2023年07月18日

英国ロイヤルバレエ団「ロミオとジュリエット」

中国も大都市部は日本よりも豊かになりつつあるとはいえ、文化的にはまだまだ足りないところが多い。
美術館やホールなども続々と建てられてはいるが、コンテンツが足りないのだ。
いわば日本の1980年代だろう。
バレエに至っては、もともと西洋バレエの文化が殆どないので、見る機会もない。
というわけで、バレエ鑑賞は日本帰国の楽しみの一つとなっている。

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この日見たのは英国ロイヤル・バレエ団の「ロミオとジュリエット」。
ロミジュリなんて最後に見たのはいつだろうか。
ロシアにいた時は何度か見たが。。。
音楽がプロコフィエフなので、ロシアではよく演じられるためだ。

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ジュリエット役はフランチェスカ・ヘイワード。
ケニア人とのハーフで、一時「アフリカ系がロイヤルのプリンシパルになった」と騒がれたことがある。
身長157cmと、大型化が進むダンサーの中にあっては相当に小柄で、身長低めのダンサーにとっての目標とされる存在でもある。

私は今回初めて舞台を見たが、テクニックではなく演技力で魅せるダンサーで、30過ぎながらも14歳設定のジュリエットを見事に演じていた。
子どもっぽいところと、どこか影のある心理を、バレエで表現するのは容易ではなく、テクニックだけで表現できるものではない。
もともとロイヤルはテクニックよりも演技力を重視する傾向があるとされるだけに、彼女はその代表格なのかもしれない。

ロシアバレエ好きの私からすると、男性ダンサー陣のパワー不足が感じられたものの、演技重視の演出を考えた上での調和なのだろうと勝手に解釈した。
東京シティ・フィルハーモニックの演奏も悪くなく、一学期の疲れを癒やすには十分な時間であった。
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2021年06月25日

ワガノワ・バレエアカデミーのカリキュラム

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ワガノワ・バレエアカデミーのカリキュラム。
基本的に10歳で入学して17歳で卒業するので、中等教育に相当する。

バレエに専念するのは最終学年の8年生だけで(7年生も多いが)、その他は普通科目もある。1年生で26コマ、4年生で30コマと、日本の普通学校とほぼ同じだが、年間授業日数は日本の210日間に比べて、240日間と長い。欧州には長期バカンスのイメージがあるが、夏休み以外は休みは少ない上、月曜から土曜の9時20分から17時55分までみっちり授業がある。

バレエ学校らしく、1年次から英語と仏語の二ヶ国語を学び、6年次からは舞踊史や舞台芸術史などの芸術講座が入る。ソ連の伝統か、数学や物理などの理系科目が意外に多い。舞踏科目は一日5〜6時間程度。朝から授業があっても、昼食は14時50分ということもある(ロシア人はよくバッグに軽食を入れている)。色々詰め込みすぎなところがロシアらしい。

ロシアの教育は(昔は)基本スパルタ式だし、バレエ界は基本体育会系なので、教員は寝ている生徒に容赦しない。
「バカにはバレエはできない」と言われるように、日本の体育会系のような脳筋を育てる場所とは根底から異なり、エリート養成学校なのである。

【3年次月曜】
1.,2: クラシックバレエ
3,4: 文学
5: 代数
6: 昼食
7: 地理
8: 古典舞踊
9: 生物

【7年次金曜】
1: メイク講座
3,4: クラシックバレエ
5: 昼食
6,7: 舞踏史
8,9: 演技

【追記1】
日本のバレエスクールだと、男子生徒が殆どいないので、まずデュエットの練習ができないという問題があるが、ワガノワには優秀な男子生徒がいるので、6年生から練習しているところが羨ましいところ。5年生以下は体格が不十分なのでやらせないのだろう。パートナーの体重が50kg程度と言えども、踊りながら支えたり持ち上げたりするのは恐ろしく難しい(しかもニコニコしながらとか!)。

【追記2】
山下某や橋本某を見ていると、日本の体育会系の脳筋教育がいかに社会に害悪を撒き散らしているかわかるだろう。
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2019年01月18日

キエフ・バレエ「白鳥の湖」だが・・・

一度くらいはちょっと贅沢して観劇に行こうと思って調べていたら、キエフ・バレエが来ることが分かり、チケットを購入した。ネット予約、電子決済なので、設定さえしてしまえば楽なものだ。レニングラード市内のチケット売り場を探し回っていた頃が夢のようだ(遠い目)。

割引がついて400元(約6千円)だが、日本に比べれば半分くらいの感覚。
この席にしたのは、もっと高い席もあるのに、何故か中央最前列でこの値段だったからだ。中国の値段設定は劇場においても良くわからない。
しかも、ダンサーの名前も書いておらず、微妙感が漂っていたが、そこは目をつむることに。

劇場までは地下鉄の便も良く、乗り換え無しで30分弱。歩いて10分もかからない。
劇場の建物の外観や座席はそれなりだったが、肝心の内装や舞台が今ひとつちゃちい感じがする。
舞台も若干狭い感じで、大中国ともあろうものが、どうもケチ臭い。

チケットが安かったのは、生オケではないためオーケストラの上に設置された仮設席だったからのようだが、まぁ最前列で見られるのであれば何でも良い。まぁこの値段では録音音源もやむなしかと諦める。
だが、入口で渡された紙には「白鳥の湖とはなにか」しか書いておらず、ダンサーのリストすらなく、不安は増すばかりだった。

いざ始まってみると、目の前で白鳥が舞う迫力に不安を忘れてしまうが、白鳥や王子はキエフ・バレエに恥じないレベルだったが、コールド・バレエになるとどうもバラツキがあるし、そもそもダンサーの体格差が大きすぎて違和感ありまくり。やはり最前列で見ているせいか、普段と異なるところが気になるのかもしれない。

あっという間に一幕が終わるも、「あれ?微妙に短くね?」と思って時計を見てみると50分しか経っていない。バージョンにもよるのだが、普通は60〜70分かかるはずで、よく考えてみれば場面が足りていない。
休憩後、再開された第二幕は原典の第二幕から第四幕まで全てを繋げて大幅に短縮しており、10倍速の早回しで見るかのように40分でフィナーレとなってしまった。黒鳥の出番は二回だけとか、観客にとって悪夢でしかない。

やはり中国は裕福になったとは言え、まだまだバレエやオペラを観るようなレベルには程遠いらしい。
日本が非常に特殊な環境にあることを、改めて理解させられた。
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2017年10月03日

トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2017

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「トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2017」を観に行く。
というか「間に合った」という感じ。これとオフ会があったため、無理を言って地元入りを遅らせたくらい。
まぁボスが出馬する党が決まらない限り、自分も仕事が進められないのでどうにもならなかったことが大きいのだが。個人的にはラッキーだった。

ザハロワ様が絶好調&超ハッピー・オーラを出しまくりで舞台全体が幸せオーラに包まれていた感じで、普段のバレエの舞台とは全く異なる空間だった。何というか、夫のレーピンがヴァイオリンの超絶技巧を披露しようとしているのがウザく思えるくらい、「他はどうでもいい」になってしまっていた。
しかも2時間弱もありながら無休憩。複数のショート・プログラムを組み合わせていて、演奏のみの間にザハロワが着替えて出てきて次のプログラムを踊る流れで、最後まで全く疲れを見せない。彼女の年齢を考えれば超人的としか言いようが無い。
一つ一つを論評できないのが惜しいが、「瀕死の白鳥」を観たいがために29日にしたので一言。信じがたい超絶技巧と身体コントロールであり、瞬きするのも惜しいほどだったが、どうにも幸せオーラ全開で凄い生き生きとしてしまっていて、とても死にそうには見えないところが「どうよ?!」と思わなくも無かった。否定はしないが、以前観たロパートキナ女史の方が「滂沱の涙であふれる瀕死の白鳥」の原型だったと思う。その彼女も引退した今、ザハロワ女史はケン先生にとって「最後の希望」である。
それにしても、ロブーヒンとロヂキンとか男性ダンサーはちょっとしか出てこないのに何とも贅沢な公演であった。あと、個人的には「ヘンデル」が良かったなぁ。

スヴェトラーナ・ザハーロワ&ワディム・レーピン『パ・ド・ドゥ for Toes and Fingers』
 ☆印は器楽のみ。
 演奏:ワディム・レーピン(ヴァイオリン)、フェスティバル・アンサンブル(リーダー:南紫音)
 出演:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン、デニス・ロヂキン、
   ウラジーミル・ヴァルナヴァ、ドミトリー・ザグレービン 

 ○N・パガニーニ:“ヴェネツィアの謝肉祭”による変奏曲 op.10 ☆

 ○バレエ「ライモンダ」より“グラン・アダージョ”
 音楽:A・グラズノフ
 振付:牧 阿佐美
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、デニス・ロヂキン

 ○P・I・チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」より“レンスキーのアリア”☆
 編曲:レオポルト・アウアー

 ○「プラス・マイナス・ゼロ」
 音楽:アルヴォ・ペルト「フラトレス」
 振付:ウラジーミル・ヴァルナヴァ
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ウラジーミル・ヴァルナヴァ

 ○M・ラヴェル:「ツィガーヌ」☆

 ○「レヴェレーション」
 音楽:ジョン・ウィリアムス「シンドラーのリスト」より
 振付:平山素子 *録音音源を使用いたします。
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ

 ○F・ワックスマン:カルメン幻想曲 ☆

 ○「ヘンデル・プロジェクト」
 音楽:G・F・ヘンデル
 振付:マウロ・ビゴンゼッティ *録音音源を使用いたします。
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、デニス・ロヂキン

 ○P・I・チャイコフスキー:「ワルツ・スケルツォ op.34」☆ 
 
 ○「瀕死の白鳥」
 音楽:C・サン=サーンス
 振付:ミハイル・フォーキン
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ

 ○M・M・ポンセ:「エストレリータ」☆
 編曲:ハイフェッツ

 ○「レ・リュタン」より
 音楽:H・ヴィエニャフスキ「カプリース イ短調」(クライスラー編曲)より
    A・バッジーニ「妖精の踊り」より
 振付:ヨハン・コボー
 バレエ:スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン、ドミトリー・ザグレービン
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2017年06月06日

ザハロワ様のジゼル 2017

今シーズンは今ひとつ食指が動かず、かなり久しぶりのバレエ鑑賞になってしまった。
ボリショイの公演は1年近く前に予約しなければならず、当然ながら1年先の国会会期中の予定など立つわけも無いわけで、「仕事をなげうってでも行く」価値のあるものしか予約できない。もちろんザハロワ女史のことである。
今回の選択肢は、「白鳥の湖」と「ジゼル」ということで、白鳥にするつもりだったが、私が予約する頃には会員用先行予約で良い席が埋まっており、「ザハロワのジゼルも贅沢だよな」ということでジゼルにした。女史の公演だけは、チケットが高値に設定されているにもかかわらず、あっという間に完売するのだから、相変わらずの人気である。

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当日、会場に行ってみると、楽屋口には黒塗りの車が何台も止まっている上、ホールの入口からして物々しい警備。ロシア大使が来るくらいは考えられるが、それにしては物々しすぎる。テロ予告でもあったのかと思わなくも無いが、であればもっと厳しい警備になっていただろうから、微妙な案配。
すると、ゴロジェッツ・ロシア副首相と安倍総理が「ロシアの季節」開会の挨拶を行い、会場を見てみれば、中央中段に安倍総理、岸田外相、高村自民党副総裁が三人並んで座っている。驚くべきことに最後まで観劇していた。第五次日露協商が成る日も遠くない。

「ロシアの季節」とは、ロシア政府肝いりによる、諸外国における文化祭典を催し、継続的にロシアの芸術家を送り込んでイベントを行う事業を指す。要は、国家事業による文化プロパガンダである。もちろん、日本政府の「クール・ジャパン」などとは比較にならない「重さ」があるが、これは国家戦略上の重要度を示すもので、ソ連あるいは帝政ロシア以来の伝統と言える。

「権力の道具」としてのボリショイ劇場。その支配人は就任時に閣僚に呼び出されて「ボリショイとは何か」の薫陶を受けるという。全てに従属的な日本人と異なり、「道具」の自覚があるからこそ、アーティスト側に反発も生まれ、芸術表現の相克が生じる。同時に権威のモスクワと反権威のペテルブルク(マリインスキー)という対立軸も生まれ、ロシア芸術に深みをもたらしている。
こうした「圧倒的な権力と反権力」は、ロシアの不条理そのものであり、ロシア人アーティストの表現に決定的な影響を与える。欧米のオペラであれバレエであれ、そのテーマの多くが「抗いがたい不条理」に基づいているが、幸いにも現代日本では一般生活において不条理を覚えることが比較的稀であるため、日本人の表現者は不条理や暗黒面が上手く表現できない。
私が常々繰り返している「日本人バレリーナは白鳥は踊れても、黒鳥は踊れない」はこの延長線上にある。真面目に努力しているだけの良い子ちゃんには表現できない(理解できない)世界があるからだ。

余談が過ぎた。
「ザハロワでジゼル」など、私にとっては「平日のランチに和牛ステーキ」的な贅沢を覚えるが、それはそれで良いだろうというのが今回の判断だった。実際、「ロシアの季節オープニング」に「白鳥の湖」ではなく、「ジゼル」を持ってくるにはそれなりの理由があるのだろう。

目的のザハロワ女史は、「妖艶すぎて村娘には見えない」問題はあるものの、安定したテクニックと舞台にあるだけで美しい存在感と上品な演技力で、完全に舞台をコントロールしていた。特に演技力に磨きがかかっており、テクニックで圧倒する演目では無いだけに光るものがあった。
それにしても、前にも思ったが、女史はどう見てもガリガリに痩せており、筋肉のつく場所も無いような感じなのだが、完璧な身体コントロールを見せていて、彼女の存在自体が奇跡にしか思えない。
確かに全く文句の無い舞台で、女史に至ってはずっと目が釘付けだったのだが、終わってみればやはり「平日ランチに和牛は贅沢だったか」と思わなくも無かった。

「ロシアの季節初日」「ボリショイ初来日から60周年」ということもあり、中堅ダンサーも選りすぐってきたようで、コール・ド・バレエも非常に美しく、中には何人か「プリンシパルでも良くね」くらいの感じのダンサーもいて、高い水準を示していた。ただ、初日のせいか、どうも緊張感が漂っていて、やや堅さが見えた。また、レベルを重視しすぎて群舞としてのバランスという点では、難があったかもしれない。

伯爵役のロヂキンは若手だと思っていたが、もはや十分な貫禄があり、ザハロワ女史の相手役としても十分な安定感を示していた。

最近のロシア・バレエは衣装が美しく、特に色合いが非常に私好みで気に入っている。その意味では、第二幕はブルーライトが続くので惜しかった。

そして、今回はモスクワから劇場直属の管弦楽団を連れてきており、単なる背景音楽ではなく、舞台と一体化した芸術を見せてくれた。なるほど改めてボリショイ管弦楽団の存在の重さを実感した次第。個別に何が違うのかと聞かれても上手く説明できないのが悔しいが。

次は「パリの炎」である。
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2016年08月13日

近藤良平版 ストラヴィンスキー『兵士の物語』

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ストラヴィンスキー『兵士の物語』
【演出・振付】 近藤良平
【出演】 川口覚 北尾亘 入手杏奈  近藤良平
【演奏】 三上亮(Vl) 谷口拓史(Cb) 西久保友広(Perc) 勝山大舗(Cl) 長哲也(Fg) 阿部一樹(Tp) 玉木優(Tb)

日本では「知る人ぞ知る」ストラヴィンスキーの名作。偶然発見して、「日本では珍しいな」と思い、チケットを衝動買いして見に行った。三軒茶屋のシアタートラムというのも、便利だった。どうやら大々的ではないが、日本でもたまに演じられているようだ。

朗読と演劇と舞踏を併用した、小編成オケによる音楽劇。ヴァイオリン、コントラバス、ファゴット、クラリネット、コルネット、トロンボーン、打楽器群(複数の太鼓、シンバル、タンバリンなどを一人で駆使する)という、面白い7人編成が特徴で、民族音楽と即興ジャズ的な要素を交えた音楽が印象的だ。7人編成にもかかわらず、小さな劇場ということもあって、かなりの迫力だった。

ロシアの民話を下敷きに、ファンタジー要素満載ながら、兵役の悲惨さが強調される作品になっている。1918年という、第一次世界大戦直後の時代背景が伺われるが、7人編成のオケというのも、戦争の影響で人手や楽器が足りなくなっていることが配慮されているという。

近藤氏の舞台は、衣装も演出も自由な発想でつくられており、映像や影絵のモチーフを上手に使いつつ、観客も巻き込んでライブ感を出していた。本来は、ロシア人らしい暗いラストなのだが、全体的に軽妙につくりつつ、ストラヴィンスキーの味わいを失うこと無く、良いバランスに仕上がっていたと思う。
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2016年08月08日

オールスター・バレエ・ガラ(2016) Bプロ

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時間が経ってしまったけど、一応報告だけ。
最近はバレエを観る頻度がやや下がっているけど、どうしても外せないものはある。それでも、ザハロワとレーピンの夢の共演は参院選の動員により行けなかった。が、このオールスター・ガラは、半年以上前から分かっていたので、月末の公演のチケットを取った。

「ラプソディ」 フェリ、コルネホ
「白鳥の湖」 アナニアシヴィリ、ゴメス
「Fragments of one's Biography」 ロパートキナ、エルマコフ
「ジゼル」 ザハロワ、ロブーヒン
「リーズの結婚」 マーフィー、エイマン
「プレリュード」 ロパートキナ、エルマコフ
「フー・ケアーズ?」 マーフィー、エイマン
「ディスタント・クライズ」 ザハロワ、ロブーヒン
「レクリ」 アナニアシヴィリ
「ル・パルク」 フェリ、コルネホ
「眠りの森の美女」 トレナリー、ゴメス

「オールスター」だから仕方ないとはいえ、演者の高齢化は否めない。53歳というフェリ女史の現役復帰という、大ネタもあるだけに尚更だ。確かに下手に若い人を出すと技術格差がハッキリしてしまうので、難しいのだろうが、そこを調整するのもプロデューサーの手腕だろう。
前半はオケによる演奏だったのに対し、後半は音源によるスピーカーの音出しとなったが、この音質がとにかく劣悪で、せっかくの世界トップによる舞踏を台無しにしていた。主催者側も納得していたのだろうか。

肝心の舞台演目は、クラシックとモダン系を交えたものだったが、全体的に「どこかで観たことがある」感のある無難な演出で、分量的にも物足りない感じで「もうおしまい?」と思ってしまったのが率直なところだった。恐らく興行が優先された格好なのだろうが、意外性や驚きといった要素が無いと飽きられてしまうのではなかろうか。

ダンサー的には、やはりザハロワとロパートキナが群を抜いており、特にザハロワ女史の超人性に拍車が掛かっており、スターの中でも圧倒的な存在感を示していた。逆に、ザハロワを前面に出したい主宰者側の意向なのか、ロパートキナの演出は抑え気味にされていたような気がする。気持ち的には、もっとガチでバチバチやって欲しかったのだが。とはいえ、男女のコンビとしては、ロパートキナとエルマコフの相性の方が勝っていたようにも見受けられた。
また、53歳のフェリが年齢的衰えを感じさせない、妖艶な支配力と存在感を見せて観客を沸き立たせていたのに対し、アナニアシヴィリは技術はともかく肉体的な衰えを見せてしまっており、全盛期を知るファンとしては寂しさを覚えずにはいられなかった。

今回はそれなりに前の方の良い席で観られて、スピーカーの音質以外に取り立てて不満があったわけではないのだが、「これでいいのきゃ?」という物足りなさ感が強く残った舞台だった。
posted by ケン at 12:52| Comment(0) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする