2017年07月06日

防衛費拡大へ

【GDP比2%防衛費「参考」 自民調査会が中間報告】
 自民党の安全保障調査会(会長・今津寛衆院議員)は20日、平成31年度から5年間の次期中期防衛力整備計画に向けた提言の中間報告をまとめた。北大西洋条約機構(NATO)加盟国が防衛関係費について国内総生産(GDP)比2%を目標としていることに関連し、「(NATOの目標を)参考にしつつ、厳しい安全保障環境を踏まえた上で、十分な規模を確保する」と明記した。日本の防衛関係費はGDP比1%程度にとどまっている。中間報告では増額の幅について「あくまで必要不可欠な装備の積み上げの結果に基づいて判断する」とした。調査会は当初、先の国会開会中に最終報告をまとめ、政府への提出を目指していた。しかし、宇宙やサイバー分野など議論を深める必要があると判断、来春まで検討を重ねて最終報告をまとめることにした。
(6月21日、産経新聞)

まぁこうなるわな、と。
安倍・自公政権が対中強硬路線を選択する以上、軍事費の肥大化は避けようが無い。現状、2016年の軍事費で中国が2152億ドルに対して、日本は461億ドルでしかなく、中国の戦力は全て太平洋に向けられているわけでは無いにせよ、確かに在日米軍の存在によって拮抗が保たれていると考えてもおかしくはない。単純比は21.4%である。
中国にロシアを加えれば2844億ドルとなり、比率は16%になってしまう。もっとも、ロシアの軍事力の大半は欧州方面に向けられている。とはいえ、安倍政権が必死に日露協商を志向するのは、対中強硬路線を採る上で「他に選択肢は無い」ためだ。
しかも、中国の経済力は成長が衰えたとは言え、年6〜7%もあるのに対し、日本は1%という有様で、彼我の戦力差が日に日に拡大するのは隠しようが無い。

従来の冷戦構造下では、日本と韓国と台湾が西側の最前線となっていたが、台湾は実質的に中国の影響圏入りを認め、韓国も抗戦意思を失って中国の影響圏入りを受容しつつある。彼我の国力差を考えれば、当然の選択だが、日本だけが徹底抗戦を試みようとしている。

とはいえ、中国は経済成長の赴くままで歳入も自動的に増え、特別な負担無くして軍事費を増やせる算段だが、ゼロ成長の日本の場合、軍事費を増やすためには増税するか、他の歳出を削減するほかない。
現状、日本の軍事費はGDPの1%、歳出の約5%であるが、これを2倍のGDPの2%にした場合、歳出の10%を占めることになる。だが、国債費と地方交付税交付金等を除いた政策的経費である一般歳出で見た場合、2017年度予算で8.7%に達しており、軍事費を2倍にすると単純計算で17.4%にもなる。そのしわ寄せは、自民党政権である以上は、大衆増税ないしは、社会保障費や教育費の削減に向けられることは間違いなく、今後国内の不穏はさらに高まってゆくものと思われる。

そう考えると、この間自公政権が、刑事訴訟法改正、通信傍受拡大、秘密保護法、共謀罪と治安法制を強化し続ける一方、公文書管理法や情報公開法の有名無実化を進めた理由が見えてこよう。
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2017年07月05日

ハクソー・リッジ

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『ハクソー・リッジ』 メル・ギブソン監督 アメリカ(2016)

良心的兵役拒否者ながら太平洋戦線への従軍を志願し、公式記録で75人の負傷兵を保護したとして名誉勲章が授与されたデズモンド・T・ドスの入隊から沖縄戦までを描く。
とはいえ、映像化されているのは沖縄戦の、前田高地戦の2〜3日間だけで、「ハクソー・リッジ」とは米軍側の名称で「弓鋸崖」を意味する。そもそもこの邦題が適当だったのか大いに疑問だ。

以下、ネタバレ注意。



ネット上の評判は悪くなく、一部に熱い支持者がいるようだが、動員の方は芳しくないらしい。敢えて沖縄や対日戦であることを隠した宣伝が、映画の内容までも隠してしまって、二の足を踏ませているのかもしれない。何がテーマなのか分かりづらいとも言える。
そして、結論から先に言えば、戦闘シーンこそ部分的に充実しているものの、テーマ的に戦争映画なのか宗教映画なのか曖昧で、しかも最終的には形の異なる英雄譚になってしまっていて、「こんな立派な人がいたんです」程度の主張に終わっている

客観的に見ると、宗教的に尖りすぎた主人公が、愛国心と信仰と宗教的義務に突然目覚めて、軍隊内の軋轢を乗り越え、美女と恋を成就させ、文字通り剣林弾雨の戦場で八面六臂の活躍をして戦友を救いまくり、生還するという話で、しかも本人は自身の特異な精神と信仰に何の疑問も躊躇も無いため、ある種、異世界ヒーローもののような話になってしまっている。
おそらくは、現代日本人の大半は主人公に共感を覚えることは無いのではなかろうか。狂信的なまでの「信仰に基づく義務感」から軍の規範や習慣に反してでも従軍し、「国家に尽くす」という発想は、普通に想像の範疇を超えるからだ。

ところが、現実のアメリカ人がどう感じたかは分からないが、米国と米軍の成り立ちを考えた場合、本主人公の存在は必ずしも特異なものではない。少し長くなるが、説明しておこう。

アメリカ独立戦争は、もともと七年戦争とフレンチ=インディアン戦争に伴う財政危機を回避するために、英政府が植民地(のみ)に対する課税強化を行ったことに端を発する。様々な新規課税が植民地移民の合意なくして進められた上に、東インド会社の茶だけは非課税の独占販売ということになり、「ボストン茶党事件」(1773年)が起きる。これに対して英政府が弾圧に乗り出して懲罰的立法による自治権剥奪を行った結果、各植民地を守る民兵が暴発、イギリス正規(連合王国)軍との戦闘に入った。アメリカ独立のための「大陸軍」が結成されたのは、植民地ごとに分断された民兵の統率を一本化するためであり、現に独立が認められ戦争が終結すると、大陸軍は実質的に解散、その後も長いこと常備軍を置くことに慎重なスタンスが続いた。独立戦争に続く、米英戦争が1812年に起きたとき、米陸軍はわずか1万人足らずしか持たなかった。

アメリカ軍の目的は「独立を維持すること」にあり、「必要なときに必要な兵を志願募集、不要になったら解散して市民生活(信仰)に戻る」ことを原則とした。アメリカ合衆国は、本来的には平等な権限を有する州の連合体(合州国)であり、巨大な権限を有する中央政府や軍隊は「悪しき英国モデル」として忌避すべき存在だった。アメリカ市民にとって至高の価値は、イギリス国教会から独立した「崇高なる純粋な信仰生活」(ピューリタニズム)であり、個人の信仰と家族共同体を守るために軍に志願することは、神に忠誠を尽くし天に徳を積むものだった。結果、軍に集ったものは「信仰と家族を守る兄弟」と考えられた。つまり、「神に対する義務と神の下での平等によって信仰共同体を協同防衛する」というのがアメリカ軍の根幹理念だった。アメリカが、無神論のソ連や中国、あるいはイスラム諸国に過剰な敵愾心を示すのは、「信仰共同体に対する脅威」であるからなのだ。

作中の前半部は、志願して入隊しながら小銃を手にすることを拒否する主人公に対する隊内イジメと軍法会議で終始するわけだが、「信仰の内容がどうあれ、信仰を守るために軍役に従事するのは米国市民の本分である」という主人公の主張と、軍事法廷が出した結論は、アメリカの国と軍の成り立ちを理解していないと、主張は狂信者のそれ、判決は非常に御都合主義的に見えるだろう。結果、よほどアメリカ史に通じていないと作品の意味するところが理解できず、恐ろしくハードルの高い作品になっている。そして、後半部の延々と続く戦闘と救出のシーンは、ギブソン監督にとっては「神の試練」を描いたに過ぎず、監督の主張は前半部に集約されているという点でも、戦争映画としては問題ありすぎだろう。

その戦闘シーンは、確かに沖縄戦の中でも最も過酷な5月上旬の前田高地を描いているだけに、日本側の火力集中も凄まじく、米側にも死傷者が続出するわけだが、肉体損壊の描写が全く容赦なく、スプラッター映画以上になっている。故に「プライベート・ライアンを超えた」などという話も出ているが、どうだろう。日本軍は真っ昼間から突撃してくるし、しかもかなり密集しており、映像演出上の理由なのだろうが、疑問は禁じ得ない。

やはり戦争ドラマとしては、トム・ハンクス『ザ・パシフィック』の方が、平均的なアメリカ市民が出征してどう感じて何を考え、見えない日本軍に撃たれまくる恐怖感や、突然襲いかかってくる敵の恐ろしさ、つまり太平洋の戦場の実相が良く伝わっている(ような気がする)。
やはりギブソン映画は「宗教映画」なのである。
posted by ケン at 12:43| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

今後の政局を占う 2017.7

【内閣支持率49%、12ポイント減…読売調査】
 読売新聞社は17〜18日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は49%で、前回調査(5月12〜14日)の61%から12ポイント下落した。不支持率は41%(前回28%)に上昇した。内閣支持率が50%を割ったのは、昨年6月17〜19日調査(49%)以来。下落幅は2012年12月の第2次安倍内閣発足以降で最も大きかった。ただ、最低を記録した安全保障関連法成立直後(15年9月調査)の41%は上回った。内閣を支持しない理由のトップは「首相が信頼できないから」48%で、第2次安倍内閣発足以降で最も高かった。一方、政党支持率は自民党41%(前回43%)、民進党7%(同6%)などの順で大きな変化はなかった。
(6月19日、読売新聞)

【都議選投開票 都民、民進離党の尾崎大介氏を公認】
 「都民ファーストの会」代表の小池百合子知事は都議選の投票終了後の2日夜、報道陣に、民進党を離党して都民推薦で出馬し当選を確実にした現職の尾崎大介氏(43)=北多摩第3=を都民公認に切り替えたと発表した。尾崎氏は都議会民進系会派の幹事長を務めるなどしていたが、「幅広い支持を求めていきたい」として民進を離党。無所属で選挙戦に挑んでいた。
(7月2日、産経新聞)

今回の通常国会、当初会期延長が噂されていたものが、突如延長無しで重要法案が強行採決された背景には、総理の健康問題もあるが、文科官僚の離反が深刻で加計疑獄が深刻化することが予測されたため、「国会延長の方が強行採決よりもリスクが大きい」と自民党国対が判断したことがある(と推察される)。
つまり、一時的な内閣支持率の低下は「折り込み済み」の話であって、会期延長して加計疑獄で国会が泥沼化する方が、被害が大きくなるという判断だった。そして、国会さえ閉じてしまえば、野党には追及する術が無いため、官邸としてはテキトーにカネをばらまいて世論が沈静するのを待てば良い。そのための東京五輪でもある。

ところが、会期末から閉会後にかけて自民党議員のスキャンダルが続発。トヨマユ事件については、恨みを持った元秘書が山ほどいるだけに意外には思わなかったが、下村元文科大臣の事件については、裏帳簿がそのまま表沙汰になってしまうという、政界の常識では考えられない事態に発展している。この連続スキャンダルに対して、官邸や自民党がマスゴミに情報操作を求めたものの、時すでに遅く、むしろ「水に落ちた犬を叩け」とばかりに攻撃されるところとなった。これまでマスゴミなどを力で押さえつけていただけに、溜まっていた不満が噴出したものと思われる。

現在の小選挙区制度では、公認権を独占する政権党総裁が圧倒的な権力を有するため、都議選の敗北によってすぐに安倍政権がどうかなることは無いだろう。しかし、都議選の大敗によって少なくとも当分の間は「解散カード」を封印せざるを得なくなっており、早々に内閣改造を行って、秋の臨時国会を開いて大型バラマキか、さらなる株価操作を行って支持率を回復させなければならなくなっている。
安倍氏の予定表では、来年までに憲法改正を行うことになっているようだが、「支持率回復」と「改憲」の二兎を追う必要に駆られている。つまり、スケジュール的に厳しくなりつつあるだけに、今後はさらに強引な手法を採ることも出てきそうだ。

本来は、臨時国会を開かないで、来年早々に通常国会を開いて改憲案を提示したかったのかもしれないが、臨時国会を開いて「パンとサーカス」を提示しなければならなくなっている。
だが、安倍・自民党を頂点とする政官業報の腐敗構造はそのまま維持されているだけに、何かあれば不満が露呈、内情暴露が続出するリスクにさらされている。80年代までと異なるのは、自民党の分配する利権にあぶれる層が増え、多数で腐敗構造を維持するシステムが保てなくなっている点にある。

そう考えると、稲田防衛大臣が「党軍一体」を強調するのも頷けよう。自民党は、「他の野党が支持されないから」支持を集めているだけで、決して強固な支持を得ているわけではないため、軍や警察のような実力装置に強固な支持基盤を築きたいのだろう。

とはいえ、都議選で大敗したのは自民党だけではない。むしろ状況としては民進党の方が厳しいだろう。
自民党が都議選で敗北したのは、4年前の2013年の選挙で大勝したため、候補者調整ができず、共倒れが続出したことが大きい。KM党やNK党のような全体主義政党で無い限り、候補者を下ろすようなことは非常に難しいため、たとえ負けると分かっていても避けようのないことだった。確かに23議席は歴史的大敗だが、要は「自民党(仮)」に一時的に議席が移っただけの話であり、全体としては大きな問題とは言えない。

これに対し、民進党は09年の選挙で54議席を得たものが、前回15となり、今回5議席で壊滅一歩手前の状況にある。このこと自体が、90年代に言われた「中選挙区制では政権交替は起きない(から小選挙区制が必要だ)」という言説がウソだったことを証明している。
今回の選挙では、都議会民進党の幹部がこぞって都民ファーストに鞍替えして、地元の民進党の区議・市議が応援して当選を果たしているだけに、2年後の統一自治体選挙でも離党者が続出、壊滅する可能性は十分にある。永田町では、国会議員や候補者も、民進党に残るのは菅氏と長妻氏の二人だけだろうと噂されている。
そもそも民進党から立候補するのは、イデオロギーや政策の問題よりも「当選できるから」というインセンティブに基づいているケースが非常に多い。また、党員によるチェック機能も無いため、何の躊躇も無く離党できるシステムになっている。今後も、「より当選可能性の高い」ファーストなどへの人材流出が続くだろう。
いくら地方選挙とはいえ、首都決戦において直前に離党者を続出させた挙げ句、議席を前回比で3分の1にしてしまったにもかかわらず、党幹部が一切責任を取らず、責任を取らせようという気運すら上がらない状態はもはや末期的と言える。

英国労働党の場合、福祉国家路線が破綻するとネオリベラリズムに親和的なブレア氏が「第三の道」を掲げ、それが行き詰まると、ハード・ソーシャリズムのコービン氏が主導権を握ることで、党の統制と国民の支持を回復してきた。
これに対して、民主党・民進党は政党としていかなる骨格も持たない選挙互助会であるため、仮にレンホー氏のクビをマエハラ氏にすげ替えたところで何の意味も無い。つまり、もはや死に体にある。

【追記】
会期延長せずに国会を閉じることも、臨時国会を召集しないことも、政府と政権党に圧倒的に有利に働くルールとなっている。確かに政権側からすれば、ルールに則っているので、この点は追及しようがないものの、現実には腐敗を隠蔽する一助でしかない。世界的には、会期の無い通年国会や、議会の任期中を一つの会期とする「議会期」という概念が一般的になっているだけに、日本の国会会期制は前世紀の遺物になってしまっている。
この点でも憲法を改める必要が生じていると思われるが、これを追求すること無く、やみくもに改憲反対を言うだけの旧式左翼に未来は無いだろう。

【追記2】
今回の都議選で民進党は国会議員の秘書団を大動員して違法活動を行わせていたとの情報が上がっている。勝ち目の無い選挙で焦ったものと見られるが、摘発されるのは敗北者側であることを考えれば、「ムダな足掻き」だったとしか思えない。当局による適切な対応が望まれる。

【追記3】
大胆な(無責任な)予測を立てるなら、今後、都民フ、維新、減税などと連合(産業報国会)が統合に向かい、第二保守党が結成され、連合に見限られた民進党は空中分解して、大半が保守新党に合流。結果、保守Aと保守Bが議会の圧倒的多数を占め、労働者・貧困層に対する搾取が激化、社会不満が増大すると同時に、権力による暴力行使のハードルが引き下げられ、貧困と怨嗟と暴力が蔓延してゆくことになるだろう。
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2017年07月03日

文明を過信するなかれ

1990年代にロシアやユーゴで生活したことのある者は、例外なく蛮性と不条理の洗礼を浴び、文明と人道の虚飾性を否が応でも認識させられたものだった。一つの秩序が瓦解するとき、人は容易に文明や人道の仮面を脱ぎ捨てて蛮性を剥き出しにして他者に襲いかかる。第二次世界大戦中の東部戦線やユーゴスラヴィア、あるいは中国・満州・太平洋戦線もそうだった。
その私も10年も東京に住んでいると、自分が文明人であるかのような錯覚に陥ってしまうが、現代日本でも政治に関わっていると蛮性と無縁ではいられない。

例えば、20年ほど前、私が初めて選挙の手伝いをしたとき、CB県では保守系候補の集会に出ると、普通に座布団の下に金一封が置かれていた。KG県から来た一回り上の先輩の話では、とある選挙事務所の前を通りかかると、「お兄さん、おにぎり食べてゆきな」と声がかかり、もらって食べてみると握りの中からラップにくるまれたお札が出てきたという。その県の島嶼部では、いまだに選挙になると生きた毒蛇を相手候補の自宅や選挙事務所に投げ込む風習があり、夜通し篝火をたいて候補宅と事務所を死守するという。別のO府から来た先輩の話では、選挙になると学会員が猫の死骸を候補宅に投げ込んできて、対抗して同盟員が豚の頭部を相手事務所の入口に置いてきたという(両当事者は断固否定)。

文明人や人道主義者の視点に囚われすぎると、見えなくなるものが多くなる。確かに文明やヒューマニズムこそが人間を動物と異なる存在にしているわけだが、しょせんは外形的あるいは後天的に備わったものに過ぎず、過信すると本質を見誤る。旧式左翼やリベラル知識人たちが安倍政権を理解できないのも、根源的にはそこに理由がある。かと言って、文明や人道を否定してしまうと、連中と同じになってしまうわけで、その辺のバランスが非常に難しいとは言えるだろう。
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2017年07月02日

完全版 ウィンター・ウォー〜厳寒の攻防戦

ソ・フィン戦争=冬戦争を描いたフィンランドの名作『TALVISOTA』(邦題:ウィンター・ウォー〜厳寒の攻防戦)の完全版が、一週間限定で公開された。「完全版」というのは、元々90年代に公開されたのは半分以下に大幅カットされたバージョンで、販売されたDVDもそれだった。私もDVDで見たクチだが、面白いは面白いが人物関係もストーリーも全く繋がりが分からず、「どうしてこんなことに」と思っていた。
制作は1989年で、もっと早く完全版も公開できたのではないかと思うのだが、版権が散逸してしまってどうにもならなかったらしい。とにかく今回完全版が公開されたのは僥倖だったが、今度は一週間限定、しかも朝の一回だけ。つまり、土日のどちらかで必ず見なければならないという状況に陥った。
しかも、相変わらず邦題は『ウィンター・ウォー』などというもので、何故日本語で定着している「冬戦争」にできなかったのか。日本のDVDでは95分程度のバージョンだったものが、実は原作ドラマは300分以上、映画に編集されてなお197分の超大作であったことも判明、省略しすぎて別物ではないかと。
言いたいことは山ほどあるが、ここは我慢。

以下、ネタバレ注意

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『ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦』 ペッカ・パリッカ監督 フィンランド(1989)


1939年秋、軍事的要衝カレリア地峡の割譲を迫るソ連の要求をフィンランドが拒否。ソ連軍の侵攻に備え、マルティとパーヴォのハカラ兄弟をはじめ多くの男たちが招集されるが、武器は乏しく満足な装備もなかった。凍てつく寒さの中ついに強大な兵力と軍事力を誇るソ連軍が国境を越えてくると、フィンランド軍は厳しい戦いを強いられ……。

本作は、今公開されている「ハクソー」のような英雄譚とは異なり、ごく一般的な市民が徴集され、民兵も同然の兵装で「まさか戦争にはならないよね」位の感覚で前線に送り込まれたところ、「兵が七分に森が三分」みたいなソ連軍が攻め寄せてきて、ひたすら壕に籠もって耐え続ける話である。
人間関係も戦争も非常に淡々と描かれ、戦死はあっという間、ラストですら突然終わってしまう感じで、どこまでもカタルシスを否定する精神が貫かれている。アメリカ人に爪の垢を煎じて飲ませたいところだ。
動員される方も、米国人のように愛国心に燃えて志願するとかではなく、「ソ連、攻めてくるってよ」「ふ〜ん、どうせちょっと戦ってすぐ講和ってとこだろ、面倒くせぇ」くらいのノリで、見ている日本人の方が「そんなんでいいんきゃ?」という感想を持ちそうだ。

全体的には、動員から戦場に着くまでのシーンは比較的短く、戦場シーンの大部分は塹壕戦で、ひたすらソ連軍の砲爆撃に耐え、時々T26に支援されたソ連軍が大挙して突撃してくるのをスオミ機関銃とモロトフ・カクテルでなぎ倒すというもので、似たようなシーンが延々と続くという意味で退屈は退屈なのだが、冬戦争の実相が良く伝わっている感触があり、どこまでも貴重な映像であることは間違いない。延々と続く砲撃の恐ろしさがよく分かる作品でもある。
マニアックなフィンランド軍やソ連軍の装備については、よだれものであることは言うまでも無い。

ただ、完全版を見ても、相変わらず登場人物の人間関係はよく分からない点が多かった。日本陸軍などと同じで、一つの郷里から召集されて部隊が編成されているため、小隊内もかなり縁戚関係で占められているみたいなのだが、それを抜きにしてもまだ誰が誰だかわかりにくい演出になっている。一つには、軍事に疎い人が翻訳をしているため、どうも階級や部隊編成、指揮系統に誤訳があり、物語を分かりにくくしてしまっている。フィンランド語ができる日本人など数える程度しかいないだろうから、やむを得ないかもしれないが、DVD化するときは、多少値段が上がっても良いので、梅本先生に監修してもらうべきだ(必ず買うから)。また、大河ドラマを再編集して短くしているところも、「完全版」ながら限界があるのだろう。

色々難点はあるものの、テーマと映像自体が超貴重であるという点だけでも名作といえる作品であり、DVDが出たら必ず購入して普及に努めたい。そして、是非とも継続戦争の映画『Tali-Ihantala 1944』も公開あるいはDVD化していただきたい。
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2017年07月01日

公用車の使い方について

【公用車で保育所送迎、公私混同? 総務省「問題なし」】
 金子恵美総務政務官(自民・衆院新潟4区)は29日、自身のブログで、子どもの保育所への送り迎えに公用車を使ったことを明らかにした。週刊新潮に「公私混同」と報道されたことを受けたもので、「常に総務省の運用ルールにのっとってきた」と問題はないとの認識を示した。
 ブログによると、総務省や議員会館での公務のついでに会館内の保育所に立ち寄り、公用車に子どもを乗せたことが複数回あった。足が不自由な母親を同乗させたこともあったという。一方で育児と仕事の両立に悩む人に対し、「不快な思いをさせてしまったのではと、心より申し訳なく思う」とも記した。
 総務省は金子氏のケースについて、公用車のルールで認められた送迎などの際に、移動経路を大きくそれることなく家族が同乗していたと説明。「ルール上の問題があるとは考えていない」との見解を示した。
(6月29日、朝日新聞)

まず見出しに問題ありすぎ。公用車の運用規則はかなり厳密に定められていて、正確には道程を含めて公用以外の用途での使用を禁じているし、家族含めて公用に関係ない人物の同乗も認められていない。

例えば、政務官として招待された外国大使館のパーティーには公用車で行けても、議員仲間の飲み会には公用車使用は認められない。かつて法務大臣をされたT先生は、議員会館から霞ヶ関までは公用車を使い、議員会館に戻るときは歩いて戻ろうとされた。それが厳密な解釈だったからだが、警備上の理由から警視庁から懇願されて、行き帰りともに公用車を使うことになった。

金子女史の場合は、おそらく公用車運転手の好意と自主的判断によって使用されていたと思われ、総務省に聞けば「まさかそんなことに使われているとは思わなかった」と答えざるを得ないだろう。規則の厳密さと運用の柔軟性はバランスを考慮する必要があり、今回の場合は個人的には黙認して良いと思うものの(そうでもしないと子どものいる人が議員や閣僚になれない)、柔軟にしすぎると際限が無くなるのも確か。公私混同の酷いケースもいくらでも挙げられるからだ。
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2017年06月30日

稲田防衛大臣が党軍一体化を宣言

【稲田氏「自衛隊としてお願い」 都議選で、野党「私物化」批判】
 稲田朋美防衛相は27日、東京都板橋区で開かれた都議選の集会で「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と訴えた。自衛隊を政治利用するもので、行政の中立性を逸脱したと受け取られる可能性がある。野党は「行政の完全な私物化だ」と批判。稲田氏は同日深夜、「誤解を招きかねず、撤回したい」と述べた。安倍晋三首相は加計学園問題に続き、7月2日の都議選投開票を前に政権批判の新たな火種を抱え込んだ格好だ。自衛隊法は、隊員の政治的行為を制限している。稲田氏の発言は、防衛省と自衛隊が組織を挙げて候補者を支援すると主張したようなもので、法に抵触する恐れもある。
(6月27日、共同通信)

自民党は、いよいよ党、国家、軍の一体化を打ち出した。ただ疑問は、明治大帝は「世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り」(軍人勅諭)と仰せになっていたわけで、これにより戦前期には軍人には選挙権も被選挙権も付与されなかった経緯がある(衆議院選挙法第15条)。

当然ながら現代では、国家公務員法によって政治活動(政治的行為)の一部が禁じられているが、「現職のまま立候補できない」とか「政治団体の幹部役員になれない」程度に止まっており、選挙権は有している。ただし人事院規則は、今少し厳密に禁止事項を規定しているが、主に公職の権限や影響力を駆使して政治的影響を与えることを抑止することを主眼としている。

つまり、稲田大臣は防衛大臣として、行政機関と軍(自衛隊)と党(自民党)が一体となって一人の自民党候補に投票するよう呼びかけている。総理が罷免しないということは、安倍政権が彼女の発言を容認していることを意味しており、自民党による一党独裁と党、国家、軍の一体化の方針を宣言したと見て良い。
昭和よりも全体主義あるいはファッショを促進しようという、非常に意欲的かつ急進的な意志の表れなのだ。

ソヴィエト学を修めたものとしては、文民統制を図るために軍を党の支配下に置かなければならない必要性や原理は理解できる。例えば、ボリシェヴィキが党の下に労農赤軍を設立したのは、革命後の内戦や諸外国による介入戦争を戦うに際して、帝政ロシア軍の将校を始めとする多様な階層の出身者で軍隊を組織せざるを得なくなり、政治統制に不安を持ったためだった。具体的には政治将校=コミッサールを各部隊に配置して、政治統制を図った。だが、軍が巨大化し、複雑な作戦や戦術を駆使するようになると、多くの不具合が生じ、第二次世界大戦中にコミッサールの権限は縮小されていった。最終的には戦後、労農赤軍(党軍)から連邦軍(国軍)へと改変している。

にもかかわらず、現代の日本で自衛隊を自民党と一体化させる必要性がどこにあるのか、自民党の憲法草案にどのように規定するつもりなのか。自民党と自衛隊を一体化させないと政治統制が不十分だという認識はどこから来ているのか。もっとも、この点は共謀罪が無いと治安が維持できないと考える自民党や霞ヶ関なのだから、最初から既定路線だったのかもしれない。

いずれにせよ、ソ連学徒として、自民党が今後どのような全体主義を志向し、どのような国家観を提示するのか、非常に興味深く見守っている。同時に防衛省や自衛隊内にどこまで支持者がいるのか気になるところだ。
posted by ケン at 01:00| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする