2017年05月05日

メランション候補が訴えたもの

4月23日に行われたフランス大統領選挙は、四候補が得票率19〜24%の中にひしめくという大混戦に終わり、マクロン候補とルペン候補の2者が決選投票に進出した。だが、決選に進んだ二候補が獲得したのは全票のうち45%に過ぎず、しかも両者とも議会に支持基盤を持たないという点で、何重にも危うい状態が続いている。
中でも興味深いのは、当初「泡沫」扱いだった「極左」とされるメランション候補が得票率19%、700万票を獲得した点にある。一位のマクロン候補の得票は865万票に過ぎないことを考えても、フランス人らしい「分かりにくさ」が垣間見える。

社会党のアモン候補は229万票、6.3%の得票に終わっている。これは、フランス社会党のエリート化と、政権慣れして行政官僚との一体化が進み、保守党派との違いが殆ど見いだせなくなったことに起因していると考えられる。
もっとも、その意味では社会党員ながら無所属で出馬したマクロン氏が、より親EUと新自由主義色を前面に打ち出しており、エリート層を中心にかつてのサルコジ支持層を取り込んで勝利を収めている。

フランス社会党の凋落は、新自由主義的要素を取り込んだ「第三の道」路線の限界を示すものと考えられるが、マクロン氏の勝利は、同時に新自由主義がいまだ色あせていないことを意味している。
これを日本に当てはめて考えた場合、民進党の「嘘くさい左派色」と「必死に隠す新自由主義色」はいかにも中途半端な主張で、エリート層からも労働者層からも嫌悪される原因になっているとの仮説が立てられる。そして、むしろ「新TPP」「徹底した規制緩和」「市場開放」などの新自由主義を打ち出すか、そうで無いなら徹底した左翼色を打ち出すのが、合理的な選択となるだろう。

日本の不幸は、小沢自由党や「みんなの党」のような新自由主義政党が必ず政権に擦り寄って自滅していること、そしてNK党や社民党が中途半端に「良い子」になってしまって、社会主義やマルクス色を隠してしまっている点にある。
そこで、一部から「極左ブログ」認定いただいているケン先生としては、メランション候補の政策・主張を参考にして、旧式左翼に替わる新型左翼のモデルを考えてみようと思う。まず、メ候補の主な主張から。

「所得再分配機能の強化=大きな政府」
「フランスの国家主権強化、必要ならEU離脱を厭わず」
「週4日労働=週32時間労働制」
「移民賛成」
「脱原発」
「超規模財政出動、公的部門強化と公共投資拡大」
「年金支給開始年齢の引き下げ」
「NATO離脱、対外戦争反対」
「大統領権限の縮小=第六共和政」


つまり、マルキシズムに親和的な一国社会主義だが、コスモポリタニズムと国際主義は護持するという路線と言える。日本では、旧式左翼が週40時間労働制すらまともに主張できず、連合は訳知り顔で「労働時間インターバル制度」などを唱えている始末で、全て「死なない程度に働けるようにしよう」くらいの主張しかしていない。旧式左翼や既存のナショナルセンターが支持されないのは、政府や資本に遜りすぎて、労働者の権利を十分に主張できていないことに起因していると見るべきだ。
その他、細かいところも抜き出してみてみよう。

「金融取引への課税強化」
「大手銀行の経営責任追及」
「経営陣や株主の法外な報酬の規制」
「時短の実現による350万人の新規雇用」
「GDPの1%を文化と創造(芸術)に」
「音楽、映画、文化コンテンツを合法的に提供するプラットフォームを有するオンライン公共図書館の設立」
「給食、通学費、教材、文具などの無償化」
「男女平等を尊重しない企業に対する罰金と刑事罰、公共調達のアクセス禁止」
「代表機関(政治、行政)における女男間パリティ制度」


確かにやり過ぎ感満載で左翼ポピュリズム的主張が羅列されているわけだが、変に「現実=資本」に妥協して労働者の権利を主張しなくなったことが、日本を含む欧米の旧式左翼が沈む原因になっていることは確かだろう。程度の問題はあれど、我々はメランション候補に象徴される欧米の非従来型左翼に学ばなければならない。

なお、メ候補は決選投票に際してマクロン氏もルペン氏もどちらも推薦しないことを明言している。これもまた従来型左翼には見られなかった現象であり、興味深い。
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2017年05月04日

復興相交代だが?

【<今村復興相辞任へ>事実上の更迭 後任に吉野正芳衆院議員】
 今村雅弘復興相(70)=衆院比例代表九州ブロック=は25日、東京都内で講演し、東日本大震災について「まだ東北だったから良かった。これが首都圏に近かったりすると、甚大な被害があった」と述べた。被災者を傷つける発言と批判され、今村氏は同日、復興相を辞任する意向を政府・与党に伝えた。今村氏の発言直後に安倍晋三首相が「極めて不適切」と陳謝しており、事実上の更迭。首相は後任に吉野正芳衆院震災復興特別委員長(68)=福島5区=を充てることを決めた。
 今村氏は今月4日、原発事故の自主避難者に関し「本人の責任」と述べて撤回・謝罪したばかりだった。度重なる失言による閣僚辞任が政権への打撃となるのは必至だ。 今村氏は自身も所属する二階派のパーティーで講演し、発言は震災被害の大きさを説明する中で出た。安倍首相はその後のあいさつの冒頭で、「東北の方々を傷付ける極めて不適切な発言があった。首相としてまずもっておわびさせていただきたい」と陳謝した。
 ただ、今村氏は当初は辞任を否定。講演直後は記者団に「首都圏に近かったらもっととんでもない災害になっている、という意味だ」と述べて釈明。首相の陳謝後に改めて取材に応じ「本当に不適切な発言で、(被災地の)皆さまを傷付けたことを深く深くおわび申し上げる」と謝罪したものの、辞任に関しては「そこまでまだ及んでいない」と述べるにとどめていた。
 しかし、今村氏の発言には政府・与党からも反発が噴出。公明党の大口善徳国対委員長が記者団に「言語道断。本当に許し難い。政治家として自らのあり方、出処進退をよく考えるべきだ」と述べて事実上辞任を求めるなどの動きが重なり、辞任は不可避となった。
 今村氏は東京大卒業後、旧国鉄(現JR九州)を経て1996年の衆院選で初当選し、現在7期目。2016年8月の内閣改造で初入閣した。12年末発足の第2次安倍内閣以降の閣僚辞任は5人目。14年10月に小渕優子経済産業相と松島みどり法相が「ダブル辞任」。15年2月に西川公也農相、16年1月には甘利明経済再生担当相が辞任した。
(4月26日、毎日新聞)

今村氏だけでなく、磯崎内閣補佐官(前)、務台復興政務官、山本地方創生大臣など素晴らしい舌禍が続いているが、どれも東大出のエリートで、後3人は官僚出身、今村氏も国鉄官僚であり、恐ろしいまでの劣化ぶりを見せている。
エリートに舌禍が多いのは今に始まった話ではない。とはいえ、一党優位体制の固定化により危機意識=緊張感が薄まったことで、エリートの特権意識が「解放」されて露呈しているものと思われる。
もっとも、舌禍の水準も恐ろしく低下しているようだが、これは「東大を出て官僚になる層」の劣化ぶりと同時に、「官僚を辞めて政治家になる人種」の劣化を示しているのだろう。
内部にいる自分が言うのも何だが、今どき政治家になる官僚は、「省内にいても出世の見込みが無い」「偉そうな上司を見返してやる」などのルサンチマンを動機に政界に転じているものが大半であり、真っ当な理性の持ち主、あるいは自己を客観視できる人間なら民間に転じようとは思っても、政界に出ようとは思わない。政界で成果を上げるためには、多数派工作を始めとする人的コネクションを形成する政治的能力が不可欠だが、それは官僚に求められる資質とは別物だからだ。

新任の吉野氏は、中央エリートではなく、それなりに地元で苦労してきた人物で、人格的には悪くないらしいのだが、私の前ボスと同じ委員会だったので、委員会における低劣なヤジの数々が思い出される(野次っても人気があるタイプか)。非エリートではあるが、舌禍のリスクはまだ免れてはいない。
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2017年05月02日

日本の低生産性の原因・補〜低士気について

先の稿で「みんなで頑張る」をモットーとする日本型組織が、結局のところは労働力の投入量に依拠した単純な人海戦術であり、労働力が頭打ちになった現在では、一人あたりの投入労働力を増やすことでしか現状を維持できなくなっている(超長時間労働)ことを説明した。

その結果、労働時間1時間当たりの国民総生産(GDP)は、2014年でスウェーデンが54.4ドル、フランスが60.3ドル、ドイツが58.9ドルである一方、日本は39.4ドルしかない。だが、この数字はサービス残業を含まないため、実際には35ドルか、それ以下かもしれないのだ。また、労働時間以外にも、日本型組織は欧米には存在しない「飲みニケ−ション」や社内行事が山ほどあり、サービス残業以外にもさらに組織に拘束される時間が長くなる傾向が強い。こうした拘束時間を含めれば、この数字は限りなく30ドルに近づくだろう。つまり、日本人の生産性は、3週間のバカンスをとるフランス人やドイツ人の半分しか無い。

別の見方をしよう。イタリアの年間労働時間は約1350時間であるのに対して、日本の名目上の労働時間は約1750時間。ただしこれはサービス残業が含まれない数値であり、現実の数値は2000時間に上ると考えられる(一説では2300時間)。このことは、日本人はイタリア人の1.5倍も働きながら、イタリア人と同レベルの収入しか得ていないことを暗示している。別の見方をすれば、一カ月のバカンスを取るイタリア人と、2日と連続した有給休暇を取ることも出来ない日本人が、同じ収入なのだ。むしろ「日本に生まれたことが不幸」と言えるレベルだろう。
一日の大半を会社で過ごし、夜12時に帰宅して朝6時には家を出て、休日出勤当たり前で有給休暇も取れず、ロクに残業代も支払われずに、子どもの教育費すら事欠くという生活環境にあって、御上や親からは「産めよ、増やせよ」と言われるのだから、生きることすら苦痛を感じてもおかしくない。

こうした結果、日本人の士気はエリートの知らないところで恐ろしく低下している。
エンゲージメントを研究する米国のタワーズワトソンの報告を見てみよう。エンゲージメントとは、エンゲージリングで思い出すだろうが、「繋がり、絆」を示すもので、社員の会社に対する愛着、貢献したい気持ち、あるいは積極的に関わりたいと思う気持ちを指す。これは、社員の積極性、自主性、創造性あるいは協同作業の効率に直結すると考えられている。
単純に言えば、誰しも好きな上司のためなら積極的に役に立ちたいと思うし、多少の無理は聞いてあげてもいいと思うだろう。だが、逆に嫌いな上司に対しては「死ねばいいのに」「失敗して脱落しろ」「言われたこと以外何もしてやらない」と思うのが情というものだ。

さて、同社が出した「2014年グローバル労働力調査」によると、日本でエンゲージメントレベルが高い社員は21%、ある程度高い社員は11%、低い社員は23%、非常に低い社員は45%であった。これに対して、アメリカは39%、27%、14%、20%で、調査平均は40%、19%、19%、24%だった。
つまり、日本では「会社のために自分も役に立ちたい」と考えている社員は32%しかいないのに対し、米国では66%、世界平均では59%いる。また、「会社のために貢献とするとかあり得ない」と考える社員が68%もいるのに対して、米国では34%、世界平均では43%だった。

貧困が増大し、いまや6千万人からの国民がフードスタンプを利用しているアメリカだが、企業内の士気は予想外に高いのだ。これに対し、表面上は内閣支持率が60%近くあり、政府調査(国民生活に関する世論調査)では「現在の生活に満足している」が7割にも達している日本では、社員の3分の2以上が「会社なんて死ねばいいのに」と思っている。

日本の場合、「愛社精神を育む」として長時間の集会や研修会が行われ、同時に望みもしない懇親会や社内イベントが山ほど開かれるが、これはソ連型社会主義国における政治集会、イデオロギー教育、パレード、スポーツ祭典などに相当するもので、やればやるほどトップの権威は向上するかもしれないが、末端構成員の士気・エンゲージメントはひたすら低下していくことを示している。
日本の学校が、ムダにイベントが多いのも、学校の権威向上には役立っても、実のところごく一部を除いて、大半の生徒の自主性や積極性を削いで、沈黙しながら「早く卒業して自由になりたい」と思わせている可能性が高い。

1991年8月、クーデターを受けて、エリツィン・ロシア大統領が共産党の活動を禁止した際、誰一人として抵抗しなかった故事が思い出される。

【追記】
他にも日本の生産性の低さは、祝日の多さと有給休暇の少なさに原因を求めることができる。詳細は、「公休増やすな、有休とらせろ!」を参照して欲しい。
posted by ケン at 13:05| Comment(9) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

日本の低生産性の原因〜40年来の疑問

先日の勉強会で40年来抱いていた疑問の解答を得た。先に断っておくが、ケン先生も主宰者の一人だが、ソ連・東欧学の勉強会ではない。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

実は、これこそ正に日本型組織、社会の典型で、仮に欧米の学校で起きていれば、誰も文句を言わなかったし、疑問にすらならなかっただろう。
問題の本質は、作業を終わらせられない生徒の非効率(能力の欠如ないしサボタージュ)にあるか、もしくはリーダーの管理能力(作業量の設定と割り振り)にあるのであって、欧米の企業ならまず労働者のクビを切り、それでもダメな場合は管理者のクビが切られ、作業方法と管理体制の改善が進められ、それによって生産効率の向上が図られる。この場合のクビは必ずしも解雇を指すとは限らないが、実質的には同じである。
ところが、日本型組織では、あらゆる問題が議論されずに放置され、理由も無く「みんなの責任(問題)」にされた挙げ句、精神論と人海戦術で解決するため、効率・生産性の向上が図られない。

日本の会社の99%はこの体質を有していると考えられる。まず、無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。「どうせ終わらないし帰れない」のだから、同僚の作業進捗を見ながらサボタージュすることで、楽して残業手当をゲットできるからだ。

さらに、日本の雇用慣行により、従業員は「職掌(ジョブ)」で雇用されるのではなく、全人格ごと雇用されるため、「作業効率が悪い」程度では解雇されない。司法判例も、まず他部署に配置して他の作業で試すことを要求している。これに対し、欧米の企業はジョブの能力で雇用しているため、その能力が会社の要求水準に達しない場合は、それを「正当な理由」として解雇できる。この結果、日本社会では正社員は、よほどの不祥事を起こさない限り解雇されない一方、企業は無能あるいは不適合な社員を囲い続けなければならない。同時に、日本の社員は職掌範囲が定められていないため、仕事の成果や能力が定量化、計測できず、公正に評価される基盤が無い。結果、個々の社員は生産性を上げるインセンティブが存在せず、企業側は無能な社員にも仕事を与えて人海戦術で対応せざるを得ず、組織としても生産性を向上させる術が無い。

かつてドイツの公的機関に勤めていた叔母は、ある日、同僚と早くディナーに出たいがために、彼女の作業を手伝っていたところ、ドイツ人の所長に咎められ、「何で手伝うんだ、組織の公正さが保てなくなる。それ以上やるなら貴女の人事評価を下げるぞ」と言われたという。これは、ジョブで雇用されている以上、「作業が終わらない」のは同僚の能力が低いか、ないしは彼女の上司(課長)の管理能力に問題があるかのどちらかであるが、叔母が手伝うことで能力の査定に支障が生じると同時に、責任の所在も曖昧になってしまう、というのが所長の主張だったらしい。
もちろん新自由主義が流行する前の話であり、新自由主義云々の問題では無く、組織管理と雇用慣行の問題であることは言うまでも無い。

特に日本の場合、管理能力が問われることが無いため、無能な経営者が跋扈していることが、低成長の最大の原因となっている。欧米の企業の場合、業績を上げられない経営者は株主総会で馘首されるが、日本ではまず起こりえない。世界最大級の核事故を起こしてすら、「原因は自然災害」とされ、一人の責任も問われずに終わり、安全性の向上は実質放置されたまま、再稼働が進められている。
核事故が進行中の時も、東京電力の社長は記者会見において原稿を読む以上の答弁は何もできなかったが、あれはまさに死の直前のブレジネフを思わせるものがあった。しかも日本の記者は予め当局に選ばれた者しか会見に参加できず、当局の意向を忖度して質問内容を自粛する傾向が強い。
また、ロシアのプーチン大統領は原稿も補佐官も無しに4時間でも5時間でも記者の容赦ない質問に答え続けるが、日本の首相は無数の補佐官を付けながら、国会のわずか一つの質問に対してすら「事前通告が無いから答えられない」と応じ、誰からも咎められない。むしろ「事前通告しないヤツが悪い」くらいの話になっている。
つまり、日本国民は生来の奴隷根性と学校の教育によって、無能な上司を告発する意識を持たないように洗脳されている。無能な経営者や政治家にとって日本ほどの天国はどこにもない。
日本型組織では、能力や成果ではなく、組織や上役に対する忠誠度によって人事評価がなされる傾向が強いことが、ますます生産性を下げていると考えられるが、これについては別途考察すべきだろう。

何のことは無い、日本の戦後成長は人口ボーナスで支えられてきただけで、人口ボーナスが失われた途端に成長も止まってしまい、生産性を向上させる術もないため、市場全体も停滞から減退へと転じているのだ。本来であれば、組織の効率化と女性の高度活用によって生産性の向上が図られるべきだが、現実には安価な非正規労働者と外国人奴隷を動員することで解決しようとしているため、消費が減退し、貧困が蔓延した上、生産性も停滞したままになっている。

カルロ同志の表現を借用するなら、仮に悪性腫瘍で足を切断しないと5割の確率で死亡する患者がいるとして、手術の是非は、西欧なら患者個人の自律的判断に委ねられる。ソ連なら執刀医が、共産党員の医局長ないし病院長の裁可を得て判断する。ところが、日本ではまず執刀医を決める会議の日程が組まれ、それまでに膨大な労力を掛けて患者と外科資格を持つ医師の資料が作成される。そこで執刀医が決まっても、今度は患者の家族に説明する日程を決める会議が行われ、説明用資料の作成に膨大な時間が掛けられ、そうこうしているうちに患者が死亡してしまうのだ。
posted by ケン at 13:51| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

S&T “Kaiser's War in the East”

Strategy and Tactics誌第301号の付録ゲーム。日本ではあまり馴染みの無い、第一次世界大戦の東部戦線キャンペーン。確かGJ誌の付録にもあったが、カードドリブン式だったため、様子見したままになっていた。本作は、オーソドックスなシステムを採用している。デザイナーは、「The Soviet-Afghan War」のJ・ミランダ氏。

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1ターン=一カ月(冬期は二カ月)で、ユニットは軍または軍団単位。キャンペーンは、1914年8月から1917年までだが、15年や16年のシナリオもあり、オプションでロシア内戦を含む18年のプレイも可能。プレイ時間に応じてシナリオを調整できる融通さも魅力と言える。
基本システムは、オーソドックスな動員、移動、戦闘を繰り返すものだが、移動力はロシアの軍で「2」、ドイツの軍で「3」とかなり限定的。そして、移動は1回だが、戦闘が立て続けに2回行われるため、結果によっては戦線に大穴が開くこともある。ただ、二次大戦のような機械化移動があるわけではないので、ド派手な展開にはなりづらい。

基本的には一次大戦らしく地味に鈍器で殴り合うイメージではあるが、先に動員したロシア帝国軍が殴りかかり、同盟諸国は何とか耐えながらドイツ軍精鋭の動員を待って反撃に転じるというのが1つの流れになりそうだ。また、1916年8月にはルーマニアが連合国側で参戦、次いでブルガリアが同盟側で参戦するので、一気に戦線が拡大する。ドイツ軍はロシア軍に優位、ロシア軍はオーストリア軍に優位という力関係が、戦略を大きく規定する。

興味深いのは、敵ユニットの除去と戦略重要拠点の占領・維持によって勝利得点を獲得するのだが、そのVPを消費して強行軍や大攻勢に必要な補給拠点や除去された軍・軍団の再編を行うため、チキンゲーム的な要素があり、下手に頑張りすぎるとちょっとした失敗、手違いでいきなりVPがゼロになってサドンデス負けしてしまう恐れがある。
また、ドイツ軍の戦略重点(西部戦線か東部戦線か)によってシークエンスの変化もあるため、いくつかの時点でターンオーバーが起こる仕組みになっており、これを上手く使うことで大突破を図ることも可能になっている。が、この点はいささか熟練が必要となりそうだ。

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この日は3人でGMT「Triumph & Tragedy」をプレイする予定だったが、2人の都合が悪くなって中止。一人で本作を並べるところとなった。寄る年波には勝てぬということか。
15年初夏までプレイしたところでは、地味なイメージは否めないものの、コンパクトなシステムで一次大戦や東部戦線の雰囲気を良く再現しているという感触を得た。
いずれは対人で試したい。
posted by ケン at 10:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

融解する民進東京

【民進、離党届の扱い苦慮=都議選候補、推薦案も】
 7月の東京都議選を前に、民進党が候補者から続々と提出される離党届の扱いに苦慮している。公認内定者36人のうち、既に3分の1を超える13人が離党届を提出したが、党は1件も受理せず、処分も決めていない。蓮舫代表が小池百合子都知事との連携を探る意向を表明したことが対応を難しくさせており、党内では無所属での出馬を容認して推薦を与える案も取り沙汰されている。
 大串博志政調会長は25日の記者会見で、都議選候補の相次ぐ離党について「残念だ」と述べつつ、「都議会で自民党と対峙(たいじ)してきたという意味において、都民ファーストの会とも考えが一致するのではないか」と述べた。
 都議選は、小池氏が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」を軸に展開する見通し。劣勢を危惧して離党を表明した民進党候補のほとんどが、都民ファーストからの立候補を目指している。離党届を受理すれば、さらに離党の動きに拍車が掛かる公算が大きい。
 民進党都連幹部は、その背景として党勢低迷に加え、蓮舫氏が小池氏主宰の政治塾への参加を容認したことがあるとみている。年明けに離党者が出始めた際も「目くじらを立てることではない」(蓮舫氏周辺)と危機感が薄かった。党若手は「対応の遅れが傷口を広げた」と嘆いた。
 ただ、離党を認めず除籍(除名)処分とする選択肢は取りにくい。小池氏の反発を招く恐れがあり、同氏との協調方針とも矛盾しかねない。小池氏への協力姿勢を示している連合とも溝が広がるとみられる。とはいえ、離党届を放置したままでは、蓮舫氏の求心力がさらに低下することは避けられない。
 民進党は都議選で、現有18議席から大幅に減らすことが必至とみられ、「議席ゼロ」の可能性もささやかれている。「民進系都議」を確保するため、離党を円満に認めた上で推薦する「苦肉の策」も浮上しているが、党幹部は「有権者の反発を招く」と懸念している。 
(4月26日、時事通信)

先日(確か都議候補が10人程度離党した段階で)、ボスに「少なくともあと10人は離党する」と報告したばかりだが、「少なくともあと10人」程度では済まされず、「10人残ればマシ」くらいの情勢になっている。敢えて弁明すれば、ボスに報告した後に、私の地元の市議らからヒアリングして、「想像以上」の事態だったことに気づかされたわけだが。私は私で、舛添前知事を追放劇に荷担した都連執行部に抗議して先に離党届を出しているため、表だって情報収集するわけにもいかなかった。

耳にしたところでは、地元の都議も準備を進めており、「あとはタイミングの問題」だという。彼は一般的に脆弱な基盤しか持たない民進党議員の中で「最強級」と言えるくらいの地盤、実績、人気を誇っているだけに、その彼でも「次は民進では当選できない」「ファーストが出たらサドンデス負け」「KM党にも勝てないかもしれない」と考えるほど追い詰められているという。

親分肌で自信家とも言える彼が厳しい立場に追い詰められているのは、個人後援会の中でも「一刻も早く離党してファーストに行った方がいい」との声が日に日に強まっている上、市議団からも「落選して都議ゼロになる状況は避けたいので、離党して無所属で出て、とにかく再選して欲しい」との要望が上がっているところにも起因している。もちろん連合東京からは「ファーストでも推薦する」と言われている。
ここには、民主党・民進党には党員や党組織が存在しないため、後援会や連合の意向が非常に強く、自分の信念だけではどうにもならないという背景がある。つまり、個々の都議からすれば、「そう(離党するな)は言っても、じゃあ党は何をしてくれるんだ?!」という話であり、実際のところ党本部も都連も打つ手が無い。
状況的には、ユーゴスラヴィア崩壊の状況に近いかもしれない。
地元では「(中央の)代表と幹事長を替えろ」という声が聞かれるが、別にレンホーを辞めさせたところで、都議が離党を思いとどまるわけでもないだろう。いずれにしても、都議選の大敗でレンホー体制は終わりそうだが。

最も有利な選挙環境にある彼が離党した場合、定員5人以上の大選挙区を除いて「もはや民進では当選できる見込みが無い」という判断が所与のものとなり、ドミノ現象が始まるだろう。離党されて困るのは党執行部や党本部だけで、個別的には「離党しても、国政選挙や市区選挙は今まで通りやります」と言って回っているだけに、国会議員も市区会議員も「別にいいんじゃね?むしろ当選してくれないと困るし」という話になっているようだ。

一般人からすれば、「今回は離党してファーストでいいかもしれないけど、名古屋や大阪を見れば分かるとおり、その次は分からないのでは」と思うところだが、職業議員というのは常に「次の選挙」のことしか念頭に無いものなのだ。確かに今回の選挙で民進党に操を立てて玉砕したところで、次に民進党で復活できる保証などどこにも無い。むしろ次の選挙までに民進党自体が消えて無くなっている可能性だって考えられる。
その背景には、民主党・民進党が落選者に対して十分な手当をしない、あるいは何の補償もしないため、イデオロギーや政策的共感も無いことから、「政党名なんてただの看板」という認識が一般化していることがある。

いずれにしても、民進東京はかつての東欧諸国の共産党のように溶けて消えてしまう運命を辿りつつあると言えよう。

「ただ生きたいと願う魂を守る。自分の使命はそれだけだ」 by. 仮面ライダー
posted by ケン at 08:00| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

3、4月の読書(2017)

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『ドイツ空軍全史』 ウィリアムソン マーレイ 朝日ソノラマ(1988)
原著は1980年代、著者は米空軍出の歴史学者。第一次世界大戦の敗北によって航空戦力が全廃され、ヒトラー政権後に一から再生、二次大戦の末期までを描く通史ではあるが、全くムダが無くコンパクトにまとめられており、全体像をつかむには最適の書かもしれない。記述も至って冷静で偏りが無い。このテーマは大昔、小学生か中学生の頃にサンケイ出版の『ドイツ空軍』を読んで以来となるので、非常に刺激的だった。要は近隣諸国との短期決戦のみを想定して、地上支援に最適化し過ぎた結果、想定外の全面、長期戦争になってしまい、方針転換もままならないまま疲弊していった、ということなのだが、それでも英米ソの圧倒的な物量を前に、良くあそこまで戦えたものだ。ただ、かなりの大著を文庫にしてしまったため、注釈や参考文献、あるいは図表が削除されてしまい、非常に惜しいことになっている。朝日ソノラマが無くなった後、2000年代に学研M文庫で再版されたものの、これも絶版になっており、M文庫も廃止された今、戦史ファンとしては心細い状態が続いている。

『スターリン―赤い皇帝と廷臣たち〈下〉』 サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ 白水社(2010)
上巻は読んでいたのだが、下巻に入ったところで何らかの理由で中断し、そのままになってしまっていたので、読み終えることにした。モンテフィオーリ卿の最高傑作にして、既存のスターリン伝の中でも最高峰にあると思われるが、いかんせん上下巻で1300ページという恐ろしい大著なので(註が恐ろしく多い)、容易に手を出せないところは否めない。とはいえ、膨大な一次資料を重視すると同時に、生存者へのインタビューも丹念に行って、可能な限り「見たまま」のスターリン像を描き出しているだけに、読み手も苦労する価値があるし、実際にソ連学徒が読んでも半端ないリアル感を覚える。スターリンに限らず、重臣や親族に関する記述も充実しており、多重的に描かれている点が、認識をさらに深めてくれる。次はサーヴィス『トロツキー』に行くか、スナイダー『ブラッドランド』に行くか悩み中。

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『スターリン批判 1953〜56年』 和田春樹 作品社(2016)
御年80になられる御大の新著。500ページ近くあり、とても79歳の仕事とは思えない充実ぶり、業界では毀誉褒貶多いものの、やはり一個の巨人であろう。先生はすでに70年代にスターリン批判の分析をされていたが、90年代以降に公開された新資料や証言をふんだんに駆使して、スターリン批判に至る経緯から周辺国への影響に至るまで歴史の再構築を試みている。上に紹介した『スターリン』の最終盤からスタートする話なだけに、より納得でき、知識の上書きを進めている。和田先生の労作群なくしては本ブログも存在しないとすら言える。

『用兵思想史入門』 田村尚也 作品社(2016)
『各国陸軍の教範を読む』の田村先生の新著。古代メソポタミアから現代アメリカの「エアランド・バトル」に至る用兵思想の歴史を俯瞰する一作。ただし、孫子に代表される東洋のそれは含まれておらず、あくまでも西洋が中心。300ページ強で駆け抜けてしまっている観は否めないものの、一つ一つを切り取らずに継承されてきた思想の連続性に着目し、「なぜそうなったか」を再確認することに意義がある。ゲーマーは一読しておくべきだろう。

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『働く女子の運命』 濱口桂一郎 文春新書(2015)
少子化対策もそうだが、「女性活躍」というスローガンばかりが先行しているものの、現実には女性の社会進出は遅々として進まず、「活躍」からはほど遠いところにある。その理由を、「日本型雇用」というキーワードを用いて戦前の歴史からひもといてゆく。結局のところ「職務、ジョブ」ではなく、人格丸ごと雇用して無制限の職能や勤務(異動)を強いる、世界に類例の無い日本型雇用を女性にもそのまま適用しているのが「日本型男女平等」「(日本型)女性活躍」になってしまっている、ということらしい。労働時間規制に関心の無い労働組合も、加害者の一員ということなのだろう。やはり労働問題を根本的に解決しない限り、個々人の幸福も生産性の向上もあり得ないと再認識させられる。

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『「天皇機関説」事件』 山崎雅弘 集英社新書(2017)
既出。

『新・所得倍増論』 D・アトキンソン 東洋経済新報社(2016)
『新観光立国論』で話題のアトキンソン氏の新著。様々なデータを駆使して、国としては世界第3位のGDPを誇りながら、実は一人あたりのGDPは世界27位(購買力調整後)、一人あたりの輸出額は44位と衝撃的な数字が続出。単に人口規模が大きいため、人海戦術でごまかしているだけの話で、エリートやマスゴミが喧伝するほど優秀でも裕福でも無いことを、淡々と説明している。生産性の低さは昨今強く言われつつあるが、具体的にデータを見ると驚かされる。ただ、「ではどうすればいいの?」となると、途端に曖昧、微妙な表現ばかりで具体性が無い。まぁコンサルなので、具体策が聞きたければ自分を雇えということなのだろうが・・・・・・
posted by ケン at 12:37| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする