2017年06月08日

日本型組織の終焉

『OECDスキル・アウトルック 2017年版 』より。日本の労働者は読解力でも数的思考力でも「低い」者が圧倒的に少なく、OECD平均が23%のところ、日本は10%しかいない。にもかかわらず、労働生産性ではOECD内で最低レベル。この意味するところは、「エリートが無能だから」「無能なエリートが排除されない」「硬直した会社組織、市場、行政制度」などが考えられる。

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まず日本型システムは組織内部の交渉コストが異様に高く、迅速な判断や対応ができない構造になっている。例えば、私の妹は外資系銀行のディーラーだが、上司はシンガポールにいて、指示を受けたり、仰いだりするのは週に1回あるかないかだと言う。彼女の前勤務先は、国内トップ水準の不動産会社だったが、会議の多さと「ホウレンソウ」の煩わしさ、様々な意味不明な拘束や不文律に飽き飽きさせられていた。
つまり、一定の権限が付与されていても、個々人の判断では容易に行使できず、かといって必ずしも上に決定権があるわけでもなく、「何時、誰が、どこで」決めるのか全く不明な組織、システムなのだ。
意思決定の遅さは権限と責任の所在が不明確なシステムや組織文化に起因する。会議の多さは1つの象徴だが、現代社会あるいはグローバル市場に適合できなくなっている(競争力を持たない)のは間違いない。

新国立競技場の新設、建設費肥大化問題で、誰が最終責任者なのかが議論になったのは、つい最近のことだったが、原発再稼働問題でも同じことが起きている。これに関連して「インパール作戦は誰が決めたのか」も検証したので、記事を読んで欲しい。
意志決定過程や責任の所在が非常に不明確なのは、昨今に始まったことでは無いのだが、全く改善されそうに無いし、問題意識すら持たれていない。

・新国立競技場の責任者は誰? 

これはトップレベルだけの話では無い。例えば、残業=時間外労働は、管理者の命令をもって所定の手続きがなされて初めて成立しうる。これは、労働法で決められていることなのだが、現実には命令も手続きもまともに行われず、「何となく」習慣的に残業がなされるため、記録すら無い「サービス残業(違法労働行為)」が横行している。
公式統計上、日本の平均労働時間は年間1800時間弱とされているが、実際には2300時間を超えるとも言われ、年間500時間以上が「命令と手続きの無い違法労働」と見て良い。これでは、労働生産性が上がるはずも無い。

この意味するところは、日本の管理職は、部下の労働時間を管理する必要が無く、労働者はおろか労働組合も「自発的に」違法労働時に従事するため、生産性の向上にコストを支払うよりも、「率先してただ働きに従事する」労働者を酷使する方が「楽」なのだ。つまり、管理能力が低くても務まることを意味する。

そもそも日本の労働者は「職能」ではなく「人格」で雇用され、職務が限定されないため、成果を測る術がなく、組織や上司に対する忠誠度で昇進が決められていることが大きく影響している。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

また、日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

日本では明治以降、「忠実で勤勉な臣民を涵養して偉大な帝国をつくる」ことをスローガンとし、大戦後は「帝国」が「西側自由陣営の一員」になったものの、基本方針に変化は無かった。だが、実際には「上司や組織の顔色をうかがいながら、不平不満を言わず、仕事するフリをするだけ」の社会組織になってしまった。評価基準が、具体的な成果では無く、「組織と上司に忠誠を貫いた」なのだから当然だ。これは、小中学校の内申点から仕込まれているのだから、もはや「洗脳」と呼べるレベルであろう。
日本型組織は、グローバル化に対応できず、沈んでゆくのみだ。
posted by ケン at 13:03| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

英労働党が保守党を猛追

<英総選挙>あと1週間、労働党支持が急伸>
 8日に投開票される英総選挙まであと1週間となった。当初は与党・保守党の圧勝と予想されたが、選挙終盤に最大野党・労働党が急伸。保守党にどこまで迫ることができるかが焦点となっている。
 世論調査会社「YouGov」が5月31日に公表した調査結果によると、労働党は4月21日時点の23ポイント差から3ポイント差まで保守党に肉薄。保守党のマニフェストが、中流以上の高齢者の介護費用負担を重くしたことが響いたとみられている。ただ、「YouGov」以外の調査では、依然として保守党の議席が増えるとの予測もあり、情勢は流動的だ。
 労働党が1974年以降、議席を維持する英中部ウルバーハンプトンの南東選挙区で、地元誌のサイモン編集長は「貧しい労働者には保守党のマニフェストに盛り込まれた高齢者の負担増は影響しない。むしろ、政治への不信感から棄権が多くなる」と話す。
 実際にこの選挙区を歩くと、労働党の苦戦ぶりが感じられる。労働党支持者だったパン工場で働くスーさん(52)は「党は福祉に頼る人や移民を保護することしか考えていない」と語った。今回は保守党に投票する。昨年の国民投票では欧州連合(EU)離脱に投票。離脱交渉では保守党を率いるメイ首相のような強い指導者が必要だと考えている。
 この地域は鉄鋼業で栄えたが、保守党のサッチャー政権が誕生した79年以降、多くの企業が倒産。当時の恨みから、労働党支持者が多いとされる。
 外国生まれの住民の割合は16%と、イングランドとウェールズ地方の平均13%を上回る。大学卒業者の割合は23%と全国平均の38%を下回り、失業率は英国平均の倍近い8.4%。貧困層が多く、国民投票では移民の制限を求めて62%が離脱を支持した。
 労働党は、国民投票では保守党と共に残留を支持。投票後は「民意を尊重する」として保守党と同様に離脱を進める。しかし、交渉を巡り、両党の姿勢は異なる。メイ氏は移民の制限を打ち出し、交渉に強い姿勢で臨むことを強調。労働党のコービン党首は移民の制限を明確に示さず、残留派に配慮してEUの単一市場と無関税貿易を続けるとしている。
 インドからの移民で、自動車部品工場で働くダーナムさん(56)の目にも、EUとの交渉はコービン氏では頼りなく見える。保守党支持に回った同僚もいる。大学生の長女は緑の党に変えた。それでも「移民に寛容な労働党の方が、まだまし」と言う。労働党の牙城で、両党のつばぜり合いが続いている。
(6月1日、毎日新聞)

当初英保守党の圧勝が伝えられたものの、ここに来て労働党が猛追しているという。保守党を「油断させない」ためのプロパガンダかと思わなくも無いが、世論調査結果に満足した保守党がいささか不用意な政策を打ち出してしまった面は否めない。
とはいえ、労働党は現在もなお古典的社会主義派とブレアに象徴される市場重視の「第三の道」派が激しく相克しており、コービン党首もかろうじて党首の座を維持しているに過ぎず、広い支持を集められるだけの状況には無い。つまり、保守党の敵失や二大政党制に助けられているだけで、展望が見えているわけではない。だが、その主張は確認しておこう。

【税制】8万ポンド(約1200万円)を超える高所得者に対する増税。法人税の引き上げ。民間の健康保険に課税してNHS(国営健保)の財源にする。

【積極財政】大学無償化。公営住宅の整備促進。民間住宅の賃料抑制策。郵便、鉄道などの再国営化。

【安全保障】対テロ戦争に消極的、外交対話重視。地域の治安、社会プログラムの強化。

【労働経済】最低賃金の引き上げ。最高賃金の設定。民間住宅の家賃規制。

【移民】移民規制に反対。公正なルールに基づく管理。不当な待遇をなす企業に対する監視強化。
posted by ケン at 09:14| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

ザハロワ様のジゼル 2017

今シーズンは今ひとつ食指が動かず、かなり久しぶりのバレエ鑑賞になってしまった。
ボリショイの公演は1年近く前に予約しなければならず、当然ながら1年先の国会会期中の予定など立つわけも無いわけで、「仕事をなげうってでも行く」価値のあるものしか予約できない。もちろんザハロワ女史のことである。
今回の選択肢は、「白鳥の湖」と「ジゼル」ということで、白鳥にするつもりだったが、私が予約する頃には会員用先行予約で良い席が埋まっており、「ザハロワのジゼルも贅沢だよな」ということでジゼルにした。女史の公演だけは、チケットが高値に設定されているにもかかわらず、あっという間に完売するのだから、相変わらずの人気である。

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当日、会場に行ってみると、楽屋口には黒塗りの車が何台も止まっている上、ホールの入口からして物々しい警備。ロシア大使が来るくらいは考えられるが、それにしては物々しすぎる。テロ予告でもあったのかと思わなくも無いが、であればもっと厳しい警備になっていただろうから、微妙な案配。
すると、ゴロジェッツ・ロシア副首相と安倍総理が「ロシアの季節」開会の挨拶を行い、会場を見てみれば、中央中段に安倍総理、岸田外相、高村自民党副総裁が三人並んで座っている。驚くべきことに最後まで観劇していた。第五次日露協商が成る日も遠くない。

「ロシアの季節」とは、ロシア政府肝いりによる、諸外国における文化祭典を催し、継続的にロシアの芸術家を送り込んでイベントを行う事業を指す。要は、国家事業による文化プロパガンダである。もちろん、日本政府の「クール・ジャパン」などとは比較にならない「重さ」があるが、これは国家戦略上の重要度を示すもので、ソ連あるいは帝政ロシア以来の伝統と言える。

「権力の道具」としてのボリショイ劇場。その支配人は就任時に閣僚に呼び出されて「ボリショイとは何か」の薫陶を受けるという。全てに従属的な日本人と異なり、「道具」の自覚があるからこそ、アーティスト側に反発も生まれ、芸術表現の相克が生じる。同時に権威のモスクワと反権威のペテルブルク(マリインスキー)という対立軸も生まれ、ロシア芸術に深みをもたらしている。
こうした「圧倒的な権力と反権力」は、ロシアの不条理そのものであり、ロシア人アーティストの表現に決定的な影響を与える。欧米のオペラであれバレエであれ、そのテーマの多くが「抗いがたい不条理」に基づいているが、幸いにも現代日本では一般生活において不条理を覚えることが比較的稀であるため、日本人の表現者は不条理や暗黒面が上手く表現できない。
私が常々繰り返している「日本人バレリーナは白鳥は踊れても、黒鳥は踊れない」はこの延長線上にある。真面目に努力しているだけの良い子ちゃんには表現できない(理解できない)世界があるからだ。

余談が過ぎた。
「ザハロワでジゼル」など、私にとっては「平日のランチに和牛ステーキ」的な贅沢を覚えるが、それはそれで良いだろうというのが今回の判断だった。実際、「ロシアの季節オープニング」に「白鳥の湖」ではなく、「ジゼル」を持ってくるにはそれなりの理由があるのだろう。

目的のザハロワ女史は、「妖艶すぎて村娘には見えない」問題はあるものの、安定したテクニックと舞台にあるだけで美しい存在感と上品な演技力で、完全に舞台をコントロールしていた。特に演技力に磨きがかかっており、テクニックで圧倒する演目では無いだけに光るものがあった。
それにしても、前にも思ったが、女史はどう見てもガリガリに痩せており、筋肉のつく場所も無いような感じなのだが、完璧な身体コントロールを見せていて、彼女の存在自体が奇跡にしか思えない。
確かに全く文句の無い舞台で、女史に至ってはずっと目が釘付けだったのだが、終わってみればやはり「平日ランチに和牛は贅沢だったか」と思わなくも無かった。

「ロシアの季節初日」「ボリショイ初来日から60周年」ということもあり、中堅ダンサーも選りすぐってきたようで、コール・ド・バレエも非常に美しく、中には何人か「プリンシパルでも良くね」くらいの感じのダンサーもいて、高い水準を示していた。ただ、初日のせいか、どうも緊張感が漂っていて、やや堅さが見えた。また、レベルを重視しすぎて群舞としてのバランスという点では、難があったかもしれない。

伯爵役のロヂキンは若手だと思っていたが、もはや十分な貫禄があり、ザハロワ女史の相手役としても十分な安定感を示していた。

最近のロシア・バレエは衣装が美しく、特に色合いが非常に私好みで気に入っている。その意味では、第二幕はブルーライトが続くので惜しかった。

そして、今回はモスクワから劇場直属の管弦楽団を連れてきており、単なる背景音楽ではなく、舞台と一体化した芸術を見せてくれた。なるほど改めてボリショイ管弦楽団の存在の重さを実感した次第。個別に何が違うのかと聞かれても上手く説明できないのが悔しいが。

次は「パリの炎」である。
posted by ケン at 12:41| Comment(2) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

加計疑獄に見る規制緩和問題など

共謀罪や加計疑獄につけて、「野党は審議拒否して欲しい」とのファクスやメールが続々と届いている。これも一種のポピュリズムの表れであろうが、旧式左翼どもの後先考えない浅はかさである。「民主主義の危機」とか言うのはマジで勘弁して欲しい。そのデモクラシーの定義は何よ。

審議拒否は議会戦術の一つだが、「伝家の宝刀」であり、一度鞘から抜いてしまったら戦を終えるまで収められない。にもかかわらず、敵にダメージを与えられる保証はどこにもない。
具体的に想定してみよう。仮に現状で「安倍内閣ケシカラン、審議拒否する」と言った場合、与党側の選択肢は2つある。1つは、「すみませんでした。こちらが悪かったです。できるだけ野党の言うとおりにしますから許してください」と条件付き、または無条件降伏する。2つは、「内閣は誠実に応じているのに、野党は議会での議論を拒否した。これでは国政が全面ストップしてしまう。仕方ないので、与党だけでやらせてもらいます」と完全無視するパターン。

審議拒否や議員総辞職は1つ目のパターンが成立することが前提となり、有り体に言えば、与野党の国対が最初から「話がついている」状態で無いと成立しない。
つまり、現状ではほぼほぼ後者のパターンになる。結果、政権に従属するマスゴミは官邸の意向に従って「野党の横暴」を全面的に報じ、「審議拒否する野党は自らの責任を放棄して国政を停滞させようとしている」なる「印象操作」がなされるだろう(しかも、あながち間違っていない)。そこで、与党は審議を全部スルーして、共謀罪などの悪法の数々を予定を繰り上げて成立させることが可能になる。もちろん森友・加計疑獄の追及も不可能になり、内閣にとっては「ラッキー」くらいの話だ。政府・与党の圧勝に終わり、野党にとってはマイナスしかない。
「国民政府を対手とせず」との声明を出した近衛内閣がどうなったか、日華事変・日中戦争の故事を学ぶべきだ。

さて、加計疑獄を見る視点として「規制緩和」は欠かせない。今回の場合は獣医学部の新設だが、例えば私の家の周りには、徒歩数分のところに少なくとも5軒の動物医院があり、競合している。ところが、全体的にはペット数は微減傾向にあり、特に犬の減り方は顕著だ。酪農家の廃業も急速に進んでいる。
にもかかわらず、地方では獣医師が不足しているという。これは人間の医者も同じ構造にある。地方での開業は様々なリスクがあり、閉鎖的な地域社会に溶け込める保証はどこにもない。ビジネスとしても、地方ではペットを獣医師に診せないケースが非常に多く、酪農・畜産業の衰退もあって、長期的な経営計画が成り立たない。また、個人的にも、獣医師や医師が自分の子を自分と同レベルの大学に入れようとしても、低レベルの学校しか無く、とうてい高度な教育を受けさせられる環境に無い。その結果、たとえ競合が激しくても都市部で開業した方が「まだマシ」であり、「都市か地方か」というのは選択肢として成立していない。

その結果、獣医師会は「医師数は適切」と主張するのに対し、酪農・畜産業者を始めとする地方財界は獣医師増を要望するというギャップが生じている。安倍内閣は自分で規制を掛けながら「岩盤規制の打破」などと言っているが、不必要な規制緩和を行った結果、弁護士、歯医者、タクシーなどがどのような末路を迎えたか、考え直すべきだ。
そして、日本の選挙制度は小選挙区制であるため、地方財界から献金付きで陳情を受ければ、与党だろうが野党だろうが、これを拒否できない。そのため、民進党でもE田前参議やT井議員などを筆頭に複数の議員が、加計学園等から献金(パーティー券の購入を含む)を受けて政府に働きかけ(圧力)を行っていた。
要は、加計学園は「ロビー活動が上手い」というだけなのだが、財界から献金を受けた政治家が、法や行政の逸脱を強いているという腐敗こそが問題なのであり、それは自民党が「より酷い」というだけで、民進党も汚染されているのは間違いない。
魚は頭から腐る。(ロシアのことわざ)

国家というものは、下から上へ向かって腐敗が進むということは絶対にないのです。まず頂上から腐りはじめる。ひとつの例外もありません。(銀英伝・ルビンスキー)

獣医学部の新設は、医師の偏在という問題を解決することなく、闇雲に地方に学部を新設したところで、都市部の医師数が増えて競合が激しくなるだけの話であり、地方での開業が増える保証はどこにもない。

かつては医学部には医局制度があり、医局の教授が圧倒的な権力をもって若い医師を地方に送り込み、地方で任務を無事遂行した医師は出世や開業が保証されるという仕組みだった。ところが、これが様々な理由から「権威主義的」として実質的に廃止され、「個人の自由」に委ねられた結果、誰も地方に行かなくなってしまった。医局制度は確かに権威主義的ではあったが、少なくとも一定の需給調整機能を果たしていた。それを代替させるものを容易せずに廃止してしまった結果が、地方の惨状を招いている側面は否めない。

また、「規制緩和」は緩和する側が圧倒的な権力を有するため、そこに腐敗が集中する。それだけに、意志決定過程を全て明らかにしなければ、腐敗を加速させることになるが、日本の場合、先進国最低水準の情報公開がこれを妨害、自民党の超長期政権が腐敗を加速させるというスパイラルに陥っている。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

TVドラマ「巨匠とマルガリータ」

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ТВ Сериал "Мастер и Маргарита"

ミハイル・ブルガーコフの発禁小説「巨匠とマルガリータ」がロシアでドラマ化され、初回視聴率50%という恐ろしい数字をたたき出した。
原作を読む気にはなれないので、せめてドラマでもと思ったのだが、500分という大河で、これすら見終える自信が無い。
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月03日

三十年戦争で甲越戦争を妄想する

今回「三十年戦争」をプレイして改めて思ったのは、このシステムこそが日本の戦国期の戦争をシミュレートするに相応しいのではないか、ということである。そして、ゲームにしやすそうなのは、「川中島の戦い」に象徴される甲越戦争であろう。

繰り返しになるが、「三十年戦争」の最大の特徴は、毎ターン軍を維持するのに金がかかるだけでなく、その資金は外国からの援助を得るためにカードをプレイする必要があり、そして未払いの部隊は勝手に掠奪を始めたり解散してしまったりする。さらに、移動に際しては部隊規模に応じて進撃途上で掠奪していくことがルール化されており、すでに掠奪されている土地ではさらなる掠奪や募兵ができないというシステムになっていて、非常に中世の殺伐とした雰囲気が再現されている点にある。

近年の研究を読む限り、戦国期の出兵は農閑期に行われるほか、夏の麦や秋の稲の収穫期に他国に侵攻して苅田を行うケースが非常に多かったことが判明している。同時に、時季外れに「青田刈り」を行うことで他国の収穫を妨害することも行っていた。ところが、従来のゲームデザインには殆どこうした史的研究が反映されておらず、「シミュレーション」というよりは、「仮想ゲーム」に近いものになってしまっている。
戦国期の戦争が、季節の影響を受けにくくなるのは、織田信長や豊臣秀吉が兵站システムを充実させるようになってからのことで、つまり戦国最末期のことだった。

かと言って、「武田軍はターン終了時に甲府に再配置」では、それはそれで現実味が無く、面白くも無い。すると、「武田軍は甲斐国内では自動支払いを受けるが、国外では軍費を払うか、掠奪ダイスを振らなければならない」とする方が、より史実に近い形にできるだろう。

また、従来のゲームでは、どちらか一方が敵を一方的に叩く感じの戦闘システムが多かったが、これも「三十年戦争」同様にファイアーパワー・システムを採用することで、双方が相応の損害を受けることにすれば、勝ち続ける限り、一方が他方を一方的に攻撃し続けるパターンがなくなり、史実同様の長期化が再現される。史実では、武田晴信による信濃攻略は、1542年の諏訪侵攻から同57年の信濃守護職補任まで15年もかけている。

構想としては、1542年の武田氏による諏訪侵攻から同64年の第五次川中島合戦(史実では対峙しただけ)まで、1ターン=2年で11ターン、あるいは12ターンくらいの構成になるだろうか。
勝利条件は、武田方は一定の条件を満たした上で信濃守護職補任されること、反武田連合はそれを阻止すること。

武田方は、黒川金山の収入等で強化された精兵を率いて諏訪に侵攻。これに伊奈の高遠頼継が呼応する。対する反武田方は、諏訪の諏訪頼重、長窪(小県)の大井貞隆、佐久の笠原清繁が個別に蜂起する構図。

戦略カードは「序盤戦」と「全面戦争」の2つのデッキ。
反武田の序盤戦デッキには、「村上氏参戦」と「小笠原氏参戦」があり、二者の参戦をもって武田方と対等になる。村上義清の戦術値は高めに設定する必要があろう。
金山と甲駿貿易による豊富な資金に裏付けられ、家臣団の団結の強い武田方と、国人衆の支持と高い戦術性を有しながら、連合軍ゆえの指揮統制の弱さのある反武田方の対立。
武田方は、埴科ないし更級を支配した上で、一定のVPを有すると信濃守護職を申請できるようになるが、朝廷工作も必要。
問題は、「長尾氏参戦」のタイミング、長尾氏参戦後の「全面戦争」の構図、関東情勢をどう処理するかがカギだ。

妄想ばかり広がるが・・・・・・
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

Thirty Years Warでカトリック万歳

T後輩にGMT「Thirty Years War」をインストール。
何と言っても来年は「三十年戦争開戦400周年」であるし、大西先生の『乙女戦争』8巻刊行記念でもある。まぁフス戦争や三十年戦争に熱を上げている日本人が果たして何人いるのか心許ないのは確かだが。

一応作品のおさらいをしておこう。
本作は、ドイツ三十年戦争をテーマとし、1618年のボヘミア反乱から同48年のウェストファリア条約締結までを再現する(ゲーム的には1620年より)。プレイヤーは、カトリック派とプロテスタント派に分かれて、それぞれの派に属する複数の国家や諸侯の軍を指揮して、自派の勝利を目指す。
マップはドイツ全域、オーストリア帝国の一部、オランダからフランスの一部までを含む。
本作が最も興味深いのは、毎ターン軍を維持するのに金がかかるだけでなく、その資金は外国からの援助に依拠、未払いの部隊は勝手に掠奪を始めたり解散してしまったりする。さらに、移動に際しては部隊規模に応じて進撃途上で掠奪していくことがルール化されており、すでに掠奪されている土地ではさらなる掠奪や募兵ができないというシステムになっていて、非常に中世の殺伐とした雰囲気が再現されている。

プレイに先立って後輩に「どっちをやる?」と聞いたところ、「どっちが難しいですか?」と返してきた。史実は、本ゲームで言うところの「ゲーム終了時点でプロテスタント勝利」に終わっているが、実際には1620年にカトリックとプロテスタントの両軍が先端を開いてから、プロテスタント側は負けに負け続け、最初に戦場で勝利を得たのは1631年のことだった。つまり、全15ターンのうち(1ターン=2年)、プロテスタント側は前半部はひたすら押し込まれることを覚悟する必要があり、下手すると押し切られてしまう恐れがある。カトリック側は当初、装備も指揮官も圧倒的に優位に立っており、プロテスタントを圧倒すれば良いが、これに対してプロテスタント側は戦力や指揮官を維持しつつ、「どこまでカトリックの攻勢(暴虐)を耐えて我慢するか」を見極める必要がある。つまり、プロテスタント側は「戦争マネージメント」が難しい。
などと説明したにもかかわらず、後輩はプロテスタントを選択。私は、購入から10年以上を経て初めてカトリックを持つところとなった。

この日は11時過ぎから始めて21時近くまでプレイし、1回目は14ターン、2回目は7ターンまで終えた。一人は初心者であることを考慮しても、この規模のゲームながら良好なプレイ・アビリティである。

1回目は、プロテスタント側が「リシュリュー卿、フランス宰相に就任」を作戦カードに使ってしまい、フランスからの資金援助が滞った上、スウェーデン参戦の前提条件が満たせなくなってしまった。通常の流れであれば、「序盤戦」のカードはもともと12枚しか無いので、一度見送っても3ターン目か4ターン目には手元に戻る計算なのだが、カトリック側が順調に「オランダ攻略」「選帝侯位をバイエルン侯に移行」「回復令」を進めた結果、あっという間に30VPを確保して「介入期」カードが加えられ、「リシュリュー卿」が遠ざかってしまった。とはいえ、カトリック側もサドンデス勝利(50VP)を目指せるほど圧倒的では無く、ティリーは早々に死んでしまったものの、インファンテ卿率いるスペイン軍が猛威を振るい、40VPを維持するのが関の山だった。スウェーデン参戦は13ターンになってしまい、帝国軍(神聖ローマ、オーストリア帝国)はヴァレンシュタインを始め健在であり、「15ターン終了時に30VP以上」というカトリック側の勝利は堅いものと判断されるに至った。むしろ、スウェーデン軍無しでよくここまで持ったという評価が正しいかもしれない。

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下プファルツ=ロートリンゲンを暴れ回るスペイン軍。5ユニットで20火力とか「何言っちゃってるの?」みたいに強い。

二回目、プロテスタントは最初から「ガンガンいこうぜ」を選択、バイエルン軍に襲いかかって消耗戦を強いる。確かにバイエルン軍は消耗してしまい、数ターンにわたってボヘミアもプファルツもプロテスタント側が維持し続けたものの、その代償としてプロテスタント側は指揮官が次々と死亡、対するティリーは健在だった。結果、5ターンまで20VP台が維持されたものの、6ターンにはカトリック側の大攻勢によってプロテスタント側の補給源が全て抑えられ、プロテスタント側は軍に支払いが行えなくなり、勝手に解散し始め、そこをカトリック軍が襲いかかり、ほぼ壊滅。7ターンにはハンブルグを包囲しているデンマーク軍を残すのみとなり、無人のドイツをカトリック軍が蹂躙、全選帝侯を抑え、回復令を発し、50VPを突破して、サドンデス勝利に終わった。

本作はとにかく「終わらないゲーム」で、20VP後半から30VP前半をひたすら行き来するイメージだっただけに、まさかサドンデスになるとは自分でも想像できなかった。つーか、せっかく史実を説明したのに、何で一枚看板のマンスフェルトで戦うかなぁ。プロテスタントは「スウェーデン軍が来るまでどうやってお茶を濁すか」がカギなのに。さらに言えば、グスタフ=アドルフとティリーまたはワレンシュタインを相打ちにして、フランス軍でVPを回収するというのが、プロテスタント軍の「定石」だと思うのだが。
ちなみに二回ともまともに戦っていたのは、バイエルン軍とスペイン軍だけで、特にスペイン軍の最強ぶりが際立ったプレイとなった。「スペイン最強」なんてゲームは、本作以外に知らない。

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ペンペン草一本生えない中欧の図。

結論、まだまだ教育が足りないようだ。
仮想世界のこととはいえ、中高大と10年もお世話になったカトリック教会に恩返しできたと思うことにしたい。
なお、後輩氏に「プロテスタント軍のマーカーはなぜ鶏なんですか?」と問われ、分からなかったので後から調べたところ、どうやら主イエスに「今夜あなたは、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた使徒ペトロの故事に由来するらしい。深い。
posted by ケン at 12:06| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする