2017年08月12日

ねずみ達と魔法使い:再プレイ

RPG会の予定だったが、二人が急病でドタキャン。寄る年波には勝てないということか。代わりに一年半ぶりとなってしまった「ねずみ達と魔法使い」の再プレイ。
日本語版を買い直すもプレイする機会に恵まれなかっただけに「災い転じて福となす」となった。おさらいしておこう。

国王が遠国から後添いとなる王妃を城に迎えたところ、実は魔女で私兵をもって王城を占拠し、王と側近を幽閉、主人公となる王子らも牢に入れられてしまう。そこで王子は魔法使いの助けを得て自らの姿をネズミに変えて危機に対して立ち上がる。

キャラクターは、王子コリン、鍛冶屋ネッズ、医者チルダ、魔法使いマギノス、ならず者(盗賊)フィルチ、弓手リリィの6人で、この中から4人を選んでプレイに参加する。一方、敵方(魔女側)は、ネズミ兵士、巨大クモ、ムカデなどが主人公の前に立ちふさがり、さらに城中を徘徊する獰猛な雌猫がキャラクターに襲いかかってくる。
また、キャラクター毎に職業が設定されていて、その職業毎に技能(スキル)が選べるが、レベルアップすると、使えるスキルも増えてゆく。シナリオの難易度は常に高く、このキャラクターと技能の選定と、シナリオの特徴、そして運がマッチングしないと、まずクリアできない。近年多い「無理ゲー」の一つである。

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この日はT後輩、A後輩とケン先生の3人でプレイ。キャラは4人。
もともと無理ゲーであることと、キャンペーン内の中途シナリオをプレイすることを考慮して、任意の装備アイテムを各キャラ1つずつ保有した状態で始めたものの、シナリオ3、4、5(全11本)のいずれもクリアできず、惨憺たる結果となった。前半はルール解釈に誤りがあり、プレイヤー側にやや不利な状態で進めていたのだが、誤りに気づいて訂正した後も大きな進歩は見られなかった。

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最初にプレイしたシナリオ3では、ラスボスまではまず順調に進んでいたのに、最後の最後で特別ルールのマギー夫人とラスボスが大暴れしていきなり全滅という憂き目にあった。
最後にシナリオ3を特別ルール無しで再プレイしたところ、何とかクリアできたものの、「いやいや、普通にやったら全然ダメだよね」という結論に達した。大人が泣きそうになってプレイしているのに、子どもと一緒にとかあり得ないと思うんだけど・・・・・・
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

民進党代表選2017の初期情勢2

【民進・枝野氏、代表選出馬表明 一騎打ちへ】
 民進党の枝野元官房長官は8日、来月の代表選挙に立候補することを正式に表明した。すでに前原元外相が立候補を表明していて、両者の一騎打ちとなる見通し。民進党・枝野元官房長官「自民党とは違うと。その違いを強調、明確にして、あるべき社会の姿を明確に示していく。多様性を認め合い、困った時に寄り添い、お互いさまに支え合う、そんな日本を目指す。この旗を明確に、そして高く掲げて政権を目指す」
 会見で枝野氏は、党が目標としてきた「2030年代原発ゼロ」の前倒しを目指すことや、介護職員や保育士など福祉関係者の賃金底上げなどを訴えた。また、枝野氏は共産党を含む野党共闘について、「今の自民党を止めるために、同じ思いである政党と一致する範囲の中でできることをやる」と述べ、条件つきで進めていく考えを示した。
 枝野氏は党の幹事長を務めていた際は野党共闘を進めていたが、8日は「他の党と連携することで、民進党を応援している人が離れていっては元も子もない」と述べ、これまでよりも慎重な姿勢も示した。
(8月8日、日本テレビ)

民進党代表選挙は前原氏と枝野氏の一騎打ちになる模様。第三の候補はどれも集約できず、20人の議員推薦人を集めることができず断念した。

一騎打ちになったとはいえ、状況は圧倒的に前原氏に有利で、聞くところでは枝野氏は20人の推薦人を集めることすらギリギリで、党重鎮級の名が並ぶことになりそうだという。一般的には、重鎮の名はこうした推薦人名簿にはのせず、若手を中心に並べて「若手が推して、みんなで頑張ります」という雰囲気を前面に出す傾向があるが、枝野氏の場合、「推薦人辞退」が続出しているという。これは、枝野氏の支援母体と考えられた党内リベラル派からも嫌われている、ないしは「負け戦に荷担したくない」という空気が広がっていることを示している。ビラを配布する秘書にすら事欠くというのだから、話にならない。つまり、戦う前から負けている。
枝野側は「党員票で前原氏を圧倒できる」と考えているようだが、現実には「やや上回る」程度に終わるのでは無いか。

枝野氏は、何と言っても菅政権の官房長官を務め、党内で3度幹事長を担うという他には無い業績を有していながら、共に剣を取ってくれるものもいないらしい。
治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)において、最初に挙兵した源頼政が、摂津源氏当主(清和源氏嫡流)として以仁王を擁しながら、わずか150騎しか動員できなかった故事が思い出される。

一方、前原氏はすでに何年もかけて代表選出馬を準備しており、旧維新残党と懇意にし、仇敵だった小沢氏とすら和解、井手英策氏のようなリベラル派の学者をも取り込んで、輪を広げてきた。そこに、保守新党への合流を熱望する若手議員や、NK党との共闘を憎悪する同盟系労組議員などが加わり、すでに国会議員の3分の2以上の支持を得るに至っている。
では、前原選対が盛り上がっているかと言えば、そういうことでも無いらしく、消極的に前原氏が選ばれている、ないしは「保守新党合流には前原の方が都合が良い」という理由から支持されているに過ぎず、選対自体は盛り上がっていないという。
とはいえ、個人としては枝野氏が優秀だとしても、政治家としては前原氏が経験値を積んでレベルアップしていたことは間違いない。

「いかに党を活かすか」ではなく「いかに党を葬るか」を選ぶ選挙では、盛り下がるのも当然だろう。

【追記】
党内の議員たちはしきりに「今回の代表選はリベラル対保守の構図では無い」旨を強調しているが、彼らがそう言えば言うほど、「対立軸が無いのになぜ選挙やるんだ?」「要は理念もイデオロギーも無いということ」「なんだお山の大将になりたいだけか」と思われるだけの話だろう。実際のところ、信念もイデオロギーも無い連中の集まりだから仕方ないのだが(爆)
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

賭博で五輪はOKか

【五輪の都外分350億円、宝くじで 分担未定の運営費 都が検討】
 2020年東京五輪・パラリンピックの費用分担問題で、開催費用1兆3850億円のうち、具体的な分担が未定だった東京都外にある競技会場の運営費350億円について、都が宝くじの収益を充てることを検討していることが27日、都への取材で分かった。
 都によると、検討しているのは、大規模イベントの財源のため都道府県などが発行する「協賛宝くじ」。既に昨年から発行され、収益約126億円が大会経費に充てられることになっているが、都は追加発行により200億円超の収益を得て、都外会場の運営経費350億円に充てることを検討している。
 追加発行には、都道府県と政令市でつくる「全国自治宝くじ事務協議会」に要請し了承を得る必要があり、都は競技会場のある自治体に連名で要望書を提出することを提案。だが、札幌市が「350億円の内訳などが決まっていない中で同意できない」と主張するなど反発も出ている。
 小池百合子都知事は27日、盛岡市で開かれた全国知事会議で「聖火リレーなどについて、宝くじ財源の活用を検討したい。ご理解、ご協力をお願いしたい」と発言。さらに会議後、報道陣に「オールジャパンでわくわく感を共有できる大会にしたい」と語った。
(7月28日、産経新聞)

江戸時代、非課税な上、大名家に大金を貸し付けてボロもうけしていた寺社が、寺院の建て替えを理由に「富くじ」を庶民に売りつけていた故事が思い出された。だが、知人がツィートしていた戦時期の「勝札」の方が実情に近いのかもしれない。

「富くじ」は、全般的に賭博行為を禁じていた幕府が例外的に認可を出していた寺院特権で、この富くじと高利貸しによって江戸期の大寺院は巨万の富を築いていた。故に、幕末の戊辰戦争期、寺院は、戦費調達ということで幕府からも倒幕派からも巨額の供出を求められた。明治初頭の廃仏毀釈は、借りた戦費の返済を反故にするという意図もあった。その後、明治政府は厳格に賭博を禁止したものの、第二次世界大戦の敗戦で復興費用が不足、自治体に「宝くじ」の発行を許可して今日に至っている。

本来、宝くじは戦後復興の財源確保を目的に例外的かつ臨時的に認められたはずだったが、いつの間にか巨大利権となって、公営賭博を容認するツールになってしまっている。
また「勝札」は、大戦末期に戦時国債や強制貯金も限界に達した日本政府が、新たな戦費捻出手段として導入したものの、抽選する前に終戦を迎えている。こちらも、戦費調達を目的とした例外的かつ臨時的なものだった。

そもそも五輪の運営費を賭博の胴元で調達するとか、五輪憲章的に問題ないのか、突っ込みどころ満載すぎる。オリンピックは都市単位で開催するものであって、本来であれば開催都市外への委託自体、五輪憲章に反している。しかも、運営費が足りないから賭博で調達すると言うのであれば、もはや五輪憲章など全く意味をなさなくなってしまう。
この点、解釈改憲を重ねすぎて、日本国憲法の理念とは全くかけ離れてしまった(先祖返りしてしまった)現代日本と良く似ていると言えよう。
posted by ケン at 12:19| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

満蒙開拓団に合掌

満蒙開拓団.jpg
『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』 加藤聖文 岩波現代全書(2017)

意外とあるようで無い、満蒙開拓団の歴史。昭和恐慌などによる農村の疲弊にはじまり、満州事変を経て開拓団の編成と派遣が国策化されるが、関東軍による屯田兵、現地召集兵確保の意向などによって歪められ、日中戦争の勃発によって景気が回復、若年労働力が不足し、いつしか官僚的な対応が強まって、「志願者対象」としながらも強制移住に近いものになってゆく。現代の学校部活動や「ボランティア」にも通じるものがある。恐ろしいほどの無責任体質がそれだ。

満蒙開拓団はどれも悲惨な結末を迎えるのだが、中でも酷いと思ったのは東京からの開拓団だった。戦況の悪化で生活が立ちゆかなくなったり、空襲で被災した東京市民で疎開のあても無かった人たちが、農業技術も無いのに、政府の勧めに従って満州に渡るが、一年あるいは一年半もたたずにソ連侵攻を迎えている。

例えば「興安東京荏原郷開拓団」(第十三次)の場合、戦況の悪化によって物資が不足し、営業が成り立たなくなった東京の武蔵小山商店街(当時は荏原区、現品川区)の商業組合員によって編成された。その職種は154に及んだが、農業経験者は皆無だった。東京郊外の研修施設で形ばかりの農業研修を行った後、1944年4月5日に新潟を出港して朝鮮半島の羅津に上陸、汽車を乗り継いで1週間後にソ蒙満国境の興安省に到着、入植した。
翌45年8月9日、ソ連赤軍がソ満国境を越えて侵攻を開始するが、避難を開始したのは12日になってしまう。当時、若年労働者が現地応召によって不在だったため、小学生まで動員して野菜の収穫、搬出をしていたためだった。結果、在籍者1142名のうち日本本土に帰還したのはわずか53名、他に25名が中国に残留した。生還率は5%を下回っている。

東京農大関係者を主体とした常磐松開拓団(渋谷)の場合、1945年6月26日に東京を発ち、日本海で触雷して輸送船は沈没、命からがら元山に上陸、満州の牡丹江駅に着いたのは8月8日深夜だった(9日未明とも)。赤軍が国境を越える数時間前のことだった。なお、大東亜省が「満州開拓民ノ送出ハ原則トシテ一時之ヲ中止ス」を決定したのは、同年7月2日のことだった。

ソ連軍が開拓村を攻撃したことで被害者が激増するわけだが、当時のソ連側の認識は「武装入植者による軍事拠点」だった。事実、関東軍は兵力供給源の確保と軍事拠点の設置を目的に、ソ満国境への入植を奨励するが、日本政府は全くそれに触れずに募集、応募者も自分たちが民兵代わりであるという認識は全く無かったことが悲劇を生んだ。しかも関東軍は国境近くの開拓団にも緊急召集を掛けてしまったため、肝心な時に壮年男性がおらず、避難が遅れ、匪賊や現地住民の攻撃にも対処できず、各地で集団自決が相次いだ。関東軍は、南満への避難計画を策定していたが、日本政府が許可しなかったことも被害を助長させた。その理由は「現地住民が動揺して何が起こるか分からない」というものだった。福島原発事故時の政府対応を思い出させる。
もっとも、樺太やポーランド、ドイツにおけるソ連軍の所行を見る限り、仮に「武装民兵」と認識していなくても、変わらずに開拓村を軍事攻撃した可能性は否めない。

最終的に敗戦時に満州に滞在していた日本人は、都市部等で155万人、開拓団関係者は27万人だったが、死亡者は全体で24万5千人に及び、うち約8万人が開拓団関係者だった。開拓団民は全住民中の17%だったが、死亡者では3割を占めている。これらの数字はいまだに正確な数字が把握されていないが、これは終戦時の文書焼却によるものというよりは、そもそも精密な行政文書が存在していなかったことに起因しているという。やはり満州移民は棄民政策だったのだ。

もともと本土内の労働力過剰や食糧難から始まった移民政策だったが、敗戦によって600万人からの海外(旧帝国領や植民地を含む)在住邦人が帰国したことと、1945年の大凶作や各種流通途絶によって飢餓が広まった。戦後のGHQ改革によって農地改革が行われたり、旧皇族領や国有地の払い下げが進められ、帰還した移民にも一定の分配がなされたものの、定着したのは概数で3割に満たなかったものとみられる。土地再分配の恩恵にあずかれなかったものは、悪名高きドミニカ移民を始めとする南米に再移民していった。幸運にも定着できた帰還移民たちも、例えば三里塚(成田空港)、六カ所(核燃サイクル施設)、上九一色(オウム事件)、飯舘・浪江(福島原発事故)などに象徴されるように、戦後政治の負の側面を一身に受けて悲劇の舞台となるところが少なくなかったのである。
posted by ケン at 12:14| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

勉強と部活の何故

この間、何人かから「子どもが勉強しない」旨の愚痴を聞かされる。みな私と同程度の高偏差値大学を出ているが、ガリ勉タイプではなく、どちらかと言えば「趣味人」の部類に入るだろう。つまり、さほど親にギャーギャー言われずとも必要最低限の勉強はして、そこそこの成績を収めていた者たちである。

具体的な話をすれば、ケン先生の中学・高校の場合、1学年170人前後で毎年東大に数人入る程度の緩い進学校だったが、自分で試験毎に「50位以内なら十分、それ以下なら次は頑張ろう」的な基準をつくって、親にとやかく言われることもなかった。親からすると、「もう少し頑張ればいいのに」と思っていたそうだが、私的には「頑張ればもっと上に行けるかもしれないが、最も効率の良い勉強と成績はこれ」ということで、遊び(当時からシミュレーションゲームとRPG)に重点を置いていた。文句を言われること無く、自分も安心して遊べる環境を確保するために、自分で自分を最適化させていたのである。

こうした人間からすると、そもそも勉強しない子どもに「勉強させる」のは至難のことなのかもしれない。「勉強しないで平気でいられる」理由が分からないからだ。
基本的に義務教育の勉強は「誰でもできる」ことを想定してカリキュラム等が設定されており、「頭が良い(演算力がある)」か「努力する(労働を厭わない)」のどちらかがクリアされていれば十分(出来ないわけが無い)なのだが、どちらも無いとなると親としては頭が痛いだろう。

勉強はホワイトカラー事務職の前提能力であり、勉強ができないことは、事務能力が無いに等しい。例えば、文書を読み、作成するのも、自分で計算したり、他人の計算が正しいかどうか判断するのも、全て勉強ができるかどうかで判断できる。また、事務作業や技術をマスターする過程は、勉強のそれであり、勉強ができない人間は作業方法や新技術のマスターに大きなコストがかかることを意味する。確かに、勉強は企業人としての能力の高さを保証するものではないが、事務作業能力や社会人としての最低能力を保証するものではあるのだ。
ところが、技術革新によって事務職の需要が急低下しているため、中途半端な勉強は費用対効果が減じてしまっているところに、「勉強しないと良い会社に入れない」と言えない難しさが生じている。究極的には、勉強によって担保されてきた事務作業は殆どAIにとって替わられ、生身の人間を必要とするホワイトカラー分野は非常に小さくなって行くと考えられるからだ。
従って、申し訳ないが、私も今のところ解答を持たない。

勉強に対して部活動は、超長時間労働に耐える体力と奴隷根性を養成するために学校教育で(実質的に)必修化されているが、こちらはブルーカラー肉体労働の基礎能力養成を目的としているため、肉体労働の需要が低下している今、こちらも無駄な時間と労力を費やすだけの存在になっている。
とはいえ、日本企業では、ホワイトカラー事務職でも規格外の残業や営業が強いられるため、運動部系の部活動経験者が人事に好まれるところとなっており、財界もまた学校における部活動を推奨している。
ところが、日本の部活動は人間の個性を否定し、自由な思考と自主性を奪うためのシステムであるため、会社に服従する奴隷的人間は養成できても、自分で判断して行動し、想定外の状況に自律的に対応できる人間は決して育たない。
結果、部活動が活性化すればするほど、「使えない」労働者が増える構造になっている。従来の肉体労働や事務作業の大半を機械が担うようになったため、奴隷的人間は不要になっているにもかかわらず、日本の教育システムは以前のままに置かれている。財界も官界も政界も、「自由な市民」による批判や反乱を恐れるあまり、奴隷養成システムの改革を拒んでいるわけだが、それが日本社会と市場をますます疲弊させている。

また、日本型教育システムは後期中等教育(高校)と高等教育(大学、大学院)の国際的評価が非常に低い。これは、日本の高校と大学が、中学校の奴隷教育の延長にあり、知識の詰め込みと奴隷根性の涵養に重点が置かれているためだ。

欧米の大学の場合、授業では例えば「1円を1億円にするためには何を為すべきか」みたいな課題が出され、学生は「砂漠を彷徨う金持ちに水を1億円で売る」とか「地中海を漂う難民を奴隷商に売る」みたいな意見を次々と開示、その是非や評価を学生同士で議論させ、教員はそれを統括、総評する役割を担う。ところが、日本人学生は何一つ意見を述べることができず、ニコニコしているだけなので最低の評価しか与えられない。日本の高等教育の国際評価が極めて低く、「グローバル人材」を排出できない大きな要因になっている。
事務作業より上のマネージメント能力や創造性を必要とする仕事には、こうした訓練が不可欠なのだが、日本にはその機会が無い。

例えば、今年のフランス・バカロレア哲学試験の課題を見てみよう。文系は、
主題1 知るためには観察するだけで足りるか。
主題2 権利を全て実行することは正当か。
主題3 以下のルソー『人間不平等起源論』の抜粋を説明せよ。

理系は、
主題1 権利の擁護と利益の擁護は同義か。 
主題2 人は自らの文化から自由たり得るか。
主題3 以下のフーコー『知・身体』の抜粋を説明せよ。

フランスでは、哲学は高校の一般教科で選択科目では無い。ダンテは「哲学の教えに基づき、人類を現世的な幸福へと導くものがローマ皇帝である」(帝政論)と述べているが、日本のリーダーには人類を幸福へと導く義務が規定されていないため、「いかに奴隷をただ働きさせるか」が統治論の主題になっている。
東京五輪を、9万人の無償ボランティアと3千人の無償通訳で開催しようというのは、あまりにも象徴的だ。

結論になるが、日本の教育システムは、19世紀型のブルーカラー労働と日本型の労働集約型産業に最適化してしまったため、全く21世紀型の産業に通用しなくなっている。ところが、政官財報の腐敗テトラゴンは、奴隷養成型教育システムの上にのみ成立しているため、これを改革することは自分の首を絞めることにしかならず、それは自らベルリンの壁を壊すような話になっている。
結果、日本の産業は21世紀モデルに対応した労働者も管理職も養成できないまま、沈没への一途を辿っているのである。

【追記】
演算力の高い人間というのは本当にいるもので、私の伯父などは「指導教授に言われたから」高文試験を受けて内務省に入り、扱った法律は全てそらんじることができるので、官僚の手助け無しでその場で国会答弁できた。今話題のウェルスナビの柴山会長は「高校の同級生がみな東大に行くから」東大に入り、「指導教授に言われて」三週間過去問見ただけで大蔵省に合格したという。そんな超人に対抗する術など無いのだが、99%以上の人は義務教育中に勉強や読書の習慣を身につけないと、社会で求められるスキルを習得することができなくなってしまうか、学校時代の何十倍も苦労することになるわけ、どのような形であれ(強制力を発揮してでも)、子どもに勉強させること自体の必要性が減じているとは思えない。
posted by ケン at 12:29| Comment(13) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

激バル三連結テスト

ゲームジャーナルの激闘バルバロッサ作戦シリーズ三部作(レニングラード、スモレンスク、キエフ)の完成から3年も経てしまったが、今回連結テストを行うことにした。O先輩と二人で「とりあえず並べてみよう」という企画である。
ちなみに3つ並べると、A1フルマップ3枚、ユニット600超となる。ゲーム期間は、6月22日から9月20日までの約3カ月。
勝利得点的には、ドイツ軍はキエフかレニングラードを落とした上で、モスクワへの進撃路を確保する必要があり、なかなかハードルが高そう。

デザイナーは、ふ〜ら〜中村氏。ルールは至ってシンプルで、移動と攻撃だけで機械化移動はなく、弱ZOCのメイ・アタック。スタックは2ユニットまでで、補給システムも簡単。
ただ、チット式で、司令部の指揮範囲内にいるユニットは指揮系統に関係なく何度でも活性化するため、理論上はチットの回数分だけ1ターンに活性化させることが可能なのだ。しかも独軍の装甲集団はチットが2つ入っており(終了チットは無い)、複数の装甲集団の司令部を上手く活用することで、「車掛かりの陣」を可能にしており、「大丈夫かよ(破綻するんじゃ無いか)」と思わなくも無い。結果、ドイツ軍は戦闘後前進や他の司令部の指揮範囲などを考えて、移動・戦闘を行う必要があり、見ているとウォー・ゲームではなくパズルをやっているみたいに見える。

逆にソ連軍は、司令部毎に1つのチットが入るが、司令部が除去されていると無効になってしまうため、司令部の置き場所が非常に難しい。前に置くと包囲、除去されてしまうし、後ろに置くと前線の舞台に指揮が届かなくなるからだ。しかも、ドイツ軍は特に最初の方は何度も動いてくるので、「なるようにしかならない」という側面もある。

最近独ソ戦を扱った作品は、近年の研究を反映してドイツ軍にも相応のダメージが入る(被害が出る)傾向が見られるが、本作では独軍がかなり無理をして前に出て、ソ連側が効率よく(タイミング良く)反撃に出るというシチュエーションでしか、まずダメージが入らない仕組みになっている。
例えば、1941年8月下旬から9月一杯までかかった「キエフ包囲戦」では、ドイツ側も10万人からの死傷者が出ており、最終的に勝利したとはいえ、現実には独軍指揮官のストレスは相当なものがあったと思われる。しかし、本作は退却に重きを置いた戦闘結果表が採用されており、かつ余程低いレートで戦闘を仕掛けない限り、攻撃側にはダメージが入らない。
パズルチックな機動と独軍側のストレス・フリーが、本作の評価の分かれ目と言えよう。
また、ルールとシステムは非常にシンプルだが、チット式(1カップ)で独ソ両軍がともに入り乱れて少しずつ起動するため、非常に時間が掛かる。この日は、無謀にも3連結を二人でプレイしたが(5人以上推奨)、配置するのに1時間、第一ターンを3時間半、第二ターンを2時間半もかかってしまった。チット式であるため、仮に人数を増やしても、その分作業が進められるわけでもなく、「簡単だけど時間だけはかかる」という点も評価が分かれるかもしれない。今回ぷれいした感触では、4〜5人でプレイしても1日目で第3ターンか4ターンまで、2日目で最終9ターンまでたどり着けるかどうか、くらいのイメージだった。その意味では、「プレイ可能ビッグゲーム」と言えるだろう。

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初期配置

O先輩が独軍、ケン先生が赤軍を持つ。O先輩は、一世代前のハードディスクが「シュシュシュシュ」と必死に音を立てて頑張っているような感じで、必死に「パズル」を組み立てており、第1ターンだけで体重が1kgくらい減りそうな勢いだった。ブレスト要塞攻撃に二度失敗した以外はまずまず順調で、幸いにも「サプライ」チットが最後に出たため、中央突出部の包囲が完成、あっという間に赤軍が打ち減らされてしまう。この包囲の輪が第1ターンに閉じるのと第2ターンに持ち越されるのとでは、雲泥の差が生じそうだ。
また、今回は独軍は戦闘でソ連軍のユニットを早く除去する選択をしたが、戦闘で除去して後のターンでの復活を許すのが良いのか、多少時間が掛かっても復活を許さない補給切れ除去を狙った方が良いのか、ここは最終ターンまでプレイしないと分からないだろう。
同時に独軍はユニット除去を優先して、前進は控えめな感じとなり、2ターン終了時にミンスクまで少し距離があったが、どの程度のスピード感が必要なのかも、もう少しプレイしないと分からない。
いずれにせよ、シンプルなルールに比して、特に独軍プレイヤーは熟練が求められそうだ。

逆にソ連軍は、機械化移動が無い分、独軍の進出を想定しやすい反面、いつ自軍チットが出るのか分からず、戦線を構築するのは至難で、南方以外は拠点防御になってしまう。とはいえ、ソ連軍は「チットが出たらやれることをやるだけ」なので、「なるようにしかならない」側面は否めない。

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第二ターン終了時

2ターンやっただけの感想だが、3つあるマップの内、北と中央は緊密に連携しているが、南部は別個の戦線な感じで、8ターンか9ターンの「南方旋回の是非」を問う意味では必要かもしれないが、ゲーム的には切り離してしまって、北と中央の二連結でプレイした方が、プレイ・アビリティの上では良いかもしれない。
できれば年内に4人集めて本挑戦したいところである。

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posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

議員年金は復活すべき

【自治体負担、200億円増も 自民の地方議員年金復活案】
 自民党のプロジェクトチーム(PT)は、2011年に廃止された地方議員の年金制度に代わり、議員が自治体と保険料を折半する形で厚生年金に加入できる法案の概要をまとめた。地方議員のなり手不足解消を図るという。25日の全国都道府県議会議長会総会でも実現を求める決議を可決。地ならしは進むが、自治体負担が200億円増えるとも試算されており、年金「復活」には批判もある。
かつての地方議員年金制度は議員が納める掛け金と自治体負担で運営され、「在職12年以上」という短期で受給資格を得られることが「特権的」とも批判されて廃止された。現在は、専業の地方議員は国民年金しか加入できない。自民PTは今回、地方公務員共済組合法と厚生年金保険法を改正し、地方議員を首長や職員と同様に自治体に「使用される者」とみなして、厚生年金に加入できる案をつくった。
(7月25日、朝日新聞)

老後不安を抱えた議員が腐敗と蓄財に走る現状とリスク、議員候補の質的劣化を考えれば、議会制度を維持するために必要な措置と考える。事業者負担分を自治体が負担するのか、本人が負担するのかという大きなハードルはあるものの、個人的には自治体負担で良いのでは無いかと思う。「平成の大合併」により、自治体も地方議員の数も6割程度まで減らされている上、議員報酬もカットされている自治体が多い。
また、厚生年金に加入することで、民間企業時代の経歴が加算されるようになれば、「在職12年以上」という特権問題も解消されるだろう。

逆に議員年金が廃止され、議員報酬もカットしすぎた結果、立候補者は金満事業主と「一発逆転」狙いの無産者ばかりになって、議員の質的劣化が凄まじいことになっている。もっとも、税収が上向きだった時代には、議員の質はさほど問われないが、デフレ&税収減となると、議員の能力が要求されるところとなり、問題が顕在化している面があるのは確かだ。

上記記事とは無関係だが、地方議員の任期も検討されて良いだろう。詳細は参照記事を読んでもらいたいが、例えば議員の任期を撤廃し、有権者に一票ずつ「解散権」を付与するシステムはどうだろうか。有権者はいつでも解散権を投じることができ、それが5割とか6割に達した瞬間に議会は自動解散、選挙になるという仕組みである。辞職や死亡によって欠員ができた時は、特別加算する仕組みを設けても良い。

自治体議会も同様で、大した問題も無いのに4年ごとに定期的に選挙が行われるため、有権者の関心が低くなり、固有の支持層を持つ政党が実力以上の議席を有することになる。任期を不定期にしておけば、自治政治に不満を持つ者たちがこぞって「解散権の行使」を求めて運動するため、議会と有権者に緊張が走る構図になる。自治体の選挙も10年に1度とかになれば、もっと投票率が上がるだろう。個人的には「4年に一度の選挙で投票率40%」よりも「10年に1度の選挙で投票率60%」の方がデモクラシーの原理に適っていると考える。

いずれにせよ、現状を放置すれば、ますます議会の信用は地に落ち、遠からずデモクラシーの危機を迎えるだろう。

【参考】
解散権を改革する 
posted by ケン at 13:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする