2017年05月24日

帝権のあり方について

【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】
 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。
(5月21日、毎日新聞)

自分は明確な共和主義者なので、帝国や君主のあり方などどうでも良いのだが、ネタとしては取り上げておきたい。まずは帝権に対する古今東西の考え方のおさらいから。
「国を治むるは、樹を栽うるがごとし。本根揺かざれば枝葉茂栄す。君よく清浄ならば、百姓なんぞ安楽ならざるを得んや」(貞観政要)

中国の場合、古来「表では徳治主義、裏では法治主義」が帝権統治の原則だった。君主は人民に対して道徳と礼儀の範を示し、官僚は法律で統治するという考え方である。儒教は徳治主義を旨とするが、現実の統治は徳だけではなせず、法家思想が密教として連綿と受け継がれてきた。
基本的には日本の君主論や帝権論もこの考え方を継承している。
「哲学の教えに基づき、人類を現世的な幸福へと導くものがローマ皇帝である」(ダンテ「帝政論」)

欧州の場合、古来宗教的権威の象徴であるローマ教皇と世俗的権威の象徴であるローマ皇帝の二元代表制を基本とし、ローマ帝国が崩壊した後も、王と教会による二元統治を行っていた。従って、キリスト教会は道徳と倫理の範を示し、王は暴力と法をもって統治するという考え方だったが、そこには常に「愚昧なる人民を善導し、幸福へと導く」という使命感があった。
余談になるが、ルネサンス期におけるカトリックとプロテスタントの対立は、帝権に対する考え方にも及んだ。カトリック側は「教義と教会を守護する帝権」を求めたのに対し、プロテスタント側は「強い帝権によって教会改革を行う」ことを求めた。それが最も苛烈な形になって現出したのが「ドイツ三十年戦争」だった。

欧州の帝権論は、王権神授説に基づいて神から教会を通じて統治の正統なる権利が与えられているが、同時にその使命と責任も明確であり、「人民を善導し、幸福へと導く」使命が果たせない場合は、少なくとも神に対して責任を負わなければならなかった。そして、その使命を果たせず、責任を取ることを拒否した王の末路が、チャールズ1世やルイ16世のそれだった。

これに対し、現代日本では、
「国民と共に歩み、国民に寄り添う」(今上帝)

「祈っているだけでいい」(日本政府)

という2つの帝権論がせめぎ合っている。現代日本の原型は、明治帝政に求められるが、中世から江戸期までの天皇は宗教的権威としてすらごく一部からしか認知されていないような存在で、世俗的権威や実力は皆無だった。だが、封建制度である幕藩体制から近代的国家に生まれ変わるためには、何らかの国民統合の装置が不可欠となり、天皇家が利用されるところとなった。
大政奉還した徳川幕府を暴力によって打ち倒した薩長両藩は、日本全土を支配する正統な権利を有しておらず、統治権は宗教的権威と一体化させて天皇に持たせる他なかった。だが、現実の統治は天皇にはやらせないことにしたため、不具合が生じた。
立法府も行政府も権限が弱い上に分割されており、到底強権を発動させられるような制度にはなっていなかった。
憲法の条文上、これらは協賛や輔弼という立場でしかなく、天皇が大権をもって親政を行うような仕組みになっていたが、現実の3人の帝は誰も専制権を発動しなかった。
聖上は君臨するのみで、下は不安定な分権構造というのが、明治体制の実態だった。
それでも、憲法の解釈上は、美濃部達吉の「天皇機関説」が採られてきたが、これは今風に言えば「解釈改憲」でしかなく、条文を厳密に解釈すれば、上杉慎吉の「天皇主権説」にしかなりようがなかった。

にもかかわらず、日露戦争前後までは一定の政治的主導権(リーダーシップ)が発揮されたのは、憲法にも法律にも規定されていない「元老」が絶大な政治的影響力を有していたためだった。
伊藤博文や山県有朋などの「明治維新の元勲」たちが、巨大な政治的影響力を駆使して、分権化された諸機関や軍を統制し、天皇大権を陰から行使することで(実際には専制権を行使しないまま)、国家を運営していたのである。
しかし、これはあくまで超法規的なシステムであり、元老が死んでしまうと、専制的な明治憲法と分裂的な統治機構だけが残ってしまう。特に軍は、統制する主体がなく、ノーチェックの暴力装置になってしまった。暴走するのは時間の問題だったのだろう。
それは維新の元勲や明治憲法の制定者たちの意図したところではなかったかもしれないが、もはや自分たちではシステムの不具合を修正することも出来なくなっていたのだ。
大日本帝国憲法の瑕疵

明治憲法は1条にて天皇に統治権を認めつつ、3条で無答責(免責)を保障する一方、閣僚は天皇の行政権を補佐しつつ、天皇に対してのみ責任を負うことを規定していた。この意味するところは、「天皇は君臨すれども統治せず、権利を代行する者は実質責任を負わなくて良い」というものだった。権力者にとってこれほど都合の良い憲法は無いだろう。

現代に話を戻そう。経済的繁栄と再分配に裏付けられた戦後和解体制が瓦解しつつある中で、天皇制による国民統合力も低下しつつあり、恐らくその危機意識を強く有しているのが平成帝で、だからこそ「国民と共に歩み、国民に寄り添う」スタンスを強く打ち出しているものと思われる。もちろん父である昭和帝に対する批判や意見もあるだろう。

自民党や霞ヶ関官僚がこうした平成帝のスタンスを面白く思わないのは、彼らが国内に「敵」をつくり対立を煽ることで、暴力支配を正当化して治安体制を強化し、貧困と不平等に対する不満を抑制しようという方針を持っているためだ。同時に、自民党と官僚には、一切責任を負う必要が無いことが規定されていた明治憲法に対する強い郷愁がある。これが天皇を元首にするという自民党の改憲案の根幹になっている。

「神輿は軽くてパーが良い」(小沢一郎)

【追記】
退位特例法は、人道上の問題を除外した場合、原則的には「上皇をつくり役割を拡大する」という意味で帝室と帝権を拡張させるものと理解している。
posted by ケン at 12:35| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

日本のエリートとは誰か

「日本でエリートって具体的には誰を指すのか」という話になった。
世界的に政治対立が「エリートvs. 反エリート」という図式になっている。アメリカでは、エリートのクリントン氏が反エリートを代表するトランプ氏に敗れ、逆にフランスでは、エリートのマクロン氏が反エリートを代表するルペン氏に勝利した。
日本の場合、非エリートの安倍氏が長期政権を担っているが、21世紀に入って東大出の総理大臣は鳩山由紀夫氏だけで、少なくとも表だっては「エリートvs. 反エリート」という図式が見えにくい。

この問いは簡単だ。日本のエスタブリッシュメントは「東大出の官僚」に象徴される。これは、「東大出」だけでも「官僚」だけでも成り立たず、不可分の関係にある。
例えば、先日復興大臣を辞任した今村氏は東大法学部出身だが、国鉄に入社しており、一部では「国鉄官僚」と揶揄されるものの、官僚からは見下される身分にあり、これが大きなコンプレックスとなって、今村氏の肥大化した自我に影響しているものと見られる。
逆に、厚生労働次官だった村木氏は、女性ということもあるが、それ以上に高知大学出身であったため、「凛の会事件」でスケープゴートにされてしまった。彼女が東大、それも法学部出身だったら、まず起きなかっただろう。

この東大の中にも階層があり、その頂点に立つのは法学部で、むしろ法学部以外は「雑魚」「みそっかす」の扱いをされることが多い。例えば、故宮澤喜一は、レクチャーに来た官僚や取材に来た新聞記者に対し、まず「大学は?」と聞き、東大以外と知るとまともに応対せず、東大と答えると今度は「学部は?」と尋ね、法学部以外と知ると、「用を済ませてさっさと帰れ」という空気を丸出しにしていたという。まぁ東大出の新聞記者などまずいないとは思うのだが・・・・・・
ただ、東大出身者の話を聞く限り、医学部はやや例外で、法学部出身者でも一目置いていたようで、「準エリート」と言えるだろう。もっとも、その準エリートの母に聞くと、医学部の中でも「理科三類」で入学したものは(母の世代が最初の理3合格者)、医学部試験合格者から下に見られていたという。ただ、いまや現役世代の全員が理3になっているので、ここは無視して良いだろう。

また、ここで官僚・官界と言う場合、狭義の霞ヶ関・行政官僚を指すのではなく、検察や裁判所、広義では日本銀行まで含まれる。
恐ろしいことに、日本銀行の総裁を見た場合、現職の黒田氏、先々代の福井氏は東大法学部出身であり、経済学部では無い。松下氏以前は、ほぼほぼ東大法学部出身者で占められている。一橋(東京商科大学)出身かつキリスト教徒である速水氏が総裁に就任したのは、一連の大蔵スキャンダルに依るもので、それが無ければ「あり得ない人事」だったとされる。

司法の世界においても、弁護士は検察官や裁判官に比して「一段下」に見られており、実際、帝政期の法廷では裁判官と検察官がひな壇に並んで座り、被告と弁護士は「御白砂」に立たされたままだった。この感覚は現代においても変わりなく、「判検交流」という形で「司法の東大支配」が続いている。
もっとも、たとえ弁護士であっても、「東大出の弁護士」は一目置かれる存在だという。全く証拠が無いので、「噂」になってしまうが、同じ女性議員でも、民進党のT元氏やレンホー氏らが強いバッシングにさらされる一方で、同党のY尾氏やSM党のF島氏などはいくら政府攻撃しても、スキャンダルを抱えていても批判されていない。これは後者二人が「東大法学部出の弁護士」であるため、東大閥の手厚い保護があるというのが、永田町における「常識」だ。
これは、日本の司法研修制度が、官民一体となって検察志望者も弁護士志望者も一緒に裁判所で研修を行い、「研修同期」が一種のマフィア的社会を形成していることにも起因していると考えられる。

付言すると、民主党政権時に検事総長に就任した笠間治雄氏は、明治帝政以来二度目の私大出身者(中央)だった。当時起きた大阪地検証拠改ざん事件を受けての大抜擢だったが、「(東大出でない)私に総長が務まるわけが無い」と何度も全力で固持したとされる。これは、私大出身の総長では、東大出のエリート官僚が統制に服さない恐れが強かったためと推察される。
他方、笠間を推薦した大林前総長の意図は、「法務官僚(赤煉瓦)ではこの難局は乗り切れない」というものであったというのが一般的な見方だが、私が耳にした噂には「民主党政権ごときにエスタブリッシュメントの検事総長などくれてやれるか!」というというものもあった。

なお、このF島氏は、自民党麻生政権時に中川蔵相がローマで「酩酊会見」を行ってバッシングされた際、野党議員(しかもSM)であったにもかかわらず全力で庇い続けており、東大法学部の同期であったことから「やっぱり東大マフィア」と批判されている。この後に憤死した中川氏は東大法学部を卒業後、官界に入らず、日本興業銀行(現みずほ)に入行しているため、「エリートグループの一員」(ロシア語に言うНаш человек)とは見なされず、庇われなかった側面があることは否めない。

もっとも、細かいところで言うと、「エリート」の中にも序列があるとされる。1つは言うまでも無く、官界の中の序列で、旧内務省と大蔵省を頂点とする明確な上下関係が存在する。現代においても、総務省や財務省の次官が官界の最頂点であり、「下級官庁」になると、総務省や大蔵省からの出向者が次官になるという関係にある(常では無いが)。
東大在学中に司法試験に合格して大蔵省に入省し、「若手ホープ」としてエスタブリッシュメントに期待されながら、政界に転身したある議員は、出馬する際に上司から「せっかく政治家を使う立場にあるのに、何をトチ狂って我々に使われる立場になろうとするんだ!」と説教されたという。

日本政治が統治不全に陥りつつある1つの理由は、かつては東大出エリートが省庁で位階を極めた後、政界に転じて党人派とバランスを取りながら「シヴィリアン・コントロール」を行うという機能があり、政界の超エリートが官僚を制御していた側面を有していたものの、これが小選挙区制の導入などで失われ、霞ヶ関の一元支配になってしまったことにある。
例えば、私の大伯父は内務省の超エリートで、終戦時の鈴木内閣の総理秘書官や調査局長を担い、戦後政界に転じているが、東大と内務省の人脈で官界に睨みをきかせることができた。佐藤内閣期に農相がスキャンダルで辞任した際、全く専門外の伯父が指名されたが、その理由は「明日からでも官僚の手助け無しで答弁に立てる」というもので、「頭脳エリート」としても圧倒的な存在感を示していた。現代でも、民主党政権期に前ボスが懇意にしていたT先生は、自治省の局長上がりだったが、後輩が先に大臣になっても携帯に直接電話して、「ちょっと説明に来てくれ」と言える関係にあった。良くも悪くも「そういうもの」だったのだ。
ところが、昨今の官界出身者は、課長補佐程度で出馬するため、当選しても、むしろかつての上司にアゴで使われるような有様になっている。そうでないと、逆に「上司憎し」のルサンチマンに終始してしまう。民進党の官僚出身議員の多くがこれだ。

・大伯父の肖像:スーパーエリートの系譜

もう一つ「エリート中の序列」に出身高校の序列というものがあるが、すでに長くなっているので、別の機会に気が向いたら稿を起こしたい。また、「東大出がなぜエスタブリッシュメントを形成できるのか」については補稿を上げたい。
posted by ケン at 12:27| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

今夏期待の戦争映画

この夏はリバイバルを含めて「戦争映画祭り」とも言える状況にある。自分の備忘を兼ねて紹介しておきたい。


『ウィンター・ウォー/厳寒の攻防戦』 ペッカ・パリッカ監督 フィンランド(1990) 6/24より公開
1990年に公開された冬戦争を描く傑作。日本では大幅にカットされたものがDVD化されて販売され、私も持っていたのだが、後輩に貸したまま行方不明になっていた。今回はフルバージョン(139分)でリバイバルされる。スオミ短機関銃を始めとするフィンランド軍装備やT26を始めとするソ連軍装備が超見物。アメリカやソ連の戦争映画とは色々と描き方が異なるところも興味深い。冬戦争を描く作品は殆ど無いだけに、見ていない人は是非映画館に足を運ぶべき。これも何故素直に「冬戦争」とできないのか。フルバージョンのDVDもゼッタイ購入すべき。


『ハクソー・リッジ』 メル・ギブソン監督 米(2016) 6/24より公開
1945年の沖縄戦において最悪の戦場と言われた嘉数高地戦(シュガーローフ)に次ぐ激戦地として知られる前田高地戦を描く。宗教上「不殺」の信条を持つ衛生兵が八面六臂の大活躍をするという話らしいのだが、先に公開したものを見た人によれば、「やり過ぎ」「盛り過ぎ」という。まぁメル・ギブソンだからなぁ。内容はさておき、邦題を「前田高地の戦い」としなかった配給者の責任は問われるべきだ。


『戦争のはらわた』 サム・ペキンパー監督 英・西独(1977) 8/26より公開
知る人には「Cross of Iron」の方が通りが良いかもしれない、戦争映画の金字塔とも言える作品がデジタル・リマスターでよみがえる。舞台は1943年のクリミア。すでに士官不足から曹長が小隊長を担っており、小隊もベテラン揃いだが、激しく定数割れして士気も弛緩している。そこに実戦を知らないプロイセン貴族の中隊長?が着任してくる。43年ながら大戦末期のドイツ軍の荒みっぷりや、東部戦線の過酷な戦場が見事に再現されており、「傑作」の名をほしいままにしている。今見ると、ユーゴスラヴィアで撮影されていることや、役者の英国人がドイツ人に見えないところが気になるものの、ジェームズ・コバーンの名演は映画史上に残るものであり、作品の完成度は疑うべくもない。私などは世代的にビデオでしか見ていないだけに、映画館の大画面と爆音で再体験したいものだ。


『ダンケルク』 クリストファー・ノラーン監督 米(2017) 9/9より公開
1940年フランスのダンケルクから撤退する英仏軍を描く。現地でも撮影しているらしく、リアリティはありそうなのだが、「映画としては正直どうなの?」と思わなくもない。見には行くけど。
posted by ケン at 12:13| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

信長最大の好機?

またもマスターのドタキャンと欠席者続出によりRPG会が流れ、急遽3人で「信長最大の危機」(GJ)をプレイすることに。「信長の忍び」アニメ化記念でもある。
(ゲーマーとして)リハビリ途上にあるT後輩を「教育」するとして、織田を持ってもらい、O先輩が浅井・朝倉と武田・上杉を、ケン先生が本願寺、反織田中小、毛利を持った。

序盤、織田のチットの出具合も行軍ダイスも順調で、ゆるゆると金ヶ崎から撤退した後、六角氏を一撃で屠り、返す刀で浅井領の横山まで進撃、横山城も一撃で陥落させた。
ただ、反織田方も順調で、三好勢が石山に入り、替わって雑賀・本願寺勢が信貴山、大和郡山城を強襲、それぞれ一撃で落とし、松永久秀と筒井順慶を血祭りに上げた。

信長はさらに兵を進め、浅井氏の本城小谷を包囲、強襲するが、これも一撃で陥落。考えられる限り、最速で「宿題」を片付け、近江兵を配下に入れた。
本願寺も負けじと勝竜寺城に兵を進め、これも一撃で陥落、京の手前まで迫った。
織田方は、朝倉との決戦を諦めて、京に引き返し、本願寺が動く前に野戦に持ち込み、一方的に叩いた上、雑賀孫一まで討ち取ってしまう。ケン先生的には、「雑賀率いる2万4千の本願寺(12ユニット)が一撃で全滅?」というコンスコン司令官のキモチだった。

こうなってしまうと、反織田方は何もできることがなくなってしまい、朝倉は越前に引き上げてゲリラ戦の構えを示し、本願寺は石山に立て籠もるほかない。武田が参戦するも、「聞いてた話と全然違うじゃねぇか」という感じだ。
武田は、順調に掛川城と二股城を落とし、長篠を調略して、浜松に迫る。

織田勢は、今度は東海道を走って伊勢長島を強襲、ここでも一撃で4ユニットの本願寺勢を除去して陥落させた。凄まじいダイスである。
武田としては、さすがに打つ手が無く、「毛利が出てくるまでお茶を濁すしかないか」と考えていたところ、いきなり信玄が死亡してしまう(毎ターン終了時に2D振って3以下で死亡)。武田方がパラライズしている間に、織田軍が走ってきて二股で野戦となり、第一ラウンドは勝頼が主導権をとって一方的に織田を攻撃するも、ダイスが振るわず、二ラウンド目で織田が主導権をとって武田軍を壊滅させてしまった。鎧袖一触である。

毛利が出陣するまでまだ3ターンもあり、反織田方は投了。先輩の面目丸つぶれであるが、「信長公記でもここまで一方的じゃねぇよ、牛一もビックリ」であることは間違いない。
posted by ケン at 13:00| Comment(2) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

通信の秘密について

通信傍受法の改正により、いまや警察は事業者の立ち会い無しで盗聴やネット監視ができるようになったが、憲法21条により「通信の秘密」が保障されているため、警察は郵便封書だけは(少なくとも合法的には)開封できない。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
(第21条)

メールや電話などは、原理的にはAIが全て傍受し、記録することができるため、かつて必要とされた膨大な人員は必要とされなくなっている。警察側も、人員削減によりAIによる監視に頼り、AIを導入するため巨額の予算が必要となり、ますます人員を削減するというスパイラルに陥っている。
現代では、最もアナログな方法が、最も秘匿性が高いという興味深い状況にある。封書を用いて私書箱でやり取りするのが、最も「安全」なのだ。
 本法案は,電話のみならず,ファクシミリ,コンピュータ通信等,電気通信であって,伝送路の全部又は一部が有線であるもの又は伝送路に交換設備があるものを対象としています。
 個々の捜査において傍受の対象となる電話,電子メール等は,電話番号やアドレス等により特定して令状に記載され,それについてだけ傍受が許されます。
(通信傍受法について、法務省HPより)

 憲法第21条第2項は,通信の秘密を保障しており,これについて最大限尊重すべきことは言うまでもありません。他方,憲法第12条及び第13条は,公共の福祉による制約を規定しており,通信の秘密の保障も,絶対無制限のものではなく,公共の福祉の要請に基づく場合には,必要最小限の範囲でその制約が許されるということは,憲法解釈の常識です。
 通信傍受法案は,犯罪捜査という公共の福祉の要請に基づき,通信傍受の要件を厳格に定めるなど,必要最小限の範囲に限定して傍受を行うものであり,決して憲法に違反するものではありません。
(同上)

興味深いのは、犯罪捜査の目的で電子メールの検閲を行うことは憲法の「通信の秘密」に違背するものではないとしながら、郵便封書は犯罪捜査目的での開封を除外している点にある。これは、封書まで開封できるとなると、「憲法違反」は免れないという認識を政府が持っていることを傍証している。郵便検閲まで行うとなると、自由主義社会や民主主義社会の根底を覆してしまうからだ。霞が関官僚や警察官僚は、敗戦による民主化を今までに無く呪っているようにも感じられる。

もっとも、帝政期の軍人たちも、可能な限り憲兵に検閲される軍事郵便は使わず、市中のポストに投函するようにしていた。中国戦線に従軍した人も、何らかの理由で後方の大都市に行った時に、上海や青島などから国際郵便で日本に送っていた。
これは帝国憲法が、
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルルコトナシ
(第26条)

と定め、必要な法律を定めなかったことに起因している。もちろん現実には、大正期の頃から特高が郵便の検閲を行っていたが、法律の根拠を持たないため、大々的にはできず、表向きは内務省も「検閲はやっていないし、できない」と言わざるを得なかった。法律上の根拠ができるのは、臨時郵便取締令が発せられた1941年10月のことだった。つまり、帝政期ですら憲法は「紙に書かれただけ」では無かったのだ。
posted by ケン at 12:22| Comment(0) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

ドイツ連邦軍でも極右汚染

【ドイツ軍兵舎2カ所でナチス関連物 全施設を検査へ】
 ドイツの国防省は7日、同国軍の兵舎2カ所でナチスに関連した物品が見つかったことから、連邦軍の監察官が全兵舎の検査を命令したと発表した。フランス北東部のイルキルシュにある仏独合同旅団の駐屯地で、ナチス・ドイツ時代のドイツ国防軍に関連した物品が共有スペースに置かれていたのが見つかったほか、ドイツ南西部ドナウエッシンゲンのフュルステンベルクでは、ナチス時代のヘルメットが陳列キャビネットに置かれていたことが6日に判明した。独誌シュピーゲルによると、壁にはドイツ国防軍の兵士の写真が壁に掲げられており、ナチス時代の銃やヘルメット、軍の装飾品が置かれていたという。国防省広報官がロイター通信に語ったところによると、国内法が禁じるカギ十字などのナチスのシンボルがあしらわれた物品は見つかっていない。
 これに先立ち、28歳の陸軍将校がシリア難民を装った攻撃を計画していたとされており、ドイツ軍内の極右思想が問題になっている。フランクフルトの検察は、同将校には「外国人排斥思想の背景」があると指摘した。ドイツのウルズラ・フォン・デア・ライエン国防相は計画されていた訪米を取りやめ、急遽(きゅうきょ)、将校が生活していたイルキルシュの兵舎を訪問。その際にドイツ国防軍に関連した物品が見つかったという。フォン・デア・ライエン国防相は今月3日に、現代の連邦軍の中で、ドイツ国防軍を崇拝するような行為は許されないと語っていた。国防相は今回の問題は単独の事例ではないと指摘。「団結心が何であるかを誤解した」軍幹部らが、「見て見ぬふり」をしていたと批判した。しかし反対勢力から、軍全体の名誉を傷つける発言だと批判された国防相は、調子が強すぎた謝罪している。
(5月8日、BBC)

西側自由主義国の中でも最もリベラルで、「軍隊の民主化」の手本とされたドイツ連邦軍で、難民政策を推進する政府枢要に対するテロ計画が発覚、さらに軍内でナチス時代への郷愁を思わせる傾向が発見されている。特に先のテロ計画では、軍の内外に武器、弾薬、情報を提供した協力者の存在が確認されており、事態の深刻さをうかがわせる。
特に今回の場合は、退役軍人ではなく、現職の士官が主導していたことで、連邦軍の存在意義や士官教育に対する疑義が生じている。また、「上層部が知っていて見て見ぬふりをしていた」辺りは、日本の5・15事件や2・26事件を彷彿させる。

日本でも航空幕僚長が、航空自衛隊がイラクで行っていた空輸活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決について「そんなの関係ねぇ」と言ったり、同じく航空自衛隊内で皇国史観の学習会が開かれていたりしたことなどが発覚しているものの、自由民主主義体制に対して暴力行使する計画までは、少なくとも表向きは出ていない。

どのような体制であれ、暴力装置である以上は常に暴発するリスクがある、というだけの話であり、ドイツですら例外たり得ないということなのだが、やはりかつて最も民主的だったはずのワイマール体制がナチズムに支配された経験があるだけに、もともと帝政で軍部の発言が強かった日本とはショックの大きさが違うのだろう。

欧州の場合、国家主権の相当部分、特に経済と金融政策の自律性がEUに奪われているため、国内の貧困やEU内経済格差に対して民族国家としてできることが非常に限られており、国内の貧困解消を掲げて決起した2・26事件と似たような背景事情を抱えている。EUの中で最も裕福なはずのドイツで、これが起きたということは、政府や議会がリベラル過ぎると、逆に反乱の芽を育ててしまう可能性を示している。
今後の政権選択によるが、反露、反テロを掲げ続ける場合、軍拡は避けられないが、同時に軍の発言力と暴発リスクを増大させるという課題が生じる。

日本の場合、(欧米基準で言えば)最初から極右政権が成立して、対中・対北強硬策を打ち出しているだけに、自衛隊内部の不満は大きくないかもしれないが、強硬策に比して軍拡の度合いが小さいため、「言ってることとやってることが違うじゃねぇか」という不満は高まってゆくかもしれない。つまり、強硬策を採り続ける場合は、軍拡する必要があるわけだが、今度は暴力装置の肥大化を生み、それはそれで暴発リスクを大きくするという課題を抱えている。
posted by ケン at 12:19| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

都議会が腐敗するワケ

GWが終わって東京都議会議員選挙の前哨戦が始まっている。私も動員要請を受けたが、地元の現職は離党しており、「自分ファーストに興味は無い」と拒否した。が、仕事の関係で他地域の応援を要請されそうで、これを断るのは職を賭す話になってしまうので難しい。

本来であれば、腐敗議員を支援することは人道に反するため政治的良心の発動が許される場面だが、日本とドイツは伝統的に「上司の命令はどのようなものであれ服従することが認められる代わりに、実施したことで罰せられることもない」文化があり、命令不服従に対して非常に高いハードルがある。二次大戦の反省を経て、ドイツでは命令不服従の権利が認められたが、「水に流すだけで反省しない」日本ではいまだに認められていない。自衛隊の問題点はここにもある。いや、これは蛇足か。

都庁はもちろん、都議会は根源的に汚染されている。
まず都庁は、中規模国並の国家予算を持ち、都知事に権限が集中しているため、中枢エリートが巨大な権限を有し、これは腐敗の温床となっている。にもかかわらず、都議会は常時与党化してチェック機能を果たせず、議会以外のチェック機能も無いため、腐敗を防止、改善するシステムが存在しない。結果、霞ヶ関に次ぐ政官業報の腐敗テトラゴンが完成している。当初7千億円で計上されていた五輪予算が、開催が決定した途端に3兆円などとはじき出してくるのは、腐敗構造のなせる業であろう。

都議会が腐敗する理由はいくつか考えられるが、最大の理由は「デモクラシーの不在」にあるとケン先生は見ている。
都議選の投票率は、概ね40%程度でしかない上、大選挙区制を採用しているため、一定の得票があれば当選できてしまう。例えば、前回都議選の世田谷選挙区を見た場合、有権者70万人強で投票率は44%だが、3人当選した自民党候補のうち最低獲得票は2万8千票余で、全有権者に占める割合は4%でしかない。
大選挙区制は「マイノリティーの民意を反映させる」という利点があるものの、自民党の場合は特定の既得権益層が利権分配を目的に結党しているため、利権獲得の術になってしまっている。一種の「ルールの悪用」だろう。

デモクラシーは、原理的に「全員参加」を前提としているが、日本では投票の義務あるいは、デモクラシー参加の義務が無いため(憲法上の欠陥)、低投票率による選挙の成立が可能なシステムになっている。その結果、低投票率で相対多数の得票で当選することが可能になっており、都道府県議選では、5%程度の得票で当選できるし、国政選挙ですら15%程度の得票で当選することが可能になっている。
この意味するところは、業界団体や宗教団体などの「堅い票」だけ固めて投票してもらい、あとは可能な限り低投票率を維持できれば、権力と腐敗構造を維持できる仕組みになっているということだ。

その結果生じたのが、「3兆円のお祭り」に対する議会のノーチェックであり、「築地再開発」を前提とした「魚市場の豊洲移転」であり、「ガス工場跡地への魚市場移転」だった。これらは、腐敗した東京都庁が提案し、腐敗した都議会がチェック機能を果たせなかった結果生じたものであり、その根底には「市民の無関心」という「デモクラシーの不在」が存在する。

腐敗そのものを根絶するのはまず不可能だろうが、その被害を最小限にすることは可能だ。一つは、巨大すぎる東京都を解体し、巨大な権限と予算を分割することで、腐敗の温床そのものを小さくすることにある。ネット上ですら、私以外に掲げている者が非常に少ないことは、都民に「収奪されている」「納税者」自覚が無いことを示している。

・都解体構想を全面支持! 

同時に、国の会計検査院のような独立機関を設置し、これに強い権限を与えてオリンピックや尖閣購入のような「予算の目的外使用」に対して厳格なチェックを入れるシステムが必要だろう。
そして、都議会については、例えば「投票率70%」を超えない選挙は選挙区毎に全て不成立とし、一定数を満たせない議会も不成立とし、全て暫定予算と暫定議会で対応して新規事業を認めない仕組みが必要だ。
腐敗した仕組みで何度選挙したところで、既得権益層しか投票しないのだから、腐敗を再生産するのみである。

そもそも「都民第一」と言いながら、東京五輪に賛成している時点で、どこまでも都民を愚弄し、業界とグルになって都税を私物化しようという意図がミエミエであり、選挙でもって全員陶片追放しなければなるまい。
posted by ケン at 12:11| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする