2017年06月12日

日本社会の腐敗構造について

森友、加計疑獄をめぐって野党が政権を攻撃し続けているが、成果は殆ど上がっていない。それは当然で、森友疑獄では維新も共犯者、加計疑獄では民進党内に共犯者がいたことが判明しており、何をどう攻撃しても「ブーメラン」にしかならないためだ。

現状、日本の議会政党で腐敗を免れているのは、せいぜいのところNK党とSM党くらいしかない。だが、SM党は目端の利く者から率先して離党して「腐敗することすらできない」者だけが残っているだけの話であり、NK党は全く別の行動原理に基づいているため、単純に「腐敗してないから良い」ということにはならない。
では、この場合の「腐敗」とは何を指すのか、政治に関わりの無い人にはなかなか想像できない世界だと思われるので、分かりやすく解説してみたい。

戦後日本は長いこと中選挙区制(学術的には大選挙区制)を採用してきた。そこでは、1つの党から複数の候補が立候補してしのぎを削るため、より多くの資金と人員を動員できた陣営が勝利した。その結果、「五当四落」という言葉が生まれたが、それは「選挙に5億円投じれば当選するが、4億円では落選」という意味だった。あくまでも象徴的な言葉ではあるが、とにかく巨額の費用が掛かったことは間違いなく、多くの政治家は「井戸塀」と呼ばれるように、政治家を引退する頃には、かつては広大な敷地があった自宅も井戸と塀しか残らないものだった。

選挙用の資金をつくるために、政治家は集票マシーンとしての後援会とは別に、資金収集用の特殊後援会をつくった。通常の後援会は、年会費5千円とか1万円、あるいは無料だが、この特殊後援会は月会費が1万円から3万円という高額に設定され、企業家や地場の名士が加入した。
彼らは、年間12〜36万円の会費を納める代償として、政治家事務所に様々な陳情を行う権利を有した。その「陳情」は様々で、主なものを挙げれば、「税金の減免」「公共事業や公共調達の優先権」「公有地の優先的払い下げ」「公的銀行からの低利融資」「公的補助金の優先確保」などがある。陳情者は、政治家秘書を連れて行政や公共機関に赴いて陳情を行い、後に「しかるべきところ」に政治家本人が電話して、「○○の件、よろしく頼む」と言うのである。
「陳情=利益誘導」によって得られる利益は、当然会費を上回るが、上回った分については政治家側から謝礼金や集票が期待されるので、選挙に際しては社員や名簿を提供して支援することになり、ズブズブの関係に陥ってゆく。また、個別に陳情を処理した秘書は、「出来高払い」や「謝礼金」をもらえるので、必死に陳情処理に励むことになる。自民党の秘書の場合、基礎給ゼロで全て陳情者からの謝礼だけが「給与」というケースも珍しくなかった(最近では聞かないが)。
例えば、年間36万円の会費を納める会員が300人もいれば、年間収入は1億円以上になる。それに陳情受理(成功)による謝礼(献金)を含めれば、1億数千万円になる。

自民党の田中派、あるいは従来の小沢派などは、派閥として数十億円の資金をつくり、政府や地方自治体が必要としそうな土地を予め買い占めて、政策誘導してその土地に事業を誘致させることで、土地の価格を上げるという「土地転がし」による資産運用を行っていたとされる。規模の差はあれど、国家レベルであれ地方レベルであれ、こうした腐敗の手口は蔓延していると見て良い。
社会党系のベテラン議員でも年会費12万円の特別後援会員を100人以上抱えて、集金と集票に勤しんでいることを鑑みれば、自民党議員はその数倍、数十倍の規模で行っていると見て良い。事実、「中選挙区制は金がかかる」との批判から、小選挙区制に移行したとはいえ、現在でも「二当一落」(二億円なら当選、一億では落選)と言われていることから、数千万円規模の集金マシーンをつくらないと、日本の選挙は「風頼み」になってしまうことが分かる。
つまり、政治家個人を選ぶ選挙制度が腐敗を誘発しているのだ。同時に政治家を介する政策減税(企業減税)、公的融資、補助金等が、市場競争力の低いゾンビ企業を延命させ、企業の新規参入や労働市場の流動性を阻害、市場経済を停滞させている。

一方、行政は行政で立法府と癒着関係にある。前提として、立法府は「行政監督権」を持ち、「行政が適切に執行されているか」監督する義務を有している。少なくとも建前上は、上記の陳情行為は「行政の不適切な執行によって損失を被り、不満を有している市民の声を反映させるもの」として行われるため、行政府としては原則的に全面拒否することはできない仕組みになっている。
また、実務面では、日本型システムでは行政が予算や必要な法律案を作成し、内閣が提出する仕組みになっているため、与党・政権党の意向に反すると何もできなくなってしまう。そのため、行政は与党政治家の陳情を優先的に許容し、その対価として自分たちのつくった予算や法案を無修正で通してもらう、という癒着関係が成立している。

また、財界は政治家を通して政策減税(企業減税)、公的融資、補助金等の陳情を行い、官僚が行政の公平性を曲げて優先的に利益を供与、財界はその見返りに「天下りポスト」を提供することで、政官業の「腐敗トライアングル」が形成されている。
例えば、加計学園は1つの失敗例かもしれないが、原理的には、新興大学が政治家に金と票を融通して学部新設を陳情、与党政治家は文科省に圧力をかける。認可権を有する文科省は、学部新設を認める代わりに、与党に法案成立を要請する一方、新設大学に天下りポストを用意させる構図になっている。こうした構図は、日本全国であまねく成立している。

ところが、こうした腐敗構造や具体的な事例は殆ど報道されない。マスコミもまた腐敗構造の一角をなしているためだ。
日本の大型メディアは、「記者クラブ」「クロスオーナーシップ」「再販制」「電波許可制」などによって権力と一体化しており、実質的には旧ソ連の「イズベスチヤ」や中国の「新華社」に近い宣伝機関の機能しか果たしていない。
再販制度と電波許可は、政府から独占禁止法の例外として認められた特権であり、他の新規参入を拒むものとなっている。クロスオーナーシップ制度は、新聞社と放送局の一体化を許すもので、これも「マスコミ集中原則排除」を拒んで報道の独占を許すシステムになっている。また、記者クラブは、公的情報ソースの独占権だけでなく、情報提供だけでなく、記者室の利用料や管理・運営費に至るまで、情報提供者(政府)が負担している。この記者クラブに加入していない、弱小マスコミやフリージャーナリストなどは、記者室に入ることも、情報提供を受けることも許されないため、独自に一からアポを取って取材しなければならない。こうした情報ソースと報道ルートの独占権が、政府によって認められ維持されているため、日本のマスゴミは権力に盲従しなければ、存続もおぼつかない仕組みになっている。

結果、「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」では、日本は先進国の中で最低水準にあり、今後も下がりそうな気配だ。しかし、これは安倍政権だけの問題ではなく、マスゴミを含めた政官業報の「腐敗テトラゴン」に起因している。
腐敗構造と一体化しているマスゴミが、自らを否定する報道をなすはずもなく、情報公開制度や公文書管理法の未熟も相まって、社会の隅々に至るまで腐敗と汚染が広がっている。

【追記】
上記の腐敗構造は、今に始まった話ではない。ただ、かつては高度成長下で広範な人が発展の恩恵にあずかることができたが、90年代に成長が止まり、「集中と選択」が行われ、繁栄を享受できる人が限られるようになり、そこから脱落した人たちが怨念を募らせ、告発するようになっていると考えられる。

【追記2】
腐敗が温存される原因の一つは、日本型組織における意思決定過程や責任所在の不明確さにある。詳細は「新国立競技場の責任者は誰?」で述べているが、組織における最終意思決定者も意思決定過程も恐ろしく不明確であるため、責任を追及することも失敗の原因を探すこともできず、同じ失敗を何度でも繰り返すことになるシステムなのだ。
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2017年06月10日

張作霖 爆殺への軌跡 1875-1928

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『張作霖 爆殺への軌跡 1875-1928』 杉山祐之 白水社(2017)

名著『覇王と革命−中国軍閥史 1915-28』を著した杉山祐之氏の新作。
前著『覇王と革命』は、辛亥革命から蒋介石による北伐開始までの軍閥闘争を描いている。ケン先生も書評を書こうと思っていたのだが、つい書きそびれてしまったので、ここで軽く触れておく。現代中国史は、共産党や国民党あるいは帝国日本などの立場が強く作用するため、なかなか客観的な解説書が無い。だが、本作は可能な限り偏りを排しており、かと言って平板な解説になることもなく、非常にダイナミックな歴史を再現している。しかも、フィクションでは無く、相当に資料が読み込まれており、曖昧な点については複数の視点や理解が提示され、学術性と読み物のバランスが絶妙な作品に仕上がっている。軍閥による群雄割拠期は、共産党政府にとっても国民党政府にとっても鬼門であり、どちらの国でも客観的研究が難しい状況にあるだけに、非常に貴重な一冊だと言える。また、日本人的には、つい日本の視点から満州や上海を見てしまうだけに、中国側の視点から見た日本の侵略意図を再確認する意味でも大事だ。

今回の『張作霖』は、前作では「軍閥の一つ」だった張作霖を主人公とし、その誕生から死までを丹念に追いつつ、彼の視点から見た軍閥闘争と日帝の脅威を描いている。前作の特長である、学術性とエンターテイメント性のバランスや客観性は本作でも守られており、むしろ個人に焦点が当てられているだけ分かりやすくなっているし、相変わらず「読ませる」記述になっている。
著者が「上手い」のかもしれないが、張作霖のどこまでも「中華英雄」を追求する姿勢が心地よく、本人もそれを意識して史記や三国志などの故事を真似ようと努力しているところや、彼をめぐる周囲の人々との関係がどこまでも中国的(情義が優先される)であるところなど、非常に面白いと同時に、「あぁ、中国ってそうだよな」と思わせてくれる(家に飛び込んできた雛は決して殺さないとか)。

小さな雑貨屋に生まれ、各地を転々としながら少しずつ己の才覚でのし上がり、自警団長からいつしか軍閥の長になって、最後は東三省を支配してソ連と日本と関内軍閥群と渡り合うまでに至った。まさに「乱世の梟雄」であり、それだけの実力と魅力がある。そして、普通に日本史を習うだけではまず分からない、「なぜ関東軍に謀殺されたのか」を学ぶことができる。そこに、本土では「売国奴」と言われ、日本では「馬賊の一頭目」と見なされる張作霖の実像を見ることになるだろう。

馴染みの無いテーマではあるが、地図や写真もそれなりに配されて読みやすくなっている。アジアの近現代史に興味のある者なら、二冊とも抑えておくべきだろう。
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2017年06月09日

官邸・文科闘争の裏にあるもの

「ここに来て加計疑獄を裏付ける資料が出てきているのは何故でしょうか」との質問を受ける。本ブログでは、保身上の理由から、あまり生々しいネタは扱わないことにしているのだが、今回はちょっとだけ触れてみたい。とはいえ、あくまでもケン先生の妄想なので、内容の真偽については全く保証しない。
なお、同志諸兄には心配をおかけしているが、「禁忌の少し手前」で「死の舞踏」を舞うのが本ブログの本懐であり、今のところは何の問題もないので安心して欲しい。

まず、文科省の前川前次官が辞任に追い込まれたのは、文科省の天下り問題がクローズアップされたことに依る。だが、同様の天下りは他の省庁でも行われていることであり、文科官僚が傘下の国立大学等に天下るのは、教育を聖務と見る向きからすれば恥ずべき行為だが、本来は文科省に限った話ではなかった。
そして、この天下り問題をリークしたのは首相官邸で、官邸のプロパガンダ機関である読売新聞が大々的に取り上げ、同じく協力者である他のマスゴミも同調した。その狙いは、最初から前川次官の追放にあり、それは加計学園の獣医学部新設の手続きに難色を示す文科省に対する攻撃だった。「ザ・黒幕−日本支配」で言うところの「Pで攻撃」である。仮に抵抗者が前川氏一人であったなら、次官を更迭すれば済む話だったが、1つには更迭する正当な理由がなかったのと、2つは文科省の相当部分が前川氏に賛同して官邸に抵抗姿勢を示していたため、謀略によって文科省の権威を失墜させ、これを屈服させる戦術に出た。

この陰謀を主導したのは、S田内閣官房副長官だった。氏は、民主党野田政権から官邸に参画、共謀罪や秘密保護法を準備していたことから、自民党安倍政権に交替してからも格別の配慮で官邸に残り、官房副長官に抜擢されている。我々の間では「安倍政権のベリヤ」と呼ばれている。
そして、特定秘密保護法に基づき「特定秘密を扱う可能性のある者」の身辺調査を行い、前川氏の「ガールズ・バー通い」をも暴露した。前川氏は、次官在任中にこのS氏から同件について「警告」を受けたというから間違いない。
ちなみに、「特定秘密を扱う可能性のある者」はかなり広範囲に適用可能な上、国会議員も与党の一員である限りは政府の役職に就く可能性があるため、全員が調査対象になる。結果、官邸は全ての与党議員のセンシティブ情報またはスキャンダル・ネタを握ることができ、それが絶対権力の源泉になっている。まさにベリヤなのだ。

官邸は、前川次官が辞任した時点で勝利を確信していたが、その前川氏が「実名告白」という反撃に転じる。だが、前川氏一人では限界があり、様々な文書が出てくるところを見る限り、文科省内に少なくない支持者がいるものと見られる。
その根底にあるのは、官邸の主導でオリンピック利権を経産省に奪われ、大学開設の権限も官邸に奪われそうになり、挙げ句の果てに一人悪者にされて天下りを封じられた文科省のルサンチマンである。なるほど、前川氏個人は、理想に燃えた立派な官僚だったかもしれないが、平均的には「官邸一極集中」「省の存在意義に関わる」事態に対する不信と不満こそが元凶だろうと見られる。特に秘密保護法が、権力闘争の武器として早々に使用されたことは、良心を保っている官僚たちに「次は自分かもしれない」と思わせるに十分だった。結果、官邸一極集中や暗黒支配に不満を抱く官僚層にも支持を広げている。

とはいえ、全体的にはやはり局所的な反乱の域を出そうにない。議会は与党が絶対多数を占め、官邸は絶対権力を有し、マスゴミはプロパガンダ機関に堕し、野党も半分は共犯関係という有様では、一省庁の抵抗などパルチザン程度のものに終わるだろう。
ただし、ここに来て週刊誌を始め、安倍政権に対する攻撃が強まっているのも事実で、「アベノミクスを終わらせたい宗主国の意思が働いている」と見る向きもある。

いずれにせよ、問題の本質は、政治家が財界から金をもらって行政執行を恣意的に歪める陳情政治と、行政による予算や立法を成立させるために政治側の陳情を容認する霞ヶ関行政、御上から下賜された独占権を守るために政権に従属するマスゴミによる「腐敗テトラゴン」にこそある。要は、腐敗した統治構造内部での権力争いなのであり、その視点を忘れてはならない。
なお、この腐敗構造については、別途解説したい。
posted by ケン at 12:41| Comment(1) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

日本型組織の終焉

『OECDスキル・アウトルック 2017年版 』より。日本の労働者は読解力でも数的思考力でも「低い」者が圧倒的に少なく、OECD平均が23%のところ、日本は10%しかいない。にもかかわらず、労働生産性ではOECD内で最低レベル。この意味するところは、「エリートが無能だから」「無能なエリートが排除されない」「硬直した会社組織、市場、行政制度」などが考えられる。

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まず日本型システムは組織内部の交渉コストが異様に高く、迅速な判断や対応ができない構造になっている。例えば、私の妹は外資系銀行のディーラーだが、上司はシンガポールにいて、指示を受けたり、仰いだりするのは週に1回あるかないかだと言う。彼女の前勤務先は、国内トップ水準の不動産会社だったが、会議の多さと「ホウレンソウ」の煩わしさ、様々な意味不明な拘束や不文律に飽き飽きさせられていた。
つまり、一定の権限が付与されていても、個々人の判断では容易に行使できず、かといって必ずしも上に決定権があるわけでもなく、「何時、誰が、どこで」決めるのか全く不明な組織、システムなのだ。
意思決定の遅さは権限と責任の所在が不明確なシステムや組織文化に起因する。会議の多さは1つの象徴だが、現代社会あるいはグローバル市場に適合できなくなっている(競争力を持たない)のは間違いない。

新国立競技場の新設、建設費肥大化問題で、誰が最終責任者なのかが議論になったのは、つい最近のことだったが、原発再稼働問題でも同じことが起きている。これに関連して「インパール作戦は誰が決めたのか」も検証したので、記事を読んで欲しい。
意志決定過程や責任の所在が非常に不明確なのは、昨今に始まったことでは無いのだが、全く改善されそうに無いし、問題意識すら持たれていない。

・新国立競技場の責任者は誰? 

これはトップレベルだけの話では無い。例えば、残業=時間外労働は、管理者の命令をもって所定の手続きがなされて初めて成立しうる。これは、労働法で決められていることなのだが、現実には命令も手続きもまともに行われず、「何となく」習慣的に残業がなされるため、記録すら無い「サービス残業(違法労働行為)」が横行している。
公式統計上、日本の平均労働時間は年間1800時間弱とされているが、実際には2300時間を超えるとも言われ、年間500時間以上が「命令と手続きの無い違法労働」と見て良い。これでは、労働生産性が上がるはずも無い。

この意味するところは、日本の管理職は、部下の労働時間を管理する必要が無く、労働者はおろか労働組合も「自発的に」違法労働時に従事するため、生産性の向上にコストを支払うよりも、「率先してただ働きに従事する」労働者を酷使する方が「楽」なのだ。つまり、管理能力が低くても務まることを意味する。

そもそも日本の労働者は「職能」ではなく「人格」で雇用され、職務が限定されないため、成果を測る術がなく、組織や上司に対する忠誠度で昇進が決められていることが大きく影響している。
能力ではなく忠誠度で昇進が決められているということは、管理職は管理能力、マネージメント能力ではなく、組織に対する忠誠心を示さねばならず、結果・成果よりも「努力しているところを見せる」ことに長ける傾向が強くなる。その行き着くところは、「ガンバリズム」であり、精神主義でしかない。
有能な人間は、えてして組織の効率改善を求めて上層部に苦言を呈するため、忠誠心を疑われ、日本型組織ではまず昇進できない。結果、上に行けば行くほど、「忠誠心の高さ」だけが売りの人間しかいなくなるので、比例して無能度も高まってゆく構造になっている。

また、日本型システムは人事降格がなされないため、課長級で成果を上げた者が、部長になったらダメだった場合、無任所にするか社外に出すほか無くなってしまう。欧米型であれば、「課長に戻す」ことも可能だが、それができないため、あるポジションで有能だったものを有効活用し続けることができないシステムになっている。
象徴的な例としては、米軍の場合、戦時中を除いて誰もが少将までしか昇進できず、あとは師団長なら中将、軍司令官なら大将などとポストに付随して階級が上がるだけで、師団長として成果が上げられなかったら、旅団長に戻すことが可能なのだ。
ところが、日本では一回大将になってしまったら、中将には戻せないため、無能な上官やムダなポストを乱造してしまうのだ。私の伯父などは、大戦末期の昭和20年5月、もはや指揮する艦隊も無いのに大将に昇進している。

日本では明治以降、「忠実で勤勉な臣民を涵養して偉大な帝国をつくる」ことをスローガンとし、大戦後は「帝国」が「西側自由陣営の一員」になったものの、基本方針に変化は無かった。だが、実際には「上司や組織の顔色をうかがいながら、不平不満を言わず、仕事するフリをするだけ」の社会組織になってしまった。評価基準が、具体的な成果では無く、「組織と上司に忠誠を貫いた」なのだから当然だ。これは、小中学校の内申点から仕込まれているのだから、もはや「洗脳」と呼べるレベルであろう。
日本型組織は、グローバル化に対応できず、沈んでゆくのみだ。
posted by ケン at 13:03| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

英労働党が保守党を猛追

<英総選挙>あと1週間、労働党支持が急伸>
 8日に投開票される英総選挙まであと1週間となった。当初は与党・保守党の圧勝と予想されたが、選挙終盤に最大野党・労働党が急伸。保守党にどこまで迫ることができるかが焦点となっている。
 世論調査会社「YouGov」が5月31日に公表した調査結果によると、労働党は4月21日時点の23ポイント差から3ポイント差まで保守党に肉薄。保守党のマニフェストが、中流以上の高齢者の介護費用負担を重くしたことが響いたとみられている。ただ、「YouGov」以外の調査では、依然として保守党の議席が増えるとの予測もあり、情勢は流動的だ。
 労働党が1974年以降、議席を維持する英中部ウルバーハンプトンの南東選挙区で、地元誌のサイモン編集長は「貧しい労働者には保守党のマニフェストに盛り込まれた高齢者の負担増は影響しない。むしろ、政治への不信感から棄権が多くなる」と話す。
 実際にこの選挙区を歩くと、労働党の苦戦ぶりが感じられる。労働党支持者だったパン工場で働くスーさん(52)は「党は福祉に頼る人や移民を保護することしか考えていない」と語った。今回は保守党に投票する。昨年の国民投票では欧州連合(EU)離脱に投票。離脱交渉では保守党を率いるメイ首相のような強い指導者が必要だと考えている。
 この地域は鉄鋼業で栄えたが、保守党のサッチャー政権が誕生した79年以降、多くの企業が倒産。当時の恨みから、労働党支持者が多いとされる。
 外国生まれの住民の割合は16%と、イングランドとウェールズ地方の平均13%を上回る。大学卒業者の割合は23%と全国平均の38%を下回り、失業率は英国平均の倍近い8.4%。貧困層が多く、国民投票では移民の制限を求めて62%が離脱を支持した。
 労働党は、国民投票では保守党と共に残留を支持。投票後は「民意を尊重する」として保守党と同様に離脱を進める。しかし、交渉を巡り、両党の姿勢は異なる。メイ氏は移民の制限を打ち出し、交渉に強い姿勢で臨むことを強調。労働党のコービン党首は移民の制限を明確に示さず、残留派に配慮してEUの単一市場と無関税貿易を続けるとしている。
 インドからの移民で、自動車部品工場で働くダーナムさん(56)の目にも、EUとの交渉はコービン氏では頼りなく見える。保守党支持に回った同僚もいる。大学生の長女は緑の党に変えた。それでも「移民に寛容な労働党の方が、まだまし」と言う。労働党の牙城で、両党のつばぜり合いが続いている。
(6月1日、毎日新聞)

当初英保守党の圧勝が伝えられたものの、ここに来て労働党が猛追しているという。保守党を「油断させない」ためのプロパガンダかと思わなくも無いが、世論調査結果に満足した保守党がいささか不用意な政策を打ち出してしまった面は否めない。
とはいえ、労働党は現在もなお古典的社会主義派とブレアに象徴される市場重視の「第三の道」派が激しく相克しており、コービン党首もかろうじて党首の座を維持しているに過ぎず、広い支持を集められるだけの状況には無い。つまり、保守党の敵失や二大政党制に助けられているだけで、展望が見えているわけではない。だが、その主張は確認しておこう。

【税制】8万ポンド(約1200万円)を超える高所得者に対する増税。法人税の引き上げ。民間の健康保険に課税してNHS(国営健保)の財源にする。

【積極財政】大学無償化。公営住宅の整備促進。民間住宅の賃料抑制策。郵便、鉄道などの再国営化。

【安全保障】対テロ戦争に消極的、外交対話重視。地域の治安、社会プログラムの強化。

【労働経済】最低賃金の引き上げ。最高賃金の設定。民間住宅の家賃規制。

【移民】移民規制に反対。公正なルールに基づく管理。不当な待遇をなす企業に対する監視強化。
posted by ケン at 09:14| Comment(0) | ロシア、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

ザハロワ様のジゼル 2017

今シーズンは今ひとつ食指が動かず、かなり久しぶりのバレエ鑑賞になってしまった。
ボリショイの公演は1年近く前に予約しなければならず、当然ながら1年先の国会会期中の予定など立つわけも無いわけで、「仕事をなげうってでも行く」価値のあるものしか予約できない。もちろんザハロワ女史のことである。
今回の選択肢は、「白鳥の湖」と「ジゼル」ということで、白鳥にするつもりだったが、私が予約する頃には会員用先行予約で良い席が埋まっており、「ザハロワのジゼルも贅沢だよな」ということでジゼルにした。女史の公演だけは、チケットが高値に設定されているにもかかわらず、あっという間に完売するのだから、相変わらずの人気である。

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当日、会場に行ってみると、楽屋口には黒塗りの車が何台も止まっている上、ホールの入口からして物々しい警備。ロシア大使が来るくらいは考えられるが、それにしては物々しすぎる。テロ予告でもあったのかと思わなくも無いが、であればもっと厳しい警備になっていただろうから、微妙な案配。
すると、ゴロジェッツ・ロシア副首相と安倍総理が「ロシアの季節」開会の挨拶を行い、会場を見てみれば、中央中段に安倍総理、岸田外相、高村自民党副総裁が三人並んで座っている。驚くべきことに最後まで観劇していた。第五次日露協商が成る日も遠くない。

「ロシアの季節」とは、ロシア政府肝いりによる、諸外国における文化祭典を催し、継続的にロシアの芸術家を送り込んでイベントを行う事業を指す。要は、国家事業による文化プロパガンダである。もちろん、日本政府の「クール・ジャパン」などとは比較にならない「重さ」があるが、これは国家戦略上の重要度を示すもので、ソ連あるいは帝政ロシア以来の伝統と言える。

「権力の道具」としてのボリショイ劇場。その支配人は就任時に閣僚に呼び出されて「ボリショイとは何か」の薫陶を受けるという。全てに従属的な日本人と異なり、「道具」の自覚があるからこそ、アーティスト側に反発も生まれ、芸術表現の相克が生じる。同時に権威のモスクワと反権威のペテルブルク(マリインスキー)という対立軸も生まれ、ロシア芸術に深みをもたらしている。
こうした「圧倒的な権力と反権力」は、ロシアの不条理そのものであり、ロシア人アーティストの表現に決定的な影響を与える。欧米のオペラであれバレエであれ、そのテーマの多くが「抗いがたい不条理」に基づいているが、幸いにも現代日本では一般生活において不条理を覚えることが比較的稀であるため、日本人の表現者は不条理や暗黒面が上手く表現できない。
私が常々繰り返している「日本人バレリーナは白鳥は踊れても、黒鳥は踊れない」はこの延長線上にある。真面目に努力しているだけの良い子ちゃんには表現できない(理解できない)世界があるからだ。

余談が過ぎた。
「ザハロワでジゼル」など、私にとっては「平日のランチに和牛ステーキ」的な贅沢を覚えるが、それはそれで良いだろうというのが今回の判断だった。実際、「ロシアの季節オープニング」に「白鳥の湖」ではなく、「ジゼル」を持ってくるにはそれなりの理由があるのだろう。

目的のザハロワ女史は、「妖艶すぎて村娘には見えない」問題はあるものの、安定したテクニックと舞台にあるだけで美しい存在感と上品な演技力で、完全に舞台をコントロールしていた。特に演技力に磨きがかかっており、テクニックで圧倒する演目では無いだけに光るものがあった。
それにしても、前にも思ったが、女史はどう見てもガリガリに痩せており、筋肉のつく場所も無いような感じなのだが、完璧な身体コントロールを見せていて、彼女の存在自体が奇跡にしか思えない。
確かに全く文句の無い舞台で、女史に至ってはずっと目が釘付けだったのだが、終わってみればやはり「平日ランチに和牛は贅沢だったか」と思わなくも無かった。

「ロシアの季節初日」「ボリショイ初来日から60周年」ということもあり、中堅ダンサーも選りすぐってきたようで、コール・ド・バレエも非常に美しく、中には何人か「プリンシパルでも良くね」くらいの感じのダンサーもいて、高い水準を示していた。ただ、初日のせいか、どうも緊張感が漂っていて、やや堅さが見えた。また、レベルを重視しすぎて群舞としてのバランスという点では、難があったかもしれない。

伯爵役のロヂキンは若手だと思っていたが、もはや十分な貫禄があり、ザハロワ女史の相手役としても十分な安定感を示していた。

最近のロシア・バレエは衣装が美しく、特に色合いが非常に私好みで気に入っている。その意味では、第二幕はブルーライトが続くので惜しかった。

そして、今回はモスクワから劇場直属の管弦楽団を連れてきており、単なる背景音楽ではなく、舞台と一体化した芸術を見せてくれた。なるほど改めてボリショイ管弦楽団の存在の重さを実感した次第。個別に何が違うのかと聞かれても上手く説明できないのが悔しいが。

次は「パリの炎」である。
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2017年06月05日

加計疑獄に見る規制緩和問題など

共謀罪や加計疑獄につけて、「野党は審議拒否して欲しい」とのファクスやメールが続々と届いている。これも一種のポピュリズムの表れであろうが、旧式左翼どもの後先考えない浅はかさである。「民主主義の危機」とか言うのはマジで勘弁して欲しい。そのデモクラシーの定義は何よ。

審議拒否は議会戦術の一つだが、「伝家の宝刀」であり、一度鞘から抜いてしまったら戦を終えるまで収められない。にもかかわらず、敵にダメージを与えられる保証はどこにもない。
具体的に想定してみよう。仮に現状で「安倍内閣ケシカラン、審議拒否する」と言った場合、与党側の選択肢は2つある。1つは、「すみませんでした。こちらが悪かったです。できるだけ野党の言うとおりにしますから許してください」と条件付き、または無条件降伏する。2つは、「内閣は誠実に応じているのに、野党は議会での議論を拒否した。これでは国政が全面ストップしてしまう。仕方ないので、与党だけでやらせてもらいます」と完全無視するパターン。

審議拒否や議員総辞職は1つ目のパターンが成立することが前提となり、有り体に言えば、与野党の国対が最初から「話がついている」状態で無いと成立しない。
つまり、現状ではほぼほぼ後者のパターンになる。結果、政権に従属するマスゴミは官邸の意向に従って「野党の横暴」を全面的に報じ、「審議拒否する野党は自らの責任を放棄して国政を停滞させようとしている」なる「印象操作」がなされるだろう(しかも、あながち間違っていない)。そこで、与党は審議を全部スルーして、共謀罪などの悪法の数々を予定を繰り上げて成立させることが可能になる。もちろん森友・加計疑獄の追及も不可能になり、内閣にとっては「ラッキー」くらいの話だ。政府・与党の圧勝に終わり、野党にとってはマイナスしかない。
「国民政府を対手とせず」との声明を出した近衛内閣がどうなったか、日華事変・日中戦争の故事を学ぶべきだ。

さて、加計疑獄を見る視点として「規制緩和」は欠かせない。今回の場合は獣医学部の新設だが、例えば私の家の周りには、徒歩数分のところに少なくとも5軒の動物医院があり、競合している。ところが、全体的にはペット数は微減傾向にあり、特に犬の減り方は顕著だ。酪農家の廃業も急速に進んでいる。
にもかかわらず、地方では獣医師が不足しているという。これは人間の医者も同じ構造にある。地方での開業は様々なリスクがあり、閉鎖的な地域社会に溶け込める保証はどこにもない。ビジネスとしても、地方ではペットを獣医師に診せないケースが非常に多く、酪農・畜産業の衰退もあって、長期的な経営計画が成り立たない。また、個人的にも、獣医師や医師が自分の子を自分と同レベルの大学に入れようとしても、低レベルの学校しか無く、とうてい高度な教育を受けさせられる環境に無い。その結果、たとえ競合が激しくても都市部で開業した方が「まだマシ」であり、「都市か地方か」というのは選択肢として成立していない。

その結果、獣医師会は「医師数は適切」と主張するのに対し、酪農・畜産業者を始めとする地方財界は獣医師増を要望するというギャップが生じている。安倍内閣は自分で規制を掛けながら「岩盤規制の打破」などと言っているが、不必要な規制緩和を行った結果、弁護士、歯医者、タクシーなどがどのような末路を迎えたか、考え直すべきだ。
そして、日本の選挙制度は小選挙区制であるため、地方財界から献金付きで陳情を受ければ、与党だろうが野党だろうが、これを拒否できない。そのため、民進党でもE田前参議やT井議員などを筆頭に複数の議員が、加計学園等から献金(パーティー券の購入を含む)を受けて政府に働きかけ(圧力)を行っていた。
要は、加計学園は「ロビー活動が上手い」というだけなのだが、財界から献金を受けた政治家が、法や行政の逸脱を強いているという腐敗こそが問題なのであり、それは自民党が「より酷い」というだけで、民進党も汚染されているのは間違いない。
魚は頭から腐る。(ロシアのことわざ)

国家というものは、下から上へ向かって腐敗が進むということは絶対にないのです。まず頂上から腐りはじめる。ひとつの例外もありません。(銀英伝・ルビンスキー)

獣医学部の新設は、医師の偏在という問題を解決することなく、闇雲に地方に学部を新設したところで、都市部の医師数が増えて競合が激しくなるだけの話であり、地方での開業が増える保証はどこにもない。

かつては医学部には医局制度があり、医局の教授が圧倒的な権力をもって若い医師を地方に送り込み、地方で任務を無事遂行した医師は出世や開業が保証されるという仕組みだった。ところが、これが様々な理由から「権威主義的」として実質的に廃止され、「個人の自由」に委ねられた結果、誰も地方に行かなくなってしまった。医局制度は確かに権威主義的ではあったが、少なくとも一定の需給調整機能を果たしていた。それを代替させるものを容易せずに廃止してしまった結果が、地方の惨状を招いている側面は否めない。

また、「規制緩和」は緩和する側が圧倒的な権力を有するため、そこに腐敗が集中する。それだけに、意志決定過程を全て明らかにしなければ、腐敗を加速させることになるが、日本の場合、先進国最低水準の情報公開がこれを妨害、自民党の超長期政権が腐敗を加速させるというスパイラルに陥っている。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする