2017年06月29日

5、6月の読書(2017)

さすがに会期末で多忙だったせいか、本を読むゆとりも無かったらしい。さっさと都議選も終えて勉強したいが、いよいよ地下潜伏の準備もした方が良いのだろうか。

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『戦史ドキュメント川中島の戦い』上下 平山優 学研M文庫(2002)
『武田氏滅亡』でいまや武田研究の第一人者になりつつある平山氏による「川中島の戦い」。だが、題に偽りありとまでは言わないが、武田氏による信濃併合の過程を追ったもので、川中島戦役は下巻の後半部にしか出てこない。上巻の前半は信虎以前の歴史を述べており、全体に冗長な割に肝心なところはアッサリしている観がある。とはいえ、『甲陽軍鑑』に頼り切ることなく、『妙法寺記』を始め様々な寺院記録などの一次資料と照らし合わせながら丹念に全容を辿っており、丁寧な仕事になっている。私が妄想している「甲越戦争」の元ネタでもある。

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『昭和動乱の真相』 安倍源基 中公文庫BIBLIO(2006)
「日本のヒムラー」と呼ばれ、公安権力で先輩たちを震え上がらせ、獄死・拷問死の山を築いたとされる安倍源基の回顧録。恐らくはアイヒマンと同質の「暗い官僚」なのだろう。だが、単なる自己弁護の回顧録に終わること無く、自らの記憶力に頼ること無く、きちんと資料や知人に裏を取りながら記述しているので、非常に質の高い回顧録となっている。最終的には「戦時体制だから」で済まされるわけだが、そうだとしても内務官僚超エリートが戦前の流れをどう見て、何を考えていたか分かる貴重な一冊と言える。

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『張作霖 爆殺への軌跡 1875-1928』 杉山祐之 白水社(2017)
既出

『ロシア革命―破局の8か月』 池田嘉郎 岩波新書(2017)
ロシア革命100周年ということで、ソ連関連本が何冊か出ているが、とりあえず話題の書を手に取ってみた。ロシア革命における二月革命から十月革命に至る過程を、主に臨時政府の視点から追っている。従来圧倒的多数だったボリシェヴィキ史観から距離を置いて、むしろ「制御不能に陥って破局に向かう8カ月」という流れになっている。とにかく記述が明確で読みやすいので、あっという間に読み終えてしまった。確かに非ボリシェヴィキ系の資料をふんだんに使っていて斬新で面白いといえば面白いのだが、あまりにもドラマティックな仕上がりになっていることや、フリーメーソンなど「それは必要な要素なのか」という点が強調されていたりと疑問もある。著者の基本的な姿勢は「エリートが教育の無い民衆のポピュリズムを制御できなくなった」というものだが、私が本ブログで1980〜81年のポーランド危機を分析した通り、あるいは今日の欧米諸国にも類似点を見つけられるが、仮に一定の教育があったとしてもエリートがポピュリズムを制御できなくなるケースはあると思われる。この点は別途論じたい気もする。新書としては十分な価値があるとは思うが、ソ連学徒としては色々議論してみたい箇所も多い。
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2017年06月27日

夏アニは賭ケグルイの一択!

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2017夏アニは賭ケグルイ(原作・河本ほむら、画・尚村透)の一択!
すでに原作も予習済み。準備万端であります!

「勝てば特権階級。負ければポチ。ハイリスク・ハイリターン」−政界も同じです。そりゃあみんな狂いますよ。

シグルイにしても賭ケグルイにしても、日本人はこっちの方が素なのでは無いかとすら・・・・・・
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2017年06月25日

ミュシャ展とバベルの塔展

別の日ではあるが、ミュシャ(ムハ)展とバベルの塔展に行く。
特にミュシャ展は会期末ということもあり、凄まじい混雑で、平日に早退して行ったにもかかわらず、入場に40分待ちで、もうちょっと遅かったら入れなかったかもしれなかった。最終日などは90分待ちだったという。

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ミュシャ展が特別だったのは、門外不出だった「スラヴ叙事詩」が全20点まとめて来日し、展示されたことにある。「スラヴ叙事詩」はチェコを始めとするスラヴ民族の歴史的エピソードを巨大絵画に描いた作品群。一次大戦前後の混乱、二次大戦中の秘匿(ナチスの掠奪を逃れるため)、共産党政権下での冷遇(退廃芸術)が重なって、日の目を見るようになったのは、1960年代のことだったが、それも作品が巨大すぎる問題もあって、辺境地の城で展示されていた。プラハ市内のヴェレトゥルジュニー宮殿に移設されたのは2012年のことだった。自分も90年代にプラハとブルノには行ったが、その頃はプラハにはなく、図鑑でしか見たことなかっただけに、この機会を逃せば二度と見られないかもしれなかった。
実際に見てみると、確かに巨大で、作品の全容を見るためにはかなり離れて見る必要があった。あまり展示されてこなかったためか、保存状態は良いようで、ミュシャの淡い色使いが非常に美しい。個々の題材は、日本人には殆ど馴染みのないもので、私でも「知っている」程度のものが多かったが、そんなことはどうでもいいだろう。
圧倒的多数の装飾絵画とは異なるミュシャの魅力とパワーに直に接することができて、この上なく幸福だった。

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バベルの塔展は、16世紀ネーデルラント絵画のボシュ(ボス)とブリューゲルを中心に聖書のエピソードを題材にした幻想絵画を中心に展示している。
改めて見ると、シュルレアリスムの原点とも言える怪奇作品が多く、『ベルセルク』の三浦建太郎氏が非常に強く影響受けていることがよく分かる。
「バベルの塔」は何人もの画家が描いているが、中でもブリューゲルのそれが最も有名。私も実物は見たことがないので楽しみだった。作品は思ったよりも小さく、非常に緻密に描かれているので、凝視しなければ細かいところは分からないのだが、同作の前だけはエスカレーターのように通過させられるため、詳細は背後に展示されている拡大図を見なければならなかった。まぁこれも最新技術で良くできているので文句はないのだが。
全体の展示バランスも作品の選定もセンスが良く、見応えのある展覧会だった。ただ、ミュシャ展よりはずっと人が少ないものの、作品が小さいものが多いだけに、見て回るのは大変だった。
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2017年06月24日

政界はサイコパスだらけ

とよまゆ、キました。実はハッキリ覚えてないけど、2年くらい前にJM党の先輩から「ケンちゃん、誰でもいいから秘書になってくれる人いないかな〜」と言われたことがある。続けて「ケンちゃんにだけ言うけど、ちょっとサイコパス入っているみたいなんだよね」とも。「ちょっと」じゃないじゃないですか〜!いや、マジで誰か紹介しないで良かった。

元官房長官が「あんなのいくらでもいる」みたいなことを口走ったらしいが、そこは本当。
程度の差はあれど、角エーの娘とか、「ソーリソーリ」とかがそうだし、つい最近ではMS党のG議員が防衛省の女性キャリアに対して「お前なんかいつでもクビにしてやる」と凄んだり、同人が泥酔してタクシー運転手に乱暴を働いたケースがあり、いちいち覚えていられないほど多い。
あと、どこぞの党代表は、TVで堂々と自分の夫を「犬以下」と宣言していた。90歳の老人を「議員専用だから」とエレベーターから追い出したことも。

具体的な話をすると、角娘の場合、男性秘書を女子トイレの入口に張り付かせて、自分はトイレの中からあれこれ指示を出し、秘書が必死になってメモを取っていたのを見たことがある。別の議員は名前が思い出せないが、赤信号で車を止めた公用車の運転手に対して、「行けと言ったじゃ無いか!」と後部座席から運転シートの頭部を蹴り飛ばして、失神寸前に追い込んだ。思い出そうとすると、それこそ無限に例示できそうだ。

基本的には権力志向の強い権威主義的な人間が特権と上位身分を手にして自我の抑制が段々きかなくなってゆくことに起因している。小選挙区制になって誰でも候補者になれるようになったことも影響しているかもしれない。大選挙区制や比例制度では、立候補する前に組織が候補者をチェックして問題のあるものは排除するシステムがあるが(100%機能するわけではない)、小選挙区制では誰でも立候補できる上、「見栄えの良い」「声の大きい」ものが当選してしまう傾向があるからだ。
かつての中選挙区制時代は、官僚も部長や局長まで出世してすでに十分な権威を手にした者が政界に転身していたため、いちいち虚栄を張る必要は無かったが、今日では課長補佐級のものが出馬、当選して、下手するとかつての上司をあごで使うような話になるため、悲劇が生まれる。

これは完全に推察だが、彼女の場合、自らのキャリアに対するルサンチマンも作用していると見られる。通常、霞が関キャリアは「40歳までに課長」が一つの出世基準となる。彼女は、東大法、厚労省、ハーバード留学、ジュネーブ駐在一等書記官と華々しい経歴を持ちながら、帰国して37歳で課長補佐、翌年退官して出馬、当選している。
例えば、時代が異なるものの、内務省の伯父を見た場合、38歳で某県警部長、40歳で総理秘書官、41歳で官選某県知事となっている。海軍にいた伯父の場合、37歳で在伊海軍駐在武官兼艦政本部造船造兵監督官兼航空本部造兵監督官、40歳で海軍大学教官、43歳で軍務局第一課長である。
現代の女性で考えた場合、「凛の会事件」で名をはせた村木女史は、女性で高知大学出身という大きなハンデを持ちながら42歳で労働省の課長になっている。37歳で課長補佐自体は「セーフ」かもしれないが、自らの能力に対する自身の評価に対して省内の評価が低すぎるというコンプレックスを持っていた可能性は否定できない。
posted by ケン at 07:56| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

【事務連絡】都議選のため部分休止

本日より東京都議選が始まり、ケン先生も職務で動員されます。
政治的良心には反するのですが、職務の範囲内で良心が耐えられるレベルで応じます。
つきましては、来週いっぱい更新が不定期になりますので、ご理解のほどお願いします。

ケン
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2017年06月22日

フランス国民議会選挙2017

【仏総選挙第2回投票 マクロン陣営、議席6割 二大政党は惨敗】
 フランス国民議会(下院、定数577)選挙の第2回投票は18日、開票が行われ、内務省の暫定最終結果では、マクロン大統領の新党「共和国前進」陣営が約6割に相当する350議席を獲得した。マクロン氏は安定的な政権運営に必要な議会基盤を固めた。
 フィリップ首相は18日、「議会を新たにしようと望む国民のおかげだ。明白な多数派だ」と勝利宣言。前進は連携する中道政党を除く単独でも過半数(289)を確保。欧州連合(EU)強化や国内改革などの公約実行に大きな弾みとなる。
 内務省によると、前進以外では保守系の共和党陣営137議席▽左派の社会党陣営44議席▽共産党を含む急進左派27議席▽極右の国民戦線(FN)8議席。FNのマリーヌ・ルペン党首は下院初当選を果たした。
 共和党は2012年の前回選挙時から議席をほぼ半減。社会党は8割以上を失う惨敗となり、両党が中心となってきた仏政治の勢力図は激変することになる。
 一方、前進陣営は第1回投票での善戦後、一部で予想された7割以上の議席獲得には至らなかった。他陣営が第2回投票に向けた選挙運動で議会のチェック機能維持のため、前進の「1強」回避を有権者に訴えたことが影響した可能性がある。
 投票率は約43%。11日の第1回投票の約49%よりも落ち込み、第2回投票としては過去最低に近い水準に低迷した。
(6月20日、産経新聞)

フランス国民議会選挙第二回投票が行われ、議席が確定した。一般的な報道だけでは見落とす部分が多いので、補足しておこう。
先にフランス下院選挙の投票制度をおさらいしておこう。学術的には「小選挙区単記2回投票制直接普通選挙」と呼ばれるもので、基本的には単純小選挙区制だが、一回目の投票で過半数かつ登録有権者の25%以上の得票が無かった選挙区では、上位二候補による決選投票が行われるというもの。実際、今回の選挙で第一回投票で確定したのは4選挙区に過ぎなかった。

その意味で、30〜40%程度の相対多数得票で当選してしまう日本の投票制度よりは民意の反映度が高いと言えるが、今回の選挙を見た場合、第一回投票で32%しか得票しなかった共和国前進が6割の議席を得ている。だが、その一方で不服従のフランス17、共産党10、国民戦線8、左派系諸派8、右派系諸派6など、決選投票付きの小選挙区でこれだけの多様性が保たれるのも非常に興味深い。詳細な獲得議席は下記。

また、国民議会の総定数は577。フランス本土から539人、海外県・海外領土から27人、在外フランス人から11人が選出される。「在外枠」という考え方も非常に面白い。棄民傾向が強い日本とは、「国民」に対する考え方が本質的に異なる。共和国ならではかもしれない。
では、党派別獲得票、得票率(第一回)と最終獲得議席数を見てみよう。

極左諸派:175,214票、0.77%、0議席
共産党:615,487票、2.72%、10議席
不服従のフランス:2 497,622票、11.03%、17議席
社会党:1,685,677票、7.44%、30議席
急進左翼:106,311票、0.47%、3議席
左翼諸派:362,281票、1,60%、12議席
エコロジスト:973,527票、4.30%、1議席
諸派:500,309票、2.21%、3議席
諸地域政党:204 ,049票、0.90%、5議席
共和国前進:6,391,269票、28.21%、308議席
民主運動:932,227票、4.12%、42議席
民主独立同盟:687,225票、3.03%、18議席
共和党:3,573,427票、15.77%、112議席
右翼諸派:625,345票、2.76%、6議席
立ち上がれフランス:265,420票、1.17%、1議席
国民戦線:2,990,454票、13.20票、8議席
極右諸派:68,320票、0.30%、1議席


まず、有権者総数4729万人のうち第一回投票者は2317万人で投票率48.7%、うち白票36万票、無効票16万票。第二回投票者は2016万人で投票率42.6%、うち白票140万票、無効票60万票。
見ての通り、フランスとは思えない投票率の低さと白票・無効票の多さがあり、これ自体が「国民全員参加」を大原則とするデモクラシーの危機を表している。同時に第一回投票における有権者総数に対する「共和国前進」の投票率はわずか13.4%に過ぎず、それが全議席の53%を占める結果となっている。言い換えれば、フランス人の8人に1人程度しか投票していない「マクロン大統領派」が議会の過半数を得てしまっている状況にある。「前進」と協力関係にある「民主運動」を加えれば6割の議席になる。
逆にルペン氏率いる国民戦線は299万票で得票率13.2%もありながら、獲得したのは8議席(議席占有率1.3%)に過ぎなかった。これは決選投票で敗北したためだが、ファッショを避けるための制度が議会に対する民意の反映を抑制し、棄権や無関心層を増やす結果に繋がっていると推測される。
メランション氏率いる「不服従のフランス」も同様で、250万票、11%も得票しながら17議席(同3%)に終わっている。もっとも、「不服従のフランス」は大統領選で共産党、エコロジスト、左派系諸派と合同してメランション候補を立てたが、今回は総選挙ということで個別に戦ったことが災いしている。「不服従のフランス」と共産党の選挙連合は、直前まで検討されたが実現しなかったことが大きい。とはいえ、下院選挙で政党連合を組んでしまうと、政党のアイデンティティが問われる事態になるため、そこは単純には評価できない。そうは言っても、「不服従のフランス」と共産党とエコロジストの三者の票を足しただけで共和党を優に超えるのだから、フランスの政治的多様性は面白い。

放置すると超多党制になってしまうラテン的な政治文化を抑制するために小選挙区制度が導入されているのだが、現実に民意が全く議会に反映されず、投票意欲が激しく低下する事態を招いている。「選択肢が無い」日本からすれば非常に羨ましくもあるのだが、フランスはフランスでデモクラシーの危機を迎えている。
少なくとも「マクロン派が勝利した万歳」とは行かないことだけは間違いない。
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2017年06月21日

ロシア人の安保観を代弁する・下

前回の続き)
具体的な話をすると、1997年、上記の口頭了解が破棄されて、ポーランド、ハンガリー、チェコの3国がNATO加盟の交渉に入った。当時ロシアは経済危機の真っ只中にあり、これに反対できるほどの力はなかった。そのため、ロシア側の安全保障の観点から「NATO−ロシア協定」が締結され、NATO圏の東部境界地帯に対する恒常的かつ実効的な戦闘部隊の駐留を放棄するというものだった。ところが、2008年に米国はポーランドにミサイル防衛施設の設置を開始し、同協定を一方的に反故にした。ウクライナ危機でもポーランドに対するNATO軍の常時駐留が検討され始めており、ロシア側を刺激している。ことほどさように、西側諸国の協定違反については殆ど報道されないのに、ロシアの協定違反は10倍過剰に報道されている。

日本人の大半は忘れ去っているが、そもそもNATOは「反共産主義」「反ロシア」を理念として立ち上げられた軍事同盟であり、最終的・理念的には「共産主義・ロシアの抹消」を目指しており、ロシアにとっては現代日本にとっての中国よりもはるかに深刻な脅威なのだ(少なくとも中国は日本の撲滅を狙ってはいない)。そのNATOの先兵がすでにエストニアに達してサンクトペテルブルクを脅かしており、万が一ウクライナのNATO加盟が実現すれば、NATO軍がハリコフやドネツクにまで配備されることになる。ロシア人の気持ちを日本人に例えれば、沖縄や九州が独立して人民解放軍が小倉や大分に配備されるような状態を想像してもらいたい。

ソ連がアフガニスタンへの軍事介入を決めた理由の1つは、「カブールの共産党政権が倒壊し、米国の影響の下でイスラム共和国が成立、同国に巡航ミサイルが配備され、米国の基地がつくられた場合、ソ連の「弱い脇腹」に匕首を突きつけられる格好となる」というものだった(国防省の見解)。
これと全く同じことは、クリミア併合でも言われた。それは、「ウクライナがNATOに加盟して、セバストポリに核ミサイル搭載艦が配備された場合、ロシアには対処する術が無い」というものだった。NATOがロシアを打倒するために存在する軍事同盟である以上、ロシアの危惧は当然のものなのだ。
同じく、ロシアがウクライナ内戦で東部分離派を支援するのも、ウクライナがNATOに加盟して対露侵略の先兵となる恐れが現実化する中で、少しでも緩衝地帯を設けておきたいという「次善の策」なのであって、本質的にはウクライナに親露政権が樹立して、NATO不加盟を宣言すればノープロブレムな話なのだ。

「ベルリンの壁」崩壊以降、様々な約束を反故にして、かつ反露政策を剥き出しにして対露包囲網を狭めてきた西側諸国に対し、ロシア・エリートは非常に強い不信感を持っている。この状況を招いたのは、相当部分がゴルバチョフの外交的失敗に起因すると考えられるが、それ故にゴ氏は西側で評価が高く、ロシアで最低の評価しか与えられていない。国家反逆罪で裁判にかけられないのはプーチン氏らの温情と言える。同時に、「ヴェルサイユのくびき」を脱したナチス・ドイツがソ連を崩壊寸前にまで追い込み、今度は「ドイツ併合」をなした新生ドイツが「欧州統合」を隠れ蓑に全欧州を支配下に置いて「欧州の支配者」となり、NATOを率いてロシアに圧力を加えている。

日本を含む西側諸国では、「ロシアの軍事的脅威」ばかりが強調される。だが、現実には2016年の国防費を見た場合、アメリカが6112億ドル、英独仏伊(EU主要国)で1730億ドルに対し、ロシアは692億ドルでしかない。つまり、軍事費でNATO主要国に対してわずか8.8%の規模なのだ。アメリカを除くEU諸国に対しても30%程度を維持しているに過ぎない。
GDPで見た場合、それはさらに悲劇的となる。2016年の名目GDPを見た場合、EUは16兆4080億ドル、アメリカが18兆5690億ドルで、合計すると約35兆ドルにもなる。これに対し、ロシアは1兆2800億ドルと米欧の4%に満たなず、EU単独に対しても8%に満たない。
現代の軍事力は完全に工業力と技術力に依拠しているだけに、生産力と軍事費の差はそのまま実力差となる。つまり、現代ロシアは「ロシア内戦(革命干渉戦争)」以降で最大の危機に瀕しており、今の状況に比べれば、ナチス・ドイツと対峙したスターリン期のソ連など全く「カワイイもの」でしかない。例えば、1939年のGNPを見た場合、ドイツの2411億ドルに対し、ソ連は4303億ドルであり、本来的には「負けるはずがない」ものだったからだ。
つまり、表象的な軍事力が過剰に喧伝されているだけで、ロシアには全くNATOと戦争できる体力が無い。逆に戦力格差(戦争遂行能力)が大きすぎるため、ロシアは核戦略に傾斜せざるを得ない状況に追い込まれている。

結果、工業・経済力で20倍もの優位に立つNATOがロシアに対する敵愾心を丸出しにして、対露包囲網を構築、圧力をかけてロシアを滅ぼそうとしている、というのがロシア・エリートの抱く一般的な安全保障観になっている。故に、ロシアとしては中国の拡張主義を脅威に覚えつつも、「背に腹はかえられない」ことから「中露同盟」を結び、さらに「日露協商」を目指すのは、欧州方面の圧力が極大化する中で「唯一の選択肢」になっている。
同時に、NATOがロシアを圧迫すればするほど、ロシアは国内の統制を強化せざるを得なくなっている。例えば、軍事費の対GDP比はEU平均で1%強、アメリカでも3%強であるところ、ロシアは5%以上も拠出している。結果、国内市場や社会保障が圧迫され、国民不満が上昇、これを抑えるために社会統制を強化するわけだが、欧米諸国はそれを「人権侵害」と称して非難し、さらに軍事あるいは外交的圧力を強めるという構図になっている。
この構図は、1920年代のソ連とよく似ている。西側諸国による軍事介入が成立したばかりのソ連を荒廃させ、国内統制を強化して戦時体制の長期化を余儀なくされたにもかかわらず、欧米はそれを理由に外交関係の樹立を拒否して経済封鎖を進めた。レーニンからスターリンに至る過酷な独裁を招いたのは、欧米による軍事介入と経済封鎖だったという側面があること、同時に日欧が意味不明な理由からロシアに戦争を仕掛けて侵略し続けてきた歴史を理解していないと、ロシア・エリートの考え方は決して理解できない。

日本の対ソ・対露分析の大半が的外れのものである理由は、「日本の国益」「日本人の視点」から見ている点にある。その最たるものが、太平洋戦争末期にソ連による満州侵攻の予兆を否定し、最後までソ連に「連合国との仲介」を期待した戦争指導部だった。その本質は今日でも全く変わらない。
世間一般で読まれているロシア分析も同様で、その殆どがビジネスに基づいた「読者・視聴者が望むネタ」でしかなく、つまり「日本スゲェ」と裏返しである「ロシア悪玉論」が幅をきかせることになる。逆に、ロシアの「西側にとって不都合な真実」を話す者は、商業ベースに乗らないため、アカデミーの世界で肩をすぼめて生きるほか無い。学術書や論文を除いて、商業ベースで売られているロシア分析の本や雑誌は、かなり用心して読まないと騙されることになるだろう。私が「売文屋」にならない理由もそこにある。同時に軍事あるいはプーチン氏などの個人に特化したロシア分析は、「木を見て森を見ず」になりがちなので、読む際には注意が必要だろう。
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする