2017年02月22日

映画 虐殺器官

虐殺器官.jpg
『虐殺器官』 村瀬修功・監督脚本 日本(2017)



一度満席で断念し、二度目で見られたが、来週で終わってしまうのは惜しい。実は『屍者の帝国』の方が見たかったのだが、この時も一度満席で断念し、次に見ようとしたら終わっていただけに、外せなかった。
伊藤計劃の天才ぶりを見事に映像化している。映像だと情報量(セリフ)が多すぎて脱落者が続出しそうなのが難だが、観客に媚びないスタンスが良い。あの分量を二時間の映画でまとめるのは無理がある話だが、きっちりまとめている観がある。2人での会話シーンが多いのだが、戦闘シーンは戦闘シーンで全く容赦なくリアルに描いており、薬物で人間性を抑えての戦闘がどのようなものになるのか考えさせられる。

原作は2007年だが、「911後のもう一つの世界」を舞台に、自由と暴力の相関性が一つのテーマになっている。ぶっちゃけて言えば、「ある自由を守るためには、ある自由を否定する必要がある、あるいは対価とせねばならない」という対テロ戦争の深層である。
「自由は自由との対価でのみ存在する」とか「内戦と虐殺の普遍化」とか、テーマはまさに「ラビリンス」の世界そのもの。今見ると、リベラリズムの瓦解やトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」を予見させるような展開もあり、その先見性に目がくらんでしまう。

かなり玄人向けの作品なのは間違いないが、ブルーレイを購入して普及に努めたくなる出来だった。
posted by ケン at 12:16| Comment(3) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

コバちゃんを独裁者と呼ばないで

先の記事で「今どきスターリンを『独裁者』などと書いてしまっているのは、ソ連学徒として噴飯もの」と書いたところ、「なぜスターリンを独裁者と言ってはいけないのか」旨の問い合わせがあったので、ここに記しておく。

まず大前提として、特定の個人を「独裁者」などと呼ぶのはただのレッテル貼りに過ぎず、論者の主観の問題であって、客観的な議論を否定する話にしかならない。例えば、安倍晋三氏を「独裁者」と呼ぶことは、論者の主観的には「正しい」かもしれないが、そこには客観的な議論は存在せず、むしろ議論を否定して「安倍は独裁者である」という認識を強要する意図が感じられる。同時に、そこには「独裁者か否か」の中立的な検討が存在せず、論者が前提条件無しに決めつけてしまっている。
こう言うと「安倍については独裁者かどうか議論があるかもしれないが、スターリンは独裁者で良いだろう」との反論がありそうだ。そこで、少し迂遠ながら自国の例で考えたい。

日本史において「独裁者」と呼ぶに値する指導者に晩年の豊臣秀吉がいる。晩年の秀吉は、周囲の慎重意見や反対意見を排して朝鮮出兵を強行、諫言する者を粛清している。豊臣秀次事件の陰惨さは、まさに一般にイメージされる独裁者そのものだろう。だが、秀吉は最初から独裁的だったわけではなく、むしろ独裁から最も遠いところにいた。若年から壮年に至る秀吉は、とにかく聞き上手で、人の間に入って交渉、裁定するのを得意とした。秀吉が天下人になれたのは、様々な要因があるものの、個性として自己肥大の塊のような戦国諸将をなだめすかし、褒め殺しながら、利害調整する手腕に長けていたことが大きい。つまり、「多数の意見を反映させつつ過半の合意を得る」という民主的傾向が強かったのであって、秀吉個人が超人的な能力をもって暴力的に他者を支配下に置いたわけではない。秀吉が、パラノイア、独裁的傾向を示すのは、小田原征討以降のことだった。
「豊臣秀吉は独裁者だった」と言ってしまうと、晩年については妥当性が認められるとしても、壮年に至る大半のキャリアを否定することになってしまい、妥当性や中立性の点で大いに疑問が生じる。「独裁者」はやはりレッテル貼りでしかない。

なお、戦国期の戦国大名は、今日流布されているイメージと異なり、「地域豪族の取りまとめ役」でしかなく、殆どの場合、自分の意志を通すことすら難しかった。武田信玄が「名君」とされたのは、文字通り朝から晩まで国衆の話に耳を傾け、合意を得ることに長けていたためであり、故に松平元康も領主の範とした。上杉謙信などは、豪族たちのアクの強さに嫌気をさして、何度も出奔したり、引き籠もりしたりしている。

スターリンを論じる前に、ソ連邦における国家意思の形成過程の一例を挙げておきたい。一般的には、全体主義国家の意思決定は独裁的に決せられると考えられている。だが、本ブログでいくつか検証してきた通り、その意思決定は共産党書記長が独裁的に決するものではなかった。詳細は記事を読んで欲しい。

・ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程 
・「プラハの春」−ソ連の対応と誤算 
・ソ連は何故ポーランドに軍事介入しなかったのか 

ブレジネフの例を挙げると、「プラハの春」の前にプラハ入りした際、滞在した48時間のうち40時間を、チェコスロヴァキア共産党の幹部、関係者数十人との面会・ヒアリングに充てているが、とうてい「独裁者」のイメージでは無い。
アフガニスタン介入やポーランド危機と同時期のフォークランド紛争を見た場合、当時のサッチャー英首相は、大多数を占めていた慎重、反対意見を頭から否定して、自らの信念だけで相当強引に開戦に持ち込んでいる。意思決定過程を見る限り、ブレジネフよりもサッチャーの方がはるかに独裁的なのだが、サッチャーを独裁者とする記述は、少なくとも今日ではお目に掛からない。

「肝心のスターリンは?」と言うと、実はこれも同じで、スターリンが独裁的地位を確立するのは対独戦に勝利する前後のことであり、それは「大祖国戦争を勝利に導いた」神話に基づいている。スターリンは1953年に死ぬが、独裁権を振るったのはやはり10年に満たない期間でしか無かった。大粛清の終了をもって「独裁権確立」と判断しても15年に満たない。

そもそもスターリンが、レーニン死後のボリシェビキの後継者レースに勝利したのは、「独裁的じゃ無いから」だった。レーニンの死の前後、オールド・ボリシェビキたちはレーニンの指導力に敬意を表しつつも、その独断的傾向や人の話に耳を貸さないスタンスに嫌気をさしていた。レーニンは、遺書でスターリンを「粗暴」「独裁的」と非難するわけだが、そのスターリンを書記長に就けたのはレーニン自身だった。その理由の1つは、トロツキーではボリシェビキをまとめられず、スターリンなら可能(実務能力が高く面倒見が良い)という判断だったと推察される。能力という点では、トロツキーはダントツだったが、いかんせん自分の能力をひけらかし、他者を見下す傾向があり、特に党内の幹部級から嫌われていた。これに対し、スターリンはとにかく人の話に耳を傾け、容易に自説を主張せず、「仲間」と見込んだ者は必ず守る「男気」があると評価されていた。レーニンはどこかの時点でスターリンの本質を悟ったのだろうが、党内の評価は全く別だった。
スターリンの意思決定は、常に慎重で周囲の意見を丹念に聞き出し、その上で多数派を見出して同意するというものだった。それ故にレーニンやトロツキーらからは蔑視されていたわけだが、人事の妙と相まって、常に多数派を形成していた。

スターリンはレーニンの遺書を封印して党内権力を握るが、その座は不安定で内外に多くの敵を抱えていた。そこで、政敵の排除を始めるが、粛清を進めれば進めるほど、疑心暗鬼が強まっていってしまう。さらに無理な農業集団化や重工業化が祟って、国内の不満が高まり、国際情勢的にも不穏となる中で、「政治統制を急ぐ必要がある」として大粛清が始まる。
直接的な原因は、大衆的人気の高かったセルゲイ・キーロフが暗殺されたことにあり、定説は、スターリンが自らの地位を脅かすキーロフを暗殺し、これを切っ掛けに大粛清を始めたとしている。だが、現実にはスターリンがキーロフ暗殺を指示したという証拠も傍証もなく、むしろキーロフ暗殺の知らせを聞いたスターリンが、周囲も驚くほど狼狽し、放心していたことが確認されている。一般的には、大粛清は「スターリンの妄想に始まった」と理解されているが、スターリン個人が周囲の反対を押し切って粛清を強行したことを示す資料はなく、むしろ周囲の人間が「内なる脅威」を煽り立てた節があるくらいだ。

大粛清の過程で「内なる敵」を徹底的に排除したことで、スターリンの独裁的権力が確立したと考えるのは、おおむね妥当かもしれない。だが、例えば、1941年6月22日、スターリンの予想に反してナチス・ドイツがソ連への侵攻を開始した際、スターリンは呆然自失となり、後事をモロトフに託して別荘に引きこもってしまう。この時スターリンは、完全に自分が粛清されるものとして身辺整理していたのだが、案に反してやって来たのは、「どうか戦争指導を引き受けてください」という党幹部の嘆願だった。
ジューコフは、大戦当時のスターリンについて、「すべての重要な決定にはスターリンの決裁が必要だった」と述べると同時に「われわれのような専門家の意見を率直に聞く耳を持っていた」と評価している。
また、モロトフは一般労働者並みの年金で生活していた晩年にインタビューを受けているが、「レーニンとスターリンと、どちらの方が恐ろしかったか」との問いに対し、「スターリン?ふん、あんなのはレーニンに比べれば羊も同然だ」と応じている。同時代にあったものの印象としては、レーニンの方がはるかに「恐ろしい独裁者」だったのだ。

今日にあっても、西側では「独裁者」と言われるプーチン氏だが、氏をよく知るものたちは皆、「プーチン氏ほどよく人の話を聞く人はいない」と口を揃えて言うという。
先に「独裁者」とレッテルを貼って見てしまうと、無数の視点を見落としてしまうだろう。少なくとも中立性、客観性、学術性を重視するならば、相応の理由や必要性無くして「独裁者」などの言葉は使うべきでは無いのである。
posted by ケン at 12:57| Comment(2) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

封建制下での兄弟殺しは当たり前

【金正男氏暗殺 亡命政権構想引き金か 脱北者らの擁立を警戒】
 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の親族を擁立して亡命政権を樹立しようという動きが北朝鮮国外であり、当局が国外に住む親族への監視・警戒を強めていたことが16日、複数の消息筋の話で分かった。マレーシアで殺害された異母兄の金正男(ジョンナム)氏(45)が亡命政権を計画する脱北者と接触していたとの情報もあり、加担を疑われて当局に暗殺された可能性がある。
 「『北朝鮮亡命政府』金平一(ピョンイル)擁立の声高まる」。こう書かれたビラが1月1日、韓国から北朝鮮に向け、風船で飛ばされた。在英脱北者団体が仕掛けたものだ。正恩政権崩壊後を見すえた亡命政権構想は、昨年ごろから米国や欧州の一部脱北者団体の間で持ち上がったという。
 金平一とは、金委員長の叔父の金平一駐チェコ大使(62)のことだ。金日成(イルソン)主席の息子という北朝鮮国内で絶対視される「白頭血統」を持つことから、亡命政権の首班として目をつけられたようだ。平一氏は、金正日(ジョンイル)総書記との後継者争いに敗れ、約30年間、東欧の大使を転々としてきた。
 正恩政権は以前から平一氏を警戒し、2014年末に監視のため、秘密警察、国家安全保衛部(現・国家保衛省)幹部をチェコに派遣していた。ただ、平一氏は目立った反応を示さず、昨年には、平壌に一時帰国し、大使館業務の改善を訴えるなど正恩政権に恭順の姿勢を見せているという。
 亡命政権構想の動きを受け、北朝鮮の治安当局内では、平一氏らの排除を主張する強硬論も台頭していたと伝えられる。
 脱北者団体関係者が次善の候補として接触したとされるのが正男氏だ。だが、平一氏と違い、正恩政権からの再三の帰国指示にも従わず、殺害されるに至ったとみられている。
 北朝鮮情勢に詳しい李英和(リ・ヨンファ)関西大教授は「亡命政権は構想にすぎないが、北朝鮮当局が過剰反応し、暗殺につながった可能性がある」と分析する。1月中旬には、金元弘(ウォンホン)国家保衛相が解任されたとされるが、正男氏と脱北者との接触を察知し、報告することを怠った責任を問われた可能性も指摘されている。
(2月17日、産経新聞)

「弟が兄をとか怖い」なんていっている人は自国の歴史を見直した方がよい。
古くは壬申の乱(叔父と甥)、奥州合戦(頼朝と義経)、観応の擾乱(尊氏と直義)に始まり、江戸期には徳川吉宗や井伊直弼による兄数人の毒殺疑惑がある。宇喜多直家の弟忠家は、兄が死ぬまで、自分はいつ殺されてもおかしくないと怯えながら暮らしていたという。
近年でいえば、昭和帝は秩父宮がいつクーデターを起こすか常に警戒し、何とか遠隔地に追いやろうとしていた。
封建制や王政に対するイメージが貧困すぎるのだろう。

現代の立憲君主国で兄弟争いが生じないのは、君主に実権がなく、「自由を謳歌した方が楽」という風潮が普遍化しているためだ。君主が財産と権力を一手に持ち、自由などどこにも存在しない時代には、「王になるか、臣下として犬のように生きるか」の選択肢しかなかった。
同時に、王侯貴族にとって自らの地位を脅かす最大の脅威は外敵ではなく身内だった。親族は「血が繋がっている」だけで継承権を持ち、怪我や病気で容易に死に至る保健衛生水準も相まって、権利を獲得するには外敵を排除、略奪するよりも身内を罠にはめて殺害する方が効率的だった。日本でも、『太平記』などを読めば、「それしかない」くらい親族間の争いしか存在しないことが分かる。戦国期でも、美濃斉藤家や尾張織田家の内戦は凄まじいものがあった。それ故に、中世には後継者が決定した瞬間、他の兄弟は全員殺害あるいは国外追放という事例が数多く存在した。
今日にあっても、より立憲的で民主的な平成帝と浩宮に対し、日本会議などが自衛隊と組んで秋篠宮を担いで「王政復古」クーデターを起こす可能性は「ゼロ」とは言えないだろう。

北朝鮮は、王制を地で行っているだけの話であり、我々はもっと想像力を働かせる必要がある。
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2017年02月18日

GMT Combat Commander 再インストール

20年ぶりに「前線復帰」を果たしたT後輩にGMT「Combat Commander」をインストールした。20年ぶりともなると、山のように新作が出ており、何からインストールすべきか悩んでしまうが、できるだけタイプの異なるゲームを紹介できたらと思っている。かく言う私も、偉そうなことを言えるほどにはプレイできていないのだが。「Combat Commander」も、最後にプレイしたのは10年近く前になるかもしれないが、ケン先生的にはお気に入りのゲームの1つで、「お蔵入り」せずに手の届くところに置いてある。

「Combat Commander」は、カードドリブンによる戦術級の歩兵戦闘を再現している。基本単位は分隊だが、指揮官は1人単位でユニット化されている。古典的名作「スコード・リーダー」を簡素化して、カードドリブンでプレイアビリティを上げたイメージ。ただし、車輌や戦車は出てこない。これは、車輌ルールを入れると、ルールのボリュームが倍近くなってしまうことや、実際の二次大戦の戦場の大半は車輌など出てこなかったことに起因している。日本軍は当然ながら、ドイツ軍でもソ連軍でも、「戦場で戦車の支援など受けたことも無い」という歩兵はザラだったようだ。

後輩も言っていた通り、ルールを読んでもイメージできない特殊性があるものの、実際にプレイしてみると、ルール自体は難しくない。T後輩も、高低差も砲兵支援も無い第一シナリオをプレイして、ゲームの概要は理解できたようだが、それとプレイの難易度は異なるもので、「何をしたら良いのか」の判断には苦労していた模様。
独軍とソ連軍の遭遇戦で、後輩がドイツを持ったが、ソ連軍の物量を前に、あるいは白兵戦で叩かれ、あるいは濃密な火線を敷かれて射撃され、一方的に叩かれる展開になった。
この日は結局、2シナリオを計4回プレイしたが、「何をどうすべきか」を理解するには至らなかったようだ。

シミュレーションゲームに限った話ではないのだが、共通する基本原則というものがある。それは、

・戦力を集中する
・遊兵をつくらない
・相手が嫌がる(やりたい)ことをする


である。この手のゲームでは、つい攻撃力の高いスタックをつくって「1人で大暴れ」させようとしまいがちだが、攻撃側の場合、同程度の攻撃力のチームを2個つくって、同じ目標を2回射撃した方が、格段に撃破率が高くなる。本ゲームの場合、交互に手番が回ってきて、防御側は「士気回復」カードを温存していることが多いため、一回の攻撃ではすぐに回復されてしまう可能性が高い。故に、攻撃側は「射撃」「射撃」「敗走」のコンボで、一手番で目標の戦力を目減りさせるのが望ましいことになる。もちろん、現実は思った様には進まないのだが。
また、防御側の場合、つい重要拠点にユニットを山積みして死守しようとするが、どんなに頑張っても限界があるし、頑張れば頑張るほど被害が続出して、重要拠点は守れても損害過多でサドンデス敗北に終わる恐れがある。防御側は基本的に時間さえ稼げば勝てるので、「どこで時間を稼ぐか(相手のカードを使わせまくるか)」を考え、同時に守るだけで無く、反撃に転じて攻撃側のユニットを少しでも減らす工夫が必要となる。本作の良いところは、「守るだけじゃダメなんだ!」ということを骨身に教えてくれるところにもある。

自分も10年弱ぶりにプレイしたので、忘れていたことも多かったし、自分が巧手だとも思わないが、しばらく後輩相手に「リハビリ」したいと思う。
久しぶりにプレイしたが、あらためて熱くなる好ゲームである。この機会に「太平洋」も必要なところだけでも翻訳するか・・・・・・
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

化学総連が自民支持を決定

【化学総連は自民を支援 次期衆院選 連合離脱、民進離れ加速も】
 昨年まで民進党最大の支持団体である連合に加盟していた「全国化学労働組合総連合」(化学総連)が次期衆院選で自民党を支援する方針を決めたことが13日、分かった。化学総連幹部が同日、自民党本部で茂木敏充政調会長らと面会し、意向を伝えた。政府が進める働き方改革への要望やエネルギー政策についても意見交換を行った。
 大手化学各社の労組でつくる化学総連(昨年7月1日現在、組合員4万6348人)は昨年5月、春闘などで連合との窓口になっていた「日本化学エネルギー産業労働組合連合会(JEC連合)」との協力関係を解消し、連合を離脱した。
 「独自に政策提言したい」との理由だったが、昨夏の参院選に向け共産党との選挙協力を進めていた民進党への不満があったとみられる。産別労組全体の離脱は平成元年の連合発足以来初めてだった。
 連合では最近、「民進党離れ」が加速。神津里季生会長の出身産別である基幹労連が昨年4〜5月に組合員に支持政党を尋ねたところ、自民党が約23%で、民進党の約18%を上回った。
 今月9日には、連合の有力産別である電力総連の小林正夫参院議員が代表世話人を務める民進党の「連合組織内議員懇談会」が野田佳彦幹事長と面会。次期衆院選公約で執行部が検討している「2030年原発ゼロ」について慎重に判断するよう申し入れた。
 一方、神津氏は昨年12月に安倍晋三首相と会談し、働き方改革などで意見交換。同年11月には自民党と連合の幹部が5年ぶりに意見交換会を開き、政策協議を行う機会が急増している。
 神津氏は民進党と共産党との共闘を批判し、連合の次期衆院選基本方針でも「連合が共産党と連携することはあり得ない」と明記。今後、化学総連のような動きが加速する可能性もありそうだ。
(2月14日、産経新聞)

化学総連が連合を脱退した件は、すでに「遠心力働く連合」で扱ったが、早くも自民支持を決定した。
連合が自民党と合一的である理由について」で説明した通り、すでに正社員互助会と化した連合の利害関係は、民進党よりも自民党に近くなっており、連合が民進党を支持する理由はすでに大方失われている。にもかかわらず、連合が民進支持を保持し続けているのは、「野党第一党の最大支援組織」としてのポジションを保つことが政府、自民党に対する最大の影響力となり得るという判断に起因している。だが、もう一つは、「民進支持を止めて自民支持に転じる」だけの交渉コストを支払うだけの体力が、すでに連合に無いことに依る。

化学総連が連合から脱退したのは、もともと巨大な加盟費に比して得られる利益が少なすぎることと、もはや民進党を支持し続けることに組合員の合意が得られなくなっていることが原因になっていると考えられる。
これは化学総連に限った話ではなく、連合傘下の組合の大半に共通する問題で、基幹労連のような右派組合はおろか、いまや自治労やJPでも組合員の2割以上が自民党に投票していると言われ、旧総評や同盟といった枠組みとは無縁であることが分かる(基幹労連も総評だが)。むしろ旧同盟系の方が組合内の内部統制が強固であるため、民進党への投票が多いという話も聞くくらいだ。

「野党第一党の最大支援組織」であり続けたい連合と、選挙に勝つためにはNK党との連携が不可欠になるまで力を失っている民進党の利害は、今後ますます一致点が少なくなってゆくものと見られる。同時に、連合内で「民進支持」の合意が保持されなくなるのは時間の問題であり、「自民支持」に舵を切るか、分裂するかの選択肢を迫られる日が近づいている。
posted by ケン at 13:06| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

赤い貴族は自民党支持

【<次期衆院選>民進に危機感 基幹労連の組合員支持逆転】
 民進党を支持する産業別労組「基幹労連」が昨年4、5月に組合員を対象に実施したアンケートで、自民党支持率が民進党支持率を初めて上回った。民進党関係者は「こうした傾向は基幹労連に限らない」とみており、次期衆院選で党勢回復を図りたい同党は危機感を強めている。
 アンケートでは「支持政党なし」が約53%で最も多く、自民支持約23%、民進支持約18%。安倍晋三首相が経済界に賃上げを直接要請する「官製春闘」が定着し、政府が働き方改革に着手していることなどが、組合員の自民支持につながったようだ。ある民進党衆院議員は「(経済政策)アベノミクスの恩恵で給料は上がっている。比例代表で組合が抱える候補に投票しても、選挙区では民進党の候補に投票しない組合員がどの組織でも少なくないだろう」と指摘する。基幹労連は鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産別労組。連合の神津里季生会長は基幹労連出身だ。
(2月9日、毎日新聞)

「何を今さら」ではあるが、こうして数字が表になるのは良いこと。長くなるが、過去ログから再掲しておきたい。
連合は民進党に「安倍政権との違い」を求めるよりも、自民党支持に転じて政策要求した方が、はるかに自分たちの主張を実現させられる可能性が高いのだ。実際のところ、今回の新潟知事選にしても、鹿児島県知事選にしても、連合は与党候補を支援している。新潟知事選の場合、連合はまず民進党に原発推進の独自候補の擁立を要求、できないとなると、自民党の候補を支持した。最初から無理難題をふっかけて、民進党を封じて、与党候補の支持に回るというのが、連合のやり口なのだ。
連合はなぜ自民党を支持しないのか) 

連合は、ナショナルセンターの総評と同盟が合流してできたものだが、この二つのナショナルセンターは、戦後和解体制における最大の受益者でもあった。そして、戦後和解体制下で得た正規雇用労働者の「特権」の数々を維持するために、90年代以降の構造改革に積極的に協力していった。非正規雇用を容認する労働法制改悪を容認したのは、正規雇用者の待遇を守るためだった。最低賃金の引き上げに消極的なのも同じ理由から説明される。
電力総連や電機連合が原発を支持し、自動車総連がTPPを支持するのは、まさに「正社員の待遇を守るために経営側に積極的に協力する」という戦後和解体制の慣習そのものなのだ。だが現実には、原発の下請けや自動車工場の期間工や外国人労働者を見た場合、『蟹工船』同様の惨劇がまかり通っており、正社員の待遇は同じ労働者の搾取の上にしか成り立っていない。
つまり、戦後和解体制の残滓となっているのが連合であると解釈すると、分かりやすい。大企業の正社員互助会である連合としては、組合員の待遇を守るためには、今まで通り資本に協力するのが「合理的」であり、それは非正規雇用労働者を積極的に搾取することでしか成り立たない。そのスタンスは自然、野党では無く、自民党や政府に近いものにしかならない。
にもかかわらず、民進党を支持し続けているのは、hanamaru同志が指摘されているように「野党の最大支援組織」というポジションが、自民党に対しても政府に対しても最も有効な交渉材料(カード)であるためだと推測される。そして、その「ムリ」が表面化しているのが、昨今の惨状なのではなかろうか。
連合が自民党と合一的である理由について
 
連合の主な加盟員である、正規雇用労働者というのは、同じ工場で働く期間工や外国人労働者と同質の労働を担いながら、雇用が保障されると同時に、数倍の給与が支払われているものたちであり、それは言うまでも無く、期間工、外国人労働者、下請けに対する過酷な収奪の上に成り立っている。これは、ソ連型社会主義が、農民に対する過酷な収奪の上に成り立っていたことと相似形にある。大企業において、労働組合の役員を担うことが出世の条件になっていたり、縁故採用の核になっていたりするところは、ソ連における「ノーメンクラツーラ」を思い出させる。

その意味では、連合の中でも最右派と目される基幹労連において、自民支持が23%「しか」なかったことと、民進支持が18%「も」あったことは、むしろ驚くに値する。同時に、「支持政党なし」が過半数である事実こそが彼らの非階級性(社会のどの階層にも属している意識が無い)ことを表しているのかもしれない。つまり、根源的には自民党と利害を一致させていながらも、意識はされていない、ということなのだろう。
そして、連合幹部はこの無自覚を利用して、「野党の最大支援組織」の地位を、あるいは交渉カードとして、あるいは民進党の「行き過ぎ」を抑止するストッパーとしての役割を果たすよう、策謀を重ねていると見て良い。結果、連合は自民党・霞ヶ関から「赤い貴族」の地位を配慮されつつ、野党第一党が野党として最低限以上の機能を果たさないよう監視する地位に収まっている。政府による「働き方改革」や「同一労働同一賃金」が骨抜きにされた無内容のものになり、原発再稼働・再建設に舵が切られている事実がこれを裏付けている。

もっとも、上の状況は右派組合に限った話ではない。聞くところによれば、左派系組合の雄たる地方公務員の組合でも、2012年の総選挙では組合員の25%前後が自民党に投票、同14年の総選挙でも20%前後が自民党に投票しているというのだから、状況としては殆ど変わらないのかもしれない。
posted by ケン at 12:23| Comment(2) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

ルペン氏が快進撃中

【極右政党ルペン氏が図るフランス革命、ユーロ離脱と「新フラン」発行】
フランス極右政党、国民戦線(FN)のルペン党首は、大統領選で当選すればユーロの通貨同盟を離脱し、金融政策を国家の手に取り戻して新たな通貨を発行する計画だ。同氏の主任経済顧問が明らかにした。
 アドバイザーのベルナール・モノ氏は4日にリヨンで開かれた集会に際して、ルペン氏の政策を説明。米国でドナルド・トランプ氏を勝利に導いた大衆迎合主義にならい、「金融の主権を取り戻す」ことがルペン氏の政策の重要な柱だと述べた。4月23日に行われる第1回投票についての世論調査では、ルペン氏が支持率首位を保っているが、決選投票での勝利を示唆する調査結果はない。
 ルペン氏は当選した場合、直ちに欧州連合(EU)首脳と欧州中央銀行(ECB)の会議を招集し、かつての欧州通貨単位(ECU)のような各国通貨のバスケットを採用してユーロに代えるよう要請する考えだという。フランスの通貨は恐らく「新フランス・フラン」という名称になり、当初はユーロと等価に設定され、その後はEU通貨バスケットに対する変動幅を20%までに制限すると、モノ氏は述べた。
(2月7日、ブルームバーグ)

フランス大統領選は、極右と強硬右派の二択になりそうだったが、フィヨン氏がスキャンダルで脱落しそうな状況にあり、「中間派」と言われるマクロン氏が浮上してきたが、「社会党の新自由主義者」との批判もあって有力候補と見なされるには至っていないし、スキャンダルも出ているようだ。現状では、決選投票になってもルペン氏が有利な状況にあり、よほど「反ルペン」が結集して大運動化しない限り、ルペン氏が集票を強める流れにある。なお、政権与党である社会党を中心とする左翼連合は、社会党のアモン氏を大統領候補に選出したが、その支持率は10%強でしかなく、「選挙に出るだけ」の状態にある。
とはいえ、トップのルペン氏にしても、現状の支持率は25〜30%でしかなく、決選投票になると厳しい闘いになるのは間違いない。だが、フランスでは、既存政党や既存政治家に対する不信と不満が蔓延しており、アメリカの「トランプ現象」と同様の空気が社会を覆っており、「共和国の理念を信じるフランス人がルペンに投票する訳が無い」などという発想は、「クリントン圧勝」神話と同じ過ちに直結する。

今回の大統領選挙で25%以上の支持率を有し、2014年の欧州議会議員選挙では25%の得票で74議席中24議席を獲得した国民戦線(FN)だが、国民議会における議席はわずか5でしかない。これは、選挙制度によるもので、フランス国民議会は小選挙区制を採用、ただし一回目の投票で過半数を獲得した候補がいない場合、決戦投票が行われる仕組みになっているため、日本のように相対多数で勝利できない。結果、FNの候補者は、一回目の投票でトップに立っても決選投票で落選してしまうケースが多い。2015年に行われた州議会選挙(地方圏選挙)も、似た仕組みが採用されており、FNは一回目の投票で全国平均28%以上の得票をしたにもかかわらず、「敗退」を強いられている。この際、ルペン党首は、「国民戦線を排除するために主要政党が協力し合ったせいだ」「自分たちは嘘と情報操作による実に不当な形で与えられるべき地位を奪われた」と非難声明を出している。

これが示しているのは、「急進主義、過激派を抑えるため」に設置されたシステムが正常に作動した結果、相対多数の民意を反映させられなくなっているという、デモクラシーにとって「不都合な事実」である。より正確さを期すならば、「急進主義、過激派を抑える」というリベラリズムの原理が、「民意を正確に反映する」というデモクラシーの原理を阻害しているのだ。このシステムは、自国でナポレオンを輩出し、隣国で選出されたヒトラーに蹂躙されたことに対する強い反省から生まれたものだが、「自由と民主主義が相反する」事態までは想定していなかったのだろう。
だが現実には、フランス市民の3割もが「自らの主権が政治に全く反映されない」状態に置かれ、しかもその3割が相対多数を形勢している点にこそ重大な問題がある。ルペン氏の主張が「正しい」かどうかは別にして、デモクラシーの原理に反して主権者が疎外されていることは確かなのだ。そして、リベラリストはこの点について口を閉ざしたまま、極右勢力を声高に非難し続けるため、彼らの「リベラル嫌い」を加速させた上、デモクラシー不信を強めてしまっている。つまり、リベラリストが、自由と民主主義を転覆させる意志、あるいは暴力主義の根を育てている側面があるわけだが、自由主義者はそれを認めないがために事態を悪化させている。
あとは補足。

西側諸国では、長いこと「自由と民主主義こそが豊かさの源泉である」と喧伝されてきた。ところが、ソ連・東欧ブロックが瓦解し、世界の半分が「市場開放」された結果、経済のグローバル化が進むと同時に労働賃金のフラット化が進んだ。
具体的には、ヨーロッパでは工場が東欧に移転し、日本では中国に移転した。同時に、賃金の相対化が進み、非正規雇用や移民労働者の増加によって、雇用環境の悪化や賃金の低下が進んだ。また、高齢化に伴い、社会保障費が急騰して国家財政を圧迫、同時期に東側陣営が崩壊したことも相まって、社会保障の切り下げが始まった。「狡兎死して走狗烹らる」である。
こうして後に残されたのは、「収奪する自由」と「収奪される自由」だった。本来のリベラリズムは、機会均等を実現するために国家による再分配を肯定するが、今日では「経済成長のため」と称して真っ先に再分配機能が削られている。
具体例を挙げるなら、無能な正社員と有能な非正規社員がいるとして、リベラリズムは、正社員のクビをきって他方を正社員に据える「自由」と、正社員から多額の税を取って他方に再分配する「公正」の2つの選択肢を容認する。だが、現実の自由主義国家では、双方とも機能せず、有能な非正規社員はひたすら収奪される存在となっている。
そこで疎外された者たちが自由を怨嗟しているのに、それに対してリベラリストが「自由こそ至上の価値」と高説してみたところで、逆ギレされるのがオチだろう。そして、それがヘイトの原動力となっているのだが、リベラル派は全く自覚が無い。
敵はリベラルにあり・補) 

彼らの不満を解消するには、リベラリズムを否定し、引いては自由貿易を止めて保護貿易に転じ、国内の産業育成に努めると同時に雇用を確保、さらに移民を排斥するか同化を強制して、国民に一定の労働賃金と待遇を保証する必要がある。
「差別はイカン」というのは倫理的には正しいが、自由主義の下で移民が大量に呼び込まれ、賃金の低下に拍車がかかって、国民の生活水準が激しく劣化してしまった以上、それを放置して倫理や道徳を訴えてみたところで、何の力にもならない。彼らは、商店にパンも肉も無いのに、社会主義の「可能性」ばかり訴え続けた東欧の共産党と同じ過ちを犯しているのだ。
敵はリベラルにあり?)
posted by ケン at 12:05| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする