのロシアは絶対に勝てない」とプンプンモードだったが、実際、ロシア側は相当に難しい。

それとは別に、10年ぶりにプレイして、本作の設計思想が相当に古いことを実感したわけだが、これについては稿を改めて触れたい。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

中国の学校でイジメは?

イジメ問題に関するクローズアップ現代を学生に見せ、議論を含め色々話を聞いてみた。
感触的には、半分から三分の二くらいの学生が「中国の学校にもイジメはある」と答え、残りは「イジメなんて見たことない」旨の答えだった。
日本人で日本の学校にずっと通ったものなら、よほど生徒数の少ない過疎地の学校でない限り、「イジメはない」と言い切れるものはいないのではないか。そう考えると、やはり中国の学校の場合、日本ほどには深刻ではないように思われた。

特に「イジメはない」と言う学生たちは「なぜ同級生を虐めるのか(そもそも)分からない」とのことで、(用意はしていたが)イジメの構図や構造、分類など「イジメ学」みたいな授業になってしまった。

中国の学校でイジメが深刻化しないのは、どうやら二つの理由から説明できるようだ。
一つは、受験競争が激しすぎて、学校内や校外で生徒同士がつるむ時間すらまともにないということ。昼休みは少なく、他の休み時間はグッタリ倒れているから、「そんな余裕などあるわけがない」ということらしい。それはそれで凄まじい話なのだが。

もう一つは、日本とは真逆の圧倒的な個人主義である。日本の場合、クラス・学級という一つの単位ができると、そこに所属する生徒は即座に「一つの集団の構成員」とされてしまい、集団を維持するための様々な掟ができ、上下関係が構築され、監視統制が行われる。しかし、中国の場合、そもそも皆が「俺は俺」と考える傾向が強く、少なくとも平素は学級を集団単位として意識することはないようだ。
結果、日本では集団の求心力を維持するために、未成熟なリーダー(仮)が集団内に仮想敵をつくって攻撃するということが常態化する。だが、中国ではそもそも集団化されていないため、そもそもイジメを行う理由がない、もしくはその動機が非常に弱いということのようだ。

どうもケン先生が「中国は意外と過ごしやすい」と思っているのも、その辺に理由が求められそうだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

対露包囲網強化で日露交渉は?

【NATO ウクライナなどとの軍事協力強化 ロシアに対抗】
 NATO=北大西洋条約機構は外相会議を開き、ロシアが併合したウクライナ南部のクリミア周辺で軍事力を増強しているとして、NATOとして非加盟国のウクライナなどとの軍事協力を強化することを決めました。NATO=北大西洋条約機構はことし設立から70年となるのを記念して4日、アメリカのワシントンで外相会議を開きました。会議では、ロシアが併合したウクライナ南部のクリミア周辺で軍事力を増強し、脅威がさらに高まっているとして、非加盟国のウクライナや黒海沿岸のジョージアとの間で、海軍の訓練や合同軍事演習などの軍事協力を強化することを決めました。
 NATOのストルテンベルグ事務総長は会見で、「いままさにNATOの艦艇が黒海で警戒に当たっている。NATOは極めて重要なこの地域で存在感を維持していく」と述べ、ロシアに対する抑止力をさらに高めていく考えを示しました。NATOはアメリカとヨーロッパ各国の間で国防費の増額などをめぐって足並みの乱れも指摘されています。外相会議の冒頭でアメリカのポンペイオ国務長官は「ロシアによる攻撃や中国との5Gをめぐる競争など新たな脅威に立ち向かうため、同盟を改善する必要がある」と述べ、同盟の結束を強めたい考えを示しました。
(4月5日、NHK)

1900年代や1930年代とはまた異なる形で緊張が高まりつつあるのかもしれない。
EUは英国の離脱、南欧とフランスの混迷、東欧における権威主義政権の乱立など、加速度的に遠心力が働いている。そのため、求心力を維持するためにNATOを利用して対露包囲網の強化を進めているのが実情だろう。
ウクライナやグルジア(ジョージア)をNATOに引き入れることは、徒にロシアを刺激するだけのものであり、ロシア側の防衛本能を強化させ、より攻撃的にしてゆくだろう。同時に、ウクライナやグルジアはNATOの後ろ盾を得たことで強気になり、「失った領土を取り戻せ」などと軍事的冒険主義に走る恐れがある。この両国は極めて政治的に不安定にあるだけに、冒険主義による政治的求心力の確保を目論む蓋然性が高いからだ。
ロシアとしてはNATOの強攻策に対して何らかの対抗措置をとらざるを得ず、それは外交、軍事、インテリジェンス上の不確定要素を増やし、衝突リスクを高めてゆくことになるだろう。

ここに来て、ロシア側が日露交渉の進展の遅れに何度も不満を訴えているのは、こうしたNATOの対応による焦燥感も影響しているかもしれない。まぁ一義的には、「主権の確定」にこだわりすぎて全く妥協に応じない日本側(外務省?)に対する怒りなのだろうが。

歴史的に見て非常に難易度の高かったはずのノモンハン事件の外交交渉が、意外にもあっけなく妥結されたのは、欧州方面(ドイツとポーランド)の緊張が高まったためだった。同時に日本側交渉担当の東郷茂徳がソ連側をうならせるほど粘り強く交渉したことも良い方向に働いた。

日露交渉は外務省ではなく、主に内閣官房が中心となって動いていると聞くが、是非とも国際情勢を上手く利用して有利に成立させてもらいたい。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

日本政治の求心力と遠心力

【3割、国会役立っていない 若者調査、関心の低さも】
 日本財団(東京)が「国会改革」をテーマに、17〜19歳対象の意識調査を実施したところ、「国会は国民生活の向上に役立っていない」との回答が30.0%で、「役立っている」の20.9%を上回った。一方で「分からない」との回答が49.1%を占めており、日本財団は「若年層の国政への関心の低さを表している」としている。調査は2月、全国の17〜19歳の男女800人を対象に、インターネットで実施した。国会が有意義な政策論議の場になっているかどうか聞いたところ、「思う」はわずか5.0%で、「思わない」が54.8%と半数を超えた。
(4月3日、共同通信)

ちょうど日本政治についての講演を持たせていただいて、結論部で「日本政治の求心力と遠心力」について話をしただけに、記事を見て「俺がしゃべったことじゃん」と驚いた次第。

その部分をかいつまんで言うと、
日本では1990年代以降、政官業の癒着と「決められない政治」を「改革」するとして、政治改革と行政改革が行われた。それは、どちらも総理大臣や政党代表に権限を集中させる方向に働いた。
政治改革では、政治資金規正法の導入で派閥の権力が弱められる一方で、小選挙区制の導入で公認権を有する党代表や幹事長への権限集中が進んだ。行政改革では、国務大臣とりわけ総理大臣と内閣官房の権限強化が図られ、民主党政権の迷走を経て、2014年には内閣人事局が設置されて、霞が関官僚の管理職人事は内閣官房にほぼ全権集約されるところとなり、政権党、特に内閣に反抗的な官僚は昇進できない構造になった。
自民党の政党支持率は3割に満たないにもかかわらず、安倍内閣の支持率が5割前後で推移しているのは、「とにかく何でもいいから決めてくれる」ことに対する支持が大きいだろうと考えられる。
これが「求心力」である。

だが、他方で政党支持では6割以上が「支持政党無し」という状態が続いている。特に若年層では、国政選挙ですら投票率が3割を切る有様にあり、自治体選挙になるとさらに下がる。どの政党でも、若年層が圧倒的に薄く、活動に支障が生じている。自民党ですら、支部レベルでは「青年部」が50歳代で構成され、若い人ほど入党勧誘を拒否する傾向が強いという。NK党も必死に若年層を勧誘しているが、地域の活動家は圧倒的に60代以上であり、60代ならむしろ若手くらいになっている。

さらに深刻なのは、エリート層の離脱である。1990年代、国家公務員第一種試験合格者は3割以上(大体35%程度)が東大出身者だったが、その後急速に低下、今では15%を切るところまで来ている。90年代以降の総理大臣を見ても、東大卒は宮沢首相と鳩山首相の二人きりで、東大閥はすっかり影を潜めている。
大臣レベルでは東大卒は散見されるものの、主観ではあるが、「こんなのが東大卒?」というレベルのものが多い。
東大卒の若い人に言わせると、「今時、まともにものを考える人間は官僚になぞならない」「民間の方が自由で、自分の能力を発揮できる」「役人なんてテストさえできれば誰でもなれる」ということらしい。
その東大卒や高級官僚も、かつては政界に転身するものが少なくなかったが(わが大伯父を含めて)、今ではせいぜい地方の首長になるものがいる程度で、政界に転身するのは専ら「霞ヶ関では目が出そうにない」と判断したものばかりとなっている。

ケン先生自身、母親を筆頭に周囲に東大卒が結構いるので実感が強いのだが、東大卒は明確に頭脳の出来(回転数と知識)が段違いなのだ。もちろん例外はいるのだが、その標準はやはり早慶などとはレベルが違うと言って良い。
こうしたエリート層が「官僚や政治家になるヤツはバカ」という認識に立つというのは、統治機構を担う人材の水準が急低下していることを示している。
私が永田町を辞して海外に飛んだことも含め、日本社会では急速に遠心力が働きつつある。

こうした流れを戦前の昭和前期から軍部ファッショに至る流れに喩える言説も少なくないが、私は必ずしもこれに与さない。
戦前期日本の場合、「弱い首相と内閣」「独立性の高い軍部」「衆議院と貴族院」「政党政治の未熟」などの要素が「決められない政治」を引き起こし、民意の暴発と官僚の暴走を抑止することができなかった側面が強い。これは、近衛が大政翼賛会を組織し、東条が陸海軍部を完全に抑えたにもかかわらず、どちらも国政を制御できなかったことから説明できる。
だが、現代日本の場合、「強い首相と内閣」「圧倒的議席を擁する政権党」「弱い軍部」などがすでに成立しており、昭和期よりもむしろファッショ要素が成立してしまっている。

リベラリズムやデモクラシーの伝統を持つ欧米では、いまだ求心力が働くには至っておらず、それ故に一方的に遠心力が加速している現状がある。一方、東欧(中欧)ではすでに求心力が進んで、権威主義政権が続々と成立している。

今回はあくまで現状認識にとどめるが、こうした認識が無いと、改元騒動一つとっても(全く興味ないが)まともな解説はできないであろう。
posted by ケン at 00:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

週末は周荘へ

先の週末は学生と周荘(簡体字では周庄)へ。
もともとは北宋期に仏教寺院が建てられたことに始まり、明代に水運の拠点となって商工業が発展、清代に至ったという。とはいえ、2,3千人規模の村(水郷)である。それでも一時期は、フィリピンやタイとの通商すら行ったというから、なかなかのものだ。
文革期に一部破壊されて建物は再建されたものが多いという。

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何故か村のそこここに豚足(調理済み)の専門店があるのだが、これは村の中興の祖である沈万三が、時の権力と対立してその憤懣を豚足を食べる事で鎮めた故事に由来するという。いかにも中国的な話だ。ただ、豚足の味自体は高い割にまぁまぁというところ。
秋に行った西塘はあまりにも整備されてテーマパークみたいだったが、こちらはもう少し歴史情緒を残している感じ。

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この日は中国人のバスツアーに参加する形で行ったが、ツアー代そのものは128元(約1900円)と恐ろしく安い。これに往復バス代と入園料が含まれているのだが、入園料自体が80元とかしているので、一体どういう価格体系になっているのか、考えると恐いものがある。
中国人のガイドが色々説明して、学生が少しだけ訳してくれるのだが、ガイドさんのけたたましさに比して、学生はおとなしすぎて声が聞こえないくらいだった。






posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月02日

統一自治体選から考える立民の評価

【統一地方選 自民微減 立憲・国民も300人割れ】
 29日告示された41道府県議選の立候補者3062人を党派別にみると、自民党は前回2015年から17人少ない1302人と微減した。前回に続き、総定数(2277)の過半数維持が目標だ。
 一方、結党後初めての統一地方選に挑む立憲民主党は177人、国民民主党は113人が立候補した。旧民主党は前回、政権与党だった前々回11年の約6割にあたる345人にとどまったが、立憲、国民両党の合計(290人)はその水準も下回り、旧民進党分裂後の党勢拡大が難航する現状が浮かんだ。 また公明党は166人(前回169人)、共産党は243人(同275人)を擁立。前回積極的に候補者を立てた共産だが、今回は32人減。日本維新の会は地域政党「大阪維新の会」として戦う大阪を除いて28人が立候補し、社民党は25人(同37人)、自由党は1人、希望の党は4人。
 全体の内訳で現職は前回比12人減の1949人、新人は183人減の1018人、元職は15人減の95人。「なり手不足」を反映し、新人の候補者数は過去最少を更新した。
 17政令市議選の立候補者1396人の党派別の内訳は、自民351人、立憲129人、国民61人、公明173人、共産185人――などとなった。大阪では、大阪市を廃止・再編する「大阪都構想」の是非を争点に、府知事・同市長の「ダブル選」も告示されている。都構想推進を目指す大阪維新の会は府議選で55人、大阪、堺両市議選で61人を擁立した。
(3月29日、毎日新聞)

ここから見て取れる情報は少なくない。
立民は完全に失速しつつあり、国民と協同しても分裂前にすら届かない有様にある。道府議選は政党の地力を表すもので、自民党の1302人と立民の177人との差はまさに政党としての力の差そのものと言える。
国民が支持率に比して健闘しているのは、同盟系労組の後ろ盾と旧民進の残党を引き継いでいるためだろうが、実際の当選者数を見てみないと正確な評価はできない。立民は労組の支援が少なく、政党基盤はゼロの状態で、勢いだけで戦おうとしているが、これもどこまで当選者を確保できるかで、実力を見ることができる。
NKは前回調子に乗って候補を乱立させたことへの反省なのだろうが、同時に「なり手不足」「高齢化」の問題が深刻になっており、展望は厳しい。社民党も少なくない候補が立民に流れており、いよいよ風前の灯火と化している。
立民は政令指定都市だけは健闘しているが、これは劇場型選挙に期待してのもので、実力の範疇では無い。

こうして考えると、やはり落ちぶれたりとはいえども組織を残している自民、KM、NK党が強いという評価にしかならず、政党基盤を作らずに議員政党に特化する方針を堅持して、大手の正社員労組におんぶに抱っこの立民・国民はハナからゲームに参加するつもりのない「独自の戦い」を演じているようにしか見えない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする