2018年11月09日

河野外相、50%核兵器を持ったまま北に非核化を要求

【一回消えてしまったので再投稿】
【河野外相「終戦宣言は北朝鮮がちゃんと核をやめた上で」】
 河野太郎外相(発言録):
 (北朝鮮の非核化をめぐり)シンガポールでトランプ(米)大統領と金正恩(キムジョンウン、朝鮮労働党)委員長が会ったけど、何もそのあと進んでいない。それで制裁を解除しろというのはありえない。
 (朝鮮戦争の終戦宣言を出すことについて)なんとなく戦争が終わりました、みたいなことになると、じゃあ米軍は要らないじゃないかとか、もう少し韓国軍を減らせよとか、共同訓練なんかやる必要ないよね、という話がくるのは目に見えている。やっぱり北朝鮮がちゃんと核とミサイルをやめましたというのがあった上で、朝鮮半島の平和を維持できますよね、ということになるだろうと思う。(群馬県高崎市での自民党・山本一太参院議員のセミナーで)
(11月4日、朝日新聞)


またぞろ言わでもがなのことを。敢えて北朝鮮を挑発しているとしか思えないが、これは朝鮮半島の平和が実現した場合、日米安保の前提条件が失われるという日本政府(外務省)の都合に因るところが大きい。

仮に北朝鮮側が「ではお先に日本を非核化してはどうか」と言ってきた場合、困るのは日本政府でしか無いからだ。
日本政府は非核三原則を掲げているが、これはあくまでも政府方針でしかなく、法律や条約上の担保はなにもない。
その三原則すら、「核の持ち込み禁止」については有名無実化しており、何の意味もなしていない。
米軍による核兵器の持ち込みは、形式上「有事」「事前協議」の条件が付けられているものの、それは義務ではなく、日本政府が「協議があれば持ち込みは拒否する」との宣言を出したこともあって、米側が事前協議をすることはまずありえないと考えるのが自然だ。
事実、ライシャワーの補佐官だったパッカードらの証言により1960年代の一時期に岩国基地に核兵器が配備されていた事実が明らかにされている。
米国との核密約の存在は、現在では日本政府も認めており、日本政府としては「国内に核兵器はないと信じる」あるいは「日本国の施政圏内(米軍基地以外)には核兵器はない」以上のことは言えないはずだからだ。

かつて民主党政権下で核密約の調査をした際に、核兵器を搭載した米艦艇の一時寄港は、米国にとっては「持ち込み」にあたらず、非核三原則のもとでも継続されていたことを明らかにしている。
しかし、当時の岡田克也外相は、
「いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできない」
(2010年3月17日、衆議院外交委員会)

と述べ、アメリカ軍による核兵器の持ち込みを否定するには至っていない。このスタンスは当然その後も継続されている。

ゲーム的に言えば、日本は核カードを持ちながら、「これはブラフ用だから無いものとして扱ってよ。表にはしないけどね」と言っているに過ぎず、周辺国からすれば、「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」という気持ちがあってもおかしくないだろう。
これはいわばシュレーディンガーの猫の原理で、日本には核兵器が存在する確率と存在しない確率が50%ずつ併存している状態にあることを示している。

この期に及んで、東アジアにとって最大の脅威は日本であり、河野外相であることを高らかに宣言するような愚劣な発言は、アジアに暮らすものとして全く迷惑極まりない話である。
posted by ケン at 20:01| Comment(4) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

只今テスト作成中につき

教員生活で大変なことの一つにテスト作成と採点がある。
採点は機械的な作業なので、まだマシなところもあるが、ケン先生の場合、いくつかの科目について一から授業を作っているだけに、そこはテストも一から自分で作らないとならない。過去問などを参照できないこと、テスト作成も十年ぶりなこともあって、まずは内容よりも「設問をどうするか」から始めなければならなかった。例えば、100点満点のテストをつくるとして、配点と問題数のバランスから考えなければならず、感覚を忘れている私としては、それを取り戻すのに一苦労だった。

中間試験は一課目だけで、これは自由に作って良いのだが、わが勤務校は事務方がうるさく、期末試験の問題も11月末までに提出しなければならない。そのため、まず中間試験を作って、その上で期末試験の構想を練る必要があり、今はこれで週末が飛んでしまうほどの労働量になっている。しかも期末は、予め追試用の問題もつくらなければならず、当然ながら本試とは別の設問にする必要がある。これも規格化して、どうにか似たような問題にするが、本試よりも簡単にしないと再々試験や留年が続出するだけに、そのバランスも考えなければならない。そもそも学期半ばにして後半までの授業を考えてテストを作るのも難しい。
幸いにして先輩教員の配慮により、共通科目については私の負担は最小限にしてもらったので、私が作成するのは学部の2科目と大学院の1科目で済んでいるが、それでも普段の授業準備に加わるだけに、なかなかに厳しい状況が進んでいる。

できる限り先手を打って行動しているので、大方の目処は付いたものの、いかんせん個人事業なので、他人のチェックがきかず、「これで本当に大丈夫なのか?」という不安は拭えない。
やはり一年目はなかなかにハードである。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

良書は減税、悪書は増税なる不倫

【書籍の軽減税率適用めぐり出版団体が攻勢に 財務省は反発】
 消費税率の引き上げが来年10月に迫る中、有害図書を除く書籍や雑誌に対して、税率を低く抑える軽減税率の適用を求める出版社団体と、適用に慎重な政府との対立が顕著になってきた。団体は軽減税率が適用される新聞同様、書籍や雑誌も「知識を得るため負担を減らすべき対象だ」と訴える。年末の税制改正に向け、政治家を巻き込んで軽減税率の適用を勝ち取ろうと攻勢を強める。ただ、財務省は適用に強く反発しており、しばらく両者の攻防が続きそうだ。
 書籍や雑誌に対し軽減税率を適用するよう求める活動方針をまとめたのが、日本書籍出版協会、日本雑誌協会、日本出版取次協会、日本書店商業組合連合会といった出版社を代表する4団体だ。超党派の国会議員でつくる「活字文化議員連盟」と「子どもの未来を考える議員連盟」が6月11日に東京都内で合同総会を開き方針を採択した。
 書籍や雑誌の軽減税率については、平成28年度の税制改正大綱で「有害図書排除の仕組みの構築状況などを勘案し、引き続き検討する」と提言している。出版団体はこの提言を受け、民間の管理団体が有害図書を区分する仕組みを構築する案をまとめた。
 具体的には、法曹関係者や大学教授による第三者委員会を立ち上げ、有害図書の基準を作成。軽減税率が適用される書籍には「出版倫理コード」を付与し、各出版社は基準に照らして自主的に倫理コードを付与して出版する。コードを管理する団体として書協など4団体で構成する管理機構を設立する。さらに、出版後に有害図書の疑いがある書籍が見つかれば第三者委の審議にかけ、有害図書と判断された場合は標準税率に戻すという。
 団体は年末の31年度税制改正を視野に、今夏から与党税制調査会の幹部に方針案を説明にまわるロビー活動を積極的に展開している。子どもの未来を考える議連会長の河村建夫元文部科学相ら有力議員の後押しもあり、相当な手応えを感じているようだ。
対する財務省も団体の動きに反発を強めている。ある主税局幹部は「憲法の租税法律主義で税率は法律で定めている。民間団体が書籍ごとに税率を決めるのは違法行為だ」と反論。団体の主張を完全にシャットアウトする構えだ。
 ただ、団体側も黙ってはいない。民間団体である日本オリンピック委員会(JOC)が決める選手への報奨金が非課税になることを例示し、「非課税対象を民間団体が選ぶことが認められるのであれば、民間が書籍の税率区分を判断するのも問題ない」と指摘。すると財務省側は税率が複数になることによる流通の混乱など次々と問題点を突きつける。これに対して団体は通常のバーコードを倫理コードに利用できるので流通に問題がないことを主張する。両者の論戦は着地点が見えない状況で、果たして年末の税制改正でどのような決着をみるかが注目される。
(11月1日、産経新聞)


不況にあえぐ出版業界が、自ら「悪書と良書を自分たちで選別するから、良書だけでも減税してくれ」と必死の嘆願を行っているという。どこまでも愚劣かつ不道徳な連中である。あの連中は、「ユダヤ人の書いたものはキッチリ焼却するから、オレたちのは許してくれ」というナチス期のドイツ人と全く同じことをしていることに全く気づかないらしい。
たとえ主体が誰であれ、悪書と良書の選別など始めれば、システム自体が悪用されるのが世の常であり、その刃はいずれ自分に向けられるだけの話である。学校のイジメと同じで、「自分がいじめる側にあれば、自分は大丈夫」という発想に立っている時点で、連中の脳みそは小学生と同レベルであることを示している。

こんな連中が検閲を行うくらいなら、いっそのこと全て悪書としてしまった方が話が早いだろう。
日本はすでに地獄の入口にあるということだ。
posted by ケン at 17:14| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

石高制になったワケ

銀決済の革命性についての続き。

戦国時代、織豊期を経て江戸時代になり、日本の統治は石高制を基礎として統一が完成した。
室町期には一度成立したはずの貨幣経済がなぜ先祖返りして、税を米を納めて、給料を米で受け取るような原始的な現物主義に回帰してしまったのか。これは私にとって小さな疑問だったが、優先度が低かったため、自分で調べては来なかった。

その原因は戦争と混乱にあった。
15世紀後半に応仁の乱などによって室町幕府の統治力が低下、同時に倭寇が跋扈するようになり、明朝が支配する中国大陸は「北虜南倭」と呼ばれる内憂外患の時代を迎えていた。
結果、日明貿易が中断され、明銭の輸入が途絶え、日本国内は次第に貨幣不足に陥っていった。
そして、欠けるなど劣化した悪弊の受け取りを拒否する「撰銭」が横行、室町幕府は撰銭を禁止する撰銭令をたびたび発するが効果はなく、借金を棒引きする債務放棄の徳政令を連発したこともあって、社会的信用を基にした流通経済が瓦解していった。

16世紀に入ると、国内の貨幣不足はますます深刻化し、米による現物給付に依拠する他なくなっていった。
金山を開発した武田信玄ですら、部下に対する恩賞は金粒で渡していたことからも、貨幣を鋳造して流通させるには、強力かつ統一した政権の誕生が不可欠だったのだ。

江戸幕府ですら、寛永通宝をつくったのは1636年のことであり、流通するのは足尾銅山や別子銅山の採掘が本格化するのを待たなければならなかった。その頃には、石高制は完全に封建支配の基礎をなしてしまい、改革することもできなくなっていた。結果、江戸時代を通じて、幕府も各大名家も含め、米で禄をもらう全武士に至るまで、米価の低迷による困窮に苦しめられるところとなった。

日本で貨幣が鋳造されたのは、963年の乾元大宝以降、1606年の慶長通宝(流通には乗らなかった模様)を待たなければならなかったことを考えると、誠に貨幣鋳造は国家の一大事業であることが分かる。

【参考】
江戸武士の収入を考える
posted by ケン at 15:30| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

鄒文懐逝く

【レイモンド・チョウ氏死去=香港の映画プロデューサー】
 レイモンド・チョウ氏(香港の映画プロデューサー)香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(電子版)によると、2日、死去、91歳。
 ブルース・リーやジャッキー・チェンといった俳優を見いだし、カンフー映画の世界的ブームを巻き起こした。「香港映画界のゴッドファーザー」(同紙)と呼ばれた。
 27年、香港生まれ。一時、記者を務めた後、映画界に転じ、70年に映画会社「ゴールデン・ハーベスト」を設立。ブルース・リー主演の「ドラゴン危機一発」(71年)、「燃えよドラゴン」(73年)、「死亡遊戯」(78年)を次々送り出した。
 さらにジャッキー・チェン主演の「ヤングマスター 師弟出馬」(80年)や「プロジェクトA」(83年)をヒットさせ、ハリウッドにも進出して「キャノンボール」(81年)を制作している。 
(11月3日、時事通信)


70年代から90年代にかけての香港映画は、まさにわが青春時代の映画そのものでした。
心よりお悔やみ申し上げます。

posted by ケン at 21:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

銀決済の革命性について

世界で初めて銀貨による公的決済を行ったのは元朝だったという。
それ以前は現在の価値で10万円に相当する現金を持ち運ぶためには、約5kgの銅銭が必要だった。だが、銀決済の導入により、同額の現金は50グラムの銀貨を持つだけで良くなった。この革命性とグローバリゼーションが理解できないと、真の歴史は理解できないという。

中国では、前漢期には銀貨が鋳造されていたようだが、市場決済が可能なほどの量産はできなかったらしい。
当然ながら、高額決済ができないということは、それだけ市場や流通の規模が規定され、資本の蓄積が進まないことを意味する。
同時に携行できる現金に限界があるということは、旅行や小商業も大きく制限されることを意味する。中世以前は大キャラバンを組まないと、商売などできなかったのだ。

最新の仮説では、蒙古帝国の成立に伴い、銀決済が導入され、それが南宋にまで及んだ結果、中国で不要になった宋銭が大量に日本に輸入、流通するようになり、室町期の経済的繁栄をもたらしたという。
但し、日本で銀貨が流通するようになるのは、江戸幕府の成立を経て江戸中期以降のことになるらしい。
古代・中世人や近世人がどのように決済していたかまで考えないと、時代劇もずいぶんと陳腐なものになってしまうということだろう。

私ももう一度上海博物館に行く必要がある。
ちなみに、5千人民元を持つためには中国人民銀行券で50枚、もしくは日本銀行券なら9枚必要だが、キャッシュレス決済の割合は中国の60%に対して、日本は20%に過ぎない。

【追記】
元帝国が銀決済を導入して、中国で余剰した銅銭が日本に二束三文で「輸入」され、日本で流通に乗った結果、室町期には「四日市」や「八日市」などの定期市が各地に生まれ、流通経済が形成された。同時に貸金業なども栄えるようになり、現在では悪名高き「徳政令」が発令されるに至っている。まだ現金決済ができるようになったため、足軽などの傭兵業も成立し、戦国時代に突入するきっかけにもなった。経済史を知らずに日本史は語れないということだ。
posted by ケン at 10:24| Comment(7) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月31日

調査するだけでは解決しない

【いじめ認知41万件に=最多更新、小学低学年で急増―17年度問題行動調査・文科省】
 全国の小中学校などが2017年度に認知した「いじめ」の件数が、前年度比9万1235件増の41万4378件だったことが25日、文部科学省の「問題行動・不登校調査」で分かった。過去最多を更新。特に、小学校の低学年での増加傾向が顕著だった。
 文科省は17年、いじめ防止の基本的方針を改定。けんかやふざけ合いでも調査し、被害性に着目していじめか否かを判断するよう通知した。同省は、件数増について「初期段階も積極的に認知し、解消に向けた取り組みのスタートラインに立っている」と肯定的に評価している。
 認知件数は、小学校が7万9865件増の31万7121件、中学校が9115件増の8万424件、高校は1915件増の1万4789件。小学校1〜4年で各1万4000件以上増えた。
 いじめの内容(複数回答)では「冷やかしやからかい、悪口」の割合が62.3%を占め、最も高かった。「軽くぶつかられたり、遊ぶふりをしてたたかれたり、蹴られたりする」が21.0%。インターネット交流サイト(SNS)を含む「パソコンや携帯電話などでの誹謗(ひぼう)、中傷」は3.0%の1万2632件で過去最多となり、高校ではいじめの内容で2番目に多かった。
 小中高校から報告があった児童生徒の自殺は250人で、前年度から5人増。このうち、いじめの問題が要因とされたのは10人だった。
 30日以上欠席した不登校は、小学校が4584人増の3万5032人、中学校が5764人増の10万8999人、高校は1078人増の4万9643人だった。暴力行為の発生件数は、小学校が5474件増の2万8315件だった。今回の調査では、政令市別の結果も公表。文科省は同じ道府県内の他自治体と比較し、特徴的な傾向があるか分析する。 
(10月25日、時事通信)

調査するだけマシになったとはいえ、調査するだけでは解決しない。
イジメのことである。

イジメは、閉鎖的空間に多数の人間を入れて長期間拘束した結果、過大なストレスが生じ、それを解消すると同時に一定の秩序を維持するために行われるもので、いかなる組織でも起こりうる問題である。戦時中、駆逐艦や潜水艦のような小艦艇ほどイジメが少なく、空母や戦艦のような大艦ほど多かったと言われる。

日本型組織でイジメが深刻な問題として生じるのは、他国の組織に比べて様々な拘束が多いためと考えられる。日本の学校は、課される義務が多く、同時に校則も厳しい上、やたらと拘束時間が長いため、どうしてもストレス負荷が過大になりがちだ。会社文化で見ても、欧米の会社は自分の仕事だけしていれば良いが、日本の会社では他人の仕事を手伝わなければならない暗黙の義務があり、社内ルールもやたらと多く、残業は無制限の上、飲み会やら社内イベントも多い。

日本の学校でイジメが多いのは、それだけストレスが多いことを示している。そしてそれは、義務や強制力、あるいはクラス内学校内における同調圧力が極大であることに起因している。
イジメの原因となっているストレス要因は明らかであり、これを除去すれば、イジメは劇的に減少すると考えられる。具体的には、学校ならば、出席義務や校則を緩め、長時間拘束の原因である部活動を廃止すれば良い。学校の場合、学級と担任制が閉鎖空間を生じさせているので、大学のような単位制度を導入して、1つのクラスに何十人という生徒を閉鎖空間に押し込めるのを回避すると同時に、1人の教員が圧倒的権威を持つ担任もなくしてしまえば、イジメを発生させる空間的要因も除去できるだろう。
あるいは物理的に解決するなら、壁のある教室を廃止してオープンスペースにすることで、閉鎖的空間を解体することができる。いじめは、人が見ていないところ、ないしは閉鎖的集団内で起きるものだから、これを取り除けば良いだけだ。こうしたことは50年前には分かっていたことだが、子どもの数が多すぎて実現が難しかった。だが、今それができない理由は無く、要は本気で取り組む気が無いだけだろう。

会社の場合は、残業を禁止し、個々の社員の業務を明確にして「共同の仕事」を極限まで減らすと同時に、飲み会を含む社内イベントを廃止すれば良い(この場合、解雇規制を緩和して、勤務時間内に仕事を終わらせられない従業員、あるいは処理不可能な作業量を要求する管理職を容易に解雇できる仕組みも必要になるが)。
日本型組織では、過大なストレスがイジメを発生させると同時に、学習効率や労働生産性を阻害しているが、これを問題視する主張は殆ど見られず、放置されている。

また、日本型組織は閉鎖性が強いため、第三者や他の部署からのチェックが入りづらく、問題を隠蔽する傾向が強い。学校のイジメの場合、教員にとって、教室内のイジメを解決するメリットは非常に少なく、むしろ手を突っ込んで問題が表面化することで、自分の厄介事が増えるリスクの方が大きい。担任の任期は一年であるため、回避可能な問題は「無かったこと」「見えなかったこと」にしてやり過ごす方が、はるかにコストが安い。

イジメはそもそも発生を抑制させる他なく、発生してしまったイジメを解決するのは非常に難度が高い。それだけに、学校も会社も根本的に組織改編しない限り、イジメを減らすことすら難しいと思われる。
そもそも虐められる子どものことを考えれば、対処療法などそもそも「犯行が起きてから捜査する」のと同じで、教育的にはおそろしく非人道的であることが分かるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(5) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする